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第70話 どんな些細なことでも前向きに

〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください

(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)

 Fさんへ。

 ともかく、今、僕がどんなことを考え、どんな行動をしてういるか、伝えることに意味があるような気がして、そうしたことを書こうと思います。

 なぜ?そう思うのか?


 それは僕自身、君が今、どこで、なにをしていて、どんな暮らしをしているのか?知りたいと思うからかもしれない。

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〔7月8日分の記述〕

 Fさんへ。今日は本当はひきつづき2013年8月12日です。


 今日は夜勤明けの休日。

 でも出かける必要がある。

 前回提出できなかった書類を、消防署へ持っていかないといけない。


 昨日は、自転車で20キロ走った後、原で自動車もどり帰宅。 

 途中ユニクロで買い物。汗臭いのまずいなと思いつつ、ささっとすませようと思った。

 前回買った帽子、気に入っているのだが、いまいち色見があわない。

 黒いズボンがほしいと思ったのだ。


 帰宅すると20時ちかくになっていた。割合買い物に時間をとったみたい。

 夕食後21時から0時まで仮眠?ソファーで寝てしまう。

 以前、模様替えの記述で書いた、自分の部屋用のソファー。これ、役に立っています。


 0時から4時くらいまで、頭のチューニング。

 最近は、ゴムプレイヤーに動画を大量登録してシャッフルしてみている。

 シャッフルして、その日の気分で見たい動画をみる。

 ひさしぶりに「のだめカンタービレ」をみる。やっぱおもしろい。

 あと本当に久しぶりに「赤毛のアン」を見る。日曜学校に花飾りの帽子をかぶっていってひんしゅくをかう話。

 あれ、やっぱ大人向けの話だと思う、子供にはあの感じ、伝わらないよなー、と感じます。

 「銀河英雄伝説」の回廊の戦いかな?の話も見る。

 徳間書店が、バブル時代に、あまったお金を湯水のごとくつかってつくった長編アニメだ。日本最長のオリジナルビデオアニメ。

 久しぶりにみると、味がある。いい意味でも、悪い意味でも。でも僕がSF好きだから見れるのであって、あまりおすすめはしない。


 などと考えていると、仕事モードからプライベートモードに頭が切り替わってゆく。


 午前5時ごろ、限界がきたらしく、寝入る。おきたのは今日の12時。

 睡眠時間が、完全にずれてしまっている。夜勤がつづくと、こうなるから困りものです。

 でもまあ、6時間くらいのずれなら、なんとかなるかな?という感じです。



 前々から思うこと。

 職場でもたぶん、僕の評判の悪さは、継続中なのだと思う。

 あきらかに好意とは間逆の対応や、視線を感じるのは日常的だ。


 でもみながみなそうでもなく、構えていると、好意的な態度で接してくれる人もいて、一概にそうでもないなと思う。

 かといって考えすぎか?と判断すると、そうでも無い様子だ。

 こんなことがあった。

 ある時、突然シフトを無視してこなかった職員がでた。職場は混乱する。

 翌日、こんな話をした。

 たぶんその人は、何事も無かったような顔をして、来るのだろうな、と。

 その光景がなんだがおかしくて、僕は笑ってしまった。

 そこ笑うところ?と周囲が面白がる。

 だって、そういう感じの人でしょ?といった返しえを僕はしたと思う。

 そこは同意してくれるらしく、否定されなかった。

 ただ、こう返された。

「そうだよね、でもKくんがそれをやったら(言葉で)袋叩きにだよね」と。


 どうやら、僕は今現在でも、大局的にはそういうポジションらしい。

 一部好意的な人はいても、それは直接接触あるひとらくらいで、接触のほとんど無い人たちの部分では、そういう評価のようだ。たぶん。


 まあ、事実、仕事ができるほうでは「ない」というのもあるし、ある程度は自分の生まれ持った「ごう」と思い。飲み込んで抱えるしかない。

 今でも、僕に対してネガティブキャンペーンを張るバイアスをかける人は、いるかもしれない。

 ただでさえ人に迷惑をかける「ごう」をかかえているのに、そういうことされると実に厄介だ。


 それでも、前を向いて生きようと思う。

 なぜなら?僕が普通の生活をすることを、おそらくFさんは望んだとおもうからだ。

 せっかく君に助けてもらった命、大事に使わないと、Fさんに申し訳がたたない。

 そう僕が思っていることを、いつか君に伝えたい。そう思っています。


 他の人は笑うかもしれない、でも、たぶん、Fさんなら?

 僕がこういうことを本気で言っていると、伝わると思う。

 Fさんの知るKはいまでも、少し変わったかもしれないが、今でもここにいます。

 いつか、僕がどのくらい変わったか、君から聞けたら幸せです。


 …もし、この先再会できたならば。

 繰り返し書くけど。

 よくやったねと、君を抱きしめて頭をなでてあげたい。


 人のために尽くそうと懸命に努力したんだから、ほめられないのは酷な事だ。


 おかしのは、君をだまして、まちがった努力をさせた連中だ。

 洗脳は人を狂わし、おかしな世界を生み出す。


 でも努力した心そのものは、ほめられていいと思う。

 そんな感覚、君にとどけたいです。


 君が、諦めることなく、自分を信じていることを、夢見させてください。

 負けないで欲しい、がんばれ!

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〔7月9日分の記述〕

 Fさんへ。今日は本当はひきつづき2013年8月12日です。


 消費者物価指数のニュースがやっている。

 消費税引き上げ議論とからめて、報道されている。


 しかし、「コアコア物価指数」について説明しているのは、テレ東のみで、どこもマンションがどうとか、企業の設備投資がどうとか、関係の無い数字ばかり言っている。


 僕が読んだ本では、こんな事が書かれていた。

 マスコミに経済の専門家のような記者はほとんどいない。

 だから、1次資料を読める記者はほとんどいなくて、国のいう2次資料をそのまま報道する。2次資料とは、1次資料をもとに政府が解釈したものらしい。それをマスコミがさらに解釈を加えるので、報道された時点で3次資料になってしまう。とか。


 コアコア物価指数とは、通常の物価指数から、生鮮食品とエネルギーの物価指数を削除したものだ。


 なぜ?この2つを消す必要があるのか?

 まず第一に、生鮮食品の価格は、気候に左右され、必ずしも景気がよくなるから上昇するというわけではない。景気判断の材料としては、ノイズに相当する指数だ。同様にエネルギー関係の指数も、海外の先物取引の影響を思いっきり受けるので、これも景気判断の材料に使うにはふさわしくない。ノイズ扱いするほうが妥当らしい。


 この2つの指数を除いた指数を「コアコア物価指数」とよぶらしい。


 この呼び名は日本オリジナルの造語だという。

 海外では通用しない。

 僕が読んだ本では、僕の解釈がただしいなら、アメリカでは通常、消費者物価指数といったら、あたりまえのように、生鮮食品とエネルギーの指数を除いた数字をだすという。

 日本では、理由は不明だがおこなわれなかった。

 僕の読んだ本の著者が、現役官僚時代、指示して出させたと書いてある。

 そのとき日本の官僚がつけた名前が、コアコア物価指数。

 通常の物価指数から、生鮮食品をひいたものがコア指数で、さらにそこからエネルギーもひいたから、コアコア物価指数というらしい。


 単にネーミングセンスがおかしいのか?抵抗心の現われかはわからないが、ともかく数字は出されるようになった。


 このコアコア物価指数だけみると、今回発表されたこのでは、ちっとも景気は回復していないみたいだ。今回のニュースは、まさにそこが重要だとおもうけど、やれマンションがどーだとか、高級品がどーだとか、マクロ経済学とは関係ないミクロ経済的な視点ばかり報道している。


 景気回復の判断とは、マクロ経済の分野だ。


 だから当然マクロ経済的視点で報道すべきなのに、していない。


 思い出してほしい。

 原発事故のあと、各マスコミは、いっせいに、シーベルトとかベクレルとか、専門家しかあつかわない単位を、いっせいに報道した。

 やればできるのに、コアコア物価指数に関してだけは、やらない。

 なにか、変だと、そんなことも思ったりします。


 過去のデータを見ると、増税額の2倍の税収増加がないと、不況になるとか、そんなことも本で読んだ。


 つまり景気回復とともに税収も増える。

 その増えた収入の半分程度の増税で無いとはずいとか、そうでないとか。


 なにがいいたいかといと?

 消費税増税を判断するための、判断材料を、マスコミはただしく報道していない、ということです。一流大学をでたエリートの集団のはずなのに、なぜ?このていたらくなのか?


 1つ言えることは、この世はバイアスが支配している。

 バイアスは、皆に同時に影響をあたえる。

 あきらめることは間違いであり、ゆずれない想いがあるならば、封じ込めずに、想いを発し続けることが、大事だと思う。



 皆が言っているからといって、それが正しいとはかぎらない。

 マスコミがまちがった報道をくりかえすのが、いい証拠だ。


 そちらの世界でも、偉い人らが、もっともらしいことを言っていると思う。人間には革命が必要だとか、いろいろ言うだろう。

 でも本当に世の中をよくしたいと思っているとは思いがたい。

 なにかごちゃごちゃ言われたら?こういえばいいと思う。

「いろいろ説教するけど、世の中をよくするなんてうそでしょ」と。

「全部人々をだまして、お金を巻き上げるための方便でしょ」と。

「うらで人々を笑っていたんでしょ?笑いが止まらないわよね」と。

「頭がいい人はそうやって、人生を楽しく過ごすとおもっているんでしょ」と。


 …ここで口をとめ、すこし黙るといいと思う。

 もしあいてが押し黙っていたらチャンスだ。こういえばいいと思う。

「即、反論できないのは、そううらで思っている証拠ね」と。


 君は正しいのだから、がんばっていいのです。

 …もし、この先再会できたならば。

 繰り返し書くけど。

 よくやったねと、君を抱きしめて頭をなでてあげたい。


 人のために尽くそうと懸命に努力したんだから、ほめられないのは酷な事だ。


 おかしのは、君をだまして、まちがった努力をさせた連中だ。

 洗脳は人を狂わし、おかしな世界を生み出す。


 でも努力した心そのものは、ほめられていいと思う。

 そんな感覚、君にとどけたいです。


 君が、諦めることなく、自分を信じていることを、夢見させてください。

 負けないで欲しい、がんばれ!

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〔7月10日分の記述〕

 Fさんへ。今日は本当は2013年8月16日午前2時です。

 16日17日と久しぶりの連休。しかし、納涼祭用の看板を作らないといけない。完全な休みではないです。連休明けは、また夜勤になります。

 今日、あ、いやもう午前零時をまわったから、昨日か。昨日、仕事中、利用者さんに「今日は何日?」と聞かれたので答えると、「ああ、じゃあ今日は大社のお祭りね」と答えたれた。

 もう100にも届きそうな歳なのに、しっかりしている人だと思った。


 …大社のお祭り。いつか一緒にいけたらなんて妄想もしなくもない。

 なぜなら?2人で「紅の豚」を見に行った後、もし可能ならば大社のお祭りにも誘おう…、などと考えていたからだ。

 しかし、その時期、君に何がおこったのか不明だが、その誘いができるような状況にはならなかった。


 高校生の女の子1人に対して、いい大人がそろってどんな圧力をかけたのか。“彼ら”は今でも変わらないのだろうか。



 最近、バイアスの変化を感じる。

 おそらく、僕はそちらの世界の1部の人を相当怒らしている。

 しかし、総攻撃をかけられるほど、人員を動員できる環境ではない。

 そんな印象をうける。


 昨日(14日)は夜勤でした。

 家を車で出ると、ちょうど僕の部屋から死角の場所に、インプレッサという車が停まっていた。エンジンをかけたまま。中にはおばさんが乗っている。

 インプレッサは、Fさんは知らないと思うけど、欧米ではラリーのレースカーとして有名だ。未舗装路をレースする車で、活躍している。

 この車を選ぶのは、そうしたレースファンの男性。

 もしくは、家族もちなんだけど、スポーツカーみたいなファミリーカーがほしいというお父さん世代が、乗る車だ。だから、ドライバーは9割がた男性。女性は珍しい。誰かに借りて乗らない限り、自ら進んでこの車をチョイスするのは、珍しいことだ。


 レース車にもなる市販車だから、エンジンもいい音をだす。

 マフラーを改造すれば、けっこううるさいはずだ。


 …そういえば、今朝からへやにいると、重低音がよく聞こえた。

 ずっとこの車がいたのだろうか?



 その他気になるのは、バイクが多かったくらいで、そんなものだった。

 しばらく無かったから、久しぶりに見た。

 しかし変化があると言うことは?なにかしらのバイアスが発生したのかもしれない。職場で“彼ら”かもと思う人々の一部の態度の変化も気になる。あきらかに避けようとするバイアスを感じる。気のせいかもしれないが。


 “彼ら”はこんな事をいうかもしれない。

 誰かが幸せになるために、誰かが不幸になるなんて…、とか。


 部外者の僕から見たら、とても変に見える。


 なぜならば、“彼ら”は無実の人間をそれこそ無数に追い込んで、不幸にしている。中には死刑判決を言い渡された被害者もいる。

 そこまでしておいて、いまさら常識論を振りかざされても、違和感しか感じない。

 しかし、こうも解釈できる。

 常識論が通じるということは?

 それは“彼ら”の多くは常識人であり、一部の幹部たちに操られているだけなのだ。


(ちなみに内通者なんていません、ぜんぶ勘です。信じるか信じないかは読者しだいです。というかフィクションです。なにぶん、小説ですので。)


 いつか再会できたら、どこまでがあたっていて、どこまでが間違いか、教えてくれたらうれしいです。もちろん言いたくない事はいわなくていい。

 いつかの未来を信じます。


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〔7月11日分の記述〕

 Fさんへ。今日は本当は2013年8月17日午前1時です。

 今、納涼祭用の看板を作っています。

 今年はかきわりにする予定で、そうした作業中です。

 思っていた以上にてこづっています。


 君は、今、どこでなにをしていますか?

 自分を見失わず、しっかり前を向いていてくれたら、嬉しい限りです。


 今日、こんなニュースを見た。

 いじめ自殺した中学生の両親が、教育委員会がしぶしぶようやくだしだ資料を見て、憤慨している、とかいうやつだ。

 教育委員会は、形骸化された組織だ。


 もともとはアメリカのシステムを真似てつくられたものだ。

 しかし文化的土台がちがうためか、定着しなかった。

 アメリカで教育といえば、教会での日曜学校の延長線上にあり、開拓時代は牧師などが教師だった。教育委員会は、宗教上の集まりの延長線上にあり、意識が高かった。

 日本でも寺子屋制度はあったが、近代化と共に教育は国家管理に統一され、市民は係わらないものと言う文化に変わってしまった。

 この感覚は現在も継続中らしく、教育委員会を通じて市民の意見が反映されることはない。


 昔は教育委員会も選挙で選ばれていたらしい。

 しかし、望ましくない人物の当選(共産主義者や宗教家)が問題になったとか、教育に政治が持ち込まれるのはよくないとか、ともかく戦後の混乱期で社会が安定して無い時期なので、地方の首長が任命する形に変わった。と個人的には記憶している。間違いもあるまもしれないが、たぶん、こんな感じだと思う。


 現在の教育委員会は、名誉職になっていて、事務局の説明をきき、追認するだけのシステムになっているとか。

 だから、実質事務局長の独裁体制になっているとか、聞きます。


 事務局長にいじめを隠したい意図があれば、いくらでも隠蔽される、という現状だ。


 こんな妄想も抱く。


 案外、“彼ら”の隠蔽体質も似ているのかな?と。

 組織が形骸化していて、自らを正せるよう、機能していない。


 それが、誰も助けてくれない理由だとしたら悲しすぎます。

 被害者は1人でなやみを抱え込むことになる。



 理由があるのならば、自分の心を大切にしていいんだと、僕は君に伝えます。


 なにかごちゃごちゃ言われるならば?こう言い返せばいいと思う。

「ルール的になにも悪いことはしてない?だったらそんなルール存在価値はないわ、よってたかってなにしてくれるのよ、もうこれ以上は限界よ!」


 実際のところはわからない、しかし、何が君のためになるかわからない。

 なにかの役に立つならば死ぬほど嬉しいです。

 これからも、いろいろ書こうと思う。

 君は僕よりも聡明な人だ。君のより現実的なインスピレーションによって、僕の考えが昇華され、より現実的な考えにつながるヒントになるならば幸です。


 君は正しいのだから、がんばっていいのです。

 …もし、この先再会できたならば。

 繰り返し書くけど。

 よくやったねと、君を抱きしめて頭をなでてあげたい。


 人のために尽くそうと懸命に努力したんだから、ほめられないのは酷な事だ。


 おかしのは、君をだまして、まちがった努力をさせた連中だ。

 洗脳は人を狂わし、おかしな世界を生み出す。


 でも努力した心そのものは、ほめられていいと思う。

 そんな感覚、君にとどけたいです。


 君が、諦めることなく、自分を信じていることを、夢見させてください。

 負けないで欲しい、がんばれ!

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〔7月12日分の記述〕

 Fさんへ。今日は本当はひきつづき2013年8月17日です。

 18日はまた夜勤になるので午後3時に家を出て、コンビニによってから仕事場へ行きます。つまり、それまで休みです。


 急にこんな事を思った。

 僕は、むかし、君がブライダルプレイヤーになりたいと言う夢を聞いた記憶がある。この記憶に間違いは無いと思う。君に聞かされて、はじめてそのような職業があるのだと知ったと記憶している。


 しかし、どこで聞いたのかがイマイチ思い出せないでいた。


 だが、急にこんな事を思った。

 あるイメージが浮かぶ。


 居酒屋だ。

 周りには吹奏楽部OB。


 君が隣にいる。


 その時、聞いたんだったかな…。


 いや、2人きりで何処かに居た時の様な気もする。



 どうだったのだろう。


 こんな事も思う。その後、Fさんはどうすごし、どう生活していたのだろう。


 たぶん。運良く再開出来たら?

 その後君がどうしていたのかを聞くと思う。

 どんな学校にいったのか。新横浜はどうだったのか?

 念願の職種につけたのか?


 欠けた時間を埋められたら。それは最高の奇跡だと思う。

 無神論者の僕ですら、神に感謝するかもしれない。


 とにかく待つと決めたのだから、僕はまとうと思います。

 いつかの奇跡にかけて。


 今でも君が戦っているという前提で書きます。

 負けないで欲しい、がんばれ!

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〔7月13日分の記述〕

 Fさんへ。今日は本当はひきつづき2013年8月17日です。


 最近思う事。

 最近帽子を買った話をしたと思う。

 何日か被ってみての結論。いまいちです。


 なんかしっくりこない。

 似合ってないわけではないと思う。でも、しっくりこない。


 たぶん、服やめがねとの組み合わせがわるい?


 時間をかけて、しっくり来る組み合わせをさがすしかないかもしれない。

 冬とか合うかもしれない。そんな事も思った。


 まわりから変な目で見られることなど気にしていたら、新しいことにもチャレンジできません。正直、帽子は前々から被ってみたかったんだし、やってみてよかったと思っています。


 白いめがねに関しては、まだ自分のなかで結論が出ていない。

 変なのか?似合っているのか?まあ、しばらくやってみようと思います。


 チャレンジする心は、失ってはいけないと思う。


 そんなイメージ、きみに伝えたかった。

 負けないで欲しい、がんばれ!

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〔7月14日分の記述〕

 Fさんへ。今日は本当はひきつづき2013年8月17日です。


 あまりばかばかしくて人に相談できないなやみがある。

 誰しも1つくらいは、そーいうのがあると思う。

 僕の場合はたくさんある。

 

 Fさんは、弱音を聞くのがきらいと思う。

 でもこの場合のものは前向きなやつなので、あえて書こうと思います。

 前向きな弱音と、そうでない弱音では、意味がまったく違う。



 僕の場合は、時間の使い方が下手と言うなやみがある。

 そのまま、それは、いろいろな面に影響が出る。

 仕事でも、プライベートでも。

 タイムリミット6時間前になると、急に頭が冴えだすなんてことはよくある。いつも思う。タイムリミット6時間前でなくても、同じように頭が冴えてくる方法はないものかと。

 しかし、この緊張感のコントロールがなかなかできない。現実に追い込まれてはじめて能力が発揮できるタイプなのだ。

(余談だけど、追い込まれて初めて能力が発揮できる、という「意味」では、“彼ら”の本気の攻撃にさらされて、追い込まれたがゆえ、普通では気がつかない事実にきがついたり、行動できたりしているのだと思う。

 そういう意味では、東京で僕を追い込むきっかけをつくった人物には、ある意味感謝する。軽蔑もするけど)



 最近、仕事をしていて、時間の使い方は徐々にわかってくる。

 例えば1時にこれこれこういうことをする。

 とあらかじめ、決まっていた場合。


 本当に1時からはじめると、ものすごく忙しく、余裕が無い。

 しかし、30分前からはじめると、なんだか余裕がある。

 そしてどーゆーわけか、全体的に仕事の速度があがる、と言うことだ。

(そんな事、今きがついたのか!とか言われそうだが、事実だから仕方が無い。そんな事よりも、永遠に気がつかないよりは、気がついた方がはるかにいいと考えるほうが妥当だ、物事ものごとはどんな些細ささいなことでも前向まえむきに考えるほうがいい)


 そのことをきっかけに、日ごろの行動を時間別にノートに取るようになった。というか、そういう事を最近始めた。


 で、どこで、どう時間を短縮できるのか?

 つまり、先の例でいくと、何時に始めて、何時に終わっているこの行為(例えば、映画鑑賞だったり、漫画製作だったり、プライベートでおこなっているもの)は何時を基点にはじめればいいか?そして、その基点となる時間ちょうどにはじめるほうがいいのか?それとも何十分かまえから始めたほうが楽なのか?をみればいい、と。


 たぶん、仕事のできる人らは、こうした認識を、頭の中でやってしまうのだろうが、僕は上手くイメージできない。


 しかし、できないなら、できないなりに、工夫すればいいのだ。


 ノートに自分の行動を記入し、時間をかけてベストな時間割をだせばいい。


 たぶん、この作業をしないと、いつまでたっても「漫画が」完成しない。

 そういう意味でも、重要な行為だと思う。


 とくに、はじめて行う行為などは、どのくらいかかるか時間が読めないから、ノートをつけておくのは有効に思う。次回やくにたつ。(今回の連休では、納涼祭用の看板製作がこれのあたる。かきわりをつくるのに意外にてこづった。もっと簡単にできると考えていた分ショックだ。でもどのくらいかかるかノートに取ったので、次回やるときは、もっと短縮できると思う。ある意味、日記にちかい行動記録なのかな)


 僕は不器用な人間だ。しかし、できないなら、できないなりに、工夫すればいいのだ。


 そんなイメージ、君に伝えたかった。

 

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〔7月15日分の記述〕

 Fさんへ。今は2013年8月18日午前2時です。

 撮りためた「がっちりマンデー」を見ながら、漫画を描いています。

 つい今しがた、ネット証券に口座開設の申し込みをした。一週間くらいかかるとかなんとか…。まあ、何事も挑戦です。


 よくこの小説でラジオを聴く話を書いていたと思う。

 TBSラジオの「ディグ」という番組は、本当にいい番組です。

 だけど、どーゆーわけか?静岡ローカルでは聴けなくなってしまった。

 じつにさびしい感じです。

 インターネットで聞く方法もあると聞くけど、何度か挫折している。

 1度目はセキュリティーの組み合わせの関係で、アイチューンズに接続できなかった。問題解決に2年を要し、2度目はクレジットカードがなくてダウンロードを断念した。くやしくてプログラムを削除してしまったから、最初からやり直しになるけど、いまならカードもあるし、聞けるかもしれない。


 他には、最近こんな事も考えている。


 今の施設は、じつは、どうやら仕事がきつい事で有名らしいと。最近になって知った。確かにきつい。高い理想をかかげているからかもしれない。

 でもだからといって、職場を変えようと言う気にはならない。

 いろいろクリアしなきゃいけない課題が個人的にあるからだ。

 他は今よりも給料も安いとこ多いみたいだし。 


 今は、仕事を覚える事が大事だし、時間を無駄使いしないよう、ノートに記入して自己改革の最中だし、お金に関しては、ネット証券でどうなるかを見極めたいし。いろいろ考えると、職場を変える時期でもない。


 いろいろと事情はあるけど、がんばっています。

 今は目の前のやるべき事に専念し、君の言葉を待つだけです。


 覚悟はできている。背中を押してもらえるのか?それとも、並んで歩いてくれるのか?なににしても僕には答えがいる。


 いつかの未来を信じて、君を待ちます。

 奇跡を信じて。


 今日は(8月18日)夜勤です。

 当日午後3時に家をでて、コンビによってから仕事場に行きます。



 今でも、君が戦っているという前提で書きます。

 あきらめないでほしい、君は自分が思っている以上に強い女の子だ。

 きみならできると信じています。

 負けないでほしい、がんばれ!

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〔7月16日分の記述〕

 Fさんへ。今は2013年8月20日午前5時です。


 今日はまた夜勤明けです。


 こんな事を思います。

 僕は複数のことを同時に考えるのが苦手だ。

 だからこの場を借りてすこし整理したいと思う。


(なぜにこんな事を小説で書くか?というと理由はある。

 以前にも書いたように、僕は今、君がどこでどうしているのか知りたい。だからこそ、自分がどうしているのかを君に伝えたいと思った。

 そしてそれだけではない。

 以前君は言った。

 「本当の私を知ったら、きっと嫌いになっちゃうよ」と。

 もし、今現在の君も同じようなことを考えているならば?

 そんな事は無いよ、と伝える意味でも、自分のあまり人にさらさない情けない部分も書こうと感じた。

 他の人も読んでいる手前、そんな事をしたら自分の損になることは、重々承知だが、君に想いを伝えるためならば、その程度のリスクは飲み込める)



 で書きます。最近複数のことをいろいろ考えているので、少し整理です。


 まずサイクリングの件。

 最近は猛暑が続いていて、炎天下ではとても走れない。夕方の2時間くらいが狙い目だ。

 だから夏場は時間制限があり、なかなか乗れない。

 でも、唯一の苦もなくできるスポーツなので、継続はしたい。

 特に、原から田子の浦までのコースは、いい汗のかける絶好のロケーションだ。(景色が単調でいまいちな点を除けば。)

 この仕事をしていると、若い頃の運動習慣が、高齢になるとものすごい差として出るのを目の当たりにしている。

 できることなら続けたい。


 問題点は、ものすごい汗をかくから、着替えスポットを確保しないといけないこと。

 よくトイレを利用するとか聞く。原の近くでどこか「適当」なところを確保しないと。


(※この「適当」という言葉。意味はもちろん「適していい具合の」だ。いいかげんを意味する「テキトーに」とは意味が違う。

 昔、2人で神社にいたとき、僕が「適当」という言葉を使ったら、君は「テキトー」のほうの意味と感じて、変な空気になったことが一瞬あった。

 で、「違う違う」といって僕は自分の言葉の意味を説明した記憶がある。しかし、まあ、僕の使う「適当」は本来正しい使い方なのだが、世間では「テキトー」のほうが浸透している。厄介なことです。

 なので、僕はこの「適当」という言葉。親しい間柄の人の前でしか使わないように心がけている)


 あと今までは普段着で走行していたが、ものすごい汗をかくので、専用のウエアというか、そういうのを用意したほうがいいような気がしてきた。

 でもあまり本気なものではなく、雑誌とかを見ながら、普段着でもサイクリングウエアで通用しそうなものを、ユニクロでそろえる感じで。

(夏場はそれで何とかなりそうだけど、冬は皆どーしているのだろう?やはり専用のウエアのほうがいいのだろうか?)


 考えを整理すると?

 ①夏場の炎天下、サイクリングは控える。しかし、無理の無い範囲で運動習慣を継続する意味で、夕方都合がいいときは、積極的に走るよう心がける。

 ②原の周辺で、着替えに適した場所を探す。

 ③ウエアの新調は急がない。可能な限り普段着で対応し、限界がくるまで慎重に考える。


 あと、自転車をいいものに変えたいという意思もあるが、これは当面保留する。上記条件の考慮を優先してから考える。





 次に、「ざぶーん」の件を整理したい。

 「ざぶーん」はこの小説内でもなんども書いた、僕が入り浸っている大型入浴施設だ。

 そもそも行くきっかけはダイエット目的だったが、運動の方が効果が高いと判断。考えを改めた。


 次に行くようになったきっかけは?夜勤続きで、肩こりがひどくなり、限界になっていったのだ。

 体のメンテナンスの意味で行くようになった。時々行かなくなると、体が耐えられなくなり、入り浸ることが増えた。


 しかし、現在は?

 以前ほど体は痛くない。肩こりも腰の痛みも無い。

 慣れたからか?あるいは、以前この小説内でも書いたけど、マグネループを常時つけるようになったのが効いているのか?

 あるいはサイクリングで運動習慣を持ったのが効いたのか?

 ともかく体が悲鳴を上げるのは無くなってきた。


 今では昼寝のためと、サイクリングのため夕刻になるまで時間をつぶすためのみに行っている感じだ。


 漫画を描くに時間管理をしている現状、それは、あまり好ましい状況ではない。

 でも行くのをやめるのも好ましくないと、無意識の僕が強烈にうったえる。

 こういう感覚のときは、おそらく意識下の自分では意識できない理由に、無意識の自分が気づいているときなので、無視しないほうがいいと、過去の経験から感じる。




 で、考えをまたまとめてみる。

 ①「ざぶーん」には月4回程度にする。月初めシフト表と相談し行く日を決めてしまう。

 ②しかし体調不良を感じたら?即座に考えをあらためる。


 といった感じだろうか?


 


 時間管理の件では?こんな事を考える。


 東京時代では?仕事から帰ると、自宅で赤外線仕様のワイヤレスヘッドフォンをかぶり、すきなアニメやドラマや映画を飽きるまで「聴いた」。

 「飽きるまで」きくと、何かが充電されたような気分になり、気が晴れるのだ。気が晴れてから、ニュースをみたり、漫画を描いたりしたものです。

 帰郷してからは?これがうまくできない。

 理由は、言わずもない。“彼ら”の騒音攻撃だ。帰郷直後からしばらくは、こうした充電作業ができなかった。いまかんがえると結構な痛手かもしれない。

 それまで描いていた漫画が描けなくなっていたのだから。


 あれからいろいろ対策を打った。

 運輸局への通報がどれほど効果があったかはわからないが、変な車は消えた。

 うるさいタクシーは、観光協会への弱いクレームメールだけで、ほとんど来なくなった。

 うるさいトラックにも似たような手をつかった。

 扇風機で低周波音を相殺する方法、防音効果のある遮光カーテン。

 特にひどい日は、ホームシアターシステムで波の音をかければ、騒音を相殺できることも発見した。


 そろそろどうだろう?と感じ、東京時代と同じ「充電作業」を再開してみる。


 今は当時と違い赤外線ではなく、ブルートゥース仕様のワイヤレスヘッドフォンだ。時代は進んでいます。


 結論をいうと、東京時代と同じように、問題なく「充電作業」はできる。


 

 そこで話を「時間管理」の問題に戻す。


 仕事から帰ってすぐ創作活動に切り替えるのはやはり無理がある。

 気持ちがすぐに切り替えられない。

 充電時間をもうけないと。


 充電時間はその日により違うだろう。とっもかく飽きるまで聴くのがポイントなので、いつ飽きるかはその日の気持ちしだいだ。


 で、時間管理に関して考えをまとめると?

 ①仕事から帰ったら、最短時間で「充電に」入れるようにする。

 ②「充電中」はワイヤレスヘッドフォンなので、基本的に自由に体は動かせる。この間に、部屋の片付けや、掃除と言った単純なことをこなせば、時間が節約できる。


 といった感じだろうか?




 こうして書いてしまえば、簡単なことなんだけど、書かないで頭の中だけで答えをだそうとすると、ごちゃごちゃになってうまく考えがまとめられないことがある。

 「五里霧中」という言葉がある。意味は「霧の中にいるように先が見えない、どうしていいかわからない場合」だ。


 そういう時は、書き出して頭を整理したほうがいいのかもしれない。


 似たような概念にイギリスの「ブレーンストーミング」がある。

 意味は「ブレーンストーミングなどによって得られた発想を整序し、問題解決に結びつけていくための方法」だそうだ。

 これは会議でのアイディアをまとめるための概念だけど、自分の頭の中のインスピレーションを整理する「ひとりブレーンストーミング」もありだと思う。


 「五里霧中」になったら「ブレーンストーミング」は効果的です。たぶん。



 Fさんの知るKはいまでも、少し変わったかもしれないが、今でもここにいます。

 いつか、僕がどのくらい変わったか、君から聞けたら幸せです。


 …もし、この先再会できたならば。

 繰り返し書くけど。

 よくやったねと、君を抱きしめて頭をなでてあげたい。


 人のために尽くそうと懸命に努力したんだから、ほめられないのは酷な事だ。


 おかしのは、君をだまして、まちがった努力をさせた連中だ。

 洗脳は人を狂わし、おかしな世界を生み出す。


 でも努力した心そのものは、ほめられていいと思う。

 そんな感覚、君にとどけたいです。


 君が、諦めることなく、自分を信じていることを、夢見させてください。

 負けないで欲しい、がんばれ!

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〔7月17日分の記述〕

 Fさんへ。今日は本当は、前回にひきつづき2013年8月20日です。

 明日はコンビニによらず、電車移動で消防署です。

 なにやら講義を2日も受けなければいけない。

 車が使えないので、電車で移動の後、徒歩で行こうと思う。


 現在午後4時。

 ニュースを見ていておどろいた。日経平均はけっこう下がった。

 まだネット証券をはじめてないけど、もし今やっているとしたら?

 たぶん1万3千500の時点で値上がりすると踏んで買っていただろう。

 仮に本当にやっていたら、いまごろ相当驚いていると思う。

 でも、まあ、冷静に考えると、1万3000円台を下限と予想したわけで、まだ予測の範囲内。

 この小説内で書いた予測に従うなら?かならずそのうち反転する。

 勘では最低でも1万2千900前後まで下がる過程のどこかで反転する。と思う。


 まあ、所詮はシロウトが知ったかぶりを元に予測したものだから、あてにはならないが、たぶん、反転すると思います。で、たぶん1万3千500をこえて?1万4千円台のどこかでまた下がると思う。


 千円台以下の数字は、もうグラフを見ながらの勘の世界だと思う。


 QE3が発動するまでは、日米の通貨量がそんなに変わらないから、この予測は成立すると、僕はかってに思い込んでいます。為替レートが異常なうごきになったら?その時が、この予測の修正時だと思う。


 あとは実際にやってみないとわからない。

 でもまあ、FXじゃないんだし、元本われはないと思う。

 余剰資金の範囲でやる分には、問題ないでしょう。

 勉強のつもりでやればいいと、そう感じています。

 現金を投資する緊張感というのも、体験したい。

 その体験料だと思えば、お金も無駄にはならない。


 東京時代は、まさか自分が実際に投資に手を出す時期がくるなんて想像もしてなかった。なんか変な気分です。



 こんな事も思う。

 “彼ら”は例の行動を楽しむ際、その緊張感を楽しむのだろう。

 そちらの世界に少なからずいると思う、人を貶めて、その禁忌の緊張感を楽しむ馬鹿が。そういう連中ほど、自分たちを正当化するために、さまざまな詭弁を使う。


 人間にはどんな人でも悪い心がある。

 連中は君の中にあるそういう部分を、むりやり増徴させようと、あらゆる手段を講じてきたことと思う。


 これは、書いていいのかな…。

 君ならば、誤解せずに、飲み込んでくれると信じて書きます。

 いままで書いてきたことが、ちゃんと伝わっているならば?

 誤解なく君に届くと信じて書きます。


 Fさん。僕は、君がどんなに汚されていようとも、いまだに君が好きなのです。


 いつか言葉ではなく、行動でそれを君に伝えられる日々がきたら、何もかもが報われるような気がします。


 …もし、この先再会できたならば。

 繰り返し書くけど。

 よくやったねと、君を抱きしめて頭をなでてあげたい。


 人のために尽くそうと懸命に努力したんだから、ほめられないのは酷な事だ。


 おかしのは、君をだまして、まちがった努力をさせた連中だ。

 洗脳は人を狂わし、おかしな世界を生み出す。


 でも努力した心そのものは、ほめられていいと思う。

 そんな感覚、君にとどけたいです。


 君が、諦めることなく、自分を信じていることを、夢見させてください。

 負けないで欲しい、がんばれ!

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〔7月18日分の記述〕

 Fさんへ。今日は本当は、2013年8月21日です。


 最近思うこと。

 白メガネの話。


 なんだが思いついて購入した白メガネの件。

 最近TVでにたような白メガネをかけたタレントを見て、ああ、微妙。と感じたものです。


 今日、道を歩きながら、こんな事を考えた。


 自分はプラモデルを作る趣味がある。

 塗装の技術を応用すれば、レンズをはずしてフレームを好きなように塗る手もあるな、などと考えたりもした。


 でもやるのはいつでもできる、その前に、ネットの画像検索で、白メガネを調べてみよう。他にどんなかけ方をしているひとがいるか、見て見たい。そう思った。


 で、今しがた帰宅してすぐグーグルで画像検索してみた。

 すると意外や意外。けっこういる。

 で、それなりに似合っている。


 …早計に色を塗り替えたりせず、もうすこしこの白メガネと付き合って見るのもいいかもしれない、そんな事を思ったりしました。

 たぶん、着こなすのが難しいアイテムなんだと思う。

 今、漠然と感じるのは?

 Tシャツ姿ではいまいちだが、襟付きのシャツならいけるかもしれない、などとも思う。


 そんな事を思う。今日この頃です。


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〔7月19日分の記述〕

 Fさんへ。今日は本当は、ひきつづき2013年8月21日です。


 …で、つづきです。

 今日はそんな事をかんがえながら、消防署へ仕事で行った。

 職務上の講習があるからだ。

 たくさん参加者がいるので、車は使えないと、指定されている。

 だから電車移動+徒歩を選択した。


 久しぶりの電車移動。

 駅に着くと、東京時代を思い出す。

 このまま、あの東京の部屋にもどれるような錯覚。

 このまま、本屋へ働きに行くような錯覚におそわれる。


 東京では江古田に住んでいた。

 あのあたりは、都内でも田舎っぽいところだ。

 電車の外の風景も似てなくもない。

 電車に乗り、外をみていると、池袋から江古田に戻る時の記憶が鮮明によみがえる。変な気分です。


 電車内で、1度周囲を観察した。


 こちらを睨んでいる人はいないみたいだ。

 でもあれほどたくさんいたのだ。消えてなくなるわけでもなく。見てないだけで、いるにはいるのだろう。そんな事も思う。Fさんはどう思う?


 この小説内でもかいたけど、帰郷してすぐの頃、電車に乗ると、隣にすわった女性が、至近距離でこちらをずーーーーっと睨んでいる。顔をむけ、目をひんむいて。僕の顔と距離にして40センチと離れていない距離でずーーっとだ。


 で、この状況下で僕が口にすべき、非常に常識的な文句が頭にうかんだので発してみた。その女性に向けて。

「あの?どこかでお会いしましたか?」と。

 当然のごとく否定の発言、予測どうりの反応。次に発すべき言葉も当然用意してある。

「でもさっきからこちらをずっと見ていらっしゃいますよね?どうしてですか?」と。

 これに対しても否定の発言。「見てなんかない」と。

 これも予想したとおり。で、こうつづけた。

「でもこうして現に目が合ってるじゃないですか」と目を合わせる。

 話し始めてからずっと目を合わせているのに、こっちなんか見てない、と繰り返す女性。僕はあいての目をずっと見続けた。

 それでもそのひとはこちらをずっと見ている。

「申し訳ないのですが、この状況でずっとこちらを見続けているのは、常識的に見て変だとおもいませんか?」とか、そんな事をいったと思う。

 幸い、その時は、電車内の人数が少なくて、その女性の他は、向かいの男子高校生が睨むのと、遠まきにこちらを睨むひと程度だった。

 高校生のほうは文庫本をかざすと簡単にひるんだ。

 この隣の女性は文庫本にはひるまない、筋金入りだ。

 でも1対1なら、負ける気がしない。


 同じような神経戦をくりかえし、ついに相手の目線をおろさせた記憶がある。なにしろこの時点ですでに東京で何千人単位の総攻撃をくくりぬけてきているのだ。あれをかわせて、1対1で負ける道理がない。


 

 …などと思いながら電車にのっていた。

 確かに睨む人はいなかった。


 ただ、気になった点がなくはない。


 消防署での用事も終わり、帰り道。駅まで徒歩移動の際にまず1人。

 そして電車で移動後、駅をおりて、北口へむかう地下道で1人。

 同じ行動をする別人にであった。


 その行動とは?

 これも以前この小説内で紹介したことがある。

 身体障害者のように、足をくねくねとさせてあるく人だ。


 現在の介護経験からいうなら?補助器具なして、足に障害のある人が1人で外をあるくのは、ありえないことだ。あったとしても、珍しいことだ。

 それを1日で2度見た。気にはなります。


 “彼ら”の手口については、この小説の「トルコ旅行編」の前にずいぶんいろいろ書いた。この足をくねくねとさせる行動も記述してある。東京でも、こちらに帰郷してからも見た。


 この行動のなにが問題なのか?

 僕はその問いに答えられます。



 東京で“彼ら”の総攻撃が日増しに激しくなってきたときの事。

 突然、普段みかけない「車椅子の人」を、行く先々で見るようになる。

 偶然と言えばそれで片付くが、10年以上東京にいて、こんなに行く先々で車椅子の人に合うのは初めてだ。

 まるで車椅子のひとらに監視されているような錯覚に陥る。

 どこへいってもいるからだ。

 同様に、どこへいっても身体障害者の方に会うようにある。

 ほんとうにどこへ行ってもだ。こちらも行く先々で、出会うので、まるで監視されているような錯覚になる。

 そのストレスは、耐え切れないレベルにまで高められる。


 でも僕は知っていた。これは暗示のテクニックだ、と。

 そういえば、最近(=この時期の事)ニュースで、通行人が無差別におそわれる事件が頻発している。

 もし、“彼ら”に僕を「追い込む」意思があるならば?この行く先々で監視されているような暗示をかける「その意図と目的」は明白だ、と当時思ったものです。


 幸い僕は気づけた。

 催眠と暗示の知識があったからでもあるが、それだけでは脱出は不可能だった。そもそも“彼ら”の正体に気づかなければ、いくら知識があっても役立たない。君が高校時代、“彼ら”についての「たくさんの」ヒントを僕に訴え続けたからこその成果だった。


 君は僕の命の恩人でもある。

 今、僕が、こうして無事ここにいるのも、君のおかげです。



 今日、似たようにくねくねと歩く別人をたてつづけに見たわけだ。

 芝居なのか否かは問題ではない。


 たぶん、いまでも僕は“彼ら”の一部の馬鹿をおこらせている。

 という解釈も、仮設としてなりたつ。でも大規模な人員動員はできない状況なのだとも思う。


 Fさん。君を信じて書きます。

 君に誤解なくただしく伝わる事を信じます。

 たぶん、今、僕になにかおこったら?

 たとえば、見知らぬ人に襲われるとか、家が放火されるとか。

 そのようなわかりやすい何かが起こった場合、僕を貶めたい人らはさらにその立場を悪くする。その人らが命令したか否かに関わらず。

 なぜなら、君が自分の正義を主張し、戦い続ける限り、その様なバイアスが発生するからだ。

 君の戦いは、君だけのものではなく、僕をも救っている事になる。


 君が戦い続けている、という前提で仮説を組み立てると、そのような結論的仮説にたどりつかなくもない。


 しかしバイアスとはどう働くか先は読めない。

 この先、僕自身になにが降りかかるかはわからない。

 知ってのとおり、“彼ら”は10年でも20年でも、しつこくくいさがる最悪のカルトだ。


 僕は、共に戦う人が身近にほしい。

 すべてを打ち明けられて、安心して、なにも隠さず全てを相談できる、心から信頼できるパートナーがほしい。

 この先永久につづく苦境を、損得なしで一緒に歩んでくれる、そんな人いないだろうか?


 もし、そんな人が僕を支えてくれるならば、その人の多少の欠点など、僕にとっては気にもならないことです。そんなマイナスなど意味を成さないほどのプラスを与えてくれるから。



 Fさん。君を信じて書きます。

 君に誤解なくただしく伝わる事を信じます。

 君は僕の命の恩人でもある。

 今、僕が、こうして無事ここにいるのも、君のおかげです。


 …もし、この先再会できたならば。

 繰り返し書くけど。

 よくやったねと、君を抱きしめて頭をなでてあげたい。


 人のために尽くそうと懸命に努力したんだから、ほめられないのは酷な事だ。


 おかしのは、君をだまして、まちがった努力をさせた連中だ。

 洗脳は人を狂わし、おかしな世界を生み出す。


 でも努力した心そのものは、ほめられていいと思う。

 そんな感覚、君にとどけたいです。


 君が、諦めることなく、自分を信じていることを、夢見させてください。

 負けないで欲しい、がんばれ!

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〔7月20日分の記述〕

 Fさんへ。今日は本当は、2013年8月23日午前4時です。

 今日金曜日の午後3時より夜勤のため、いつものように家を車で出て、コンビニによってから仕事場へ行くつもりです。なにごともなければいいのですが。


 ごくごく普通のことを書こうと思う。


 昨日、消防署での2日間の予定を終えた。

 徒歩で駅へ。

 北口にあるシネコンの広告をながめた、以前この小説内でかいた、映画「スタートレック・イン・トウ・ダークネス」が23日公開とある。しかも3D上映されるとある。実はまだ「新式の3D映画」を見たことが無い。楽しみにしていた映画だし、見てみようと思った。

 今日の夜勤明けがちょうどいい。


 監督はJ・J・エイブラムス。

 この人は脚本を、スタートレックファンと、まったくファンで無い(スタートレックをなにもしらない映画ファン)の双方にみせて、欠点を修正して造りこむと聞いた。だから、ファンとそうでない人も見れるものがつくれるとか。


 だから古くからのファンである僕でも安心して見れるし、今風にリブートするとはどういうことか?というのもじっくり楽しめる。


 正直、前作のラストはいまいちだった。

 スタートレックの醍醐味は、主人公たちが課せられた「艦隊の誓い」といかに向き合うかにある。

 「艦隊の誓い」とは?発展途上の文明に干渉してはいけないというもの。

 あいての文化がいかに「まちがって」いようとも、干渉してはいけないというものだ。

 たとえ、目の前で死にかけている人がいても、「艦隊の誓い」に違反するならば助けられないわけだ。

 高い理想は時として現実に矛盾する。

 破ったほうがいいにちがいない状況でも、ぎりぎりまでその理想を貫こうとするところに、いつもドラマが生まれる。

 ぎりぎりまで理想を貫こうとするが、いつも貫けるとは限らず、時として違反してしまうときもある。

 正しいのだけど、自分をせめるその姿勢はなんだが好きだったりする。


 そのほかにも、迷信や恐怖と戦う話も多い。

 最後まで理性的に行動しようとするが、なかなかそれを貫けない。

 何が正解かわからなくなる局面で、最終決断をするのはいつも艦長だ。

 そして物語のクライマックス、艦長の出した答えにいつもドラマが生まれるのだ。


 映画「スタートレック・イン・トウ・ダークネス」がどうなのかは見て見ないとわからないが、同じJ・J・エイブラムス監督の、前作のスタートレック、リブート第1作目は、その醍醐味がいまいちだった。



 もちろんただの物語だ。

 しかし、時に圧倒される作品にであうと、楽しくなる。


 いつも圧倒されるとは限らない。


 今回はどうだろう?


 願わくは、金さえ稼げればいいやという、安っぽい映画でなければいいなと感じます。時としてそういう映画は、事実ある。


 宗教もそういう面あるのかな?

 金さえ稼げればいいやと言う、安っぽいものもあれば、そうでないものもある?のだろうか…。



 もちろん金だけではない財産もある。

 人間関係は一生の財産、という言葉もある。


 しかし、最近、こんな話を本で読んだ。

 なぜ日銀が、わざとデフレがおこるような政策をとり続けてきたのか?

 それは日銀マンが人間関係という財産を守ろうとしたからだというものだ。

 「市中銀行の人々との人間関係」といった大切な財産をまもるために、一般国民に苦しみを与えているわけだ。

 ここ長年つづく不況が、そんなもののためにおこったというなら?

 「人間関係は一生の財産」という概念も、一部の人間のエゴにすぎなくなる。



 こんな事も思う。

 “彼ら”も案外に「人間関係は一生の財産」と思うのだろう。

 それはそれでいい。

 問題は「幹部ども」だ。

 幹部は、自分の周囲の人間関係という財産を守るために、一般の信者に無理難題を押し付けているのではないだろうか?なにかいわれたら「修行だ、これはお前のためだ」とか言うのかもしれない。

 でも実際は、その人の犠牲はその人のためにはなってなくて、その幹部の人間関係をよくすることのみに、使われている。時におこぼれにあずかれるかもしれないが、それでは意味が無い。


 日銀マンが、自分の人間関係を大切に守るため、一般国民を犠牲にするのに似ている。一般国民がそのおこぼれにあずかるには、市中銀行マンにすりよるしかない。市中銀行マン側は、すりよる一般大衆に高いところから言いたい放題という図式にならなくもない。いい思いもできる。

 でも銀行本来の目的である、日本全体の活性化には、まったく貢献できない仕組みになる。


 皆がみな「そう」ではないだろう。


 しかし、金よりも大事な「人間関係は一生の財産」という魅力を放棄してまで、理想を貫ける人間は、多いか?という問いに、首をたてにふれる日本人は稀有だと思う。


 実際のところはわからない。

 しかし、今の日本が理想よりも現実の人間関係を大事にした経済界や官僚のミスジャッジで、長い不況に陥ったのは事実だ。


 なにが正しくて、なにがそうでないのか?

 答えが出せなくても人は生きねばならない。


 一番いけないのは、思考を停止してしまうことだ。


 連中は、君を利用するために、なんども思考停止に追い込むよう、さまざまな卑劣な手を講じてきただろう。それは今もかもしれない。


 負けないでほしい、君は君らしく生きていいんです。

 違和感をかんじたら、素直にその感覚を大切にしていいんです。

 連中のいう理想が究極の理想ではありません。

 そのことは連中の行動ですでに証明されている。


 距離をとり、冷静にその事実を見ることは、大切なことです。

 誰かを犠牲にし続けるなんて、吸血鬼と同じです。



 おかしのは、君をだまして、まちがった努力をさせた連中だ。

 洗脳は人を狂わし、おかしな世界を生み出す。

 …もし、この先再会できたならば。

 繰り返し書くけど。

 よくやったねと、君を抱きしめて頭をなでてあげたい。


 人のために尽くそうと懸命に努力したんだから、ほめられないのは酷な事だ。



 でも努力した心そのものは、ほめられていいと思う。

 そんな感覚、君にとどけたいです。


 君が、諦めることなく、自分を信じていることを、夢見させてください。

 負けないで欲しい、がんばれ!

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〔7月21日分の記述〕

 Fさんへ。今日は本当は、2013年8月25日午前11時です。 


 昨日は夜勤明けで、たしか午前10時半近くには仕事場を出たと思う。

 「ざぶーん」へは行かなかった。

 最近、体の調子はわるくない。

 絶好調と言うわけではないが、悪くないです。

 マグネループが効いているのだろうか?

 これを付けて以来、おさえきれない眠気に襲われなくなった。


 中学時代からずっと、コントロールできない眠気と戦ってきた気がする。

 授業中、睡魔に勝てないことがしばしばあった。

 高校時代もけっこうあった。

 精神面が弱いせいだと、ずっと思っていた。

 高校・大学、とくると、睡魔がくると飴をなめて眠気を飛ばすようになった。しかし、あれは太る。しかし、やらないと睡魔に勝てない、ジレンマに長年悩んだものです。


 このジレンマはつい最近までつづいていて、夜勤時に大量の飴をかって太ってしまったこともある。


 でも、マグネループを足に巻くようになってから、本当に大丈夫になった。…ということは?眠気の原因は血行不良?だったのだろうか?足のむくみも最近は減った。


 長年のジレンマが解消されたわけだ。


 とうとつにこう思う。

 もし、こういう類の感覚をカルトが勧誘に利用したら?酷だな、と。


 じつは科学的な理由で、そのジレンマは解消されたのに、さも神のちからのごとく吹き込んで、信じさせてしまう。


 事実、“彼ら”の催眠と暗示のテクニックは非常に洗練されたレベルにある。



 “彼ら”は君の心を落とすために、どんな手段を講じたのだろう、心配です。


 いまさらながら、書きます。

 僕は君に繰り返し「距離をとれ」と書いた。

 それは必ずしも絶縁しろという意味ではない。

 カルトの洗脳から、脱しえる距離感をとってほしいのだ。


 どーでもいい知り合いなら、君のその態度に憤慨して、向こうから離れるかもしれない。しかし本物の家族なら、君のその距離感を尊重してくれるはずだ。そんなことも思う。



 本当に血のつながりがあるならば、カルトの洗脳から脱しえるほど距離をとっても、君を尊重してくれると思う。時間はかかるかもしれないが。


 こんな事も思う。

 僕は10年来の友人に裏切られて以来、あまり人を信用しなくなった。本当は信用したいのだが、経験が強烈な警告を発する。できれば以前の僕にもどりたいくらいだが、それは不可能だ。


 “彼ら”はそんな僕をみて、あれこれ、あること無い事いろいろ言うのだろう。だが、1つ確かな事がある。

 僕は人生で家庭崩壊は一度も経験した事が無い。


 この世にはそういう家庭もあると聞くが、幸いそういうことはない。

 それは、とても重要と思う。


 繰り返し書きます。


 本当に血のつながりがあるならば、カルトの洗脳から脱しえるほど距離をとっても、君を尊重してくれると思う。時間はかかるかもしれないが。

 君は同意しないかもしれない。

 

 未来はわからない。


 しかし、結果はどうあれ、一生懸命いきたと、さいごには思いたいです。


 楽観的?そうかもしれない。

 でも、僕はそういう考え方で、この先も生きてゆきたい。

 たぶん、君が好きでいてくれたKという人物は、こういうことを平気でいうやつだと思う。


 ああ、Fさんが怒っている姿が想像されます。

「私がどれだけ…」とか思うのだろうか。

 それとも、的をはずした事を書いているのだろうか?答えはわからない。


 でも、後悔はしたくない。だから書きます。

 何が役に立つかわからないので。


 もう元に戻れないことなど、十分に承知している。


 しかし、僕には確かめたいことがあるのです。

 Fさんに直接あって、確かめるしかないと、いまでも思います。


 形にできない、君の心を、確かめたい。

 負けないでほしい、がんばれ!

 

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〔7月22日分の記述〕

 Fさんへ。今日は本当は、ひきつづき2013年8月25日です。 


 つづきです。

 昨日は「ざぶーん」へ行かなかった。

 映画が見たかったからだ。

 以前から見たいとかいていた「スタートレック・イントウダークネス」が見たかった。選択肢はいくつかある。

 「ざぶーん」に行って、午後3時から隣町のシネコンに行く方法。もしくは夕方5時にサントムーンにあるシネコンで見る方法。もしくは、翌日10時にサントムーンでみるかの選択だ。


 夜勤明けで、どのくらい眠いかで、だいぶ変わってくる。

 結局、夜勤明け、一度家に帰り、睡眠をとってからサントムーンで見る事にした。体の調子も悪くないので、「ざぶーん」で温泉にはいらなくてもしばらく大丈夫そうだったからだ。


 夕方、久しぶりに、普通に映画館に行き、映画を見る。

  

 時間ぎりぎりで行ったので、少し遅刻。

 いそいで劇場に行き、チケットを買い、中へ。

 扉をあけるとちょうど始まるところだった。


 今回は3D映画だ。3Dメガネを渡された。


 このメガネはメガネをかけていると使えない仕様のもののようだ。

 僕は一応裸眼でも大丈夫なのだが、左右の目の視力さがある。

 遠くを見るときは右目だけをつかう癖がついているので、3D効果が得られにくい。時々、意識して両目で見るようにしないと、画面の立体感が消失してしまう。(普段は意識しないが、こういう時、いかに普段片目で過ごしているかがよくわかる)3D効果は両目を使い、立体視しないと得られないのだ。


 劇場の中は、人が少ない。土曜日の午後だからもう少しいてもよさそうなのだが。地方だからだろうか?カップルが何組かいる。君と映画を見に行った日の事を思い出します。


 映画は、けっこうよかった。

 かなり作りこんであるのもよくわかる。

 なんだろう、上手く説明できないな。

 DVDでなんどか見返したい映画だ。


 印象としては?

 映画「リーサルウエポン」の第一作はいまいちなのだが、第二作目はものすごい面白く、評判になったのに似ている。(リーサルウエポン2の爆弾のエピソードはそのままドラマ「踊る大捜査線」にも流用された、人気映画のネタは常に模倣の対象だ)


 けど、なにかひっかかる。

 なにに自分がひっかかっているのか、まだわからない。


 1つ言える事は、いい映画を見終わったあとは、感動して、いい気分になり、何度もパンフレットを見返して、回想するのだが、今回はあまりそういう感覚にならなかった。たぶん、作品のせいではない。

 今、自分の心が求めている作品ではない、ということなのだろう。

 心境が変わったら印象が変わるかもしれない。


 自分の心の求めるものを見極めるのは、むずかしい。

 でも、自分の心と向かい合う作業は、意味があると思う。 

 答えがでないとき、何を大切にすればいのか?わかるからだ。


 答えは、つねに心の中にある。

 それを探求するのは、つらくせつない作業かもしれないが、辛いからといって向かい合うことをやめてしまうと、心が凍ってしまいかねない。


 求める何かがあるなら?譲れないなにかがあるなら?


 大事にする想いがあるなら?


 自分を大切にしてほしい。


 いつか、もう一度君に会える奇跡がおきたら。

 僕は君の想いを最優先すると思う。

 なぜならば、僕は君の、あの、満面の笑みをみたくてみたくてし方が無い人間だからだ。君が心から笑顔でいられるためならば、僕は何でもするだろう。


 いつか、答えに届く日を信じます。


 …もし、この先再会できたならば。

 繰り返し書くけど。

 よくやったねと、君を抱きしめて頭をなでてあげたい。


 人のために尽くそうと懸命に努力したんだから、ほめられないのは酷な事だ。



 でも努力した心そのものは、ほめられていいと思う。

 そんな感覚、君にとどけたいです。


 君が、諦めることなく、自分を信じていることを、夢見させてください。

 負けないで欲しい、がんばれ!

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〔7月23日分の記述〕

 Fさんへ。今日は本当は、2013年8月26日です。

 日経平均、予測どうり1万3500を越えて上昇中?みたいです。

 しかし最近は、日本の消費税増税要素や、アメリカのQE3からみ、そのほか、アメリカがマネーをふやす要素がたくさんあるのが理由なのか、若干の偏重がみられる。注意が必要です。

 シロウトがにわか勉強しているせいで、わからない事だらけです。

 マネタリーベースとマネーストックの違いは?とかいわれると、まだ頭のかなで混同してしまい、本を再読しないと説明できない。

 いやはや、世の中、勉強しないといけないことがまだまだたくさんあります。まあ、僕がすきでやってることですが。


 今日は「早番」なので6時に家をでて、コンビニによってから仕事場へ行きます。今日明日と2日続けて「早番」は、正直きついです。 

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〔7月24日分の記述〕

 Fさんへ。今日は本当は、2013年8月26日です。

 こないだ、隣町のイシバシプラザという場所に行った。

 名前は聞いたこともあるし、場所も知っているが、中に入ったのは初めてだ。あまり期待はしてなかった。なにがあるかな?くらいな感覚で中に入った。


 画材屋さんを発見。

 このあたりでは貴重な存在だ。あったんだ、画材屋が、と驚いた。


 東京では世界堂によく行った、あそこは何でもそろう。 

 でも地方ではそうもいかない。


 漫画で使うスクリーントーンもおいてある。品数豊富とまではいかないが、近所のアニメイト(アニメグッズ専門店)よりも、豊富だと思う。


 僕の好みは5%濃度のトーンだ。

 スクリーントーンは、粒の濃度と粒の大きさで、それぞれわかれている。

 作家により、好みに差があり、一概にどの濃度、どの粒のおおきさがいいとかいえない。


 前かいたけど、僕はスクリーントーンをつかわない。


 しかし、最近考えを変えました。

 考えを変える過程で、僕は自分の過去の作品を見返して見た。

 スクリーントーンを使っていた時代のものだ。

 なつかしくもあり、変な気分だ。


 でも、こう思った。

 やっぱ使ったほうがいい。表現の幅がひろい。

 お金が無くて使えなかった時代、言い訳としていろいろ理由を考えてきたが、そんなもの、今の自分には無意味だと悟った。

 今の自分には、お金がある。

 今の作品に使ってみることにした。


 


 使うことにより、いい面、悪い面がある。

 よく内面は、コストアップと作業量の増加だ。


 しかしメリットとしては、表現の幅がひろがることだ。

 それは、いまいちな絵でも、スクリーントーンで表現の幅をきかせば、それなりになると言うことだ。絵を描いた人間なら気づく事だけど、下書きでしくじっても、いろ塗りでリカバーは可能だ。あれににている。


 封印していたスクリーントーンの解禁だ。


 過去に固執して意固地になっていると、見えるものも見えなくなる?のかもしれない。


 そんな事を思いつつ、今、漫画を書いています。 


 Fさんへ。今日は本当は、2013年8月26日です。


 今日は「早番」なので6時に家をでて、コンビニによってから仕事場へ行きます。今日明日と2日続けて「早番」は、正直きついです。 


 いつか僕は君と再会できるのだろうか?

 ともかく待つと決めたのだから、まとうと、そう、思います。


 いつか君と再会するとき、僕はとどめをさされるのか、それとも最高のしあわせをてにするのか、その中間か、先のことはわからない。とにかくまとうと思う。いまはFさんの都合が悪いだけだ、なにかしら決着を見て、その上でいろいろな都合が一通りついて、もう妨げる理由が何一つなくなったとき、君は行動に移すと信じています。Fさんが時間をかけて慎重に決断を下すことは、よくわかっています。


 わがままでごめん。いつかの未来を信じて待たせてください。




 朝の6時から10時の仕事の日、僕はかならずコンビニによる。

 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。

 たいがい不機嫌そうな顔をしていると思うけど、別に本当に機嫌が悪いわけではありません…たぶん。


(最近は就業後も頻繁によります。時間はまちまちだけど、だいたい16時すぎから21時過ぎ位の間です。仮に再会するなら?就業後のこの時間帯に会った方が、ゆっくり話ができる…)


 東○の工場の西側すぐのとこにあるコンビニだ。

 あの夏祭りの日、2人で別れたあのT字路のすぐそこにある、当時はなかったコンビニ。

 「一週間」も「朝6時から10時」まで、そのコンビニの駐車場にいると、ほぼまちがいなく一度は僕を見るだろう。

(そして肝心な事に、僕はあまり日課を変えない)

(東京でも、ほぼ同じ日課を繰り返していたからこそ、“彼ら”の総攻撃時、変化に気づけた)

(仮にすれ違って、僕が君に気づかなくても、気にせず声をかけてほしい)


 もし君が僕の前に姿を現すとしたら?きっと、僕のまったく予想もしないような方法で現れるように思う。とにかく、待とうと決めたのだ。君を待とうと思う。奇跡を信じて。

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〔7月25日分の記述〕

 Fさんへ。今日は本当は、2013年8月28日です。

 28日は(今日は)夜勤になります。

 午後3時に家を出て、コンビニによってから、仕事場へいくつもりです。


 最近思うこと。


 最近、漫画描きとしての自分がうずきます。

 ひさしぶりに、いけそうなアイディアが浮かんだのです。

 本気で投稿用作品を描きたくなってきました。


 なんどか、ともかく自分らしい作品を描いていますと書いたけど、今回のは久しぶりに、商売になりそうな?感覚がする作品です。


 これも以前書いたけど、最近、ヘッドフォンでお気に入りのアニメやドラマや映画を飽きるまで聴いて、「なにか」が満たされるまで「充電」することを再開したと書いたと思う。


 これをやっていると、仕事中にいろいろとアイディアが頭に浮かぶのだ。

 いい傾向です。


 人に言うと、集中してない?と勘違いさせそうだが、そうではない。逆に集中力が高まるのだ。

 その感覚は、目をつぶると、手先の感覚が鋭敏になるのに似た感覚だ。

 浮かんだアイディアを具現化したい緊張感が、自分の集中力を向上させる。


 そういう意味でも、漫画は、僕にとって信仰心であり、欠かせない要素なのだ。なれるなれないは関係なく、必要なものなのです。



 そんなこんなで、なんとか僕は今も生きています。

 今日も、君と同じ空のした、生きているのです。


 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。

 実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

 がんばれ!まけるな!

 

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〔7月26日分の記述〕

 Fさんへ。今日は本当は、2013年8月28日です。

 28日は(今日は)夜勤になります。

 午後3時に家を出て、コンビニによってから、仕事場へいくつもりです。




 離婚式、という言葉がある。

 どのくらい社会認知があるか不明だが、どこだかの会社がやっているらしい。


 こんな事を思った。君が今も戦い、奮闘しているという前提で書きます。


 毎日、離婚式の参加状を、郵送であいてに送り続ける?というのはどうなのだろう。離婚届のコピーを繰り続けると言う方法もあるが、2つ同時におくるとインパクトが違うとか?

 

 ここで重要なポイントは、同じことを継続して行う際、こちらがわも時折変化をつけないと、あきてしまうという点だ。こまかく手段に変化をつけると、長く継続して行えると信じます。



 これは単なる僕の妄想。

 でももしなにかのインスピレーションにむすびつくならば、うれしい限りです。

 君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

 がんばれ!まけるな!

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〔7月27日分の記述〕

 Fさんへ。今日は本当は、2013年8月28日です。

 28日は(今日は)夜勤になります。

 午後3時に家を出て、コンビニによってから、仕事場へいくつもりです。


 こんな事も思う。


 これも君がいまも戦っているという前提での記述です。


 相手の「間抜けな癖」というのを公言する、というのは、意外と心理的ダメージがでかいと思う。案外にそういうことが、思う以上に効くことはたぶんにある。例えば、「屁がくさい」とか、「寝言がまぬけ」とか。ええ?こんなことでまいっちゃうの?みたいな些細なことが、いがいと効くかもしれない。


 遠慮する必要は無い。

 “彼ら”は日ごろからこういうことを周囲に吹聴して、君を攻撃している可能性はある。なにしろ、この考えは“彼ら”の手口を真似たものだからだ。


 萎縮する必要は無い、“彼ら”の害悪を自然災害と思えばいい。

 豪雨をとめることはできない。

 しかし傘をさすことはできる。

 そして豪雨被害に対しては、治水行政の不備が問題なのだから、そこと徹底的に戦えばいいのだ。豪雨と戦っても雨は止まらないが、行政と戦うのは可能だ。


 “彼ら”の害悪は、豪雨と同じでとめることは不可能だが、それを管理統率する立場の人間に責任追求することは可能だ。


 1つ確かなことは。君が戦いをやめれば、いいようにされるだけだ。


 負けないでほしい。君をおこらせると、とても怖いことを、僕は知っている。その事を、周囲にしめせばいいのだ。大切ななにかがあるなら、立ち向かってもいいんです。

 君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

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〔7月28日分の記述〕

 Fさんへ。今日は本当は、2013年8月28日です。

 28日は(今日は)夜勤になります。

 午後3時に家を出て、コンビニによってから、仕事場へいくつもりです。


 最近思うこと。

 白いめがね。

 どーしようかと悩んでいた話を何回か書いたと思う。


 最近こう思う。

 地味めな格好をしたとき、アクセントとして白めがねは、意外といいいのかもしれないと。無地のシャツとかかざりけもなく、じみーなかっこうの時のほうがいいように感じた。


 きっかけは、仕事場で制服すがたでたまたまかけていたとき、鏡をみて、意外と合っていることに気づいたときだ。制服姿みたいな地味な格好のときのほうが、白めがねは映えるのかもしれない。


 あくまで僕の私見だけど。


 そんな事を考えてすごしています。


 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。

 無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。

 実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。


 役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 繰り返します。

 Fさん。

 役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

 がんばれ!まけるな! 

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〔7月29日分の記述〕

 Fさんへ。今日は本当は、2013年8月28日です。

 28日は(今日は)夜勤になります。

 午後3時に家を出て、コンビニによってから、仕事場へいくつもりです。


 こんな事も思った。


 もし君が今も戦っているならば?

 がんばってがんばって、崩れそうなところも踏みとどまって、一生懸命戦っているならば?そんな前提で書きます。


 君は1人ではないのだから、安心してください。


 もし、いまでもごちゃごちゃ言われるようならば?

 こう言い返せばいい。

「あなたは、あなたで、あなたの思い描くおいしい生活を続ければいいわ。」と。


 こういって、もしあいてが無言になったら?

 こう言い返せばいいと思う。

「うわ、最低。もしかして本気でそんなこと考えてるの?」と。


「もうあなたにはついていけないわ」と続けることもできる。

「あなたの思う、おいしい生活と、わたしの幸せはイコールじゃないのよ。あなたのそれは、私の犠牲を前提にしている、本当、最低ね」と続けてもいいと思う。


 Fさん。

 役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

 がんばれ!まけるな! 

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〔7月29日分の記述〕

 Fさんへ。今日は本当は、2013年8月30日です。


 こんなことも思う。

 もしかしたら?彼らは君に悪口をいうだろう。


 そしたら?こう言い返せばいいと思う。

「悪魔のいいそうなことね」と。


 特に、相手が「悪…」とか言い出したとき、即言い返せる文句だと思う。


 非常にレベルの低い言い合いなのだが、即座に言い返せるとそうでないのとでは、気持ち的な余裕がちがうので。

 「ここぞ」という時、いい文句が頭に浮かばないと、いいように言われっぱなしになる。


 何が役にたつかわからないけど、一応書いて見ました。


 

 Fさん。

 役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

 がんばれ!まけるな! 

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 朝の6時から10時の仕事の日、僕はかならずコンビニによる。

 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。

 たいがい不機嫌そうな顔をしていると思うけど、別に本当に機嫌が悪いわけではありません…たぶん。


(最近は就業後も頻繁によります。時間はまちまちだけど、だいたい16時すぎから21時過ぎ位の間です。仮に再会するなら?就業後のこの時間帯に会った方が、ゆっくり話ができる…)


 東○の工場の西側すぐのとこにあるコンビニだ。

 あの夏祭りの日、2人で別れたあのT字路のすぐそこにある、当時はなかったコンビニ。

 「一週間」も「朝6時から10時」まで、そのコンビニの駐車場にいると、ほぼまちがいなく一度は僕を見るだろう。

(仮にすれ違って、僕が君に気づかなくても、気にせず声をかけてほしい)


 もし君が僕の前に姿を現すとしたら?きっと、僕のまったく予想もしないような方法で現れるように思う。とにかく、待とうと決めたのだ。君を待とうと思う。奇跡を信じて。


(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)

〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください

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