捨てられたわがまま令嬢と、石化の辺境伯~今更「やり直そう」とすり寄ってくる元護衛騎士は、旦那様が物理的に排除します~
※R15タグは保険です。流血表現は冒頭の怪我程度で、過激な描写はありません。
ガシャン!
高価な花瓶が床で砕け散る音が、広間に響き渡る。
「嫌!こんな地味な色のドレス、着たくないわ!もっと流行の、一番高いものを持ってきてよ!」
私は金切り声を上げていた。
父と義母は、汚いものを見るような目で私を一瞥し、深いあきれを含んだため息をついて視線を逸らす。
彼らにとって私は、亡き前妻の忘れ形見であり、金ばかりかかる「家の恥さらし」でしかないのだ。
「まあまあ、お姉様。落ち着いて。お父様も困っていらっしゃるわ。」
そう言って眉を下げ、おろおろと仲裁に入るのは、義母の娘である妹だ。
色素の薄いふわふわとした髪に、愛らしい瞳。誰もが彼女を「天使」と呼び、その姉である私を「悪役」と呼ぶ。
……彼女が裏で、私のドレスにこっそり毛虫を入れたり、父に私の悪口を吹き込んでいるとも知らずに。
「うるさい!不義の子のくせに、私に指図しないで!」
「ッ……!ひどい、お姉様…!」
私が暴言を吐くと、妹は計算通りに涙ぐむ。父が激昂して手を振り上げた、その時。
「――そこまでになさってください、お嬢様。」
スッ、と私と父の間に割って入る影があった。
銀色の髪に、涼やかな碧眼。――私の専属護衛を務める騎士だ。
「少し、情緒が不安定になっておられるようです。ここは私が対処しましょう。」
「…ふん。お前がそう言うなら任せる。全く、お前以外にこのわがまま娘を扱える者はいないな」
父は忌々しげに吐き捨て、泣き真似をする妹を連れて去っていった。
同じく衣装を持ってきた商人たちも、そそくさと部屋を出ていく。
残されたのは私と、彼だけ。
「…大丈夫かい? 怪我はない?」
彼は優しく私の背中を撫でたあと、砕けた花瓶の破片を片付け始めた。
私は震える手で彼の袖を掴む。
「……ごめんなさい。また、やっちゃった。」
「いいんだよ。君が寂しいのは知っている。誰も君の本当の優しさを理解していないけれど、僕だけはわかっているから。」
その甘い声。肯定の言葉。
この屋敷で唯一、私を「一人の人間」として扱ってくれる彼。
だから私は、彼に依存していた。彼さえいれば、他には何もいらないとさえ思っていた。
そう、この時はまだ、信じていたのだ。
◇
決定的な事件が起きたのは、それから数日後のこと。
私と妹、そして護衛の彼は、隣領の茶会からの帰路についていた。
ガタンッ!
森の中を走っていた馬車が、激しい衝撃と共に横転する。
「キャアアッ!」
「な、なんだ!?」
馬のいななきと、御者の悲鳴。そして響き渡る、飢えた獣の咆哮。王都でも問題視されていると噂のはぐれ魔獣の襲撃だ。
横倒しになった馬車から這い出た私が、泥だらけになりながら顔を上げた先には、巨大な熊のような魔獣が迫っていた。
「ひっ…!」
死ぬ。そう思った瞬間、銀色の閃光が走った。
彼だ。剣を抜き、魔獣の前に立ちはだかる護衛騎士の背中が見える。
「……ッ!」
助かった。そう安堵し、彼に声を掛けようとした時だった。
彼が振り返る。
私と、目が合った気がした。
そして彼は焦ったように叫んだ。
「――退避だ!走れ!」
「え……?」
彼は、私の手を掴まなかった。
魔獣の爪が迫る中、彼は私のすぐ後ろで震えていた妹をひょいと抱きかかえると、私には目もくれず、全速力で森の奥へと走り去ったのだ。
「待…っ、私は……!」
私の声は、魔獣の咆哮にかき消された。
取り残された私に向かって、凶爪が振り下ろされる。
私は必死に身を捩った。ドレスが裂け、二の腕に熱い痛みが走る。
恐怖で足が竦みそうになるのを叱咤し、私は靴を脱ぎ捨てて、裸足で森の中を駆け抜けた。
◇
屋敷にたどり着いたのは、夕暮れ時だった。
ボロボロの姿で戻った私を見て、使用人たちはギョッとしたが、誰も駆け寄っては来ない。
広間では、無傷の妹が父に抱きついて泣いており、その横には、腕に包帯を巻いた彼が立っていた。
「……無事だったか!」
私に気づいた彼が、駆け寄ってくる。その顔には、安堵の色が浮かんでいた。
「どうして…どうして私を置いていったの!?」
「すまない!砂煙がひどくて、君がどこにいるのか分からなかったんだ!」
彼は私の肩を掴み、真剣な眼差しで訴える。
「近くにいた妹君を確保して、すぐに君を探しに戻ろうとしたんだ。でも、魔獣の追撃を受けて僕も怪我をしてしまって…戻るのが遅れてしまった。」
「…目が、合ったじゃない…。」
「え?…まさか。君を見捨てるはずがないだろう?」
彼は痛ましげに顔を歪めた。
彼が示した腕には、血が滲んだ包帯が巻かれていた。
――ズキリ、と私の腕の傷が痛む。
釈然としなかった。あの時、確かに視線は絡んだはずだ。
けれど…彼は私のために怪我をしてくれたのだ。極限状態だったのだから、判断を誤ることだってあるかもしれない。私はそう、自分に言い聞かせようとした。
その夜。
私は、母の形見の宝石を売って作った金貨袋と、最高級の傷薬を手に、彼の部屋へ向かった。
彼も怪我をしているのだ。新しい鎧の新調費と、薬を渡せば、喜んでくれるはずだ。そう自分を納得させて、扉の前まで来た時だった。
中から、話し声が聞こえた。
『お前、腕の怪我は大丈夫なのか?』
どこかで聞いたことがある…たしか地元の友人として紹介され、仕事が無いというので、私のわがままで屋敷で雇うことになった兵士の一人だったはず。
『ああ、これか?ただのかすり傷だよ。だが、こうして大袈裟に包帯を巻いておけば、あの長女が同情して金を恵んでくれるからな。』
私は、ノックしようとした手を止める。
『それにしても、傑作だったな。魔獣が出た時、お前、迷わず長女を見捨てたろ?』
『まあな。とっさに近くにいたのが妹君だったし、長女なんぞ守っても親父殿の評価は上がらん。……あいつと目が合った時はヒヤッとしたが、砂煙のせいにしとけばチョロいもんだよ。』
彼は、クスクスと笑っていた。
昼間の優しい声とは違う、冷たく計算高い響き。
『ひどい男だなぁ。』
『仕方ないさ。あいつは俺の金づる兼、この屋敷にいるための防波堤だ。俺が妹君と結婚してこの家を乗っ取るまでは、あいつを盾にしてうまく立ち回らせてもらうさ。』
『見込みはあるのか?』
『もちろんだ。今までプレゼントをたっぷり贈ったおかげで、妹君ともうまくいっている。あいつからもらった金の有効活用さ!』
――プツン。
私の中で、何かが切れる音がした。
手の中の金貨袋と傷薬が、酷く重く、そして汚らわしく感じられる。
怒りも、悲しみも、通り越して。
ただ、急速に心が冷えていく。
ああ、そうか。私は、ただの道具だったのか。
私は扉を開けることなく、踵を返した。
部屋のゴミ箱に、手にした薬を無造作に放り込む。
カラン、と乾いた音が、私の恋の終わる音のように響いた。
◇
翌日。
遠い異国の、呪われた辺境伯からの縁談が舞い込んだ。
辺境伯の容姿の恐ろしさや呪いの話は有名で、私たちの国でも広まっているぐらいだ。なんでも片っ端から縁談を申し込んでいるが、決まらないらしい。
本来は妹に来た話だが、父たちは当然のように私を身代わりにした。
「化け物の生贄になれ」と言われた私は、いつものようにヒステリーを起こすこともなく、静かに微笑んで「はい」と答えた。
父たちは、私が抵抗しなかったことに安堵こそすれ、その変化の理由を問うことはなかった。
ああ、そうか。
私がわがままを叫ぼうが、素直になろうが、結局何も変わらなかったのだ。
この人たちにとって、私の心など最初からどうでもよかったのだという事実に、私は乾いた笑いしか出なかった。
そして、出発の朝。
屋敷の前には一台の馬車。ついていくメイドも従者も誰もいない。
御者ですら途中で何台も乗り換える予定だ。
持っていくのは、今まで私のわがままで買いそろえた数々の宝飾品とドレス、そして父の金庫からくすねた金貨袋だけだ。
私が乗り込もうとすると、背後から声が掛かった。
「待たせたね。さあ、行こうか。」
振り返ると、大きな荷物を背負った彼が、いつもの爽やかな笑顔で立っていた。
「……その荷物は?」
「もちろん君の護衛だよ。辺境伯領は危険な場所だと聞く。君のようなか弱い女性が一人で耐えられるはずがない。僕がついて行ってあげるよ。」
彼は当然のように馬車のステップに足を掛けた。
ああ、なるほど。
辺境伯領は資源が豊富だ。彼は私について行って恩を売りつつ、あちらでも新しいコネクションを作るつもりなのだろう。どこまでも計算高い男だ。
私は馬車の窓から、無表情で彼を見下ろした。
「貴方、何を勘違いしているの?」
「え?」
「降りてちょうだい。貴方は連れて行かないわ。」
彼の笑顔が凍りつく。
「な……何を言っているんだ?冗談だろう?僕がいないと、君は何もできないじゃないか。」
「貴方がいなくても平気よ。だって――」
私は口の端を歪め、冷ややかに告げた。
「肝心な時に私を見捨てて、妹を連れて逃げるような騎士なんて、必要ないもの。」
「ッ……!?」
彼の顔色が一瞬で青ざめる。
あの時のことを、私が根に持っているとは思わなかったのだろう。いや、「言い訳で丸め込めた」と信じ込んでいたのだ。
「貴方はここで解雇よ。お父様にもそう伝えておいたわ。『私のわがままに付き合いきれずに辞めた』ことにしてあげたから、感謝なさい」
「ま、待て!誤解だ!あれは……!」
「言い訳は結構。貴方は大好きな妹の側にいられるんだもの。…いい加減目障りだわ…さようなら。」
唖然とする彼を突き飛ばし、御者に合図を送ると、鞭の音と共に馬車が動き出す。
彼は何かを叫んで追いかけようとしたが、馬車が跳ね上げた泥水を頭から被り、無様に転がった。
窓の外、泥まみれになって小さくなっていく彼を見ても、私の心はこれっぽっちも痛まなかった。
◇
数週間の旅路だった。
馬車が進むにつれ、窓の外の景色は一変した。
王都のような華やかさはないが、見渡す限りの豊かな森、清らかな水源、そして鉱脈を湛えた山々。この地がどれほど豊かな資源に恵まれているかが分かる。
けれど、館に近づくにつれ、その活気は失われていった。
辺境伯の屋敷は、決して手入れがされていないわけではないのに、古城のようにどこか薄暗く、静まり返っている。
「こちらが、旦那様がいらっしゃる執務室です。」
執事に案内された執務室。そこには、淀んだ空気と薬品の匂いが充満していた。
薄暗い部屋の奥、車椅子に力なく座っていたのは、呪いによって皮膚の半分以上が灰色の石のように硬化し、痩せ細った男性だった。
顔の右半分から首、腕にかけて石化が進行し、関節が固まってしまっている。
これが、私の夫となる辺境伯。
彼はおもむろに顔を上げた。その瞳には、深い諦念と拒絶の色が浮かんでいる。
「……見たろう。この体だ。満足したら帰るといい。」
投げやりな言葉。
使用人たちも、怯えたように顔を伏せている。きっと彼らは、私が悲鳴を上げて逃げ出すと思っているのだろう。
だが、私が漏らした言葉は、彼らの予想とは違っていた。
「……我慢なりませんわ。」
「…は?」
「こんな陰気で埃っぽい部屋では、健康な人でも病気になりますわ!すぐにカーテンを開けて!それからこの部屋の換気を!」
私はバッとカーテンを開け放った。差し込む陽光に、旦那様が眩しそうに目を細める。
「君、何を……。」
「私はとてもわがままなの。汚い部屋も、その諦めたような顔も、我慢ならないのよ。旦那様、今日から私が貴方の身の回りを管理しますからね!」
私は腕まくりをした。
実家では誰からも顧みられなかった私の「我の強さ」も、ここでは彼を引っ張り上げるための「活力」になる。
それからの生活は、多忙を極めた。
呪いの「伝染」を恐れて誰も近づかなかった彼に、私は徹底的に向き合った。
石のように硬くなった腕を蒸しタオルで温め、強張った筋肉をほぐすマッサージを行う。
「痛くありませんか? 無理なら言ってくださいね」
「……いや、平気だ。君こそ、疲れていないか?」
「これくらい平気です。さあ、もう少し腕を上げましょう! 動かさなければ、本当に石になってしまいますよ」
私は彼を叱咤し、リハビリを行わせた。
そして何より、私は諦めなかった。
持ってきたドレスや装飾品はもちろん、父の金庫からこっそりと持ち出した金貨を惜しげもなく使い、世界中から「呪いに効く」と言われる薬や治療法を片っ端から取り寄せたのだ。
「もういい……無駄だ。金がもったいない。」
「無駄じゃありません! 貴方が諦めても、私は諦めませんからね。はい、次は東方の漢方薬です。苦いですが飲んでください!」
「……うぐっ」
苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、彼は私が差し出す薬を飲み、リハビリを続けてくれた。
私が本気であることが伝わったのか、最初は死を待つだけだった彼の瞳に、少しずつ「生きたい」という意思の光が戻り始めていた。
◇
そして、一年が過ぎた頃。
私が取り寄せた数多の薬の中に、一つだけ、彼の体質に劇的に合うものがあった。
南方の孤島に伝わる希少な薬草。それを煎じて飲み始めた翌月から、事態は動き始めた。
ある朝、私がいつものように彼の腕をマッサージしていると、ピキッ、と小さな音がした。
「えっ!」
「……ああっ!」
見ると、石化して動かなかった肘の「石」の部分に、亀裂が入っていた。
ポロリ。
石片が剥がれ落ち、その下から現れたのは――瑞々しく健康的な、本来の肌だった。
「旦那様!これ!」
「……動く。腕が、動くぞ」
彼が恐る恐る腕を伸ばすと、石化していた指が滑らかに動いた。
奇跡でも魔法でもない。私たちの、いいえ、私の「執念」と彼自身の努力が、呪いに打ち勝った瞬間だった。
それからの回復は早かった。
ポロポロと剥がれ落ちる石片と共に、彼本来の姿が露わになっていく。
石に覆われていた顔の半分や腕は、傷一つない美しい皮膚を取り戻していた。
「……君には、叶わないな。」
リハビリを終え、杖をついて自分の足で立った彼は、穏やかに微笑んだ。
「誰もが私を見捨て、自分でも諦めかけていたのに、君だけが諦めなかった。君のその『わがまま』が、私を救ってくれたんだ。」
「ふふ、そうでしょう?私のわがままは筋金入りですから。」
私が胸を張ると、彼は愛おしそうに私の手を取り、その甲に口づけた。
「ありがとう。……愛している。」
◇
それからさらに数ヶ月。
平和を取り戻した屋敷に、一人の薄汚れた男が訪ねてきた。
「頼む!会わせてくれ!奥方様に!」
門の前で騒いでいるのは、あの元護衛騎士だった。
かつての爽やかさは微塵もなく、服はボロボロ、頬はこけ、目にはクマができている。
私は旦那様に寄り添われながら、門へと向かった。
「……あら。どこの浮浪者かと思えば。」
「っ、迎えに来たよ! 君が必要なんだ!」
私が冷ややかに見下ろすと、元騎士は鉄格子に縋り付いた。
「聞いてくれ!君がいなくなってから地獄だったんだ!僕はずっと屋敷に残ろうとしたけど、妹も父親も、わがままや八つ当たりの矛先を全部僕に向けてきて……!『お姉様ならもっと上手くやった』『お前が無能なせいだ』って!」
元騎士は必死にまくし立てる。
私が解雇を告げた後、元騎士はなんとか妹に取り入って屋敷に残ったのだろう。
だが、私という「防波堤」を失った屋敷で、家族の毒を一身に浴びることになり、結局は耐えられずに逃げ出してきたのだ。
自業自得という言葉すら生ぬるい。
「だから、やり直そう!君だって、こんな田舎で石化男の介護なんて嫌だろう!?僕なら君の扱い方をわかってる!一緒に帰ろう!」
「――私の妻に、馴れ馴れしく話しかけないでいただこうか。」
ドッ、と空気が震えた。
私の隣にいた旦那様が、静かに一歩前に出る。
まだ杖をついてはいるが、その内から溢れ出る威圧感と、石化が解けた圧倒的な美貌に、元騎士はヒッと息を呑んで尻餅をついた。
「だ、誰だ…!?」
「彼女の夫だ。……お前か。私の大切な妻を蔑ろにし、あまつさえ『扱い方』などとほざく愚か者は。」
旦那様がスッと手を挙げると、衛兵たちが一斉に槍を構える。
「彼女は介護要員ではない。私の命の恩人であり、最愛の妻だ。…二度と彼女の視界に入らないでくれ。目障りだ。」
それは、あの日私が元騎士に告げた言葉と同じだった。
私は扇子で口元を隠し、かつてないほど優雅に、そして残酷に微笑む。
「聞こえまして?旦那様のおっしゃる通りよ。……施しが欲しいなら、他を当たってくださる?」
門が重い音を立てて閉ざされる。
元騎士の絶望的な叫びは、風にかき消され、やがて聞こえなくなった。
振り返ると、旦那様が心配そうに私を覗き込んでいる。
「……気分は?」
短い言葉だが、その瞳は深く私を案じていた。
私は首を振って微笑む。
「ええ、平気ですわ。だって私には、私の『わがまま』ごと愛してくださる、世界一素敵な旦那様がいらっしゃいますもの」
私がそっと身を寄せると、旦那様は照れくさそうに、けれど力強く私を抱き締め返してくれた。
私の情熱と執念が、最高の幸せを掴み取ったのだ。
私は彼の胸に顔を埋め、幸せなため息をついた。
どうしてもコメディ要素を入れたくなりながら、がんばってシンデレラざまぁにしてみましたが、とても蒸すかしいですね…。




