6.内部生
2〜3日お休み予定。
昨日は散々だった。
私は自ら寮から出たのではない。ヤツが文字通り引っ張り出して、食べようとしたのだというのに、何故、私まで叱られなくてはならないのか。
「全く。理不尽にもほどがある」
私はぶつぶつと怒りながらも制服を準備する。
今日は入学式。
このイベントが終われば、晴れて星霜学園の生徒だ。ゆえに、食べてはいけない存在だと、ヤツも認めるはずだ。
「チエ、大丈夫なの?」
アキ先輩が、心配気にこちらを見ている。
「大丈夫ですよ。これでも父と兄で何度か経験があるんですから」
私は胸元の精密作業を中断することなく、答えを返す。
「えっと、そっちじゃなくて…というかチエ、もしかしてネクタイ結べない?」
「結べますよ! ただ、このネクタイが少々反抗期なだけです」
私の胸元では、個性的な結び目がいくつもついたネクタイが、自己主張するようにそびえ立っている。
「…自分のネクタイは人のを結ぶのと勝手が違うから仕方がないわよ。ほら、向こうを向いて」
先輩は私の背後から手を回すと、スルスルとネクタイを結んで見せてくれた。正面から説明する動画より、ずっと分かりやすい。五本指歴四年目だというのに、なんて器用に動くのだろう。
「これくらい言ってくれればいつだって教えてあげるわよ。そんなことより昨日のこと」
先輩は正面に戻ると、心配そうに私を見た。
「特に人間は、自分が被捕食者にもなることなんて、ほとんど考えもしないでしょ? 怖くなってしまったのじゃないかしら…」
昨日の出来事は、既に先輩も知っている。
むしろ、東雲寮の一部男子が小春寮の新入生を狙っているという話を聞き、対策本部を設置していたらしい。先輩が寮長さんに呼ばれたのは、東雲寮に動きがあったからだという。護るための行動で私を1人にしてしまい、危険に晒してしまったことを先輩は悔やんでいる。
「寮内にいれば安心と思い込んでいて、本当にごめんなさい」
「そんな、大丈夫だったんですから、大丈夫ですよ!」
おかげで、夜の窓は近付くと危ないことを身を持って勉強できたのだ。今後は絶対に近寄らない。
小春寮の新入生は中高合わせて今年は9人。内、純粋な人間は3人で、入学式前に入寮したのは私ともう1人。
新鮮な肉を求めたヤツらは、新入生が完全に学園の生徒と見なされる前に、昨日私が言われたような屁理屈を利用して捕食しようと企んでいたようだ。
人間は警戒心が薄く、他の生徒より狙いやすい。もう1人の人間も、別口で捕まっていたようだ。
「でも私だって、丸腰で出歩いている訳じゃないですよ。いざとなったら、ちゃんと御守りも持っているんです」
そう言って、私がポケットから小さな御守りを取り出すと、先輩は困った顔をした。
「あら、御守りなんて。ここではほぼ役に立たないわよ? 一部の生徒には有効かもしれないけど、ほとんどの子は妖怪ってわけでもないし。人型を取ったり話せたりするのは、異世界の科学力を利用してのことだもの」
「異世界の?」
「そう。この地球上にはない、別の世界のことよ。人間の学校だって、国外の学校と交流したりするでしょ? 星霜学園は異世界に交流校があるの」
交換留学も盛んなのよと、先輩は説明してくれた。
学園の『異文化コミュニケーション』は、種族だけでなく、空間も越えるらしい。
「私は科学は苦手だけど、炭素とか窒素とか、空気中にある素材を集めて身体を作るらしいわ。個体によって集められる粒子の数が違うとかで、同じアナグマでも個性がでるの」
そうか。科学なら魔除けなどの意味はないのだろう。
「それなら十分に使えます。これは私の兄特製の痴漢対策グッズなんです。ただ、諸刃の刃的なものなので、なるべく使わないようにしたいんですけどね」
御守りの入れ物自体は神社で買ったようなデザインになってはいるが、中には理科でお馴染みの、アンモニア水を閉じ込めたカプセルが入っている。もちろん、ある程度健康被害の出ないように薄められているようだが、詳しくは知らない。
「防犯ブザーと同じですよ。この安全バーを外すと簡単に潰せるから、それはもう、逃げ出したくなる香りが広がります」
どちらかというと、持っている本人が一番ダメージを受ける。しかし、この臭いが付くことによって、痴漢も誘拐犯も避けるだろう物件に早変わりだ。
「そう…」
先輩は微妙な顔をする。
「確かに使えそうだけど、周りも相当な被害を受けそうね」
「だから最終手段なんです」
「…使わなくてもいいように、寮の警備はしっかりしましょうね」
考えてみたら、肉食だろうと草食だろうと、みんな人間より鼻が良いのだろう。
私はそっと、御守りをしまった。