前編 女王様には男運がないのかもしれない
ここは大陸最北端に位置するゾディアーク独立国。
四方を山々に囲まれており、そのさらに高いところを切り出す形で国が拓かれていた。
標高も高いので風は強いことが多いが年中涼しく、上を見上げれば白雪を、下を見れば裾野の緑を、目線を真っ直ぐにやれば青い水平線まで見られることが自慢の観光業に牧畜、毛皮と山から採れる岩塩などが主な資源だ。
なお独立国と言うだけあって、歴史を紐解けば必ずどこかのタイミングで他国の侵略を受けて属国になってばかりだったのだが、その成り立ちから現在まで、珍しく興国者の血は一度も途絶えていない。理由あって王家の血は他国に干渉されず残されたままだった。
過去、大陸全土に渡る大きな戦争を経験し、ゾディアークの周辺の細々した国はその時に共和国としてまとめられたところが多いのだが、ゾディアークは共和国に属さないことを宣言し、その後きちんと一つの国として認められることとなった。
わざわざ独立国と入れたのは当時のゾディアーク王だが、他国に良いように使われてきた歴史に腹を立てていたのだろうと思われる。
そして現在。
このゾディアークの頂点に立つのは『雪の妖精』だの『白の女神』だの、本人が真顔になるくらいこっ恥ずかしい二つ名のある、ヴァルゴ・ホロスコ・レオン・ゾディアーク女王(二十五歳)。
二つ名の理由として、彼女の体毛の全ての白いことが理由のひとつとして挙げられる。年老いたり体質で出るそれとは違う、ゾディアーク王家のみが持つと言われる目の覚めるような白雪色。
透き通るような、まるでゾディアークの空を映したような瞳の色。
更に細身で華奢なスタイルの儚げな容姿。
なお、ゾディアーク王家では王位に就くと男女問わず『レオン』を名乗るため、ゾディアークの白獅子とも呼ばれることもあったのだが、現在大陸で基本的に獅子と言えば『スイツ国のアフォガート家』を指すので、国の大きさや実力差から憚られている(当人たちは全く気にしていない)。
愛称のレオニーは通称としても使われていて、本来の彼女自身を現す名よりも現在では広く浸透している。
そんな彼女を目下悩ませているのが『結婚』。
女王としての緊急責務が自身の血を引く後継者を生み育てることだった。
ところが。
「――というわけで、解消と相成りました」
「いや、どんなわけ!?」
澄んだ空と濃い青の海を望める、ガラス張りのこじんまりした執務室には五人ほどが座れる円卓がある。
その席には男女合わせ三名が座っていて、今飄々と報告した男は入口側に、それに対し呆れた声を上げたさらさらとした長い白髪の女がこの執務室の主人の席である一番奥に座っていた。それこそがレオニー、このゾディアークが戴く女王その人だった。
「一体私の何が不満だっていうのよ」
「畏れながら女王陛下――言葉が乱れすぎでは?」
円卓に背を向け、長い脚を組んで海を眺めていた黒髪の男が全くもって畏れてなどいない様子で口を開いた。
「は!? 乱れない方が無理でしょ!?」
「そういうところでは?」
「はあああ!? 私に喧嘩売る気なら買うわよスコルピオ?」
スコルピオと呼ばれた男がくるりと回転椅子を回し、こちらを向いた。
黒髪に撫で付けられたフォーマルなオールバック。卓にやや前のめりで両肘を乗せ手を組むと、切れ長の目を細くして艶然と微笑む。
「良かったじゃないか、女王陛下。いや、レオニー。結婚してしまう前に『奔放な男』だと分かったのだから」
「ぐぬぬぬぬ」
「陛下、高貴な方にあるまじき唸り方はお止めください。――で、こちらが報告書、こっちは反省文です」
報告を上げていた長い金髪を片側に結んだ男が、にこにこと優しげな笑顔のまま手元に持っていた書類を卓を滑らせてスコルピオに回す。
「……ちょっと! リブラ! 普通私が先で――」
「反省文て何だ」
「あちらの親が書かせたようですよ」
「――私を無視するなんていい度胸ね、二人とも」
「これでも読んでおけ」
スコルピオは資料から一束抜くと、レオニーの前に放った。
「スコルピオ、お前本当に私を敬ってるわけ? 態度が悪すぎる!」
「今さらか」
「普段通りでは?」
レオニーの言葉に、憮然としたスコルピオとにこやかな笑顔のリブラが同時に答えた。
「グギギギギ」
「そのおおよそ人間とは思えない唸り声を止めろと言っている」
「陛下、そういうところですよ」
「ううううるっさいわね! ちゃんと猫被ってたわよ!!」
ドン! と卓を拳で叩いた後、レオニーは不貞腐れながら資料を捲った。
『陛下の婚約者は男性を好んでおり――』
彼女は何とも言えない表情を浮かべた後、目を閉じて息を吐くとそのまま卓に突っ伏した。白い髪が勢いで乱れる。
(これまで婚約した相手がまともだったことなんて一度もないのは何でなのよ!!)
* * * * *
レオニーことヴァルゴの「初」婚約は七歳を過ぎてからだった(当時のレオニーは女王ではなく王女なので名乗るのは真名のヴァルゴ。ヴァルという愛称で呼ばれていた)。
ちなみに相手は近隣国上位貴族家の長男で、ヴァルゴと同い年の少年だった。
この頃はまだ国王夫妻であった両親共に健在な上、姉もいた。兄もいた。
歳の離れた子供が三人もいるのだから、両親の仲は非常に良かった。
ただ、ヴァルゴの十三歳年上の兄で、本来国王になるはずのトーラスは魔導具狂いだった。
その研究のため継承権を(独断で)放棄して他国に(無断で)渡ってしまっていた。要は縁を切った家出人。物心ついた頃には名前と存在だけ知っているいない人扱いだ。
そのためヴァルゴの五歳上の姉エリースが女王となるだろうと言われていた。
それを見越してエリースの婚約者、未来の王配としてスコルピオが指名されてはいたものの、候補止まりでまだ公表されてはいなかった。
ヴァルゴは立場上も年齢的にも慌てる必要はなかったはずなのだが、エリースより先に婚約が結ばれた。
ただその婚約者とは一度も会わないまま婚約は白紙となった。
決まってからややあって、彼の家は没落してしまったからだ。
ちなみに、彼女は子供心に婚約者に会えるのを楽しみにしていた。
ゾディアークでは文化の進んだ今でも、他国のように王族や高位貴族の子女が教育施設などで同世代と学んだり触れあうことがない。
スコルピオのように親が要職に就いていたり、リブラのように側近候補としてであったり、縁故のフル活用で遊び相手として連れて来られる場合のみだった。
だからこそ同年代であるという婚約者に期待があったのだが。仕方ないとはいえ残念なことだった。
そしてやや空いて十二歳。
五年ぶり二回目の婚約が決まる。今度はゾディアークでやり手と噂の十歳上の外交官だが、流石に王女といえども十二歳では我慢できなかっだのだろう。
彼の浮気からの刃傷沙汰、彼は浮気相手に下腹部を刺され――当然だが破棄となった。
三年ぶり三回目は十五歳の時。今度は他国の王族と縁を結んだが、相手が政敵のハニトラに無事かかってしまうものの、お互いまだ公表前ということでこれも白紙となった。
相手に対し恋心は抱かなかったものの、悪くない手応えを感じていたのに続く破談に流石に心の痛みが治まらないまま、その半年後。
ムスカ・ハイドラという男と婚約が決まった。
ゾディアーク上位貴族ハイドラ家の長男で、年齢はエリースと同じ二十歳。
焦げ茶の髪と瞳、色白――を通り越して青白く顔色の悪い、すらり――というよりはひょろりとしてどんよりとした瞳で睨み付けるようにこちらを見るため、かなり陰気で陰湿そうな印象の男。
正直言えば、この決定はヴァルにとっても非常に不服なものだった。
彼の見た目や態度ばかりが悪いわけではない(いや睨み付けるのはどうかと思うとリブラは言っていた)
なぜならこのムスカという男、エリースの信奉者として非常に有名だったのだ。
エリースの婚約が中々発表されないせいで、夜会などの催しの際、彼女の周囲は常に多くの男性が囲むことになった。
その中に必ずと言って良いほどムスカの姿があり、彼は自身が王配に選ばれるのは当然と機嫌良くエリースに侍っていた。
ヴァルゴはエリースの妹であるので、それまでのムスカはとても紳士的でにこやかな対応をしていたが、ここで一変する。
王族専用の中庭で互いの両親と共に顔合わせをした時には、不満を隠さず開口一番、
「あなたのことは愛せません、絶対に、一生、例え死んでも」
と同席した互いの両親――王と王妃のいる前で平然と宣って、皆の顔色を失くさせた。
(いや私だって愛せませんけど?)
エリースに心を寄せていることなど最初から分かっているヴァルゴは内心『ケッ』と王女にあるまじきやさぐれた心境でアイスコーヒーをストローでズズズと音を立てて吸い付くしていた。
それよりも。
(なんで私とムスカの婚約がイケると思ったよ)
アワアワしているムスカの両親と、真っ青な自分の両親を半目で見てげんなりする。
――まあ、分からなくはない。
婚約してもしても破談になってしまう王女。こちらに探られて痛い肚も瑕疵もないが、どうにも縁起が悪いと国王夫妻は案じている。
片やエリースと結ばれたいムスカだが、エリースは公表していないだけでスコルピオと婚約内定している。
幾度となく婚約の申し込みをしたであろう彼の親はそれを知っているはずだ。
だからこそ彼の粘着質で報われない恋を早く諦めさせたい。
ならばエリースと同じ色味に同じ血の流れる、多少似通ったところのある妹ではどうだろう。これだけ姉に相手にされてないのだから、妥協するのが大人――
(――って人を何だと思ってんの!? こっちにだってタイプや夢や希望だってあるんだからね!!)
そう、ヴァルゴには好きな人がいる。
完全な片思いで、歳が離れているせいもあって全く相手にされてなどいない。
相手を意識した時には既に婚約者のいる人。
望んではいけない人だと知ってからしばらくは、夜になると乙女ちっくに枕を濡らした。
それでもこうやって黙ってお見合いしている私の気持ちは誰が理解してくれているのか、とヴァルゴは遠い目をした。
並んだ王家の侍女や侍従たちの姿が見える。
一人、日光に当たって白っぽく輝く金髪がいた。
それは数年前に遊び相手からヴァルゴの侍従になったリブラで、自身の伸ばし始めた金の髪をくるくると指に巻き付けながらイイ笑顔で親指を立てたのが視界に入って口元が引きつる。
(『やったね!』じゃないってば!)
イライラが過ぎて真顔のまま黙っていると、我に返ったムスカの両親が、彼の頭を押さえて無理矢理下げさせた。
「も、ももも申し訳ございません! 殿下に過分に失礼な――」
「やめて下さい! 私は本心を言ったまで!」
ムスカはすぐにその手を振り払い、喚く。
呆然としたまま口を開かない両親が何を考えているのかは全く分からないが、ヴァルゴはうんざりした表情を隠さず立ち上がった。
「お互い望んだ婚約ではありませんので、ハイドラご令息のわたくしに対しての態度は大目にみましょう。破談でも何でも好きになされば宜しいわ。けれど、わたくしに一切非はございません。こちらへの何らかの話が拡がるようであれば対処致しますのでそのおつもりで……下がるわよ、リブラ」
「――ハッ、噂に勝る男狂いめ! 婚約の場でも男を侍らせ――ぐギょッ!」
ムスカの口から訳の分からない話が出たところを、ハイドラ卿が思い切り振りかぶって彼の頭をぶん殴った。
そのまま何発もムスカは父親の拳を受け、ハイドラ卿の妻は震えながら平伏し、国王夫妻は置物のようになっているのを放置し、ヴァルゴは振り返りもせず中庭を後にした。
「……男狂いって何なのよ! こちとら処女ですけどぉ!?」
「ヴァル様はお気になさらず。まあどうにかなるでしょう」
「私そんな噂になるほど何かした!?」
「いいえ。ヴァル様はいつもただお一人をあっちあちのあちに見つめていらっしゃるだけで――しかしそのような変な噂は初耳ですね……」
「ちょっと! あっちあちのあちって何!」
「『あっちあちのあち』は『あっつあつのあつ』ですよ」
「何よそれ! 変わんないじゃない!」
「ハイハイ、照れない照れない。バレバレですよ~お気をつけて下さいね、ヴァル様」
「キーーーッ!」
「はい、奇声をあげない」
こうして、どうせまた破談になるだろうと思われたヴァルゴの婚約はなぜかそのまま継続されていた。
本編となる四編までは出来上がってますので、毎日更新です。
この作品が少しでも皆様の暇潰しになりますように(*-ω人)
たくさんある中から見つけて読んで頂きありがとうございます。