エピローグ
神戸屈指の住宅街……
小高い丘陵の坂道を頂きまで上がると、そこには白い壁に囲まれた広大な敷地が広がる。
まるで城か要塞か……
木造建築のその建物は威風堂々とこの地に構え、200年以上に渡り下界に住む者たちを見下ろしていた。
重厚な門の前に車を停車すると、外の空気さえも遮断していたその境界は、ゆっくり開かれていく。
いくつもの監視カメラやセンサーをくぐり抜けると、やがてそこには、大きな池を中心とした日本庭園が現れる。
庭石や四季折々の草花に囲まれた車道を進み、駐車用に白線で囲まれた区画のひとつに車を停める。
屋敷の使用人に案内され、最奥の応接間の前で立ち止まる。
「先生、池様がおいでになられました」
「おう、開けたってやー」
障子の向こうから、この厳粛な空気におよそ似つかわしくない軽い声が返ってきた。
俺はまず廊下に正座し頭を垂れた。
「ご無沙汰しております」
「堅苦しい挨拶はええから、早よこっち来んかいな」
応接間の大きなテーブルの向こうから手招きする人物こそが、この屋敷の主……
金融庁のみならず、各省庁にコネクションを持ち、警視庁捜査一課にも口出しできる男……
永松源蔵その人であった。
―― あれから一ヶ月……
そう、直也と河田の金を取り返し、金沢で詐欺姉妹が乗ったタクシーを見送ったあの日から、今日でちょうど一ヶ月である。
俺は気を引き締め、永松の前に促されるまま座った。
「今日はわざわざご苦労さんやな。
約束のもん渡そうおもてな」
永松が右手を軽く振ると、使用人がドンと俺の目の前に帯でまかれた札束を10個積み上げた。
「今回のお礼や。
うちのバカ息子がロマンス詐欺に遭うたって聞いたときは、ほんまどないしょうか思ったわ。
ワシら政治家は金も大事やけどスキャンダルが一番かなわん」
「おっしゃる通りですね。
足元を掬おうと、手ぐすね引いてる輩はどこにでもいてますからね」
「その通りや。
未然に防げたちゅうのは、キミに対しての大きな借りや」
この男、ただの権力者ではない。
誠実に付き合えば、ちゃんと恩を返す。
あくまでも、永松にとっての誠実であって、そこに善悪は関係ないのだが……
「あの姉妹な……
性格はアレやけど、見た目だけは良かったやろ?」
「おっしゃる通りですね。
性格はかなりアレですね」
直也に対して土下座したときのニヤリ顔を思い出し、少し嫌な気分になる。
「でな、ワシの知り合い筋に、メイドさんを探しとるヤツがおってのう。
姉妹のこと話したら、是非雇いたいと言いよってなあ」
金持ちの家にメイドとしてねえ……
にわかには信じられないな。
俺は、表向きは表情を変えず永松の話の続きを聞いた。
「あの飼い主……
いや、雇い主やったら可愛がってくれると思うわ」
俺は最初の言葉を聞かなかったことにする。
「お陰で、ワシにはものすごい紹介料が入ってきよったわ。
ガッハッハッ」
永松は豪快に笑い飛ばす。
「聞くところによると……
メイドやいうても、いろんな仕事せなあかんみたいやなあ……
ときには、徹夜の仕事もあるらしいで。
肉体的にもやけど、どちらかと言えば、精神的に心配やわ。
せいぜい壊れんようにせな……
ハッハッハッ」
やっぱり、この男は、どこかネジが飛んでいる。
なにがメイドやねん……
徹夜の仕事ってなんねん!
―― あのとき心から直也に謝っていれば、或いは助かったかも知れない……
……なんてことはないな。
永松の身内をペテンにかけた時点で、遅かれ早かれ、ヤツらの人生は詰んでたんや……
地獄の一丁目に立ってたんは直也やない。
あの姉妹たちやったんや。
「それにしても、流石は池くんやな。
友人のピンチをきっちりと金に変えよった」
「友情とビジネスは別もんですから」
さっきは、こいつらのことを、ネジが何本も飛んでいると揶揄したが、ここまで言い切れる俺も、間違いなく同じ穴のムジナなんだろう。
でも……
ひとつだけ……
俺は今回の直也と河田の件、仮に、どれだけ金や時間がかかろうが、絶対にふたりを助けようとした。
ここだけはハッキリと言い切れる!
「ワシはキミのドライな考え方が大好きやで。
それは信用に値する。
キミはワシらと同じ匂いをもっとる。
どうや?
いっそのことワシの下で働けへんか?
キミやったら、ええ政治家になれると思うで?」
永松はニコニコしながら尋ねてきた。
その笑顔の下が恐ろしいんだよ!
「ご冗談を……
私みたいな者が政治家だなんて……
永松先生の大変さの一片を目の当たりにしてるだけでも、凄いなあと感じておりますのに……
私には到底真似できません。
今のポジションで、たまに先生のお手伝いさせていただくのが丁度良いかと」
「そんなもんかなあ……
まあ、気が変わったら言うといでや。
なんぼでも協力するさかいな。
今回はほんまおおきに。
ご苦労さんやったな」
「何をおっしゃいます。
先生のお陰で友人が助かりました。
こちらこそありがとうございました」
深々と頭を下げると、俺は忘れずに札束をカバンに詰め込み、屋敷をあとにした。
屋敷のあった丘陵を下り、道路脇に車を停める。
辺りは少し薄暗くなっていた。
俺は大きく深呼吸して、普段の自分にシフトチェンジする。
ポーカーフェイスを装ってはいたけれど、何度あの御大と会うても、気は許せん。
ほんま疲れるわ……
ふと西の空を眺めると、宵の明星が輝いている。
金星……
ヴィーナスか……
愛と美の女神……
―― 本当の美とは見てくれやない。
心の中にあるんやろなあ。
まあ、俺みたいな人間の心には絶対にないな。
フフッ
直也、幸せみつけろよ……
河田、お前はそろそろ落ち着けよ。
俺はひとり苦笑いする。
ピロリロン ピロリロン
「もしもし!
面太郎、なにしてんねん!
早よこんかいな!
【邪邪苑】連れていけ言うたんお前やろ!
もうみんな集まってんねんぞ」
「あー悪い悪い、仕事が押してもうてな」
「早よ来いよ。
それから、お前ケーキ買うてこいケーキ!
なんや畠山と直也が会社のコ連れてきててな。
ほんまかわいいコらなんやって!」
「もうええから、河ちゃんちょっとスマホ私に貸し!」
「わあ、何すんねんマリ!
ストラップ取れてもうたやんけ!」
「うるさい。
ちょっとだまっとき!
なあ、またバ河ちゃんが暴走してんねん。
早よ来てやー。
女のコの間に陣取って、ガハハ言うて、今からケーキ注文したるとか、わけわからんのよ」
電話の向こうからは相変わらずテンションの高い河田の声だけが響いてる。
「それに……」
急にマリが小声になる。
「今日来てる女のコふたりやねんけど、ひとりは畠山くんの彼女みたいな感じやねんけどな……」
「なんや、あいつ……
彼女おんのにあんなに遊んでたんかいな!?」
「まあ、それはこっち来てから詰めたったらええ話やねんけど……」
「どないしたんや?」
「もうひとりのコなんよ。
今回、直也さんが体調壊してしばらく会社休んでたやろ?」
「そうやな」
「退院してからも、一週間ほど自宅療養してたやろ?
その間、畠山くんと畠山くんの彼女に連れられて、看病に付き合ってたみたいやねん」
「つまりはどういうこっちゃ?」
「面ちゃん、察しが悪いなあ。
直也さんのことが好きやからに決まってるやんか!」
「そうかあ。
で、直也の様子は?」
「まんざらでもないみたいなんよ」
「おおっ!」
嬉しさのあまり思わず心の底から声が出てもうた。
「それで俺にケーキ買うてこいと?」
「なんでそーなんのよ。
違うがな!
バ河ちゃんがテンション上がってもうてふたりの邪魔しよるから、バ河ちゃんの奥さん呼んてきてーな」
「あーそういうことか。
それやったらこのあとカヨちゃんに連絡入れて、すぐそっち行くわ」
「頼んだで面ちゃん。
じゃあな。
待ってるでー」
ハハハ……
なかなか面白い展開やなあ……
―― 20分後……
俺はカヨちゃんを連れて【邪邪苑】に到着した。
「ちょっと!
あんた!」
カヨちゃんの声が個室に響き渡ると、河田は一瞬固まった。
「な、なんでお前がここに……」
一気に血の気が引く河田。
マリは横で大笑いしてる。
「マリ!
お前!
俺を売ったな!」
「フフンッ」
マリは得意げに笑う。
「また二、三日家にも帰ってこんと!
どこほっつき歩いてるやと思ったら、こないなところで鼻伸ばしてからに!
今日という今日は許さへんで!
ちょっとこっちおいでー」
「違うんや、これには深い事情が……」
「うるさい!
言い訳は表で聞いたる!」
「ひえーっ!
誰か助けてくれー!」
河田はカヨちゃんに耳を思いっ切りひっぱられ個室を出ていく。
やがて叫び声は廊下の向こうへと消えて行った。
先程と打って変わり、場は静かになる。
「あっ!」
口を開いたのは畠山であった。
「河ちゃん先輩がおらんようなったら誰がここの会計するんですか?」
畠山は俺の方を見た。
「心配すな。
俺にまかせとけ!
お前らにお礼せなあかんおもてたしな」
「流石先輩やー!」
「ほんまお前は調子がええのう」
直也はペシッと畠山の頭を叩いた。
「マナちゃんもカナちゃんも、俺が体調悪いときに、家まで家事しにきてくれてありがとう」
直也は会社の女のコに頭を下げた。
「いや、うちは最初の二日ほど畠山くんに連れられて行っただけやから……
ほとんどカナがやってくれてましたから」
「え?
それじゃあ毎日、直也はカナちゃんとふたりきりやったちゅうんかいな。
直也、お前も隅に置けんやっちゃなあ」
俺は直也を肘で軽く小突いた。
「い、いや、なんもしてへんで」
直也が急に焦りだす。
「なんか怪しいなあ……」
マリが直也を覗きこんだ。
「あーもう!
わかったわー!」
観念した直也が口を割る。
「好きですよー!
大好きです!」
突然の告白に、顔を真っ赤にしていたカナの瞳から涙が溢れ落ちた。
「うれしい……」
「やっとかいな。
野田課長、遅いんですわ!
こんなええコ、ずっと待たせて!
二年ですよ二年!
うちらが入社してからずっとですからね!」
マナが笑顔で直也に説教する。
「あらーっ、なんか盛り上がってるやん」
「マッキー!
いつ帰ってきたんよー」
マリがマッキーに抱きついた。
「今日の昼ぐらいよ。
ちょっとこっちの役所で手続き残っててな。
面太郎ちゃんに連絡取ったら、みんなで
【邪邪苑】行くいうて聞いたんよ」
「俺も肉食わせてくれえ」
帰ったはずの河田が再登場した。
「あんたはキャベツだけ食べとき!」
「カヨ、そんなこと言うなよ、殺生やで」
ペシッとカヨちゃんが、河田の頭を叩く。
次の瞬間眼鏡が吹っ飛ぶ。
「眼鏡、眼鏡」
河田はヤスシ師匠のギャグを披露。
「みんな揃ったようやな。
グラスの準備はええか?
ルネッサーンス!」
ガハハハハハ
今日は何次会までやろか?
まあ、朝までは確定やろな(笑)
タバコを吸うために俺はテラスに出た。
ここは地上60階。
ネオンや高速道路のランプが視界に広がる。
ここからだと、生駒山にも手が届きそうだ。
俺は振り返り部屋の中を見た。
みんな笑顔で、はしゃいでいる。
「幸せってこういうことなんやろな」
俺はタバコをふかしながらボソッと呟くと、いつの間にか隣に来ていたマリが、俺の顔を覗き込む。
「で、うちらの幸せはいつなんかな」
そのあと、間髪入れずにマリが囁く。
「月が綺麗だね」
「ああ。
いつまでも、ずっとお前と見ていたいよ」
俺の答えに、マリはキュッと抱きついてきた。
月の灯はいつまでも俺たちを照らしていた。
古来より、この世は善が報われ、悪が裁かれるとは限りません。
悪意を抱えた者が、何事もなかったかのように生きている現実もあります。
だからこそ、せめて物語の中だけでも、傷ついた人が報われる結末を描きたいと考え、本作はハッピーエンドとしました。
特に詐欺を働いた姉妹についての行く末は、執筆中、何度も自問自答しましたが、幾多の結末の中から、あの結末を選択いたしました。
私自身の価値観は、後半の中心人物である面太郎の在り方に、比較的近いものかもしれません。
本作が、読む方それぞれにとって、現実と物語の違い、そして幸福の在り方を考える一つのきっかけとなれば幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
marry




