蛇足 マレフィックの天秤 後編
リブラたちは魔物との混血であり、例え作り出した前世代の思惑があり、旧弊的な後継者教育(この当時は家の体面や存続、王の危機には身を挺するのが当たり前のこと)を受けたこともあって、それぞれ悩みながらも次世代をこの世に送り出してしまった。
古き血の契約は現在も行使されている。破棄は出来ない。だから高貴四家の本家の者たちはゾディアークから出ることすら叶わなかった。
そして契約にある『王を裏切らない』に当てはまるのは当時の王なのか、現在王位に就いているものなのかという問題もある。
レオンを筆頭にドラクとリブラは出来るだけ自分たちの代で契約を守ったまま、子供たちが普通に暮らせる世の中にしなければならないと思っていた。
問題は、残り二家。
ハイドラとサジテリアス。
ハイドラの後継者となるカリーナの子は戦場での殺戮が忘れられないらしい。
サジテリアスはピクシスの死以降沈黙を貫いていて、前王からはあの後役立たずだと罵られていたためにサジテリアス卿は王宮に姿を見せることはなく、戦の時も支援と徴集兵を提供するのみだった。
そしてこの恐ろしい企みの真ん中にいるのが医者。
魔物魔獣などと人を掛け合わせるという実験を嬉々としてやってきた。
更に戦場で彼らの秘密を見た者も大勢いる。だがこれはその度鳥女の鈴が解決していた。
使用者を選ぶ妖精のハープや鎖鎌と違って、鈴は人を選ばず使い勝手が良いため前王は好んで使っていた。
「――後悔してる?」
リブラは王宮に用意されている自室で、普段から着けている仮面を外してレオンと向き合っていた。
扉の近くにはドラクが壁に凭れ、腕を組んで立っている。
「まあ、使いたくはなかったからな。父親だから辛い、とはこれっぽっちも思っていないさ」
「自分が散々使ってきた呪物と駒にやられることなんて考えてもなかったんだろう」
ドラクが嫌なものを口にしたように吐き捨てた。
「王位も対外的に私に譲りはしたが、実権は自分が持つつもりだったのは分かっていたしな。そのおかげで王位になければ契約違反ではないと分かったのは僥倖だろう」
レオンは全てに蓋をすることにした。
前王、前王妃に従順なフリをして、ゾディアークをいずれは大国にするという計画に賛同している者らを粛清した。
鈴を使って。
そしてもう一人の持つ呪物の力を使った。
その時、来客を告げる使用人の声掛けがあった。リブラが通すよう伝えると、十代前半であろう歳の頃の少女がひとり現れた。肩の辺りが膨らんだ可愛らしい長袖のワンピース姿で。
「……遅くなりまして」
部屋の入り口で頭を下げている少女に、ドラクが中に入るよう促す。
「彼女がライラ・サジテリアスだ。挨拶を」
サジテリアス家の新しい後継者となったライラは、ハープの力で少し前にレオンと共に王宮内を一掃していた。彼女が奏でると、鈴のような魅了ではなく幻惑の言葉通り幻で惑わせることが出来る。
「気高き白獅子の王。ごきげんうるわ――」
「――楽にしろ、ライラ。普段通りで良い。リブラは初めてだろう? 彼女がライラ・サジテリアス。サジテリアス家の後継者だ」
「ああ、君がピクシスの異母妹の」
「……はい。ライラと申します。レオンのおじ様が普段通りでとおっしゃったので、いつも通りにお話しますね……って、あら。まあ!」
ライラはピクシスと同じ、森のような濃い緑色の輝く大きな瞳をまんまるに見開くと、リブラをじっと見つめた。
だが、リブラと視線が合っているようで合わない。
「……これは、何と言ったらいいのか。私たちの中でいちばん大変な呪いかも?」
こてん、と首を傾げるとゆっくり目を閉じて開く。瞳の輝きはもう失われていた。
「ライラ、リブラにそのまま伝えていい」
「――えっと、じゃあ遠慮なく……ホロロジウム卿には半生半腐の獅子による不死の呪いが憑いてますわ」
「……やっぱりそうだよね。寿命で死ねそう?」
「難しいと思われます。呪いの内容的に、寿命はあってないようなものなので……そのぅ」
死にたいのか、という言葉をライラが飲み込んだのを、気付いたリブラが微笑んでみせる。
「大丈夫だよ、そんな気持ちはない」
「ですが……」
「リブラ自身はっきりそうだと分かっていたわけではなかったから聞いただけだよ。こちらにお座り。お前の好きな菓子を用意してもらっている」
「ドラクおじ様はご一緒じゃなくてもよろしいの?」
「私は今日は見張りなんだ」
じゃあ遠慮なく、といそいそとライラは長椅子のレオンの隣にちょこんと座ると、小さな焼き菓子を頬張り始めた。
リブラが果実を発酵させたものと山羊の乳を混ぜた飲み物を渡すと、にこにこと顔を綻ばせる。
「女の子はいいよね、癒される」
「ごめんなさいホロロジウム卿。私、同い年くらいの方しか愛せませんの」
「………ライラ。リブラが言ったのは多分娘としてだよ。リブラは少女趣味じゃない、はずだ」
レオンが苦笑して言えば、ライラは分かってますと頷いた。
「冗談ですわ、ホロロジウム卿。許してくださいます?」
「ああ勿論。その代わり僕のこともリブラと呼んでほしいな。――それで、僕が不死なら、レオンはどうなるのかな」
「レオンおじ様は癒しの力を使いますけど代わりにホロロ……リブラおじ……? お兄さま? の成長を止める力というか、そういったものがありますの」
「ライラ、リブラもおじ様で。こいつばかりが若いせいでムカつくな、私たちばかりがおじ様だから」
ドラクがそう言うと、リブラも笑って同意する。
「見た目はこうだけど実年齢は皆と同い年だから、おじ様でいいよ」
ライラは素直に首を縦に振った。
「レオンおじ様にもドラクおじ様にもお伝えしてありますからもう聞いてらっしゃるかもしれませんけど、私たちが死ぬと、この能力はおそらく次代に引き継がれます。ですからリブラおに……おじ様の場合、おじ様が死なない限りはホロロジウム家に新たに半生半腐の獅子の兆候は出ないかと」
「君の瞳と同じように、かな?」
「ええ。私のこの瞳は亡くなったピクシスおにいさまと同じです。亡くなった後に、父により私が作られましたからそういうことで間違いないですし」
何でもないことのように明るく話すライラにリブラは困惑する。
「お気になさらず。妖精が色々知らせてくれるので使いようによっては便利なの。彼らの見た目が凶悪でなければもっと良かったのに」
「……だが、同じ瞳を持つピクシスにはそんな能力はなかったはずだ。彼が持っていたなら私たちに教えてくれたはずだ」
この情報が初耳だったのか、ドラクが口を挟んだ。
「おにいさまは、間違って生まれてきたのではないかと」
「……間違い?」
「はい。私――サジテリアスの後継者に掛けられた呪いは三つ。ひとつはこわーい顔をした妖精たちが見えて色々を知れる瞳。もうひとつは、妖精と同じく|美しい少年にしか欲情しないこと。そして最後のひとつ。女しか生まれないこと。サジテリアスの直系を残す者に取り憑いてますので、呪いというかもう妖精の趣味なんでしょう」
飲み物を一息に飲むと、ライラは顎に手を当てにっこり微笑む。
「妖精に性別はあるようでないんです。でも普通の人から見れば美しい娘の姿に見える。そして妖精は美しい少年を好んで歌で誘い自分たちの巣に連れて行き――まあその後は。だから、どちらかというと本来そちら側であるおにいさまには瞳の力を使わせなかったんじゃないかと。それに、おにいさまは繊細な方だったと聞いていますもの……目の前であれらが飛び回って、とうてい口にできない行いをするのを見なくて良かったかと」
「……君は、なぜそんな……」
平気で、とリブラが聞こうとする。
「物心付いた時には常に見えるものでしたから。それに実は静かな時もあるんですよ? 主に年齢性別問わず美しい方とご一緒にいる時などは。ですから今はそんなには見えていません……魔物や魔獣の血の入ったおじ様方は皆様お美しいですし、特にリブラおじ様は少年のようにも見えるでしょう?」
「褒められて嬉しいけど複雑だ」
「なるほど! じゃあ、もしかするとピクシスには美しい少年だっただろう私たちがいて、カリーナも綺麗な少女だったから。だから妖精が大人しくしていた可能性があるな」
困惑するレオンと自画自賛するドラクをライラはやや苦笑気味に見た。
「まあ、私はおにいさまではないのであくまでも仮定の話ですけど」
表情を引き締めてレオンが口を開く。
「――では本題だ。ハイドラはどうだ」
「アレは呪われてなどおりません! 確かに呪物には震え上がるほどの人の怨みの念は付着してましたけど。元々の彼の育ちというか性質でしょうね。私たちと違って、使われたのは蝸牛のような意思の分からない魔物でしょう? そこまでこちらを狂わせたいという想いの強いいきものではありませんもの」
いくら慣れてるとはいえ、内容から察するに人や魔物の心の負の部分を強制的に見させられてきたのだ。どこか痛ましい気持ちになりながらリブラは彼女の話を聞いていた。
「ハイドラの後継者が血に飢えているのかどうも動きが怪しい。罪人を処分させてやるからと呼び出してライラに見てもらった」
「ハイドラはもう彼自身が呪いのようなものですわ」
「……となるとあの鎖鎌だけ取り上げる方向で行くしかない?」
「奴が生きている間は無理だろう……人を殺す時だけ生き生きとしているような男だ。自身の命に飽きてしまえばこちらがやられる」
ドラクが忌々しそうに顔を顰めた。
この日に四人が集まった理由は、今後のゾディアークについて、見ている方向を同じくするためだった。
リブラたちは正義の英雄になりたいわけではない。この先、もう自分たちのような非人道的な行いの犠牲者は出さないとレオンやドラクと共に誓っただけだ。
ただ次世代やそのまた子孫もその意志を継いでくれるかどうかが不明だからこうして話し合いをしている。
血の契約は、秘密を知りゾディアークの先祖の本懐を遂げるための五家の血を絶やさないようにすることが大前提のものだ。互いが死ねば終わりという単純なものなら話は簡単だった。
更に他にも秘密を知る家や個人があるが、こちらは五家と契約したわけではなく、個人間であったり家同士だったので、処理に問題は起きないようレオンとドラクが立ち回った。
だが、自分の裏切りによって一族が皆死んだとしても全く気にしない、現在のハイドラの後継者のような血と殺戮にしか興味がない場合は厄介だ。
彼がこちらに刃を向けて、全滅したとして。
残り四家にこれから生まれるだろう呪いの継承者たちが果たしてレオンの父王らのような考えであったら。先祖の考えに感化されたら。
「――何とかするしかないか」
「レオンは手出し無用だ。契約上、王は四家を裏切れない」
「四家同士であれば可能……かどうかはやってみないことには分からないんだよね」
「では、私のハープはどうでしょう? 鈴は皆様弾いてしまわれるのですよね?」
『鳥女の鈴』は彼らには効かない。
魔物の格が違うのか、こちらが魔物側だから耐性があるのか。
作成方法や材料の知識はあっても、なぜそうなるかということまでは彼らには分からないので、全て実践からの経験で積み重ねていくしかない。
「……私たちも、奴らと同じだ」
レオンが深く前屈みになり、膝の上で拳を握る。血の気が止まるほど白く握り込まれている。
「そうだな。だがアレは放置出来ない。もしレオンだけを残して我々を屠ったら? それとも民の全てを道連れにして皆で死ぬか? いっそ見てみない振りをして子孫に丸投げするか」
「……丸投げはやめてほしいかな。僕が最期まで見る羽目になりそうなんだけど」
「あまり言いたくなかったのですが、ハイドラの呪物であれば死ねる可能性がほんのちょっぴりだけありますわ。その代わり今度は魂が呪物に囚われるので……カリーナ様も囚われて逃げられないでいるのですし。リブラおじ様もそうならないとは言い切れません」
三人はライラの方を一斉に見ると三様に話し出した。
「初耳だぞ!」
「カリーナは永久にあいつの魂と閉じ込められてるってことか!?」
「僕、死ねる可能性あるんだ」
「おじ様方、大人なのですから落ち着いてくださいませ。言ってなくてごめんなさい。あの鎌を作った者の強い思いがそうさせてるようで」
ライラが小さく溜息を零すと、三人も黙った。
沈黙を破ったのはドラクだ。
「――とにかく。私はハイドラの後継者の首はすげ替えた方が良いと思っている」
「……私たちも結局やっていることは父上たちとそう変わらないな。正しい道のため、これからの子孫のため、国のため。根本は同じなんだ」
「……あえて敗けて乗っ取られてこの能力や呪物を明け渡す方が楽だろうね、きっと。その代わり僕たちは良くて今以上に人を殺すことになるか、悪くて僕たちのような魔物モドキを生み出していくかだ。僕らは兵器として生み出されたんだから、それもまた正しい道と言えるんじゃない?」
「リブラおじ様、それは……」
レオンは深く俯くと両手で顔を覆う。
「分かってる。直接手に掛けていなくとも、多くの命を奪っておいて、今さらだ。人を壊すあの鈴と違って、ライラのハープのおかげで私の指揮下の兵たちの記憶を改竄させ彼らの命を守ったその裏では……鈴で廃人になり表に出せなくなった者らをハイドラに始末させるよう命じて今度はそのハイドラを」
「――未来に繋ぐためです」
リブラに永遠を生きる可能性があると知った今、彼らは考えていた中で最も時間のかかるやり方をしていくのだと決めていた。
レオンが顔を上げる。
「――ハイドラの後継を排除し、現当主にも速やかに消えて頂く。呪物に関しては封印という形を取り、彼の家の歴史書に手を加えよ。念のために秘密を知るものがいないか篩にかけ、知らぬならそのままに。なるたけ被害は少なく」
彼の声にもう悲壮感はない。これはハイドラだけではない。五家全ての歴史を変えるということ。
そしてリブラも我が子と向き合う覚悟を決めた。
リブラだけがホロロジウムから離れられないのだから。




