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第50話 語らずとも、君の気持ちに気づける努力をしたい

〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください

(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)


〔9月27日(火)「仮に、再会し、君が何も語らずとも、一生懸命君の気持ちに気づける努力をしたい」〕


 今、冷静になって思う事もある。

 Fさんは、他の女の子よりまじめな子だ。

 自分ではそうでもない、と思うかもしれないが。

 しかし、不良と呼ばれる類の人とは対極の位置に、いる人であると思う。


 そんな君が、学校を意識的にサボる行為をする。

 その事実には、意味があるように感じなくもない。


 学校をサボる以上の“なにか”があり、そういう気分になったのか?



 以前、この小説内でも書いた。

 あれは高校3年の、2人が急接近した後の会話。

 2人で下校している時、ある道に差し掛かって僕は言った。

 1年前、君そっくりの女の子をここで見た、と。

 朝、自転車で、登校していると、一本道の前方を女の子が自転車に乗っている。

 Fさんだと思った、すると、その子は途中で学校とは反対方向へ行ってしまった。

 その時間、反対方向へ行ったら、間違いなく遅刻になる。

 だから、その時は、よく似た別人と思った。


 その事を1年たち君に話すと、君は顔を真っ赤にして言った。

「それ、私。」そしてこうも言った「見られてるなんて思わなかった…」


 たぶん、まじめなFさんにとって学校をサボるのは、一大決心だったのだろう。

 それだけの思いにさせた、何かが、当時あったのだろうか?

 まじめな子に、そんな思いをさせる何かが。


 …考えすぎ?


 いつか、考えすぎなのか、それとも違うのか。確かめられたら…そう思います。

 心配しています。


 

 こうも思う、再会しても、君は何も語らないかもしれない。

 君は、しゃべらずとも、察してほしいと考える人だ。

 

 仮に、再会し、君が何も語らずとも、一生懸命君の気持ちに気づける努力をしたい。

 そんな事を思った。

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〔9月28日(水)「工夫して言い方(声かけ)を変えると、違うかもしれない」〕


 現在、介護の仕事をしている事は、以前書いた。

 この仕事、最近は、こう考える。

 もし、この利用者さんが、家で1人暮らしをしていたら?


 転倒しても、発見されるまで何日もかかるかもしれない。

 転倒を防ぐ人もいない。


 食事も何日も平気でとらないかもしれないし、風呂も着替えもしないかもしれない。


 たとえ、本人がやる気がなくとも、声かけで、促して、入浴や食事をしてもらったほうが、人らしい生活が出来る。


 けど、例えば入浴。

 本人が嫌がるものを、無理やり入れる事は、ご法度だ。

 病院などでは、健康のため無理やりにでも入れる事が、あるかもしれないが、介護の世界ではない。

 基本、本人の意思だ。


 だから、声かけを工夫する。

「お風呂に行きましょう」

 では、めんどくさがって行きたくない人も。

「ちょっと、一緒に行きましょう」

 では来てくれたりする。

「立ち上がりましょう」

 と言って立ち上がってもらい、その後、お風呂まで、誘導する事もできる。


 なにが言いたいのか?というと。

 もし、仮に、君が今も戦っているという前提で書くならばだけど。

 最初から「離婚届けにハンコをおして」と言うと拒絶されるかもしれない。

 けど「ちょっとハンコがほしいんだけど」と声をかけると、意外といけるかもしれない。

 もしくは「名前を貸してほしいの、あなたの名前じゃないとダメなのよ」と声をかけてもいいかもしれない。


 最初からストレートに言うと、何回繰り返してもダメだが、

 

 工夫して言い方(声かけ)を変えると、違うかもしれない。


 そんなバカな、と思うかもしれないが。

 今の介護の仕事をしていて、そう感じた。



 健常者とて、認知の人とて、基本同じ人間だ。まったく同じ手段が通じるとは思わないが、頑固な人を突き崩すヒントになるかもしれない。

 そんな事を、漠然と思いました。

 何が役に立つか判らないので、一応書きました。もし、なにかしらの実用的なアプローチへのヒントに繋がれば、幸いです。

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〔9月29日(木)「あらゆる可能性を捨てずに、チャレンジしてみようと思う」〕


 今日は本当は10月1日土曜日です、少し日付的に遅れています、まあ、頑張って追いつきます。

 明日は夜勤で16時間労働、明けるのは月曜日の午前中になる。

 で、ちょっと挑戦してみたいことがあります。

 この10月3日の日、夜勤明けだけど、サントムーン柿田川のモスバーガーで読書をしようと思う。

 12時(=正午)くらいまで。

 夜勤明けで眠いけど、ちょっとチャレンジしてみようと思う。

 はたして、僕はこの日、指定した時間までモスで本を読み続けられるだろうか?

 夜勤明けは神経が全開になってて意外と寝なくても平気なことが多いので、ちょっと挑戦してみます。


 決して待ってる訳ではないです。たまたま、そこでチャレンジしたいなと思っただけです。

 でも時々、こういうチャレンジを不定期にやろうと思う…。

 何しろ最近、本を読むペースががた落ちしている。

 何しろ、今の仕事は昼休みすら読書できるような環境ではない。

 東京での本屋時代は、結構なペースで読んでいた。

 昼休み、まるまる1時間、週5で読んでいたからだ。

 このままではせっかくの読書習慣がすたれてしまいかねない。

 そこで、ちょっと無理してでも、仕事おわり読もうと思う。

 いつ、どのタイミングが読書に最適かよく判らないので、いろいろ時間をかえて読もうと思う。


 うん、そう、これは待ち合わせでは決してありません。

 僕の単なる読書チャレンジなのです。

 もし君が僕の前に姿を現すとしたら?きっと、僕のまったく予想もしないような方法で現れるように思う。過去の記憶からそんな事も思います。

 まあ、気長にまちます。待つと決めたのだから。

 でもあらゆる可能性を捨てずに、チャレンジしてみようと思う。


 もし“彼ら”が見ていたら?間抜けに見られるだろう…

 でもこんな事を思い出す。

 あれは2回目の破局を向え、もう神社での密会もなくなった冬の日。

 僕は君に手紙を送った、駅の南口で待っている、と書いて。

 当日、結局君は来なかったのだが、後日、君からこんな話を聞いた。

「k君が、いたの見た人がいたの」と。笑顔で、本当にいてくれたんだ、という感じで。嬉しそうに。

 多分、当時僕を監視していた人からの話が、間接的に伝わったのだろう。


 仮に“彼ら”が見ていて、間抜けに見られようとも、それが間接的に君に伝わり、笑顔に繋がるなら、いくら間抜けに見られようと、僕は平気です。

 君のためなら、どんな屈辱もなんともない、そう、君に伝えます。


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〔9月30日(金)「言わなかったから、自分が責任を感じる、という「理屈は」間違っている」〕


 今も、外で変な走り方をするバイクをみた。

 1、2回不必要に多くエンジンをふかすのだ。

 偶然かな?まあ、どうでもいい、肝心な事は、惑わされない強い意思です。


 前回の記述のあと、不良系の若い連中がヤンキーすわりで駐車場にたむろしているのを見た。

 職場でのはなしだ、他の人も何あれと見ていた、珍しい光景なのだろう。

 そういう世界のファッションには疎いが、まるで20~30年前の私服の演歌歌手か、私服の野球選手のような、ヤクザっぽい格好に見えた。一昔前ならそういう連中はよくいたが、いまや少数派。ある意味ヤクザコスチュームプレイに見えなくもない。(僕がコスプレに批判的な事は、前々から書いている通りです、書いてないかな…、まあ、そんな事はこの際重要な事ではない)

 Fさんへ、こんな話を聞いた。

 年間で何十件とある児童虐待の通報。

 しかし、虐待されている児童本人から、直接通報されたのは、まったくないといっていいらしい。


 言わなかったから、自分が責任を感じる、という「理屈は」間違っている。

 

 上記のそれと一概に単純比較はできないかもしれないけど、もし、君らしく生きたいのなら?

 言っていい事は、確かにあるみたいです。


 外出すると、無言のプレッシャーをかけてくるのが“彼ら”のお馴染みの手段です。

 そういう連中にであったら、こう念じてください「殴れるものなら、殴ってみろ、捕まるのはお前らだ」と。

 ちなみに、先に書いた連中の車のナンバーは、ちゃんと控えてあります。

 …でも肝心な事は、彼らを改心させる事ではない。

 肝心な事は他にある、惑わされてはいけません。

 “そこ”が一番肝心です。

 もし、ゆずれない“何か”が今もあるなら、大切にしていいんです。


 …このイメージ、上手く君に伝われば嬉しいです。

 “彼ら”は脅せば相手が折れると、本気で思い込んでいる。

 そうではないところを、見せてやれば、結果はどうあれ、君らしく生きられる。


 肝心な事は、惑わされない強い意思です。

 がんばれ!

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〔10月1日(土)「君が自分を立て直して、「前」を向き続ける姿を、想像するのは好きです」〕


 最近、読書習慣を取り戻そうとしている事は、以前書いた。

 前回のそれは、なんとか実行しました…。相当眠かったけど。

 半分寝ながら読んでいました、でも、こういう経験は東京でもしている。

 本を持つ手が、眠気でふいに落ちる感覚は、実に久しぶりだった。

 読んだ本は、どんな形であれ、必ず自分の脳の筋肉になります。

 

 今月はついに10月、11月の契約更新は無いと、個人的には踏んでいる。

 でもギリギリまでがんばります。結果はどうあれ、手を抜いた行為の上の「結果」と、頑張った上での「結果」では、意味がぜんぜん違うから。


 こんな事も思う、人はゆっくり時間をかけて死んでゆく、と。

 仕事をしていて、不謹慎ながら、そう感じる事がある。

 日々、記憶も能力も1つ1つ、ゆっくりとなくしてゆく姿をみて、その行き着く先の死を思うと、人間にとって何が大切なのか考えさせられてしまう。

 きっと、頑張った上での「結果」は、こういうとき、自分を支えてくれる。自分が何をした何者なのか?という問いに答えが出せているか?いないか?は、こういうとき、大きく出るように思う。


 君が自分を立て直して、「前」を向き続ける姿を、想像するのは好きです。


 以前書いたと思う。人は相手を攻撃する時、自分が言われて一番嫌な事を、相手に言う傾向がある。

 僕の場合は理屈に合わない行為を指摘されるのがいやだ、それが故、そういう切り口で相手を責める。

 “彼ら”の場合は?人格攻撃をする人は、人格攻撃をされるのに慣れていない。

 時間をかけて、ゆっくり反撃の切り口を見出せば良いと思う。


 僕の場合相手が“男”の場合は、相手がどう出るか予測ができるので、対応できるが、“女”の場合は難しい、今の職場で、面食らったのは、予想以上に男女で違う反応をするからだ。

 でも、今回の経験で“女性”が相手を攻撃するやり方も観察できたし、結構、勉強になった。

 女性は“空気”を大切にする。理屈と空気が相反するときは、理屈をすてて空気をとる。そして、空気に適合する理屈を探し出し、強引に結び付けようとする。結果が空気で決まり、後付で、理由が付けられるのだ。

 これは僕の経験則。

 女性の言う、理屈は、無視していい。真に受けると、意味がない(もちろん例外もある)

 逆に言うと、その理屈は後付されたものが多いので、論理的欠点がある。そこを突かれると、向こうは反論に苦しむ。そんな印象をうけました。


 何が役に立つのか解らないので、一応書きました。何かしらの参考になれば嬉しいです。


 実は、明日も夜勤だったりします。


 前回同様、読書にチャレンジしてみようと思う、同じ場所で、同じ時間まで。

 常に「前」を向くためにも。

 自分が自分でいようとする事は、意味のある事なのです。自分が何ものか知るためにも。

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〔10月2日(日)「確信しています。今も君が健在であることを」〕


 Fさんへ。

 前回「読書にチャレンジしてみようと思う、同じ場所で、同じ時間まで」と書いた。

 今日、夜勤なので、明日の朝(6日の午前)に行います。

 このチャレンジを書いてから、“彼ら”の動きに変化を感じる…

 それはつまり、君がまだちゃんと生きているという意味に繋がると、そう信じます。


 この小説は、あらゆる可能性を考慮している。

 当然、最悪な可能性も含む。

 

 実はこの小説の第2話には第1バージョンがあり、一度掲載している。

 君が自ら命を絶つ可能性に気づき、慌てふためいて書いたものだ。

 当時は“彼ら”の攻撃も激しく、本気でこちらをしとめようとしていた。

 何千人と感じる悪意に毎日さらされる日々で、ありとあらゆるものが、同時に襲ってくるような感覚だった。それでも僕が正気を保てたのは、君の想いに気づいたからだ。君の想いを無駄にしないためにも、正気をうしなってはいけないと、何度も自分に念じたものだ。

 “彼ら”は相当戸惑っただろう…、何しろ今まではずすことのなかった必殺技(文字どおり殺人技)が通じないのだから。それが故、その後攻撃は過剰なまでに激化するのだが。今でも思う。新幹線の1車両全員が、マスクをしていてこちらを睨む姿は、一体なんだったのかと。しかし、当時は、それも違和感を感じないほどの、猛攻撃にさらされていた。

 生き残れたのは君のおかげです。君にもらった命は大切にします。


 当時こう思った。君も同じくらいの攻撃にさらされやしないだろうか?と。


 そこで、君が自ら命を絶つ可能性に気づき、あわてふためいたのだ。

 しかし1日くらいたち、考えを改めた。君は強い、高校時代もどんなにつらくとも、不登校になどならず、ちゃんと来ていた。そのFさんがそうそう、そういう決断には到らないはずだ、と。

 で第1バージョンの第2話を下げて、現在の第2話に差し替えたわけだ。


 しかし、この小説はあらゆる可能性を考慮している、最悪なケースも無視はしていない。

 これは、都合のいい解釈かもしれないが、先に書いたチャレンジの件、載せたあと“彼ら”の動きに微妙な変化を感じる。これは君が今も健在な事を意味する…、そう信じることにしました。

 いつか、この目で君の姿を確認できて、心から安心できる日が来るのを、信じています。


 君が頑張り続けられるなら、僕も頑張り続けられます。

 負けないで!

 確信しています。今も君が健在であることを。

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〔10月3日(月)「泣きたくなったら、泣いて良いと思う。

 しかし、「前」を向き続ける事だけは、やめないでほしい」〕


 こんな事も思う。

 “彼ら”の思考パターンでいくと、相手の一番嫌がる事をする。

 この場合、一番嫌な事とは、僕の目の前で、君が他の男と一緒にいるのを目の当たりにすることだ。

 今のところそれはない。

 “彼ら”がそれを思いつかないとは思えない…。


 こんな記憶がある。この小説でも書いたと思うけど、当時判っていた君の新横浜の住所あてに手紙をだした。日を指定して新横浜に行くと。返事を待たず実行した。

 あの日、駅前で、君とよく似た人がロン毛っぽい男と一緒にいたような気がした、近づいて確認してないけど、小柄な女の子だった記憶がある。


 “彼ら”についての悪評を書いたHPなどでも、こんな記述をみた。

 “彼ら”により自殺にいたってしまった方の葬儀に、わざわざ“彼ら”がそれとわかる風に参加していたというやつ。確かに、僕の経験から思うに“彼ら”はそういう行動をする。


 だから、君が僕の目の前で、他の男といる光景を、偶然を装い見せ付けると言うのは、あながちないといいきれなかった。

 

 ここで重要なのは、この嫌がらせを仮に、実行するには、どうしても君の協力がいるところだ。

 真実に気づいてから、現在に至るまで、この嫌がらせを受けた記憶がない。

 少なくとも、君が、この嫌がらせに協力をする意思をもっていない、と僕は考えた。


 もちろん、これは僕の妄想的推測。根拠は、過去の記憶における君の性格のみだ。


 こうした推測は、この小説でたくさん書いた。

 正解率はどのくらいなんだろう…。


 以前この小説内で、夏に蝉にぶつかった話を書いた。生きた蝉を捕まえて投げつけたら不可能じゃないとも書いたが、先日ラジオを聴いていると、TBSのアナウンサーで、同じように夏、よく蝉にぶつかる人の話を聴いた。案外、あれは偶然だったのかもしれない。


 いろいろ書いた推測、どこまで当たっていて、どこまで外れているのか?君が全てを答えられないとおもうけど、どんな風に感じるのか?いつけ聞けたら嬉しいなと、そう感じました。


 これは推測。

 もしかしたら?君は僕を攻撃するよう強要される(あるいは、強要された)かもしれない。

 その場合の君の様子や、心の変化は、なんだか手に取るように判ってしまう。

 真実に気づいた今、そう感じてしまうのです。

 泣きたくなったら、泣いて良いと思う。

 しかし、「前」を向き続ける事だけは、やめないでほしい。

 どんなに、ゆっくりな歩みでも、かならず意味があると僕は信じます。だから、君にも信じてほしいのです。

 君が今も、戦っているという前提で書きます。

 君が頑張り続けられるなら、僕も頑張り続けられます。

 負けるな!

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〔10月4日(火)「「なにを偉そうに」とか言われるかもしれない。しかし、そういわれたら、こう言い返せばいい。

 「愛情を議論するうえで、偉いとか偉くないとか持ち出すセンスが、そもそも間違っているわ!と」〕


 こんな事も思う。これは書いていいのか?とも思うが、この戦い、遠慮に意味は無いので、書くことにしました。

 仮に、今も君が戦っている?という前提で述べるなら?


 相手の顔も立てるような終わりも理想だ。

 仮に離婚を目指しているなら?相手の顔が立つラストにはこんなのがある。


 実は、皆には黙っていたが、相手の男性がFさんと知り合うより以前に、もっと相性のいい相手と出会っていた、諸事情で、その時は一緒になれなかったが、今度は一緒になれる…、というストーリーを組むことで、相手は顔が立つ。


 その線で調整して、相手の顔が立つように交渉するのも、考慮の対象に入ると思う。

「なにを偉そうに」とか言われるかもしれない。しかし、そういわれたら、こう言い返せばいい。

「愛情を議論するうえで、偉いとか偉くないとか持ち出すセンスが、そもそも間違っているわ!」と。

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〔10月5日(水)「保守的な人は、異質な物をなんでも否定する性質があるのかもしれない」〕


 Fさんへ。

 以前トルコ旅行で、世界最古の巨大教会の1つ、聖ソフィア(=現アヤ・ソフィア)に行った話をしたと思う。

 ガイドが言っていた、この建物のドームは何度も崩落している、当時の人は、ビクビクしながら、ドームを見上げた、と。

 現在のドームは高さが低く再設計されたもので、大丈夫らしい。


 このドーム状の建築はその後、ヨーロッパ中に広がっていった、という話は、以前書いた。

 正確かどうかわからないが、僕の理解では、こうした建物が発展したものを「ロマネクス様式」と呼ぶのだと思う。


 最近見たTVでは、このロマネクス様式のアーチには、構造的な欠陥がある事を説明していた。

 構造的に弱く、崩落しやすいらしい。だから、分厚い壁が必要で、大きな窓は作れなかった。

 ロマネクス様式の建物は、どれも大きさばかりでかく、窓がほとんどない、内部が真っ暗な建物ばかりという。


 この欠点を克服したのが「ゴシック様式」の建築物らしい。アーチを尖らせ、補助のアーチを両脇につける構造で、柱だけで巨大ドームの重量を支えられる。

 分厚い壁がいらなくなり、巨大な窓が作れるようになったと言うのだ。

 ゴシック様式の教会などは巨大な窓がつくれるので、ステンドグラスの窓を大量に作れて、内部は窓からの光で、開放的な空間になったという。


 「これはいい!」

 と当時の人も思ったのか、その後、このゴシック様式の建築物は爆発的勢いで、各地に作られるようになったらしい。


 ここで面白い事実がある。

 ゴシックとは、ゴート族が作ったような野蛮な建物、という意味があるらしい。

 侮蔑的な意味合いだ。当時ゴート族は未開の民族の意味があったらしい。

(余談だが、宮崎駿監督作品に「ルパン三世カリオストロの城」があるが、あの映画で、クラリスが持っていた指輪に書かれた文字はゴート文字という設定だ。

 クラリスの祖先がゴート族であることを物語る設定だ。ゴート族はその後ヨーロッパの人々と溶け合い、混ざり合い、一体となり、異民族でなくなる歴史をもつ。)


 なぜ、侮蔑的な名前を、一大ブームになった建築法につけたのか?

 やはり、当時保守的な人々がいて、変化を否定する心理から、そうした侮蔑的な名前をつけたのだろう。


 保守的な人は、異質な物をなんでも否定する性質があるのかもしれない。


 この歴史を聞いて、「それはすばらしい、ぜひ後世に残すべき、人間の文化だ」と思う人はいないと思う。

 「偏見ってやだな、こういう歴史から反省すべきだな」と考えるのが、普通の感覚だと思う。


 Fさん、そちらの世界にも、異質なものは何でも頭ごなしに否定する人、いると思う。

 そういう人がいたら?こう言ってもいいと思う。

「視野の狭さだけとれば、もう立派なカルト構成員ね。他の感性もカルトっぽくなる前に、自分を取り戻してね」と。

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〔10月6日(木)「向こうは、そんなのは当然だ、くらいに考えているだろうが、ちっとも当然ではない」〕


 Fさんへ。

 こんな事も思う。仮に離婚を目指していると仮定するなら?

 交渉過程で、相手に提示する条件に、こんなものもあると思う。

 結婚期間、実際はどうかは?は別にして、相手が嫌な人ではなかった旨、周囲の人に説明する、というのを条件に提示するのだ。

 おそらく、向こうは、そんなのは当然だ、くらいに考えているだろうが、ちっとも当然ではない。


 普通別れたら、相手をボロクソに言うものだ。

 そこを、あえて、「言わないよ」と提示し、相手に顔を立てさせる。

 そんな事も可能だと思う。


 向こうは「当然」と思うことも、そうではないと主張する事は、大事な交渉方法の1つのように思う。

 “彼ら”はどうあれ自己正当化をしなければならない集団だ。

 だったら、そのめんどくさい仕事を、ほんの少し楽に出来るよ、その代り「こっち」の要求も呑んでね、という交渉も、アリだと思う。最終的に、どうしてもゆずれない“何か”を相手に呑ませる事が目的なのだから。(でも安易な妥協は厳禁です、その代り、駆け引きなのだから、引き伸ばしたり、勿体付けるのはアリです)


 君が戦い続けていると言う前提で書きます。

 君が頑張り続けられるなら、僕も頑張り続けられます。

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〔10月7日(金)「自分を取り戻す何かをしていてほしいです」〕


 Fさんへ。

 実は今日も夜勤です。

 だから、明日の午前中、夜勤明けに読書をしようと思います。

 今まではモスバーガーを使っていたけど、今度はマックにしようと思う。

 大社の南にイトーヨーカドーがあり、そこにマクドナルドがある。

 明日はそこを利用するつもりです。

 同じように正午まで読書しようと思う。


 この方法での読書は、意外と読み進められて、なんかいい感じです。


 Fさんは、自分を取り戻す何かをしているのだろうか…

 いらない心配であればいいなと、そんな事思ったりします。


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〔10月8日(土)「この小説でも何度も書いているけど、改めて書きます」〕


 以前、PS3を買った話をしたと思う。

 最近、ようやく使いこなせるようになって来ました。

 このps3にある「メディアサーバー機能」は実に凄い。

 LANでつないだPC内の動画ファイルを、全部認識し、TVで再生できるのだ。


 以前書いたと思うけど、僕は膨大なビデオファイルを持っている。

 これらをPS3で思う存分見れることになる。

 しかもほとんど画質は落ちない。

(もちろん欠点もある、あまりにデータのデカイものは、見れなかったりする。まだ、開発途上の技術なのかもしれない)


 この機能、大きく宣伝されてないけど、最新機種のHDレコーダーなんかには組み込まれていて、PS3と組み合わせれば、面白い使い方がいろいろできそうだ。

 実際出来るかわからないけど、手持ちのPSPでネット経由で、PS3に繋げられたら、どこででも自宅の動画にアクセスできるし、HDレコーダーも対応機種にかえて繋げておけば、昨日とった番組をPSPでどこででも見れることになる。

 僕のような人間には、理想的な機能だ。


 世の中、知らぬ間に進歩しているものです。

 時代は常に、動き、変化しているという事でしょうか。


 

 最近こんなニュースを見た。

 ある日本企業が、ヨーロッパの大手企業を買収したニュースだ。これによりシェアが上位になるらしい。

 普通の感覚で聞けば、これはいいニュースだ、しかし、実際はそうではない。

 このニュースの実体は、日本の産業の空洞化の裏づけにすぎない。

 国内だけでやっていけない企業が、海外に活路を見出したのだ、で、手っ取り早く海外進出するため、海外の企業を買収したにすぎない、体力が残っているうちに買収という大勝負にでた、というニュースだ。


 日本はいまや、経済大国ではない。

 日本の企業は、残された体力を使い切る前に、活路を見出すのに必死だ。

 体力がなくなれば、今度は自分自身が買収の対象になってしまうからだ。


 近年、日本がGDP世界第2位の地位を、中国に明け渡したのは有名なニュースだ。

 しかし、国民1人あたまのGDPのほうは、1992年ごろを境に、世界第2位から急落し、いまやアジアの劣等生になっている事実は、あまり報道されていない。

 シンガポールやインドネシアと同じか、それり下くらいなのではないだろうか?


 しかし、報道がされていないので、未だ多くの国民は認識していない。


 時代は新しいステージに突入しています。たぶん。


 最近、本でこんな事を読んだ。

 日本の組織力はすごいすごいというが、組織力の中でも協調性のみが、すごいだけで、その他の能力は、ちっとも凄くないというのだ。

 日本の組織は、決断力がまったくないし、判断力も欠如している、と。

 これは、最近話題の、古賀茂明さんの著書「日本中枢の崩壊」を読んでの事だ。

 周囲の反対と戦って、「ガソリンのセルフ給油」を実現させたのも、この人だし、

 偽造クレジットカードを厳罰化さしたのも、この人だ。

 一時期、TVでカード犯罪の特集がやたらと放送されたが、あれも、世論を喚起するため、この人が仕組んだものらしい。

 で、今は公務員制度改革を推し進めたせいなのか?クビ寸前になっている。

 そうはさせまい、という事なのか、本を出し、TVタックルに出演を繰り返し、たった1人で、巨大な霞ヶ関の理屈と戦っている。

 正しい事をすると、追い出されるというのは、おかしい事だと思う。


 あの、福島第1原発の所長にしても、政府の命令に逆らって注水をした。

 その事実そのものは、ただしい。しなければ、原発は爆発していたかもしれない。

 なのに半年以上たつのに、表彰状1つ出ていない。

 政府や官僚や東京電力に逆らうという事は、ここまで露骨な仕打ちになるのだろうか?


 世の中は、確実に変っている。

 でも日本がかわるのはもっと先かもしれない。

 けど、変るための「下地」は確実に整いつつあるように思う。

 

 あまり大きく報道されてないが、今、アメリカでネット発の巨大デモが広がりそうな気配をみせているという。

 みな、あるキャッチフレーズに惹かれたのだ。

 儲けたのはウォール街の1%の人々だけ、苦しんでいるのは99%の我々だ、と。

 このフレーズなら、誰もが「自分も99%の1人だ」と思うらしく、デモに参加するというのだ。

 アラブでおきたデモにも触発されているらしい。

(日本でも、中国や韓国、北朝鮮で、デモ発の政変でもおきたら、多分影響を受けずにいられないのだろう)



 この小説でも何度も書いている、改めて書きます。

 世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです。

 手が出せば届くような単純なものではない。

 単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。

 物事は単純ではない、なにかしらバイアスがあり、それらが絡み合い“何か”を引き起こしている。

 単純な真理1つで救われるほど、単純ではない。

 まして、意味も解らず教えを妄信すれば、世界が救われるなど、ありえない事です。


 Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!

 君の周りの人に伝えてください。

 「わかろうとしないのは目の前しか見ていないからよ」と。

 「教えが正しいとか間違ってるとか、そういう問題じゃないのよ!」と。

 「それもの凄い犯罪なのよ!わたしそれに気づいたの、もう戻れないわ」と。

 彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。

 それが証拠に、彼らは彼ら自身の行いで、ドンドン日本を荒廃させている。


 「いいわけ」と「ごまかし」の果てにある「悪意の集約」が何を引き起こすのか?

 冷静に考えれば、わかることです。


 これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。

 教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。

 “質”が問われているのです。そう伝えてください。

(こんな妄想も抱く…、ある日突然、差出人不明の“白紙”のハガキが、“彼ら”の本部に届く。どこにも何も書いてない、意味は、関係を白紙にしたい、とも、お前らは中身がない白紙だ、とも、いくらでも取れる、何しろ何も書いてない“白紙”のハガキだからだ。

 “彼ら”は調べる、しかし、ハガキは指紋もついてない、手袋でもして出されたらしい。消印も当てにならない、少し離れた所から投函すれば、消印から住所がばれるリスクを回避できるからだ。

 そして、その日を境に、何通も何通も“白紙”のハガキが、“彼ら”の本部に届く、噂では「白紙運動」と言って、“彼ら”に不満を持つ人々のパフォーマンスとして、広がっていると言う…

 なんて、妄想。

 ある日、突然、何かが起こると、面白いものです。)



 昨日も先日書いた、読書習慣を取り戻す試みを、実行しました。

 イトーヨーカドーのマックで、夜勤明けの眠気と戦い、読書をした。

 正直、半分寝ていた感覚で、何度も本を持つ手を落としてしまいそうになる。

(周囲の人は、どう思っていただろうか…、そういえば、店に入ってしばらくして、「本当にいる」という声を聞いたような気がするのは、たぶん、僕の空耳です)


 君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。

 君は自分で思っている以上に強い人です。

 負けるな!がんばれ!

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〔10月9日(日)「偶然を装い、相手に圧力をかけるのは、“彼ら”のオハコだ。同じ手をやり返すのは、無茶な話ではない」〕


 Fさんへ。

 急にこんな話を思い出した。

 以前、ゼクシィという結婚雑誌に、婚姻届がオマケとしてついてきた、と言う話。

 どうも、その用紙は有効なものらしい。

 つまり、用紙の書式さえ、役所でもらう物と同一なら、有効のようだ。


 で、思った。

 以前、何度も相手に離婚届を叩きつける手もある、と書いたけど。

 この方法、毎回、何枚も用紙を役所にもらいにいかないといけないので、面倒だ。

 もし、コピーした用紙に書名したものでも、有効なら?

 1枚だけ役所からもらい、大量にコピーすれば、いくらでも、何枚でも叩きつけられる、と思いついたのだ。

(でも、一応、本当に有効か?法律家に聞いたほうがいいかもしれない)

(上記方法がダメでも、こんな方法もある。「離婚」について指南している本を買い、家のあちこちにおいておくというものだ。ただおいておくだけでも、相手にプレッシャーになる事は、僕は体験で知っている。何しろこれは“彼ら”の手口の1つだからだ。偶然を装い、相手に圧力をかけるのは、“彼ら”のオハコだ。同じ手をやり返すのは、無茶な話ではない)

(同じ手をやり返すなら?こんな方法もある。ほのめかしだ。第三者の離婚話を偶然を装い相手に聞かせる方法だ。実はこれは僕の被害妄想かもしれないが、こういう経験を最近した。職場で、ある2人が知人らしき人の話をしている、聞くと、同じ介護士の人の話らしい。あまり優秀でなく、料理も苦手、そして仕事を辞めたらしい、自分で辞めたか、辞めさせられたかで、随分違うね、とも話していた。そして、最後、どうにか再就職できたという話に落ち着く、そう、拾ってくれるところがあったの…、と話が締めくくられる。これが、偶然なのか、ほのめかしなのか?まあ、そんな事はこの際どうでもいい。でも、こういう話を相手に偶然を装いする方法は、真正面からいい難いことも、柔らかく伝えられる方法の一つです)


 何が役に立つのか判らないので、一応書きました。

 何かしら、より実用的な手段を思いつくヒントになれば、幸いです。


 数は多くないが、今でも急にアクセス数が上がるときがある。

 そういう時は、大概、全話アクセスされている…

 もう50話近くなるのに。

 誰かしら興味を持つ人がいるみたい。

 しかし、未だに読書感想などは、一件も寄せられない。

 アクセス数は累計 19,542アクセス 8,610人 にもなるのに。

 これを不思議と思うか、当然と思うか。

 君はどう思うだろう…、いつか聞けたらうれしいです。

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〔10月10日(月)「あれほどの思いで耐え抜いてきたものを、「なんだ…」で済まされては、頭にもきます。戦う理由としては、それだけでも十分理由になる」〕


 Fさんへ。

 こんなニュースを見ました。


 (以下転記)

「まさかと思った…同僚検事が証拠品改ざん証言」

 読売新聞 10月12日(水)14時2分配信

(中略)

 弁護側は、国井検事に対し、前田恒彦元検事(44)(証拠隠滅罪で実刑確定)からフロッピーディスク(FD)改ざんを打ち明けられた際、「平然とした感じで『変えるソフトがあるんだよ』と言われ、ブラックジョークと思った」――とする捜査段階の説明について確認。国井検事は「はい。まさかと思いました」と答えた。

 (転記おわり)


 “彼ら”もこんな感覚なのだろうか?

 仲間から、組織の悪行をさらりと聞かされ、「まさか?ありえない、きっとブラックジョークかギャグに違いないとおもった」とかいう感覚になるのだろうか?


 こんな話も聞いたことがある。

 “彼ら”の学校に入学すると、そうした「ありえない」話をきかされ、「うわ、こいつらヤバイ」と感じる学生が、いるとか、いないとか。


 たぶん、君の周囲にも、「まさか?ありえない」というリアクションをする人、いるかもしれない。

 もし、そういう人が周囲にいたら、毅然とした態度で、事実である旨、主張したほうがいい。

 あいまいな態度で対応していると、「なんだ冗談か」で済まされてしまいかねない。

 あれほどの思いで耐え抜いてきたものを、「なんだ…」で済まされては、頭にもきます。

 戦う理由としては、それだけでも十分理由になる。

 大切な“何か”を、これ以上、踏みにじらせないためにも。


 負けないでほしい!

 がんばれ!

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〔10月11日(火)「君さえ、しっかりしていれば、絶対大丈夫です」〕


 こんなニュースを聞きました。

 「ミヤンマー」という国では、政治犯が大量に釈放されたと。

 この国が軍事独裁政権であるのは、有名な話です。

(ちなみに、この「軍」は旧日本陸軍が訓練した人たちとか…)

 いろいろな事情で、軍部の政治もやむないのかもしれない。

 でもこんな事実もある。

 もともとミヤンマーはアジアでも豊かな国だった。

 しかし、第2次大戦後の半世紀以上の軍部独裁の影響で、アジアの最貧国の1つになっている。


 政府は経済振興の重要性に半世紀たち気づき、外国資本に国を解放する政策に転じている。


 外国政府は民主化に敏感だ。

 自分たちは民主的であると、アピールするために、政治犯を釈放しているのだ。

 アウンサン・スーチーさんの軟禁停止もその1つだ。


 でも、実体は、一番重要な反政府的人物は釈放しないし、軍部じゃないと政治ができないよう、法律もかえられていて、パフォーマンスの感は否定できない。



 Fさん、こんな事も思う。

 “彼ら”はこういうパフォーマンスをおこない、事実を捻じ曲げようとする。

 負けてはいけません。

 君さえ、しっかりしていれば、絶対大丈夫です。

 いままで、君に味方はいなかった、でも、今は違う。

 その違いを見せ付けてやればいい。

 Fさん、君は自分が思っている以上に強い女の子です、絶対大丈夫です。

 負けないで!

 がんばれ!


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〔10月12日(水)「君はやさしい性格だから、難しいかもしれない。

 それでも、時々自分に言い聞かせてほしい。」〕


 Fさんへ、こんな事も思います。

 「かわいそうだから」助けてもらうんじゃない。

 「当然の権利を取り戻すため」に戦うのだ。


 「かわいそうだから」では、遠慮がうまれて、心に隙が出来てしまう。

 “彼ら”はそういう「心の隙」をつくのが実に上手い。

 君は遠慮がちな性格をしている。

 また、丸め込まれてしまう可能性も、あながち否定できない。


 救済きゅうさい懇願こんがんするの「ではなく」。当然もっていたものを、生まれてから、奪われたものを、当たり前の“それ”を、取り戻す戦いなのだと、自分に言い聞かせてほしい。


 君はやさしい性格だから、難しいかもしれない。

 それでも、時々自分に言い聞かせてほしい。

 そんな事、思いました。

 ごめんね、ずうずうしい事書いて。

 君は心にずけずけ入ってほしくないと、思う人だ。

 でも、19年前の反省から、こう考える。いうべき事は言わないといけないと。


 昔、君は口癖くちぐせの様に、よくこう言った。

「私、ケジメをつけなきゃいけないの」と。

 いつか、君はケジメをつけに現れる…、そう思うことにしました。


 君が頑張り続けられるなら、僕も頑張り続けられます。

 負けるな!

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〔10月13日(木)「なにか、心にブレーキがかかって、実行できてない事を行う時には、有効な手法かもしれない。」〕


 Fさんへ、実際は今日は13日木曜日です。

 今日は夜勤になります。

 明日の朝、また例により、読書習慣を取り戻す努力をしようと思う。

 どうも僕はマクドナルドの方が、モスバーガーより好きみたいで、やはり、明日もまたマックへ行って読もうと思う。大社の南にあるイトーヨーカドーのマクドナルドを利用するつもりです。


 僕のマクドナルド好きは随分前からだ。

 そういえば、2人の最初のデートでもマクドナルドへ行って食事をしている。

 君はオレンジジュースしか頼まなかった。

 物凄くかわいく「食べてるとこ見られるのはずかしい」と言っていた姿を、昨日のことのように思い出します。久びりに言ってみようかな…、Fさん、どうしてそんなにかわいいの?


 前にも書いたけど、外見がかわいいだけなら、ここまで好きにはならない。

 君の内面にかなり惹かれたのも事実です。

 こう言う僕を、君はどう思うのか?他の人ならバカにしそうだが、君の場合は…

 いつか、どう思うのか、君から聞ける日を夢見ます。


 なんにしても、明日、また読書習慣を取り戻す努力をします。

 こうやって書くと、もうサボれないから、夜勤明けの辛い中でも、実行できたりする。

 なにか、心にブレーキがかかって、実行できてない事を行う時には、有効な手法かもしれない。


 なんにしても、君が戦っているという前提で書きます。

 負けないで!

 応援しています。

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〔10月14日(金)「いつか、君はケジメをつけに現れる、そう信じています。」〕


 こんな事を想像もする…

 いろんな事に疲れても、一緒にいるだけで、心が回復できる人がいたらいいなと。

 そんな事、思うけれど。


 僕がそういう人を見つける前に、君が現れることを、今は祈るのみです。


 今日の夜勤明けも、前回書いたように、マクドナルドで読書をしました。

 途中、眠気に負けそうになったけど、いつの間にか随分読めた。あともう少しで、読破できそうです。

 読書をしていて思う、内容がたとえ入ってこなくとも、流し読みでも、あとあと理解できたりする時があるから、無駄ではない。


 …この先、仕事をクビになったとしても、この習慣は続けようと思います。


 今日の夜勤では、ハムエッグとスープを作った。

 朝食作りも夜勤の仕事なのだ。

 簡単なものなら、さほど苦もなく作れる。

 でも、難しいものは、苦手だ。

 いつか君に料理を教えてほしいな…、なんて思ったりもする。

 そんな未来、いつか来たら、泣くほど嬉しい限りです。


 いつか、君はケジメをつけに現れる、そう信じています。

(会うのが難しいなら、せめて、僕の視界の範囲外から、見ていてほしいな…、なんて思わなくもない。それすら難しい状況?わからないけど…、ともかく待つと決めたのだから、待とうと思います。)


 もし、今も君が戦っているなら?

 その仮定に基づいて書かしてもらいます。


 

 もし、あいてに絶対に離婚などしないぞ!といわれたら?

 タイミングを取って、こう言い返せばいい。

「その冗談、面白くないわ」と。


「冗談なんかじゃない」と言われたら?

 こう言い返せばいい。


「またまたーそうやってとぼけても無駄よ、そんなくだらない冗談は今すぐやめて、ハンコをおして」

 と言えばいいと思う。



 人は、いつか情熱を失うかもしれない、

 でもそれは、ぜひ、最後の時でありたい。

 生きているうちに“それ”を失う事は、生きながらにして、心が死ぬ事を意味すると思う。

 その事を“彼ら”は知っているのかどうかわからないが、人から情熱を奪い、心を支配するのが、“彼ら”の手口だ。

 その事に気をつけてほしい、忘れていると、いつの間にか心を支配されてしまうから。


 こうも思う。

 相手が聞いてくれないときは、ともかく周りに話す事だ、そうすれば、必ず本人の耳に入る。


 それを、繰り返し、繰り返し行えば、そういう“空気”を作れると思う。

 何しろ、君は絶対的に正しいのだから。


 君が頑張れるなら、僕もまた同じです。

 負けるな!

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〔10月15日(土)「特に、穏やかに、語りかけるように、強く言うと、効果があるかもしれない。」〕


 Fさんへ、今日は久しぶりにこういう語り口で書こうと思う。

 君以外の人も読んでいる前提での、記述だ。

 以前はよく書いたけど、最近少なかったので、久しぶりにやってみます。


 こんな話を以前事がある。

 トム・クルーズが変な宗教に傾倒し、その所為で映画界を干されている…という噂。


 彼の過去5年間の奇行(奇妙な行動)は有名だ。

 シアターの1階席にいたトムクルーズが、2階席に知り合いを見つけると、まるで映画の1シーンのように壁を登って2階席へ行ったとか。

 娘の誕生を喜んで、トークショーのソファーの上で、子供のように飛び跳ねた、とか。


 彼のはまる新興宗教というのが、また変っていて、ウィキペディアによると、

(以下転記)

『7500万年前、宇宙はジヌー(XENU)という名の邪悪な帝王に支配されており、

 その世界で人口が増えすぎたのでジヌーは手下の精神科医に薬を使わせて人々を眠らせて冷凍し、

 輸送機で地球まで運搬し、火山の火口に投げ捨てて水爆で爆破して始末した』という伝説を

 教義のひとつとして信じているからだという(以下略、転記おわり)


 という変なものなのだ。

 同じくウィキペディアによると、アメリカの風刺アニメがこの団体をパロディーにした話を放送したところ、

 再放送からは、その話が欠番になったとある。


 それほどに影響力のある新興宗教なのだろうか?

 以前、ラジオで聞いたときには、ハリウッドを中心に、セレブの間で広がっていると聞いた。


 こんな変な宗教団体が、社会的影響力をアメリカで持つのは「不安だ!」と、もし思うなら、あなたの心は「正常」です。



 …え?もちろん、これはアメリカの新興宗教「サイエントロジー」について言及したまでです。

 それ以外の何ものでもありません。

 もし、何か他のものを連想したとしても、それは僕が意図したものではありません。

(ちなみに、最近のトム・クルーズはこうした奇行をしなくなり、宗教の発言もしなくなった、少しずつ以前の人気を取り戻しつつある。人は生き方を方向修正できるのだと、信じたいところです)


 Fさん、もし君のまわりに「奇行」に走る人がいたら、たしなめてあげてください。

(今日も午後6時、地鳴りを意図的に起こす車が近所を通った、他の車と違い、言い逃れができないレベルのやつ、近所の人も気づいてるはずだけど、たしなめられないのがカルトの悲しさなのかもしれない)

 たしなめても、なお続ける人がいたら?こう言ってあげてもいいと思う。

「その行動がカルトの証明ね」と。 

 そして、こう続けると良いとおもう。

「わたし、今までの間違いに完全に気がついてしまったの」と。

 特に、穏やかに、語りかけるように、強く言うと、効果があるかもしれない。

 何が役に立つか判らないので、一応書きました。


 君が今も戦っているという前提で書きます。

 がんばれ!

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〔10月16日(日)「もし、戦う手段に行き詰まりを感じていたら、考慮に値するかもしてないので、一応書きました。」〕


 Fさんへ、今回の話は、例えが異質だ、でも、何が役に立つか判らないので、書こうと思う。

 昨日、NHKスペシャルを見ていて思った。その内容は、日本と中国の軍部が、70年代から現代まで、会合を続けていて、対話を繰り返していた…、という内容だった。

 それを見ると、中国がいかに日本を怖がっているのかがわかる。

 中国軍の挑発的行動は、日本の自衛隊が怖いからみたいなのだ。

 自衛隊が何気なく(悪気なく)、行う行為、例えば警戒監視なんかでも、中国軍は萎縮し、反発するらしい。

 反発するがゆえ、挑発的にもなるようだ。

 何も知らない日本人から、中国を見ると、なんて攻撃的な国なんだと思いがちだが、中国にしてみれば、日本がこわくてしょうがないらしい。


 こんなシーンがあった。

 こないだの東北の大震災。米軍も出動して、自衛隊と協力して、被災者支援にあたった。

 日本人からみたら、当然で当たり前の光景だが、中国サイドからみると、違う光景に見えるらしい。


 自衛隊と米軍は、過去なんども合同演習をしているが、今回の震災支援での協力体制をみていると、恐怖を感じるらしいのだ。

 なにも事前の訓練も、取り決めもないのに、過去最大規模の共同作業をスムーズに、自衛隊と米軍が行っている。

 いざとなれば、両国はいつでも、どんな時でも、一体になれると見せ付けられた形となり、それが中国の安全保障上の脅威にみえたのだ。



 …Fさん。こんな事も思う。

 “彼ら”がなぜ、あれほどの攻撃性を示すのかと言えば、外部の世界がこわくてこわくて仕方が無いのかもしれない。

 わずかなほころびから、崩壊し再起不能になったカルト組織は過去に複数ある。いつ、自分たちがそのリストに加わるのかわからない、という恐怖があるのかもしれない。


 実際にやるやらないは、別にして、君が外部の世界とのつながりを、強めれば、それだけ、相手へのプレッシャーになると推察します。


 もし、戦う手段に行き詰まりを感じていたら、考慮に値するかもしてないので、一応書きました。

 今も君が戦っているという前提で書きます。

 負けないでほしい、がんばれ!

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〔10月17日(月)「相手に不誠実があれば、身を守るためにも、戦っていいように思う。」〕


 Fさんへ。

 こんなニュースを見ました。

 自動車メーカーのスズキが、フォルクスワーゲンとの提携解消に向け、動き出したと言うニュース。

 以前からフォルクスワーゲンは出資比率の枠を超えた干渉をスズキに対して行い、問題視されていた。

 今回、スズキは、当初の提携目的である「エコカー開発」が一向に進まない事を理由に、提携解消を決断したらしい。


 しかし、この提携、一方的に解消できるものではなく、相手方の同意もいるようで、困窮を深めている。

 しかも、フォルクスワーゲンは、欧州で様々な自動車メーカーを買収し、傘下におさめてきた会社だけに、実にやっかいだ。

 実質的に、スズキの完全買収を目指しているのは見え見えで、ついにスズキ側がキレた形になる。


 なぜにフォルクスワーゲンはスズキが欲しいか?

 実はスズキの持つ、軽自動車のノウハウが欲しいからだ。

 軽自動車は世界中探しても日本にしかない。なぜなら、日本の税制が生んだ産物だからだ。


 そして、電気自動車を開発するには、この軽自動車のノウハウがうってつけなのだ。

 それが故、是が非でも買収したいのだと思う。


 提携解消の交渉は、困難が予想される。今までのフォルクスワーゲンの態度からすると。

 スズキ側は、最終的には、法的手段も考えていると言う。


 相手に不誠実があれば、身を守るためにも、戦っていいように思うのは、僕だけではない様に感じた。

 理由があるなら、とことん戦っていいのだとおもう。

 中途半端にしていると、いいようにされてしまう。

 君が今も戦っていると言う前提で書きます。

 負けるな!がんばれ!

※(Fさんへ、実際は今日は月曜日です。今日は夜勤になります、だから、「また」読書習慣を取り戻す試みをおこないます。

 たぶん、また、大社の南にあるイトーヨーカドーのマクドナルドへ行くでしょう。

 あともう少しで1冊、読破できます。

 本物の読書家はもっとたくさん、ハイペースで読むけど、僕は自分のペースで読みます。

 ゆっくりでも、自分のペースで行う事には、意味がある。そう僕は信じます。)


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〔10月18日(火)「もういいじゃないか、あきらめろ。とか言う人は、大切な絆の本当の意味を、知らないのだと思う。」〕


 “彼ら”は言うだろう、そんなの迷惑よね、と。

 こちら側からみると、さんざん他人に迷惑をかけといて、自分たちが困ると、平気で迷惑と言える神経がおかしいのであり、異常なのだと思う。


 え?何の話かって?

 もちろん、北朝鮮の日本人拉致事件の事です。

 他の何でもありません。

 何か他の事が頭に浮かんだとしても、それは僕の意図したものではありません…。

 拉致被害者は、まだ、北朝鮮で生きていると思う。

 親族も日本で健在だ。


 勝手に拉致しておいて、もう遅いとか言う神経が理解できない。

「まだ、間に合う」

 のだから、簡単にあきらめてはいけないと思う。




 拉致された横田めぐみさんは、生きていると思う。

(もし、本当に亡くなっているなら、ニセの遺骨など出す必要がないし、そもそも、朝鮮では土葬で、火葬はしない)


 もし、横田めぐみさんが、北朝鮮での今ある絆が壊れる事を恐れるなら?

 僕はこうも思う。

 たとえ、彼女がどんな選択をしようと、その絆は切れない。


 そうした人たちとの絆が、切れるわけではない。

 ただ、“組織”により「阻害」されるだけだ。

(家族の絆ならば、そもそも“組織”の阻害程度で切れるはずはない、口や態度でどう言おうが、切れないと思う)


 暗黙のうちに両者が、切れない絆を思えたなら、絆は切れないと思う。

 どんなに、破廉恥で恥知らずな組織が、その絆を阻害しようとも。


 

 もういいじゃないか、あきらめろ。とか言う人は、大切な絆の本当の意味を、知らないのだと思う。


 

 拉致被害者は、まだ、北朝鮮で生きていると思う。

 親族も日本で健在だ。

「まだ、間に合う」

 のだから、簡単にあきらめてはいけない。



 最近こんなニュースを見た。

 横田めぐみさんのお母さんが、北朝鮮に行ってもいいと言ったとか、言わないとか…

 交渉が進まない事から焦っているのだろうか?

(行ったら洗脳されかねない、そもそもご両親を北朝鮮に招いて洗脳するのは、当初からの北朝鮮のもくろみでもある)


 せめて、横田めぐみさんの耳に、日本サイドの情報が入っていることを、信じたいところです。

 もし、伝わっているなら、お互いに想っている訳で、その絆は、大切で尊いものだと思う。


 上記のニュースを見て、そんな事を思いました。

 Fさんは、どう思いますか?

 勝手に解釈しないでとか、言うのだろうか…。

 君は決め付けられるのを、嫌う人だった。

 けど、この微妙なニュアンス、君に伝えたいと思って書きました。

 言わないと伝わらない事があると、僕は君との思い出から学んだのだから。


 君が今も戦っていると言う前提で書きます。

 がんばれ!君は自分が思っている以上に強い女の子です。負けはしません!

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〔10月19日(水)「もし、行き詰っているなら、こういう大胆な方法もあると思う。」〕


 こんな事も思う。

 東京の本部にじかに訴えた方が効果的だ。

 身近な人間に訴えたところで、らちがあかないと感じたら?

 考慮していいかもしれない。

 特に偉い人というのは、自分を通り越してさらに上役に話が行くのを嫌う傾向がある。


 それにこんな事も思う。

 彼らは組織内で仲良くやっているように見えて、実はギスギスしているように感じる。

 人間関係を引っ掻き回して、自分の存在感をあげる方法も、時として選択肢として入れてもいいかもしれない…(もちろんやれ、という事ではない、考慮に入れるということだ)


 東京の本部の人は、しょせん対岸の火と思い、なにもしない。

 対岸の火では済まない様になったら?なにかが、どうにかなるかもしれない。

 どんなバイアスがかかるかは、わからないが。

 もし、行き詰っているなら、こういう大胆な方法もあると思う。


 君が今も戦っているという前提で書きます。

 がんばれ!まけるな!

 君は君が思う「当たり前」を貫けばいいのです!

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〔10月20日(木)「意味。」〕


 なぜに東京の本部へ訴えることに意味があるか?

 “彼ら”は地域エゴが強いと推察します。

 それが何を意味するかというと?


 たぶん、こうだと思う

 「地域の恥ずかしい事を東京の人間に知られるのは恥ずかしい!」

 …と地域の人々は考えると思う。


 それがどんなバイアスをもたらすかはわからないが、

 そうしたイメージを頭に入れておいて損は無いと思う。

 いつか、戦う上で、より実用的な手段に繋がるヒントになるかもしれない。


 君は今もがんばっているのだと信じます。

 負けるな!

 

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〔10月21日(金)「幸運の神様は努力したものにしか微笑まない…、とかいう言葉を耳にしたことがある。僕はオカルトは信じないが、なんだかこの言葉は好きです」〕


 Fさんへ。

 10月21日…、この日ちょうど仕事で、外食をした。

 利用者の方の誕生日会という事で、利用者全員で出かけたのだ。


 僕らが夏祭りにデートした隣町に、綺麗な施設があり、そこで食事をした。

 結構おしゃれな場所で、値段は高いけど、いい雰囲気のお店だった。


 Fさんは、ああいうお店好きなのだろうか?

 そんな事を頭をよぎった。

 そこは小さな子供をつれても、楽しめるような場所で、親子つれでも問題はない。


 もし、19年前、僕がちゃんとしていたら、今頃君とここに来ていたかもしれない…、そんな事を考えてしまう。

 

 とにかく待つと決めました。

 Fさん、今日は本当は22日(土)の朝です。

 今日は夜勤があるので、明日の朝、また読書週間を取り戻す試みをしようと思う。

 場所は…どうしようかな。

 その時の気分で場所を変えたい気もするけど、


 今の気分では「ブロンコビリー」というステーキ屋にしたい気分です。

 大社の南にある、イトーヨーカドーよりもさらに南にあります。地図を検索すればすぐ場所は出ると思う。ここのサラダバーは好きです。

 いつものように正午あたりまで本を読もうと思う。

 でも、夜勤明けは正直キツイ。時には車の運転がヤバイと感じる眠さの日もある。

 そういう時は、予定どおりにいかないかもしてない。


 でも、なるべく、ここに書いたとおり明日の朝は行動するつもりです。

 もちろん、これは、ここに書くことによって、読書習慣を取り戻す努力を、続けられるようにするのが目的です。けっして、待ち合わせではない、しかし、幸運の神様の善意まで、否定するものでもない。


 幸運の神様は努力したものにしか微笑まない…、とかいう言葉を耳にしたことがある。

 僕はオカルトは信じないが、なんだかこの言葉は好きです。


 君が今も戦っているという前提で書きます。

 負けないでほしい!君の勇気は必ず報われると思う。どんな形にせよ。

 だから、もう2度と妥協せず、決意を相手にぶつけてほしい。

 あまり気負わず、あせらず、ゆっくりとした心持で、しかしぶれる事無く、心に余裕をもって、毅然とした態度を貫いてほしい。君が、君であるためにも。

 がんばれ!

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〔10月22日(土)「事情をしる“彼ら”が見たなら?きっと贖罪の気持ちから攻撃の手がにぶる事でしょう。」〕


 Fさんへ。

 最近こんな事を思った。


 僕が漫画を描く事は何度も書いた。


 僕はミューズという会社が販売している、無地の紙を愛用している。

 ところが、これが、東京では簡単に手に入るが、ここではなかなか売っていない。


 何度か東京に行った際、買いだめしたのだけど、最近、在庫が乏しくなってきてしまった…

 投稿できる作品はあまり描けてないが、それなりに紙を消費してしまったらしい…。

 もちろん、通販で買える、けど、そんな事を考えていたら、ふいにこんな事を思った。


 これを理由に東京に行って、少し遊んでから、買い物して帰るのもいいな、と。


 しかし…。


 この小説内でも書いたけど、友達らしい友達は“彼ら”である可能性もあり、楽しく遊べない。

 10年来の友人も絶交状態だし。

 東京脱出の際、世話になった人に連絡を入れるのは、時期尚早なきがする。


 もし、君がいたら…などとついつい考えてしまう。


 東京には美術館が多い。一緒に行くのは気がひけるだろうか?僕は特に、印象派の絵が好きです。

 ここにはちゃんとした美術館がない様に感じる。常設展示がいまいちなのだ。


 東京には博物館も多い。

 上野公園の科学博物館とかは、子供連れでいくにはいい場所だ。

 正直、ああいう場所、独身男が1人で行くのは目立つ…、子供がいればいいよなとついつい思ってしまう。


 君は2人で出歩く事を、ためらう人だったと記憶している。

 当時は意味が理解できず、当惑した。

 しかし、真実に気づき、君が“彼ら”と戦っていたのだと気づいた今、当時の君の意地らしさに、言葉ではあらわせない感情を抱きます。


 もう1人ではありません。そのことだけでも、せめて君に伝わっていたら、本当に嬉しいです。


 誰にも気兼ねすることなく、手をつないで歩ける日は夢見ます。

 君はどう思いますか?

「手をつなぐって…、もう歳でしょ?」とか思うのだろうか?

 大丈夫です、僕と君は同い年、何も問題ありません。

 “彼ら”でない一般人が見れば、ほほえましい光景だし、事情をしる“彼ら”が見たなら?きっと贖罪の気持ちから攻撃の手がにぶる事でしょう。


 君が心をしっかり持ち、前を見続けてくれることを、今は信じます。

 がんばれ!

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〔10月23日(日)「それにこの方法なら、いろいろ今まで「飲み込まされてきた苦労の否定」という心理的負担を受けずに、自らの「本来の権利」を主張できる。」〕


 欺瞞はどこにでもあるように思う。

 中世ヨーロッパでは聖職者は堕落した。

 妻を教会に預けると、お土産を持って帰ってくる…などと言われたらしい。

 この場合のお土産は…、書く気にもなれない。もちろん、生まれてくる子には罪はない。

(この状況は、その後の宗教改革で、プロテスタントがカトリック教会を攻撃する時に使われた。カトリック側は事実なゆえに反論が出来ない。できる事と言えば、事実を隠蔽し、捻じ曲げる事くらいだ)


 こんな話を聞いた。

 中国では毛沢東の遺体が、防腐処置をされ、一般に公開されていると言う。

 共産国ではよくあることだ。


 しかし、防腐剤の量を間違えて、遺体を損壊させてしまい、とても展示できるような状態ではなくしてしまったらしい。

 遺体保存チームは懸命な修復作業をおこない、修復に成功。

 現在北京だかに、毛沢東の遺体は、今も展示されている。

 (ソ連でも、レーニンとスターリンの遺体を防腐処置し保存した。カリスマの遺体を保存、展示するのは、共産圏のセオリーだ)


 しかし、ここにこんな噂がある。


 中国人技師は、防腐剤の量をソ連よりもらった指南書よりも、多めに入れた。

 それが原因で遺体が膨れ上がり損傷してしまった、そこでやむなく、蝋人形をつくり、遺体の代わりにしたという噂だ。

(中国において、やらせは日常だ。花火もCGだし、子供の歌声も別人だったりする)

 

 何も知らず蝋人形をだまされてうやまわせられた多くの人は、どう思うのだろう。


 欺瞞はどこにでもあるように思う。

 インチキは嫌だな…と少しでも感じられたら、その感覚は正しいです。



 タレントの伊集院光さんが、ラジオでこんな事を言っていた。

 宅配業者がとぼけている、といった趣旨の話だ。

 配達してないのに、したといいはるというのだ。

 呼び鈴は押したけどならなかったと。

 宅配用紙をおいていかなかったのは確かにミスだが、ちゃんと訪問していると。


 しかし、その時、伊集院さんは在宅していて、不在ではない。

 そして呼び鈴も故障してないと言う…


 けど、業者が強くそういうと、自分を疑い、間違っているのが自分の方だと、思い込んでしまうという。


 タレントは人気商売だ。くだらない事で評判がおちるといけないので、伊集院さんは「いろんなものを」飲み込んで、再配達時間を伝えたらしい…。

(ラジオの受信状況が悪かったので、詳しく聞けなかったけど、だいたいそういう内容だと思う)



 こんな事も思う。


 “彼ら”はごり押しで、相手にいろいろなものを「飲み込ませる」。

 君もいろいろ、飲み込まされたかもしれない…。

 君にかぎらず、いろいろな人が「そう」だろう。

 いろいろたくさん飲み込まされた「が故に」、その苦労を無駄にしたくない、そんな心理状況になるかもしれない。そうやってカルトは信者の心を支配し、マインドコントロールしてしまう。


 ならば、こう考えるのはどうだろう。

 「私は今までいろいろ飲み込まされてきた、今度はそちらが「飲む」番よ」と。


 これならば、“彼ら”の主張する「世の中あまくない」という理屈を覆す事無く、君の権利を主張できる。それにこの方法なら、いろいろ今まで「飲み込まされてきた苦労の否定」という心理的負担を受けずに、自らの「本来の権利」を主張できる。


 なにかいろいろ言われたら?こういっていいかもしれない。

「世の中そんなに甘くないのよ、私は今までいろいろ飲み込まされてきた、今度はそちらが「飲む」番よ」と。


 なにかごちゃごちゃと言われたら?


 こう言えばいい。

「反論は受け付けないわ」と。


 もしくは、

「あなたが正しいとしても、この場合ゆずれないわ」と。


 十何年もたってるのに、そんな昔の恋にこだわるのはおかしい!と言われたら?

 こう反論すればいい。

「その言葉、十何年後、そっくりそのままお返しするわ。楽しみに待っていてね。もっともその頃、あなたいくつかしら」と。


 Fさん、がんばれ!

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〔10月24日(月)「もし、先が見えない不安に駆られても、あせってはいけない。

 自分をしっかり持って、立ち向かってほしい。」〕


 Fさんは、スティーブン・ホーキング博士を知っているだろうか?

 宇宙物理学で有名な人、不運にも体が動かなくなる障害にみまわれ、わずかな筋肉しかうごかせない。

 一般には、車椅子に乗って、機械の音声でしゃべる、宇宙学者として有名だ。


 アインシュタインの相対性理論が、ブラックホール内でも通用する事を予言。

 見事その後、観測で実証され、そのブラックホールからの放射エネルギーは、「ホーキング放射」と名つけられた。


 博士は次に、ブラックホールがいずれ崩壊する事を予言。

 その際、一時的に重力が減少するのが、アインシュタインの相対性理論と合わない矛盾を解く事に、執念を燃やしているとか、いないとか。

(その鍵を握るのが、超ひも理論という全く別系統の宇宙論で、従来の宇宙論と常に衝突している。この衝突を回避できるさらに上位の宇宙論の構築が、現在の宇宙研究のメイン課題らしい)


 博士の研究は、ブラックホールなくしてはありえない。

 スティーブン・ホーキングといえば、ブラックホールの人だ!といっていいくらいだ。


 そんな博士も1970年代、弱気な事を言っている。

 この時期、ブラックホールは見つかっていない、理論上の存在だった。

 もし、ブラックホールが机上の空論で、実在しなかったら?博士の人生を賭けた研究は、全部無駄という事になる。

(博士は研究の気力だけで生きているような人だ。同じ障害の人は20代前半で亡くなったしまう事が多い)


 そこで博士はせめてもの慰みに、同僚と賭けをした。

 もし、自分はブラックホールが実在しない方に、1年分の雑誌の購読料を賭ける、というのだ。

 仮に本当に、ブラックホールが実在しないことが証明されたとしても、賭けには勝つという、皮肉たっぷりの賭けだ。


 しかし、その後、ブラックホールの実在は証明され、博士は(うれしい事に)前述の賭けに負けた。

 負けて嬉しい賭けというのも、なんだか変だが、ブラックホールが発見されていなかった当時の、博士の心境を推し量るエピソードだと思う。

 それは、先の事がわからないことに、全人生を賭ける壮大な不安だと思う。

 特に博士の場合は、気力で延命している面がある。人生に挫折したら、気力を失い、命も危なくなる。博士の障害とはそのくらい重いものなのだ。


 さいわい、博士は自らの賭けに負けたが、人生を賭けた研究に報われた。


 Fさんに伝えます。


 もし、先が見えない不安に駆られても、あせってはいけない。

 自分をしっかり持って、立ち向かってほしい。

 君ならやれます、大丈夫です。君の強さは僕が保障します。

 がんばれ!


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〔10月25日(火)「日常感のなかに非日常的な空気を何度もぶつけるのは、“彼ら”の手口だ。」〕


 こんな事も思う。

 今の介護の仕事をしていると、足元がおぼつかない状況で、歩行する事が、いかに危険か?という事が、よく判るし、理解できるようになった。

 その立場から、東京脱出前後の記憶を思い返すと、やはり、あれは「おかしい」という記憶にぶちあたる。


 この小説内でも書いているのだけど、足の内側を地面につけて、足を八の字にひらいて歩行する人を見た。あの“彼ら”の攻撃が激しかった時期、何度も見た。一見すると障害者の方のように見える。しかし、1日に何度も遭遇する。障害者を何度もぶつけて、ターゲットに心理的圧迫を与えるのも“彼ら”のお馴染みの手口だ。(「相撲取り」や「警察・自衛隊」なども、同じ威圧の意味で何度もぶつけるのだと思う。日常感のなかに非日常的な空気を何度もぶつけるのは、“彼ら”の手口だ)


 この八の字に歩いて、フラフラと歩くのは、今の介護士の立場で言わせてもらえば、犯罪的にありえない事だ。通常、そこまで重症なら「車椅子」を使わないといけない。使わずに歩いていたら、警察に通報して保護を要請しないといけないと思う。いつ転んで外傷を負うかわからない大変危険な状態だからだ。


 ここまで重症の人に車椅子を進めないのは、家族も医者も過失責任が問われかねないと思う。

 だから、“彼ら”の誰かが、障害者のモノマネをしている以外の可能性は非常に低いと感じる。


 この歩き方をする人は、東京でもこちらでも見た。

 その事実も実に奇妙に感じる。

 Fさんは、どう思うだろう?


 もし、今度見かけたら、躊躇なくその様子を携帯動画で撮影してから、110番しようと思う。

 いろいろな意味で本人のためだ。


 “彼ら”は常識ではありえない事を「平気」で思いつき、実行する。

 おかしいと思うなら、それだけで戦う理由には充分です。

 なにも躊躇する理由はありません。


 この戦い「ルールのルールを破った」方の負けです。

 あいての破っている「社会のルール」をついてやれば、勝機は絶対にあります。

 負けないで!がんばれ!

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〔10月26日(水)「恩義おんぎの返し方が間違っている。」〕


 こんな映画を見た。

 「白バラの祈り」という映画で、第2次大戦中、ドイツで反ナチスのビラを撒いた学生を描いた映画だ。実話に基づいている。

 逮捕後、わずか5日で処刑されたスピード判決だ。よほど当時の社会を揺さぶったのかもしれない。

 これは、その5日間を描いた作品。


 彼女を取り調べる、秘密警察の取調官は、こんな事をいう。

 自分はナチスがいなかったら、今頃、田舎で巡査でもしていたと。

 いろいろ理由を並べ立てて、ナチスを正当化するが、要は、自分みたいな人間が出世できたのは、ナチスのおかげだ、とこういう理屈で、反ナチ運動を取り締まっている。


 見ていてこう思った。

 この人が恩義を感じるのは、わかる。


 だが、その恩義を報いる犠牲として、主人公の女性がいけにえにされるのは、間違っている。


 いけにえを「必要と」するような、「恩義おんぎ」の返し方は、非常に間違っていると思う。


 Fさん。

 そちらの世界には、組織にこんなに世話になってるのだから、言う事を聞けと言う人、いると思う。

 そういう人がいたら?こう言い返していいと思う。


「「いけにえ」を必要とするような、恩義おんぎの返し方は間違っているわ。私は、恩義を感じないわけではない、その返し方が間違っていると言っているの。これ以上、犯罪組織の片棒をかつぐのはごめんだわ。」と。


 何もこう言えという訳ではない。

 なにか“感じる”ものがあれば、自分の言葉にしてほしい…、そんな風に思ったのだ。

 君は口げんかが苦手な人だ。だから、少しはこういう言葉を知っていても、損はないと感じた。

 もし、私にはこんなキツイ言葉使えないわ、と感じるなら?

 前々から何度も書いているけど、こう繰り返し言えば良いとおもう。

「私、間違いに気づいたの」と。


 君が、穏やかに暮らしている事を願います。

 それでいて、君が自分を取り戻す努力をあきらめていないことを、祈っています。

 頑張ってほしい、まけないで!

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〔10月27日(木)「敵の敵は味方という」〕


 Fさんへ。

 以前書いたけど、詳しく書かず、匂わせただけの物がある。

 今、そこを読み返すと、うーん、これは通じないよなさすがに、と思った。

 それは第2話の以下の文章。


 「敵の敵は味方という、わかるだろうか?彼ら最大の目の上のたんこぶ。

 かつてたもとを分かち合っていたもうひとつの“彼ら”。」


 これは、助力を得る方法について述べたものだ。

 そちらの世界の常識がわからないので、どの程度有効かはっきり判らないけど、この記述、あいまいにせず、ハッキリ書いたほうがいいかもしれないと思い、書きました。


 どういう事か?というと。

 そうだな…、例えが難しいけど、こういう例えはどうだろう?


 例えば、創価学会は昔、日蓮宗とケンカ別れした。理由は良く知らないけど、一般に仲が悪いと聞く。

 創価学会内で、不満をもつ人間が、日蓮宗側につき、立場の回復を試みるというのは、アリなのだろうか?


 これは、あくまで例え話。“彼ら”の場合どうなのかしらないが、調べると、“彼ら”もかつて母体となった宗派があり、ケンカ別れしている。

 そういう方向を検討するのは、どうなのだろう…。

 上記の第2話の記述はそういうニュアンスで書いたのだけど、判りにくいよね、たぶん。

 だから、ここで改めて明記しようと思った。


 創価学会は、結構、平和論者が多い。昔、PKO法案に反対し、公明党に圧力をかけたりしている。

 その辺が、“彼ら”と全く違うと思う。

 宗教は人を救うためのものだ、見せ掛けだけの信仰など、やる価値はない。もちろん、カルトならば別だけど。

 Fさん、“彼ら”の内部も複雑で、単純でないと思う。

 人に気を使う君は、多くの複雑な問題を、全部解決したい衝動に駆られると思う。

 でも、そういう時は、時に盲目になっていいと思う。

 “彼ら”から離れ、今まで見てこなかったものを見る時間を、大切にすべきだ。


 君がもし仮に今も戦っているとしたら?たぶん、自分を取り戻すのに時間をかけていることと思う。

 感じるがままに、行動して良いと思う。

 そのうち、自分が見えてくると思うから。

 これは、僕の経験則。

 お互いに僕と君は遠慮がちな正確をしている。

 その辺を意識して、今まで「10」遠慮していたものを「9」か「8」にするくらいは、アリだと思う。「0」にする必要はない。

 そういう感覚で、乗り切っていいと感じました。

 君はどう思うのだろう…

「また。むずかしい事言ってる」

 とか思うのだろうか?

 このニュアンス、雰囲気だけでも君に伝わればうれしいです。

 何が役に立つか判らないので、一応書きました。

 

 がんばれ!

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〔10月28日(金)「街中を見ていて思う」〕


 今日、買い物に行きました。

 印鑑を紛失し、買わなければいけなかったので。

 今の仕事、これが無いとなにもできません。

 今日はさいわい休みなので、車で出かけました。


 街中を見ていて思う。本当に変ったと。

 こちらに帰ってきたばかりの頃、まだ、君に簡単に会えると本気で思い、新幹線に乗って帰ってきた頃。街中のほとんどの人が、こちらを睨んでいた。車もすごかった、僕がどこへいっても大量の車が来る、ドライバーは皆こちらを見る…。


 以前この小説内でも書いたけど、この時期、大社のお祭りの日、大社の敷地内に入ると、急に視線を感じなくなった。たぶん、“彼ら”でない人の割合が増えたせいだ。


 そんな記憶から推察するに、現在、目線を感じないのは、“彼ら”が睨まなくなったというよりは、一般の人の比率が増えたからかもしれない。


 当時はどこに行っても目線があった。

 お年寄りが意味なく腰掛けて、こちらを待ち伏せるように見ていたことは、頻繁にあった。

 歩道橋の上から見られていたこともあった。

 ふいにドアや窓があいて、バッタリ目がうこともあった。

 近づくと急につばをはかれることも頻繁だった。

 徒歩で歩いていると、猛スピードで車が脇をすり抜けるなんて毎日だった。


 しかし、今はない。


 時々、こんな妄想を抱く。

 もし君がお願いして、僕を救ってくれていたら?と。

 そんな力は君に無いと思うけど。けど、時々、そう考えてしまう。

 そんな時、こう思ってしまう。

 僕を助ける余力があるなら、自分を救う事に全力を挙げてほしいと。

 僕の願いは、君が君らしくあることだ、僕は僕で、自分の身は守るから、君は自分の事に全力をつくしてほしい、そんな風に感じてしまう。


 実際のところがどうあれ、ともかく、そんな思いがあるとこを、君に伝えたかった。

 君が、あの満面の笑みでいてくれる事が、僕の何よりの幸せなのです。


 君は自分が思っている以上に強い人です、頑張ってほしい。負けないで!

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〔10月29日(土)「「そうかな…」と思うかもしれない。」〕

 

 Fさんへ。

 ツタヤディスカスをはじめたおかげで、いい映画によくめぐり合う機会が増えました。

 昔から思っていた、いい映画には、どうやって皆、出会っているのだろう?と。

 著名人で映画に詳しい人など、どうやって、そういう映画と出会うのだろうと、不思議だった。


 しかし、このツタヤディスカスのおかげで、「そうそう、こういうの見たかったんだ!」という映画に出くわします。

 いい時代になったのもです。


 こないだ、「世界最速のインディアン」という映画をみた。

 この映画がディスカスから届いたと時は、あれ、こんなの頼んだかな?と思ってしまった。


 現在、300タイトル以上申請してある。中には、たのんだ事を忘れてしまったタイトルも多い。

 でも、その分、ワクワク感が増します。

 この映画、そんなにマイナーではないと思う。有名な俳優アンソニー・ホプキンス主演作品なのだ。


 たぶん、国内の興行会社が、受け入れず、単館上映にでも終わってしまった作品なのだろう。

 今の時代、売れる映画と、いい映画は、別だったりすることが多い。


 この映画は実話に基づいてる。

 25年来、旧式のバイク「インディアン」を改造し続け、本来時速80キロも出ないバイクだったのに、320キロまで出せるようにしてしまった老人の話。

 自らの死期を悟り、自宅を抵当に入れて、自宅のあるニュージーランドからアメリカのスピードコンテスト会場まで珍道中をつづけ、その憎めない性格から困難を乗り越え、ついに1000cc以下の部門で世界最速の記録を打ち立てた、という話だ。


 男は言う、人生にはスパイスが必要だ、と。

 周辺は奇人変人扱いだが、意に介せづ自分を貫く姿勢が実にいい。

 彼がハリウッドのモーテルに行ったくだりが面白い。奇人変人の彼以上の変人があつまるそこは、彼が普通に見えてしまうほどの世界だったりする。

 そしてどこへ行っても、「地球の反対側から、スピードコンテストのため、貧乏旅行をしている」と説明すると、多くの人が心を開いてくれるのが面白い。

 どこまで演出かわからないけど、こういうあたたかく、面白く、最後にハラハラ、ドキドキのある話は、実に好きです。


 漫画を描いていると時々、考え込んでしまう。

「一体、面白いとは何だろう?」と。


 そういう時、こういう面白い映画に出会うと?

「そうそう、面白いとは、こういう事だ!」と思い出せます。



 長々と書いたけど、何が言いたいかというと。

 自分をコントロールして、自分のペースをとり戻す試みは、決して悪い事ではない。

 そうやって、自分の心をコントロールして、ペースを取り戻し、ペースをつくり、ペースを守って、事に当たる事は重要に思います。

 上手くいかないからと言って、やけっぱちにならず、ペースを崩さない事が大事だと感じました。

「そうかな…」と思うかもしれない。

 でも、君にそんな事を伝えたかった。

 君が、君だけの結論にたどり着ける日を応援します。

 Fさん!がんばれ!!

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〔10月30日(日)「「苦手」なことを無理して行うよりも、「得意」なことを繰り返し行ったほうが、長期戦では有利なのは事実。「でも」、一応書きます。」〕


 今から書くこれは思いつきのメモ程度の記述です。

 おそらくFさんに「これ」を実行することはできないと感じる。

 でも、何が役に立つのかわからないので、一応書きます。


 “彼ら”の手口に、ある程度、仲良くして、油断さしてから裏切るというのがある。

 これを、逆に利用する手立ても、時として有効かもしれない。


 改心して、もう裏切らないといい、以前以上に協力的なそぶりを「一瞬だけ」見せておいて、土壇場で「やっぱイヤ」と強行に跳ね除けるというやつだ。


 相手は、やっと元に戻ったか…、と安心していたので、心理的圧力は、通常よりも負担がでかいと思う。ただ、強行に殻に閉じこもるよりも、相手の心を揺さぶる効果はでかい。


 でも、たぶん君の性格では、こんな器用な作戦は苦手と思う。

(そう、苦手なことを無理して行うよりも、得意なことを繰り返し行ったほうが、長期戦では有利だ)


 Fさんの、無言の圧力には気迫がある。無理せず、得意な方法で戦うべきだ。

 でも、何がいつ、役に立つかわからないので、(後悔したくないから一応)書きました。


 君が今も戦い続けているという前提で書きます。

 がんばれ!!

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〔10月31日(月)「床屋」〕


 Fさんへ。

 今日床屋に行って来ました。


 もしかしたら、そちらの世界で、もうこの情報は行き渡っているかもしれない。

 帰る途中、写メを録られたような気がする。

 不自然に携帯をかざされた。


 写メを録られた、という経験は、多くはないが、確かにある。

 一番接近してのものは、新幹線で隣りに座った人にとられたと感じた時だ。


 自動車移動が多くなったので、あまり感じないが、自転車では、いろいろ目に付く。

 今日、日大通りで「399」というナンバーの黒塗りのタクシーをみた。

 (ちなみに言うが、これだけで車は特定できないと思うので、この記述はokだと思う、それにそもそも、思い過しなのだから)

 (ついて言うと、今日一番の大物は26ー34というナンバーの車だ。たぶんアメリカ製のスポーツカーで、ボンネットに炎のエンブレムを2本つけている目立つやつだ。ダンプカーよりもデカイ音で近づいてきた。あれもそうなのかな?なんだかこの手の改造車は、外出すると「必ず」見ます。Fさんはどう思う?そんな話、2人でできたら嬉しいです。)


 で、思い過しだと思うけど、ついさっき見た同じナンバーの黒タクシーを自宅の前の道、近くで出会った。

 まるで、あそこから、先回りして、回り込んだかのような…。

 まあ、偶然に違いないけど。

 “彼ら”の第一、第二世代は低所得者層という話を、よく聞く、タクシー業界は、再スタートを切る人が多いと聞く。

 僕も含めてだが、再スタート組みは、総じて低所得だったりする。まあ、関係ないと思うけど。そんな事を感じました。


 いつか、一緒に、身近に感じながら、共に戦える日が来たら嬉しいです。


 君が戦っているという前提で書きます。

 負けないで!がんばれ!!


 

(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)



〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください

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