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第91話 Fさん、一緒に「ガスライティング」対策を考えませんか?

〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください

(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)



〔7月18日分の記述〕


 Fさんへ。

 

 今日は本当は2016年7月22日です。

(小説の日付が合わなくなっていますが、気にしないでください。あくまで読み返す際の目次のようなものですから)


 ポケモンGO、やってみました。


 インストールに時間がかかった、サーバーが混み合っているのでしょうか?

 簡単な設定で、すぐにゲームが始まる。家のすぐ外にポケモンがいた。


 結論から言うと、僕のスマホは2日くらい電源を入れっぱなしだったので、調子が悪かった、途中でフリーズしてしまう。

 ポケモンを捕まえたところで完全にフリーズ。


 再起動するとようやく捕まえた後の画面にすすめた。


 …なんかすげー時代になったなーと思う。



 仮想現実のゲーム、キャラクター次第では大ヒットすると世界中の人が「知って」しまった。

 これから、こういうゲームが次々に出て来るのだと思う、そのうち「こういう」テーマで「映画」までできるかもしれない。



 皆が「知って」しまうと?

 いろいろ動きがあるのかもしれない。


 僕は何度も書いた、これは、教えが正しいとかどうとかいう問題ではない、人としての“質”が問われているのだ。

 理由さえあれば、組織を離れてもいいと思う。


 君が君らしくいられることは、本来誰にも非難されることではない。


 誰かが、何かを捻じ曲げているのだ。


 もし今でもわがままとかいう人がいたら?


 こう言い返せばいいと思う。


「あなたのわがままは相当ひどいものだったけど、私は騙されてきいてしまった。その事実を皆が知ってしまう現実の前に、よく私がわがままとか言えるわね」と。


「誠意を示したと皆が認めるには、言葉だけでなく行動も必要よ。とりあえずハンコついてくれる?」

 と、離婚届つきつけてもいいかもしれない。


 “彼ら”的行動とは、「熱気ねっき」にあてられて思わず興奮する集団恍惚しゅうだんこうこつ状態が作り出すものだと思う。

 これが、お祭りとかスポーツならまだいいが、

 犯罪行為に集団恍惚しゅうだんこうこつするのは、間違っている。

 …でも、恍惚こうこつ状態にあると、理性的判断が出来なくなり、皆、別人に変ってしまい、犯罪も肯定する人間にさせられてしまう。

 こういう状態を一般に「トランス状態」と呼び、暗示を「ものすごく」受け入れやすい状態、と理解しないといけません。

 一度暗示に「かかる」と、なかなかとれない。

 君のまわりを見回してほしい、事実、普段はいたって「普通」なのに、“彼ら”の悪意に関しては「正常な思考」が出来ない人、多いと思う。

 それは、暗示にかかっているからだと思う。

 

 もちろんこれは推測を書いているに過ぎない。

 その世界がそこまで「本当に」酷かったら、そうとう病んでいる事になる。

 「病んだ人間を救う」のが本来の仏教であり、「病んだ人間を大量生産する」事はカルトの思考です。

 そこは、どう屁理屈をこねても、覆せない、当たり前の真実だと、「普通」の感覚の人間なら思うところです。

 …Fさん、戦ってほしい。

 君を責めたりはしない、そういう環境に問題があるだけだ。

 時々近況を書きます。


 Fさんの手紙、待っています。




 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。

 実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

 がんばれ!まけるな! 

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〔7月19日分の記述〕


 Fさんへ。

 

 今日は本当は2016年7月24日です。

 夜勤なので、今日午後3時半過ぎに家をでて、コンビニによってから、仕事場へ向かいます。


 車を新車にしました。

 前の古い軽自動車ではなく、最新式です。


 古い車との差がものすごくて、軽くカルチャーギャップを感じています。


 「スマートキー」、以前から存在は知ってた。

 けど、実際使ってあんなに便利なものとは思わなかったです。

 キーを出す必要すらないなんて…。


 鍵の閉め忘れもないみたいで、ほっとくと自動で閉まる。

 以前停車中に“彼ら”とおぼしきおじさんに勝手に乗り込まれたこともあったが、そんなこともなくなるだろう。


 パワーもものすごい。

 箱根で試してみたけど、まったく不満がない。ぐいぐい加速します。坂道でへばっていた以前の車とまったく違う。


 燃費も格段に違う。

 前の車では箱根越えで、往復するなら?燃料満タンでないと不安があった。

 しかし、今の車は燃料半分で楽に往復できる。すごいです。


 四駆のターボだから車高が若干高い。

 同型車と並んでも、こちらの方が高く、違う車のような印象をうけます。



 …で、こう思う。


 ”彼ら”は車を乗り換えると、同型車で大量にやってくるという現象を起こす。

 最近、あれほど見かけたJB1型(=年式を指す)ライブと言う車に、全く遭遇しない気がする。気のせいだろうか?


 正直、今回の車はレア仕様だ。

 生産台数そのものが少ないと、ディーラーで言われた。

 試乗車もなく、仕方なく四駆ではなく二駆のターボ車で試乗したくらいだ。


 レアな車にさらにめったにしない外装にしてみた。標準オプションなんだけど、めったに見ない。

 やるなら度胸のいる外装オプションだ。


 ”彼ら”はしつこい、果たしてどう出てくるか?



 Fさん。

 明日は夜勤明けで、いつものルーティーンで行こうと思う。

 千本松原の海岸線へ車で移動し仮眠。

 その後、トロンボーンやら、スケボーやら、サイクリングで息抜き、食事をしながら読書なども。

 最後は「ざぶーん」でサウナを楽しんでから、帰ろうと思う。


 “彼ら”的行動とは、「熱気ねっき」にあてられて思わず興奮する集団恍惚しゅうだんこうこつ状態が作り出すものだと思う。

 これが、お祭りとかスポーツならまだいいが、

 犯罪行為に集団恍惚しゅうだんこうこつするのは、間違っている。

 …でも、恍惚こうこつ状態にあると、理性的判断が出来なくなり、皆、別人に変ってしまい、犯罪も肯定する人間にさせられてしまう。

 こういう状態を一般に「トランス状態」と呼び、暗示を「ものすごく」受け入れやすい状態、と理解しないといけません。

 一度暗示に「かかる」と、なかなかとれない。

 君のまわりを見回してほしい、事実、普段はいたって「普通」なのに、“彼ら”の悪意に関しては「正常な思考」が出来ない人、多いと思う。

 それは、暗示にかかっているからだと思う。

 

 もちろんこれは推測を書いているに過ぎない。

 その世界がそこまで「本当に」酷かったら、そうとう病んでいる事になる。

 「病んだ人間を救う」のが本来の仏教であり、「病んだ人間を大量生産する」事はカルトの思考です。

 そこは、どう屁理屈をこねても、覆せない、当たり前の真実だと、「普通」の感覚の人間なら思うところです。

 …Fさん、戦ってほしい。

 君を責めたりはしない、そういう環境に問題があるだけだ。

“生き直し”って出来るんです。悔やんでいるならOkです。大丈夫です。

 寛大な人は、「好きにしなさい」というタイミングを推し量って様子見をしていると思う。


 君は誰のものでもない、君の心も身体も、すべて君自身のものだ。誰のものでもない。

 誰かにゆだねることがあっても、それは君自身がゆだねただけの事であり、基本的に君自身のものであることに変わりはない。


 たぶん、同じ記憶を共有する君になら通じると思う。僕は君の自由を奪うような行為はなにもしていない。…なぜならば、僕は「そのままの君」が好きだからだ。



 時々近況を書きます。





 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。

 実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。

 Fさんの手紙、待っています。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

 がんばれ!まけるな!


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〔7月20日分の記述〕


 Fさんへ。

 

 今日は本当は2016年7月27日です。

 

 今「波の音」を聞いています、これをかけるとやっぱり落ち着きます。

 今日は、夜勤明け休み。


 けどなぜか呼吸が落ち着かない。


 どうも神経が高ぶったまま、なかなか落ち着かない様です。


 試しに「深呼吸」してみると?

 スムーズに深呼吸できない、道理で気持ちが落ち着かないわけだと納得。


 夜勤続きで体のリズムが崩れているようです。

 放置するのはよくない。



 とりあえず「波の音」で、リラックスしているけど、本格的に体調を整えるのは、全身運動が必要と思う。明日、天気よくないみたいだけど、サイクリングへ行こうと思う。


 車もやっと新車が来ました。

 いままで代車だったので自転車積めなかった。


 今日新車にサイクルキャリアを取り付けたので、ようやくロードバイク積んで「遠出」できます。

(今回の車は車高が180センチある。これにルーフボックスをつけると、2.1メートルを越えてしまい、立体駐車場に入れなくなる可能性があります。小さいボックスに買い換えようかとも思ったが、それでもむりみたい)


 ルーフボックスがないから、収納を工夫しないといけない。

 昨日、オートバックスでいろいろ物色してきました。天井スペースに何かしらの収納を作ろうと思います。一緒に車内カーテンも設置して、中で着替えできるようにしたいです。

(サイクルウエアを着たり脱いだりするスペースが前から欲しい、というのも今回でかい軽自動車を購入した理由の1つです)


 

 Fさんは車はあまり興味ないのかな…。

 けど、乗りもの好きだったよなー、などと思ったりします。



 オートバックスは長泉店に行ってみた。


 帰り道、懐かしくなる。


 2人で並んで歩いた下校の道。

 走るだけで、当時の思い出があふれてくる…。


 たまたまその時聞いていたのがGReeeeNのキセキだったのもあって…。

(で、次にかかったのが松任谷由実の「あの日に帰りたい」だったりする)



 今でこそ白状します。


 この思い出が、僕の妄想であったら、どれだけ楽になれるだろう、そう思ったことは一度や二度ではない。何千回とある。

 しかし、妄想で片づけることはできない。Fさんは実在の人物だからだ。

 君の存在を否定することは、現在の僕の価値観の崩壊を意味する。

 君にもらった思い出は、僕の人格の一部だからだ。


 それでも何千回と思った。

 これが妄想であれば、どれだけ楽になれるか、と。


 けど、妄想であるはずがない。


 そして、もし、Fさんが戦っているならば、僕があやふやな態度をとってはいけないのだ、と。


 そう、何千回と、何千回と、心の中でそう思った。


「紅の豚」を一緒に見に行ったとき、君は明らかに自分とヒロインを重ね合わせて話していたし、僕と豚を同一視してはしゃいでいた。

 Fさんは戦う豚をのぞんでいたのだ、だからこそ、この小説は「闘豚とうとん」という名前で書いているのだ。この名前は、書き始めたときの僕の決意の命名だ。そして、その気持ちは、今も変わっていない。



 感情があふれてぐちゃぐちゃになっても、逃げてはいけない時がある。

 たぶん…いろいろあるのだと思う。手に負えない状況なのかもしれない。

 僕は、Fさんとあたらしい世界を共に歩みたいと思う。


 いろいろ言われると思う。けど、がんばって。負けないで欲しい。

 狭量な人達が押し付けてくる“勝手なイメージ”なんか跳ね除けて!

 自分の心を取り戻すべきです。

 心が狭くなると人の命まで軽くおもえるようになるのよ!と言ってやってください。



 いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。

 いろいろあると思う。けど、がんばって。負けないで欲しい。

 多分君の周りには悪意なく“そういう事”が出来る人がたくさんたくさんいると思う。

 それは悪意があるのではなく、心が内向きになっていて、外に向いていないからだと思う。

 心が外向きになれば、人として持つ“当たり前の感情”が戻ってきます。

 そう、周りの人に言ってやってください。


 繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。

 きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。


 君は君の心を信じて良いのだと思う。

 


 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。

 無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。

 実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 君の人生には、すべて意味がある。

 そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、輝きを取り戻した君に伝えます。

 


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。Fさんの手紙、待っています。

 がんばれ!まけるな!


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〔7月20日分の記述〕


 Fさんへ。

 

 今日は本当は2016年7月30日です。

 

 今日は夜勤なので午後3時半に家を出て、コンビニによってから仕事場へ向かいます。

 明日の夜勤明けは?原の海岸へ移動し、仮眠したら?

 午後3時にはざぶーんへいって温泉に入りたい。


 …で、夕方「サントムーン」へ移動して、100均でワイヤーネットを買って、ちょっとした工作をしたいのだ。



 漫画を描くうえで、6ページほど同時に見れるように、壁に原稿を「掛けたい」のです。

 それも、なるたけ、おしゃれにね。


 作業中のちらかりすら、おしゃれにできれば、部屋の使い勝手が向上します。


 最近この辺をずっと悩んでいました、解決したい課題です。


 最近ニュースで、自民党の谷垣幹事長が、ロードバイクで事故って再起が危ぶまれているという報道を見た。僕もささやかながらロードバイクに乗る。確かに危険な時もあり、命がけな時もままある。他人事ではない。

 でも、だからといってロードバイクをやめてしまうのは、なんだが間違いだと思う。

 ちょっとなんかあったくらいで、やめてしまうのは、間違いなんだと思う。


 ささやかでも、続けることに、意味はあると、僕は信じます。


 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。

 無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。

 実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 君の人生には、すべて意味がある。

 そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、輝きを取り戻した君に伝えます。

 


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。Fさんの手紙、待っています。

 がんばれ!まけるな!

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〔7月21日分の記述〕


 Fさんへ。

 

 読書において「何が」楽しいか?というと?

 自分では絶対に理解できないような難しい本に「挑戦」し、偶然にも理解の手がかりをつかんだ瞬間が楽しかったりする。


 最近読んでいる、講談社新書「信じていいのか銀行員 マネー運用の本当の常識」は、久々に出会った「マジ本」だと思う。本当に本当のことを書いている。

 正直理解は難しい…。しかし、理解できたら?いままで理解できなかった投資の世界がよりわかるようになると思う。



 以前読んだ本に「実学」と言う言葉があった。

 これは金融の「理論」には精通していても、実際の運用は苦手な人が、「私は、実学は苦手なんです」みたいに使う。

 経済学部をでたものの実際に運用をしたことがない人が使うらしい。

 たしかに、マクロ経済学を勉強しただけでは?実際の運用には役に立たない。



 投資の本などの多くは、どうチャートを読んだらいいか?と言う本が実に多い。

 というか、ほとんどがそうだ。

 しかし、講談社新書「信じていいのか銀行員 マネー運用の本当の常識」の中では、チャート分析は素人を投資の世界に引き入れるためのものにすぎず、実際の運用には役に立たないと切って捨てている。素人受けする役に立たないものだと言ってのけているのだ。

(実際、チャート分析はほとんど「占い」に近いレベルだと、僕も思う。あれにはまると方向性を見失いかねない)


 この本の内容を理解するには何が大事か?

 自分なりに読み込んでみた。


 何度か見返すうちに、どうやら、「ここ」が大事な部分らしい、という場所がわかってくる。

 「ここ」が理解できないと、後にも先にも、話がすすまない、という部分があるのだ。


 その部分には、こう書かれている。


 P(株価)=E(1株の利益)/r(要求リターン)-g(利益成長率)


 r「要求リターン」とは?=金利+リスクプレミアムのことらしい。

 (リスクプレミアムとは?実はここがよくわからない)



 とりあえず、この著者の本をあと何冊かアマゾンで取り寄せました。

 全部は理解できなくとも、大雑把な理解でいいから、イメージできるようになりたい…。

 そう思う、今日この頃です。


 こういう「生きた」本はいいです。

 内容に活力がある。こういう本、好きです。



 Fさん、今日あったことを書きます。

 前回書いたように、漫画の原稿を壁に掛けれるように工作しました。


 しかし、夜勤明けで買った材料だけでは足りなかったので、今日、車を飛ばして追加購入してきました。道すがら、こういう事がありました。


 道端で、立っているおじさんがいる。

 そこはバス停でもない、なのにバスでも待つように立っている。だれか迎えの車でも待って居るのだろうか?そう思った。

 その初老の男性はこっちをにらんで、体の正面を向けていた。

 これで、こちらの動きにあわせて、体の正面を動かしたら“彼ら”の動きと同じだよなー、と思った。こちらはあえて目立つ車に乗っている、監視する側には見つけやすい車体だ。

(本来の僕なら?目立たない車を選ぶかもしれない…、しかし、どーせ見られているなら、かっこいい方がいい、そう思って今の車に乗っています)


 この初老の男性は、こちらの動きにピタリ合わせて体を動かした。

 遠ざかってもこちらを向き続けている。

「うわ、久しぶりに見た」

 そう、思った。


 顔はやらされている感は全くない、自分の意志でやってる感がでていた。


 以先ほどの本にこういった趣旨の事が書いてあったあった

「悪い銀行員である必要はない、会社の利益と出世に興味があるだけで、ごく普通の人がそういう事をしてしまう」といった内容の記述だ。


 

“履き違えた大人の事情”なんて知ったことではない。


 人間賛歌ってまだ、死語じゃないと思う。


 心と身体は君のものです、誰のものでもありません。



 時々近況を書きます。


 Fさんの手紙、待っています。




 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。

 実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

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〔7月22日分の記述〕


 Fさんへ。


 こんな事も思う、Fさん。たぶん、君は僕を許さないだろうと。

(Fさんは本音を言ってほしい、と思っているはずだ)



 本音を言えばこうだ。

 Fさんに救われたのは事実だ。


 たぶん、Fさんとの思い出がなければ、僕は殺されていただろう…。

 そして、君とのつながりがなければ、僕に“彼ら”に対する反撃の糸口はなかった。


 君の生活を破壊したことになるのだろうか?

 怒っているのだろうか?


 何度も頭を巡った。


 もし再会したら、僕はFさんに刺されるかもしれない。

 …そんな事すら思った。



 利用したことになる?


 そんなつもりはなくとも、そう感じる第三者はたくさんいるだろう。



 Fさん。あの時くれた、君の手紙にこうあった。

 私が、間違っている時は、しかってほしい、と。


 もし、君が“彼ら”の活動をしているなら?

 それが君の望むものでないことだけは、間違いないと思った。


 いいわるいはともかく、慣れ親しんだ世界を捨てるようにいう事にどんな意味があるのか。


 しかし、それをしなかったら。僕は殺されていただろう。


 もし、再会したら、いやできるはずがないが、もしするなら。

 謝らないといけないのだろう。大変な目に合わせてしまったと。


 それでも君が許してくれるという、あまい期待がないわけでもない。


 しかし、常識的に考えてそれはあり得ないだろう、とも思うところだ。


 もし、君が“彼ら”から今距離をとっているならば、それは君の潜在的な心の声を、僕が後押しした結果になる。

 もし、そうでないなら?せめて人を貶める活動からだけは、離れていてほしいものだと思う。



 最近、僕の働く施設の利用者さんが、こんなことを言った。

「役員がわるいのよ」と。


 この人のある種口癖だ、時々このセリフを言う。


 この人は“彼ら”でないと持つはずがない所持品を持っている。いまは執着がないらしいが、かつてはメンバーだったらしい。


 僕はよく「そちらの世界の幹部がわるい」と書いてきたが、もしかしたら「幹部」ではなく「役員」と書いた方が正しいのだろうか?



 僕は自分の身を救うために、君の生活を変えてしまったのだろうか?

 君はそれを許してくれるのだろうか?


 そう、思う今日この頃です。


 この世に完璧な正義なんかない。

 必ずいい面と悪い面がある。


 “彼ら”の世界にも捨てがたい、愛着あるものがあるのかもしれない。


 それでも、これが僕の本音です。


 「役員」はやめてほしいし、ならないでほしい。

 「人を貶める活動」もやめてほしい。


 組織を離れられないなら、この条件で、その世界にとどまれるよう、努めてほしい。


 君が僕の前に現れないのは、僕を許せないからだろうか?

 それとも、いまだ戦っている最中からかもしれない。


 それでも、前を向き続けてほしい。




 このままでは“彼ら”につぶされそうだ、そう思う事が時々ある。

 君に「前を向き続けてほしい」とか書いときながら、書いている張本人がこれでは、まずいよなと、思わなくもない。


 Fさん、かなわないかもしれない。


 それでも抗い続けようと思う、あきらめが悪いのが僕であり、いつまでも考えを変えないのが、君の知る僕だと思う。

 だから、抗い続けようと思う。



 具体的には?


 8月、ついに前々から考えていた「カヌー」教室へ予約を入れました。

 もし、気に入ったら、何度か通って、実際にカヌーを買うところまで行くかもしれない。

 空気を入れるタイプのカヌーなら、原付バイクほどの金額で購入も可能だし。


 9月、サイクリング大会にエントリーしました。

 80kmコースなんだけど、峠越えがある。

 この距離なら普段から走る距離なんだけど、僕は峠越えが苦手で、果たして完走できるか微妙です。

 これでも初めての「公式大会」、チャレンジです。


 10月、大手旅行会社のツアーに参加しようと思う。横須賀沖の無人島にいくツアー。

 一人旅は仲間ができるか孤独に終わるかわからないが、チャレンジです。


 11月は未定。

 でもなにか「チャレンジ」することを入れてみたいと思う。

 スカイダイビングとか、ダイビングとか、やりたいことはまだまだある。

 あえて人ごみに飛び込むようなことをしたい。

 なにも変わらないかもしれない。


 …しかし、君に「前を向き続けていてほしい」と言っている僕が、何もしない姿を君にさらしているわけにはいかない。



 君は、本音を言ってほしいと言っていた。


 今でもそうなんだと確信します。


 本音を言います。

 もう、昔の君にかえってくれとは言わない。

 でも、自分のなかのチャレンジする心を、消さないでほしい、忘れないでほしい。

 僕のあこがれの人が、光を失わないでいてほしい。


 それがかなわないなら?


 せめて許してほしい。


 そう、君に伝えます。


 Fさん、幸せになってください。


 いつかの再会を信じて、負けないでほしい、がんばれ!

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〔7月23日分の記述〕


 Fさんへ。

 今日は本当は2016年8月16日です。

 昨日夜勤明けでした。


 昨日は午前9時半くらいに夜勤をあがれた。

 職場変更したおかげで、夜勤明けの退勤時間が常識的な時間になることが多くなりました。


 8月は、本気で今描いている漫画を完成させる!ことを目標にしている。

 いつものルーティーンでは時間の浪費が激しすぎる、一考が必要。と最近思っている。

 故に、ざぶーんへは行かずに自宅へ直行、休むことにした。


 最近自分に課していることは、仕事が終わったら?本当に何もしない時間を3時間~4時間すごす、というルール。

 帰宅し、ベランダの植木に水をやってから爆睡した。

(最近ベランダガーデニングが進化中。ラベンダーは花こそ咲かないがどんどん大きくなっている。もともと見切り品を安く買ったものなので、回復している様子は見ていてうれしい。白い花、名前は忘れたが、これも終わり気味の花だったんだけど、鉢を大きいものに植え替えたらびっくりするほど元気になり、咲きまくっている。芝桜も復活してきた、今はプランターに植えて様子見をしている、もしプランターいっぱいに広がったら株分けして、もう1つ別のプランターに入れるつもりです。来年の春には白い芝桜がみれるかもしれない。あと30センチくらいの「コキア」という木を2つ買った。後々1メートルくらいになるという、本当にそうなれば目隠しにちょうどいい。それに秋には紅葉するという、楽しみです)



 TVをつけながら寝るとよく寝れることがおおい。

 2時ごろ目が覚める、睡眠時間5時間くらい…ちょうどいいころ合いです。


 この間、見ようと思って時間が合わなかった映画「シン・ゴジラ」が見れる時間だったので、この際見に行こうと思った。見れるときに見ないと見損ねる、タイミングというのは大事です。


 映画館はサントムーンにした。

 いつもは閑古鳥がないてるのに、この日はものすごい人がいる。

 夏休みだからなのか?あるいは僕が行くときはたまたまいつも人がいないのか…。


 昼飯を食べてなかったから、サントムーンのシネコンで多めの食事を買う。

 

 映画はなんというか、不思議な感覚だった。

 庵野秀明監督は、もともと特撮ファン。

 特撮からインスピレーションを得てエヴァンゲリオンを作った人。

 この超が付くほどの特撮オタクがゴジラを撮ったらどうなるか?


 正直、監督、大人になったな…というのが第一印象。

 サブカルっぽい要素がうすく、かなり硬派な映画になっていた。

 エンターテイメントではなく、災害シュミレーションに近い印象。


 先の原発事故の政府の対応と重なって、かなり社会派な内容だ。


 あれほど視聴者サービスを長年追求してきた人物が、まじめに硬派に作るとこうなるのか!

 …という印象。

(そうは言えども、ラストのラストに監督らしい視聴者サービスを用意している。映画「巨神兵東京に現る」に通じるようなサービスカットがあるのだ。まるで最後の最後に我慢しきれずにやってしまった…かのような。故伊丹十三監督も、「マルサの女」のなかで見ているものにわからないシーンをわざといれたりしていた、あれに似ているかもしれない。作品に謎をのこし、わざと未完成な感じを残すのだ)


 映画を見終わった後、自宅で夕食をとり、漫画を描いた。

 完成は近い。

 これが面白いかどうかはわからないが、ともかく描き切ることが大事です。


 こんな事も思う。

 現在8ページ完成させるのに3週間ほど使っている。


 次回作は意図的にページ数を絞れれば?

(できれば16~32ページにしたい)

 製作期間を短縮できる。


 今回の作品で学んだものが応用できれば、できるような気もする…。

 わからないけど、以前よりは自分のインスピレーションをコントロールできるようになったと思います、たぶん。




 時々近況を書きます。


 Fさんの手紙、待っています。




 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。

 実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

 がんばれ!まけるな!

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〔7月23日分の記述〕


 Fさんへ。

 今日は本当は2016年8月18日です。

 明日は夜勤で午後3時半家を出て、コンビニによってから仕事場へ向かいます。


 カヤック。


 カヤックと言えば、水の上に浮かべてのる例のあの乗り物だ。

 特別な乗り物だと思う、そうそうめったに乗れない、そう、思っていた。


 特別な免許や、特別な、許可がいるのだと思っていた。

 

 しかし、今日やってみて思ったのは?


 まったくもって「フリー」。完全に自由。規制らしい規制はない。


 川に入るのに河川事務所とかの許可なんかいらないし、免許もいらない。


 自由です、自由すぎます。まったく特別でない。


 しかし水面に降りると?別世界が広がっている。

 水鳥と同じ目線で世界が見れるのだ。


 水面を漕いでいると?水鳥が飛ぶのが見える、けっこうあちこちにいて驚きます。

 水の流れも一定でない、水深などにより結構変わる。


 狩野川はリバーカヤックをやるには、穏やかな川らしい。

 しかし、それゆえに初心者にはやさしい。


 今日は水深もそんなに深くない、雨が少なくて水量も少ないらしい。


 実は台風が昨日まであったので、大丈夫か?とやきもきしていたのだが、今日のカヤック講習の日は、まったくもって台風の影響はなかった。

 むしろ水量がすくなくて困ったくらいだった。


 リバーカヤックはキールがない、というか、僕が今日乗ったのはキールが全くないタイプのものだった。


 キールがない?というのはどういう事か?

 つまり船底が「まっ平ら」なのだ。

 水深の浅い川で乗ることを前提としたリバーカヤック特有のものらしい。


 キールがないと?実はまっすぐすすまない。

 しかし講師の人はすいすい前へ進む、技量の差かもしれない。


 「フォワード」という漕ぎ方を習った。最も基本的なやつだ。

 聞けば簡単そうに聞こえる、しかし、実際にやってみると思い描くようにできない。

 水面で悪戦苦闘するうち、こう思った。

「キレイにやろうとするからぎこちなくなる、ともかく慣れるんだ」と。

 水になれることを前提に、きれいでなくてもいいから「漕ぐ」ように心がける。


 すると、わりとうまく動かせるようになる。

 ぎこちないが、操作できる。


(力んでいるせいか?足が猛烈に疲れる、上半身よりもだ)

(親指の皮が両方ともむけてしまった、パドル操作にそうとうな力を使っています)


「スウィープストローク)」という漕ぎ方も習った。

 主に方向転換に使うらしい。


 習ったばっかりで違いをうまく説明できないが、要は近い場所でこぐか、遠い場所で漕ぐかの違いだと思う。これを応用した方向転換もならった。


 あと流れに入る方法と抜ける方法。


 あと船が転覆した時の脱出法も習った。

 TVで、見たことがある。ひっくり返ったカヤックを自力で元に戻すやつ。

 でもあれではなく、ひっくりかえったら、パニックにならず脱出するのをやった。


 カヤックと体は固定されている。この固定具を水面下ひっくりかえった状態で、冷静に外して脱出しないといけない。一発でできた。自分でも意外に思う。

 というか、最近、妙に冷静な、冷めた自分がいるのがわかる。

 少々の危機でも動じない…。


 “彼ら”と関わったせいか、あるいは違う理由か。


 でもまあ、感情が表に出ないのは、昔からそうだったような気もする。


 以前君はこんなことを言った。

「(私の事)いつから好きだったの?」と。あの神社で、2人っきりの時、最高の笑顔で言った。

 僕はこう答えたと思う。

「はじめて会った時の事覚えている?」と。

 君はかわいく「うん」といった。

「その時」と答えると、君は驚いて。

「えーぜんぜんわかんなかった」と言った。

 Fさん、覚えているかなこんなやりとり…。


 昔から感情が表に出にくい性格だったかもしれない。


 でも実はFさんもそういうところがあったりして、Fさんも感情を隠すところがあった。

 感情を隠すくせに、人一倍気持ちを読み取ってほしいと思う…。



 リバーカヌー、面白いのでまたやろうと思います。

 話を聞くと、まだまだ習わないといけないことがたくさんあるみたい。


 講習の最後に、1キロほど川を下った。

 途中、ちょっとした急流があり、波にもまれたけど、意外にこれが楽しい。

 たぶん、自分一人では、学べない。

 しばらく、この講習をつづけようかな?とか思わなくもないです。



 最終的には川下りに連れてってもらえるらしい。

 けっこうフレンドリーな先生で好感が持てます。


 時々近況を書きます。


 Fさんの手紙、待っています。




 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。

 実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

 がんばれ!まけるな!



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〔7月24日分の記述〕


 Fさんへ。

 今日は本当は2016年8月21日です。

 明日は早番で、朝6時過ぎに家を出て、コンビニによってから仕事場へ向かいます。


 最近になりようやく、同型車同色の車に頻繁に遭遇するようになった。


 新車購入から1か月…。対応するのに1か月かかった?ということかな?


 役員のなかには、活動継続中?と今でも思っている人がいるという証明になる。


 Fさん、やっぱ“彼ら”の世界はおかしい。


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〔7月25日分の記述〕


 Fさんへ。

 今日は本当は2016年8月21日です。

 明日は早番で、朝6時過ぎに家を出て、コンビニによってから仕事場へ向かいます。


 一年草と多年草。


 言葉自体は知っていた。

 大学時代、本で読んでいたからだ。しかし、言葉自体は知っていても、ピンときていなかった。


 一年草は一年で一世代終わってしまう植物だ。

 最後は「種」を残して、本体は枯れてしまう運命。

 つまり、冬は越せない。


 一生懸命育てたベランダガーデンニグの植物も、半分以上はこの運命にある。


 毎日、水やりをしている。

 なにしろ僕以外に管理者がいない以上、僕がさぼったら即、枯れる運命だからだ。


 花を育てていてわかったことがある。

 植物はデリケートだ、環境の変化に弱い。


 鉢植えを買ってきて、ベランダに置いただけでは、みるみる弱ってゆく。

 弱った後、新しい環境に慣れてくると?復活するのだ。


 先ほどベランダで水やりをしていると?


 買ってきてすぐに弱った草に、花が付いているのが見れた。小さな小さな花だが、確実に復活してきている。買ってきて早々に、2日くらいで全部の花が落ちて愕然としたものだが、枯れた葉を全部切り落として、生き残っていたわずかな葉だけ日に当て、育てていた。葉がわずかとはいえ残っているということは、根は生きているという事だからだ。

 生き残った葉は次第に広がってゆき、今また花が付き始めた。ようやく環境に慣れ始めたという事らしい。


 別の花を買ってきたときも、やはり数日で花が落ちてしまった。

 この花の場合は、前回の失敗を反省し、買ってすぐに大きな鉢に植え替えた。

 大きな鉢に植え替えると、環境の変化に対応しやすいらしい。

 人間でも窮屈よりは広い方が安心する。

 植物もそうなのかもしれない。

 こちらの花は早々に復活して、今咲きまくっています。


 この植え替えると復活するというのは、偶然に発見した。


 プランターの花が枯れてしまい、新しい花を植えたのだが、この花も弱っていた花だった。

 だから余裕を持たせて植えた。

 プランターの真ん中に植え、左右はガラガラに空いている。絵面はアンバランスだ。

 しかし、余裕を持たせたのが効いたみたいで、この空いているスペースにどんどん茎が伸びてゆき、花満開にになった。買ってきたときは花も終わりかけでダメだろうと思っていた分、驚きです。


 この花、今朝観察していたら?種ができていた。

 そのうち、花が咲いた部分すべてに種ができるのだろう。


 選択肢は2つ。

 このまま種がプランターに自然に落ちるのを見守り、翌年芽が出るのを期待する。

 または、種は回収し、春になったらまく。


 後者なら?空いたプランターに冬の花を植えて楽しめる。

 でも前者にしてみようと思う。自然な姿で、芽がでるのも、見てみたい。


 ガーデニング、意外に楽しいです。


 人も環境の変化に弱るものの、余裕のある生活に返れば、また花を咲かせるのだろうか?

 根が腐ってなければ、わずかでも葉が残っているなら?

 風雪に耐えながら、いずれまた、きれいな花を咲かせられる…。


 人の方が、花よりも、はるかに環境への適応能力は高い。


 そんなイメージ伝わるといいな。



 時々近況を書きます。


 Fさんの手紙、待っています。




 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。

 実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

 がんばれ!まけるな!


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〔7月26日分の記述〕


 Fさんへ。


 今日は本当は2016年8月23日です。

 9時半ごろ家を出て、コンビニによってから仕事場へ向かいます。


 先日書いた車の話。

 ようやく同型車が現れるようになったってやつ。


 Fさん、あれ、やっぱ勘違いじゃないみたい。

 たしかにいる。


 昨日、仕事終わりでコンビニで少し休んでいた。

 車の中でウトウトしてしまい仮眠したのだ。

 目を覚ますとびっくり。


 同色の同型車が駐車場にたくさんいる。


 なかには、同じ外装オプションの車までいる。正直同じオプションのやつは初めて見た。自分のと見間違いそうなくらいそっくりだ。



 最近こんなサイトを見ました。

 これは探偵社のサイト。

 このサイトはこんな事を書いて顧客をつのっている。


(以下転記)

集団ストーカー行為への対策を考えるにあたっては、ガスライティングの手口を知る事が重要です。


ガスライティングとは、集団ストーカー被害者の常識や一般的価値観を破壊する様な「不可解な」出来事を繰り返し演出し、被害妄想を拡大させ、人間関係のトラブル等を引き起こさせ、悪評を吹聴し、被害者の社会的信用を失墜させる事によって、被害者の自尊心や存在意義を崩壊させ、一般的な社会生活を営む事を極めて困難にさせる為の手口です。


集団ストーカーとは、これらの手順によって集団ストーカー被害者の精神を徹底的に疲弊させ、生きる気力や人生への展望を喪失させて(絶望)、最終的には自殺に追い込む事を目的とした、様々なの手口と手順の総称です。


ガスライティングの最たる特徴は、周囲には「結果的に対象者(被害者)が勝手に自滅した」と見せかける為の手口・手順であるという事です。

集団ストーカー対策を考えるという事は、これらのガスライティングへの対策を考えるという事でもあるのです。

「集団ストーカー行為」のほとんどを、この「ガスライティング」が占めていると考えて良いでしょう。


集団ストーカーとはガスライティング行為に現代的な一般ストーカーの手口と目的(付きまとい、嫌がらせなど)をプラスしたものであると言えるでしょう。

また、「ガスライティング」は「集団ストーカー行為の手口・手順」であり、「集団ストーカー行為」とは、ガスライティングを駆使して行われる嫌がらせや組織的いじめ、各種工作等の総体であると考える事も出来ます。


集団ストーカーがガスライティングを利用する理由


集団ストーカー対策で重要な事は、「ガスライティングの手法は、体系化されており、マニュアル化されている」とも言われている事を知る事です。

ガスライティングによる集団ストーカーの手口がマニュアル化されている事を知れば、集団ストーカーに対する対策も立てやすくなります。


集団ストーカーは、一人の人間の信用を完全に失墜させ、社会的に抹殺する事も出来ます。この手口は特に日本の戦後民主主義の状況下(非武装・非戦)では極めて有効に働いたと考えられます。


例えば、視点を大きく変えて、国外のイスラエルとパレスチナの問題を見てみましょう。

イスラエルはしばしば、パレスチナのイスラム主義勢力の武装部門の幹部を、攻撃ヘリからのミサイル攻撃などによって暗殺する事があります。

しかし、この様なあからさまな攻撃的アクションは「パレスチナという紛争地域だからこそ可能」なのであり、もし日本国内に「国家にとっての危険分子」がいたとしても、この様なあからさまな行動によって排除する事は出来ません。


そこで利用されるのが「ガスライティング」の手法、「対象者を自殺へと誘導する手法」なのです。

武器の保有や攻撃的アクションが全面的に禁止されている戦後日本では、集団ストーカーという攻撃の手法が発達する土壌があったのです。

集団ストーカーへの対策を考えるには、この様な「集団ストーカー行為を助長させる社会」が背景にある事も把握しなければなりません。

 

(転記おわり)



 ここのサイトによると?

 依頼すると100%被害をとめられるという。

 撮影可能な証拠を集めている様子を相手が知るだけで、向こうがひるむみたいだ。


 ああ、こういうのがあるんだ。

 とか思ってしまう。


 今ならお金に余裕もあるし。

(そうそう、株での損をようやく取り戻しました、堅実な株へ戻したら、徐々に回復した。やはり、投資は堅実が一番です)



 Fさん、一緒に「ガスライティング」対策を考えませんか?


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〔7月27日分の記述〕


 Fさんへ。


 今日は本当は2016年8月23日です。

 9時半ごろ家を出て、コンビニによってから仕事場へ向かいます。


 読めば読むほど「ふむふむ」と思ってしまう先に紹介したサイト。


 ぶつかりそうな行為を繰り返す「コリジョン」とかいうのもあるという。

 この小説の初期にも書いたが、歩いていると、猛スピードの車が体の脇ギリギリを通過することが何度もあったし、ぶつかりそうな動きで目の前を横切る歩行者の事なんかも書いたと思う。

 このサイトを見て思う。

「ああ、あれ名前があったんだ」と。


 Fさん、一緒に「ガスライティング」対策を考えませんか?


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〔7月28日分の記述〕


 Fさんへ。


 今日は本当は2016年8月23日です。

 9時半ごろ家を出て、コンビニによってから仕事場へ向かいます。


 読めば読むほど「ふむふむ」と思ってしまう先に紹介したサイト。


 「ほのめかし」

 というのもあると書いてある。


 このサイトの初期のころにも、ほのめかしについては書いたと思う。

 あれ、やっぱ勘違いじゃないで、あるんだな、と思った。


 こんなことを思い出します。


 近所のおばさんがこんなことを誰かと話していた。

「泣けばいいってもんじゃないわよ」と。


 わざわざ僕が通りかかったときに聞こえるように。

 他の会話はききとれない、そこだけ大声で。だから聞こえた。


 あれが、もし「ほのめかし」だったとしたら?


 君は泣いたのだろうか?


 君が感情的にどうしようもなくなったとき、泣いてしまう事は知っている。

 高校時代も「私のせいでごめんね」と泣き崩れた姿を見たことがある。



 子連れの母親から威圧された話も、この小説内から書いたと思う。

 あれも、こうした「ガスライティング」の一環だとしたら?

 子供がいるのよ、のサインなのだろうか?


 Fさん、今、子供はいくつなの?

 そういう話、したいです。


 Fさん、一緒に「ガスライティング」対策を考えませんか?

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〔7月29日分の記述〕


 Fさんへ。


 今日は本当は2016年8月24日です。

 午後3時半ごろ家を出て、コンビニによってから仕事場へ向かいます。


 こんなCMをみた。


 24時間TVのドラマのCMなのかな…。視力を失った主人公に対して誰かが言う一言が印象的で耳に残った。

 たしか…、こんなセリフだったと思う。


「あなたは目を失っただけじゃなく、心まで失ったのよ」


 こんなセリフだったと思う。



 なぜこんなに耳に残ったのか?

 こんな事も思った。


 たぶん、連中は君の心を破壊し、それに成功したのだろう。


(たぶん、君の周りの人は、君の様子を見て正常ではないというかもしれない。しかし、君は正常です。僕が保証する。

 過去の行動と整合性が取れなく見えるのは、過去、“彼ら”の洗脳が成功し、心を破壊された結果に過ぎない)


 そこから立ち直るのは、想像を超える困難があるのだと思う。


 Fさん、いまでも僕のマウスピース持っているかな?

 僕は時々、君のマウスピースを持ち歩いています。

 ポケットに入れるとずっしり重く、いつでも存在が感じられる。

 よりどころがなくなりそうなとき、君の事を感じると、自分を取り戻せる。そんな気がします。

 この「そんな気がする」というのが、実は重要で。


 当時、君とマウスピースを交換した時は、まさかこんな風に使うとは想像していなかったことだろう。


 自分にはどんなにお金をつんでも手に入らない、確かな「よりどころ」がある。

 そんなイメージ、君に伝えたい。


 Fさん、一緒に「ガスライティング対策」を考えよう。



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〔7月30日分の記述〕


 Fさんへ。


 今日は本当は2016年8月25日です。

 今日は夜勤明け、いい天気だったので、久しぶりに「原」の海岸へ行ってみました。


 いつもと違う事をしてみたい。

 そう思い、この日は浜辺に降りて、波打ち際まで行ってみました。


 しばし波打ち際を散歩、短い時間だったけどけっこう気持ちいいです、夜勤明けの体には。

 仮眠もとれたので、ここで少し考えた。


 せっかくの新車だからドライブがしたい。

 そういえば、「富士市」に「さわやか」というおいしい店があるという話を聞いた。

 飛ばせば30分ほどでつく。


「行ってみよう」

 そう思った。


 車内ではジャズをかける。

 インターネットラジオなので、いつも新鮮な選曲をしてくれる。

 スマホアプリから流れるジャズを聴いながらドライブ。


 はじめていく場所では無意識に緊張する。


 味は、まあ、そんなものか、と言う感じ。

 悪くないです。もし、また富士市に行って、なにかおいしいもの食べたいなと思ったら?

 「さわやか」を選ぶかもしれない。

 値段相応においしい店です。


 正直にいいます。

 今でも見知らぬ場所に一人で行くのは怖い。

 あの“彼ら”の攻撃により、僕の人格の一部は破壊されている。

 自然と顔はこわばり、警戒心が心を占めてしまう。

 楽しい外食のはずなのに、試練になってしまう…


 カバンの中には君からもらったマウスピースが入っている。

 この日も持って行った。

 時々マウスピースに触れて、こう念じる。

「Fさん、力をかして」と。

 


 Fさん、こんな事も思った。

 もし、君が今でも、僕のマウスピースを持っているとしたら?

 それを手に取って眺めているとき、感じる感情は、たぶん、僕のそれと同じものだと思う。

「離れていても、こうすれば、同じ感情を共有できるかも」

 なんて、思ったりもした。


 マウスピース、ずっしり重くて、ものすごい存在感。手に取ると、記憶に訴えてくるものがあります。手紙や写真だと、持ち歩くと紛失や破損のリスクがあるし、第三者に見られたとき奇異に見えなくもない。でもマウスピースなら、ぞんざいに扱っても壊れないし、人に見られても「楽器の練習に持ち歩いているんだ」とでも言えばいいわけだし。

 

 君の手元にまだマウスピースあるのかな…。


 

 同じ日本人なのに、差別して優越感に浸る。それの何がいけないの?と“彼ら”は言いたげだ。


「その感覚が、おかしい」

 と思う。たぶん、Fさんも同じ意見なんじゃないだろうか?

 彼らは人の心を破壊した上に、それは本人の責任と言うような連中だ、反省がない。

 Fさん、一緒に「ガスライティング対策」を考えよう。


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〔7月31日分の記述〕


 Fさんへ。


 今日は本当は2016年8月29日です。

 夜勤なので午後3時半に家を出て、コンビニによってから仕事場へ向かいます。

 


 イタリアの話続けます。

 ローマを後にしてフィレンツェのホテルへ向かったところまで書いたと思う。


 このホテルでは2泊する予定、前日泊まったローマのホテルよりはワンランクグレードが下がった感じのホテル。フィレンツェ郊外、北のプラートの近く。

 224号室に泊まったとメモが残っています。

 部屋に入っての第一印象は?ブレーカーがむき出しになっていること。別にボロい部屋ではないのに、なぜここだけ?という印象。ツインルームを独り占めで、わるくない部屋でした。

(後で他の人に聞くと?僕の部屋だけのようです。イタリア人は細かいところはこだわらない人たちだから、まあ、こんなものなのかもしれない)


 電気ポットを持って行った。

 変圧器も用意してきたので、早速お湯をわかしてコーヒーを飲むことにした。


 日本からレギュラーコーヒーを持ってきていた。

 イタリアでコーヒーはお店でないと飲めない。

 缶入りコーヒーはまずない。

 だから部屋で飲みたければ、自分で入れるしかないのだ。


 電源を入れると、いきなりブレーカーが落ちた。

「まじか」と思いつつ、そーいえばさっきむき出しのブレーカーを見たぞと思い出し、真っ暗な中手探りでブレーカーを上げる。

 再び電気ポットを動かすと?違和感のある作動感がする。

 一応お湯は沸いた。コーヒーを飲む。


 イタリアの店舗で飲むコーヒーの方が、圧倒的に味わい深いのだが、やはり入れたてはそれなりにうまい。



 イタリア4日目はピサ観光だ。バスで一路西へ移動。

 帰国後の本で読んだのだが、ピサとフィレンツェは深い関係のある都市らしい。

 フィレンツェが政治・文化の中心都市だったのに対し、ピサは学問の中心都市だったらしい。


 近代に入りイタリア王国に統一されるまで、イタリアは戦国時代同様に、各地の都市が勢力争いを繰り広げた歴史を持つ。ピサもまたフィレンツェに占領された都市のひとつだった。

 フィレンツェの支配者メディチ家は、占領地ピザの学問振興をすすめた。

 読んだ本の記述によると?

 大学は反政府勢力の温床となりがちだったため、政治の中心から離しておきたかったということらしい。じゃあつぶせばいいのではと、思いがちだが。ルネッサンスの時代にそれは不可能だ。誰もが新知識に飢えている時代だし、そもそもイタリアの大学は学生が自発してつくった共同体だ。つぶしてもつぶしても現れるから、コントロールしたほうがいい、ということかもしれない。



 そういえばカリレオが有名な斜塔からものを落として引力の実験をやったのもピサだ。

 ピサで自由に学問をやっていたガリレオが、フィレンツェの政治勢力に屈して投獄されたという事なのだろうか?

 (ジョルダーノ・ブルーノという人物がいる。ガリレオ同様、同時代に地動説を説いた人物だ。この人物はガリレオとよく比較される、僕が読んだ本では同じポストを争ったライバルでもあったらしい。ブルーノは自説を曲げず、火あぶりになったという。ガリレオは自説を曲げたため生き残るが終身刑になってしまう。

 しかし、実はガリレオはその後、釈放され、メディチ家の元、幽閉されているものの研究をつづけたという。なんとも、いろいろ考えさせらてる話です)




 バスは高速道路をひたすら西へ向かう。

 スマホでグーグルマップを見ながら窓の外を眺める。

 気になった建物など、地図上のポイントをタップすると?

 イタリア語はわからないが、そこの写真なんかがアップされていて、雰囲気がわかる。けっこう面白いです。


 高速道路を下りて一般道へ。

 田舎町っぽい場所をしばらく進むと、とても大きなバスターミナルのような場所へ着く。


 観光客はここで一旦バスを下車して、シャトルバスへ乗らないといけないらしい。

 …つまり?斜塔周辺への車の乗り入れを制限しているのだ。

 このバスに乗らないと斜塔へはいけない。


 一般客と混じってバスに乗車する。

 添乗員さんは一人でもツアー客が行方不明にならないように必死だ。

 地元のガイドさんがいるときは、2人がかりで対応できるが、ここピサでは1人だ。

 ピサではガイドの資格がとても厳しく、簡単には用意できないらしい。


 このあとツアー一行は、いよいよピサの斜塔と対面します。

 当日は天気も良く、とてもきれいな空だった。

 青空と斜塔は絵面もよく、とてもよかった。


 Fさん、続きはまた書きます。

 また聞いてくれるかな?


 連中は僕らから未来を奪った。

 本当ならFさんといたい。

 そう思う事は日常です。

 君の手元にまだマウスピースあるのかな…。


 

 同じ日本人なのに、差別して優越感に浸る。それの何がいけないの?と“彼ら”は言いたげだ。


「その感覚が、おかしい」

 と思う。たぶん、Fさんも同じ意見なんじゃないだろうか?


 差別の世界に住んでいると、知らぬ間にその世界に漬かってしまうという事実を僕は知っている。

 差別を受けると、ほかの誰かを差別したくなる?

 

 人間には「正常化バイアス」という心理があるという。

 異常事態にふれても、これは異常でなく正常なんだ、と思い込もうとする心理だ。


 周りが異常だらけだと、おかしいにもかかわらず、それが正常だと思い込む努力をしてしまう。

 セウォル号の沈没事故で、逃げなかった高校生の心理状態がこれだ。

 明らかに異常事態なのに、館内放送を信じて逃げなかった。


 あるカルト集団が、信者を獲得する際、いきなり異常なことを強要しないという。

 徐々にステップをふませるさしい。

 僕が見たTVの潜入取材では、セミナー参加者に大量の塩水を飲ませていた。これをクリアーできたら次のよりすすんだ異常行動へ段階的にすすみ。最終的に自分たちがカルトであると明かすらしい。もうそのころには参加者は引き返せないという。これが洗脳だ。


 彼らは人の心を破壊した上に、それは本人の責任と言うような連中だ、反省がない。


 

 Fさん、こんな事も思った。

 もし、君が今でも、僕のマウスピースを持っているとしたら?

 それを手に取って眺めているとき、感じる感情は、たぶん、僕のそれと同じものだと思う。

「離れていても、こうすれば、同じ感情を共有できるかも」

 なんて、思ったりもした。

 マウスピース、ずっしり重くて、ものすごい存在感。手に取ると、記憶に訴えてくるものがあります。手紙や写真だと、持ち歩くと紛失や破損のリスクがあるし、第三者に見られたとき奇異に見えなくもない。でもマウスピースなら、ぞんざいに扱っても壊れないし、人に見られても「楽器の練習に持ち歩いているんだ」とでも言えばいいわけだし。

 

 君の手元にまだマウスピースあるのかな…。


 

 同じ日本人なのに、差別して優越感に浸る。それの何がいけないの?と“彼ら”は言いたげだ。


「その感覚が、おかしい」

 と思う。たぶん、Fさんも同じ意見なんじゃないだろうか?

 彼らは人の心を破壊した上に、それは本人の責任と言うような連中だ、反省がない。

 Fさん、一緒に「ガスライティング対策」を考えよう。

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〔7月31日分の記述〕


 Fさんへ。


 今日は本当は2016年8月31日です。

 休日です。


 今日はロードバイクに「固定ローラー」を設置する予定。

 上手くいくといいのだけど。

 詳しい話はあとにするとして、ざっくり説明するなら?

 「坂道用練習器具」だ。

 家にいながら、坂道の練習ができる。


 こんな事も思います。


 仏様の教えが間違っていたの?と悩むかもしれない。

 でも、僕はこう考える。


 仏様の教えが間違っているんじゃなくて、組織の仏さまへの理解がまちがっていたんだと。

 間違った理解をしている人たちから教えられたにすぎず、本当の仏の教えを求めれば救われるのではないかと。


 たぶん、君には幼いころからの教えがいろいろあり、抜け出せないところがあるのだろう。

 君の本来の性格とあいまって、脱出を困難にしているものと思う。


 いつか2人で仏教発祥の地へいってみよう。

 かの地ではブッタが座禅した木が、いまだにあるという。


 想像してみてほしい、多くの、違う仏教徒が、君たちと同じものを信仰している光景を。


 幼いころから教祖がブッタより偉いと刷り込まれたことと思う。

 無意識のイメージを断ち切るには、仏教発祥の地へ旅行するのも悪くない。


 東南アジアの仏教施設をめぐる旅もいいかもしれない。


 そして肝心なことに、海外では“彼ら”の「ガスライティング」も限定的だ。

(ヨーロッパではカルト認定も受けている、東南アジアでは知らないが、国内よりも大丈夫と思う)



 …え?そう。これは誘っているのです。一緒に行こう、と。


 Fさん、こんな事も思った。

 もし、君が今でも、僕のマウスピースを持っているとしたら?

 それを手に取って眺めているとき、感じる感情は、たぶん、僕のそれと同じものだと思う。

「離れていても、こうすれば、同じ感情を共有できるかも」

 なんて、思ったりもした。

 マウスピース、ずっしり重くて、ものすごい存在感。手に取ると、記憶に訴えてくるものがあります。手紙や写真だと、持ち歩くと紛失や破損のリスクがあるし、第三者に見られたとき奇異に見えなくもない。でもマウスピースなら、ぞんざいに扱っても壊れないし、人に見られても「楽器の練習に持ち歩いているんだ」とでも言えばいいわけだし。


 君の手元にまだマウスピースあるのかな…。



 同じ日本人なのに、差別して優越感に浸る。それの何がいけないの?と“彼ら”は言いたげだ。


「その感覚が、おかしい」

 と思う。たぶん、Fさんも同じ意見なんじゃないだろうか?

 彼らは人の心を破壊した上に、それは本人の責任と言うような連中だ、反省がない。

 Fさん、一緒に「ガスライティング対策」を考えよう。

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〔8月1日分の記述〕


 Fさんへ。


 今日は本当は2016年8月31日です。

 休日です。


 部屋の片づけをしています。引っ越しをしてからまだまだ、へやのレイアウトが決まらず、なかなかはかどりません。納得のいかない配置とかもあり、ついつい長引きます。


 郵便物を整理していると、新車のレスキューサービスのカードが届いていた。

 これ、実は探していたんです、もうついていたんだと思った。

 JAFのディーラー版で、故障したら駆けつけてくれるとかいうやつ。

 カードには電話番号が記載されている。これ重要です。

(以前映画「ダイハード4」で、故障したら自動で通報してくれる車が登場していたが、あれはいつ実現してくれるのだろう…。)


 カードを財布に入れようと財布を出す。

 その際、せっかくだから財布の中身も整理しようと思った。


 この財布はイタリアで買ったものだ。

 白い本革製。イタリアでも白い革の財布は珍しく、さがすのに苦労した。

 たしか7~8千円したと思う。値切って買ったから本来は1万円以上のはずだ。


 以前使っていたフェイクの皮の白い財布は、もう擦り切れてこの時限界だった。


 白にこだわる理由?


 それはこの小説で以前書いた通り、きっかけは東京の量販店で買った白いイヤホンだ。

 “彼ら”の攻撃が絶頂だったこの時期、連中と同じものを身に着ければ、多少威圧感も和らぐと思い購入。その後も意識して白いものを買ううちに?

「あれ?白っていいじゃん」

 と思うようになってしまったのだ。

 以前、海外ドラマ「アグリーベティー」に白好きのデブのデザイナーがいたのを思い出します。真似をするわけではないが、白がかっこよく思えるようになったのだ。


 Fさん、僕だって“彼ら”からの影響のすべてを「否定」するわけではないのです。

 いいものは取り入れる、そのくらいの柔軟性はあるつもりです。


 白い財布、今年の3月に買ったばかりで、中身の整理ができていない。

 テキトーに入れ替えたままだ。


 レスキューサービスのカードを入れる際、中身を整理してみた。

 すると?懐かしいものが出てくる。


 東京脱出の際、渡された電話番号だ。

 何かあったらかけてこい、と渡されたもの。

 この人には脱出の際、大変世話になった。


 ひっくり返すと、君の実家の住所が書いてある。

 これは当時、大慌てで君の所在地を探していたころ、住所をようやく見つけて、とにかく手もとにあった紙にメモったものだ。

 このあと、住所の場所へ行くと?2人で以前行ったことのある団地だったのでびっくりしたことは、以前この小説内で書いたと思う。あそこで実は君を呼んで叫んでいる。映画みたいに…


「この紙はとっておこう」

 そう思った。


 小康状態になったとはいえ、“彼ら”がいつ息を吹き返すかわからない。


 覚えているだろうか?

 この小説の初期に書いたと思う。


 初めて東京に行ったのは、大学受験の時だ。

 この時、東京駅で目の前をぶつかりそうに横切る女のひとに出会った。

 先に書いた探偵社のサイトには、これは「コリジョンアタック」なるものであると説明されている。

 僕が大学受験の時とはまだ18歳だった時の事だ。

 こんな昔からある?


 “彼ら”の中には、僕の事を「しつこい」という連中がいるらしいが、Fさん、もしそう言う連中がいたら?僕が「こう」言っていたと大声で伝えてほしい。

 「お前らほどではない、お前らにだけは言われたくない」と。


 もし、君が今でも、僕のマウスピースを持っているとしたら?

 それを手に取って眺めているとき、感じる感情は、たぶん、僕のそれと同じものだと思う。

「離れていても、こうすれば、同じ感情を共有できるかも」

 なんて、思ったりもした。

 マウスピース、ずっしり重くて、ものすごい存在感。手に取ると、記憶に訴えてくるものがあります。手紙や写真だと、持ち歩くと紛失や破損のリスクがあるし、第三者に見られたとき奇異に見えなくもない。でもマウスピースなら、ぞんざいに扱っても壊れないし、人に見られても「楽器の練習に持ち歩いているんだ」とでも言えばいいわけだし。


 君の手元にまだマウスピースあるのかな…。



 同じ日本人なのに、差別して優越感に浸る。それの何がいけないの?と“彼ら”は言いたげだ。


「その感覚が、おかしい」

 と思う。たぶん、Fさんも同じ意見なんじゃないだろうか?

 彼らは人の心を破壊した上に、それは本人の責任と言うような連中だ、反省がない。

 Fさん、一緒に「ガスライティング対策」を考えよう。 


 もし、君が今でも、僕のマウスピースを持っているとしたら?

 それを手に取って眺めているとき、感じる感情は、たぶん、僕のそれと同じものだと思う。

「離れていても、こうすれば、同じ感情を共有できるかも」

 なんて、思ったりもした。

 マウスピース、ずっしり重くて、ものすごい存在感。手に取ると、記憶に訴えてくるものがあります。手紙や写真だと、持ち歩くと紛失や破損のリスクがあるし、第三者に見られたとき奇異に見えなくもない。でもマウスピースなら、ぞんざいに扱っても壊れないし、人に見られても「楽器の練習に持ち歩いているんだ」とでも言えばいいわけだし。


 君の手元にまだマウスピースあるのかな…。



 同じ日本人なのに、差別して優越感に浸る。それの何がいけないの?と“彼ら”は言いたげだ。


「その感覚が、おかしい」

 と思う。たぶん、Fさんも同じ意見なんじゃないだろうか?

 彼らは人の心を破壊した上に、それは本人の責任と言うような連中だ、反省がない。

 Fさん、一緒に「ガスライティング対策」を考えよう。 

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〔8月2日分の記述〕


 Fさんへ。


 今日は本当は2016年9月2日です。

 休日です。


 昨日、車で「国士峠」なる場所に行ってきました。



 なぜかって?

 25日のサイクリング大会で走る場所だからです。

 事前にコースを見ておくことは重要です。

(しまなみ海道サイクリングでは、事前にコースを知らなかったから、ペース配分がわからず苦労しました)


 今回行ったのは去年のコース。今年のはまだわからないが、まあ、だいたい同じだと思う。

 一部は僕がホームコースのようによく走るコース。今回行ったのはまだ一度も行ったことのない区間だ。


 行って判ったことがある。

 国士峠は半端ない、マジできつい坂だ。


 しかし、一番きつい区間以外は、下り坂と平地ばかり…。

 きついのは1/6くらいだ。前半の中盤にこのきつい区間にたどり着く。

 …つまりこの区間にたどり着くまで、我慢して体力を温存し、この坂で体力を使い切るくらいのペース配分にすればいいと思う。峠の後半は長い長い下り坂なので、ブレーキとの格闘になるが、足は休める。平地に来てしまえば、なんとかなる。平地で体力を使わず走るのは、実は得意なのです。何とかなるような気がします。



 もし、限界が来たら、リタイア?でもリタイアはしたくないな…


 そこで「対策」を用意することにした。

 僕のロードバイク「ルイガノCEN2012年モデル」は、12-27T(Tは歯数)というギアが付いている。買った時の仕様のままだ。

 これを11-32Tに変えようと思う。

(こうすると軽いギアがより軽くなるのです。少ない力で坂道が昇れる。プロはこういう事はしない、なぜなら脚力で登れるからだ。しかし、こちらはシロウトだからいいのです!)


 このギアに変えると高速域での細かいギアチェンジができなくなる欠点があるが、上り坂で使えるギアが増える。


 

 …そんなことを考えながら、昨日は国士峠をドライブしてきた。

 ドライブ自体は楽しい。

 新車の性能が存分に楽しめる、四駆のターボは山道をヘタることなくすいすい上ってゆく。

 踏み込めばどんどん加速し、加速に余裕がある。前乗っていた軽ではありえない。


 加速すると「ぐっ」と体がシートに押さえつけられる。

「漫画みたい」

 と思ってしまう。

 たぶん本格的なスポーツカーには総合性能でかなわないのだろうが、普段乗るような速度域では、十分に楽しめる車です。



 狩野川源流付近まで到着、この辺りは土地勘がある…、つもりでいた。

 しかし、大会コースを車で試走してみると?

 いままで知らなかった狩野川源流の姿を見る。

 

 まるで箱根の温泉街のような場所にたどり着く。

 歴史の古そうな温泉宿があちこちにあり、風情があるのだ。

 Fさん、2人でああいう温泉街を歩けたら、たのしそうだよ、たぶん。




 

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〔8月3日分の記述〕


 Fさんへ。


 今日は本当は2016年9月2日です。

 休日です。



 温泉街を抜けると、見知った道へと抜ける。この辺は土地勘がある場所です。

 道を走っていて気になる看板を見つける。

「狩野ドーム」

 なんだろう?いつも思っていた。

(あとで調べると、たんなる市の施設とわかる)


 もう一つなんだろうと思っていたもの、それが?

「狩野城あと」だ。


 この時、今日こそ見てやろう!と思い、思い切っていってみた。

 いつも狩野城跡とでかでかと看板があるのを、気になっていたのだ。


 狩野氏は以前にもこの小説で買たけど、平安時代このあたりを支配していた地方豪族だ。

 本来なら?戦国時代とかでも活躍してそうなんだけど、途中から没落してしまい、その名を狩野川に残すのみになっている。


 結論から言うと?

 城跡は本当にただの「野山」だった。

 一応遊歩道はあるのだが、一部朽ち果てているし、案内板も不十分だ。

 朽ちかけた社なんかもあり、人の手入れがあまりされていない感じがする。

 けど駐車場にはきれいなトイレと、でっかい案内看板があり、刷りたての地図まである。

 どうも一部有志により細々と維持管理されている印象。


 城というと、姫路城のような立派な白を想像しがちだが、この城は平安時代のもの。

 あんな豪華な城は当時はまだない、木の城壁と木造家屋のある野戦陣地だったものと想像します。


 場所的には、天城山のふもとという印象。

 周囲は峰に囲まれていて、防御しやすい。

 狩野川が近くを流れていて、いかだを使えば下流へはすぐに行ける。


 しかし、交通には不便な場所だ。

 以前読んだ本には、狩野氏はこの場所を最初本拠地にしていたが、支配地域が広がるにつれ、下流域へ拠点を移したとあった。

(その本の記述では?その後、狩野氏は息子たちに支配地域を分け与えてしまい、総合的な勢力の弱体化がおこってしまう。平安時代、家督は長男が継ぐというのが地方にまで徹底されていなかったのだろう、たぶん)


 狩野城跡の駐車場には大きな看板があり、面白いことが書いてあった。

 狩野かの氏の傍系に、全国的に有名な一族がいるというのだ。


 その一族は、4世紀にわたって画家集団として活躍した一派で、名前くらいは聞いたことがあると思う。

狩野かのう派」の事だ。



 正直、本当かなあ…、と思わなくもない。名前が似ているだけでつながりがあるという説は、実は歴史上たくさんある。

 でも何らかのつながりがあるなら、面白いなと、思わなくもない。



 先に書いた通り、狩野氏は没落したと僕は書いた。

 しかし、駐車場の大看板には、先に書いた狩野派とは別に、直系の子孫たちも生き残っていて、小田原の後北条家の家臣団に入っていたと書かれている。「へー」と思ってしまう。


 今更ながら調べると、狩野氏と言うのは藤原氏の一族「藤原南家」出身の藤原為憲ふじわらのためのりを始祖にもつ一族で、その子孫が駿河の守護職になったため、現在の静岡に居ついたらしい。

(静岡に映ったころには「工藤氏」と名乗っていたらしい(「木工介という役職の藤原氏」を短く略して「工藤」)。

 そのうち伊豆へ移住した一派が「伊豆工藤」略して「伊藤」を名乗ったという。)


 「伊藤」一派は時代とともにさらに分家を生み、それぞれが支配地域の地名を名乗るようになった。

 「狩野氏」もそうした「伊藤氏」の分家の1つで、他の分家にならい、支配地域の地名を家名にした、ということらしい。

 狩野氏が支配したから狩野と呼ばれたと思い込んでいたが、そうではない様だ。



 狩野の地名の由来については諸説あるらしい。

 古代日本には「枯野かれの」と呼ばれる「高速船」があったという。

(使い古された「枯野かれの」で琴を作ると逸品ができるなんて話もあるらしい。なぜこんな変な名前で呼んだかは不明だ、もしかしたら外来語なのかもしれない。そう思う理由は後で書きます)


 この高速船「枯野かれの」の産地が、伊豆半島の現在の修善寺あたりだという。

 「枯野かれの」はその後、転じて「軽野かるの船」と呼ばれるようになる。

(修善寺の山奥には現在も「軽野神社」と言う場所があり、「造船儀礼」に深いかかわりああるという。)


 総じていうと?

 現在の修善寺周辺は、古代から造船業に長けていたという事らしい。

 高速船を作るのに良質な木材がたくさんあった。


 日本一早い「軽野船」を作る土地だから、「軽野かるの」と呼ばれ、その後、名前が転じて「狩野かの」になったようだ。



(実は下田の近くに縄文時代の遺跡があり、当時ここに住んでいた縄文人が、海を通じて遠方と取引していた証拠が出ているという。遠く離れた神津島の黒曜石の陸揚げ集積場とされているのだ。縄文時代に培われた技術が受け継がれ、「軽野」の高い造船技術につながったと指摘する人もいるらしい。縄文時代の下田は、船で南方から移住してきた黄色人種モンゴロイドでいっぱいだったはずだ。「枯野かれの」が外来語かもしれないと書いた理由はここにある。南方の島々から来た人たちの言葉は、当時の標準的な日本語と発音も文法も違うはずだ。当然彼らの作る船も、彼らの言葉で呼ばれていた。この彼らの「発音」に、当時の日本人が「あて字」をした結果、「枯野かれの」なんて変な名前になったのではないだろうか?)




 こんな想像もできる。

 たぶん山奥で作られた「軽野船」は川をつかって海まで運ばれ、都やその他各地へ輸出されていったのだろう。

 川は「軽野船」が常にいつも、たくさん下っていたはずだ。

 それが転じて「軽野川」になり、さらに転じて「狩野川」になったのだろうか?

 この地に工藤氏の一派、伊藤氏の一族がやってきた頃には?すでに「狩野かの」と呼ばれていたのかもしれない。



 ふと記憶の中の狩野川を思い起こします。先日カヤックで水面まで下りたあの狩野川。

 古代日本では、あの川を、大量の「軽野船」が行き交っていたのかと想像すると?古代のロマンを感じます。


 ネットで調べるとこんな記述もある。

 「軽野船」はその後「伊豆手船」と呼ばれ、東国の人々を北九州へ運び「防人さきもり」にしたという。

 当時、北関東から北九州まで行ける船を、伊豆の人々が造っていた訳だ。



 先日、夏休みで来ていた甥を連れて、小田原までドライブした。

 新車の性能はすさまじく、小田原まで簡単に行ける。箱根越えも楽勝です。

 実は本格的なナポリピザが食える店があり、そこへ行ったのだが、あいにく休店。

 仕方なく小田原城の見学をした。


 小田原城を支配した北条家(後北条家ともいうのだが、地元の人は言わない)の北条早雲は、実は「伊豆水軍」の力を借りている。

 北条早雲は韮山城を拠点に、周辺の狩野氏を含む地方豪族を平定し、伊豆半島を支配。当時この地域で活躍していた海賊「伊豆水軍」も傘下に入る。優れた造船技術を継承した「伊豆水軍」は、北条早雲のかなりの頼りになったことと思う。





 狩野川は好きな川です。場所により表情が違い大好きです。眺めているだけで飽きない。


 最近カヤックを始めたのも、狩野川を見ていて、あそこをカヤックで遊んでみたいなと常々思っていたからです。



 逃げ切れない…そう思う事はあります。

 実は修善寺周辺は、歴史的な背景から、“彼ら”が多いと思う。ポスターもよく見る。

 威圧されないまでも、行動は把握されているだろうな…と常々思います。


 高校時代のFさんも、そうだった。

 常に、人に監視されていることを前提に、発言して、行動していた。


 これは推測。

 愛のない関係を経験すると、愛のある関係の貴重さが実感できる?

 君は、高校時代、2人っきりの時、終わると、よく、ある言葉を口にした。

 

 あの言葉の意味は、僕の想像した通りでいいのだろうか?


 もし、君が今でも、僕のマウスピースを持っているとしたら?

 それを手に取って眺めているとき、感じる感情は、たぶん、僕のそれと同じものだと思う。

「離れていても、こうすれば、同じ感情を共有できるかも」

 なんて、思ったりもした。

 マウスピース、ずっしり重くて、ものすごい存在感。手に取ると、記憶に訴えてくるものがあります。手紙や写真だと、持ち歩くと紛失や破損のリスクがあるし、第三者に見られたとき奇異に見えなくもない。でもマウスピースなら、ぞんざいに扱っても壊れないし、人に見られても「楽器の練習に持ち歩いているんだ」とでも言えばいいわけだし。


 君の手元にまだマウスピースあるのかな…。



 同じ日本人なのに、差別して優越感に浸る。それの何がいけないの?と“彼ら”は言いたげだ。


「その感覚が、おかしい」

 と思う。たぶん、Fさんも同じ意見なんじゃないだろうか?

 彼らは人の心を破壊した上に、それは本人の責任と言うような連中だ、反省がない。

 Fさん、一緒に「ガスライティング対策」を考えよう。 

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〔8月3日分の記述〕


 Fさんへ。


 こんな事も考えます。

 

 2人だけしかわからない「サイン」何かないかな…。


 すぐには思いつかない、なんだろう。


 Fさんに託します、2だけしかわからないサインを出してほしい。



 …こういう「わかるかな?わからないかな?」という微妙なサインを出すの、Fさんは好んでいたよなーと、急に思い立ちました。



 たぶん、君は“彼ら”から距離をとっていると、信じます。

 君はもう一人でないことを、忘れないでください。



 ベランダで花の世話をしています。毎日観察しているとあきない。

 コキアの木に虫が止まっていることに気が付く。ほっとくとやっかいそうなので、園芸用の殺虫剤を出し、かけてみた。

 なんか目線を感じると思ってみてみると、向かいの家のベランダでこっちをじっと見ている。

 この人は、以前書いた、違法駐車をクラクションでとがめてどかさせたら、謝るかと思ったら、無言で睨み続けた人だ。

 なくなった父親そっくりで、正直同一人物と思ってしまう。でも息子がいたなんて知らない。

 こっちは存在すら知らなかったのに、旧知の仲のように接せられても気持ちが悪い。(←ここ!ぜひ本人に知ってほしい)


 ああ、睨んでいるなーと思う。


 何かの本で読んだ。

 連中は、自分たちは超現実主義の宗派で、神秘的なものを否定している。いつも世界平和のために活動していて、悪く言われるなんて信じられない、と。思っているとか。

(道理で仏教の教示にうといわけだとか、思わなくもない、仏教の名をかたっている事実を、こう言い聞かせれば納得できるのだろう、カルトここに極まりだと思う)

(組織がでかいから、カルトでないと言う言い訳があるが、組織がでかいだけなら、モルモン教徒と変わりはない)


 こう思う、重症だな。と。


 もし、君が今でも、僕のマウスピースを持っているとしたら?

 それを手に取って眺めているとき、感じる感情は、たぶん、僕のそれと同じものだと思う。

「離れていても、こうすれば、同じ感情を共有できるかも」

 なんて、思ったりもした。

 マウスピース、ずっしり重くて、ものすごい存在感。手に取ると、記憶に訴えてくるものがあります。手紙や写真だと、持ち歩くと紛失や破損のリスクがあるし、第三者に見られたとき奇異に見えなくもない。でもマウスピースなら、ぞんざいに扱っても壊れないし、人に見られても「楽器の練習に持ち歩いているんだ」とでも言えばいいわけだし。


 君の手元にまだマウスピースあるのかな…。


 彼らは人の心を破壊した上に、それは本人の責任と言うような連中だ、反省がない。

 Fさん、一緒に「ガスライティング対策」を考えよう。 

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〔8月4日分の記述〕


 Fさんへ。


 こんな事も考えます。

 

 “彼ら”に「現実を見ろ」と言われたら?


 仏教の教義を勉強して、その内容を教え、守らせればいい。


 そしてこういうのだ。


「仏教徒として何も知らないという現実をなぜいままで見てこなかったの?その事実が、あなたがウソツキと物語っているわ」と。


 明日、Fさんに会いたい。

 負けないでほしい、彼らは人の心を破壊した上に、それは本人の責任と言うような連中だ、反省がない。Fさん、一緒に「ガスライティング対策」を考えよう。 

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〔8月5日分の記述〕


 Fさんへ。


 イタリア旅行の続きを書こうと思います。

 ローマ着後、すぐ国内線でナポリへ移動。

 2日目ナポリ、ポンペイ、アマルフィ海岸観光。

 3日目ヴァチカン、ローマ観光ときて、フィレンツエへ移動。 

 4日目フィレンツェ近郊のプラートに一泊した後、ピサへ向かったところまで書いたと思う。


 旅行というのは不思議なもので、最初の2~3日は、日本にいつ帰れるかなと思うのだが、この頃になると旅に慣れてきて、日本に戻りたくない、このままイタリアに住みたいとすら思ってしまう。


 地図で確認すると?

 高速道路を下りた後、バスは「ピエトラザンティナ通り」を南下し「Check Point Pisa」と言う名のチェックポイントへ停車。ここからシャトルバスに乗り換えて、斜塔のあるドォウモ広場へ向かうのだ。(ドォウモとは大聖堂と言う意味で、ここに限らず大聖堂ならみなドォウモと呼ぶ)


 バスを降りると、ガイディングレシーバーの音声を頼りに集合。

 観光用の露店が立ち並ぶ道を進み、いよいよ入場となる。


 入場すると、露店の類は一切なく、きれいな空間が広がっている。

 手前にあるのが大聖堂。

 昔、中学の時教科書に載っていた写真を思いだす。上空から見ると十字架の形をしているやつだ。

 こうしてじかに見ると、細かいところまで、ぎっちり作りこまれていてものすごい。

 建物と観光用通路の間には、広大な芝生がひかれていて、芝生は立ち入り禁止になっている。

 観光客は芝生以外の石畳だけを歩く形だが、石畳自体も広く、窮屈な印象はうけない。


 ここでつい介護職としての職業病がでてしまう。

 小さな子が親からはなれて一人で危なっかしく歩いている。

(首が座っていない子供は、重心が安定しないから、身体構造上ふらつくことを僕は知っている)

 あぶなっかしく歩いている人を見ると?ついつい「転ぶんじゃないか」と見守ってしまう。

 反射的に緊張して、転んだら駆け寄れる姿勢をとる。


 無事親のところまで戻るのを見て、ようやく安心し、緊張を解く。


 その僕の様子を親が見ていたのは知っていた、すると話しかけてくる。

 一瞬ビビるが、カメラを渡され、写真を撮ってほしいという。

 写真を撮ってあげた。


「ああ、ちゃんと伝わってるんだ」と安心する一幕がありました。


 芝生の境目に石の飾りがおいてあるのだが、これに上って写真を撮る人がたくさんいる。

 みんなやっているのだ。

 よく見れば、斜塔を手で支えるしぐさで写真を撮っている。

 カメラから見れば、両手で斜塔を支えるアングルになるわけだ。

 ツアーで仲良くなった人たちと話す、自分たちもやろうと。


 みな、石の飾りの上に乗る。

 僕は石畳のい上から斜塔を支えるアングルにした。芝生に落ちそうでいやだったのだ。

(仮にFさんがいても、きっと君も石飾りの上には乗らず、石畳の上からのアングルにしたんじゃないだろうか?こんなことを思い出す。高校時代、アンサンブルだったかな。トランペット2本とトロンボーン2本でステージに立ったことがある。なんの大会だったかな…。Fさん覚えてる?あの時もトランペット2人は踊りながら演奏したのに、僕ら2人はあまりそれができなかった.こういう、人前で堂々とふざけることはお互い苦手だったと記憶しています)


 斜塔近くまでくると、斜塔の入り口で並んでいる人を見る。

 入場チケットはかなりプレミアがついていると聞くが、そのプレミアチケットを持った人たちだ。

 斜塔の上の方を見ると、たしかに人影が見える。結構高い。

 安全設計などされていない、中世の傾いた塔に上るのは、さぞスリルがあるだろうなと想像する。


 入口には自動小銃をもった兵士が一人いて、入場者を整理している。

 トルコ旅行ではこうした兵士は、たくさん見かけたが、イタリアでは後にも先にもここだけだった。


 雰囲気を満喫した後、お土産やを見る。

 ドォウモ広場内の、お店は皆、公式ショップということらしい。

 ここでデザインの気に入ったマグカップを買ったのだが、底に「ピサ・ツーリスト・マーケット」の文字がある。おそらくこうしたロゴは、敷地外の露店ではつかないのだろう。


 敷地内の別の店で、石膏像がたくさんあるのを見る。

 ギリシャ神話をモチーフとしたものが、たくさん並んでいる。


 ここで急に、トルコ旅行での後悔を思い出した。

 あれは…、エフェソスだったか。お店で石膏の「アテナ像」を見たのだ。

 買えない金額ではないが、かなり高価で思いとどまった。

 しかし、帰国してから、あれは買っておけばよかったなと後悔したものです。いい記念になる。なにより国内で入手することは困難だ。

 前にも書いたけど、部屋の家具を「白」で統一している、ここに白い石膏像は合うよなと常々思っていた。


 最初女神像を買おうかと思った。おそらく聖母マリアらしきやつ。

 しかし、横にあった翼を広げた像のほうが見事に思い、そちらにしてみた。


 後で調べると?これは大天使ミカエルの像とわかる。

 右手に剣、左手に天秤を持ち、大きな翼をもつ。足元で足蹴にされているのは悪魔サタンらしい。


 店員に買う意思を伝えるのだが、イタリア語しか通じないので、なかなか通じない。

 こういうときは、下手に英語を使うよりは、日本語で言うほうが意外と通じるという事を、僕は本屋時代外国人客相手に学んでいた。実際それを行うと、確かに通じる。「これを下さい」と日本語でいると、通じたらしく、店の奥へ通される。


 奥から箱を持ってきて、ガラスのショーケースの上で梱包材ごとぶちまける。

 中から先ほどと同じミカエルの像が出てきて、「これであっているか?」とイタリア語で言っているらしい。日本語で「それでいいです」と何回か言うと、通じたようだ。たぶん、こっちの表情やしぐさでわかるのだろう。日本語を使った方が、表情は上手く表に出るのかもしれない。

 しかし、ガラスのショーケースで梱包材をぶちまけるあたりが、イタリア人らしい。

 日本人ならそんなことはしないよなと思う。おおらかというか、細かいところは気にしないというか。



 こういうイタリア人気質は好きです。

 ピサの斜塔にしても、実にいい加減なもので、一階部分を建設した時点で、すでに傾いたらしい。

 けど、何とかなるだろう…、とでも思ったのか、傾いたまま建設続行。

 だから実は塔自体が「そって」いるのです。傾きに合わせて修正を繰り返した結果、塔がそってしまったらしい。曲がっているのです。塔自体が。だから最新技術で傾きを直すという事すら、もうできないのだ。


 イタリア人は「今」を「大事」にする国民性だ。後先の事をあまり考えず「今」を大事にする。

 それで国がやっていけるのか?と思うところだが、やっていけてしまえることろが奇跡なんだと思う。実際、斜塔も倒れることなく、今現在もちゃんと建っているわけだし。



 2人でイタリア旅行がしたいです。

 

 最近連続TV小説「あさが来た」を見た。

 劇中で主人公はたくさん敵を作る。女性の大学を作ると言うだけで、刺されたりもする。

 けど、こういうのだ。

 旦那さんにさえ嫌われなければ、うちはやっていけまうのや とか。


 ああ、それなんかわかる。そう思った。


 僕も、Fさんにだけは嫌われたくないし、嫌われないよう生きたいと思う。

 

 Fさんも同じかな?


 明日、夜勤明け、Fさんに会いたいです。

 君の手元にまだマウスピースあるのかな…。もし、君が今でも、持っているとしたら?

 それを手に取って眺めているとき、感じる感情は、たぶん、僕のそれと同じものだと思う。

「離れていても、こうすれば、同じ感情を共有できるかも」

 なんて、思ったりもした。

 マウスピース、ずっしり重くて、ものすごい存在感。手に取ると、記憶に訴えてくるものがあります。手紙や写真だと、持ち歩くと紛失や破損のリスクがあるし、第三者に見られたとき奇異に見えなくもない。でもマウスピースなら、ぞんざいに扱っても壊れないし、人に見られても「楽器の練習に持ち歩いているんだ」とでも言えばいいわけだし。



 彼らは人の心を破壊した上に、それは本人の責任と言うような連中だ、反省がない。

“彼ら”に「現実を見ろ」と言われたら?


 仏教の教義を勉強して、その内容を教え、守らせればいい。


 そしてこういうのだ。


「仏教徒として何も知らないという現実をなぜいままで見てこなかったの?その事実が、あなたがウソツキと物語っているわ」と。

 Fさん、一緒に「ガスライティング対策」を考えよう。

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〔8月5日分の記述〕


 Fさんへ。


 イタリア旅行の続きを書こうと思います。


 ピサで大天使ミカエルの石膏像を買ったところまで書いたと思う。

 店員とのやりとりに結構、時間をとられてしまい、集合場所に遅れてついてしまった。

 手に大きな荷物をもって帰ってきたので、他の人たちから「ねえねえ、何買ったの!?」と何度も聞かれる。結構大きな荷物になってしまった。でも、幸い大きなリュックをスーツケースの中に入れてあるので、帰国の際、手荷物で持って帰ることは十分可能だ。仮に帰国までに石膏像が破損したとしても?模型作りを何年も趣味にしているのだ、軽微な破損なら直す自信がある。

(結果として帰国して、箱を開けたとき、まったく破損はしていなかった)


 来た時と同じルートでシャトルバスへ乗り、チェックポイントまで戻ってきてから、ツアーバスへ戻る。この先、高速道路を使い、フィレンツェへ向かうから、ここでトイレに行く方がいいのだが、なんだか大丈夫だったと記憶している。


 高速道路移動し、バスはフィレンツエへ向かう。

 1時間ほどの移動で、あっという間についてしまう。

 ピサでは見られなかった、赤い瓦屋根の街並みが現れ、「おお」という感じになる。

 しばらくしてバスはフィレンツェ市内へ侵入、しばし街並みに見とれる。

(後日、僕は京都観光もしている。京都を見た後で言うけど、本当にあの規模で中世の街並みが残っているのはすごいと思う。京都ですら、あんな規模で中世の街並みはのこっていない)


 バスはアルノ川沿いの「ゼッカ・ヴェッキオ通り」を通り、「ゼッカの塔」(Torre della Zecca Vecchia)のすぐ近くで停車。ここで全員下車し、徒歩で移動となる。

 最初ゼッカの塔と言われて、漫画「銃夢」の登場人物「絶火ゼッカ」を連想してしまうが、当然何の関係もない。

 この塔は、昔の城壁の一部で、昔はこの塔の高さまで城壁があり、都市をぐるりと囲んで守っていたらしい。ヨーロッパの中世の街は、こうした町ごと城壁で囲って守るものが多いが、大砲の性能が向上したことで、用をなさなくなったと記憶しています。

(こうした町ごと守る城壁は、日本にも伝播した?と聞きます。「総構え」と呼ばれ、僕が先日訪れた「小田原城」も「総構え」だったと、先日みたブラタモリでやっていた)


 このあと、昼食を食べにお店に入る。

 印象的だったのは、壁一面のいたずら書きだ。

 サインペンで訪れた人が思い思いにメッセージを書いている。

 日本語の類は見る限り発見できない、ところどころに英語が見られるが、圧倒的に英語以外のメッセージが占めている。本当に地元のお店と言う雰囲気。


 残念ながら何を食べたのか、どーしても思い出せない。

 しかし、ここでも舌をうならせるほど、料理がおいしかったと記憶している。

 そして、料理と地元の炭酸水が口にとても合う。

 この頃にはすっかり炭酸水が大好きになっていて、いまでも時折、スーパーなどで炭酸水を買って飲みます。(残念なのはイタリアブランドの炭酸水が売ってないことだ)


 この後、雰囲気ある街並みを散策しながら移動。

 サンタクローチェ聖堂へ行き、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(近くに「天国の門」がある)、ウフィツィ美術館を見る。


 特にウフィツィ美術館は世界最古の近代式美術館だという。

 美術館や美術品を扱うお店なんかの事を「画廊がろう」と呼ぶが、それはこのウフィツィ美術館が廊下に絵画を展示した「絵画のある廊下」からきているという。


 ここには教科書で見た「サンドロ・ボッティチェッリ」の書いた「ビーナスの誕生」や「受胎告知」なんかもあり、びっくりする。しかも結構、近い距離で見れるのだ。何重ものガラス越しではいまいちわからない絵のタッチなんかも、鑑賞できる。すごいです。


 この美術館はもともと、メディチ家の建物だったらしく、とても古い建物だ。

 特に印象に残ったのは、近代的な階段スペースは中庭をつぶして作ってあったことと、逆に建設当時からあった階段は、人間工学を全く無視した急こう配だったこと。そして地下トイレへ行く途中に見られた、トイレ建設中に発見された地下遺跡。そして、なぜか取り外されているトイレの便座だ。


 イタリアのホテルにはちゃんと便座がある。

 しかし、観光施設へ行くと?どこもそろって便座がないのだ。なかには、昔はあったが何かの理由で外された跡もあった。この頃になると、他のツアー客もそのことが気になっていたらしく、添乗員さんに質問していた。すると、イタリアではどこもそうだという。理由は不明です。


 不思議な国イタリアは、常に予想外で満ちています。


 もうすぐ秋です。

 残暑厳しいですが、日が暮れると、鈴虫の声が聞こえるようになりました。

 そろそろベランダガーデニングの一年草の花の一部は、まだまだ元気に咲いているものの、一部疲れが見えてきている。一番古い茎などは枯れ始めた。

(新しい茎も伸びているので、まだいけると思うけど)


 けど、冬に備えて、冬咲く花を用意しつつあります。

 とりあえず用意したのは「菊の花」今も満開だけど、資料によりと冬も咲くとある。

 最近、鉢が小さくなってきたので、今日大きなプランターを買ってきた。石風の西洋鉢で、和風の菊と妙に合っています。

 あと、「アリッサムスノークリスタル」という花の種をネット注文してみた。

 この花はお店ではなかなか見かけないという。

 白いアリッサムがほしかったので、この際、種から育ててみようと思う。

 上手くいくかわからないが、まあ、何事も、やってみないとわかりません。


 Fさん、明日会いたいです。

 近くで、なにかしらサインを出してください。

 気づくか気づかないかは、わからないが、何事も、やってみないとわかりません。


 Fさんに会いたいです。

 君の手元にまだマウスピースあるのかな…。もし、君が今でも、持っているとしたら?

 それを手に取って眺めているとき、感じる感情は、たぶん、僕のそれと同じものだと思う。

「離れていても、こうすれば、同じ感情を共有できるかも」

 なんて、思ったりもした。

 マウスピース、ずっしり重くて、ものすごい存在感。手に取ると、記憶に訴えてくるものがあります。手紙や写真だと、持ち歩くと紛失や破損のリスクがあるし、第三者に見られたとき奇異に見えなくもない。でもマウスピースなら、ぞんざいに扱っても壊れないし、人に見られても「楽器の練習に持ち歩いているんだ」とでも言えばいいわけだし。



 彼らは人の心を破壊した上に、それは本人の責任と言うような連中だ、反省がない。

“彼ら”に「現実を見ろ」と言われたら?


 仏教の教義を勉強して、その内容を教え、守らせればいい。


 そしてこういうのだ。


「仏教徒として何も知らないという現実をなぜいままで見てこなかったの?その事実が、あなたがウソツキと物語っているわ」と。

 Fさん、一緒に「ガスライティング対策」を考えよう。


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〔8月6日分の記述〕


 時々、短編を読みます、今でも、時々読みます。


 いきなり話が飛びますが、彼女の最近の容姿の特徴に興味があります。

 どんな髪型で普段いるのか。短髪かそうでないのか。

 どんな服装を好んできているのか。

 高校時代より太っているのかその逆か。

 高校時代、変装用に眼鏡を使っていたが、今でもそうしているのか?

 芸能人で例えると?今現在の印象はどんな感じの雰囲気なのか?


 話は戻ります、時々短編を読みます。

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  Fさんの手紙、待っています。



(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)

〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください

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