32.盗賊、商談する
少女のような姿をしたその人物は、しかし、間違いなくこの空間で最も威圧的な存在だった。
ノクス・ミラビリスのグランドマスター、ヘクセン・ヴァルトハイム。
見た目は十代中頃の少女にしか見えない。
陶器のように滑らかな肌、月光のような銀髪、深淵のような瞳。
そして隣に控えるのは、相変わらずの仏頂面を纏った青年、アステリオス・ヴァルトハイム。
同じ金色の髪を持つ二人が並べば、なるほど、血は争えない。母子だというのも頷ける。
…問題は、あの見た目で母親だという点なのだが。
『わざわざ来ていただいて済まないね。こちらから接触を図ったというのに、足を運ばせてしまって。礼を言うよ。』
柔らかな声が響く。その口調は丁寧だが、どこか底が知れない。
促され、用意されたソファに腰を下ろすと、ヘクセンはふと手を上げる。
『飲み物は紅茶でいいかね?』
次の瞬間、何もなかったテーブルの上にティーカップが現れた。
空中から紅茶が注がれ、湯気を立てる。
(牽制かましてくるなぁ…。)
…こっちも軽く自己紹介を済ませておこう。
『…ご丁寧な歓待、感謝する。俺の事はアリババと呼んでくれ。…トレジャーハンターなんだが、ちょっとこの界隈の常識に疎いもんでね。失礼があったら申し訳ない。』
口調はあえて正さず、物腰は柔らかく。
敵対の意志は無いが、下につく気も無いと最初に態度で表明をしておく。
神代さんは何か言いたそうにしていたが、その前にヘクセンが話し出す。
『…うん、分るよ。君からは熟練の魔術師よりも強い力を感じる。…私と同等の力を。』
ヘクセンの言葉を聞いた神代、アステリオスが思わずギョッとした表情を浮かべた。
…アステリオス、珍しく仏頂面を崩したな。
そりゃそうか。客人ではあっただろうが、まさかそいつが自分達のグランドマスターと同等の力を持っているとは考えていなかっただろう。
…俺にも分かる。【鑑定】を使うまでも無く、溢れ出す強者のオーラ…。
…おそらくヘクセンはレベル99の魔術師だ。
…確認のための【鑑定】は、今回は使えない。
高レベルの者は【鑑定】をかけられた事に気が付く。
ここで【鑑定】を使うのは礼を欠いた行動になるだろう。
『こちらはトレジャーハンターのbee。今回は相談役として、俺が同席を依頼した。』
俺がそう紹介すると、やや緊張した様子のbeeが一礼して話す。
『…beeです。ここであった事、聞いた事は絶対に他言しない事を、先に誓っておきます。』
『…うん、君の事も知っているよ。願わくばお互い、良き隣人でありたいね。』
ヘクセンは高背椅子に優雅に腰掛け、カップを片手に紅茶をすする。
その横に、まるで彫像のように微動だにせず立つアステリオス。
そして、入口…いや、もはや扉は消えてしまったそこに、神代が直立不動で控えていた。
『早速だが、商談に入らせてもらおう。我々ノクス・ミラビリスは現在、オルテックス・インダストリーと対立関係にある。先日、大規模な武力衝突が発生し、結果として我々側に多くの死傷者が出た。…具体的には、死者四十一名、重傷者百六十六名。これは、かなり手痛い状況だ。』
静かに、しかし重くヘクセンは言葉を紡ぐ。
ここまでの話は事前にbeeから聞いていた内容と一致している。
流石はbeeだな。
『私は“魔術師を作り出すことができる”。正確に言えば、魔術師の適性を持つ者を、特別なアノマリーの力で魔術師に変えることができる…が、そう簡単な話ではない。生まれたばかりの魔術師は弱い。研鑽を積み、経験を得て、ようやく戦力となる。重傷を負った彼らは、そうして育った貴重な戦力だった。私は彼らの努力を無にしたくない。…彼らの努力に、報いたいのだ。』
俺は無言で頷く。彼女の語る想いには、偽りが無いように感じられた。
『そんな折、我が結社の観測班が“癒しの秘薬”…【ポーション】の使用を感知した。我々の魔術的網は、世界中に展開されている。そこから君の存在を特定し、連絡を入れさせてもらった。不躾なメールを送ってしまったことは、改めて詫びたい。だが…それほどまでに我々の状況は切迫していたのだ。』
そこまで語ると、ヘクセンは紅茶を置き、こちらを見据えて言った。
『単刀直入に聞こう。君の持つ“癒しの秘薬”…【ポーション】の効果はどの程度のものか? そして、それをどれほど用意できる?』
その瞬間、俺の脳内にプシュパカの声が響く。
〈ノクス・ミラビリス側の現状を語られた以上、妙な出し惜しみをするのは下策と愚考します。最大限で答えて、最大の信用とリターンを勝ち取るのが得策です。〉
…そうか。そうだな。
『…死者は蘇らせられない。だが、生きてさえいれば、四肢欠損だろうが内臓損壊だろうが、完全に治癒できる。…重傷者は百六十六名だったな?なら、その全員が戦線復帰できるだけの【ポーション】を、俺が準備しよう。』
ヘクセンの目が、僅かに見開かれる。
『…本気かい?』
『もちろん。』
数秒の沈黙のあと、ヘクセンの口元に初めて微笑が浮かんだ。
『…そうか。これは嬉しい誤算だった。いや、これほど喜ばしいことはない。君には、こちらの無理な要求に応えてもらう礼をしなければな。』
彼女は椅子から静かに立ち上がる。
『対価となるアノマリーの選別といこうじゃないか。我らが宝物殿へ、案内しよう。』
そう言ってヘクセンが指をパチンと弾く。すると――
真っ白だった部屋が一瞬にして様変わりし、まるで劇場の幕が引かれるように空間が開ける。
その先に広がるのは、まるで幻想世界のような光景だった。
天井は高く、無数の星を模した魔法灯がゆるやかに瞬いている。
床は黒曜石のように滑らかで、踏みしめるたびにかすかな光の波紋が広がる。
左右の壁には荘厳な書架やガラスケースが並び、そこにはこの世界の理すら逸脱した品々が静かに鎮座していた。
白銀の鎖で幾重にも封印された剣。
歯車と青銅、真鍮で作られ、寝息を立てる小竜。
無数の針が交差し、盤上に輝く紋様を作り出すからくり時計。
そのひとつひとつがアノマリーであり、それぞれが秘めた力を持っていることが直感的にわかる。
そして、部屋の中央にそびえるのは、エメラルドで作られたような巨大なオベリスク状の構造体。
…どうやらこの宝物殿自体にも、強力な魔術がかけられているらしい。
呆然とする俺やbeeに向かって、笑顔を浮かべたヘクセンが言う。
『…我らノクス・ミラビリスが収集してきた超常の遺産…君に報いるに相応しいものが、きっとここにはあると思うよ。』




