プロローグ
木々に包まれた丘の上で、彼は一人、絵を描いていた。
早朝の澄んだ空気の中で、彼の絵は仕上がった。
「おや、間に合ったようじゃの」
ふっと現れた気配が、彼の絵を覗き込む。
「ふむ、風景画か。しかし、何やら実物とは違うのう」
「うん。これは僕の中の理想郷」
画材がないため白黒だが、心の中で色をつける。
焼けた大地は、金色に光る麦の海に変えて。
崩れた家々は、青々と茂る果樹園に変えて。
空に浮かぶ島から流れ落ちた滝が、キラキラと、虹の大きなアーチを作りながら、遥かな地上へと降り注ぐ。地上にいるのは小鳥と子狐。穏やかで、美しく、優しい世界だ。
「これは貴女に差し上げよう。僕はもう、二度とここへは戻れない」
「行けば、そうなるじゃろうのう」
「でも、『行かない』という選択肢はない」
彼は静かに笑って目を彼女を見る。
そこにいるのは緋色の狐。
「人間とは、難儀なものじゃのう」
「ふふ。そうだね。さあ、僕はもう行く。残して行く妻と子供を、どうかよろしく頼むよ」
「他でもないお主の頼みじゃ。絵も貰うたことじゃし、安心せい」
緋色の狐は彼を見送る。
ずっとずっと、昔のことだ。