東南アジア大戦、開戦3
開戦前夜というには国内はあまりに日常すぎる気がしないわけでもない。国民気質といえばそうなのかも知れない。危機意識が薄いと言われる日本人ならではだろうか。
そんな中、最前線に向かう各攻撃部隊にはさすがに緊張の色が漂う。
土曜日ということもあり、「せっかくの週末なのに」と不平をもらす隊員もいたが、もともと日曜日でも働く勤勉な国民。その程度の不満は織り込み済み…というか、あの拷問を思えばとても不満を上層部に訴えることなど思いもよらない。
攻撃部隊に充てられたのは、ロシア担当が関東を除く東日本を拠点としていた、かっては暴〇族、ヤ〇キーと呼ばれていた若者たち。韓国担当が、関東地方の連中、中国担当が西日本の連中だ。
当初、彼らが軍隊でやっていけるか疑問視するむきもあったが、ほんの3日の訓練(拷問)で反抗が服を着ていたような彼らは従順な隊員へと変貌を遂げた。軍事大臣に就任した洋がやったことと言えば、彼らの大好きな「音」を思う存分聞かせてやったにすぎない。
はじめは大好きなバイクや車の排気音に喜々としていた彼らだった。しかし、1時間音を流しては10分の無音という繰り返しに半日もするとうんざりした表情が浮かび、夜になると頭をかかえたり、耳を手でおおったりする者が目立ち始め、翌朝には無音の後に排気音が鳴り始めると部屋のすみっこで体育座りをしたり、頭をかきむしりながらブツブツをつぶやく者、ほとんどの者が何らかの精神的な変調をきたし、食事もまともに摂れない状態となっていた。
狂ってしまう直前の微妙なタイミングで、サトルが音を止め、かって国会で行った教育のための洗脳もどきを実施。わずか2日で、従順な兵士のできあがり…いや、兵士としての教育は洋がやったんだっけ。
かっての軍隊や自衛隊のように体力から鍛え上げる必要はない。今回の戦争に体力は不要…というより瞬発力さへあればそれで十分なのだ。あとは度胸を腕っぷし。日頃から「特攻」だの「唯我独尊」だのを信条としている彼らなら大丈夫だろう。たぶん…。
多少のチーム間でのゴタゴタはあったものの、洋がそれぞれの攻撃隊にリーダーを割り振り、作戦を指示したのが3日目。後は勝手にやってよしと指示を出し、開戦当日まで好きにさせておいた。彼らの任務はそれぞれの担当する国のリーダーたちへの襲撃。
軍部のリーダーともなれば、多少やっかいかもしれないが、大半は権力こそあれ体力など縁のない老人たちだ。それも奇襲なのだからそう問題はないだろう。さすがに重要人物だけに護衛はついているだろうが、そこは気合いで何とかしてくれればよし。
そんなわけで、いよいよ開戦当日を迎えた。