46.〈番外編〉トレジャーハンターbeeの華麗な休日
《注》この話はキャラクター崩壊を含みます。…ですが、当初の予定通りですのでご了承ください。
──目を覚ましたのは、午前十時を過ぎてからだった。
昨夜締め切りの原稿を書き上げ、編集部に送り付けたのが深夜二時過ぎ。
それからシャワーを浴びてベッドに潜り込んだ記憶がある。
眠りに落ちるまで、そう時間はかからなかった。
今日は一日フリー…休日である。
私は高層マンションの寝室からのそのそと起き出し、キッチンへ向かう。
トーストとスクランブルエッグ、コーヒーを煎れて遅めの朝食。
お皿をテーブルに並べ、窓の外に広がる街並みを見下ろしながらトーストを一口。
さて…今日は何をしよう?
飲みかけのコーヒーを片手に、窓の外に広がる街並みを見下ろす。
ふと、街を行く人々の中に見えた「くだけた表情」に、記憶の中の顔が重なる。
皮肉屋で、それでいて時々子供みたいな目をする、あの男。
…アリババと名乗った彼。謎の多いトレジャーハンター。
…私の偽名を、見抜いた男。
ときたまこうやって穏やかな日常に身を置いていると、自分を見失いそうになる。
私は誰なのか。
ある時は、孤高のトレジャーハンター、bee。
またある時は、月刊ムムーの敏腕記者、雁木真理。
…しかしてその実体は…
「…アリババニキ、アレ絶対ワイに惚れてるンゴねぇ…。」
雁木マリー。
…色々と拗らせた25歳。
完璧なトレジャーハンターのbeeも、出来る女記者の雁木真理も、
私が演じたい「良い女像」でしかない。
それを演じ続けるのは、中々に骨が折れる。
…だから私は時折、こうやって日がな一日、素の自分でいる日を作ることにしている。
窓の下に見える歩道で、犬の散歩している青年の姿が目に入る。
連れているのは黄金の毛並みの大型犬…ゴールデンレトリバーだ。
ゴールデンレトリバー…犬系男子…。
大柄な体に、犬の様な純粋さを持った青年の姿が思い出される。
「…ユトリきゅん可愛すぎワロタwwwユトリきゅんの飲みかけポーションは家宝ですwww」
彼から貰った飲みかけの【ポーション】は冷凍保存してある。
…回復薬に雑菌が湧くのかは知らないけれど、余程のことが無い限りは飲むつもりは無い。
…prprもしない。私は、よく訓練された腐女子なのだ。
ここ最近のトレジャーハントで出会った二人の男性。
飄々とした謎多き男と、上裸系年下男子。
…二人の並びを想像していると、どんどん思考が加速していく。
「…いや、待てよ…?やっぱりアリババニキ×ユトリきゅんの胸アツ展開も捨てきれん…待った、アリ×ユトよりユト×アリってのも有なのでは…?」
──良いね。今日も妄想が捗るなぁ…。
私はマグカップを持ったまま、別室に移動した。
壁一面に本が並んだ書斎。
その中の一冊に手を伸ばす。表紙には、こう書かれていた。
『宝島』
軽く手前に引くと…奥から微かに「カチッ」と音がして、本棚がゆっくりとスライドする。
奥の回転扉が開き、隠されていた私の「仕事道具」達が、姿を現す。
手入れの行き届いた、潜入道具各種。
黒いキャットスーツ型アノマリー。
そして、神話兵装【カーリストラ】の起動キー。
棚の中央に飾るように置かれた、一冊の古い手帳と、蜂の意匠のブローチ。
それは私の人生を変えた、思い出の品。
──あの日のことを、私は決して忘れない。
祖母が亡くなったのは、私が高校生の頃だった。
フランスに住んでいた祖母とは、数えるほどしか会ったことがない。
でも、元来引っ込み思案だった私にも、祖母は優しくしてくれた。
言葉はあまり分からなかったけれど、愛してくれているのは伝わった。
…次に会った時は沢山お話できるようにと、フランス語も勉強中だったのに…。
とうとうそれは、叶う事は無かった。
遺品整理のために訪れた祖母の家。
両親がリビングの荷物を片付ける中、私は一人、書斎の本棚を整理していた。
ふと見た先に、昔祖母が読んでくれた本を見つける。
本のタイトルは──『宝島』。
懐かしさに、おもわず手に取り、中を開くと──
本の中身がくりぬかれ、そこには一冊の使い込まれた手帳と、蜂の意匠のブローチが入っていた。
…私はそれを、こっそりと自分のカバンに仕舞った。
日本に帰国後、一人きりの自室で手帳を開く。
そこには、驚くべき祖母の半生が書かれていた。
若い頃の祖母は、トレジャーハンターだった。
幾つも国を渡り歩き、遺跡を巡り、時に絶体絶命のピンチを潜り抜け…。
祖母の手帳に書かれた冒険譚は、今まで読んだどんな物語よりも私を魅了した。
手帳の後半、祖母には子供ができ、トレジャーハンターは引退。
自分が発見できなかった数々の財宝と、その手掛かり…。
…そして最後のページには、震える文字でこう書かれていた。
« Marie… Si toi aussi tu désires des jours d’aventure qui font battre le cœur… alors pique ta main avec le dard de la reine. »
『マリーへ。貴女もまた、心躍る冒険の日々を望むのなら…女王の針でその手を刺しなさい。』
私は迷わなかった。
蜂の意匠のブローチを手にすると、その針を指に突き刺した。
その瞬間から、私の中の何かが変わった。
運動音痴だった筈の私が突然身軽になり、思った通りに体を操れるようになった。
直感が冴え、物事の裏に隠れた真実が見えるようになった。
…神様に愛されているかのように、運も良くなった。
私は高校卒業後、大学に通いながら準備を始めた。
体を鍛え、祖母の残した手記を元に財宝の在処を調べ上げ──
大学を卒業し、私は雑誌記者になった。
…同時に、トレジャーハンターbeeとしての、二重生活が始まったのだ。
編集部で記事を書き、取材と称して財宝探索に繰り出す日々。
無論、記者の仕事もおろそかにはしなかったし、取材費用は自分で負担した。
…おかげで編集部では「良家のお嬢さんが道楽で記者をやっている」と思われているらしい。
二重生活の中で様々な人脈もできた。
…また、自分と同じくアノマリーを狙う組織や、敵対勢力の存在も知った。
時に調査の為、危険を承知で敵勢力の研究施設に忍び込みもした。
…まぁ、思わぬ戦利品…【カーリストラ】が手に入ったので、これも幸運だったんだけれど。
私はカーリストラの起動キーを指先で弄びながら、思わず呟く。
「…ああ、そうだ。【カーリストラ】もたまには洗ってやろうかな。…ワックスとかって使って良いのかな?」
誰に聞くわけでもない独り言が、書斎に小さく響く。
私の頼もしい相棒、【カーリストラ】。
…実は、このマンションの屋上に、今もステルスモードで待機している。
高度な光学迷彩により姿を消し、魔力遮断機構でレーダーにも映らない。
…流石、オルテックスの最新技術の粋、【神話兵装】。
…協力者に発信機の類を無効化してもらうのにも苦労したけれど。
そんな事を考えていると、スマートフォンにメールが届く。
…今鳴ったのは、bee用のスマートフォン。
差出人は──アリババのようだ。
「…『俺と湯取、オルテックスからお前の手下だと思われてる件』…?なにいってんだこいつ。」
私は溜息をついて、スマホを置く。
…冗談はやめてクレメンス。
今日は休日。
なので一旦は無視を決めこもうとしたが、最近新たに隠し棚に加わったアノマリーを見て、少し思考にふける。
【睡蓮の淑女の七つ道具】…コレが手に入った…いや、戻ってきたのは本当に幸運だった。
そう、このアノマリーは、元々は祖母の愛用品だったのだ。手帳の記述によれば、祖母が現役時代、探索中に敵対勢力と遭遇し、乱戦後なんとか逃走した際、紛失してしまったらしい。
手帳には思いつく限りの後悔と恨みの言葉が殴り書かれ、喪失のショックの大きさが伺えた。
…そのアノマリーが、巡り巡ってノクス・ミラビリスの宝物殿にあるとは…人生とは分からないものだ。
…いや、これも巡り合わせだったのだろうか…?
ハァ…しょうがないにゃあ・・。
私は背筋を伸ばし、もう一度スマホを手に取った。
──ちょっと、相手してやるンゴ!
【Queen’s Sting】ランク:A
〈女王の一刺し〉継承型アノマリー。
前の使用者が亡くなっている場合、使用者は望む職業を一つ得る。
新たな女王に与えられるのは甘い蜜ではなく、鋭い針。
その痛みを受け入れた者だけが、群れを導く資格を得る──




