表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
79/137

第79話 迷った時は原点回帰3

〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください

(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)

------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔2月16日分の記述〕


 Fさんへ。今日は本当は5月21日です。

 これは妄想です。

 また最近、他県ナンバーを頻繁に見るようになった…。

 しかし、静かだ。

 気のせいなのか…、それとも。



------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔2月17日分の記述〕


 Fさんへ。

 急にこんな事を思った。

 「お芝居」なら?

 普段言えない事も言える。

 そんなこともあったよねと、急に伝えたくなりました。


------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔2月18日分の記述〕


 Fさんへ。

 急にこんな事を思った。

 仮に再会するならば?2人で、偶然ばったりあったという設定で、お芝居できたら?

 たぶん、スムーズに会話が出来る。


------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔2月19日分の記述〕


 Fさんへ。

 こんな事も思った。

 2人ともとぼけるのはともかく、嘘をつくのがが苦手、だからお芝居は長続きしないよなとも思う。

 でも、スムーズに会話をはじめるきっかけには、なるよなとも思う。

 急にそんな事思いました。

 どうなのかな…。

 いつかFさんがどう思うのか聞きたいところです。


 いつかの奇跡を信じて、君をまとうと思います。

 負けないでほしい、がんばれ!

------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔2月20日分の記述〕


 Fさんへ。今日は本当は5月22日です。夜勤なので本日午後3時に家をでて、コンビニによってから、仕事場に行く予定だったりします。


 こんな事も思います。

 ニュースで、LCCでパイロット不足は指摘されているという。

 よくよく聞くと、よりいい職場環境の会社にパイロットを引き抜かれて、それを補うためにやとった外国人機長も健康面などでリタイヤ等が続き、人員確保に支障が出たとか…。


 これって、景気が良くなったから、雇用環境が改善した結果と見ることも出来る?

 以前書いたけど、この先はデフレを前提とした雇用環境はだんだんなくなってゆくのではと思います。


 こういうデフレからの脱却をリフレーションというらしい。略してリフレと。

 インフレとの違いは、人がコントロールして脱却している状況である?と個人的には認識しています。


 こんな記事をみた。

(以下転記)

[東京 21日 ロイター] -


〔外為マーケットアイ〕


 <16:04> ドル101円割れ、黒田日銀総裁会見受け


 ドル/円は100.92円付近。

 黒田東彦日銀総裁の会見が始まると101.00円を割り込んだ。

 一時100.80円付近まで下落し、2月4日につけた年初来安値100.75円に迫った。

 市場では「黒田総裁が追加緩和を急いでいる雰囲気はない。

 『異次元緩和は所期の効果を発揮していて予想通り進んでいる』という、強気の発言が繰り返されている」(国内証券)との声が出ていた。



 <14:25> ドル101円前半、円ショートの解消進まず


 ドルは101.23円付近。日経平均の下げ幅縮小に伴い、小幅に反発している。

 102円後半で円ショートを抱えたまま身動きが取れない投機筋が多く、ドル/円の上値を抑える一因となっている。

 市場参加者によれば、こうした円ショートは「日銀が非伝統的金融緩和を継続してくれるとの期待に基づいて作られたものだが、円安が思ったように進まないことで、利食いの機会を失っているばかりか、ロスカットもできずにいる」という。


(転記おわり)


 この記事を見る限りにおいては、個人的にはこう思う。

 日銀がより「非伝統的な金融緩和」を加速させる。と同時にアメリカの景気回復が本格化する。

 …という状況がそろえば?おそらくシナリオどおり、景気は改善し、税収もあがる。


 世の中は良くなっていると、信じたいところです。


 こうも感じます。

 世の中は改善するのは、狂信的な信心ではない。

 長年積み重ねられてきた、人の英知だと思う。

 “彼ら”は教祖よりも以前の人類の英知や、仏教の経典を無視する。

 歴史を無視するカルトは、自分の都合しか主張せず、世の中を結果的に堕落させている。

 “彼ら”は過去20年リフレを主張しなかったのは事実だ。

 


 世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです。

 手が出せば届くような単純なものではない。

 単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。

 物事は単純ではない、なにかしらバイアスがあり、それらが絡み合い“何か”を引き起こしている。

 単純な真理1つで救われるほど、単純ではない。

 まして、意味も解らず教えを妄信すれば、世界が救われるなど、ありえない事です。


 Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!

 君の周りの人に伝えてください。

 「わかろうとしないのは目の前しか見ていないからよ」と。

 「教えが正しいとか間違ってるとか、そういう問題じゃないのよ!」と。

 「それもの凄い犯罪なのよ!わたしそれに気づいたの、もう戻れないわ」と。

 彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。

 それが証拠に、彼らは彼ら自身の行いで、ドンドン日本を荒廃させている。


 「いいわけ」と「ごまかし」の果てにある「悪意の集約」が何を引き起こすのか?

 冷静に考えれば、わかることです。


 これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。

 教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。

 “質”が問われているのです。そう伝えてください。

 君が戦っているという前提で書きます。

 君は自分で思っている以上に強い人です。


 負けないでほしい、がんばれ!

------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔2月21日分の記述〕


 Fさんへ。こんな事も思う。

 今、“彼ら”と君が戦っているならば?

 この仮定にたって、こんな不安も浮かばなくもない…。

 話し合いの場では、飲み物も出されるだろう。

 飲まないと失礼と感じるかもしれないが、警戒は、したほうが、いいように、漠然と感じます。


 以前この小説内でも書いたけど、僕は子供のころ、たぶん“彼ら”のものであろうクリスマス会に参加した記憶がある。

 同じ町内会のものと言われ参加したが、あきらかに様子が違った。知り合いが1人もいないし、大人が威圧的だったとか、書いたと思う。

 こうも書いたと思う。

 どういうわけか?急に体調不良を感じ、会を途中で抜け帰宅したと。

 その後、発熱し、本当に家で寝込んでしまった。


 僕は当時めったに風邪をひかない子供だった。不意に風邪を引いてねこむなど、3年に1度あるかないかくらいだった。

 そして、一晩寝るとけろっと直った記憶がある。


 懸念がある。

 飲み物かなにかに、薬か何か盛られたのでは?と。



 こんな記憶がある。

 君も覚えているだろうか?

 高校卒業後、吹奏楽部OBで飲み会に参加した際、君は僕の隣に座り、こう僕に話した。

「私、お酒をのむと記憶がなくなるの」と。


 稀有であればそれにこしたことはない。


 しかし、“彼ら”のなかにも、当然悪質な連中はいるわけで。

(気持ちを落ち着かせる薬とか、なくはない。

そういう薬でももられたら?話し合いの際、言いくるめられる可能性は増してしまう…)

 警戒にこしたことはない。


 君の名前の最初の1文字は「真実を見て(知り)理解する者」と言う意味がある。

 名づけた方の意思に反しようが、真実を見極めてもいいと思う。

 なぜなら、その名前の字をこの世に送り出した人々は、名づけた人よりも遥か昔にいた人々で、過去存在した多くの人々の想いがその名の意味を支えている。

 君の名の1文字は歴史を重ねて作りあがっています。そして、その1字の意味の通り生きていいのだと思う。


 君は価値ある人物です。僕に大切なものをくれた。


 僕は高校時代の君の謎の言動の真実を理解したい衝動をずっと持っていた。

 あの笑顔の意味を知りたくて努力した。

 生まれつきの鈍感さはあいかわらずだけど、努力して得たものは、確かに君の心に繋がったと感じた。


 心のなかの“それ”を大事にして、追求するのは、人として正しい行為だと僕は感じる。

 もし、君も同じような感覚を抱いてくれるなら嬉しいです。

 いつか、どう思うのか聞かせてください。

 いつかの奇跡にかけます。


 負けないでほしい、がんばれ!

------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔2月22日分の記述〕


 Fさんへ。こんな事も思う。へんな車をみました。

 自宅前で車庫入れをしようとしたら?

 後ろに車がいました。

 …めんどうなので、先に行かせる為自宅前を一端すどおりし、回り込んで自宅前にもどった。

 するとさっき道をゆずったのと同じ車が、対面に現れた。

 どこかでUターンしてきたのだろうか?

 気のせいかな…。

------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔2月23日分の記述〕


 Fさんへ。こんな事も思います。

 もし、君が、僕が「気づいたよ」というメッセージを受け取ったなら?

 喜ぶか、もしくはそれに近い感覚をもつというか…。ともかく重く受け止めるのではないだろうかと。


 こんな事も思う。

 僕も「(メッセージは)届いたわよ」というなにかしらのシグナルが来たら?

 飛び上がって喜ぶ。


 もしかしたら見逃しているのかもしれない?


 なにしろ長年いじめられてきた所為もあり、人のマイナスの感情は微妙なニュアンスまで読み取れるのだが、プラスの感情を読み解くのは苦手なのです。

 だれか最愛の人がいっしょにいてくれれば、この苦手も克服できるかもしれない。

 そんな事も思ったりします。

------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔2月24日分の記述〕


 Fさんへ。こんな事も思います。


 自宅向かいの家のいかにも“彼ら”らしい行動については、何度か書いたと思う。

 僕が帰宅すると、タイミングをあわせて出てきて、車に乗ってどこかに行くことがよくある。

 そしてその度にもちろん無視されるわけだが。


 この小説内でもかいたけど、こちらの動きにあわせて、不意に視界に出現する威圧の仕方がある。

 このタネについても書いたと思う。 

 あれは、音でタイミングをとっている。

 時々、僕の前を歩く人の音に、間違えてタイミングを取る馬鹿を、何度か見たからだ。


 ここの家の青年部は、しつこそうです。

 いつも自宅前にじゃまな不法駐車してしまってごめんなさいと言うことができないばかりか、車庫いれできないからどくようクラクションをならすと、あわててどかすまではいいが、にらみつけるのだ。え?そこは平謝りするところじゃないの?不法駐車していて、通報してないのだから。と思うのだが、文句を言った僕に頭を下げてほしいと言わんがばかりの態度だったりする。

 そんなところが、とても“彼ら”らしい。


 “彼ら”は自分勝手な理屈で、本気で自分たちが正しいと思い込むよう洗脳されている。

 Fさん、君のまわりにもいると思う。

 自分がまちがっていて、あやまるべき側なのに、本気で、素で、そのことに気がつかない、純粋に洗脳されてしまった人たちが。


 ともかくその世界からは、距離をとるのが正解だと思う。


 君が今も戦っていると信じて書きます。


 負けないでほしい、がんばれ!

------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔2月25日分の記述〕


 Fさんへ。今日はまた夜勤なので、このあと午後3時に家をでてコンビニによってから仕事場へ向かいます。


 こんな事を最近思ういます。

 

 映画「万能鑑定士Q」という映画がある。

 新作の映画だ。

 小説「万能鑑定士Qの事件簿」(松岡圭祐:著)の映画化作品だ。


 この小説読んではいない。


 しかし、著者の松岡圭祐には畏敬の念を抱かざるを得ない。なぜなら?

 その理由は過去、この小説内に何度か書いている。

 この著者は、「千里眼シリーズ」の著者なのだ。


 「千里眼シリーズ」を読んでいたおかげで、催眠と暗示はオカルトではなく、脳の仕組みを利用したトリックであり、科学で理解できるものだと知っていた。

 正直、現実の実生活で、この知識が本当に役に立つとはまったく思わなかった…。

(というか、著者も“彼ら”のターゲットにされた過去を持っているのでは?と思うような描写があちこちにある。継続にきかされる低周波音とか、生理的に生き物への影響をあたえる飛行機の異音とか、シナリオに沿うように選択肢を誘導させられる描写とか、)


 …この小説を読んでなかったらどうなっていたかわからない。

 感慨深いものがあります。



 「千里眼シリーズ」は何度か映像化されている。

 「リング」が流行った時期、オカルト映画の一角として、映画化されたこともある。原作の魅力はつたわらず、だ作中の駄作だった。

 その後、数年し、メディアミックス戦略にのっとって映像化されたことがある。

 小説の続きを、DVDオンリーの映像作品として販売し、そのさらに続きを小説で出すというものだ。

 小説ファンは必然的にDVDを観なければならない仕組みだ。

(この手法は、映画「マトリックス」のものをまねたものだと思う。映画「マトリックス」も「映画第1作→アニメ→ゲーム→映画第2作」と観ないと、内容がつながらない仕組みになっていた)

 しかしこれもつまらなかった。

 思うに「千里眼シリーズ」は映像化しにくい作品なのだ。


 出版社サイドもその事実に気がついたのか?

 映像化しやすい…、というか、世間受けしやすい作品を創作したほうが、正しいことに気がついたらしい。

 「千里眼シリーズ」が一応の大団円を迎えたので、著者も新作を書いた。それが「万能鑑定士Qの事件簿」だ。


 …いつか読もうとは思うのだが、今は小説よりも知識欲がみたされる新書系の本ばかり読んでいます。




 こんな事も思います。

 昔、大学時代、友人に「集団無意識」なるものの事を聞いたことがある。

 人間は深層心理のさらに奥の部分で、超神秘的なつながりをもっているとかいう話だ。

 心理学者のユングが唱えた説だ。


 僕がこの概念に最初に遭遇したのは、大学生の時、深夜ドラマ「ナイトヘッド」という超能力ドラマに出てきたときだ。

 このドラマ、見たことはない。しかし、大学の友人が話しているのを聞いて、集合無意識なるものが出てくることを聞いたのだ。

(この「ネタ」は超能力ものには定番の設定らしく、たびたび登場する。

 最近では「スペック」に登場する悪役、ニノマエが時間を止める原理として登場していたような気がする。

 たしかニノマエは集合無意識から離脱して別の時間枠に移動できるとかなんとか…。

 アニメでは「コードギアス・反逆のルルーシュR2」の最後のほうに出てきたように思う。

 アーカーシャの剣で人類の集合意識と対峙したルルーシュは、その集合意識そのものにギアスをかける…

 みたいな話だったような気がする。まちがいかな。非常にテキトーに書いています。

(そういえば、「涼宮ハルヒの憂鬱」にでてくる、統合思念体も、これに類するものだし、むかしNHKでやっていた「ジーンダイバー」の敵、スネーカーの正体もこれだった。

 思い出してみると、けっこう出てくる。最近では、「009 RE:CYBORG」の「彼」もこれに類すると思う))


 なぜにテキトーか?

 まったく興味がないからだ。このいかがわしい学説が、どーしてもてはやされるのかまったくわからない。

 最近読んだ本にこんな事がかかれていた。

 フロイトとユングは先生と生徒だったど。

 初めて知ったのだが、フロイトはユングの、このいかがわしい学説に頭に来て、二度と口をきかなかったという。

 しかし、世間では多くユングの集団無意識は支持されているとか。

 宗教と結びつけて、神の存在こそ集合無意識だ、みたいにとなえるらしい。


 じつにばかばかしいと思う。





 松岡圭祐の「千里眼シリーズ」に集団無意識なんてものは登場しない。

 臨床心理士(=昔の精神科医)が最新の知識で武装して登場し、迷信やオカルトを論破してゆくのが清清しかった。

 フロイトやユングなどは、古典過ぎて名前すら登場しないのだ。



 しかし一番重要なのは、君の気持ちに気がついた事だった。

 Fさんがたった1人で、僕を守るため奮闘してくれた事実が、「まけるものか」という気概になったのも、確かです。



 “彼ら”の恥知らずな行為は多くのメンバーの失望と苛立ちを招くだろう。

 そに事実は衝撃として伝えられ、多くの人に迷惑をかけるはずだ。


 「彼方が人々に与えた「衝撃」は尋常じゃないものだわ、みんなへの謝罪を無視していいはずないでしょ」

 

 と言ってもいいと思う。


 君は今も戦っているのだろうか?

 謝る時、人は最小限の謝罪で済まそうとする…。

 もし相手がそんな謝罪で済まそうとしたら?

 「とりあえず“ハンコ”ついてくれる?そしたら皆彼方の反省が本物と理解するわ、謝罪には行動が伴わないと意味がないわ、口ではどうとでも言えるもの」

 と、すごむ権利を君は持っている。大丈夫です、お釈迦様とてきっとそう言ってくれます。



 「心理的圧迫」と「利益誘導」をたくみに織り交ぜて、巧妙に「心を」誘導するのが“彼ら”の手口だ。

 気をつけて!


 君は今も戦っているのだろうか?

 苛烈をきわめるかもしれない。

 でも、君は間違ってない。

 大丈夫です。

 Fさんは、誰よりも強い心をもっています。


 負けないでほしい、がんばれ!


------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔2月26日分の記述〕


 Fさんへ。今、大河ドラマ「平清盛」を見返しています。

 連続してみてはじめて気がつく…、ああ、3部構成だったんだと。


 このドラマ、なにがいいのかわからないが、ともかく琴線に触れるものがあります。

 なにが良いと感じるのか?自分なりに咀嚼「できれば」?自分の感性がどういうものか理解が進むというものです。

 不満はある。当初こそ海賊船を出したり、大掛かりな屋外ロケを慣行しているが、その後は予算が尽きたのか?

 大掛かりなロケはしなくなった。

 特に源頼朝の流刑地、蛭が小島周辺は、まさにぼくらの地元なわけだけど、もうすこしロケをやってもいいのではと思う。

 セット撮影がおおく、そのあたりが、残念だったりする。

 第3部の主人公、源頼朝を栄える絵で見せたければ、ロケにすべきなのにと感じた。



 平清盛は太政大臣まで上り詰めた後、一門のものを高い地位につける。

 こうし地位の高い同族が、さらに一門の者の地位を上げるよう取り計らう。

 時間とともに平家の政治力が増す、と描写されている。

 演出の意図としては、学校の歴史では?政略結婚を通して権勢を拡大した平家、と習うが、それだけではなく、こうした政治力もあったと言いたいように感じた。



 この政治手法は、戦前の日本の軍部のやり方に似ている。

 薩摩・長州勢力に政治の実権を握られ、天皇を中心とした本来あるべき姿が捻じ曲げられたと感じた軍部は、クーデターを繰り返した。

 5・15事件や2・26事件だ。

 しかし実力行使では権勢がとれないとわかると、政治手法に切り替えてくる。

 軍部の息のかかったものを、官僚として高い地位にたくさん送り込むのだ。

 最初の一手は、人事権を掌握することで、いきなり高い地位から攻めなかったのが、平清盛の時代とは違う。

 人事を担う官職を掌握し、時間をかけて、軍部の人材を、政府の要所要所につかせ、薩長勢力と勢力を均衡させていった。

 当時、軍部は天皇の権威をたてに、戦争に反対するものを「非国民」とののしったが、あれは、薩長勢力を攻撃するために、反軍部勢力(薩長勢力)=非国民というイメージを構築したかったのだろう。



 こんな話も聞く。

 ある世界的なアニメ製作会社の要職に“彼ら”がついていると。

 なぜにそんなところに?とも思えるが、手の届く範囲から地道に制圧して、政治力を上げようという地道な戦略の一端なのかもしれない。


 たしかに人事権を掌握して政治力を上げる手法は、戦前に限らず、現在の日本において非常に有効な手法の1つだ。

 官僚改革で政府が人事院の改革に着手しようとすると、着手そのものから出来ないように圧力がかかる。

 ここが肝心要のウィークポイントであると、よくわかっているようなのだ。

 昔、官僚を罷免するために刺し違える(=比喩表現、大臣と官僚双方辞任で痛みわけ)なんてこともあった。

 本来大臣には人事権があるはずなのだが、現在の官僚機構は、理屈を捻じ曲げて、何が何でも人事権を守ろうと画策する。

 もし、この人事権に手をだしたら?無傷では帰さないと言わんがばかりだ。


 君が今も戦っているという前提で書きます。


 たぶんだけど…“彼ら”はこう考えるはず。

 自分たちの利権を侵害するならば?無傷では帰さない、と。


 まあ、考えるのは勝手なのだが、被害者の立場からみたら、こうも思う。

 傷ならとっくに負っている。長い時間無数に。

 いまさら1つ2つ増えたところで、動じない、と。


 傷を負ったことのない“彼ら”の幹部クラスは、かすり傷程度のダメージで、天地がひっくり返ったような大騒ぎをするだろう。

 Fさん。実際君のまわりにいないだろうか?そういう人。

 「彼方が人々に与えた「衝撃」は尋常じゃないものだわ、被害者ぶるのはいい加減にして、そろそろ皆に謝罪してもいいんじゃない?」

 と言う権利がFさんには、あるように思う。

 「あなたの受けたショックなど、わたしから見たらかすり傷以下よ。男気を見せなさい」と言ってもいいと思う。



 確信して言えるのは、高校時代、FさんはたくさんのSOSを発していた。

 しかし、疑問に思いつつも、その意味に気がつかず、当時の僕は無力だった。

 今は違う。 

 真実に気がつき、君の想いの価値を知り、大切さを学んだ。

 僕は君に返したいものがある。

 当時君が僕に望み、そして僕が当時君にあげられなかったものだ。

 そんな想い、いつか届く奇跡を信じます。


 …もしこれを読んでいる人の中に彼女を知る人たちがいるならば、同じように彼女を知る人たちに伝えてほしいです。


 Fさんは貴方たちの知るように、人の模範になるような人間です。

 その彼女が、信じられない行動を仮にしたなら?

 それには、相当な理由があるのです。


 それを理解してあげてください。お願いします。


 Fさんは、言われたことは素直に守るような子だった。

 いつもきちんとしていて、制服も校則をきっちり守って着ていた。

 先生にも逆らわないし、いつも控えめで、自分よりも他人をたてた。

 非常に模範的な高校生だった。


 その彼女がけっこうな頻度で学校をエスケープする事実があることを僕は知っている。


 なにか強烈なストレスでもない限り、そのような行動はとらない子だ。



 そういうところは、今でも基本的に同じなのではないだろうか?

 そう、漠然と感じます。

 もしこれを読んでいる人の中に彼女を知る人たちがいるならば、同じように彼女を知る人たちにこれらのことを伝えてほしいです。



 Fさん。声なき声を発していいと思います。

 非力でもいい、あきらめず、前を向き続けることに意味はある。

 “彼ら”が一番恐れるのは、「生気せいき」を失わない人間だ。


 負けないでほしい、がんばれ! 

------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔2月27日分の記述〕


 Fさんへ


 …前回の続きです。

 そういえばこんな事も思う。


 ドラマでは平清盛がいないと、平氏は公卿に簡単に言いくるめられてしまう。

 清盛がもし亡くなったら?政治的に立ち行かなくなる…。


 “彼ら”の場合はどうなのだろう?


 少なくとも、教祖存命中に日本を手中に収めるのは、無理だと思う。

 後継者は?


 どうなのだろう?

 1つ言える事がある。

 まともな組織なら、いい人材がいない場合、外部から呼べる。

 外の風を取り入れて。


 なぜにこんな悲劇がおこるのか?

 それはその組織単独では完結していないからだ。


 外に目を向ける勇気は、実行が難しいにしても、心のなかで唱える価値のあることだと思う。


 君だけの答えに、君が気がつける日を信じて。

 負けないでほしい、がんばれ!

------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔2月28日分の記述〕


 Fさんへ。今日は本当は6月10日です。

 日常のことを徒然なるままにかこうと思います。


 理由の程は不明だが、なぜかストレスがとれます。

 自分でもうまく説明できないが、この方法だと、自覚できない無意識の部分の自分がどーもリラックスして喜ぶらしい。


 なにをしたかというと?

 たいしたことではない。

 車の中のPC環境を変えたのだ。

 車載PCをおろして、スマホに変えた。PCよりも操作性が格段にいいからだ。

 しかしスマホ単独では、外付けHDD内の大量の動画にアクセスできない。

 そこでサーバーも車載して、無線LAN経由で、アクセスするように組んだ。こうすると扱いが容易で、疲れて帰宅するときでも、容易に動画が見れる。

 「NHK大河ドラマ独眼龍正宗」や「NHK大河ドラマ平清盛」といった、連続ドラマを「聞きながら」運転していると、どーゆーわけかリラックスできる。

 理由は不明です。


 しかし、リラックスできるのは事実なので、しばらく試してみようと思います。


 たぶん面白くて懐かしい連続ドラマが見たい、という無意識の欲求があったのだと思う。

 自分の中の「「おもしろい」とはこういうものだ!」という感覚を、面白いものを見ることで再調整したい要求?見たいなものが、意識下にあったんだと思う。

 乾いた砂に水がしみこむがごとく、ドラマの内容が頭に染み渡ります。


 たぶんだけど、どーやら僕は、そういうものが、やっぱり好きらしい。



 Fさんに伝えます。

 こんなことも思う。


 最近スマホで「星座表」というアプリを使っています。

 空にかざすと、リアルタイムで今現在の星空を写してくれる。星座が表示され、実際の星空と照らし合わせることで、簡単に星を見つけることができるものだ。

 スマホの位置情報と時間情報をもとに、その時その場所でかの角度から見える星座を写しているのだと思う。

 今回このソフトをつかって、初めて月の横にある火星の位置を知った。うわさには聞いていたが、火星を肉眼で認知したのは初めてです。


 空や月や、太陽は、いつもかわらずそこにたたずみ、僕らを照らしています。

 そこに思いをはせる事には、意味があるように思う。

 自分の小ささや、世界の大きさを感じる事ができるからだ。


 それがなに?と言われてしまえばそれまでだが、なにが心の気を晴らしてくれるかはわからない。

 なにが役にたつかわからないけど、書かないで後悔するよりは、書いて君に伝わることを祈ったほうが、良いように思いました。


 僕には君を励ますことしかできない。

 しかし、いつかの奇跡を信じて、励まし続けたい。

 誰かは馬鹿にするかもしれない。

 しかし、君はたぶん、こう、思うだろう。

 「Kくんは、あいかわらずね」と。


 確信して言えるのは、高校時代、FさんはたくさんのSOSを発していた。

 しかし、疑問に思いつつも、その意味に気がつかず、当時の僕は無力だった。

 今は違う。 

 真実に気がつき、君の想いの価値を知り、大切さを学んだ。

 僕は君に返したいものがある。

 当時君が僕に望み、そして僕が当時君にあげられなかったものだ。

 そんな想い、いつか届く奇跡を信じます。


 …もしこれを読んでいる人の中に彼女を知る人たちがいるならば、同じように彼女を知る人たちに伝えてほしいです。


 Fさんは貴方たちの知るように、人の模範になるような人間です。

 その彼女が、信じられない行動を仮にしたなら?

 それには、相当な理由があるのです。


 それを理解してあげてください。お願いします。


 Fさんは、言われたことは素直に守るような子だった。

 いつもきちんとしていて、制服も校則をきっちり守って着ていた。

 先生にも逆らわないし、いつも控えめで、自分よりも他人をたてた。

 非常に模範的な高校生だった。


 その彼女がけっこうな頻度で学校をエスケープする事実があることを僕は知っている。


 なにか強烈なストレスでもない限り、そのような行動はとらない子だ。



 そういうところは、今でも基本的に同じなのではないだろうか?

 そう、漠然と感じます。

 もしこれを読んでいる人の中に彼女を知る人たちがいるならば、同じように彼女を知る人たちにこれらのことを伝えてほしいです。



 Fさん。声なき声を発していいと思います。

 非力でもいい、あきらめず、前を向き続けることに意味はある。

 “彼ら”が一番恐れるのは、「生気せいき」を失わない人間だ。


 負けないでほしい、がんばれ! 

------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔3月1日分の記述〕


 Fさんへ。今日は本当は6月10日です。

 明日は午前9時半に家をでてコンビニによってから、仕事場へ行こうと思います。


 今日、ようやく届きました。

 以前注文した折りたたみ自転車「ルイガノPOP」。

 やっときました。いや、実に長かった。


 まだ試し乗りの段階で、正確な感想が書けないけど、第一印象としては悪くないです。


 Fさん、覚えているかな?公会堂。

 部活で定期公演によく使った。

 自宅からあのあたりまで走ってみた。

 近日中にあのあたりの駐車場を使う予定があるので、下見がてら、ためし乗りです。


 最初、バランスに違和感があったけど、わりと素直にすいすい進みます。

 他の小口径自転車と乗り比べたわけではないが、悪くない感じです。


------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔3月2日分の記述〕


 Fさんへ。今日は本当は6月10日です。

 明日は午前9時半に家をでてコンビニによってから、仕事場へ行こうと思います。


 …続きです。

 で、街乗りの感じは悪くなかったわけです。

 次はどうしたか?

 芦ノ湖で試乗してみました。


 なぜに芦ノ湖?

 まあ、たまたまなのですが、近日中に箱根にロードバイクでチャレンジしたいと思い、今一度車で芦ノ湖まで行き、路面状況などを確認したかったのです。

 で、行ったついでに、遠出した訳です。

 意図としては?遠出した先で、トラブルなくスムーズに折りたたみ自転車を自動車から降ろしたり載せたりできるか?の確認と、初めての場所での使用も問題ないか確認したかった。


 箱根を車で登る。

 以前、江ノ島サイクリング以来、2回目の車での箱根登山だ。

 以前は気にしなかったが、たしかによくよく見ると、たいした坂ではない。

 ロードバイクの性能なら問題なく登坂とはんできそうだ。

 あとは体力の問題だけど、こればかりはやってみないとわからない。

 とりあえず今回は下見のみなので、ロードバイクは今回はパスです。


 芦ノ湖に到着。案外早くつく。こんなに近かったのかと改めて認識しなおす。

 この近くには「月光天文台」もあるし、「函南原生林」もある。あの有名な「彫刻の森」もある。

(彫刻の森は実はすごい美術館なのです、あまり知られてないけど)

 この先、この場所を自分の休日を過ごせる場所にできるかどうかは不明だが、いい場所ではある。


 しかし、ここ、カップルが多いのです。

 1人身ではけっこうつらい。

 だれか、最愛の人がいてくれたら…。そんな事も思ったりします。

------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔3月3日分の記述〕


 Fさんへ。今日は本当は6月10日です。

 明日は午前9時半に家をでてコンビニによってから、仕事場へ行こうと思います。


 とりあえずせっかく来たので、芦ノ湖を車で回ってみた。とりあえず半周してみる。

 途中からものすごい坂道に遭遇。自転車で走ったらどうなるだろう?などとイメージしながら走った。

 芦ノ湖の北まできていったん停車。

 この先は有料道路と記憶している。

 しかし特に有料道路を使う理由もない。芦ノ湖周辺がどんな感じかイメージできれば目的は達せたわけで、今回は半周でなんとなくイメージできたから引き返すことにした。

------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔3月4日分の記述〕


 Fさんへ。今日は本当は6月10日です。

 明日は午前9時半に家をでてコンビニによってから、仕事場へ行こうと思います。


 芦ノ湖といえば「海賊船」だ。

 今回は海賊船の船着き乗り場の無料駐車場を利用した。

 いったん、ここから北へ半周し、また戻ってきた。


 次はいよいよ「ルイガノPOP」を降ろして試乗してみる番だ。

 車に乗っていて思った。

 湖面に近い道は、どうやら車ではしれないらしい。

 しかし自転車ならどうなのだろう?と。


 自転車で走ってみると、わりあいすいすい走れることに気がつく。

 この自転車、性能わるくない。坂道でもストレスなく走れる。

 このクラス価格で小口径自転車で、8段変速はめずらしいと本で読んだ。

 8段ギアは非常に満足のいくものだった。


 湖面に沿っては走れなかった、河口湖や山中湖のように、湖面を見ながら走ることは無理なようだ。

 しかし、プリンスホテルの敷地内を通過すると、歩行者と自転車のみが通過できる散歩道が用意されている。

 湖面はよくは見えないが、車でものすごい劇坂を通過していた区間を、平らな道でひた走ることができた。

 気がつくと先ほど車で来た、湖北方面近くまで来ていた。


 この自転車の性能が良いのか?それとも距離が本当に短いのか?

 この日はまだ「ルイガノPOP」に自転車ナビは装備できるようにしてなかったので、距離に関するデータがわからない。


 しかし、この自転車で簡単に半周できるならば?

 ロードバイクなら一周するのは、比較的簡単だろう、と思った。

(しかし、この道は歩行者もとおる散歩道だ。ロードバイクで全速力で走るのは無理だろう…。仮に走るなら?流して走ることになる。もしくはこの道をあきらめて自動車道を行くことになる)


 今回、芦ノ湖を下見して、こう、思った。


 ロードバイクで芦ノ湖を一周してから、いったん三島方面に下り、途中引き返して上りに転じれば、面白いサイクリングができるかもしれない。

 あるいは?自宅からロードバイクで直接でかけて、箱根登板に挑むプランもある。

 どの方法がいいか?しばらく思案しようと思います。


 Fさん。僕は今でも生きています。

 君と同じ、空のした。同じ太陽を見ながら、今も生きています。


 時々こんなことも思う。

 この空を、Fさんもどこかで見ているのだろうか?と。

 どんなに離れていても、国内近辺ならば、同じ空を仰ぐことができる。

 その範囲に君はいるのだろうか?どうなのだろうか?


 Fさんへ。

 こんな事も思います。


 Fさんは、がんばったね、君はよくやった。と。

 言ってほしいのではないかと…


 いつか直接いえる日を待ちます。ともかく待つと決めたのだから、とにかく待とうと思います。


 負けないでほしい、がんばれ!

------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔3月5日分の記述〕


 Fさんへ。今日は本当は6月12日です。

 明日は午前6時に家をでてコンビニによってから、仕事場へ行こうと思います。


 今日、研修に行ってきました。

 研修の中で、こんな話があった。

 うけられる介護サービスがあるのに、断ってしまう人がいると。

 一人で全部背負い込み、結果として介護疲れで限界に来るのはわかっているのに。


 こういう人は、介護に殉教する「殉教者」のような気持ちになっているのだという。


 これを聞いて僕にはどうしても払拭できないイメージがある。

 いままで、Fさんの状況を簡潔でわかりやすくたとえる言葉はないものかと、ずっと考えてきたけど、今日の研修を聞いて、どーしても、払拭できないイメージができた。



 まるで、Fさんは、その宗教の「殉教者」となるように、生まれたころから育てられたかのようなイメージだ。


 このイメージなら?こう解釈もできる。

 君はあの夏祭りの日、一緒に「紅の豚」を見に行って、僕にこう言った。

「私も賭けをしているの」と、ものすごいキラッキラした目で、僕をみつめて言った。

 そのくすぐったくなるような笑顔に、僕は抵抗できず、「賭けって何?」としか答えられなかった。


 もし、僕の憶測がただしいなら?

 もし、賭けに勝ったら?殉教者を辞めてもいい?…くらいに思っていたのだろうか?


 わからない、どこまであっているのか。

 いつか、正解かどうか確かめる日はくるのだろうか?



 …ただ1つ言える事は?

 仮に君が今も戦っているならば?もし元に戻っても、あいては君に「殉教者」としてのFさんを再び求めてくることだろう。


 生き方は人の自由だ、誰彼がこうしろと誰かに決めていいものではない。

 ただし、犯罪に手を染めるような行為に関しては、それはやめるべきだと、問いただす権利はあると思う。

 “彼ら”は究極のカルトである側面を持つ。そんな組織にみさおを立てて、殉教を強いる行為は、人としておかしいといわざる得ない。


 たぶん、誰かは言うだろう。

「なんで嫌って言わなかったの、言わないあなたに問題がある」とか。

 しかし、それは酷な話だ。

 もし幼いころから殉教者として育てられたのなら、神の勧める試練を断ることはできない。

 どんなに疑問をもち、どんなに理不尽な事柄でも、殉教を覚悟したならば、断る選択肢は最初からないのだ。


 最初に書いた。受けられる介護サービスがあるのに、楽することは罪と考える介護殉教者は、自分が倒れて病院に担ぎ込まれるまで、サービスを断って自力で何とかしようとしてしまう。

 ケースにもよるだろうが、周りも面倒な介護に巻き込まれたくないと考えた場合、見ているだけで手助けも少ない。

 そして、その様なケースになればなるほど、「私ががんばらないといけない」という殉教の精神に拍車がかかるのではないだろうか?



 “彼ら”は他人に犠牲を強いる。殉教者が1人いなくなると、たぶん回りは迷惑するだろう。

 しかし、殉教者に支えられた幸せというのも、お釈迦様が唱える幸せかどうか疑問です。



 Fさんに伝えます。

 何が言いたいのかというと、もし、いまでも君のまわりにいろいろ言う人がいたとしたならば?

 こう言い返せばいいと思う。

「殉教者はあなたに任せたわ」と。

 無責任な人ほど、しり込みするだろう。


 逆らったら、周囲の人間がひどい目に遭う!と脅されたら?

「殉教者がいなくなったら、いい思いできなくなるものね」と言い返せばいいと思う。




 とにかく、何が正しいのか、誰が悪いのか、どうすればいのか?

 その答えは組織内にいては永久に出ない。

 脱出が先決です。

 それらは脱出してから考えればいい。


 

 いつまでもそこにいてはいけません。

 なぜなら?その答えは君の心にあるのかもしれません…


 不寛容で攻撃的で差別的な“彼ら”の中でも一部のえらい人らになんか、負けないでほしい!頑張れ!

------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔3月6日分の記述〕


 Fさんへ。「君といた未来のために~I'll be back~」というドラマがある。

 1999年のTVドラマだ。僕は当時このドラマが大好きだった。

 たぶん僕が大学のおわりころだったか?見たような記憶がある。

 当時10年友人をしてくれていた彼と一緒に、このドラマの話で盛り上がった記憶がある。

(この彼とは“彼ら”の総攻撃時、音信不通になる)

 彼は、当時、このドラマのヒロイン、遠藤久美子が気に入っていて、4年前にタイムスリップすると、短髪だった遠藤久美子がロングヘアーになっているのを、とてもいいと絶賛していた。


 先日、このドラマを十何年ぶりに見返してみた。

 たしかに、旧友人の彼と同じ印象をうける。

 で、思った。

 そういえば、最近、遠藤久美子をTVで見ないな、何でだろう?と。


 調べてみると別に引退したわけでもなく、今でも芸能活動をしているらしい。

 本人の意図か?別の理由か?若いころとは路線変更で仕事をしているのが、最近見かけない理由らしい。


 ネットで最近の写真を見る。

 まるで別人、という印象。


 眉毛を整えると、女の人は印象ががらりと変わる。

 たぶんそんな理由で印象が違うのではと感じた。



 …こんなことも思った。

 もし君が眉毛を整えていたら?一見して気がつかないかもしれないな…というイメージ。

 あれからだいぶたつ。初見でわからないかも、という不安は、常にあります。



 と、同時に、この文章を書きながら、こんなことも思った。

 この小説内で、特定の女優をほめたことは、たぶんない。

 こんなことを書くと、君は、こんなことを思うのだろうか?

「別に恋人ってわけじゃあないんだけど、嫉妬しちゃうのよ」と。


 以前こんなことがあった。

 高校時代、文化祭のとき、中学時代の同級生の他校の女子と、短く口をきいただけで、君はこれと同じようなことを僕に言った。君に嫉妬されるというのは、なんだかこそばゆく、恥ずかしいようなうれしいような、奇妙な感覚になったことを覚えている。


 程度の差こそあれ、いまでも多少はそんなこと感じてくれるのだろうか?



 …こんな事も思う。

 たぶん、君に会うことは、夢に終わるだろう。

 現実的なこの予測は、日を重ねるごとに重みを増してくる。

 いつか、この予測を僕がうけいれて、ほかの人に興味を持つようになったら?君はどう思うのだろうか?


 今の僕はまだ奇跡を信じている。

 その事実はとても重く、とても大切なことだ。

 

 先のことはわからないが、ともかく待とうと思う。

 結果はどうあれ、僕は生涯、Fさんを応援している事実は揺るがない。




 え?何が言いたいのかって?

 こういう事です。


 君が「別に恋人ってわけじゃあないんだけど、嫉妬しちゃうのよ」と言ってくれた事は、最高にうれしかったです。

 そして最高にかわいかった。あのはにかんだ笑顔にさらされたら、もう太刀打ちできません。

 急に、それを、君に、伝えたくなりました。



 たぶん…いろいろあるのだと思う。

 手に負えない状況なのかもしれない。

 それでも、やけにならず、前を向いていてほしい。 


 自分自身に誠実でありつづけさえすれば、いいと思う。

 自分を偽らず、誠実に。


 どんなに理解されなくとも、活路はそこにある。

 そう信じていいと思う。


 自然に、自分でいることが大切です。

 

 頑張れ!負けないで!

------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔3月7日分の記述〕


 Fさんへ。

 今日は本当は6月17日です。

 今日は朝6時に家をでて、コンビニに行ってから仕事へ向かう予定です。


 Fさん、昨日のことです。

 これは絶対に勘違いだと思うことを書きます。


 …今日「原」にいました。

 めったに行かない店で、買い物をした。スーパーだ。


 レジに並ぶと、前のおばさんから妙な緊張感が伝わってくる。

 そんな事、他の店ではないのに。


 するとどこからともかく声がする。

「先日はお世話になりました」と。


 すると、おばさんは異様に動揺して僕を見る。

 そのい表情は「ありえない」という顔。


 この人は何をそんなに緊張しているのだろう?

 通常なら「え?」という顔をする程度なはずなんだけど、レジに並んでから異様なほど緊張が伝わってくる。

 僕の後ろにいた人が声の主だった。

 僕と、その人を高速で何度も見比べて、僕の後ろの人が既知の人物としると、急に緊張を解き、普通に会話するのだが、動揺はかくせない。

 この場合、僕に対してごめんなさいとかいいそうなものだが、あまりの同様にそうした余裕はなさそうだった。




 この勘違い。仮に正しいと仮定するなら?

 そして“彼ら”の存在を前提に仮定するなら?


 以前この小説にも書いたが、「原」では何度か“彼ら”らしき行動を散見する。

 管轄が違うからか?“彼ら”の行動にも差異を感じるのだ。


 仮に東京を主戦場①と呼ぶならば?

 帰郷してからの地元が主戦場②だ。

 この小説内でも何度か書いたけど、この①と②では同じようなことをされるのだが、微妙に差異がある。というかそれぞれに個性がある。おそらく統率する人物のパーソナリティーが反映されているものと、推察します。


 「原」はさしずめ主戦場③にあたる。

 ①や②とも微妙に違うのだ、基本は同じなのだが、においが違うとでも言うべきなのか。

 ①や②の“彼ら”は「僕」という個性に慣れがあるが、ここ③はまだ「慣れ」てないという印象。

 いるだけで緊張をさそうのは、それが原因だろうか?


 もちろんこれは僕のできの悪い妄想です。


 こんなありえないくらい救いようのない組織が、現実世界に存在するはずがないし。

 いい大人たちが、こんな稚拙でばかばかしい集団いじめに興じて楽しむなんて地獄絵図に、良心が痛まないはずがない。

 仮に熱心な仏教徒がそんな真似をしたら?

 老後は自分が地獄に落ちるんじゃないかという悪夢から、解放されないんじゃないかという、プレッシャーを若いうちから耐え続ける結果につながる。え?そこまで真面目じゃない?


 僕が観察した結果は何度も書いている。

 “彼ら”の大部分は本気じゃない。軽い気持ちでやっている。

 故に自分の「軽はずみな行為」が犯罪行為であると認識することになる。

 なぜなら、“彼ら”の大多数が一般常識をそなえた、「まともな人」だからだ。

 「まともな人」なら、自分の軽はずみな行為が犯罪であると知ってしまったら、良心の呵責がおきて当たり前だ。


 Fさんの周りにいる人たちに伝えます。

 あなたたちの良心に賭けます。

 希望を彼女にもたらせるのは、多くいるまともな「良識ある人々」なはずです。

 人は時に罪を犯す。知らないところで起こしてしまっているかもしれない。

 それでも人が人であり続けられるのは、そうした悲劇を回避しようとする意思が根本的に心に備わっているからだと思う。


 行動に移せる人は行動してほしい、支えられる人は彼女を支えてほしい。

 祈ることしかできなくても、それを継続し続けるだけで、大きな動きとなって彼女の助けになります。


 …もしこれを読んでいる人の中に彼女を知る人たちがいるならば、同じように彼女を知る人たちに伝えてほしいです。


 Fさんは貴方たちの知るように、人の模範になるような人間です。

 その彼女が、信じられない行動を仮にしたなら?

 それには、相当な理由があるのです。


 それを理解してあげてください。お願いします。


 Fさんは、言われたことは素直に守るような子だった。

 いつもきちんとしていて、制服も校則をきっちり守って着ていた。

 先生にも逆らわないし、いつも控えめで、自分よりも他人をたてた。

 非常に模範的な高校生だった。


 その彼女がけっこうな頻度で学校をエスケープする事実があることを僕は知っている。


 なにか強烈なストレスでもない限り、そのような行動はとらない子だ。



 そういうところは、今でも基本的に同じなのではないだろうか?

 そう、漠然と感じます。

 もしこれを読んでいる人の中に彼女を知る人たちがいるならば、同じように彼女を知る人たちにこれらのことを伝えてほしいです。


 確信して言えるのは、高校時代、FさんはたくさんのSOSを発していた。

 しかし、疑問に思いつつも、その意味に気がつかず、当時の僕は無力だった。

 今は違う。 

 真実に気がつき、君の想いの価値を知り、大切さを学んだ。

 僕は君に返したいものがある。

 当時君が僕に望み、そして僕が当時君にあげられなかったものだ。

 そんな想い、いつか届く奇跡を信じます。

 Fさん。声なき声を発していいと思います。

 非力でもいい、あきらめず、前を向き続けることに意味はある。

 “彼ら”が一番恐れるのは、「生気せいき」を失わない人間だ。


 負けないでほしい、がんばれ! 

------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔3月8日分の記述〕


 Fさんへ。

 今日は本当は6月20日です。

 明日は朝6時に家をでて、コンビニに行ってから仕事へ向かう予定です。

(間違えました、夜勤なので午後3時に家をでて、コンビニによってから仕事場へ向かいます。)



 なにから書こう。

 最近、複数同時進行で、いろいろ進んでいます。

 この場を借りて、まとめようと思う。


 まずは「漫画描き」の件。

 僕のライフワークなわけだけど。今でも進行中です。

 実は前、描いていたSFは途中で断念した。

 途中から話がどんどんふくらんでいって、収拾がつかなくなってしまったからだ。

 断念というか…、中断して、今は別の作品に取り掛かっています。

 非常に自分的にはスタンダードなスタイルの作品。

 高校生を中心に、自分なりの世界観を描くタイプで、過去に編集者にもほめられた自分で一番得意なやつだ。

 たまたま、いい感じのネームができたので、この際こちらを進めようと思い切って前の作品を封印してこちらに取り掛かっているところです。


 机のレイアウトを変更し、「ちょい描き」ができるようにしました。

 「ちょっとだけ描く」を継続的に繰り返したほうが、作業効率があがると最近感じたからだ。

 絵のグレードは若干落ちるが、たぶん僕自身にしかわからないようなダウンだと思う。


 構成に今までにない試みがしてあります。

 …うまく説明できないんだけど、それでもあえて説明を試みるなら、そうだな。


 シナリオ作成法に「箱書き」という手法がある。

 僕はこの存在を大学時代知り、なんども挑戦したが、うまくいかなかった。

 しかし今回の作品は、意図せず、結果として「箱書き」と同じ手法になった。

 この方法だと、シナリオに非常に自由度がある。

 変更や保留がいままでのやり方よりやりやすい。


 …うーん、前進していると信じたいところです。


------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔3月9日分の記述〕


 Fさんへ。

 今日は本当は6月20日です。

 明日は朝6時に家をでて、コンビニに行ってから仕事へ向かう予定です。

(間違えました、夜勤なので午後3時に家をでて、コンビニによってから仕事場へ向かいます。)


 で、ライフワークである「漫画」にある程度めどをたて、ゆっくりながら進行中なわけです。

 これに付随する形になるのだけど、「漫画」を描くためには精神集中が必要になります。

 そのためには、気持ちの切り替えが重要です。

 東京時代は、帰宅したら、ドラマや映画をたくさん見て、気持ちを切り替えていた。

 しかし、ヘルパーをしている現在は、東京時代と同じような精神集中法ができない。

 時間が足りないのだ。


 で、試行錯誤した結果、たどり着いたのが、車載したハードディスクでドラマを見るというものだ。

 仕事が終わり、すぐに、車内でドラマを「聞きながら」運転する。

 帰宅した後も、続きを家で「聞きながら」食事したり入浴したり休んだりする。


 この方法をとると、今までよりも短時間で、効率的に創作活動ができる精神集中状態に「移行」できる。


 どこでそれを実感するか?というと、日中の仕事中、口をついてドラマの音楽を口ずさむ時だ。

 脳の一部が記憶にとどめているおかげで、ストレスが軽減している。

 そして、同様に脳の一部が、創作の集中状態を覚えていてくれるおかげで、気持ちの切り替えがしやすい。


 「暗示」についてはこの小説内に何度も書いたと思う。

 これは、言うまでもなく「自分」に「自分」で「暗示」をかける「自己暗示」の手法です。

 東京時代できていた「自己暗示」が、帰郷してからはうまく実践できず、苦労していたけど、ようやくコントロール下に戻ってきた印象です。


 そんなわけで、車内の動画をかけられる環境は、自己暗示になくてはならないものであり、重要です。

 以前ちょこっと紹介したけど、現在スマホを車載している。

 そして、HDDにサーバーをつないで、無線LAN経由で、動画をみるのだ。


 しかしこの接続が不安定で、困っています。

 正常に作動しないと、自己暗示に支障がでるので、大事です。


 そこでいろいろ工夫した結果。

 スマホにあらかじめ動画を落としておくことにした。

 しかし、スマホの容量にも限界がある。

 1台目のスマホ内に落としたドラマを見ている間に、2代目のスマホに次の回をダウンロードすればいいのだ。

 接続に時間がかかる欠点をこれで補足すれば、ストレスなく見れる。

 ちょっと面倒だが、目的は快適性ではなく、「自己暗示」に「うまくかかれるか」なので、いいわけです。

 もしうまくいかなかったら、以前のスレートPCをまた車内に持ち込んで、以前の環境を再現すればいい。

 起動に時間がかかる欠点はあるが、動作はPCの方が安定してるし。



 え?わかんない?

 うーんどうだろう。スマホとかPCに親しんでいる人なら問題ないかもしれない記述です。

 Fさんはくわしいのかな…。


 で、最近やたらとドラマをたくさん見ています。

 手持ちのドラマを全部見切ってしまう前に、ある程度補充しとかないといけないので、ツタヤディスカスを使ってドラマのDVDをたくさん借りています。

 ツタヤディスカスでは16枚借りると、一枚あたり200円で一ヶ月借りれる。

 僕のように大量にドラマを必要としている人間にはありがたい制度です。


------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔3月10日分の記述〕


 Fさんへ。

 今日は本当は6月20日です。

 明日は朝6時に家をでて、コンビニに行ってから仕事へ向かう予定です。

(間違えました、夜勤なので午後3時に家をでて、コンビニによってから仕事場へ向かいます。)


 で、ライフワークの漫画創作をこなすため、自己暗示が必要なわけで、そのためにドラマをたくさん見て自己暗示をかけているわけです。

 しかし、サイクリングもしたい。体を動かすと、長い目でみるとストレスの溜め込みが減り、結果として「漫画創作」の後押しにもなっています。適度にサイクリングすることは、ドラマをみて自己暗示をかけるのと同じくらい、心身の健康に重要です。


 サイクリングに関しては、最近こんなことを考えています。


 まず第一に「江ノ島方面」について。

 前回いったときは実に「つまらない」ものだった。

 しかし、よくよく調べると、僕がイメージする「湘南・鎌倉」は江ノ島よりも東にあると、最近わかった。

 江ノ電の横を走りたければ、江ノ島よりも東にいかないといけないわけだ。

 こんど、いろいろ計画を練ってみようと思います。

 土地勘がゼロなので、本を買いました。いい本がたまたま本屋にあったので。

------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔3月11日分の記述〕


 Fさんへ。

 今日は本当は6月20日です。

 明日は朝6時に家をでて、コンビニに行ってから仕事へ向かう予定です。

(間違えました、夜勤なので午後3時に家をでて、コンビニによってから仕事場へ向かいます。)

 

 次に「富士川方面」。

 これは前日、千本松原の海岸堤防をずっと行って、田子の浦湾を越えていったら、どこまでいけるんだろう?

 と思い立ち、実行してから思ったことです。

 そのままずっと行ったら、富士川にたどり着いてしまいました。

 この先、どうコースを取るべきか?調べたほうがいいと感じています。

 川を北上したほうが楽しいのか?それとも川を越えて、さらに「西」へ行くべきか?

 1つ言えることは、「原」から「富士川」まで往復しても、限界は来ず、体力に余裕はあった。以前よりも体力がついたと信じたいところです。

------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔3月12日分の記述〕


 Fさんへ。

 今日は本当は6月20日です。

 明日は朝6時に家をでて、コンビニに行ってから仕事へ向かう予定です。

(間違えました、夜勤なので午後3時に家をでて、コンビニによってから仕事場へ向かいます。)

 

 「狩野川方面」はそろそろ「川」から外れて戻ってくるコースを組み立てようかと考えています。

 つまり、いつもの「狩野川コース」に「寄り道」を加えて変化をつけようというわけです。

 たぶんだけど、体力がついてきたから、今なら「寄り道」にも体が耐えられると思うからです。

------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔3月13日分の記述〕


 Fさんへ。

 今日は本当は6月20日です。

 明日は朝6時に家をでて、コンビニに行ってから仕事へ向かう予定です。

(間違えました、夜勤なので午後3時に家をでて、コンビニによってから仕事場へ向かいます。)

 

 「箱根」方面はもうしばらく他の場所で坂道を走ってから行こうと思う。

 最近、平地ばかり走っているからだ。

------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔3月14日分の記述〕


 Fさんへ。

 今日は本当は6月20日です。

 明日は朝6時に家をでて、コンビニに行ってから仕事へ向かう予定です。

(間違えました、夜勤なので午後3時に家をでて、コンビニによってから仕事場へ向かいます。)

 

 で、今日、「山中湖」へ行ったとき、いつものコースを一部変えて、籠坂峠方面に向けてから山中湖へ戻ってみた。

 コースを変えることで少しだけ「坂道」を体験。

 次回はもうすこしきつい坂に挑戦しようと思う。

 少しコースを変えただけで、知らないコースを走っているようで新鮮でした。

 坂道では腰に負担がかかる。

 この日はコルセットをつけずに走っていたため、ダイレクトに腰にくる。気をつけないといけないなと感じました。


------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔3月15日分の記述〕


 Fさんへ。

 今日は本当は6月20日です。

 明日は朝6時に家をでて、コンビニに行ってから仕事へ向かう予定です。

(間違えました、夜勤なので午後3時に家をでて、コンビニによってから仕事場へ向かいます。)

 

 今日は山中湖へ行ってみました。

 やりたいことは3つある。


 ①、移動中、ドラマ「金八先生(第4シリーズ)」を最初から「聞きながら」行くこと。

 あの世界に浸って、自分に自己暗示をかける。結果として行きと帰りで、1話~4話までつづけて聞くことができました。

 久しぶりにみて、気がつく。

 そうか、金八は、奥さんをなくして心身喪失になって、2年も教壇をはなれていたんだ、って。そういやそんな話だった、忘れていたなーと。(←とまあ、こんな事を考えながら聞いていると、頭がリフレッシュしてゆくわけです。これはたぶん誰でもこうではないと思うけど、僕はこうなのです)



 ②ロードバイクで山中湖を3周する。

 そのうち最後の一周はコースを一部変えて、籠坂峠方面へ行き坂道を体験する。


 ③山中湖周辺観光をする。

 ロードバイクとは別に買った「ルイガノPOP」(小口径折りたたみ自転車)で「花の都公園」周辺を散策し、「紅富士の湯」へ行き、温泉に入る。


 の3つだ。


 いつも思っていた、せっかく山中湖まできたのに、周辺観光してないのはもったいないなと。

 ロードバイクは出すもしまうも面倒なので、観光向きではない。普通の自転車がほしいとずっと思っていた。

 しかし、どこにでもある、性能の低い折りたたみ自転車はいやなので、探した挙句みつけたのが「ルイガノPOP」だ。

 最近走っていて思うのは、下手なママチャリより速いかもしれない、ということ。

 時速にして24キロは出る。ロードバイクには及ばないが、街乗りには十分だ。


------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔3月16日分の記述〕


 Fさんへ。

 今日は本当は6月21日です。

 今日は夜勤なので、午後3時に家をでてコンビニによってから仕事場へ向かいます。


 そうそう、最近こんなことを感じます。

 やたらと、小口径折りたたみ自転車を見るよな、と。

 気のせいかな?それにしては以前より多いぞ?と。

 僕がこの小説で「ルイガノPOP」について書いて以来?いやいや、気のせいだと思う。


 昨日、山中湖で、いつもの場所に車を止めていると、隣に小型車がとまる。

 おじさんが1人で乗っていて、なにをするかとと思えば、銀色の落ちたたみ自転車を出して、走り出した。

 最近、折りたたみ自転車購入の際に、知識を得ている関係で、それがたいしたことのない安物であることは見てわかる。(ミニベロは2種類に大別できる。1つはロードバイク並みに「走れる」ミニベロ。高圧タイヤを履いていて、相当速い。もうひとつは市販品。僕の持ってるミニベロは、市販品の中では、かなり速い部類のものだ。しかしそれでも街乗りにしか使わない。これで山中湖まわっても、面白くもなんともないからだ。速度が遅いから)


 まさかあれで山中湖回るわけではなかろう…と思いながら、僕は走り出した。

 次は3周目で、籠坂峠方面に行く予定だ。


 先行しているそのおじさんは、思ったより遠くにいたが、簡単に抜くことができた。

 ロードバイクと市販品の折りたたみでは、速度差がありすぎる。

(その人はタバコふかしながら乗っていた、ずいぶんゆっくり走らないとあれはできない)


 で抜かしてからしばらくして右折。

 森の中の小道をひたすら昇る。

 長くゆるい坂道は、箱根のそれと似ているだろう…が。実際に箱根にいったら距離は何倍もある。こんなものではなかろうとと感じた。


 籠坂峠につく。

 折り返して山中湖へ。ここからは下り一本調子で、ブレーキの手を抜くと大事故になる場所だ。

 下りの際はいつも思う。

 自動車を警戒して、道の端を走ろうとするから、下り坂は怖いのだ。

 道の真ん中を走れば、それほど怖くない。

 しかし実際に自動車は来るから、警戒はおこたれない。

 このジレンマがあるから、僕は長い下り坂が苦手なのだ。と。


 下りきって山中湖へ戻る。

 そのままいつものコースへ復帰。

 迂回コース、おもったより楽しめた。こう、その時思いました。

 次回からは、この迂回コースも通常のものとして取り入れよう、とか、思ったわけです。


 で、ちょこっと給水した後、サイクリング再開。山中湖を回る。

 しばらくすると、湖の北端あたりで、先ほどの折りたたみ自転車のおじさんに遭遇、再び抜いた。

 実に意外です。まさか本気であの遅い自転車で山中湖を回っていたとは…。


 僕は3周目を終えると、自分の車へ戻り、自転車を片付け始めた。

 いつもだったら?息が切れて、足も痛くて、しばらくその場でへたり込んでいたものだが、この日はなんだか余裕があった。一応自転車ナビで確認すると、消費カロリー600近くになっている。手を抜いたわけではないよなと改めて確認。少しは体力向上しているのだろうか?

 もう少しレベルアップしてもいいのかな?

 しかし無理せず楽しむのが、僕のサイクリングのコンセプト。

 悩みどころです。


 自転車を分解していると、外国人に話しかけられ、写真も一緒にとった。

 インドネシアから来たという。同じサイクリストで、自分もインドネシアで走っていると。

 外国旅行をしている人から見たら、僕が自転車をばらしている光景すら、日本観光の1部にみえるらしい。

 言われてみれば、僕もトルコに行った際、何もかも珍しくていろいろ見ていた。

 地元の人にしてみたら、何が珍しいのだろう?という感覚だったのだろうが、今回は、まったく逆の立場を体験したわけだ。


 そんな事をしていると、先ほどのおじさんが戻ってきて、自転車をしまって、車のドアをあけ、こちらを向きながらすわって休んでいる。

 そんなにくだびれたんなら、暑い気候だし、車の中に入って、クーラー効かせて休めばいいものを、わざわざそれをせず、ドアをあけこしかけて、こちらをにらんでいるのだ。変な人です。


 どうやら、あの自転車で一周しただけで、目的が終わったらしい。それ楽しいのかな?と他人ごとながら思う。


 このおじさんに違和感を感じるのは、ちっとも楽しそうでないことろだ。


 まるで誰かに命令されて来た様に、つまらなそうにしている。


 威圧したい相手と同じような持ち物を、周囲全員で持ち、相手に無言のプレッシャーをあてるという仕掛けだ。

(この種のプレッシャーはサッカーのそれに似ていると思う。昨日のワールドカップ、日本ーギリシャ戦の後、ギリシャの選手がこんなことを言っていた。「思ったほど日本からはプレッシャーをかんじなかった」と。“彼ら”が威圧に使う種類のプレッシャーと、サッカーの試合で選手が感じるプレッシャーは、同じ種類のものだと思う)



 Fさんはどう思う?

 “彼ら”なのだろうか?


 こんな話も聞きます。

 地元の“彼ら”のトップがOKを出しても、東京の本部からNOのきてだめになるという話し。

 通常ならそこであきらめるのだろうが、僕なら東京の本部とも戦う。

 頻繁に訪れて、プレッシャーを継続的に東京の本部にかけ続けます。

 もう向こうがめんどくさいからいいよと、言うまで。

 なにせ悪いのは向こうなのだから、遠慮は無用です。


 Fさん。声なき声を発していいと思います。

 非力でもいい、あきらめず、前を向き続けることに意味はある。

 “彼ら”が一番恐れるのは、「生気せいき」を失わない人間だ。


 …もしこれを読んでいる人の中に彼女を知る人たちがいるならば、同じように彼女を知る人たちに伝えてほしいです。

 Fさんは貴方たちの知るように、人の模範になるような人間です。

 その彼女が、信じられない行動を仮にしたなら?

 それには、相当な理由があるのです。


 それを理解してあげてください。お願いします。


 Fさんは、言われたことは素直に守るような子だった。

 いつもきちんとしていて、制服も校則をきっちり守って着ていた。

 先生にも逆らわないし、いつも控えめで、自分よりも他人をたてた。

 非常に模範的な高校生だった。


 その彼女がけっこうな頻度で学校をエスケープする事実があることを僕は知っている。


 なにか強烈なストレスでもない限り、そのような行動はとらない子だ。



 そういうところは、今でも基本的に同じなのではないだろうか?

 そう、漠然と感じます。

 もしこれを読んでいる人の中に彼女を知る人たちがいるならば、同じように彼女を知る人たちにこれらのことを伝えてほしいです。


 確信して言えるのは、高校時代、FさんはたくさんのSOSを発していた。

 しかし、疑問に思いつつも、その意味に気がつかず、当時の僕は無力だった。

 今は違う。 

 真実に気がつき、君の想いの価値を知り、大切さを学んだ。

 僕は君に返したいものがある。

 当時君が僕に望み、そして僕が当時君にあげられなかったものだ。

 そんな想い、いつか届く奇跡を信じます。





 負けないでほしい、がんばれ! 

------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔3月17日分の記述〕


 Fさんへ。

 今日は本当は6月23日です。

 夜勤明け休みで、休日です。

 明日24日は研修で、仕事場とは別の場所に行くことになります。


 「水神社愛鷹教会」なる場所がある。

 23日、日中、行ってみようと思います。

 何があるかわからないけど、なんか行ってみたくなりました。

 近くに「クレマチスの丘」というアートっぽいところもある、こちらも少し行ってみたいです。


 現地に行って、サイクリングコースの参考になるか?否か?

 新しいミニベロを使う機会があるか否か?

 楽しみです。

------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔3月18日分の記述〕


 Fさんへ。

 今日は本当は6月23日です。

 夜勤明け休みで、休日です。

 明日24日は研修で、仕事場とは別の場所に行くことになります。


 これから「水神社 愛鷹教会」へ行きます。


 もっと早く行くつもりだったけど、ついついDVDの映画「ゼロ・グラビティー」に見入ってしまった。

 ビデオをかけてPCにキャプチャするつもりが、目を離せなくなり、最後まで見てしまった…。

 こんな経験、映画「時計仕掛けのオレンジ」を見て以来だ。

------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔3月19日分の記述〕


 Fさんへ。

 今日は本当は6月24日です。

 今日は午前9時半より研修で公会堂の「あたり」に行きます。まる1日研修です。


 「水神社 愛鷹教会」へ行ってきました。

 感想①、ものすごい山道。

 感想②、僕らの高校より、北へいくとラブホテルばっかり。知らなかった。

     で、ラブホテル街を抜けると、ゴルフ場ばっかり。

     ようやくそれも抜けて、さらに山奥へ。ようやくつく。

 感想③、いまいち。

------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔3月20日分の記述〕


 Fさんへ。

 今日は本当は6月24日です。

 今日は午前9時半より研修で公会堂の「あたり」に行きます。まる1日研修です。

「水神社 愛鷹教会」は川の水源地らしい。

 水神さんと呼ばれる龍を祭っているとか?いないとか。


 たぶんにこう想像する。

 明治の時代は、仏教系の新興宗教がたくさん出た時期だ。

(日本書紀や古事記といった、日本最古の書物と同レベルの古代書物を「偽造」して、当時の政界に深く入り込んだ新興宗教もこのくらいの時期じゃなかったかな?あったと思う。竹内文書たけうちもんじょと呼ばれ、2014年現在でもオカルトマニアの聖典になっている。現在は危ない人が唱えるいかがわしい文書だが、当時は、政界の重鎮が本気で信じたとか聞いた。たしか脱税容疑かなんかで教祖が検挙され、勢いを失ったんじゃなかっただろうか?やりすぎて公権力につぶされた新興宗教もあったが、ほどほどの活動で現時まで生き延びたものもある。)


 たぶんだけど、この「水神さん」は、その類なよーな気がする…。たぶんです。

 この地で一旗あげようと考えた人が、この水源地に拠点を建てたのではないだろうか…。


------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔3月21日分の記述〕


 Fさんへ。

 今日は本当は6月24日です。

 今日は午前9時半より研修で公会堂の「あたり」に行きます。まる1日研修です。

「水神社 愛鷹教会」、ちょっと実は期待していた。


 僕の漫画のなかに「水脈の龍使い」というネタがある。

 大和朝廷の東国平定をネタに組み立てたものだ。


 時代は現代。高校生の主人公は古代から続く「術」の継承者。

 「水」を操る一族の末裔で、「水」を龍のように操る。

 「水」ならなんでも言い訳ではなく、パナジウムを含んだ水でないと操れない。

 「富士山」の湧水はみな「パナジウム」を含んでいるため、富士の湧水のみを操ることができる。

 豪雨のあとの増水した川などあれば、パワーアップできる?


 敵は古代大和朝廷の陰陽師が作った式神で、過去の「水脈の龍使い」が皆、封印したんだが、最近開発がすすみ、忘れ去られた封印がとかれて式神が悪さをする。


 みたいな話をベースに、現代学園もの風にしたてた話だ。


 このネタに絡められるかも…と淡い期待を抱いて乗り込んだものの、みごと玉砕した感じです。

------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔3月22日分の記述〕


 Fさんへ。

 今日は本当は6月24日です。

 今日は午前9時半より研修で公会堂の「あたり」に行きます。まる1日研修です。


 続きです。

 このあと「水神社 愛鷹教会」を少し下ると、砂防ダムのようなものがあり、ダムの下が公園になっていた。

 しばし散策。小さい子がいる親子がくるには、いい場所です。

 地元の有志が公園を管理しているらしく、きれいに整備されていた。


------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔3月23日分の記述〕


 Fさんへ。

 今日は本当は6月24日です。

 今日は午前9時半より研修で公会堂の「あたり」に行きます。まる1日研修です。


 しばし公園を散策し、まあ、こんなものか、特に感動するものはないなー、と、公園を管理している有志の人たちに聞かれたら、袋叩きにあいそうな事を思いつつ、その場を後にした。


 次はこの日のメインイベント「クレマチスの丘」へ行く。


 この「クレマチスの丘」。僕らの高校のすぐ上あたりにある。

 調べると、併設の美術館の竣工が2002年とある。たぶんそのあたりに作られたのだろう…。

 僕が大学に行っていた頃だ、知らないわけだと納得した。

(僕が大学に行っていた頃、君はどこでどうしていたのだろう?希望どおりブライダルプレイヤーになる勉強をしていたのだろうか?)


------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔3月24日分の記述〕


 Fさんへ。

 今日は本当は6月24日です。

 今日は午前9時半より研修で公会堂の「あたり」に行きます。まる1日研修です。


「水神社 愛鷹教会」から「クレマチスの丘」までの道をナビに指示する。

 するととんでもない山道を行けと指示してきた。

 まあ、行ってみるかと気楽にハンドルを切ったが最後、とんでもない山道だった。

 今まで経験したことのない斜度の坂道の登板など、初めて「ひっくり返らないか?」と感じてしまうほどだった。

 いくら軽自動車とはいえ、めいいっぱいフルアクセル踏んで、時速10キロ以下って、経験したことない。

 明治の頃の山道をそのまま舗装しましたみたいな道で、細くて危険で、不慣れな分怖い道でした。


------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔3月24日分の記述〕


 Fさんへ。

 今日は本当は6月24日です。

 今日は午前9時半より研修で公会堂の「あたり」に行きます。まる1日研修です。


「クレマチスの丘」は高級住宅街の中にあった。

 行ってみての感想は、おしゃれな異空間。という感じ。

 入場料を払い、中へ入る。

 チケット売り場の女の人に聞いてはじめて知った。「クレマチスの丘」は複数の美術館から構成される複合施設の総称で、入りたい美術館を絞り込むと、入場料が安くなる。庭自体も美術館の一部で、「ヴァンジ彫刻庭園美術館」と呼ぶらしい。まるで小型「彫刻の森美術館」のようだ。5つの小規模美術館に、駿河平公園と、ショップやレストラン、カフェ、和食処などをそろえている。来る人が目的に応じて楽しむことができる場所だ。


「ヴァンジ彫刻庭園美術館」は、英国風庭園に仕上げられていて、そこに彫刻が露天で展示されている。

 その眺望は「とても非日常」的空間で、具体的にいえないのがくやしいが、いいです。

 ベンチもあちこちにあり、そこで本でも読んで一日過ごしたくなるような、そんな場所です。


------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔3月24日分の記述〕


 Fさんへ。

 今日は本当は6月24日です。

 今日は午前9時半より研修で公会堂の「あたり」に行きます。まる1日研修です。


 続きです。

 …こういうアート空間にくると、いつもこう思う。


 こういうの、不思議なことに嫌いじゃない。

 どちらかというと、落ち着く。

 と。


 気がつくと作品に見入っている自分がいる。


 いつもこういう空間に来ると思うのだが、常設展示物は、気合が入った作品が多い。

 が、定期的に入れ替えるほうの展示物は、常設のものよりも緊張感に欠けるものが多い。

 今回の企画展示は「うさぎ大仏」とかいうポップなものだが、ぴんとこない。緊張感が感じられないのだ。

 展示が進むにつれ、「うさぎ」ではない、作者本来の作品がいくつか見られ、そちらのほうがメインの「うさぎ」よりも緊張感を感じると思うのは、僕の勘違いなのだろうか?

 たぶん、「うさぎ」は食うための広告塔的な作品なのでは…、などとかんぐってしまいます。


 学芸員も仕事手を抜いている。

 普通、作品にはタイトルを添えるものだが、それがない。

 その代わり、冊子があり、そちらに作品名がのっている。

 めんどくさかったからこうしたのか?とか思ってしまうのは、僕が変だからだろうか?

 でも普通、作者が特にそうしてくれとか言わない限り、作品名くらいは添えるものだが…。


------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔3月25日分の記述〕


 Fさんへ。

 今日は本当は6月24日です。

 今日は午前9時半より研修で公会堂の「あたり」に行きます。まる1日研修です。


 あ、でも勘違いしないでほしいのは、文句を言っているのは、気に入った証拠なのです。

 気に入ったからもっと良くしてほしいという類のものであり、ああいう空間は大好きなのです。


 久しぶりにアートな世界に浸れて満足でした。


 これは僕の妄想です。

 たぶんだけど、もし、仮に2人で美術館にいったら?

 美術館をでた瞬間、僕はいましがた見た作品群の感想を、とめどなく君にしゃべり続けるだろう。

 自分が得た感動を、どーしても伝えたいからだ。


 君は2人で「いる」ということのほうに「価値」を見出す人だ。

 話よりも、ともかく、2人でいられる空間をさがして、僕を誘導するだろう。


 移動中は、せわしなくしゃべり続ける僕だが、君が「ここにしましょう」とか言って、2人きりになれる場所を指し示すと。僕は空気が変わったことを察して、君のペースにあわせる。

 いままで、どうしようもない話を聞いてくれたお礼に、君の望む「なにか」をさぐる事に、集中するのだ。


 そんな妄想。

 今、伝えたい人がいます。

 Fさん、だれだかわかりますか?


 …今度あったとき、直接伝えたいです。

------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔3月26日分の記述〕


 Fさんへ。


 …こんなことを思います。

 自分が肯定的に評価されるのがいまいちわからない、というか、戸惑っています。

 今受けている研修は、推薦がなければ受けられないものだという。

 誰でもが受けれるものではないという。

 そのまま進めば、介護職のかなり上級職にも進めるものであり、逆にこの研修をうけないと、どんなにキャリアがあっても上級職にすすめないという類のものだ。


 いいのかな?

 評価されているのかな?

 …よくわかりません。


 客観的に誰かに、僕の戸惑いを打ち明けたい、そんな心境です。

 身近にだれか、心から慕う誰かがいたら?

 そんな事を思う、今日このごろです。


------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔3月27日分の記述〕


 Fさんへ。


 …続きです。

 君は愚痴を聞くのは嫌いだった。それはよく覚えている。

 僕が慰めてほしい的な空気を出すと、最初はしょうがないな、みたいな空気をだしていても、いつまでも僕がぐずぐず言っていると、苛立ちを隠せなくなる。そんな人だったと記憶しています。


 僕が先のような「戸惑い」を君にぶつけたら?

 君はどんなリアクションをするのだろうか…。


 いつか、この疑問が解ける日が来るだろうか?


 奇跡に賭けます。

 負けないでほしい、がんばれ!

------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔3月28日分の記述〕


 Fさんへ。

 3年B組金八先生(第4シリーズ)の中にこんなシーンがある。

 3年B組の優等生で問題児の女子が、金八の娘を捕まえて脅すのだ、テストの問題を盗んで来いと。

 星野真里演じる中一の娘は、中三の先輩にいびられながらも、きっぱりと断る。


 子分の生徒がいう、告げ口されないかと。

 すると主犯格の女の子はこういうのだ。

「いい子ほど、親にはチクらない」と。


 このシーンは、実はこの問題児こそ、一番の問題を抱えていて、SOSを時々出しているのに気がつかない金八先生、という図で、物語が展開する「ふり」になっている。

 なぜに「いい子ほど、親にはチクらない」と確信して言い切るかというと、自分自身もそうだからなのだと、後々の展開で視聴者にわかる演出だ。



 見ていてこんなことも考えた。

 Fさんはどうだったのだろう…。

 もしかしたら?Fさんも何かされても親には言わない子だったのだろうか…、その可能性は十分あるよなと、改めて思う。FさんもSOSをたくさん出していた。今ならわかるが、当時は気がつかない微妙なサインだった。

 当時の君は、自分のさす小さなサインに気がついてくれる人を、探していたのだと思う…。


 “彼ら”が君の親の知らないところで君に何をしたのかはわからない。

 しかし、何かされたとしても、君は訴えることなく、気がついてもらうという僅かな希望を糧に、日々耐え抜く道を選んだのではないだろうか?


 “彼ら”の中でも悪質な連中は、人の弱みに付け込んで、搾り取れるだけ搾り取って、利用できる限界まで相手を利用してしまおうという、悪魔のような思想が蔓延していて、誰も制止しない世界を自らの心の奥に構築し生きている。

 神の名の下になにもかも許されると勘違いしたバカどもは、痕跡さえのこさなければ何をしてもいいと、本気で教えられ、疑うことなく自分の中で純粋培養し、そのゆがんだ思想により自分が見事なカルト信者として完成されたことにすら気がつかず、無自覚に自らの悪魔を養い楽しんでいる。


 

 小嶺麗奈演じる中学三年の広島美香は、星野真里演じる中一の坂本乙女を脅した後、こう言うのだ。

「いい子ほど、親にはチクらない」と。



 何か言われたら、こう言い返してもいいかもしれない。

「心配かけたくなかったから、黙っていたけど、私、その間違いに気がついたの」と。


 誠心誠意、想いをぶつければ、中には、何人か君の気持ちの全てとはいかなくとも、一部は受け止めてくれる人はいると思う。 …もしこれを読んでいる人の中に彼女を知る人たちがいるならば、彼女が発した言葉は、重く重い彼女の決意と思いが詰まった言葉であると思って聞いてほしいです。

 その身を削るような思いでつむぎだした一言一言を軽くあしらうような暴挙だけは、お願いします、やめてください。


 Fさんは貴方たちの知るように、人の模範になるような人間です。

 その彼女が、信じられない行動を仮にしたなら?

 それには、相当な理由があるのです。


 それを理解してあげてください。お願いします。


 Fさんは、言われたことは素直に守るような子だった。

 いつもきちんとしていて、制服も校則をきっちり守って着ていた。

 先生にも逆らわないし、いつも控えめで、自分よりも他人をたてた。

 非常に模範的な高校生だった。


 その彼女がけっこうな頻度で学校をエスケープする事実があることを僕は知っている。


 なにか強烈なストレスでもない限り、そのような行動はとらない子だ。



 そういうところは、今でも基本的に同じなのではないだろうか?

 そう、漠然と感じます。

 もしこれを読んでいる人の中に彼女を知る人たちがいるならば、同じように彼女を知る人たちにこれらのことを伝えてほしいです。


 高校時代、FさんはたくさんのSOSを発していた。

 しかし、疑問に思いつつも、その意味に気がつかず、当時の僕は無力だった。

 今は違う。 

 真実に気がつき、君の想いの価値を知り、大切さを学んだ。

 僕は君に返したいものがある。

 当時君が僕に望み、そして僕が当時君にあげられなかったものだ。

 そんな想い、いつか届く奇跡を信じます。非力でもいい、あきらめず、前を向き続けることに意味はある。

 “彼ら”が一番恐れるのは、「生気せいき」を失わない人間だ。


 負けないでほしい、がんばれ!

------------------------------------------------------

------------------------------------------------------

〔3月29日分の記述〕


 Fさんへ。今日は本当は6月28日です。

 連休2日目で、昨日の連休初日は、下田にサイクリングに行ってきました。

 明日は遅番の早出で、朝9時に家をでて、コンビニによってから仕事場へ向かう予定です。


 こんな事を思います。


 池袋の脱法ドラックの事件…。

 連日TVのニュースでやっています。

 まるで、マスコミサイドから、「視聴者のみなさん、言えないけど気がついてね」と言わんがばかりに感じるのは、僕の妄想だろうか?


 相手が暴力団だったら?

 暴対法によって、非難しても名誉既存にはならない。

 だから、堂々とマスコミも「暴力団組員」とか「構成員」とか、はっきり報道する。


 しかし、今回は言わない。

 逆に言えば、暴力団員ではない、と案に視聴者にほのめかしているのだ。



 以前この小説にも書いたけど、池袋は「半グレ」と関わりがある地だ。


 昔ドラマで「池袋ウエストゲートパーク」というのがあった。

 実際にいた池袋のカラーギャングをモチーフにした、小説が原作だ。

 ドラマでは、主人公たちを肯定的に書いていたが、実際のカラーギャングたちは、その後、中国系マフィアと手を組んで、既存の暴力団系とは、ちがう闇組織を構築し、今日にいたっている。


 「半グレ」は暴対法の対象外だ。


 それが何を意味するかというと?下手に報道すると、名誉毀損訴訟に巻き込まれて、ややこしいことになりかねない。だから「ぼやかした」報道になるのだろう。


 しきりに「どこの店で脱法ドラックを購入したか?」を調べていると報道している。

 たぶん、ここ、ポイントなのだと思う。

 普通に考えたら?手持ちの商品の脱法ドラックを使って、事故ったと推測する。

 しかし犯人は、それでは自分が脱法ドラックを扱っている裏家業が露呈する。

 どこかで買ったと主張して、裏家業の発覚を防いでいるのだ。


 警察サイドにしてみれば、買った店や購入の事実がうそであると証明できれば、いままで闇のベールに包まれていた「半グレ」の組織に切り込む「きっかけ」になることになる。犯人は案外、元締めクラスの大物かもしれない。


 「半グレ」の組織に切り込むことには意味がある。

 いままでなぞの多かった「振り込め詐欺」や「工事現場窃盗」など、暴力団がからんでいなくて手を焼いていた組織犯罪を取り締まる「糸口」がつかめるからだ。



 これは僕の妄想。

 半グレは対警察工作は、暴力団ほど洗練されていない。

 暴力団は、ある種、警察とは仲良くしようという姿勢を示すが、歴史の浅い半グレは、中国マフィアとの付き合いはうまいかもしれないが、警察とは必ずしもそうではないように思う。たぶん、確信はありません。


 近い将来、警察が大きく動くとき、報道解禁になるのだと思う。

 オウム事件のときもそうだった。


 “彼ら”の場合はどうなのだろう?

 僕は事を大きくするつもりはない。

 そちらの世界の誰かが、勇み足でもしない限り、警察が動くような事態にはならないし、そうであってほしいと僕自身は思っている。



 なによりも大切なのは、彼女の気持ちであり、心なのです。


 …もしこれを読んでいる人の中に彼女を知る人たちがいるならば、同じように彼女を知る人たちに伝えてほしいです。 Fさんは貴方たちの知るように、人の模範になるような人間です。

 その彼女が、信じられない行動を仮にしたなら?

 それには、相当な理由があるのです。


 それを理解してあげてください。お願いします。


 Fさんは、言われたことは素直に守るような子だった。

 いつもきちんとしていて、制服も校則をきっちり守って着ていた。

 先生にも逆らわないし、いつも控えめで、自分よりも他人をたてた。

 非常に模範的な高校生だった。


 その彼女がけっこうな頻度で学校をエスケープする事実があることを僕は知っている。


 なにか強烈なストレスでもない限り、そのような行動はとらない子だ。



 そういうところは、今でも基本的に同じなのではないだろうか?

 そう、漠然と感じます。

 もしこれを読んでいる人の中に彼女を知る人たちがいるならば、同じように彼女を知る人たちにこれらのことを伝えてほしいです。



 Fさん。声なき声を発していいと思います。

 確信して言えるのは、高校時代、FさんはたくさんのSOSを発していた。

 しかし、疑問に思いつつも、その意味に気がつかず、当時の僕は無力だった。

 今は違う。 

 真実に気がつき、君の想いの価値を知り、大切さを学んだ。

 僕は君に返したいものがある。

 当時君が僕に望み、そして僕が当時君にあげられなかったものだ。

 そんな想い、いつか届く奇跡を信じます。

 非力でもいい、あきらめず、前を向き続けることに意味はある。

 “彼ら”が一番恐れるのは、「生気せいき」を失わない人間だ。


 負けないでほしい、がんばれ!


-----------------------------------------------------

------------------------------------------------------

-----------------------------------------------------

 朝の6時から10時の仕事の日、僕はかならずコンビニによる。

 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。

 たいがい不機嫌そうな顔をしていると思うけど、別に本当に機嫌が悪いわけではありません…たぶん。


(最近は就業後も頻繁によります。時間はまちまちだけど、だいたい16時すぎから21時過ぎ位の間です。仮に再会するなら?就業後のこの時間帯に会った方が、ゆっくり話ができる…)


 東○の工場の西側すぐのとこにあるコンビニだ。

 あの夏祭りの日、2人で別れたあのT字路のすぐそこにある、当時はなかったコンビニ。

 「一週間」も「朝6時から10時」まで、そのコンビニの駐車場にいると、ほぼまちがいなく一度は僕を見るだろう。

(仮にすれ違って、僕が君に気づかなくても、気にせず声をかけてほしい)


 もし君が僕の前に姿を現すとしたら?きっと、僕のまったく予想もしないような方法で現れるように思う。とにかく、待とうと決めたのだ。君を待とうと思う。奇跡を信じて。


(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)


〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ