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5.桜空

 警官に見送られて、僕は関宮の警察署を出た。

 帰ってきた。僕たちの町に。彼女抜きで。

 警官が教えてくれた。桜空は、北海道の有名な公園で亡くなっていた。大量の睡眠薬のゴミが彼女の隣に転がっており、それが彼女の死に繋がったという。

 桜空は目的を叶えた。僕は、全てに失敗した。

 涙を堪えて前を向くと、父さんと、桜空の両親が立っていた。

「父さん・・・。」

 ・・・僕は、たった数日で、目の前にいる三人を裏切った。

 父さんの近くに寄ると、刹那に僕は殴られた。生まれて初めて。

 痛いというより、嬉しかった。やっぱり、父さんだけは、僕の味方でいてくれた。

「おかえり。バカ息子。」

「・・・ただいま。」

 どうしても、涙だけは流せなかった。

「・・・おかえりなさい。」

 京佳さんと聡さんも僕にそう言ってくれた目の前の男は娘を殺したというのに。

「・・・すいませんでした。桜空さんを・・・」

「今はいいよ。ーー君が無事でよかったよ。」

 僕のことを全く知らないはずなのに、聡さんは優しく僕に言ってくれた。その優しいはずの言葉が僕の心に、鋭利な刃物のように刺さる。

 その後は、皆で父さんの車に乗った。行先は僕の家。

 泊まりに来たあの日の彼女みたいに、今度は僕が扉を開ける。手には色が滲んでしまう程に汗をかいていた。

 扉を開けるといつもと同じ玄関が広がっていた。毎日見ていたはずなのに、まるで異世界に来たかのように感じた。

 リビングに入ると、嫌でもホコリが積もった仏壇が目に入った。

 父さんは二人にダイニングチェアを勧める。僕は勝手に二人の向かいに座った。

 僕が座るのを見届けると、父さんはキッチンに向かった。お茶の入ったコップを三つ。二人と僕の前に置いてから、僕の隣に座った。

 その後は、誰も、何も言わなかった。ただ、冷房が風を吹き出す音だけが響き渡っていた。

「本当に、申し訳ございませんでした。」

 何にも邪魔されないはずだった空間を切り裂いて、僕が声を発した。

「お二人を、裏切るようなことをしてしまって、桜空さんを、守ることができなくて。」

 自然と俯いてしまう。二人の顔はどうしても見れない。

「いいのよ。桜空がやりたいって言ったんでしょう?

 言ってしまえば、君が被害者なんだから。謝るのは私たちだよ。」

 京佳さんは優しく、そう言った。大切な娘を奪ったのは、他でもない、僕なのに。

 僕は深く息を吸ってから、今までの事を話し出した。

「短い間でしたけど、桜空さんとは、色々なことをしました。」

 休んだ日に彼女と出会ったこと。

 僕のオッドアイがバレたこと。

 彼女が死ぬってことを教えてくれたこと。

 彼女が怖がっているということを教えてくれたこと。

 学校で挨拶されたこと。

 家に押し掛けてきたこと。

 二人で話したこと。

 彼女とゲームをしたこと。

 彼女が恋人について悩んでいたこと。

 僕が彼女に騙されたこと。

 彼女に初めて敬語を使わなかったこと。

 彼女が家に泊まりに来たこと。

 彼女に夕飯を作ったこと。

 彼女が脱衣所の扉を開けっ放しにしていたこと。

 部屋で彼女の薬を見たこと。

 彼女が部屋にバスタオル一枚で入ってきたこと。

 僕たちが出会ったことは正しいと言ったこと。

 彼女とお酒を飲んだこと。

 彼女が眠ったのを危機だと勘違いしたこと。

 彼女を自分のベッドに寝かせたこと。

 彼女に押し倒されたこと。

 彼女の本音を受け止めたこと。

 彼女を押し倒したこと。

 彼女と身体を重ねたこと。

 彼女に好きと言われたこと。

 彼女に名前を叫ばれたこと。

 彼女の入院を聞いて家を飛び出したこと。

 病院のベッドの中の彼女を心配したこと。

 彼女に逃げたいと言われたこと。

 僕がそれを断ったこと。

 僕が彼女に旅行を提案したこと。

 彼女と自殺を約束したこと。

 その後に京佳さんに会ったこと。

 僕が新幹線やホテルを予約したこと。

 彼女が退院して喜んだこと。

 彼女が最後に僕の部屋に来たこと。

 両親を裏切って、彼女と旅に出たこと。

 仙台のホテルでからかわれたこと。

 北海道に着くと、彼女が懐かしそうにしたこと。

 彼女が二人を選んだ理由を聞いたこと。

 僕が頬を赤くしたこと。

 彼女の産みの親のお参りに行ったこと。

 僕も線香をあげたこと。

 彼女と一緒に帰ろうと決めたこと。

 彼女にまたからかわれたこと。

 彼女が倒れたベッドに自分も倒れたこと。

 風呂上がりの彼女が隣に座ったこと。

 彼女に死んでほしくないと言われたこと。

 彼女に本性を見抜かれていたこと。

 彼女に全てを吐き出したこと。

 彼女は笑顔で僕を認めてくれたこと。

 ・・・彼女が・・・いなくなったこと。

 テーブルにメモとお金が置いてあったこと。

 雨に濡れても探しに出たこと。

 警察に行ったこと。

 全部。全部、吐き出した。

 二人が眉に皺を寄せる場面も、父さんが拳を握りしめる場面もあった。涙が溢れ出そうな場面も多々あった。

 それでも、僕は話した。それで彼女が・・・僕が許されるのであれば。

「桜空さんがいなくなって、取り調べられて、ここに帰ってきました。」

 息が詰まるような感覚がした。そうだ。ここに彼女はいない。

「そう・・・かい。」

 聡さん冷静を装っていたが、京佳は涙を流していた。父さんは何も言わず、ただ、隣で座っていた。

「本当に、申し訳ございませんでした。」

「いいんだよ。それよりも、娘の心の拠り所になってくれて、ありがとう。」

 この言葉が、妥協でも、許しだとしても、どっちでもいい。僕は何も言わなかった。

 数分、沈黙が続いた後、聡さんが口を開いた。

「君は・・・桜空といて、どうだったかい?」

 ・・・。

 全員の視線が僕に集中した。

 その中で考えた。

「自分は、楽しかったです。桜空さんと、最期まで一緒に過ごせて。

 自分にとっては、桜空さんは、たった一人の友達であり、秘密を共有し合える人でした。

 そんな桜空さんと、目的はどうであれ、旅行したことは、とても楽しかったです。」

 そうはっきり言うと、彼は微笑んだ。

 僕は、その顔が今までずっと忘れられない。


・・・・・


 3人が家を出て、扉が閉まると、僕はとうとう堪えきれなくなった。

 あの日、桜空が死んだ時を最後に、ずっと悲しくなんてなかった。辛くなんてなかった。

 なのに、なんで、涙が溢れてくるんだ。

 玄関だろうと、何も気にせず、僕は泣き崩れた。

 声を出す度に、桜空の顔が頭に浮かぶ。

 桜空は、ここにいない。僕がこの手で、殺したんだ。

 父さんが帰ってきても、僕は泣き続けた。

「満足するまで、泣きなさい。」

 父さんはそう言うだけで、自室に籠った。

 僕はそのまま、夕方までずっと泣いた。

 泣いても、泣いても、何も変わらないのに。彼女がいない事実は、変わらないのに。

 その時以来、僕はずっと、部屋に籠るようになった。

 廃人のように、ベッドで蹲り、スマホやパソコンをいじる。もう二度とできないのに、あのゲームを遊ぶ。

 僕には、彼女が全てだった。

 出会って一年も経っていない。なのに、彼女は大切な人だった。この世の誰よりも。

 そんな彼女を失って、辛かった。僕が僕じゃなくなった気がした。

 彼女がいなくなったということは、彼女と出会う前の僕に戻ったはずだ。

 なのに・・・。

 父さんにかけられる声も耳に入らず、この生活は一ヶ月続いた。そうして、今に至る。

 今も、こうして、ベッドで倒れている。彼女の存在がここにあるような気がするから。

 僕はため息をつくと、目を閉じた。もう二度と会えない彼女に、想いを馳せて。

 目を閉じた少し後だった。突然、僕の左半身に鈍痛が走った。

 勢いよく目を開くと、ベッドの下の闇が見えた。

 どうやら、眠ってしまっていたらしい。しかも、ベッドから落ちて。

 ため息をつくと、僕は立ち上がって、またベッドに入ろうとした。そう、入ろうとした。

 その瞬間、インターフォンが鳴った。

 リビングの方から足音がして、玄関の扉が開けられる。

 どうやら、郵便らしい。それ以外の情報は聞こえなかった。

 ・・・数十秒後、今度は僕の部屋がノックされた。

 鍵のかかった扉の下から、封筒が入れられる。茶色の、どこでも見る封筒。

 また足音がして、今度はリビングの方に消えていく。

 父さんがリビングに入ったのを確信してから、封筒を手に取る。

 ・・・。・・・?・・・は?

 ・・・封筒の表面には・・・表面には、見たことの無い住所と、すごく前にみたはずの名前が書いてあった。丁寧な字で。

『角田桜空』

 怖かった。これを開けてもいいのかと。

 もう、全て終わったはずだ。彼女は死んで、僕も死んだ。彼女に裏切られた馬鹿な男は、廃人になろうとしている。

 僕は封筒の上辺に両手をかけた。

 ・・・。・・・力が、入らなかった。

 彼女が生きた最後の証を、消し去る勇気が、僕にはなかった。

 僕は何度も深呼吸をしてから、封筒を開けた。

 中には、手紙が二枚入っていた。

 僕の部屋には音ひとつ無い静寂が広がっていた。それを破るのは、高鳴る僕の心臓だけだった。

 僕は、もう一度深呼吸をしてから最後の手紙を開いた。君から送られた、最期の手紙を。

『灰戸くん、元気?

 私はどうなんだろ?多分、死んでるんだろうけど。

 それに多分、君にお別れを言わずに行くんだろうね。

 君との旅の最後に、君に生きるように言うつもり。今はね。もしかしたら、大好きな君に言いくるめられて、そのまま一緒に死んじゃうかもね。

 この手紙は、きっとお母さんが送ってくれてる。そして、君に届いてる。

 あ、お母さんはみんな知ってるよ。私が死のうとしたことも。

 ほんと、母親ってすごいね。何でもお見通しなんだから。ごめん、悪意は無いよ。

 ちなみに、コイントスを提案してくれたのも、お母さん。そして、ごめん。あれ、イカサマしてたんだ。やり方は秘密だけど。

 なんか、話逸れちゃった。

 本題に戻ろうか。

 私は分かってるんだ。この手紙に感謝だとか、謝罪だとかそんなの書くつもりはないよ。その言葉にはなんの意味もないからね。この字面なんか君みたい。

 また逸れるとこだった。

 だからさ、本当に最後に二つだけ。

 まず、ありがとう。私を救ってくれて。地獄から助けてくれて。最後の友達になってくれて。

 そして、本当の最後。

 君が、いっちばん言ってほしいであろう言葉。』

 僕の目からは涙が溢れそうだった。あの日、彼女を失ってから涙なんて流してなかったのに。

 僕はもう一度深呼吸をしてから続きを読んだ。

『多分、これを言っていれば、君も私と、本当の友達になれたのかもね。

 キスどころか、それ以上のことまでやったし、行き過ぎなのか、まだ足りなかったのか。

 ほんっとうに、君も私も馬鹿だよね。

 逃避行を手伝ってくれたり、死ぬなって言ってくれたり、嬉しかったよ。

 でも、もう少しだけ優しくしてくれてもよかったんじゃない?

 クールぶってて、現実主義で、私の柱を嫌いで。

 君はそんな人だよ。

 やっぱり、私は、君のことを・・・』

 ああ。やっと終われたんだ。君のことを考えなくて済む。大好きだった君のことを。

 そう思うと涙が溢れてきた。

 涙で視界がぼやけても、文章だけははっきりと見えた。どうしてかは分からない。でも、彼女の心からの言葉なのは分かった。

『君のことを大嫌いだよ。

 それじゃ、元気でね。』

 彼女が、僕のことを嫌いでいてくれた。なんだか、それが嬉しかった。

 そうだ。それなら僕だって・・・いや、僕も嫌いだ。大嫌いだ。最初から嫌いなんだ。角田さんのことは。

 手紙から目を上げると、自分の部屋がはっきりと見えた。いつも通りの、綺麗な部屋が。手紙をテーブルに放って、窓を開ける。

 お昼前の日差しが、ずっと閉じこもっていた僕の目に刺さる。今日は快晴。雲ひとつない青空。

 続いてクローゼットを開く。始業式から二週間は経つのに未だ着られていない制服が、僕のことを歓迎する。

 制服に着替えると、なんだか懐かしいような気がした。

 鏡の前に立つと、そこにはボサボサの髪に制服を着た、なんだか晴れた表情の男がいた。両目の色はもちろん違う。

 ・・・シャワー、浴びないと。

 とりあえず部屋を出て、リビングに向かう。

 一度深呼吸をしてから部屋に入ると、やっぱり仏壇が見えた。線香は一本だけ立っている。

 キッチンに立っている父さんと目が合うと、彼は驚いたように口を開いたが、すぐに優しい父親の表情になった。

「おかえり、⬛︎。」

「ただいま。」

 その後は、シャワーを浴びて、昼食を摂った。父さんときちんと顔を合わせるのも一ヶ月ぶりなのに、彼はなにも詮索せずにいてくれた。ただ黙って、ご飯を食べる。

 ここ数ヶ月、ずっと落ち着くことなんてできなかった。今は不思議なくらい晴れ晴れとしている。

「学校、行くのか?」

 昼食を摂り終えて、食器を流しに持っていくと、父さんが口を開いた。だから、答えた。満面の笑みで。

「もちろん。」

 そう答えると、父さんは食器も洗わずに車を走らせた。

 ・・・初めに、角田家まで。

「最後に、全部、伝えてきなさい。」

 また、何かが溢れてきそうだった。やっぱり、彼女の想いを全て受け止めるには、僕の身体は小さすぎるみたいだ。

「うん。」

 車を降りて、玄関に向かう。どこにでもありそうな一軒家。

 意を決してインターフォンを鳴らすと、すぐに京佳さんが僕を迎えた。

「おかえりなさい。」

 その一言で、全部分かった気がする。僕がここにいる理由も。

「ありがとうございます。」

 笑顔でそう言うと、彼女もまた笑顔になった。その笑顔は桜空とそっくりだった。

 彼女はリビングへと僕を案内すると、ノートを僕に差し出した。僕も何度か見た、表紙に『角田桜空』とだけ書かれたノート。

「私も、旦那も見たよ。あとは、君だけ。」

 僕は、皆にとって何者なんだろうか。

 ・・・いや、もう考えなくてもいいや。僕は僕だ。

「失礼します。」

 そうとだけ言って、ノートを開いた。

『4月12日

 今日から書いていくよ。

 まぁ、余命宣告されちゃった。あと1年生きれたらすごいんだって。

 皆には話せないな。ちゃんと隠し通せるかな。

 本当はめっちゃ怖いけど、笑って頑張らないと。』

 なんだか、とても・・・

『5月15日

 那月(ナツキ)にバレちゃった。

 すごいな幼馴染って。少しの変化でも気付かれちゃうんだから。

 まあ、バレちゃったなら仕方ないし全部話したけど、ちゃんと友達でいてくれるって。さすが幼馴染。』

 とても、心が痛かった。

『6月4日

 告白された。振った。

 どうせ、1年も付き合えないし。

 ていうか、明日の定期検診が1番心配なんだよな。

 余命宣告、間違いだったりしないかな。』

 ・・・このくだらない物語に、僕が登場した。

『6月5日

 まさかの2日連続。

 同クラの灰戸█くんと会って、話しちゃった。

 灰戸くん、オッドアイだった。ちょっと綺麗だったな。

 なんかちょっとムカつく感じだけど、灰戸くんなら私と気が合いそう。

 本当の意味の友達になれそう。

 あ、検査の結果は良好でした!』

 僕の名前はきちんと塗りつぶされていた。

『6月7日

 灰戸家に行ってきました。

 灰戸くんゲーム強すぎ。デリカシー無さすぎ。

 でも、嬉しかったな。死ぬとしても大切にはする。

 何考えてるんだろ。キショ。

 あ、お泊まりの約束。6月20日ね。』

 ・・・。

『6月20日

 日記in灰戸家。

 麻婆豆腐美味しかった。

 灰戸くんは今お風呂中。

 薬、見られちゃった。そして怒られちゃった。

 灰戸くん、そっけないけど心配はしてるんだ。

 ちょっとだけ嬉しい。


 何書けばいいんだろう。

 お酒と恥ずかしさで分からないや。』

 彼女は・・・。

『7月1日

 入院1日目。もう、死んじゃうのかな。


 灰戸くん来てくれた。手土産にも無しに。

 アイス美味しかったな。

 ありがとう。』

 本当は・・・。

『7月2日

 入院2日目。また灰戸くん来た。学校あるのに。

 灰戸くんは何を考えているんだろう。

 一緒に行こうって。

 あ、そうか。灰戸くんも同じなんだ。』

 本当は・・・。

『7月6日

 灰戸くん、今日も来なかった。

 あと、2ヶ月だってさ。』

 本当は、逆だったんだ。

『8月1日

 今日から旅行だぜ。

 灰戸くんと久々に会える。

 とりあえず、お母さんのこと問いただしてからかな。』

 彼女は明るい人間なんかじゃない。

『8月2日

 灰戸くん、やっぱり死のうとしてるんだろうな。

 だめ。絶対に灰戸くんだけは関宮に帰す。

 私はもう長くないけど


 また発作。灰戸くん出かけててよかった。』

 影がある、優しい人間。

『8月3日

 灰戸くんは生きると決めてくれた。

 でもごめん。私は行くよ。

 この先の地獄に私は耐えられない。

 █くんは、素敵な人だから大丈夫。

 私なんかよりも、ずっとずっと。』

 また僕の名前は塗りつぶされていた。

『8月4日』

 そのページは何も書いていなかった。ただ、そのページだけは濡れていたようでシワが寄っていた。

 涙は一滴も出なかった。

 ノートを閉じて、京佳さんに返す。

「ありがとうございました。」

 彼女という人間をもっと知れた気がする。もう、二度と会うことなんて無いのに。

 京佳さんは優しい笑顔で僕に話した。

「桜空は、君と出会ってからずっと笑顔だったよ。私たちも見たことの無いくらい綺麗な。」

 嬉しくはなかった。ここで喜んだら、彼女の配慮が無駄になる。

「きっと、何かが嬉しかったんでしょう。僕にはさっぱり分かりません。」

 僕には分かりきっている。もう、全部。

「もう、会うことなんて無いんだろうね。」

「はい。きっと。」

 なんだか背中が一気に軽くなった気がした。

「最後に、桜空の部屋でも覗いてく?」

 その問いかけに、僕は笑顔で答えた。

「いいえ。死んでも部屋には入るなと釘を刺されたので。」

 それに、もう彼女は必要ない。だって・・・。


・・・・・・


 見慣れた関宮の景色も、不思議なほど懐かしく思えた。多分、僕は彼女以外なにも見えていなかったんだろう。それも、今日で終わり。いや、戻る、の方が正しいか。

 車を降りて学校に入る。僕の下駄箱に靴を入れる。上履に履き替えて廊下を歩く。

 昼休みが始まった学校。色々な人とすれ違う。

 次の授業のために沢山の資料を持つ先生。購買に走って向かう日に焼けた男子生徒。図書室に入る女子生徒。スマホを見ながら駄弁る女子生徒の群れ。

 職員室に着くと、なんだかその扉はすごく大きな気がした。

 最後に一度だけため息をついてからノックする。

「失礼します・・・」

 その後は、色んな人が想像できるだろう。担任が走ってきて、拘束された。なにがあったのか質問攻めにされた。もちろん、彼女との関係についても。

 僕はただ、こう答えた。

「角田さんとは関係ありませんよ。ちょっと魔が差しただけです。」

 笑顔で。誰も見た事のないような。

 彼も諦めたのか、昼休みが終わる20分前に解放された。

 職員室を出ると、一度伸びをしてから教室に向かう。

 何も、何も変わらないルートで。

 教室に入ると、全員の視線が僕に向いた。そりゃそうだ。クラスどころか学年で一番人気の少女が亡くなったと同時に学校に来なくなった男。

 クラス中から質問攻めにあった。角田桜空とはどんな関係なのか。

 すべてに同じ答えを返しながら、自分の席に向かう。

「別に何も無いですよ。」

 それでも僕に対しての質問は止まない。

 灰戸くん。灰戸さん。灰戸くん。灰戸。

 皆が桜空のことを気にかける。なんだか、彼女が関宮を選んだ理由が僕も理解出来た気がする。

 何も無いと答えすぎたのか、ピークがすぎたのか、全員が撤退する。

 自分の席に腰掛けると、まだ一つだけ視線を感じた。

 自分の隣の席。眼鏡をかけた、背の低い、地味そうな女の子。名前は思い出せないけど、いっつも桜空の隣にいたのは確かだ。

 彼女と目が合うと、僕の方に椅子を寄せた。

「灰戸くん。」

 彼女は微笑んで僕の苗字を呼んだ。

「桜空からお話聞いてたよ。」

 やっぱり、桜空は僕に嘘をついていたようだ。

「本当にオッドアイなんだね。」

 思い出した。この人が那月さんか。なんだか桜空とは似ても似つかないような人だ。

「灰戸くんは桜空のこと、どう思ってたの?」

 優しい声で、僕に聞く。なんだか、桜空と初めて出会った時みたいに。

『もしかして、嫌だったりする?知られるの。』

 今はもう、嫌じゃない。自分の全部を知られるのが。

 だって、僕は・・・。

「⬛︎。」

 那月さんは首を傾げた。

 僕は二つの違う色の目で、彼女をじっと見つめた。もう、トラウマでも呪いでもなんでもない、大切な僕の目で。

(ゆい)。灰戸唯です。唯って呼んでください。」

 誰にも見せたことの無いような笑顔を見せて、彼女に言った。

「唯・・・くん?」

 彼女は首を傾げて言った。僕の大切な名前を。

 僕はもう一度だけ深呼吸をして、最後の嘘をついた。

「桜空はただの友達です。大嫌いな友達です。」

 だって僕は、灰戸唯なんだから。

 空いている窓から入った九月の風が、彼女の少し短い髪を揺らした。

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