第9話 「愚者」、「悪魔」と踊る。
神札『愚者』を展開した私は、全身に溢れる全能感に酔いしれる。
神札からあふれ出した魔力が私を包み込み、私という鋳型に押し込まれ密度を上げる。
あぁ、あぁ! なんと心地よいのだろう!
視界が広くなり、意識が拡大し、思考がクリアになる。
世界を構成する様々な色が鮮やかに見える。
風の流れが見える、舞い散る土埃が見える、世界に満ちる魔力が見える!
そして何より、敵の姿が見える!
ついさっきまで焦りに支配されていた心が落ち着き、自分の置かれている状況を冷静に認識できるようになった。
神札『愚者』。
つい先日私に降りてきた『力』である。
私が今引き出せる力は『夢想曲』のみだが、それでも非常に強力だ。
発動することにより効果を発揮し、魔力が続く限り《《私の全ての能力が底上げされる》》。
効果時間は私の魔力量だと3分23秒。
普通の身体強化魔術だと、どれだけ効率よくやっても精々1.2倍が良い所だが、神札『愚者』の強化倍率は恐らく2倍以上。
慣れればそれ以上もいけそうな感触がある。
今の所、全く使いこなせてはいないが、これが尋常な力ではないとは理解している。
少なくとも村の長老もここまで強力な魔道具は聞いたことが無く、神器というべきものではないかと言ってた。
まだ私が成人して間もない小娘という事もあるが、実力が村の自警団でも下から数えたほうが早かった私が、この力を得ただけで全員を相手にしても勝てるようになった事からその異常性は理解できるだろう。
まぁ、村の連中からはズルをするなと指弾されてしまったが。
何者かに貰ったとは言え、これは間違いなく私の力だ……と思う。
……ちょっとだけ自分でもズルいなって思う所もあるけど、譲り渡したり出来ないのだから仕方がない。
……まぁ、「そう言う事」にして私が渡さなかった訳だけどね?
これは私のモノだ。
そして、この力を振るって願いを叶えるのだ。
五感を含めた能力が強化される感覚は、何度経験しても色褪せない喜びを私に与えてくれる。
正直に言おう、ものすごく気持ちいい。
効果が切れた後の世界が灰色にくすんで見えるほどだ。
だが、それと同時にこの力は私の中の「何か」を削っているのも理解している。
恐らくこの力には明確な限界がある、それも不可逆的な。
乱用は出来ない、してはいけない。
そんな予感というか確信がある。
まぁ、それでも使わないで死ぬより、使って死んだほうがなんぼかマシじゃない?
どうせ人生は、一度きりなのだ。
気付けば陽はもう落ちており、空には星が見え始めていたが、廃屋に燃え移った炎がさらに大きくなり辺りを照らしている。
パチパチと木材が爆ぜる音も聞こえ、熱気で空気が歪み宵闇を焦がし、炎は生き物のように新しい建物を飲み込みその勢いを増している。
……これさぁ、なんか大事になってない?
村で火事を起こそうもんなら、みんなから袋叩きになるくらいの罪なんだけど、町だと違うのかな……?
というか、もしかしたら私もこの火事の共犯者になるの?
……ヤバくない?
炎の熱さによるものではない一筋の汗が、私の背中を流れる。
……おっと、違う違う。
ふるふると顔を振り、どうでも良い考えを散らす。
とりあえず目の前の男を何とかしないと。
ここで負けてしまえば、多分後の事なんて考える必要もなくなってしまう。
さっきはあんなことを言ったが、逃げられるなら逃げてしまいたい。
仕切り直しをして、何が足りなかったのか反省する時間が欲しい。
どれだけ無様だろうと、生きてさえいれば再戦も可能だろう。
何度負けても、最後に勝利すればよいのだ。
改めて私の前に立ち、ニヤニヤと薄笑いを浮かべる男を見る。
一見その薄汚れた服装やだらしない無精髭から、街に沢山いるチンピラの一人のように見える。
このアースという町に来てから何度も蹴散らした、そんな雑魚の同類だと錯覚した。
が。
気を付けて男の服装を見て見ると、履いている靴は汚れてはいるが作りのしっかりした革のブーツだし、ベルトも精緻な細工が施されたバックルが付いている。
何よりその鍛え上げられた肉体。
粗末な上着から覗く腕の太さなんて、私の腰くらいありそうだ。
ただ立っているだけなのに、打ち込む隙さえ見当たらない。
巨大な岩……いや、巨大な山のような存在感を感じる。
しかもただの山ではない、いつ噴火してもおかしくないような活火山だ。
つまり、擬態だった訳だ。
チンピラのように見える服装も、その身に纏った退廃的な空気も、全て偽りだったのだ。
ものの見事に、私はこいつの仕掛けた罠に掛ったのだ。
ギリッと奥歯を噛み締める。
ズル……じゃない、何たる未熟!
ヒントは沢山出ていたのだ!
そして、この男はそれをわざと残していた。
私が気付くかどうか試していたのだ。
ふふっ、戦う前から既に勝敗はついていたという事か……。
本当の強者はその実力を見せびらかしたりしない、師匠の言葉は本当だった。
おうちかえりたい。
なんで最初に会った神札の持ち主が、こんなとびっきりの化け物なのよぉ!?
私、なんか悪い事した!?
……まぁ、正直ちょっと、いや、いっぱい心当たりはある。
でも許して。
これからいい子になるから!
多分、きっと、メイビー。
もしかしてさぁ、他の神札の持ち主もこいつみたいな化け物揃いなの?
何かの間違いで目の前のこいつに勝てても、あと20回こんな化け物相手にしないといけないの?
無理無理無理無理無理ぃ!
勝てないぃぃぃぃ!
おうちかえる!
とまぁ、そんな風に現実逃避したくもなるよ……。
神札「愚者」の正位置の力を開放し、全能力を底上げしてようやく向かい合う敵の強さに気付くなんて。
私の勘が告げている。
今の私では、どんな手を取ろうとも目の前の男に勝つ事はできないと。
もう一矢報いるとかそう言うレベルでもない。
命を懸けても手が届かないだろう。
私とこの男とでは、谷より深く山より高い実力差がある。
多分一番いい手は、尻尾を巻いて逃げ出す事なんだろうけど……。
そう思い視線を彷徨わせる。
燃えている家屋に突っ込んで逃げる……だめだ、きっと炎で肺腑を焼かれる。
いくら神札『愚者』で強化していても、炎で焼かれれば死ぬ。
水を被ってたりすれば話は別だろうけど、井戸などは辺りに見えない。
背中を見せたら即座に切り伏せられそうだし……。
攻撃に見せかけて、アイツの背中の方に走り抜けるのはどうだろうか?
そう思い、奴の向こうに視線をちらりとやると、視線に気づいた男は薄く嗤って立ち方を変えた。
ほんの僅かな動きだけど、明確に私の進路を塞ぐような動きだ。
なんでわかるんだよ。
まさか私の考えを読んだ?
そんな馬鹿な。
「嬢ちゃん、分かりやすいぜ? 意図を読まれたくなかったら目は動かすな」
バレてる。
しかもアドバイスまで貰ってしまった。
はい、今後は気を付けます……。
今後があればね!
破れかぶれになってそんなことを考える。
……あれ?
んん~?
男の表情を見て違和感を覚える。
なにか、何か足りない気がする……。
私にあって、アイツにない物。
「あ」
思わず声がでる。
「ん? どうかしたかい?」
面白そうな顔をする男。
そうだ、何かおかしいと思ったら。
目の前のこの男からは、《《殺気を全く感じない》》!
その辺のチンピラでももう少し殺気を出す。
目の前のコイツは凶悪この上ない面構えだが、その気配は湖面のように凪いでいる。
いや、攻撃が飛んでくる場合はきちんと殺気が込められているんだけど、それ以外の時はスンって感じで収まっちゃうんだ。
……そう言えばさっきの攻防も、掠らせるだけで決して直撃はさせなかった。
あれ、多分当てようと思ったら全部当たってたはず。
直撃させるよりわざと掠らせる方が何倍も難しいと思う。
今更ながらぞっとする。
本当に今更だけどね!!!(ヤケクソ)
あんな丸太みたいな腕で殴られたら死ぬ、間違いなく死ぬ。
女子供に向けていい拳じゃないYO!
……ってことは、殺す気はないってこと?
なんで?
どうして?
まさか、女の子だから傷つけたくないなんてお優しい理由ではあるまい。
……出来るだけ無傷で捕らえて、女衒に売るつもりとか言われたら泣いちゃいそう。
でも、そんな下卑た感情は感じられないんだよねえ……。
私は世間知らずだけど、それくらいは分かる。
男の人が思う以上にそう言う気配には敏感なんだよ、女は。
なんか似たような対応された事あるんだけど、なんだっけ?
「あぁっ!?」
「うぉ!?」
急に大声を出した私に、男が驚く。
一瞬、この人の素が見えた気がする。
わかった!
この人の態度は。
指導だ。
この人は《《私に稽古をつけている》》、そんな感じがする。
なんで?
油断とかそう言うのじゃないのはわかる。
気まぐれ?
……。
わかんにゃい!
まぁ、殺されないなら胸を借りるつもりでいくかぁ!
全力を出した私より強い相手って初めてだし、当たって砕けろ!
そんな風に考えを切り替え、肩の力を抜く。
師匠に稽古をつけてもらってた、あの頃を思い出して。
「いくよ、《《おじさん》》!」
そう声を上げ、私は父の形見の剣を構えた。
『夢想曲』の効果時間いっぱいに、私の全てを出し切ろう。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「せいッ!」
何度目になるか分からないが、剣を袈裟懸けに振るう。
勿論、当てる気全開だ。
「ふッ」
おじさんは短く息を吐き、私の剣の軌跡をなぞるように動かす。
その瞬間、僅かに刀身がブレて狙いとはかけ離れた場所を切り裂く。
……剣の腹の部分を軽く弾いて逸らした!?
そんな事ってできる物なの!?
「……! それならッ!」
その動きを見て、新しい剣の振り方を考え、実践する。
「ったァ!」
横なぎに弧を描くような軌跡が「見える」。
私は何の疑いも無く、その線をなぞるように剣を動かした。
「……! やるじゃねえか、嬢ちゃんッ!」
おじさんは嬉しそうに笑い、軽く揺らめくような動きで「躱した」。
今までは全ていなされてたけど、今回は「躱した」!
つまり、今のは簡単には対処できなかったってことだ!
褒められて嬉しくなる。
「さあ、それだけで満足したのか? 俺ァ、まだまだ喰い足りねえ……ぞッ!」
その言葉と共に鋭い蹴りが放たれ、私の鼻を掠る!
「だぁぁぁぁっぁ!?」
こ、この美少女の鼻を何だと思ってるの!?
たらりと鼻から血が出る感触がする。
ぐいっと手で拭い、笑う。
いや、剣の稽古で鼻血くらいは日常茶飯事!
というか、この程度でこんな楽しい事は止められない!
「まだまだァ!」
やっと蹴りまで使わせたのだ、この先を見てみたい!
おじさんの本気を、少しでも出させてみたい!
楽しい!
楽しい!! 楽しい!!!
「まだまだッ!」
剣を上段に構え、振るう。
がくんっ。
力が抜ける。
『夢想曲』の時間が終わったのだ。
「ッ!」
振りが甘くなる。
ぱきん。
異音。
手に馴染んだ重さが、急に軽くなった。
「……え?」
「うお……!?」
おじさんと私の声がハモる。
《《剣が、折れた》》。
10年以上使っていた、父さんの形見の剣が。
呆然とそれを眺めていると、その向こうに見えたおじさんの顔が「やっちまった!」って言う後悔に塗れた顔だったのが、なんとも可笑しく印象的だった。