20280730...?
とある麗らかな昼下がり。
俺の記憶と、カウントが間違い無ければ。
7月30日の筈の今日は、初夏の日差しを万物に満遍なく降り注がせていた。
都会にありがちな喧騒も雑音も無い〈この場所〉は、許されるのならば横になって昼寝をするには最適だろう。
そう、いっそこのまま………日差しに溶ける様に。
例え───それが、もう叶わない『夢』であると、分かっていても。
『───ッキィャァァァァァァァァァァッ!!』
突然、何処とも知れない場所から、金属を切り裂く様な高音の〈絶叫〉が辺りに響き渡る。
どうやら………誰かが『アイツ等』に見つかってしまったらしい。
「クソッタレめ………」
だが、同時に今は〈昼〉だ。
〈日光〉を好まない『アイツ等』は、開けた野外には少ない筈だ。 例えば、〈大規模なホームセンター〉であるココの様な場所には。
運が良ければ、『アイツ等』から逃げおおせる事も可能かも知れない。
一応の確認として、ソロソロと身を隠している屋上の〈管理倉庫〉の窓から外を伺う。
「………見当たらないな」
俺の視界の範囲には、誰の姿も見えない。
暦の上では、休日と言う訳でも無いただの平日なのだが………いや、休日の方が本来なら人は多い筈か。
どうやら俺も、ちょっとばかり認識がずれて来てるのかもしれない。
人の一人も居ないゴーストタウン。
たまに見える『動く物』は、風になびくセールののぼりか、公園に設置されている風車を模したモニュメントか───空になびく、途切れる事の無い黒煙か。
………ああ、それと。
日陰に溢れる──────『アイツ等』か。
ガシャンッ
………噂をすれば影、とでも言うのか。
封鎖した筈のこの屋上に、珍しく『来客』があった様だ。
面倒ではあるが『応対』しない訳にもいかない。
立て掛けて置いた大型の〈シャベル〉を肩に担ぎ、自分の〈服装〉を確認する。
目立ち難い紺色の〈作業着〉の上に、魚屋が着る様な大型の〈ゴムエプロン〉に〈ゴム長靴〉。 腕には肘までカバーする〈革手袋〉。
それと、正直着けたくはないが………首周りをカバーする為に厚手の〈革ジャンパー〉と、〈フルフェイスヘルメット〉。
色は全て、黒か紺で統一だ。
おっと、いけないけない。 足首に園芸用の〈スコップナイフ〉を付けるのを忘れていた。
………ククッ。 何のコスプレなんだか。
『大阪』に住んでる知り合いのミリタリーオタクが見たら、「超が付くほど出来損ないのドイツ親衛隊か?」とでも言うかもな。
ガシャンッ
………はいはい、今行きますよ。 せっかちな『客』は嫌われるぞ。
もう一度、自分の〈服装〉及び〈装備〉を確認した俺は。 ドアに巻き付けた、バイクを停める時に使う〈ワイヤーロック〉を、音がしないようにゆっくりと外していく。
直径4ミリのワイヤーで出来たこの〈ワイヤーロック〉は、〈我が家〉を守る重要な最後の砦だ。
これを外せば、自分の身を守るのは自分の能力と装備のみ。
………大丈夫、大丈夫だ。
自分に言い聞かせつつ、ドアをそっと押し開く。
開けた隙間から、周囲を確認する。
………よし、クリア。
だだっ広く開けた〈屋上パーキング〉には、人っ子一人、車の一台も無い。
しかし、前も思ったが………『騒動』が起きた時には、こんな所に来る様な物好きが居なかったのだろうか?
一人くらいは、俺みたいなヤツが居ると思ったんだがな。
溜め息をつきつつ、音の聞こえてきた方向に歩く。
〈屋上パーキング〉への出入り口は、3箇所ある。
西の壁際に、車の出入り用の〈スロープ〉。
中央部のメイン出入り口である〈エレベーター〉とその横の〈階段〉。
そして他から少し離れた、屋上の南東の端にある〈非常階段〉だ。
さっき俺が居た〈管理倉庫〉は、この〈非常階段〉のすぐ裏にある。
6畳も無い狭いスペースだが、頑丈な鉄製のドアと良好な日当たり、加えて水道が使えるという事で〈我が家〉にさせてもらっている。
飲み水にはちと不安だが、それ以外の用途でも水はいくらでもあるに越した事は無いからな。
その〈非常階段〉だが、今は基本的に2階と3階へのドアはバリケードで封鎖、開ける事が出来るのは屋上と1階だけだ。
1階の出口には、自転車を何台か置いてある。
今のところ無いが、何処かに出かける際に使う予定だ。 もっとも、出かけられたらの話だが。
それはさておき。
中央部の〈エレベーター〉は、電気が来ている間は使えたのだが現在は使用不能。
その横の〈階段〉は、バリケードで封鎖した。
だから、ここから『客』が来る事は無いだろう。
ガシャンッ
ついでに、音の発生源もここじゃない。
西の方───つまり〈スロープ〉の方角からだ。
俺はそのまま歩を進め、〈スロープ〉へと向かう。
『アイツ等』は、かなり音には敏感だ。
このまま音を鳴らされ続けると、ちょっとばかり厄介かもしれない。
若干の急ぎ足で、〈スロープ〉へ向かう。
〈スロープ〉には、巻き取り式の〈シャッター〉が降ろせる様になっている。
〈シャッター〉と言っても、完全に見えなくなる様な店舗で良く見る〈シャッター〉では無く、縄梯子がつながった様なタイプの物だ。
ま、そのおかげで『客』の様子が良く分かるんだが。
〈スロープ〉に着いた俺は、壁を背にして物音を立てる『客』をそっと覗き見る。
………おおっと。 『来客』は、正確には『客』ではなかった。
俺が敷地を借りている、この〈ホームセンター〉の黄色いエプロンを身に着け、ぴったりした赤いTシャツにデニムジーンズを着た『彼女』の事を、俺は知っていた。
自己主張の激しい胸部が特徴的な『彼女』は、つい2週間程前にこの〈ホームセンター〉で働き始めたのだから。 数回、レジなどで会話した事もある。
顔はそこまで美人ではないが、明るい笑顔の『彼女』にはその内声でも掛けてみようかと考えていたのだが………ああつまり、『客』ではなく『店員』だったという事なんだがな。
しかし、その『彼女』。 今は………大変開放的な姿になってしまっている。
エプロンの首紐が切れたのか腰の部分でしか留まっておらず、その上Tシャツはめくれ上がり右肩だけしかカバーしていない。
左肩からお腹まで、『彼女』の特徴的な自己主張の激しい胸部も含めて、全てが丸見えなのだ。
羨ましいか?
だが、残念ながら俺は全く嬉しくない。
何せさっきのは、これまた正確な表現じゃないからな。
正確には───自己主張の激しかった胸部、が丸見えと言うべきだ。
その───『中身』も、な。
『彼女』の無残にゴッソリと抉れた体は、『中身』の色を激しく自己主張している。
血の赤、脂肪の黄色、腱や骨の白。
俺は極普通の趣味嗜好であって、人体模型もかくやと言う状態の『彼女』を見ても興奮しようが無い。
そして、そんな状態でも動いているという事実は、『彼女』が『アイツ等』である、と言う事を証明していた。
俺はゆっくりと〈シャベル〉を壁に立て掛け、空いた手を伸ばすと〈シャッター〉の手巻きハンドルを慎重に回し始める。
………気付かれやしないかと、気が気じゃない。
小さくキュルキュルと鳴るハンドルの音に。
ハァハァと〈ヘルメット〉の中で篭る呼吸の音に。
何より、ドクンドクンと割れ鐘の様にうるさい心臓の音に。
ふと気付けば、〈シャッター〉は地面から40センチ程隙間を作っている。
そう、伏せれば通り抜けられる程度の。
『彼女』もそれが分かったのか、ぎこちない動きでしゃがみこむと頭から通り抜けようとする。
俺はそれを確認すると、ハンドルから手を外し………ゆっくりと手に取った〈シャベル〉を振り上げ───
「───クソッタレ、め」
気付けば口癖の様になっている一言を呟きながら、俺は歩を進める。
右肩に〈シャベル〉を担ぎ、左手で〈荷物〉をズルズルと引き摺りながら。
〈スロープ〉の端まで来た俺は、一つ息をつくと勢いをつけて〈荷物〉を───空へと放り出す。
───ドサッ
中身の詰まったサンドバックだか土嚢だかが、地面に落ちた様な音がした。
もう………慣れた音だ。
そのまま上を向いて空を眺めると、綺麗に晴れ渡った青空が視界一杯に広がる。
開放的な気分になった俺は、ふと思い立って〈革手袋〉を外し、〈ゴムエプロン〉と〈作業着〉を捲くる。
そして、開放的な気分のまま───空に『虹』を掛ける。
………ふぅぅぅぅぅぅぅ。
こんな時、タバコでも吸う人間なら様になるのかも知れないが………残念ながら俺は非喫煙者だ。
それでも俺は、『虹』を掛けながら考えてしまう。
こんな『事態』に陥った時の事。
つい、一週間前の自分の記憶の事を───
げ、手にかかった………