蛇足 夜の帝王には今後の人生運が開けるかもしれない
スコルピオ視点終了。
変装の魔導具の効果を解いたトーラスと共にホロロジウム家へと馬車から降り立てば、リブラが家人と共に出迎えた。
「トーラス様が友達連れてくるなんて驚いた」
「こいつ、俺のことを分からないでナンパしてきたんだぞ」
「違う、ナンパじゃない」
そんなことより。
「あれ? いつもリブラはトーラスのこと『義兄様』って呼ぶよな?」
「そりゃ人前ではそう呼ぶでしょ。それより中に入りなよ、あったかいもの用意するよ。それともホットワインの方がいい?」
「あー、お構いなく」
「まあまあ、遠慮しないで。――ねえ、こちらはサーペントのご子息だよ。多分時間的に何も食べてないんじゃないかな。軽食も用意してくれない?」
リブラが家人に指示を出して、中へと誘う。
こうしていると、リブラがこの家の主人のようだ。
客間に通され、薦められるままソファーに腰かけた。ローテーブルにはグラスやカップと共に、既に温められてスパイスの入ったワイン、蒸留酒にミルクや蜂蜜などが置いてあった。
好きに飲めということだろう。
「スコルピオはゆっくりしててね。――それで、トーラス様。いかがでしたか?」
「――何かしてるともしてないとも言い切れない。とりあえず婚約が決まったから、あの子の身体に傷を残すような真似はしないだろう。それよりも父上と母上だ、何かがおかしい。話していても噛み合わない」
「ではヴァル様の婚約は国内ですか?」
「いや違う。連合から持ってきた話だそうだ。現在相手の家の評判が宜しくないのが気になる。そこら辺を調べないで決定してしまう辺りがこう……」
黙って聞いていたスコルピオは会話の内容に目を見開いた。
「それにヴァルはまだ七歳だぞ。いくら王族だからといっても先に姉であるエリースの婚約を決めるべきだろ。王位についてもヴァルゴが相応しいと言っていたはずなのに、エリースにすると言って聞かないんだ」
「結婚に関してトーラス様がその理屈だと誰より先にするものだと思うけど」
ね、と微笑んで小首を傾げるリブラの言葉に「俺のことはいいんだ」と手を振って言った後、トーラスは真顔になり腕を組んだ。
「エリースも可愛い大事な妹だ。だが、何でああなった?」
「僕の知り得る限り、昔からあんなものですよ?」
「――ちょっと待って」
スコルピオが二人を遮った。
「……エリース殿下がトーラスの妹?」
「スコルピオは知らなかった? ああ、そっか。サーペントのおうちはあんまり王族と関わらないもんね……うん。トーラス様は王子様だよ。正しく呼ぶならトーラス殿下だね。それでもってこのお方はね、今、家出中」
「家出!?」
「まあ俺には王族なんて堅苦しいのは向いてないからなあ……ってそんなことより、そうだよ思い出した! スコルピオのおかげで鳥女の捕獲が出来て助かった! 生きたサンプルが欲しかったんだよ。精神干渉する様子を実際に見たかったんだよなあ」
「……ええ?」
スコルピオはドン引きした。
「トーラス様、自分が魅了に掛かってみたいって煩くてさ。止めるの大変だったんだよ。あ、トーラス様さあ、スコルピオはやられそうになったんだからね! あんなでっかいのに襲われたらトラウマだよ! 僕だって自分の人生終わりだなって思ったもん。怖かったよねー」
スコルピオの眉間に縦線が深く刻まれる。
リブラの口調からは怖かったという感情を全く感じなかったからだ。彼らを見ているといまだ鳥女の呪縛に囚われている自分の方がおかしいのか? と少し悩むが、いやいやおかしくないだろと頭を振った。
* * * * *
ヴァルゴが七歳にして結ばれた婚約は白紙になり、それから十五歳になるまで何度か話が持ち上がるが、どれも上手く行かなかった。
当然王族なので彼女の事を表立って言うものはいないが、何かしらの集まりに参加すれば、彼女にやはり問題があるのだろうという話がちらほらと囁かれるのが耳に入る。
そのスコルピオも二十二歳と私生活も落ち着いて良い年頃になったが、縁談はさっぱり決まらない。
当然のごとくエリースと結婚するものだというのがまるでこの国の総意のように言われていて、それに頭を悩ませていた。
一部男性陣から熱狂的なファンのいる恋人とは、あの後すぐにお別れした。
エリースの横槍が入るまでもなく、彼女に新しい恋人が出来ての自然消滅という形だ。
スコルピオにとっても彼女にとっても、求めていたのは大人の関係のみであったのでさっぱりしたものだった。
以降は浮き名というほどではないが、それなりに未亡人や他国からの旅行者で後腐れなさげな女性と一夜の恋をそこそこ楽しんだりもしている(エリースからの嫌がらせを受けない相手を厳選して)。
けれどもそろそろ後継者について考えなければならない。弟妹の方が先に片付きそうだが、それはそれで彼にとって喜ばしいことだ。
自身の結婚に関してエリース絡みの噂にうんざりとしていたところに、ヴァルゴの婚約お披露目会という盛大な催しの招待が来た。
ヴァルゴが十二歳を迎えた後、王女宮から出て別の宮に入宮すると、当人たちとは関係ない所から男女として適切な距離を求められるようになり、スコルピオも当然それはそうだと納得したので、構いに行くことはやめた。
だが見かける度に美しく成長しているのを見ると、子供時代を思い出してどこか切ない気持ちにもなった。
一方でリブラは子供の頃に言っていた通り、遊び相手から侍従へと召し上げられ毎日幸せそうに働いている。
スコルピオから見たリブラはヴァルゴのことを女性として愛しているように思えたが、彼はそれを絶対にないと否定したので、これ以上余計なことは言うまいとそのことに関して口を噤んでいた。
彼とは今も王宮やヴァルゴの宮近くで時間があれば話すことが多いが、いつからかその場所に白い花をちらほらと見かける。
花といっても、薔薇や百合や蘭のようないかにもなものではなく、山中でよく見かける優しげでどこか愛嬌のある形をしたものだ。
「――ああこれ。ベラトラムって花ですね」
何とはなしにリブラに聞いてみる。
彼はヴァルゴの侍従になってから言葉遣いを改めていた。それにほんの少しだけ寂しさを感じる。
「山に住んでる者からは『ハエ殺し』って言われてるんですよ」
「食虫植物なのか?」
「まさか! 違いますよ、毒があるんです。だから食べちゃダメですよ?」
くすくす笑ったリブラの顔は、悪戯めいていて昔の面影が見えた。
「ならヴァルゴ殿下にも気を付けさせないと……あの方はすぐうっかり触りそうだからな。『部屋に持って帰る』とか言い張って」
「ほんとだ、気を付けないと」
二人でそうやってこの場にいないヴァルゴをからかって笑っていると、リブラが眩しそうに花を見た。
「――この花を取りに行ったんですよ」
「うん?」
「鳥女と対峙するスコルピオ様にお会いした日です。あの日、僕はこの花を探していて……」
スコルピオはあの日のことは今も夢に見る。
それにエリースと鳥女が重なって見えるのも治らなかった。
彼女のことが嫌いであっても、気持ち悪く感じてしまおうと自身が困ることはない。
相手もここまで自分が嫌われているとは思ってないだろうが、流石にそこまで言う気は今のところなかった。
「何でまたこんなありふれた花を」
「あの頃は虫が多かったので、駆除したかったんですよね――エリース殿下から嫌がらせされるので」
「……ああ、あれは酷かったな」
ヴァルゴに対して彼女からの虐待が酷かった頃のことだろう。
スコルピオは後から知ったが、ヴァルゴの服の中に毒虫を大量に入れて、その毒と精神的ショックで失神させ、痒みだけではなく肌が化膿するほどの傷を負わせていた。
今もその痕は残っている。直接はもちろん見ていない。話で聞いただけだ。
「――虫が最初からいなければ、酷い目に遭うこともないのかもと思って。子供の考えなしの浅知恵ですよね。虫なんて潰しても潰してもあちこちから湧いて出るんですから。そう割り切った今は、この花がこれ以上増えないように僕が調整してるんです」
「それはまた。庭師に任せないとは手間がかかってるな」
「……ええ、そうですね」
微笑んでいるリブラはどこか物憂げな様子だ。
心当たりはひとつしかない。
「――殿下の婚約が心配か?」
「相手はハイドラのアレですからね」
ハイドラのアレ。
ヴァルゴの婚約者であるハイドラ家のムスカは近頃別人のようになってしまったと一部で話題になっている。
このところゾディアークに不穏な空気が漂っているようで、息苦しい。
そういう空気を明るい話題で払拭したいのか、他国からの招待客を呼んだ盛大なものになるらしい。
「――ハイドラのあの様子では無理でしょう」
「またヴァルゴ殿下に傷が付くか……」
スコルピオはリブラが嫌悪感も露に唾棄する様子に、エリースを盲愛するムスカを思い浮かべる。ヴァルゴの婚約がまた上手く行かないだろうことを悟り、眉間に皺を寄せた。
「……そうだ。お披露目には義兄様も参加します」
「長いこと連絡がなかったが、生きていたんだな。妹にはまた会わないつもりか」
「――残念ながらあの方にとって妹は二人です。家族をまだ信じたいからこそ、確かめに来るだけです」
「……やはり何かあるのか?」
リブラはスコルピオの言葉にただ静かな微笑みを浮かべた。
* * * * *
結局のところ、ムスカとヴァルゴの婚約期間は三年も続いた。
スコルピオはこの間、自身の気持ちと向き合い折り合いを付けねばならなかった。
あの日の婚約披露パーティーで、着飾って現れたヴァルゴの姿に、目が釘付けになった。
高く結われた真白の髪が歩く度に揺れ、透き通るような肌がちらちらと開いた背から見えるのは艶かしいよりも何故か初々しい。
十五歳という、蕾の瑞々しい少女らしさとこれから咲き誇ろうとする花の力強さを兼ね備えたヴァルゴは一気にその場の者の視線と心を奪った。
そのぐらい彼女から漂う気品、威厳、美しさが尋常ではなかった。
招待客らから「……これほどに美しいと知っていたならば」という悔しげな呟きが漏れ出でるほどに。
スコルピオはこの日何度となく溜息を吐いた。
不満げな顔を隠さず隣に立つムスカに対して、この一瞬で羨望と嫉妬を抱いたこと。
妹のように思っていたヴァルゴは、あくまでも「そのようなもの」であっただけだと気付かされたこと。
だからこそ自身の芽生えたものに蓋するしかない。もっと早くにこの気持ちが育っていれば今頃自分の隣には――。
だが親友と呼べるリブラのことを考えると、どうしてもそれ以上は自制するしかない。
彼は自身の心を圧し殺してヴァルゴの側にいるのに、彼女にはもうどんな男であれ婚約者がいるのだからと――。
だが、事態は動いた。
ムスカがエリース王女を害し、心中を図った。
二人の遺体の処理方法、持ち込んだ魔導具について、国王夫妻の離宮への幽閉、呪いがどうだ範囲がどうだ、と国のこれからを揺るがすような厄介事が一気に来てしまった。
それによってヴァルゴは王位に就かねばならくなった。まるで尻拭いのように。
「――もっと早く気付けたはずだ」
そもそもエリースが持ち込んだ鳥女の鈴と呼ばれる魔導具は大昔にサーペント家が王家に寄贈したものらしい。
そういう情報をもっと早くに知っていれば、彼女が普段から絶対手離さないようにしているものが魔導具だと分かっていれば。
渦中の当人たちが死んでしまったので、エリースが一体どうやって魔導具の存在を知り、いつから持ち歩くようになっていたのかは知る由もない。
だが、解呪の専門家と魔導具や魔導石の専門家らを連れて来たトーラスがエリースの心境を仮定として語った話がきっと真実に一番近いのだろうとスコルピオは思った。
――本物のゾディアーク国王には、然るべき特徴がある。
その体毛が全て白く輝き、瞳は透き通っていること。
これに例外はない。
トーラスが生まれ、エリースが生まれたが、二人ともその条件に当てはまらなかった。
ヴァルゴが生まれた時、トーラスは彼女が王になるのだとすぐ理解した。
輝く、は比喩ではない。実際光輝いていた。
透き通る瞳は本当に透き通った空色だけ。白目すらなかったのだ。
それまでは条件に合わなくてもトーラスかエリースが王になる(実際これまでに条件を満たさない王はいる。ヴァルゴの父王も満たしていない)と言われていたが、一気に風向きが変わった。
身の振り方を楽に決めることの出来たトーラスと違い、エリースには受け入れられなかった。
更に王家に伝わる通りに生まれたヴァルゴを見て、喜びではなく、当時ただ恐怖だけを感じた国王夫妻はエリースを殊更可愛がり、ヴァルゴのことは大事にしているつもりでも、エリースと差をつけてしまっていた。
だからこそエリースはその座を諦めきれず魔導具を使用したのだろうとトーラスは締め括った。
その気持ちは分からなくもない。
少年とまだ呼んでもよかった頃に、特有の病と世間知らずなための万能感を持っていたスコルピオには、自身こそ選ばれた人間というのは非常に心地よい酩酊をもたらすことを知っている。
だが実のところ、彼自身が後継者と決められたのは長子相続が理由ではなかったことをエリースたちのことを調査する過程で知った。
スコルピオに何らかの不思議な能力はない。
だが、生まれてきた時彼もまた白目のない真黒の瞳だった。
サーペント家では、そのような瞳を持つこと(もうひとつ条件があるがこちらは継承後でなければ絶対に教えられないと言われた)が継承の理由になる。
白目のない黒い瞳と聞かされた時、脳裏に浮かぶ映像と過った恐怖は成長してもいまだ彼の心の奥底に潜んでいるようで気分が悪かった。
だが、ヴァルゴを見るとそんな己を叱咤するしかない。
七歳下の彼女は、いつでも真っ直ぐ立っている。
不幸も重責も何もかも一気に降りかかり、何故どうしてという疑問や恨み辛みも全て飲み込んで立っている。
スコルピオは支えたいと思った。
きっとリブラも同じ気持ちなのだろう。それもスコルピオがそう決意するよりずっと昔の幼い頃から。
ならば、二人で必ず支えよう。
彼女の風避けとして、疲れた時の羽を休める場として、表情を作るその仮面を脱げる唯一の場として。
――折れない覚悟をした、我々の女王を。
彼女がもう良いという最期の日まで――。
読んでくださってありがとうございます。
スコルピオ視点は結ばれる以前まで、です。
削ったつもりですが、長くなりました。
展開は早く、短く読みやすくまとめるのは昨今の流行りですが、ねっとり書きたい私には中々難しいです。
まだしばらく続きますが、お付き合い下さいませ┏(ε:)و ̑̑
そして評価を入れてくださったそこのあなた!
ものすごく感謝しています。君に幸あれ。