8.『無垢なる水の地下洞』リザルト&報告会
――水面を、ぷかぷかと漂う。
ひとときの静寂。
全身の緊張がほどけて、ただ冷たい水に浮かんでいることが、少しだけ心地よく思えた。
――が、ふと気がつくと、何やら視界がぼやけている。
まるで周囲に、白く薄い霧がかかったような…。なんだコレ?
『…そろそろ落ち着いたか?』
「ん?あぁ…って、うおっ!?」
振り向くと、アグニの身体から凄まじい量の水蒸気が立ち上っていた。
「…あ〜。さっきので、水飛沫がかかっちまったのか。」
『…これだから水場は好かんのだ…!』
視界の悪さにうんざりしながらも、ひとまず岸へと向かう。
「…そういえばお前。さっき俺のこと、守ろうとしてたか?」
湖から這い上がり、濡れた服を絞りながら、ふと思い出す。
白ワニに喰われかけた瞬間、真っ先に動いたのは、アグニだった。
『…いいや?』
「いやいや、なんかやろうとしてたじゃん。」
『…勘違いするな。貴様など、未だ護衛対象と認識してはおらん。』
ふい、と炎の瞳がそらされた。
『そも、我が主として認めるならば、危険など微塵も感じさせはせぬ。…早く、“真の主”と認めさせるだけの男になれ。』
「…ア、ハイ。精進します…。」
炎の双眸に見つめられ、生温かいような、なんとも言えないプレッシャーに押されながら、俺は濡れた体を引きずるように来た道を引き返す…。
~ ~ ~ ~
宿の温泉は、まさに天国だった。
通好みの熱めの湯にじっくりと浸かると、凍えた手足が痺れるようにほどけていく。
…腐っても「秘湯」と呼ばれるだけのことはある。
思わず、湯の中で何度も「はぁ〜…」と声が漏れた。
(…さっきまでの冒険が、まるで夢だったみたいだ…。)
…そういえば、地底湖で見た魚たち。アレを見た時の妙な違和感。
今になって、その正体が分かった。
――白ワニの巨体。あれほどの大きさの生物が、果たしてあれっぽっちの魚だけを餌に、生き続けられるものだろうか?
頭を消し炭にされたワニが完全に再生したのを見て、その疑問が解けた気がした。
(…あのワニのヤツ、魚を「一瞬で死なない程度」、たとえば頭だけ残して食ってたんじゃないか?)
ワニの牙が魚を二つに分断した瞬間、即座に回復薬が魚の再生を始める。
…無限食糧チートだったんだな、あの地底湖。
そりゃあ白ワニもあんだけ大きく育つってもんよ。
(…もしあの時、俺に対抗手段が無かったら…俺も死なない程度に食われて、飼い殺しにされてたんだろうか…?…怖っ!!)
(…それにしても…頭の良いワニだ。)
温泉で身体の芯から温まったあと、部屋へ戻り、ようやく落ち着いてきたので――【錬金術師の驚異の部屋】の中身を確認する事にした。
パラパラとページをめくる。白ワニを封じ込めたので“使用中”のページは6。
更に【ポーション製造機】を除くと、それ以外に最初から入っていたアイテムは、全部で4つあった。
まず1つ目。
真っ赤な宝石。…サイズは10mm位あるか?
…吸い込まれるような異様な輝きで、ずっと見ていたくなるような…。
…おっと、いかんいかん。とりあえず『鑑定』を使ってみよう。
【血濡れのルビー】ランク:C
6ct 極上
持ち主に不幸な死を招く呪いがかかっている。
…うん、これは【換金】スキル行きだな。
2つ目。
フード付きの黒革のロングコート。
…なんだろう、ここにあるのに無いような…不思議な感覚に襲われる。
【常闇の外套】ランク:B
【認識阻害】の効果を持つ魔道具。ただし、日中は効果を失う。
「夜間限定のステルス装備…良いね。使いどころは選ぶ必要があるけどな。」
3つ目。
謎の金色の輪が2つ。
耳を澄ますと、かすかに甲高い音をたてているような気がする…。
【フロートリング】ランク:C
装着した者は万有引力の軛を逃れ、水面や地面の上をわずかに浮かぶことができる。
2つで1セット、左右の足首に1つずつ装着する。サイズは自動調整される。
(上下があるので装着方向に注意!逆向きに着けると上空に吹き飛ぶ恐れがあります。)
空中浮遊!…と、言っていいのかコレ…?
…なんか物騒な注意書きまであるし…仕様に問題がないかコレ?不良品?
しかもわずかに浮かぶって…これまた使いどころが難しいな…。
金属の輪…「封神演義」に出てくる哪吒の宝貝、乾坤圏を思い出すが、アレは両手に装着するもんだったし、能力的には哪吒の持つもう一つの宝貝、風火輪の方が近いか?
まぁ、ちいとばかし浮けたところで精々、泳がずに川や池を渡れるく…ら……
「……。」
…気づいてしまった俺は、両手をついて床に突っ伏す。
「先に…先に確認しとくんだった…!!」
…あれだけびしょ濡れで苦労したというのに。
こいつを使えば、そもそも湖を泳ぐ必要すらなかった。
「くそぉ…過去の俺に伝えたい…!アイテムは先に確認しろって…!」
…畜生、過ぎたことは仕方がない。
気を取り直して、最後の1つ。
それを【錬金術師の驚異の部屋】から取り出した瞬間、俺の背筋がぞわっとする。
…黒光りするステンレスのような金属製の腕輪。
表面にはビッシリと魔法文字だか古代文字だかが刻まれている。
【魔人の腕輪】ランク:A
魔法金属でできた腕輪。
装着した者を魔人に変え、人を超越した身体能力を引き出す。
その代償として、これまでに覚えた全てのスキルを封印される。
嵌めれば二度と外すことは出来ない。
「…あ〜。これダメだわ、俺が着けたら終わるヤツ。」
スキル封印は、自分にとっては致命的すぎる。
…こいつは、【錬金術師の驚異の部屋】の中で封印だな。
本を閉じ、そのままベッドに沈む…と、その前に。
部屋の窓を開けて、備え付けの小さなバルコニーに出てみる。
深夜の温泉地の空気は、しんと冷えていたが――俺の胸の奥では、新たに手に入れた道具たちがもたらす冒険の兆しが、熱を帯びて静かに灯っていた。
東京都某所、自宅アパート『ゲボイデ=ボイデ奥多摩』。
ひとっ風呂浴びて帰ってきた我が家は、相変わらずの殺風景さと、ちょっとした異臭で出迎えてくれた。
「…うっ…なんかヤバそうな匂いが…。」
原因はすぐに思い当たる。
…冷蔵庫に入りきらなかった、残りのドリア…。
…残念だが、処分するしかないようだ…。
「…こりゃあ残りも早めに片付けないとマズいな。…よし、そうと決まれば…。」
俺はスマホを取り出し、発信履歴のトップにある名前をタップした。
「…あ、もしもし?オレオレ。」
『アリババ先輩?…え、もう帰ってきたんスか?…あっ(察し)』
「『あっ』ってなんだよ。…まあいいや、今暇?今から俺ん家来れるか?」
『…俺は何も責めないッスよ。分かりました!例のドリアで残念会やりましょう!』
「おっ、察しがいいじゃん。じゃあドリア温めて待ってるわ。」
俺はキッチンに向かい、冷蔵庫からドリアを取り出した。さて、何個温めるべきか……。
~ ~ ~ ~
一時間後。湯取が缶チューハイ数本を提げてやってきた。
部屋に上げると、キッチンでアグニが不満げな顔でドリアの皿を抱えていた。
『…おい貴様よ、我はいつまでこの炭水化物の塊を抱きしめていればいいのだ?』
「おお、いい感じに焦げ目もついてるじゃん。サンキュー、アグニ!」
「あ、阿国さんチッス!!…え、ソレ…ドリアの皿直に持ってます?…う~わ、熱くないんスか…。」
「アグニは熱に耐性あるから。…んじゃ、とりあえず乾杯!おつかれさ~ん!!」
カン!という、缶を合わせる乾いた音。
俺は飲みながらノートPCを起動し、アクションカメラのデータを再生し始めた。
おお、多少のブレはあるが、コレかなり補正されてるんじゃね?
…さすがは高級品だ、暗い場所でも少ない明かりでクッキリ映っている。
「あ、ちゃんとカメラ回しててくれたんスね。え~と、コレは…井戸っスかね?」
映像には、例の枯井戸が映し出されている。
画面が一瞬ブレて、枯井戸の中、そして『無垢なる水の地下洞』内部へと画面が移り変わり…。
「…?…ちょちょっ、今!今何があったんスか!?」
「あ?井戸の下にあった空間に移動しただけだよ?」
この後に苔の奈落、地底湖と白ワニ、そして財宝発見も記録されているんだからな。
「移動って…あ、移動の度にON・OFFしたカンジっスか、了解です。」
とまあ、そんな感じで。
その後も映像を流しながら、俺とアグニが時々解説を入れる、コメンタリー上映が続く…。
「…って感じで、今回の探索はこんな感じだったわ。あ、これ今回手に入れたお宝な。」
俺は【錬金術師の驚異の部屋】から、いくつかのアイテムを取り出して、机の上に置いた。
湯取は缶チューハイを持ったまま、固まっていた。
「……。」
「……?」
「……。」
「どうした湯取…?」
「…すっげぇ…。」
「ん?」
「…すっげえ!!マジ凄過ぎるッスよ!!…俺、今までの人生で一番感動してるッスっ!!」
興奮した様子の湯取は突然立ち上がり、その場で飛び跳ね始めた。
やめてっ!!床が抜けるっ!!
下の103号室の住人からクレーム来ちゃうからっ!!
「こんな世界があったなんて…!!映画やゲームみたいな、こんな…ごんな世界が…!!」
うおっ、湯取泣いとる。
…しかも号泣レベル。ワ〇ピースみたいな泣き顔になってる。
「…アッ……アビババぜんぱいは……やっば凄いひどだったんズね…!!カッケェ…マジカッケェッス…!!」
『…アビババ全敗よ、そやつを泣き止ませろ。うるさくてかなわん。』
「誰がアビババ全敗だ。」
その後しばらく泣かれたのだが…酒が入っていることもあり、落ち着くまで結構な時間がかかった。
…泣き止んだ湯取に、唐突に頭を下げられた。
「アリババ先輩……疑って、スンマセンっしたァァァ!!」
まさかの土下座。俺は目をぱちくりさせていたが、彼はなおも続けた。
「図々しいのは百も承知っス…でも、俺も…俺も仲間に入れてくださいっ!!」
「…は?」
「正直、“トレジャーハンターになる”とか言い出した時、先輩マジで頭ヤバくなったのかと思ってました。でも、内心…メチャクチャ羨ましくもあったんスよ。…そんな人生が、俺にもあったらって――」
そう言って顔を上げた湯取は、泣き腫らした瞳で俺を見つめる。
…そうかぁ、そうだよなぁ。
…俺だって、前世の記憶を取り戻して、スキルがまた使えるようになってさ…。
…メチャクチャ嬉しかったもんな。
「…そうか。」
「…うす。…現実にこんな財宝があるって知って、その本や阿国さんみたいな、不思議な力の存在も知って…。…もう、戻れないんスよ、普通のバイト生活に…!!俺も、先輩みたいになりたいんス!!」
「お願いします!!俺に出来ることなら、何でもします!!どうか!どうか俺も仲間に…!!」
その熱量に押され、しばし沈黙してしまう。
…どうしたもんか。
仲間にしてって言われてもなぁ…正直、スキルも無いタダの人間じゃあ、足手まといに…。
ん?
今何でもするって言ったよね?
――俺はそっと湯取の肩に手を置いて、言った。
「よし湯取。…お前、人間辞められる?」
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今回入手したもの
■ポーション製造機
■錬金術師の驚異の部屋
■血濡れのルビー
■常闇の外套
■フロートリング
■魔人の腕輪
■白ワニ




