表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

「兄の結婚式の日に・自分の部屋で・きらきらと光る星を・さかさまにしたら何かが落ちました」


 ある妹の兄が結婚した。二人は十ほど年が離れているので、昔から妹の面倒をよく見た優しい人物だ。父は昭和の頑固さがあり厳格で寡黙だ。母は気弱で声が小さく細身だが気がよく利く。二人に育てられた兄に、唐突に新しい命が現れた時に兄は呆然としていた。もう十になる歳であるので、両親を取られたなどの嫉妬ではない。ただ呆然として、次に腹から沸き上がる思いが突き動かし、彼は積極的に妹をかわいがった。

妹は自分の部屋で支度をしていた。兄の結婚式に、彼女は親族側として当然のように参列する。母はお気に入りの着物を着ていくそうだ。だから着物にしようと言われたが、妹は断った。じゃあドレスならどうかという提案も断った。通っている高校の制服がいいと、彼女は自分の感性でそう決めた。反抗期ではない。ただ、着物やドレスが目に輝かなかっただけである。自分が通う高校の制服は、自分が暮らす地方の中でもっとも可愛いと妹は自負している。進学先をそこに決めた妹なので、結婚式もそれで良かった。慌ただしく動く父と母の手伝いもせず、ベッド脇に充電しているスマホを手に取り、支度をすると言いながらも友達と言葉だけの雑談に打ち込む。兄の結婚式だと打った後、そういえばと彼女はスマホを持ったまま立ち上がった。充電ケーブルが粗暴な外し方をされてベッドに倒れ込む。スマホのライト機能を点け、妹は片手でクローゼットを力いっぱい開けると、その中にある何かを探し始めた。

 そこには放り込んだ衣服や鞄が散乱している中で、唯一形を持っている箱を引きずり出す。片手では難しかったので、箱の上にスマホを置いて両手で持った。だがそれはプラスチック製の安い収納ボックスで、思ったよりも軽い。カーペットの上にスマホが転がり落ちた。その箱は何かが原因で、直射日光が当たらないにも関わらず黄ばんでいる。箱を床に置き、まず真っ先にスマホを拾い上げると、妹は一段しかない引き出しを開けた。引き出し部分に埃が溜まって独特な臭いがする。後で母親に掃除が甘いと文句を言わなければと思いながら、妹は中にあるものを確認した。そこに詰まっていたのは、星形のオーナメントである。クリスマスに毎年、兄が自分のためにと折ってくれたものだ。妹が八歳、兄が十八歳になるまでその恒例行事は続いていた。2メートルはあるクリスマスツリーの上に飾る星を、毎年兄がきれいに紙で作り、妹は色塗りや

飾り付けをしたものだ。兄と妹の星のようなかがやく思い出である。一番上に無造作に置いてある星は、兄が大学進学で家を出る前に作ったもの。それを妹は手に取った。八歳となると幼い頃のようにクレヨンで色を塗るなどせず、100円均一の店で買ったラメなどがちりばめられて、素人ながらになかなかの出来だと妹は自負する。そのオーナメントを持って行ったら喜ぶだろうか、十八歳で家を出て二十六歳で結婚するのだからきっと八年ぶりに見る思い出の品だ。きっと喜ぶだろう!と妹が意気込んで、星を持って立ち上がる。その時にふと、紙のとデコレーションの重さよりもその星がなんだか重い。動かすと中から、何か音がする。妹は記憶を辿るが、兄が手作りの星に細工をした覚えはない。ツリーに刺すために、星には丈夫な紙の芯が付けてある。そこから出るかもしれないと思い、妹は星を逆さにしてみた。ちりんと音を立てて、小さな鍵が出てきて、カーペットに落ちる。とても小さな音だったが、すぐに妹は屈み込んでそれを拾い上げる。見たことのない鍵だ。妹は首を傾げる。すると、母のもう行くからと大きな声が扉越しに聞こえてきた。はーいと返事をして、左手にスマホと右手に星を持って彼女は廊下に出た。父母は星を見て、なにか怒鳴っていたが、妹はにこにことして持って行くからと言い放った。父母は絶句していたが構うことはない妹であった。

 鍵はどこかに置いたのかポケットに入れておいたか、妹は兄の結婚式のことと友達との雑談に頭をほっぽっていたので忘れていた。母親が妹の部屋を掃除した時に見つけたのかもしれない。人の手が入って整頓された自分の部屋を見て、合格と妹は満足げに頷いてから部屋に入った。妹は夜遊びはしないが、家にいる時はスマホを離さないでずっと部屋で雑誌を読んだり動画コンテンツを眺めるのが好きな少女だ。塾なども行かないでいる。続かないのだ。彼女が机に置かれた小さな鍵に気付いたのは、金曜に夜更かしをしてそのまま寝てしまった土曜日の朝だった。なんだろうと思い返すと、兄の結婚式の日に見つけたものだ。あの日は確か、星を新郎である実の兄に見せた。兄はにこやかに笑っていた。だから持って行って良かったと思っている。そうだ、その星の中に入っていた鍵だ。彼女の部屋にある机は、母が掃除しやすいようにと引き出し部分に鍵が付いていないし、その他の家具も母が掃除しやすいからと鍵は付いていない。だから妹の部屋に合うものはない。妹は廊下に出た。まずは近い場所にある兄の部屋だ。今でも戻ってくる事があるかもと、定期的に母が掃除している。部屋の床には物一つない。クローゼットには来客用の布団と、何点か兄の物がまだ残っているらしい。だから妹は迷うことなくクローゼットを開けてみることにした。布団の奥に、衣類を入れる透明な収納ボックスが空のまま二個ほど積まれている。何も無いかと思うが、念のためにふかふかとした来客布団を踏みつけて、収納ボックスの横に無理矢理回った。二つ積まれているそのうちの下段に、中に入っているように色の付いた物がある。妹は布団を思い切り蹴り出した。邪魔だからだ。フローリングを質量のあるものを滑る音がするが妹は構いはしない。クローゼットの中にすっぽりと体が収まった妹は、下段のボックスの前でかがむ。便利にも、その収納ボックスは前からも扉が開けられる仕様だ。開ける時に少々ぎこちない音がしたが、開くのなら問題ない。そして中に入っていた小さなものをむんずと手に掴んで引き寄せる。それは手提げサイズの金庫だった。妹は首を傾げる。クローゼットの中は薄暗いため、先ほど蹴り飛ばした布団に飛び込み、仰向けに寝ころびながら金庫に鍵を差し込んでみる。がちゃり、と開いた。寝ころんだまま、妹は蛍光灯に照らすように金庫を持ち上げている。中から備え付けのコインケースが見えたが、そこには何も無いようだ。そうなるとそのケースの下に何かあるのか。薄い青色の布団に広がる妹の髪は、金色に染めて蛍光灯の下で光る。ケースをどかすと、何かがばらばらと彼女めがけて落ちてきたのだった。

思わぬ落下物に妹は目をしぱしぱとさせ、まだまだ落下物を吐き出す金庫を壁に投げ捨てた。鈍い音がしても気を払わず、とりあえず落ちてきた物を見てみた。それはすべて写真だった。だから妹に怪我はない。母親が音を聞いたら、何があったのかと聞いて気遣ってくれるだろう。怪我はないのかと自分を心配し、写真を片づけてくれるだろう。そうして妹は育った。遅く出来た子なので、両親も兄も溺愛されて育ったのだ。冬の寒い日には両親の寝室にやってきて、外気で冷たい手を父の背中にべたべたと付けても父は怒らなかった。父の背にしがみついて寝ようとして、固いからという理由で母のベッドに潜り込んだ。それが妹が中学を卒業しても続けていたが、二人は怒らなかった。でも写真くらいは片づけておこう、きっと母や父がそれを誉めてくれると妹は写真を拾い上げてみる。思ったよりも量があり、一枚一枚拾いながら見ると家族の写真のようだ。


このクラウドで保存出来る時代に、古風にもプリンとした写真を持っているとは兄らしい。兄は父の厳格な教えの元、優秀で勤勉でまじめだ。もちろん一般的に見ても身だしなみに気を使っているが、さわやかな好青年という印象だ。妹の周りには髪色はカラフルな異性が多い。兄の大事にしていたものはこの写真か、と謎をひもといた満足感に、妹は写真を拾い上げるのを途中でやめる。後は母親がやってくれるだろうと拾った分だけまとめて、布団の上に置いた。兄の部屋をそのまま出ようとした妹だが、ふと何故か、投げ捨てた金庫に目をやる。金庫がぱっくりと開いた中から飛び出たのか、何かが近くに落ちていた。虫か何かかと思ったが、茶色のUSBメモリだと気付いて妹は近寄る。記憶媒体だからなんとなく貰っておいて、自室に戻っていった。



ある日、兄のところに妹が来た。弁護士事務所で下積みしている兄のマンションは、妹の住むマンションよりも広い。どうやら妻が資産家の娘らしく援助を受けているらしい。アンティークな家具にカーペットが一面に敷かれた書斎のような場所に通されている。制服のシャツのボタンをあまり閉じない妹は、発育の良い体でにこにこと愛想良く笑っているが部屋とミスマッチしていた。


 「お兄ちゃん、お金持ちね」

 「そんなことないさ。今はまだまだ下積みだよ」

 「あのね、ちょっと教えたいことがあって」

 「なんだい?」

妹はスカートからUSBメモリを取り出した。件の金庫の中のものである。

 「鍵を見つけたんだぁ。あたしの部屋の星の中にあったの。ほら、結婚式で見せたでしょ?」

 「ああ、俺が作った」

 「あたしも作った」

 「ああ、そうだな」

妹はわがままだ。兄の彼は抑圧され、若干の反抗期もあったが妹は反抗期が無いらしい。それよりも甘やかされて育ち、父母はすべて自分の言うことを聞くとさえ思っている。だがそれが妹にとって自然だ。発達した乳房を押しつけて、まだ父のベッドに潜り込んでいる子どもらしい。兄はそんな妹を理解し、優しく自分が折れるのが常だ。

 「その中にいっぱいの写真と、これ見つけたの」

妹が笑う。いやらしい笑みで笑う。その笑い方をどこで覚えたのかと兄は愕然とする。


 「あたしの子どもの頃の写真。ト・ウ・サ・ツの」

中から出てきたUSBメモリを、妹は不在の兄の代わりに当然もらってもいいと考えた。そして何となく机の引き出しに入れ、忘れかけた頃に自分のノートパソコンに差し込んでみた。中身がみっちりと詰まっている事を知り、当然中身を閲覧してからフォーマットしようと思っていたのだが。その中には、肌色が多い写真ばかりだった。よくよく見ると若い父や母が映って、記憶の片隅にあるお気に入りのパジャマやコップを身につけている自分がいる。そこにあったのは、幼い妹のはだかだ。それもスマホで大量に撮ったらしく、スクロールしてもスクロールしても出てくる。そのすべてを眺めて、妹は何かを不意に思いついたらしかった。そうしてある日の訪問だ。

 「お兄ちゃん、ベビーコンプレックス?それかハイジコンプレックスとかいうのでしょ」

妹の裸の写真は、彼女が八歳になるまで続いていた。最後の一枚を見ると、八歳の時の誕生日プレぜントを持って興奮して走り回り、お風呂から裸で飛び出る妹が映っている。兄の秘密を偶然的に妹本人が知ってしまった。それももう子どもではない妹に。嫌な顔が出来る、知恵が付いた妹に。


 「お金、ちょっとほしいなー。最近パパもママもお小遣いくれないのー」

素行の悪い妹だ。兄を優秀に育て上げた反動か、妹を甘やかしたがその愛情はうまく伝わらず、進学の理由も薄っぺらい原動力だけで努力もしない。父と母が呆れながらも見捨てられない妹だ。兄は財布を探すふりをしながら、背にある壁一面の本棚に近付く。手間取って時間がかかっているので、妹が立ち上がって近付いた。遅いと言い掛けた彼女の頭を、兄は近くにあった辞書らしい分厚い本を手にしたが早いか、妹の頭を殴りつけたのだった。



 「妹の意識は続いている。遠くで父母の声が聞こえる。しばらくすると祖父母の声もした。でも誰も彼女を助ける素振りはない。妹の薄く開いた目の上に、何か茶色のものが掛かる。それを払いのける力が、妹の指先にはもうない。頭ははっきりしているのに、体がまったく動かないでいる。そのうちに目が何かに覆われ、まるで掛け布団をすっぽりかぶったような感覚だと思ったが、その掛け布団が水を吸ってずっしりと重くなり、鼻や口に突っ込まれたような感覚になる。どんどんと重くなる。まるで頭が破裂しそうな程な重みのまま、妹は意識を失った。兄の結婚式の前に、妹は自分の部屋できらきら光る星を逆さにした。気付くと妹はその部屋にいた。自分の好きな部屋。あって当たり前の部屋だ。そこに死を受け入れられぬように飛び込んで、もう一度繰り返している。鍵はどこのものだろう。とりあえず星は持って行かないといけない、きっと兄は喜ぶだろう、八年ぶりに見るのだから!

 兄は飛び起きた。激しい動悸と息切れがした。天井は見知った自分の家で、寝心地は間違いなく自分のベッドだ。だが背中に汗が垂れているからか居心地が悪い。どうかしたのと隣で優しく問いかける妻が、心配してベッドから出て背中をさすってくれた。

大丈夫、大丈夫と兄は繰り返す。義姉は最近多いわねと、夫の体調を心配して月光の中で顔色が曇っている。兄は妹の視界を見せられた気がして、ずっと悪夢に苛まされていた。勤勉で優秀でまじめで、自慢の孝行息子で将来も期待されている、そんな人間が、無防備に走り回る妹のはだかで性的欲求を満たして何が悪い!

妹を殴った後、兄は両親を呼びだした。USBメモリは妹が机に置いたままなので、どこまでも頭の働きが抜けていると侮蔑しながら、自分のポケットに突っ込んでおく。両親には、金を強請られて嘘の話をすると義両親にばらすと言われたと泣きついた。両親は自分の父母に連絡をし、書斎のカーペットにほんの少量の妹の血が染みたが、兄はカッターで自分の指を切って上掛けし、取り替えが出来るカーペットなので汚れた部分だけを丁寧に切り取って捨てた。代わりのカーペットを差し替える。出掛けている妻への工作だ。そして意識はあるが動かない妹を、まるで病人のように車に運び込み家へと連れ帰ったのだった。そうして都合を付け、三人の親子は祖父母が所有する片田舎の山に向かう。祖父母も山の麓で合流した。傍目から山菜採りにでも来た家族だろう。私有地なので、他人の目は無い。ビニールシートに包み込まれた人型のものを、兄父祖父で運び込み、母と祖母は線香を焚き、花束を携えていた。三人がかりで掘った深い穴に、シートの中身を投げ入れると土を上から掛けてそのまま埋める。兄が埋まりきる前に花束を投げ、父は臭い消しになるかもと炭を投げ入れた。母は大量の線香に火を付けて投げ入れ、土をさらに掛けて完全に元の地面までの高さに戻してしまう。掘り起こした後は残るが、近くの葉を掛けてごまかす。そうして、工作はすべて終わった。

 彼ら家族にとって優先すべきは妹ではなく、兄だった。本当の理由を告げてはいないが父母は兄を慮ってか内容までも聞き出さず、ただ隠し通そうという覚悟でいるようだ。その間に、妹は兄の結婚式の日に自分の部屋で、きらきらとした星を逆さにして鍵を見つける。土に埋められた苦しさに耐えかね、自分の死を受け入れられずに念じる事で自分の部屋に何度も何度も何度も戻っているのかもしれない。荒唐無稽な話だと兄は考える。そんな事が起きるのはエンターテイメントだけで、架空のものだ。現実は今ここにある妻との暮らしだ。兄の結婚式の日に自分の部屋できらきらと光る星をさかさまにした何かが落ちました。お兄ちゃん。お兄ちゃんって。ここは自分の家であり妻の家から援助された高級マンションだ、地方都市だが都会の方だ。夜の喧噪も聞こえない高所の家だ。だからここにいる自分が、世界で一番大事で世界では優遇されるべきなのだ。

トミイ・トロット ほうりつか ベッドをうって わらにねた おくさんにかがみをかうために。妹に親が買い与えたマザーグースの歌の一つを、妹があの声で上機嫌に笑っている気がした。お兄ちゃんの結婚式の日に。自分の部屋で。きらきらと光る星を。さかさまにしたら鍵が落ちました。お兄ちゃんの結婚式の日に、自分の部屋で、きらきらと光る星を、さ身様にしたら、何且座が落ちました。」


 「あなた、私に何か隠し事してるでしょ?」

妻の声に、兄が錆びたネジで無理矢理回したかのように首を回した。

 「瞿苦死子と」


(2023.1.26作成)

(タイトル:『一行作家』より)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ