後編 女王様には愛情運があるのかもしれない
泣き止んで恋心を今度こそはと完全封印し、ムスカのことは好きにはなれないし愛し合う夫婦に到底なれないだろうけど、報われない想いを持つ者同士なのだから、せめて信頼関係くらいは築けるといいなと考えていたヴァルゴだったが、それを全否定できるほどのことが起きた。
ハイドラ家のために用意された客室で目の覚めたムスカ(スコルピオが引き摺って運んだ)は不満タラタラな様子で語り始めた。
本人曰く、エリースを求め歩き、外に出たところで石に躓き頭を打って気絶したらしい。
さらに各国の要人を招いた――しかも婚約披露だというのにパートナー抜きで挨拶回りをしたことがムスカの激怒ポイントだったらしく(誰のせいで一人で回ったと思っているのか)掴みかかってきた。
「やめ……やめてっ」
「何が王女だ! 婚約だ! この見た目だけの毒女め! 私とエリースを引き裂いて満足か!」
力一杯胸ぐらを引っぱられたが、ヴァルゴの力ではその手を外すことは出来ず、そのまま今度は勢いよく後方にある大理石のフラワースタンドに向けて突き飛ばされた。運の悪いことにそこにあった大きな花瓶が衝撃で壁にぶつかって割れ、ヴァルゴの背中へと降り注いだ。
室内で待機していた侍女の悲鳴が響き渡る。
とっさに身体を丸めて腕でガードしたので頭と顔は何とか無事だったが、背中が開いたドレスのせいで破片はヴァルゴの素肌を舐め、一部は突き刺さり大きな傷を背と腕と足に付けていった。
あまりの痛みに呻いて目を開ければ、床が血まみれで惨いことになっている。
思わずヴァルゴは助けを求めてムスカを仰いだが、流石にマズイと思ったのか逃げてしまって、その場にはもういなかった。
運が悪かったと言うなら、客室内に侍女以外誰もいなかったこともそう。
室外にいた護衛とリブラが聞こえた悲鳴に慌てて室内に入れば、逃げるムスカと鉢合わせたので即座に捕まえた。
医師が呼ばれて治療を受けている間、「これって破棄できるでしょ!」とヴァルゴは自身の失態に顔面蒼白になっているリブラに向かって満面の笑顔で息巻いていた。
その翌日には身体中の裂傷のせいか、怒りか疲れからなのか高熱が出て、ヴァルゴはしばらく体調不良で臥せることになった。
他国から自国から客を招いて気の抜けない一週間のはずが、一晩にしてこうなのだからどうしようもない。
聞けばエリースが張り切って茶会だの何だのと忙しそうにしているらしい。お見舞いの断りや諸々も彼女が采配しているという。
今回は姉のおかげで助かったとヴァルゴは胸を撫で下ろした。
「奴はとりあえず監禁してあります」
リブラの飄々とした口調も鳴りを潜めて、無駄にきらきらしい金髪も今日は暗く見えるほどに元気がない。仕える主人を、一国の王女を危険に晒してしまったどころか怪我まで負わせてしまったという後悔に満ちていた。
「そう。お父様たちは何て?」
「……痴話喧嘩だろうから、大事にはするな、と」
「そう。あの侍女は?」
「悲鳴を上げるだけで止めもせず、我々の助けも呼ばずでしたので、それなりの処遇になります」
「うん」
「申し訳ありませんでした……」
「リブラ、お前を外したら私には信用出来る者がいなくなっちゃうの。だから外さない。今後はもっと私のために働いてね、以上」
ぐ、と握られる拳の色は白い。
それでも俯かず、ヴァルゴと目を合わせているので、飲み込んでくれたのだろうと彼女は思った。
――それにしても。
「……痴話喧嘩ですって?」
言うに事欠いて痴話喧嘩とは。
なかったことにするつもりだとすぐに理解った。傷物になってしまったのだから、そのまま娶らせれば良いということだ。
いつから両親はヴァルゴに対して、こんなに冷たく、考えなしになってしまったのだろう。
そして、どうあってもムスカの結婚は覆らないと思い知ったヴァルゴは行く末を儚み薄く嗤った。
そうして三年。
流石にムスカも女性に、しかも王女に乱暴して怪我を負わせ逃げた罪の恐ろしさに思い至ったか、公では普通に振る舞うようになった。
(数日後にようやく対面を許されたハイドラ卿はすっかり窶れて別人のようになっていて、ムスカもまた別人のように腫らした顔で暴れないよう縛って連れられていた)
処刑もやむ無しであるのをヴァルゴとの結婚で赦してもらえるのだから、さもありなんといったところ。
それでもムスカと少しずつだが会話も婚約以前のように普通に出来るようになってきた。話し合った結果、対外的には仕方ないが内向きとしてヴァルゴを妻とするのはやはり無理だと言われてしまう。
エリースとは姉妹なのだから少しは似ているだろうにどうしても彼女でなければダメらしい。
(まああんな男とどうこうなるのはこっちもヤダだからいいけど。最初から終わってる結婚生活じゃない)
そんなこんなで結婚準備に入っていたヴァルゴはこの日も義母となるムスカの母と関係各所の官僚たちと結婚式について自身の宮の応接室で詰めていた。
このところ実の母である王妃は体調が優れず、ベッドの住人となっていた。まあ元気であっても丸投げであったろうとヴァルゴは思うが。
「流石にヴァル様は王族ですものね、パレードの規模が――」
「お義母様、そう仰られますけどそこまで派手にしなくても――」
「警備の観点からですね――」
「そのルートでは難しいのでは」
ああでもないこうでもないと話していた時、リブラが全力で駆けてきたのだろう息を切らして入室し、ヴァルゴが眉根を寄せ注意しようとしたその時。
「ヴァルゴ殿下! ――まずは王位継承、おめでとうございます」
リブラが片膝を付き頭を下げると、腹の底から声を出した。後に続いてきた騎士たちも、その場にいた官僚たちも慌てて椅子から立ち上がってその場に膝を付き順々に頭を下げていく。
「……え?」
ヴァルゴの目の前で頭を下げていく騎士たちは、王専属のキグナス騎士団の面々。
まだ理解の及ばないヴァルゴの隣で真っ青になったハイドラ夫人がぶるぶると震えながら立ち上がった。
「ど、どういうことです……ヴァルさ、いえ、殿下が王位とは……エリース殿下がまさか」
「エリース殿下は先ほど身罷られました。ムスカ・ハイドラと共に」
「……なっ」
か細い声で小さく悲鳴のような一言を発した夫人は、そのまま頽折れるように椅子に倒れ込み、顔を上げたリブラはヴァルゴににっこりと微笑んでいた。
「我が国の王女であるエリース・ゾディアークはムスカ・ハイドラの手によって弑し奉られました。ハイドラ家に反逆の意志ありと見なし、卿は既に尋問に。夫人からも話を伺いたく」
キグナス騎士団長が立ち上がって、足に力の入らないであろう夫人を丁寧に引き起こした。
「……ヴァルさま……ああ、殿下……息子が、ムスカは」
縋るような瞳は絶望に彩られていて、ヴァルゴは胸の痛みに唇を噛むと、騎士団長に向かって口を開いた。
「――夫人を丁重に扱うように。決して力や言葉で脅さぬよう」
「心得まして」
騎士団と官僚たちが退室していった後、リブラと二人きりとなったヴァルゴは放心したようにすとんと椅子に座って、感情なくリブラを見た。
このところ酷く疲れていた彼の顔はイキイキとして生気が漲っている。
「ムスカが愚かにもエリース殿下と心中を図ったようで」
「心中?」
「ご丁寧に魂まで縛るという呪いの魔導具を使用した可能性があります。巻き込まれ事故を防ぐためにも現場には行かせませんよ」
「……今さら、心中?」
ムスカがそれをするなら婚約が決まった三年前に実行する方が自然だと考えた。
まあでも激昂して女に手を上げるような男ではあるので、やらかした事実には「ああ、やっぱり」という気持ちもあることにはあるが――。
そんなヴァルゴとは反対に、晴れ晴れとした顔でリブラは言葉を紡ぐ。
「ゾディアークの王室規範に則り、王位継承の言祝ぎから先になりましたことをお詫び申し上げます。エリース殿下のご冥福を祈りましょう!」
冥福を祈るというよりは快哉を叫ぶような様子に、悪い噂しかない王女の下で仕え続けたリブラもストレスが溜まっていたのかな、と遠い目になる。
「……お父様とお母様――両陛下は」
「両陛下にはまだお知らせしておりません。お二人とも呪いの魔導具を使われた痕跡があり、離宮にて速やかに治療と静養に入って頂きます」
魔導具と言わなかったか、とヴァルゴは耳を疑った。
エリースとムスカは呪いの魔導具を使用した形跡があって、両親にも呪いの魔導具が。
「戴冠式はまだ少し先ですが、女王即位ですね、ヴァル様」
「即位……でも、お父様に話を」
「それは無理です。侍女頭含め数人の侍女や使用人は無事でしたが、陛下方の宮とそこで勤めていた者たちには痕跡と残滓が認められましたので、立ち入り禁止及び呪い解除の専門家を呼ぶことになります。こちらヴァル様に万が一がないようにという配慮のため、報告が秘匿されていたこともお許し下さいね」
「ねえ、呪いって……」
いつから、誰がそんな魔導具を王宮に持ち込んだのか、ヴァルゴの声が震える。
そこに割って入って来た人物がいた。
「両陛下共に意識が混濁している」
「スコルピオ、さま」
応接室の扉は開け放たれていて、いつの間にかそこにスコルピオが立っていた。
「入室しても?」
「……え、あ、もちろん? え? 今さら?」
王女宮にしれっと入り込んでいるのに入室は許可を求めるスコルピオに面食らっているのを、リブラがくすくすと笑って立ち上がるとやや後方に下がって控えた。これではまるでヴァルゴではなくスコルピオが彼の主人のようだった。
「長年に渡り、精神干渉系の魔導具が使用されていた。殿下から見ておかしいと思われたことは?」
「ある、ような」
「殿下はそれが当たり前になりすぎて、慣れて麻痺している。殿下を取り巻く状況がおかしくないはずがないでしょう」
仏頂面で淡々と言い重ねられ、ヴァルゴは首を傾げた。
「あれ? もしかして今私怒られてます?」
「いいえ。殿下に怒ってはいません。どちらかと言えば自分自身に怒りを覚えていますね」
「えっとそれは――」
「あんな女に良い様にされそうになっていたのかと思うと反吐が出そうです」
「あんな、女」
「ヴァル様、エリース殿下のことですよー」
リブラが小声というにははっきりと横から口を出してスコルピオに睨まれた。
「あのおん……エリース殿下が禁止されている魔導具を王宮に持ち込み呪いを蔓延させた張本人だ。そういう意味ではムスカ・ハイドラも被害者と言えよう」
「――チッ」
「え、リブラ今舌打ちしたわよね」
「してません」
「話を続ける。エリース殿下は十二歳の時、婚約を打診するも断られたのを妹のせいだと逆恨みした」
「はあ!? ちょっと待って、スコルピオ様、断ったんですか?」
「受けたことは一度もない」
「えっ、でもお姉様の婚約者はスコルピオ様で内定しているって」
「それを誰から聞いた? 私からじゃないだろう? エリース殿下かその周辺からだろう」
「あっ」
確かにその通りだった。
侍女の入れ替りが激しかった頃、彼女たちの話でそう聞いて、エリースからも直接そう言われた。
「エリース殿下からは初めて会った時から何度も婚約の打診をされ続けていてうんざりしていた。私にも魔導具を使用していたようだが、我が家では呪いを無効にする魔導具を肌身離さず身に付けるよう指示されているので意味はない。その理由はご存知ですか殿下」
「あ、ええと、サーペント家は元々魔獣を狩る一族で、ゾディアークには洗脳してくる魔獣や人型を取る知能の高い魔物が多くて――」
「そうです。我々が王のみを守るキグナスと違うのは国を守護する役目の家だからですよ。現在魔物や魔獣は人を恐れて不用意に降りては来なくなりましたが、まだ四方を囲む山の頂近くには知能の高いものが生息しています。どんなに平和でも万が一が起きてからではいけないから、私たちは備える。分かりますね?」
けれど、とスコルピオは表情を曇らせる。
「結局のところ、その備えは無効にするだけで、受けている自覚がない。言い訳になりますが、そのせいで事態を収めるのがここまで遅くなってしまい、被害範囲もそこそこある。まさか王族、しかも次期女王の呼び声高いエリース殿下が、という思い込みをしてしまった我々の責任です」
「エリース殿下の子供じみた嫉妬と僻みからなんですよ。あとヴァル様は意外と人から愛されてるってことを理解した方がいいです」
「意外とって……」
「トーラス・ゾディアークを覚えていますか?」
スコルピオが苦笑しながら言う。
「顔は写真でしか見ていないけど、私のお兄様ですよね……家出した」
「今の書類上の名はトーラス・ホロロジウム。ホロロジウム家のお飾りの長男です」
「ホロロジウムって……リブラの」
ヴァルゴがリブラを見れば、こくりと頷く。
「そう。義理の兄に、王子サマが」
家を捨てた兄トーラスはそのままでは平民で、本人はそれでも良かったのだが周囲はそうはいかなかった。例え絶縁したとしても、紛うことなきゾディアーク王家の血を濃く引いている。
何かあってからでは遅いので、ホロロジウム家に養子に入ったことにしてしっかり後ろ楯を付けて送り出した。
スコルピオが息を大きく吐いた。
「トーラスは――呼び捨てで申し訳ないが、彼はホロロジウム家の者として実は何度も里帰りしている。ここ数年は多忙だったようで行方不明のようになっていたのだが。どうやって知ったか三年前の殿下の婚約披露パーティーにも参加している」
「しれっとね」
「嘘でしょ、全然分かんなかった……!」
ヴァルゴが目を見開いていると、
「そこであの魔導具狂いは例の呪いの魔導具を見つけた。その呪いの本来の矛先が殿下、貴女に向かっていることも突き止めた。そしてこの三年、解呪のために奔走していた……らしい」
「らしい?」
「本人は出てこないまま、魔導具と――いや、とにかくトーラスからは『それまで妹たちを頼む、守ってくれ』と言われていた。エリース殿下もその範疇のはずなのだが、あまりにもアレすぎて」
「アレ」
「ヤベー女ってことですねー」
またリブラが横から口を出す。
「とにかく、トーラスは家を一方的に捨てたことは後悔していないが、殿下に全て任せることに対してはそれなりの罪悪感を持っている……はず」
「スコルピオ様、今ちっちゃく『はず』って言いましたよね?」
「義兄様はヴァル様と一緒にこそ暮らしてませんけど、家族としてきちんと見て下さってたんですよ。家族を愛してるからこそ心配してたんですから。結果こうなっちゃいましたけど」
「結果……」
姉であるエリースの死。
現場も、遺体も見ることは叶わない。専門家の手によって荼毘に付されるのだろう。
そのせいか姉の死に全く実感はない。ひどく自身が冷酷なように思えるが、悲しみも湧いてこない。
今感じるのは驚きだけ。
いつからか両親に顧みられなくなったのは魔導具のせいだったのかもしれない。
自分のどこに嫉妬したのかは分からない。八つ当たりだったのかもしれない。
だからと言って呪いを両親にもかけ、周囲を巻き込んだのは許せない。
だが、当の本人は死んでしまった。
やるせない気持ちとは別のところに、光が見えた。
今どんな顔かも分からず触れあった記憶もないものの、家族を捨てたはずのトーラスが一番ヴァルゴのことを考え、実はしっかり家族であったこと。
トーラスの言葉を受け自身を守ろうとしてくれていたというスコルピオ。側で支えてくれるリブラの忠誠。
他にも親身になってくれる臣下や侍女頭たちだっている。
(ほんとだ、意外と愛されてた……。寂しい子供の感傷はもう終わりにしないといけない……)
「――すべきことをするわ」
そう宣言して目を閉じれば、これから圧し掛かる重すぎる責任と役割と公務に腰が引けそうになる。それをぐっと堪え、覚悟を決めて目を開けた。
「――それで? これから私はどう動けばいいのかしら。まずはエリース殿下の葬儀の手配から? それとも王の退位を? それとも私の即位について? あなた達はどういう算段のつもりなのか、きちんと教えて」