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第45話 不器用ながらも、真剣さを伝えたい

〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください

(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)


〔6月23日(木)〕「不器用ながらも、真剣さを伝えたい。

 そういう「感覚」は、君の好むやり方のように思う」


 Fさんへ。

 今日も君が戦っているという前提で書きます。

 もし外れていたとしても、ああ、心配してくれているんだ、と思ってくれると嬉しいです。


 「真剣」というのは重要かもしれない。


 仕事をしていて思う。真剣さというのは、相手に伝わる。

 この仕事をしていて、利用者の方々には、こちらがどのくらい真剣にやっているか?というのは伝わるものらしい。


 どんなに感覚の違う相手にも、真剣さというのは、伝わると感じる。

 もちろん、相手の真剣さを笑う者や、蔑む者も事実いる。

 しかし、そうでない人々もたくさんいて、世の中はなっているように思う。


 真剣に、時間をかける事は、けっして間違ってはいない。


 …それに、こうも思う。

 不器用ながらも、真剣さを伝えたい。

 そういう「感覚」は、君の好むやり方のように思う。

 どうかな…、外したかな…、いつか、どう感じるのか?直接聞きたい。


 震えることもあるだろう、恐れる事もあるだろう。

 でも、君が頑張り続けられるなら、僕もまたそうです。


 いつか未来の落ち着ける日々を信じて。


 …もし、今もなお「交渉」という戦いの場にあるなら?

“彼ら”の最大の弱点は、自分たちは準カルト的集団であり、本物のカルトではないと「思い込んでいる」点だ。

 だから、公式の立場を大切にする。

 交渉するなら、相手の職場を訪ねるのが、最も効果的と以前書いた。

 この事自体は間違っていないと思う。

(公式の立場が優先される職場では、彼ら的行動はかなり制限され、まともな人間としての対応が要求されるからだ)

(さらに、そうした“公式な場”において、その人物の変った普段の姿を暴露するというのは、相手がもっとも嫌がることでもある)

(証拠などあると、なおさら効果は増す)

(でも、やり方と出すタイミングを間違えると、空振りに終わる事もあるので注意がいると思う)

 

 そちらの世界では現実世界で自分ってかっこ悪いなと感じている人が、その崩れたプライドを回復させる世界が“彼ら”的世界ではないのだろうか?

 その世界では、世界のルールは自分たちを中心に回っており、信心(活動やお布施)しだいで、幸せな家庭やかわいいお嫁さんがもらえたり。


 現実の世界では叶わない夢を実現する世界。

 それが“彼ら”的世界に見える。


 部外者からみればエゴそのもののエゴイスト集団にしか見えないけど…。


 そして、やさしい人達がその踏み台にされている。

 しかも多くのそうした人達に自覚が無い。

 催眠と暗示が効果的に使われているからだ。

 そして疑問を感じる人間には、恐怖の制裁がまっている。

 僕と君が経験したあの日々のような…。 

 …落ち着いて、ゆっくり考えて、自分の答えを求めてほしい。

 そう、君に伝えます。


 人見知りは、他人を否定する。

 それは悪い事ではない、個性の1つだ。

 しかし“彼ら”の上層部はそうした人の「弱い」心を増長させ、サイコパスに近づくよう心を誘導する。

 人々の心から「寛容と受容」が失われた時、どんな世界が待っているのか?

 そんな世界が理想の世界ならば、最悪だと感じる心は、まだ失われていないと思う。

 君はどう感じますか?

 肝心なのは、君が、どう感じるかだ。

 誰かがどう思うかではない。

 難しいけど、頑張れば、道は見えくると、信じます。

 迷った時は、自分の中の譲れない“なにか”があるかどうかを問うてほしい。



 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!

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〔6月24日(金)〕「自分に非はないと思っているの?と言われたら?」


 Fさんへ。

 自分に非はないと思っているの?

 と言われたら?


 …というか絶対言われていると思うけど。


 そういう時はこういえばいいと思う。

 「確かに私にも問題がある、でも、それが理由で私の人格全てが否定されるのはおかしいでしょ?私が言いたい事はそういう事なの。理解できない?」

 と。


 違和感を感じる…、などと言う人もいるかもしれない。

 確かに最初は違和感を感じるだろう。

 でも、違和感は慣れれば感じなくなる。

 いつまで経ってもなれないというのは、単に好き嫌いの問題だ。

 結婚問題においては、好き嫌いはとても重要な問題。

 だから、違和感を感じる。と非難されたら、こう言い返せばいい。

「実は私も同意見よ、わたしも違和感を感じているの」と。

 事実なのだから言ってもいい。そしてこう続けるのがいい。

「考えが合わないという共通認識が出来たわね」と。

 

 相手は君の考えを変えさせようと、あらゆる手を打って来る。

 考えが違うのかどうなのか?という所をあいまいにしたままだと、いつの間にか丸め込まれる可能性もなくはない。あいまいにせず、「考えが合わない」と明白に主張する事も重要に思う。

 真剣に毅然とした態度を続けないと、相手はいつまでも、君を言いくるめられると思い込んでしまいかねない…、過去にしつこく君を叱る人間がたくさんいたかもしれない。今度こそ丸め込まれないようにしないといけない。

 新手が次々に来るかもしれない。

 でも君が頑張り続けられるなら、僕もまたそうです。


 自分自身の非は認識している。

 でもそれがあるだけで、自分の全人格が否定されるものではない。

 そう、自分自身に言い聞かせてほしい。


 負けないで!


“禁止”してはいけないことを、“禁止”してしまったのが「“彼ら”の世界」だ。

 そんな世界、息苦しくて、おかしくて、理不尽だと思う。

 我慢強さをりようされ、どこかの誰かの欲望を満たす奴隷と化す世界?

 諦めは奴隷化の始まりです。

 境遇は変らなくても、精神まで隷属させる必要はない。

 心を持つことまでその世界は“禁止”されているのだろうか?

 とても心配です。


 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!


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〔6月25日(土)〕「クリスマスは君にとっても思いいれのある日だと思う。

 いつか共に祝える日を信じて。」


 昔のキリスト教徒にクリスマスがキリストの誕生日ではない、と言ったら?

 きっと激怒しただろう。神を愚弄するのか!と。


 しかし2011年現在、キリストの誕生日は不明で、クリスマスももともとローマの太陽神の日だったことが周知されている。


 長年信じてきた常識が全部間違っていると言われると、

 確かに「なんなの!?」と思う。


 けれど間違いは間違いでちゃんと伝えないといけない。

 原発問題でも、その問題を震災前に多くの本が指摘しているが、皆、無視されて今日にいたっている。

 「どんなに、不愉快でも、それが真実」

 そう、言ってもいいとおもう。

 君が、きみらしくあるためにも。


 お互いをかばいあうのは友情としては美しい…

 組織の友情を守る事のために、私が犠牲になるのはどうなの?

 …そう質問してもいいと思う。

「今までは、私が我慢してきた、今度はあなたの番」

 と言ってもいいように思う。


 僕が聞いた話ではキリストが生まれたのも、紀元元年から3世紀ほど昔とか、いろいろ説があると聞く。

 自分たちの信仰の根幹に関わる事でも、考古学の成果に基づいて正そうとする西欧世界の姿勢は素敵だと思う。


 かつてのキリスト教では、そんなことしたら、教えが崩壊してしまうと考えただろう。

 でもそんな事はなく、宗教改革を乗り越え、近代宗教として今日ある。

 自ら変る心を持っているのと、もっていないのとでは、違うようだ。

 どんなに不器用でも、どんなに非力でも、変ろうとする心さえあれば、ないよりも遥かに「前」に進める。


 妥協と怠惰にいそしむ空気にまどわされないで!

 長年信じてきた常識が全部間違っていると言われると、

 確かに「なんなの!?」と思う。

 これは人間としての質が問われているのです。

 そう周りの人に伝えてください。


 たぶん…いろいろあるのだと思う。

 手に負えない状況なのかもしれない。

 それでも、やけにならず、前を向いていてほしい。 


 自分自身に誠実でありつづけさえすれば、いいと思う。

 自分を偽らず、誠実に。


 どんなに理解されなくとも、活路はそこにある。

 そう信じていいと思う。


 自然に、自分でいることが大切です。

 

 真実に気づく以前の当時、自分にはFさんと親しくする資格が無いと思っていた。

 こんなにしてもらっていいのだろうか?といつも思った。

 君に疑問をぶつけると、そんな事無いよと君が答えてくれる。

 あれは…、幸せな瞬間だった。


 そんな記憶、確かにある。

 

 手を2人合わせると、同じ大きさだったのに驚いた。

 君がなんとなくドキドキしていたのを覚えている。

 手を合わせるという行為は、手をつなぐ以上に非日常な感じがする。

 君は、あのときの事覚えているだろうか?

 時々、自分の手を広げて、同じ大きさの手を持つ女の子の事を思い出す。

 幸せな記憶は確かに今もここにある。


 そう、思うことがあります。


 顔に触れた事、覚えているかな…?

 あれは幸せな記憶だ。

 君の記憶では、どんな風になっているのだろう。

 ただ、ほほを触るだけなのに、なんだか、物凄く幸せに感じた。

 僕は笑顔の君が大好きだ。笑顔で無い君も大好きだけど、やはり笑顔の方がよりいい。


 大切な“なにか”があるなら、それは重大な事です。

 世の中にはそれが無い人も事実いるのだから。 


 クリスマスは君にとっても思いいれのある日だと思う。

 いつか共に祝える日を信じて。


 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!

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〔6月26日(日)〕「大丈夫、君ならきっとうまくやりとげる。そう、信じています。」


 “彼ら”が僕と君にした事は、世間的に見れば“恥知らず”以外の何ものでもなく、非常識なんて甘い言葉では表現できないほど酷いものだ。

 にも関わらず、“彼ら”は「それ」を恥ともなんとも思わず、むしろ、やって当然と考えるのだろうか?と。

 君の真剣な訴えを退ける役回りの人物に対しては、賞賛の嵐なのだろうか?と。


 実際のところはわからない。

 しかし、閉ざされた世界のいびつな世界観は、時としておかしな事を平気でする空気をかもし出す。


 最近こんな話を読んだ。

 

 公務員にストライキ権はない。

 公務員がストライキしたら社会が成り立たないからだ。

 (警察がストに入ったら犯罪し放題になるかもしれないからだ)

 でもそれでは公務員がかわいそう…、という理由で作られたのが「人事院」という組織だ。

 人事院はスト権のない公務員の待遇が、世間並みのものであるように公正に取り計らう組織だ。


 しかし、この組織、ちっとも“公正”ではない。

 なぜなら、官僚が運営しているからだ。

 官僚が官僚の処遇を取り計らうわけで、“公正”どころか“優遇”しているくらいだ。

 公務員の給料が民間より高い理由の1つです。

 (これが公務員の人経費がいつまでたっても削減できない理由となり、国家財政に影響もしています)


 この人事院改革は、福田政権時代に持ち上がったらしい。

 物凄い抵抗にあったが、なんとか人事院の権利を内閣府に移す法案が成立したようだ。

 しかし、麻生政権時代にも物凄い抵抗にあい、法案のまま、終わってしまった。


 この時、人事院の官僚優遇政策が一部マスコミに露呈もされたが、あまり盛り上がらなかったらしい。


 本の著者はこんな感想を述べている。

 人事院のトップには申し訳ない事した、と。自分(=著者)が法案を出した結果、彼を(人事院のトップを)悪者にしてしまった、申し訳ない、と。

 ところが現実はまったくの逆だった。

 官僚の既得権を守り抜いた英雄として、彼は褒め称えられているという。

 官僚のほまれと霞ヶ関で賞賛されているというのだ。


 世間の感覚では、人事院の制度は、国民の苦境を無視した官僚の恥知らずな制度であり、

 そんなものを守るはめになった人事院トップは、マスコミからも叩かれただろうし、迷惑かけたなー、と罪悪感を持っていたらしい。


 …そしたらとんでもない。

 霞ヶ関の感覚では、“それ”は恥でもなんでもなく、

 官僚が優遇されるのは、平和憲法と同じくらい、犯してはいけない守られて当然の権利と思っているらしい。


 普通の感覚では君が正しい。

 なのに周囲はそれを認めず、君が悪い事にされてしまう?

 でも。もう1人ではありません。

 大丈夫、君ならきっとうまくやりとげる。そう、信じています。


 “彼ら”は自分たちの犯罪組織が、平和憲法と同じくらい、犯してはいけない守られて当然の集団と思っているらしい。

「そう思いたければそう思っていればいいんじゃない?でも私をもうこれ以上巻き込まないで!」

 と言ってもいいと思う。


 世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです、手が出せば届くようなものではない強大なダイナミズムで動いている。日本とて例外ではない。

 せまい世界のなかだけで完結しないという事だけは、間違いようのない事実です。

 けっして単純ではない。

 単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。

 Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!

 君の周りの人に伝えてください。

 「自分たちだけが一方的に正しいと思っているのは恥ずかしくないの!?」と。

 「理解を示す心の広さはどこへやったの?」と。

 「真実に目を向ける勇気はどこへいったの!?」と。

 彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。


 わかろうとしないのは、個人個人の“質”の問題です。目の前しか見ていない。

 そうした自分都合の連中に負けないで!

 “厄介な人”多いと思うけど!負けないで欲しい。

 君が戦い続けられるなら、僕も戦い続けられます。


 これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。

 教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。“質”が問われているのです。そう伝えてください。


 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!


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〔6月27日(月)〕「“彼ら”の行動原理の根幹にはこういった感情があるのではないだろうか?」


 こんな事も思う。

 Fさんが嫌いなのは「猜疑心をもつ人々」なのではないかと…。

 猜疑心とは相手の行為などをうたがったりねたんだりする気持ちの事だ。

 “彼ら”の行動原理の根幹にはこういった感情があるのではないだろうか?

 こういった猜疑心を自分だけでは押さえ込むことが出来ない人々の集団、あまり想像したくないが、そんなイメージも浮かばなくもない。実際の現状を知る君は、どう思うのだろうか?これが言いがかりであり、もう少しまともな組織である事を、祈らざるがいられません。

 Fさんはそういった感情が嫌いだと感じた。

 そんな事を僕が思っていると、君に、今、伝えます。

 僕の夢は、これが君にちゃんと伝わる事です。

 いつか君の「じゃあ、夢が叶ったね」というあの懐かしい言葉を直接聴ける日を夢見ます。


 “彼ら”の世界観は、まるで、人々が盗み奪う以外に生きる方法がない時代の世界観のようだ。

 あいかわらず、変な理屈をふりかざす人には、こういえばいい。

「いつの時代の常識よ!」と。

 悲惨な時代のルールを世の本質と思うのは、猜疑心のなせるわざだと、教えてあげてください。



「本質的な違いがあるからこそ、私は、決断したの」

 そう、繰り返し主張すれば、そういう空気を作れると思う。


 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!

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〔6月28日(火)〕「「彼方が人々に与えた「衝撃」は尋常じゃないものだわ、そろそろ皆に謝罪してもいいんじゃない?」と言う権利がFさんには、あるように思う。」


 Fさんへ。

 今も君が戦っているという前提で書きます。

 …彼らの多くは「まとも」だ。それは君も知るところだろう。

 僕も多くのまともな彼らに東京で会った。


 こうも思う。

 君が目に見える行動で、自分の意思を表明すれば、多くの「まとも」な人の意を得る事もできるかもしれない。

 君は絶対的に正しいのだから、堂々としていればいいのです。



 偉い幹部といえども、その権威を支えているのは多くの一般のメンバーの総意だ。

 多くの「まとも」な人は、酷い事は酷いと普通に考える。

 幹部のサイコパス的発想では、ウソで事実を捻じ曲げて、「まとも」な人の意見を封じる方法で、対応しているのだろう。


 とにかく、行動で自分の意を表現するのが、効果的だと、そう考えます。

 難しいのはわかる。

 君の心が砕けない範囲で、真剣さをもって繰り返せばいいと思う。

 そして、“彼ら”の酷い姿が、理想のイメージといかにかけ離れている事を、直視させる事が、君にはできる。行動をおこす事によってだ。


 「私の真剣さがどうして伝わらないの!?そこが、そもそもの理由よ」と言ってもいいと思う。

 相手は君の心が折れるのを待っている。


 「彼方が人々に与えた「衝撃」は尋常じゃないものだわ、そろそろ皆に謝罪してもいいんじゃない?」

 と言う権利がFさんには、あるように思う。


 仮にここまできつく言えなくても、これに類する言葉は発していいと思います。

 君の勇気と決意を信じて。


 折れないように、ペースを作って、ペースを守って、着実に「前進」すればいいとおもう。


 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。

 傲慢さに負けないで!


 がんばれ!


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〔6月29日(水)〕「「いじめなんて、なまやさしい言葉で、片付ける気なの?そんなものじゃないわ」

 と言う権利を君はもっている。」


 Fさん、君が受けた事を「いじめ」という言葉で片付けられるのは、間違いだと思う。

「いじめなんて、なまやさしい言葉で、片付ける気なの?そんなものじゃないわ」

 と言う権利を君はもっている。

 世の中には言わないと通じないことが、確かにある。

 そして、言わないとかき消されてしまう想いも、事実ある。



 “彼ら”は、この問題はたいしたものではない、と人々に思い込ませようと必死だと思う。

 その過程で、僕や君の人間としての価値が低いかのごとくイメージの構築を画策するだろう。

 “彼ら”の理屈では、たいした事のない人間は、粗末に扱ってかまわないという概念があるからだ。

 こういうバイアスに真っ向から戦うのは得策ではない。

 こういう圧力を受けたら?こう言い返せばいい。


「彼方が人々に与えた「衝撃」は尋常じゃないものだわ、私はともかく、皆に失礼よ!そろそろ謝罪しないといけないんじゃない?」と。


 言い続けると、そういう空気が作れると思う。

 “彼ら”の理屈では、君や僕に謝罪するという概念は永久にでてこない。

 でも仲間に迷惑をかけたから謝る必要があるというルールはあるように思う。

 もしも「どうやって謝罪しろというんだ!1人1人に会って頭を下げろと?」と言われたら?

「「反省」の意思表明として、別れる事に同意すれば、誰もがあなたの謝意を理解するわ」

 と言い返せばいい。

「それとこれは話が別だ!」

 といわれたら?

「どう別なのか説明して」

 と言えばいい。

 組織のプライドに泥を塗ったのだから、それを正すには、自らの身を削る謝罪しかありえない。

 そう主張する事もできます。

「あなた、自分だけは犠牲を払いたくないっていうの?どこまで自分に甘い人なの!?」

 と言ってもいいと思う。



 Fさん、君が受けた事を「いじめ」という言葉で片付けられるのは、間違いだと思う。

「いじめなんて、なまやさしい言葉で、片付ける気なの?そんなものじゃないわ」

 と言う権利を君はもっている。

 世の中には言わないと通じないことが、確かにある。

 そして、言わないとかき消されてしまう想いも、事実ある。



 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!


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〔6月30日(木)〕「自信があるとかないとか、そんな事言ってられない、もう生きる為にはやるしかない」


 Fさんへ。

 被災者のニュースをみていて、こういうのがあったと思う。

「自信があるとかないとか、そんな事言ってられない、もう生きる為にはやるしかないんです。」

 という被災者の言葉だ。


 まったくその通りだと思う。


 Fさんはどう思う?


“彼ら”のやっている事は、猜疑心を助長させて人から理性を奪い、家畜とする行為だ。

 そんなものは、この世からなくなっても、まったく持って困りはしない。


 そんな愚行をさも神聖視しているサイコパスに負けないでほしい。

 君が君らしくあるためにも。


 Fさんは、猜疑心をもつ人というのを好きではなかった様に思う。

 Fさんが頑張れるなら、僕もまた頑張れます。

 いつかの未来を信じて。


 いたずらに猜疑心に頼りきるサイコパスに負けないで!


 丁寧かつ妥協を許さない毅然きぜんとした態度が肝心です。

“履き違えた大人の事情”に負けないで欲しい。

「彼方が人々に与えた「衝撃」は尋常じゃないものだわ、そろそろ皆に謝罪してもいいんじゃない?」

 と言う権利がFさんには、あると思う。



 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。 


 君の勇気と決意を信じて。



 がんばれ!


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〔7月1日(金)〕「謝る時、人は最小限の謝罪で済まそうとする…。

 もし相手がそんな謝罪で済まそうとしたら?」


 Fさんへ。

 仕事をしていて知ったけど、ボランティアによる徘徊老人捜索ネットワークなるものがある。

 市内にボランティアのチームがいくつか存在し、捜索対象が出ると、いっせいにメーリングリストへ発信。時間のあるボランティアが捜索し、見つけたら通報する仕組みだ。


 …なんだか、なにかに、ものすごく似ていると感じてしまうのは、きっと錯覚なのだろう。

 そんな事思った。


 その資料には各チームの管轄地域と組織構成もある。

 各チームはボランティアゆえ、自然発生したものだ。

 自然発生するときは、地形が大きく関わる。

 以前この小説で書いた「地政学」が関わるからだ。


 もし、彼らの監視チームも、この地域の地政学の影響をうけて作られていたとしたら?


 おそろく、彼らの監視チームの数と配置も、この資料と似たものになるのでは…?などと妄想した。

 

 東京で感じたあの猛攻撃は各地に散らばるチームから選抜隊が組織され、それらが一斉に来たのだろうか?

 そう感じさせる規模だった。関東一帯のチーム全てから選抜隊がくれば、あの位にはなりかねない…。


 最近、会社に匿名の通報があったそうだ。

 会社内の問題点を訴えたものだ。

 つい、“彼ら”ならやりかねない、と考えてしまう。


 “彼ら”は暴行事件をおこして(あるいはでっち上げて?なにしろ被害者以外、目撃者がいない)、その犯人を僕にしようと画策した。

 警察に追われる恐怖は想像を超えていた。でもあれを経験してから、警察官も怖くなくなっている。


 またなにかくるのだろうか?

 なにしろサイコパスはどこまでも非常識だ。

 恥を恥とも感じない行動を平気でする。


 妥協と怠惰にいそしむ空気にまどわされないで!

 長年信じてきた常識が全部間違っていると言われると、

 確かに「なんなの!?」と思う。

 これは人間としての質が問われているのです。

 そう周りの人に伝えてください。


 “彼ら”の恥知らずな行為は多くのメンバーの失望と苛立ちを招くだろう。

 そに事実は衝撃として伝えられ、多くの人に迷惑をかけるはずだ。


 「彼方が人々に与えた「衝撃」は尋常じゃないものだわ、みんなへの謝罪を無視していいはずないでしょ」

 

 と言ってもいいと思う。


 謝る時、人は最小限の謝罪で済まそうとする…。

 もし相手がそんな謝罪で済まそうとしたら?

 「とりあえず“ハンコ”ついてくれる?そしたら皆彼方の反省が本物と理解するわ、謝罪には行動が伴わないと意味がないわ、口ではどうとでも言えるもの」

 と、すごむ権利を君は持っている。大丈夫です、お釈迦様とてきっとそう言ってくれます。がんばれ!



 「心理的圧迫」と「利益誘導」をたくみに織り交ぜて、巧妙に「心を」誘導するのが“彼ら”の手口だ。

 気をつけて!


 徘徊老人を捜索する仕組みはいいものだ、ないと、困る事がたくさんある。

 でもこれを悪用すると、集団監視システムになってしまう。

 似たような仕組みなのだろうか?

 みなボランティア感覚なのだろうか?

 何が正しのか、判断する意欲を失ってしまったのだろうか?

 それがお釈迦様の望む世界とはとても思えない。


  頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!

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〔7月2日(土)〕「もしかしたら、現在の「ばれなければ何をしてもいい」という文化も、過去の“彼ら”の偉業の1つなのだろうか?」


 ついこないだ見たTVでの話。

 江戸時代、動物を殺してはいけない「生類憐みの令」が出され、社会が大混乱した。

 …でも結果として、生き物を、強いては人の命を大切にする文化がバイアスとして発生したらしく、行き倒れの人を助ける文化や、産婆さんだけは大名行列を横切ってもいい…なんて話もあった。


 話は変って、アレクサンドロス大王の大遠征の時代。

 ギリシャ出身のアレクサンドロス大王のギリシャ文化と、征服地ペルシャ地域の文化が入り混じり、ヘレニズム文化が出来たとある。このごちゃまぜ文化の感覚はその後も、同地に作られたオスマントルコに引き継がれ、他者に寛容なごちゃ混ぜ文化を容認する風潮が出来たようにも、個人的には感じる。


 「生類憐みの令」や「アレクサンドロス大帝国」のように短期間で消滅した事象でも、その後のその地域の歴史に影響をあたえた事実はある。いいにしろ、悪いにしろ、だ。


 …“彼ら”のやっている事は、多かれ少なかれ今後の日本文化に影響をあたえるだろう。もしかしたら、現在の「ばれなければ何をしてもいい」という文化も、過去の“彼ら”の偉業の1つなのだろうか?


 この言いがかりに憤慨する“彼ら”がいることを、祈らざるをえません、その世界が、ばれなければ何をしてもいいと、本気で考える世界とは思いたくないからです。


 Fさん、君はその答えを知っている。

 いつか、これが言いがかりなのか?それともそうでないのか、聞ける日がくるのだろうか?


 聞いた事は他にはしゃべらない事は、現在の僕を観察している人間から聞けば、解る事だと思う。なにしろ、“彼ら”の事など微塵も口にしないし、気にするそぶりすらしない。


 精神力は鍛えられています、それなりに。

 勝つのは難しくとも、負けないようにする事は出来ると思う。


 君が頑張り続けられるなら、僕もまたそうです。


 いつかの未来のために、奇跡と君に賭けます!


 “彼ら”の恥知らずな行為は多くのメンバーの失望と苛立ちを招くだろう。

 そに事実は衝撃として伝えられ、多くの人に迷惑をかけるはずだ。


 「彼方が人々に与えた「衝撃」は尋常じゃないものだわ、みんなへの謝罪を無視していいはずないでしょ」

 

 と言ってもいいと思う。


 謝る時、人は最小限の謝罪で済まそうとする…。

 もし相手がそんな謝罪で済まそうとしたら?

 「とりあえず“ハンコ”ついてくれる?そしたら皆彼方の反省が本物と理解するわ、謝罪には行動が伴わないと意味がないわ、口ではどうとでも言えるもの」

 と、すごむ権利を君は持っている。大丈夫です、お釈迦様とてきっとそう言ってくれます。

 がんばれ!


 たぶん…いろいろあるのだと思う。

 手に負えない状況なのかもしれない。

 それでも、やけにならず、前を向いていてほしい。 


 自分自身に誠実でありつづけさえすれば、いいと思う。

 自分を偽らず、誠実に。


 どんなに理解されなくとも、活路はそこにある。

 そう信じていいと思う。


 自然に、自分でいることが大切です。


 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさな


いで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでい

て毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!


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〔7月3日(日)〕「こういう「そうなのかな?どうなのかな?」という感覚、今なら君と共有できる。」

 

 18年前、君も周囲の目線を意識していた、常に「あの人…」と気にしていて、僕が「ん?どうしたの」と聞くと、「ううん、なんでもない」と無理に笑顔を作っていた姿を思い返します。


 昨日の事、自転車に乗っていると、前から原チャリ2人組の男がきた。まるで競争しているようにみえる。1人の男が叫ぶ「来たー!っ」、あれはそうなのかな?どうなのかな?君はどう感じる?もしかしたら「来た」ではなく「いた」といったのかな?


 こういう「そうなのかな?どうなのかな?」という感覚、今なら君と共有できる。18年前は出来なくてごめん。君1人、戦わせてしまった…。今は違う。僕は気づきました。

 今も君が戦っているという前提で書きます。

  

 君にいつか伝えたい、直接に。

 ここには書いていない思い出の中にも、君のいじらしさが判るものがいくつもある…、いつか、それを君に直接伝えたい。


 多分だけど、メンバー全員が納得するストーリーを作り出す、上位者がいるのだろう。

 今回のシナリオライターはどんなストーリーを構築して、僕と君を悪者にするのだろう…。

 惑わされないでほしい。

 “彼ら”はけっして諦めない。

 だからといって屈する必要もない。

 これ以上いいように人生をもてあそばれる理由はないからだ。

 やさしさを保ちつつ、さりとて厳しい態度を維持し、毅然とした気持ちで真剣さを忘れずに、対応すべきだ。やけにならず、小さい事を繰り返し行う事が重要です。


 …もし、今もなお「交渉」という戦いの場にあるなら?

“彼ら”の最大の弱点は、自分たちは準カルト的集団であり、本物のカルトではないと「思い込んでいる」点だ。

 だから、公式の立場を大切にする。

 交渉するなら、相手の職場を訪ねるのが、最も効果的と以前書いた。

 この事自体は間違っていないと思う。

(公式の立場が優先される職場では、彼ら的行動はかなり制限され、まともな人間としての対応が要求されるからだ)

(さらに、そうした“公式な場”において、その人物の変った普段の姿を暴露するというのは、相手がもっとも嫌がることでもある)

(証拠などあると、なおさら効果は増す)

(でも、やり方と出すタイミングを間違えると、空振りに終わる事もあるので注意がいると思う)

 

 ただ、相手が奸物かんぶつ(=【奸物姦物】悪知恵にたけた人。腹黒い人。)的素質に長けた人物な場合、簡単に避けられてしまう可能性もある。

 それでも、この方法は、基本的に有効な手段だから、上手くいかなくても、何度でも工夫を重ねてやるのが、いい方法かもしれない。

 もし、離婚を前提に交渉中なら?

 毎回、離婚届を相手に渡すべきだ。

 離婚届自体は、役所に行けばもらえるものだ。

 何度も渡すには大量の離婚届がいるかもしれない…。

 でも、大量にもらえないという話はきいたことがない。

 もらえなくとも、行政書士などに相談して、大量に入手する方法を模索すればいいし、最悪でも、毎日役所の窓口に行き、一枚づつもらうという方法もある。

 繰り返す事は重要です。


 君自身の声をどこかに表明するのも、一つの手です。

 でも君は僕と違い、言葉にするのが苦手な感じの人だ。

 君は行動で自分の意思を伝える。

 だから、やるなら、何度でも「行動」するのが、いいのかもしれない。


 「あなたが人々に与えた「衝撃」は尋常じゃないものだわ、みんなへの謝罪を無視していいはずないでしょ」

 

 と言ってもいいと思う。


 謝る時、人は最小限の謝罪で済まそうとする…。

 もし相手がそんな謝罪で済まそうとしたら?

 「とりあえず“ハンコ”ついてくれる?そしたら皆彼方の反省が本物と理解するわ、謝罪には行動が伴わないと意味がないわ、口ではどうとでも言えるもの」

 と、すごむ権利を君は持っている。大丈夫です、お釈迦様とてきっとそう言ってくれます。がんばれ!



 「心理的圧迫」と「利益誘導」をたくみに織り交ぜて、巧妙に「心を」誘導するのが“彼ら”の手口だ。気をつけて!どこかにかならず突破口があると信じて。 


 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 どこかにかならず突破口があると信じて。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!

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〔7月4日(月)〕「レポートにまとめればいいのだ、時間をかけてじっくりと。

 そうして矛盾点をまとめ上げて、まとめて問いただせばいい。」


“彼ら”は言うだろう。

 言葉が足りないのはウソではないとか。

 足りない情報を補足して勝手に事実を作り上げる性質が人間にはある。

 わざと足りない説明をする事で、相手の誤解をさそうのは“彼ら”の典型的な手口だ!気をつけて!


 もし交渉の最中に君があるとしたら?

 その仮説の中で、相手は、君にワザと誤解させるような言い回しを巧みに使い分けるだろう。


 いちいち相手にしていたら、神経が持たない。

 

 そういう時は論点整理が一番有効だ。

 何が論点であり、何がその論点の理由であり、結果どういう答えが出るかを考えるのだ。


 相手が答えをはぐらかすなら?

 紙の上に発言を書き上げて、レポートにまとめて矛盾点をつけばいい。繰り返せば相手を追い詰められる。

 相手の発言を録音し、後で1人静かになったとき、発言内容をレポートにまとめればいいのだ、時間をかけてじっくりと。

 そうして矛盾点をまとめ上げて、まとめて問いただせばいい。

 なんども、なんどもやれば、あいては根をあげるかもしれない。

「そんな事言ったか?」といわれたら、録音を聞かせればいい。

 その場で録音箇所をだすのはむずかしいけど、あとあと論音素材を編集して聞かせる手もある。(そうそう、録音はデジタルよりアナログの方が裁判になった時優位です。さらに、オリジナルの音源は保存して、編集にはコピーを使うのがいいです)

 録音なんて…


 と思うだろか?


 思うだろうな…、Fさんがメカに強いという記憶はない。

 TVすらいらないとか言っていた記憶がある。

 でも何が役に立つのか判らないので一応書きます。

 これらの記述が、君のインスピレーションに何かしらのヒントを与える事を期待して。


 ダーウィンの進化論は、強いものが生き残るのではなく、変化するものが生き残るとか、そうでないとか。ただ、柔軟な発想を閉じてしまうのは、自滅的なのかもしれない。


 実際それを行うのは難しい。

 でも、心がけるのと、そうでないのとでは、また違うと思う。


 20代で冤罪により、無実の罪で長期間捕まっていた人に取材すると、妙に前向きだという。

 くよくよするよりも、これからの暮らしを前向きにするほうが大事と感じているらしい。

 …なんだか、妙に判る気がするのは気のせいなのかな?

 君はどう感じますか?いつか、そんな話をする日も来るのだろうか?


 “彼ら”的行動とは、「熱気ねっき」にあてられて思わず興奮する集団恍惚しゅうだんこうこつ状態が作り出すものだと思う。

 これが、お祭りとかスポーツならまだいいが、

 犯罪行為に集団恍惚しゅうだんこうこつするのは、間違っている。

 …でも、恍惚こうこつ状態にあると、理性的判断が出来なくなり、皆、別人に変ってしまい、犯罪も肯定する人間にさせられてしまう。

 こういう状態を一般に「トランス状態」と呼び、暗示を「ものすごく」受け入れやすい状態、と理解しないといけません。

 一度暗示に「かかる」と、なかなかとれない。

 君のまわりを見回してほしい、事実、普段はいたって「普通」なのに、“彼ら”の悪意に関しては「正常な思考」が出来ない人、多いと思う。

 それは、暗示にかかっているからだと思う。

 

 もちろんこれは推測を書いているに過ぎない。

 その世界がそこまで「本当に」酷かったら、そうとう病んでいる事になる。

 「病んだ人間を救う」のが本来の仏教であり、「病んだ人間を大量生産する」事はカルトの思考です。

 そこは、どう屁理屈をこねても、覆せない、当たり前の真実だと、「普通」の感覚の人間なら思うところです。

 …Fさん、戦ってほしい。

 君を責めたりはしない、そういう環境に問題があるだけだ。


 …もし、今もなお「交渉」という戦いの場にあるなら?

“彼ら”の最大の弱点は、自分たちは準カルト的集団であり、本物のカルトではないと「思い込んでいる」点だ。

 だから、公式の立場を大切にする。

 交渉するなら、相手の職場を訪ねるのが、最も効果的と以前書いた。

 この事自体は間違っていないと思う。

(公式の立場が優先される職場では、彼ら的行動はかなり制限され、まともな人間としての対応が要求されるからだ)

(さらに、そうした“公式な場”において、その人物の変った普段の姿を暴露するというのは、相手がもっとも嫌がることでもある)

(証拠などあると、なおさら効果は増す)

(でも、やり方と出すタイミングを間違えると、空振りに終わる事もあるので注意がいると思う)

 

 過去の歴史をみても、カルトが永久にカルトでいつづけた歴史はない。

 犯罪的なものは、社会との軋轢が増して、淘汰されるし。

 淘汰されないよう工夫すると、カルトでない普通の宗教へ進化する。

 “彼ら”は進化の過程かもしれない、が、今現在の実情は、間違いなくカルトであり、殺人をも肯定する犯罪集団だ。僕は脱出をとにかく君に勧めます。

 何がいけないのか?誰が悪いのか?

 脱出して距離をとってからじっくり考えればいい。

 その中にいる限り、永久に答えは出せないから。


 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!

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〔7月5日(火)〕「あの無限とも感じる時間を取り戻せる未来を信じて。」


 多くの人は組織の威信を背中にしょってる気持ちなのだろう…

 でも、しょっているならばなおさら、正してしかりと思うのは、おかしいのだろうか?


 純粋な心を踏みにじってもいい文化など、間違っている。

 それは、わざわざ書くまでもない、当たり前の事なのです。


 当時、自分にはFさんと親しくする資格が無いと思っていた。

 こんなにしてもらっていいのだろうか?といつも思った。

 君に疑問をぶつけると、そんな事無いよと君が答えてくれる。

 あれは…、幸せな瞬間だった。


 そんな記憶、確かにある。

 

 手を2人合わせると、同じ大きさだったのに驚いた。

 君がなんとなくドキドキしていたのを覚えている。

 手を合わせるという行為は、手をつなぐ以上に非日常な感じがする。

 君は、あのときの事覚えているだろうか?

 時々、自分の手を広げて、同じ大きさの手を持つ女の子の事を思い出す。

 幸せな記憶は確かに今もここにある。


 そう、思うことがあります。


 顔に触れた事、覚えているかな…?

 あれは幸せな記憶だ。

 君の記憶では、どんな風になっているのだろう。

 ただ、ほほを触るだけなのに、なんだか、物凄く幸せに感じた。

 僕は笑顔の君が大好きだ。笑顔で無い君も大好きだけど、やはり笑顔の方がよりいい。


 大切な“なにか”があるなら、それは重大な事です。

 世の中にはそれが無い人も事実いるのだから。 


 

 今、午後の仕事に向けて昼寝をしていた。

 寝ていてふと蘇る記憶…。

 そういえば、君は昔、腕枕をせがんだことがある。

 急に思い出した。

 自分の腕なんかでいいのかな?何がたのしいのだろう?

 と、思いつつ、言われるがままに腕を差し出した記憶がある。

 それなりの時間が経ってから、君は言った。


「腕痛くない?」

 僕は全然大丈夫と答えた。

 実際大丈夫だった、ちっともしびれていなかった。


 そんな記憶を急に思い出した。


 この仕事をこの先も仮に続けたとして、もし、仮に君が帰って来る未来があるなら?仕事前の昼寝にすこし付き合ってくれたりするのだろか?何もせず、ただ一緒にいるだけなんだけど、ものすごく幸せに感じる時間がある事を、僕と君は知っている。あの無限とも感じる時間を取り戻せる未来を信じて。


 

 …もし、今もなお「交渉」という戦いの場にあるなら?

“彼ら”の最大の弱点は、自分たちは準カルト的集団であり、本物のカルトではないと「思い込んでいる」点だ。

 だから、公式の立場を大切にする。

 交渉するなら、相手の職場を訪ねるのが、最も効果的と以前書いた。

 この事自体は間違っていないと思う。

(公式の立場が優先される職場では、彼ら的行動はかなり制限され、まともな人間としての対応が要求されるからだ)

(さらに、そうした“公式な場”において、その人物の変った普段の姿を暴露するというのは、相手がもっとも嫌がることでもある)

(証拠などあると、なおさら効果は増す)

(でも、やり方と出すタイミングを間違えると、空振りに終わる事もあるので注意がいると思う)

 


 「彼方が人々に与えた「衝撃」は尋常じゃないものだわ、そろそろ皆に謝罪してもいいんじゃない?」

 と言う権利がFさんには、あるように思う。


 純粋な心を踏みにじってもいい文化など、間違っている。

 それは、わざわざ書くまでもない、当たり前の事なのです。

 


 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!

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〔7月6日(水)〕「その姿は、内部にいては気がつかない。」


 こんな最悪な推測も成り立つ。

 そちらの世界には、いかにターゲットを追い詰め、自滅させたかが、英雄伝のように語られたりしているのだろか?

 “彼ら”は自らの犯罪行為を「戦い」と称して自画自賛することをメンバーに強いている。自画自賛するならば、当然、武勇伝もいくつかあるわけで…、そうして被害者をおとしめた話をワイワイいいながら笑って自慢しあうのだろうか?


 その姿は、内部にいては気がつかないが、

 外部から見れば、カルト集団そのものに見える。

 妥協と怠惰にいそしむ空気にまどわされないで!

 長年信じてきた常識が全部間違っていると言われると、

 確かに「なんなの!?」と思う。

 これは人間としての質が問われているのです。

 そう周りの人に伝えてください。


 小さかった君は耐えた。頑張れば救われると信じようと努力した。

 どんなに疑問や悩みを抱えようと、誰も受け入れてくれない、自分が悪いんだと思い込む事でしか、解決できなかった…

 そうなのだろうか?


 とにかく、何が正しいのか、誰が悪いのか、どうすればいのか?

 その答えは組織内にいては永久に出ない。


 脱出が先決です。

 それらは脱出してから考えればいい。


 …もし、今もなお「交渉」という戦いの場にあるなら?

“彼ら”の最大の弱点は、自分たちは準カルト的集団であり、本物のカルトではないと「思い込んでいる」点だ。

 だから、公式の立場を大切にする。

 交渉するなら、相手の職場を訪ねるのが、最も効果的と以前書いた。

 この事自体は間違っていないと思う。

(公式の立場が優先される職場では、彼ら的行動はかなり制限され、まともな人間としての対応が要求されるからだ)

(さらに、そうした“公式な場”において、その人物の変った普段の姿を暴露するというのは、相手がもっとも嫌がることでもある)

(証拠などあると、なおさら効果は増す)

(でも、やり方と出すタイミングを間違えると、空振りに終わる事もあるので注意がいると思う)

 いつまでもそこにいてはいけません。

 なぜなら?その答えは君の心にあるのかもしれません…



 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!


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〔7月7日(木)〕「彼ら”は集団での最終結論に従うよう小さい頃から洗脳されている。」


 こんな事も思う。

 相手も納得する時間が必要だ、と。

 突然言われても、はいそうですかとはそう簡単には言えないものだ。

 1人になって、納得する時間が必要なはず。


 …と、通常ならこう考える。

 でも“彼ら”の場合は前提条件が違う。

 彼らは1人で悩んで考えを正そうとしても、それを許されない。

 1人悩む事は許されず、次々に誰かやってきて洗脳の魔の手を繰り出す。


 だから、こう相手に言ってもいいとおもう。


「たまには、1人で悩んで結論を出してみたら?」と。


 具体的には?と質問されたら、こう言い返せばいい。

「ケータイの電源を1週間切って、誰にも会わず1人で結論を出してよ、ああ、でも無理よねそんなの、うん解ってる」

 と言い返せばいい。

 繰り返せば、相手には相当の圧力と思う。

(あいてに、自分1人で結論をだす決意を促す事が大事です。何度でも、何度でも、なんどでも訴えればいい、そこが重要なポイントである事実に変りはないから。“彼ら”は集団での最終結論に従うよう小さい頃から洗脳されている、その洗脳を打ち破るには、逆暗示のように、自分の意思で決める事を促すしかない。人は基本的に自分の意思決定権を持っている。今は奪われただけだ、促せば、自分の意思は戻ってくるものだと、僕は信じています。Fさん、できれば君にも信じてほしい)


 節度を失った空気感をただす意識。

 それが難しい事だと判るけれど、

 自覚しているのと、無自覚なのとでは、質がちがう。

 自分が節度を逸脱しているのでは?と、まったく自覚していない人の行動は、いわゆる無自覚な悪意として、もっとも悪質なも


のになってしまう…。

 正す勇気は、人が生きる上で大切で尊い資質だ。

 きっとお釈迦様でも、そういってくれると思う。


「あなたに尊い資質を求めるのは無理なのね」

 と言ってもいいと思う。


「あなたが人々に与えた「衝撃」は尋常じゃないものだわ、そろそろ皆に謝罪してもいいんじゃない?」

 と言う権利がFさんには、あるように思う。


 多くの人は組織の威信を背中にしょってる気持ちなのだろう…

 でも、しょっているならばなおさら、正してしかりと思うのは、おかしいのだろうか?


 純粋な心は使命感の元だ。

 そんな使命感を踏みにじってもいい文化など、間違っている。

 それは、わざわざ書くまでもない、当たり前の事なのです。


 今もなお「交渉」という戦いの場にあるなら?

“彼ら”の最大の弱点は、自分たちは準カルト的集団であり、本物のカルトではないと「思い込んでいる」点だ。

 だから、公式の立場を大切にする。

 交渉するなら、相手の職場を訪ねるのが、最も効果的と以前書いた。

 この事自体は間違っていないと思う。

(公式の立場が優先される職場では、彼ら的行動はかなり制限され、まともな人間としての対応が要求されるからだ)

(さらに、そうした“公式な場”において、その人物の変った普段の姿を暴露するというのは、相手がもっとも嫌がることでもある)

(証拠などあると、なおさら効果は増す)

(でも、やり方と出すタイミングを間違えると、空振りに終わる事もあるので注意がいると思う)

 

 ただ、相手が奸物かんぶつ(=【奸物姦物】悪知恵にたけた人。腹黒い人。)的素質に長けた人物な場合、簡単に避けられてしまう可能性もある。

 それでも、この方法は、基本的に有効な手段だから、上手くいかなくても、何度でも工夫を重ねてやるのが、いい方法かもしれない。

 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!

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〔7月8日(金)〕「「現実を見たくないなら、それでもいい。でも、私を巻き込まないで1人でやって」と言ってもいいと思う。」

 

 こんな話を聞いた。

 これはあるにいた国の独裁者の話なのだが、

 国を救うためやっと権力の頂点にたったのに、

 頂点にたった瞬間から、現実から切り離されたというのだ。


 具体的には、視察に行っても、全てお膳立てされたものしか見ることができず、現実の姿を見れなくなるというのだ。


 現実から切り離された権力者…


 これは中国の毛沢東の事を指して言われている事です。


 もし、相手が現実を見ない人なら?

 「現実を見たくないなら、それでもいい。でも、私を巻き込まないで1人でやって」と言ってもいいと思う。

 「彼方が人々に与えた「衝撃」は尋常じゃないものだわ、みんなへの謝罪を無視していいはずないでしょ?現実が耐えられない?私は大丈夫」

 そう言ってもいいとおもう。


 謝る時、人は最小限の謝罪で済まそうとする…。

 もし相手がそんな謝罪で済まそうとしたら?

 「とりあえず“ハンコ”ついてくれる?そしたら皆彼方の反省が本物と理解するわ、謝罪には行動が伴わないと意味がないわ、口ではどうとでも言えるもの」

 と、すごむ権利を君は持っている。大丈夫です、お釈迦様とてきっとそう言ってくれます。


 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!

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〔7月9日(土)〕「“彼ら”に心の自由は最初からあるのだろうか?「私があなたに心の自由を与えてあげる」と上から目線で凄むのも、交渉上ありだと思う」


 Fさんへ。

 こんな事も思う。

 たぶん、君の周りには、君が人の意見に振り回される人だ、とか言う人もいるだろう…。

 でも実際にはそんな事はない。

 君はいつも自分よりも他人の幸せを大切に考え、尽くす人だ。

 故に、自分の事は後回しになってしまう。

 その資質は本来、賞賛すべきすばらしいもので、君のすばらしさの1つなのだ。


 もし、周りに悪意をもち、君をどうにかしようとする人間がいなければ、そうなはならないはずだ。


 やさしさにつけ込んで、利用するやつらがいる。


 本来の自分を取り戻せばいいんです。

 ほんのちょっと、今まで使わなかったわがままを使うだけの事で、しかも使うだけの正当な理由があるのだから、何も問題はありません。


 いまも変な車が来た。

 この車はよく来る車だ。

 深い緑色のカスタム塗装で、リアの荷台が観音開き、ナンバーは4数字がゾロ目だと思う。

 あまりに不自然なエンジン音、今たまたま見たら、外に停車していた。駆け寄ってやろうかな?と思った矢先、発進する。その際、排気管からバックファイヤが見えた。

 Fさんは車に詳しくないと思うから、バックファイヤと言ってもわからないかもしれないけど、あれは排気装置に問題がある事を示していて、本来はあってはならないものなのだ。

 なにしろ、本来エンジン内でしか起こってはいけないガソリンの爆発がエンジン外の排気管でおこっているからだ。

 不完全燃焼を意味していて、非常にエコでない車を意味している。よほどの整備不良車か、もしくわエンジン音を大きくして楽しみたいユーザーがわざと改造しているかのどちらかだ。


 …でも、もう最近は暗示が解けてきたようで、気にならなくなってきた。当初、地元に帰ってきたときは、僕自身、相当に“彼ら”の暗示にかかっていたのだろう、ストレスだったのは事実だ。(その様子はこの小説内の記述で確認できる)


 Fさんに明記します。

 暗示はきついけど、自分で解く事は「可能」なのです。

 “彼ら”は暗示で多くの人を支配する、けど、脱出は可能なのです。…もし、今もなお「交渉」という戦いの場にあるなら?

 あいての暗示を「解いてやる」くらいの意気込みが必要です。

 「私があなたの心を解放してあげる、これはそのための「交渉」でもあるの。私も自由になれるし、あなたも自由になれる」

 そう言っても差し支えないと思う。

 「自由になった先、あなたが自分の意思で組織を選ぶなら止めはしない、けど、私は巻き込まないで」

 と言ってもいいと思う。

 「私はあなたに心の自由を与えてあげる」

 と上から目線で凄むのも、交渉上ありだと思う。

 何か言われたらこう言い返せばいい。

 「決定権は私にあるの」と。


“彼ら”の最大の弱点は、自分たちは準カルト的集団であり、本物のカルトではないと「思い込んでいる」点だ。

 だから、公式の立場を大切にする。

 交渉するなら、相手の職場を訪ねるのが、最も効果的と以前書いた。

 この事自体は間違っていないと思う。

(公式の立場が優先される職場では、彼ら的行動はかなり制限され、まともな人間としての対応が要求されるからだ)

(さらに、そうした“公式な場”において、その人物の変った普段の姿を暴露するというのは、相手がもっとも嫌がることでもある)

(証拠などあると、なおさら効果は増す)

(でも、やり方と出すタイミングを間違えると、空振りに終わる事もあるので注意がいると思う)

 この方法は、基本的に有効な手段だから、上手くいかなくても、何度でも工夫を重ねてやるのが、いい方法かもしれない。

 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!

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〔7月10日(日)〕「僕は知っている。君の中に情熱や決意がたくさんある事を」


「ただの大人しい人間と勝手に思い込むのは、彼方の偏見よ」


 と言ってもいいと思う。

 一般の人から見たら、たぶん君は大人しい人、と見られるのだろう…。

 でも僕は知っている。君の中に情熱や決意がたくさんある事を。

 うまく表現できず、理解されないもどかしさをいつも感じていた事を。

 そして、理解されないのは自分のせいかもしれないと感じていた事も。

 …違うかな、外したかどうか、いつか、教えてほしい。そんな事思った。


 もめごとを起こさない様に、ただただ耐え続ける…。

 優しい君は結果としてそこに落ち着いてしまいがちだ。

 それは決して悪い事ではない。むしろそういうやさしさは賞賛されるべき長所だ。


 まわりに、そのやさしさを利用しようとする連中さえいなければ、なにも問題はなかった。


 やさしさを利用されないためにも、理由があるなら、言い返してもいいんです。


 世界の片隅に、自分の居場所があるなら、それ以上の贅沢は必要ない。

 理由があるなら、もめても、いいと思う。


「ただの大人しい人間と勝手に思い込むのは、彼方の偏見よ」


 と言ってもいいと思う。

 

 生活のため、組織に背を向けられない人もいるだろう。

 でもそんな人々を利用し、犯罪者やそれに類するものにしてしまう、あるいは、心を奪い本来の精神を奪う行為は、どんなに理由を並べようとも、お釈迦様に褒めてもらえるような行為とは、程遠いものだ。


「気が引ける、とすら思わないの?」

 と言ってもいいと思う。


「あなたが人々に与えた「衝撃」は尋常じゃないものだわ、みんなへの謝罪を無視していいはずないでしょ」

 

 とすら言ってもいいと思う。


 そしてこうも思う。謝る時、人は最小限の謝罪で済まそうとする…。

 もし相手がそんな謝罪で済まそうとしたら?


 「とりあえず“ハンコ”ついてくれる?そしたら皆彼方の反省が本物と理解するわ、謝罪には行動が伴わないと意味がないわ、口ではどうとでも言えるもの」

 と、すごむ権利を君は持っている。大丈夫です、お釈迦様とてきっとそう言ってくれます。がんばれ!



 「心理的圧迫」と「利益誘導」をたくみに織り交ぜて、巧妙に「心を」誘導するのが“彼ら”の手口だ。気をつけて!


 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!

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〔7月11日(月)〕「「知らない」という事実という意味では、僕も“彼ら”も同じなのだ」


 たぶんだけど

 僕が何も知らないからこんな事書けるんだ!的なこと言う人もいるだろう。

 そういう人にはこう言いたい。

 確かに僕は知らない事がある。

 でもその代り、“彼ら”自身が知らない“彼ら”の姿を多く知っている。

 日本を破壊する究極のカルト集団であり、他人の人生を食い物にして何も良心が痛まないサイコパスが多くのメンバーの心を破壊し、支配しているという事を。

 …何が言いたいのか?

 「知らない」という事実という意味では、僕も“彼ら”も同じなのだ。


 お互いに欠けた情報を元に判断している。

 つまり、「知らない」という事実だけで、口をつぐむ理由にはならない。なにしろお互い様なのだから。

 もし、君の周りに「何もわかってないくせに!」的な事をいう人がいたら?こう言ってあげてください。


「解ってないのはあなたも同じ、いちど組織を離れて1人になってみたら判るわ!この組織がどれほどおかしな組織なのか」


 知らないという意味では、“彼ら”は僕と君の事も知らなかったし、誤解してきたと思う。

 少なくとも僕をうそつき呼ばわりしてきた。

 組織を信じたいのはわかるが、うそを信じ込まされている人々がたくさんいるのは事実だし、

 悪意を束ねるサイコパスは、そうした人々の心の隙間をついて犯罪者に仕立て上げる仕組みを構築、維持してきた。

 自分たちが犯罪的カルト集団と知らない人々も多い。

「知らない」という意味では、僕よりも“彼ら”の多くのほうがよっぽど「知らない」のだ。

 それが理由で僕や君や多くの被害者が糾弾される理由にはならない。 


 長年信じてきた常識が全部間違っていると言われると、

 確かに「なんなの!?」と思う。

 これは人間としての質が問われているのです。

  

 生き方は人の自由だ。そこで過ごす事を選ぶのも、誰彼の自由。

 でも、あえていいます。

 君にだけは、そうした犯罪行為をやめてほしい。

 もし、今やめているなら、これからも継続してほしい。

 それが、過去迷惑をかけた人達へのつぐないにもつながる。

 言霊ことだまのように…どこかで、被害者の無念を晴らすことに繋がっていると思う。

(※もし、だれかにそんな事で無念が晴らせるわけないだろ!とか言われたら?ああ、悪い事してるって自覚あるのね?なら、私が辞めたい理由をもう理解している事になるわ、と言い返せばいい)


 とにかく、何が正しいのか、誰が悪いのか、どうすればいのか?

 その答えは組織内にいては永久に出ない。


 脱出が先決です。

 それらは脱出してから考えればいい。


 

 いつまでもそこにいてはいけません。

 なぜなら?その答えは君の心にあるのかもしれません…


 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!

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〔7月12日(火)〕「「妥協して別れるのと、妥協して一生一緒にいるのでは、全然意味が違う。これはそういう問題なの。そんな事もわからないの?」と、言ってもいいと思う。」


 「気持ちだけ謝ってもダメよ、行動で示さないと。とりあえずハンコついてくれる」

 と言ってもいいと思う。


 人生はどこかで妥協を強いられる事はある。

 君は妥協をいままで多く強いられてきた。

 1度くらい相手に「人生の妥協」を強いてもいいと思う。

 「大人なら、妥協も受け入れられるはずよ」

 と凄んでもいいとおもう。

 もし、お前こそ妥協しろ!と言われたら?

 こう言い返せばいい。

 「妥協して別れるのと、妥協して一生一緒にいるのでは、全然意味が違う。これはそういう問題なの。そんな事もわからないの?」

 と、言ってもいいと思う。


 仕事をしていて思う。

 歳をとり、旦那さんをいつまでも想い続ける人と、そうでない人と、いろいろいる。

 ついつい考えてしまう…、どちらが幸せなのだろうと。

 答えは人により様々なのだと思う。

 君はどう感じますか?いつか、そんな話を直接出来る日は来るのだろうか?




 「あなたが人々に与えた「衝撃」は尋常じゃないものだわ、みんなへの謝罪を無視していいはずないでしょ」

 

 と言う権利をFさんは持っていると思う。


 謝る時、人は最小限の謝罪で済まそうとする…。

 もし相手がそんな謝罪で済まそうとしたら?

 「とりあえず“ハンコ”ついてくれる?そしたら皆彼方の反省が本物と理解するわ、謝罪には行動が伴わないと意味がないわ、口ではどうとでも言えるもの」

 と、すごむ権利を君は持っている。大丈夫です、お釈迦様とてきっとそう言ってくれます。


 

  …もし、今もなお「交渉」という戦いの場にあるなら?

“彼ら”の最大の弱点は、自分たちは準カルト的集団であり、本物のカルトではないと「思い込んでいる」点だ。

 だから、公式の立場を大切にする。

 交渉するなら、相手の職場を訪ねるのが、最も効果的と以前書いた。

 この事自体は間違っていないと思う。

(公式の立場が優先される職場では、彼ら的行動はかなり制限され、まともな人間としての対応が要求されるからだ)

(さらに、そうした“公式な場”において、その人物の変った普段の姿を暴露するというのは、相手がもっとも嫌がることでもある)

(証拠などあると、なおさら効果は増す)

(でも、やり方と出すタイミングを間違えると、空振りに終わる事もあるので注意がいると思う)

(会社の業務に影響がでるほどやると、業務妨害になってしまうので、そこはわきまえて、毅然としつこくやればいいと思う)

 

 ただ、相手が奸物かんぶつ(=【奸物姦物】悪知恵にたけた人。腹黒い人。)的素質に長けた人物な場合、簡単に避けられてしまう可能性もある。

 それでも、この方法は、基本的に有効な手段だから、上手くいかなくても、何度でも工夫を重ねてやるのが、いい方法かもしれない。


 こんな事も思う。

 もし、君の交渉相手が高い学歴の保有者である場合は?


 高い学歴をもつものはそのつながりをいつまでも大切にする。



 上記のような状況下で、こういう友人関係(=古い学友ネットワーク)の中の第三者に言うのも、一つの手だと思う。

 本人も自分の知らないところで、自分の評判が形成されるのは嫌な事だと思う。

 特に、第三者に、知られたくない事が広がってゆくのは、嫌なはずだ。

 交渉中であるなら?こうした手段も1つの手です。

 



 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!

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〔7月13日(水)〕「“彼ら”は人から「人生を学ぶ」機会を奪ってきたのではないだろうか?」


 こうも思う。

 “彼ら”は人から「人生を学ぶ」機会を奪ってきたのではないだろうか?

 人生を学べない人たちは、我慢のできない、「そういう人」になったり、真実を見ようともしない「そういう生き方」を疑う力を奪われたり…。


 しかしながら、君の場合は学ぶ前から人としてのやさしさを本来もっていた。

 やさしさを学ぶ機会をうばわれた人々は、簡単に人をおとしめて笑う事ができるが、君には難しかったのと違うだろうか?


 やさしさを人生で学べなかった人々は、簡単にサイコパスへの門をたたける。

 「奇行」で権威を示す変人だったり、裏でばれないように罠を平気ではれる犯罪者だったり。

 そんな行為はおかしい。


 おかしいと感じるなら、おかしいと言ってもいいんです。


 小さい頃から、君は一人で悩んできたのだろうか?

 大丈夫です、君はただしい。

 周りがおかしいだけです。君はなにも悪くない。


 小さかった君は耐えた。頑張れば救われると信じようと努力した。

 どんなに疑問や悩みを抱えようと、誰も受け入れてくれない、自分が悪いんだと思い込む事でしか、解決できなかった…

 そうなのだろうか?


 初めて経験する複雑な心境が待っていると思う。

 いろいろな思いが交錯すると思う。


 感情があふれてぐちゃぐちゃになっても、逃げてはいけない時がある。

 時間が必要?

 そうかもしれない。

 でも、前には進めるでしょ?

 もし、そんな状態になった時は、思考停止寸前までいっても、君なら立ちなおせると信じます。

 Fさんは強い女の子です。

 大丈夫です。


 君は何も悪くない。

 僕が証明してみせます。


  頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!

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〔7月14日(木)〕「たぶん、もうめんどくさい事は考えたくない、世の中はそういうものだ、とかいう年配者は多いと思う。そういう人には、Fさん、こう言ってほしい」


 昔は牧歌的だったからこういう事もやった…


 というセリフを今日TVできいた。

 

 何を意味するのか?

 牧歌的というと聞こえはいいが、要は「中世の社会」を指している。

 イメージとしては中世ヨーロッパの荘園の社会だ。


 領主は領民を支配し、初夜権とかいって、新婚の花嫁との最初の夜を共にする権利をこうししたとかしないとか、そんな時代のことだ。

 正義や悪もない時代。権利や義務もなく。支配者と支配されるものと神様のみが存在した時代のことだ。


 別の言い方としては、「中世的」とか「前近代的」とか、「前時代的」といった言い方をするけど、


 このコメンテイターは、あえて「牧歌的」という言葉を使う。

 同じ意味でも、すこしニュアンスがやわらかくなる。

 でも意味が解ると、なるほどと思う言葉使いだ。

 言いたい事は言うが、角が立たないというハイテクニックだ。




 この言葉、どんなニュースで使われたかというと、例のやらせメールのニュースでだ。

 九州電力が原発を議論する番組に原発賛成のメールを出すよう子会社などに指示して、番組の議論の結論を捻じ曲げた、というやつだ。

 最初地元の地方議会でとりあげられたらしい、でも、その時は、たいしたことないと思われたのか、意見はしぼんでしまった。

 しかし、次に国会で取り上げられると、世論誘導だ!という事で、瞬く間にひろがって、今、ニュースで騒がれている状況になった。



 この状況、どう思うかは別にして、大きな流れで見れば、昔の「牧歌的」な常識は、時代がすすむにつれ、徐々に改善されるながれに、社会があると思いたい。


 “彼ら”の社会は非常に「中世的」だ。なにしろ中世で常識だった仏法を現在でも適用させようとする所が、そもそも「中世的」であり、「前近代的」であり、「時代錯誤」だ。

 世の中とはそういうものだ!という人には、今、なぜやらせメール問題がニュースになっているのか?これからこういう問題は改善すべきものなのかどうか?聞いてみてもいいと思う。

 たぶん、もうめんどくさい事は考えたくない、世の中はそういうものだ、とかいう年配者は多いと思う。

 そういう人には、Fさん、こう言ってほしい。


 「めんどくさいで片付けないで、被害者は私なの!わからないの?」と。


 「あなたが人々に与えた「衝撃」は尋常じゃないものだわ、みんなへの謝罪を無視していいはずないでしょ」

 

 と言ってもいいと思う。


 謝る時、人は最小限の謝罪で済まそうとする…。

 もし相手がそんな謝罪で済まそうとしたら?

 「とりあえず“ハンコ”ついてくれる?そしたら皆彼方の反省が本物と理解するわ、謝罪には行動が伴わないと意味がないわ、口ではどうとでも言えるもの」

 と、すごむ権利を君は持っている。大丈夫です、お釈迦様とてきっとそう言ってくれます。がんばれ!



 「心理的圧迫」と「利益誘導」をたくみに織り交ぜて、巧妙に「心を」誘導するのが“彼ら”の手口だ。

 気をつけて!



 たぶん…いろいろあるのだと思う。

 手に負えない状況なのかもしれない。

 それでも、やけにならず、前を向いていてほしい。 


 自分自身に誠実でありつづけさえすれば、いいと思う。

 自分を偽らず、誠実に。


 どんなに理解されなくとも、活路はそこにある。

 そう信じていいと思う。


 自然に、自分でいることが大切です。

 

 頑張れ!対面を保つ事ばかりに全力をつくす人たちに負けないで!


 真実に気づく以前の当時、自分にはFさんと親しくする資格が無いと思っていた。

 こんなにしてもらっていいのだろうか?といつも思った。

 君に疑問をぶつけると、そんな事無いよと君が答えてくれる。

 あれは…、幸せな瞬間だった。


 そんな記憶、確かにある。

 

 手を2人合わせると、同じ大きさだったのに驚いた。

 君がなんとなくドキドキしていたのを覚えている。

 手を合わせるという行為は、手をつなぐ以上に非日常な感じがする。

 君は、あのときの事覚えているだろうか?

 時々、自分の手を広げて、同じ大きさの手を持つ女の子の事を思い出す。

 幸せな記憶は確かに今もここにある。


 そう、思うことがあります。


 顔に触れた事、覚えているかな…?

 あれは幸せな記憶だ。

 君の記憶では、どんな風になっているのだろう。

 ただ、ほほを触るだけなのに、なんだか、物凄く幸せに感じた。

 僕は笑顔の君が大好きだ。笑顔で無い君も大好きだけど、やはり笑顔の方がよりいい。


 大切な“なにか”があるなら、それは重大な事です。

 世の中にはそれが無い人も事実いるのだから。 


 …もし、今もなお「交渉」という戦いの場にあるなら?

“彼ら”の最大の弱点は、自分たちは準カルト的集団であり、本物のカルトではないと「思い込んでいる」点だ。

 だから、公式の立場を大切にする。

 交渉するなら、相手の職場を訪ねるのが、最も効果的と以前書いた。

 この事自体は間違っていないと思う。

(公式の立場が優先される職場では、彼ら的行動はかなり制限され、まともな人間としての対応が要求されるからだ)

(さらに、そうした“公式な場”において、その人物の変った普段の姿を暴露するというのは、相手がもっとも嫌がることでもある)

(証拠などあると、なおさら効果は増す)

(でも、やり方と出すタイミングを間違えると、空振りに終わる事もあるので注意がいると思う)

 

 ただ、相手が奸物かんぶつ(=【奸物姦物】悪知恵にたけた人。腹黒い人。)的素質に長けた人物な場合、簡単に避けられてしまう可能性もある。

 それでも、この方法は、基本的に有効な手段だから、上手くいかなくても、何度でも工夫を重ねてやるのが、いい方法かもしれない。


 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!

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〔7月15日(金)〕「“彼ら”は相互扶助の和から締め出されたら、生きていけないと錯覚している」


 Fさんへ、今も君が戦っているという前提で書きます。

 “彼ら”は人をおとしめる事を成功体験として記憶する。

 過去、何千人という被害者がいたことだろう。

 そうした被害者の姿を見て、成功体験として多くのメンバーが共有する…



 優越感は人を狂わす。


 そんな言葉が浮かんでこなくもない。たぶん、“彼ら”は時間稼ぎをすると推察する。

 時間を稼げるだけ稼いで、君の心がぶれるか、もしくは皆が僕と君の事を忘れてしまうのを待つつもり?そんな行動を“彼ら”はとるかもしれない。


 定期的に自己主張をハッキリするのは、アリだと思う。

 Fさんはどう思いますか?

  …もし、今もなお「交渉」という戦いの場にあるなら?

“彼ら”の最大の弱点は、自分たちは準カルト的集団であり、本物のカルトではないと「思い込んでいる」点だ。

 だから、公式の立場を大切にする。

 交渉するなら、相手の職場を訪ねるのが、最も効果的と以前書いた。

 この事自体は間違っていないと思う。

(公式の立場が優先される職場では、彼ら的行動はかなり制限され、まともな人間としての対応が要求されるからだ)

(さらに、そうした“公式な場”において、その人物の変った普段の姿を暴露するというのは、相手がもっとも嫌がることでもある)

(証拠などあると、なおさら効果は増す)

(でも、やり方と出すタイミングを間違えると、空振りに終わる事もあるので注意がいると思う)

 頑張って!負けないでほしい。


 もし、誰かに露骨な威圧をされたら、こう言い返してもいいとおもう。

 「いくら威張ったところで、下衆の太鼓もちじゃない。それでかっこいいとおもっているならおめでたいわ」

 といってもいいと思う。


 もしこんな程度の言葉にすら食いついてくるようなやつがいたら、こう言い加えていいとおもう。

 「太鼓もちをしてると、時々おこぼれをもらえるのよね、がんばっておこぼれ拾ってね、私にはもう関係ない話だけど」言ってもいいと思う。


 “彼ら”は相互扶助の和から締め出されたら、生きていけないと錯覚している。

 だからこそ平気で太鼓もちになれるのだ。

 それはそれで間違いではないかもしれない、生きてゆくというのは厳しいものだ。

 しかし、魂まで売り渡していいものだろうか?


 魂を売り渡した太鼓もちと、そうでないのとでは、雲泥の差がある。


 今「TVタックル」などで毎回良く見る、現役官僚の人の本を読んでいる。

 彼は、今まさに嵐の渦中にいて、全霞ヶ関を敵に回して、集団いじめの真っ最中にいる。

 なのになぜTVにでるのか?

 たぶんだけど、黙っていたら、集団の圧力に屈してしまう事になるからだ。

 TVにでて、発言する事で、社会から彼を消そうとする勢力と必死に戦っているのかもしれない…


 霞ヶ関は彼に「踏み絵」を踏むかどうか、試したそうだ。

 具体的には、高待遇の天下り先を斡旋したのだ。

 その天下りをうければ、彼はろくに働かずに何億もの収入を得るはずだった。

 しかし、その誘いに乗ったら、今まで天下り規制法案を作ってきた自分を否定する事になる。

 彼は、家族に申し訳ないと思いつつも、その誘いを断ったそうだ。


 断ったとたん、霞ヶ関は彼を排除しようと全精力をつぎ込んできた。


 立ち向かうには、TVに出るのもやむなしなのかもしれない。


 理由があるなら、立ち向って言いのだと思う。


 “彼ら”は相互扶助の和から締め出されたら、生きていけないと錯覚している。

 そういうやつらには、こう言ってほしい。

「私の良く知る男の人は、生まれてからずっとそうして生きてきたわ、生きていけないなんて幻想よ」



 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!

 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!

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(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)


〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください

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