第64話 君の心に触れる機会
〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください
(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)
〔12月30日〕
アルジェリアのニュース…。
7人の日本人は無事帰れたが、それ以外は帰れなかった。
何が彼らの運命を分けたのか…。
今も外ではエンジンがうなる音がする、気のせいか?最近「地鳴り系」のエンジン音が、多いように感じる。
僕は、あの“彼ら”の総攻撃をかわし、生き残ることができた。
しかし、終わってはいない。
この先、何があるかわからないし、第一、君に再会していない。
まだ、なにも終わっていない。
こうも思う、もし、運命の歯車が変わっていたら?僕は“彼ら”の存在にすら気がつかず、多くの被害者のように悲惨な運命をたどっただろう。
これをよんで、こう思う“彼ら”も多いはず。
終わったと思うなよ、と。
Fさん。
この記述は、本当は1月23日に書いています。
最近、また、職場で異動があります。
別のフロアーに移るわけです。
以前書いた、この人は100%“そう”だろうと思う人と同じフロアーになります。
何がまちうけているか、考えると憂鬱になりますが、逃げるわけにもいきません。
アルジェリアがなぜにあんなに不安定か?
アルジェリアについては、以前この小説内で映画「イングリッシュ・ペイシェント」でをとうして説明したことがあったと思う。
もともとあの国は、オスマントルコの支配地域だった。
しかし、第一次世界大戦の頃の帝国主義時代に、ヨーロッパ各国に占領され、植民地になってしまった歴史を持つ。
もともと弱い地域であるアルジェリア。
この地域の正しい発展の歴史を考慮するならば?
本来ならば、トルコの影響下で発展するのがのぞましい。
(弱い地域は、多かれ少なかれ、どこか大国の影響下で発展するのが、人類の歴史の常です)
しかし、現在のアルジェリアはフランスの影響下にある。
フランスはたしかに大国だし、人権意識の高い国。文化も経済も発展した先進国だ。
しかし、同時に、国内では、イスラム教徒排斥の動きもある。
学校では、宗教を問わず、頭を布で覆うのを禁止したし、給食のイスラム食を禁止した。
(まあ、報道された限りの知識なので、実態は不明です。たぶん、言うほどひどいものではないかもしれない)
しかし、フランスの影響下において、イスラム色を、どう維持するかは、あの国の避けてはとうれない課題なのだろう。
そんなこと思わなくもない。
日本は、ながらく中国の影響下で発展してきた。
しかし、距離もあり、時折、外国との接触を何度か閉じている。
鎖国はなにも江戸時代だけではない。遣唐使がおわったあとの国風文化の時代も、事実上の鎖国体制だった。
日本とアルジェリアの決定的な違いは「何か?」を問うならば?
こういうことだと思う。
日本人は、「アヘン戦争」で中国がイギリスにボロ負けするのを目撃した。
それを見て、「自ら」の意思で、アメリカと開国した。
日本とアルジェリアの決定的な違いは、自分の意思で、どの大国の影響下に入るか「選択」できた点だ。
その後日本は、ドイツとフランスから憲法をまなび、自分の憲法を作った。
日本の不幸は、ちょうどその頃が、帝国主義ブームだったことだ。
手本とする大国のすべてが、戦争で植民地を取っていた時代だから、まねしてしまったのだろう。
(しかし、同時期に中世から脱却して近代化した、スカンジナビア半島の国々は、そうはならなかった、この辺の違いは、検証の価値があるかもしれない)
こんな事を思いました。
「誰」の影響下に入るか。
強制されるのと、自分で選択できるのでは、随分、ちがうのだと。
こんな事も伝えます。
君ならわかると思う。
僕は、君に「やめて」といわれたら、やめる人間だ。
この記述、ともかく、君にやめてと言われるまでは、書こうと思う。
最近、記述のペースが落ちているけど、まあ、なんとかしておいつこうと思います。
また、いつか出会えるとき、君の心に触れる機会を…。
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〔12月31日〕
映画配給会社に「クロックワークス」という会社がある。
時折、目にするその名前には、見覚えがあった。
それとは別に、先日借りたDVDのタイトルが、下記のものだった。
「ア・クロックワーク・オレンジ」
映画ファンなら、見ただけでもすぐわかるかもしれない。が、僕はDVDの表紙を見るまで知らなかった。
それは、「時計仕掛けのオレンジ」という映画の英語の原題だった。
どうやら、上記映画配給会社は、この原題から会社名をとったらしい。
いままで知らなかった。いや、世の中、知らないことは結構あります、ほんと。
「時計仕掛けのオレンジ」は有名な映画だ。
しかし、いままで避けてきた、見ないできたのだ。
内容は、暴力的で有名だからだ。
しかし、ツタヤディスカスをやるさい、この際見てみようと、タイトルを登録しておいた。
この制度、登録したのも忘れた頃に、実際にDVDがくる。
手元に来て、「ああ、これ登録してたんだ」とすっかり忘れていた。
DVDを、見てみての感想。
ともかく映像は美しい。すごいの一言です。見入ってしまう。
しかし、物語は思っていたものと、若干違った。
主人公はおもいつくままに、犯罪をおかし、仲間にもみすてられ捕まる。
捕まるまでの暴力シーンは、歯止めのかかってない感じです。
捕まってから、最先端治療で、暴力をふるいたくなると、吐き気がでるように治療される。
治療され、町に出てからは、今度は、被害者から復讐をうける。反撃できない彼は、打たれるがままだ。
最先端治療の被験者として、政府は彼を利用し、その悲劇的な結末から、政府批判が起こる。
政府は彼を保護して、再治療して、元に戻す、という、体制批判的なオチでおわる。
監督はスタンリー・キューブリック。
この人は人間のくだらなさをあぶりだす作風で有名だ。覚悟して映画をみないと、いけない。
見終わったあとの感想はこうだ。
え?じゃあ、被害者はなにも救われないの?と。
さんざん被害者をひどい目にあわした被告が、ひどい復讐にあい、そこから立ち直っておわり?
というなんとも、もやもやする終わり方だ。
この作品は、そもそも、「レ・ミゼラブル」のような作品の、アンチテーゼなのではないだろうか?とも感じる。
多くの作品は、犯罪者が自らの行いを恥じ、そこから更正して、善人になる。
「時計仕掛けのオレンジ」でも、主人公は自らの行いを恥じ、善人になろうとするのだが、途中で自分の立場が政治利用されていることに気づき、その立場を利用しようとする。
象徴的なのはラスト、大臣と2人きりで病室で話すシーン。
大臣は、腕の不自由な彼に、善意で手を貸し、食事介助をする。
次第に彼は、自分のおかれた立場を理解し、大臣に遠慮のかけらもなく、口をあけて、食べ物を入れるよう要求するのだ。
「時計仕掛けのオレンジ」の意図は、みながみな「レ・ミゼラブル」の主人公の様には更正などしない、人間はもっとしょうもない生き物だ、ということなのだろう。
僕は長年、キューブリック作品を避けてきた。
じつはまだ「2001年宇宙の旅」もみていない。
案外、こういうキューブリックの作風に、無意識で拒否があるからかもしれない。
(同様な感覚は、北野武作品にも感じます)
僕は、やはり、王道の作風。「レ・ミゼラブル」のように、悪人も最後は善人になる話がすきです。
Fさんは、どう感じますか?
また、いつか出会えるとき、君の心に触れる時、教えてほしい。
そんな未来を信じて、これからも書こうと思います。
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〔1月1日〕
TVでこんなのを見た。
「富士宮やきそば」で町おこしをした人の発言だ。
この人は、当時誰も見向きもしなかった焼きそばに注目し、富士宮の町おこしを発案した人だ。
富士宮は労働者の町として発展したと言う。
そういう関係で、労働者の好む、安くておいしいごちそうとして、焼きそばが独自の進化をとげた、という。
(そもそも「焼きそば」自体も、もともとは中国で戦った経験のある日本兵が、中国料理(の作り方)を持って帰ったのが起源と聴いた記憶がある。
しかし、戦後の貧しい時代、麺は貴重品で入手困難、そこでキャベツを入れてかさを増して作ったのが「焼きそば」のはじまり、だったかな…)
当時の富士宮の焼きそば屋さんは、いぶかしがったという。
こんなどこにでもあるもので、町おこしなんて、変なことを言う人だ、と。
でも、この人はこう考えていた。
東京の人に、東京にないものを出して、「どう、東京にはこんなものは無いでしょ?」とアピールするのがいい、と。
こんな事も考えます。
案外に、人間は、自分自身の魅力に気がつかない。
Fさん、君には、すてきな、輝いている部分がたくさんあります。
自分を否定せず、前を向き続けてほしい。
この町おこし、を発案した人は、その後「B-1グランプリ」を発案した。
一般には、珍しいB級料理のお祭りと思われているこのお祭りには、厳格なルールがある。
まず、プロの参加は厳禁。
だから、地元のその料理をだしてるお店の人は、参加できない。
料理しているのは、ボランティアで参加している、地元の町おこしのため、集まった人たちと言う。
それから、マスコミにも厳しいルールを課している。
グランプリ1位を与えるのは、料理にではなく、団体に。
だから、報道する際は、かならず料理名に地域の名前が入る。
そう、「B-1グランプリ」とは、優劣を競う場ではない。
あくまで、地域を売り込む「町おこし」団体の発表の場なのだ。
そう、厳格に定義して、運営されているから、ぶれることなく、毎年開催され、それなりの成功をしているのだろう。
こんな事も思います。
君が、戦っている、という前提で書きます。
君の行動は、誰かを打ちのめしたり、何かを破壊することが目的ではない。
あくまで、君自身の、本来の姿を取り戻すものなのだと思う。
周囲に君の本音を浸透させるのは、悪いことではないと思う。
恥ずかしがりやの君は、遠慮して、自分を表に出す生き方を好まない。
それはそれで、かわいらしいし、その生き方は、素敵だと思う。
でも、周囲に誤解されたまま、我慢し続ける、そんなことにもなりかねない。
繰り返します。
君の行動は、誰かを打ちのめしたり、何かを破壊することが目的ではない。
あくまで、君自身の、本来の姿を取り戻すものなのだと思う。
仮に、僕が君と再会できないとしても、その行動の結果、君が周囲から理解されすごせるようになるならば、意味があると信じます。
これは、僕の直感。
君は、自分を理解してくれる人を求めていた。違うかな…。
だから、僕は、そう、思うのです。
この言葉のイメージ、誤解されること無く、君にうまく、伝わることを祈ります。
いつか、君に感謝の言葉を伝えられる日を信じて。
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〔1月2日〕
昨日、ラジオでこんな話を聞いた。
ジハード主義、というものだ。
これは一般に通用する表現ではない、しかし、きいていて納得のいく表現と思った。
なぜにそう思ったのか?
それは、一般に「誤解」されている「イスラム原理主義」という言葉に対する問いかけだった。
では、なにが誤解か?というと、そもそもイスラム教原理主義=テロリスト、という図式が成立しないからだ。
たとえば今、シリアの自由のために戦っている人たち、あの人たちは?テロリストか?抵抗運動派か?
区別が明確ではない。実際には政治情勢に応じて、呼び分けているけど、それでは、正義がなにかわからなくなる。
そこで、こないだラジオで聞いた言葉。ジハード主義、という言葉にピンと来たわけだ。
この言葉は、この問いかけに明確な回答をだしている。
例えば、「ジハード(聖戦)」を唱える「人たち」。
この人らは、この先、どうすれは国がよくなるかは問わない。
ともかく、「聖戦に参加する」ことが、「よい教徒」であると考える。
だから、国の未来はどうでもよく、永久に聖戦が「できればそれでいい」。
むしろ、聖戦の場がなくなっては、宗教的に自分の正しさを証明する場が無くなる。
戦って殉教さえできれば、敵は誰でもいいのだ。
むしろ「平和では自らの存在が否定」されてしまう。
だから、アフガニスタンが平和になれば、よその国へうつって戦うし、リビアが平和になれば、隣国にいって戦う。
アメリカと戦っていたはずが、全然関係ない国と戦って大丈夫というのは、そういう理屈が働いているかららしい。
「平和」を「目指して」戦うのではなく、「自ら」の「宗教的貢献」の「場」として、戦場を「欲」する。
それでは、なんのための戦いか意味は無く、ただただ争いが延々と続いてしまう。
こういう戦う場を永久に残そうとする人たちを、ジハード主義、とすれば?
自由のため、「平和のためたたかう人ら」と、「区別」することができる。
…というのが、僕が理解した「ジハード主義」の意味だ。
残念ながら、この言葉は、一般名詞になってない。けど、僕は十分納得した。
こんな事も思う。
“彼ら”にもこういう人、いるのだろうか?
自らの宗教的な貢献を示すためには、戦いの場が絶対に必要だ、と、考える人々。
そういう人々は、何もしらない一般人にけんかを一方的に売りつけ、戦いと称して、絶対的に不公平な、一方的な戦いをする。
何もしらない犠牲者が、自滅したところで、勝利した、と称して、自らの宗教的な貢献を、周囲に自慢する。
そして最悪なことに、その犯罪行為の「犯歴」が増せば増すほど、“彼ら”内でのステータスが向上する…?
繰り返し書きます。
「平和」を「目指して」戦うのではなく、「自ら」の「宗教的貢献」の「場」として、戦場を「欲」する。
それでは、なんのための戦いか意味は無く、ただただ争いが延々と続いてしまう。
それが、今の世相を作り出しているとしたら?
“彼ら”の存在は罪深い。
道徳的にも、宗教的にも。
以前書いたと思う。
洗脳(=ブレインウォッシング)という言葉は、朝鮮戦争で北朝鮮に捕虜になったアメリカ兵が、帰国した際、できた言葉だ。
アメリカ政府は、帰還兵の洗脳を解くのに3年かけたという。
洗脳は、共産圏でうまれた技術だ。
元々はソビエト(現ロシア)で生まれ、中国に渡り、北朝鮮へ伝わった。
北朝鮮へ伝わった頃には、相当に洗練されたものになっていたことは、推測できる。
もしかしたら?
“彼ら”はそうした、ソ連や中国や、その他共産圏の国々と、何らかのつながりを持つのだろうか?
最近の中国は変わったというが、中国につかまっていた日本兵捕虜が、すっかり洗脳された話は有名だし、清王朝最後の皇帝が、中国政府に洗脳され、一国民として生涯を全うしたあたりは、映画「ラストエンペラー」でも描かれている。
Fさん、これは僕の妄想なのだろうか?
“彼ら”は終わりの無い戦いを、永久に続けるよう、信者に強要し、洗脳する。
ともかく、その世界から、距離を置くのが一番です。
ものすごい不安や、ぽっかり穴があくような感覚に陥るかもしれない。
でも大丈夫。
君は、君自身が思っている以上に、心がしっかりしている。
譲れない何かがあるならば、貫いていいんです。
君の心は今でも輝いているのです、まけないで。
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〔1月3日〕
Fさんへ。
最近多い、体罰のニュース。
こんな事を思った。
以前一度体罰で問題になり、二度としないと誓約書をかいた。
にもかかわらず、、期間もそんなに経ってないのに、ふたたび行った教師の話。
たぶん、最初にだした誓約書は、その場を丸く治めるために書いた程度で、本気でなかったのだろう。
こう、思う。文章を残すと、あとあと、法的に問題になる。たとえそれが私文書でも。
Fさん、ともかく、相手がなにか誓ったら、必ず文章で残すべきです。
あいては、その場をやり過ごそうと、その場限りの約束でしのごうとするかもしれない。
その場合は、必ず、約束事を、文章で残させるべきだ。
と言っても、なかなか文章にしないかもしれない。
その場合でも、粘るべきだ。
そして、その粘った様子を録画なり録音なりしておくべきだ。
あいてが、その場限りの約束ばかりで、誠意を示さない様子は、離婚調停の場で、効力を発揮すると思う。
人に聞かせることを前提に録音する場合、相手には叫ばせて、自分は終始、冷静な口調でいるのがポイントだ。
聞く側の印象が変わる。
そんな事、急に思い立ちました。
君が今も戦っているという前提で書きます。
なにかごちゃごちゃ言われたら?こういえばいい。
「あなた、結婚のために何桁?財務したの?」と。
さらにごちゃごちゃ言われたら?
こう言えばいい。
「世の中には題目と財務だけでは乗り切れない事が、いくらでもあるのよ、いい加減大人になりなさい」とか、
「「ありがとう、別れてくれて」って言える日を信じているわ」と。
そう繰り返し言い続ければ、そういう空気を作れると思う。
君を信じて待ちます。
あやしいグループの妄想にこれ以上、君の大切な心が振り回されるのは、間違っています。
がんばれ!まけるな!
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〔1月4日〕
Fさんへ。
最近いそがしく、なかなかかけません。
今も出勤10分前に書いています。
今日はこのまま午後8時くらいまで勤務で、翌日は6時に家をでることになる。
最近見た映画は「ライラの冒険、黄金の羅針盤」と「ハリウッドランド」です。
ライラの冒険は面白かった。
いずれ感想を書こうと思います。
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〔1月5日〕
Fさんへ。
最近見た映画、「ライラの冒険 黄金の羅針盤(原題:The Golden Compass)」、は以外に面白かった。
この映画を最初に知ったのは、たぶん、ハリーポッターシリーズが人気が出た頃だ。
英国発の二番煎じという印象で、あまり興味がわかなかったのを、覚えている。
たまたま、この間、深夜映画でやっていて、たまたま録画したため、見たのだが、これが意外におもしろい。
この種の「面白い」、という感覚は、別の映画でも感じた記憶がある。
それは「スパイキッズ」と「ハリーポッターと賢者の石」をみたときだ。
どうも、僕は、この種の「児童文学」っぽいテイストの作品に、琴線をひかれる傾向があるようだ。
この作品は、おそらくだけど、V・プロップの「魔法昔話の31の機能」が内包されていると思う。
V・プロップは口承文芸学の第一人者で、大昔から、吟遊詩人などが語り継いできた物語を、大々的に研究した学者さんだ。
研究成果をまとめたものの中に「魔法昔話の31の機能」というのがある。
昔から語り継がれてきた物語の、法則、のようなものを、まとめたものだ。
おそらく、話がうけない場合、吟遊詩人たちは、物語を即興でアレンジした。
そんなことを何千年も繰り返していくうちに、鉄板でうける、物語の法則がうまれたのだ。
V・プロップは、そうして語り継がれてきた物語から、鉄板でうける、物語の法則を割り出し、初めて明文化した。と、僕は個人的に理解している。
まあ、むずかしい屁理屈はともかくとして、ともかく、この種の児童文学っぽい話、というのは、孤立無援の幼い主人公が、たった一人でミッションを完遂する、という共通項がある。
このテイストは、冒険少年漫画にも類推していて、漫画を描く身としては、とても興味をひかれるポイントなのだ。
この作品、3部作らしく、オチが来る前に第一作は終わっている(こういうのを、一般に「ひき」という。続編を作るさい、次の作品を見たくなるようなひきを作ることはよくある)
つまり、あと続編2本みないと、ちゃんとしたオチがわからない。
ビデオ屋にいって借りようと思い、昨日要って見た。
昨日は、4日勤務の最終日で(通常3日ごとに休日が来る)、かなり疲れていた。仕事帰り、ツタヤによって、続編を探してみる。
すると、これが無いのだ。あまり人気がないのだろうか?
ネットで借りるしかないみたいだ。
Fさん、君はあまりTVとか映画とか見なかった。
あんまり興味ないかもしれないけど、どう思う?
僕は、児童文学のにおいがする作品が、好きです。
(そーいえば、僕が尊敬する藤子・F・不二夫先生も、児童文学っぽい作品を基本にしている)
そーいえば、今、僕が描いている漫画も、児童文学っぽい感じのものだ。
この種のものは、今のトレンドとは違うかもしれない。
でも、自分の土台というか、ベースとなっているものが、「そこ」なのだから、「その」部分を否定した漫画を描いては、僕の作品ではなくなってしまう。
たとえ、今風のトレンドでないにしても、自分のベースとなる部分を忘れずに描きつづける事は、重要だと、なんだか思う。
…見ていて、そんな事を感じさせた、映画でした。
もちらん、児童文学っぽい作品なら、なんでも好きかというと、そういうわけではない。
心細い、ひ弱だけど、芯ののつよい、そんな主人公が、逆境から光明を見出す話がすきなのです。
Fさんは、どう思いますか?
いつか、そんな話をする日を
未来で。
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〔1月6日〕
Fさんへ。
たて続けに映画の話をしてもいいかな?
もう一本、見た映画がある。
タイトルは「ハリウッド・ランド」だ。
主演のエイドリアン・ブロディは、とても演技派の俳優で、印象に残る作品に多く主演している。
最初にこの俳優をみたのは、映画「戦場のピアニスト」の主人公役だ。一度見ると忘れなれない印象を持つ。
次にこの人を見たのは「プレデターズ」というSFアクションだ。銃を片手に、暴れまくる主人公を演じていて、とても同じ人物とはおもえない。どうも演技力がすごいみたい。
これはまったく個人的な印象なんだけど、
この俳優を見るたびに、いつもドミニク・キーティングという俳優かと錯覚してしまう。
この人は「スタートレック・エンタープライズ」というアメリカの連ドラのなかで、リード大尉役をやっていた人だ。
写真を見比べると、似てないのだが、画面を通してうける人物像が、いつもだぶるのだ。
たぶん、この意見に同意する人はいないと思うから、普段は人に言わない。けど、いつも思うから、誰かに言いたい。
理解してくれなくても、興味をもって聞いてもらいたい、そんな風に感じること、あります。
Fさんは、どう思う?そういう時、ないかな…。
さて、映画「ハリウッド・ランド」なんだけど、単刀直入に言うならば?
この映画、日本人が見た場合と、アメリカ人が見た場合では、印象がまったく違う、と思う。
この映画の重要な要素は、TVドラマの初代スーパーマン役をやった俳優の、なぞの死をめぐる話だ。
物語は、ハイレベルな心理戦と推理の連続、および、当時のスーパーマンブームの光と影がめまぐるしく入れ替わり立ち代り描写されている。
時間軸が行ったりきたりするので、物語を見ることに、慣れてない人は楽しめない仕様だ。
崇高な理想や、夢や希望はまったく無い、実に泥臭い話が続いてゆく。
つまり、この物語は、一般のアメリカ人が抱く「スーパーマン」に対する憧れや希望といった、価値観を揺さぶって破壊する物語なのだ。
だから、「一般のアメリカ人が抱く「スーパーマン」に対する憧れや希望」を知らない日本人がみると、ラストが意味がわからなくなる。
そう、感じた。
最後のオチは、スーパーマンと言えども、ただの普通の男だった。
普通の男が、普通以上の夢を抱いて、かなわないと気づいて自殺した。
…彼の死の真相を追っていた探偵が、その事に納得して終わる、というオチだ。
それまで展開された推理や捜査が、全部意味を成さない、という終わり方をしている。
印象的なシーンは、探偵の依頼人。スーパーマン役の男の母親、息子の死に疑問を持ち、主人公の探偵に捜査を依頼した人物の豹変振りだ。
母親は急に態度を変えてしまう。
最初乗り気でなかったが、捜査するうち、次々に邪魔が入るうち、次第に本気になっていった探偵の、心が砕かれるシーンだ。
依頼人のためにがんばって、ようやく本気になってきたのに、肝心な依頼人が、心変わりしてしまうのだ。
騒ぎを収めたい映画会社は、あらゆる手段で、主人公を妨害した。
ラストになり、映画会社は探偵の依頼人である母親を買収。息子の銅像をチャイニーズシアターに建てるから、依頼を取り消してくれと申し出たのだ。
母親の目的は、死んだ息子の名誉回復。銅像はまさに彼女の理想の結末で、了承してしまう。
探偵は、気持ちをもてあそばされたような感覚に陥る。本気で映画会社と戦う覚悟が、ようやくできていた分、ショックがでかい。
そこにいたり、ようやく主人公の探偵は、死んだスーパーマン役の俳優の気持ちを理解するにいたる。
彼も最初、いやいやながら、子供番組の主役をひきうけた。
理想とちがう仕事に、やる気は無い。
しかし、子供たちの声援が増えるたび、少しずつ本気になってゆく。
本気になったところで、番組打ち切り。その後は何をやってもうまくいかない。
探偵は理解する、こういう気持ちだったのかと。
なら、彼が自殺した可能性も、濃厚じゃないか…、と理解して、映画は終わるのだ。
こんな事も思う。主人公は、死ななかった。なぜか?
同じ目にあっても、人により、その後の行動はさまざまだ。
誰も彼も、同じ行動をとるとはかぎらない。
なぜなら、人は自由だからだ。
同じように、気持ちをもてあそばれても、死なない人間もいる。
Fさん、僕はこんな事も思う。
僕はぎりぎりまで追い詰められたとき、人生で一番楽しかった思い出に支えられ、切り抜けてきた。
それは一度や二度ではない。何度も何度も、いろいろな時、いろいろな場面でだ。
“彼ら”のたとえようも無い邪悪な悪意が、数千も同時に24時間襲いつづけたときですら、切り抜けることができた。
もし、あの思い出が無ければ、僕は、どうなっていただろう…。
君という存在は、今の僕を形作るうえで、欠くことができない存在になっている。
僕にこれほどまで影響を与えた人物は、ほかにいないと思う。
そんな話、いつかしたいです。
いつか、君に感謝の言葉を伝えられる日を信じて。
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〔1月7日〕
Fさんへ。
他にも見た映画があります。
前々から見たかった映画、「ココ・シャネル」。
いわずと知れた有名人、シャネルの創業者の映画だ。
この人物に興味をもったきっかけは、歴史ものの映画を見ていての事だ。
男の服装は、基本的に軍服やら、作業着やら、昔から続くデザインが今日まで続いている。
ネクタイなどは、諸説あるが、ネーデルランド人の襟巻きだったという説もあるし、セーターは漁師の作業着。
Tシャツは米軍が兵士専用につくった肌着が原型とされている。
しかし、女性の服に関しては、ココ・シャネルの登場以前と、以後では劇的に違う。
服装に革命をおこした人物として、ながらく記憶していた人物だ、一度映画を見たいと思っていた。
なんだろう、どう表現していいのか…。
時代に抗うように生きながら、失敗を繰り返しながらも、あきらめない女性の話だ。
印象的なシーンは、戦争が始まり、物資が不足した時期の話だ。
ココ(これはあだ名だ、お姫様を歌うココという歌があり、その歌をうまく歌ったことから、この名がついた)は、当時、だれも見向きもしなかった「ジャージ」生地を大量に買い込み、ドレスを作った。
上流階級には相手にされなかったが、一般の女性には受け、評判となる。
戦時中は女性も労働力といて、町で働いていた、働きやすくて、おしゃれな、ココのドレスはものすごく売れる。
ついには、ライバルから、こう言われるのだ。
「あなたの服は、この耐貧の時代にうけいれられた」と。
こんな事も思う、ココ・シャネルは、おしゃれを、上流階級のものから、一般の人のものに変えたのではないだろうかとも。
この「耐貧の時代」という言葉、たぶん、翻訳する際につくった造語だろうけど、今の日本にしっくり来る言葉だ。
そう、今の日本は、今、まさに「耐貧の時代」なのだ。
以前この小説内でも書いたとおり、日本の赤字体質の原因は、農家問題にある。
農家が後継者不足で減り、代わりに農業法人が増えれば、国の負担はなくなり、借金体質は改善する。
農家の数(≒地方のゼネコンの数)が、許容できる数までへるには20年はかかるかもしれない。
この期間、耐え忍ぶことができれば、借金体質は改善の余地がある。
映画「ココ・シャネル」においては、この「耐貧の時代」を経た事により、世の中の価値観が変わったように描写されている。
戦時中、やむなく受け入れたもののなかには、戦争が終わっても、廃れずにのこったものもある。
ココ・シャネルの、動きやすい服もそうしたものの中の1つに入り、世の中に受け入れられた。
こんな事も思います。
“彼ら”は現世利得ばかりをいうが、その価値観は、この先長くつづく「耐貧の時代」にはそぐわない。
人々が求めているのには、ちがう“なにか”だと思う。
今は、まだ「耐貧の時代」が始まったばかりだから、世相としては「昔を懐かしむ」という風潮なんだと思う。
豊かで力強かった、戦後日本を懐かしもう、という風潮だ。
それが証拠かどうかは不明だが、そういう番組は、毎日のように放送されている。
しかし、それに人々が飽きて、現実に「耐貧の時代」を受け入れて、向かい合う世相になったら?どうなるのか…、予測は難しい。
先の読めない時だからこそ、大切な“何か”が自分にあるならば、それを大事にして、いいのだと思う。
映画の中で印象的なシーンは、ココが恋人と再会する約束をするシーンだ。
一度捨てられた経験のあるココは、二度とあんなつらい気持ちになりたくなと思い、愛している男性から離れてしまう。
彼には、家柄も育ちもいい、ちゃんとした女性が近くにいる、自分は施設育ちの卑しい身分。身を引くべきだと考えたのだ。
しかし、ある日、電話が来る。僕たちはとんでもない間違いをしようとしている、と男はいう。
2人は再会の約束をし、ようやくしあわせになる段取りがついた。
オチを言うと、男は喜び勇んで車を飛ばし、彼女に会いにいこうとして、交通事故にあい死んでしまう。
劇的なのだが、思い返してほしい。ココ・シャネルは実在の人物なのだ。この事故は作り話ではない。
うまく説明できないんだけど、久しぶりに映画を見て泣いた。何年ぶりだろう…、こんな感覚。
ここからは、かってな僕の思い込み。まあ、映画とは、観客がおのおのの解釈で見ていいのだから、いいのだと思う。
こう思う。
ココ・シャネルは、その後もかわらず、彼女らしく生きた。
たぶんだけど、彼の愛したココ・シャネルで、永久にありたいと思ったのではないだろうか?
実際の彼女はわからないが、しかし、映画のココ・シャネルは、最後まで、彼女らしく生きることを貫いたよう、描かれている。
僕は、君が好きでいた、あの僕で、永久にありたいと、あの日からいまでも、ずっと思っている。
他の人は信じないかもしれない、でも、Fさんは、どう思いますか?
いつか、君の心に触れられる日を信じて。
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〔1月8日〕
Fさんへ。
こんな事も思います。
例の「資産家夫婦殺害事件」。連日大きく報道され、劇的な展開をむかえた事件。
あれをみていて、こー思う。
あ、これ、普通の事件だ。“彼ら”から感じる、一種独特の“におい”が、一切感じられない。と、感じた。遺体が発見された時点で、すぐに怨恨と思った。金目当てなら?奥さんを人質にして、旦那さんに銀行から金を下ろさせる。
大体に、証拠が多すぎる。
“彼ら”ならば、こんなへまはしない。第一、主犯が不可解な人間関係を醸していない。
“彼ら”が起こす事件の場合は、不可解な人間関係や、人脈が多く見られる。けっして表に出ない組織のつながりなしに説明できない人脈が見られないとき、“彼ら”のにおいを感じない。
…こんな事も思う。
“彼ら”は状況を最大限利用する。
こういう事件を引き合いに、君を脅すことも否定できない。
でも大丈夫、この事件、絶対に“彼ら”ではない。安心していいです。
Fさんに伝えます。
“彼ら”は人をいじめるとき、反撃をしない人間を選んで攻撃する、という習性をもつ。
そして、“彼ら”は殺人をも肯定する犯罪集団だ。
しかし、一部の狂信的なサイコパスが組織を牛耳っているからであり、一般の多くの“彼ら”はまともだ。
Fさんに伝えます。
“彼ら”は、危険な橋はわたらない。防犯ブザーを日ごろから持っているだけでも、かなりの抑止力になるはずだ。
“彼ら”は無警戒の人間しか襲わない。君が警戒していれば、そうそう簡単に手は出せない。
君が今も戦っているという前提で書きます。
怖いと思うけど、大丈夫。“彼ら”は暗示と催眠を駆使して、君に必要以上の恐怖心を植え付けたのだと思う。
恐怖心に打ち勝つのは容易ではないと思う。
そんな君に、こんな事を伝えたい。
共に戦う人間が、いることを、忘れないでください。
君があきらめずがんばり続けられるならば、僕もまた、戦い続けられます。
がんばれ!まけるな!
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〔1月9日〕
Fさんへ。
こないだ書いた、映画「ライラの冒険 黄金の羅針盤」の話。
続編が見たい、と書いた件。
よくよく調べると、どーも続編の企画が頓挫しているみたい。作られてない。
リーマンショックの影響とかあるけど、それだけが理由なら、もうそろそろ企画が再開していていいはずだ。
こんな記述をネットで見つけた。
アメリカで、この映画について、こんな批判がされているという。
この映画は、子供たちに「無神論」を増徴させて教えてしまう、とかなんとか。
最初は、え?なんで?と思った。
それなら、なぜ「ハリーポッター」は同じ批判にさらされないのだろうか?と。
…たぶん内容に問題はない。
問題は、主人公の「敵」にあるのだと思う。
「ハリーポッター」の敵は「ヴォルティモート」、両親の仇であり、魔法使いの世界を牛耳ろうとする最悪の敵だ。
一方「ライラの冒険」の場合、規律委員会とかいう組織が、真実を捻じ曲げてでも古くからの教えを守ろうとする。真実を世にさらしてしまう、ライラの羅針盤は、この世にあってはならないもので、世界を支配する規律委員会は、ライラの羅針盤を狙うのだ。
北米カトリック教会は、これが無神論を薦めている、と解釈し、大々的なボイコット運動を展開し、ついに、続編製作を頓挫させるのに成功したらしい。
規律委員会の姿が、あまりにもカトリック教会に似ているとでも感じたのだろう…。
言いがかりに違いなく、作者にしてみれば、心外以外の何者でもないだろう。
こんな話を思い出す。
アメリカのキリスト教保守派は、進化論を否定するという。
人間は神が創ったものであり、ダーウィンの進化論は、無神論に他ならず、子供に教えてはいけない、というのだ。
…え?何の話をしているのかって?
もちろん、「ライラの冒険」の映画続編が頓挫した経緯を書いているにすぎません。
けっして、古くからの教えに固執し、真実を見ようともしない宗教の盲目さを批判したものでは、決してありません。ただただ、ああ、続編が見れなくて残念、ということが言いたいだけであり、自分たちの信仰こそ最高であり、信じない人間などクズあつかいしてもかまわないという、了見のせまい馬鹿を批判したものでは、決してありません。
お前が幸せになれないのは、信仰心が足りないからだ、と、「うそ」を子供に教え込み、心をお金をせしめようとする、宗教の名を借りた“たかり屋”が、自分たちがおいしい思いができないからといって、不都合な真実を覆い隠していることを、批判しているのでは、決してありません。
ただただ、「ライラの冒険」の続編が見れなくて、残念。といいたいだけです。
Fさん。もし、君の周りに、上記の記述を読んで、憤慨している人がいたら?
こう、言ってあげてください。
「何怒ってるの?心当たりでもあるの?」と。
僕は、君が好きでいた、あの僕で、永久にありたいと、あの日からいまでも、ずっと思っている。
他の人は信じないかもしれない、でも、Fさんは、どう思いますか?
この記述を読んで、君が、K君は昔と同じだ、と思ってくれるなら、うれしい限りです。
いつか、君の心に触れられる日を信じて。
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〔1月10日〕
Fさんへ。
なんだか、ここ数日、地鳴り系のエンジン音を頻繁に聞く気がします。
“彼ら”なのだろうか…。
Fさん、どう思う?
僕としては、君に一緒に「いやだねー」と言ってほしいな、などと思ったりもする。
しかし、たぶん、君は、そうは感じず、自分の責任を感じて、恐縮してしまうのだろうか?
そんなことも、最近思う。
でも、そういうことをする連中に、共に憤慨する、という感覚は、障害なく共有できる、そう、感じます。
Fさんが、どう、おもうのか、いつか聞ける日を。
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〔1月11日〕
Fさんへ。
こんな話を聞いた。
ビルマが発展することは、北朝鮮に影響を与える、という話だ。
何でまた、そんな話を?と思うだろうか?
少し、この話をこのままさしてほしい。
現在ビルマは政策を転換して、民主化と親米路線をとっている。
国を開き、外国資本の誘致に意欲的だ。
その象徴が、アウンサンスーチーさんの自宅に、オバマ大統領が訪問する、という出来事だ。
かつては、絶対にありえない出来事だった。
この出来事が国際社会に認められたのか?
ビルマへの警戒感は、今、薄らいでいる。
かつて、ビルマと北朝鮮は仲がよかった。
ともに、アメリカと敵対してきた国同士だからだ。
アメリカは、こう考えている、といった趣旨の話をラジオではしていた。
ビルマが、民主化して発展すれば、北朝鮮もそれに習うかもしれない、と。
かつての仲間が、発展している姿をみれば、核開発でアメリカを挑発するのも、やめるかもしれない、と。
今、北朝鮮は、かつてないほど強行になっているという。
北朝鮮の味方である中国ですら、露骨にその強行を非難して、圧力をかけてきているという。
北朝鮮では、3代目が自分の地盤固めのため、強攻策を取らざるえない国内事情があり、唯一の味方である筈の中国の意見ですら、聞くことができない状況とか、推測されている。
中国の圧力が効かないなら?
じゃあ、ビルマの発展を見せ付ける、というのは、どうだ?という話なのだ。
この話をきいて、こんな事を思った。
これは、僕のできの悪い妄想であり、実効性があるか疑問なのだが、まあ、なにが役に立つのかわからないので、一応書きます。
君が今も戦っているという前提で書きます。
もし、身近に、再婚して幸せになった人がいたら?
その人の話を相手に聞かせる、というのは、それだけで、相当なプレッシャーになると思う。
身近にいないだろうか?“彼ら”の離婚率は、意外に高いと聞きます。
もしくは、再婚プランナーのパンフレットをみせて、いかにそれがすばらしいか、話し続けるのも、きくかもしれない。
この方法の利点は、恨み節をあいてにぶつけなくてすむことだ。
どうしても、口論になると、相手の欠点をののしる様な、そういう局面になりがちだ。
それはそれでいいけど、それ「ばかり」では、精神的につらいと思う。
でも、理想の再婚プランをアピールする、という方法ならば、恨み言を言うよりは精神的に楽だし、前向きな話し合いになる。
そんなことを思い立ちました。
そう、この話のポイントは、恨み節以外の話題で、別れ話を建設的に進められる、という点。
何かのヒントになれば、幸いです。
君が戦い続けられるならば、僕もまた戦い続けられます。
負けないでほしい、がんばれ!
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〔1月12日〕
Fさんへ。
ニュースで報道されている中国軍が、日本の自衛艦に、射撃管制レーダーを照射した事件。
たぶん、自衛隊の対電子線能力を調べたかったんだと思う。レーダーを照射したら?どんな対応をしてくるか見てみたかったんだろう。
でも、なにかしら「ヒューマンエラー(人為的ミス)」が発生したら?
例えば、ミサイル管制官が、たまたま命令を勘違いして、本当に発射するとか。
あるいは整備ミスで、安全装置が誤作動して、ミサイルが発射した場合、どうなるのか?
ミサイルはマッハ3以上の高速で飛ぶと聞く。マッハ3とは時速3000km以上じゃなかっただろうか?
3キロ先から、中国軍は照射したという。マッハ3だと、3キロってあっという間な気がする。
今回の事件で一番懸念されているのが、偶発的な軍事衝突だ。
仮に、一度、どちらかに被害が出れば、面子の問題もあり、解決が難しくなる。
かつての日中戦争のときも、中国方面に展開する日本軍が、かってに現場レベルの判断で、どんどん戦争を拡大し、おさまりがつかなくなった経緯がある。
現場の責任者にまかせきっていると、偶発的衝突を回避できなくなる可能性があるのだ。
かつてアメリカとソ連が対立していた時代、そういう事態を回避する目的でできたのが、ホットラインだ。
いつでもどこでも、好きなときに、アメリカとソ連の最高責任者が、好きなだけ話ができる通信回線だ。
仮に現場レベルで衝突がおきても、即、トップ会談で事態の拡大を防ぐことができる。
現実に核兵器をつき合わせていて、戦争=人類絶滅が現実味のあった時代だ。
ホットラインは、当然の帰結として誕生し、過去、冷戦期に活躍した。
今、日本と中国の間は、外交的に冷え込んでいる。
ホットラインのようなものはあるのだろうか?わからないけど、心配です。
こんな事も思う。
現場レベルにまかせていると、エスカレートし、歯止めが利かなくなる。
トップが現場を処断できなければ、事態の悪化は防げない。
今、話題の女子柔道での暴力的指導や、大阪での体罰問題も、トップが現場を処断できないと、エスカレートが続いてしまう。
それができなくて腐っていく大組織というのは、多いのかもしれない。
もちろん、何でもかんでも、やればいい、というものでもない。
処断する際は、明確な哲学と信念が必要だ、そうでないと、権力争いに使われてしまう。
“彼ら”が、あそこまで犯罪組織としての性格を悪化させてしまったのは、現場レベルの暴走を、長年、トップが放置してきた結果だろう。みな事なかれ主義で、ちゃんと財務して勧誘してれば、倫理などどうでもいいと、そう、トップが受け流してきて、馬鹿を甘やかしてきた結果かもしれない。(だいたい、財務して勧誘する馬鹿が大量にいたほうが、おいしい思いがしやすいのかもしれない)
Fさん。その組織に、人を処断する際、ちゃんとした基準や、明確な哲学があるのだろうか?
たぶん、無いと思う。
でなければ、あそこまで最悪な醜態を、僕に見せる組織であるはずが無い。
それが人の性質だ!と主張する人もいるだろう。
Fさん、もし身近にそういうサイコパスがいたら?こう言い返せばいいとおもう。
「そんな考え、ホットラインを作って、戦争を回避できた人々に恥ずかしくて、聞かせられないわね。」と。
「ああ、だれにもいえないから、秘密にしてるのか。あなたもわかっているのね、組織の醜さが」と。
彼らの偉い人間は、権力闘争を勝ち抜いた連中かもしれない。
斬ったはったですごしてきた連中で、恐ろしく感じるかもしれない。
でも、Fさん、僕はあえて君に、こう、伝えます。
君が戦い続けられるならば、僕もまた、戦い続けられます。
負けないでほしい、そう、本心から思います。
がんばれ!君は1人ではもうないのです。
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〔1月13日〕
Fさんへ。地元にもどった初日のこと。
前日に電話で、ある人から「今すぐ逃げろ」と言われた翌日のこと。
新幹線に乗り、なにもかも放り出して、地元に来た日のこと。
僕は、実家へ直行せず、あの思い出の神社をさがした。
空を見ると、自衛隊の輸送機が、今まで見たことがないくらい、低空で飛んでいた。ものすごい轟音。
こんなに、地元はうるさい場所だっただろうか?というのが第一印象だ。
いつだか、こんな事を書いたことがあると思う。
自衛隊の2つプロペラのついた、大型輸送ヘリが、5機くらい編隊を組んで、僕のいる実家上空を、結構な低空飛行で飛んでいった。
あれからずいぶんたった。
あの訓練が、年に一回あるものだとしたら?毎年、同じ時期に見るはずなのだが。
理由は不明だが、一年に一度、そうしたうるさい訓練がある様子は、みられない。
あのとき、あの“彼ら”の総攻撃が、あったときだけだ。
肯定的に考えるなら?“彼ら”も良識があるから、やらないのだろう、とも取れる。
なにしろ、“彼ら”は普通の市民を殺人にも簡単に加担させられるよう、洗脳できる能力をもった組織だからだ。
(オウム真理教をかばう気はまったく無いが、連中を追い詰めてサリン武装させたのも、“彼ら”の仕業なのだろうか?オウムもヘリがくる、と言っていた)
当時は“彼ら”の総攻撃を受けていたから、かなり“彼ら”の暗示の影響下にあったと思う。
冷静にいられたのは、君との思い出が僕の理性を保たせてくれたおかげだ。
できることならば、Fさんの中にある、僕との思い出が、君の理性を保つことに役立ってくれていれば、うれしいです。
あのヘリは確かに、異常だった。
当時より、冷静な今、たしかに、そう、思います。
この先、どうなるかはわからない。
でも、君が戦い続けられるならば、僕もまた、戦い続けられます。
がんばれ!まけるな!
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〔1月14日〕
Fさんへ。
今日は本当は2月9日です。
20時半に家に帰宅し、翌日6時にまた家をでます。
遅番、早番とつづくと、帰宅して短時間でまた仕事なので大変です。
早々に寝たけど、なかなか寝付けづ、こうしてPCを打っています。
君は、この時間、なにをしているのだろう…。
そんな事、急に、君に伝えたくなりました。
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〔1月15日〕
Fさんへ。
こないだ、そろそろ株でもやろうと思っていたら、安倍政権誕生で、相場がかわり、手控えた話を、書いたと思う。
このところの連日の、株価上昇のニュース、毎日見ています。
どうも、最近の様子はこういうことらしい。
ともかく、外国人の投資家が、東京市場に戻ってきていて、それが、連日の株価をおしあげている。
と、同時に、国内の日本人の一般投資家のほとんどは、この機をにがさず、持ち株を売り払って、利益を確定させているところだと言うのだ。先んじて株をやっている家の家族も、聞くと利益を確定させていた、結構な利ざやがとれたみたい。
つまり、現状においては、いままで株を持っていた人が、大量に売り払う局面であり、国内投資家が、積極的に買いをおこない、株価を上げているということではないらしい。
つまり、外国の状況しだいで、すぐに下落に転向するという、かなりリスキーな状況なのだ。
こういう場合、相場が「投機的」とか言うみたいだ、たぶん。
次の参院選まで、様子見をしようかとも思うけど、安定している株なら、長期保有めざして買ってもいいかもしれない。この耐貧の時代に適合したビジネスモデルを構築したところとか、いいのかもしれない。
そんなことを思いました。
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〔1月16日〕
Fさんへ。
今日は本当は2月10日です。
TVでグループホームの火災のニュースがやっていて、職場の誰もが話題にしていた。
なにか問題のあるグループホームなんじゃないのか?なんて話もでている、報道を見ている限りではわからないけど。
夜間、火災が起きたら?痴呆症の人を安全に誘導して避難させなきゃいけないわけで、想像すると…。
まあ、でも、人の役に立つ仕事がしたかったわけで、そういう意味では、この仕事はきらいではない。
可能な限り、ベストを尽くすだけです。
あきらめたら、なにも、生まれない。
そう、思います。
Fさんは、どう、思いますか?
君が、今も前を向き続けている姿を、想像するのは好きです。
がんばれ!
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〔1月17日〕
Fさんへ。
僕は鈍感な人間です、それは君もよく知るところだと思う。
最近気づいたことがある、職場でのことだ。
ようやく仕事に慣れ、周囲をよく見れる余裕ができたということかもしれない。
結論を最初に書くと、どーも、僕がこの職場に着たばかりの頃は、大学まで行ってこの人なにやってんだろう、と、思われていたらしい。
まあ、そうも思われなくも無いだろうと思ってはいたけど、僕の想像以上に。
僕は学歴で人を差別したくない、事実、東京で働いていた頃は、周囲は僕より高学歴の人間が多く、恐縮しまくっていたものだ。
時々感じる大学に行かなかった人の感覚、僕が思っていた以上のもののようで、そのへんにマイナスにはたらくものがあったみたい。
僕としては、こんなに要領の悪い僕が、必死こいて努力してつくった学歴。馬鹿でも努力すれば何とかなるもの、と誇らしく思っていたけど、周囲からみれば、なんでこんなに頭の悪い人が、自分より学歴が上なのか信じられない、という印象だったようだ。
まったく気がつかなかった。
まあ、だからといって、なにがどうこうするわけででもない。
僕は今までどうりの僕であり続ければ、いいわけだし。
2年近く経ち、ようやく周囲に受け入れられた?というか、僕と言う人間がどういう人間かある程度周知され、以前よりはやりやすくなった。
そんな事を考えていると、急に、君の事を思い出した。
君が高校時代、言った言葉だ。
「私があそんでばかりいると、思っているんでしょ」
君は部活中、突然そんなことを言った。
まったく思ってなかった、という顔をして、僕が途方にくれていると、君は急に我にかえり、恐縮したように、恥ずかしそうに、しかし憤慨したように、複雑な顔でうつむいて黙ってしまった。
君が遊んでいるとはおもわない。
ただ、当時の君も、周囲と自分のギャップに悩んでいたのだな、というのは理解できる。
今も君は戦っているのだろうか…。
無理に周囲にあわせて自分を殺すよりも、君らしくい続けるほうが、長い目で見れば、絶対楽だと、そう、君に伝えます。
負けないでほしい、がんばれ!
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〔1月18日〕
Fさんへ。
最近自分の名前を、ネット検索してみた。
すると、同姓同名の別人が、フェイスブックをやっていて、なんだか変な気分だ。
この場合、僕が仮にフェイスブックをはじめる場合、どうーなるのだろう?
本名でできるのかな?疑問です。
正直、ソーシャルネットワークは未知の世界です。よくわからない。
試しに、君の名前でフェイスブックの検索をしてみた。
上記で書いたとおり、ソーシャルネットワークは不慣れなので、ちゃんと検索できたのか自信は無いけど、どうやら、君の本名では、登録が無いみたい。Fさん、もし、始めたいなら今のうちです、いまなら、本名で一番乗りで登録できると思う。たぶん。
フェイスブックはいろいろ言われている。
アメリカでは、もう10代はフェイスブックに魅力を感じないで、同じような別のサービスを利用しているとか。でも、真相はわからない。結局、自分で見極めるしかない。いつか、やりたいものです、ソーシャルネットワークサービス。
(こんな事も思った、ではグーグルで、Fさんの名前(旧姓)を検索すると、どーなるのだろう?と。すると今、話題のアイドルグループの関係者として検索結果が出た。その人物のキャラクターは、たぶんだけど、君とは違う。君はもっとまじめな人だ。)
まじめな君は、周囲に受け入れられようと、がんばってしまう。
でも自分を大切にして生きて、いいんです。
ただ、今までそう言ってくれる人がいなかっただけだと思います。
負けないでほしい、がんばって。君は、君でいつづけていいんです。
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〔1月19日〕
Fさんへ。
最近僕がやっていることと言えば?
なにかというと…。
以前見た、と書いた映画「ライラの冒険 黄金の羅針盤」にすっかり影響されてしまい、現在製作中の漫画を一から作り直している、という事です。
東京時代とちがい、現在の製作スタンスは、ともかく納得いくものを作りこむとこに主眼が置かれていて、結果として評価がついてくるならまあいいか、ぐらいの感覚で作っているので、ここは、変えるべき点が見えたならば、躊躇せず変えようと思った。まあ、これで、また完成が遅くなるのだけれども。
ライラの冒険を見たことで、あらためて「V・プロップの魔法物語における31の機能」の見事さを痛感したのです。
そもそも、僕がこの概念をはじめて知ったのは、本屋時代、返本作業中に手にした、一冊の本にある。
せりか書房、という非常に知名度のない出版社のだしている「ギフト、再配達」という本だ。
この出版社、返本をうけつけないと言われていた。しかも一冊一冊が、他社より「高い」。
専門分野を研究している人が読むような文芸書をだしている?そう、記憶している。
なんだ、この本。
と思い、返本作業をとめて、ぺラペラと中をみて、この「31の機能」を知るにいたるわけだ。
本屋での返本作業。ときどき面白い本にめぐりあえて、面白かったと記憶している。
当時も、この「31の機能」で漫画を描いてみようと思ったが、頓挫したのを覚えている。
当時の僕では、使いこなさなかったのだ。
今なら?どうだろう…。
「ライラの冒険」を見て、急に思い立ってしまった。
以前、どこかに、現在の僕のストーリー構築方法を書いたと思う。
あの方法の利点は、無意識の自分に問いかけて、何が書きたいのか形にすることができる点だ。
この構築法は、当時はなかった。
けど、今は、ある。
その今、この「31の機能」に挑戦したら?どうなるのだろう?
と、急に思い立ったのだ。
以前は、真っ白な状態で。31の機能に挑んだ。
そのつどそのつど、ゼロから話をつくっていたから、ストーリーが無限に広がってしまい、収集がつかなかったことを記憶している。
けど、現在はプロットもシノプスもしっかりしている、ストーリーが破綻することは、ない。
たぶん、現在プロで活躍している人らが見たら、その年でやっと気づいたのか。とか言われるかもしれない。でも、僕は、たとえ亀のごときおそさであろうとも、あきらめずに前に進むことが好きです。
こないだ、職場でお雛様を描いてくれといわれた。一方は貼り絵で、もう一方はかきわりだ。
貼り絵のほうは、30分もかからずすらすら描けた。もちろん下書きなど無い。サインペンでいきなり書く。それなりのものが描けたと思う。
君と僕が一緒にいた頃の、僕の画力は、正直たいしたことなかった。
しかし、あれから、あきらめず努力して、それなりの画力を手にしている。
ストーリーつくりも、あきらめなければ、納得のいくレベルへ到達すると、僕は考えているのです。
今回、あたらしくストーリーを作り直してみた。
それまでの構築したものをベースにしているので、すらすらと作業が進み、破綻することなく、31の機能をつかってストーリーが構築できた。ほんとにできた、と自分の中で驚いている。あんなに当時、手こずったのがうそ見たいです。
高校時代、僕は君に言ったと思う。
たとえプロになれなくとも、年をとっても、たぶん、僕は漫画を描き続ける、と。
今も、あの時と同じ僕が、ここにいます。
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〔1月20日〕
Fさんへ。
やはりここ数日、地鳴り系の車の音がする気がする…、気のせいかな。
それも音が単調な気がする。
仮に、本当に“彼ら”ならば、1台か2台の車が巡回しているのかもしれない…。
僕は経験上知っています。
“彼ら”はおとなしくなっても、何年かたつと、再び牙をむくカルト集団であることを。
でなければ、人生で2回も“彼ら”の攻撃は受けないと思う。
“彼ら”はどうしょうもないカルト集団であることを、自らの行動で証明した。
動かすことのできない事実だ。
ともかく、“彼ら”と距離をとることは、大事なことです。
距離をとってないと、簡単に洗脳されてしまう。
気をつけてほしい。
油断していると、いつ、罠に落ちるかわからない。
負けないでほしい、がんばれ!
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〔1月21日〕
Fさんへ。
明日は夜勤です。
夜勤前は、夜明かしをして寝る時間を6時間ほど遅らせます。
仕事で疲れて帰ってきても、寝ることもできず、6時間ほど起きていないといけないわけです。
まあ、漫画を描くには好都合?
と、前向きに解釈しています。
以前書いた「31の機能」を使い、漫画を作り直した、というか、立て直したので、早速第一ページ目から描いているわけです。この6時間をつかって。正直眠いから、集中力は上がらない。
(集中できてなくても、そこそこの絵が描けるのは、長年の丹念の賜物です、以前の僕では、気分しだいで絵が変わってしまい、体調が悪いときは描けなかったが、今は、できる。馬鹿でも繰り返せば、上手くなるのだと、たしかに感じます)
しかし、先に書いたとおり、疲れた上に6時間無理して、寝る時間を遅らしている…。
(今、午前3時なのだが、遠くでダンプカーなのか、トラックなのか、エンジンの音が…、まあ、気のせいかな、僕の被害妄想ってことで、納得しようと思う)
まあ、そんな環境で絵を描いていると、時々気が散る。
気が散ったときは、我慢せず、ほかの事をしたほうが、長い目でみればストレスにならなくていいのだが、かといって、そんなことばかりしていると、漫画の製作スピードはおちるばかり。まるで受験生の気分です。
こういう時、未整理の動画ファイルの整理なんてものに手を出すと、いい気晴らしになったりする。
忘れていて、面白そうな話題に触れられる上に、未整理のフォルダが整理されてゆくからだ。
そんなことをしていると、こんな動画ファイルをみつけた。
NHKスペシャル。激動 トヨタピラミッド とかいうものだ。
みつけてこう、思った。
公共放送が私企業をこうまで批判して、いいのだろうか?と。
名前までだして、いいのかな?と。
でも、そんな懸念はどこへやら、いつもそうした報道はしている。
こんな事思った。
トヨタほどの大きな企業ならば、社会的責任というのが、存在する。
だから、批判にさらされても、巨大企業の責任の重さから、それは当然あるべきものだと、社会がその批判を受け入れているのだ。だから、だれも、NHKが一民間企業の成り行きを、公共放送であるにもかかわらず報道し、批判しても、誰もとがめないのだ。
“彼ら”は自分たちを批判するあいてすべてを、敵と見る。
敵は排除し、攻撃するものと考え、しかも考えただけでなく、実行までし、多くの被害者といらない被害を大量生産してきた。
その姿と、社会的責任を果たしているトヨタを見比べると、どうしても感じてしまう。
批判にさらされるのも、社会的責任の1つだ。
もちろん、おいしいところだけ独り占めすることしか考えない、カルト教団には、そんな理屈は通用しないが…。
Fさん、もし、君の周りに、責任回避ばかりに専念している人がいたら?
こう言って上げてください。
「カルト信者は責任って感じないのよね、きっと。そこから再教育しないと駄目なの?」と。
君が今も戦っていると言う前提で書きます。
負けないでほしい、がんばれ!
君が戦い続けられるならば、僕もまた戦い続けられます。
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〔1月22日〕
Fさんへ。
日本映画は苦手です…。
最近、こんな話をラジオで聞いた気がする。
以前、映画「南極物語」が大ヒットしたとき、制作費を出したのは、めずらしく映画会社ではなかった。
大手の旧財閥系の不動産ディベロッパー?とか、そんな感じの、普段、映画とはまったく関係ない会社だったと、そんな話だったようなきがする。
で、このスポンサーが、大ヒットで大もうけしたのに気をよくして、もう1本映画に出資したいという意向を、製作サイドにしめしたという。
で、いろんな企画がだされるのだが、どれにもokを出さなかった。
巨額の出資には、役員会の同意が必要で、なかなか同意がとれなかったのだ。
役員会は、確実に儲かる映画にしか、投資しない意向だったとか。
で、結局、役員会の顔色を伺う形で、もう一度南極物語と同じように、「犬」の映画なら、役員たちが承諾しそうだ、とかいう流れになり、「ドン松五郎の冒険」という映画ができたという。
この映画は、実は、犬が人間の話を全部理解しているが、してないふりをしていて、唯一一匹だけ、その犬たち共通の秘密をばらしてしまった犬の話だ。
この映画は当時のアイドル主演映画にしては、それなりに面白かったと記憶している。でも、当時、まだ小学生年少記だったと思う。
この時期見て、おもしろかったと記憶している映画を、今見返すと、実はつまらない、という思いをすることは、大人になってからよくある。
実際、この映画が言いか悪いかは、別として、ともかく、日本ではスポンサーの顔色を伺わないと映画が作れない。
そんなこともあり、ともかく「無難」な映画つくりをする傾向が強いです。とくに大作ほど。
(日本で自由な映画作りをするには、監督自身が、自分の名前を「ブランド化」するしかないと、ラジオでは説明されていた。かつて、それに成功していたのが「黒澤明」であり、現在は「北野武」や「宮崎駿」である。と説明されていた。)
なぜにこんな話をするのかというと?
昨日みた映画「山本五十六」という映画の影響です。
主演は役所広司、Fさん、僕らが高校時代くらいにヒットした映画「シャル・ウィ・ダンス?」で主役のサラリーマンを演じた人です。
この映画、冒頭のシーンはともかくいいです。
しかし、ラストがいまいち、そんな印象を思う。
冒頭、旧陸軍兵士の一団が、行進し、突然止まり、全員で銃をある建物に向ける。
建物からは、旧海軍の兵士が出てきて、陸軍の一団にどういうつもりだ!と罵声をあげる。
結局、陸軍は、威嚇しただけで去るのだが、建物内では、幹部ですら「いやー本当に撃つのかと思った」と冗談めかして言う。
この語、日独伊3国同盟に、海軍だけが反対していて、陸軍と対立している図式が説明され、状況説明がすんなりおわる演出だ。
じつに明快でわかりやすく、かつ大胆でおもしろい演出です。ああいうのは好きです。わかりやすい。
(さらに、さらっと、幕末からつづく薩長支配が昭和になっても続いているところとかが、描かれていて、歴史に詳しい人間もフォローしていてくれているところがにくいです。)
僕が理解する限りにおいては、大正時代や昭和初期は、まだ幕末で活躍していた人らが生き残っていた時代。
薩摩・長州勢力が、国権を握っていて、それが閉塞感につながっていた。
普通選挙はまだ行われていなく、投票権があるのは、国家にあるていど税金を納めたもののみ、という世界で、必然的に利権でもうけた薩摩・長州勢に有利にはたらく選挙だった?
と理解している…、でもこの時代、正直くわしくない。まだ勉強中なので、認識に間違いがあるかもしれない。
そうした薩長の支配を打破しようとしたのが、軍部であり、時間をかけて、政治力で薩長勢力の影響力を削っていった。
その結果どうなったかというと?薩長勢力の減退と入れ替わるように、軍部の政治力が増大し、最終的には、軍部の日本支配につながり、現役軍人が、軍人のまま総理大臣になるにいたる?
まあ、解釈はいろいろあるにせよ、現役軍人が国家の総理大臣では、海外からみれば、軍事独裁国家といわれても、仕方が無い状況だったわけで、言い訳のしようが無い状況だった。
先ほど書いた様に、僕はこの時代くわしくない。
だから映画「山本五十六」の主人公、山本五十六が、薩長派だったのか?非薩長派だったのか?正直しらない。
しかし、当時の軍人は、望まなくてもこの2大派閥の影響下に置かれていて、それが原因で、山本五十六は、自由に行動できなかったと、そう、現在の僕は理解しています。
この映画、見ていて、現在の原子力政策と、ダブって見える。
どーみても、科学的な見地では、原発は危険なのに、利害関係や政治圧力で、危険なものを、危険でないと説明する人々が、今の主流だ。
間違っていることが、間違ってないとされる現状の、おかしさ、というか、こういう空気。
いま、まさにリアルタイムに流れる現在の日本の空気だ。
(僕の原発にたいする考えはこうです。危険なものは素直に危険と認め、どうしたら危険度を減らせるか?に焦点を絞るほうが、建設的だし、現実的だ。)
映画「山本五十六」では、「どう考えても」勝てないアメリカと「戦争したい世論」が、長年の日本の主流。
戦うことの危険さを、危険でないと説明する人々が多い。
理由は、戦争になれば好景気になり、皆が楽できると考えているからだ。
当時は日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦と、3回続いた戦争による特需で、日本経済が発達した時代。ちょうど世界恐慌がおきて、日本全体の経済が冷え込んでいるので、多くの日本人は「また戦争でもおこれば景気がよくなる、ちょうどアメリカが最近うるさいことを言っている、いっちょ戦争してしまえ!」という風潮だったらしい。
今まさに原発を危険でないとする風潮を作り出す風潮ににている。
政治的な圧力で捻じ曲げられ、長年アメリカとの戦争に反対していた「山本五十六」。
が、その「山本五十六」自身が、アメリカとの戦争をはじめる役回りになってしまう、という皮肉な歴史を描いている。まあ、皮肉だけど事実だから仕方が無い。
彼は国の方針が間違っていることを承知で、引き受ける。
たぶん、前述したとおり、政治的なしがらみから、自由にうごけなかったんだろう。
映画でも、せっかく立てた作戦が、政治的な問題などでうまくいかず、結果として負けるのに、新聞が大勝利と宣伝し、有名人になる様子が書かれている。
歴史に詳しい人間なら、当時の日本海軍の最高司令長官が、飛行機で前線を視察中、アメリカ軍の飛行機に撃ち落され、亡くなったことは、説明するまでも無いくらい、有名な話だ。
山本五十六司令長官の乗る、百式司偵(=司令部専用の高性能偵察機)が、ブーゲンビル島上空で、アメリカのサンダーボルト編隊に攻撃され、撃墜されたのは有名です。
(間違えました。「サンダーボルト」ではない。「ライトニング」だ。当時ジェット機を除いては世界最速の部類に入る「ライトニング」は、その最高速を活かした「一撃離脱」戦法を得意とした。だから、あっという間にあらわれ、気がついたときには消え去ってしまう。それが「ライトニング」の戦い方なんだけど、映画では護衛のゼロ戦と空中戦をしている…。あっという間に消えるから、空中戦にはならないはずなんだけど…。仮にライトニングとゼロ戦が空中戦をやったら、ライトニングは負けてしまう。低速ではライトニングはにぶい動きしかできないはずだ。映画としてはラストを盛り上げるため、空中戦は必要かもしれないが、普通に考えると、そんなことはおきないと思うのだけど、どうなのだろう)
こんな事を思う。
この歴史を知らない場合、映画は、唐突に終わる印象を持つと思う。
最初、歴史をしらない人でも、わかりやすく映画に入り込める、いい演出がされていたのに、最後に来て、歴史を知らない人を、おいてけぼりにしているようで、なんだが納得しなかった。
映画「ジョーズ」や映画「鳥」、あるいは映画「ビーチ」といった作品では、大衆や集団になった人間の愚かな行動が描かれ、一人ひとりは、懸命で聡明なのに、どうして集団になると、結果として人は愚かしい行動をとるのか?という矛盾がかかれていた。
この映画「山本五十六」でも、そういう演出をすれば、もっといい作品になったとおもうけど、そういうところはあまり突っ込んで表現されていない。たぶん、やればできるはずだけど、してない。
また、映画「プライベート・ライアン」や映画「プラトーン」なんかで見られるような、スペクタクル要素も無い。
戦闘シーンや、被害の様子をこれでもかと追求し、リアルに描けば、戦争の悲惨さが前面に出て、作品としての質が上がるのだが、そういうところも無い。
映画のラスト、焼け野原となった東京を、元新聞記者の兵士が帰国して眺めるカットがあるのだが、とても違和感のあるシーンになっている。
現実の世界では、津波により瓦礫と化した町を、たくさんTVでみた。
あれと同じくらい、悲惨な様子なはずなのに、CGで表現された、焦土と化した東京は、絵画のようにきれいに表現されていて、悲惨さはちっとも伝わってこない。
日本のCG技術の限界といってしまえばそれまでだが、もっとやればできたように感じる。
根拠は無いが、この映画。高齢者世代を、ターゲットにしている?と思う。
だから、表現をマイルドにして、昔を懐かしむ「郷愁感」を前面に出しているのだと思う。
それはそれで否定はしないが…。しかし、それでいいのか?という思いが、ふつふつと、わいてきます。
先の原発問題にしてもそうだけど、日本人は、戦争からなにも学んでいない。
人間は、歴史を振り返り、そこから学ぶ生き物だと僕は考える。
古いことは、忘れるのではなく、明日への「糧」とするのが、正しい、人の生き方と、僕は考えます。
Fさん。彼らは昔のことは忘れろと言うだろう。
辛ければ忘れることは正しい。
しかし、過去から学ぶために、忘れてはいけないこともある。
自分が、前に進むために、何を忘れ、何を記憶に留めるかは、自分自身で選択して決めていいのだと思う。
なんでもかんでも忘れるよう、“彼ら”は強要するのだろうか?
もしそんな馬鹿がいたら?こう言ってあげてください。
「私がそうしたほうが、あなたには都合がいいのかもね、でもそれはあなたの都合であって、私の想いとは限らないわ」と。
人は自分の心と、真正面から向き合っていいんです。
負けないでほしい、がんばれ!
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〔1月23日〕
Fさんへ。
最近、契約更新がありました。またあと1年は働けるみたいです。
この仕事、3年経つと介護福祉士の資格がとれるみたい。
まあ、まだ時間はたっぷりあるから、時間をかけて検討します。
個人的には、介護機器の製造販売に関係した仕事にも、最近興味がある。
実際働いていて、こういうのあったらいいのに、と感じることは多々あります。
この先、介護の分野は、ますます需要がふえるから、いろんな選択肢を視野にいれるのも、ありなのかもしれない…。
まあ、そんなことも思えるくらい、少し仕事に余裕が出てきたみたいです。
でも、まあ、今は、生活の建て直しが第一で、仕事をしながら漫画を描ける日常を構築するほうが優先事項です。
そして、僕なりの普通を貫きながら、君を待つ。
それが、今の僕の一番、やらなければいけないことで、その他のことは、まだ、それほど優先順位は高くない。
最近、また異動があり、違うフロアに移った。
なにか条件に変化が生じたのか、わからないが、以前よりは仕事をしやすい環境です。
でも1人だけ、“彼ら”の攻撃が激しかった頃と、態度がかわらない男性がいる。
以前、この小説内でも書いたと思う。3年東京で観察した人物と、同じ態度をとる人だ。
契約更新の際、こうその人物はどう?と言われた。
どうも、僕以外の新しく入った人にも、辛く当たり、問題になっているらしい。
この人は、基準は不明だが、特定の条件をみたす人物にだけ、露骨に態度を変えるカメレオンのような人だ。あまりの変わりように、見ていて気持ち悪くなってくるレベルです。Fさん、僕は、人の悪口はいわない性格だけど、その僕が気持ち悪いと言うと言うことは?それは相当なレベルだと思っていいです。
施設の責任者も、あの人いい人なんだけど、どうしてだろう。と悩んでいた。
周りが大人にならないとだめかー、とも言っていた。
この人は“彼ら”なのだうか?
わからないが、先にも触れたように、僕が3年東京で観察した人に、態度がものすごく酷似している。違いがあるとすれば、キャリアこそ違え、法的には同じヒラのヘルパーだと言うことだ。変なことを言ったら受け流せる。特に最近は周囲も認知しているから、僕がその人を受け流しても、よほどひどくない限り大丈夫そうだ。東京で3年観察したひとは、専務だった。この違いはでかい。
仮説も基づいて広げると、こういう推測もできなくはない。
この人が“彼ら”だとすると?
組織内の人間としか、口をきけない体質になっているのかもしれない。
組織外の人間には例外なく悪態をつくよう、50年以上教育されて、その洗脳からぬけだせない?というか、抜け出す方法もわからないし、抜け出す必要性を感じず生活している?という可能性すらある。
仮説をもとに、もうすこし突っ込んで推測を展開する。
この人の日ごろの言動、他の仲良くしている人との何気ない雑談から推測すると、この人はかなりのギャンブラーだ。競馬にパチンコ、宝くじに万単位の投資をしているみたい。“彼ら”的にまじめな“彼ら”ならば、財務するところを、自分のために使っているようだ。組織内でのステータスは低いという推測もできなくはない。
まあ、仮説であり、妄想だし、正直、この人に興味は無いのだけど。
1つだけ、見逃せない可能性がある。
仮説がある程度正しいとするならば?
この人から、いやな思いを日常的に感じている人は、“彼ら”である可能性が低いのかもしれない。
正直、この人がどんな基準で、人を分けているのか?一般常識では判読できない。
傾向として若い女性と、自分よりえらい人には笑顔を振りまくが、そうでない人には、いつもけんか腰、という感じだが、必ずしもそうでなく、若い女性でも「あの人いつもそうですよ」とか、不満を口にする人もいるし。若い男でも仲良くしている人もいるみたいだ。
この不可解な行動。
もし、“彼ら”と“そうでない人”という線引きで、態度を変えていると考えると、ある程度の納得がいかなくもないのだけど、どーなんかな?わかんないけど。もちろん、偉い人に対しては、“彼ら”のメンバーかどうかは関係なく、頭をさげるのだろう。
この人の行動を観察すれば?
職場の誰が、そう、であり、だれが、そうでないのかが、一目瞭然かもしれない。
そのくらい、露骨に態度をかえるからだ。
まるでリトマス試験紙のごとく。
まあ、結論はださず、保留して観察します。
過去の経験から、それがベストであることは知っている。
“彼ら”と相対するときは、観察を繰り返し、断片を集めて、欠けた情報を補うよう努力するのが一番だ。断片をあつめて文脈を読み解く、という方法が、物事を見極める最善の方法です。以前にも書いたとおり、なにか納得できない状況が生まれた際には、必ず自分が知りえない「欠落した断片」というのが、存在するものです。
僕は、君の気持ちに気づくのに17年かかった。
どうしても、欠けた断片にたどり着けなかったからだ。
しかし、今は違う。
真実に気づいた今、僕は、どうしても君に言わなければいけない言葉がある。
できることならば、直接、君に伝えたい。
そんな未来が来ることを、ともかく、信じて、待とうと思う。
君が戦い続けられるならば、僕もまた、戦い続けられます。
負けないでほしい、がんばれ!
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〔1月24日〕
Fさんへ。
最近、僕が何をしているかというと?
今日は仕事がら義務付けられている?定期健診に行ってきた。
バリウムは大嫌いです。
でも今回は前回ほど気持ち悪くならなかった。不思議なものです。
最近、カロリーメイトを意識して食べている。
人にはいろいろ言われるが、これを食べていると、なぜだか体調はいい。
不足した栄養素が補充できるからだろうか?
そんなせいもあるのかどうか不明だけど、今回のバリウム検査は、さほど気持ち悪くならなかった…。
最近、意識してジャズを聞くようにしています。
以前買ったタブレットで、インターネットラジオからジャズが聞き放題であることに気づいた。
これ、よくわからない。ストリーミング放送とかいうやつなのだろうか?
とにかく、海外の音楽配信が無料で聞ける。
まるで有線放送みたい。実際、現実に有線放送の会社は困ってないのだろうか?こんなの無料でやられては。
タブレットでは、放送中の曲を、そのまま購入できるらしい。
ためしに、やってみると、ユーロで決済するサイトに飛ぶ。
クレジット決済だから、そのまま手続きすれば、本当に買えるようだ。
思わず、今、1ユーロいくらだろう?などと考えてしまった。
ユーロで決済ということは、このシステムのメインユーザーは、ヨーロッパの人々なんだろうと思う。
…いや、日本には日本のがあるのかな?
本当、時代は確実に動いていて、変わってきています。
過去の常識だけでは、対応できない時代に、たしかに変わってきている。
音楽の聴き方1つとってみても、そう、感じます。
最近は「Dinner Jazz Excursion Radio」という放送局の放送が気に入っています。
そうそう、こういう曲聴きたかったんだ、というのを、連続していろいろ流してくれている。
Jazzは好きだけど、どこから入ればいいのかわからず、苦労していたジャンルです。
これで、自分の好きな曲をいろいろ聴けるようになればいいなと、思っています。
今日は「Buck Hill」という人の曲を中心に、PCで集めてみた。
最初はグループ名かと思ったけど、どうやらサックス奏者みたい。
たぶん有名人なんだとおもうけど、よくわからない。
僕らが高校時代だったら?
高いお金はらってCDを聴くしかなかったわけで、予備知識ゼロでは、定番の曲のCDしか選択できない状況で、なんかこの曲じゃないんだよなー、とJazzから離れていった記憶がある。
今は、情報化社会で、ピンポイントで自分の好みの曲を調べられるし、入手できる。
本当、時代は変わったものです。
Fさんは、最近どんな曲を聴いていますか?
いつか、そんな、たわいもない会話ができたら楽しいな、などと思ったりもします。
負けないでほしい、がんばれ!
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〔1月25日〕
Fさんへ。
最近こんな事を思った、TVのニュースでまた間違った報道をしてるなー、というやつ。
ささいな間違いなんだけど、実に気になる。
F-35というアメリカの新型戦闘機が、エンジンに亀裂が入って…、とかいうニュース。
ここまではいい。
でもその後、自衛隊が導入を検討しているものと、同型とある。
と、同時に、F-35“B型”の映像が出る。
ついつい、航空機ファンの僕は、こう、突っ込みたくなる。
自衛隊が導入を検討しているのは“B型”じゃないぞ、“A型”だぞ、と。
“B型”は、ハリアーの後継機を探していた海兵隊仕様機。
一方、“A型”は地上攻撃機の後継機種を探していた陸軍仕様機。
前者は「空中浮遊」ができるのに対して、後者は「できない」。
だけど、映像では、空中浮遊している“B型”ばかりだ。
まあ、どうでもいいといえば、それまでだが、不正確なニュースだから、関係者は困るだろうな、と思う。世の中には、不正確な情報がまかり通ることはよくある。
“彼ら”はあいまいで、不正確な情報に踊らされる傾向が強い。
で、こんな事を思った。
君が、今も戦っていると言う前提で書きます。
今でも、ごちゃごちゃ言う第三者が、君を攻め立てるようならば?
こう言い返せばいい。
「あなたは、実に不正確な情報をもとに、踊らされている。そんなあなたに、私の人生が理解できるとは、到底思えないわ」と。
いつかの未来のためにも、がんばれ!負けるな!
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〔1月26日〕
Fさんへ。
明日は夜勤です、と言うわけで、今、睡眠時間をずらして夜明かしをしています。
以前も書いたとおり、僕は気持ちのスイッチを切り替えるのが苦手だ。
特に、緊張を解くのが下手だったりする。
君も、そういうところ、無いだろうか?
緊張状態が数日もつづくと、心が参って来る事はよくあります。
いしきして、自分の心をメンテナンスしないといけない。
自分なりのメンタルコントロール法があると、ないとでは、だいぶ違います。
君が今も戦っていると言う前提で書きます。
リラックスして、自分を取り戻してほしい。
“彼ら”は対象を24時間威圧して、ずっと緊張状態にするという方法で、君の心の均衡を破壊しようと過去(あるいは今も)してきたことと思う。
君があの優しい笑顔でいてくれることを、ともかく、心配している。ということを、君に伝えたいです。
神社で会うと、なぜかお互い緊張が解けた。
あの不思議な感覚はなんだったのか、いつか、話せる日がくればうれしいです。
負けないでほしい、がんばれ!
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〔1月27日〕
Fさんへ。
昨日は夜勤でした。違うフロアーに移っての夜勤は、神経を使います。慣れてないから。
夜勤明け、帰りの車でジャズを聴いてみた。
以前書いたとおり、最近ジャズを聴くようにしている。
帰り道は昼間だ。
夜勤明けとはいえ、平日の昼間自由時間があると言うのは、嫌いではない。
そんなことを思いつつジャズを聴いていると違和感が…。
あれは、明るいところで聞くと、魅力が半減します。
やはりジャズは薄暗くなってから聴かないと、雰囲気が出ない…。
そんな事思いました。
ロックはジャズから発展したと言われている。
ロックンロールと言う言葉自体も、元々は黒人の卑猥な隠語であったと言われている。
案外、昔の人も、昼間にジャズは似合わないと感じて、ジャズをロックに進化させたのだろうか?
たしかにロックの方が、太陽の下で聞くには雰囲気が合う。
こんな事も思う。
“彼ら”は教えは万能とうそめいて、生活のすべてにそれが影響する、と言うかもしれない。
でも、案外、宗教が役立つ側面は、人生のごく一部であり、時と場合によっては、むしろ宗教が邪魔な場合もあるように思う。
実際、キリスト教でがんじがらめに生活することを強要されていた、中世のヨーロッパは文明の停滞期だった。
時と場所を選ばず、すべてが万事宗教優先は、この世の真理ではないと僕は思います。
宗教には意味はある。でも万能じゃない。
暗示の力は恐ろしいものです。
真実かどうかは不明だが、このところ、外の音をうるさく感じる。
実際うるさいのかどうかはわからないが、こういう感覚に陥るよう、暗示にかけられたのは事実。
油断していると、暗示が再発するのかもしれない。
(高校時代、夜間「金縛り」にかかるときは、ラジオを聴きながら寝ると、どーいう訳か金縛りに「かからず」寝られるという経験がある。真偽不明だが、外からの音が金縛りを誘発していたという推測もなりたつ)
僕ですらこうなのだ、君は生まれた時からその環境で暮らしていた。
相当強力な暗示にかかっている可能性も高い。
距離をとっていても、暗示が再発する可能性も、否定できない。
負けないでほしい、君は自分が思っている以上に、強い女の子です。
君ががんばり続けられるならば、僕もまたがんばり続けられます。
いつかの未来を信じて、君の行動にかけます。がんばれ!
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〔1月28日〕
Fさんへ。
最近こんな映画を見ました。
「マーガレット・サッチャー」です。
一般的には、メリル・ストリープという有名な女優さんが、マーガレット・サッチャーを好演したことで有名な映画だ。
メリル・ストリープには詳しくない。
だいぶ前、たまたまTVでみた「ソフィーの選択」という反ナチス映画の主役だったということと、「A.I」という映画で母親役をやった人くらいしか知らない。
映画「マーガレット・サッチャー」は、今現在認知症になっている母親であり、元イギリス首相を見守る娘の立場でかかれた話だ。
詳しくは無いが実話らしい。原作本があるのかもしれない。
この小説でもサッチャー首相の話は書いたと思う。
イギリスで経済改革を行い、スタグフレーション問題を、シカゴ学派の理論を用いて解決した人だ。
当時、反対勢力をものともしない、その姿は、鉄の女と称された。
映画内では、もともと鉄の女という名称は、交渉相手として手ごわいサッチャーに対して、ソ連がつけたあだ名として紹介されているが、その名称は一人歩きし、彼女の代名詞になったようだ。
この映画は、彼女の人生録ではない。
あくまで、認知症の母親を持つ、娘の目線でかかれている。
そこをベースに、脚色で回想シーンをつけたした構成のようだ。たぶん。
だから、彼女の人生学びたいと思う人が見たら、目的を果たせないと思う。
マーガレット・サッチャーなる人物が、どういう人か?というのをある程度知らないと、意味がわからない。
もしくは、20世紀末のイギリス現代史に詳しくないと、理解できない作品だ。
(イギリス人でその時代を生きた人なら問題ないが、そうでないと、見ていて理解が難しい映画だと思う)
印象的なシーンは、フォークランド紛争のシーン。
今まで、一歩もひくことがない彼女は、皆が反対する中、戦争を決断する。
と、同時に、晩年。
ある日突然彼女は、夫の遺品を自ら全部処分してしまう。
本人の心中は実際には不明だが、上記のように、敵に対して一歩もひかなかった彼女。
彼女は彼女なりに、現実を受け入れて、逃げない選択をしたのだろうと、そんな描写で映画は締めくくられていた。
このラストを際立たせる意図なのか?
それとも実話なのか不明だが、今は亡き夫と空想の中で会話する、認知症のサッチャーの姿がしつこいくらい描かれていて、映画全体のほとんどを占めている。
夫は、逃げずに戦う妻を愛していた。
その愛する夫の思いに報いるためにも、彼女は遺品を整理し、現実と戦う決意をしたのだ、的な終わり方をする。
それがいいことなのか悪いことなのか、わからない。
ただ、鉄の女サッチャー「らしい」と言えば、確かに「らしい」。
そして彼女の亡き夫もサッチャーには永遠にサッチャーらしくいてほしかったと思う。
正しいかどうかはわからないが、少なくとも2人の間では、それが「正解」だったのだろう。
そんな風に感じた。
こういう感覚は、別の最近みた映画でも感じた。
SF作品の、映画「プロメテウス」だ。
映画としては、映画「エイリアン」の世界観を踏襲したものだ。
「エイリアン」がSF風味のホラーであったのに対して、「プロメテウス」はSF小説のような味付けだった。
ぞくぞくする恐怖感はない。SF特有の人知を超えた世界を体感するという方向性で作品が仕上げられている。
SFファンとしてはうれしい限りです。
この作品も、亡き最愛のパートナーが望んだように生きるのだと、途中心のおれたヒロインが復活し、ラストまで生き延びた上で、地球に帰れるにもかかわらず、彼が望んだように異星人の星へ出発して終わる。
他人の想いを引き継いで、人は強くなれる。
…という事なのだろうか?
まったく違うテイストの作品で、同じような感想を抱いてしまいました。
最近はこういう作品が、人々に支持されているのだろうか?
Fさんは、どう思いますか?
君が今も戦っているという前提で書きます。
なにかごちゃごちゃ言われたら?こういえばいい。
「あなた、結婚のために何桁?財務したの?」と。
さらにごちゃごちゃ言われたら?
こう言えばいい。
「世の中には題目と財務だけでは乗り切れない事が、いくらでもあるのよ、いい加減大人になりなさい」とか、
「「ありがとう、別れてくれて」って言える日を信じているわ」と。
そう繰り返し言い続ければ、そういう空気を作れると思う。
君を信じて待ちます。
昼真っから何時間も座り込んで一心不乱に祈ったり、夜な夜な意味のない集まりに出かけて行ったり、
そんなことで幸せなんか手に入るわけないです。
がんばれ!まけるな!
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Fさんへ。僕には夢があります。
休みの日、ささやかな小旅行をすることです。
2日で行って帰ってこれるような…。
各地の史跡をめぐるのもいい、三重県だったかな…、忍者村もいいかもしれない。
京都にもなんどか行ってみたい。
瀬戸内海のどこだかわすれたけど、島全体が美術館という場所もあった。
え?なんで行かないのか?
それは、いつか誰かと行きたいからです。
この小説にも、以前書いたと思う、僕は、楽しみは後にとってある、と。
(意地の悪いやつは、それは負け惜しみだとか言うだろうが、言わせておけばいい。根性の曲がったやつは永久にまがったままだ)
実際に行くのが面倒な日は、計画をたてるだけでも楽しいものです。
過去にこんなことがありました。
ものすごく好きな女の子と映画に行くことになり、その日をどうすごそうかいろいろ考えたことです。
そういう時間、なんだかワクワクして楽しく過ごせるものです。
僕は夢があります。
…こんなことを書いていたら、こんなイメージが頭に浮かんだ。
Fさんと一緒のときは、大概、僕が一方的にしゃべり続け、君はちょこんとすわって、じっと僕をみつめて話を聞き、ときおり相槌をうったりうなずいたり、そんな感じだった。
僕は、君の表情をみて、今楽しんでるのか、そうでないのかをうかがいながら、可能な限り、君が笑顔でい続けられるように、話題をはこんだ。とにかく、君の笑顔がみたくてみたくてしかたがなかったからだ。
僕には、夢があります。
もういちど、あの時間を、取り戻すことです。
きみがどきどきするような感覚を、今でも身近に感じられるならば、それは僕が一番望むことです。
いつか君と再会するとき、僕はとどめをさされるのか、それとも最高のしあわせをてにするのか、その中間か、先のことはわからない。とにかくまとうと思う。いまはFさんの都合が悪いだけだ、なにかしら決着を見て、その上でいろいろな都合が一通りついて、もう妨げる理由が何一つなくなったとき、君は行動に移すと信じています。Fさんが時間をかけて慎重に決断を下すことは、よくわかっています。
わがままでごめん。いつかの未来を信じて待たせてください。
朝の6時から10時の仕事の日、僕はかならずコンビニによる。
(最近は就業後も頻繁によります。時間はまちまちだけど、だいたい16時すぎから21時過ぎ位の間です。仮に再会するなら?就業後のこの時間帯に会った方が、ゆっくり話ができる…)
東○の工場の西側すぐのとこにあるコンビニだ。
あの夏祭りの日、2人で別れたあのT字路のすぐそこにある、当時はなかったコンビニ。
「一週間」も「朝6時から10時」まで、そのコンビニの駐車場にいると、ほぼまちがいなく一度は僕を見るだろう。
(そして肝心な事に、僕はあまり日課を変えない)
(東京でも、ほぼ同じ日課を繰り返していたからこそ、“彼ら”の総攻撃時、変化に気づけた)
(仮にすれ違って、僕が君に気づかなくても、気にせず声をかけてほしい)
もし君が僕の前に姿を現すとしたら?きっと、僕のまったく予想もしないような方法で現れるように思う。とにかく、待とうと決めたのだ。君を待とうと思う。奇跡を信じて。
(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)
〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください




