奴隷の少年
第一章 奴隷の少年
じゅわり。
いつだろうと目覚めの時は、顔を焼かれる感覚が蘇る。
奴隷の証である焼き印を刻まれ、高貴な身分から最低辺へと転落した瞬間の出来ごとだ。この経験が彼の心を塗り替えてしまった。
王位に目がくらんだ兄弟姉妹は、王に気に入られていた彼を羨み、冤罪の濡れ衣を着せることにした。謂われなき罪を問われ、罪人とののしられながら、彼は奴隷へと落ちた。
それだけならまだ許せたかもしれない。育ての親を殺されたことは許せなかった。信頼していた護衛に裏切られたことは我慢出来なかった。
彼を貶めた者達の笑い声が脳内で繰り返され、彼の内側では常に、グツグツとはらわたが煮えくりかえっている。もはや彼の中には、温和で隣人愛を説く彼はいない。苛烈で他者を嫌悪する彼しかいない。
(あぁ。だが俺は敗者だ。俺は奴隷だ。何も出来ない。だから)
怒りをぐっと堪え、彼は目を覚ます。
今から奴隷としての重労働が待っている。過去を振り返っている暇など無い。
(あれ?)
見慣れぬ景色に彼は唖然とした。
奴隷を収容するための牢ではなく、そこは部屋だった。
「大分うなされていたようだけど、悪い夢でも見たのかい?」
見覚えの無い男がそこにはいた。地面に座り込んで、寝転ぶ彼を見下ろしている。
「貴方は?」
「私はシッダールダ。沙門だ。君は?」
「アシュラ。ただの奴隷です」
アシュラは小さな声で告げた。
訳が分からないといった様子で沈黙する彼にシッダールダは薄っらとした笑みを浮かべて言った。
「君は川の中で倒れていたんだ」
「あ」
アシュラの記憶が浮かび上がる。追手達から命からがら逃げ続けるも、崖の上で追い詰められ、最後の最後に川の中へと飛び込んだのだ。
もともと追手達によって身体中傷だらけにされ、彼らに捕まるくらいならと死を覚悟した入水だった。まさか再び目を覚ますことができるとは。
「ここはどこでしょうか?」
「どこ? とは漠然とした質問だ」
「ここはマラ国なんでしょうか?」
「いいや。それは違う。ここは、この空間はマラ国ではないよ」
「そうですか」
アシュラは立ち上がった。身体は疲労と負傷でかつてないほど重かった。
「助けてくれたことには感謝します。ですが、俺には貴方に何も返せるものがありません」
「見返りなど求めていないよ。それより、もうどこかへ行くのかね?しばらく休んだ方が良いと思うのだが」
「休んでいる暇などありません」
ふらふらとした足どりで歩きだすアシュラに、シッダールダが声をかけた。
「それにしても奴隷なのに、随分と良い物を持っているのだね」
そう言ってシッダールダはアシュラの手元を指差した。
柄に宝石が埋め込まれた剣が握られていた。宝石の中にはある印が刻まれている。寝ている時も離さなかった。
「私はそこそこ審美眼のあるほうだと自負している。その剣は高価なんてものじゃない。国宝級の価値のある剣だ」
「これは」
アシュラは警戒しながら眼の前の沙門を観察した。
清潔感のある佇まいをしていて、穏やかな顔付きをしている。静かな瞳を見ていると、アシュラは見透かされているように感じた。しかしそれが不快というわけでは無く、妙な安心感を彼に与えた。悪人ではないだろう。
「これは奪ってきたものです」
「ほう」
「主人から盗んできたのです」
「何故、その剣を盗んだのかね?」
何故、と聞かれてもアシュラには答えることができなかった。この剣を見た時、衝動的に「これは自分のものだ」と思い、手を出してしまった。まるで何かに憑かれたみたいに、彼の意志とは関係無く身体が動いたのだ。
「ふむ」
黙り込むアシュラを、シッダールダは微笑を浮かべながら眺めている。
そして言った。
「その剣は捨てたほうが良い」
「?」
「私の勘だが、それはとてつもなく良い物だが、悪い者でもある。君も心の底では理解しているだろう?」
「?」
じっとアシュラは剣を見下ろす。
悪い物と言われても、彼には普通の高価な剣にしか視えなかった。ただ剣を握っていると力が湧いてくる気がした。
シッダールダが言った。
「あぁ。君はもうその剣を手放すつもりはないのだね」
「え?」
「ならば覚悟することだ。その剣を、その印を手にする限り、君は終わりの無い殺し合いに身を投じることになるだろう。死ぬことも許されず、ただ莫大な時間を背負って戦い続ける哀れな修羅にならないことを祈ろう」
シッダールダは相変わらず静かな笑みを湛え、立ち上がった。
茫然とするアシュラに背を向け、シッダールダは部屋の扉を開く。
「さて、選択の時だ。 剣と共に生きるのなら、この空間を打ち倒してくれ。覚悟が無いのならば、そこでじっとしていれば良い。幸い、ここは空腹を感じることはない。いつまでもいると良いよ」
「な、何を言っているのですか?」
ぐにゃりと景色が歪む。
歪んだ場所から、異形なる者が現れた。