34.盗賊、解放する
ノクス・ミラビリスとの交渉もなんとか終わり、あとは現物を交換して帰るだけ。
…なかなか緊張感のある交渉だったな…早く帰って風呂に入りたいぜ…。
…そんな風に気を抜いていた俺の胸に、ドンと鈍い衝撃が走った。
…遅れて目をやると、心臓の位置にドス黒い魔力で形作られた杭が突き刺さっている。
「…ふざけるな…!貴様などに渡すものか…!!」
「…神代…さん…?」
鬼の形相を浮かべた男が、俺を睨んでいた。
右手をこちらに向け、左手には魔導書を無造作に掴んでいる。
あれは…あのアノマリーは…。
【人皮の呪術書】ランク:B
聖職者の顔の皮膚が貼り付けられたグリモワール。
使用者に呪術の力を与える。
使用するには職業:魔術師の適性が必要。
…ああ、アレも特殊な魔法が使えるアノマリーか。
そういえば神代さん、「装備スキル:【呪術】」って表示されてたな。
「…神代さん…どうして…。」
俺は、絞り出すように声を出す。
beeやヘクセン、アステリオスも、突然の出来事に呆然として固まっている。
「…どうしてだと?分からないのか!?ここにあるアノマリーは、一つたりとも貴様のような盗人が手にしていい物など無いのだ!!身の程を知れっ!!」
…神代さんって、こんな感じの人だったっけ…?
もっと紳士的な人だった印象だけど…。
…あ、そうか。
【恋の魔法】だ。
神代さんの職業スキル…完全にネタだと思っていたけど…そうか、「他人から見た自分の印象操作」にも使えるんだな…。
…ってコトは、今の神代さんが本性ってコトか…。
「…あ~あ…すっかり…騙されちまったぜ。…落ち着いて良く…見れば、中々に…醜悪な面構えして、やがるじゃねぇか…。」
「負け犬が、好きに吠えるがいい。どうせ貴様はもうじき死ぬ。その黒い杭が刺さったなら、もう死からは逃れられん…!!」
…そうか…この杭、呪術の杭なのか。
死の宣告…致命の一撃…おそらくそういった、刺さった時点で逃れられない死…。
…畜生っ…!
「…まぁ、刺さってないんだけどな。」
黒い杭は力尽きたように、俺の胸から地面へと転がり落ちた。
「……はぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
必殺の一撃を防がれた神代が、驚愕の叫び声を上げた。
…信じられない物を見たように、目を見開いて唖然としている。
「…ふぅ、危なかった。…助かったよアグニ、ありがとな。」
『…主を守るのが我の役割だからな。』
胸のポケットから炎が噴き出し、渦巻く炎が人型となって、俺の守護者が顕現する。
『とはいえ、あの程度の攻撃なら我がどうこうするまでも無い。貴様に渡した勾玉の自動防衛機能で事足りる。』
そう言ってアグニが指をパチンと鳴らすと、俺の全身が薄い炎の膜で包まれた。
熱っ……くは…無いな。息もできる。…なんじゃこりゃあ?
『貴様の身体は常にその膜に包まれている。外部に攻撃を受けると瞬時に、局所的に表面温度は6000℃に達し、対象は消滅する。魔法の何たるかは未だによく理解できんが、太陽の表面温度ではその能力を十全に保てはせんだろう…ちなみに、内側に熱は通さんから熱くは無いぞ。』
…ああ、だから杭の先端部分だけ消滅してたのか。
もしかして、掌に赤い勾玉を埋められた時から追加された機能なのか?
…この勾玉、いったい何なんだ?
【奇御魂】ランク:ーー
『焔のアヴァターラ』の主であり、護衛対象である証。
未知の科学技術の結晶であり、護衛対象を炎の被膜で包み自動的に守る。
人体の一部と化しており、取り外しは不可能。
…やっぱもう取り外せないのか…俺、温泉とか入れるんだろうか…?
「…ビックリした…でも、無事で良かったわ。それに、その子も来てたのね。」
『…その子では無い、我はアグニだ。』
再起動したらしいbeeが俺に駆け寄る。
そういえばbeeにはアグニの事ちゃんと説明してなかったな…まあいいや。
『カミシロ…貴様…何のつもりだ…!?どうしてアリババを殺そうとした!?』
ヘクセンが怒りの形相で神代を問い詰める。
それに少しも動じずに、不気味な笑顔で神代が答える。
『おや…グランドマスター。何を怒っているのです?私はただ、盗賊に身の程を教えてやろうとしただけでしょう?』
『ふむ…交渉はすでに終了した。お前のした行為は、結社に危険を及ぼす反逆行為だ。』
アステリオスが抑揚の無い声で、淡々と告げる。
『…反逆行為だと…?』
神代の貼り付けたような笑顔が、醜く歪んだ。
『ふざけるなっ!!私が結社の為にどれだけこの身を捧げてきたと思っている!?魔術至上主義の派閥を説き伏せ、離反しそうな者達を魔法で洗脳し、従わない者達は秘密裏に始末し…そうやって結社の安寧に努めてきた私を、日本支部の副支部長などという重要性の低い役職に担ぎ上げ、ないがしろにしたのは貴様の母親だぞ!?』
顔を赤くし、唾を飛ばしながら早口でまくし立てる神代。
『…正気じゃ無い。どうかしているわ。』
Beeが呆れて吐き捨てる。…俺も完全に同意だわ。
『…そうだ、私は、私の努力は報われるべきなんだ!…だから私はオルテックスと渡りをつけ、結社内では価値の無いアノマリーを横流しする手筈を整えたんだ…どうせ不要なアノマリーなんだ…私が有益に利用して、何が悪い…!?』
『…貴様…!』
『…ふん、そう言う事か。』
アステリオスの言葉を遮るように、ヘクセンが話し始める。
…少女の見た目で額に青筋浮かべてるの、マジでおっかねぇわ…。
『…我々が発見した遺跡へ調査に出向くと、そこでオルテックスと鉢合わせる事案が度々発生していた…ずっと疑っていたんだ。内通者が居て、情報がオルテックスに流れているんじゃないか、と。…貴様がその内通者だったというワケだ。』
『正当な評価を下さなかったお前等が悪いんだっ!!…そのコンテナに入ったアノマリーは、私がオルテックスへの手土産として頂いていく!貴様のような盗賊に渡してなるものかっ!!』
神代の周りに幾つもの黒い杭が浮かび上がり、俺に向かって放たれる。
…だが。
『いや…さっきの話聞いてなかったのかよ。』
杭は俺の身体に触れると、黒い魔力となって霧散した。
…ヤバイなコレ…俺、もう無敵なんじゃね?
『…魔力の流れを感じない…くそっ、魔術では無い力か!折角魔術に制限のある場所で仕掛けたというのに…!!』
…ほぅ、そういえばそんな話、ここに着いた時に神代が言ってたかもしれん。
って事は、ヤツが使う呪術は制限の外にあるってコトか。
…わざわざ制限の抜け道を用意してくるとか、計画性が窺えるな。
…アレ?もしかして、さっきからアステリオスやヘクセンが何もしないのって、その制限のせいなの!?何その制限、今回みたいな場面は想定して無いの!?馬鹿なのっ!?
俺の視線から何かを感じ取ったヘクセンが睨んでくる。
『…お前が何を言いたいのかは、その舐め腐った表情から100%伝わった。そもそもココ…《グラン・ビブリオテカ》は、魔術師の同行無しでは入れん。そして、その魔術師は内部で力を制限される。その上、外部には強力な結界が施してある…そうやって、ここには戦火が及ばないように設計したんだ、私がな。ふんっ!』
…あ~、そうか。
ここはノクス・ミラビリスの本拠地であり、多数のアノマリーを保管する宝物殿のある場所だ。
仲間、アノマリー…ヘクセンにとって守りたい物が全て、ここに有るワケだ。
無力化はある意味、最大の防御だもんなぁ…。
『…ふむ、それにしたっておかしい。100の魔術を操る母なら、多少なりとも魔術が使える筈だ。…間違いなくソレも込みで設計している、そうだろう?』
…自分だけは魔術を使えるようにはしてたんかい!
そりゃそうだよな!自分が無力化しちまうんじゃ意味無いもんな!
『…ふん、確かに息子の言う通りだが、さっきから何かおかしいんだよ。この部屋にある魔力がやたらと不安定で、術が上手く実体化しない。』
何だそりゃあ?魔力が不安定?
俺は魔術師じゃないから良く分からねぇんだが…。
…!
ヘクセンの話を聞いていた神代が、やたらとニヤニヤしている。
なんだあの余裕は?
〈…お取込み中失礼します。〉
うぉっ!…プシュパカか、ビックリした…。
どうした突然?
〈最近の私は、異世界産アノマリーの解析も進めております。その途中経過で、魔力という物についても少々解明した部分があります。〉
お、おう。何だ?今それ必要な話なのか?
今取り込み中なんだが…。
〈神代という男…あの者の所持品から、マスターの所持する【偽装の眼鏡】と同じ系統の魔力を感知致しました。恐らく何かを偽装しています。〉
!!
神代に【鑑定】!
【神代 清夜】41歳
職業:魔術師 レベル:30
魔術結社ノクス・ミラビリス日本支部 副支部長
職業スキル:【魔力感知】【魔力操作】【火魔法】【影魔法】【恋の魔法】
装備スキル:【呪術】
E:白銀の懐中時計(ランク:C)
E:人皮の呪術書(ランク:B)
…もしかして、コレか?
神代の胸ポケットから見える、銀色の鎖に…【鑑定】!
【白銀の懐中時計】(ランク:C)
本来は魔力を流すことで、時の流れを一定時間遅くする力を持つ。
内部に異物が混入している為、現在はその動きを止めている。
偽装紋が刻まれている為、詳細は不明。
内部に異物…!コレだ…!
だったら【スナッチ】で取り上げてやる!!
…バチバチッ!!!
「!?何だっ!?何をしようとした!?…ふふふ、私に手を出そうとしても無駄だぞ!」
【スナッチ】を弾きやがった!?
…前にもあったな、こんな事…。
〈…今の反応、恐らく話に聞く【反発結界】です。「マギクリスタル」を使用した魔道兵装を所持していると思われます。〉
『…【白銀の懐中時計】。中に「マギクリスタル」使った魔道兵装を隠してやがるな?この部屋の魔力が不安定なのも恐らくその魔道兵装が原因だ。…お前、既にオルテックスとズブズブじゃねぇか。』
俺の発言に神代は驚きの表情を浮かべるが、すぐに元のニヤケ顔に戻って喋り出した。
「…ただの盗賊かと思ったら、中々鋭いじゃないか。…そうだ。オルテックスは私に対魔術師用の強力な魔道兵装を授けてくれた。この空間でマトモな術が行使できるのは私だけだ!…この際だ、オルテックスに渡す土産を二~三増やしておくか…貴様らの首でなっ!!」
言い終わるがいなや、狙いをヴァルトハイム親子に定めた神代から黒杭が放たれる!
すかさず間に飛び出し、体で受けて無効化する。
スピード特化の盗賊だから出来る芸当だ、流石俺。
『…ふんっ!これくらい自分で何とか出来るわ!』
『…強がりだ…助かったアリババ。感謝する。』
二者二様の反応が返ってくるが、流石に顔を見ている余裕は無い。
黒杭の攻撃は今も絶え間なく続いている。
『…だぁ~面倒臭ぇっ!コレどうするのが正解なんだ!?アイツの魔力切れを待てってか?』
〈奴が「マギクリスタル」を所持している場合、無尽蔵に力を行使できる可能性があります。〉
『なら、我が燃やすか?』
『…いや、アレが【反発結界】なら、アグニの火も通用するか怪しい。フルパワーの炎なら通るかもしれんが、ここには大量のアノマリーがあるし、火事でも起こしたらノクス・ミラビリスと敵対しかねない!』
考えろ…魔術が通らない、火もダメ…確か前の時は、単純な超質量攻撃でブチ破ったんだったよな…?
【反発結界】をぶっ壊せるような、圧倒的な暴力――
「…あ。」
…イケるかな?…どうだろう?
…やってみるか?
『…お前等、出来るだけ後ろに下がれ。』
攻撃を防ぎつつ、ヴァルトハイム親子とbeeに遠ざかるよう指示を出す。
俺はカバンに手を突っ込み、中から【錬金術師の驚異の部屋】を取り出した。
『…何だソレは?魔術書か?何をしようと無駄だ!この場で魔術を行使できるのは私だけ、それがルールなのだっ!!』
神代は勝ち誇ったような顔でそう言い放つが、残念。見当違いもいい所だ。
俺はページを捲り、目的のページを開いて神代に向ける。
「…よし、行ってみるか!…出てこい!!」
開いたページから、まるで飛び出す絵本のように中身が迫り出してくる。
…大きい。この宝物殿だってかなり広いが、それでもその巨大さは異様だった。
『…な…。』
『…あ…ああ…。』
…恐怖か驚嘆か、各々が引きつった声をあげて後退る。
…分かるよ。閉鎖された空間でコレと対峙する気分は、マジで最悪だからな。
「……ひっ…ひゃぁぁぁぁぁっ!!な、なんだコレはっ!?バケモノっ!!」
『ゴオァァァァァァッ!!』
そうだ、バケモンだよ。
ここからは地下洞の絶対王者、鱗の鎧を身に纏った十メートル級の怪物――白ワニがお前の相手だ。




