第85話 まだ何も終わっていないし、何もはじまっていない5
〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください
(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)
〔11月28日分の記述〕
Fさんへ。
最近読んだ池上彰さんのでてる本にこんなことが書かれていた。
殺したりないから、戦争は終わらない。と。
…どういうことか?
人間は、ある程度の犠牲がでて、初めて自分の愚かさに気づくというのだ。
人数は、その時の時代背景や、その国に事情で左右する。
たとえば今のアメリカなら、数十人の犠牲だけで十分だが、現在のウクライナでは、何万人と亡くなったが、まだ足りない、ということらしい。
悲劇のみを強調して伝えると、犠牲者としての感覚ばかりが強調され、加害者意識がなくなる。
だから、戦争の悲劇を伝えることに、違和感を感じていた僕だが、この事をきいて、妙に納得した。
被害者意識のみが強調される欠点はあるものの、戦争体験を語り継ぐことは、犠牲者の多さを語り継ぐことでもある。
犠牲者がたくさんいることを伝え続ければ、殺したりないという感覚から開放され、冷静な判断ができるというわけだ。
このあいだ、東京大空襲の写真がTVで公開されていた。
なんでも警察の写真係の人が、被害状況を写真に収める仕事をしていて、普段ならカメラを向けることすら気が引けるような、黒焦げの遺体の写真をたくさん残しているのだ。
ああいうのを見せられると、理屈抜きで、言葉がでなくなる。
たしかに、戦争体験を語り継ぐことには、意味がある、そう、感じます。
Fさん、こんな事も思う。
彼らがあの集団ヒステリーで、個人を集団で死ぬまで追い詰められるのは、殺したりないという感覚があるからかもしれない。
これをとめるには、被害者がその体験談を語り継ぐことしかないと思う。
君がそうした行為に魅力を感じるかどうかはわからない。
おいつめられた君には酷なことかもしれない。
ただ、1つ言える事は。
どーしてわかってくれないの!といい続けても、伝わらない。
想いは、丁寧に積み重ねたほうが、伝わる類の性質を持っているらしいのだ。
もし、君が戦いつづけているのならば?その目線に耐え難い苦痛を感じるかもしれない。
しかし、見られることその事が、彼らに「殺したりない感覚」を抹消させる効果があると、そう君に伝えます。
君の、その、丁寧に信念を全うする姿は、多くの「殺したりないと感じ続けている“彼ら”」に、人間性という息吹を与え続ける原動力となる。
連中があわてたり、怒ったりするのは、その事実を受け入れがたいのだが、無意識が抵抗できずもがいている結果に過ぎないと思う。
君は、自分の想いを大切にしていいのです。
あわてず、ゆっくり、Fさんらしく、進んでほしい。
負けないでほしい、がんばれ!
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〔11月29日分の記述〕
Fさんへ。
最近思うこと。
実は今年中に家を建て替えることにしました。
リフォームなんて中途半端なものではなく、完全に新築です。
…で、引越しのため、荷物を整理しているわけです。
荷物を整理していると、東京脱出時に持ってきて、そのままろくに使わずしまっておいたものが、ちらほらと出てくる。
そうしたものを見ているうちに、東京時代のことを鮮明に思い出すのです。
良い意味でも悪い意味でも、東京時代はたしかに青春だった。そう感じる。
もし普通の会社に入ってサラリーマンをしていたら?
早々に生きる目的を失っていたかもしれない。
今、漫画を描いている。
久しぶりに勘が戻ってきていて、満足の行くレベルの作品が描けている。
これにしても、東京時代のあの時間がなければ、このレベルで漫画を描くことは出来なかったと思う。
漫画を修行?する過程で、図らずも自分の心をコントロールする方法も身につけた。
もしあの時間がなかったら?もっと感情的で切れやすい人格の自分になっていただろう事は、容易に想像がつく。
漫画家になれなければ、どこかでケリを付けるつもりではいた。
しかし、まさかああいう形で東京を離れることになろうとは…。
荷物を整理していて、当時の感情が蘇ってくる。
あの、もう二度と泣かないと決意した、あの日の記憶が蘇ってくるのだ。
Fさんとの思い出は、たしかに僕の人格の重要な構成要素であり、これが欠けたら今の僕は成立しない。
はじめて、人の為に泣き崩れたあの日、そう確信した。その日の記憶がありありと蘇ってくる。
地元に帰ってきた日、自宅へ帰る前、僕はあの神社を探した。
しかし記憶は衰えていて、見つけることがどーしてもできなかった。
後日、ネットでしらべて、ようやくあの思い出の神社をみつけ、あの2人ですわった、あの場所へ帰ってきた。
…そんなことが、ありありと、思い出せてしまう。ついこないだのことのように。
最近こんな事を思う。
あの夏祭りの日、2人で座った長い階段。あの場所はいまだに特定できていない。
目星は立っている。あのあたりは毎日の通勤に使う場所で、毎回ナビに神社がいくつか映っているのを認識している。
「このうちのどれかだろうな」
と、思うのだが、確かめようとは思わない。
なぜなら?こんな夢があるからだ。
再会し、僕は君にあの長い階段のある神社はどこだったの?と聞く。
Fさんは、僕を連れ、あの夏祭りの日のように、道案内をして、あの神社を教えてくれる。
そのあと、どうなるかはわからない。
しかし、もし、そのあと、当時のように階段に2人で座れたならば?
なにかが、戻るような気がする…。
そんな気がするからだ。
だから、あえて、あの長い階段を探そうとはおもわない。
いつか君に教えてもらう日の為に、あえて探さないでおきたいのだ。
他人が聞いたらバカだと思われることは、重々承知している。
Fさんはどう思うだろうか?
あいかわらずね、と思うのだろうか?
また2人で出かけられたら幸せです。
これが妄想に終わるのか?奇跡がかなうのか?
僕は神は信じない。しかし、運命は信じます。
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〔11月30日分の記述〕
Fさんへ。
最近思うこと。
…80%くらい“彼ら”と思う女性がいると書いたと思う。
例の100%“彼ら”と思うおじさんがいなくなってから、目だって敵意が目立つと感じる人だ。
どーも僕のいないときに些細な僕への不満を繰り返しまわりに言っているらしい。
繰り返し聞かされると、実態以上にイメージが膨れる。
現状において、微妙な状況ではあるものの、その女性がちょっと過剰な表現をしているという共通認識は、センター全体にあるようなので、多少助かっています。
こちらから反論するまでもなく、もとから「あのひとキツイよね」という共通認識がすでにあったらしい。
…こんな事も思う。
小学生時代、よくうそつき呼ばわりされたが、僕の認識不足の発言を、誇張された結果なんだろうなと、なんとなく思う。
ついこないだ、仕事のできない女性が辞めた。
たしかに仕事が出来ない。イライラする存在でもなった。
しかし、こちらにも問題がないわけでもない。
勤務体制にもっと余裕があれば、フォローできなくはなかったのだ。
この人の最大の欠点は、陰湿な反撃をする点だった。
あえてゴミを片付けないで、回りを困らせたり、仕事のペースをいつもよりも落として、回りを困らせたりして、日ごろのうっぷんを晴らすところだ。
自分の意見がただしく言えない代わりに、そういう反撃の手段しか出来ないのだろう…。そうした点が、ますます回りをイライラさせる悪循環を生む。
最初は味方していたが、最後には僕ですらイライラが止まらなくなる状況だった。
そういう状況になると、その人が何をしてもイライラする。理性で考えるとそこはイライラしなくていいんじゃないかという状況でも、イライラを感じる。
いうなれば、存在していること自体がイライラの原因になるような…、そんな心理状況に陥るのだ。あれは初めての体験だった。
で、「そうか」と納得したのだ。
回りからいろいろ言われて、こういう相手が存在すること自体がイライラするような心理状況に追い込むことが、“彼ら”の手なんじゃないかと。
僕は生まれつき頭が悪い。つけいる隙など、いくらでもある。
Fさん、こういう「馬鹿はきらい、この世からいなくなれ」と思っている“彼ら”はけっこういるのだろうか?
馬鹿は殺せば良い、もっともっと殺したい、殺したりない、と思う陰湿な連中は、“彼ら”の中にいるのだろうか?
こういう心理状況の人には?言葉は通じない。
昔、中学時代に、こんなことがあった。
全学年の生徒の絵が廊下に展示されていた。
初歩的な遠近法しか理解できない馬鹿が、僕の描いた絵を、遠近法が間違っている、と皆にいい、一緒に笑っていた。
で、僕は、自分の描いた絵が、2点投射法で描かれたものであることを説明した。
1点投射法しか理解できない彼は、いくら言ってもわからない。
そこで具体的に机をつかって説明した。
この角度からみた机を描いたんだと。
すると反撃できない彼は、こいつわけのわからないことを言っている、と皆に言い始めた。
で、実際にここに立ってみてみろ、と言い返した。
それでも同じことを言う。
こんな簡単なこともわからないの?そんなに絵が下手?と言い返すと、さすがに黙った。
最近TVで、こんな話を聞いた。
GACKTがパリのカフェの窓際の席に座ると、店員がやってきて、奥の席への移動を促したという。
わけもわからず従うと、今度は白人の客が来て、さっきGACKTが座った席に座ったという。
その白人は席の移動を促されることなく、そのまま座っていたという。
GACKTはその時点で、これが差別だと気づいたという。
アジア人の客は、奥の席に押し込まれ、白人だけ、窓きわの席にいる。
頭にきた彼は、いったんその店を出て、再度入店。
窓きわの席に座る。
先と同じように店員が席の移動を求めてくるが、その際、こう言い返したという。
「なぜなんだ?わかるように説明してくれ」と。
すると店員は引き下がったという。
パリでは、差別をする相手には、明確な説明を求める態度がいいと言う。
なんとなく、どこも同じなんだなと、そう、思ったりします。
もし、君が今も戦っていて、外へ出るたびに無言の圧力を感じたならば?
こう思ってほしい、この世のどこかに、同じ圧力と戦っている人間がいるのだと。
もう1人ではないのです。そこは、間違いのない事実です。
時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。
実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。
君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。
そう、つよくつよく、君に伝えます。
君の心が彩りを取り戻す日を信じて。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。
いつか再会できる未来を信じて。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。
がんばれ!まけるな!
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〔12月1日分の記述〕
今日は本当は2015年4月17日です。
このあと午前9時過ぎにコンビニによってから仕事場へ行く予定です。
Fさんへ。
また変な事件が起きました。
あれが“彼ら”の被害者かどうかはわからない…。
仮説として「そう」だとしたら?
これだけは言える。そいつは真実に気がつかず自滅する行為に出た。
ヒントがないもない状況で、冷静に判断をするのは、難しかったのだろう。
僕は君からたくさんヒントをもらっていたから、あの精神的集団圧力を跳ね返せた。
Fさんがいなかったら、今僕は無事ではいられず、他の被害者と同じ道を行っていたかもしれない。
いつかお礼を言いたいです。君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。
そう、つよくつよく、君に伝えます。
君の心が彩りを取り戻す日を信じて。
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〔12月2日分の記述〕
今日は本当は2015年4月17日です。
このあと午前9時過ぎにコンビニによってから仕事場へ行く予定です。
Fさんへ。
また変な事がありました。
昨日、仕事場の駐車場に車を停め、車外へでると、超スローな速度で前の道を走る、スポーツタイプのバイクがいた。
音はでかい。
なぜ?そんな人が歩くような速度で?
と思ってみていると?
なんとこっちへ来る。
駐車場に入り、僕の前まで来る。
てっきり新しく入った職員かと思い、かるく会釈してしまった(笑い)。
するとそのまま駐車場の外へ。完全な部外者だった。
ねえ、Fさん。これを変な出来事と思わないほうが、おかしいよね。
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〔12月3日分の記述〕
今日は本当は2015年4月23日です。
夜勤なので本日午後4時ころ、コンビニによってから仕事場へ向います。
ニュースで、こんなのを見た。
届け先のわからない郵便をあつかう「漂流郵便局」というのが、あるという。
あて先のないはがきを扱うという。
もう会えない人に向け、誰かがかいた手紙が、集められているという。
会えない人へ何十通も出す人が、たくさんいるという。
手紙を書くことで、なにがどう、変わるはわからないが、その文面は、来場者の心を感動させるという…。
なんだか、似たような事をする人がいるのだなと…。
ああ、自分だけではないんだ、と、少しほっとする思いもします。
Fさん、もし読んでいるなら、どう思うのだろうか…。
私はここにいるよ、と思ってくれるのだろうか?
いつかの奇跡を願って。
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〔12月4日分の記述〕
今日は本当は2015年4月23日です。
夜勤なので本日午後4時ころ、コンビニによってから仕事場へ向います。
最近思うこと。
以前、職場にこの人は80%くらい“彼ら”では?と思う女性がいると書いたと思う。
最近思うのだが、この人は以前いて今は辞めてしまった100%“彼ら”と思うおじさんよりも、強敵かもしれないと感じたりもするのです。
なにが、どう?すごいのか?というと。
この人は、こちらの発言や行動を「誘導」させることができるのだ。
成功率は高くないのだが、確かにこれを行う。
以前いたおじさんはこの「術」は使えなかった。もっと単純で読みやすい人だった。
この「術」を使う人との初遭遇と感じる出来事は?
本屋にいて、“彼ら”の総攻撃が始まった時期、他店から応援に来た人物だ。
以前に書いたとおり、この本やの専務は僕が3年観察した人物。その人物が送り込んできた人材。
あきらかに、こちらがミスをするような誘導をするのだ。
当時、もう仕事にすっかり慣れていたので、この人が明らかにおかしいことを言っているのは、手に取るように理解できた。
…が、もし慣れていなかったら、ミスをしたり、間違いをして、謝り続けるような状況にもっていかれたかもしれない。
何度も謝る状況になれば、そうした姿を見て、この人はミスばかりする…という印象を回りに与えかねない。
ターゲットの自信のなさと、善良な心を利用した、巧妙な「術」だ。
現在、介護職三年目だ。
しかし自信のもてないジャンルがまだある。
たとえば医療面の知識は、専門でないから、よくわからない
(介護の人間は専門ではないので、自己努力でこの分野を身に着ける)
そうした自信のない分野とかで、先にかいた「誘導」めいたことをされると、警戒できない。
とくに忙しいときなど、判断に迷ってしまう。
昨日も聞かなくてもいいようなことを、この人の誘導にひっかかって看護士に聞いてしまった。
周囲に変に思われただろう。1度くらいならいいが、これが何度も続くとまずい。
昨日、ひっかかってから気がついた。これは、以前経験したものと同じだ。警戒せねば、と。
似たようなことも数日前にもあった。
センター内での広報チラシがある。僕の担当だ。
彼女は僕が間違えて自分の書類ボックスにこれを入れた、と何度も人の前で繰り返す。とても普通にさりげなく。
普通の間抜けならば、そうかもしれないと謝ってしまいそうな感じだ。だが、このときは、もう破棄予定のそれをメモ用紙として利用し、それを彼女自身が回収したことを主張した。
そういっても、間違えて入れたでしょ、と何度も繰り返すのだ。
こちらが謝るまで繰り返す気だったのかもしれない。
先にも書いたように他に人がいて、このやり取りを聞いている状況なのだ。
謝る理由はまったくない。間違えてないし、そのメモ用紙を回収したのは、彼女本人なのだ。
繰り返しその事を、普通の会話で言い返すと、これ以上追求すると今度は自分が変な人と思われかねないと思ったのか、ようやく言うのをやめた。
…この人は以前いたおじさんと違い、このテの「誘導」を苦もなく平然と、自然体に行える人なのかもしれない。
以前この小説内でも書いたけど、小さい頃からこの種の訓練をつんでいれば、それは不可能なことではない。
こんな事を思い出す。
小学生時代、ある人物にへんな誘導をうけたのだ。
(この人物は、僕が大学時代、同級生を募るサイトで返事をよこしたと以前この小説内で書いたことのある人物だ。仲は悪かったのになぜ?と思ったものです)
突然こういうのだ。「ポルノ」って知ってるか?と。
当時小学生で、それがヌードを意味すると知らなかったので、知らないと答えた。
すると、こいつはこうつづけた。
「ポルノっていうのは、ドラえもんの映画のことをいうんだぜ」と。
このあとも言葉たくみに話をつづけるのだ。
そして、お前、ポルノ見たことあるか?と言うのだ。
こちらが、その言葉は聴いたことないが、君の言うとおりの意味だとしたら、ドラえもんの映画は見たことあるよ、と答えた。
すると、大声をだして、「お前ポルノ見たことあるの?」と叫ぶ。
驚いてうなずいてしまう。
これを何度も繰り返す。
周囲からみたら、大声の部分しかわからない仕組みだ。
で、周囲に言いふらすのだ、あいつポルノ見たことあるんだってよ、と。
この段階になると、説明しても、言い訳にされてしまう。
…こんな事を、子供時分から訓練していたら?
大人になったら苦もなく行えると思うし、やり方も巧妙でさりげなくなるよなと、なんとなく感じます。
でも中には不器用な子もいて、こういうのが苦手な子も“彼ら”の中には多いのだろうと、思わなくもありません。
Fさんは不器用な方だったと思う…。そして、そんな不器用な自分をいつも責めていたのだろうか…。
Fさんは、なにも間違ってないと思う。
間違ったことを強要する、その環境と、その環境を是とするカルトに問題がある。そう思います。
心の声は、封殺する必要な、どこにもない。
君は、君らしくいていいんです。
“彼ら”的行動とは、「熱気」にあてられて思わず興奮する集団恍惚状態が作り出すものだと思う。
これが、お祭りとかスポーツならまだいいが、
犯罪行為に集団恍惚するのは、間違っている。
…でも、恍惚状態にあると、理性的判断が出来なくなり、皆、別人に変ってしまい、犯罪も肯定する人間にさせられてしまう。
こういう状態を一般に「トランス状態」と呼び、暗示を「ものすごく」受け入れやすい状態、と理解しないといけません。
一度暗示に「かかる」と、なかなかとれない。
君のまわりを見回してほしい、事実、普段はいたって「普通」なのに、“彼ら”の悪意に関しては「正常な思考」が出来ない人、多いと思う。
それは、暗示にかかっているからだと思う。
各個人個人はシロウトだ。「カルト信者としての完成度」は「恐ろしく」低い。
しかし運行管理側がカルト組織として「完成度」が高いが故、ここまでちゃんと機能できている。
何が言いたいのか?
Fさん、“彼ら”は個人レベルでは「カルト信者としての」完成度が「低い」。
幹部に問題がある。
僕は何度も書いた、これは、教えが正しいとかどうとかいう問題ではない、人としての“質”が問われているのだ。
理由さえあれば、組織を離れてもいいと思う。
君はおそらく組織内の人間からみても、厳しく育てられたのだと推察する。
環境に問題がある…、多くの組織内の人間ですら、そう思うはずだ。
“彼ら”の多くは「カルト信者」としての完成度自体は「低い」のだから、なにも恥じたり、気にしたりする必要はない。
堂々と、自分を取り戻していいのです。
君は全て背負い込むような感覚を時々もっていたような気がする。
僕と別れた後“彼ら”は君に“まちがった”発見をたくさんさせたと思う。
君は自分でそれを発見したと思い込んでいるけど、それは間違いです。
そうした発見を全て背負い込む心理状態になれば“彼ら”はそこにつけ込む。
そして君の心を容易に操る事が出来る。
そうやって君を“従順”にさせるのが“彼らの(中の「そうした人達」の)常套手段”です。
非常に悪質な人心掌握法になります。だから全てを背負い込んではだめです!
“彼ら”はそれを狙っています!!
そうやって君の心から“情熱”を失わせるのが“彼ら”の手口です。
いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。
いろいろあると思う。
多分君の周りには悪意なく“そういう事”が出来る人がたくさんたくさんいると思う。
それは悪意があるのではなく、心が内向きになっていて、外に向いていないからだ。
心が外向きになれば、人として持つ“当たり前の感情”が戻ってきます。
そう、周りの人に言ってやってください。
繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。
きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。
時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。
実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。
君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。
そう、つよくつよく、君に伝えます。
君の心が彩りを取り戻す日を信じて。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。
いつか再会できる未来を信じて。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。
がんばれ!まけるな!
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〔12月5日分の記述〕
今日は本当は2015年4月23日です。
夜勤なので本日午後4時ころ、コンビニによってから仕事場へ向います。
…そう、こんな事も思います。
この「ポルノ」について変な言いがかりを言っていた人物の口癖は、
「お前、わざとやってる?」
だった。
このことについても以前この小説内でも書いたと思う。
こう、思う。
自分が、普段わざとやっているからこそ、相手もそうに違いないと、思うのではないだろうか…、と。
Fさん。こう伝えます。
もし、誰かに、変な言いがかりを付けられたら?
こう、言い返せばいいと思う。
「あなたが普段そんなことばかりしているからって、私も同じことをするわけないでしょ!あなたとわたしは違うのよ!」と。
時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。
君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。
いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。
いろいろあると思う。それでも、前をむく君の姿を信じています。
負けないでほしい、がんばれ!
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〔12月6日分の記述〕
今日は本当は2015年4月30日です。
明日は早番なので朝6時45分ごろから7時くらいにコンビニによってから仕事場へ向います。
Fさん、さいきん「圧着靴下」というのを買いました。
そもそものきっかけは、仕事場での出来事。
利用者さんが入院から帰ってきた際、着用していたのを見たときだ。
むくみ防止のための医療品らしく、ものすごい圧力で足を締め付けている。
これがかなり効くらしい。
僕自身、足のむくみには悩んでいたので、これは試してみようか?と思いアマゾンで検索。民生品でいいのがあったから購入した。
使ってみての結果から言うと?
ものすごくいい。
足のむくみを見事に解消してくれる。
…というか、いままでこれなしでよく耐えられたなと感じるほどの効果だ。
具体的には夜勤明けにもっとも効果が顕著だ。
夜勤明けでは、足のむくみは頂点に達していて、いつもふくろはぎがパンパンだった。
座ると頭への血圧が一気に下がり、急にストンと眠気がくる。いや、眠気というよりも軽い酸欠だ。
この急に来る眠気は過去けっこう悩みだった。
高校時代からある悩みで、授業中も恐ろしい眠気がきて寝てしまう事が多かった。
いままで気力でカバーしてきたが、まさかこんな簡単な事で解決するとは…。
盲点です。
(しかし、何ヶ月かして慣れてしまったら駄目なんてことも、なくはない。もう少し結論は保留したい。けど、現状ものすごくいいです)
帰宅後この圧着靴下を外すと、一気に頭への血圧が下がり、ものすごい眠気に襲われる。
こういう所でも、効果を実感します。
今朝、起きると、快眠できたのか寝起きは良かったです。
しかし、一度さがった血圧はなかなか上がらず、頭が動き出すまでだいぶ時間がかかった。
(以前、寝起きで病院へ行き、健康診断を受けた際も、異常に血圧が低くて測りなおしたことがある。寝起きの血圧は低いほうです。
今まで、頭がボーっとして、なかなか目覚めないことは、日常的な悩みだった。
今日ではないが、数日前、圧着靴下をつけたまま寝たことがあった。
この日は、スムーズに目覚めて、頭もボーっとしていなかった。たぶん、必要以上に血圧が下がらなかったのだろう。)
今日は休日です。
本当は朝早くおきて、サイクリングをするつもりでした。
しかし、圧着靴下を履かずに寝たせい?かどうかは不明だが、頭がぼーっとして動けなかった。
で、こう思うわけです。
次の休みの際は、必ず圧着靴下を履いて寝ようと。
もし、仮説どうり、頭がボーっとしないで活動できるならば?いろいろな可能性が見えてくる。
(具体的には、いままで下がった血圧を上げるために費やしてきた時間を、もっと生産的な事に使えるようになる、ということだ)
ここに書かれているのは僕の主観。
客観的にみたら?違う意見があるのかもしれない。
でも、ここで重要なのは、僕自身が納得しているという事です。
心から納得している。これは、とても、重要なことなのです。
僕は高校時代の君の謎の言動の真実を理解したい衝動をずっと持っていた。
あの笑顔の意味を知りたくて努力した。
生まれつきの鈍感さはあいかわらずだけど、努力して得たものは、確かに君の心に繋がったと感じた。
心のなかの“それ”を大事にして、追求するのは、人として正しい行為だと僕は感じる。
もし、君も同じような感覚を抱いてくれるなら嬉しいです。
いつか、どう思うのか聞かせてください。
真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。
君の名前の最初の1文字は「真実を見て(知り)理解する者」と言う意味がある。
名づけた方の意思に反しようが、真実を見極めてもいいと思う。
なぜなら、その名前の字をこの世に送り出した人々は、名づけた人よりも遥か昔にいた人々で、過去存在した多くの人々の想いがその名の意味を支えている。君の名の1文字は歴史を重ねて作りあがっています。そして、その1字の意味の通り生きていいのだと思う。
君は価値ある人物です。僕に大切なものをくれた。
今でも待っています。負けないでほしい、がんばれ!
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〔12月7日分の記述〕
今日は本当は2015年4月30日です。
明日は早番なので朝6時45分ごろから7時くらいにコンビニによってから仕事場へ向います。
最近取り掛かっていること…。
実は今、「マックス・ウェーバー」を読んでいる。
といっても解説本なんだけど。
マックス・ウェーバーについて最初に知ったのは本屋時代のことだ。
返品作業中にマックス・ウェーバー関連本が何冊かあり、解説を読んで興味をもっていたのだ。
マックス・ウェーバーは、1904年~1905年「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」という本を書いた人物。
この本の趣旨としては、プロテスタントの生活様式のほうが、カトリックのそれよりも、資本主義の発展に「親和性がある」とした。
この主張は、僕がこの小説内でもかいたスペイン・ポルトガルがなぜ没落したのか?という主張とも合致する。
もしかしたら、無意識のレベルでマックス・ウェーバーの影響を受けていたのかもしれない。
この本は、当時の欧米人に多大な影響をあたえたらしい。森鴎外が、日本人はプロテスタントじゃないから、いくらがんばっても近代化などできないと差別を受けたのも、この本が原因かもしれない。
しかしマックス・ウェーバーが日本人を差別していたわけではない、日本人を知らなかっただけだ。もし執筆時に彼が日本人について詳しかったら?日本人の生活様式も、資本主義に親和性があると説いたことだろう…。
読んでいて、こんな事も思う。
“彼ら”の生活様式というか、信仰スタイルは、とても差別と「親和性」が「ある」ように思う。
理屈はどうあれ、それは実感として否定が難しいのでは、ないだろうか…。
こんな事も思わなくもない、最近の若い人らの凶悪事件。
理解できない人間関係が登場するが、あれは“彼ら”のつながりなのではないかと。
凶悪事件を起こしかねない環境が、世代を経ることに増幅していった結果なのではないかと…。
過去の歴史をみても、カルトが永久にカルトでいつづけた歴史はない。
犯罪的なものは、社会との軋轢が増して、淘汰されるし。
淘汰されないよう工夫すると、カルトでない普通の宗教へ進化する。
“彼ら”は進化の過程かもしれない、が、今現在の実情は、間違いなくカルトであり、殺人をも肯定する犯罪集団だ。僕は脱出をとにかく君に勧めます。
何がいけないのか?誰が悪いのか?
脱出して距離をとってからじっくり考えればいい。
その中にいる限り、永久に答えは出せないから。
今でも君を待っています、負けないでほしい、がんばれ!
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〔12月8日分の記述〕
今日は本当は2015年5月5日です。
明日は早番なので朝6時45分ごろから7時くらいにコンビニによってから仕事場へ向います。
Fさん、どうも、最近、悪役にされているようです。
後輩をいじめている的なかんじにされているらしい。
…これは、いままでなかったパターンだよな、と思う。
こういう時は僕の考えはこうです。
迷った時は、原点回帰。
Fさんが負けないでがんばっているのに、この程度のことで弱音をはくわけにはいかない。
いままでと何も変わらないと思えば、たいした事はありません。(←強がりです(笑い))
まあ、幸い空気が読めないほうです。マイペースでいこうと思います。
今でも待っています。Fさんが負けないでいるならば、僕もがんばれます。
負けないでほしい、がんばれ!
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〔12月9日分の記述〕
今日は本当は2015年5月5日です。
明日は早番なので朝6時45分ごろから7時くらいにコンビニによってから仕事場へ向います。
Fさん、仕事上の課題を、この場を借りて整理してもいいかな?
①まず消火器の件。施設内の全部の消火器を入れ替えないといけない。
②それから災害想定の防災訓練を実施する仕事がある。
③利用者さんの誕生日の仕切りもある。プレゼントとケーキと、お寿司を用意しないと…。
④あと母の日の準備もある。カーネーション買わないと。
いろいろあります。
明日あたり、カーネーションなんとかして、誕生日の計画書つくらないといけないかな…。
Fさん、今でも待っています。
Fさんが負けないでいるならば、僕もがんばれます。
負けないでほしい、がんばれ!
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〔12月10日分の記述〕
今日は本当は2015年5月5日です。
明日は早番なので朝6時45分ごろから7時くらいにコンビニによってから仕事場へ向います。
「トレス台」を新調しました。
これは漫画やアニメを「描く」際に必須のアイテムで、台自体が発光し、その上にのせた絵を照らす代物です。
2枚絵を重ねたとき、下ノ絵が光で浮き出てくるので、なぞったりすることが出来ます。
使い方はいろいろで、絵を納得いくまで直すのにつかえたり、写真を絵におこすのにも使えるし(これを写真トレースといいます)。
僕の場合は、手書きで書いた絵を、PCに取り込んで、加工し、それを原稿のサイズでプリントアウトして、トレス台でなぞるなどしています。
このトレス台、価格がとても高いです。
安いものを見たことがない。
なぜか皆、国産のものばかりで、メイド・イン・ジャパンばかりだ。
(もし、この分野で、海外製の安いトレス台を売れば、その会社は一人勝ち出来るんでは?と思うほど、高い国産機ばかりの狭い業界の製品だ)
東京時代はお金がなくて、なかなか買えなかった。
やっとの思い出、あ、いや、思いで、A4サイズのトレス台を買って使っていた。
確か…、池袋の世界堂で、6000円近くしたと思う。
しかし、このトレス台、小さいのだ。
同人誌サイズの漫画原稿ならいいが、フルサイズの漫画原稿用紙だと、合わない。
この、合わないトレス台をいままでずっと使い続けてきたわけです。
(国産だからかな?妙に頑丈で、まったく壊れないし、故障もしない。故にお金がある今でも、買い換えようと思わなかったわけです)
でも、作業効率をあげたいと思い、思い切って新調したわけです。
フルサイズの漫画原稿にあっている、A3サイズのトレス台を、ついに、ついに買ってしまいました。
ほぼ1万円する代物。昔は買えなかった…。しかもLEDになっていて進化している。
(以前のトレス台は蛍光灯で、合うサイズの蛍光灯がなくて苦労した記憶がある。今回のはLEDだから、そう簡単に切れたりしない)
今でもちゃんと漫画描いています。
まだ、あきらめたわけじゃないんです。
(でも今は、プロになりたいというよりは、自分の漫画術を極めたいという思いのほうが強いかな…、雑誌投稿はおまけみたいな感覚です)
Fさん、今でも待っています。
Fさんが負けないでいるならば、僕もがんばれると思う…。
負けないで!何があっても!
Fさんなら出来る!がんばれ!
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〔12月11日分の記述〕
今日は本当は2015年5月10日です。
明日は早番なので朝6時45分ごろから7時くらいにコンビニによってから仕事場へ向います。
Fさん、最近思うことを、つれづれなるままに書こうと思います。
最近思うこと。
左目を活用しよう!と思うことです。
以前この小説でも書いたけど、僕は斜視です。
最近、利き目である右目ばかり多用して、左目をあまり使っていない。
故に長時間目を酷使していると、右目ばかりつかれる?かと思いきや逆で、左目がものすごいつかれるのだ。
コントロールされてない左目の筋肉が、使われないが故に左目を変な方向にずっとひっぱり続けるが故、つかれてしまう。
以前は左目も右目もバランスよく使っていたから、こんなことはなかったが、東京時代とちがい、生活スタイルが変わったが故に、目を使うバランスも変わってしまったのだろうと思う。
…こういう時、あえて右目をつぶって、左目だけですごすと、ものすごい楽になる。
特に字を書く時その効果は顕著で、(左目はもともと遠距離は見えないが、近距離なら右目よりもはっきり見える)
左目だけで字を書くと、利き目である右目で字を書くよりも2~3倍は早く字が書けるのだ。
この事実、最近気がつきました。
しかしずっと右目をつぶっていると疲れてしまう。
眼帯がほしいな、と思い、ついさっきネット検索。
すると斜視・弱視の訓練用の眼帯というのを発見。
メガネに付けるもので、片目だけ隠してくれるものだ。布製で、使いまわせる。
(どうやら?本来はこういう眼帯で、小さい頃から仮性斜視の子供は、目を矯正するものらしい。知らなかった)
昔、サトラレというドラマがあった。
本人は気がつかないが、その本人はテレパシーが使えて、自分の本音が周囲にテレパシーで全部伝わってしまうという設定。
差別を避けるため、国はサトラレ保護法というのを作って、本人にその事を伝えてはいけない、とかいう話。
心が筒抜けであることを知らないのは、本人だけ、というドラマだった。
僕の斜視の場合、このドラマのように心が筒抜けになることがある。
好意のある人に対しては、斜視にならない。
逆に嫌いな人の前では、斜視になってしまう。
一概に必ずそうなるわけではない、その時の体調にもよる。
たぶんだけど、Fさんは僕の斜視をあまり見たことがなかったんではないだろうか?
憧れの人の前では、目の神経が集中して、斜視にはならない。
…どうかな、たぶん、Fさんは、僕の目が斜視になっているのほとんど見たことないと思うけど。
こんど会ったとき教えてください。
今でも待っています。負けないでほしい、がんばれ!
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〔12月11日分の記述〕
今日は本当は2015年5月10日です。
明日は早番なので朝6時45分ごろから7時くらいにコンビニによってから仕事場へ向います。
Fさん、最近思うことを、つれづれなるままに書こうと思います。
最近思うこと。
以前、トレス台を新調したことを書いたと思う。
今日はトレス台の使い方を書きたいと思う。
ただ下の絵を写すだけなんだけど、そのままでは、実は飽きてしまう。
同じ絵を何度も描く羽目になるので、飽きてしまうのだ。
飽きると、クオリティーも下がってしまい、最終完成の段階で、質の落ちた絵になってしまう。
以前は気力でなんとかしていた。飽きても我慢して描きつづけたのだ。
しかし絵の質が落ちることは、どうしても避けられなかった。
作業効率も落ちて、完成まで時間がかかる。
僕が漫画家になれなかった主な原因の1つとしてあげても良い。
これを回避する方法が、実はトレス台の使い方にあったのだ。
気がついたのは、最近の話だ。勘を取り戻した、と、書いたことがあったと思うけど、そのあたりだ。
トレス台で絵を写すとき、わざと下の絵の角度を変えるのだ。
すると、同じ絵ではなく違う風景として脳が認識するらしく、飽きた、という感覚が消える。新しい絵として脳が認識するのだ。
新鮮な感覚で挑めるので、速度が落ちない。
ちょっと変えるだけで、物事が新鮮な角度をあらわす、ということらしい。
今の課題は、いかに漫画を仕事をしながら書き続けるかです。
(その課題克服の為に、最近サイクリングがおろそかになっている)
仕事、漫画、サイクリングの3つを同時にこなせるようにするのが、今の課題です。
今でも待っています。負けないでほしい、がんばれ!
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〔12月12日分の記述〕
Fさん、今日は本当は2015年5月12日です。
明日は遅番なので朝9時ごろにコンビニによってから仕事場へ向います。
最近思うこと…。
前々から思っていたこと。
たぶんだけど、うちの看護婦さんのベテランの方のほうは、“彼ら”なのだと思う。
今日も、そう、感じることがあった。
“彼ら”は、こう考えるのだろう。
ターゲットに非難するところがなければ、無理やりにでも作り出して相手を非難しろ、と。
この手の行動をする人は今のところ、職場に2人いる。
そのうちの1人が、この方なのだ。
Fさん、今でも待っています。
Fさんが負けないでいるならば、僕もがんばれると思う…。
負けないで!何があっても!
Fさんなら出来る!がんばれ!
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〔12月13日分の記述〕
Fさん、今日は本当は2015年5月15日です。
明日はたしか…?
早番だったと思う。なので朝9時ごろにコンビニによってから仕事場へ向います。
最近こんな事を思いました。
モバイルバッテリーがあと2ついる、と。
夜間サイクリングにはまっていると、以前書いたと思う。
前回の夜間サイクリングで、転倒事故をして以来、夜間サイクリングはひかえていたのだけど、この間、久しぶりに実行してみました。
やはり、夜間サイクリングは楽しいです。
走りなれたコースが、まるで別のコースのようになる。
以前書いたように、バイクのライトなみに明るいライトがあるので、歩行者や障害物もすぐにわかります。
(…が、しかし、昼間と同じとはいかない。前回はこのライトの性能を過信して、縁石と衝突し、宙を舞う結果となった。たいした怪我もなくすんでよかったのだが、後日背負っていたバックパックにかなりの数の傷を発見。事故当日着ていた衣類にほとんど擦り傷がなかったことを考えると?どうやら地面と一番多くすれたのは背中だったらしい。もしこのバックパックを背負ってなかったら?もっと大怪我していたかもしれません)
このライト、モバイルバッテリーから電気を供給を受ける仕組みだ。
先日の夜間サイクリング中の出来事。
軽快に狩野川沿いを走行していると?
走行中、なんと突然ライトが消えた。
急に真っ暗になり、あわてて停車する。
(もし?カーブだったら?と思うと、背筋が凍ります)
どうやらモバイルバッテリーのバッテリー切れが原因だ。
そういえば、昼間、ケータイに接続していたのを思い出す。
しかし大容量バッテリーがこんなに早く消耗するとは…。
ライトの照明はものすごい明るいが、(当然といえば当然だが)ものすごい電気を食っているらしい。
幸い、自転車ナビ用に別のモバイルバッテリーを持っていたので、そちらを使いライトは復活した。
最近、ケータイでお出かけ転送機能を使い、TVを見る機会も増えて、モバイルバッテリーを頻繁に使う。
使いまわしているうちに、こうしたバッテリー切れの事態も起きてしまうわけだ。
サイクリング用にモバイルバッテリーをあと2つほど買おうと思います。
幸い、今は型落ちしたモデルが安い。
次々に大容量の新型が発売されるので、売れ残った旧型が安いのだ。
電気を食うライトだけど5000mAhで3時間は大丈夫だ。
(以前も書いたけど、仕事に支障が出ない範囲で走るならば、3時間が僕のベストな走行時間です)
なんとか今日も生きています。
Fさんは、おそらく僕が普通に生きることを望んで、現在の運命を受け入れたのだと思う。
結果としては“彼ら”は君を裏切り、君の犠牲もものともせず、その後も僕をいびり続けたわけだけど。
“彼ら”の生活様式は、差別ととても“親和性”がある。
他人を出し抜く優越感を、生活の目的にしているのかもしれない。
僕は“彼ら”の正体に気づけた。しかし多くの被害者は正体不明のなにかに、いびられ続ける恐怖と、生涯戦うことになる。
最近、パトカーを良く見ます。
自宅すぐ前の道までくる。以前はなかったことだ。
昨日も帰宅時、近所ですれちがった。以前はここまで自宅ちかくまで来ることはなかった。
バイアスに変化が生じていると感じます。
以前ほど多くの手駒を使えなくなった指揮官が、数少ない手駒を有効活用して、少しでも成果を上げようとしている印象です。
(これは僕の妄想。こんな組織がこの世にあるはずがありません。こんな子供っぽい集団に所属していられる常識ある大人が、自らの羞恥心に耐えられるはずがないからです。ふつー恥ずかしくてできないよね、洗脳されてるなら別だけど)
Fさん、今でも待っています。
Fさんが負けないでいるならば、僕もがんばれると思う…。
負けないで!何があっても!
Fさんなら出来る!がんばれ!
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〔12月14日分の記述〕
Fさん、今日は本当は2015年5月15日です。
明日はたしか…?
早番だったと思う。なので朝9時ごろにコンビニによってから仕事場へ向います。
こんなニュースをみた。
シャープは中国企業との価格競争に巻き込まれて、体力を消耗した、と。
Fさん、こんな事を思います。
もし、今も戦っているなら?
相手の体力を消耗させる戦略をとるのが、いいのかもしれない。
過去、この小説内で、いろいろ戦うための手段を書いた。
この手段を君なりに実情に合うように工夫し、戦略として「相手」の「精神的な体力」を「削ぐ」よう、実行すればいいのだと思う。
手加減はいらないと思う。相手は手加減して勝てる相手ではない。
Fさん、今でも待っています。
Fさんが負けないでいるならば、僕もがんばれると思う…。
負けないで!何があっても!
Fさんなら出来る!がんばれ!
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〔12月15日分の記述〕
Fさん、今日は本当は2015年5月18日です。
夜勤なので16時ごろにコンビニによってから仕事場へ向う予定です。
…ニュースをみていて、急に心配になる事柄。
いまさらながらなんだけど。
あの時、君は僕にこう言った。
「私、お酒を飲むと記憶を失うの」と。
今は医療知識が多少あるから書くけど、その状態では自力で家に帰るのも困難なはずだ。
普通なことではない。
最近ニュースで、女性に薬をもって捕まった男のことをやっていた。
“彼ら”が薬を使うかはわからないが、この小説内でも書いたが、小学生の時、おそらく“彼ら”のものとおぼしきクリスマス会に参加した際、ジュースやケーキをたべて、急に気持ち悪くなり、自宅へ帰って寝込んだことがあった。
僕が急に体調不良になることは、当時ほとんどない。学校ですら休んだことがなかった人間だ。
“彼ら”から食べ物の類を進められた場合?
警戒するに、越したことはない。
そう、思います。
喫茶店で話し合いをする際も、隙をみてなにか盛られる可能性も否定できない。
“彼ら”は連係プレイの名手ぞろいだ。
考えすぎ?
ならいいんだけど。
でも、どうしてもあの君の言葉。
「私、お酒を飲むと記憶を失うの」
…が、頭に残ります。
Fさん、こんな事を思います。
もし、今も戦っているなら?
相手の体力を消耗させる戦略をとるのが、いいのかもしれない。
過去、この小説内で、いろいろ戦うための手段を書いた。
この手段を君なりに実情に合うように工夫し、戦略として「相手」の「精神的な体力」を「削ぐ」よう、実行すればいいのだと思う。
手加減はいらないと思う。相手は手加減して勝てる相手ではない。
Fさん、今でも待っています。
Fさんが負けないでいるならば、僕もがんばれると思う…。
負けないで!何があっても!
Fさんなら出来る!がんばれ!
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〔12月16日分の記述〕
Fさん、今日は本当は2015年5月18日です。
夜勤なので16時ごろにコンビニによってから仕事場へ向う予定です。
…なので、朝9時の東京株式市場が開く際は、自宅にいました。
市場が開いてから最初の30分が勝負の時間で、今日は1000円ちょっとの利益を出したみたいです。
株式取引、コツがわかってきました。
この間、日経平均が2万円越えした際は、日本の政府系機関がお金をばら撒いたため、いつもとまったく違う値動きで、一時期株価が読めなかったです。
しかし、アメリカの雇用統計の数字が改善されると、いつもと同じ値動きに戻ってきた。
これが何を意味しているか?
僕が常時監視している株は、アメリカの市場の良し悪しにたいして反応しているという事実。
それと同時に「単純移動平均」のグラフの使い方も少しわかってきました。
これがわかると、売り買いのタイミングが多少わかる。
地合いがいいときは、僕ですら売り買いのタイミングがつかめます。
今は200株も買ってしまうと、簡単に買い付け限度額を超えてしまうので、あまり大きく買えない。
そろそろ、貯金の多くを投資に回そうかな?とか思います。すこし自信がつきました。
毎日、朝9時にPCの前にいられるなら?今の投資額でもコツコツ利益を積み重ねられるけど、仕事をしているので、そうもいかない。
増資して一度での利益を多くしないと。
(100株買って1000円くらいの利益が出せる。10倍の資金があれば10000円の利益になるわけです。しかし10倍はむり、けど5倍までなら資金を増やせます)
今でも待っています。負けないでほしい、がんばれ!
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〔12月16日分の記述〕
Fさんへ。
最近思うこと…。
株の値上がり?最近ニュースで話題になっている。
事実だけを書くと?
この間は朝の15分だけで4800円儲けた。
これを毎朝できればいいのだけど、仕事の関係でなかなかそうもいかない。
あせってもっと大きく儲けようとすれば、痛い目をみそうだし、かといって、こんなもんか、とあきらめるのもなんか違う気がする。
欲をかくといけないのはわかっているが、これほど市場が沸き立っているときに、なにもしないのも歯がゆいです。
朝の市場があいた15分から30分が勝負なのはわかってきた。
もうすこしリスクをとって、利幅の大きなものを買えばいいのだろうが、まだ迷いがあります。
今月は一進一退で、過去儲けた10万の利益を維持するのが手一杯な感じです(つまりマイナスにはなっていない)。
時間がほしいです。
最近、すごく、いそがしい。
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〔12月17日分の記述〕
Fさんへ。
最近思うこと…。
そう、最近、すごく、いそがしい。
時間が全然ないです。
自分の時間がなかなか作れない。
転職も頭をよぎります。
時間がないと、ストレスもたまって、職場の人間関係もギクシャクしてしまいます。
気に入っている仕事なんだけど、なんだか、うまく回っていきません。
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〔12月18日分の記述〕
Fさんへ。
最近思うこと…。
静岡に「ライザップ」があることを発見。
すごく興味があります。
ネット記事でライザップのビジネスモデルについて書かれていた。
他のジムでは、やせない程度に運動してもらい、長くお金を落としてもらうのに対して、ライザップは短期でやせてもらうビジネスモデルで急成長した、と。
他のジムでは豪華設備で客を呼び込むが、ライザップは最低限の設備だけで済むので、コストがかからない。
土地代も、小さなビルの小スペースで済むので、格安で済むと。
それで高級ジムを謳ってお金をとるから、利益率がとても高く、故にTVのCMに巨費をつぎ込めるというのだ。
人生で一度もやせた経験がない…。リバウンドしてもいいから、一度でいいからやせてみたい僕としては、興味はあります。
(幸い、いまはお金もあるし)
でも時間がない!忙しすぎる!
本気で転職考えようかとも思ってしまいます。
転職理由が「ライザップしたい」とかだったら、おこられるかな?
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〔12月19日分の記述〕
Fさんへ。
最近思うこと…。
最近、山の本を買いました。静岡県内のことが書かれています。
「IZU 伊豆半島ジオパークトレッキングガイド」と書かれていて、面白そうです。
こんな事も、想像します。
まずは「徒歩」で、こういうコースを歩いてみて、大丈夫そうなら?MTB(山用自転車)でコースを走ってみよう、と。
MTBを買ったことは、前に書いたよね。
時間がないこともあり、まだ、本格的に山へは行っていない。
しかし乗らないのもまずいので、慣らし運転もかねて、近所を時々走っています。
走っていて思うことは?
このMTBは、でこぼこした下りの山道で、一番楽しめそうだ、ということ。
想い、あ、いや、鉄製のフレームなので、がっしりしていて、でこぼこ道も安定して下れそうだ。
ロードバイクの場合は、距離を大切にする?というか僕個人はそう考えている。
何キロ走ったか?が重要な目安だ。
でもMTBの場合は、走行距離ではないのかもしれない、と試し乗りをしれいて思った。
スキーのように、同じコースをなんども下って楽しむほうが、正解かも?と感じるのだ。
(あくまで僕の現在の考えです)
そのためにはコースを下見しないと楽しめない…。
「IZU 伊豆半島ジオパークトレッキングガイド」には伊豆各地のハイキングコースが書かれている。
時間をみつけて、MTBの下見もかねて、ハイキングに行ってみようかとも、思わなくもない。
最近キャンプにも興味がなくはない、山まで行って、簡単な料理を作って食べるもの悪くないと思う。
(幸い、料理は職場でかなりやってるから、そのへんの男よりは上手いとおもいます)
この本には、僕が以前行ったとかいた「水神社」も乗っている。ここを起点に愛鷹山への幻想的な写真がいくつかのっている。
本当に写真どおりなのか?行ってみたいです。
たぶん、Fさんにはもう会えないのだと思う。
次の一歩を踏み出してもいいかな?
…でも、時間がないのです。
本当に転職しようかな、ゆれるこのごろです。
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〔12月20日分の記述〕
Fさんへ。
今日は本当は2015年6月12日です。
今日は早番なので6時45分ごろ家をでて、仕事場へ向います。
渋滞にはまるとやっかいなので、いつものコンビニにはよれないのです。
13日は遅番だからいつものコンビニによるつもりです…。
最近思うこと。
山用の自転車を買った話をしたと思う。
実際にまだ山には行ってない。
まだ試し乗り程度に街中を走る程度です。
ためし乗りをしていて、なんとなく、こう、違和感があった。
うまく説明できない違和感。
で、ネットで調べてみたわけです。
すると?こんな事実にぶちあたった。
山用自転車(=MTB)の愛用者の中には、普段使い用のMTBを持つ人もいる。
そうした人は、MTBのごつごつとしたタイヤを、街中でもスムーズに走れるよう、平らなタイヤに変えて乗るのだという。
最近ではそういう乗り方をする人が増えたため、最初からスムーズに走れるタイヤを履いた、街乗り専用MTBというのもあるらしい。
で、だ。ここで重要な情報に遭遇する。
僕が買った「ジャイアント スナップ」という自転車は、まさにこの街乗りMTBに該当するモデルだというのだ。
MTBのフレームにスリックタイヤを履かせたモデルだというのだ。
本来のMTBはブロックタイヤというごつごつしたタイヤを履いている。
ノーマルのままの今の自転車で、山へ入るのは、パンクの危険があるということがわかった。
そう、間違えて買ったのだ。痛恨のミスです。
そもそも当初ほしかった「ビアンキ」のMTBが足が届かなくて、しかたなく買った自転車。
見た目がMTBだから疑いもしなかったが、下調べが足りなかった。
かなーりへこんだけど、さらにいろいろ調べてゆくと、いろいろわかってくる。
結論から先に書くならば、タイヤを交換すればいいのだ。
「ジャイアント スナップ」は本格的なMTBに街乗りタイヤをはかせた「変り種」自転車らしい。
こんなことするユーザーはいないと思うが、この「スナップ」のスリックタイヤをブロックタイヤに替えてしまえばいいのだ、たぶん。
一時はもう一台正式なMTBを買おうかとも思ったが、さすがにもったいない。
せっかく縁あって買った「ジャイアント スナップ」だから、これをブロックタイヤ仕様にしてみようと思う。
知ってる人が見たら、変わった事をやってるなと思うだろうが、知ったことではない。楽しんだ者勝ちです。
「ジャイアント スナップ」をネットで調べると、どのユーザーも、その「安定感」を絶賛する。
がっちりと組んだフレームは多少の衝撃にもびくともしない。ものすごい安定感です。
ああ、おなじ感想を持つんだな…、と妙に納得したりしました。
Fさん、今でも戦っていると信じています。
君はなにもまちがっていない。
僕が保障します。
今でも待っています。負けないで!、がんばれ!
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〔12月21日分の記述〕
Fさんへ。
今日は本当は2015年6月17日です。
今日は早番なので6時45分ごろ家をでて、仕事場へ向います。
渋滞にはまるとやっかいなので、いつものコンビニにはよれないのです。
今日は用があり熱海へ行って来ました。
結構遠いかと思いきや、わりあいに近いと感じた。
そして坂がすごいことに驚く。
車がひっくり返るんじゃないか?と思うような道がほとんどで、ありえないくらいの坂町だった。
あの街では、オートマの低速ギアは必須の装備だ。あれがないと車が壊れてしまう。
普段、低速ギアなんて、何のためにあるんだ?と思っていたが、熱海にきてこう思った。
「ああ、低速ギアは熱海みたいな町のためにあるんだな」と。
印象的な記憶は、海岸の見える喫茶店に入ったときのことだ。
店員の女性が、手があけばずっと海をみていることだ。
すみっこで見るのではなく、店の真ん中で堂々と外を見ている。
すごく変だが、印象的だった。
用事が済んだ後、折りたたみ自転車ですこし熱海の海岸を流してみた。
わりあい良い感じの街とおもうが、本当に平地が少ない。
海岸沿いのわずかな部分をのぞけば、坂ばかりだ。
江戸時代は「秘境」と言われていたのもうなずけます。
(なにかの番組で、江戸時代はいい温泉があるため、険しい道のりを越えて客が集まったみたいな話を聞いた記憶がある)
最近は熱海も人気スポットときいていたのだけど、シーズンオフなのか?人はまばらだ。
町全体もシャッターが閉まっているところが目立つし、建物の老朽化もかなり目立つ。
今日の行ってみた意義としては、一度来てみたかった。次来るときの参考になるかな?程度な感じです。
サイクリング向きの場所とは思わなかったが、開拓してゆけばいいコースが見つかるかもしれない、そんな予感のする町でした。
帰り道、映画「華麗なるギャッツビー」を聞きながら帰った。
前々から見たかった映画だが、なかなか機会がなかった。
途中からどんどん面白くなる。
ギャッツビーは5年前人生を大きく変える「恋」をした。
身分違いの恋を成就させようと、必死に社会で成功しようとするギャッツビー。
5年ぶりの再会のシーンは久しぶりに映画を見て笑ってしまった。あんなに面白いシーンはひさしぶりだ。
…ハリウッド作品は、身分違いの恋の話は、悲恋で終わることが多い。
「冬のソナタ」のように、再会しハッピーエンドというのは、見た記憶がない。
印象的な記憶は「彼女に求めすぎるな!」というセリフだ。
そういわれ、言葉がのみこめない、レオナルド・デカプリオ演じるギャッツビー。
…でもこの言葉の意味はこうだ。
再会して、仲良くなったんだから、それ以上求めるな、というものだった。
どうなのだろう…。わからない。
しかし、こうも思う。
“彼ら”は間違いなく危険なカルトだ。自分たちの利益の調整に相容れないものがあれば、どんなものでも踏みにじってもかまわないと考える究極の犯罪集団だ。
最近も変なニュースを見る。
隣人へのいやがらせのおばさんのニュースもみた。
あれも、“彼ら”の被害者なのだろうか?
自分を攻撃する相手の正体もつかめず、責められ続けた結果があの映像だと思うと、なにやらぞっとします。
映画「華麗なるギャッツビー」のヒロインは、事をいぞぐギャッツビーについていけず、壊れてしまった。
僕は信じています。Fさんは強い人です。芯の強い、頑固でもあり、やさしく、強い女性です。
その反面、とてももろい部分も持っている。
先のことはわからない。
でも、待つと決めたのだから、まとうと思います。
結果がどうなるかはわからない。しかし、君が君らしくいられる結果に繋がるのであれば、せめてもの救いです。
いつかの奇跡を信じて。再会を祈ります。
負けないでほしい、がんばれ!
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〔12月22日分の記述〕
Fさんへ。
今日は本当は2015年6月27日です。
明日はたぶん…、遅番。
なので明日午前9時ごろ家をでて、いつもの「あの」コンビニによってから仕事場へ向います。
最近思うこと。
夜勤明けの時間の使い方についてだ。
結論を先に書くと?時間の使い方を「変えた」、です。
変える前の時間の使い方とは?
最近「圧着靴下」を使用し始めてから、夜勤明け「意識」が「飛ぶ」ほどの眠気に襲われることはなくなりました。
(たぶん足のむくみがある程度改善された結果だろう、むくみがあると、足に血が集中してしまい、頭が貧血状態になる)
(たぶん心臓が悪いためだろうか…?以前、入院した際、心臓と肝臓がやられてしまったことがあるが、関連があるのだろうか…)
おかげで夜勤明けでも、無理をすれば夕方まで仕事をできるようになった。
で、これはいい!と夜勤明け何回か粘って仕事をしてみた。
(通常の仕事以外に、イレギュラーな仕事があるからだ。特に僕は計画作成をしていたりする)
たしかに眠くならない。24時間働けなくはない。
(実際、24時間を何回か働いたこともあった)
…なぜにそんな無謀なことをあうるのか?
理由は明白で、休日をつぶしたくないのだ。
通常は、休日にでてきて、こうした仕事をするらしい…、他の人は。
しかし僕はそれができないのだ。
なぜならば?一度完全に気持ちをリセットしないと漫画がかけないからだ。
休日せっかく気持ちをリセットしたのに、休日の途中で仕事をしたら、またリセットのしなおしになる。
そんな事をしたら?ちっとも気持ちが切り替わらないので、休日の意味がない。故に、何が何でも休日を守るために無茶をするわけです。
しかしこの残業方法は翌日にひびく。
24時間近く働くと、翌日の休日、午前中まったく体がうごかないのだ。リセットどころではない。
…で、時間の使い方をかえたわけです。
夜勤明け、残業せずに、早々に切り上げます。(もちろん仕事は残っているけど、無視します)
「原」まで車移動し、海岸へ車をよせる。
昼食は途中で買った弁当を車内で食べて、そのまま仮眠。
車は海岸の木陰に入れてあるので、あまり暑くならない。
海を見ながらの仮眠は、理屈は不明だが、気持ちいいのです。疲れが取れます。
時折目がさめたら、音楽を聴いたり、映画をみたりします。いいヘッドフォンを積んでいます。
(最近は、PS3をここでやりたいと思うようになりました。貴重な休日をつかってゲームをするのもばかばかしいと感じたわけです。やるなら?仕事明け、仮眠中のこのときがいいよなと思ったわけです。
そこで、中古のヘッドマウントディスプレイを注文してしまいました。車載の電源を使えば、車内でPS3が出来ます。(ついでいうとそのPS3を車載しているHDDにつなげば、映画も見れる))
ある程度、仮眠が終われば、体も動かせるようになる。
最近の傾向だと夕方くらいには、眠気もとれて体が動かせます。
車外へでて海を眺めます。理屈のほどは不明ですが、海をみていると癒されます。
昔、大好きだった女の子がこんな事を言っていたのを思い出す。
「私、電車がすきなの」と。
今にして思うと、あれは、電車が好きなのではなく、自分をとりまくしがらみから、異世界へ開放してくれる「手段」として電車が好きだったのかもしれない、そう、思います。
さしずめ、夜勤明け、仮眠終わりに、海を見て気持ちが癒されるがごとく、当時の彼女も、電車に乗り、遠くへ行くことで気持ちが癒されたのではないだろうかと…。
彼女はときおり、学校をエスケープして神社ですごすと言っていた。
自分に脅威を与えるなにかから開放される時間が、当時の彼女には必要だったのだろう…、そう、感じます。
Fさん。どうなのかな…、あたらずしも遠からずだと思うんだけど。
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〔12月23日分の記述〕
Fさんへ。
今日は本当は2015年6月27日です。
明日はたぶん…、遅番。
なので明日午前9時ごろ家をでて、いつもの「あの」コンビニによってから仕事場へ向います。
最近思うこと。
夜勤明けの時間の使い方についての続きです。
海を見ていると何かをしたくなる。
とりあえずラジコンをだして浜辺を走らせてみる。
以前書いたと思うけど、浜辺でラジコンを走らせる夢をかなえるために、かなり苦労した。
ようやく手に入れた本格的なラジコンなんだけど、どーも最近調子が悪い。
明らかに性能が落ちている。
海岸で酷使したのに、ろくに手入れもせず袋に入れていたのがわるかった。サビがでてきたのだ。
しかし、分解修理している時間などない。とりあえずクレ556でも吹いて簡単な対策をしてみた。
(まあ、実はもう一台、組み立て途中のラジコンがある。これがだめになったら、そちらを完成させて、今度はちゃんとサビ対策をすればいい)
一通り走らせ満足すると、今度は楽器がやりたくなる。
トロンボーンをとりだす。
海岸で演奏するのは、異世界の風景のようで、嫌いではありません。
以前書いたとおり、今使っているのはプラスティック製トロンボーン。音悪いです。
ずいぶん練習したけど、いまだにいい音が出ない。
頭にきたので、実はあたらしいトロンボーンを買ってしまいました。
鉄製のちゃんとしたやつ、しかも高校時代と同じテナーバストロンボーン。ちゃんとバルブがついています。
今日、ついさっき到着し、早速吹いてみた。
結論。僕は下手になっていない。楽器が悪かったんだと納得。
ちゃんとした音が出ます。やはり、あのプラステッィク製トロンボーンは無理がある。音悪すぎです。
久々にちゃんとしたトロンボーンをふいて納得しました。
今度こそ、「キセキ」を最後まで演奏したいと思います。
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〔12月24日分の記述〕
Fさんへ。
今日は本当は2015年6月27日です。
明日はたぶん…、遅番。
なので明日午前9時ごろ家をでて、いつもの「あの」コンビニによってから仕事場へ向います。
最近思うこと。
夜勤明けの時間の使い方についての続きです。
海岸で演奏を終え、日が暮れ始めた頃、ざぶーんへ移動。夕食をとってから温泉に入る。
サウナも終えて、時間は午後8時か9時になっている。
…で、ここから自宅へは帰らず、仕事はへ直行。のこった仕事を片付けるわけです。
残っているのは書類仕事なので、遅くに行っても問題なしです。
ケアプランに関して言うと?単純な内容なら2~3時間。込み入った内容でも4時間もあれば作れる。
夜勤明けの眠い脳みそでは限界があるが、海岸で仮眠し、海で遊んでから、温泉にはいった状態でなら、無理なくこなせる仕事です。
ちゃんといったん休憩したから、翌日も多少は影響あるものの、なんとか動けます。
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〔12月25日分の記述〕
Fさんへ。
今日は本当は2015年6月27日です。
明日はたぶん…、遅番。
なので明日午前9時ごろ家をでて、いつもの「あの」コンビニによってから仕事場へ向います。
最近思うこと。
夜勤明けの時間の使い方についての続きです。
人間、リフレッシュする時間は必要なんだと感じました。どんな場合も無茶はいけない。
Fさんが今でも当時と同じように感じる人ならば、たぶん、今でも、君なりのリフレッシュ法を持っているのだろう。
どんな方法かはまったくわからないが、たぶん、僕の意表をつくものではないのかなと、勝手ながら思ったりもします。
当時の君は、自分のそうした大切な時間は、ごくごく親しい人にしか明かさなかった。そんな気がします。
だれにも邪魔されたくない時間というのは、あっていいものだと思います。
海岸でも“彼ら”とおぼしき連中を、見ないこともない。
しかし、そういう時は、こう思えばいいのです。
知ったことか、と。
…もし、この先再会できたならば。
以前も書いた繰り返しになるけど。
よくやったねと、君を抱きしめて頭をなでてあげたい。
人のために尽くそうと懸命に努力したんだから、ほめられないのは酷な事だ。
おかしのは、君をだまして、まちがった努力をさせた連中だ。
洗脳は人を狂わし、おかしな世界を生み出す。
でも努力した心そのものは、ほめられていいと思う。
そんな感覚、君にとどけたいです。たくさん休んで、前を向く力を回復させればいいんです。
君が今も戦っているという前提で書きます。
負けないでほしい、がんばれ!
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〔12月26日分の記述〕
Fさんへ。
今日は本当は2015年6月27日です。
明日はたぶん…、遅番。
なので明日午前9時ごろ家をでて、いつもの「あの」コンビニによってから仕事場へ向います。
最近思うこと。
最近「山賊ダイアリー」という漫画を読んでいます。
この漫画を最初に知ったのは、偶然コンビニで連載第一回を読んだときだ。
しかし、なんに雑誌だか思い出せなくて、そのまま忘れていたりしました。
最近になり、加藤浩二がTVでこの漫画読んでいる、と発言した。
たしか「がっちりマンデー」という番組の、儲かる書店特集の時だ。
カリスマ書店員が加藤浩二に何を進める?というので、猟師の本をもってきたのだ。
で、先の発言、いま「山賊ダイアリー」を読んでいる、知ってたんですか?と発言したのだ。
これを見て、ああ、この漫画まだやっていたんだ、と思い、アマゾンで検索。
全巻一気買いして読んだわけです。
全巻一気買いなんて「海街ダイアリー」という漫画を買って以来です。
絵は正直うまくない。
うまいのにあえて「そういう画風」でやっているのか?それとももともと下手なのかは不明だが、画質には安定感がある。
あえての下手な画風のおかげで、獲った獲物の解体シーンも、描写的に読める絵になっています。
なぜこの話を?と思うだろうか、Fさん。
…2008年に真実に気がつき地元へ帰ってきた僕が気になったのは、自宅周辺の騒音のひどさだった。
2015年現在、2分に一回地鳴り系の音を出す車が来るなんて事はなくなった。
夜中0時過ぎに、15分おきに電飾のついたうるさい車がやってくるなんてこともなくなった。
当時毎晩来ていた大型バイクもみなくなった。
毎晩、裏手の“彼ら”のポスターをはった家に、うるさい車にのった訪問者が、本当に毎晩きていたが、もうそういうことも今はない。
左手が義手の郵便局員もみなくなった。彼の運転は騒音を出す技術に長けていて、すごくうるさかったし、僕が2人の思い出の神社に行ったときなど、先回りして神社で座り込んで休憩していたりもした。
あの義手の郵便局員も、最近は見ない。
2008年当時、「バン」「バン」という地鳴り系の音が何度もした。
この音は、僕が子供の頃から聞いていた音なのだが、何の音なのか誰に聞いてもわからなかった。
いつも遠くできこえるのだ。時々。
子供の頃のそれは小さく聞こえただけなのだが、2008年当時、まるで2軒となりで鳴らしているかのごとく、ものすごい近い距離で聞こえた。
明らかに音源が近い。
しかしどこから出ているのかわからない。
誰かが言っていた、あれはイノシシを脅かすものだ、とか。しかし、真相は不明だった。
「山賊ダイアリー」の主人公は実生活を漫画にしている。実話なのだ。
主人公の持つ銃は空気銃だ。
空気銃といってもおもちゃではなく、実際に殺傷能力をもつものだ。
何回か銃に内蔵されているポンプで空気を圧縮し、発砲するものらしい。
鳥とか狐くらいなら、十分狩る事が出来ると描かれている。
読んでいて「こう」思った。
あの「バン」「バン」という音の正体は、この空気銃なんじゃないかと…。
いつも2回ほど連続で鳴る。詳しくはないが、連装式の空気銃ということだろうか…?
子供の頃、遠くでいつも聞こえた、というのは、山の中で発砲していたからなのだろうか?
(そう思って思い返してみると、「山賊ダイアリー」に描かれている狩猟シーズンと、子供の頃から聞いていた音のする時期は、重なるようなきさえしてくる)
近辺でだれか銃砲許可書をもっているのだろうか?
これは仮定の話。仮説です。
もし“彼ら”が、こうした銃を持つ人物に、影響力を行使できるならば?
2008年当時、帰郷したばかりの僕の近所で、空気銃の空砲を毎日鳴らすよう、仕向けることも、無くはないのだろうか?
真相は不明です。
しかし、あの「バン」「バン」という音。
空気銃の空撃ちなら、納得します。たしかに、そういう音でした。
仮に事実なら?すっきりします。謎がとけたから。
あと騒音に関しての残ったのぞは、地面を叩きつけるような大きな音と振動の正体だ。
最近はまったくしない。
しかし2008年当時は、先に書いた「バン」「バン」という音同様、「ドスーン」「ドスーン」という音も、地鳴りとともによくしました。最近は聞かない。
この「ドスーン」も2008年当時、妙に音源が近いと感じた。
1度など、家全体がびりびりと振動したほどだ。何事かとうちの父親までさわぐ始末だったから、気のせいではない。
そのうち、この「ドスーン」についても、納得いく仮説がでるだろうか…。
2015年現在、静かです。
もし、君が何かしらがんばった成果が、ここに現れているのだとしたら?
僕はなんと君にお詫びをしたらいいのだろうか?
ともかく、がんばって生きようと思います。
君が負けないようがんばっているのならば、僕が負けるわけにはいきません。
Fさん、負けないでほしい。がんばれ。君は1人ではもうありません。
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〔12月27日分の記述〕
Fさんへ。
今日は本当は2015年7月5日です。
こう感じました。
先日、パンパンという音は、空気銃では?と書いた。
すごいリアクションがある。
仮説が正解に近いのか?ものすごいリアクションが返ってくる。
…ああ、もしかして、まだ“彼ら”はこの小説を読んでいるんだな、とか思ったりします。
Fさんにも届いているのだろうか?
手紙でいいから、近況をきけたらうれしいです。
そんな妄想をいだく、今日この頃です。
いつかの奇跡を信じて、負けないでほしい。がんばれ!
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〔12月28日分の記述〕
Fさんへ。
今日は本当は2015年7月7日です。
夜勤になるので、午後4時くらいに家を出て、コンビニによってから仕事場へ向います。
翌日の夜勤明けはフロアー会議なので、翌日正午くらいまで仕事です。
世間では、ギリシャ危機と言われていますが、あまりあわてていません。
なぜなら?日本が金融緩和をしていて、かつ、アメリカがリフレーションの波に上手に乗りつつある現在。
この基本条件が覆らない限り、世界全体として経済が回復傾向なのは、揺るがないからです。
騒いでいるのは、短期で利益を稼いでいる人たち。
相場がいつもと違う動きをするので、利ざやの稼ぎ方がいつもと変わってしまうため、あわてているのだ。
…しかし、たしかに最近は僕個人としては、投資成績が芳しくありません、
たしかに、読みにくい?とシロート投資家ながらに思います。
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〔12月29日分の記述〕
Fさんへ。
今日は本当は2015年7月7日です。
夜勤になるので、午後4時くらいに家を出て、コンビニによってから仕事場へ向います。
翌日の夜勤明けはフロアー会議なので、翌日正午くらいまで仕事です。
まあ、そんなことよりも重要なのは!「雨」です!!
このところ奇跡の偶然というか…、なぜか休みになると毎回天気が雨という奇跡の雨男ぶりを発揮している僕です。
くる休みくる休みがいつも雨で、ろくろくサイクリングをしていない。
このままでは体がなまってしまう!という猛烈な危機感が頭の中でうごめき、こう、決意した。
次の休みは雨が降ろうとなんであろうと、サイクリングをするぞ!と。
…で、先日実行したわけです。
当日、やはりというか、なんというか、休日は雨でした。
しかし雨量はたいしたことない。小雨という感じだ。
一応ネットでその日の雨雲レーダーを確認し、豪雨にならないことを確認。
出発は自宅からにした、帰宅後すぐにシャワーを浴びられるからだ。
自宅発となるとコースは限られてくる。
ここはほぼホームコースといっていい狩野川沿いのコースをめざした。
本来なら河口からスタートしたいが、自宅からではそうも行かない、自宅からでは柿田川との合流地点あたりをめざすのが距離的にベストだ。
この日、小雨のなか、「ルイガノ」にのりサイクリングスタート。
雨のなかのサイクリング、なかなかにいいです。
レインウエアは以前から用意していた、しかしこれは偶発的な雨にそなえたもので、今回のように積極的に雨に打たれようとするのは初めてだ。
ロードバイクには泥除けがない。しかしかまわないとおもった。レインウエアをきているのだから、泥だらけになってもかまわない。
結果的に言うと、楽しかった。
あまりに楽しく、いつもだったら修善寺の城山あたりで引き返すのに、その先の赤い橋のところまで行ってしまった。
この赤い橋…、はじめてサイクリングを始める際、本で読んだときは、橋の下をくぐれると書いてあったが、くぐれなくて残念におもったことがあった。
でも、この日、雨にうたれていつもと違う気持ちになったのか?本当にくぐれないのか?と思い、橋の下寸前のところまで行ってみた。
一見するとわからない…、しかし、道はそこにあった。
地図にも書けない様な道。いや、道と呼ぶにはふさわしくない、メンテナンス用通路のようなものが。
人が一人通るぎりぎりのサイズで、しかしかろうじて自転車同伴で歩ける広さだ。
階段があり、誰かが段差に土嚢を積んでいる。これを使えば自転車を引いて通路を渡りやすい。
このメンテナンス通路のようなものの先に何があるのか?
道が続いていた。
狩野川沿いにその先も道が続いている。
一年以上、ホームコースのつもりで何度も着ていたが、いつも気づかず折り返していた(もしくは迂回していた)。
その先の道は川の水面にものすごい近い。こんなに水面に近い道ははじめてだ。
さらにすすむと支流に入る。
そのさきには小さな赤い橋があった。
この小さな赤い橋…、いつもの迂回路だったら?川沿いからはなれてしばらく街中を走らないと到達できない橋だ。
短い距離ショートカットしてこの橋まで来れたのがなんだかうれしい。ここまでこれたら、あともう一ふん張りすれば?狩野川源流までいくのも不可能ではない。
この日はここで引き返した。
ひさしびりのサイクリングで無理は禁物だし、準備の不備で自転車ナビがバッテリー切れになっていたのだ。
この先は道に不案内なのでナビがないと道に迷う可能性がある。
…この日はもう一つ発見があった。
ハンドルの使い方に関する新発見だ。
最近読んだ本にこうあった。
素人ほど、サドルの位置がハンドルよりひくく、上達するにつれ、サドルはハンドルよりも高い位置になる、と。
僕のロードバイク「ルイガノCEN」は自転車屋で購入したときのまま、ハンドルとサドルはほぼ同じ高さだ。
で、こう、思った。
ドロップハンドルの下の部分を持てば、サドルより低い位置にハンドルがあることになる。
猛スピードを出すときくらいしかこの部分握ったことはないが、今回は低速でも意図的に低い部分でハンドリングしてみようか?と。
で、やってみると大発見。
も・の・す・ご・く、楽なのです。
ハンドルが低い位置に来ると、姿勢の関係で、強制的に立ちこぎに近いフォームになる。
そうすると、意識せずに体重をペダルにかけられるので、いつもの半分の脚力でペダルがこげる。
特に、折り返しの帰路で、ものすごく「それ」を実感する。
帰路では足がつかれていて、重いギアは使いづらいのだけど、このフォームだと難なく使える。ものすごい楽です。
途中、足に違和感がでてくる、いつもの筋肉痛だ。いつもならこの段階になると、無理せずエコモードで走行するのだが、このフォームだと無理が利く。
ギアを落とさずそのままはしれるのだ。
こう思った。
なるほど、ドロップハンドルとは、本来こういう風に使うのか!と。
最初にこのハンドルを発案したのが誰かは知らないが、たしかに天才だとおもった。
気がつかないことはまだまだある、自転車、奥が深いです。
この日、こう妄想した。
1年以上ホームコースのつもりで走っていた場所ですら、見落とした道があった。
僕はこういう見落としをよくする方だ…。後々になり気がつき、後悔する。
もしどこかで君に会っても、見落としたりしてしまうのではないだろうか?
そんなことも思ったりするのだ。
特にFさんの性格を考えると、たぶん、君はこんな風に考える。もし僕が自分に気がついたら応じよう、気がつかないようなら、それを受け入れよう、などと、そんな風に考えるのではないかと。
その行動は、Fさんならそうしかねないと、ものすごく思うだけにおそろしい…。もし、見逃していたら?と。
でもこうも思う。
たしかに僕はにぶい人間だ。
しかし永久に気がつかないほど、鈍くはない。
その事実は、証明した事実は、たしかになる。
先の運命はわからない。
君からかけがえのない人生の糧をもらったことで満足すべきなのかもしれない。
それとも、もうすこし欲をだして、再会を夢見てもいいのかもしれない。
ともかく、前をむいて生きていこうと思います。
そんなイメージ、君に、今、届けたいです。
負けないでほしい、がんばれ!
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〔12月30日分の記述〕
Fさんへ。
今日は本当は2015年7月9日です。
最近思うこと…。
株をやっていますが、時間がないので、なかなか上達しない。
できれば一週間くらい集中して取り組みたいところだけど、なかなか休日がとれず、そうもいきません。
しかし、断片的に取引していて、わかってきたこともある。
「トレジャーファクトリー」という銘柄。
とてもハイリスクーハイリターンだ。
しかし、決まるとそれなりに利益が出る。
値段もそれほど高くなく、かつ、取引数もすくないのに、なぜ取引開始早々、こんなに上下するのか?
この銘柄で「遊んでいる」人らがたくさんいるということみたいだ。
だから、この「遊び」にうまく「紛れ込む」ことができれば、利益が出る。
今日は開始早々2~3分でプラス4800円ついた、が欲を出してというか、タイミングを見誤ってマイナスを出してしまった。
だが、今日の下落は、過去のデータをみても下がりすぎだった。
2万近くまでマイナスが出たが、待ってみた。
いくらなんでも下がりすぎだから、絶対反発すると思ったからだ。
運よく、日経平均があがり始め、市場の様相が反転しだした。
マイナス2万から、プラス3800まで回復。欲をださず、ここは素直に決済した。
僕の過去の経験則で考えると、傾向と対策だけに集中して取り組めば、意外と活路が導き出せるというのがある。
大学受験もこれで乗り切った。
仕事も、実際これでやっているようなものだ。
いやーしかし、2万円マイナスになったときは、さすがに冷や汗をかきました。
ちょっと前の自分だったら、あわてて損切りしていた。
少しだけ成長した自分は、過去のチャートをみて、下がりすぎであることに気がつけた。
まだまだ初心者です。
もっと集中して、株の勉強をしたいと思う、今日この頃です。
Fさんこういう話きらいかな…。
まあ、最近はこんな事もしてますっていう近況報告です。
いつか君の近況がきけたら、ほんと、うれしいのだけれど。
いつかの奇跡にかけます。
負けないでほしい、がんばれ!
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朝の6時から10時の仕事の日、僕はかならずコンビニによる。
時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。
たいがい不機嫌そうな顔をしていると思うけど、別に本当に機嫌が悪いわけではありません…たぶん。
(最近は就業後も頻繁によります。時間はまちまちだけど、だいたい16時すぎから21時過ぎ位の間です。仮に再会するなら?就業後のこの時間帯に会った方が、ゆっくり話ができる…)
東○の工場の西側すぐのとこにあるコンビニだ。
あの夏祭りの日、2人で別れたあのT字路のすぐそこにある、当時はなかったコンビニ。
「一週間」も「朝6時から10時」まで、そのコンビニの駐車場にいると、ほぼまちがいなく一度は僕を見るだろう。
(仮にすれ違って、僕が君に気づかなくても、気にせず声をかけてほしい)
もし君が僕の前に姿を現すとしたら?きっと、僕のまったく予想もしないような方法で現れるように思う。とにかく、待とうと決めたのだ。君を待とうと思う。奇跡を信じて。
(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)
〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください