蛇足 マレフィックの天秤 結末
数日後、ホロロジウム邸の執務室では仮面を着けたリブラと彼の息子、そしてライラが客として座っていた。
客前だというのに、足と腕を組んで椅子にふんぞり返って不遜な振る舞いをする息子に呆れた声を投げる。
「久々に会った父親と客人に対してそれか。……教育を父上に任せるべきではなかったね」
「――ハッ! 父親だと? 母を狂わせ幼い私をじい様に押し付けておいてよく言える」
リブラの言葉を鼻で嗤う。
彼の言葉は真実で、リブラは妻が亡くなってから彼とこれまで会話らしい会話もしていない。
彼の責めるような視線から逃れたかった。父親が化け物だと知られたくなかったという弱さのせいで、リブラの父が望んだ子供ではなかったと虐げる可能性があると分かっていたのに任せてしまった。
我が子を歪ませてしまったのは全てリブラの責任だ。
しかもこれからしようとすることは、彼の幸せを願ってという理由もあるがそれでも身勝手なことだ。
「それで? この子供は何だ? 今度は家のためにこんな子供が私と結婚か? じい様の言う『完璧な子供』をこの子供と作れと?」
ライラはそれまでうっすら微笑んで彼を黙って見ていたがここで、まあ、と声を上げた。
二人の視線を集めて、少女らしい軽やかな笑い声を立てながら、持参した革袋からハープを取り出しながら口を開いた。
「ご挨拶が遅れまして、わたくしサジテリアス家のライラですわ。ご存知でしょうが、先日正式に当主となりましたの。ですから貴方のようなよいお歳でお行儀の悪い方とは……とっても残念ですけれどご縁がございませんの」
「……な!」
「彼女は格上の客人だ。いい加減態度を改めなさい」
ギリッと歯軋りをしてリブラを睨み付け、ライラの包み隠さない言葉に顔を真っ赤にする。
「貴方、きちんとお父様とお話なさらなくて良いの? もしかしたらこれが最後の機会かもしれないのに」
「フン。ライラがリラとは洒落の利くことで。楽器遊びしか出来ないような子供の癖に余計なお世話だ!」
「……ふふ。口だけ達者で失礼なホロロジウムのお坊っちゃま。折角だからわたしの演奏を聞いて頂ける?」
リブラはその一言で立ち上がると、息子の肩に手を置こうとして――やめてこの場を離れた。
「――オイ! どこに行く気だ! 私から逃げるのか!?」
それに答えず、執務室の外に出ると扉を閉め、もたれるようにして扉を押さえる。
息子による罵声はすぐに聞こえなくなった。
ライラが中でハープを弾いている。だが弦楽器特有のの美しい音色は聞こえない。
代わりに虫――蜂の羽音のような、何か飛び交う音がうっすら聞こえる気がした。
リブラは胃からせり上がってくる苦いものを飲み込み、レオンたちと取り決めた内容を必死に頭の中で反芻する。
これから先、ホロロジウムを除く四家で兆候のある者に自分たちの名を継がせる。
王家はレオン、サーペント家はドラク、サジテリアス家はライラ、ハイドラ家は縁起が悪いことが続いたためコーマという名を新たに定め渡した。
そしてホロロジウム家。
リブラが生きている限り、新たに不死の力を持つものは現れない。だからこそ、リブラはこの国の行く末を見守り、次代以降が間違いを犯さぬよう王に仕える役目を受け持つことになった。
ライラによって記憶を全て替えた後、リブラの息子は遠縁の家の息子になっている。あちらの関係者にもそういう記憶を植え付けた。
処置が終われば丸一日眠りについて、目覚めればリブラとはもう関係なくなる。
きっとここにいるより幸せに暮らせるはず、とリブラは自分に都合の良い願望を押し付けていると分かっていたが、今さら親子の距離を縮めることは出来ないし、家を継がせるわけにもいかない。
息子が終われば次はこの家の使用人全てだ。
リブラの父はこの前の粛清でもうこの世にいない。
リブラの妻は亡くなり、子供も祖父の病を貰って亡くした。これで建前上直系と言えるのはリブラただ一人。
リブラの父の正妻は粛清前に離縁させ生家に戻した。彼らの娘たちは結婚して家を出ているが、リブラが継ぐ前にこちらとは縁を切っている。
次は、その次は――。
そうやって考えていなければ、幼い頃の息子の顔が思い浮かんでしまう。
穏やかで優しい時間もあった。
それを自分の手で壊してしまった後悔はある。
いつの間にか屈んで逡巡していたらしく、背後から背中を叩かれる。振り返ればライラが眉を下げて微笑んでいた。
「……終わりました。使用人の皆様はひとつところにいらっしゃいますか?」
「ああ、この後皆に話があると言ってあるから、さっき案内した大廊下に集まってると思うよ……人数は君の家より少ないから負担は少ないかな」
「ご心配なく。鈴と違って、ハープは私に厄を返したりしませんわ。それより、あの方に何か掛けてあげて下さいませ。冷えてしまってはいけませんもの」
「……うん、わかった」
「それと、扉は閉めておいて下さいね。万が一妖精が飛び込んで来たら、おじ様にも悪さをするかもしれないんですから」
では行ってきます、と言ってライラはホールへと向かった。
「すごく年下なのに、まるでお姉さんだな」
リブラは微笑って、執務室に戻ると扉を閉めた。
* * * * *
自分たちがしてきたことは行き当たりばったりの穴だらけなやり方だと言われてしまえばそれまでだが、付け焼き刃の結果としてはまずまずだったとリブラは思う。
『ゾディアークは魔物の軍勢を使役する』という噂のおかげでレオン王の統治下で戦はその後起きなかった。
そのレオンは最期の日が来るまでに、五家だけでなく全ての家の歴史書を確認し必要があれば改竄する作業をやり遂げた。
もちろんリブラたちも手伝っている。
使い手は選ぶが使用した側された側に後遺症のない『妖精のハープ』と違い、同じく使い手を選ぶが魂が囚われる『鎖鎌』と使い手は選ばないが使われた側は人として生きられなくなる『鳥女の鈴』は非常に危険だ。
王家の宝物庫に置いておくことも当初は考えていたが、後世でゾディアークが攻め込まれた時にまとめて欲深い者の手に渡るのを憂慮する。
一番良いのは破壊だが、それが出来ていたなら話が早いがそう簡単ではない。
強い呪いは彼らの血のみならず、呪物に取り憑いているため壊すことなど出来なかった。
呪物であるのは間違いない事実ではあるので、各家におどろおどろしい逸話を残し、紛失した場合の責任を持たせ、そこから外に出すことのないようにするしかなかった。
五家の内、ハイドラにも名を継いでいくことを課したが、その後ハイドラの鎖鎌を使用出来る者は生まれなかった。
そして、リブラは。
ある程度仮面や白髪のカツラなどで誤魔化してはいたが、どうしても声や身体は難しい。
だからライラのハープを周囲に聞かせ、リブラは遠縁から養子を迎えたことにし(養子は自身)、その後自らを死亡させリブラの名を継ぐ。
ハープの力が及んでない者でも長く仮面で過ごしてきたリブラの養子だと言えばすんなり納得した。
こうしてリブラは見送る側になった。
ドラクがいなくなり、レオンもいなくなった。カリーナもピクシスもとうにいない。
彼らと共に過ごした王子宮でぼんやりしていると、ライラが現れた。彼女ももうすっかり白髪になって、身体はひどく痩せて杖を支えに歩いていた。
「調子はどう?」
「正直いいとは言えないかしら。ドラクのおうちのことは聞いた?」
「……うん。この前産まれた子がそうだったって」
「もうすぐ次のレオンが産まれるわ」
「分かる?」
「もちろん。――ねえ。私、若い頃は何て伝えて良いか分からなかったから言えなかったけれど、皆呪いは幾つか持っていたでしょう?」
「うっわあー! 今言う? 嫌な予感しかない……」
「あなた半生半腐の獅子の半分、金獅子って呼ばれてたことあったわね」
金獅子、と言われて微妙な顔をするリブラを見てライラはくすくす笑う。
この四十年の間に、リブラをもうおじ様とは呼べないわねと言われて、いつの間にか対等な付き合いになっていた。
「あの医者のことすごく嫌っていたものね」
「思い出したくない……忘れてたのに」
「ふふ、ごめんなさいね。ねえ、金獅子、白獅子って元々ひとつのいきものなの。だからそれが二つになることがおかしいことなのよ」
「……僕とレオンは一心同体ってこと?」
「そう、そういうこと。だからあなたは生きている間、自身の半身――魂の半分をずっと求め続けていく。レオンもそう。だけど、それは男女の愛より家族の愛より欲しくなる欲求が強いわ。だって元々自分自身なのだから、どうしたって切り離せないの」
「……ああ、それで」
リブラはレオンがこの世からいなくなってすぐ、それこそ彼の崩御の報せが来るより早くそれを感じ取っていた。
今も埋まらないぽっかりとした穴は、親しい人が亡くなった時よりずっと深く、心と身体に物理的な痛みを与え続けている。
「私は見せてもらえなかったけど、レオンは私たち『合の子』が生まれる過程の全てを焼いちゃったのよね」
リブラたちは自分たちが造られた過程も証拠も全て消した。
人ならばその命をもって。書物や紙は焼き捨てて。不都合なものは国の歴史ごと書き加え、広範囲ならライラのハープでねじ曲げた。
ハープは彼女が奏でれば、悪意をもった悪戯好きの妖精たちが都度何百何千何万と飛び回る。彼らは人の記憶を変えるのも喜んでやってのける。そのために幻だって見せる。
だがライラにしか扱えない。彼女が「ここまで来るともう呪われてるというよりあいつらに好かれてるわよね」と笑って言ったのはいつだったか。
「だからそもそも聞けなかったし、私には分からない。ただ、あなたたちを産んだ母親たちが魔物の核となる石を砕いて分けられたのをそれぞれ埋め込まれたのか、そのうちの誰かの父親が獅子だったのか……とにかくあなたたちは二人でひとつ。わざわざ分かれて産まれてきたのよ」
「嫌がらせのために、かなあ。永遠に求めあうけど決してひとつに戻れない。片方は絶対死なないし元のひとつの身体にもなれない」
「首を落としても生きてると思うわ」
「流石に首なしは怖いよ」
「どちらかと言えば首だけの状態じゃない?」
「仮にそうなったとして何故そんな状態で生きていられるんだよ……」
リブラが絶望的な表情を浮かべ、しゃがんで顔を手で覆った。
「もうすぐあなたの半分に会えるわよ。仲良くしてあげなさいね?」
「――でも、もうあのレオンじゃない」
「そうね。この前産まれたドラクもドラクおじ様とは違う。次に生まれるライラも私じゃないのよ、リブラ」
「心折れそう」
しゃがんで項垂れたままのリブラをライラが屈んでそっと抱き締めた。
「……おじ様。私ね、おじ様たちが大好きよ。おじ様たちだけが家族だった。忘れないで。レオンおじ様のためにも私たち家族のためにも。いつか――いつか呪いを解いてくれる人が現れるかもしれないし、呪いが薄まる可能性もある。残酷なことを言うようだけど――だから諦めないでね」
ライラはリブラの返事を待たずに、そっと立ち上がるとその場を振り返らずに去っていった。
ライラが亡くなったのはこの日から一ヶ月後。
新しい王子が産まれ国を挙げてのお祝いムードの中、ひっそりと息を引き取った。
新しい王子に顕れた、これまでなら恐ろしい魔物の兆候だったものはレオンによって書き換えられたことで、正しい後継者の印として喜ばしいものとされた。
* * * * *
あれから何人のレオンを見送り、置いて行かれたのだろう。
長い年月の中でリブラは燃えるような恋心を知り、愛し合うこともあったが、彼女たちも子供たちも自分だけを永久の時の中に置き去りにする。
穏やかな時間もあれば、激しく荒々しい時期もあり、ゾディアークの魔物の軍勢の話は言い伝えだと攻め込まれることも定期的にあった。
都度ライラのハープに助けられてきた。
初代ライラは心配性らしく、代々のライラに夢でリブラを助けるように語って聞かせるらしい。
そうでなくとも桁外れな悪戯好きの妖精たちがお節介で呪いについて話して聞かせるらしいが、彼女たちの誰一人リブラのことを非難することはなかった。
そして年月が経てば、各家の書き換えられた歴史に対しての認識も違ってくる。
そんな中、サーペントでは大きな事件が起きた。
鳥女が乳児のドラクを拐って、巣に連れ去り乳を飲ませていた。これは鳥女からすれば我が子を取り戻したつもりだったのだろうが、当のドラクは衰弱して死んでしまった(ドラクの名はこの悲痛な件を慮りこれ以降付けられない)。
当主は、その怒りから歴史書に手を加えた。子供には鳥女を使役する力があるという記述を消し去り、鳥女を討伐しつつ魅了を封じる道具を作り出そうとしていた(後々精神干渉を跳ね返す魔導具が完成する)。
こうしてサーペントは鳥女との繋がりを一方的に切り、王家は頼りにならないと不服を申し立て、当時の王の不興を買って王家との間に溝を作った。
一方ハイドラでは、兆候のある子は産まれない。コーマの名は一度も使われることなく廃れてしまった。
鎖鎌もこれまで流した逸話のせいなのか、気付けば『囚人の首枷』などと呼ばれていた。
だが、それをリブラは良しとしていた。
昔のライラが言った通り、呪いが薄まっていく気がしたのだ。サーペントと王家のいがみ合いも契約には反しない程度のものだったのだろうし、ハイドラの状況も彼の長い生の中で一筋の光明だった。
そして時代は大きな波を幾つも越えて、呪物は魔導具と呼ばれるようになり、気付けば生活必需品になっていた。
やや取り残され気味なゾディアークにも他国文化の影響から魔導具の情報が入るようになる。
いつか、ライラの力を借りなくても自身の見た目を変えることが出来るようになるのではと思っていたが、中々実現は難しいらしい。
「そんなのあったら、わるいひとがいっぱいになっちゃう」
見た目を変える魔導具があればいいのにと零すリブラに笑って言ったのは、自身の半身でもある小さなレオンだった。
過去もちろんレオンが女として産まれてくることは数度かあったが、ここまで狂おしいほどに愛しいと感じたことはこれまでに出会ったどの女性にも、どのレオンにも抱いたことのないものだった。
まだほんの少女のヴァルゴ。これまでになく不遇で憐れな王女。
白獅子としての治癒力は歴代で最も低く、彼女自身の傷すら癒せない。これでは普通の人だと一瞬考え、違う、これで良かったと改めた。
焦がれても無駄だとライラに忠告されるまでもなく、彼女の恋心は別に向いていることは分かりすぎるほどに分かっていた。
ヴァルゴに恋するのは自分自身に恋するようなものだと何度も心の中で言い聞かせた。
彼女の幸せのために諦めろ――。
この思いも振り返ればきっと一瞬の小さな痛みになるとこれまでの経験から知っている。
だからリブラの全てはヴァルゴのため。
治癒力もなくリブラが側にいなくても平気なのも呪いから外れかかっているから。
彼女を守り慈しみ、陰ながら愛し、せめて彼女だけでも呪いから解放されるかもと希望を持った。
そしてこれまで死を迎えてからでないと次代が誕生しなかったのに、彼女は生きている間に新たなレオンを誕生させた。
大きな変化だった。
呪物――古い魔導具を使用した心中による呪いのおかげで解呪の専門家を招いたのが良かったのか、長すぎる年月に呪いの方が飽きてくれたのか。
現在仕えている小さなレオンには自分がいつも抱いていた半身への渇望も魂への執着も何も感じられない。
リブラはこれまでただ見守ってきた。
これからも見守るだけだ。
三人目を宿したヴァルゴの幸福な笑みに、満足感と幾ばくかの切なさを感じながらリブラも微笑む。
左手を小さな未来のレオン、右手は小さなヴァルゴに占領されて、花の咲き誇る庭園で駆け回る。
リブラは息が上がって座り込んだ。そこに心配そうに二人が駆け寄ってきて、パイシーが驚いたように声を上げた。
「あれ、リブラの髪、ちょっと白いのあるね」
「えー? きんきらきんの髪なのに? ……あーほんとだあ! おじいさまにもあるやつだあ」
リブラは目を見開く。
「まさか、歳をとり始めてる……? もしそうなら僕はヴァル様たちと同じ場所に行ける?」
――これ以上ないほどにリブラの心は満たされ、歓喜の涙が溢れ出ていた。
読んでくださってありがとうございます。
削ったんですけど……長くなっちゃって……。
次回の蛇足で物語の終了。
その次に一応補足として魔導具説明などで頁頂きます。
魔導具についてはシリーズとしてはこのあとがきに載せていたのですが、今回説明も長くなりまして┏(ε:)و ̑̑
今しばらくお付き合いくださいませ。




