蛇足 マレフィックの天秤 前編
※リブラ視点全て残酷な表現有り。
※作中の「生む」「産む」表記ですが誤字や間違いではありません。あえて使い分けています。
転生、生まれ変わり、前世の記憶。
そんな者がいたとして、出会えたことに本当に喜びを感じるのだろうか。見た目も全く違う上、どんな別れ方にしろ関係は一度終わっているのに――。
リブラの住むゾディアーク独立国ではまだ流行っていないが、他国にいる彼の友人であり形式上の兄であるトーラスという男が、折に触れリブラへの土産として持ち込む他国の書物の中には女性向けロマンスも混じることがある。
古いしきたりに縛られているゾディアークでは、こういう書物は低俗だと馬鹿にされるが、他国の情勢や常識、流行りは何かといったものが織り込まれているので、リブラとしては助かっている。
今回は転生もので、前世で悲劇的な死を経験した主役と、その主役を前世で手に掛けてしまった相手役の後悔と愛がメインの話だ。
読みながら、前髪がはらりと落ちるのを鬱陶しく払う。
そろそろ前髪だけでも切りたいがそれはできない。
腰まで伸びた長く輝く金髪を緩くひとつに結び、手入れも欠かさないでいるのは、現在王女宮にいる小さな王女からのお願いのためだ。
「リブラとパイシーとジェミナでおひめさまごっこをするの」
自分のことをジェミナと呼ぶ王女。パイシーは彼女の双子の兄王子で、リブラは現在この二人に仕えている。
パイシーは母親譲りの白雪の髪と澄んだ空色の瞳を持って生まれた。次期王位を継ぐ子供だ。
ジェミナは顔つきが母親にそっくりなのに自身と違うその色に強い憧れを持っていて、リブラの髪もそうだが綺羅綺羅しい二人の髪に事ある毎に触れたくてたまらないらしい。
一方で違う色を持つことで悲しむこともあるけれど、彼女の色は自身の父親の色であり、それに対して嫌がっているわけではない。それに彼女はこの世に生まれ落ちてすぐにサーペント家を継ぐことが決まっていた。
髪を掻き上げて思い出した王女との約束。
王宮に賜っている自身の部屋で、書物を読んでいたリブラは結末まであと少しのところで「もういいや」と本を閉じて長椅子から身体を起こした。
ハッピーエンドに興味はない。バッドエンドだろうがどうでも良い。
リブラは本を脇机に放るように置いて、近くにある封のされた手紙を手に取る。
サジテリアス家の封蝋をナイフでペリリと剥がす。
手紙は後継者であるライラからのものだった。
内容は一年ほど前に結婚したライラの夫が、後継を儲けないまま他界したので養子を迎えたくその査定に加わってほしいという連絡だった。
ライラは恐らく疲れている。
自身の血に流れる忌むものに。
ライラの年齢を考えると、彼女はきっと子を望めない。
わざとそこまで結婚するのを引き延ばしたのだ。
夫は世間から彼女好みと呼ばれている少年ではなく、年嵩の落ち着いた男性だった。
ライラの本来の好みの男性を迎えたが、上手く行かなかったのだ。
「こうなるって結婚する前から分かっていたことだろ……」
ライラの夫はサジテリアスの分家だ。事情は知らないはずだが、もしかしたら知っていたのかもしれない。
「……それも愛ゆえ、だね」
リブラは手紙を戻すと、横たわってそのまま瞼を閉じた。
* * * * *
リブラは時々長い夢を見る。
――大陸の最北に住む大きな部族が縄張争いに敗け、逃げて高い山へと追いやられた。
住みやすい平地から、気候は厳しく住みにくいのに加え凶暴な獣や魔物や魔獣の多い山地へと。
当然彼らは陸地に住む者たちに憎しみを募らせていった。
彼らは魔物たちを倒しながら、少しずつ山を切り拓いて人が住めるようにしていった。
敗けたとはいっても彼らの生き方は変わらない。
時に山から降りて他部族の女を拐ってはその人数を増やしていた。報復に来たとしても、彼らの住む地へ入るまでに多くが命を落とす。たどり着いてもまともに生きてはいられない。
だがそのうち陸地の部族たちは淘汰され、まとめあげられ、時に飲み込まれ、山の下には大小様々な国が出来ていた。
彼らは時代の波に取り残された。
それでも在り方は昔と変わらず、山から降りては食料を女子供を拐っていって、とうとう下の国から何度も攻め入れられるようになって――。
部族の長はゾディアという名だった。それがゾディアークとなって。
――悪夢の始まりはいつだったか。
ゾディアークに初代のレオン王が生まれた時より前か、その後か。
高貴四家それぞれにも子供が生まれた。
ホロロジウム家にリブラ。
サーペント家にドラク。
ハイドラ家にカリーナ。
サジテリアス家にピクシス。
彼らは王家含む五家待望の子供たち。
ゾディアーク国は過去に何度も他国から侵略され、実際は元々の部族の血など薄れて消えていっているし、王族は部族の長の血統ではあるものの他国の血も入っている。
しかも皮肉なことに、侵略されたおかげで『ゾディアーク国』となり、王を抱いて貴族と民という仕組みを取り入れた一端の国になれたのだ。
だが、古い部族の血や歴史が消えたわけではない。
他国への嫉妬や羨望などの負の心は、恨み辛みという鎖で部族であった王族や古い成り立ちの貴族をずっと縛り付けていた。
それが彼らを愚かで罪深い道へと踏み外させた。
現在でこそ魔導具と呼ばれる品々は、現在のように暮らしを豊かにするものではなく、魔獣などの内臓を使用し人の念を込めて造られるもので、当時は魔法道具や呪物と呼ばれ恐れられているものだった。
彼らはその力で、自分たちの下にある国々を滅し、ゾディアーク国の王こそ唯一であると知らしめたかったのだ。
そしてゾディアークには元々の部族に呪い師がいたために、その知識と技術はしっかりと後世に伝わっていた。敵の手に落ちないように色々な対策もして。
ゾディアークの王族とまつわる四家はレオンたちが生まれるまで悍ましい研究を長く繰り返すことになったのだ。
――その内容は。
ゾディアークを囲む山々には多種多様な魔獣や魔物がいるが、人を惑わすものが多い。
王家とそのスペアであるホロロジウム家は不死の力を欲した。
氷山に鬣の半分が白と金の半生半腐で不死の獅子がいる。
二家はこの魔獣と自身らの娘を番わせた。
ハイドラ家は雌雄同体の蝸牛の魔物と娘たちを番わせたが、粘液で溶かされことごとく失敗した。
サーペント家では餌を招く鳥女の魅了の力を欲し、男子たちに番わせた。
サジテリアス家も歌を歌って男性を魅了する小型の妖精の力を狙ったが、大きさの違いで番わせることは出来なかった。
彼らは妄執に囚われ呪われていた。
我に返りまともな道を戻ることも許されなかった。
交配するだけではなく、魔物の魔導石を母体に埋め込んでみたり、魔物の胎児を女に入れてみたりもしていた。
数世代に渡り極秘裏に遂行されたそれらは、成功の兆しが出て来始めた。
五家ともに、嫡男と次男、長女以外を全て実験台に。
足りなければ正妻とは別に町娘や他国の女を拐って囲い、出来た子供を実験台に。
でなければ一族から養子を迎えてその子を――という悪魔のような所業をやってのけたのだ。
全てゾディアークのためという大義名分の下で血も涙もないそれが実を結んでしまった。
無事に生まれ落ちるのが出てきて、今度はそれを長生きさせ、繁殖させることが次の課題になった。
大抵が短命で、殆どが魔物化していた中で、同時期に五人もの子供が何かの間違いで生まれてしまった。
その内のひとりであるリブラは光輝く金の髪を持って生まれてきたが、身体の数ヵ所がドロドロに腐っていた。
すぐ死ぬだろうという医者の見立てに、血縁上の父であるホロロジウム卿が、迷ったもののしばらく様子を見ることに決めた。
これはリブラにとって幸いだったのか否か、今でも答えが出ていない。
見立てを出した医者は、当然このイカれた計画にも携わっている。
ここ数十年で成功率が上がり、初めて人の形をしたものがリブラだったため、彼の特別でもあった。
リブラは衰弱していたものの死ななかった。
だが、乳を飲ませても腐った腹から零れていく。試しに人の生き血を飲まされたこともあったという。
一ヶ月その状態でも餓死せず、腐りきらず、泣きもせず生きていた。
そして王家ではレオンが生まれた。
レオンは隠されていた妾の子で、不死の獅子を思わせる白い髪とやはりその魔獣の持つ透明な硝子のような瞳を持って生まれてきた。
それ以外は普通の赤子と変わらない。
見た目だけかと王はがっかりしたが、彼の側で産後の疲れで意識を失くすように眠っていた妾の顔色がみるみるうちに良くなっていった。子供を産んだ後の傷も閉じていく。
治癒の力を手に入れたと王は喜び、赤子に獅子と名付け、王妃との子供だとして発表した。
王とホロロジウム卿は、医者がリブラとレオンを会わせたがったので、その通りにしてやった。
すると、隣同士に寝かせたリブラの腐っていた場所がじわじわと治っていく。
リブラはレオンのおかげで外に出せる見た目になり、次期ホロロジウム当主として生きていけることになった。
同じく、真円の黒い目を持ち鈴の音の産声を上げたドラク・サーペント。
この三人の子供たちはゾディアークの対他国用人的兵器となるために生を受けた。
ハイドラとサジテリアスの二家はその種族と性質的にどうしても交配は無理だったので、早々に魔導具製作に切り替えていた。
なおサーペントは交配に成功しつつも副産物として魔導具も作り出している。
後々ハイドラが造り出した魔導具は人を溶かす鎖鎌。
サジテリアスでは人を惑わすハープを。
だが、それぞれなぜかカリーナとピクシスしか使用出来なかった。
比べてサーペントの造り出した『鳥女の鈴』は誰でも使用可能だったため、王家に納められた。
各家の五人の子供たちは、そういった理由からそれは大事に、守られるように育てられていた。
先に正妻から産まれた子供がいる家が幾つかある。
けれども彼らに嫉妬などから害されてはたまったものではない。一族の、いや国として悲願となる企みなのだ。
王妃のように、知っていて嫁いだ者は殆どいない。
魔物などとの交配が成功して特殊な力が身に付いている彼らはそのまた子供たちへと遺伝を望まれている。
強力な攻撃型魔導具が使える子供もそう。
その数が多いほど良いのかもしれないが、自分たちがいかに人道に悖る行為をしてきたかは知っている。
賛同を得られても大きな力は裏切りに繋がるし、得られなかったとすれば五家は断絶だ。諸刃の剣は避けたい。
だから王家は過去、この非道な実験を始める前に四家に対して『この先代替わりしようと、王家を裏切らず仕える』という血の契約を結ぶことを命じた。
破れば一族はその末端まで皆死ぬ。魂も天には戻れず、氷山の牢獄で未来永劫囚われるという罰が待っている。
王家も四家に対して『四家を裏切らず、王家の不始末を押し付ける真似はしない』とし、罰も彼らと同じものを受けると約束したのだ。
それを知っているのは五家の後継者と王の妻のみ。
王の妻は王が先に崩御した場合、代わりに采配せねばならないことがある。
知らず実験生物を虐げ、それぞれの後継者から外し排除することのないように。万が一の時には王妃が彼らの後ろ盾になるために。
――子供たちはそんな大人たちの思惑は知らずに、少年時代を楽しく送っていた。
何かがおかしくなったのはピクシス・サジテリアスからだった。
彼は思春期になるとなぜか少年に惹かれるようになっていて、思い悩んでいた。
なぜなら、彼は異性が恋愛対象であり、少年への性愛をこれまで感じたことなどなかったからだ。
生まれつきそうであるなら混乱はしなかっただろうが、心が女性を求めるのに、少年に欲情してしまう。
身体と心がバラバラになって、おかしくなりそうだと泣いて告白した時、誰も笑わなかったしむしろ心配していた。
なぜならピクシスがカリーナ・ハイドラのことを愛していることを彼女以外の少年たちは皆分かっていた。
続いてそのカリーナに災いが起きる。
ハイドラ家で魔導具を造っていた男が、王宮に突然現れカリーナを捕まえ小部屋で襲った。
彼女に向けて、ハイドラ家にあった鎖鎌のような魔導具を振りかざした。
カリーナにしか使えないそれだが、しかしながら鎌の部分は刃物として機能しているために、抵抗した彼女の腕や身体に深い切り傷を負わせた。
一命は取り留めたものの、心にも深い傷を負った。
更に彼女を病ませたのは、腹に男との生命が宿ってしまったことだった。
男は捕らえられたが、カリーナに懸想していたのが凶行の理由で、「王宮にばかり出入りして自分を見てくれない彼女に腹が立った。本懐を遂げてから殺してしまうつもりだったし、自分も死ぬつもりなのでそうなればずっと自分だけの彼女になる」と悪びれる様子もなく述べて、子供が出来たと言えば満足そうに「殺さなくて良かった。これで私と共にいるしかなくなった」と嗤った。
その後、男は牢の中で液体のようになり骨だけ残して死んでいた。
その後のカリーナは夢の中でしか生きられなくなり、日が経って子供を産むと首を括って死んだ。
それを受けピクシスの箍が外れたのか、彼は狂った。
ピクシスは王宮で少年たちを襲うようになる。
『妖精のハープ』を使い、少年たちを自身の欲の恣にするという蛮行に走った。
その後、当時被害にあった少年たち数人がピクシスを殺した。
ピクシスはその時、お気に入りの少年を王宮の自身の部屋に呼びつけており、そこへと向かう途中だった。
リブラはなぜこんなことにと恐怖に震えたし、レオンは彼らの不幸に怒り、ドラクは物思いに沈んでいた。
そんな彼らはもう結婚を視野に入れる年齢になっていた。
――だが、リブラだけはまだ少年のままだった。