蛇足 わたくしは何ひとつ諦められない
蛇足最終話です。
優しい両親、歳の離れた優しい兄。
遊び友達は皆わたくしの思う通りに動いてくれて、意に沿わぬことはしない。
侍女が傅き、お洒落を楽しみ、少しのお勉強を頑張れば後は自由な時間だった。
お母様のお腹が大きくなって、そこにわたくしの弟か妹が入っているのだと教えられた。
その時、人はこうして産まれてくるのだと初めて知った。
わたくしも例外ではなかったと知り、恐ろしくて堪らなかったことを覚えている。
どうやってわたくしがお母様のお腹に入り込んだと言うのだろう。
わたくしはわたくしのまま生まれてきたはずなのに。
それに弟妹なんて不必要でしかない。
お兄様はお兄様だからこそ、歳が下の妹であるわたくしを優先して優しくして下っているのに、下が増えたらその優しさは減ってしまうの。
それにわたくしが今度は分け与えなければならないなんて嫌だった。
そう思っていたけれど、残念ながらお母様が産気付かれて、医者が寝室に呼ばれたと聞いてとっても残念だった。お腹の中身がはじけて消えてしまえば良かったのにって。
そうしたら、夜中にわたくしの住む王女宮が騒がしくなったの。わたくしが眠っているのにもかかわらずよ! 酷いと思わなくて?
眠い目を擦って人を呼んで聞けば、無事妹が生まれたということだった。
『無事、白獅子がお生まれです。妹君ですよ、殿下』
そう聞かされても意味が全く分からなかった。
わたくしの妹? 妹は獅子なの? 人ではないの?
すごく疑問だった。
でもその疑問はわりとあっさりと解決したのよね。
翌日から王女宮の、わたくしの住んでいる反対側の棟の手直しや壁紙の張り替えや家具が持ち込まれるようになってすごくうんざりした。
しかも何だか妙に数が多くて、わたくしのものより数段良いものな気がしたから、その日、マナーのお勉強の時間に教師に聞いた。
『お生まれになったのは白獅子様ですので、次期王位をお継ぎになられる方でございます。遥か昔、ゾディアークの王族がこの地に追いやられた時、山神の化身であられる白獅子様に救われ、祝福を与えられたお話は――ああ、そちらのお話はまだでございましたか』
ゾディアークの歴史については別の日の別の教師が担当で、わたくしはそんなおとぎ話にちっとも興味がわかなくて、聞いた記憶はあったけれど聞き流していた。
まさかそんなおとぎ話を真に受けて王を決めていたなんて馬鹿馬鹿しい。
今はそう思っているけれど、その頃はまだ五歳ですもの、すごく驚いた。
だってわたくしだってお兄様だってお父様とお母様の子供なのに、獅子だから違うなんておかしいと思って。
でも、しばらくして妹の顔を家族で見る会があって、その時初めて妹を見たけれど全然獅子ではなくて普通に人の子だった。
そこでお父様はすごく喜んでいらしたけど、お母様の顔色は悪くって、心配して見せたのを覚えている。
それを伝えるとお母様はほっとしたように微笑んでくれた。
白獅子を産んだことが怖かったのだそう。
それからわたくしは、どうやってわたくしの前から、その存在を消し去ることが出来るのかしらって考えてばかりいた。
同じ王女宮にいるけれど、住む棟が左右で違っていたし、あちらは護衛の数も多くて近付けやしなかった。
数年経って、優しいお兄様が妹が産まれたことで王位継承権を捨てて市井に下ると仰って、出奔されたと聞いて、気が遠くなったわ。
可愛がってくれていたはずのわたくしに置き手紙のひとつなかった。
これまで楽しかった毎日が変わってしまった。
それでも、もしかしたら妹より優秀であれば考え直してもらえるかもと思ってお勉強をとても頑張っていた。
だって妹は白獅子と呼ばれてはいるけれど、わたくしだって同じ白雪の髪にゾディアークの空色の瞳を持っているのだから。
王家の歴史を学んでいて、王家と高貴二家に伝わる宝についても知る機会があった。
鳥女の鈴・妖精のハープ・囚人の首枷と呼ばれるそれらは呪われし魔導具としてそれぞれの家で厳重に管理されていると。
ただ、歴史的価値のある鳥女の鈴のレプリカが王宮のギャラリーに飾られているというので、何となく興味を惹かれて見に行った。
この頃のわたくしは絵画だとか美術品にはあまりそそられることがなかったから、それに何かしらの運命を感じていたのかもしれない。
初めて見たそれは、鈴というよりは人が二人ほどで抱えねばならない鐘のような大きさだった。ただ、レプリカなのにすごく綺麗な緑の石を使っているのが気になる。
『鳥女は巨体ですから、その魔導石なり素材なりを多く使うので、その大きさになるようです。レプリカとはいえ、石自体は本物の宝石ですよ』
(素材……ああ死体のことね。それにこんな大きな宝石があるのね、美しいわ)
そんな風に思いながら、ぐるりと鈴を一周すればきらきらとした緑色の小さな光がケースの下に落ちているのが目に入った。
管理者も子供で王女のわたくしが何かするとは思っていなかったからか、こちらを全く見ていない。
別に鳥女の鈴に触れたわけではない。
ただ、近くに落ちていた宝石の欠片を拾っただけ。
だけど、どうせこの鈴は王家のもの。ならばいずれ王位を継ぐわたくしのものでもあるわけでしょう?
その欠片を宝石に詳しい侍女に頼んで磨かせ、お気に入りの扇に結び付けた。
まるで鈴のような綺麗な音のするそれは美しくて、わたくしの宝物になった。
呪われた魔導具のレプリカの欠片を手に入れたわけではない。わたくしは幸運の鈴を手に入れただけ。
だからレプリカは宝物庫に片付けさせた。
だってもしあの石と同じものだと思われたら、わたくしがあまり良くない風に思われるかもしれないのだもの。そんなのはとても嫌だわ。
あの鈴を手に入れてから、これまで白獅子がどうのこうの煩かった周囲はあまりに出来の悪い妹に興味を失ったようで、王位を継ぐと決まったわたくしのご機嫌伺いをまたするようになったから、彼らを許してあげることにした。
やっぱり幸運の鈴だわ。願って鳴らせば叶う。
妹なんて本当にいらない子になったのに、いつまでも宮に居座るなんておかしいわ。そう思ってお父様たちにお話したけれど、何かを我慢するような苦しい顔で、わたくしの妹なのだからとそれだけは許してくださらなかった。
もう追い出せないのは仕方がないから、遊んであげることにしたの。
でも、あの子はいらない子。だからどうしようとわたくしの勝手。
そうして妹で遊んでいたある日、わたくしはわたくしの運命に出会ってしまった。
漆黒の髪に黒翡翠の瞳。
きりりとした眉、ひき結ばれた薄い唇、すうと通った形良い鼻。
わたくしとさほど歳の頃が変わらない少年は、サーペント家のスコルピオ。
わたくしは一目で気に入って、お父様にお話を聞きに行ったのだけれど、サーペントとは良い関係性ではないようだった。
じゃあ、わたくしの夫になれば良い。
だって関係が良くないなら、政略結婚してしまえばいいでしょう? 縁が繋がるのだし、王配になれるのだから。
そうお父様に言えば『確かにその手があった』とか何とか仰っていたもの。やっぱり良い手なのよ。
わたくしがこの時お父様に言わなかったのは、サーペントは王家が嫌でも婚約すれば自分たちがそこに食い込めるのだし、スコルピオのこれからのやる気と手腕次第ではわたくしはお飾りの女王でも構わないということ。
スコルピオの隣で美しく着飾って微笑って楽しく暮らしていらればいいのだから。
だけどサーペントはあっさり断ってきた。
何度こちらからお願いしても、全く取り合わなくて失礼にも程があると思っていた。
それにもう一人。
ホロロジウム家のリブラ。
アレも気に食わない。
きらきらした金の髪はわたくしの月光のような白銀の髪と並べばきっと対のようにぴったりなはず。
見た目も愛らしく、妹よりわたくしの側にいさせてあげる、と声を掛ければ飄々とした態度で逃げてしまうのだから。
わたくしより小さな癖にどこか胡散臭い態度がなんだか大人びて見えたのも気に食わない。
何でも思い通りになるのに、本当に欲しいこの二人に関わることだけは全く上手く行かなかった。
その鬱憤はオモチャで晴らしていたの。
* * * * *
「――あら。お前が聞いてきたから話してあげているのにつまらなさそうな顔ね」
高いところに腰掛けて、子供のように足をぷらぷらさせながら、エリースは目の前の靄がかった影のような男に向かって目を眇めてみせた。
『アンタのせいで俺の最愛のカリーナが逃げてしまったんだ。退屈しのぎになるかと思ったが、全く実のないくだらない話ばかりだな』
「ああ、あの泣いてばかりいた娘ね。あんなのの何が良いのかしらね?」
『あの泣き顔こそ堪らない』
「良いご趣味ですこと」
エリースは溜息を吐く。
この場所に来てから随分経つが、最初は目の前にいる靄がかった影のようなものがあちらこちらに蠢いていたのに、今はずいぶんと数を減らしていた。
この影が執着していた娘は、ある時はっきりした人の姿になると呼ばれたように上に向かってふわりと飛んでいった。
他にも人の姿に戻ったものは多くいたのに、こんな場所に来ることになった元凶のムスカとエリースはここに縛り付けられたままだ。
実のところ、エリースとムスカはもう影になっているのだが、不思議なことにそうなっても誰であるかは分かってしまう。
この世界は光のない真っ暗闇。
エリースは高いところにいると思っているが、彼女がただそう思いこんでいるだけでここは何もないだだっ広い空間でしかない。
ムスカはエリースをこんな場所に連れてきた癖に、今はずっと落ち込んでいるようで話しかけても返事すらしないから放っている。
(後悔するのは勝手だけれど、わたくしを巻き込まないでほしかったわ!)
エリースはスコルピオとの仲が進展しないことに焦れていた。
ちょろちょろとサジテリアス家のライラやどこぞの未亡人などが彼の隣に立つことが幾度かあったけれど、あんなものは将来エリースと夫婦になるための閨練習のようなものだと大目に見てあげていた。
言い寄ってくるムスカは便利で使い勝手は良かったけれど、タイプでないから本当に鬱陶しくて。父に頼んでこれまでと同じく妹の婚約者に宛がった。
面白いことにムスカは妹との婚約に激昂して――まあそうなると分かっていたが――妹をかなり痛め付けてくれた。これには胸がスッとしたので後で褒めてやろうと思った。
(それなのに、何だか大人しくなってしまって)
エリースは彼のことを決して好きなわけではなかったし、気持ちを返すつもりも全くなかったが、自分への愛を惜しみ無く捧げる姿を気に入っていたので、妹に心惹かれていく様子は面白くなかった。
――あの日、ムスカは両親と共に結婚の準備で王宮に来ていた。彼の父親は国王の態度が気に入らなくて苦言を呈しに、母親は式の準備を話し合うため妹の宮へ。
ムスカはこっそりエリースに会いに来ていた。
侍女もいるので二人きりでは当然なかったが、ムスカも侍女たちの視線や存在などこれまで気にしたことはない。
だからいつものように愛を告げるムスカが結婚してもエリースへの愛を貫くと言ったから。
「ならば初夜でヴァルを抱きながら、わたくしの名前を呼ぶことを許すわ。あれはお前に泣いて縋るかしらね? それともがっかりするのかしらね。楽しみだわ」
女神のようと讃えられる微笑みを浮かべてそう言えば、ムスカは笑いながら涙を流した。
(隠し持っていたあの悍ましい鎌のようなものを、わたくしに向かって振りかぶって――)
あの時は流石のエリースでも恐ろしかった。
思い出すと気分が悪くなってふるふると頭を振った。
影が嗤う。
『アンタはもっと面白い話が出来るはずだ。時間も永遠にある。俺からカリーナを取り上げたんだ、責任取って退屈から解放してくれ』
「なぜわたくしがお前の言うことを聞かねばならないのよ。大体、そのカリーナとかいう娘がいなくなったのはわたくしのせいではないわ」
『――いいや。アンタたちのせいだね』
影が纏う靄がさらに増えたように見える。
こんなに真っ暗なのに、個人を識別できるのも状況が何となく分かる理由も考えつかないが、エリースは男が怒っているのだということは分かった。
『アンタたちが来るまで、ここはカリーナと俺だけの理想郷だった。誰にも邪魔されず、永遠にカリーナは俺だけのカリーナだったのに』
「……他にもたくさん影はいたじゃないの」
うんざりとエリースが言い放てば、影はくつくつ嗤う。
『あいつらは何も出来ない語れない、鈴で壊された魂だったからな、静かなもんだったよ』
「鈴……」
影は癇に触る嗤いを止めない。
『さあ、アンタの知る面白い呪物の話をしてくれよ。俺を退屈させてくれるなよ? ここでは生まれも立場も関係ない。強いものが上だ。分かりやすくていいだろ?』
「呪物って、わたくしの鈴はレプリカよ? ニセモノなのよ?」
『アンタが使っていたのは確かに本物の鈴さ。だからアイツはその呪縛から解き放たれて、心を病んだんだろうさ。アンタがここに来たのは自業自得だ。誰も助けちゃくれないんだ』
エリースの頭の中にぐわんぐわんと男の声が響く。
とてもひどく嫌なことを言われているのだと、それだけ理解する。
『なあ、アンタはまだここから出られると思ってるのか? ここにいる奴らは俺も含めてみーんなマトモじゃない奴らだけだ。ここは絶対に出られない魂の監獄だ! 俺は意識が奴らと違ってハッキリしてるからな。肉体的には無理でも精神的な苦痛を与えることは出来るんだぜ? アンタだってちょっと突けばこんなに簡単にユラユラして怯えてやがる――だから』
――だから俺を退屈させるなよ?
ここに来て、エリースは生まれて初めて絶望という感情を知ることになる。
妹が生まれたあの日、わたくしは気付いていなかったけれど、初めて何もかも諦めなくてはいけなくなった。
でもなぜわたくしが諦めないといけないの――。
※前回の予告通り、次回補足などで1頁更新しまして完結表示とします。
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