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第68話 明日は2

〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください

(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)




〔5月2日〕

 Fさんへ。


 江戸末期、東京遷都に反対する京都の圧力は、ものすごいものだったらしい。

 だから、遷都ではなく、天皇は東京に「旅行に行く」のだと説明された。

 これは現在でも「訂正されずにいる」。

 京都の京都御所は、今でも正式には天皇の住まいであり、本宅なのだ。帰ることの無い主人を今でもまっている。


 天皇が旅立って数日のち、伊勢神宮が不吉な占いをしたとして、天皇を引き返させようとする動きがあった。既得勢力は、国家の実権が薩長に奪われたくないがゆえに、ありとあらゆる手で、天皇を東京に行かせたくなかったと推察されます。


 今でも規制改革会議がだした提言に対して、各省庁が反対していると言う。

 規制を手放してしまうと、政治の実権を奪われてしまうと考える各省庁は、必死の抵抗をしている。


 薬のインターネット販売の解禁に、厚生労働省が反対しているニュースは、最近よく聞く。


 Fさん、いまでも君の周りで、「どうして?」と思うほど、強固に反対する人らがいるかもしれない。

 自分たちがもつ、美味しい思いができる制度を、守りたいと思う人らの、必死の抵抗かもしれない。


 そんな連中のわがままに、君の大切なものが蹂躙されるのは、間違っている。


 

 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 君の名前の最初の1文字は「真実を見て(知り)理解する者」と言う意味がある。

 名づけた方の意思に反しようが、真実を見極めてもいいと思う。

 なぜなら、その名前の字をこの世に送り出した人々は、名づけた人よりも遥か昔にいた人々で、過去存在した多くの人々の想いがその名の意味を支えている。君の名の1文字は歴史を重ねて作りあがっています。そして、その1字の意味の通り生きていいのだと思う。


 君は価値ある人物です。僕に大切なものをくれた。君を信じて待ちます。 

 あやしいグループの妄想にこれ以上、君の大切な心が振り回されるのは、間違っています。

 がんばれ!まけるな!

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〔5月3日〕

 Fさんへ。

 先日書いたスレートPCの話。

 注文していた外付けポータブルHDDがようやくきました。

 今日は午後3時から夜勤なので時間が無い。

 とりあえず一部だけでもHDDに書き込もうと接続。午後3時までの時間では、2テラの情報をすべて移すのは無理みたい(なぜならネットワークHDDからのデータコピーだから。USB2.Oよりも遅い)。とにかく時間の限り最新のものから移してゆく…。


 このスレートPC、ネットで見ると、すこぶる評判が悪い。

 どーやらCPUの(→一番重要な部品)性能が悪いらしい。

 動作がもっさりしていて、機敏でない。2ギガもメモリーがあるのに。


 けどこういう機械、嫌いではない。

 性能のいまいちな機械を、自分なりに仕上げてゆくのは、以外と僕の好みです。

(自動車もそう。今のJB1型ライフは所詮は3気筒OHCエンジン。この車としての最低限しかない性能のものを自分なりに使うのが、けっこう好きだったりする。たぶん、非力だからって馬鹿にすんな、という感覚が好きなんだと思う)


 けどこういう感覚、度をこすとまずいことになる。

 世間との感覚のずれが広がってしまうからだ。


 こういう時、僕は自分にこういいきかせる。

「普通でいればいいんだ」と。


 普通にしていて、それでもなおかつ、譲れない何かがあるならば?それはきっと大切な何かなんだと思う。


 そういう感覚、君に伝えたくなりました。


 うまく伝わることを祈って。


 がんばって!

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〔5月4日〕

 Fさんへ。昨日の夜勤はちょっとだけ通常ではなかった。

 これは大変な夜勤になるぞ、と覚悟していたら、…?という感じだった。

 覚悟していた分、なんだか素直に安堵できない感じです。


 人はいつどうなるかわからない。


 だから、なにか譲れないものがあるならば、大事にしていいのだと思う。



 ここからは僕の妄想。

 夜勤明け、ざぶーんの駐車場で車を停め、仮眠した。

 しばらくして、多少あたまがすっきりして車外へ出る。


 近くに駐車してある車には、人影が。

 おのおのの車に3人。

 僕のように寝ているわけではない。起きている。


 そういえば、前回も3人くらいいたよなと、デジャブに襲われる。


 ざぶーんの施設で入浴してから戻ると、いなくなっていた。これも前回と同じ。


 うん、これは100%僕の妄想。

 もし“彼ら”が、ここで再会するのかと見張っているとしたら?

 

 ま、そんな事は無いのだと思うけど。

 

 …急にこんな事も思った。

 あの神社での密会の時も、君はしきりと「誰か監視者はいないか?」と警戒していた。

 言葉にこそ出さないが、行動で警戒していた。

 あの時のきみは、こういう感覚だったのだろうかと…。


 そんな想い、君に話したいです。

 気づいたよ、と伝えたい。


 僕の夢です。

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〔5月5日〕

 Fさんへ。

 こんな事を思った。


 最近のNHKの朝の連続TV小説は、視聴者を若い世代に変えてきたんだな…。ということ。

 いつだか、こんな話を読んだことがある。

「おぼっちゃまくん」で有名な漫画家の、小林よしのりが、藤子F不二夫先生に、こう言われたと。

 10年連載が続いているということは、読者が世代代わりしている。

 ということは、あと10年は連載できますよ、と言った話。

 最初の読者が、成長して読まなくなっても、小さい子が読み出しているなら、まだ10年はいけるという理屈だ。


 朝の連続TV小説も、視聴者の世代代わりを意識しているのだろうか?


 今日、夜勤明けの休みで、家にいます。

 久しぶりにTVで、朝の連続TV小説をみた。

 このところ、筋があやふやな上に、中途半端なドラマが多いので見てなかった。

 今やってる「あまちゃん」というドラマは、宮藤官九郎作品ときいている。


 Fさんは、あまり知らないかもしれないが、「木更津キャッツアイ」や「タイガー&ドラゴン」で有名な脚本家だ。田舎者の劣等感や、はみ出し者の哀愁といったテーマを、コメディーにしたら随一の才能がある。しかし時折奇をてらいすぎて、「あーあーやっちゃった」と思う作品も作る、本物の天才肌のひとだ。


 この人は一度、民放の昼ドラの脚本をやってコケたと記憶している。

 この人の持ち味である、田舎者の劣等感や、はみ出し者の哀愁が、昼ドラに合わなかったからかもしれない。見ていないから断言できないが、このドラマのDVDの宣伝には、幻の作品とかいった趣旨の宣伝文句がつかわれていたよーな、気がする。


 その宮藤官九郎が、NHKの朝の看板番組をやる。

 すこし、心が、ざわつきます。


 で、今日はじめて見た。

 正直に言うと、年配者はついてこれないぞ、これ。と思う。

 

 見事なくらい、古きよき日本の倫理観が、ない。あまりのいさぎよさに、感動するレベルだ。

 実験作品なのだろうか?9月終了予定は、ちょっと短い気がしなくも無い。


 NHK作品は、作家の持ち味を殺すことが多い。

 けど、今日見た限りにおいては、宮藤官九郎作品の長所も短所もみごとに出ていて、ああ、これはまちがいなく「木更津キャッツアイ」や「タイガー&ドラゴン」と、おなじノリの作品だ、安心した。でもこれ、朝の連続TV小説として大丈夫なのだろうか?といういらない心配もしてしまいます。


 オチは、読める。

 なんだかんだで故郷を捨て、成功するが、東北大震災がおきて、故郷を見捨てられず、主人公らは葛藤のすえ選択する…、というゴールを目指すのだろう。ゴールが見えているから、見ていて安定感がある。


 そんな事も思います。


 明日は早番で、朝6時に家を出る。

 仕事終わりは、たぶん16時から18時のあいだ。

 終わったら、修理に出していたラジオを取りに行く予定です。

 ちょっと調子が悪いだけと思っていたら、けっこう本格的に壊れていたみたいで、基盤の交換をする羽目になりました。意外と高額な修理費です。安いラジオなら2~3台買えそうな金額。でもこのラジオは予約録音できる機種なゆえに高価。結果、買い換えよりは修理が安いので、いたしかたないです。

 落とした記憶は無い、でも車に長時間放置した記憶はある。他に故障の原因は思いつかない。

 車内の熱で基盤が逝ったのだろうか?気をつけないといけないかもしれない。



 日々の生活の中で、自分が少しつつ変わるのは感じる。

 でもあえて、今までの自分を見つめる時間を作っています。

 流されて、気がついたら、自分で無くなっている…。

 そういう感覚がいやだから。


 古今亭志ん生は、満州で死ぬ行く人々に落語を披露したという。

 第2次大戦終了後、迫り来る中国軍やソ連軍から日本への脱出帰国を図る、多くの兵士や難民に向けて。

 そういう極限状態。普通は笑い話みたいな、くだらない話を、できない。ましてそれで笑わせるなんて。けど、過去にそれを行って成功させた人物がいるのも事実。古今亭志ん生の芸は昭和以降の現代落語において「最高峰の名人」と位置付けられるほど、非常に評価が高い。どんな極限状態でも、そういうことをできる人は、流されず、自分をしっかり持っている人だと思う。


 そこまでの高みは無理にしても、あやかりたいと、素直に思います。


 歳をとったら落語もたしなみたいものです。

 その時、だれか一緒に落語を見に行ってくれる人がいたら、うれしい限りです。

「べつに興味ないから」とかいうその人を、説得する楽しみというのもある。

 ささやかな夢です。




 なにかごちゃごちゃ言われたら?こういえばいい。

「あなた、結婚のために何桁?財務したの?」と。


 さらにごちゃごちゃ言われたら?

 こう言えばいい。


「世の中には題目と財務だけでは乗り切れない事が、いくらでもあるのよ、いい加減大人になりなさい」とか、

「「ありがとう、別れてくれて」って言える日を信じているわ」と。

 そう繰り返し言い続ければ、そういう空気を作れると思う。


 君を信じて待ちます。 

 あやしいグループの妄想にこれ以上、君の大切な心が振り回されるのは、間違っています。

 がんばれ!まけるな! 

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〔5月6日〕

 Fさんへ。

 こんな話を聞いた。この話は以前もかいたかな…。

 最近疲れている日が多くて、いまいち覚えてない。

 まあ、重複していたとしても、気にせずかきます。


 首都高の空中権を売る、という話。

 どーゆー事かというと、その土地には建てる事のできる上限というものがある。

 つまり何階建てまでたてていい、という決まりがあるのだ。


 東京駅改修の際は、この仕組みを使ったという。

 東京駅はもともと低い建物だ。だから将来にわたり、あの土地に高い建物はたたない。

 だから、高い建物を建てる権利は永久に使われる事は無い。

 そこで、その権利を周辺のビルの持ち主に「売って」、改修費用を捻出したという。

 だから、今、東京駅周辺のビルは再開発されて、新しく高い建物が作られているが、あれは東京駅から買った権利で、建物を高くしているという。


 これは、双方ハッピーになるウィンウインの関係になる。しかも再開発がすすむから、土地の魅力もまし、利用者も得をする。


 同じように、永久に高い建物がたたない土地が、首都高速道路というわけだ。

 首都高の土地の空中権を周辺で、より高い建物を建てたいと思うビルの持ち主に売れば、相当な金額になる。この仕組みを使えば、今後かかるであろう、首都高の立替費用も、一部まかなえる、というのだ。


 詳しい仕組みはしらない。

 しかし、そういう方法があるというのは、知っておいていいのだと思う。


 近くでマンションでも建てる計画があったら、うちの空中権を買わないか?と持ちかける事も、将来的には可能な時代がくるかもしれない。


 時代は現実にかわりつつある。

 古い価値観だけでは、どーにもならないのかもしれない。


 こういう話をきくと、普通の感覚では、漠然とした不安を感じるはずだ。

 しかし、たぶん、その感覚は、江戸から明治になったときの日本人も感じたはず。

 時代が変わる事を嘆くのは簡単だが、これは繰り返されてきた事なのだ。


 この繰り返しこそ、人間が何百年の試行錯誤を繰り返して、文明を前に進めてきた歩みと、僕は信じたい。古い宗教も大事だけど、そうでないものも、人間には欠かせない要素なのです。


 でもどんなに時代がかわろうと、かわらないものもある。

 愛情とか、そうしたものだ。

 古代よりももっと古い時代から、かわっていない。


 宗教は、その時々の人々の暮らしに、貢献するため創作された概念だ。

 しかし、移り変わる性質のものでもある。

 移り変わらない宗教は、時代が変わるごとに、人類の足をひっぱる存在になっている気がするのは、気のせいだろうか…。


 こういう時、人類は自分たちが持つ、宗教以前の不変的な価値に、原点回帰していいのだと思う。

 愛とか、愛情は、そうしたものだと思う。

 うつろいやすく、あやふやだけど、確実に存続してきた。


 なぜにそこまで断言するか?


 僕は経験がある。


 この小説にも以前かいた。

 この世には、気持ちが通じ合うということが、確かに現実に存在する。という経験が。

 そうした経験が無い人には、永久にわからない概念かもしれない。


 自分に大切な何かがあるならば、大事にしていいのだと思う。



 なにかごちゃごちゃ言われたら?こういえばいい。

「あなた、結婚のために何桁?財務したの?」と。


 さらにごちゃごちゃ言われたら?

 こう言えばいい。


「世の中には題目と財務だけでは乗り切れない事が、いくらでもあるのよ、いい加減大人になりなさい」とか、

「「ありがとう、別れてくれて」って言える日を信じているわ」と。

 そう繰り返し言い続ければ、そういう空気を作れると思う。


 君を信じて待ちます。 

 あやしいグループの妄想にこれ以上、君の大切な心が振り回されるのは、間違っています。

 がんばれ!まけるな! 

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〔5月7日〕

 Fさんへ。


 東京脱出の際、家財の類を大部分処分した。

 筆記用具の類もかなり処分している。

 あの時は、もう漫画などどうでもよく、ともかく君にあいたくて、東京を去る決意をしたいた。

 だから大事にしていたものも、躊躇なくすてた。


 筆記用具に関しては正直捨てすぎた。

 そう感じて、東京最後の日に、文具店でシャープペンを3つ買う。

 べつに漫画に使う気はなかったので、デザインだけ見て買ったテキトーなものだ。

 そのペンは今でもつかっている。漫画を描くときにも。


 しかし、最近考えを改めて、まともなものに変える事にした。

 ステッドラーのシャープペンシルだ。


 たまたま、近所のTUTAYAで売っていた。

 ドイツ製の製図用シャーペンを、まさかこんなところで見かけるとは、思いもしなかったので、買ってしまったのだ。


 買って使って見る。

 すると、いままでの安物が別物に感じるくらい、ものすごい書きやすい。

 こんなに性能に差があったのか、とあらためて驚く。


 忘れていたものを思い出すのは楽しい感覚です。


 今、自分がどうしているのかを、伝える事に、意味があるか不安がなくはない。

 でも、たぶん、僕にとってはたいした事の無い日常を書くことも、読み手が君なら、と思い込む。

 君のほうは最近どんな感じですか?

 ささいな日常をかたりあえる奇跡に、僕はかけます。


 負けないでほしい、がんばれ!

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〔5月8日〕

 Fさんへ。

 今日は本当は平成25年6月10日です。

 この小説の日付けは、あとで読み返しやすくするための単なる目安ですので、実際の日付とのずれは、あまり意識しないでください。でも、可能な限り、実際の日付と合うよう努力します。


 最近こんな事を思います。


 連日株価のニュースが続きます。

 正直、素人には理解不能な報道も多々あるのも事実。

 でも、なんだか、違和感を感じるのも、また事実です。


 たとえば?

 ついこの間まで、「バブルの再燃」をあれほど警戒する報道がされていたのに、今はどこにもそんな記事がない。

 じゃあ?バブルが再燃する原因は解消されたのか?というと?そうでもない。

 というか、そもそも、その要因自体があやふやなもので、そのあやふやなものをたてに、当時あれほど「バブルの再燃」が報道されていたことになる。なんだかいい加減なものです。


 つい最近も、アベノミクス効果がなくなった、とかいう報道がされていた。

 けど、それは、文字どうりの意味ではない。


 アメリカの雇用統計の数字の予測に反応して、ドルを手放す動きがあり、5円、円高になった。

「えっ?たったそれだけのことで5円も動くの?日本では5円動かすのにすごい苦労しているのに」的な驚きを表現しているに過ぎない。


 つまり、世界経済のもつ。あまりにも強大な力に、あらためて畏怖を感じる、というのが正しい認識だと思う。


 安倍総理就任前は、1ドルいくらだったかを思い出してほしい。

 僕も記憶があやふやだけど、一時期80円割ったような気がする。


 この後、安倍総理就任で、すこし円安に動いたよーな気がする。違ったっけ?

 でもこの頃はまだ、通貨の量はなにも変わってない。

 単純に心理バイアス(=投資家たちの心情)だけでレートがうごいた。経済的な要因は変化して無い。

 

 この後、黒田総裁の金融緩和が発表され、円の量が増えることから、1ドル100円まで動く。




 今回、1ドル95円まで動いたのは、アメリカの雇用統計の数字に反応したからと報道されている。

 僕はシロウトなので間違っているかもしれないが、世界の投機家は、アメリカがいつ「QE3」を発動するかにらんでいる。


(※QE3とは、アメリカの連邦準備制度理事会による実施が予測されている量的金融緩和政策の第3弾のこと。「Quantitative Easing program 3」の略称。)

 雇用統計をみて、「ああ、QE3はないかもしれない」と世界中が思ったわけだ。

 で、すでにQE3が発動する事をみこして動いていた投機家が、リスクを回避したくてドルを手放したのかもしれない。



 これはあくまでシロウトの思い込み、正確なところは違うかもしれない。


 しかし、以前書いた「ソロスチャート」を使った「理論値」で考えると、1ドル100円くらい?が理論値かもしれない。

(間違っていたらすみません)

 だとしたら?いくら心理バイアス(=投資家たちの心情)で95円になろうとも、いずれ100円に戻る、と考える事もできる。


 これはあくまで1つの仮説であり、シロウトの知ったかぶりに基づく予想にすぎない。

 世界は、もっと巨大なバイアスでうごいている。予測できるものでもない。



 何がいいたいか?といと。

 つい先日、アベノミクス効果がなくなった、と報道されていたが。

 鵜呑みにするのは間違いだと思う。


 視聴者がなにも知らないのをいい事に、テキトーな見出しでセンセーショナルにあおって、ニュースを盛り上げたいのか?

 あるいは、なにも知らない一般視聴者の経済感覚は、不安心理にしておいたほうが、自分たちには何かと好都合と考える人らのバイアスがかかっているのか?

 事実、今現在、日本国債を多く保有していて、「理由が」あって「たとえ損失が」出ても「手放せない」人らには、そのほうが有利かもしれない。金利が上昇すれば、損失は確実。しかし現在の黒田金融緩和をつづければ、金利の上昇は避けられない。ならば、国民の圧力で黒田総裁を引き摺り下ろして、その金融緩和策を中止させられるような人材に日銀総裁になってもらい、金利上昇をしないように、日銀の政策を変更してもらえれば?自分たちは損をしなくていい、という図式がなりたつ。


 なぜ?この人らは、損が確実な国債を持ち続けるのか?国債を売って株を買えば、損を回避できるのに、なぜしないのか?

(株と債権は、明確な理由で、価格が反比例する。絶対に同時に動かない)


 株を運用する能力がそもそもない。

 あるいは、頼まれて国債を保有しているので、持たざる得ない、とか、いろいろ理由があるだろう。

 世の中はさまざまなバイアスでうごいている。


 改めてまとめるけど、

 先日、報道されていた、アベノミクス効果がなくなった、というニュースは、鵜呑みにする必要の無いニュースだ。

 経済的な要因はなにも変わっていないのだから。

 アベノミクス効果がなくなった、といわれると、黒田総裁がばらまいた円が(=ばらまく円が)、市場から消えたような印象をうけるが、そんな事は無いのだ。いまも市場にあり(=市場で効果を発揮していて)、影響を与えているのに変わりは何も無い。


 え?なにを言っているのかわからない?


 そうかもしれない…。


 まあ、ようはこういうこと。


 わからないと言って、投げ出すのはよくない。

 時間をかけ出でも、解きほぐすほうが、いいと思う。

 いろんな意味で。


 つかれたなら休んでいい。

 でも、あきらめないでほしい。


 自分が疲れているときは、あいても疲れているはず。

 根競べなら、きみは相当強い。僕が保障します。

 負けないでほしい。あきらめないで!

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〔5月9日〕

 Fさんへ。

 HANSAというフランスのぬいぐるみメーカーが、ある。

 ここの動物のぬいぐるみは、ものすごいリアル。本物みたいなものまである。

 本物みたいなだけに、高価。

 なかには実物大のキリンやライオンまである。


 なんだかすげー、と見ていると、リスとか、うさぎなんかの小動物なら、手が出る金額であることに気づく。


 あきらかな無駄使い。


 しかも今月はスレートPCなんかを買ったし、あきらかに、一月の無駄使い予算をオーバーしている。かるく2か月分使ってしまった。

 買うのは完全に予算オーバーだ。


 アマゾンで2100円とある。そのくらいならオーバーしてもいいのでは?と思うけど、こういうことを癖にすると、後々怖い。


 ん?なにが言いたいのか?

 Fさんって今でもかわいいぬいぐるみとか、好きなのかなーと、思ったのです。

http://www.amazon.co.jp/Hansa-4841-%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%82%B9-No-4841/dp/B0045EJOI6/ref=wl_it_dp_o_pC_S_nC?ie=UTF8&colid=3BNW08NDMZNMR&coliid=IX2P6PCN91KFP

 の、リスのぬいぐるみ、見てみてください。

 今でも、こういうの、好きですか…?


 そんなたわいない会話、できたら、いいなと、そんな事、君につたえたくなりました。


 君が自分を取り戻す戦いをあきらめないでほしい、と願う、僕のわがままを許してLくれるなら、うれしい。負けないでほしい。あきらめないで!


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〔5月10日〕

 Fさんへ。

 先にも述べたように、今日は本当は平成25年6月10日です。

 夜勤です。このあと午後3時に家を出る予定です。


 無事なにごともなければ?この続きを帰宅後書こうと思います。


 …ん、帰ってきました。

 まあ、かわりなく、無事帰還と言う感じです。


 車で帰宅途中、最近買ったスレートPCの調子が悪いことに気づく。

 どうやら、外付けHHDを2つもつけていることから、6時間近く持つバッテリーが3時間で尽きてしまったらしい。いろいろ使い方を工夫しないといけないみたい。

 

 車の中で、グレートジャーニーというイギリスのドキュメンタリーをつけた。

 画面は見ない。運転に差し障るから。

 PCを助手席に置き、あえて停車中しか見えないようにする。

 音声だけ、車のスピーカーから出すようにする。


 ネアンデルタール人(=人間の亜種、絶滅した)とクロマニヨン人(=現生人類、生き残った)の違いを説明している番組だった。

 ネアンデルタール人は体格もよく、頭脳も互角。なぜ絶滅したのかがなぞになっている。

 

 番組では、クロマニヨン人の遺跡から、楽器がでてきたという。

 ネアンデルタール人の遺跡からは、まだないという。


「文化」の高さが、クロマニヨン人が生き残った理由なのだろうか?

 思わず、へーと思ってしまった。


 Fさん、いまでも君の周りに、目を吊り上げて、君の心を恐怖心で支配しようと、試みる連中がいるかもしれない。連中は人類が築き上げた文化の威力を悪用している。


 宗教は文化だ。人々を結束させ、ネアンデルタール人が持つことのできなかった力をてにした。

 しかし、力はときとして悪用され、人々を苦しめる。

  

 例えが悪い?そうかもしれない。

 ごめん、僕は不器用でこういう説明ばっかりになってしまう。

 でも、君に伝えたいことがあるから、不器用な頭をふりしぼって書いているのです。

 許してほしい。


 こうも思う。これも何度も書いたことだけど、改めて書きます。

 小さかった君は耐えたと思う。頑張れば救われると信じようと努力したと思う。

 どんなに疑問や悩みを抱えようと、誰も受け入れてくれない、自分が悪いんだと思い込む事でしか、解決できなかった…

 そうなのかもしれない。


 君の善意を悪用するやつが悪いのであって、君はなにもわるくない。

 連中は文化を悪用し、君の心の疑問を駆逐して、真っ白な心を書き変えた。


 そして連中は今でも、君の心の大切な何かを捨てさせようと、あの手この手を繰り出してくる。

 そうやって忘却を強要させるのが“彼ら”の常套手段だ!

 きをつけて!


 今でも君が戦っていると言う前提で書きます。

 なにかごちゃごちゃ言われたら?こういえばいい。

「あなた、結婚のために何桁?財務したの?」と。


 さらにごちゃごちゃ言われたら?

 こう言えばいい。


「世の中には題目と財務だけでは乗り切れない事が、いくらでもあるのよ、いい加減大人になりなさい」とか、

「「ありがとう、別れてくれて」って言える日を信じているわ」と。

 そう繰り返し言い続ければ、そういう空気を作れると思う。


 君を信じて待ちます。 

 あやしいグループの妄想にこれ以上、君の大切な心が振り回されるのは、間違っています。

 がんばれ!まけるな! 

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〔5月11日〕

 Fさんへ。

 今日は平成25年6月12日が本当の日付です。

 今は午後11時半。明日は早番なので6時に家をでます。



 TVでやたらとプロ野球の公式ボールの問題を報道している。

 けど、どういう経緯で、問題を認めるにいたったかが、いまいちよくわからない。

 なんだか、もっと大きな事件があり、その報道をかき消すために、この問題をぶつけたような印象すらうける。


 うがった見かた?そうだと思う。

 でもいいたい事はそこではない。


 君が戦っているという前提で書きます。


 君の戦いを妨害するために、本来何の関係の無い問題を問題化して、君の行動を制限させようとする動きがあるかもしれない。

 しかし、君ならば、混乱せず、投げ出さず、1つ1つほぐして、対応できると信じています。

 

 卑怯な連中のなかには、どこまでもくさっている人は、残念ながら事実いる。

 “彼ら”は個人レベルでは「カルト信者としての」完成度が「低い」。

 幹部に問題がある。

 僕は何度も書いた、これは、教えが正しいとかどうとかいう問題ではない、人としての“質”が問われているのだ。

 理由さえあれば、組織を離れてもいいと思う。


 君はおそらく組織内の人間からみても、厳しく育てられたのだと推察する。

 環境に問題がある…、多くの組織内の人間ですら、そう思うはずだ。

 “彼ら”の多くは「カルト信者」としての完成度自体は「低い」のだから、なにも恥じたり、気にしたりする必要はない。

 堂々と、自分を取り戻していいのです。 Fさん、負けないでほしい。がんばれ!

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〔5月12日〕

 Fさんへ。先日、“彼ら”は「文化を」悪用している、と書きました。

 今日、報道ステーションを見ていたらこんなのをやっていた。

 大阪の百貨店の生き残り戦略は、お客さんに「特別な体験」を提供して、また来たいと思ってもらうことだという。ただの買い物行為でも、ほかの店とは違う体験を味合うように、特別な体験をしかけているという。


 先日書いた。“彼ら”は文化を悪用している、と。


 “彼ら”は「例のあの行動」を信者に提供することで、日常では感じられない「特別な体験」を与えるのかもしれない。


 もしそうなら?まさにこれは、文化の悪用になる。


 文化は使う人間しだい。


 カルトの洗脳の手段にもなるし、景気回復の手段にもなる。


 これは、人間としての質が問われている問題だと思う。


 Fさん。もし君の周りに、いまでも組織の提供する「特別なエンターテイメント」に酔いしれている人がいたら?こう諭してあげてほしい。


「人を貶めて、酔いしれるなんて、悪趣味よ。それが仏様の教えとは、到底思えない」と。

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〔5月13日〕

 Fさんへ。何度も指摘されてもいまいちピンとこないけど、ある日突然、「ああ、そうか」と思うことがある。

 僕の場合、ニュースでよく見る「13兆円」という数字だ。


 何度もよく見る、この数字がおかしいとよく指摘される。

 しかし、いまいちよくわからなかった。


 最近でいうなら、復興予算13兆円という数字。


 間違っていたらごめん、詳しく調べてないから間違いかも知れないけど(今は忙しくて裏をとる時間が無いので、見切り発車で書いてしまいます。まちがっていたら?後で訂正します)

 この数字、消費税を増税した際にえられる金額と、同じと言うことらしい。


 だから、最初からこの金額があって、復興予算を、むりやりこの数字にした?

 と言うことなのだろうか?


 えーでもそこまで人を馬鹿にしたようなことを、するだろうかとも思う。


 まだ詳しく調べてないけど、そうなのかな?どうなのかな?と思うことです。


 世の中の疑問を持つことは、心が健康なことと、信じたいところです。

 間違いならば、跡で訂正します。いま、気になっているニュースです、と書きたかった。

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〔5月14日〕

 Fさんへ。先に書いた、最近「ん?」と思うニュースはまだある。

 「ジャパンプレミアム」という言葉だ。


 これは、日本が、海外から天然ガスを買う際に、破格の高値で買っていて、外国人は、このありえない高値に「ジャパンプレミアム」となずけているという。


 なぜこんな高値が成立するのか?


 福島の原発事故以降、火力発電所が原発に変わり、フル稼働している。

 日本の電力会社は、どういうわけか、普通よりも高い値段で、天然ガスを買い、火力発電所に使っている。


 そして、こういうのだ。

 燃料費が高騰している。たすけてほしい、と。

 で、電力料金を上げている。


 まるで、わざと高い経費の領収書をつくり、必要経費といって会社に請求する、悪質サラリーマンのようだ。普通ならそんな領収書、経理ではねつけられるが、東京電力は、国民からこの必要以上に高い経費を、電力料金として請求している。


 なんか、おかしいと思うのは、まちがっているのだろうか?


 そんな事思いました。

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〔5月15日〕

 Fさんへ。最近思うことはまだある。

 最近トルコのニュース、よく見ます。暴動?がおきているとか。

 「タクシム広場」が占拠されたとか、警官隊が突入したとか…。


 トルコの警察は、軍隊と書いた。

 都市部は警察がいるが、今回の騒動では、やはり軍が出てきたのだろうか?


 タクシム広場は、トルコへ旅行した際、バスで通過したことがある。

 その近くで下車し、しばらく徒歩で町を移動し、日本料理屋へ入ったことは、以前、この小説内でも書いた。


 知っている場所で、暴動が起きているという感覚は、なんだかザワつきます。

 そんな事思いました。


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〔5月16日〕

 Fさんへ。ニュースで連日、偉い人が「私は知らなかった」と言っている。


 この人が本当に知らなかったなら?管理責任者としての能力が問われてしまう。

 かばわれているなら?恥ずかしげもなく、保身のためにうそをついていることになる。


 正直、このニュースの真実に興味は無い。


 ここで言いたいことは、こういうことだ。


 君の周りにも、自分は知らなかった、と保身に走る人がいるかもしれない。

 堂々とうそをつくかもしれない。


 君は人を信じる人だ。


 だから心配してしまう。


 君が自分自身に、不利な結論を、選びがちなことは、なんだか、容易に想像できる。

 自分よりも、自分以外の人をたてる人だからだ。


 君が洗脳から抜け出して、自分に不利な結論を、とりたい欲求から脱している事を、勝手ながら祈ります。え?心配無用?そうならうれしい。


 ただ、Fさんは、人につくす人だ。


 心配してしまうのです。


 その性格は、本来、賞賛されるべきものだ。ただ、悪意を持つ相手は、そこにつけこみ、君に無理難題を課すかもしれない…



 負けないでほしい、がんばれ!


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〔5月17日〕

 Fさんへ。こんなニュースを見た。


(以下転記)

 日本の人権大使、国連の会合で「黙れ!」

日本テレビ系(NNN) 6月15日(土)2時28分配信

 国連の会合で日本の大使が「黙れ!」などと声を荒らげる様子がインターネット上に公開され、非難の声が上がっている。


 「笑うな。どうして笑っているんだ?黙れ!黙れ!」-アフリカの委員が日本の司法制度について「自白じはくに頼りすぎているのは中世のようだ」と批判したことに対し、上田秀明人権人道担当大使が「日本は最も進んだ国の一つだ」と反論すると、一部から笑いが起きた。このため、上田大使は「黙れ!」などと声を荒らげたという。


 外務省はすでに上田大使に口頭で注意し、本人も反省しているという。

(転記おわり)




 日本の司法の問題点は、この小説内でも書いている。

 もともとは、第2次大戦後、日本を支配していたアメリカが問題の発端。

 当時アメリカとソ連は世界をかけて対決し、冷戦を生んだ。


 日本は共産国である中国と隣国、いくら無視しようと影響は受ける。

 もし、日本で共産党が勢力を拡大し、政権でもとったら?日本はソ連や中国の側につくかもしれない。

 事実、アメリカ占領下で行われた、初の選挙で大勝したのは、社会党だった。


 人々はあまり知らないが、戦争終結後、初めての普通選挙で、総理大臣になったのは、社会党の党首だった。アメリカはあせる。社会党は、共産党ほどでないにしろ、共産国家とつながりのある政党。これはまずい、とCIAが必死の世論操作。次の選挙では、アメリカの意図したとおりの結果になる。

 アメリカと仲良くしておけば選挙で勝てると知った人々は、その後すりより、アメリカ様万歳な政党が続く結果となる。


 結果としてそのおかげで、経済発展できたのだから、いいか悪いかはわからない。

(アメリカが日本の世論操作を終了したのは、ロッキード事件あたりだと思う。日本においていた支配下を組織である、東声会や、その関係者を切り捨てている。終わるころあいを探っていて、田中角栄を失脚させるために、手持ちの使わなくなった組織を、すべて切り捨てたとも見れる。現在のアメリカは、当時ほどの世論操作能力をもっていないと推察します。冷戦は終わったから)


 しかし、副産物もある。それが日本のおくれた司法制度だ。


 前述の理由で、日本の共産化を防ぎたいアメリカは、日本の司法制度に手をくわえた。

 犯罪者を捕まえやすくするために、警察や司法に有利な制度にした。

 これにより、共産主義者を取り締まりやすくなり、日本の共産主義活動を、押さえ込めると思ったわけだ。

(そして、もし仮に共産主義革命が起こったときに備えて、警察予備隊という武装組織を作る。これがその後自衛隊に発展するのは、歴史でならうところです)


 通常、アメリカでは48時間しか、つかまえた人間を拘留できない。

 48時間以内に取調べをすまして、裁判にするのか?釈放するのかを決めないといけない。

 しかもこの48時間の取調べでは、弁護士がつきそう。

 これが、アメリカの常識であり、先進国のあたりまえの司法のありかただ。


 日本のものは遅れている。

 つかまえた人間は48時間どころか、20日間拘留できる。時間にしたら480時間だ。アメリカの10倍の時間。

 しかも弁護士の同伴は不可能。被告は、わずかな面会時間に弁護士と会うことしかできない。

 そして20日すぎても結論がでなかったら?

 ケースにもよるが、違う罪状で、同じ人物をさらに続けて20日間拘束できる。

 取調べだけで2年も拘留なんて、ざらである。


 しかもアメリカと違い、証拠品のあつかいも適当。その辺のロッカーに放り込んでいて、時として平気で紛失する。アメリカのように、厳重に保管し、開封時にサインするようなこともしない。


 今、取調べの可視化といって、ビデオ撮影することが1部認められるようになった。

 日本人の感覚では、一歩前進。よりよいものになったと信じたいところだが、外国人からみたら?

 え?でも弁護士は今でも付き添えないの?と思うだろう。



 先のニュース。アフリカの代表に笑われても、仕方が無い状況である。

 たぶん、日本の大使もまったく反論できなかったのだろう。

 そのうえ、いつも格下出と見下しているひとらから笑われて、キレたのかもしれない。


 上田秀明人権人道担当大使は「日本は最も進んだ国の一つだ」と叫んだと言うが、司法制度だけみたら?アフリカの国家が手本にするには、遠く及ばないひどい状況だ。



 日本は最も進んだ国家の1つ、というイメージは、日本人なら誰でももっている。

 ならば、それにふさわしい態度をとるべきだ。

 逆キレはよくない。


 Fさん、もし君の周りに、頻繁に宗教のすばらしさを説き、頻繁に逆キレする人がいたら?

 こう言って上げて下さい。

「そのすばらしい教えに、ふさわしい態度をとることができないの?あなた中身が伴ってないって事を24時間態度で周囲に宣伝していることが、恥ずかしくないの?」と。



 言う事ができなくとも、そういう気持ちで相手をにらむだけでも、だいぶ違うと思う。

 負けないでほしい、がんばれ!

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〔5月18日〕

 Fさんへ。最近こんな事も思う。


 TVで村上龍が、こんな事を言っていた。

 自分は建築という表現方法が嫌いだと。

 どうしても、特権階級のために、使われる事が多い、と。


 たしかに、新鋭建築の多くは、美術館や公共施設、庁舎などに多く、一般市民の住宅には、なかなか応用されない。


 しかし、ある日本人建築家は?

 世界トップクラスの建築家でありながら、無償で被災地に呼ばれもしないのに行くと言う。


 彼の手法は、安い材料で、仮設建築を作る事。

 彼は、紙やコンテナで、とても仮設とは思えないモダンな建物を作る。


 紙の柱で、被災地の間仕切りをつくったりもしたという。

 撤去の際も、紙だから簡単だ。


 村上龍はこういう。これは「職業意識」がそうさせるのだと。


 自分にならできる、という思いが、そうさせるのだと。


 そこが、お仕着せがましいボランティアとはちがう、と賞賛する。


 建築家か権力者のために建物を建てなければならないと言う、宿命を背負っているのは仕方が無いが、彼は必ずしもそうではなく、本当に必要としている人たちのために、その技術をつかう。



 …こんな事も思った。

 誰しもが職業意識は持っていると思う、手に職のある人間ならば。

 

 “彼ら”の「例のあの行動」は、反社会的なだけではなく、おのおのの持つ、職業意識とも、きっと矛盾すると思う。(時々、交番のおまわりさんが、自分のピストルで自殺する事件がおこるが、“彼ら”の教えと、自らの職業倫理との葛藤に悩んだわけではないと、信じたいです。しかし、“彼ら”のあの総攻撃時に警察が頼りにならなかったことも、また事実だ)


 もし、君のまわりに、今でも“彼ら”的行動を、君に強いる人がいるとして、その人の職業の持つ性質と、“彼ら”の教えに、明らかな矛盾が見えたときは?こう言い返せる。


 「あなた、それってあなたの職業的には「あり」なの?宗教的には「あり」でも、あなたの職業的には「ありえない」んじゃないの?」と。


 自分の仕事にプライドをもってる男ならば、反論ができないところだ。

 あいてはなにかしら意味不明の反論をしてくるだろう。

 それも言ってる本人ですら、それって反論になってないと思えるようなやつを。


 そんな意味のともなわない反論は、聞き流していい。

 聞き流して、にらみつけるだけでも、十分効果はあると思う。


 君にどこまでできるかはわからない。

 運命が味方してくれることを信じます。


 負けないでほしい。がんばれ!


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〔5月19日〕

 Fさんへ。こんな事を思った。

 以前、この小説内でも書いた「交渉のルール」。

 「切りシロ」を切りあうことで、互いに妥協点へたどり着く方法だ。


 今回、G8首脳会談で、アメリカは日本と単独会談をしないという。

 これはめったに無いことだ。


 たぶん、こういうことだと思う。

 これは、あくまで僕の私見。


 先日の米中首脳会談で、アメリカ側はネット攻撃に関して米中の統一見解をまとめた。

 中国側にすれば、形はどうあれ、中国側の非を一部認めるかたちになる。


 アメリカ側は、その見返りに、次のG8で日本と単独であわないという約束をしたのかもしれない。


 日本の外務省は、アメリカが会ってくれないという精神的ダメージを負うし、日本首脳には米中が接近したというプレッシャーになる。心理戦は中国共産党の伝統的に好む手だ。この手でアメリカ側が譲歩してきたなら?中国側は、態度の軟化するかもしれない。


 アメリカ側にしてみれば、非公式チャンネルで、そのいきさつを日本首脳に伝えておけば、致命的な日米の亀裂は起きない。


 そんな、かけひきがあったかもしれない…。


 これらはあくまで僕の私見です。


 交渉の際、切るための「切りシロ」が無い場合、工夫してでもひねり出す好例かもしれない。

 日米首脳があまり傷つかず、かつ、中国側の気持ちを満足させるいい切りシロだ。

 この程度の事で、あのめったに譲らない中国首脳がおれるならば、御の字だ。



 君が今ももし、交渉を続けている最中ならば?

 あきらめず、あいてが満足し、かつ君がさほどダメージをうけないいい切りシロが見つかるよう、努力する事は、意味があると思います。


 負けないでほしい、がんばれ!


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〔5月20日〕

 Fさんへ。こんな事を思った。

 なんのかんのいいつつ、大手証券会社の予想は、強気なものばかり。

 平均株価は1万5000円は?みたいなものばかり。

 たぶん、これは。アメリカの経済が良くなることを見越したものではないかと思う。


 でも、たぶん。最大でここまでいく、と言う話で、理論値ではいくらか?は違うと思う。


 何の話かって?株のはなしです。

 そろそろやろうとも思っているけど、どうなのだろう。

 実際にお金をかけると、冷静でいられるか不安もある。

 とりあえず、僕自身は以前書いた、1万3000円から1万4000円という自分の予測を、当面信じてみようと思う。偶然にも、いまのところこの予測ははずれていない。まあ、偶然なんだけど。ほんと。

 でもなにかしらの指標はいる。だから、一応の指標としてこの数字で行こうと思う。


 ま、何事もやってみないとわからない。

 無理の無い範囲で、やりたいと思っています。


 …とりあえず、証券会社選びからはじめないと。


 最近は、そんな事を考えています。

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〔5月21日〕

 Fさんへ。こないだ「金曜日のスマたち」という番組で、東進ハイスクールの有名な英語の先生のことをやっていた。いわく、英語の上達の道は、「慣れること」とのこと。


 なんとなく実感はある。 

 トルコ旅行の記述にも書いたけど、日本に帰国する前、もうすこしトルコにとどまったら、英語がもっとわかるような感覚になっていた。たった10日だったけど、英語が使えないと生活できない環境は、刺激的だった。「慣れ」とは大事なんだと思う。


 こんな事も思う。

 Fさん。もし、君が、今。

 “彼ら”と離れた生活をしているならば?


 “彼ら”的でない「考え方」に「慣れる」よう意識するのは、大事だと思う。


 英語が「慣れ」で上達するように、「脱カルト」も「慣れ」でなしえると思う。


 そんな事、思いました。


 負けないでほしい!がんばれ!

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〔5月22日〕

 Fさんへ。

 今は、正確には平成25年6月22日午前11時58分です。

 (記述の日付と1ヶ月遅れになっています。)

 今日は夜勤なのでこのあと午後3時に家をでて、コンビニによってから、仕事場へ行く予定です。

 

 昨日こんな事があった。

 今日で4日連続勤務になる。夜勤明けも入れれば5日だ。

 それに備えて、温泉で体をやすめた。


 ロッカールームでのこと。

 隣の人が、ロッカーをあけっぱなしのまま、どこかへいってしまっている。


 急に、以前読んだニュース記事をおもいだす。


「この他人のロッカーを覗き込んだりすると、思わぬ災難に遭遇するんだよなー」と、思い出した。

 以前、こんなニュースがあったのだ。

 ある有名な経済の専門家が、窃盗容疑で逮捕・送検され、執行猶予付き有罪を食らってしまった事件。

 スポーツクラブで、他人のロッカーから、高級腕時計とかを、盗んだ容疑で逮捕され、有罪になってしまったのだ。

 事実のほどは不明だが、印象としては、この人がそんなせこい犯罪をするのは、ちぐはぐだ、と感じた。この有名人とは?以前この小説でも紹介した、高橋洋一さんだ。あの財務省と1人で戦った人。

 退官後も、財務省批判はやまない。だからはめられたのでは?と思わなくも無い。実際彼の評判を落とすには十分な効果があった。


 …もしはめられたのならば?そういう手口で、人を貶める手段があるという推測も、成立する。


 この仮説がただしく、かつ、“彼ら”がこの手口を行う気があるならば?

 僕は、隣のロッカーが無防備にあいている状況の時は、無視をきめこむしかない。


 気のせい?それならそれでいい。


 ただ、入浴前と入浴後と2回もあったから、不自然に感じたのだ。


 “彼ら”はどこで罠を張っているかわからない。

 気をつけてほしい。

 君が今も戦っているという前提で書きます。

 君が戦い続けられるならば、僕もまた、戦い続けられます。

 負けないでほしい。がんばれ!

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〔5月23日〕

 Fさんへ。最近思うこと…。

 どうも来年、僕は「介護福祉士」という資格の受験資格を得るらしい。

 来年をのがすと、翌年からさらに試験が難しくなるとか…。

 筆記と、実技がある。

 

 どーしたもんか…。考え中です。


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〔5月24日〕

 Fさんへ。最近読んだ本の影響で、マクロ経済学に興味があります。

 初歩の初歩ていどでもいいから、基本的なことをしりたいと考えています。

 せめて、グラフくらい読めるようになりたい。


 なぜ?そう思うのか?

 TVでコメントしている偉い人らのなかには、あきらかにマクロ経済学をしらないで、テキトーなコメントを言っている人たちが多数な気が、最近します。視聴者が、なにも知らないのをいいことに、もっともらしいことを言っているけど、実は何も知らないのでは?と感じることが多々あります。


 最近読んだ本でも、こんなエピソードがのっていた。

 民主党の管さんが、国会で「乗数効果」が「どのくらいか?」と質問され、まったく答えられなかった。とかいう話。著者いわく、「乗数効果」は経済学部の1年生がまなぶことだとか。


 著者いわく「乗数効果」もしらなくても大臣がつとまるのが日本、とか書いてあった。

 日本での不幸は、文系が経済学をやっていることだという。

 いわれてみると、大学の経済学部は、たしかにどこも文系だ。

 しかし、マクロ経済学をやるためには、数学がいる。文系ではなく、理系の知識がいるわけだ。

 かくゆう僕も、文系。はずかしいところです。


 恥ずかしいがゆえ、勉強したいな、とおもうわけです。



 Fさん。もし君の周りに、「御書」の解説本しか読んだことが無いひとがいたら?

 こういってあげてください。

「仏教に、そこまで無知でいて、恥ずかしくないの?」と。

 シロウトの僕から見ると、お釈迦様を敬愛しているのに、お経のひとつも唱えられないなんて、普通の感覚なら「恥ずかしい」と感じるところだけど。

 今の日本の経済の専門家が、数学も苦手ならマクロ経済学の基礎もしならいのに「恥ずかしい」とすら感じないのは、それだけ無知がひろがっている、という証拠だと思う。

 “彼ら”が自らの仏教に対する無知を恥ずかしく「感じない、という感覚」と、現在の日本の経済の専門家の数学に対する無知を「恥ずかしく感じない、という感覚」は同じものだと思う。



 こんな話がある。

 ボクシングの亀田兄弟。いつも対戦相手は格下ばかり。なのに恥ずかしげもなく戦う。


 ボクシングの世界では、チャンピオンへの挑戦権で順位が決まる。

 1位から順に、チャンピオンに挑戦できるのだ。

 普通なら1位とか2位と戦う。

 しかし亀田兄弟は、強そうな1位や2位の選手をすべて断ったうえで(あるいは無視して)勝てそうな9位とか12位とか、そのあたりの選手としか戦わない。

 普通の感覚なら、勝てて当然だ。まして引き分けなどはずかしい。前回の試合で、格下の選手相手に勝てなかったのは、相当まずいことだったはず。土下座したのもわかる。ここまで、絶対に勝てる試合を用意してくれたのに、勝てなかったが故の土下座だ。


 しかし、一般視聴者は気がつかない。

 ボクシングの挑戦権の仕組みを知らないからだ。

 世界ランキングが低い選手との、対戦カードをみても。

「ああ、だんだん上位の選手と戦うしくみか」とかってに納得してしまう。無知とは恐ろしいものです。


 人々が知らないことをいいことに、恥ずかしげもなく恥ずかしいことを平気でする。

 なぜなら儲かるから。


 無知は罪ではない。


 しかし、人々の無知を利用して利益を得ようとするのは、罪だと思う。


 すくなくとも、ほめられたものではない。


 仏教の教義に疎い事をいいことに、いいように人々をまるめこんで、利益を得ようとする行為は、けっしてほめられたものではない。


 Fさん、ともかく、その組織からは離れて距離をとった方がいい。

 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。



 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう。


 Fさん、もしそちらの世界に、僕をコロしたい、と、こう人がいたら?こう言ってください。

「私には命をかけてくれる人がいる、この人は私を邪魔になんて、決して思わない人よ」と。


 なにか、そちらの世界なりのいい訳があるのだと思う。 

 …でも、そんなもののために、1度しかない人生を犠牲にされるのは間違っている。

「今度はあなたが人の都合を聞く番よ、さんざん他人の都合を無視してきたんだから、文句は言わせないわよ!」と、言って良いと思う。


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

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〔5月25日〕

 Fさんへ。もう何度目になるだろう…。

 なんどか感じている感覚。


 バイアスに少なからず変化を感じる。

 違和感の種類の変化とでも表現すべきか。

 仁王立ちのおばさんを見たし、夜勤のときのうるさいエンジン音。

 アンカリングのようなしぐさをする人々?

 気のせいと思えばきのせいだし。

 僕自身の気持ち次第で感じ方が違う可能性もある。

 非常に弱い変化。しかし、違和感がある。

 

 なにかそちらの世界でおおきなバイアスがかかったのだろうか?


 あくまで可能性の問題。

 願わくば、君が戦って、自分を取り戻す努力をつづけている結果、なにかしらの心理的なバイアスが“彼ら”に生じたと信じたい。

 君がいまも自分を信じていると、そう信じています。

 僕の知るFさんは、君が自覚する以上に強い女の子だ。

 負けないでほしい。がんばれ!

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〔5月26日〕

 Fさんへ。今日100円ショップへ行った。

 また自分のへやを少しいじろうと思ったからだ。

 漫画を作画する作業と、物語を創作する作業を、同じ机でやっていると、いちいち机の上をそのつど整理しなおさないといけなくて、面倒なので、解決したいとおもったからだ。


 これは学生時代、受験勉強をしていたときにも感じた。

 科目を変えるたびに、机を整理しなおすのは、なんだかいやだ、と。

 科目ごとに机があり、参考書やノートを一年中開きっぱなしにしておいておけば、勉強しやすいのにと思ったものです。え?普通はそんな事は感じない?そうかもしれない。ま、そこが、もって生まれた不器用さゆえの悩みです。僕は器用な人間ではない。


 もし自分に子供がいたら、広くて長い机を提供するだろう。

 今は家具もやすいし、不可能ではない。


 もし自分に子供がいたら?いることにかこつけて、博物館にばかり行くことだろう。

 子供を連れて行くという口実で、自分が行きたい博物館に入り浸るわけだ。


 子供を楽しませるという口実で、ラジコンをやりに屋外に出てばかりかもしれない。

 自分がやりたいだけだけど、子供を口実に、大の大人がどうどうとラジコンをできる。


 本の読み方も教えたい。自分で考える方法をおしえたい。



 …あ、ずいぶん妄想を書いてしまいました。

 そういう話は、相手を見つけてからの話ですね。Fさんはどう思いますか?


 時々思う。君と僕は同い年。

 君には中学生か高校生くらいの子供がいても不思議は無い。あるいはもっと上?


 そのことが、君のかせになる可能性も、あくまで可能性だけど、完全に否定できない。

 でも、こうも思う。

 子供が大きいなら、運命の決定権は、その子にある。

 親の決定に従うか否かは、自分で決められる。


 大事なのは、自分が、自分の人生を一生懸命生きている姿を、子供に見せることだ。

 本気で生きているなら、伝わるものが必ずあると、僕は信じます。


 惰性で生きている連中にまけないで!

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〔5月27日〕

 Fさんへ。こんな事も思う。


 もし、今でも誰かに激しく言われるならば?

 こう言い返して見るのも、いいかもしれない。


「あなたが、私を貶めてる首謀者なの?」と。

 もちろん、言いがかりだ。

 だから、相手がどういう人であろうと、必ず「否定する」はずだ。


 相手が、否定したら?

「でしょ?あなたはそんな事をしない。誰かに操られていただけ。私のことを想うならば、早く洗脳から抜け出して、私の味方になってよ」


 と、諭すのはどうなのだろう? 

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〔5月28日〕

 Fさんへ。今は正確には2013年6月27日午前7時です。

 今日は休日で、明日は夜勤になります。夜勤にそなえて体を休めているところです。


 最近思うこと…。

 これは感覚的な問題。


 なんとなく何だけど。

 赤い靴と、白いメガネが、なんだか急にほしくなっています。


 夏は、そういうアイテムがあったほうが、着まわしが上手くいく様な気がする。

 今のメガネと靴では、なんだか印象が地味だ。

 服を派手にしても、薄着では、かえって似合わない。すくなくとも、僕という個体には。

 そんな事も、おもいます。


 以前の僕は、こんなに服に気を使う人間ではなかったんだけど…。


 これは?いい変化なのか?それとも違うのか?時々悩みます。


 そんな事を考えていると、あのときの君の言葉を思い出す。

 初めてのデートの時。

 映画を一緒に見に行った際、僕はめかしこんでいった。

 君は言ったと思う。おもったよりもちゃんとした格好だね的なことを。

 なんだかほめられたようで嬉しかったことを覚えている。


 そんな事をおもったよと、君に気軽に直接伝えられる奇跡を信じます。


 いつかの未来を信じて。

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〔5月29日〕

 Fさんへ。富士山が世界遺産に登録されたそうで、なんだかいろいろ騒ぎ?になっている。

 今の知事はいろいろと面白いことを推し進める、面白い知事だと思う。


 でも、登録に際して、何年以内に、こういう部分を、改善しないと、登録が抹消されるという条件が、いろいろあるらしい。たとえば、富士周辺の湖では、モーターボートを禁止してほしいとか勧告されているらしい。そんな事をNHKで見た。


 理由は、そこが富士山信仰の重要な場所であり、神聖な湖をレジャーで汚すのは、富士山信仰で評価している文化遺産としては、そぐわないと言うわけだ。湖の観光業者は困惑している。


 勧告では、いまではばらばらになっている富士周辺の信仰施設を、一元的に統一した世界遺産として見れるようにしてほしいとしている。


 そもそも富士山信仰は江戸時代にブームになったものだ、と、僕個人は理解している。

 江戸時代以前は、個人が旅行にいく、という概念がなかった。

 用も無いのに、遊びで遠出をする人間は、一部のお金持ちだけだったのだ。


 しかし、江戸時代の天下泰平の時代になり、旅行ブームがおきて、庶民が旅行を楽しむようになる。

 旅行先は、伊勢神宮や、四国巡礼など、神様にお祈りしにいく、という理由で、遠出をして豪遊するのだ。正直、理由は何でもいいのだが、なにかご利益がある目的のほうがいいと、当時の日本人は考えたらしい。

 富士山信仰もそうした旅行ブームにあやかって生まれたものだ。

 もともと古くから富士山信仰はあったのだが、上記の江戸時代の旅行ブームにのっかって、有名になる。なんだがものすごい人気だったらしく、行く事ができない人のために、小さな丘を人工的につくって、そこにやしろをもうけて、ミニ富士山として、人々に上ってもらうよう用意したという記録もあるし。実際、そうしてできたミニ富士山が全国各地に現存する。


 この江戸時代の旅行ブームをささえたのが、「こう」というシステムだ。


 これは数十人単位で、小額のお金を出し合い、お金がたまった時点で、くじをしてして、お金を出した人の中から、1人だけそのお金全額をもって旅行に行ける、という仕組みだ。


 当選者は羨望のまなざして、祝われる。人生ではじめての豪遊ができるからだ。

 外れた人も、自分のことのようにお祝いし、その人を送り出す。

 当選者は、自分を送り出してくれた、講の参加者全員に、お礼の品を旅行先で買ってくる慣わしが生まれる。これが「おみやげ」の起源だ。と僕個人は理解している。まちがいかな…。


 この「こう」という仕組みは、なにも旅行にかぎったものではなく、そのほかにもあった。

 あまり詳しくはしらないが、ある特定の仏教徒のあいだにも、あったらしい。

 そうした仏教系の「講」は明治、大正、昭和になっても、細々と続いたとか。

 そうして続いた民間の、仏教系の「講」という集まりの一部が、現在の“彼ら”の起源らしい。

 そうした講の集団が、昭和の時代に、いつのまにかカルトになってしまったわけだ。


 ここからは、僕の妄想。

 「こう」は、そもそもお金を集める、という性質がある。

 案外、“彼ら”が伝統的に、お金を出すことに抵抗が無いのは、そういう伝統をひきづっているからかもしれない。本来の「こう」は公平なくじ引きで、当選者をきめる性質、というか、大前提をもっていた。それがいつのまにかすり変わって、財務すれば幸せになれる?という俗説に変わってしまったのかもしれない。世の中には題目と財務だけでは乗り切れない事が、いくらでもあるというのは、まともな“彼ら”ならば、経験で誰でも知っていることだと思う。それは、「こう」のもつ集金の性質が、途中で幹部たちによって捻じ曲げられた結果だと思う。まさに、カルト恐るべしという感じだ。

(改めて書きますが、この物語はフィクションです。このような組織は僕の妄想の中でしか存在しえません。ありえないもの。)


 勧告をうけて、富士山周辺の人々は、改めて富士山信仰とは何ぞや?と考えさせられる事だろう。


 本来は、どういうものだったのか?と考える事は、ないがしろにしないほうが、文化的には正しい事だと、なんだか感じます。


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〔5月30日〕

 Fさんへ。外国のドラマや映画を見ていると、時折、こういう題材の話が出てくる。

 それは…。なんと言えばいいのか。

 欧米の田舎がかかえる問題を描く作品だ。


 物語は、最終的に、村人全員がまちがった真実を信じて、一人の人間をつるし上げるラストを向える。

 主人公の無実を知るのは、視聴者のみで、村人は誰一人、まちがいに気がつかない。


 村人は大概、啓蒙思想(=理性による思考の普遍性と不変性を主張する思想)などとは縁がない人々として描かれる。


 この啓蒙思想と縁遠い村人たち、どーにかならないか?でも現実だから、この現実受け入れないといけないよな、的なお話は、欧米の作品には普遍のテーマだ。


 これは、形をかえた、カトリック対プロテスタントの図式でもある。

 啓蒙思想をもたず、ただただ教会を妄信するカトリック教徒と、啓蒙思想を大事にするプロテスタント的思想の対立を、田舎の人々vs都会の人間の図式で表現している。


 都会の人間には、この物語の意味が理解できるのだが、田舎の人間にはわからない。そんなタイプの話だ。


 名探偵ポワロの「コーンワルの毒殺事件 (原題:The Cornish Mystery )」もそうした物語の1つだ。

 人を疑うことをしらず、かつ、物事を単純にしか考えられない田舎での事件。

 あまりに単純な人々なゆえに、表情を見ているだけで、犯人がわかるが、なにも証拠が無い。

 そこでポワロは、田舎の人間の単純さを逆手に取った罠をしかける。


 単純な田舎者の犯人は、ポワロの脅しをすっかり信じて、自白してしまう。


 この物語、非常に単調でつまらないのだが、奥が深い。


 ポワロはこの物語で、田舎の人々を馬鹿にはしない。

 ただただ、「灰色の脳細胞をもっと使いなさい」という言葉と、「冷酷な犯罪者は許しません」という信念だけを貫く。


 田舎の生き方は肯定も否定もしないが、ものを疑いもせず考えない人間を嫌い、田舎者であろうと、都会者であると、犯罪者はゆるさないという姿勢は見ていてすがすがしい。


 え?なにが言いたいのか?

 いえなに、単なるドラマの感想文です。

 深い意味はありません。


 ただ、受け入れざる得ない現実がある、といって、「なにも考えず」にそれを全て受け入れる必要は無い。譲れないなにかがあるならば、考えて考えて、考え抜いていいのだと思う。


 感情的に人を疑うのと、

 理性で人を疑うのは、

 同じではない。


 君は感情的に人を疑うのが苦手と言うか、好みで無いと思う。

 なのに、うまれながらに、人を疑わざる得ない世界に放り込まれ、苦労したのだと思う。

 君は僕に言った。

「そこまで本音を言ってくれた人は初めて」と。

 ものすごいうれしそうに、最高にかわいらしく。


 その、君の感覚は、大事にしていいものだと思う。


 今でも君が戦っているならば、負けないでほしい。

 応援している人がいることを忘れないでほしい。

 がんばれ! 

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〔5月31日〕

 Fさんへ。今は正確には2013年6月28日金曜日、13時41分です。

 このあと夜勤なので15時に家をでてコンビニによってから仕事場へいきます。


 前回の夜勤明けでは、ざぶーんに行った後、隣町の駅前から港の公園まで、サイクリングした。

 行って見て思った。このあたりは、あまりサイクリングなんてしたこと無い。

 駅前はそこそこ知っているが、港の周辺はいまいち土地勘がないな、と。

 港の公園に駐車場があった。

 今度は、あそこまで車で行って、そこで車載の自転車をおろして、港周辺をサイクリングするのも、悪くないかもしれない。

 今は、そんな事を、漠然と考えています。

 さて、今日は夜勤です。

 何事もなけばいいのだけど。

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〔6月1日〕

 Fさんへ。以前、東京で持っていた読書習慣を、とりもどそうと苦労していた事を、書いたと思う。

 最近ようやく、取り戻せた気がします。

 いい感じに、買い溜めた本を消化できている。

 

 最近こんな事を本で読んだ。


 よく最近は介護の分野がのびる、といわれている。成長産業だと。


 しかし、現状のままでは、そうとは言い切れない、と。


 この先、家計としては(日本全体の一般家庭の家計としては、という意味だけど)。

 家計から支出される、介護に対する費用は、増大する。

 とくに2025年には、団塊の世代が被介護者になるので、まちがいないらしい。


 そういう意味では、成長産業なのだ。

 この先、不足する施設をつくったり、介護用品を増産したり、介護職員を増やさないといけない。


 このあいだ読んだほんには、こんな事が書いてあった。


 このままでは、家計における、介護費用が増えるだけで、その分、他に使うお金が削られる。

 つまり、その分、他の産業が衰退するだけで、ゼロサムゲーム(=どこかが成長したら、そのぶん他が衰退する)になってしまう、と。


 つまり、日本全体でみたら?ゼロサムゲームでは、富の配分が移動しただけで、なにも成長できない、というわけだ。日本全体が成長するためには、ゼロサムゲームでは意味が無い。


 竹中平蔵さんは、著書のなかで、こんな感じの事を書いている。


 需要側の需要がのびただけでは、ゼロサムゲームに終わってしまう。

 供給側ものびるようにしないといけないと。

 具体的には、規制を緩和して、介護産業自体が、新しい“なにか”を生み出せるような環境にしないといけない。そうなれば、需要にあわせて供給も成長して、日本全体が成長すると言う。


 こういう日本全体が、のびるビジョンが、「マクロ経済的視点」というものらしい。

 経営者は、この視点が必要ないと言う。

 同業他社から、シェアを奪いさえすれば、自社は成長する。

 ある意味、ゼロサムゲームに終始していても、経営者としては問題ないわけだ。自分の会社は伸びるから。しかし、国全体の事を考えたら、ゼロサムゲームでは、国は成長しない。お金の流れが変わるだけで、意味が無いのだ。


 国全体の事を考えたら、伸びそうな産業に、あたらしい流れや、仕組みやサービスや、発明が起こりやすい状況を提供することだ。

 具体的には、規制を緩めたり、お金を投入したり、やる気を起こさせる何かをしたり、と。


 こんな事も思う。

 カルトは国全体の成長など考えない。

 他の分野から、奪って、自分を成長させる事しか、考えない。閉じた世界だ。


 そんな行為は自己満足にすぎず、世の中がよくなる手助けどころか、たんなる社会の寄生虫にすぎない。寄生虫が、世の中をよくすると、公然とうそをついて、勧誘を続けて、人々に財務を強要しているわけだ。


 うそをつくな、という人が、Fさん、君の周りにいたら?

 その人に「マクロ経済的視点」があるかどうか、問いただしてほしい。

 所詮カルトは、ゼロサムゲームに終始する。それだけでカルトは自らの欲望をみたせるからだ。


 僕は経済のシロウトだ。

 しかし、“彼ら”のやり方が、日本のためになってなうのは、確信します。


 最近、また変な事件がおきた。TVでは連日報道している。

 また、“彼ら”がかかわっているのだろうか…

 これは、“彼ら”の集団威圧を感じた事のある人間にしかわからない感覚。


 君につたえます。

 その組織とは、距離をとっていいんです。

 君は自分を信じて大丈夫です。問題ありません。


 本当に思う。負けないでほしい。がんばれ!

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〔6月2日〕

 Fさんへ。こないだ隣町をサイクリングしていたら、海岸沿いに出た。

 よく整備された遊歩道のようになっていて、海岸沿いを歩くことができる。当然自転車でながすこともできる。

 親子つれや、カップルが、おのおのの時間をすごしている風景は、どこかの映画のようだ。


 Fさんと、こんな場所で時間をつぶせたら楽しいのだろうか…

 ふと、そんな想いにもひたる。


 自動車で移動しているだけだと、こういうところ、見逃してしまう。

 だからサイクリングは好きです。

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〔6月3日〕

 Fさんへ。

 最近読んでいる本にこういう記述があった。

 なぜ?今、全国にシャッター商店街が増えているか?

 いろいろな理由があるが、この本の著者は、一言で記って捨てている。


「駐車場がないからでしょ?」と。


 たしかに、大型ショッピングモールクラスの店舗がある商店街に、駐車場が無いのはいたい。

 事実、電車を利用しない限り、行きづらい。

 最近は車を利用しているので、それは、よくわかる。


 例えば、となり町の商店街。

 車では利用しづらい。

 そして事実、駅南側は寂れている。

 大型の駐車場の作れる、駅、北側のほうが、利用しやすいし、便利だ。

 



 本の著者は言う。

 今、日本の商店街が寂れているのは、モータリゼーションの発展に乗り遅れたからだ、と。

 電車利用者しかみていなかったのが、最大の理由だと言うわけだ。


 

 今、となり町の駅周辺では、再開発計画があるという。

 当然、大型駐車場をつくって、遅れていたモータリゼーション対策を実現するのだろう…。

 と、思っていたら、実はまったく違ったらしい。


 なんと計画は25年も前におこされたもので、線路の高架化計画だと言う。

 

 これでは車は駅前を素通りして、幹線道路沿いの店の利便性が向上してしまう。

 少なくとも、南側商店街に止めを刺しかねない計画だ。


 僕はシロウトだ。だから、僕はしったかぶりに基づく適当なことを書いているにすぎない。

 そんな僕の予測だから、あまり真に受けないでほしいが、このままでは、遠い将来、南側商店街はみな更地になり、駐車場になる運命なんでわ?と考えてしまう…。(まあ、世の中はもっと複雑なバイアスが働いている、どこからか救いの手がくるまかもしれない)


 このとなり町の高架化計画で潤うのは、建設業界だけだ。

 商店街には、プラスは無い。


 必要なのは駐車場。


 だから、先日閉店した西武デパートを解体して、立体駐車場でも造ったほうが意味がある。

 あるいは、駅周辺の有料駐車場を県か借り上げて、無料開放するとか。


 そうでなければ、駅の商店街は、車を持たない学生やお年寄りばかり相手にする羽目になる。

 一番お金を使う人たちが来ない。



 なぜ?普段はまともな人々が、集団になると、間違いを平気で行い、かつ、自分たちが間違っていると言う自覚すら起きないのだろう?



 Fさん。君の周りにも、普段はちゃんとしている、まともな人が、集団になると、どういうわけか、間違ったことを平気で行い、かつ、自分が間違っているという自覚すらおきないという現象、おきないだろうか?



 この世はバイアスが支配している。

 流されず、何が問題で、何が大事かを意識することは、意味がある行為だと思う。



 先に書いた、となり町の高架化計画は、どうやらとまりそうもない。


 ならば、このバイアスがどう動くかを、読めばいい。


 以前ニュースで見た。こうして寂れたオフィス街は賃貸物件として人気が出ると。

 駅に近いから、宅地としては魅力があるわけだ。

 幸い、駅の北側には新しく作られた商業施設も多い、住むには便利だ。

 立て替える必要は無い、現在の建物を改築するだけでいい。

 昔、商店街だった賃貸物件に、住みたがる人は、意外に多いと思う。

 変わったところに住みたいと言う需要はあるし、そういう人たちが集まって住んでいると、普通の人が集まって住んでいるよりも、活力が地域にできると思う。


 仮に、そうならないにしても、そういうバイアスのかかりやすい地域であるという事実は動かしがたい。

 こういう事業をしている会社は、だめもとで、住みたい人がいるかリサーチしてもいいかもしれない。


 あるいは、こういうバイアスのかかる物件をさがしている、どこかと結びつければ、なにかが起こるかもしれない。



 多くの人が、間違いを犯していたとしても、悲観せず、前にすすむ道をさがすのは、人として正しいことだと思う。


 活路を見出すのは、運命ではない。

 人の意思が大事だと思う。


 立ち止まって休んでもいい。ゆっくり進んでもかまわない。

 時に感情を爆発させるのも大丈夫だ。

 でも、後戻りだけはしないでほしい。


 君が君らしくいるために、何が大事なのか、答えは、君がたどり着くべきものなのです。

 たとえ、僕ののぞまぬ答えがそれであったとしても、それが答えならば、それが正解なのです。

 ただ、1つだけわがままをいわしてほしい。

 どんな答えにたどり着いたのかだけは、おしえてほしい。


 この世に、それが確かめられないと、次にすすめない人が1人だけいる事を、忘れないでいてくれると、ものすごくうれしいです。

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〔6月4日〕

 Fさんへ。これは思いつき。

 ただ、そうか?意味は無いよな…。と思うこと。

 意味は無いよなとおもいつつ、なぜだろ?と思う。


 このサイトで、短編小説をよく読むことは、何度か書いている。

 中には面白い傑作もある。そうでないのもあるけど、プロではかけない雰囲気がいい。

 小説という形態は、ツイッターなんかと違い、起承転結や状況説明が求められるから、書いていくうちに、著者の深層心理が反映されていくので、そういうところが魅力になっていると感じます。


 昔は、短編のタイトルに、「赤」という言葉がよく使われていた。

 そういう流行りなのか?なんだろう…と思っていた。


 今は「青」というのをよく見る。じゃあ次は「黄色」だろうか…。


 意味がわかると怖いかもしれない?

 駄文でした。


 Fさん。こういうなぞかけ的な文章ってどうかな…。

 この記述は小説なので、時に趣向を変え、こういう意味不明ななぞの文章で…というのも、どうかな?と思って書いて見ました。



 こんな事も思う。

 

 “彼ら”は御書の「難解な文章」を利用している。

 そもそも「なぞかけ」のような難解な文章は、無限の解釈を生む。

 幹部に都合がいいように、捻じ曲げることもできるのだ。


 難解なことに遭遇したら?

 心を真っ白にして、素直に感じれば、それが一番素直な感覚だと思う。


 “彼ら”は君に無理難題を押し付けてきたことだろう。


 いつか再会したとき、「がんばったね」と抱きしめて頭をなでてあげたい。そんな感覚、君に届けられたらうれしいです。


 今でも君があきらめず戦っている、という前提で書きます。


 負けないでほしい。がんばれ!

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〔6月5日〕

 Fさんへ。昨日こんな事があった。

 夜勤明け、ようやく仕事から開放され、車に乗っていた。

 時間は昼間の10時。久々に早くあがれた。

 外は晴天で、快晴。雲がきれいで写真に残したいぐらい見事だ。


 車を進めると、ガソリンが半分を切っていた。

 すぐ近くにスタンドがある。

 しかし、夜勤明けで、いつ眠気が襲うか予断を許さない状況。

 いちはやく「ざぶーん」にたどり着いて、昼寝を決め込むのが懸命だ。

 

 だが、いつもよりほんの少し早くあがれたので、まだ体力に余裕がある。

 無理して給油すれば、後が楽だ。


 …どーしようかな。と考えていた。


 車線の合流ポイントで、進入待ちをしながら、僕はそんな事を考えていた。



 すると、道を譲られた。

 停車して、行け、と合図するおばさんが見える。


 ここまではいい。




 これは僕の被害妄想。

 “彼ら”の総攻撃をくぐり抜けたものだけが持つ感覚かもしれない。


 そのおばさんは(おばさんと言っても、案外と年下かもしれないのだが、まあ、見た目重視で記述します)

 手首を下に90度落とし、人差し指をふって、まるで「しっしっ、あっちいけ」といったしぐさをするのだ。


 あんな失礼なドライバーには人生ではじめてだ。


 そう、これは僕の被害妄想以外のなにものでもない。

 だが“彼ら”は、他人のカンに障るしぐさを連続して見せると言う妙技をもっている。

 

 こんな妄想もいだく。

 君もそうした行為をするように、過去、もう数え切れないくらい強要されたかもしれない。


 もし、この先再会できたならば。

 繰り返し書くけど。

 よくやったねと、君を抱きしめて頭をなでてあげたい。


 人のために尽くそうと懸命に努力したんだから、ほめられないのは酷な事だ。


 おかしのは、君をだまして、まちがった努力をさせた連中だ。

 洗脳は人を狂わし、おかしな世界を生み出す。


 でも努力した心そのものは、ほめられていいと思う。

 そんな感覚、君にとどけたいです。


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〔6月6日〕

 Fさんへ。今日は正確には2013年7月8日です。

 今日と明日、2日休日。めずらしい連休です。まあ、1月の休日数は決まっているので、得をしたわけでもないけど、連休があると、精神的に楽です。


 連休明け、たしか記憶ちがいがなければ、遅番だったと思う。それも人数不足の関係で、早出しないといけない。だから家を8時半にでて、コンビニによってから仕事場に行くことになる。


 こんな事も思う。

 君は人から甘えられるのがあまり好きではない。


 それを承知で少々愚痴ります。


 最近ささいなドジというか、ミスがつづいて、へこんでいます。


 まあ、利用者さんの安全にかかわるような事ではないので、十分フォロー可能な細かいミスなのですが、タイトな仕事の流れの中では、こまかいドジも運営に多少の支障になる。


 めいいっぱいプラス思考でいうならば、おっちょこちょいな性格の自分。



 昨日、夜勤明けで、仮眠後にサイクリングをした。

 隣町の海岸沿いの道を、海を見ながら流したわけだ。

 この場所を走るのは2度目。


 前回来た時は、海からの潮風がとても気持ちよく、爽快に走れた。


 今回の海は静かで、こういうのを「いだ海」と言うのだとおもうけど、こういう海もまた静かでいい。

 同じ場所なのにぜんぜん雰囲気が違う。

 海の近くもいいものだな、と、ふと思った。

 その日の天候で、いろいろなちがった側面を見ることができる。


 波が荒い海、風が強い海、凪いだ海。そしてたぶん僕の知らない海がまだあるのだろう。夏場、このあたりは海水浴客であふれるはずだから、サイクリングはできないかもしれないが、続けられる範囲で、また行きたいと思う。海辺のサイクリングが最近のお気に入りです。


 

 仕事は嫌いではない。やりがいもある。

 しかし自由はすくない。ルールやスケジュールや禁止事項がたくさんある。休憩すらとぼしい。

 

 逆にサイクリングはどこまでも自由にはしれる。すきなだけ、どこまでも。最近は車載できる自転車にしたから、自転車での行動範囲も広がった。

 誰にも迷惑をかけず、すきなだけ好きな場所にいける。

 この開放感が、好きなのかもしれない。


 そういえば、高校時代。君は電車移動がすきだった。

 案外、行動の自由を楽しむことで、しがらみからの開放感を感じたかったのだろうか…、どうなのだろう?

 いつか、そんな話ができる日を夢見ます。


 Fさんの魅力の1つに、海のように、その日によっていろんな側面を見せてくれるところがある。海はその日によって、荒れていたり、風が強かったり、凪いでいたり、静かだったり、いろいろだ。いろいろな側面が見れることも、また魅かれるところです。昨日、海辺を走っていて、そんな事を思いました。




 …もし、この先再会できたならば。

 繰り返し書くけど。

 よくやったねと、君を抱きしめて頭をなでてあげたい。


 人のために尽くそうと懸命に努力したんだから、ほめられないのは酷な事だ。


 おかしのは、君をだまして、まちがった努力をさせた連中だ。

 洗脳は人を狂わし、おかしな世界を生み出す。


 でも努力した心そのものは、ほめられていいと思う。

 そんな感覚、君にとどけたいです。

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〔6月7日〕

 Fさんへ。こんな事も思う。

 最近報道されている、有名スケート選手の出産報道の話だ。

 どこのマスコミも言わないが、報道をみていると。彼女がシングルマザーであることが理解できる。いわなくても、視聴者に伝わる。すごいことです。


 こんな事も思う。

 高校時代、君はたしかに、なにかにおびえていた。

 君に変わり、具体的に書いてしまおうかとも時として思うが、直球で書いたら絶対怒ると思うので、いままで書いてない。そして、これからも書かないだろう。


 もし、熱心な読者がいるならば、「え、いままで読んだ以上のなにかが彼女にあるの」と思うだろうか?



 はずかしくて君が言えないのをいい事に、ふんぞり返っている連中が地獄に落ちればいいと、思います。


 言えないことは、言う「以外の方法で」伝える事も可能です。

 言葉よるも行動で示すFさんならば、いけると思います。


 こんな僕の言葉がいらないほどに、君があきらめず前を向き続けていてくれるならば、僕は死ぬほどうれしいです。


 負けないでほしい、がんばれ!

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〔6月8日〕

 Fさんへ。

 最近お金の使いすぎがつづいている。

 財布の紐が緩みがちです。

 とても僕らしくない、気をつけないと。


 そんな事を思っていると、プリンターがこわれて、買い替えを迫られてしまった。たぶん、原因は電源の入れっぱなし。


 正直、これがないと漫画がかけない。致命的です。


 洋服や靴や、めがねや時計は、なくてもどーとでもなるが、漫画だけは生活から切れない。これが壊れると、本当に致命的。いそぎ新しいものを今日、買いに言った。ああ、これでまた出費が増えてしまいました。本当、気をつけないと。


 そんな事を思う、今日この頃です。

 

 最近思う。向かいの息子は、僕が屋外にしばらくいると、いつもベランダに出てきてタバコをすう。“彼ら”の洗脳から抜け出せないあわれな子羊というやつなのか?はたまた偶然か。

 で、こんな事も思う。

 そーいや。こちらから挨拶したことはあっても、向こうからは今まで一度もないな。唯一おばさんが挨拶するくらいだ、と。

 普通の感覚なら、何度も顔を見ているのだから、一度くらい挨拶するものだよなーと、思うけど。どうなのだろう。

(いやいや、きっと超がつくほどのうぶな性格で、人見知りが激しく、声をかけようと言う選択肢は、親から命令でもされない限り思いつかない、あまえんぼうさんなのだろう。とかってに思っていいのだろうか?)


 “彼ら”との戦いはどこまでもつづくと確信しています。

 なぜならば、彼らは本物の寄生虫であり、救いがたいカルトだからだ。

 Fさん。君が戦い続けられるならば、僕もまた戦い続けられます。


 …もし、この先再会できたならば。

 繰り返し書くけど。

 よくやったねと、君を抱きしめて頭をなでてあげたい。


 人のために尽くそうと懸命に努力したんだから、ほめられないのは酷な事だ。


 おかしのは、君をだまして、まちがった努力をさせた連中だ。

 洗脳は人を狂わし、おかしな世界を生み出す。


 でも努力した心そのものは、ほめられていいと思う。

 そんな感覚、君にとどけたいです。

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〔6月9日〕

 Fさんへ。こんな記事をみつけた。

 結構、身につまされます。

(以下転記)

「伸びしろ」があるかどうか

2013/05/30

大人の学び

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 先日、あるシニアマネージャからこんな話をお聴きしました。


「社長に言われたんだけども、”採用する際”は、どれほど前職で実績があったか、などは気にしていなくて、それよりも”Trainable”かどうかだけを見ているのだ、と。 前職の華々しい経歴、実績なんかよりも、これからこの会社で新しい製品、サービスや、あるいは、やり方を素直に学べるかどうか、成長できるかどうかのほうに重点を置いて採用しているそうだ。なるほどなーと思った」


 ふむ。


 キャリア採用の場合、「経験者であること」は求められるでしょうが、その時、前職の華々しい実績はどうでもよい(というのは言い過ぎかもですが)、それより、これから伸びる、これからも成長できるかどうかが大事だ、というのですね。


 trainableというのは、ほかにも言い方があるかもしれませんが、gworlableとか? 

まあ、とにかく、「伸びしろ」があるかどうか。それは能力的なことだけではなく、マインドとしても。「学ぼうとする気持ち」「素直に聞いてみようと思う態度」など。


 そういえば、別の企業で経営者からお聞きした話。


「研修をするでしょう? で、その研修で、すごく伸びる人と伸びない人がいる。たとえば、マネジメントスキルでもリーダーシップでもなんでもいいんだけど、”全部、知っている””何度も聞いた””だから、学ぶことはなかった”と言ってしまう人と、”これまでも何度もこの話は聞いたけれど、でも、新しく●●について考えた””深く内省した”とどのような内容でも何かを考え、学び取る人といて、後者はやはり、研修内容を現場でも生かすんですよね。でも、前者は、アンケートにも”つまらなかった””自分はすでにやっていることばかりだった”などと書いてくる。その割に、実際には、部下からはそう思われてなかったり、私の目から見ても、まったく成長してない感じがしたりするんです。研修を”知識をもらうもの”と思っていると、新しい情報がなければ”学ぶことはなかった”となるのだろうけど、新しい情報があろうがなかろうが、”自分で考え、振り返り、今後どうするか”という”内省し学ぶチャンス”ととらえたら、どのような機会であっても、吸収するもんなんですよねぇ」


 これもなるほど、です。


 よく、学ぶ、ということについては、


●Learn(学ぶ)

●Un-Learn(いったん捨てる、学習棄却)

●Re-Learn(学びなおす)


 の3つがある、と言われます。


「伸びしろ」がない人というのは、

●Learn

ここでおしまい、なんでしょう。


「伸びしろ」がある人は、

●Learn

●Un-Learn

●Re-Learn

が機能する。


30歳を超えたくらいから、だんだんと「Un-Learn」が難しくなりますね。私もそうです。


「こういうやり方でずっと来たじゃないか」

とか

「これでいいはずだ」

とか。 頑固にもなる。 


 でも、そこをいったん冷静に考え、「なるほど、そういう考えもあるのか」「そういうやり方もあるのだなあ」とまずは耳を傾け、”感心”し、そこから、より深く考え直し、「こういう方法で自分も取り入れられるかも」と検討する、なんてことができるとまた新しい何かを得るのだろうと思います。


「伸びしろ」。


 これって、年齢に関係なくいつまでも持っていたいものですね。


(転記終了)



 僕は不器用な人間だ。

 一度決めたことを変えられないところがある。

 ある意味長所だが、欠点でもある。

 端的に言うと頑固なわけだ。



 Fさん。今から理想論を書きます。


 頑固な性格は否定する必要は無い。

 ただ、上記記述にある。「学びなおす姿勢」を「頑固にわすれない」ようにすれば、いいのでは?などとも思う。


 自分に伸びシロなんか無いと思う。

 ただ、漫画を描いていて感じた経験は実体験としてある。

 無茶な目標を追いかけると、追いつけないにしても、それなりに画力は伸びる。具体的には、僕は「浦沢直樹」先生のネームや絵を徹底的に参考にしてきた。しかし、ちっとも追いつかない。そっくりに書くことなどできない。だがしかし、はじめた頃に比べれば、圧倒的に画力は上がった。

 その経験から、こうも感じる。

 自分には、伸びシロなんかない、と思うのは、正直な自己認識で正解だ。

 しかし、実際に無茶な目標をおいかけて、すこし前進するのは、実際楽しい。だが、無茶な目標をおいかけて、徒労に帰すことは、実際多い。

 そういう時は、「いったん捨てる、学習棄却」「学びなおす」ことに恐怖しない姿勢が大事なのかもしれない。


 うん。まとめると、こういうこと。

 自分には、伸びシロなんかない、と思うのは、正直な自己認識。

 しかし、そんな自分にも、無茶な目標をおいかけて充実感を得ることはできる。

 そして肝心なことは、無茶な目標をおいかけて上手くいかない時は、いったん自分の原点に返り、「いったん捨て、学びなおす」ことが重要なのでは?と思った。


 迷ったときには原点回帰とは、僕がこの小説で何度も書いてきたこと。

 すこし、合い通じる点がなくもないなと、そんな事も思いました。


 じっさい仕事で、頑固になる自分に悩むことがある。

 そういう時は原点に帰り、学びなおす姿勢が大事なのかもしれない。

 難しいことだけど、それを頭に入れておくことと、入れておかないことでは、だいぶ違うと思う。


 Fさん、そんな事を思ったよと、今日、君に伝えたくなりました。


 …もし、この先再会できたならば。

 繰り返し書くけど。

 よくやったねと、君を抱きしめて頭をなでてあげたい。


 人のために尽くそうと懸命に努力したんだから、ほめられないのは酷な事だ。


 おかしのは、君をだまして、まちがった努力をさせた連中だ。

 洗脳は人を狂わし、おかしな世界を生み出す。


 でも努力した心そのものは、ほめられていいと思う。

 そんな感覚、君にとどけたいです。




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 いつか君と再会するとき、僕はとどめをさされるのか、それとも最高のしあわせをてにするのか、その中間か、先のことはわからない。とにかくまとうと思う。いまはFさんの都合が悪いだけだ、なにかしら決着を見て、その上でいろいろな都合が一通りついて、もう妨げる理由が何一つなくなったとき、君は行動に移すと信じています。Fさんが時間をかけて慎重に決断を下すことは、よくわかっています。


 わがままでごめん。いつかの未来を信じて待たせてください。



 朝の6時から10時の仕事の日、僕はかならずコンビニによる。

 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。

 たいがい不機嫌そうな顔をしていると思うけど、別に本当に機嫌が悪いわけではありません…たぶん。


(最近は就業後も頻繁によります。時間はまちまちだけど、だいたい16時すぎから21時過ぎ位の間です。仮に再会するなら?就業後のこの時間帯に会った方が、ゆっくり話ができる…)


 東○の工場の西側すぐのとこにあるコンビニだ。

 あの夏祭りの日、2人で別れたあのT字路のすぐそこにある、当時はなかったコンビニ。

 「一週間」も「朝6時から10時」まで、そのコンビニの駐車場にいると、ほぼまちがいなく一度は僕を見るだろう。

(そして肝心な事に、僕はあまり日課を変えない)

(東京でも、ほぼ同じ日課を繰り返していたからこそ、“彼ら”の総攻撃時、変化に気づけた)

(仮にすれ違って、僕が君に気づかなくても、気にせず声をかけてほしい)


 もし君が僕の前に姿を現すとしたら?きっと、僕のまったく予想もしないような方法で現れるように思う。とにかく、待とうと決めたのだ。君を待とうと思う。奇跡を信じて。


(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)

〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください

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