3.安全圏
黒猫ちゃんらしき寮長さんが走り去り、残された私は、受付のお姉さんと話中だったことを思い出した。
「すみません、お話の途中で」
「いいえ。それより貴女、外部生なのよね?」
ぺこりと頭を下げると、何故だかお姉さんは、面白いものを見るように私を眺めていた。
「はい。今年度からこちらにお世話になります」
「葉苅さんのキャラクターが功を奏しているとも言えるけど、あまり驚かないのね。外部の人間は大抵、受け入れるまでに時間がかかるのに」
「ハカリさんって寮長さんのことですよね。彼女が猫だってことは、とても驚きましたよ。でも、星霜学園は『異文化コミュニケーション』に力を入れていると伺っていたので、すぐに納得出来ました。この学園の目指すところは『種族を越えたグローバル化』なんですね」
正直、想定外の方向性だったけれど、これはこれで興味深い。世界には人間以外にも、文化を持つ住民がいたのだ。星霜学園を選んで正解だったと、今後の生活が楽しみになった。
「そうね。その通りよ」
私の意見を肯定して柔らかに笑うお姉さんも、もしかしたら人外なのかもしれない。白銀の髪も、薄いグリーンの瞳も、色白でふくよかな胸も、自ら個性を表しているものと思っていたけれど。
「でもね。基本的に、わざわざ正体を現すことはないの。絶対に秘密というわけでもないけれど、学園では他の子たちも人間として暮らしているから。そこのところは配慮してね」
その言葉に、聞いてはいけないのだろうと判断した。もしそうあったとしても、彼女も人間として暮らしているのだ。
「分かりました。個人情報保護法に則って、絶対に口外はしません」
「それがいいわ」
口の前で人差し指をクロスさせる私に、彼女は寮の案内図と、薄い冊子を差し出した。
「はい。これは寮内の基本的なルールよ。命に関わることもあるから、この部分はしっかり守ってね」
「命に関わる…?」
私は、彼女が示す部分を覗き込んだ。
1.他の寮には入らない。
2.夜間は寮の外をうろつかない。
3.寮の外では必ず二人以上で行動する。
「ええ、自然の理よ。捕食者と被捕食者のグローバル化を考えるなら、相手側の生態もきちんと認めて、こちらも危険回避をしないとね。学校内は厳しく制限されているけれど、寮はプライベートな部分だから。抑えきれないのよね」
もちろん小春寮の中は安全圏よと、彼女はにっこり笑ったが。
相手側の生態ーーー。要するに、肉食系もいるということだろう。
身の引き締まる思いだ。
でも、自然の生き物たちは常にそういった暮らしをしているのだから、安全圏があるだけ恵まれている。
「それから、私は小春寮寮母補佐の小雪よ。普段は寮の中をうろついているわ。これからよろしくね」
「ありがとうございます。私は佐凪千恵です。こちらこそ、よろしくお願いします」
私は小雪さんと挨拶を交わすと、案内図を見ながら部屋へ向かうことにした。
「あ! 佐凪さん、地図が逆。そっちは鳥花寮に入る渡り廊下よ? 反対側の階段を登って」
「うわ、本当だ。小雪さん、ありがとうございます」
二階に上がってしまえば渡り廊下はないようだ。だから、一階だけは要注意。
まずは命を守るため、方向音痴を治さなければと私は思った。