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第90話 「イタリア」旅行2+日々思う事2

〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください

(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)


〔6月9日分の記述〕


 Fさんへ。

 最近悩んでいます。


 車の買い替えです。


 今乗ってる車がもうすぐ走行距離10万キロに達しようとしている。

 あまり詳しくないけど、10万キロを超える車はヤバいらしい。


 中古車市場でも価値が付かないとか…。


 たぶん、あちこちの部品が限界にきて、次々に修理に迫られるからだろう…。

 現状、特に問題はないんだけど。


 正直、問題ないから乗り続けたい、という希望がある。

 僕は気に入ったものは長く使うタイプの人間です。


 しかし、10万キロを超えると、タイミングベルトがやばいとかいう話を聞いた。


「それは、マジでやないな」とぐうの音も反論ができない状況です。




 僕がタイミングベルトが何であるかを、初めて知ったのは、大学時代、「ボルトアンドナット」という漫画を読んだ時だ。

 旧車好きの漫画家が自身の体験談を漫画にしたもので、知人の車のタイミングチェーンが切れて、エンジンが走行中大破した話をのせていた。


 タイミングチェーンとは、昔、タイミングベルトの代わりに使われていたもので、役割は同じ。

 これが切れると、エンジンの点火タイミングがずれて、爆発、というか、エンジンの構造そのものが損壊する事故になる。

 レースの世界ではエンジンブローとかいう状況になるわけだ。


 状況次第ではそのまま車両火災になりかねない非常に危険なもの。


 タイミングベルトを交換すればいいわけだが、先に書いた通り、この部品以外にも次々に故障が出てくるはずだ。

 10万キロは廃車にするいい目安らしい。



 買い換えようと思う。

 

 候補としては、NBOX。できれば四駆ターボのもの。

(この小説内でも書いたが、坂道での車の非力さに悩んだものです。パワーのある軽自動車がいい)

 しかし、この車、車高が高い。今あるルーフボックスの転用を考えると、悩んでしまいます。


 同じホンダ車なら、ビートも捨てがたい。

 この小説にも以前書いたけど、オープン2シーターの車にあこがれがある。

 けど、この車に自転車が積めるかがわからない。

 もし、積めるなら、この車がいいかもしれない。


 Nワゴンってのもある。NBOXより割安感がある。

 もし、車内空間に不満がなかったら?こちらの選択もありかもしれない。


 他社では、ハスラーって車も興味ある。スズキの軽だ。

(確かハスラーには他社に委託販売した別モデルがあったような気がする)


 ダイハツのウエイクもいいかもしれない。

 以前コンビニで見た白いウエイクが、何だかかっこいい気がした。


 次の休日、ディーラーへ行ってみようかと思う、今日この頃です。


 一括で買える金がないわけではない。

 しかし、分割のがいいように思う。余裕をもって購入する方がいい。


 今の車、6月に車検が切れる。

 タイムリミットはそこです。


 …たぶん5月中はこの件にかかりきりになるのかな。


 イタリア旅行としまなみ海道旅行で、結構お金を使った。

「また出費か」と悩むところです。



 自動車ローンを組むことも、実は悩みどころです。


 僕は人生で一度も借金を組んだことが「ない」。


 人生初の借金なわけで、「いいのかな、一括で払えないことはないが」と考えてしまいます。


 Fさん、新車買ったことある?

 アドバイスもらえたらうれしいです。

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〔6月10日分の記述〕


 Fさんへ。

 今月のこの先の予定を書いてみようと思います。


 3日(火)早番 5時起き 6時発

 4日(水)遅番 8時起き 9時半発

 5日(木)休日 ディーラへ車を見に行く①(予定) 天気予報「晴天」

 6日(金)早番 5時起き 6時発

 7日(土)遅番 8時起き 9時半発

 8日(日)日勤 6時起き 7時半発

 9日(月)休日 ディーラへ車を見に行く②(予定) 天気予報「くもり」

 10日(火)早番 5時起き 6時発

 11日(水)日勤 6時起き 7時半発

 12日(木)日勤 6時起き 7時半発

 13日(金)休日 ディーラへ車を見に行く③(予定)

 14日(土)早番 5時起き 6時発

 15日(日)日勤 6時起き 7時半発

 16日(月)休日 ディーラへ車を見に行く④(予定) 

 17日(火)休日 ディーラへ車を見に行く⑤(予定)

 18日(水)遅番 8時起き 9時半発

 19日(木)日勤 6時起き 7時半発

 20日(金)早番+日勤  5時起き 6時発


 ※サイクリングに20日までに、2回は行きたい。(ロードバイクで、河口湖+山中湖)

  余力があればプラス1回、山へ行きたい(MTBで氷ヶ池周辺)


 ※月末までに新車購入について最終結論へもっていきたい。


 …という感じです。

 出勤の日は、たぶんコンビニによって飲み物を買ってから職場へ行くと思う。


 ここでは書かなかったけど、職種こそ同じだが、職場が変わりました。

 ようやく"彼ら"がこの変化に対応してきた?という印象を持ちます。

(歩道橋の下で、腰に手をあてて対面で仁王立ちのおじさんを見た、久しぶりだ。腕組んで歩いてくる人も久しぶりに見た)


 今日初めて入った床屋では、腫物を見るような目で見られた。


 他の人には言っても、こういうの通じないと思う。


 でも、Fさんは、たぶん、わかるよね、きっと。


 やはり、君に隣にいてほしいと思う。

 世界で一番信頼できる人がいると、うれしい気持ちになります。

 そういうのが、幸せっていうのかもしれない。


 Fさんとは、不思議といろいろと相性がよかった。あれは、説明できない不思議な感覚です。


 Fさんがどう感じていたのか聞ける日を信じて。

 負けないでほしい、がんばれ!

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〔6月11日分の記述〕


 Fさんへ。


 「トレビの泉」には歴史がある。


 なぜに「トレビの泉」は「特別」なのか?


 Fさん、イタリア旅行の続きの話を再開します。




 「トレビの泉」の水源は「ローマ水道」だ。

 それも「破壊を逃れたローマ水道」。


 異民族に侵入されたローマは、ローマ水道のほとんどを破壊されたらしい。

 ほとんどを破壊されたのだが、数少ない「生き残った」水道もあった。

 「地下」に設置された「トレビの泉」の「水道」は、地上から見えないため、異民族も破壊できなかったとかいう話だ。


 先の「パンテオン」の時にも書いたが、ローマの住民は「オリジナル」に対して敬意をはらう。

 この「生き残った」水源に対しても特別な感情を抱いたらしく、近隣の富豪が「ただの泉」だった「それ」を整備して、現在の「トレビの泉」が出来上がったわけだ。



 歴史的には、ヴィルゴ水道の終着点にある人工の泉で、何度か機能が止まった時期があるが、繰り返して再建されたらしい。

 18世紀、教皇クレメンス12世の時代に、トレビの泉も改装されて、現在の姿になったようだ。

(どうも16世紀~18世紀にローマは改装され、現在の姿になった?という印象を受ける)

(この後19世紀の「重工業」の発展に乗り損ねたローマは、世界のリーダーの座から転落することになる)




 僕らツアー一行は、「パンテオン」を後にして、ローマ市内を徒歩移動。

 狭い路地をあるいて「トレビの泉」へ向かった。

 途中の道筋は、まさにローマの街そのもので、見ているだけで飽きない。

(歩きながら、あちこち写真をとりまくってしまった、おかげであっという間にカメラのバッテリーがなくなり、スマホのカメラに切り替えざる得なくなったりもした)


 このローマ市内の情景、どう表現しようかとずいぶん悩むところなのだが、そーだな。

 たぶん、Fさんは読まないと思うけど、漫画「マスターキートン」というのがある。

 日本人とイギリス人のハーフの主人公が探偵としてヨーロッパで活躍する話だけど、その漫画の世界に入り込んだような…、そんな街並みなのだ。


 石造りの多層構造の建物。一階はみな店舗。どこもかしこも古い建物で風情がある。

 ところどころ緑があり、住民のセンスも光る。

 日本国内でヨーロッパ風のおしゃれなお店をたまに見る。日本ではひときわ目立つその店も、もし、ここに移築したらまがい物に見えてしまうだろうな…、と感じる圧倒感。

 悔しいけど、この圧倒感は「本物」であり、わざわざ見に行く価値のある「本物」だなと感じます。


 狭い路地を歩いていると、突然前方が開ける。

 大きな広場になっていて、「トレビの泉」がそこにあった。


 きっと本来なら「感銘」を受けるところなんだろうが、実は道中「感銘」の連続で、もうすでに感覚がおかしくなっている。

 トレビの泉をみても「おお、来た」くらいにしか感じない。


 一応、泉の近くまできて、コインも投げてみた。

 1ユーロコインに君との再会をひそかに託して。


 実感が沸いてきたのは、ジェラートを食べてからだ。

 映画「ローマの休日」の影響?かな。ここでジェラートを食べるのは、観光の「定番」らしい。

 せっかく来たのだから、食べてみることにした。


 添乗員さんおすすめの店に入る。


 しかし、注文の仕方がさっぱりわからない。

 そして、びっくりすることに店員さんにはジェスチャーや片言英語が通じない。

(通じているのかもしれないが、「またか」という顔をして、そっけない)


 一応答えてくれているらしいのだが、イタリア語で返してくるので全く分からない。


 幸い添乗員さんがいたので、買い方を教えてもらった。


 これはイタリア全般で言えることなのだが、ペットボトルの飲み物以外は、食券を買わないと買えないみたいだ。

 まず商品とは少し離れた場所にある「レジ」へ向かい、「食券」を買う。

(食券といってもただのレシートなんだけど)


 そしてそのレシートを商品のところにいる店員に見せて、注文するのだ。


 初めてのことに、まごつくのはいつもの事。

 レシートをみせて、ジェラートを注文するのだが、2種類選んでいいところを、要領がわからず1種類しか言わないでいると?

 オレンジ味のジェラートを二つ盛られてしまった。

(まあ、美味しかったからいいんだけど)


 このころ、ツアーの人ともかなり仲良くなっていて、味はどう?とか和気あいあいやれるようになっていた。

 ここまで仲良くなれるとはおもってなかったので、うれしい誤算です。楽しかった。


 …ここのジェラートは確かにおいしい。

 日本国内のレベルでみたら、間違いなくトップレベルだと思う。

 しかし、びっくりすることに、この後「ミラノ」で食べたジェラートの方が「美味しかった」。


 トレビの泉のお店は、観光地。

 ミラノの市内でたべたお店は、ガチで勝負している普通のお店。


 その辺の差が出たのだろうか?


 イタリアは底が深いです。これよりうまいものがあるのか!とびっくりすることばかりです。


 Fさんと来ていたらもっと楽しいのに…。

 そう思います。


 Fさんとの思い出は、すでに僕の人格の「一部」になっている。

 あの記憶を忘れてしまったら、現在の人格が変わってしまうだろう…。

 Fさんはどうですか?

 

 …答えないよね、絶対に。恥ずかしいことは答えない。それがFさんだ。

 そういう頑固なところも、好きなことろではある。

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〔6月12日分の記述〕


 Fさんへ。

 今日は本当は2016年5月6日です。


 下記のようなニュースがありました。

 アカデミー作品賞に輝いた、映画『スポットライト 世紀のスクープ』についての記事です。

(以下転載)


 「2002年に「ボストン・グローブ」紙が「SPOTLIGHT」と名のついた新聞一面に、神父による性的虐待と、カトリック教会がその事実を看過していたというスキャンダルを暴く記事を掲載した実話を映画化したもの。

 社会で大きな権力を握る人物たちを失脚へと追い込むことになる、記者生命をかけた戦いに挑むジャーナリストたちの姿を、緊迫感たっぷりに描いている。

 昨年のアカデミー賞で作品賞に輝いた「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」で復活を遂げたマイケル・キートンをはじめ、マーク・ラファロ、レイチェル・マクアダムスら実力派が共演している。」


(転載終わり)


 この映画は実話。

 …覚えてないかな?この事件については、この小説の初期のころ言及したことがある。


 最終的にこの事件、信者たちが教会への「寄付」をボイコットすることで、教会側がねを上げて、降参した。


 こんなことも思う。


 もし君が、「財務」することを「ボイコット」するように呼びかけたらどうなるのだろう?と。



 上記のボストンの神父たちは、失職した。

 この事件は、「正しいことを言える社会」でありたいという、「あたりまえ」の世界をテーマにしている。


 "彼ら"は事実を捻じ曲げて、君にしたことを隠そうとしたばかりか、責任から逃れて、あろうことか、責任を他人に押し付けようとする連中だ。


 手加減して、勝てる相手ではない。


 遠慮は無用だと思う。



 問題は、君が君らしくあることだ。

 君が、君の「あたりまえ」を取り戻すことを、信じています。


 負けないでほしい、心は揺れると思う。過去もそうして過ごしてきたことは、手に取るようにわかる。


 けど、もう君は1人ではない。


 それを、ここに、改めて伝えます。

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〔6月13日分の記述〕


 Fさんへ。

 今日は本当は2016年5月9日です。

イタリア紀行がまだ途中なのですが、最近の事も書こうと思います。


 先日、「仁科峠」へ行ってきました。

 以前書いた、天城峠の西にある西伊豆の山です。


 下調べの段階では、ここは自転車で走れる?と言う事だったので、楽しみにしていたのですが…。

 結論から言うと?


 いい点と悪い点がありました。



 よい所は、ものすごい「幻想的な」空間が広がっていたという事。

 ブナの原生林がいまでも健在で、人が開拓していない古代の森が広がっています。

 「もののけ姫」の世界というか、「RPG」の世界というか…

(昨今、コスプレの野外撮影会がはやっているというニュースを観ました。案外RPG系のコスプレイヤーはこういう場所で撮影すればいいのでは?と感じてしまう感じです)


 悪い点は?

 とてもじゃないが、自転車で行けるような場所ではない、という事。

 走れる場所はごくごくわずかで、ほとんどが「担ぎ」での移動。

 ダイエットにはちょうどいい運動になるが、山サイクリングとしては、どうか?とも思う。


 実は、登山道を少し外れると、いい感じの斜面が結構あり、自転車でいけそうな雰囲気なのだ。

 しかし、遭難のリスクは結構ある。

 びっくりすることに「仁科峠」はケータイの「圏外地域」だ。

 当然、電話は通じないし、グーグルマップも利用できない。

 この山に、ちゃんとした装備無しで挑むのは、かなりリスクが高い。


 本格的な登山でなく、単に山でサイクリングがしたいだけの僕のような人間が、おいそれと登山道を外れていいような山ではない。



 まあ、こうも思います。

 自転車でもない限り、こんな場所、一生来なかっただろう。

 きれいな場所見つけられたわけだし、まあ、これはこれでいいかな?と。

(しかし、たぶん、自転車でもう一度仁科峠にはアタックしないと思う。くるなら?徒歩登山だなと。)


 

 …こう最近思います。

 自転車もって何度か「山」へ行ってみたけど、結局どこも満足のいく走りはできていない。

 これはもう、専用コースへ行ってみたほうがいいかもしれない、と。


「ふじてんリゾート」という場所がある。

 スキー場なのだが、オフシーズンはMTBコースとして開放されているらしい。

 ゲレンデを自転車でかっ飛ばせるわけだ。遠慮なく飛ばせる。


 場所は河口湖なんかに近い、あの辺は土地勘もあるから行きやすい。

 自転車2台持って行って、午前中ロードバイクで湖畔を回って、午後MTBで山へなんて日程も組めなくもない。


(さらに、試してみたいことがある。「樹海」だ。ここの遊歩道は、自転車で行けそうという話を聞く、河口湖も近いし、試す価値があるかもしれない)



 5月、車の買い替えの件が片付いたら?

 6月に新車で行ってみようか?などと考える、今日この頃です。


 Fさん、こんなことも思った。

 再会した時、君を確認するいい方法があった。

 手を合わせてみるのだ。


 覚えているかな?神社で手を合わせたことがある。

 2人とも手の大きさがまったくおなじだった。


 手の大きさは生涯変わらないと思う、今でも同じはずだ。


 "彼ら"は底が知れない、一番恐れるのは、連中が君のそっくりさんを用意してきた時だ。

 日本全国探せば、1人くらい見つかるかもしれない。


 それでも、手の大きさまで同じとは限らない。


 またこうも思う、実はこの小説内に、2人だけで通じる話題で、「書いていないこと」も実はけっこうある。

 例えばFさんがよく言ったセリフ「Kくん、○○が好きでしょ?」という言葉。

 ここにあてはまる言葉は、本物の君しか知らないことだ。


 会っただけでわかるかな…。全く自信がありません。



 お互いに意識しだすと、遠く離れていても、お互いの存在がわかる。

 ああいう感覚、F以外の人に感じたことはありません。


 遠くに君を見つけると、すぐに君もこちらに気付く。

 後で君に聞くと、なぜかわかったとと答える。


 不思議な感覚でした。


 いまでも念じれば、なにか届くだろうか?


 念じてみます、もう君は1人ではないと。


 どんな困難があろうと、あきらめず、自分を貫き通してほしい。

 負けないでほしい、がんばれ!


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〔6月14日分の記述〕


 Fさんへ。


 いままでいろいろ不思議なことはありました…。


 生きた蝉をぶつけられたことが2回。


 死ぬ寸前の蝉を玄関に置かれること1回。


 これは偶然かもしれないけど、車で走行中、猫の死骸と遭遇したこともある。



 かつて"彼ら"の嫌がらせの常套手段に、犬や猫の死骸を玄関に置くというのがあったらしい。

 しかし、近年になり、こうした事例は「犯罪」と認識され、警察の捜査の対象になった。

(捜査の対象になるくらい、過去たくさんあったという事だろう…)


 そこで、捜査の対象にならないギリギリのラインで、この手の犯罪を継続しようとしているらしい。


 今日のはすごかった。



 生まれたばかりの「鳥のひな」が4体ほど、車の脇にころがっていたのだ。



 一緒にいた車のデイーラーの人も驚いていた。

 上空にはなにもない。どうやって落ちてきたのか、怪奇現象か、"彼ら"の仕業か?といった感じだ。


 Fさんに伝えたかった。

 これは君が頑張って戦っている証拠に違いない、と。

 連中のあがきが、こうした醜い結果につながっているのだと。


 性根の腐った連中は、どこまでも果てしない。

 そして、そうした腐った連中を看過してきた組織もおかしい。


 しかし多くのメンバーは「正義」を信じている。

 この世を正すことに魅力を感じているはずだ。


 もし?いまでもぐだぐだ言う人がいたら?

 こう、言い返せばいいと思う。

「あなた、あの腐った連中の肩を持つの?それで平気なの?人として」と。


「どんなに世の中に期待を持てなくなったとしても、あなたが「人」である事実は覆らない。それとも「人」である事すら、忘れてしまったの?」と。



 おかしいことは、おかしいと言える社会を、鼻で笑う連中のいう事など、ただの偽善に過ぎない。

 それは宗教を隠れ蓑にした「犯罪集団」の自己正当化の理論だ。


 Fさんの心の光を、みな直視する勇気がないだけです。


「人」が「人」であることを、忘れていいと、はたしてブッタが説いたのでしょうか?


 それでもごちゃごちゃ言う人には、こう言えばいい。

「知ってる?教祖様の言ってくことって、お釈迦様のまるパクリだってこと」


「パクるだけでなく、変なアレンジまで加えてることが罪よね」と。


「そして、そのアレンジに気が付くほどの「学」が皆にないことが、そもそもの悲劇よね」と。


 もし、だれかに、お前もその一人だろと言われたら?

 こう言い返せばいい。

「私、間違いに気が付いたの」と。


「そして、あなたはまだそれに気がついてない」と。


 負けないでほしい、がんばれ!

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〔6月15日分の記述〕


 Fさんへ。


 今日は、車の「試乗」をしてきました。


 今日は休日です。

 とてもいい天気なんだけど、体が休息を求めている。

 午前中はへやで気ままに休んでいました。


 日が昇り、いい天気にもなってきて、体が活性化してくる。

 部屋を片付け、自転車をいじっていると、急激にサイクリングしたくなる。


 空はまぶしいばかりの晴天。ベランダで自転車に新しいナビを装着していると、急激に「走りたい」衝動に駆られる。


 眠っていた「感性」が呼び起こされる瞬間を自覚する。


 しかし、今日は自動車の「試乗」をする約束の日なので、ディーラーへ行かないといけない。


 約束事があると、急に復活した「感性」のやりどころに困る、今日この頃です。



 約束の時間まで、自転車をいじり過ごす。


 時間になり車で移動。

 外はすごい晴天で、太陽がまぶしい。

 富士山もきれいに見える。

「このまま河口湖までいきたいな」とつい思ってしまいます。


 ディーラーにつき、まず普通の試乗車を試す。


 新型車だから、当然スマートでいいのだが、なんだかおとなしくて物足りない。

「乗りやすいけど、こんなものか」と思っていろいろ試す。


 すると、エコスイッチらしきものを見つける。走行モードがエコモードになっていたようなのだ。


 これを切って走らせてみると?


 急に車の性格が変わって、力強い走行に変わった。ぐいぐい走る。

「そうそう、こうでなくっちゃ」と思わずうなずく。


 2台目の試乗車はターボ車だ。

 同型のターボ車なんだけど、これがすごい。

「なにこれ、全然違う」と感じる加速感。


 エコモードのままでも十分力強いのがわかる。


 エコモードを切ると?もっと動きがキーピーになる。

 踏めば踏むほど加速し、簡単に100キロに達する。


 軽自動車でも、ターボなら下手な普通車よりすごい、と聞いていたが、まさかここまでとは…。


 まったく不満を感じない走行で、とても軽自動車とは思えなかった。


「これはいい」と気に入ってしまいました…。


 街中では、エコモードにしないとむしろ危険と感じるくらいの加速をする。


 こういう例えもどうかと思うが、こう感じた。

「ロードバイクのフロントギアの切り替えに似ている。ロードでもフロントギアを下げると、加速は下がるが街中では操作しやすい。加速したいときはフロントギアを上げればいい、取り回しは難しくなるが速度は段違いにでる。エコモードの切り替えはあれに似ている」と。


 

 試乗する前は、えー今日はサイクリングしたいのに、しょうがないな。くらいに思っていたけど、実際ターボに乗った感想は?


「めちゃくちゃスゲーなにこれ」だった。

 結果、結構楽しめた。意外です。まさかこんなにすごいとは、乗ってみるものです。


 これに決めました。



 "彼ら"がみたらどう思うのだろう?

 それまでさげすんでいた男が、気が付けば新築の家を持ち、新車を買おうとしている。海外旅行にも行ったりして、あれ?なんか聞いていた話と違うぞ?と思うのだろうか?


 小学生の頃は、こういう話をすると嘘つき扱いされた。


 いまでも、「そう」なのだろうか?


 本当のことを話しても、全部「嘘」と決めつける連中と、この試乗の後、死んだひなを地面にまく連中は、同じような人種なのだろうか?



 "彼ら"は本当に「多くの闇」を抱えている。

 誰かを貶め続けないと、生きていけないかの如く…。


 「それ」のどこが幸せな生きかたなのか?


 Fさんの望んだものが、そんなものでないことだけは、確信します。


 わがままではない、真実なのだ。


 ゆがんだ世界しか許せない連中に、負けないでほしい。


 Fさん、がんばれ!

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〔6月16日分の記述〕


 Fさんへ。


 なんかこんなことも思う。


 今日おこった不思議な出来事。


 たぶん、僕だけでなく、多くの人が体験しているのだろう。


 なぜかって?



 たぶん、"彼ら"のなかには、どうして自分は不幸なんだ?

 という理由から信仰にはしった人たちもたくさんいるだろうと思う。

 でも、そういう人たちは、「本当」に「偶然」にも「不運」だったのだろうか?


 "彼ら"が信者を増やすためにやっているのではないだろうか?と。


 Fさん、一度こう言ってみるのもいいかもしれない。

「あなたの不幸は、仕組まれたものかもしれないのよ。それでも信じるの?」と。

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〔6月17日分の記述〕


 Fさんへ。


 こんなことも思う。


 以前書いたと思う。


 "彼ら"は僕にとって天災と同じだ。


 イナゴの大群に襲われる農作物の被害と同じだ、と。


 天災として、対処したほうが良い、と以前書いたと思う。



 こうも思ったりします。


 もし、いまでも頭の固い熱烈なカルト信者みたいな人に出会ったら?


 僕が言ったことを踏まえたうえで、こういえばいいと思う。


「イナゴ扱いされて、うかれているあなたが、馬鹿に見える」と。

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〔6月18日分の記述〕


 Fさんへ。

 今日は正確には2016年5月17日です。


 仕事は早番だったため、朝早く、終わりは早かった。


 仕事終わり、サントムーンへ移動。


 軽く食事を済ませ、その後ホームセンターへ。


 以前この小説内でも書いた、映画「インターステラー」。

 気に入ってしまい、大判のポスターを購入してしまったのだ。

 今回は、そのポスターを入れるボードを探しに来た。


 結果一番大きなボードになる、結構でかい。


 しかし、気に入った映画のポスターなら、いい部屋の演出になるので、期待大です。

 こうした小道具の演出が、日ごろ気が付くと失いそうになるインスピレーションのきっかけになったりする。


 家に帰ると、とりあえずポスターは後回しにし、防水スマホを立ち上げ、TV視聴を起動。

 同時に防水のブルーツゥーススピーカーも立ち上げて、つなげておく。


 こうすれば風呂場でTVが見れるからだ。


 少し高めの温度設定で、風呂をセットする。最新式だから、ボタン操作だけです。

 ニュースを見ながら、少し長めの入浴。


 じわじわと温まるのが、好きです。時間をかけて。


 30分ニュース2本と、報道特集をまるまる一本見終えて、風呂を上がった。

 ニュースをみて思う。

「ああ、熊本地震から1か月か」と。


 東海地域もいずれ地震が来る、どうなるか心配です。

(といいながら、あまり心配してない。根拠はないです)

("彼ら"のあの猛攻撃を経験してから、動じる機会が減ったのも事実です)


 湯上り、ほてった体を冷やそうとベランダへ出る。

 新築の我が家には、2つベランダがある。

 今回は大きな方のベランダで涼んだ。


 ベランダチェアーに座り、見上げると、いい感じに月が見える。

 ほてった体に、風が気持ちいい。


 広いベランダで、湯上りに、月をみながら、のんびり夕涼み。


 悪くない。いい感じです。


 ベランダを有効利用すれば、家に居ながらに、生活にメリハリがつく?

 そんなことも感じる、今日この頃です。


 最近悩みます。


 ベランダに寝そべるタイプの何かがほしいなと。

 サントムーンの雑貨店に、いい感じの、地上設置型のハンモックがある。

 あれを置いて、空を見ながら、夕涼みとかも、いいなーと思う。


 …でもあれけっこう高いんだよね。

 悩むところです。


 新車も買うわけだし、無駄使いは控えないと。


 でも、ベランダで、ハンモックで、夕涼み。

 魅力的です。


 できたばかりの頃は、この新築に慣れてなかったけど、ようやく最近、慣れてきました。

「いい家かもしれない」

 と、思い始めた、今日この頃です。



 Fさん、今、どこでどうしていますか?

 君の「今」が気になります。


 頑張り続ける君の姿を、想像するわがままを、許してください。


 わがままではない、真実なのだ。


 君が、君であるためにも。


 負けないでほしい、がんばれ!


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〔6月19日分の記述〕


 Fさんへ。

 

 こんな事も思う…


 君は徹底して「受け身」に徹することが多い。

 君がなにかしてくれるときは、こちらがなにかした時に、答えてくれるときのようにも思う。


 今は、それが何なのだろう?


 そこが課題?というか、なんというか。


 こんなことも思う。


 高校時代、君に告白した時は、もうこれで最後だと追い詰められていた。

 自然と涙があふれて、本音以外口にできなくなっていた。


 君は、本音を聞きただっていたと後で気付く。



 いま、君になにが必要かわからない。


 でも、正直にいよう、それがキーワードかもしれない。



 そんなことも思う、今日この頃です。


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〔6月20日分の記述〕


 Fさんへ。

 

 こんな事も思う… 


 僕のマウスピース、まだ持っていますか?


 あれを見せてくれたら、すぐに君とわかる。


 自分のマウスピースだから、たぶん、見ればすぐにわかる、かな、たぶん。


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〔6月21日分の記述〕


 Fさんへ。

 

 こんな事も思う…


 お芝居は好きかな?


 こういうきっかけ、自然でいいなと思う。


 マウスピースにかぎらず、なんでもいい、小物を使って、こう芝居するのだ。


「これ落としましたよ」


 こう話しかければ、不自然なことなく会話できる。


 芝居じみてるとは思う。


 でも、お芝居でないといえない本音って、あったりするよね。



 むかし、こんなこともあった。


 ふざけで、「初めてじゃないんだろ?」と僕が言う。照れて戸惑う君がいた。


 きざなセリフが続かない僕は「これ、お芝居、お芝居じゃないとこんな事言えないよ」とか言ったと思う。


 君はこのお芝居のルールに乗ってくれた。


 「じゃあ、私もお芝居」といって、急に駆け寄ってき「だーいすき」といってキスしてくれた。


 君は照れて、「私もお芝居じゃないと、こんなことできない」と言ったと思う。



 なんてかわいい人なんだ、と思ったものです。

 なんだか気が合うなとも思った。


 たぶん、こういう事書くと、君は顔を真っ赤にして、こんな恥ずかしい事かかないで、と思うだろう。

 怒るかもしれない。


 でも、僕は君の本当の姿を、伝えてみたい。

 連中の知らない、本当の君の姿を。


 恥ずかしいかもしれないが、それは一時的な事。

 長い目で見れば、理解してくれる人が増えると信じます。

 仮に増えないにしても、君のすごしやすい環境というか、空気感が生まれると思う。時間はかかるだろうが。


 これはどこまで当たっているかわからないが、たぶん君は、僕の事を「優しい人」とたくさん言ってくれたと思う。


 ならば僕は、君の「純真でかわいらしい人」であることを、ちゃんと伝えないといけないと、そう思った。


 お互い「受け身」の性格をしている。

 自己アピールは苦手な方だ。


 しかし、お互いに好きな人のいいところをアピールする分には、自分の事をアピールするほどに遠慮は出ないと思う。


 そんなことも思いました。

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〔6月22日分の記述〕


 Fさんへ。


 Fさんは巻き毛だった。

 君自身がどう思っているか知らないが、僕はあの髪、好きです。


 ストレートパーマなんてかけなくてもいいと思う。


 時々探します、ウエーブのかかった髪の人を…。

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〔6月23日分の記述〕


 Fさんへ。


 今日は本当は「ふじてんリゾート」へMTB乗りに行こうと思っていました。

 しかし、急に「最近ロードバイクにのってないな」と思い浮かび、ロードバイクサイクリングに変更した。

 どこを走りたい? 

 と自分に問うと、浮かんだのは「千本松原」。


 仕事終わり、帰宅して、すぐに行動開始。 

 二階の自室へ移動し、ロードバイクを持ち出す。

 一回に降ろして、車に積んだ。


 これで明日すぐに出かけられるわけだ。



 以前はロードバイクは車に積みっぱなしだった。

 保存状態がよかったのか、ずっときれいだった。


 今は屋外保管にしているためか、外見上の痛みが目立つ。


 まあ、この自転車で富士五湖や下田や、湘南や、瀬戸内海まで行っているのだ、経年劣化と言えばその通りなのだが、もし、次回新しいのを購入する際は、また車内保管に戻そうと思う。



 最近"彼ら"の存在は希薄だ。

 しかし、希薄であるがゆえに、たまに「遭遇」すると、とても目立って見える。


 今日見たのは、白いマスクに白いイヤホン(ここまでなら偶然?かもしれないのだが)、加えてロボットのように規則正しく歩くしぐさの人を見る。


 東京では見る人すべてが、同じ歩き方をしていて、奇妙さも最高潮だった。


 今更にして思う。すげーよな、よくあんなことできるよな、と。


 あの状況で正気を保てたのは、君との記憶があったが故です。



 今日のサイクリングでは、原から富士川まで往復した。

 以前はこの距離で満足できたのだが、「しまなみ海道」を走った後では、いささか物足りない。と、思うと同時に、そんなことを感じるようになった自分に驚いた。


 昔ほど息が切れないのも事実だ。

 以前はこの距離を走れば、汗もぐっしょりで、終わるとぜーぜーいっていたものだが…。


(たぶん、こぎ方が上手くなったせいだと思う。以前は無茶な走り方をかなりしていた)

 今注意しているのは「ケイデンスセンサー」の「回転数」を注視しながら走るというものだ。


 以前は「速度」しかみてなかった。


 今は「回転数」を見ることで、適切な速度で巡行できる。

 おそらくほかの人はもっと高いのだろうが、僕の場合回転数は55~65回転だ。

 この回転数を維持する走りをすると、失速せず走り続けられる。


 今日面白かったのは、体力自慢のMTB乗り2人に抜かれたときのことだ。

 通常のロードならそのまま引きはがされるが、この2人は抜いた後失速して離れない。


 巡行速度など考えず、力任せにこいでいる証拠だ。


 こっちはセンサーの数値みながら一定の回転数で走っている。

 引きはがされず、2人の体力自慢についていけるのだ。このメタボな僕でも。


 この二人は、少し行った先の公園で止まってしまう。

 後ろを見て、こっちが引きはがされてないことを意外に思う様子が見て取れる。


 そもそも自転車の性能が違う、抜こうと思えば抜けるが、こっちは先があるから一定の速度をキープする必要がある。


 昔の自分は、むきになって追いつこうとかしていた。

 それで、無駄な力を使い、最後にはへとへとになっていたのだろう。



 なんていい気になっていると?


 後ろから来たロードバイクにあっさり抜かれたりする。

 見ているとたぶん、僕よりも回転数が10は上なんじゃないかと見て取れた。

「あれは脚力の差だ、こればかりはしょうがない」

 同スペックならば、スポーツマンにはかなわない。

 無理はせず、自分のペースで楽しむ。



 今回のサイクリングでは、専用のドリンクホルダーを使った。

 しまなみ海道用にそろえた装備で、走りながら給水できる。


 いままであえてこの装備は避けてきた。


 止まってペットボトルで給水するのが自分のスタイルだと思っていたからだ。休憩もできるし。


 しかし、このボトルなら走ったまま給水できる。


 今回のサイクリングでは、一度も休憩せずに富士川まで行けた。

 

 こう感じる。


 もっと長い距離、走れるんじゃないか?

 いや、走ってみたい、と。


 今回のコース、延長すれば静岡市まで行ける。

 電車で帰ることを念頭にいれれば、静岡までロードバイクで行けなくもない。


 しまなみ海道サイクリングの際、新幹線にロードバイクを乗せた経験から、電車利用は以前ほどハードルは高くない。


「サイクリングの距離、伸ばしてみようかな…」


 とか思う、今日この頃です。



 Fさん、負けないでほしい。

 君が見ていてくれると思うと、生きる張り合いがあります。


 負けないでほしい、がんばれ!

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〔6月24日分の記述〕


 Fさんへ。


 最近思う事…。

 自分の生き方には責任を持っている。


 納得したうえで、現在がある。


 それは、ある程度事実だ。


 東京で漫画家をめざして、ある程度の画力も付けた。

 この能力は、以前の僕が喉から手が出るほどほしかった能力だ。


 けど、それとは別にこう思う。


 君に会いたいと。


 いや、正確には。


「僕の時間を解凍するために、会ってほしい」かな?


 僕の時間は止まったままなのかもしれない。


 あの日、あの時に。


 たぶんだけど、君も止まった部分を今でも抱えているのではないかと?


 そんなことすら思う。


 これは僕の出来の悪い「想像」です。


 君の中に「時間の止まった「なにか」」が今もある。

 それは、今までつらいことがあったとき、心を支えてくれた大切な「何か」だ。

 凍ったまま、心の奥底にある。

 凍り付いて忘れてしまいそうなほどだが、何かのきっかけですぐに存在がでてくる、心の重要な要素。


 もし、これが溶けてしまったらどうなるのか?


 会ってしまったら?大切なものが溶けて消えてしまうかもしれないという恐怖。



 なくはない。



 これに関してはお互い条件は同じかもしれない。


 僕自身、再会した瞬間、想いが溶けて消える可能性があるかもしれない。


 それほどに重い時間がたっている。


 けれどこれは試練だ。乗り越えないと、先に進めない。


 結果がどうあれ、会って先に進みたい。


 このわがままに、付き合ってほしいというのは、ひどく残酷なことかもしれない。



 …どうなのだろう。


 これだけは言える。

「もう一度、僕が君の心の支えになれるか、試させてほしい」と。



 "彼ら"は本当に「多くの闇」を抱えている。

 誰かを貶め続けないと、生きていけないかの如く…。


 「それ」のどこが幸せな生きかたなのか?


 Fさんの望んだものが、そんなものでないことだけは、確信します。


 わがままではない、真実なのだ。


 ゆがんだ世界しか許せない連中に、負けないでほしい。


 Fさん、がんばれ!

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〔6月25日分の記述〕


 Fさんへ。


 最近、こんな事をいわれた。


「Kさんって子供3人いるの?」と。


 どこから、3人何て話になったのか…。


 Fさん、子供3人いる?



 もし、"彼ら"がらみだったら?

 伝言ゲームの果てに、そういう噂にたどり着いたって可能性もなくはない。


 もしくは、ただの偶然。



 どーゆーバイアスがかかった結果、そーゆー話になったのだろう…。


 この世はとかく謎ばかりです。



 仮に、3人いても?こう思う。

「まあ、そりゃあ、この歳ならいてもおかしくないよな」と。


 仮にそうでも、僕は君の決断を支持する。

 願わくば、君が納得する形で、君の考えを伝えてほしい。


 この問題に対する僕の考えは、以前この小説内にすでに書いたと思う。

 Fさん「母は強し」です。

 誰に遠慮する必要はない、母親の意見をしっかり持ち、実行すればいい。


 Fさんなら、ほかの人と違い、いつか必ず、何かしらの形で決着をつけに来る。


 そう信じています。


 いつかの再会を信じて、奇跡を待ちます。

 負けないでほしい、いろいろなものに。

 がんばれ!

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〔6月26日分の記述〕


 Fさんへ。


 イタリア旅行の続きです。


 ローマ市内を散策して、トレビの泉まで徒歩移動したことを書いたと思う。

 白い大理石の見事なオブジェに囲まれたきれいな人口の泉。


 ここでジェラートを食べたあたりまで書いたと思う。


 この後、再び徒歩移動で、今度は「スペイン坂」へ向かう。


 説明によると、正確にはフランス人が造ったものらしい。

 しかし近くにスペインの大使館?だったかな?が当時あり、その前の広場をスペイン広場と呼んだから、広場に隣接する大階段も、スペイン坂、あるいはスペイン階段と呼ぶようになったとか。


 映画「ローマの休日」では、オードリーヘップバーンがジェラートをもってやってくる場所だが、現在はこの場所でジェラートを食べるのは禁止されているとその時聞いた。


 市内移動の際、足元を見ると?

 正方形の石で、石畳がひかれている。

 いつの時代からかは知らないが、ヨーロッパでよくみられるものだ。

(といっても、TVや映画で見たことがあるだけで、実際に肉眼で見たの初めて、こんなものにすら感銘を受けたりする。よく、外国人が日本のマンホールのふたが素晴らし何て言うが、旅行者とはこういう些細なものにも注意が行くものなのだろう)


 

 映画に登場するような空間を歩きつつ移動していると、広場につく。

 先に書いた「ナヴォーナ広場」より圧倒的に「広い」。


「ナヴォーナ広場」がさびれた印象だったのに対して、この「スペイン広場」は「今まさに生きている空間」という印象。

 観光客でごったがえしている。



 当時撮った写真を見返すと?

 確かに「スペイン国旗」をはためかせている建物が映っている。これがスペイン大使館だろう。

 記憶が確かなら?

 このスペイン大使館の前の広場中央に、高い円柱がそびえたっている。

 円柱の頂上には女神像があり、都市の守り神であると説明された。

 アテナ像であっているのだろうか?


 この広場で印象的だったのは「馬」だ。


 最初、「これは作り物?」と思うほど、じっとしていて動かない。

 人形のように、じっとしている。

 観光用の馬車のようだ。御者が少し離れたところで雑談している。


 カメラを向けてもまったく動かない。

 剥製か人形だと、本気で信じていた。


 しばらく広場を散策していると?

 馬がちょっとだけ首を振るのが見えた。


「え?やっぱ本物か」


 とまじまじと見るが、やはり微動だにしない。


 まるでバッキンガム宮殿の衛兵のごとく、じっとしている。


 馬を直に見ること自体、人生においてほとんどないから、わからないが、あれは、やはりすごい馬なんだと思う、よく訓練されています。




 スペイン階段自体は、改装中で、中央部分がフェンスで覆われていて、端っこだけ登れるようになっていた。

 少し残念だけど、この日は、サンピエトロ大聖堂に圧倒され、感覚がマヒしていたから、残念感があまり沸いてこない。

 ともかく見るものすべてが刺激的で、圧倒され、もう、何がよくて何が残念かよくわからなくなっていた。


 ただ、この時覚えているのは?


 スペイン階段をのぼって、振り返ってみると、少し高い所からローマ市内を見下ろせてすごいいい景色だったことを覚えている。

 なによりもいいのが、今まで歩いてきた場所を、一望できるところだ。

「こんなすごい所を、歩いてきたんだ」

 と感動したことを覚えています。


 階段を上がった先は、ツアーの集合場所になっており、僕は遅れて到着したみたいだった。

 スペイン広場で時間をつぶしすぎたようだ。

 ツアー一行はここで再びバスに移乗し、バス移動で「コロッセオ」へ向かうことになります。


 そう、あの「剣闘士グラディエーター」が戦いを繰り広げたことで有名な、あの「闘技場コロッセオ」です。



 なにかの奇跡がおきて、もし再びローマを訪れる事が出来たら?


 君とローマ市内を歩きたい。


 ぜいたくな夢なのか、そうでないのか。


 運命はふたたび重なり合うのか否か。


 1つだけ言えることがある。


 あきらめない限り、運命は手を貸す努力をしてくれる。


 僕は君の残した謎を解きたくて、いろいろ遠回りした。

 そんな僕に運命はほんの少しの偶然を用意してくれた。

 良し悪しは別にして、その偶然は、僕が長年追い求めていた君の謎の行動の答えを、僕に導いてくれた。


 あきらめない限り、運命は手を貸す努力をしてくれる。

 Fさん、いろいろあるだろうと思う。

 僕にはわからない、多くのものを抱えているのかもしれない。


 それでも、あきらめないでほしい。


 Fさんなら、できます。

 信じています。


 君が君らしくいてくれることが、僕の何よりの幸せです。


 負けないでほしい、がんばれ! 


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〔6月27日分の記述〕


 Fさんへ。


 今日は山中湖へ行きました。久しぶりの山中湖です。

 本当は朝早く行って帰ってくるつもりだったけど、朝、目覚めが悪くて正午になってしまいました。


 前日は夜勤明けで、ベランダに設置したハンモックを試したくて、早く帰ってきたんだけど、なかなか寝付けなくて、体のリズムを崩してしまいました。

 やはり、夜勤明けは、いつものようにざぶーんなどに移動して仮眠したほうが、回復が早いみたいです。


 朝6時ごろ準備していると?猛烈な眠気が来て床に寝てしまい、時間を浪費してしまった。



 まあ、なんのかんので山中湖へ移動。


 到着時、ちょうど昼食時。

 雑誌に載っていた「キャンテイ・コモ」という店に入る。


 内装はなかなかいい感じの店です。

 ワインとチーズが充実した店のようで、お酒の飲めない僕には、飲める人がうらやましく感じる店です。


 こんなことを妄想する。

 以前君とマクドナルドにはいると?君は「食べてるとこ見られるの恥ずかしい」といってオレンジジュースだけをたのんでいた。


 君はお酒が好きと記憶している。


 もし、2人でこの店に入ったなら?

 お酒の飲めない僕は、お酒の好きな君にワインを勧める。

 果たして君は?どう反応するだろうか?と。


 たぶん、今更ながら恥ずかしがるようなことはしないと思うが、はたして…。


 などと思っていると?前菜が運ばれてきた。


 一応2品コースの料理という事らしい。


 正直、あってもなくてもいいかな?と思う前菜だった。

 可もなく不可もなく。おしゃれ感の演出?というか。


 しかし、一緒に運ばれてきたサラダを意外に好きな味です。

 ドレッシングがいい感じでした。


 メインのボンゴレは、まあまあ予想の範囲内。

 トマトのアクセントが効いていて、満足のいくものでした。

 この値段ならこんな感じかな?という感じで、たまに来るならいい店だな、と思った。


 チーズにこだわりをもっているみたいなので、次回くるときは「ピザ」を頼んでみようかな…と思う。


 メニューに「ピザマルゲリータ」の文字が…。


 ローマで「ナポリピザ」を出す店に入り、本場の「マルゲリータ」を食べている。

 あれと同じものが出てくるとは思わないが、ちょっと期待してしまいます。



 車に戻り、自転車を降ろし、準備開始です。

 実はこの準備が楽しかったりします。

 自転車を屋根から降ろし、前輪をセットし、ナビをセットし、バッテリーをセットする。


 空気入れを車からだし、前後輪の空気圧を調整する。

 気持ちよく100気圧になると、気持ちいいです。


 時間があればギアを全部チェックし、ブレーキも試す。


 最近上から3番目のギアが入りにくいのだけど、まあ、何とかなるレベルです。


 サイクリングを始めたころは、サイクリング先でお店に入って食事をするなど余裕がなかった。

 運動をしに来たので食事は軽めに、が常だった。

 雑誌などで、サイクリングとグルメをからめた記事とか見ると?

「よく食えるな」

 と思っていたが、今は僕もそれができるようになっている。

 不思議なものです。



 午後1時ごろスタート。

 今日は3周するつもりだった。


 ケイデンスセンサーで回転数を見ながら走る。

 55回転では遅いみたい、65回転でちょうどいいみたい。


 回転数を一定にすると、楽に走れる。

 以前は苦戦していた場所でも、足に負担をかけずにはしれた。

 昔は、苦しくなるとギアを下げる、というふうにやっていたので、ギアを下げるタイミングを逃していたらしく、よく2段上げ下げすることが多かった。

 しかし、今は1段の上下で済んでいる。以前より自転車を使いこなせるようになった感じがします。


 あっという間に1週してしまい、30分で回れた。

 足も一度もついてない、ここも以前と違う。

 

 2周目にきて「あれっ」と思う。


 ケンデンスセンサーが75回転をさしている。

 体が温まってきて、調子がでてきたようなのだ。

 しかし、頭の奥底から警告音が来る。

「このままではまずいぞ」と。

 しかし、苦も無く75回転を維持できる。


 このまま75回転を続けるか?

 それともクールダウンして回転数を元に戻すか?


 しばらく考えた末、記憶の中から、ある「経験」が答えを導き出す。


 それは3月末の「しまなみ海道」サイクリングの時の記憶だ。


 「しまなみ海道」サイクリングの時は、途中まで絶好調で、3つ目の島を通過した時点でこう思っていた。

「しまなみ海道、たいしたことないじゃん」と。


 しかし4つ目の島で「事件」は起きる。

 余裕があったので、調子に乗って「速度」を上げたのだ。

 海岸線を調子こいて飛ばしていた。

 油断していてこの時、ケイデンスセンサーを見ていなかったんだけど、たぶん70以上だったんだと思う。


 飛ばしていると、急に足に違和感が発生、こむら返りに似た感覚が左足にはしる。

「ここで停車しないと、本当にこむら返る!」

 と思いあわてて停車。生口島の「生口橋」が下から見える道で停車し、橋を見ながら足を休めた記憶がある。

 もしここで停車が遅れていたら、足の故障でリタイヤになっていた。



 …この記憶が読みがえり、クールダウンを選択。

 しばらく惰性で走ったのち、65回転まで落とす。


 3周目、2周目ほど飛ばせなくなる。

 先ほど苦も無く75回転で飛ばせた場所でも、そこまで回せない感覚が体に来る。


 たぶん、2周目の75回転が思っている以上に足にきているのだろう…。

 もしあのまま飛ばしていたら?

 「しまなみ海道」の生口島の時のように、足が故障してしまったのだろうか?


 3周目は65回転を基本に走ってみた。


 やはり僕の体力ではこのくらいの回転数が長距離走るにはいいみたいです。



 昔はスタミナがもたなくてぜーぜー言っていた。

 スタミナは多少問題なくなったみたいだけど、速度が上がった分、足が故障しないように気を付けながら走る必要があるみたいです。



 山中湖は自分の現在の実力を測るには、とてもいいコースです。

 適度にアップダウンもあり、走っていて飽きない。

 千本松原は近所だけど、単調で風にあおられやすい。


 山中湖、サイクリングにはいい練習コースです。


 前回サイクリングした時は、もっと距離をのばそうか?と思っていたが?

 今回走ってみて思った。

 自信過剰になって無茶すると、足を故障する、と。


 山中湖は周回を重ねればいくらでも距離を伸ばせる。


 ここで距離を伸ばす練習を重ねたほうが、安全で効率的に練習できるのではないだろうか?と。


 「しまなみ海道」では生口島を離れてから先、足をいたわりながら走ったおかげで、死ぬ思いをした。

 全力を出せないし、無駄に力を使い少ないスタミナが消耗し、大変だった。

 一気に失速し、80キロ走るのに5時間かかってしまった。


 今のサイクリングのテーマは?

 足の故障を起こす、一歩手前の負荷で、故障せず長く早く走る練習をしよう。


 ということだな、と思いました。



 スポーツマンからみたら、亀のごとくのろい成長スピードだけど。

 それでも、走り始めたころに比べたら、だいぶサイクリストっぽくなってきました。たぶん。


 Fさんをロードバイクに誘っても、絶対乗ってこないよな、と思う。

 そうでしょ?Fさん。

 でも、それでも誘いたいとか、思ってしまう。


 富士の霊気を感じながら、緑の中汗を流すと。

 いろいろなものが浄化される感じがするのは事実です。


 これは理屈ではなく、経験でそう思う。


 たぶん、君に必要なものの1つなのでは…、と遠く離れていながらに、思ってしまったりします。


 しかし、ある記憶が頭をかすめる。


 Fさんは、超が付くほどガンコだ。

 一度決めたことをそうそう簡単に変えたりしない。


 でも、Fさんには必要かもしれない。


 心配しています。


 Fさん、負けないでほしい、君が君らしくいることは、大事な事なのです。

 これ以上それが軽んじられるようなことがないように、遠くから祈っている人間がいることを、忘れないでほしい。


 もう君は1人ではありません。


 負けないでほしい、がんばれ!

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〔6月28日分の記述〕


 Fさんへ。


 Fさん、最近思う事を書いてみます。


 東側のベランダは、朝がいい、と言うこと。



 どういう意味?と思うだろう。

 僕の現在の自室には2つのベランダがある。

 東側のベランダと、南側のベランダだ。


 東のは「真四角」な形状で、一見広い。

 しかし、南側の方が、南の大きなベランダと接続されている分、開放感がある。


 建てた後で言うのもなんだが、この東側のベランダも、無理をしてでも南のベランダと接続させておけば?開放感が得られたのにと、思わなくもない。

 東側のベランダは、開放感という意味では、南のそれと比較して劣るので、しばらく使わないでいた。

 正直もったいないと思う。


 バーベキューができるほど広いし、水道もコンセントも屋外配置されている。

 正直、使わないのはもったいない。


「もったいないな、どうしよう」


 と思っていたが、最近こう思う。


 ここのベランダにはいくつか鉢植えがおいてある。

 君は僕のうちに一度だけ来たことあるが、気が付いただろうか?うちは結構、鉢植えが多い。

 母が趣味で昔からやっているので、きれいな花がけっこうある。


 真似るわけではないが、僕も最近鉢植えを初めて、東側のベランダに置いています。

 ここのベランダは独立しているので、管理は僕なのです。何をしてもいい。

 母ほどうまくないので、買った頃はきれいだった花も、そうでもなくなってきた。

 まあ、やり始めはこんなものかもしれない。時間とともに、育て方が上手くなると信じて、今も毎朝水を書いています。

(土や肥料も買った、今度は以前ベランダで観葉植物をやっていたころより本格的です)


 毎朝、水を鉢植えにやっていて思う…。


 朝日が心地いい、と。


 東側のベランダは、午後には日陰に入り日当たりが良くない…。

 が、午前中はとても日当たりがよく、日光を浴びれるいいポイントであることがわかった。


 最近ここに「ハンモック」を設置した。


 日当たりのいい日には、とても心地よく、ついつい長居してしまい、時間を浪費してしまう。

 貴重な休日を、昼寝で浪費はしたくないが、心地いいのでついついやってしまいます。


 今思う事?は。


 この東側のベランダに入る部屋の窓近くに、「本」を常設しておこう、と思う。

 疲れている時、わざわざカバンのことろまで行き、本をとってくるのはめんどくさい。

 窓際に本を置いておけば、すぐ手に取ってベランダへ出れます。

(幸いまだ読んでない本が、けっこうたまっている)


 あとは、コーヒーが手近にあるとなおいい。

 コーヒーメーカーは今は台所にあるが、自室へ持ってこようか検討中です。

 自室外に洗面台もあるし、水の補給も手入れもできる。


 新しい家、まだまだ快適に住めるよう試行錯誤中です。


 鉢植えで買った「ラベンダー」。どんどん大きくなっているのだけど、いまだ花が咲きません。

 安売りしていたものだから、たぶんお店の人も花が咲かないと見切ったものなのかもしれない。

 しかし、花は咲かないが、葉はどんどん広がってゆく。いずれ大きな鉢に移さないといけないレベルだ。

 体力自体はあるみたい。

 1年後には花を咲かすかもしれない。

 緑そのものは元気なので、純粋に「観葉」としてみれば、十分役目を果たしています。


 ロベリアという花も買って育てているのだけど、こっちは調子が悪い。

 3株買って長細いプランターへ移植して育てていた。

 母が言うには、プランターが小さすぎる、という。


 嘘か誠か、本当に狭かったのか?3株のうち、一番日当たりの悪い真ん中の奴が枯れてしまった。

 左右の2株のみが、今も白い花を咲かしている。

 いずれ植え替えるか、植えなおす必要があるように見える。


 …下手は下手なりに、ベランダガーデニング、楽しんでいます。


 Fさん、こういうの好きかな。

 たぶん、好きでしょ?緑を見るのは。


 Fさんはまじめだから、人から求められる役割を、一生懸命果たそうとする。

 自分の感情を押し殺すことは、子供のころからやらされているから、もう、日常と化していることと思う。


 Fさん、こうも思う。


 Fさんも、こういう風に感じることないだろうか?


「この人のためなら、自分を変えてもいいと思う」と感じる事、ないだろうか?


 昔に比べて自分でもおしゃれに気を遣うようになった。

 "彼ら"に見られているならば?おしゃれくらい気をつかわないと、Fさんが恥ずかしい思いをするかもしれない…。そんな風に思うのも事実です。


 自分が自分らしく生きるというのは、心を開いた相手のためならば、自分を積極的に変えようとするのも、また、自分らしく生きるの範疇に入るように思う。


 君は、どう思う?


 いつかFさんの気持ちに触れたいです。


 いつかの奇跡を信じて、今日も待ちます。


 負けないでほしい、がんばれ!

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〔6月29日分の記述〕


 Fさんへ。


 ごめんね、Fさん。少し経済の話をさせて…。


 最近よく聞く「アベノミクスの失敗」というワード。

 海外からも失敗と言われている!という報道。


 あれ、意味が180度違っている。

(実はこのことは以前もこの小説内で書いている)



 何が言いたいのかと言うと?


 もっともらしく聞こえるウソに気を付けて!と言う事。



 海外メディアのいう「アベノミクスの失敗」とは?

 早く第3の矢である「構造改革」をやるべきだ!というもの。


 つまり第1の矢も第2の矢も失敗はしていない、第3の矢を放てて初めて完璧だ、と言っている。



 日本国内の報道のトーンはとうと?

 第1の矢も第2の矢も失敗で、さらに第3の矢などとんでもない、というもの。


 意味が180度違う。



 これは第3の矢である「構造改革」を行うと?

 既得権益を持っている人らが困るので、最大限もてる影響力を行使して、第3の矢をとめようとしている結果だと思う。

 既得権益者はTVのスポンサーでもあるから、報道機関と言えども影響から脱しえない。


 最近思う、意外なことに、実はNHKの報道は実は意外にまともだと、感じる。


 こないだの「やらせ問題」で、たたかれたおかげで、報道がまじめに仕事をしているのだろうか?


 批判されない宗教団体が、暴走するのに比べたら?はるかに健康的に見える。



 Fさん、"彼ら"は外部の批判にさらされない。

 それが、どれほど不健康なことか、その世界は狂っても自己修復できない場所だ、距離をとったほうがいい。


 世の中は、複雑で、一言では説明できない様々なバイアスが絡み合って動いている。

 決して真実は単純なものではない。

 しかし、"彼ら"は真実は単純なものと言い放ち、人々の心を操作する。


 譲れないものがあるなら、大切なものがあるなら?

 手放せない何かまで、連中から奪われるのは、どんなに理屈をこねられても、おかしいと思う。


 何かごちゃごちゃ言われたら?こう言い返せばいいと思う。

「子供にあなたの真実の姿をつたえていいの?」と。


 与えられた真実よりも、自ら構築した真実の方が、最後には心の誇りになる。


 Fさんは強い、いまこそ、その強さを示してほしい。

 その行為は、君だけでなく、この先被害にある予定の多くの子供たちを救う事にもなる。


 負けないでほしい、がんばれ!

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〔6月30日分の記述〕


 「昔やんちゃしてて」という言葉。

 あれ、便利な言葉だよな、と思ったりもします。


 やんちゃしていたおかげで、人間的に成長できた、みたいなニュアンスでも使える。


 こんなことも思う。


 Fさん。


 昔、"彼ら"の仲間でいた事。

 (たぶん、君は指揮する側だったと思う)


 それ自体は、前述の「やんちゃ」同様、けっして褒められる行為ではないが。

 その行為は、君に人間としての「厚み」を与えたのではないかと。


 そう、思ったりします。



 マイナスを知って初めて、本来あるべき大切な何かを知るというのはある。


 愛のない男女関係を知って、初めて愛のある関係の大切さを知ることもある。


 どうだろう…。


 うまく伝わるとうれしい。


 "彼ら"は大ごとにされるのを嫌う性質がある。

 たぶん、まだまだ足りないと思う。

 本気で戦うならば?もっと大ごとにしないといけない。


 連中は時間とともに問題が風化することを狙う。


 あきらめたら?術中にはまってしまう。


 君はあきらめることにならされてしまった。


 しかし、僕は知っています。


 本気で怒ったFさんの怖さを。


 どうなのだろう…、てんで外れたことを書いているのかな。


 もし、違う事を書いていたとしたらごめんね。

 でも、言わないよりは言った方がいい。

 それが高校時代の経験から学んだ事だ。


 もし、まちがっていたなら恥ずかしいけど…。


 世の中には恥ずかしがっていたら何もできないこともある。


 Fさんは超が付くほどの恥ずかしがり屋だ。

 連中はそれを知って利用している。


 負けないでほしい、がんばれ!

 Fさんもたくさんいろいろ成長したと信じています。

 君は本来、とても強い女の子だ。そこに成長した君の強さを足せば、無敵になれると信じています。


 前に進むための、秘めたる思いを守り抜いてほしい。


 燃え尽きないようにするコツは?


 相手を「敵!」と思うのではない。


 相手を「敵ではないが、敵っぽい人」と、一歩引いて見ることだ。


 そうすれば、感情的にならず、相手を冷静に分析できる。


 多くのメンバーはまともな人だ。君が誠実に、冷静に、感情を抑えて、的確に、自分がされてきたこと、相手がしてきたこと、周囲が隠してきたことを、ゆっくり丁寧に、繰り返し訴えれば?

 必ず味方が増えます。

(逆に言うと?感情的になると、どんなに正しいことを言っても聞いてもらえない)


 Fさん、君は圧倒的に正しいのだから、堂々と自分の思いを、ゆっくり丁寧に繰り返し言い続ければいいのだ。


 負けないでほしい、がんばれ!

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〔7月1日分の記述〕


 売れなくなった商品に、魅力付けをする。


 これは商売の現場でよく言われ、実行されていることだ。



 こんな事も思う…。


 "彼ら"も普通の仏教だけでは信者が獲得できない。

 じゃあ、ほかの仏教にはない魅力をつけよう…。


 それが、例の「活動」であり、犯罪なんだと思う。


 どこかの下種が考えた、最低の発想。



 そういう連中には、こういえばいい。

「日蓮の現存する正筆御書、一度見てください」と。


 読んだことないと言われたら?

「じゃあ、あなた何をよりどころにして、そこまで力説してるの?」


 と言い返せばいいと思う。

「わたしはいままで多く尽くしてきた、今度はあなたの番よ」


 と言い返してもいいかもしれない。


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

 がんばれ!まけるな!

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〔7月2日分の記述〕


 相手を「敵!」と思うのではない。

 相手を「敵ではないが、敵っぽい人」と、一歩引いて見ることだ。



 …Fさん、先にこう書いたと思う。

 ちょっと補足すると?

 こういう意味もあると思う。


 相手を「敵」と思い込むと?

 相手と同じ「精神状態」になってしまう。

 つまり長く見ると「精神的」な「同類」化してしまう可能性がある。


 いつも誰かを恨んでいるような人間になってしまう。

(逆に言うと?"彼ら"とは、いつも誰かを恨んだり、悪口を言ったりして過ごしている人種だ)


 君も僕も、本来的には「おっとり型」の人間だ。


 しかし、連中に引っ張られて、自分らしさを失ってしまいかねない。

 自分に戻るためには?相手を「敵!」と思うのではなく、相手を「敵ではないが、敵っぽい人」と、一歩引いて見ることが大事だと思う。


 意識してやれば、自分をコントロールできる。



 もし、相手に引っ張られそうになったら?

 こう相手に言えばいいと思う。



 「あなたからは人の未来の作り方を学べない」

 そう相手に言ってもいいかもしれない。


 “彼ら”的行動とは、「熱気ねっき」にあてられて思わず興奮する集団恍惚しゅうだんこうこつ状態が作り出すものだと思う。

 これが、お祭りとかスポーツならまだいいが、

 犯罪行為に集団恍惚しゅうだんこうこつするのは、間違っている。

 …でも、恍惚こうこつ状態にあると、理性的判断が出来なくなり、皆、別人に変ってしまい、犯罪も肯定する人間にさせられてしまう。

 こういう状態を一般に「トランス状態」と呼び、暗示を「ものすごく」受け入れやすい状態、と理解しないといけません。

 一度暗示に「かかる」と、なかなかとれない。

 君のまわりを見回してほしい、事実、普段はいたって「普通」なのに、“彼ら”の悪意に関しては「正常な思考」が出来ない人、多いと思う。

 それは、暗示にかかっているからだと思う。

 

 もちろんこれは推測を書いているに過ぎない。

 その世界がそこまで「本当に」酷かったら、そうとう病んでいる事になる。

 「病んだ人間を救う」のが本来の仏教であり、「病んだ人間を大量生産する」事はカルトの思考です。

 そこは、どう屁理屈をこねても、覆せない、当たり前の真実だと、「普通」の感覚の人間なら思うところです。

 …Fさん、戦ってほしい。

 君を責めたりはしない、そういう環境に問題があるだけだ。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

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〔7月2日分の記述〕


 描いている漫画の話をします。


 現在描いている漫画は2パートに分かれている。

 メインパート47ページと加筆パート19ページだ。


 現在加筆パート19ページ目を描いています。


 昨日は午前中別部署の応援で、慣れない仕事に従事し、

 午後は本来の部署で仕事。


 いつもと違う流れの仕事で、クリアするにはなかなかの難易度。


 仕事上がり、この先漫画を描くコンディションを保つためにどーすればいいのか?


 この日はこうしてみた。



 まずは、帰宅して長めの入浴で、体をほぐす。

 具体的には2時間番組を、防水スマホで見ながら入浴。


 次にすぐに夕食をとって、満腹になったら寝る。


 …予定だったんだけど、誘惑に勝てず、ベランダで夕涼みをしてしまった。


 すぐ寝れば、ストンと寝れるのに、夕涼みをしたせいか?寝つきが悪い。


 …予定ではすぐ寝て、早起きして漫画を描く予定。



 翌日は夜勤入りの勤務。


 実際、目を覚ましたのは午前4時。

 しかし、夜勤入りを考えるともうすこし寝る必要がある。2日分寝ないといけない。


 二度寝して目を覚ますと午前11時ごろ。

 ベランダで水やりをしたのち、漫画を描き始める。


 現在描いているのは加筆パート19ページ目。

 夜勤入りまでには完成させたい。



 Fさん、今日も僕は生きています。

 無駄な努力も、決して無駄ではない。得られるものはたくさんある。

 “こすっからい”人に負けずに

 君が心を貫けますように…


 しり込みしたいときは、それでいい。

 寡黙でも意思の強さは示せる。

 心の狭い人たちに負けないで!


 憂さ晴らしと正義の区別のつかない人たちに負けないで!


 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。

 実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

 がんばれ!まけるな!

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〔7月3日分の記述〕


 Fさんへ。

 最近「へー」って思った事を書こうと思います。


 こういう「へー」って思う事って大事だと思う。

 「発見」や「好奇心」は生きる上で重要です。

 少なくとも僕はそう考える。



 どうも、最新の天文学の世界では?

 ブラックホールやパルサー、ワームホールといった「超」重力の「天体」は、表面が「鏡」のようになっている?と言う事。


 昔の常識では、そういうのはなかった。



 ものすごい重力で天体の構成物質が押しつぶされているため、その表面は重力によりとても滑らかになっていて、鏡のようになっているというのだ。


 最初にそれを聞いたのは、映画「インターステラー」の中。

 劇中で宇宙船がワームホールに突入する際、鏡のような天体に突入する描写がされていた。


 アメリカドラマ「スタートレックヴォイジャー」の中では、雲の中に空いた穴のように描写されていたワームホールも、最新の科学の前には「古い常識」になっているようだ。



 こういう新しい発見によって、古い常識が書き換わるのを見るのは好きです。


 おもわず「へーそうなんだ」と思ってしまう。



 こういう感覚、忘れたくないです。



 "彼ら"は新鮮な発見を感じる心を奪う。

 虚無感こそ義務だと言わんばかりに、君のもつ責任感を利用する。

 まじめな君は、義務をはたさんと奮闘する。


 連中はそれを利用し、暴利をむさぼる悪徳な連中だ。


 "彼ら"は様々な手段を駆使してくる、まだなにも終わってはいない。


 Fさん、僕には"彼ら"に人生を返してくれと言う権利があると思うかな?

 もし、君が「ある」と言ってくれるなら?死ぬほどうれしいです。


 たぶん、君の所には、入れ替わり立ち代り次々と誰かしら人が来て、君の心を説得しようと試みるのではないだろうか?

 と、そんな推測をします。もし、あたっていたらだけど、聞く耳をもってはいけません。

 向こうは、ああ、もうめんどくさい!いう事きくからそれでいいでしょ!と君が根をあげるのを期待しているからです。

 忘却の強要は彼らのオハコだ!でも、忘れたと思い込まされているだけで、実はちゃんと心に残っているんだと思う。


 繰り返しになりますが、反復は重要です。

(たまには、以前書いた部分をいくつか読み返して欲しいなと、そう、思います。)


「決定権は私にあるの」

 といい続ければ、そういう空気を作れる。

 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。

 実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

 がんばれ!まけるな!

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〔7月4日分の記述〕


 Fさんへ。

 もし誰かが泣き言を言っていたら?


 こう言えばいいと思う。


「あなたは私が泣いていたとき、気づきもしなかったわ」と。



 こんな事も思います。


 高校当時、君に振り回されていると思い込んだ僕は、腹が痛いとか言ってしまった。

 心配してくれるかと思いきや、君は憤りを隠さなかった。


 当時はわからなかった。


 君はもっと、ものすごいエグイものと戦っていたのだ。

 そんな君が、弱音一つ言わずに笑顔でいてくれるのに、その笑顔を受けている僕が弱音を言っているのだ。

 怒って当然だ。


 もし、今の僕が当時の自分に意見を言えるなら、踵で後頭部を蹴ってやりたい(寝ている時に)。

「気付けよ」と。




 これは可能性の問題。


 この問題で、君以外の誰かが自分を傷つけて、帰ってこれなくなったとしたら?


 それは、いい加減な教えで、人の人生をもてあそんだ連中のせいだ。


 弱い心の持ち主を、恐怖と怠慢で支配した、どうしようもない連中のせいだ。


 僕には“彼ら”に「人生を返せ!」と主張する権利がある。

 この事実を否定するのは相当難しいはずだ。どんな屁理屈をひねり出すのか一苦労だと思う。

 

「別に人生を全部返せって言う、無理な(実行不可能な)相談をしているわけではない」


 …という事実があります、これはささやかな奇跡を期待しているだけの事なのです。

  僕は賭けをしています。

 君が僕に告白するかどうかと。

 そこが、大きなターニングポイントになる。

 それは事実です。


 告白された事は胸にしまうつもりでいます。


 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。

 実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

 がんばれ!まけるな!

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〔7月5日分の記述〕


 2013年映画「言の葉の庭」より。


(少年)

「ゆきのさん、さっきの忘れてください。俺、やっぱりあなたの事きらいです。最初からあなたは、何だか、やな人でした。朝っぱらからビール飲んで、訳の分かんない短歌なんか吹っかけてきて…、自分の事は何も話さないくせに人の話ばっか聞き出して!俺の事生徒だって知ってたんですよね、汚いですよそんなのって」


(少年)

「あんたが教師だって知ってたら、俺は靴のことなんかしゃべらなかった。どうせできっこない、かないっこないって思われるから、どうしてあんたはそう言わなかったんですか!子供のいう事なんて適当に付き合えばいいと思ってた!?俺が何かに…誰かに憧れたって、そんなの届きっこない、叶いっこないって、あんたは最初からわかってたんだ。だったら!ちゃんと言ってくれよ!邪魔だって!ガキは学校に行けって、俺の事嫌いだって!」


(少年)

「あんたは…あんたはずっと一生そうやって、大事なことは絶対言わないで、自分は関係ないって顔して、ずっと一人で、生きていくんだ!」



(泣いて抱き着く女性)


(ゆきの)

「毎朝、ちゃんとスーツ着て、学校に行こうと思っていたの、でも怖くって、どうしても行けなくて、あの場所で、私、あなたに、救われてたの」

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〔7月6日分の記述〕


 Fさんへ、嘘か誠か?現在描いている漫画、最終段階に突入しています。


 単純に?客観的に判断したら?


 こんなに時間をかけていては、とても商業ベースでやっていけない。

 しかし、今回の作品、得たものがとても大きい。


 話の作り方の整合性や、作業手順の進め方。

 自分の作風への理解など、細かく上げるときりがない。



 こんな理想を抱く。



 いままでは迷いながら作業していた。

 

 しかし、今は迷わず作業ができる。

 創作作業もいまなら?迷わずできると思う。


 こうなると、自分にノルマを課すのも、非常に楽になる。


 今、最終段階に入り、漫画の制作スピードを上げています。

 夏までには完成させたい。


 人によってはつまらないというかもしれない。

 しかし、よやく自分で自分の納得いくものをコントロールして仕上げられるようになったと思う。


 今までは、完成してみないと、仕上がりがわからなかったが、今は完成前だけど、仕上がりが想像できている。



 この状態に20代後半で到達したかったけど、ここが才能の差というやつかもしれない。



 無意味に思う人もいるだろう。

 でもそういう人には、こう言い返したい。

「無意味に生きているから、そう感じるんだよ」と。


 惰性で何となく生きている人間に、信念は宿らない。


 そう、思います。君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

 がんばれ!まけるな!

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〔7月7日分の記述〕


 Fさんへ。

 昨日は夜勤明けで、午前10時ごろ仕事場を出ました。

(この日はやけに眠かった、前日うまく睡眠がとれなかったのが原因と思う)


 仮眠しないと…。そう思い千本松原の海岸を目指す。

 今はまだ若いから、眠気の中なんとか運転できるが、歳をとったらできるかな?

 などと思いつつ「原」へ移動。


 途中ガソリンが切れそうなのに気が付き、給油。海岸線へ出る。


 びっくりするくらいの好天で、晴れ晴れする。

(昔、宮崎駿監督が、疲れたときは、ビルの屋上に出て、空をみるとすっきりするなんて書いていたのを思い出す。当時は「そうか?」と思ったが、今、この歳になり夜勤明けで海岸をみると、なるほど事実だと思う)


 海辺の木陰に車を停め、途中仕入れた弁当と飲み物を摂る。


 その後、そのまま爆睡。


 海岸で寝ると、ものすごくすっきりする。

(たぶん、大量の日光を浴びるから、狂った体内時計が調整されるからだと思う。家で寝るのと全然違う)


 かなり寝たと思う。

 午後3時くらいかな?一度起きる。


 海岸に出て、海辺を見る。

 人がいないときのここは、とても幻想的に感じる場所です。

(たまーに、ものすごい人がいるときがある。釣り人や、マリンスポーツやる人や、海岸で作業する人なんかでにぎやかな日もあるが、基本静かだ)


 海辺に椅子をだして、しばし鑑賞する。


 しばらく後、「ざぶーん」へ移動、ここでも少し仮眠。

 夕刻、車をでて、買い物。この頃になると?頭もすっきりして元に戻っている感じです。


 近くのカレー屋で夕食。カツカレーを食べながらしばし読書。

 銀行マンが書いた、銀行の本だ。

 なんでも「金融リテラシー」がない客に、金融商品を買わせて手数料を稼ぐのが、今の銀行の主な収益で、カモられるなみたいな話が書いてある。


 「自分だけは大丈夫」とか考えない方がいいのだと思う。

 僕も実は、最近、手持ちの株を清算して、利幅の大きい株に投資して損してしまった。

 よくわからん銘柄に手をだしてはいけないという、典型的な失敗をしてしまったわけだ。

(逆にいうと?今までの投資方法がいかに手堅いものだったかが、理解できた。いままでの株の乱高下で損益が出なかったからだ)


 まあ、趣味の範疇でやっているのだし。これも勉強です。額も大したことはないです。たぶん…。


 そうこうしているうちに暗くなってくる。

 「ざぶーん」で温泉に入り、サウナを堪能する。サウナはやはり体にいいかな?と再認識しています。



 帰宅してから?へやのかたずけや、何やらして、睡眠。


 起きると次の日の6時だった。

「いい時間に起きれた」

 と思い、油断した。二度寝してしまい気が付くと午前9時。猛然とあせる、漫画を描かねばならない!


 この日は絶好調だった。


 かなり作業が進む。それなりに形になってきた。

(よく、ものを作る人間が「神がおりてくる瞬間がある」とかいうが、今日は久々にそれがあったような気がする)


「このペース維持して、仕事に支障はでないかな?」

 と思わなくもないが、まあ、ともかく、やってみないとわかりません。続けてみます。



 ほかにもいろいろやらないといけないことがある。

 でも、一番の原点はやはり、漫画描きなんだと思う。


 Fさん、僕は昔、君にこういったと思う。

「たぶん、歳をとっても漫画を描き続けていると思う」と。


 いろいろ言われると思う。けど、がんばって。負けないで欲しい。

 狭量な人達が押し付けてくる“勝手なイメージ”なんか跳ね除けて!

 自分の心を取り戻すべきです。

 心が狭くなると人の命まで軽くおもえるようになるのよ!と言ってやってください。



 いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。

 いろいろあると思う。けど、がんばって。負けないで欲しい。

 多分君の周りには悪意なく“そういう事”が出来る人がたくさんたくさんいると思う。

 それは悪意があるのではなく、心が内向きになっていて、外に向いていないからだと思う。

 心が外向きになれば、人として持つ“当たり前の感情”が戻ってきます。

 そう、周りの人に言ってやってください。


 繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。

 きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。


 君は君の心を信じて良いのだと思う。


 味方もいるはずです、東京でも経験が、そう僕に確信させる。

 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。

 実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

 がんばれ!まけるな!


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〔7月8日分の記述〕


 Fさんへ。


 今日、「コーピング」という言葉を聞きました。


 コーピングとは?

 NHKスペシャル「シリーズ キラーストレス」第2回で紹介されたもので、内容か以下のもの。


(NHKホームページより転記)

今、世界が本気で取り組み始めたストレス対策。その背景にあるのは、ストレスが原因とみられる心と体の病の急増です。第2回では、最新科学によってその効果が裏付けられた誰にでもできる画期的なストレス対策を、世界の最前線から報告しました。


心をむしばむストレス、その正体として浮かび上がってきたのがストレスホルモンの「コルチゾール」です。長く続くストレスでコルチゾールが多量に分泌されると、脳の海馬で、神経細胞の突起を減少させることが分かってきました。海馬は、記憶を司り感情に関わる部位。損傷すると、認知症やうつ病につながる可能性が見えてきたのです。


こうした心の病を防ぐため、注目されるのが“最新のストレス対策”です。

認知行動療法をストレス対策に応用した「コーピング」。そして、瞑想をベースに生まれたプログラム「マインドフルネス」。世界中で注目される2つのストレス対策をご紹介します。


(転記おわり)




 番組をみての感想は?


「あれ?これって僕がいつもやってる事じゃん」


 …と言う事。


 僕は夜勤明け、どうやって休日をすごすか?夜勤明けどうやって回復するか?をあらかじめ考えて行動している。

 「千本松原の海岸で昼寝」や「海岸でトロンボーン」や「海岸でラジコンやスケボー」

 その後の「外食」や「ざぶーんでの入浴」などなど。

 その後の「創作活動」や「サイクリング」や「読書」、「模型つくり」や「ベランダでの過ごし方」などなど。

 「ベランダガーデニング」なんかもそう。


 こうしてリフレッシュする「項目」を数多く「リストアップ」しておくこと、実行し効果を確認することがコーピングbらしい。


 僕がいつもやっていることです。



 自分で考えて行動していたものが、こうやって専門家の研究結果と一致したりすると、うれしかったりします。


 この世にオカルトはありません。

 問題は、科学的に、説明できる。そう、僕は信じます。


 世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっている。

 せまい世界のなかだけで完結しないのは事実のようです。

 君の周りの人に伝えてください。自分たちだけが一方的に正しいと思っているのは恥ずかしくないの!?と。

 理解を示す心の広さはどこへやったの?と。

 これは人としての“質”の問題です。

 教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。質が問われているのです。そう伝えてください。


 君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。君は自分で思っている以上に強い人です。

 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。

 実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

 がんばれ!まけるな!

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〔7月9日分の記述〕


 Fさんへ。


 「ラッコアメーノ」という店が、「小田原」にあるそうです。


 TVで見た限りだけど、本格的なナポリピザ職人の方がいるみたい。

 本場で学んだ技術らしい。

 たしかに見た感じ、そのピザは、僕がイタリアで食べたものに似ている。


 この小説内でもかいたけど、本場のピザは日本の「お吸い物」のような繊細な薄味。

 薄味だからこそ、ふりかける粉チーズやオリーブオイルが威力を発揮する。


 日本のピザはギトギトした濃い味のものばかり。


 たぶんチーズの種類が違うのだろう…。



 7月21日、新車が来ます。

 試し乗りにどこへ行こうか?と思っていたけど。小田原もいいかもしれない。

(箱根越えで、ターボ性能を堪能できるかもしれない)


 Fさんは車に詳しくないかもしれない…。


 今回僕が新車購入を決めたのは、車の走行距離が10万キロを超えたからだ。

 


 …こういう事実がある。


 "彼ら"はこちらと同じ持ち物をもって大量に現れるという行動をとることが多い。

 そうすることで非日常感を「演出」するのだろう、そして、その非日常感は、そのものの持ち主意外感じないから、ほかの人に説明が難しいという特徴を持つ。


 以前乗っていた車に乗る前は、この車の同型車にはまず出会わなかった。


 何しろ普通に乗っていれば(僕の乗っていた個体は走行距離が少なかった)とっくに10万キロ超えるような年式の車なのだ、そうそう同年式の同型車には出会わない、はずだったし、事実見なかった。


 最初、乗り初めの3か月くらいは?


 同年式、同型車は全く見かけなかった。

「やっぱり、こんな古い車、みんな乗ってないんだな」


 と、思ったものです。


 ところが3か月もすると?あそこにもここにも、あちこちに同年式の車が現れるようになる。今まで一度も見なかったのに。

(これが、遠出をすると見ないのだ。つまり、僕が日常的に使う道路に関してだけの現象なのだ)



 現在、この年式の車には乗っていないが、今でも見る。

 

 新車に乗り換えたらどうなるのだろう?



 Fさんも、自分と同じ持ち物を持った人たちと、大量に遭遇したことあるのかな…。


 こんな事も思い出します。

 全然心を開かない、へんな後輩が入ってきたとき。君は怪訝な顔をしてこう言った。

「あのこ、私と同じ名前なのよ」と。


 当時はピンと来なかったが、そういう事だったのだろうか。


 “彼ら”的行動とは、「熱気ねっき」にあてられて思わず興奮する集団恍惚しゅうだんこうこつ状態が作り出すものだと思う。

 これが、お祭りとかスポーツならまだいいが、

 犯罪行為に集団恍惚しゅうだんこうこつするのは、間違っている。

 …でも、恍惚こうこつ状態にあると、理性的判断が出来なくなり、皆、別人に変ってしまい、犯罪も肯定する人間にさせられてしまう。

 こういう状態を一般に「トランス状態」と呼び、暗示を「ものすごく」受け入れやすい状態、と理解しないといけません。

 一度暗示に「かかる」と、なかなかとれない。

 君のまわりを見回してほしい、事実、普段はいたって「普通」なのに、“彼ら”の悪意に関しては「正常な思考」が出来ない人、多いと思う。

 それは、暗示にかかっているからだと思う。

 

 もちろんこれは推測を書いているに過ぎない。

 その世界がそこまで「本当に」酷かったら、そうとう病んでいる事になる。

 「病んだ人間を救う」のが本来の仏教であり、「病んだ人間を大量生産する」事はカルトの思考です。

 そこは、どう屁理屈をこねても、覆せない、当たり前の真実だと、「普通」の感覚の人間なら思うところです。

 …Fさん、戦ってほしい。

 君を責めたりはしない、そういう環境に問題があるだけだ。


 自分を許す時、前に踏み出せる。

 後悔は、心を縛り、闇を深めるだけだ。

 連中は「そこ」を利用して、君の心が羽ばたけないように鎖でつなぎとめているのかもしれない…。



 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。

 実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

 がんばれ!まけるな!


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〔7月10日分の記述〕


 Fさんへ。

 最近、新しいスツールを買いました。

 これを購入したことで、部屋が格段と良くなりました。


 今の部屋は広い。

 2部屋分ほどある。


 以前住んでいた家で、事実上2部屋使っていて、行き来が面倒だ、壁をなくして1部屋にしたいと思っていた結果だ。


 が、実際広くなると、使い勝手が今までと違って、なかなかうまく家具の配置が決まらない。


 僕は引っ越したら時間をかけて家具の配置を決める。


 今回の引っ越しでは、なかなかいい配置が決まらなくて悩んでいました。



 部屋の一角に、いつも荷物がたまっている箇所がある。


 帰宅したら荷物を自然と置くスペースだ。


 そこに、自然と他の荷物も集まるようになり、結構多くの荷物が、常時置かれる場所へと、自然になっていた。


「ここに、収納能力のある大型スツール置いたら?この荷物全部きれいに片付くし、へやもきれいになる」


 そう思い、ネット検索。


 最初は安くていいものを探していたのだが、途中、ものすごいイメージぴったりのものと出くわす。


 1万円近くするそれは、スツールとしては高い方だ。

 しかし、昔のトランク風の意匠が凝らしてあって、ものすごいおしゃれだ。

 クラッシックスタイルのトランク風ワイドスツール、といった感じだ。


 白い革に茶色の革で、ベルトや取っ手が付いている。

(イメージとしては、汽車や汽船の時代、19世紀とか、イギリスの貴族とかが旅行用に大型トランクを使用人に運ばせる映像とかが映画にあるが、あんなイメージのものだ。)


「安くはない、しかし、ちょっと無理すれば?部屋がおしゃれになる」



 購入して早速、部屋に設置。


 部屋で一番散らかっていた部分がすっきりし、なおかつ、おしゃれになった。


「こうこう、こうでなくっちゃ」


 と納得した次第です。


 スツールだから上にも座れるし、便利です。


 時々近況を書きます。


 手紙、待っています。



 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。

 実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

 がんばれ!まけるな!

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〔7月11日分の記述〕


 Fさんへ。


 最近人工知能の進歩がすごいと、繰り返しTVで言われています。

 いわゆる「丸暗記型」の人工知能ではなく「感性型」の人工知能へ進化したとかなんとか…。


 詳しくはない、けど聞きかじっただけで言うなら?


「全部丸暗記はできないけど、ここの部分が重要そうだから、このへんに絞って深く考えてみよう」


 とコンピューターが考えるように、プログラムし直したらしい。



 よくテストの時「山を張る」というが、あれと同じことをコンピューターにもさせたわけだ。

(ただ。学生の「山張り」と違うのは、統計学を使ってどこに「山」を「張る」のが最もいいか?計算で答えを出すところかもしれない。)



 このちょっとした?変更によってコンピューターは劇的に進化したらしい。

 最近「囲碁」の世界で人工知能が人間に勝った、としきりに報道されていたが、このままでいくと?

 人工知能の「作家」や「芸術家」もでてきそうで、怖いものです。


 …まあ、それは未来の話で、今の危険ではない。


 肝心なのは、この研究の成果は、「人間の思考法」を研究した結果が反映されている、と言う事だ。


 人間はどのような手順で物事を考えているのか?を研究し、その研究結果を人工知能に反映させたのだ。


 逆に言うと?


「丸暗記」だけでは、人間はコンピューター以下に成り下がってしまう?という事にもなってしまう。


 "彼ら"は人間から正しい思考力を奪い、コンピューター以下の脳でいることを強要しているように見える。


 もし、今でも「時には仏法をやぶってもいいと仏法に書いてある」いう人がいたら?

 何ていう本の、何ページに書いてあるのか、聞いてみればいいと思う。

 たぶん、答えられないと思う。

 言われたことを鵜呑みにしているから、それがどういう訳でそうなったのか、考える「思考力」が奪われているからだ。


 僕は機械以下の思考力が、人生の幸せとは思わない。


 仏教徒としてのプライドすらない人間は、教えをゆがめられても気づきもしない。


 幸せをわけあたえるというより、不幸を他人に転嫁して楽しむような連中に負けないでほしい。

 人を侮辱する人間が大量生産されてしまう世界なんて、あきらかにおかしい。

 巧妙に“何か”が“何か”にすりかわって、いつのまにか、こんなはずじゃなかったと、思う事さえ禁止されるなんて、おかしい。



 時々近況を書きます。


 手紙、待っています。




 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。

 実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

 がんばれ!まけるな!

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〔7月12日分の記述〕


 Fさんへ。


 最近、こんなことを思い立ちました。


 部屋を整理していると、たくさんの帽子がある。


 似合うものを探していろいろ試している過程で、数が増えてしまった。

(中にはどうも似合わないものもある)


 色合いがいまいち僕に合わないのだ。


 …で、思った。


「ハイターを使ってわざと色を抜いてみようか?」と。


 もともとダメージキャップなのだから、色が抜けてても違和感はない。


 今日試しにハイターをかけてみた。

(スプレーの方が作業しやすいので、キッチンハイターにしてみました。使い残しても普通に台所で使えばいいわけだし)


 作業してみての結果は?


 悪くないのでは…??(多少疑問符ああるけど…)


 今、ベランダで乾かしています。


 完全に乾いて、実際にかぶって、初めて結果がわかる。

(もともと似合わないとしまい込んでいた帽子だし、失敗しても悔いはないです)



 時々近況を書きます。


 手紙、待っています。




 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。

 実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

 がんばれ!まけるな!


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〔7月13日分の記述〕


 Fさんへ。

 イタリア旅行からだいぶたち、細かい所の記憶があやふやになってきていますが、書こうと思います。


 スペイン広場を抜け、三位一体教会から、再びバスに乗ったところまで書いたと思う。

(実はこの「三位一体教会」から北方向に「メディチ荘」というメディチ家のお屋敷がある。そこへは行かなかったのだが、もし次回行く機会があるなら?ぜひ行きたいポイントではある。ローマを長く支配したメディチ家の屋敷とあらば?ぜひ拝んでみたいです)


 この後、コロッセオへ向かう。


 バスはローマ市内を移動。いろいろと移動する間見たのだが、感動しすぎてうまく表現できない。

 …たぶんだけど、写真を見る限りでの判断なんだけど、ローマのオペラ座の前をバスで通っている。

 

 そのまま南下し、ローマの本当にど真ん中、コロッセオに到達する。


 ローマは、最も古い地域から順に、外へ広がって発展した街だ。

 だから、古くからあるコロッセオがど真ん中なのも、なんとなくしっくりくる。


 …間違いかもしれないが、たぶん、「サン・グレゴリーオ通り」という大きな通りにバスは停車した。

 大きな通りで、バスの停車場所が何か所もあった。

 観光客は、ここでバスを降りてコロッセオへ向かうようだ。


 バスの停車場前の歩道は結構広い。多くの外国人が行き来していて、おのおの自分のバスから乗り降りしてコロッセオ観光をしている。

 観光客目当ての露店もチラホラ見える。ここの露天商は、アフリカ系の人が多かったような気がするのは、気のせいだろうか?


 「サン・グレゴリーオ通り」を北上して、徒歩でコロッセオへ向かう。

 通りは「パラティーノの丘」と呼ばれる遺跡に面している。ローマ建国の地と言われているらしい。


 本来は、コロッセオとセットで鑑賞する場所らしいのだが、今回のツアーではコロッセオのみです。

(この「パラティーノの丘」も、次回があるなら?ぜひ行きたいポイントでもある。ローマ建国の祖、「ロムスとレムス」の伝説の場所らしいのだ)

(この「ロムスとレムス」の伝説は、名前こそ聞いたことはあったが、内容まではしらなかった。観光バスの中で、ガイドさんに聞いて驚愕した。漫画「北斗の拳」の大陸編にまったく同じ伝説が登場するからだ。この伝説をパクったのかと、その時初めて知った。知って驚愕する「そのまんまパクっている、もうちょっと工夫していいと思うけど」と)

(ちなみにもう少しこのネタ引っ張ると、映画「スタートレック10」にロムス人というのが登場するが、たぶんこれも、この伝説がモチーフなんだと思う。内容的にそんな雰囲気がある)


 

「パラティーノの丘」を左手に見つつ、徒歩で北上。

 コロッセオが肉眼でしっかり見える距離までくる。


 あまりに遺跡が、普通の空間と調和しすぎていて、ものすごく奇妙な感覚になる。


 普通、遺跡と言うと?厳重に警備された、囲いの中にある、という印象だが、ここコロッセオは、あまりにもオープンなのだ。

(さすがに直接触れることはできなかったけど)



 コロッセオ内部にも入れるみたいだが、予約制でなかなか取れないとか聞いた気がする。

(映画「ジャンパー」ではこの遺跡内でアクションシーンが展開される、あれは本当にここで撮影したのだろうか?そっくりなセットだったのか?今でも疑問です。もしここでロケしたなら、相当高額な場所代払うことになる、なにしろこれほどの観光客を一部締め出さないといけないから)


 何度も写真や映画でみたものの実物が目の前にあり、テンションが上がります。

(映画「007スペクター」で、ジェームス・ボンドがこのコロッセオ前を車で通過したシーンがあったと思う)



 コロッセオは一部補強されていた、が、完全な修復はされていない。わざと現状の景観を維持するようしているという。


 本当は、このちょっと先に有名な「フォロ・ロマーノ」と言う場所がある。ウィキペディアによると?このように説明されている。

(以下転記)


 古代ローマでは、たいていの都市に政治・宗教の中心としてフォルム(英:フォーラムの語源)と呼ばれる広場が置かれていたが、このフォロ・ロマーノは首都に開設された最初のフォルムであり、最も重要な存在であった。ローマでは、後に諸皇帝によっていくつかのフォルムが建設されたが、3基のバシリカと元老院議事堂を備えたフォロ・ロマーノは、そのなかでも中心的存在として機能し続けた。

(転記おわり)


 ここもぜひ行きたい場所ではあるのだが、今回のツアーではいかなかった、残念です。

 

 Fさん、もしもう一度ローマに行くことがあれば、一緒にいって案内したい場所です。



 僕の記憶が確かならば?

 この後、ツアー一行は再びバスに乗り、遅い昼食をとったのだと思う。


 すでに何度も書いた「ナポリピザ」の店だ。


 普通の建物の内部なのだが、中が白壁で装飾されていて、ナポリの田舎町風になっている。

 ローマなのに、なぜナポリ?と一瞬頭をかすめたが、すぐに理解した。


 ここはローマの人が、他の地域の味を楽しむ店なんだ、と。

(博多豚骨ラーメンの店が、日本全国にあるのと同じ理屈だ)


 壁には、一日前訪れたナポリの街並みを描いた絵が飾ってある。雰囲気造りの演出だ。


 ガイドさんが説明する。ここでは「ピザ・マルゲリータ」を頂きます、と。

 ナポリの職人がマルゲリータという姫を歓迎したくて作ったピザとか歴史を説明してくれたのを何となく覚えている。


 で、日本人は食べきれないことが多いので、自分は無理だなと思う人は、耳の部分は残して大丈夫ですとか説明してくれた。



 僕は、以前「トルコ」で胃腸をやられてしまった経験がある。不安はあった。

 しかし、気が付けばパクパクと一皿たいらげていた。自分でもびっくりです。薄味で、すっと胃に入ってしまう。


 好みに応じて、粉チーズか、オリーブオイルをかけるよう勧められる。両方とも瓶に入っていて、スプーンを使ってかける。

 なんか「本場だなー」と感じさせる。


 旅で仲良くなった人にワインを勧められる、飲めないから少しですよ、とかやり取りしているうちに、白いテーブルクロスに赤ワインをこぼしてしまった。


 中年のイタリア人男性の従業員が来て、何やらイタリア語で言う。

 「…ダイレクト?…」

 という部分だけかろうじて聞き取れる。


 そのイタリア人男性は、穏やかな笑みで、そのテーブルクロスの赤いシミを指で触り、手についたワインを耳の後ろになでる動作を何度かする。

 怒られる?と思っていた分、あっけにとられる。



 しばらくして、日本人の女性従業員がきて、説明してくれた。


 食事中、ワインでテーブルクロスにシミができるのは「幸運」の現れだというのだ。

 先ほどの動作は、幸運にあやかろうという動作だったのだ。


 それを聞いてほっとすると同時に、こう思った。

「イタリアってやっぱ面白い!」と。



 食事が終わった後、僕らツアー一行は、「ローマ三越」に案内された。

 激安ツアーによくある、買い物先との提携で、観光客を案内するやつだ。

 気は進まないけど、日本の店と言う事で、安心感はある。外国で訳の分からん店に入るよりは安全だ。


 基本、高めの商品ばかりだ。さすが三越、と言う感じ。

 けど、日本の商品がない?と言う事は日本人観光客だけを相手にしたセレクトショップ的店舗なんだろうか?

 それでやっていけるのか?といろいろ疑問は残ります。


 安いキーホルダーなんかもある。

 お土産用にいくつか買う。この時は「真実の口」キーホルダーを買った。いかにもローマっぽいとおもったのだ。


 店内を見ていると、ダイキャストカーが売っている。

 日本国内で買うと高いのだが、ここではなんだかめちゃくちゃ安い。

 たぶん、本来はこの程度の金額の商品なのだろう。

 これを日本に持っていって、高値で売っている人らが、日本におけるダイキャストカーの値段を釣り上げている?と思った。


 この時「1/43 ランボルギーニ ウラカン パトロールカー」というのを買ってみた。

 日本ではこんなの見たことがないと思ったからだ。

 値段覚えてないんだけど、たぶん1000円ちょっと上くらいの金額だった。


 しかし、これを帰国してから日本のサイトで調べたらびっくりした。22,680円で売っているのだ。(下記サイト参照)

(http://www.gulliver-inc.com/SHOP/YOYAKULS437.html)


 20倍近い金額?


 手元に資金があったらちょっと商売してみたい感じです。

 商品知識がないわけではない。

(まあ、でも旅費を考えると?大量に仕入れないと元が取れないし、そんなにおいしい商売ではないかもしれない。旅のついでのこずかい稼ぎくらいにはちょうどいいかも、買ってヤフオクで売ればいい)


(上記商品、よく調べたら商品のメーカーが違うみたいです。僕が買ったのは「ブラーゴ」だけど、このサイトのは「ロックアウト」とかいうメーカーのレジンモデルらしい。単純比較はできないのかも)




 この日の観光はこれで終了。

 たぶん現地時間で午後3時か4時ごろだったと思う。


 この後全員でバスに乗り、4時間30分かけてフィレンチェへこの日のうちに移動。

 フィレンチェのホテルに向かいます。




 時々近況を書きます。


 Fさんの手紙、待っています。




 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。

 実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

 がんばれ!まけるな!


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〔7月14日分の記述〕


 Fさんへ。


 また、工事です。


 事実だけを書くならば?


 2008年に東京を去り、帰郷して自宅にいると?

 電線を工事する高所作業車が、一日中うるさかった。


 一か所ならまだいい。


 一か所終わると、今度はあっち、こんどはそっちと、5~6か所やるのだ。


 1か月ちかく「あれ?終わったと思ったらまた?」と思った。


(偶然か?近所の家が駐車場のコンクリの張替え作業を始めて、あのコンクリを砕く機械で砕いて、いるのか?それ?というようなハート形のものを駐車場に作った)



 ともかくうるさかったのを覚えている。



 この小説内でも書いたけど、家の建て替えの際、近くの一戸建てに引っ越したが、引っ越すと同時に目の前の側溝工事が始まり、奇妙に感じた。この家は2年以上空き家で、その間ずっとその場所の工事は放置されてきたのに、僕らが引っ越すと同時に始まったのだ。



 事実だけを書くならば?


 通常こういう工事をやるときは?1か月前くらいから看板が出たりする。

 交通規制するからだ、事前予告と言うやつだ。



 新しい家に引っ越すと?


 この事前予告なく、また側溝工事が始まった。おいおいと言う感じだ。

(まあ、この時は家の防音性能に驚いた。木造の時と比べて、工事の際の「地鳴り」が聞こえないからだ。5.1chステレオでTVとかみてると?スイッチを切るまで全く気が付かなかった)


 …で、また今度工事があるみたいです。今度はNTTの工事。


 Fさん、これってやっぱ「そう」なのかな…。


 連中に「恥」の文化はないのだろうか。


 Fさん、最近読んだ本に、こんな文章があります。


(以下転記 講談社現代新書2346「信じていいのか銀行員 マネー運用の本当の常識」より)


「高齢者を「食い物」にするというと穏やかではないが、そうするために、銀行員が特別に悪い人である必要はない。彼らが、自分の勤める銀行の利益に忠実で人事評価に敏感な「真面目な銀行員」であるだけで必要十分条件は満たされている」


(転記終わり)


 こんな事も思う。

 人を貶めるのに「熱狂的カルト信者」である必要はない。

 "彼ら"が自分の組織の利益に忠実で、仲間思いであるだけで、十分なのだ。


 でもそういうのを、第三者から見ると?

 「   」

 と言うのかもしれない。


(「」内に思い浮かんだ言葉は、僕のものではありません)



 Fさん、そこに誇りや気高さはない。

 理想を捻じ曲げられた醜悪な破壊があるだけだ。


 飛び出してきた歩行者が悪いと居直る、ひき逃げ犯と何もかわらない。



 それの何が悪い、という人がいたら?

 Fさん、こういってあげてください。


「決別するには十分な理由になるわ」と。


 Fさん、全てを背負い込んではだめです、彼らはそれを狙っています。

 君が、全ての罪を背負い込む心理状態になれば、容易に心を操れるからです。


 そうやって君の心から“情熱”を失わせる。

 

 君は全て背負い込むような感覚を時々もっていたような気がする。

 君は僕と別れた後“彼ら”に“まちがった”発見をたくさんさせられたと思う。

 君は自分でそれを発見したと思い込んでいるけど、それは間違いです。


 そうした発見を全て背負い込む心理状態になれば“彼ら”はそこにつけ込む。

 そうして君の心を容易に操る事が出来る。

 そうやって君を“従順”にさせるのが“彼らの(中の「そうした人達」の)常套手段”です。


 非常に悪質な人心掌握じんしんしょうあく法になります。

 だから全てを背負い込んではだめです!“彼ら”はそれを狙っています!!

 そうやって君の心から“情熱”を失わせるのが“彼ら”の手口だ!!だから注意して!

 油断していると、本当にこの暗示にかかります。


 相手は親切心につけこんで、あたかも君が自分で決断したかのように“錯覚”させるプロです。

 相手に親切心を利用されないようにしないと、永久にいいように利用されてしまいます。


 繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。

 きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。


 時々近況を書きます。


 Fさんの手紙、待っています。




 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。

 無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。

 実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。

 役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

 がんばれ!まけるな!



 君は君の心を信じて良いのだと思う。


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〔7月15日分の記述〕


 Fさんへ。

 日々思う事をかいてみます。


 新しい家についてです。

 今の自分の部屋は、2部屋分を1つにまとめた広さがある。


 家具の配置を考えて、窓の配置レイアウトを偏らせてある。


 設計段階ではあまり気にならなかったが、本当に微妙な差なのだが、差がある。


 何の「差」か?と言うと?



 空気の流れだ。



 本当に微妙な差なんだけど、部屋の場所により、若干空気の快適感が違う。

 長く漫画の作画作業などやっていると、その「差」を顕著に感じる。


 現在作画スペースに使っている場所は、そうでない場所より、空気感が悪い。


 幸い、移動可能な机をもう一つ持っているので、試しにそちらで作画作業をしてみる。


 すると?


 ものすごい快適に作業できる。

 窓辺で、外の光も風も入ってきて、すごく心地いい。




 外の外気の魅力に気が付いたのは、サイクリングを始めてからだ。

 千本松原でサイクリングをする際の基地にしている、海岸のポイントは今でもお気に入りで、夜勤明け大抵かならずそこで仮眠をとる。


 太陽の光と、波の音を聴きながら仮眠すると?

 乱れた体内時計が修正される感じが、実感としてあるからだ。



 漫画を描きながら、太陽の光を浴びたい。

 そう思うようになっていた。



 …で、今日試しに窓辺に移動して作業してみると?

 ものすごく心地いい。


 こう思う。

「なんで、いままで「こう」しなかったんだろう…馬鹿だなあ」と。


 こういうちょっとした「変更」で、大きく快適度が変わること、たくさんあるんだと思う。



 こうも思う、いままで作業していた場所は?

 そのままにしておこうと思う。

 気分に応じて、使い分ければいい。




 Fさん、最近晴れた日はベランダで昼食をとることが多いです。

 日よけのタープを張っているから、木陰のような感じになっている。

 そこに白い大理石の天板のテーブルと白いとう椅子を置いている。


 ここで食事すると、日光と風が気持ちいいです。


 時々近況を書きます。


 Fさんの手紙、待っています。




 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。

 実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

 がんばれ!まけるな!

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〔7月16日分の記述〕


 Fさんへ。

 最近こんな本を読んでいます。

 講談社新書2346「信じていいのか銀行員 マネー運用本当の常識」


 サントムーンの本屋さんの店頭ディスプレイにあった本です。

 本当は、石原元東京都知事が書いた、田中角栄の本を買おうかと思ってよったんだけど、肝心なその本が、手に取って広げてみると?

 大きな文字に、行間たっぷりの書式になっていて、たぶん、本のボリュームを持たせるためにこうしたんだな、と思った。つまり?見た目よりも内容は薄い、と言う事。

 本屋大賞とるくらいだから、面白いのだろうけど…。

 過去の経験上、この手の書式の本は、買っていい思いをした記憶がない。


 …でも本屋大賞とってるしなー、と悩んでいると?


 隣にあった本が、講談社新書2346「信じていいのか銀行員 マネー運用本当の常識」だったわけです。


 何となくピンと来た。読みたい、と。

 石原元知事の、ボリューム出すため、行間と文字を大きくしている本と、どっちが読みたい?と心に問うと?

 講談社新書2346「信じていいのか銀行員 マネー運用本当の常識」の方を読みたい、という答えが返ってくる、即決した、石原さんの本はやめてこれにしようと。



 まだ読んでいる途中です。

 でも面白い。


 これは、資産を持っている大人向けの本で、いかに銀行がその信用を利用して、顧客に不利な商品を売っているか?を問う内容になっている。

 アメリカから入ってきた手法で、何と言ったらいいのか…、ともかく知らないことがいっぱい書いてある。



 こういう場合、一番いい説明は何だろう、そう考えたとき、ある映画が頭に浮かんだ。

 2013年の映画「ウルフ・オブ・ウォールストリート」だ。

 レオナルド・ディカプリオ主演映画だけど、日本ではあまり知られてないんじゃないだろうか?


 ジョーダン・ベルフォートという人物をモデルに作られた映画だ。

 日本にこの人に該当する有名人は存在しないと思う、それでも無理やり似た人物をあてはめろと言われたら?

 ホリエモンが該当するのではないだろうか?

 しかし、ホリエモンがおっとり型なのに対し、ジョーダン・ベルフォートはウォール街で、オオカミと言われた男だ。


 最初に入った証券会社で、相場操縦など、いかがわしい手法を学び、会社倒産後、ペニー株と呼ばれるクズ株を売る仕事に就く。

 しかし、大手で身に着けたセールス技術を使い、ペニー株で大儲けしてしまうのだ。


 ここでポイントは、ペニー株は「クズ」と言う事。

 どこまで行っても「クズ株」であり、絶対に有望株に化けたりしない。


 しかし、顧客はそれを「知らない」、そこがポイントなのだ。

 知らない客にそれを売りつけ、手数料で稼ぐわけだ。


 そんなことをしていたら、信用されなくなる?


 普通はそう思うところだ。


 もちろん一部の顧客は、からくりに気が付いて離れていくが、気が付かないでいる客も実は多い。

 ジョーダン・ベルフォートは普段、株なんて知りもしない、損をしても気が付かない客に売りまくって、大儲けしたのだ。


 やりすぎると批判をうける、それが彼がオオカミと言われた由縁だ。



 しかし、こういう解釈もできる。

 自分が損をしていても気が付かない客は、実際たくさんいる。

 派手にやるとバレるが、巧妙にやれば、いいのでは?と。


 現在、日本の銀行がやっていることは、まさに、この行為らしいのだ。


 今、TVで、銀行の「ラップ口座」のCMを見かける。証券会社では「ファンドラップ口座」だったりする。

 これは何か?というと?

 顧客の口座をラップ(=包み込む)と言う意味で、ラップ口座を希望する顧客は、自分の全財産をラップ口座に入れることになる。

 そして銀行の運用のプロに、その口座の資産の運用をゆだねる、というものだ。


 一見すると、とてもいいものに見える。

 プロが運用してくれるわけだから、安心できるし、何もしなくても放っておいても資産が増える。と解釈できるからだ。



 しかし、全部お任せすると?定価で買わされるということは?実は意外に多い。

 割引が普通の商品でも定価で買わされると?すごい損した気になる…、そういう経験、誰でもあるだろう。



 銀行においてある金融商品の9割は、割高な手数料が設定されている。

 同じ商品を市場で、普通に買えば、ずっと安い。

 けど、ラップ口座にお金を入れるような顧客は、そもそもそんな事「知らない」ので、自分が損をしていることに永久に気が付かない。

 こうして、高い手数料をガンガンとって、顧客一人あたりから得られる「単価」を上げて儲ける、というのが、今流行りの手法らしい。


 ここには「行動ファイナンス」と呼ばれる手法が取り入れられている。




 以前僕は、この小説内で、日本は「マルクス経済学」派が主流で、「ケインズ主義」が信奉されている。

 だが、それは日本だけで海外では違うと書いたと思う。日本は時代遅れだと。

 時代遅れに20年気が付かず、失われた20年を演出するはめになった。


 最近になり、ようやくアベノミクスという形で、海外で主流の経済理論が行われるようになった。

 アベノミクス実施当初の反発はものすごかった。

 そんなものやったら、日本がつぶれるとか、国債が暴落して日本が滅びるとか、間違った宣伝がたくさんされたのは記憶に新しい。

 しかし、先の選挙ではもう、そんなデマを言うやつはいなくなった。やはり過去20年の日本の経済政策が間違っていたのだ。


 

 ファイナンス(資産運用の手法)には歴史がある。

 たいていは、経済学の上で、画期的な発見があり、これを市場予測に使う。


 市場予測にだけ理論を使っていればいいものを。今度はこの理論をつかって「商品」を編み出すのだ。


 ポートフォリオ理論(ポートは港、フォリオはフォルダ。つまり港に眠っている積み荷明細を指す。これらの書類を巧みに組み合わせて魅力的な債権を作り出す、これがポートフォリオ理論だ)やオプション取引(その債権等に付随して発生する権利を売り買いする取引)などがある。


 これらの「商品」(=金融商品)は内容を理解してる人たちから見ると、とても便利で魅力的なものだ。


 しかし、内容を理解していない人たちから見たら、どこが良くてどこが悪いのか全く分からない。

 この「まったくわからない」人たちを説得して、金融商品を買わせて、手数料で稼ぐのが、銀行や証券会社の儲けと言うわけだ。


 「わかっている」人たちは、放っておいても勝手に儲ける。こういう人たちから手数料をたくさんとるのは難しい、むしろいかに手数料を払わずに儲けるかと行動してくる。


 銀行や証券会社が儲けを出すには、何も知らない顧客から、可能な限り手数料を取る方法が、一番利益がでるらしい。




 「行動ファイナンス」は最新の理論だ。

 以前僕がここで紹介した、ジョージ・ソロスの「再帰性理論」に似ている。

 人間は「かならず」間違える。間違える際には「バイアス」が発生する。「バイアス」を分析し、次にどう人間が間違えるか予測するのが、「行動ファイナンス」らしい。

 「行動ファイナンス」の研究から生み出され多理論に、「プロシペクト理論」と言うのがある。


 ウィキペディアによると?

 (以下転記)

 プロスペクト理論(プロスペクトりろん、英: Prospect theory)は、不確実性下における意思決定モデルの一つ。選択の結果得られる利益もしくは被る損益および、それら確率が既知の状況下において、人がどのような選択をするか記述するモデルである。

行動経済学における代表的な成果としてよく知られている。 期待効用仮説にたいして、心理学により現実的な理論として、1979年にダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーによって展開された。 カーネマンは2002年、ノーベル経済学賞を受賞している。

 (転記おわり)


 顧客がいくら「何も知らないに」にしても、こうも騙され続けるのか?

 それは、このプロスペクト理論の活用が大きいらしい。


 銀行員はラップ口座を勧める際、こう説得するらしい。

「人生のゴールをどのようにお考えですか?」と。


 これはゴールベース資産管理という営業手法らしい。

 多少の損をしてでも、人生のゴールまできちっと資産管理したい、と言う人に「ラップ口座」を勧めるわけだ。


 プロスペクト理論は不確実性下における意思決定モデルの一つ。

 人生のゴールという不確実性があるものの確実にくるものに対する不安を使い、「バイアス」をかけるのだ。


 こうして、本来なら「損しかない」はずのラップ口座が、売れ続けていくらしい。



 カルトの布教も、このくらい巧妙なのだろうか?



 “彼ら”的行動とは、「熱気ねっき」にあてられて思わず興奮する集団恍惚しゅうだんこうこつ状態が作り出すものだと思う。

 これが、お祭りとかスポーツならまだいいが、

 犯罪行為に集団恍惚しゅうだんこうこつするのは、間違っている。

 …でも、恍惚こうこつ状態にあると、理性的判断が出来なくなり、皆、別人に変ってしまい、犯罪も肯定する人間にさせられてしまう。

 こういう状態を一般に「トランス状態」と呼び、暗示を「ものすごく」受け入れやすい状態、と理解しないといけません。

 一度暗示に「かかる」と、なかなかとれない。

 君のまわりを見回してほしい、事実、普段はいたって「普通」なのに、“彼ら”の悪意に関しては「正常な思考」が出来ない人、多いと思う。

 それは、暗示にかかっているからだと思う。

 

 もちろんこれは推測を書いているに過ぎない。

 その世界がそこまで「本当に」酷かったら、そうとう病んでいる事になる。

 「病んだ人間を救う」のが本来の仏教であり、「病んだ人間を大量生産する」事はカルトの思考です。

 そこは、どう屁理屈をこねても、覆せない、当たり前の真実だと、「普通」の感覚の人間なら思うところです。

 …Fさん、戦ってほしい。

 君を責めたりはしない、そういう環境に問題があるだけだ。

 形にできない、君の心を、確かめたい。


 「貴方には私の話を聞く義務がある」

 といい続ければ、そういう空気を作れる。


 時々近況を書きます。


 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。

 実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

 Fさんの手紙、待っています。

 がんばれ!まけるな!

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〔7月17日分の記述〕


 Fさんへ。

 

 こんな事も思います。


 "彼ら"は今頃になり、これがゲームでもお遊びでもない、と認識したかもしれない。


 でも殺されかけたこちら側からするとこう思う。


「遊び気分で人殺しする自分たちの恐ろしさに、今頃気が付いたの?」と。



 “彼ら”的行動とは、「熱気ねっき」にあてられて思わず興奮する集団恍惚しゅうだんこうこつ状態が作り出すものだと思う。

 これが、お祭りとかスポーツならまだいいが、

 犯罪行為に集団恍惚しゅうだんこうこつするのは、間違っている。

 …でも、恍惚こうこつ状態にあると、理性的判断が出来なくなり、皆、別人に変ってしまい、犯罪も肯定する人間にさせられてしまう。

 こういう状態を一般に「トランス状態」と呼び、暗示を「ものすごく」受け入れやすい状態、と理解しないといけません。

 一度暗示に「かかる」と、なかなかとれない。

 君のまわりを見回してほしい、事実、普段はいたって「普通」なのに、“彼ら”の悪意に関しては「正常な思考」が出来ない人、多いと思う。

 それは、暗示にかかっているからだと思う。

 

 もちろんこれは推測を書いているに過ぎない。

 その世界がそこまで「本当に」酷かったら、そうとう病んでいる事になる。

 「病んだ人間を救う」のが本来の仏教であり、「病んだ人間を大量生産する」事はカルトの思考です。

 そこは、どう屁理屈をこねても、覆せない、当たり前の真実だと、「普通」の感覚の人間なら思うところです。

 …Fさん、戦ってほしい。

 君を責めたりはしない、そういう環境に問題があるだけだ。


 “彼ら”の恥知らずな行為は多くのメンバーの失望と苛立ちを招くだろう。

 そに事実は衝撃として伝えられ、多くの人に迷惑をかけるはずだ。


 「彼方が人々に与えた「衝撃」は尋常じゃないものだわ、みんなへの謝罪を無視していいはずないでしょ」

 

 と言ってもいいと思う。


 謝る時、人は最小限の謝罪で済まそうとする…。

 もし相手がそんな謝罪で済まそうとしたら?

 「とりあえず“ハンコ”ついてくれる?そしたら皆彼方の反省が本物と理解するわ、謝罪には行動が伴わないと意味がないわ、口ではどうとでも言えるもの」

 と、すごむ権利を君は持っている。大丈夫です、お釈迦様とてきっとそう言ってくれます。がんばれ!



 「心理的圧迫」と「利益誘導」をたくみに織り交ぜて、巧妙に「心を」誘導するのが“彼ら”の手口だ。

 気をつけて!


 君に勇気が宿りますように。


 負けないでほしい、がんばれ!

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  Fさんの手紙、待っています。



(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)


〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください

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