第83話 君が望む限り
〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください
(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)
〔8月2日分の記述〕
Fさんへ。
こんな事も思いました。
“彼ら”の多くは、おそらく無意識のレベルで自分たちの人には言えない活動を「病的だ」と感じていることと思う。
これを口にすることすらタブーかもしれない…。
だから、あえてこの言葉には威力があるかもしれない。
相手に反論する際、「病的よ」という言葉をつけて言うと、相手の心に響くかもしれない。
そんな事も思いました。
悪口の言えないFさんには酷かもしれないけど、言葉の準備ができているのと、そうでないのとでは、違うものです。
負けないでほしい、がんばれ!
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〔8月3日分の記述〕
Fさんへ。
こんな事も思う…。
僕と君には約束事があった。
会う時間は、君が望む限りの時間だ。
この約束事は今でもお互いの約束事として生きていると思う。
長くても、短くとも、この約束事は、今でもお互いのルールだとおもった。
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〔8月4日分の記述〕
Fさんへ。
今日は本当は2014年11月27日です。
事実だけを書こうと思う…。
現在午前11時近く。今日の予定はこのあと病院へインフルエンザの予防接種をうけに行こうと思う。
そのあと箱根のポーラ美術館へ行ってみようと思う。癒されたい気分なのです。
で、くつろいだあと、職場へもどり、その後消防署へ。
そしてまた職場へ行こうかな…、とこんな感じです。
時間の使い方、工夫しないと、と思います。
漫画製作は少しずつだけどやっている。作画中に登場するメカのデザインが決まらず進行が滞っていた。
ワンシーンのみの登場ならテキトーに作画できるが、何シーンか登場し、毎回見える角度がちがうとなると、ちゃんとした設定画がひつようになる。
過去の経験上、各パーツごとに分解してデザインすると、角度がちがう絵を描くとき、楽なことはわかっている。
納得できるデザインをあげるのに幾日か使ってしまった。
時間の使い方を、工夫しないと、本当にいけないようです。
仕事上のことでも、月末までにしあげないといけない事がいくつかあります。
こちらも、時間の使い方を、工夫しないと…。
Fさん、君はいまどうすごしていますか?
僕と君には約束事があった。
会う時間は、君が望む限りの時間だ。
この約束事は今でもお互いの約束事として生きていると思う。
長くても、短くとも、この約束事は、今でもお互いのルールだとおもった。
君の都合のいい時間と、僕の都合のいい時間が重なることを信じて。
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〔8月5日分の記述〕
Reマスターキートン第1巻8話「栄光の8人」より。
「初めての戦闘…覚えているかい?」(ボブ)
「忘れられないよ。」(キートン)
「雄雄しく戦った自分を誇りに思うかい?」(ボブ)
「いや…2度と思い出したくないよ。」(キートン)
「俺もだ。人はあれを“我が国固有の領土”のための大儀ある戦争だったという。でも…戦った俺に残ったのは、後悔だけさ。戦争は頭の中の羅針盤を狂わせる。何が善で、何が悪かわからなくする。この30年、俺の頭の中の針はグルグル回ったまま…陸は見えず、いまだ漂流中だ。」(ボブ)
「私が君の島になるよ。その代わり君も私の島になってくれ」(キートン)
「ああ…」(ボブ)
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〔8月6日分の記述〕
最近読んだ本で、こんな話を聞きました。
イギリス人のヘイウッドは、イギリス情報局とつながりのある人物でした。協力者?といった立場が正確かもしれない。
彼は中国でビジネスを展開する民間人で、ハクルート社のコンサルタントを勤めていたこともある経歴があるそうです。
ハクルート社はイギリス情報局とつながりがある企業らしいです。
彼が中国共産党のえらい人の息子を、イギリスの名門校へ入学させる際、世話をしたのが、事の始まりらしいです。
老舗のイギリス情報局は、スパイしたい相手国の子息を自国の名門校に取り込むことで、相手国に深く食い込むという手法をとるという。
中国のえらい人も、差しさわりのない情報提供で、自分の息子がイギリスの名門校を卒業できるならば、ウインウインの関係、というわけなのだろう。
問題が発生したのは、中国バブルの崩壊。
先に書いたヘイウッドは不動産投資に失敗し多額の損失を出す。
投資をすすめた中国のえらい人に損害の補填を求めたことから関係が悪化、息子を人質のようにして迫った結果殺されてしまった?というのだ。
しかしこれは矮小化されたシナリオで、事実はちがうという。
薄熙来は国務院副総理だった父親をもつ太子党(=共産党幹部の子弟一派)の1人だ。
現在の中国政権主流派である共産党青年団出身者(=共青団系一派)とは、権力闘争の関係にある。
薄熙来は部下の王立軍に命じて、通信盗聴をおこなう。
盗聴相手は中国最高指導部。
その盗聴内容をヘイウッドを通じてイギリス「MI6」に流していたというのだ。
薄熙来にしてみれば、政敵の情報を流して得なことしかないという発想だったのだろう。
イギリスに恩を売っておいても損はないと考えていたのかもしれない。
しかしこの情報流出が露見し、中国政府が薄熙来を逮捕するために情報操作した結果が、先に書いた矮小化されたシナリオというのだ。
そもそもヘイウッドの死すら、誰の仕業か怪しいものです。
習近平は薄熙来のライバル。次期国家主席を争う立場でした。
この習近平が盗聴事件を利用して、ライバルを蹴落としたという見方もできるのです。
中国政府は金をめぐるトラブルで息子の身に危険が迫っていると、神経衰弱になった薄熙来の妻が、ヘイウッドを殺した殺人事件という単純な構図に、事件を矮小化して片付けました。
…読んでいてこう思った。
僕も“彼ら”にあることないこといろいろ言われた。
たぶん、今でも、僕と君の事を、単純に矮小化して片付けようとする、悪辣な“彼らの中の一派”がいるものと思います。
そんな連中がいたら?Fさん、こう言ってあげてください。
「矮小化しないと、自分の良心が耐えられないのね。事実をみなさい、目をそらさず、自分たちの組織の悪辣さを自覚しなさい」と。
君が君でいる事は重要なことなのです。負けないでほしい、がんばれ!
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〔8月7日分の記述〕
最近こんな事も思う。
今年の流行語大賞に「ありのままで」があがったとか聞きました。
しかし、皆が皆ありのままの自分でいたら?社会が大混乱する、みたいな幼稚な話。
あれは、間違っていると思う。
僕は何度も書いた。
君が君らしくいることは重要だ、と。
その意味はこうです。
君が君らしくいる上で、さらにその上にプラスアルファで協調性を発揮すればいいのだと。
自分を見失った状態での協調性は、隷属を意味する。
カルトの最大の特徴は、人々を知らぬまま、本人も自覚できいないままに、奴隷を増やそうとするところだ。
だからこそ、主体性を破壊し、本人の意思を封じ込めることを賞賛する。
隷属こそすばらしいと説き、幹部はおいしいおもいをすることに精進する。
そんな世界はまちがっていると、声を大にしていいます。
だからこそ、君が君らしくいることは、とてもとても重要なことなのです。
願わくば、その役に立ちたい。そう思うわがままを許してくれるだろうか?
いつかの奇跡を信じます。
負けないでほしい、がんばれ!
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〔8月8日分の記述〕
Fさんへ。今日は本当は2014年12月8日です。
明日は早番の日勤補助なので、朝6時に家をでて、コンビニによってから仕事場へ向かうつもりです。
“彼ら”の影を感じなくなった…。
しかし、完全にきえたわけでもなく、時々「あれ?」と思うこともままあります。
連中は死ぬほどしつこい、わかっていることではあるが、やはりあきれます。
…いまきている連中は、おそらくいままで参加してこなかった人らだと思う。
漠然とした勘です。
見覚えのある車や人という印象はない。
(こういう感覚は、実際に“彼ら”の攻撃を受けた身でないとわからない。)
高校時代、Fさんも周囲をものすごく気にしていた、あれは、やはりそういうことだったのだろうか…。
最近気になったには、「ざぶーん」でみた軽バンを改造したらしいRV仕様の車。
車体のみ軽バンで、シャーシより下へ別物という印象の車、当然エンジンもうるさい。
思うけど、それをそこまで改造する金があるなら、新車のRVを買えばいいのでは?と思う車だ。
あれも“彼ら”なのだろうか?
少し離れたところでアイドリングするというのも“彼ら”の手口だ。
昨日、ざぶーんで仮眠をして車を出すと、しばらく進むとアイドリングをしてとまっている軽バンがいる。
しばらく後ろについて、どくのをまったが一向に動かない。
どうもバックミラーを見ていないようだ。
(一時停車中なら普通気がつく、つまり走る気がなくアイドリングで停車する意図しかドライバーにない?のか、もしくは車内で探し物でもしているかのどちらかだ)
軽くクラクションをならすとようやくどいた。
この日は夜勤明けで、ざぶーんで仮眠後海岸へ移動。初めてラジコンを本格的にやってみた。
海岸につくときれいな夕日で、1~2時間くらいはまだ明るい状態がつづきそうな感じだった。
堤防に車を入れると後方からロードバイクの一群がせまる、邪魔してはわるいと思い加速、時速40キロならどんな達人でも追いつかないだろうと思い加速した。
堤防をおりて海側へ出られるところを降り、ロードバイクの邪魔をせずにすんだ。
途中、堤防で1人すわって夕日をみるきれいな女性をみる。
…一人自分の時間を屋外ですごしているきれいな女性をみると、どうしてもFさんのことを思い出します。
Fさんもよく1人の時間を、屋外ですごす人だった…、そんな印象があるからです。
浜辺にきて、ラジコンをおろす。
以前書いたように、このラジコンは本格的なものだ。おもちゃのトイラジコンとは性能が違う。
砂浜を蹴って疾走する姿はなかなかに爽快です。
浜辺の流木などをぬって操作するのは、なかなかに難しく集中力を要します。
アンテナがないモデルのわりに、けっこう遠くまで操作できる。
このラジコンは初販が20年近く前のモデルなのだが、ところどころ最新技術に更新されているらしく、アンテナがない。
送受信機の性能が、現代の水準のものになっているようなのです。
ラジコンをしていると、親子連れが近くに来る。犬の散歩だ。
子供がこっちをみていう。
「見てるよ」と。気のせいだろうか…。あの夏祭りの日、2人で神社の階段に座っていると、母子づれが来た記憶がダブります。
君もがんばっているのだろうか…、そう思うと僕もあきらめず前へ進めます。
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〔8月9日分の記述〕
Fさんへ。今日は本当は2014年12月8日です。
明日は早番の日勤補助なので、朝6時に家をでて、コンビニによってから仕事場へ向かうつもりです。
現在僕が取り組んでいることは、ケアプラン作りの実績作りだ。
20代~30代は漫画一筋だった。それはそれで個人的には満足しているのだが、周囲はそうはみない。周囲が見るのは僕の実績だ。
せっかくめぐってきた好機。ここでがんばって実績をつまないと、周囲も納得しないだろう。
(この場合の周囲には“彼ら”も含まれる。そればかりではない、君や、君とかかわりのある身近な人々に対してもだ。もちろん、僕の身近にいる人々もはいる)
12月更新のケアプランは完成した。しかし、今回の作業はどちらかというと簡単なものだった。なぜならばたいして変化のない更新だったからだ。
練習としてはちょうどいいが、もっとこみいった内容に直面したら、対処する自信はまだまだありません。
この小説を書いてみつけた発見がある。
僕は物覚えがものすごく悪いのだが、この場に書いた事柄は、なぜだか簡単に頭に入る。
理屈の程は不明意だが、この場を借りて書いた事柄は、忘れにくいのだ。
…というわけで、Fさん。
またこの場をかりて、少し頭の中を整理したいと思う。いいかな?
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〔8月10日分の記述〕
Fさんへ。今日は本当は2014年12月8日です。
明日は早番の日勤補助なので、朝6時に家をでて、コンビニによってから仕事場へ向かうつもりです。
今、やっていることは、「介護保険の申請手続き」だ。
この「介護保険の申請手続き」には3枚の用紙がいる。
①介護保険[要介護・要支援]認定・更新申請書
②訪問調査先確認表(新規・更新・介護・変更)
③介護保険主治医意見書用 問診票
①は基本的に本人が書く仕様になっている。
しかし認知症の場合、当然誰かが代筆するわけで、書類は代筆者がいる前提で書式ができている。
必要事項を記入すれば終わりなのだが、記入する際、現在の介護保険証の「被保険者番号」と「期間」が正確でないといけない。
施設利用者の場合は、利用を開始した年月日も重要になるから、新しく介護保険証を手にした際は、コピーをとり、利用開始年月日を記入するのが望ましい。
(あと、もう一つ記入必須の事項があったけど、忘れました。後日の確認事項です)
②はまた手をつけていない。後日、業務時間外に、前回の記録を見ながら書こうと思います。
(今回は、この「前回の記録」のファイルをさがすのにてこづって、最後までできなかった)
③も手をつけていない。前回の書類を参考にしつつ、改定項目をさがして記入すればいいものと認識しています。
これらを全て記入したら?
①②は行政へ提出する。
③は主治医に提出、今回の場合、施設に定期健診にくるドクターに渡せばいいらしい。
間違っているかもしれないが、現在の僕の認識では?
②をみて、行政の人が訪問し、ご本人の様子をみて、後日①の所見と②の訪問結果、それに③をみた主治医が出した書類を考慮し、保険証が更新されるものと思います。
以上、書面にしてみたら簡単なことなんだけど、実際に実務に反映しようとすると、いろいろと細かいことがあるので、実際にやってみないとわからないことがまだまだ多々あります。
Fさん、僕はまだがんばっています。いつかの奇跡を信じて。
負けないでほしいと願うわがままを、ゆるしてくれるだろうか?
今度会ったとき、聞かせてほしい。あせらず、君だけの答えにたどり着いてほしい。君が君であるためにも。
負けないでほしい、がんばれ!
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〔8月11日分の記述〕
Fさんへ。今日は本当は2014年12月8日です。
明日は早番の日勤補助なので、朝6時に家をでて、コンビニによってから仕事場へ向かうつもりです。
冷静に、こう思う。
昨日、帰宅途中おもった。対向車のライトはみな「黄色」だ。
まぶしくない。
東京から帰って、本気で君に会えるとおもったあの日々、車に乗り、夜間走行をすると、対向車のライトがまぶしくてしょうがなかった。
くる車がみな「白い」ライトでまぶしいのだ。
「白い」ライトの車、たまになら見る。
けど当時は本当に全部の対向車がこれだった…。
“彼ら”は尋常ではないカルトだ。
最近読んだ本にこんなことが書いてあった。
中国のある外交担当者は、日本国内に人脈ネットワークを作っていたという。
この人は事あるごとに、身分を変え、日本に入国、さまざまな人脈をつくっていた。
時に中国の地方公務員、時に中国の外交官、時にまたちがう所属の身分と、露骨に身分をかえてくるので、日本のカウンターインテリジェンス機関に相当する部署にマークされていたという。
彼のやっていたことは、日本の農業関係者に接触して、こう説いて回っていたというのだ。
「やがて中国に食糧難の時代がやってくる、そのときはぜひ日本のお米を輸出してほしい」と。
最終的にどうなったか?というと、外交官の身分で銀行口座をつくって利潤を生み出していた行為が、法律違反として犯罪が成立、当局の捜査がはじまると中国に帰国、二度と日本には戻らなかったという。
彼の目的は、こう推測されている。
日本をアメリカ主導のTPPから引き剥がし、中国が主導する日中韓FTAに巻き込んで、日本とアメリカを引き剥がし、アジアにおける中国の主導的立場を強化しようというものだった?と。
日本の「お米」というアキレス腱を狙ったのも実に巧妙で、自民党の最大の支持母体である農家を中国の味方につけることを意図していた可能性も伺える。
日本の農家を裏で誘導すれば、日本政府の動きもある程度けん制できると計算したのだろうか?
中国のこうした工作をする人は、欧米の工作員のように、家族を人質にしたり、脅迫したりはしない。
贈り物をしたり、便宜を図ったり、あるいは一万円程度の小額の謝礼を払ったりするそうだ。
もらう側も、一万円程度なら、罪悪感も少ないという。
“彼ら”の場合はどうなのだろう?
あの日あの時、君に本気で再会できると思っていたあの日々、車の対向車線にいっせいに現れたあの「白いライト」の軍団は、皆一万円くらいの謝礼で動いていたのだろうか…。
一台一万円だとしたら?たぶん一日で百万円くらい使った計算になる?
10日で一千万?一月で三千万?
この気が遠くなりそうな浪費が、僕の妄想の範囲で納まるならば、いいのだけど。
けど、この仮説を前提に推測すると?3ヶ月で総攻撃がおさまった理屈も成立する。
こんなにお金がかかっては短期間で限界なわけだ。そして、この期間内でターゲットを仕留め切れなかった責任者は、当然責任を追及される?生き残ったターゲット(この場合は僕)を逆恨みする責任者の部下等もいたりするのだろうか?
Fさん、もしこんな類の逆恨みを耳にする機会があったら?
その人には、こう伝えてほしい。
「恨む相手を間違えているわ」と。
誰が悪いかわからないならば?それこそ座禅でもすればいいのではないだろうか?
“彼ら”とは関係のない座禅をおこなっている禅寺はいくらでもある。
お金があるなら?インドへ旅行でもいって、仏教の原点を体感してくればいいのだと思う。
仏教とともに生きてきたプライドがあるならば、その価値はわかるはずだ。
理屈ではない、言葉ではない、感じる行為は、意味があると、僕は信じます。
負けないでほしい、Fさん。前をむきつづけて、がんばれ!
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〔8月12日分の記述〕
Fさんへ。今日は本当は2014年12月12日です。
久しぶりの連休です、激務つづきで丸一日以上寝てしまいました。しかしおかげで回復しました。
明日も休みです。いやあ、自由って素敵です♪
Fさん、デイトレは無理だ、というのが結論です。
何の話か?というと、株の話です。
先日、大幅利益を出した話は書いたと思う。
で、その後、デイトレーディングをやってみようと、挑戦しました。
デイトレーディングとは、その日の地合い(株の動き)を予測して、1日で利益をだす投資方法です。
たとえば、その日の終値で、仮に株を買っておくと?
翌日の始値では200円ちかく高くスタートしたら?その時点でもう利益が出る。
毎日チャートをみていて、そんなことに気がついたので、ものはためしで実行してみた次第です。
何事も、やってみないと、わからない。
しかし、そこは石橋を叩いてわたる主義の僕としては、慎重に行きたい、というか、歯止めをかけておきたい。
だから、デイトレに使う金額は、前回出した利益分を上限とした。
目的は「勉強」であり、利益はおまけと設定したわけです。
やってみたけっか思うことは、思っていた以上に難しい!ということ。
値動きにふりまわされて、冷静な判断がどんどんできなくなってゆく。
予測がいくつも狂うと、ありえない選択をしてしまいがちな自分がいることに気づきます。
途中から、これ以上つづけると収集がつかなくなる、と判断。損を覚悟で切り上げました。
損はしたけど、前回の利益は5万ちかく残っている、勉強としては御の字なのではないだろうか?
今回の教訓は、予測に自信のない場合は、「まめ株」と呼ばれる小口投資で様子をみるのが一番ということ。
一度決めた方針を崩さないでいること、だと思う。
現在は、中期的には平均株価は一度大きく下がると判断している。日銀第二バズーカで上がりすぎた。いずれかならず反動が来ると予測しています。
この方針にのっとって行動するのが、シンプルでいいのだと思う。
以前僕自身こう書いている、投資は釣りに一番似ている、と。ポイントを見定めて、えさをいれて、あとは魚がくるのを景色でも見ながら待つのみです。
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〔8月13日分の記述〕
Fさんへ。今日は本当は2014年12月12日です。
久しぶりの連休です、激務つづきで丸一日以上寝てしまいました。しかしおかげで回復しました。
明日も休みです。いやあ、自由って素敵です♪
Fさん、香港の学生運動、見ていてこんな事を思う。
あの学生たちは、香港返還時、生まれてない。
今のこっている香港の大人たちは、香港返還の際、外国に出ていかず残った人たちなのだ。
この人たちが中国政府に逆らうとは、到底思えない。
なぜならば、中国政府に反感をもつ大人たちは、返還の際、イギリス国籍に切り替えており、いつでもイギリスへ行けるか、もしくはもう移住しているかのどちらかだ。
こんな事も思う…。
“彼ら”も、仏教のお寺とけんか別れしたと聞く。
まともなメンバーはその時点で、組織を離脱したものと推測します。
つまり今残っているのは、もう教祖に逆らう気のない大人たちばかり?ということだろう。
香港の学生運動。内部から変えるのは不可能だ。
ぼくなら脱出を進めます。
逃げた先でどうなるかわからないが、信念があるならば、ぶれない想いがあるならば、どうにかなると信じています。
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〔8月14日分の記述〕
Fさんへ。今日は本当は2014年12月12日です。
久しぶりの連休です、激務つづきで丸一日以上寝てしまいました。しかしおかげで回復しました。
明日も休みです。いやあ、自由って素敵です♪
Fさん、先日、設備投資額の統計上の数値が上昇するのは、景気回復の兆しだ、と書いたと思う。
しかし実際には景気回復はしてなかった。
これは統計データのとり方に問題があるようです。
現在の日本の設備投資額の統計データは、1000万円以上の資本をもつ企業のみを対象にしているらしい。
このデータから得られる設備投資額のデータでは、景気判断の正確性が欠く。
これにかぎらず、日本の政府がだす統計データは、どーも信用度がいまひとつなものが多い。
消費者物価指数も、海外では、値動きの激しい生鮮食料品や、エネルギーコストは、統計に入れないのが常識だが、日本では入れてしまいデータの精度を落としている。
…たぶんだけど、これは日本の経済界が信奉しているマルクス経済学の弊害だと思う。
社会主義的な計画経済では、このような統計データでOKだという発想が、根底にあり、近代のマクロ経済学の必要とするデータをうまく提供できてないのだと思う。
計画経済では大企業のみ政府が関与し、小さな企業はしらないというスタンスをとるからだ。
こんな事も思う。
“彼ら”も自分たちに都合の良いようにデータを操作する。
何が正しく、何が間違っているかは、常に考えていないと、簡単に洗脳させられてしまう環境が、“彼ら”の世界には存在する。
教祖に隷属するのが何が悪い?という人もいるだろう。
Fさん、そういう人がいたら?こう言い返してあげてください。
「お釈迦様は、教祖への隷属を賞賛していないわ」と。
そういって納得しないようならば?こうつづけて言って下さい。
「仏教徒としてまじめに生きてきたプライドがあるなら?教祖とお釈迦様、どちらのほうを向けばいいか、言うまでもないわよね」と。
僕自身、お釈迦様に関しては、手塚治の「ブッタ」でしか知らない…。
小学生時代、お金がないから全巻立ち読みで読んだ記憶があります。
主人公の王子が、苦しんで苦しんで悟りをひらくシーンは子供ながらに印象的でした。
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〔8月15日分の記述〕
Fさんへ。今日は本当は2014年12月12日です。
久しぶりの連休です、激務つづきで丸一日以上寝てしまいました。しかしおかげで回復しました。
明日も休みです。いやあ、自由って素敵です♪
Fさん、…下記のセリフ
「仏教徒としてまじめに生きてきたプライドがあるなら?教祖とお釈迦様、どちらのほうを向けばいいか、言うまでもないわよね」と。
どーも調べると、日本には世界で「唯一」、お釈迦様をあがめない宗派があると聞きます。
こういう人たちには、このセリフも効かないのだろうか?
(あ、何度も書いた事だけどもう一度強調して言います、この小説はフィクションです。実在の人物・団体等とは一切関係ありません)
もし、効き目のないカルトに会ったら?
こう言ってあげてください。
「カルトここに極まりね。」と。
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〔8月16日分の記述〕
Fさんへ。今日は本当は2014年12月12日です。
久しぶりの連休です、激務つづきで丸一日以上寝てしまいました。しかしおかげで回復しました。
明日も休みです。いやあ、自由って素敵です♪
Fさん、こう思います。
バチカンの法王は神の代理人であり、その自己主張に見合う努力を自身でこなすようにしている節がみられます。
そして肝心なことに、世界中のカトリック信者がそれを認めている。
もし、教祖がお釈迦様の代理人を自負するならば?世界中の仏教徒の追認が必要なのだが、現在それはない。
世界宗教への挑戦をしているカルトである自負を、いったい何人の信者がしているのか?ぜひ問うてほしいところです。
先にも述べたように“彼ら”は自分たちに都合のいいようにデータを操作する。
世界中の仏教徒が教祖を追認しているような「空気」をかもし出すと思うけど、それは洗脳の一環であり、間違いであると、強く主張します。
認知症の介護の実務を3年以上積んだ経験から言うと、しばらく世にでない有名人は、なくなってから実は認知症でした、パーキンソン病でした、というのは実に多いです。
教祖がそうとは言い切らないが、出てこないこと自体がその可能性を上げている。
(あ、何度も書いた事だけどもう一度強調して言います、この小説はフィクションです。実在の人物・団体等とは一切関係ありません)
“彼ら”は理屈は尊ばないが、こういう「感覚的な事実」は胸に来る人らが多いと推察します。
この「感覚的な事実」を示唆した上で、もう一度、こう問うことは意味があるように思います。
「仏教徒としてまじめに生きてきたプライドがあるなら?教祖とお釈迦様、どちらのほうを向けばいいか、言うまでもないわよね」
と。
それでもごちゃごちゃ言う人がいたら?
こう続けてください。
「私、間違いに気づいたの」
「あなたには、私の話を聞く義務がある」
「事実をみなさい、目をそらさず、自分たちの組織の悪辣さを自覚しなさい」と。
君が君でいる事は重要なことなのです。負けないでほしい、がんばれ!
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〔8月17日分の記述〕
Fさんへ。今日は本当は2014年12月12日です。
満天の星空を見たい。
ささやかな望みです。
今日12日は日中は曇っていたが、夜間は晴れている。
きれいな星空がみれるので、早速に双眼鏡とタブレットをもって外へ行ってみた。
リゲルと思しき星は家の正面上空にあり簡単に見つかる。
リゲルにそって左右に展開する星郡は、まごうことなき銀河断面、ミルキーウエイこと天の川だ。
想像力が刺激される。
我々の地球は銀河の端っこ、サジタリウス腕と呼ばれる銀河中心部から伸びる「腕」の端っこだ。
今、この腕の端っこから銀河中心方向を見ているわけだ、と思うと、こんな事を思う。
図解で何度も「「銀河」のイラスト」を見た。
しかし、今目の前のこれは「本物の銀河」だ。
なんというか、ああ、本当に銀河ってあるんだ、誰かが作ったうそ話ではなく、本当にあるんだ、と、なぜか漠然と思ったわけです。
しかし、なんというか、感動がいまひとつ。
盛り上がりに欠けるというか、家の前で、双眼鏡だけでは、満天の星空を満喫するというわけにもいかなかった。
どうやったら?満足のいく星空を見れるのか?
今後の課題です。
(…ラジコンの時も、浜辺でラジコンを疾走させたいと夢想して、それを実現させるまで結構に時間と金を要しました。トイラジコン2台買い、最後に本格ラジコンの完成品を買って、大容量バッテリーを買い、ようやく実現した。
今回の「満天の星空がみたい」という夢想を実現させるのも、たぶん、かなり時間とエネルギーを要することでしょう。でも、まあ、なにかしたくて、頭をつかって工夫をめぐらすというのは、それはそれで、楽しかったりします)
僕は今日も生きています。
Fさんは今、どこでどうしていますか?
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〔8月18日分の記述〕
Fさんへ。今日は本当は2014年12月12日です。Fさん、この場を借りて今月の予定を整理したいです。
13日(土)休日 (消防署の件を片付けたい)(サイクリング行きたい)
予定:消防署へ相談しに行く→サイクリング敢行→帰宅
※外出時には上着だけ変えればすぐサイクリングできる服装にする。
※いろいろ迷うが、以前から決めたとおり、箱根サイクリングを敢行する。
14日(日)早番+日勤補助(介護保険申請の書類を片付けたい)
15日(月)夜勤
16日(火)夜勤明け (1月末のケアプラン更新に備えて準備する)
17日(水)休み
18日(木)休み
19日(金)早番+日勤補助(消防訓練候補日①)
20日(土)夜勤
21日(日)夜勤明け
22日(月)休日
23日(火)早番+日勤補助(消防訓練候補日②)
24火(水)別フロアーへヘルプ
早番+日勤補助
25日(木)夜勤
26日(金)夜勤明け
27日(土)休み
28日(日)別フロアーへヘルプ
遅番+日勤補助 (9時出勤)
29日(月)夜勤
30日(火)夜勤明け
31日(水)休み
1日(木)夜勤
2日(金)夜勤明け
3日(土)休み
4日(日)早番+日勤補助
5日(月)遅番+日勤補助(8時半出勤)
以降未定
※あと、このペースでは間に合わないのだけど、一応「アフタヌーン四季賞・冬1/5締め切り」にも間に合わせたい。
(四季賞とは新人漫画家のコンテストだ。年間4回、1月、4月、7月、10月に行われる。たぶんだけど、僕の漫画は四季賞向きだと思う)
もし1/5に間に合わないならば?
4月のコンテストの際には、もう1本漫画を描いて2本で挑みたいところです。
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〔8月19日分の記述〕
Fさんへ。
今日は本当は12月17日午前5時です。
いやあ、ようやく株価が下がり始めました。
株式投資、ようやく黒字がでました。
下がると利益が出るやつを多めに仕入れていたから。
少し安心です。
このあと、上がりすぎた株価が調整局面に入るものと推測します。
追伸:「クラウドワークス」って会社の株が、なんだか話題です。
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〔8月20日分の記述〕
Fさんへ。
今日は本当は12月17日午前5時です。
今の僕自身の課題は、健康管理です。
通常のレギュラーワーク以外に、ケアプランに関わるようになり、残業が増えた。
帰宅すると、高ぶった神経を落ち着かせるのに今まで以上の時間が必要なのが実感できます。
深呼吸をして、体を横にして、平常に戻さないと、いつもの自分にもどれない。
今日は夜勤明けでした。
前日夕方4時に仕事に入り、翌日朝9時に仕事明け。
その後残業でケアプランにかかわり、終わったのが午前10時半過ぎ。
睡眠不足もピークを超えて神経が相当に高ぶっている。
ナチュラルハイな状態で、とっとと帰ればいいのに、職員や利用者さんと世間話をしたりしている。
午前11時近くようやく自分の車に乗り帰路に着く。
このところの疲労がたまっているのか、神経の高ぶり方が半端でない。
12時過ぎ帰宅し、自室のソファーで仮眠。午後8時ちかくに目が覚めるが、神経はまだ落ち着かない。
ベットの移り、ようやく深呼吸が自然にできるようになるまで翌午前3時過ぎまでかかる。
神経が落ち着くと、TVをみても普通に楽しめるし、すきな音楽を聞いても楽しめる。
(神経が高ぶった状態では、好きなTVも音楽も邪魔くさいものにしか感じないものです)
高ぶった神経を「意図して」自分のコントロールで落ち着かせる方法は、“彼ら”の総攻撃を受けていたとき、マスターしたものです。
自己催眠を利用して、自分の「副交感神経」が「交感神経」より優位になるようにコントロールすればいいのだ。
僕はこの小説で、過去何度も書いた。自分でペースを守って、ペースをつくって、自分をコントロールすればいいと。
それはつまり、こういうことなのです。
今の課題は、もうすこし短時間で自分のペースにもどれればいいな、と考えていることです。
まあ、無理のない範囲で、がんばろうと思います。
Fさんががんばっているならば?僕もがんばらないわけにはいかないのです。
君が今も前を向き続けていると信じさしてください。
負けないでほしい、がんばれ!
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〔8月21日分の記述〕
Fさんへ。
今日は本当は12月17日です。
やろう、やろうと思っていて、どういうわけか躊躇してしまうこと、実はあります。
僕の場合は、箱根サイクリングがそれに当たると思う…。
この小説内で何度も、今度こそ今度こそと書いておいて、まだ「箱根サイクリング」には一度も行ってないです。
今日、たまたま「Fielder」という雑誌をにていたら、「芦ノ湖サイクリング」という文字が目に入ってきた。
その「文字」を見た瞬間、無意識の自分が、強烈に何かを訴えかけてくる。
求めていた答えのヒントがここにある!そう、猛烈にインスピレーションに訴えかけてくる。
感性の僕の強烈な訴えに対して、理性の僕がこう答える。
「そういえば、箱根サイクリングでは過去何度もネットで調べたが、芦ノ湖サイクリングという検索ワードでは、過去一度も調べたことないな」と。
ためしに「芦ノ湖サイクリング」で検索してみる。
すると僕好みのいい感じのサイクリングコースがヒットする。
景色がきれいで、たいして体力をつかわないコースだ。
素人サイクリストでもなんなく楽しめそうなコースがでてくる。
そう、僕がもとめていたコースはこういうコースだ!と感性の僕が猛烈に理性の僕の同意を求めてくる。
いままでなぜ箱根サイクリングに躊躇していたか?
その答えもここにあった様な気がする。
どういうことかというと、箱根を自転車で登った先に、なにがご褒美がほしいわけだが、それがいまいち漠然としていてはっきりしなかったことだ。
僕自身が箱根の地理にうといという問題もある。
狩野川コースでは川の源流までさかのぼるという具体的なイメージができる。
千本松原のコースでは、清水港までいくという具体的なビジョンがある。
富士五湖のコースでは最終的には富士山一周したいという目標がある。
下田のコースでは、最後にきれいな海岸線を走りたいという欲求がある。
湘南では、湘南海岸を走りたいという強烈なイメージがある。
過去に行ったこれら「5コース」には、自分の中でまとめ上げたイメージが具体的にできている。
しかし、箱根にはそれがないのだ。
箱根の地理に疎いぼくに問題があるわけだが、そこに気がつかなかったのが、モチベーションが維持できない原因だったのかもしれない。
ここはまず「芦ノ湖サイクリング」を何度か敢行して、箱根の地理に慣れて、ゴールのビジョンが自分のなかにまとまってから、箱根登山サイクリングへ移行すればいいのでは?
…というイメージが、ぼんやりと頭の中に出来てきた。
幸い芦ノ湖には僕好みの「無料駐車場」があることは、以前一度行った際にすでにわかっている。
あの無料駐車場を基地にして「芦ノ湖サイクリング」をすればいいのだ。
ネットでしらべた限りだけど、30キロくらいのコースとある。
上り道もあるだろうが、僕は普段50キロくらいなら問題なく走れるから、たぶん現在の僕の体力でも問題はないと思う。
…どうだろう。明日も休みだ。
ためしに行ってみようかな。
現在午後10時すぎ、TVでは「報道ステーション」がやっていて、爆弾低気圧の寒波について放送している。
明日も相当寒いらしい…、悩みどころです。
Fさん、もし君が近くにいたら?僕が寒波のなか芦ノ湖サイクリングどうかな?って言ったら、なんて言うだろうか?
過去の記憶をさぐると、Fさんは、僕の身を案じて、僕の行動を誘導しようとはするが、基本的には反対したりしなかったような気がする。
そんな2人の距離感が、妙に心地よく、居心地がよかったような、…いや、そう思っていたのは僕だけかもしれない。
でも、2人でいて、いい感じの距離感でいられた記憶、確かにあります。
Fさんはどうあのとき思ったのだろう…。
いつか君の心に触れられる奇跡を信じます。
負けないでほしい、がんばれ!
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〔8月22日分の記述〕
Fさんへ。
今日は本当は12月18日です。
「大沢林道」経由で「伊豆山稜線歩道」へ入り「ダルマ山」へ抜けるルートがあるらしい…。
何のことか?というと、MTBでのサイクリングの話なのです。
現在僕が乗っている自転車は「ロードバイク」。
舗装道路で速く走ることに特化した自転車だ。
これに対して、山道を走ることに特化した自転車を「MTB」という。
じつは前々から興味こそあったが、一体どこを走ればいいのかテンで見当がつかなかったのです。
お金を払って走れる専用コースもある。
でも、そういうのじゃなくて、近所で気が向いたとき乗れるコースがほしかった。
しかも僕の技量で乗っても楽しめるコースだ。
ネットでいろいろ調べると、ほとんど登山みたいなMTBトレイルがほとんどで、行程の大半を担いで登山するような人ばかりなのだ。
僕がやりたいのはそういう過酷なものではない。
何かないか何かないかと長いこと気にしていたのだけど、今日、ついにみつけた。
ダルマ山をMTBでサイクリングするコースだ。
この山は小学生時代、遠足で行ったことがある。過酷なことは何一つない簡単な山だ。
調べると、この山も含めて、伊豆半島には「伊豆山稜線歩道」というなだらかなハイキングコースがあるという。
そしてなんと、このハイキングコースをMTBでサイクリングする人がブログを上げているのだ。
たしかにあの山、ハイキングにいくにはゆるすぎる山だけど、サイクリングコースにするにはうってつけの山かもしれない。
調べると「修善寺」の「大沢林道」というところから「伊豆山稜線歩道」へMTBにのったまま入れるという。
しかもこの「大沢林道」は、僕がロードバイクでよく使う狩野川コースの修善寺付近から入れるのだ。
これは、もしかしたら、いけるかもしれない。問題なく実行できるかもしれない…。そんな思いがふつふつと沸いてきます。
でもすこし実行するまで時間をかけるつもりです。
MTBも買わなきゃいけないし、泥だらけになるかもしれない山用自転車は車載するには屋根につみたいから、ルーフキャリアに自転車用のキャリアを付けないといけない。
両方そろえるとけっこうな出費だ。
それにどのMTBがいいのか、まだ決めかねているところもある。
こないだ「あさひ自転車」に行ったら安くていいMTBがたくさんあった…。もうすこし、どれにしようかな?と選ぶワクワクを楽しみたいという思いもあるし、先にかいた芦ノ湖・箱根サイクリングが、まだ中途半端なままだ。先にそっちを片付けてから、ダルマ山サイクリングは視野にいれたい。
そんなことも思う今日この頃です。
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〔8月23日分の記述〕
Fさんへ。
今日は本当は12月18日です。
「勝負よりも調和」
…という言葉をきいた。
MTB(山用の自転車)で里山を走る際の心構えだそうだ。
里山トレイルは競技ではなく、その土地の人たちやハイキングを楽しむ人たちとの共存の場だというのだ。
Fさん、もし、ここで負けたらどーとかこうとか、とか言う人らがいたら?
こう言ってあげてください。
「勝負よりも調和」と。
ニセモノの調和しか洗脳されてない人たちには、理解が酷かもしれないが、要はそういうことなんだと思います。
“彼ら”の言う調和とは、幹部の手ごまとして従順に動くために「調和」という単語が便利につかわれていたものに過ぎない。
僕が言うと信じてもらえないと思う。
しかし、君の口から発せられたこれは、僕が言うよりもはるかに“彼ら”の心に染み渡るものと思う。
もしこの言葉が意味をもつ局面がやってきたら?
試してみてほしい。
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〔8月24日分の記述〕
「3月のライオン」10巻104話ラストシーンより
「-だいたい、好きな女の一大事に「空気読んでてなにも出来ませんでした」じゃ、男に生まれた意味がねーだろ!!」
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〔8月25日分の記述〕
Fさん、昨日は決めていました。
「今日こそは普通に帰る」と。
何のことかというと、残業せず普通に帰ると言うことです。
このところ通常勤務外の仕事が多く、普通に帰ってなかった。
連日の疲れからこのところきていた体力的な問題からは回復したのだけど、精神的な回復が完全といえる状況ではなかったから、今日こそは普通に帰る!と心に決めていました。
消防訓練が未定?空調のフィルターの掃除がまだ2/3残ってる?
…この際忘れましょう。
仕事場を後にし、「原」へ移動。
空は絶好の晴天。久しぶりです。雨じゃない!
「原」の海岸へ車で移動、晴天の青空と、波打つ海辺が心地いいいです。
仮眠はしていない、夜勤明けだけど、まだ余裕があった。
(先にも書いたが、連日の疲れからこのところきていた体力的な問題からは回復はもうしているからだ)
この日は夜勤明け何をするかは、夜勤中に決めていた。
書いたメモは仕事場の個人ボックスに忘れてきたが、記憶が残っている。
やりたいことをリストアップしたのだ。
まずラジコンを車から降ろし、デジカメを装着。
動画をとりながら浜辺を走らせようというわけだ。
海岸の堤防に車を停め準備していると、堤防の上のほうから子供の声、ラジコンの姿をみて反応しているらしい。
ああいうの僕もこどものころあったな…、などと思う。
浜辺におりてラジコンを走らせると数分でデジカメは落下。
しかし落下するまでの動画はなかなか面白い。最後カメラは仰向けになり空を写すが、そこに拾いに来た僕が覗き込む絵が取れている。相変わらずの間抜け顔だ。と我ながらに思うが、その間抜け間すら面白く感じる絵がとれた。
次回はもう少しがっちり固定して、迫力ある絵を取りたいと思った。
(帰宅してから思ったのだけど、車載しているロードバイクを固定しているストラップをつかって、デジカメとラジコンの固定を補強すれば、落ちないかもしれない。なるべくお金をかけずにやりたいところです)
その後ごつごつとした石地の浜辺でラジコンを疾走させる。
前回同様、この悪路もものともしない疾走に本当に感心する。
操り手である僕が注意さえすれば、転倒や座礁することもなく、すいすい悪路を軽快に走る。
ここ「原」の海岸は「石」の浜だ。
海辺に近づくほど、おおきな石が一面に広がっている。
理屈のほどは知らないが、外海に面していない浜辺は、砂ではなく石が広がっていることが多いと感じます。
ここ「原」の海辺は駿河湾に面している。
ネットの動画などでは、このラジコンと同モデルに、かなり無茶な走行をさせているものがいくつかあった。
この海辺きわの大きな石だらけの地帯、走れるだろうか?と思い実行。
むりかなーとおもったんだけど、走れた。それも軽快に疾走する。モタモタなんてまったくしない。ぶつかったら怪我するレベルの速さでガンガン行く。すごいもんです、本格的なオフロードラジコンとはココまですごいのか…と改めて関心。
約30分ほどで、ラジコンの動きが鈍くなってくるのを感じた。
そろそろバッテリーの限界らしい。
来るときは浜辺まで自走できたのに、帰りはもう自走できない。手に持って持ち帰る。
車に戻り、バッテリーを外す。外さないととても危険なのだ。
以前ニュースで見た。トラックなどの違法無線電波がラジコンに届き、モーターを異常加熱させて火災を引き起こしたというやつを。
今は昔と違い、違法無線も厳しくなったし、受信機側もしっかりしているから、昔ほど火災の危険はないと思うが、日本の規制を無視した中国製品の違法電波は無視できない。
ラジコンを片付けると、次はトロンボーンをだした。
夜勤中に次にやりたいこととしてリストアップしておいたものだ。
このプラスティク製トロンボーン、扱いが楽でいいのだが、やはり音の伸びがわるい。そう思います。
ホールとかで演奏するのには適さない。練習用と割り切ったほうが正解みたいです。
最近感じます、全力で音を出すと、音の深みがまったくないし、音割れがすごい。
Fさんならこれだけで通じると思うけど、楽器をやったことのない人に仮に伝えるとするならば?安いスピーカーみたいな音といえば、イメージ的に正しいと思う。
小さな音を出す分には小回りが利いて便利なんだけど、本気で演奏するにはいささか難があります。
中古でいいから、ちゃんとしたトロンボーン買おうかな…。(できれば高校時代と同じテナーを)
GReeeeNの「キセキ」を演奏する。
相変わらず下手なのだが、前よりはうまくなってきていると感じます。
今度録音して自分で聞いてみようとおもうけど、まだその時期ではないなと感じた。下手です。
いつもは楽譜半分しかやらないのだけど、この日は全部通して演奏してみようと思った。
…しかし途中で気づく。繰り返しポイントなどまじめに全部やると、息がつづかない。
こんなにきつかったっけ?と改めて思う。
高校時代は何の苦もなくやっていたことなんだけど。
腹式呼吸の練習が必要みたいです。腹筋やらないと。
で適当なところで切り上げて、次の行動に移った。
サイクリングだ。
さすがの僕も夜勤明けで、仮眠もなくいきなりロードバイクを車から降ろす暴挙にはでれない。
しかしいい天気で絶好のサイクリング日和。ここで走らないのはもったいない。
夜勤中、やりたいことリストアップ中に、こう計画した。
ロードバイクはあきらめよう、しかし、車にはもう一台、折りたたみ自転車「ルイガノPOP」が積んである。あれで走ろうと。
軽めの運動なら、あれで十分です。
早速に「ルイガノPOP」をおろす。
前回最後におろしたのは、楽寿園へ仕事関係で行った時以来だ。あまり使ってない。
しかしあると便利で、重宝している。
組み立てはもう慣れた、あっという間に折りたたまれたそれは、自転車に変身させられる。
ポイントはシートポストの高さだ、腕の中指の先から腕の関節までの長さで調節すると、ちょうど僕の乗りやすい高さになる。
この日は堤防を走るサイクリストがたくさんいた。
「ルガノPOP」は遅い部類の自転車だ。ママチャリなら圧倒できるが、ロードバイクにはかなわない、あっというまに抜かれてしまう。
この日はめずらしく「ルック車」と一般にいわれる見た目だけスポーツ車に似せた自転車も何台か走っていた。
「ルック車」には負けたくないな…と思っていたが、じわりじわりと離されてゆく、車輪の大きさが違うからいたしかたない。
どこかで抜き返せると思っていたが、抜けたのは1台だけだった。ロードバイクだったら負けんのだが…となぜか思う。
しかしこのサイクリングも含めて、この日は日光を大量に浴びた。
狂っていた体内時計が、このおかげで修正されたらしく、その日の夜は快眠でした。
夜勤続きは体内時計が狂うから、その再調整が体調管理の鍵です。
このあとリストアップしたのは、食事、仮眠、買いもの、天体観測。
知らなかったんだけど、天体観測にとって冬は絶好の季節らしい。
たしかに言われてみると、夜間晴れが多い。
夏場は夜曇っていて、せっかく買った双眼鏡や望遠鏡が使えなかった記憶があります。
天体観測は今回はパス、次回に回しました。
帰宅すると、屋外用のリクライニングチェアが届いていた。
天体観測用に買ったものだ、これがあれば、屋外で長時間真上を見上げてもつかれません。
…たしかに1人はさびしい。
しかし、たのしくすごす方法はないことはないと、思ったりします。
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〔8月26日分の記述〕
こんな事も思う…。
もう友情なんかいらない。
と思うのが僕の今の率直な気持ちです。
真実に気がついた今、過去の記憶のそれぞれの意味がわかってくると、友情はもうこりごりと感じるのも事実です。
…だから積極的に仲間を作りたいとは思わない。
しかし、無理のない範囲で人との関わりを持ちたいと思うのは事実です。
なぜにこんな事を書くかと言うと?
Fさんも似たようなこと感じる日が、もしかしたらあるのかもしれない。と思ったからだ。
もう愛なんて信じないとか、Fさんなら思いそうだな、とか思った。
どうなのかな…、勘違いであるならそれでいい。
人に何を言われようと、答えは君の中にしかないのだから。
僕は、信じています。どんな状況にあろうとも、Fさんはかならず光を見出すと。
なにしろFさんは、僕のあこがれの人なのですから。
負けないでほしい、がんばれ!
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〔8月27日分の記述〕
こんな事も思う…。
夜勤に行く日、車に乗っていると歩行者の女性がこちらを見た。
するとすぐに携帯をとりだして操作する。
以前よく見た光景だけど、今でも「そう」なのかな…
とか思うのは、僕の考えすぎなのだろうか?
「原」の書店員が目もあわさないし、笑いもしないのも偶然だろうか?
前はもうちょっと愛想よかったよな、と思う。
(“彼ら”の総攻撃激しかった頃、コンビニで公共料金を払いにいった、やったことある人ならわかると思うが、あんなものすぐ終わる。しかしあの時は店員がもたもたしていて10分以上かかった。店員にあせっている様子はなくふてぶてしくのったりやっている、レジは混んでもいないガラガラだ。たぶん、この小説内のどこかに書いていると思う。今同じコンビニにいっても普通だ、あんな異常行動はまったくみられない)
この本やを出た直後、入り口に排気口をむけて止まっていた原付が、僕が店を出ると同時にエンジンをかけた。
ああ、この感じ、ものすごい久しぶり…。そう感じます。
最近「原」ですごす時間が増えたから、なにかバイアスに変化がおきたのだろうか?
マスクの人もたしかに多い。
でも目をみても、憎しみのこもった目でにらむ人は確認できなかった。
総攻撃時は、来る人来る人が、憎しみのこもった目でこちらを睨み付けていた。
カルトここに極まりを具現化したような状況でした。
憎しみは感じない。
これだけでも、大きな成果です。
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〔8月28日分の記述〕
…ことの始まりは、深夜の夜勤中のちょっとした思いつきだった。
車に積んでいる動画を見るためのハードディスクの類、配線がごちゃごちゃしていて見苦しい。
もっときれいにすっきりさせたい。
というもの。
車の助手席にハードディスクやらサーバーやら乗っけていて、見た目がいまいちなのだ。かっこよくしたいと思ったのが事の始まりだった。
結果から言うと大失敗で、うまく作動しなくなってしまった。
原因はわからないが、たぶん、サーバーが壊れた。
以前読んだことがある。
大容量のハードディスクの近くに、電化製品を置かないでください、という文章を。
どちらかが壊れるというのだ。
実際、東京時代、充電器と外付けハードディスクを接して配置したら、ハードディスクが破損した経験がある。
今回も似たようなことをやってしまったらしい…。
忘れていたわけではないが、甘く見ていたのは事実です。
しかたなく、まとめた機器類一式を元の状態へもどし、壊れたサーバーを新調。
幸い安いものが店頭にあったので購入した。メインで使うのは貧弱なサーバーだが、車で使うには十分だ。
(Fさんはこういうの詳しいのかな?わからないけど。
たぶん、詳しい人は、ネット経由で自宅のネットワークHDDにつなげばいいじゃないか!と思うことだろう。
しかし僕は最新の技術はなるべく使いたくない。トラブルが一度発生すると、解決に時間がかかりすぎて手に負えなくなるからだ。
実用性を考えると、若干時代遅れ気味のもののほうが扱いやすい。)
が、しかし僕自身のスキル不足もあるけど、いまいちLANの仕組みがわからない。
一発で自動接続すればいいのだけど、そうでない場合、いつも苦戦します。
今回サーバーを新調し、新しく接続しなおそうとすると、うまく繋がらない。
この症状は、無線・有線問わずLANをつなぐときに、過去何回か経験している。
過去の経験則で言うなら?
理屈の程は不明だが、時間とともに接続しやすくなり、最後には接続は強固になる。というもの。
どうしてそうなるのかは不明だが、機械のほうも接続を繰る返すたびに、なにかしらあるのだろうか?
しかし今回はその方法でも解決しない。
この場合、過去の経験則では、ちがうソフトで接続をためして、一度でも接続が確立すると?本来使いたいソフトでもなぜか接続が可能になるというもの。
今回はその方法で、スマホとHDDの接続を取り戻した。
理屈の程は不明だけど、なんとか直ったみたいです。
いま、車の中でよく聞いているのは、「100分で名著」というNHKの番組。
こないだは「アラビアンナイト」の解説を聞いた。
世界屈指の長編物語アラビアンナイトは、殺されないために面白い物語を1001夜もつづけた女性の話だ。
王様が女性不信に陥り、毎晩美女を呼び寄せては、事が終わると殺害するという国があったという。
このままでは国中から女がいなくなる!
周囲は危機感をいだく。
そんな中、ある大臣の娘が一計を案じ、妹とともにその夜、王のもとへ行く。
そして、どうしても続きを聞きたくなる話しを毎夜毎夜し続けるというのだ。
王様も続きが気になるから、彼女を殺さないという。
「シンドバット」や「アリババ」の話、「アラジン」の話も、彼女が殺されないために語る物語の一部だという。
そして1001夜目、いよいよ最後のお話が終わるときどうなるのか?
じつは4つほどバージョン違いのラストがあるという。
この手の話にありがちなことなのだが、もともとの物語に、何千年という月日の間に、さまざまな人の手が加えられ、大きくなっていったり、再編成されたりして物語が長くなった。
再編成の過程で、無数にあったラストのうち、一番受けのいいものだけが残ったということなのだろう。
それぞれにラストは違う。
① いろいろな物語を語る聡明な彼女に王が惚れてしまい、女性不信が直ってしまうバージョン。
②、ラスト女性の子供が出てきて母親の命乞いをするバージョン。(泣き落とし?)
③、最後に女性には実は3人も子供がいて、さらに1001夜のうちに王の兄弟と彼女の姉が恋仲になり子供まで出来ていた、というオチのもの。
④ そして最後のバージョンは、1001夜目に、彼女は突然、あるところに女性不信の王様がいました、と王の話を聞かせて、愚行を悟らせるバージョン。
個人的にはこう解釈します。①は王道のラスト、子供に読んで聞かせられるラストだ。
②は女性読者向けのラストではないかと。なんとなくそう感じます。
③は男性読者向けのラストだと思う。
④は学識者むけのラストだと思う。教訓めいている。
アラビアンナイトは結構、歴史的な人物も愛読していたという。
リンカーン大統領も子供向けに翻訳されたものを、愛読していたという。
この小説にも書いたことがある、「三銃士」の作者デュマも読んでいたという。
西洋ではサイエンスフィクションや推理小説の原典だという人もいるという。
アンデルセンも子供の頃愛読し、人魚姫の着想もここから来ているのでは?といわれている。
どのラストがいいですかね?といった話に入ると、解説者の方はこう言っていた。
「読み手が納得した時点がラストでいいのではないか?と。だから、終わりのない物語でいいんです」と。
なにか、納得のできる感じがします。
人生は終わりのない物語のようなもの、でも、どこかで納得した人生でいたいなと、なんとなく感じます。
Fさん、いま君はどこでどうしているだろう。
いつか、再会できる日は来るのだろうか?
その日を夢見て、日々、前へ進もうと思います。
がんばる君の姿を夢見ながら。
負けないでほしい!君は自分で思っている以上に強い女の子です。
かならずさいごまでやり遂げられます!
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〔8月29日分の記述〕
アダムとイブの神話?
これが作られたのは「バビロン捕囚」の時代らしい…。
何の話か?というと?
この間「100分で名著」という番組でみた「旧約聖書」の話だ。
「旧約聖書」とはいうまでもなく「新約聖書」の前のバイブルのことを指し、キリスト教の前身となった「ユダヤ教」の聖典だ。
番組内では、こんなことも言っていた。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の神様は、同じものを指している。
つまり?
この3大宗教の神様は、教えの(=契約の)違いこそあるが、同じルールの神様だというわけだ。
言われてみれば、お釈迦様は「試練」を人に与えない。
「ご利益」や「天罰」はあるが、人に「試練」を与えるのは、この「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教」の「統一された一神」のみだ。
この傾向は西洋でも同様だったらしく、ローマ共和国が信奉した「オリンポス神話」も、ペルシャなどが信奉した「オリエントの神々」も「ご利益」や「天罰」はあるが、人に「試練」を与えたりはしなかったという。
この「神が試練を与える」という考え方は、「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教」の「統一された一神」のみのものらしい。
つまり?「仏教」には「神が与える試練」という概念は存在しないというわけだ。
…たしかに、昔読んだ手塚治の「ブッタ」もそういう内容だったと思う。
仏教徒は、お釈迦様の心境に少しでも近づくべく修行するのであり、お釈迦様が人間に与えた試練を乗り越えるために修行するという考え方は存在しないのだ。
この「神」の与えた「試練」という考えが生まれた経緯はこうらしい。
「出エジプト」を果たした奴隷のリーダー「モーゼ」は、約束の地「カナン」一歩手前でなくなる。
彼の意思をついた人々は無事「カナン」へ到達し、繁栄の国家を作る。
当初、神のもとの平等を信じた奴隷の子孫たちは「王」を立てなかったが、世代を経るうち、近隣国家との勢力争いもあり「強いリーダー」である「王」の必要性を実感。王政をとるようになる。
ソロモン王はユダヤ王国を繁栄させた王として、世界史に名を残す人物だ。
この「カナン」は初期シルクロードの交易点だったと推測されます。
アジア方面、アフリカ方面、ヨーロッパ方面の交易品がここで集まり、商売が反映したことが予想される。
しかもこの頃、現在の「イスラエル」にあたる「カナン」は温暖な気候で、農作物も豊富に取れたことが伺える。
地政学的な好条件の元、繁栄を極めた「ユダヤ王国」は南北に分裂、北の「イスラエル王国」と南の「ユダ王国」に分かれる。
この状況は「バベルの塔の伝説」で説明できるらしい。
当時、王国は戦争や商売で拡大されてゆき、異民族も寛大に受け入れて膨張していった。
異民族が増えると、ユダヤ人のなかにも、「オリンポスの神々」や「オリエントの神々」を受け入れる人々が増えるわけだ。
ユダヤ民族は豊かになるにつれ、12氏族の間で考え方に差が出てきて、10氏族は北に、2氏族は南に分裂するわけです。
北の10氏族は戦争に負け、滅ぼされてしまう…。
南の2氏族もその後、新バビロニアによって征服され、奴隷にされてしまいます。
当時カナンの地は、地政学的に好条件だから、外国勢力が狙うのもうなづけます。
しかしこの2氏族はバビロンで奴隷にされても、北の10氏族とは違い信仰を捨てなかった。
この時代、征服民族を支配するには、その民族の文化を尊重するのがトレンドになっていた。
締め付けると奴隷が反乱を繰り返して、めんどくさかったのだ。
新バビロニアもユダヤ人に寛大だった。
奴隷の間で、信仰は守られたわけです。
…そして、この時代、不完全だったユダヤの神話は、現在「旧約聖書」として知られる形に創造されたらしい。
アダムとイブの神話がつくられ、神が世界を作った創生神話が生まれる。
つまり?
この「バビロン捕囚」より前の時代のユダヤ人は、アダムとイブの神話など知らなかったのだ。作られて無かったのだから。
当時のユダヤ人は、こう考えた。
神とはあがめれば「ご利益」、あがめなければ「天罰」を与えるもののはずだ。
自分たちは「失われた10氏族」とは違い、奴隷に身を落としても信仰をすてていない。
なのに「ご利益(=救い)」が無いのはなぜだ?と。
彼らはこう考えた。
神は自分たちに「試練」を与えているのだ。
信奉しているのに救いがないはずがない。
これは神が何かの意味を持って、民族に与えた「試練」なのだ!と。
こうして「ユダヤ教」は今よく知られる形の原型を構築し、神の見えざる意思を汲み取ることに主眼を置くことになる。
この「神の見えざる意思を汲み取る」という宗教上の「特徴」は、その後、ユダヤ教から派生した「キリスト教」。そして「ユダヤ教・キリスト教」から派生した「イスラム教」にも受け継がれた。
…こんなことを思う。
たぶんだけど、こんなセリフよく聞くのではないだろうか?
「信心が足りないから、不幸になる」的な言葉。
たぶんだけど、このセリフは、たぶんだけどね。
戦後アメリカから入ってきた、キリスト教的価値観を、仏教に疎く、修行も他の宗派よりも楽で、手っ取り早い救済を求める人々に向け、取り入れて「(仏教の教えを)アレンジ」し布教したものと、推測します。
仏教の教えは、本来は、お釈迦様の心境に一歩でも近づくことを主眼に置いている。
これを「悟り」という。
西洋の宗教に「悟り」という概念が無いのは、「神の心境に一歩でも近づく」という価値観が無いからだと思う。
その代わり「神の見えざる意思を汲み取る」とこに主眼を置き、「神の与える「試練」を乗り越える」ことを大切にしている。
「最後の審判」とは、ユダヤ教が考え出した究極の「救済」であり、神が与える最後の試練を乗り越え、生き残った人たちは「究極のユダヤ人」として救われるとされている。
(キリスト教でも最後の審判は信じられているが、最後生き残った人類が、全員強制的にユダヤ教に改修されるという部分が今でもキリストの教えで訂正されていない事実を無視している?となにかで聞いた気がする。本当のところはしらない)
日本の仏教系カルトは、こうした西洋の宗教の価値観を平気で普通に取り入れ、あたかもお釈迦様の教えであるかのごとく言うところがあるように感じます。
実際のところはどうなのだろう?
熱心な仏教徒として生きてきたプライドがあるなら?
お釈迦様と、真正面から向かい合う魅力を、馬鹿にして捨て去る暴挙はできないはずだ。
もし、いまでも変なことを言う人がいたら?
こう言い返せばいい。
「私、間違いに気づいたの」と。
人生は終わりのない物語のようなもの、でも、どこかで納得した人生でいたいなと感じます。
Fさん、いま君はどこでどうしているだろう。
いつか、再会できる日は来るのだろうか?
その日を夢見て、日々、前へ進もうと思います。
がんばる君の姿を夢見ながら。
負けないでほしい!君は自分で思っている以上に強い女の子です。
かならずさいごまでやり遂げられます!
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〔8月30日分の記述〕
…こんな事も思う。
もし、僕が君に「あの場所で待ってて」と言ったら?
どこを連想するだろう?
やっぱり、あの神社になるのかな…。
「あの場所」だけで通じる思い出を持つ人が、この世にいる幸せは、なににも代えがたい気がします。
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〔8月31日分の記述〕
カウボーイビバップ 第25話 「ザ・リアル・フォークブルース(前編)」より
「まだいたのか」(スパイク)
「こんな話を知ってるか?狩の途中で、足に怪我をした男がいる。治療の当てのないサバンナの真ん中で、足は腐り、死神が忍び寄る。やっと迎えに来た飛行機に男が乗り、眼下に広がる純白の世界を見る。光り輝くそこは雪をかぶった山の頂だ。山の名前はキリマンジャロ。男は思う、自分が向っているのはそこなんだと」(ジェット)
「…で?」(スパイク)
「俺はこの話が大っ嫌いだ、男は過去ばかりを思い出す。死に際で必死に自分が生きていた証拠を探すようでな…」(ジェット)
「引き返せ」(ジェット)
「…」(スパイク)
「最初に会ったときお前は言った。俺は一度死んだ男だってな。もういいだろう」(ジェット)
「女がいた。俺は初めて、ほんとに生きてる女を見た。そう、思った。あいつは、俺がなくした俺の片割れさ。俺がほしかった俺の欠片なんだ」(スパイク)
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〔9月1日分の記述〕
Fさんへ。
今日は本当は2015年1月6日です。
箱根駅伝をTVで見ました。今年は母校が出ていてついつい見てしまう。
最近のわが母校は何度か出ていて、シード権が取れるか?取れないか?あたりで競っています。
いつもは、さほど注目しなかったんだけど、今年はどーしても負けてほしくないチームが出ていたので、まちがっても負けるなよ、とついつい見てしまいます。
途中まではなかなかいい感じだったけど、2日目の往路で失速したみたい。
しかしそれでも、真ん中くらいの順位で終わったから、また来年期待したいです。
ビリのチームには本当に申し訳ないけど、本当、ビリじゃなくて良かったです。
この小説を読んでいるFさん以外の人の中には、僕が大卒というのを信じてない人が多いようなのですが、大学卒業して、ちゃんと学士号も持っているのです。
拓殖大学卒業の人たちも、この小説見たりするのかな…。
今から思い返すと、あきらかに“彼ら”だなーという連中がいたのも事実です。
初対面にちかいのに、「お前終わってるな」と言い放つやつもいた。
あれも“彼ら”なんだろうか…。
僕の被害妄想であればいいのだけど。
今日は夜勤で、本日午後3時ころに家をでて、コンビニによってから仕事場へ向います。
いつかの奇跡を信じて。
Fさん、負けないでほしい、がんばれ!
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〔9月2日分の記述〕
Fさんへ。
今日は本当は2015年1月8日です。
最近思ったこと、天体望遠鏡、思った以上に難しい!
「月」くらいデカイ天体ならなんとか捉えられるが、小さな星を捉えるのがものすごい難しい!!
あんなに難しいとは思わなかった。
ともかく、まずは天体望遠鏡の「操作」に慣れなければいけないらしい…。
昨日、帰宅時に車から月が見えたとき、ふと思った。
月なら捉えることはできる。
なら?
最初に月を望遠鏡で捕まえて、それから月周辺の星を見るようにすれば?
そう操作すれば、現状のスキルでも星を見ることが出来るかな?とか思ったわけです。
幸い、スマホアプリの「星座標」というのがある。
仮想現実の空に、リアルタイムで星座を表記してくれるアプリだ。
これを使えば、リアルタイムで「月」周辺の星座がわかるので、ある程度、意識して月周辺の星座を探せる。
どーかな…うまくいくかな。
またうまくいったら報告します。
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〔9月3日分の記述〕
Fさんへ。
今日は本当は2015年1月8日です。
以前、ラジコンにカメラをつけて失敗した話を書いたと思う。
その話を職場でしたら?ユーチューブの話をされた。
最近はそういう動画をユーチューブに載せるのが流行っているらしい。
今度やってみようかな?なんて思わなくもありません。
ロードバイクのハンドルから撮った映像とか、ラジコンからの動画とか、天体望遠鏡でとった星の動画とか?
…まあ、たしかに、日常生活に、そういう載せてもよさそうな動画をとる環境がなくはない。
ユーチューブのアカウントかな?取るとしたら「闘豚」がいいのだろうか…。
それとも「走る動画主体で」投稿する予定だから「走豚」のほうがいいのだろうか。
(この小説のことは、職場では秘密なのです。だれにも話してない。だから闘豚にすると不都合がある。)
…そうそう、こんな事も思う。
Fさん、周りの人から「口頭で」僕の現状について聞いた事柄があると思う。
そうした情報は「色」がついているので、あまり信用しなくていいです。
仮になにかあったら、僕はこの小説内で書きます。
(たとえば誰かと付き合うことにしたとか、結婚します的なことは、かくさず書く予定です(ちなみにそういう予定は現在まったくありません)。なぜならば?たぶんだけど、Fさんは、僕に昔と同じでいてほしいと思っていると確信するからです。君の知る僕は、そういうことは隠さず言う人間だと思うからです)
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〔9月4日分の記述〕
Fさんへ。
また“彼ら”だろうか…
そう思うことがありました。
職場で全治1ヶ月の大怪我をした人がいます。
たしかに、すぐ近くにいたのは事実。
しかし、僕が機械の操作をミスして怪我させたわけではない。
しかし、僕のせいになっているのだ。
他部署の人を怪我させたと思われているらしい。
その部署の人からは無視に近い責めをされている感じがする。
看護士の方は近づいて、ほかの人に聞こえない声で、なにかつぶやかれた。
低い声で、聞き取れなかったが、けっしてほめ言葉の類ではない、間逆のものだと思う。
その怪我をした人から直接、話を聴いた人は、正確に話が伝わっている感じがする。
つまり、怪我をしたその人には「問題が」ない。
誰かが、話に「色」をつけて広げている…。
前々からデイサービスでは、なにかしらのバイアスが生じていると薄々感じていた。
けど今回のは決定的だ、誰かが「色」をつけている。
グループホームの職員は直接仕事をする機会があるから、評判を自力で訂正できる機会があるが、デイサービスの職員とはほとんど接点がない。
この手の悪評は、直接一緒に仕事をしないと、なかなか覆らない。
東京時代、本屋で働いていると、店長からこんなことを言われた。
「専務の話していたことと違うな…」と。
実際に一緒に仕事をすると、印象が変わるらしい。
そーいう経験、過去に何度も何度も、というか、毎回ある。
昔は、自分に原因があると思っていた。
しかし、全部が全部ではないにしろ、“彼ら”が放つ悪意の可能性はぬぐいきれない。
自民党や民主党ではないある政党が、うちの施設に選挙のときアプローチしてきたことがあった。
“彼ら”は自分の目的のためなら、他人の迷惑をいとわない究極のカルトだ。
君が戦い続けているならば、僕がここで負けるわけにはいきません。
“彼ら”がからんでいるのだろうか…。
今日はたしかに外の車がヴオンヴオンうるさい気がしなくもない。
Fさんはどう思う?
いつか聞かせてほしい。
奇跡を信じて。
Fさん、負けないでほしい、がんばれ!
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〔9月5日分の記述〕
Fさんへ。
いやあ、見事にひっくり返りました。
初めてロードバイクでひっくりかえった。
最近、夜間サイクリングを時々します。
やりたいことを昼間やると、どーしてもサイクリングが夜間になってしまうからです。
しかし夜間のサイクリングもなかなかにいいもので、きれいな夜景を堪能できて、なかなかに楽しめます。
強力なライトを買ったので、夜間でも平気でスピードが出せる。
しかし、そこに油断があった…。
夜間走行中、縁石と接触。
いや、接触というよりも、モロに衝突し、気がついたら体が吹っ飛んでいた。
自転車からはじき飛んで路上に投げ出される。
右ひじ、右ひざに強烈な痛み。
やっちまった!と思いながら、即座に車道から脱出。
自転車は縁石で止まっているから、まずは自分の体の確認。
腕は曲がる。足も曲がる。骨は折れてないようだ。
しかし強烈な痛み。打ち身くらいはしていると思った。
冬なので厚着をしていたのが幸いし、たいした怪我にはなっていない、これが夏だったら?たぶん擦り傷で血だらけだ。
しばらくして、痛みが若干和らいでから、自転車を確認。
こちらも、ほぼ無傷。奇跡的です。
ハンドルが曲がっていたが、力任せに直せた。
車輪も曲がってない、ちゃんと回転する。
ギアは?問題ない、全ギアちゃんと入る。
ライトも故障なし、問題なさそうだ。
…とおもっていると、路上に黒いゴム片が散らばっている。
まさか、タイヤのゴムじゃないよな、と思い、前輪を確認すると、フニャフニャだ。
完全に中のチューブが破裂している。
ロードバイクのタイヤは100気圧の空気が入っている。かなりの高圧だ。
これがクッションになってはじけたおかげで、衝撃が和らいだのだろうか?
ともかく、前輪は乗り手である僕を守るために、見事に粉砕したわけだ。
こうなると修理もおぼつかない。
じつはタイヤチューブの交換法は、まだ取得してないのだ。
しかたなく、近くの駅まで自転車を押して移動。
そこで家族に連絡を取り、救助要請するにいたった。
事故ったのは田子の浦湾だ、近所でよかった。
もし下田や富士山で事故っていたら?こうは簡単に救助されてない。
まだ腕とひざが痛いけど、軽症で済んだようです。
まあ、事故ってこの程度で済んだのは、むしろ幸運なのだと思う。
…でもロードバイクで走るのはやっぱり楽しい。
もやもやしていたものが、吹っ切れるからです。
今日は体力的にも余裕があった。
また走りたいです。
最近MTB(=山岳用自転車)の購入をマジで検討中です。
このあいだ書いた、芦ノ湖のサイクリングコース、よくよく調べたら、一部ロードバイクでは走行困難な場所があるという。
MTBがあれば問題ない。
本気で買おうか、思案中です。
今、君はどこでどうしているのだろうか?
時々でいいから、近くにいてくれたら幸せです。
いつかの奇跡を信じて。
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〔9月6日分の記述〕
Fさんへ。
最近ドキュメンタリーでこんな事を知った。
師弟逆転についてだ。
キリストとヨハネの関係。
そもそもキリストが弟子で、ヨハネが指導者だったらしい。
ヨハネはユダヤ教の離脱派を率いる指導者で、すでに多くの弟子をもっていた。
キリストはその教団に入った新入りという関係だったらしい。
時代は紀元元年からプラス5世紀前後らしい。
(キリスト誕生を紀元とする西暦は、作られた時点で、計算違いが生じていたことは、近代証明されたらしい)
当時、約束の地「カナン」はローマ帝国の一部であり、ローマから認められた総督が支配する場所だった。
ユダヤ教の指導者たちは、宗教祭事さえ保障されれば、ローマに従属する立場をとっていて、ローマ推薦のユダヤ総督を支持する立場をとっていた。
祭事の際には、多くの貧しいユダヤ教徒から、たくさんの「お布施」があり、宗教指導者たちは潤っていた。
潤うのは一部の宗教指導者のみで、一般の信者は一向に救われない。
そこで、祖先たちが約束の地「カナン」についた時点で、神による救済は完了したので、もう宗教上の戒律を守る必要はない、もっと自由でいいはずだととく離脱派が現れたわけだ。
ヨハネはその離脱派の指導者であり、当時の支配階層にとって、排除すべき異端者だった。
ヨハネ教団の新参者イエスは、どういう訳か「ハンセン病」に対する知識を持っていたらしい。
「ハンセン病」は近代に入るまで治療法が見つからなかった難病だ。原因は遺伝子にある。
イエスに遺伝病が治せるはずもなく、おそらく、痛みを和らげるなんらかの民間療法を習得していたものと推察します。
この行為が「奇跡だ」と人々に広がり、ヨハネ教団におけるイエスの地位が確立していったらしい。
最終的にはイエスが指導者になり、ヨハネは弟子になってしまう?という事だろうか。
異端の指導者はローマからもユダヤ指導者からも忌み嫌われ、ついに逮捕され、ゴルゴダの丘で処刑されてしまう。
(アニメファンならば、ああ、このとき使われたのが「ロンギヌスの槍」か、と思うことだろう)
この後、聖書ではイエスが「生き返る?」描写がされている。
この「イエスの復活」こそが、イエスが神が人の姿をして現れた者である証拠だ、とか、なんとか、そんなことになっているよーな気がします。
詳しい教義はしりません。
僕はこう考えます。
仕組んだのは「12使徒」と呼ばれる教団幹部のうちの4人。
元リーダーの「ヨハネ」。
そして事実上の妻であった「マグダラのマリア」。
あとの2人は2人ともイエスの一番弟子を自認する「ペテロ」と「パウロ」だ。
たぶん、イエスの代役を仕立てて、彼の癖やしゃべり方をよく知る「マグダラのマリア」が演技指導。
「ペテロ」と「パウロ」が復活劇の宣伝役。
シナリオライターは「ヨハネ」といった感じではないだろうか?
この後、ローマ共和国は、シルクロード交易による富が減少したことにより、国力が減退。
ローマを支えた奴隷たちは、次々に新興宗教であるキリスト教へ改宗し、脱走。衣食住は教団がまかなうことで脱走奴隷の受け皿になった。
(この辺の流れはスペイン映画「アレクサンドリア」で詳しく描写されている)
異民族の侵入と奴隷制度の崩壊、収入の減少により、国家体制が維持できなくなったローマ共和国。
この頃、異民族にも、元奴隷にも、ローマ支配層にも信者を増やしていた「キリスト教」を利用することで、ローマを立て直した人物が、後の初代ローマ皇帝というわけだ。…たぶん。
僕の記憶の限りで書いたので、細かい間違いがあるかもしれないが、おおよそこんな流れだったと思う。
初期キリスト教のことは、現在、ようやく考古学の世界で語られる機会が増えた。
現在の考古学の世界では、イエスが馬小屋で生まれたというのは、「誤訳」であるというのが定説らしい。
当時、イエスの生まれた地域では、半洞窟住居が一般的で、洞窟住居の上に、「上の階」である「家」を増築したりしたそうだ。
新約聖書では、宿がいっぱいで、しかたなく馬小屋で生んだ、とされている。
しかし、考古学的に考察すると?
当時のローマ語で、ユダヤ語の「上の階」という単語を「宿」と誤訳した可能性が高いという。
さらに、「馬小屋」という描写も、飼い葉おけにイエスを寝かした、という記述から、馬小屋にちがいないという決め付けが入っているという。
考古学で発掘された、当時の住居の構造で見ると?
「上の階」である増築部分は人がいっぱいいた。
そんな場所で出産するわけにもいかず、人目を避けるために、地下の洞窟部分へ移動し、出産した?というのが正しい見立てらしい。
当時、地下の洞窟部分には、家畜もいて、飼い葉おけあった。
(もしくは、物置だった可能性すらある、物置に使わない飼い葉おけがあっても違和感はない)
…宗教の教義に触れない部分で、こうして考古学的なアプローチをするのは、いいことのように思う。
宗教の教義には多くの誤解がある。
考えて、行動して、自分で答えにたどり着くことは、人生を豊かにすることと僕は信じます。
あせらず、心の声をきいてほしい。
深呼吸をして…。
何が言いたいかというと?
心の目で、何が真実か見極めてほしいということだ。
堕落して現世利得に執着する馬鹿には、多くの人の犠牲と苦難が見えないのだと思う。
君は何も悪くない。僕が保障します。
負けないでほしい、がんばれ!
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〔9月7日分の記述〕心の構え方①
Fさんへ。
最近は、普通の株式投資にはまっています。
裏技ではなく、正攻法のやつです。
まめ株投資で、目をつけた銘柄を「1株」だけ買っておく。
そして毎日チェックして、その日好調な銘柄にだけ、ピンポイントで100株買うのだ。
ここでのポイントは、仮に失敗して、逆に値が動いても、飲み込める額であることが、買うときの原則。
もし、自分の予想を超える損失をだすと?
心が平常心を失い、正確な判断ができなくなる。
うまくいくときもいかないときもある。
でも前回儲けた利益の範囲内での増減なら、元本われはしないから大丈夫です。
最近、株式投資に対しての、自分なりの心の構え方が、出来つつあります。
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〔9月8日分の記述〕心の構え方②
Fさんへ。
最近思うこと…。
車に乗っていると?マスクをつけたドライバーに多く会う。
付けてる人:付けてない人=6:4くらいだ。
気のせいかな…。
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〔9月9日分の記述〕心の構え方③
Fさんへ。
以前書いた、そのうちルーフボックスをつけた車を頻繁に見るようになるんじゃないかと。
…たしかに最近良く見る。
偶然かな?
こういう時?どうすればいいか?
すでに過去書いている。
全部“彼ら”のせいにしてしまえばいいのだ。
迷えば迷うほど、心が弱ってよくのがよくわかる。
こういう時、迷いは毒にしかならない。
仮に間違いならあとで、謝ればいい。
全部“彼ら”のせいと考えれば、物事が単純化する。
この心のコントロール方法は、以前に小説「千里眼シリーズ」に登場した「適応規制」の応用だ。
小説内では、こんな描かれ方をしていた。と記憶している。
アメリカに心を病んだシェフがいた。
彼は多くの心の問題を抱えていて、仕事に手がつかない。
治療に時間をかけてもいいが、それではシェフのいなくなった店が困ってしまう。
そこで彼の主治医は、彼の問題は全部、当時汚職のはびこっていた警察の仕業だとうそめいた。
それも具体的に警察のえらい人の名前を告げて、その人を憎むよう教えた。
復讐しようにも偉すぎて手が出ない相手なので、具体的に復讐はできない。
シェフは心の奥底から、その人物をうらんだ。
恨みが募れば募るほど、仕事は出来るようになる。
介護や医療の世界には「IADL」という言葉がある。
日本語に直すと「手段的日常生活動作 」というものだ。
上記の方法は、「心の問題」は解決できないまでも、「手段的日常生活動作 」の回復を早急に果たそうという目的がある。
「手段的日常生活動作 」とは、仕事をしたり、料理をしたりする能力のことだ。
出来なくとも死にはしないが、できないと生活が苦しくなる類の動作全般を指す。
(※これに対して「ADL」(日常生活動作)とは、手を動かす、とか、歩行する、とか、生きるうえで必要不可欠な動作全般を指す)
心は複雑にして繊細だ。
自分でコントロールするのは難しい。
しかし、不可能ではない。
“彼ら”の目的は、最小限の威圧で、ターゲットに「暗示」をかけ、相手の「手段的日常生活動作 」ができなくなるように仕向けることだと思う。
正常な判断力が徐々に削られ、最終的には人としての心をも破壊する。
最近見慣れない他県ナンバーの車を良く見ます。
大概は西日本のナンバーだ。
もう県内には増援要請に応じてくれるメンバーがいないということと、勝手に思い込むことにしました。
(そう、思い込んでみると、こんな事も思い出す。そういえば、マスクをしているのは車に乗っている人だけだ、徒歩の人にそうした種類の違和感はあまり感じない)
Fさん、今、君は一人で戦っているのだろうか?
大丈夫、安心してください。
君はもう1人で戦っているわけではないから。
負けないでほしい、君は圧倒的に正しいのだから。がんばれ!
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朝の6時から10時の仕事の日、僕はかならずコンビニによる。
時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。
たいがい不機嫌そうな顔をしていると思うけど、別に本当に機嫌が悪いわけではありません…たぶん。
(最近は就業後も頻繁によります。時間はまちまちだけど、だいたい16時すぎから21時過ぎ位の間です。仮に再会するなら?就業後のこの時間帯に会った方が、ゆっくり話ができる…)
東○の工場の西側すぐのとこにあるコンビニだ。
あの夏祭りの日、2人で別れたあのT字路のすぐそこにある、当時はなかったコンビニ。
「一週間」も「朝6時から10時」まで、そのコンビニの駐車場にいると、ほぼまちがいなく一度は僕を見るだろう。
(仮にすれ違って、僕が君に気づかなくても、気にせず声をかけてほしい)
もし君が僕の前に姿を現すとしたら?きっと、僕のまったく予想もしないような方法で現れるように思う。とにかく、待とうと決めたのだ。君を待とうと思う。奇跡を信じて。
(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)
〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください