第1話「Type Fes」
斉堂透夜
「終打、いまを生きるんだ。誰が正しいかを突き止めて、
お前の手で“幸せな環境”を作ってくれ。」
これは10年前、母が交通事故で亡くなった日の夜。
今では行方不明となった父が言った言葉だ。
そして今──2034年、斉堂終打は高校のパソコン室で、ひとりキーボードを叩いていた。昼休み、誰も来ないこの時間が、いちばん落ち着く。
画面に表示されたのは、AIの応答。
終打が打ち込んだのは、未来の気象予測をもとにした、架空の都市計画を立てるプロンプトだった。
べつに誰かに頼まれたわけではない。
AIに指示を出し、それがどう動くかを見るのが楽しいのだ。
終打は幼少期、ネット内のチャットに夢中だった。
言葉をすばやく打って、相手の意図をくみ取り、的確に返す。
そのやりとりの積み重ねが、今の終打をつくっていた。
そんな終打の前に、一通の封筒が送られてきた。机の上に、真っ白な封筒。差出人は記されていない。封筒を開けると、こう書かれていた。
《Type Fes – 全国タイピング競技大会 招待状》
"あなたの指先が、世界を変える力を持つことを、私たちは知っています。
予選は一週間後。参加する意思がある場合は、この紙をご返送下さい。
今を生きていた大切な人とは、いずれ会えるでしょう。"
終打は、この大会の参加を決意した。
終打は、駅前にある古いビルの前に立っていた。
(・・・ここが予選会場?)
ビルの入り口には、「8階:Type Fes予選会場」と書かれていた。
エレベーターに乗り、8階のボタンを押す。
静かに動くエレベーターの中、終打の胸に、少しだけ緊張が走った。
扉が開くと、黒いスーツを着た男性が立っていた。
男性「こちらへどうぞ」静かな声にうながされ、終打は部屋の中に入る。
中には、机と椅子がひとつ。
その上には、黒いモニターとキーボードが置かれていた。
終打が椅子に座ると、モニターに文字が表示された。
【Type Fes 予選】
時間:10分間
最低文字数:2000文字以上
内容:「あなたがAIに期待する事」
終打は、キーボードを叩き始めた。
終打が書いた内容の一部分
「AIは、人間の代わりではない。判断を誤るのは、人間の特性だ。
迷い、揺れ、感情に呑まれる。だが、それは排除すべきものではない。
感情があるから人間であり、感情があるからこそ、凄まじいアイデアが
生まれる。AIがすべきことは、冷静に、ただ事実を人間に突きつける
こと。意思決定を代行するのではなく、” 視点を整理する材料 “を
提供すること。僕がAIに期待するのは、指導でも誘導でもなく、
沈黙の中で選択を支える、もう一つの思考だ。」
10分が経ち、モニターの表示が変わった。
【予選通過】
本選出場が決定しました。
詳細は後日、通知されます。終打は無言のまま、部屋を退出した。
部屋を出る直前、モニターが一度光ったが、内容はよく見えなかった。
次なる試練に備え、終打は家でひたすらタイピングに没頭した。
数日後、本選の案内が届いたので、会場へ行った。
東京郊外にある体育館。
等間隔に並べられた机とモニター。
【1回戦】「タイピング・タイムアタック」
制限時間 :60秒
タイプミス:10回まで
終打
「用意された文章をできるだけ多く入力する形式か。」
終打はその表示を目にすると、自分の席番号を確認し、静かに着席した。
ぼーっとしていると、対戦相手が来た。
琴葉
「こんにちは。関西から来ました、早打 琴葉と申します。
よろしくお願いします。」
落ち着いた口調と丁寧な挨拶。明るく朗らかな印象だが、目に宿る芯の強さは隠せていない。終打は一礼だけで返すと、黙ってモニターに目を向けた。
「タイピング開始まで、10秒前――」
終打は深く息を吸い、キーボードに指を添える。
琴葉も姿勢を正し、ディスプレイに視線を落とした。
「・・・スタート!」
キーボードの打鍵音が、一斉に体育館に響き渡った。
無数の雨粒が、一気に降り注ぐような音の波――。
その中でも、早打琴葉のタイピングは目を引いた。
ブレのない姿勢、リズムを崩さず、安定したスピード。
指の運びに迷いはなく、打鍵はまるで練り上げられた楽曲のように美しい。
全国最高クラスの速さだった。
「終了」
モニターに結果が表示される。
終打: 1008文字(win)
琴葉: 312文字
琴葉は、終打のスピードに違和感を感じ、後をついて行った。
──第1回戦、終了。
次の会場へ案内される。
扉を開けると、そこには雲一つない空が広がっていた。
2回戦は、まさかの“屋上”。
そこに集められたのは、1回戦を勝ち抜いた、わずか50人。
参加者たちはざわめいた。
机の上にキーボードがなく、
置いてあるのは、モニターと鉛筆と紙のみだった。
【2回戦】「フラッシュ暗算」
出題数 :3桁の数字 × 30個
表示時間 :1秒ごと
解答方法 :すべての数字を加算し、最後に合計を答える
突破条件 :上位10名
「指じゃなくて、頭の勝負?」
「Type Fesって、タイピング大会じゃなかったの?」
参加者の戸惑いの声が、いくつか漏れた。
一方、終打は無言のまま、席に座った。
カウントが始まる。
「3、2、1・・・スタート」
次々と変わる数字。それを、彼は一度も瞬きをせずに追っていく。
脳内で計算しているというより、数字を飲み込み、
次の数字を迎え入れるような感覚で進む終打。
「終了」
終打の解答は、「18301」
【結果】第1位 斉堂終打 正解:18301
正解者は終打のみで、残りの9人は近い数字を解答した人が選ばれた。
参加者たちの視線が、彼に集まる。
だが終打は、何も感じていないように階段のほうへ歩き始めた。
──第2回戦、終了。
次は「本選の本質」が問われる。
舞台は、観覧車。
夕暮れの空の下、残された10人の参加者が1人ずつ、観覧車のゴンドラに乗り込んでいく。
ゴンドラの中には、ただ1台のノートパソコンが置かれている。
【3回戦】「アンケート」
表示時間 :1分
解答方法 :5つの質問にタイピングで答える。
突破条件 :不明
終打は、迷うことなく答えていった。
質問 終打の回答
【Q1】あなたの好きな食べ物は? ラーメン
【Q2】あなたの好きなスポーツは? サッカー
【Q3】あなたはAIが好きですか? はい
【Q4】あなたはタイピングが好きですか? はい
【Q5】あなたは音声認識とタイピング、 タイピング
どちらに未来を感じていますか?
回答を終えた瞬間、白い文字が浮かび上がる。
「決勝進出」
その一言だけを残し、画面は静かに光を落とした。
「3回戦・アンケート」が終わり、観覧車のゴンドラが地上へと降りた。
扉が開き、終打は降りようとすると・・・
老人
「失礼。」
白髪の老人が、終打のゴンドラに乗り込んできた。
老人は静かに腰を下ろし、終打の向かいの席に座ると、
やわらかな声で語り始めた。
老人
「斉堂終打くん。君に会うのを、ずっと待っていた。」
終打
「・・・あなたは?」
老人
「私は”TypeFes”の主催者であり、昔、君の父”斉堂透夜”と共にAIの研究に
携わっていた者だ。色々と聞きたいこともあるだろうが、
まずは私の話を聞いて欲しい。」
「今の社会は、ほぼすべての業務がAIによって処理されている。
ニュースの作成、建設計画、医療診断、裁判の判例整理。
もはや人間は、AIに何を”させるか”を指示するだけになった。
だが、その”指示”をどう伝えるか。そこに、大きな分かれ道がある。」
終打
「伝え方はタイピングだけではないのですか?」
老人
「それが違うんだ。最近、新しい方式が”とある集団”によって開発された。
終打くん、”VOICELINK”という名前を聞いたことはあるかい?」
終打
「聞いたことないです。」
老人
「”AI研究のプロフェッショナル”を集めて作られた、
精鋭の頭脳集団の名前なんだ。彼らはAIを、声ひとつで思い通りに操る技術を持っている。普通の人間にはできないことを、簡単にやってのける。つまり、新しい方式とは、”音声認識”なんだ。だが、彼らはその力を
”正しいこと”には使わず、世界の重要情報を抜き取ることに使っている。
今、世界中の企業や街が、声だけで操れるAIの暴走に怯えているんだ。」
老人
「ほとんどの人間は、タイピングより、声の方が速く指示を出せる。
つまり、タイピングが音声認識に勝つためには、
“声を凌駕するタイピングスピード”を持つ必要があった。
そして、私は”TypeFes”を開催し、VOICELINKに一矢報いることが出来る
人間を探した。その結果、本選出場者100名の中から、君が選ばれた。」
終打
「タイピングスピードだけなら、今回の100名全員、声より速いのでは?」
老人
「そうだね。ただ、音声認識に打ち勝つためには、他の要因も必要だった。タイピングスピードを見るだけなら、予選の内容だけで十分だ。
これまでの試験内容全ての趣旨を説明しよう。」
「まずは、予選。これは、“純粋なタイピングスピードと、AIにどう向き合っているか”を見ていた。タイピングが速くてもAIをただ便利な道具と してしか見ていない人間は適性がない。」
「続いて、1回戦。これは、本番という緊張の中でどれだけ実力を出せるかを見るための試験だった。頭でわかっていても、いざ人に見られている場
で力を出せる人間はそう多くない。」
「そして、2回戦。ここで見たのは、瞬時に情報を捉えて頭に留められる
記憶力。AIとのやり取りでは、タイミングと記憶が命になるからね。」
「最後に、3回戦。アンケートという内容で困惑したと思うが、最後の質問に意味があったんだ。
【Q5】あなたは音声認識とタイピング、どちらに未来を感じていますか?
この問いに、どう答えるか。それが、私が最も重視したポイントだった。
3回戦に進んだ10名の内、君以外の9人が”音声認識に未来がある”
と答えた。君だけは、“タイピングに未来がある”と答えてくれた。
だからこそ、君を“VOICELINKに一矢報いる人間”として決勝進出にしたん だ。」
老人
「さて、長くなってしまったが、最後に君に決断を委ねたい。
私と一緒に、”VOICELINK”の暴走を止めないか?」
終打
「分かりました。協力します。ただし、条件があります。
父の現在を教えてください。」
老人
「詳しくは言えないが、お父さんが今もAIに熱中していることは確かだ。」
終打
「そうですか。」
老人
「では、終打君がついて来てくれるということで、
私たちタイピング派の名前を決めよう。」
「KEYSTROKE」
終打は、新たな決意をして老人と歩いて行った。