蛇足 夜の帝王には人気運もあるのかもしれない
スコルピオがヴァルゴに出会ってから時々――こっそりと――王女宮に顔を出すようになった。
あの妙ちきりんでヘンテコな格好でない時のヴァルゴはまるで雪の妖精のように可愛らしかった。
雪のような白さも、ゾディアークの空の瞳もヴァルゴのことか、と素直に思う。
交流の回数が増えるに従って、まるで自分が育てた妹か娘のような気持ちまで持ち始めていた。
彼はあの後、自身の父親にヴァルゴのいる環境がなんだか良くない感じだと曖昧にそれとなく伝えた。
リブラも親に伝えたのかは聞いていないが、ヴァルゴの宮は当初よりずいぶん改善されていったように感じる。
彼女の両親である国王と王妃も以前よりはヴァルゴのことを気にしているらしいとスコルピオは父親から聞いた。
国王夫妻は仲睦まじいというのは国内外で良く知られた話だが、スコルピオはこれまでと違って冷めた目で彼らを見るようになった。
家族を放ったらかしにしていることが理解出来なかったからだ。
リブラはそんなスコルピオに眉を下げながら「まあ理解出来なくていいと思う。そういうおうちがあるって知っているだけでもいいかなあ。ぼくたちが今そこまで入ってっちゃダメだよねー」と言う。
「スコルピオが自分の家族を誇るのはすっごくいいことだけど、他の人にも同じようにしろって言うのはちがうかなー」
そう言われることに実は納得いかなかったが、確かに国王に「家族をもっと見たらどうか」だなんて言えるはずもなく、そもそもスコルピオは結婚していないし、子供だ。説得力も何もない。
リブラと知り合い、ヴァルゴに会って、スコルピオももっと世間を知らなくては、とやる気に満ちた。
とりあえず五歳下のリブラが目下のライバルで目標だった。
そうして一年が過ぎ、ヴァルゴも十二歳になった。
ゾディアークでは誕生日を家族と祝うがそこでは歳を数えず、新年を迎えて初めて歳を数える。
そして新年会に参加する義務が生まれる。
十二歳になって国が開催する新年会に出席することで、ほぼ大人として子供扱いから少しだけ外れることになる。
例えば、新年会を始めとする夜会の参加(但し日付を跨がない内に退席する)、飲酒の許可に夜遊びなど。
この新年会で初めて、同世代の者たちを知る広い付き合いをするようになる。
もっとも、派閥や親族や仕事場の関係でそこそこ見知った顔が多いので、実際そこまで広くはならないのだが、そこにとらわれない友人知人が出来ることもあった。
この日は両親と共にまず挨拶回りに勤しんだ。
声を掛けられたり掛けたり、紹介したりされたり。
酒も人が変わる度に勧められて(強い度数のものではなく果実酒と水を割ったようなものだが、過ぎれば何でも宜しくない)気をつけてはいたもののほろ酔いになった。
親絡みの顔繋ぎは一旦落ち着いたようなので、スコルピオは酔いを醒ますために両親には断りを入れてその場から離れた。
会場が見渡せることが出来て、なおかつあまり邪魔の入らないところがないかと辺りを見回していると、覚えのある顔が幾つかある女子の集団があった。
(面倒そうなのが群れてるな)
王女宮に出入りするようになって見かけた顔。エリースの遊び相手に選ばれたのだろう。
彼女たちは酒も入って気が大きくなっているのか、大きな声で何事かを言い合ってははしゃぎ笑いあっている。
彼女たちの親は注意しないのか、と周囲を見渡すもそれらしき者はこの場に見当たらない。
他の大人たちは大目に見ているのか、苦笑しながらも彼女たちを窘めたりすることはない。
いや、見定められているのかもしれないな、とスコルピオは考えを改めた。そう思えば、苦笑しつつも瞳は笑っていないし、その奥に冷たいものが見える気がする。
彼らと同じく遠巻きにして離れようとするスコルピオの耳に、彼の動きを止める言葉が飛び込んできた。
「月の君がこの前……でね、アレが泣きわめいたの」
「あの時はびっくりしたわよね、でも大丈夫なの? アレも王女なのに」
「ちょっと! 声が大きいわ……アレはアレって呼ぶ決まりでしょ――」
「月の君もまだ子供よね、あんな意地悪な悪戯ばかり……」
(アレ……泣きわめく……ヴァル様のことか)
不快さから思わず眉を顰めた。
さすがに先ほどよりは声は小さくしたが、ところどころ漏れ聞こえる単語は不愉快極まりなかった。
名は伏せているが、彼女たちが月の君などとふざけた呼び方で呼ぶのはエリースだけだろう。
流石に注意すべきかどうするか、とスコルピオが決意しかねていると、自身の名前が出てきて固まる。
「ご婚約はサーペントのスコルピオ様で決まりらしいわ」
「でもご長男でしょ?」
「下にご弟妹がいらっしゃるから大丈夫って月の君が」
「相手が月の君なければ、私も婚約を申し込みたかったあ~。涼やかで凛々しくて。いずれもっと素敵な紳士におなりになるわよ」
きゃいきゃい騒ぐ集団の言葉の衝撃をまともに食らった。
(どういうことだよ……あの話しぶりだと俺がエリース殿下と婚約したような……)
困惑を抱え眉間に皺を刻んだまま、両親の元に戻ることにした。
酔いはとっくに醒めてしまった。
和やかに談笑している両親の元に戻れば、父親が笑顔で軽口を叩く。
「どうしたスコルピオ。素敵なお嬢さんでも見つけてくれたらと思っていたが、お眼鏡に敵う女性はいなかったかい?」
少しばかりホッとする。
自身の知らない間に婚約が決められてしまったのかと疑っていたからだ。
父親は他に縁を求めることを良しとし、エリースとの未来を考えなくて良いのだと自分に言い聞かせてやっと肩の力も抜けた。
「……コル、疲れたの? 少し早いけど帰る?」
初めての新年会だからねと、母親が気遣わしげに声を掛けたので、それに頷く。
「父さんと母さんが大丈夫なら、家に帰ってから話したいことが」
スコルピオの言葉に、両親は顔を見合わせた。
* * * * *
スコルピオが両親と話して分かったことは、王家から婚約の打診がひっきりなしに来ていることだった。
それこそ異常なほど。
スコルピオはサーペント家の長男であり、いくら下に弟妹がいたとしてもその立場は変わることがない。
サーペントを継ぐ能力が備わっているから、というのが大きな理由だ。
「エリース殿下ではなく、ヴァルゴ殿下であればまだ可能性はあるのだが、困ったことにあちらはどうしてもエリース殿下の王配であることを譲らない。あそこまで陛下が頑なになることなどなかったのだが……」
「でも、エリース殿下が王位をお継ぎになるというのはあちらこちらの話では聞きますけど、直接陛下が私たちに仰ったことは一度もないんですよ。もしかしたら、降嫁なさるかもしれないじゃない」
「――エリース殿下と結婚しなければならないなら、俺はゾディアークを出ます」
政略結婚やお見合いで、人となりの良く分からない女性と結婚することは覚悟の上だが、どうしてもエリースは無理だった。
彼女との未来を思うと頭の中で警鐘が鳴り響く。どうにもゾッとしない。
(あの女だけはイヤだ)
生理的嫌悪感、簡単に言えばそういうことなのだろう。けれどもそれだけではない何か得体の知れないものをエリースに感じ取っていた。
「国を出て、どうするつもりかい?」
父親のその質問は想定内。
当然自力では何も出来ない。けれども頼れる人はいる。その人の下で学んで働けば少しは何とかなる気がしている。
「ホロロジウムの――トーラス様を頼るつもりです」
キッと目に力を入れ真っ直ぐ見てくるスコルピオに、父親は優しく微笑んだ。オロオロする母親にも安心するよう伝え、彼に向き合う。
「なるほど、覚悟はあり伝手もある、と。そこでトーラス様の名前が出るところが……。だがそこまで拒否する理由は何かな、スコルピオ。ああ、いや勘違いするなよ? 理由如何でエリース殿下との婚約を考える訳ではないから安心しなさい。例え脅されても王命を出されたとしても、お前が嫌なら勝手に決めたり無理強いなどもしないと先祖に誓おう」
「……上手く言えない、けど。不快で。一緒にいることを想像するだけで気分が悪くなる」
「そうか」
「リブラが、リブラ・ホロロジウムは俺のこの直感めいたものを大事にしろと言ったんです。だから……友人がそう言ってくれたことを信じたいんです。父さんも俺に同じようなことを前に言いましたよね?」
スコルピオの語気が弱まっていく。
「大丈夫だ、スコルピオ。お前の直感を信用していないわけではないよ。とにかく、婚約に関してはお前がこの先仮に心変わりしたとしても。王配の立場は無理だろうと考えている。それにしてもリブラ君か、良い友達になれたようで良かったな」
どこか困ったように微笑む父親に少し違和感があったが、この日のスコルピオはひどく疲れていてそのままぐっすりと眠った。
この日以降、スコルピオの後継者としての教育内容が
家ではなく外に向かうものが多くなった。
王宮に行く回数は格段に減ったが、今はこちらのほうが彼にとって有意義で大事な時間だ。
スコルピオは、自身の役割を理解して行動しているリブラに早く追い付きたい気持ちしかない。
だから後継者教育としてサーペントの領地を隔月で巡回することに更に力が入った。
サーペントの管轄は国をぐるりと囲む四方の広大な山地の一部を除いた殆どだ。
全てを網羅することは山ゆえに難しいし、人の手の及ばない場所も多い。
険しい山、なだらかな山、そのどれにも『これ以上の侵入を禁ずる』という場所があった。
そんな風にこの国は他国と比べてもっと宗教的な、人智を超える何かを持っているとスコルピオは思う。
彼の中では、世界に当たり前にいる魔獣や魔物もその括りに入る。
この国には魔獣よりは魔物と呼ばれる知能の高いもののほうが多い。人語を解し、人の振りをして拐うなど狡猾なやり口をするのが多い。
その中でも特に鳥女と呼ばれる魔物がゾディアークでは有名だった。
上半身は人に似せた姿で下半身は猛禽類のよう、腕はないが強靭な爪のある脚と大きな翼を持つ。
厄介なのは魅了と呼ばれる精神干渉系の洗脳のような技を使うこと。
赤子の泣き声に似せた鳴き方で人を誘ってみたり、女の顔で相手を油断させる。
基本的に人は全て餌だが、雄が生まれない種族のためか、人の男を番うために連れ去ったり、稀に赤子を連れ去り乳を飲ませ育てることもあるらしいが、結局全て彼らの餌となる。
他の魔獣や魔物はこの百年ほどで見かける数は減ったものの、鳥女だけはその生殖行動のために定期的に山からやって来る上に、いわゆる発情期や繁殖期がまちまちで予測不能なのが厄介だ。
しかもそれらの寿命は長く、何百年と生きるという。
例えば、八十歳のじい様が十歳の時、顔に傷のある鳥女を見たことがあったと言う。その孫が同じくらいの歳になってから同じものを見た、更にその孫が――と、そんな逸話は腐るほどある。
そんな鳥女の顔は、似せているだけで人の顔とは全く違う。似て非なるものだ。それを人だと誤認させてしまうのが魅了の力。
美しい女だと思い込み、ふらふら近付いて拐われ餌になってしまう。
鳥女は人語を操れないが、鳴き声は人の赤子や猫のそれに似ている。そして同時に鈴の音のような特殊な音を出すという――。
――今現実にそれと対峙している。
スコルピオと鳥女は邂逅した。
(巨きい)
成人男性二人を縦に並べたほどに大きな灰色熊を片脚で余裕で押さえ、内臓に食らいついていた鳥女が気配に気付くと首を傾げるようにこちらを見た。
顔は確かに人の女のようではあるが、その真ん中が羊の鼻を足したように長く間延びしていて、目は大きく丸い。真っ黒で人のように白い部分がない。
それと目が合って思わず背中が仰け反る。
【二あァあぁア ナアあぁアアァああぁ】
――リー……ン
鳥女が灰色熊の腹から頭を上げて、赤黒く汚れた口を大きく開けた。低音と高音が混ざった薄気味悪い鳴き声と共に、微かに高い金属音のようなものが聞こえる。途端に共に来ていた護衛がひとり、フラフラと鳥女に向かって歩いていく。
「おいおいおい! アイツ!」
「魔導具はどこにやったんだよ!?」
鳥女の間合いに入らないよう数人がかりで止めているが、凄い力で振り払って進もうとしている。
「――騒ぐな」
脂汗が滴り落ちるのを感じながら、スコルピオは内心で混乱しつつ、どう対処すべきかを模索していた。
確かに距離はある。
だが鳥女の身体の大きさから、今は閉じている翼を広げれば、この間など一瞬で詰められる。
(正解なのは魅了されているらしい者を捕獲する瞬間を狙うことだろうか。それとも形振り構わず逃げるか……いや。こちらも数はいる、彼を囮にして――)
この一瞬の判断の迷いの隙に、強風がスコルピオたちを襲った。
「――なっ!!」
風と共に獣臭、腐臭、血や臓物の腥さを孕んだ鳥女がスコルピオたちのすぐそばに駆けてきていた。
翼を広げたのではなく、駆けた勢いで巻き起こした風は強靭な脚とその爪で大木も薙ぎ倒している。
誰かが武器に手をかけた音がするが、皆鳥女を見つめたまま動けない。
魅了されている者は引きずり倒され上から押さえ付けられていたが、這い寄ろうと踠いていた。
スコルピオたちが身に付けている反射の作用がある魔導具は、精神干渉系の攻撃を無効にするだけで、相手に返すものではない。
これが相手に返せるものならば、隙が作れたかもしれないのにと魔導具に怒りをぶつけた。
だがそんなことをしていても、何がどうなるわけでもない。
ほんの何秒がもうずいぶん長い時間のように思える。
(……動け、動け!)
護衛たちはスコルピオを守るために来たけれど、彼らを犠牲にして死なせるためにここに来たわけではない。
そう叱咤しても身体は恐怖で動けなかった。
(ああ――ダメだ……)
鳥女が脚を上げた。
巨大で鋭利なあれは、爪だと理解した瞬間――
「――諦めちゃダメです」
スコルピオの耳に馴染みの声が聞こえた。
読んでくださってありがとうございます。
スコルピオは他国について見知っているように言及していますが、この時点で国外に出たことはありません。知ったかぶりです。
※この作品(シリーズ全て含む)において、魔物など諸々についての見た目や鳴き声、当て字などは桜江の想像上の産物です。
そもそものモデルとなっている魔物や神話の生物自体が大昔の人々の想像上のものが多いですので「違う、○○はそういう生物じゃない」等のご意見がお有りの方もいらっしゃるでしょうね、すみません┏(ε:)و ̑̑