蛇足 夜の帝王には恋愛運はないのかもしれない
スコルピオは目覚めた時、どこにいるのか分からなかった。
見慣れない色の天井に山中ではないと安心して、身体の違和感のある場所に視線を動かせば、両親が心配そうに彼の手を握っていた。
そこから鳥女の爪の記憶に繋がるまでに少し時間がかかった。
情けないことに襲われて意識を失くしたらしく、サーペント家の男として不名誉すぎて何も言えない。
「気にするなと言っても無駄かもしれないが、スコルピオ、お前は勇敢だったと護衛たちも言っていたよ」
それでも顔を上げない息子に、おどけたような口調で父親は言う。だがその声は震えていた。
「サーペントを継いでいる私でも鳥女は一度も見たことがない。文献だけだ。山々を巡っても出会したことなどない。お前は滅多に見れないものをその目で実際に見て、どういう生き物なのかも知れたことは凄いことなんだ。しかも生き延びて怪我もなく無事ここにいる。それがどれだけ私と母さんにとって誇らしく立派なことか……」
そのまま二人に抱き締められ、小さな子供のように泣いた。その後、事の顛末について知らされる。
鳥女に魅了された者だけ隔離されているが、他の者は皆無事。
鳥女はリブラによって捕獲されたという。
(そうだリブラ……なぜあそこに)
「あー。花を探してて。鳥女はトーラス様から頼まれてたから、そのついで」
見舞いに来たリブラが語った内容に、言葉に窮した。
大人ですら、経験を積んだ護衛ですら怯む魔物が、花のついで。
驚愕で目を丸くしているスコルピオに、リブラは困ったように微笑んで見せる。
「ぼくがどうにかしたと思ってる? できるわけないじゃん。義兄様の魔導具のおかげだよ……」
トーラスがリブラに渡してあった魔導具は三つ。
それぞれ単純なコンパス、護符、虫かごだという。
それによってリブラは花を探し、鳥女の攻撃を免れ、捕獲したということらしい。
あまりにざっくりすぎてスコルピオの思考は停止した。
「それだけ義兄様がすごい人ってこと」
リブラのその一言で、今回の全てが片付けられてしまった。
納得はしていないが、それよりも自分が思った以上に『普通の人』だったという気付きは少し彼を打ちのめした。
スコルピオはどこかで自分は『特別な能力のある者』だと考えていた。
年齢的な流行り病もあるだろうが、そもそもスコルピオは『サーペント家の後継者として相応しい能力の持ち主』だからこそ女王の王配にはなれないと言われたことを、自分は恐らく『異能者』なのだと捉えていた。
魔物と対峙することも彼の妄想内では何度もあって、その中で彼は魔物の大群を難なく屠る最強の戦士だった。
だが実際にはどうだろう。
失禁は辛うじてしなかったものの、鳥女をやっつけるどころか、恐怖で身動きすら取れなかった。
だが一方リブラは、いくら魔導具があったとはいえ、一人で鳥女を捕獲してスコルピオたちを助けてみせた。
「(あああああ!!!!!)……うう……恥ずか死ぬ」
かくしてスコルピオは対外的な黒歴史を作る前に病を克服したのだった。
* * * * *
鳥女の一件があってしばらく、サーペント家一門で巡回を増やし、反射の魔導具の点検と所持が徹底された。
護衛の一人が魅了にやられたのは、反射の魔導具から核の魔導石が外れてしまっていたため、反射回路が上手く繋がらなかったせいだった。
その彼はその後、経過観察も終了し無事復帰できたが護衛は辞めて実家に戻っていった。
そして十四歳となったスコルピオは、肝の冷えた両親により巡回の参加はしばらく見送り、その代わり護身や実践練習、他家との交流に力を入れることを約束させられた。
これまでは父親に着いて来ただけの王宮だったが、今後は補佐としての仕事も任されるようになった。
問題は十二歳を迎えたエリースが新年会を始め、彼女の参加するパーティーにスコルピオを連れ出そうと命令じみた手紙がしょっちゅう届くようになったこと。
婚約の打診も、まるで時候の挨拶のように定期的に届いている。
サーペント家としてきちんとその度にお断りしているし、スコルピオも個人的に届くエスコートのお誘いも『拒絶』している。
ただ、そのエリースは自身の宮を与えられたため、ヴァルゴのいる王女宮にはもういない。おかげで正式に遊び相手となったリブラと共にヴァルゴを気軽に構いに行けるようになった。
ヴァルゴは彼らの影響で、かなり言葉の選び方がそれは宜しくない方向に育った。
数年前に教師が付いて注意されたため、人前では黙って微笑むだけになったが、スコルピオは天使もかくやな見た目のまま、口を尖らせて文句を言うヴァルゴのことが面白可愛くて仕方なかった。
――ヴァルゴに問題が起きるまでは。
スコルピオとリブラは、これまでヴァルゴが王女としての待遇が悪かったことを知り、改善を求めてきた。
なぜかヴァルゴの親も周囲もそれに気付かなかったようだが、そこで侍女を増やしたり教育係を付けたり、遊び相手を見繕ったりと動き始めた。
これでようやく王女らしい環境と教育がヴァルゴに与えられたと二人は安心したのも束の間。
人の目が増えたにもかかわらず、エリースはヴァルゴへの扱いを改めない。
むしろ毒虫をけしかけたり、夜中まで外に放置したり(夜は酷く冷えるので下手すれば凍え死ぬ)、後遺症が出る恐れのあることなどエスカレートしていた。
――確実に妹の命を玩んでいる。
リブラと二人、周囲の大人に働きかけて好き勝手していたエリースが注意されるよう動いた……までは良かったが。
ある日リブラがヴァルの二の腕に周囲が黄色く変色した青アザがあるのを見つけた。
本人に聞けば、頑なにぶつけたとしか言わない。
ある日は足を引き摺るように歩いていて、慌ててリブラが医者を連れて来て診せれば、ふくらはぎは赤く腫れていて傷もあり、恐らく硬い棒状のようなものに『ぶつかった』のだろうということだった。
スコルピオとリブラは彼女の侍女たちにそれとなく話を聞いてみたが、皆知らぬ存ぜぬを貫き通した。
この日以降、ヴァルゴの侍女は一変された。新しく付いてもすぐいなくなるようになり、妙な噂も立ち始めた。
『我儘で癇癪持ち、人を虐げるのを好む。奇声を上げては聞くに堪えない汚れた言葉を使う』
どれも言いがかりで真実ではなかったが、最後だけはスコルピオたちの招いた失態だった。
教育がされ始め注意されても、王女であるヴァルゴが砕けた物言いをしてしまうのは、自分たちがそれを良しとしてヴァルゴと接してきたせいだ。
汚れた言葉ではなく、砕けた言葉遣いなだけだが、噂を流した当人はヴァルゴを貶める些細な理由さえあればいい。
それこそエリースの仕業だと分かっていたし、リブラは実際目にしていたがどうにもならない。
スコルピオたちがヴァルゴを構い、庇えば庇うほど、何らかの報復があるのだと彼らは嫌でも理解した。そしてヴァルゴの不遇を誰にも言えなくなった。
全てヴァルゴに直接向かうと知ってしまったから。
エリースは以前から彼女をいたぶっており、自身の宮からわざわざ「妹と遊ぶ」ためにやって来る。それを止める術は彼らにはなかった。
* * * * *
懇意にしている貴婦人と共に参加した夜会に妙な集団があった。
エリースを囲むようにスコルピオと同世代の男たちが取り巻き、さらに彼女の腰巾着たちも加わって、何やら見ているだけで熱気が凄い。
「あれは――」
「まあ、麗しの女王様とその信奉者の方々ね。いずれ貴方もあちらに加わるのでしょう?」
「私が? まさか」
スコルピオの言い捨てるような物言いが珍しかったのか、彼女はぱちぱちと長い睫毛を瞬かせ、ふふ、と微笑った。
「――あら、そう? でも評判よ。『白の女王が宵闇の貴公子を手に入れた』って」
「――へえ。宵闇の貴公子って何でしょうね、その絶妙に胡散臭い二つ名は誰のことだか」
「まあ、評判なんて当てにならないってことは、わたくしたちの中では常識ですからね……あら。気付かれちゃったわ」
スコルピオは見ないようにしているが、集団の中心にいるエリースが、こちらに視線を寄越しているらしい。
「お気をつけなさい。わたくしも今夜が月夜だなんて知らなかったの……折角だけど今夜は別の方と踊るわ」
「次の夜は?」
「そうねえ。しばらくは大人しくひとりで眠ることになるわね。それじゃあ、またね」
名残惜しさの欠片も見せず、エリースに挨拶をしなくても無礼にならないタイミングを見計らって、彼女はスコルピオに微笑んでするりとその場から退散した。
「スコルピオ」
今夜のパートナーの後ろ姿を追わず、エリースの姿も見ないよう、視線を外していたが声を掛けられ内心で溜息を吐いた。
「お前、わたくしに挨拶は?」
「……良い夜ですね。殿下。では私はこれで」
「エリースと呼べと言ってるでしょう? さあ、わたくしと共に過ごしなさい。お前の席はあちらに用意してあるのよ」
そう言って、白いレースグローブを嵌めた手をスコルピオの前に差し伸ばす。エスコートしろということだ。
だがスコルピオはその手を取らない。自身の手にあるグラスに口を付けると、上辺だけで微笑んでみせた。
「それは畏れ多い。殿下の隣であれば、あんなに望まれる方々がいらっしゃるのですから、どうぞ私のことは捨て置い――」
「わたくしが『来い』と言っているのだけど?」
スコルピオは気分の悪さを隠さず、すうと目を細め微笑みを消す。
「殿下の命令は残念ですが聞けません。このようにされておりますと悪い評判になりますよ? ほら、男性陣がこちらを睨んでおります。早くお戻りになられた方が良いのでは?」
「――ふうん?」
スコルピオの耳に、チリン、と鈴の音が聞こえて、すぐさま音の出所を探った。
「お前、あれらに妬いているの? 気にしないでいいわ。わたくしの特別はスコルピオ、お前だけよ」
にこ、と小首を傾げるエリースは口元に閉じた扇子を当てていた。
そこに宝石で作られた小さな鈴の飾りが付いている。
――リン。
思わず顔を顰めた。
脳裏に鳥女ののっぺりとした人とも獣ともつかない容貌が思い起こされて、気分が悪くなる。
視線は鈴に釘付けになった。
「――あら。お前、顔色が真っ青ね……休憩室に案内させるわ」
そう言うエリースの顔と鳥女が重なって見えた。
(行くわけない。休憩室など行ったら既成事実まっしぐらだろうが! 十二歳の癖に末恐ろしいなこの女)
「結構!」
腕に触れられそうになったのを寸前で躱して、空いたグラスをテーブルに置く。
ふらつきそうになるのを意地で耐えて、その場から離れようとしたその時。
スコルピオの視界にふくよかと呼ぶには丸すぎる年配の女性が横切ろうとするのが見えた。
彼女にぶつからないように、でもかすかに触れあうようにあえてよろめいて見せる。
「申し訳ない、気分が」
「おっと」
(『おっと』?)
微妙な低い声に彼女の顔を見つめ――たが、見知った顔ではない。
(ゾディアークの貴族ではない? ならば丁度いい)
この国に住まう恋人では王女の圧に負けるが、他国の者なら影響は少ないだろう。ゾディアークの王族はゾディアークの中だけ権力があり、他国と比べれば小さな虫けらのようなものだ。後でお詫びをしっかりしよう、とスコルピオは画策した。
「あー……よし。『坊や、具合が悪いのね。馬車を貸してあげるからお子ちゃまはおうちにお帰りなさい』」
だが、当の女性は気合い(?)を入れると高い声で棒読みセリフ口調で言い切ると、スコルピオの腕を取りズンズンと足音を立ててエントランスへと引っ張って行く。
流石のエリースも呆気に取られたようで、その場に止められすらしなかったようだ。
「『具合はどうなの? 坊や』」
御者と共にぐいぐいとスコルピオを馬車の奥に押し込みながら女性が聞いてくる。
「あ、だいじょぶです、はい」
「そうか」
女性も乗り込んで来て、ぎゅうぎゅう詰めだ。
彼女は御者の背が見える中の小窓を、拳でガンガン叩く。
それが合図なのだろう。馬車は走り出す。
「くそ、魔導車ならもっと楽なんだがな」
「魔導車?」
「ああ、大陸では馬車を使う国はもうずいぶん少なくなって、車が当たり前だな。あれはな魔犬の魔導石を大量に使うんだ。だが俺は魔犬よりも滑走馬の方がスピードが出ると踏んでいる。だが滑走馬は数がそう多くない上に、奴らの魔導石自体がレアだろ? だからそれは非現実的なんだと。悔しいよなあ! とにかく便利だからここにも持って来られたらいいんだが、こっちは坂が多くて雪も多いし寒いだろ? 火山で生きる魔犬の魔導石とは相性が悪くてな。それに本格的に導入するとなると国中の道を石畳から石灰を混ぜた――」
「……もしかして、トーラス?」
「スコルピオも元気そうで何より。でも年頃だからって節操ないのは良くないぞ。俺が魅力的だったか?」
「トーラス」
「最初にエスコートしてきたのは、あれ初物喰いで有名なサジテリアス家のライラ様だろう? 良かったじゃないか、ライラ様は青少年の憧れの的だ」
脱力したスコルピオは彼女のいや、彼の肉で身動き出来ず、馬車内に視界をさ迷わせた。ホロロジウム家の象徴である振り子時計の紋章が見える。
「トーラス。何でそんな格好……」
「そりゃあ皆に俺だってバレるのが嫌だから……って。あ、変装解くの忘れてたよ。よく俺だと分かったな――にしても俺のことをナンパするとはな」
「してねーよ!」
スコルピオはがくりと項垂れた。