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第3話 初めての町とギルドの洗礼

カイの冷たい視線が、ルナの言葉を促すように突き刺さる。何を言えばいいのか、頭が真っ白になりかけたルナだったが、ここで引き下がるわけにはいかなかった。必死に言葉を探す。


「あ、あの…その…」しどろもどろになりながら、ルナは俯きかけた顔を上げた。「この町のこと、私、何も知らなくて…。だから、その…少しだけでいいんです! 宿とか、そういうの…どこにあるか、案内とか…駄目、でしょうか?」

最後はほとんど懇願するような声になってしまった。猫耳はぺたりと伏せられ、尻尾は心細げに揺れている。これ以上、迷惑をかけたくない気持ちと、一人になることへの不安がせめぎ合っていた。


カイは眉間に皺を寄せ、明らかに面倒くさそうな表情を隠そうともしなかった。しかし、ルナの不安げな様子と、彼女がこの町で一人放り出されたらどうなるかを想像したのか、あるいは彼自身、この町で何か確認したい用事があったのかもしれない。深い溜息を一つ吐くと、彼はぶっきらぼうに言った。

「……少しだけだぞ」

「! はいっ!」

ルナの顔が、再びぱっと明るくなった。


町の門をくぐる。槍を持った衛兵が、やはりルナの猫耳と尻尾に鋭い視線を向けた。「獣人か…何の用だ?」低い声で問われる。ルナはびくりと体を震わせたが、隣にいたカイが懐から何か、羊皮紙のようなものを取り出して衛兵に見せた。衛兵はそれを一瞥すると、少しだけ態度を軟化させ、「…行け」と顎で示した。

(今の、なんだったんだろう…?)

カイが何を見せたのか、ルナには分からなかった。ただ、彼がただの狩人ではないのかもしれない、という予感が強くなった。


門を抜けると、そこはルナが今まで見たことのない世界だった。

石畳が敷かれた道には、様々な格好をした人々が行き交っている。そのほとんどは人間だったが、中にはドワーフのような背の低い屈強な者や、エルフのような尖った耳を持つ優雅な者も少数ながら見かけた。荷物を満載した馬車がガラガラと音を立てて通り過ぎ、道の両脇に並んだ露店からは威勢の良い呼び声が響く。香辛料の匂い、焼いた肉の匂い、そして人々の汗と土埃の匂いが混じり合った、むせ返るような活気。遠くからは、カンカンと響く鍛冶屋の槌音も聞こえてくる。


「わぁ……!」

ルナは目を丸くして、きょろきょろと周囲を見回した。フィリア村の穏やかな空気とは全く違う、荒々しくも力強いエネルギーに満ちている。全てが新しく、刺激的だった。


しかし、興奮と同時に、ルナは自分に向けられる無数の視線にも気づいていた。好奇心、物珍しさ、そして中には、フィリア村では感じたことのない、明確な警戒や、少し見下すような冷たい視線も含まれている。特に、通りすがりの子供たちが、ルナを指差して「見て! 猫人間だ!」「尻尾があるー!」と騒いでいるのが耳に入り、ルナは思わず耳を伏せたくなった。居心地の悪さに、無意識にカイの服の裾を掴みそうになるのを、ぐっと堪える。


(私、やっぱりここでは…浮いてるんだ…)

獣人族が決して珍しいわけではないのかもしれないが、少なくともこの町では、ルナのような年若い猫獣人の少女が一人(と小動物)でいるのは、相当に目立つようだった。カイが隣を歩いてくれていることに、ルナは心底安堵感を覚えた。彼がいなかったら、この視線の集中砲火に耐えられたかどうか分からない。


カイはそんな周囲の視線など全く気にも留めない様子で、人混みを掻き分けながら先を歩いていく。ルナは必死でその背中を追いかけた。

しばらく歩くと、カイは比較的大きな通りから少し脇に入った場所にある、古びた木造の建物の前で足を止めた。「宿屋」と書かれた看板が、文字のかすれた状態でぶら下がっている。

「ここに泊まれ」カイは顎で宿を示した。「金はあるのか?」

「あ、はい! 少しだけ…」

ルナはおずおずと頷き、村を出る時に両親から餞別として渡された、小さな革袋を取り出した。中には、いくつかの種類の貨幣が入っている。フィリア村では物々交換が主流で、貨幣を使う機会はほとんどなかったため、それぞれの価値がルナにはよく分かっていなかった。


ギシリ、と音を立てる扉を開けて宿の中に入る。薄暗い室内には、木のカウンターがあり、恰幅の良い髭面の主人が座っていた。主人は二人を見ると、特にルナの猫耳と尻尾に一瞬、訝しげな視線を向けたが、カイの纏うただならぬ雰囲気と、ルナがお金を持っていそうな様子を見て、すぐに商売用の笑顔を浮かべた。

「へい、いらっしゃい! 泊まりかい?」

「ああ。この娘が一人だ」カイが短く答える。

「あいよ。一泊、食事なしで銅貨5枚だよ。前払いね」

「ど、銅貨…5枚…」

ルナは言われた額に少し驚いた。革袋の中を探り、銅色の硬貨を5枚、慣れない手つきでカウンターの上に置く。村で果物や木の実と交換していた感覚からすると、随分と高いように感じられた。これが外の世界の「常識」なのだろう。

主人は銅貨を受け取ると、鍵を一つ放り投げた。「部屋は二階の突き当りだ。他の客に迷惑かけるんじゃないよ」


ルナが鍵を受け取り、カイの方を見ると、彼はすでに踵を返していた。

「じゃあな」

「えっ、カイさんは泊まらないんですか!?」思わず大きな声が出た。

カイは振り返り、面倒そうに答える。「俺は別の場所に用がある」

それだけ言うと、今度こそ宿の扉を開けて出て行ってしまった。


「行っちゃった……」

一人(と一匹)残されたルナは、呆然とカイが出て行った扉を見つめた。分かっていたこととはいえ、やはり心細さが募る。ポポが心配そうに「ルナ…?」と鳴いた。

「ううん、大丈夫だよ、ポポ」

ルナは気を取り直して、ポポの頭を撫でた。まずは部屋を確認しよう。


ギシギシと音を立てる階段を上り、突き当りの部屋の鍵を開ける。部屋は狭く、硬そうなベッドと小さな木製の机、そして埃っぽい窓があるだけだった。決して快適とは言えないが、雨風を凌げる場所があるだけでもありがたい。これが、生まれて初めて泊まる「宿屋」なのだ。ルナは荷物をベッドの上に置き、少しだけ興奮しながら部屋の中を見回した。


少し休んで人心地ついた後、ルナは意を決して宿を出た。目的は、旅の情報収集。特に、長老から聞いた「虹色の泉」について、何か手がかりが得られないか。そして、この先の旅に必要な地図や安全なルートの情報も欲しかった。宿の主人に道を聞き、ルナは狩人たちが集まるという「狩人ギルド」へと向かった。


町の中心部近くに建つギルドは、宿屋よりもずっと大きく、頑丈そうな造りをしていた。屈強そうな、あるいは訳知り顔の狩人たちがひっきりなしに出入りしており、建物の中からは酒と汗の匂い、そして微かな血の匂いが漂ってくる。壁一面には、様々な依頼内容が書かれた羊皮紙クエストボードがびっしりと貼られていた。活気はあるが、どこか殺気立ったような、ルナにとっては少し怖い雰囲気だ。


ルナはおずおずと中へ入り、受付カウンターへと向かった。カウンターの中には、忙しそうに書類を整理している女性がいた。ルナの姿、特に猫耳に気づくと、少しだけ面倒そうな表情を浮かべる。

「はい、ご用件は?」事務的な声だった。

「あ、あの…」ルナは緊張しながらも、一番聞きたかったことを口にした。「虹色の泉について、何かご存じないでしょうか?」


受付嬢は、ルナの言葉を聞いた瞬間、ふっと鼻で笑った。

「虹色の泉? ……ぷっ、あはは! ごめんなさい、あなた、本気で言ってるの?」

受付嬢は堪えきれないといった様子で笑い出し、周囲にいた他の狩人たちも何事かとこちらを見た。

「そんなおとぎ話、まだ信じてる子がいるなんてねぇ。ここは狩人ギルドよ? 夢を探す場所じゃなくて、仕事をする場所。伝説の泉を探したいなら、吟遊詩人にでも頼んだらどうかしら?」

受付嬢の言葉は嘲笑を含んでいた。周りの狩人たちも、面白そうにクスクスと笑っている。

「猫娘が一人で泉探しだってよ」

「可愛い顔してるけど、頭の中はお花畑か?」

「親御さんはどうしたんだ? 迷子かい?」


心無い言葉が、ルナの耳に突き刺さる。顔がカッと熱くなり、涙が滲みそうになった。それでも、ここで引き下がるわけにはいかない。

「で、でも、何か少しでも手がかりが…! それか、この先の地域の地図とか、安全なルートとか…!」

食い下がると、受付嬢は呆れたようにため息をついた。

「地図なら有料よ。ほら、そこの棚にあるわ。ただし、この先の地域は最近物騒になってるから、安全なルートなんて誰も保証できないわね。自分の身は自分で守るのが狩人の常識でしょ? 見たところ、あなたみたいな新米さんには、まずはその辺の薬草集めとか、簡単な依頼から始めて経験を積むことをお勧めするけど」

突き放すような、冷たい口調だった。


(そんな……)

期待していた情報は何も得られず、それどころか笑いものにされてしまった。フィリア村では、誰もが優しく、真剣に話を聞いてくれたのに。外の世界は、こんなにも冷たくて厳しいのか。

ルナは唇を噛みしめ、俯いた。悔しくて、恥ずかしくて、たまらなかった。それでも、「ありがとうございました」とだけかろうじて呟き、逃げるようにギルドを後にした。


しょんぼりと肩を落とし、とぼとぼと町を歩くルナ。ポポも元気づけるように肩の上で鳴いているが、ルナの心は重かった。

(私、甘かったんだ…カイさんの言う通りだ…)

自分の世間知らずさと、準備不足を痛感する。これからどうしようか、と考えながら露店が並ぶ通りを歩いていた時だった。


「おや? これは珍しい。可愛らしい猫のお嬢さんじゃないか!」

突然、人の良さそうな笑顔を浮かべた小太りの商人が、馴れ馴れしく声をかけてきた。

「どこから来たんだい? 一人かい? この町は初めてだろう? よかったら、私が案内してあげようか?」

商人は矢継ぎ早に話しかけてくる。ギルドでの一件で落ち込んでいたルナは、その親切そうな態度に少しだけ警戒心が緩んだ。

「あの、私は…」

「まあまあ、立ち話もなんだ。あっちに良いお茶が飲める店があるんだ。そこでゆっくり話そうじゃないか。この先の地域のことにも詳しいんだよ。君が探している『虹色の泉』とやらについても、何か知っているかもしれないぜ?」


虹色の泉、という言葉に、ルナはぴくりと反応した。しかし、商人が言葉巧みにルナを人通りの少ない路地裏へと誘おうとしていることに、ルナは気づかない。

(この人、泉のこと知ってるのかな…? でも、なんだか…)

少しだけ違和感を覚えた、その時だった。


「……そこで何をしている?」


低く、鋭い声が響いた。

振り返ると、そこには腕を組み、氷のように冷たい視線を商人に投げかけているカイの姿があった。

商人はカイの姿を見ると、顔色を変え、慌てたように愛想笑いを浮かべた。

「い、いやあ、これはこれは…! ちょっと、このお嬢さんに道を教えて差し上げようかと…」

「そうか。なら、もう用はないな」カイは商人を睨みつけたまま言った。「失せろ」

その有無を言わせぬ迫力に、商人は「ひっ!」と短い悲鳴を上げると、「し、失礼しました!」と捨て台詞を残して、慌てて人混みの中に逃げていった。


カイは呆れたような、冷たい視線をルナに向けた。

「……言ったはずだぞ。自分の身は自分で守れと。少し目を離すとこれか」

その言葉に、ルナは返す言葉もなかった。また助けられてしまった。自分の愚かさ、不甲斐なさに、顔から火が出る思いだった。

「ごめんなさい……」

俯いて、か細い声で謝ることしかできなかった。


カイは深くため息をつくと、「…宿まで送る」と言って歩き出した。ルナは黙ってその後をついていく。

宿の前に着くと、カイは立ち止まり、改めてルナに向き直った。

「いいか、この町も、この先の旅も、お前が思っているよりずっと危険だ。誰もがお前の村の人間のように親切だと思うな。自分の目で見て、考えて、疑うことを覚えろ。そうでなければ、お前はすぐに食い物にされるぞ」

厳しい言葉だった。けれど、その声には、ただ突き放すだけではない、何か別の響きが混じっているような気がした。カイはルナの目を真っ直ぐに見つめていた。


そして、彼はふと尋ねた。

「…お前、本当に『虹色の泉』を探すつもりなのか?」

それは、カイが初めてルナの旅の目的に、わずかでも関心を示したような質問だった。

ルナは驚いて顔を上げた。そして、迷いなく、力強く頷いた。

「はい! 絶対に見つけます!」

その真っ直ぐな瞳に、カイは一瞬、何かを読み取ろうとするかのように目を細めた。そして、ふっと息を吐く。何かを言いかけたが、結局やめたようだった。

「…まあ、勝手にしろ。だが、死にたくなければ、もっとマシな装備と知識を身につけることだな」


それだけ言うと、カイは背を向けた。

「あ…」

このまま、また行ってしまうのだろうか。そう思った時、カイは足を止め、振り返らずに言った。

「明日の朝、門で待っている」

「え…?」

「…少しはマシなルートを教えてやる」

その言葉を残し、カイは今度こそ雑踏の中へと消えていった。


宿の自室に戻ったルナは、ベッドにどさりと座り込んだ。ポポが心配そうに膝の上に乗ってくる。

今日一日で、外の世界の厳しさを嫌というほど思い知らされた。ギルドでの冷たい対応、悪徳商人の罠、そしてカイに二度も助けられた自分の不甲斐なさ…。

「私、全然ダメだにゃ……」

思わず、弱音と共にため息が漏れる。フィリア村の常識は、ここでは全く通用しない。もっと強く、もっと賢くならなければ、この先生きのこることはできないだろう。


でも――。

ルナはカイの最後の言葉を思い出した。『明日の朝、門で待っている』。

(カイさん、どうして…?)

あんなに面倒くさそうにしていたのに、なぜまた助けてくれようとするのだろう? 彼の本当の目的は何なのか? あの冷たい態度の奥には、一体何を隠しているのだろう?

怖い人だと思った。でも、今日、二度も助けてくれた。厳しいけれど、彼の言葉は的を射ていた。そして、最後に少しだけ見せた、不器用な優しさのようなもの…。

ルナの心の中に、カイに対する興味がむくむくと湧き上がってくるのを感じた。


「よし!」

ルナはパンと膝を叩いて立ち上がった。落ち込んでばかりはいられない。

「明日、ちゃんとカイさんにお礼を言って、色々教えてもらおう! そして、今度こそ足手まといにならないように頑張るにゃ!」

ぎゅっと拳を握り、自分自身に喝を入れる。窓の外からは、まだ町の喧騒が聞こえてきていた。不安が完全に消えたわけではない。けれど、それ以上に、明日への、そして未知なる旅への期待が、ルナの心を再び満たし始めていた。


(カイさん、明日の朝、本当に待っていてくれるかな…?)

そんなことを考えながら、ルナはポポを抱きしめ、硬いベッドに身を横たえた。疲労はピークに達しており、すぐに深い眠りに落ちていった。

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