ヨーグルカプチーノ
小鳥の声が朝靄に響く。
まどろみの中で、コンコンと何かが私の心を叩く音が聞こえた。
「おはよう、小鳥さんたち」
私は目を覚まし、窓を開け、朝露を纏った風を迎え入れる。
国を救い、民を救い、しかし王になることを拒んだ私は、片田舎の小さな小屋に辿り着いた。ここまでの長旅は、苦難の連続だった。
あぁ、これから全てを、何もかもを捨てた輝かしい一日が始まるのだ。
「う~ん……」
早朝、というか徹夜明け、アニメとブラウザゲーの二本立てで深夜を自堕落に乗り越えた私(23歳女子)だったが、ここにきてようやく創作意欲に火が点き始めた。別に徹夜明けのテンションに任せて書いているのではない。
これが私のスタイルなのだっ。
起きて最初にすることは竈に火を入れること。
この不便さこそ、私が勝ち取ったものだ。
自分の手で湯を沸かし、一杯の――
「お、しじみの味噌汁じゃないか」
しじみの味噌汁を堪能する。
美味い。昨日の酒が抜けていくようだ。
小鳥たちの囀りも、しじみの美味さを称賛している声に違いない。
「待って待って」
どうしてこうなった。コーヒーでしょ、ここは。
苦みと一緒に幸せを噛み締めるところでしょ。
どうして肝臓労わっちゃってんの!
「まったく、集中してる時にお父さんが変なこと言うから」
ウチは四人家族の夫婦共働き、弟は生意気盛りの高校生だ。大手有名企業に勤めているワケでもない父と気楽なパートを転々としている母が二人の子供を育ててくれたことには感謝しているし、マイホーム(ローン未完)があるだけでも有難い話であることは重々承知している。
しかし、しかしである。
安い中古物件を碌にリフォームすらせずに住んでいる我が家は、良く言えばアットホームな環境と言える。
つまり防音とか皆無なのだ。
プライベートとかあったもんじゃない。
そうは言っても一人暮らしなんてできないし、私は今日も薄い壁を睨みながらキーボードを叩く。
朝の素晴らしい一杯を終えた私は、目覚めていく身体を感じながら、まだ空白だらけの今日一日に思いを馳せる。何をするも自由、これほど素晴らしいことが世の中にあるだろうか。
英雄になるより、王になるより、この自由の方が尊い存在だと私は思う。
この時間さえあれば、私は何だってできる。そう、例えば――
「親父っ、いい加減トイレ長ぇよ!」
ずっとトイレに籠っていることも可能だ。朝から晩までトイレに居座っても誰にも文句は言われない。それどころかトイレで寝ることも食べることも可能だなんて、自由というのは何と素晴らしいことか!
「素晴らしくねぇよ!」
便秘症の私でもそんなに籠らんわっ。
集中していると特にそうなのだが、頭の中に浮かぶ言葉をそのまま書き出してしまうみたいなことになりがちだ。困ったことに調子が良い時ほど、この傾向が強い。
もっと精査して文章を組み上げるべきと自分で思うこともあるが、こうやって直感に任せた文章の方が、どちらかというと私らしいように思う。
そう、問題は思考と執筆がリンクしていることじゃない。
壁が薄いことだ。
とはいえ、絶賛ニート……ではなく家事手伝いとして頑張っている私に防音設備を購入するような経済的余裕などあろうハズもなく、日常という魔物に邪魔をされながら作品というロードを歩むしかないのだ。
毎日健康的な生活を送っている私は流れるようにトイレを終え、改めて一日の岐路に立つことにした。
この自由を満喫しつつ、しかし素晴らしい何かを手にするために使いたい。鳥が空を飛ぶように、魚が川を泳ぐように、獣が野を走るように、当たり前の素晴らしい何かを私も紡いでいきたい。
そのためには、好きなことをしないと。
好きなことをして生きる。
単純にして最高の人生だ。自由の使い方として、これほど素晴らしいものはない。
私が好きなもの、それは――
「ジュンちゃん、晩御飯はサンマにするから後で買っといてねー」
「サンマね!」
そう、私はサンマが好きだ。
あの匂い、味、見た目、少し焦げた皮が特に好きだ。
白いご飯があると、なお結構。
考えただけで涎が出そうになる。
窓の外で囀る小鳥たちも、早くサンマを食わせろと催促しているようだ。
よし、船を出そう。
「何でや!」
私はキーボードを投げた。
無線なので結構飛んだ。
「あー、なしなしこんなの」
マウスで範囲を指定して、バックスペースへと手を伸ばし――踏み止まった。
改めて読んでみると、これはこれでアリな気がする。
というワケで、元英雄が全てを捨ててヨーグルトの作製にまったり挑むハズだった作品は、大海原でサンマ漁をする話に変わった。
ネットに上げたら、ちょっと受けた。




