介護の経験から長めの一言 少し改定
後で少しずつ改定します。
カイロとは何の関係も有りませんが、心と身体のケアは大事です。
勿論、思いやりの心もですが……
理解してもらえたら嬉しいです。
介護者の為に……
父の介護を例に、介護する側の身体と心の負担に付いて書きたいと思います。
父の介護に当たる前に、母方の祖父母の介護疲れで母は、一時期 脳梗塞になり、右半身麻痺にました。
これに関しても、脳梗塞に付いてを詳しく書きますので、ここでは省略させて頂きます。
原因は、ストレスによる暴飲暴食と、身体の辛さを紛らわす為のアルコールの異常な摂取でした。
当時は、離れた場所に有る祖父母の自宅へ介護に行っていたので、母を手伝う事も出来きないまま私は父と二人暮らしになり、家事をこなしつつ仕事をしていました。
母の脳梗塞により、祖父母の介護が出来なく成った母はようやく自宅へ帰る事が出来、その後早速のリハビリに入り、幾分辛いリハビリをこなし、何とか普通に生活が出来る様に成った矢先に、父がガンの宣告を受けました。
父は、日課である朝の散歩に愛犬と出かける為 ベッドから起きようとしたのですが、身体に力が入らず、子鹿の様になって居る所を母が発見され、その状態を確認して貰おうと私を起こして 私はその状態、状況を確認。(5時頃)
異常事態に、直ぐに救急車を呼ぼうとしたのですが、父に断固拒否されて仕方なく病院が開く迄待ち、病院へ……
結果は、ガンとの宣告……
そちらの病名が余りに大きく、更に、いきなり父の目の前での宣告に(にやけながら)配慮の無さへの怒りで他の説明が耳に入らなかったので、脳梗塞が有ったかどうか迄はわからない程の状態でしたが
医者は無情に、手術をしてもしなくても余命2年との診断を下しました。
其れを受けて父は、手術を拒否、理由は一度 高所からの転落して生死の境を彷徨った事が有り 其の際に管だらけになり
ベッドへ貼り付けられ 身動きの取れ無かった経験から二度とあんな経験はしたくは無いと、治療は拒否し
家族と過ごし、好きな仕事をしながらのんびり自宅での療養を希望した父は、1年と何ヶ月かで身体の彼方此方にガンが転移したらしく、動き回るのも辛く、ベットに居る事が多くなりました。
幸か不幸か、脳への転移し、その場所が痛みを感じる部分だったらしく、がん特有の激痛を感じる事も無く、動く度に瞬間的な激痛が走る程度だった様です。
常時痛みが無いとは言え、動く度の激痛は、中々にキツく、私なら絶対に経験したく無い 誰指もそうだとは思いますが……
其れでも、負けずに厚手の合板に車輪を付けたものを自作して其れに乗り家中散歩して、楽しみ
動けなくなる直前迄 好きな仕事をしていましたが、とうとう自分の身体を支える事が出来なくなり、其れに落胆したのか 其れからは一気に容体が悪くなっていきました。
特に寝たきりになってからの排便が中々上手くいかず、父は苦しみましたが、原因は宿便でした。
宿便の原因は、腸へのガンの転移と動けなくなって腸への刺激が無くなった事です。
丸、三日かけて『お腹の中真から時計回りで渦巻き上にマッサージしては、排便させる』を繰り返して行いなんとか出し切ってからは、前より楽に出やすくなって行きました。
宿便は、黒々とした粘り気のある粘着剤の様で、其れが腸にへばり付いて居たのをマッサージで無理やり剥がしたのですから、脂汗が出続ける位の激痛がお腹を襲うのです。
分かり易く書くと、ガムテープを腸に貼り、無理やり引っぺがした状態を想像して頂けると間違い無いと思います。
下剤と腹部へのマッサージは辛かったと思いますが、出す物を出さないと食べられなくなり、その分急激に体力が無くなってしまうので必要な処置でした。
粘りがある為、その処理は大変で、ウエットティシュで拭いても拭いても中々取れず皮膚が赤くなりかわいそうでしたが、父には頑張ってもらうしか有りませんでした。
父は、痛みも勿論辛かったと思いますが、私にオムツを交換為れるのがそれ以上に辛かったらしく、その辛い原因は、宿便の臭いに有りました。
溝掃除を為れた事がある方は分かると思いますが、正にあの臭いです 『臭いだろう、ゴメンな』を繰り返し言う父がかわいそうでなりません。
父の見られる恥ずかしさと申し訳無さを誤魔化す為、父のあそこに、『お早う兄貴』と声をかけると父は『?』な表情『父の息子なら、私の兄貴だろう?』と言うと父は『馬鹿だな…』と父は泣き笑い。
其れ以来恥ずかしさも消え、兄貴への挨拶は日課になりました。
又病人が居る家庭では特有の臭いが有り、其れを嗅ぐだけで寝ている本人も、介護する側も精神的疲労が蓄積されます。
なので、置き型の消臭剤、家ではファ○リーズを使っていましたが、最後迄家族は快適に介護する事が出来ました。
腫瘍の為なのか、身体は強張り寝返りもままならなくなり、寝返り介助1〜2時間毎(褥瘡[床ずれ]を防ぐためにする 油断すると直ぐ出来る為、予防、回避の為に行う)
※褥瘡が出来てしまうと、寝返りさせるローテーションの1つが無くなるので、更に厳しい状態になるので、褥瘡を作ら無い方法をとります※
トイレ介助、清拭(体を拭く事)、オムツ交換、食事介助、日々の家事の分担等、日を重ねる毎に介助の内容も多くなり
「わずかな間でも目を離したら死んでいた」なんて事が怖くて目が離せ無い状態になると、仕事中でも呼ばれる事が多くなり患者さんにも迷惑をかける事も……
病院への通院の際には、廊下に車椅子が入るだけの幅が無い為に車迄父を抱えて行くなど 私にしか出来無い介助も有り、(10m程)病院に着いてからも姉と私で車椅子に移乗やら何やら当時は必死だった為にどうやっていたのかも思い出せません。
父が、寝たきりになってから約半年で亡くなりましたが、たった半年で私の身体はボロボロになりました(一生懸命やったつもりでもまだもう少し出来たんじゃないかと今も後悔が有ります)
母親と分担しながら日々やりくりしていましたし、嫁に行った姉も出来うる限りのサポートをしてくれていましたが、其れでも負担は大きく
家族3人で分担していた仕事が一人かけて寝込むだけで、仕事量が3倍以上になるので、一人で介護や、老老介護など、どんなにキツイか想像すらしたく有りません。
ベッドから越そうとする時や、シーツ替えの時等、気付か無い内に
疲労が蓄積され、精神的な苦痛が更に身体に悪影響を及ぼし
更に疲労が蓄積されると言う悪循環が介護をしている方を追い詰めて行くので、老老介護で親子心中等の事件が有ると身に妻為れます。
特に介護を行う母と私は、下半身の疲労は大きく、膝も足首も、其れに付随して筋肉も硬くなっていきました。
そんな、精神的にも、体力的にもキツイ介護なので、(日々弱って行く姿を見ながら父の前では、努めて明るく振る舞い笑わせる努力)
介護する側の身体を健康に保つ為にも運動をしなければならないのです。
運動やストレッチは、今迄上げた各種の物全てが対象となります。
運動方法とストレッチのまとめを参考にして下さい。
介護する、している方は、常に追い詰められる傾向が有ります。
周囲の気遣いや思いやりの心が重要になります。
頑張っているので、頑張れと言わないで下さい 『頑張ってるね 何時も有難う 何か手伝える事を教えて』等優しい言葉をかけて下さい。
理解為れていると思えるだけで、ササくれた心が癒されます。
任せ切りにせずに協力して下さい。
追い詰めないで下さいお願いします。
又、変な時間帯に投稿ですが、……
現在02:33です
誤字脱字など有りましたら、教えて下さいm(_ _)m