2. 効率化の魔法
ティラミス事件から一週間が過ぎた。私、リアナ・ヴァンダムは宮廷内務省での本格的な業務に取り組んでいたが、そこで目の当たりにしたのは想像を絶する非効率性だった。
「リアナ嬢、こちらの書類も処理をお願いします」
同僚のエドワード氏が、また新たな書類の山を私の机に置いた。見ると、似たような内容の申請書が何十枚も重なっている。
「これは...同じような案件ばかりですね」
「ああ、それは各領地からの年次報告書です。毎年この時期になると大変なんですよ」
私は書類を詳しく見てみた。前世で総務部にいた経験から、この手の業務には慣れている。しかし、この世界のやり方は余りにも非効率すぎた。
同じような内容を何度も別々の書類に記入させ、それを一枚一枚手作業で確認している。優先順位もなく、緊急性の高い案件も後回しになっている。これでは仕事が終わるはずがない。
「エドワード氏、この業務の流れを教えていただけませんか?」
「流れですか?えーと、まず受付で書類を受け取って、それを種類別に分けて、それから...」
彼の説明を聞いているうちに、問題点が明確になってきた。分類システムが曖昧で、重複チェックがなく、処理の順序も決まっていない。これは前世の会社でも見たことがある典型的な非効率パターンだ。
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「ベルトラン卿、お時間をいただけますでしょうか?」
私は意を決して、上司であるベルトラン・ド・モンフォール卿の執務室を訪れた。彼は王国でも指折りの官僚として知られ、内務省の実権を握っている人物だ。
「リアナ嬢、どうされましたか?着任したばかりなのに、もう何か問題でも?」
「いえ、問題というより、改善提案がございます」
ベルトラン卿の眉がわずかに上がった。新人がいきなり改善提案とは、大胆すぎると思われたかもしれない。
「改善提案ですと?」
「はい。現在の書類処理システムについてです」
私は事前に準備していた資料を取り出した。前世のビジネススキルを活かし、問題点を整理してまとめておいたのだ。
「現在の処理方法では、同じような作業を何度も繰り返しており、非常に時間がかかっています。また、緊急性の判断基準もないため、重要な案件が後回しになるリスクがあります」
「ほう...」
ベルトラン卿が身を乗り出した。
「具体的にはどのような改善をお考えですか?」
「まず、書類の分類システムを見直します。現在の5つのカテゴリーを3つに統合し、さらに緊急度による優先順位を設定します」
私は図解入りの資料を見せながら説明した。前世でプレゼンテーション研修を受けた経験が役に立つ。
「次に、チェックリストを導入します。各書類に必要な確認項目を明記することで、見落としを防ぎ、処理時間を短縮できます」
「なるほど...それで処理速度はどの程度向上するのですか?」
「計算上は、現在の3倍の効率化が可能です」
ベルトラン卿の目が輝いた。
「面白い。では、試験的に実施してみましょう」
翌日から、私の提案した新システムの試験運用が始まった。最初は同僚たちからの反発もあった。
「リアナ嬢、いきなり変更されても困りますよ」
「これまでのやり方で問題なかったのに、なぜ変える必要があるんです?」
しかし、私は粘り強く説明を続けた。
「皆さん、騙されたと思って一週間だけ試してみてください。きっと効果を実感していただけます」
新しい分類システムでは、書類を「即日処理」「一週間以内」「月内処理」の3つに分類した。さらに、各カテゴリー内で重要度順に並べ替える。
チェックリストは各書類の右上に小さく印刷し、確認項目を○×で記入するだけで済むようにした。これにより、見落としが激減し、後戻り作業がなくなった。
三日目には、目に見える変化が現れた。
「リアナ嬢、これは素晴らしい!昨日の処理件数が普段の倍になりました」
エドワード氏が興奮気味に報告してきた。
「本当ですか?」
「ええ、それに見落としもゼロです。これまで何度も差し戻しになっていた案件が、一回で完了しています」
一週間後、結果は数字で明確に現れた。処理件数は3.2倍に増加し、エラー率は80%減少していた。
「信じられません...まさに魔法のようです」
ベルトラン卿が感嘆の声を上げた。
「魔法ではありません。論理的な分析と改善の結果です」
「リアナ嬢、あなたはどこでこのような手法を学んだのですか?」
「独学です。効率的な働き方について、常に考えていました」
もちろん、前世の経験とは言えない。しかし、嘘ではない。確かに私は効率化について常に考えてきた。
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成功を受けて、新システムは内務省全体に導入されることになった。
「リアナ嬢の提案を全部署で採用します。各部署の責任者は、彼女から直接指導を受けてください」
ベルトラン卿の発表に、職員たちがざわめいた。新人の私が全部署を指導するなど、前代未聞のことだった。
しかし、結果は劇的だった。各部署で作業効率が向上し、残業時間は半分以下になった。職員たちの表情も明るくなり、職場の雰囲気が一変した。
「リアナ様、本当にありがとうございます。おかげで家族との時間が増えました」
「これまで夜遅くまで働いていたのが嘘のようです」
職員たちからの感謝の声が相次いだ。
そんなある日、思いがけない知らせが届いた。
「リアナ嬢、第2王子殿下がお会いになりたいとのことです」
メイが興奮気味に報告してきた。
「シャルルマーニュ殿下が?」
「はい。内務省の業務改善について、詳しくお話を伺いたいとのことです」
指定された謁見室に向かうと、シャルルマーニュ王子が窓辺に立っていた。陽光を背負った彼の姿は、まるで絵画のように美しかった。
「リアナ嬢、お忙しい中お時間をいただき、ありがとうございます」
「とんでもございません、殿下」
「内務省の業務効率が劇的に改善されたと聞きました。どのような手法を用いたのか、教えていただけませんか?」
私は新システムについて詳しく説明した。シャルルマーニュ王子は真剣に聞き入り、時折鋭い質問を投げかけてきた。
「なるほど...優先順位の設定とチェックリストの組み合わせですね。シンプルですが、非常に効果的です」
「ありがとうございます」
「他の省庁でも同様の改善が可能でしょうか?」
「はい。基本的な考え方は応用できると思います」
シャルルマーニュ王子の表情が変わった。それまでのクールな表情から、わずかに興味深そうな色が浮かんだ。
「リアナ嬢、あなたは本当に興味深い人ですね」
「殿下?」
「先日のデザートといい、今回の業務改善といい...あなたには他の人にはない視点がある」
彼の青い瞳が私を見つめている。私の心臓が早鐘を打った。
「実は、お願いがあります」
シャルルマーニュ王子が口を開いた。
「はい、何なりと」
「近々、隣国との通商交渉があります。その準備作業でも、あなたの手法を活用していただけませんか?」
「通商交渉の準備ですか?」
「ええ。関連する書類や資料の整理、交渉チームの効率的な情報共有システムの構築...あなたなら適任だと思うのです」
これは大きなチャンスだった。王子直々の依頼を成功させれば、さらなる地位向上が期待できる。
「喜んでお受けいたします」
「ありがとうございます。では、来週から準備に取り掛かりましょう」
王子が微笑んだ。それは彼の普段のクールな表情とは全く違う、温かみのある笑顔だった。
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謁見室から戻ると、同僚たちが興味深そうに私を見つめていた。
「リアナ嬢、第2王子殿下と何をお話しされたのですか?」
「新しい任務をいただきました。通商交渉の準備作業です」
「通商交渉!それは重要な任務ですね」
エドワード氏が驚いた。
「新人がいきなりそんな重要な仕事を任されるなんて...」
「リアナ様の実力が認められたのですね」
同僚たちの視線が、尊敬に満ちたものに変わっていく。ほんの数週間前は新人として扱われていたのに、今では頼りにされる存在になっていた。
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「リアナ嬢、素晴らしい成果ですね」
ベルトラン卿が満足そうに言った。
「ありがとうございます」
「第2王子殿下からも直々にお褒めの言葉をいただきました。『彼女のような人材は貴重だ』とおっしゃっていましたよ」
私の頬が熱くなった。シャルルマーニュ王子がそんなことを...
「今回の成功により、あなたには特別昇進を検討しています」
「特別昇進ですか?」
「ええ。通常なら数年かかる昇進を、特例で認めようと思います」
これは前世では考えられなかった展開だった。転生した甲斐があるというものだ。
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その夜、私は自室で今日の出来事を振り返っていた。
「リアナ様、本日もお疲れ様でした」
メイがお茶を持ってきてくれた。
「ありがとう、メイ」
「第2王子殿下とのお話はいかがでしたか?」
「とても有意義でした。新しい仕事も任せていただけることになって」
「それは素晴らしいことですね。でも、リアナ様」
「何?」
「殿下がリアナ様をご覧になる目が...特別なように見えました」
私は慌ててお茶を飲んだ。確かに、今日のシャルルマーニュ王子は普段とは違っていた。
「そんなことないわ。業務上の評価をしてくださっただけよ」
「本当にそうでしょうか?」
メイの意味深な笑顔に、私はさらに顔を赤らめた。
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翌朝、通商交渉の準備資料が届いた。予想以上の量に圧倒されそうになったが、前世の経験を思い出して冷静に分析した。
「まずは情報の整理から始めましょう」
私は資料を分野別に分類し、重要度と緊急度のマトリックスを作成した。これも前世で学んだ手法だ。
「貿易品目、関税率、輸送ルート、法的枠組み...」
一つ一つの項目を整理していくうちに、全体像が見えてきた。これまでの交渉で問題となっていた点も明確になる。
「エドワード氏、この資料の背景を教えていただけませんか?」
「ああ、それは前回の交渉で合意に至らなかった案件ですね。隣国側が条件を変更してきて...」
私は前世の営業経験を活かし、相手の立場に立って考えてみた。なぜ隣国は条件を変更したのか?そこには必ず理由があるはずだ。
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三日かけて、私は通商交渉用の情報管理システムを構築した。
「各項目をカード化し、関連性を線で結んで全体を可視化します」
壁一面に貼られたカードとそれらを結ぶ線を見て、ベルトラン卿が感心した。
「まるで巨大な地図のようですね」
「そうです。交渉の全体像を地図のように把握できれば、最適なルートが見えてきます」
このシステムにより、どの項目がどこに影響するか、どの順序で交渉すべきかが一目瞭然になった。
システムが完成した頃、シャルルマーニュ王子が視察に訪れた。
「リアナ嬢、進捗はいかがですか?」
「ご覧ください、殿下」
私は壁の情報マップを説明した。王子は真剣に聞き入り、時折鋭い質問を投げかけてきた。
「素晴らしい。これなら交渉の流れが手に取るように分かります」
「ありがとうございます」
「特に、相手国の利益も考慮した提案の組み立てが秀逸ですね。まさに『Win-Win』の発想です」
王子が『Win-Win』という言葉を使ったことに驚いた。この世界にもそういう概念があるのだろうか。
「殿下もその考え方をご存知なのですね」
「ええ。真の交渉とは、双方が利益を得られる解決策を見つけることだと思っています」
彼の考え方は非常に現代的で、前世の優秀なビジネスマンのようだった。
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システムの効果は予想を上回った。交渉チームのメンバーたちが、以前よりもスムーズに情報共有できるようになったのだ。
「リアナ嬢のシステムのおかげで、準備作業が半分の時間で完了しました」
「資料の矛盾点もすぐに発見できて、事前に修正できました」
チームリーダーのモンゴメリー卿も絶賛してくれた。
「これまでの準備期間は何だったのかと思うほどです。リアナ嬢、あなたは革命を起こしましたね」
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成果が王宮全体に知れ渡ると、思いがけない人物からも注目された。
「リアナ嬢とお見受けします」
振り返ると、第1王子アルフレッド殿下が立っていた。金髪に緑の瞳を持つ彼は、まさに王子様という風貌だった。
「第1王子殿下、恐れ入ります」
「いえいえ。あなたの業務改善の手腕について、弟から詳しく聞いています」
シャルルマーニュ王子が兄に私のことを話してくれていたのだ。
「もしよろしければ、軍務省でも同様の改善をお願いできませんか?」
これは名誉なことだった。しかし、私の心は複雑だった。第2王子の仕事を優先したい気持ちがあったのだ。
「申し訳ございませんが、現在の任務が完了してからでよろしいでしょうか?」
「もちろんです。弟の仕事を優先してください」
第1王子の理解ある言葉に、私は安堵した。
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交渉開始まで残り三日となった時、最後の調整作業が行われた。
「リアナ嬢、このシナリオ分析も素晴らしいですね」
シャルルマーニュ王子が、私が作成した交渉シナリオ表を見ながら言った。
「相手がAパターンで来た場合、Bパターンで来た場合、それぞれに対する最適な対応策が明確になっています」
「前もって様々な可能性を考えておくことが重要だと思いました」
「その通りです。『備えあれば憂いなし』ですね」
また日本の格言を...この王子は本当に興味深い人だ。
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準備の最終日、私は一人で情報マップを見つめていた。完璧とは言えないかもしれないが、最善を尽くした。
「リアナ嬢」
振り返ると、シャルルマーニュ王子が立っていた。
「殿下、お疲れ様でした」
「あなたのおかげで、これまでにない準備ができました。心から感謝しています」
「私こそ、このような重要な任務に参加させていただき、ありがとうございました」
王子が私の近くに歩いてきた。いつもより距離が近い。
「リアナ嬢、あなたは本当に特別な人ですね」
「殿下?」
「これまで多くの優秀な人材を見てきましたが、あなたほど独創的で実践的な発想ができる人は初めてです」
私の心臓が激しく鼓動した。
「あなたがいてくれて、本当に良かった」
その言葉には、業務上の評価を超えた何かが込められているように感じられた。
「殿下、交渉が成功することを祈っております」
「ええ。あなたの準備があれば、きっと成功します」
王子が微笑んだ。その笑顔は以前よりもずっと親しみやすく、温かかった。
「交渉が終わったら、またお時間をいただけませんか?今度は業務以外のことでも...お話ししたいことがあります」
私の頬が熱くなった。業務以外のことで話したいことがある、というのは...
「はい、喜んで」
こうして、効率化という前世の知識を武器に、私は宮廷での地位を確立し、シャルルマーニュ王子との距離を縮めることができた。
転生して本当に良かった。前世では平凡なOLだった私が、異世界では王子から特別な存在として認められている。
明日から始まる通商交渉が成功すれば、さらなる飛躍が待っているだろう。そして、シャルルマーニュ王子との関係も新たな段階に進むかもしれない。
私は希望に満ちた気持ちで、明日への準備を整えた。前世の経験を活かした業務改善が、こんなにも素晴らしい結果をもたらすとは思わなかった。