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第44話 心に誠実でありつづけさえすれば3

〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください

(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)


〔6月6日(月)〕「「そそのかし、善人に悪事をさせる人物」に気をつけて!」


 こんな事も思う。

 もし、君の交渉相手が高い学歴の保有者である場合は?


 高い学歴をもつものはそのつながりをいつまでも大切にする。


 繰り返しになるけど、また書きます。

 …もし、今もなお「交渉」という戦いの場にあるなら?

 “彼ら”の最大の弱点は、自分たちは準カルト的集団であり、本物のカルトではないと「思い込んでいる」点だ。

 だから、公式の立場を大切にする。

 交渉するなら、相手の職場を訪ねるのが、最も効果的と以前書いた。

 この事自体は間違っていないと思う。

(公式の立場が優先される職場では、彼ら的行動はかなり制限され、まともな人間としての対応が要求されるからだ)

(さらに、そうした“公式な場”において、その人物の変った普段の姿を暴露するというのは、相手がもっとも嫌がることでもある)

(証拠などあると、なおさら効果は増す)

(でも、やり方と出すタイミングを間違えると、空振りに終わる事もあるので注意がいると思う)

 


 上記のような状況下で、こういう友人関係(=古い学友ネットワーク)の中の第三者に言うのも、一つの手だと思う。

 本人も自分の知らないところで、自分の評判が形成されるのは嫌な事だと思う。

 特に、第三者に、知られたくない事が広がってゆくのは、嫌なはずだ。

 交渉中であるなら?こうした手段も1つの手です。

 


 …でも、交渉相手が“彼ら”であるなら?その特徴は、心が折れても3日で立ち直るところだ。

 多くの仲間に言いくるめられて、すぐにもとのサイコパスっぽい人格に戻る。

 なんで「そう」なるのか?

 推測だけど、そちらの世界には「そそのかしキャラ」がいるのではないだろうか?

 せっかく暗示が解け、正常な思考にもどった人物に「そそのかし」をすることで、元のサイコパスの影響下にある人間に戻してしまうのだ。

(多分だけど、君の周りにも「そそのかしキャラ」はうごめいていると思う。気をつけて!)

(「そそのかしキャラ」は悪役の定番として古来から存在する。物語の世界で古くから有名なのは、ピノキオに登場するやつだ。

 ピノキオはそそのかされて、悪事をしてしまう。「そそのかし、善人に悪事をさせるキャラ」というのは、古くからいて、また、同時に嫌われていたのだと、このことからも解る)



 それでも、諦めずに何度でもやるべきだ。

 相手にも社会的地位がある、ワガママを完全に通しきれるものではない。

 君は被害者なのだから、相手に遠慮する理由はまったくありません。


 もし、離婚を前提に交渉中なら?

 毎回、離婚届を相手に渡すべきだ。

 離婚届自体は、役所に行けばもらえるものだ。

 何度も渡すには大量の離婚届がいるかもしれない…。

 でも、大量にもらえないという話はきいたことがない。

 もらえなくとも、行政書士などに相談して、大量に入手する方法を模索すればいいし、最悪でも、毎日役所の窓口に行き、一枚づつもらうという方法もある。

 繰り返す事は重要です。


 君自身の声をどこかに表明するのも、一つの手です。

 でも君は僕と違い、言葉にするのが苦手な感じの人だ。

 君は行動で自分の意思を伝える。

 だから、やるなら、何度でも「行動」するのが、いいのかもしれない。


 どこかにかならず突破口があると信じて。


 でも頑張りすぎると疲れてしまう。

 適度に休んで、自分の時間を作って、リフレッシュしてほしい。

 なにをやるにしても、まず自分自身が崩れ去っては意味がないと思う。

 周囲も助けてはくれないし、自分のためにもならない。


 なにをやるにしても、自分自身に誠実である事が、重要だと思う。


 うまくいかなくてもめげてはいけません。


 そういうのダメかな…?Fさん。

 誠実さと優しさは共存できます。

 ペースをつかんで、ペースを作って。ゆったりと、微笑む時間を取り戻しつつ、それでいて毅然とした態度を維持する。

 …そんなイメージ。君に送ります。



 仮に別居しているという仮定で話すなら。

 別居期間が同居期間を上回ると、相手のハンコがなくとも離婚できるケースが裁判ではある。

 長期戦では、君が圧倒的に優位なのだ。

 長期戦では、相手も歳をとる。長引けばそれだけ再婚の選択支が狭くなることを、言っても言いと思う。


 どういう状況か正確にわからないので、いろいろな可能性を提示します。

 もし、なにか心の琴線に触れるものがあるなら、嬉しいです。


 

 突破口を開くのにへたな計算はいらないと思う。

 そんな計算をしたところで、どうせ計算は狂う。

 なぜなら、この世は“バイアス”が支配するからだ。


 当事者が参加した時点で、諸条件が変化し、計算が狂い答えが変化する…、そういった趣旨の事は以前書いた。


 でもそれは参加者全員が共有するルールなので、動じる必要はない。


 自分に誠実にいてさえいれば、いいのだと思う。

 結果はどうあれ、君も僕も自分にウソをつかなくて済む。

 それがどれだけ重要な事か。


 下手な計算はいらない。一番大切な事は、やけにならず、諦めない事。

 そう思う。


 どうすればそんな事ができる?と思うだろうか?

 簡単な事です。今、現在の自分を、それが自分なんだと受け入れればいい。


 小さかった君は耐えた。頑張れば救われると信じようと努力した。

 どんなに疑問や悩みを抱えようと、誰も受け入れてくれない、自分が悪いんだと思い込む事でしか、解決できなかった…

 そうなのだろうか?


 君は自分をもっと大切にしていいんです。

 Fさん、自分を取り戻して!!


 

 生き方は人の自由だ。そこで過ごす事を選ぶのも、誰彼の自由。

 でも、あえていいます。

 君にだけは、そうした犯罪行為をやめてほしい。

 もし、今やめているなら、これからも継続してほしい。

 それが、過去迷惑をかけた人達へのつぐないにもつながる。

 言霊ことだまのように…どこかで、被害者の無念を晴らすことに繋がっていると思う。

(※もし、だれかにそんな事で無念が晴らせるわけないだろ!とか言われたら?ああ、悪い事してるって自覚あるのね?なら、私が辞めたい理由をもう理解している事になるわ、と言い返せばいい)


 とにかく、何が正しいのか、誰が悪いのか、どうすればいのか?

 その答えは組織内にいては永久に出ない。


 脱出が先決です。

 それらは脱出してから考えればいい。


 

 いつまでもそこにいてはいけません。

 なぜなら?その答えは君の心にあるのかもしれません…

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 頑張って!負けないでほしい。


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〔6月7日(火)〕


 Fさん。今日は本当は土曜日です。


 配送業者が間違えて別宅に送って、そこで開封されたものを、たいした謝罪もなくもってきた。

 ついさっきだ。


 安物ではない、ウン万する高価な品だ…

 彼らか?普通の人か?不明だけど、こういう事は即文句を言わないといけないと思い、早速アマゾンにクレームを入れました。配送業者に言うよりも、委託した大元に言う方が効果あると思った。

 はたしてどの程度効くのか…?わからないけど。

 文句を言うなら当事者よりも第三者の方が効果的という考えを実践してみました。



 そうそう、Fさん。

 上記の件もそうだけど、似たような件がつい最近もあった。

 ケーブルTVを入れた時も、入れてすぐ原因不明の故障をした。

 すぐ気がついたから短時間で業者を呼び戻して治せたけど、時間がたってからだったら大変手間のかかるところだった…。


 不具合の原因はプロらしくないミスばかりだ。

 たまにはあるだろう。

 でも、連続しておこる?君はどう思うだろう。

 「そう」いう組織と思っても違和感がないところがあったりもする…。

 これが言いがかりである事を祈ります。


 細かい嫌がらせを連続して行うのは“彼ら”の典型的な手口だ。

 1つ1つは小さな嫌がらせだから、実行者も悪いと思いつつも実行できてしまう。

 そんな小さな悪意も何千と重なれば、膨大な凶器になる事は、この小説で度重なり書いている。

 殺人をも肯定する集団犯罪集団がもしかりにいるならば?そこから距離をとるのは当然の決断であり、だれもそれを咎めることはできない。それが出来るのは真正のサイコパスだけだ。どこまでも自分勝手な事を言う連中以外、皆、本当はおかしいと感じているはずだ。


 1人1人はいい人だ、そうした人たちを悪意の創意に駆り立てる一部のサイコパスがいる。

 逃げてもいいと、強く、主張します。


 そういえば、こんな事を思い出す。

 東京で10年以上友達してくれていたあいつは、一度、不自然に若い彼女をもった。

 大学卒業後、社会人になったあいつは、高校生の彼女をつくったのだ。

 でもどういう経緯で知りあい、どういう経緯で別れたのか一切説明しない。

 わかい彼女できて自慢しそうなのに、しない。

 唯一、デジカメの小さな写真を見せてもらっただけだった。


 その後、別れたときは、あいつはしきりにこう言っていた。

 女はより強い遺伝子を持つ男になびくんだよ!と。

 それはそれは悔しそうに、何度も、何度も。


 彼らの世界では、実力者が女をものにする習慣などあるのだろうか…

 だとしたら、時代錯誤もはなはだしい。


 君は、どんな人生をいままで生きてきたのだろう。

 幸せであってほしい、祈らざるをえない。


 もし、もし、今、君が自分を取り戻す何らかの行動をしているのなら?

 負けないでほしい、戦う事の意味に気がついてほしい。

 人を愚弄し、翻弄して当然と思い込んでいる連中に、間違いを知らしめてやってほしい。

 それよりも何よりも、君が君らしさを取り戻してほしい…

 “彼ら”は君の、人のために尽くそうとする優しさを利用し、いい様に利用しようとするかもしれない。

 負けないで!応援しています。

 君は自分で思っている以上に強い女の子です、きっと上手くいきます。


 過去の歴史をみても、カルトが永久にカルトでいつづけた歴史はない。

 犯罪的なものは、社会との軋轢が増して、淘汰されるし。

 淘汰されないよう工夫すると、カルトでない普通の宗教へ進化する。

 “彼ら”は進化の過程かもしれない、が、今現在の実情は、間違いなくカルトであり、殺人をも肯定する犯罪集団だ。僕は脱出をとにかく君に勧めます。

 何がいけないのか?誰が悪いのか?

 脱出して距離をとってからじっくり考えればいい。

 その中にいる限り、永久に答えは出せないから。


 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。君が頑張り続けられるなら、僕も頑張り続けられます。

 奇跡を信じて。負けないで!

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〔6月8日(水)〕「それが18年前の君のあの想いに報いる唯一の方法だからだ」 

 

 TVを見ていたら、アナログ放送は7月24日までとやっていた…。


 僕と君が「紅の豚」を見に行ったのは26日…、わりと日付が近いと思ったと同時に、こうも思った。

 今まで18年前と書いていた記述を、次の7月26日が来たら、19年にしなければ…と。


 覚えているかな?

 あの思い出の日を起点にして、何年前とカウントすると以前書いた事を。


 もうすぐあの日がくる。

 その時が来たら、19年と記述を変更せねばいけない。


 待つと決めたからには待ちます。

 今は君の都合が悪いだけだ、何かしらの決着をみたら、Fさんは何かしら行動する。

 そうなのではと、奇跡に賭けます。


 贅沢を言うなら、せめて、僕があの日の君の気持ちに気がついた事だけは、どんな事をしても君に伝えたい。伝わった事を確認したい…、そう思っています。


 そんなささやかな想いが報われる日がある事を祈って。

 


 金と栄光しか愛せない人間もいるだろう…、それはそれで、その人の生き方だ。

 でも他人を虐げた結果の金と栄光は、自慢できるものではない。

 それでも、それらを自慢したい人間は、自らの正義と世の中の正義を共に馬鹿にして、否定する暮らしをせざる得ないだろう。

 そんな人間、君の周囲にいるのだろうか?


 

 …もし、今もなお「交渉」という戦いの場にあるなら?

 “彼ら”の最大の弱点は、自分たちは準カルト的集団であり、本物のカルトではないと「思い込んでいる」点だ。

 だから、公式の立場を大切にする。

 交渉するなら、相手の職場を訪ねるのが、最も効果的と以前書いた。

 この事自体は間違っていないと思う。

(公式の立場が優先される職場では、彼ら的行動はかなり制限され、まともな人間としての対応が要求されるからだ)

(さらに、そうした“公式な場”において、その人物の変った普段の姿を暴露するというのは、相手がもっとも嫌がることでもある)

(証拠などあると、なおさら効果は増す)

(でも、やり方と出すタイミングを間違えると、空振りに終わる事もあるので注意がいると思う)


 そしてそして肝心な事だけど。

 一度やると決めたら、中途半端にしないことだ。

 そこは、絶対のポイントだ。

 

 昨日TVでこんな話を聞いた、現役なのかな…、経済産業省の官僚で暴露的な本を書いた人物だ。

 この人の本は近くの本屋で見かけた。買おうかどうしようか迷っていたところだけど、昨日の話を聞いていて、読みたくなりました。

 まだ文庫化されてなくて普通の本なので1800円くらいしたと思う。こういう本は時間をかけてじっくり咀嚼しながら読むのが好きです。


 この著者の方が昨日TVで言っていたのは、原発問題で、今は東京電力を悪者にして、徹底的に叩いているけど、日本人はある程度、相手を叩くと気が済んでしまう。

 その頃を見越して、増税や電気料金の値上げで、震災復興の負担を国民にまわすシナリオだというのだ。

 だから、官僚の減給も3年で終わる予定だし、東京電力の負担も短期間で済むという理屈だ。


 言いくるめられやすい国民は長年馬鹿にされてきた結果、こういう発想になるのだと思う。


 こういう空気感は以前この小説内で紹介した「さらば財務省」という本の中にも書いた。


 現状維持も加減をすぎると社会の害悪となる典型例だ。


 変えるべきは変えていいのです。


 環境を整えるのは難しいかもしれない。

 1ついえる事は、待っているだけではだめだ。どんな方法でもいい、行動しないと。

 不器用でかっこ悪くても、情けなくとも、続ける事に意味がある。

 大切なものがあるなら、それは、意味がある。そんな風に思う。



 最悪の可能性の1つに、永久に再会できないというのがある。

 僕自身、別の相手を見つけて…なんて可能性も、人生は長いから否定はできない。

 たとえそうなろうとも、僕はこの小説を書き続けるだろう。


 それが18年前の君のあの想いに報いる唯一の方法だからだ。

 今のところは…、もし会えたら違う可能性も開けるだろうか?


 奇跡に賭けてみようと思う。

 常に「前」を向き続けて。


 “彼ら”は決して正体を明かさない…(告白しない)、どんなに親しくなろうとも、絶対に。

 君ははたしてどうだろう…?

 18年前、君は一歩手前まで来ていた。

 先輩の正体を明かすという行為は、あとちょっと踏み込めば自分の正体も明かしかねない行為だ。

 今にして思うとそう思う。


 僕は賭けをしています。

 君が僕に告白するかどうかと。

 そこが、大きなターニングポイントになる。

 それは事実です。


 告白された事は胸にしまうつもりでいます。


“人を許せる時が、自分を高める時”

(日本テレビ系『行列のできる法律相談所』で有名な弁護士、菊地幸夫氏の言葉)



 簡単でないが、目指しがいのある目標ですね。


 

 

 いつまでもそこにいてはいけません。

 なぜなら?その答えは君の心にあるのかもしれません…



 小さかった君は耐えた。頑張れば救われると信じようと努力した。

 どんなに疑問や悩みを抱えようと、誰も受け入れてくれない、自分が悪いんだと思い込む事でしか、解決できなかった…

 そうなのだろうか?

 生き方は人の自由だ。そこで過ごす事を選ぶのも、誰彼の自由。

 でも、あえていいます。

 君にだけは、そうした犯罪行為をやめてほしい。

 もし、今やめているなら、これからも継続してほしい。

 それが、過去迷惑をかけた人達へのつぐないにもつながる。

 言霊ことだまのように…どこかで、被害者の無念を晴らすことに繋がっていると思う。

(※もし、誰かにそんな事で無念が晴らせるわけないだろ!とか言われたら?ああ、悪い事してるって自覚あるのね?なら、私が辞めたい理由をもう理解している事になるわ、と言い返せばいい)

 とにかく、何が正しいのか、誰が悪いのか、どうすればいのか?

 その答えは組織内にいては永久に出ない。


 脱出が先決です。

 それらは脱出してから考えればいい。


 いつまでもそこにいてはいけません。

 そこは、まちがいなく“カルト集団”です。

 優しさを利用されてはいけません。頑張って!負けないでほしい。


 人間のクズになりたくて生きている人間はいない。

 そう、まわりの人たちに言っていいと思う。

 生きる価値のある人間は?と問われて即答はむずかしいかもしれない。

 でも、人間のクズに自分からなりたい人間はいないと思う。


 突破口を開くのにへたな計算はいらないと思う。

 そんな計算をしたところで、どうせ計算は狂う。

 なぜなら、この世は“バイアス”が支配するからだ。


 当事者が参加した時点で、諸条件が変化し、計算が狂い答えが変化する…、そういった趣旨の事は以前書いた。


 でもそれは参加者全員が共有するルールなので、動じる必要はない。


 自分に誠実にいてさえいれば、いいのだと思う。

 結果はどうあれ、君も僕も自分にウソをつかなくて済む。

 それがどれだけ重要な事か。


 下手な計算はいらない。一番大切な事は、やけにならず、諦めない事。

 そう思う。


 どうすればそんな事ができる?と思うだろうか?

 簡単な事です。今、現在の自分を、それが自分なんだと受け入れればいい。

(※これは僕の考えなんだけど、今日たまたま見た、朝のニュースの中でも、似たような事をお坊さんが言っていた。どうやら、それほど間違った考えではないようです)



 特異な事ではない。自分を伝える事は。

 みっともなくとも、必要な事だと思う。

 「対話」は認められないのだろう、でもあきらめてはいけない。

 君が頑張れるなら、僕もがんばる。

 いかに上手く生きるかだけが人生かもしれないけど、それが絶対の正解ではないとも思う。

 結果は大きく異なった形で現れるかもしれない…。

 それでも、前を向き、自分に誠実でいてほしい。

 そんな想い、君に届けば、幸せです。

 君はどう思うだろう?そう感じるだろう…


 


 右往左往する時、どうすればいいのか…。

 君はどこに焦点を合わせればいいのか?だけを考えればいいと思う。

 あれやこれやと考えると、自分の心がうやむやになってしまう…。

 

 自分の意思とはまったく関係ないところで、人生の波乱に巻き込まれる事は、誰にでも起こる。

 決して特別な事ではない。


 目をそむけたくとも、前を向くべきだと、そう思う。

 それが人生を生きるという事だから。


 なにをやるにしても、まず自分自身が崩れ去っては意味がない。

 周囲も助けてはくれないし、自分のためにもならない。


 なにをやるにしても、自分自身に誠実である事が、重要だと思う。


 うまくいかなくてもめげてはいけません。


 そういうのダメかな…?Fさん。

 誠実さと優しさは共存できます。


 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


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〔6月9日(木)〕「その頑固さを君の味方となり、強力な心の支えになると思う」 


 人は100人いれば100通りある。それは事実です。

 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。


 これは仮定に基づく記述。

 高知で家庭内暴力の果てに酷い事件が起きた。

 暴力で苦しんでいた奥さんが、旦那にガソリンを…、という事件だ。

 奥さんは退避施設に逃げていたけど、心境がゆれていたのか、暴力夫のもとに戻ったという。

 逃げていたけど戻った結果、何かがあり、こうなってしまったらしい。

 

 …その結果の酷い事件だ。

 子供も2人いるらしい、その2人の心の傷が心配なくらいの事件です。


 何が言いたいのか?


 

 戦う上であせりはいけない。

 ペースを作って、ペースを守って。穏やかさを保ちつつ、毅然とした気持ちを維持する。

 依存心を自分の意としない方向に向わないように、どう心境的にケリを付けるかがポイントかもしれない。偉そうな事言ってるかもしれないね、でも、事件の報道をみていて、つい書かねばと感じた。


 暴力に暴力で報いても、何も解決しないのは事実。

 むしろ悲劇がのこるだけ。

 暴力でない方法が解決の一番の方法であり、最短ルートです。


 そちらの世界には、暴力を肯定する勢力、いるのだろうか?

 なにしろバレなきゃ何をしてもいいと考えるようなところがある。

 君はそんな連中に囲まれて育ったのだろうか?つらかったのかもしれない…、この心配が取り越し苦労であるなら幸いです。もし、心配しすぎだとしても、君の身を案じての事です。どうなのかな…、いつか、心配がどの程度当たっていて、どの程度外れているのか教えてほしい。



 相手の精神力の10倍以上の精神力が要りますが、大丈夫です。

 僕も君もものすごい頑固さをもっている。

 それを応用すればいいのです。

 譲れない何かがあるなら、その頑固さを君の味方となり、強力な心の支えになると思う。


 戦う上で、大きな勝負で全てを終わらすのではなく。

 小さな勝負を何千回、何万回と挑んで、相手の気と周囲の空気を変えるほうが、正しい方法だと思う。

 具体的には、職場に何度も訪問するとか、何度も離婚届を手渡すとか。

 小さいことを繰り返す事は効果的です。


「決定権は私にあるの!」と繰り返せば、そういう空気を作れる。


 これは君が今も戦っているという前提で書いています。

 君は幸せなんだろうか?いつか、それを確認できる日を夢見ます。


 “彼ら”はこの世に「慎み深い人間」はいないと主張する。

 そんな思想は仏教ではない。

 俗人が聖者の微妙なニュアンスを正しく理解できないが故おこった教えの歪みだ。

 …でなければ、誰かが意図的にゆがめた事になる。

 惑わされず、自分の想いを貫いて欲しい。

 君が君であるために。


 “彼ら”は人を死ぬまで追い込む事をメンバーに強制する集団犯罪を肯定する。

 君はそこから離れて正解です。

 もし、今、離れているなら。これからも継続してほしい。

 それが、過去迷惑をかけた人達へのつぐないにもつながる。

 言霊ことだまのように…どこかで、被害者の無念を晴らすことに繋がっていると思う。

(※もし、だれかにそんな事で無念が晴らせるわけないだろ!とか言われたら?ああ、悪い事してるって自覚あるのね?なら、私が辞めたい理由をもう理解している事になるわ、と言い返せばいい)


 とにかく、何が正しいのか、誰が悪いのか、どうすればいのか?

 その答えは組織内にいては永久に出ない。


 脱出が先決です。

 それらは脱出してから考えればいい。


 

 いつまでもそこにいてはいけません。

 なぜなら?その答えは君の心にあるのかもしれません…


 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 人は100人いれば100通りある。それは事実です。

 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!


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〔6月10日(金)〕「心は漂うものです…でもやけにならず、自分の心と向き合ってほしい」


 Fさんへ。

 こないだTVを見ていたら、ベルリンフィルで活躍する日本人指揮者の特集がやっていた。

 たまたま見ていたらやっていたのだ。

 型外れな人物で、見ごたえがあった。

 見ていて、演奏曲目の中に「ショスタコーヴィチ 交響曲第5番」というのがあった。

 演奏を聴いていて思うのは、演奏が完璧すぎてCDをきいているようだ、というものだ。

 これは褒め言葉。CD並みの完璧な演奏を生でやる人々。さらにそこにプラスアルファを求める指揮者。

 凄い世界だな、これがプロだよな。と思った。

 

 …で、聞いていて思った。「ショスタコーヴィチ 交響曲第5番」の中の第4楽章。あれって18年前、吹奏楽部でやった曲だと思う。なんだか曲の旋律を覚えているからだ。確かに演奏した記憶がある。

 「ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 第4楽章」聞くと、あの音楽室の景色が蘇ってきます。

 あの時の感覚、あの時の記憶、あの時の空気感が蘇るのです。

 プロの演奏は上手い、完璧だ。

 でも記憶の中の演奏はもっと下手で、ここはもっと難しいんだぞ、などと思ってしまう。

 18年前、僕らの吹奏楽部が上手くできなかったところを、完璧にこなすベルリンフィルはやっぱ凄いのだな、と思いました。

 Fさん、なんかふいに、そんな事を思ったよと、伝えたくなりました。


 チャンスを生かすというのは実は相当に難しい…

 でも、2度とそんな目に遭いたくないと思うなら、前を向いていいとおもう。

 あの日の時間は取り戻せないが、あの時の2人の関係はまだ生きていると思う。

 あの時は、お互いにまだ子ともで、お互いの事を思い遠慮しあってしまった。


 でも、あれから時間も経ち、2人とも成長したと思う。

 本来の時間をすすめても、いいと思うし、何も問題はない。


 人の心を挫いてせせら笑う連中に負けないで!

 連中は幼い心を踏みにじり、いいようにコントロールしても、なにも罪悪感を感じない連中だ。

 その考えが、実は末恐ろしく間違っている事を、アピールするだけの権利が君にはある。

 被害者は君なのだから、遠慮は無用です。


 心は漂うものです…でもやけにならず、自分の心と向き合ってほしい。


 先に書いたベルリンフィルで活躍する、日本人の方も悩んでいた。

 日本では震災で多くの人が苦しんでいる、音楽などやっていていいのか?と。

 彼の故郷は被災地なのだ、友人も多く被災している。

 彼は自分の心と向き合い、自分に今できることに全力をあげることにする。

 間違っているかもしれない、けど、それでも彼は「前」を向こうとする。

 その姿勢は素敵に見えた。


  

 もし誰かに「そんな事はありえない(あってはならない)」と言われたら?

 こう言い返せばいい。

 「人にさんざん「ありえない」事たくさんしといて、それはないんじゃない?都合が良すぎるわ!理解不能よ」と。



 たぶん…いろいろあるのだと思う。

 手に負えない状況なのかもしれない。

 それでも、やけにならず、前を向いていてほしい。 


 自分自身に誠実でありつづけさえすれば、いいと思う。

 自分を偽らず、誠実に。


 どんなに理解されなくとも、活路はそこにある。

 そう信じていいと思う。


 自然に、自分でいることが大切です。

 

 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!

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〔6月11日(土)〕「前進するための未知の可能性を最初から捨て去っては、何もはじまらない」

 

 レッテルを人にはりつづけた人は、レッテルを貼られることを通常以上に恐怖するかもしれない…。

 “彼ら”の場合はどうなのだろう…、君の周りの人らはどうなのかな?

 なにか戦う上での参考にされば幸いです。


 こんな事も思う…

 最近車に乗る生活が増えた。自動車通勤だからだ。

 自動車の中では音楽を聴いている。


 車の中で聞く音楽はなにか違う…、たぶん他にやる事のない閉ざされた空間のせいだろう。

 家で同じ曲を聴くときと印象が違う。


 同じ事は読書にも言えて、喫茶店やファストフード店で読書するのと、家で読むのでは集中力というか、読後の満足感がちがう。

 喫茶店やファストフード店で読む方が満足度が高いのだ。


 空間は人間の感覚を支配する。そう思う。

 “彼ら”が君を説得するなら、こうした空間の特質を利用するかもしれない…、気をつけてほしい。


 また逆に言うなら、空間の演出を使って、相手を逆に説得したり、撃退する事も出来るかもしれない。

 話し合いは密室よりも喫茶店のような開かれた空間の方がいいと何度も書きました。ぜひ実践してほしい。

 会社のオフィスのような場所も、相手に逃げ道を奪う効果がある。

 もし、会社に訪ねていって、居留守を使われるようでも、毎回行けば、相手の行動を制限する効果に繋がるので、間接的なプレッシャーになると思う。

 何より周囲の人々が見ている、君が怒っている事を周囲の人に示す事は、本人にたいする圧力としては、無視できないものになると思う。繰り返せば繰り返すほど。

 

 この行動のポイントは繰り返す「頻度ひんど」だ。

 毎日いくと、相手も慣れてしまう。

 人間は何にでも慣れる生き物だ。慣れてしまうと効果が下がる。

 だから、慣れない程度に何度も行くのがいい。ランダムに時間を変えたりして。

 あまり一生懸命になると、心がもたない。

 自分に無理じゃない範囲、少し余裕をもてるレベルで、繰り返すのがいい。

 

 ともかく、どんな形にせよ、繰り返す事が大事です。

 やりすぎると逆効果もある、でも遠慮するのではなく、加減しながら行うのがいいと思う。


 諦めない行動は、人の心に訴えかける。それは事実だ。

 “彼ら”の基本戦略から想像するに、“彼ら”は君の行動にあらぬ噂やレッテルを貼るだろう。

 それでも負けないでほしい。


 心の弱い人間ほど、他人にレッテルを貼るものです。

 かわいそうな心しかもってないがゆえの、稚拙な行為なのだと、そう思っていいとおもう。事実なのだし。


 どこかにいる真正のサイコパスが、心弱い人々を扇動しているのです。

 憎むべきはそうした少数のサイコパスなのだと思えば、怒りもコントロールできる可能性が出てくる。


 …あまり考えすぎず、肩の力を抜いて、自分の心に従うのがいい。

 諦めないことが大事です。君が前を向き続けていてくれるかぎり、僕も前を向き続けていられる。


 こんなTVを見た。

 ある離婚女性は、住み込みのアパートの寮母さんの仕事を見つけたそうだ。

 で、住み込みだから今の家がいらなくなる。

 彼女は家を(部屋を)処分せず、人に貸したのだそうだ。

 寮母としての収入と家賃収入で、今では数千万の貯金があるとか…。


 これは、あらゆる可能性を想定して書いています。

 収入面で苦境に立っても、工夫次第で意外と道はあるみたい。


 ここでも肝心な事は、諦めず、可能性を追求する事は、大事らしいという事だと思う。

 Fさんはどう思う?

 言うは簡単でも、実行は難しい。それは当然のこと。

 でも前進するための未知の可能性を最初から捨て去っては、何もはじまらない。


 熱意と情熱を失わせるのが“彼ら”の手口だ!

 今も君からそれらを奪おうと虎視眈々狙っている!気をつけて!!


 生き方は人の自由だ。そこで過ごす事を選ぶのも、誰彼の自由。

 でも、あえていいます。

 君にだけは、そうした犯罪行為をやめてほしい。

 もし、今やめているなら、これからも継続してほしい。

 それが、過去迷惑をかけた人達へのつぐないにもつながる。

 言霊ことだまのように…どこかで、被害者の無念を晴らすことに繋がっていると思う。

(※もし、だれかにそんな事で無念が晴らせるわけないだろ!とか言われたら?ああ、悪い事してるって自覚あるのね?なら、私が辞めたい理由をもう理解している事になるわ、と言い返せばいい)


 とにかく、何が正しいのか、誰が悪いのか、どうすればいのか?

 その答えは組織内にいては永久に出ない。


 脱出が先決です。

 それらは脱出してから考えればいい。


 いつまでもそこにいてはいけません。

 なぜなら?その答えは君の心にあるのかもしれません…



 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 もし誰かに「そんな事はありえない(あってはならない)」と言われたら?

 こう言い返せばいい。

 「人にさんざん「ありえない」事たくさんしといて、それはないんじゃない?都合が良すぎるわ!理解不能よ」と。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!


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〔6月12日(日)〕「誰の心でもない、君の心に」


 こないだ書いた「ショスタコーヴィチの曲」だけど。

 この曲、聞いていると、知らない部分もある。

 …で、思い出した。

 あの先生、吹奏楽用に楽譜を短くするという事を、よくしていたなー、と。

 そんな事思い出した。


 ディズニーメドレーなんかも、最初の部分を削っていたと思う。

 そんな事、思い出した。


 そんな事思い出していると、当時の風景が頭に蘇ってくる…。

 音楽室、北側に指揮者が立ち、皆でその方向に向って座って演奏した。

 覚えているかな?左手にピアノが見えた。

 ピアノの前にチューバがいて、その向こうに弦バスがいる。

 左ななめ前にユーホがいて、右となりはトランペットだ。


 あの時、高校生の時は、なにも知らない平和な日々だった。

 けど、僕の知らないところで、君は物凄い戦いをしていたわけで…。

 応援できなかった自分を恥じるし、共に戦えなかったことが本当にくやしい。

 今度こそ、応援したいし、共に戦いたい。

 いろいろ書いた。今は書くことしか出来ない。

 出来うる限りの事を書こうと思う。


 こんな記憶がある…

 音楽室で、何の曲だったか忘れたけど、君は楽譜を読んでいた。

 どういう経緯でそういう話になったか忘れたけど、君は今削られた楽譜を読んでいると答えた。

「ええっ、この曲、削られた部分があるの?」

 とか、僕は驚いた。まったく知らなかったのだ…。

 君は楽譜を読みながら、その曲の本来の姿を思い浮かべて楽しんでいた。

 その姿は、なんだか尊敬すべき音楽の上級者というイメージを僕に抱かせた。

 この子は本当に音楽が好きなんだ…、そう感じたものだ。


 君は今でも音楽が好きなのだろうか?

 今はどんな曲を聞いていますか?

 君は自分の好きな曲が何であるとか、そういう話題をしなかった…。

 自分の好みを他人に押し付けるようなところが、一切ないのだ。


 そんな君が、人に尽くす性格の君が、僕とわかれた後、どんな苦労をしたのか…

 そんな心配を、抱いてしまう現在の僕がいます。

 いつか、あの日の続きの記憶を補完しあえる日が来る事を祈ります。


 僕は君から優しさとは何か?を教えてもらった。

 あの想い出は今でも、僕の生き方の重要な構成要素として、今も共に生きています。



 もし、あの何もしらない日々に戻してやると誰かに言われても、ぼくは戻りたいとは思わない。

 ようやく心に引っかかっていた人生最大の謎を解いたのだ。

 その事実の重大さに気がついた今、過去に戻りたいとは思わない。

 未来のどこかで、君に会い、過去の想いに何かしらのケリをつけたい。そう考えます。

 どんな結果であろうとも、過去に戻れない以上、未来で君と会いたい。

 君はどう思うだろう…、その答えは、君の心の中のみにあります。誰の心でもない、君の心に。


 たぶん…いろいろあるのだと思う。

 手に負えない状況なのかもしれない。

 それでも、やけにならず、前を向いていてほしい。 


 自分自身に誠実でありつづけさえすれば、いいと思う。

 自分を偽らず、誠実に。


 どんなに理解されなくとも、活路はそこにある。

 そう信じていいと思う。


 自然に、自分でいることが大切です。小さかった君は耐えた。頑張れば救われると信じようと努力した。

 どんなに疑問や悩みを抱えようと、誰も受け入れてくれない、自分が悪いんだと思い込む事でしか、解決できなかった…

 そうなのだろうか?


 頑張って!負けないでほしい。


 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!



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〔6月13日(月)〕「そんな時が来たら、僕がこんな事を書いていたなーと思い出してくれると案外、冷静さが戻ってくるかな?どうなのだろう…」


 Fさんへ。

 「所さんの目がテン」という番組で、人間のクセについて特集していたのを見た。

 人間はあごやほほなど、自分の顔にふれるクセがある。

 あれには「意味」があるという…。


 自己親愛動作とか言う行為で、自分自身を落ち着かせる動作だというのだ。

 脳が興奮気味で、落ち着かねばいけないと感じる時、人間は顔の一部にふれるようだ。


 僕もよくあごに手をやるクセがある、そういう事なのだろうか。

 大概、次にどうするか熟考するとき、このクセは出る。


 もし、なにかパニックになりそうで、自分が混乱気味だ!と感じた時は、一度自分の顔を触る動作をしてみると、案外と落ち着いて考えをまとめられるかもしれない。


 何が言いたいのか?

 “彼ら”の例のあの集団威圧行為は、人から正常な判断力を奪うものだ。

 だから、冷静にならねば!と思うとき。混乱から回復したい時は、これまでも、これからも、あるかもしれない。

 試せばかならず落ち着けるとは思わないけど、もし、そんな時が来たら、僕がこんな事を書いていたなーと思い出してくれるとうれしい。

 思い出したことがきっかけで、冷静さがもどるかもしれない。


 Fさんは、顔を触れられると、物凄い照れる人だ。

 なんてかわいい人だろうと、あのときは思った。

 だからこそ「かわいい」と自然に口にできた。あれはお世辞でもなんでもなく、自然に思ったことを言ったのです。

 君は「かわいくないよ」と謙遜する…。そんな性格も大好きだ。


 …もし、今もなお「交渉」という戦いの場にあるなら?

“彼ら”の最大の弱点は、自分たちは準カルト的集団であり、本物のカルトではないと「思い込んでいる」点だ。

 だから、公式の立場を大切にする。

 交渉するなら、相手の職場を訪ねるのが、最も効果的と以前書いた。

 この事自体は間違っていないと思う。

(公式の立場が優先される職場では、彼ら的行動はかなり制限され、まともな人間としての対応が要求されるからだ)

(さらに、そうした“公式な場”において、その人物の変った普段の姿を暴露するというのは、相手がもっとも嫌がることでもある)

(証拠などあると、なおさら効果は増す)

(でも、やり方と出すタイミングを間違えると、空振りに終わる事もあるので注意がいると思う)

 

 生き方は人の自由だ。そこで過ごす事を選ぶのも、いろんな人の自由。

 でも、あえていいます。

 君にだけは、そうした犯罪集団から離れてほしい。

 もし、今離れているなら、これからも継続してほしい。


 それが、過去迷惑をかけた人達へのつぐないにもつながる。

 言霊ことだまのように…どこかで、被害者の無念を晴らすことに繋がっていると思う。

(※もし、だれかにそんな事で無念が晴らせるわけないだろ!とか言われたら?ああ、悪い事してるって自覚あるのね?なら、私が辞めたい理由をもう理解している事になるわ、と言い返せばいい)


 とにかく、何が正しいのか、誰が悪いのか、どうすればいのか?

 その答えは組織内にいては永久に出ない。

 “彼ら”は殺人をも肯定する集団犯罪組織だ。実体はカルトそのものです。

 

 脱出が先決です。

 答えは脱出してから考えればいい。


 

 いつまでもそこにいてはいけません。

 いては、また洗脳されてしまう。


 小さかった君は耐えた。頑張れば救われると信じようと努力した。

 どんなに疑問や悩みを抱えようと、誰も受け入れてくれない、自分が悪いんだと思い込む事でしか、解決できなかった…

 そうなのだろうか?

 もし誰かに「そんな事はありえない(あってはならない)」と言われたら?

 こう言い返せばいい。

 「人にさんざん「ありえない」事たくさんしといて、それはないんじゃない?都合が良すぎるわ!理解不能よ」と。


 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!


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〔6月13日(火)〕「「旧姓」を名乗ればいい」



 Fさんへ。

 こんな事も思ったりする。


 これは繰り返しになるけど …もし、今もなお「交渉」という戦いの場にあるなら?

“彼ら”の最大の弱点は、自分たちは準カルト的集団であり、本物のカルトではないと「思い込んでいる」点だ。だから、公式の立場を大切にする。交渉するなら、相手の職場を訪ねるのが、最も効果的と以前書いた。

 

 ここからが肝心な所。

 上記を踏まえた上で、こんな事も思う。


 離婚する気ゼロの相手に、もう離婚が既定事項(=未定事項の反対語)であるかのごとく振舞うと、そういう空気になるかもしれない。

 具体的にはどうすればいいのか?


 それは「旧姓」を名乗ればいい。


 名乗るだけなら、何の法的な問題はない。


 もう少し踏み込んで記述すると、例えば玄関に掲げるネームプレートは「旧姓」にする。これだけでもだいぶ違う。手紙を書くときも旧姓を使えばいい。


 …どういう事か?相手や周囲は君の言動や行動に相当注意を払っていると思う。

 そういう条件下で、君が「旧姓」を名乗り続ける事は、相手や周囲に無言のプレッシャーとなるはずだ。

 それに、第一、君自身の心も多少、軽くなると思う。


 名はその人の心を支配するという。

 支配から抜け出す目的で、自分で名前を変える事は、けっして不自然ではない。まして偽名ではなく本来の名に戻るだけなのだ。

 何の問題もない。

 世の中、仕事や人間関係に支障が出るという理由で、結婚後も旧姓を使う女性はたくさんいる。

 昔、東京で働いた会社にも、旧姓で働いていた女性がいた。


 名前を本来のものに戻すという提案。


 これは君が今も戦っているという前提での提案です。

 何かの役に立つだろうか?

 君のインスピレーションになにかしらのヒントとして何かを与えられたら幸いです。


 丁寧かつ妥協を許さない毅然きぜんとした態度が肝心です。

 「旧姓」を名乗るというのも、毅然とした態度になるかもしれない。そんな事思った。


 なかなか首をたてにふらない交渉相手には、こう言ってもいいかもしれない。

「彼方が事実をなかなか受け入れられないのはわかる。でも、これは現実なの。彼方は強い人なはずだから、この現実を受け入れられるはずよ」と。

「皆思ってるわ!なんであなたのはじの尻拭いを自分達がしなきゃいけないんだ!って」


 たぶん…いろいろあるのだと思う。

 手に負えない状況なのかもしれない。

 それでも、やけにならず、前を向いていてほしい。 


 自分自身に誠実でありつづけさえすれば、いいと思う。

 自分を偽らず、誠実に。


 どんなに理解されなくとも、活路はそこにある。

 そう信じていいと思う。


 自然に、自分でいることが大切です。

 

 世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです。

 手が出せば届くような単純なものではない。

 単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。

 物事は単純ではない、なにかしらバイアスがあり、それらが絡み合い“何か”を引き起こしている。

 単純な真理1つで救われるほど、単純ではない。

 まして、意味も解らず教えを妄信すれば、世界が救われるなど、ありえない事です。


 Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!

 君の周りの人に伝えてください。

 「わかろうとしないのは目の前しか見ていないからよ」と。

 「教えが正しいとか間違ってるとか、そういう問題じゃないのよ!」と。

 「それもの凄い犯罪なのよ!わたしそれに気づいたの、もう戻れないわ」と。

 彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。

 それが証拠に、彼らは彼ら自身の行いで、ドンドン日本を荒廃させている。


 「いいわけ」と「ごまかし」の果てにある「悪意の集約」が何を引き起こすのか?

 冷静に考えれば、わかることです。


 これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。

 教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。

 “質”が問われているのです。そう伝えてください。

 君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。

 君は自分で思っている以上に強い人です。


 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!


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〔6月14日(火)〕「気をつけて!相手は懐柔策(=うまく話しをつけて手なずけるための方策)に出てくるかもしれない」


 今TVを見ていたらこんなニュースをやっていた。

 ある学校で生徒を平手打ちしたら、親が抗議したそうだ。

 そしてら学校側は1万数千円わたしたらしい。

 味を占めたその親は、子供が再び教師からしかられると、抗議して金品を要求したという。

 …そんなニュースを見ていて、こう思った。


 一度でも味を占めるとどんどん過剰な要求をする人間は、この世に確かに存在する。


 “彼ら”の中の、それも人々を扇動する位置にいる上位者は、こういう感覚なのだろうか?

 君は優しい子だ、その優しさに付け入ってどんどん過剰な要求をされたのではと、心配になってしまう。君は気に病む必要はまったくない。


 …もし、今、戦っていると仮定すると、相手は懐柔策(=うまく話しをつけて手なずけるための方策)に出てくるかもしれない。

 対立相手から一時的にやさしくされると、心がぐらっとくるでしょ?

 そういう時は

「貴方の同情などいならい」

 と1度すごんで見るといいかもしれない。


 話が止まれば、考える時間も、自分の意見を言う間もかせげる。

 やると決めたなら、中途半端が一番いけない、毅然とした態度が大切なポイントです。


 君は君らしくいていいのです。

 僕が保障します!がんばれ!!

 世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです。

 手が出せば届くような単純なものではない。

 単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。

 物事は単純ではない、なにかしらバイアスがあり、それらが絡み合い“何か”を引き起こしている。

 単純な真理1つで救われるほど、単純ではない。

 まして、意味も解らず教えを妄信すれば、世界が救われるなど、ありえない事です。


 Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!

 君の周りの人に伝えてください。

 「わかろうとしないのは目の前しか見ていないからよ」と。

 「教えが正しいとか間違ってるとか、そういう問題じゃないのよ!」と。

 「それもの凄い犯罪なのよ!わたしそれに気づいたの、もう戻れないわ」と。

 彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。

 それが証拠に、彼らは彼ら自身の行いで、ドンドン日本を荒廃させている。


 「いいわけ」と「ごまかし」の果てにある「悪意の集約」が何を引き起こすのか?

 冷静に考えれば、わかることです。


 これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。

 教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。

 “質”が問われているのです。そう伝えてください。

 君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。

 君は自分で思っている以上に強い人です。



 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!


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〔6月15日(水)〕「浅はかに騙されている連中に、心の中の大切な“それ”まで踏みにじる権利はない」

 

 こんな記憶がある。

 小学生くらいかな…学校で、ポテトチップスの出来た歴史についてしゃべった事がある。

 アメリカのどこかの店で、客がフライドポテトをもっと薄くしろ!とクレームを言ったのに怒ったシェフが、これでもかと薄くしてあげたポテトがポテトチップスの始まりだと…。


 これを話したとき、なぜかウソをついていると糾弾された事がある。


 そういう目でみれば、なにもかもウソをついているように見える。

 …という事なのだろうか?

 他にもうそつき呼ばわりされた事は結構ある。

 君はどう感じる?君は僕という人間を知っている。

 隙だらけで鈍感だけど、積極的にウソをつく人間でないと知っていると思う。


 どこかの誰かが、僕の事をウソつきだと吹聴しつづけると、みながそういう目で見るのかもしれない。


 こういう考え、普通なら、信じない。

 でも僕には君との思い出があり、東京での経験がある。

 まんざら間違ってないという感覚がもてる。


 享楽の果てにいきついた答えが、集団による個人攻撃だとしたら、どうなのだろう?

 嘘つきは誰なのかは明白だ。


 多くの人はそれにきがつかず、騙されていた事になる。


 たぶん、いまでも君の周りにも、「そう」いう目で君をみる人がいるかもしれない。

 でもそれは、誰かの影響により、そういう風に見るように暗示をかけられたかわいそうな人なのだ。


 そんな人たちに遠慮して、人生をおかしくするのは、間違っているように思う。


 違う!と言い続けるのは難しい。でもやらなければ、いつまでもいいようにされてしまう。

 騙されている連中に正義はない。

 君は被害者なのだから、誰にも遠慮せず、堂々としていればいいのです。

 心に“なにか”があるなら、大事にしてもいいのです。


 浅はかに騙されている連中に、心の中の大切な“それ”まで踏みにじる権利はない。

 その事に関しては、お釈迦様とて同意してくれるはずだ。


 君は、君らしくいて、いいのです。


 “彼ら”的行動とは、「熱気ねっき」にあてられて思わず興奮する集団恍惚しゅうだんこうこつ状態が作り出すものだと思う。

 これが、お祭りとかスポーツならまだいいが、

 犯罪行為に集団恍惚しゅうだんこうこつするのは、間違っている。

 …でも、恍惚こうこつ状態にあると、理性的判断が出来なくなり、皆、別人に変ってしまい、犯罪も肯定する人間にさせられてしまう。

 こういう状態を一般に「トランス状態」と呼び、暗示を「ものすごく」受け入れやすい状態、と理解しないといけません。

 一度暗示に「かかる」と、なかなかとれない。

 君のまわりを見回してほしい、事実、普段はいたって「普通」なのに、“彼ら”の悪意に関しては「正常な思考」が出来ない人、多いと思う。

 それは、暗示にかかっているからだと思う。

 

 もちろんこれは推測を書いているに過ぎない。

 その世界がそこまで「本当に」酷かったら、そうとう病んでいる事になる。

 「病んだ人間を救う」のが本来の仏教であり、「病んだ人間を大量生産する」事はカルトの思考です。

 そこは、どう屁理屈をこねても、覆せない、当たり前の真実だと、「普通」の感覚の人間なら思うところです。

 …Fさん、戦ってほしい。

 君を責めたりはしない、そういう環境に問題があるだけだ。


 真実に気づく以前の当時、自分にはFさんと親しくする資格が無いと思っていた。

 こんなにしてもらっていいのだろうか?といつも思った。

 君に疑問をぶつけると、そんな事無いよと君が答えてくれる。

 あれは…、幸せな瞬間だった。


 そんな記憶、確かにある。

 

 手を2人合わせると、同じ大きさだったのに驚いた。

 君がなんとなくドキドキしていたのを覚えている。

 手を合わせるという行為は、手をつなぐ以上に非日常な感じがする。

 君は、あのときの事覚えているだろうか?

 時々、自分の手を広げて、同じ大きさの手を持つ女の子の事を思い出す。

 幸せな記憶は確かに今もここにある。


 そう、思うことがあります。


 顔に触れた事、覚えているかな…?

 あれは幸せな記憶だ。

 君の記憶では、どんな風になっているのだろう。

 ただ、ほほを触るだけなのに、なんだか、物凄く幸せに感じた。

 僕は笑顔の君が大好きだ。笑顔で無い君も大好きだけど、やはり笑顔の方がよりいい。


 大切な“なにか”があるなら、それは重大な事です。

 世の中にはそれが無い人も事実いるのだから。 


 …もし、今もなお「交渉」という戦いの場にあるなら?

“彼ら”の最大の弱点は、自分たちは準カルト的集団であり、本物のカルトではないと「思い込んでいる」点だ。

 だから、公式の立場を大切にする。

 交渉するなら、相手の職場を訪ねるのが、最も効果的と以前書いた。

 この事自体は間違っていないと思う。

(公式の立場が優先される職場では、彼ら的行動はかなり制限され、まともな人間としての対応が要求されるからだ)

(さらに、そうした“公式な場”において、その人物の変った普段の姿を暴露するというのは、相手がもっとも嫌がることでもある)

(証拠などあると、なおさら効果は増す)

(でも、やり方と出すタイミングを間違えると、空振りに終わる事もあるので注意がいると思う)

 



 小さかった君は耐えた。頑張れば救われると信じようと努力した。

 どんなに疑問や悩みを抱えようと、誰も受け入れてくれない、自分が悪いんだと思い込む事でしか、解決できなかった…

 そうなのだろうか?


 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 享楽の果てに行き着いた間違った教えを強要する連中に負けないで!!


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!

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〔6月16日(木)〕「その組織は、殺人をも肯定する集団犯罪組織だ。その和を保つ事と、君の大切な“何かを”天秤にかけるのはそもそも間違っている」

 

「ほめ殺し」という言葉がある。

 具体的にはこんな感じだ。


「あなたは立派ですばらしい人、だからこそ、そんなワガママがつうじるのでね、すばらしいわ」

「あなたは選ばれた人、だからこれほど人に酷い事をしても、みなから許されるのね、なんてすごいのかしら」

「あなたは世の中に必要な人、そうでなければこんな暮らし許されるはずがないもの!」


 といった具合だ。

 褒め言葉だから、相手も反撃しすづらいというもの。

 相手の反撃を封じる手段にもなるし、話し合いの空気を自分のペースにもっていくきっかけにもできる。


 何かの参考になるだろうか?

 君に似合わないものである事は承知している。

 だからこそ、ここぞと言う時、これを使うと、インパクトあるとも感じる。

 何が役にたつかわからないので、あらゆる可能性にそなえて記述します。


 個人の幸せを組織内の政治の駆け引きなどに利用されてない事を、祈るばかりです。

 政治?何のこと?と思うかもしれない。

 この場合の政治とは、誰かの迷惑になるから…という理由で自分の幸せを我慢する行為だ。

 和を保つ=政治という意味になる。

 その組織は、殺人をも肯定する集団犯罪組織だ。その和を保つ事と、君の大切な“何かを”天秤にかけるのはそもそも間違っている。

 なにかその事に対して言う人がいたら、こういってやってください。

「これは私の人生、あなたのじゃない」と。


 もし誰かに「そんな事はありえない(あってはならない)」と言われたら?

 こう言い返せばいい。

 「人にさんざん「ありえない」事たくさんしといて、それはないんじゃない?都合が良すぎるわ!理解不能よ」と。


 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!

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〔6月17日(金)〕「上手くいかなくてもいい、不器用でもいい、続ける事が肝心」


 難しいかな…

 相手を「泣かす」ぐらいの覚悟がいるかもしれない…。

 

 仮にも生活を共にしていたなら、相手が泣いて崩れてしまうようなポイント、少なからず知っていそうに思う。

 相手の大事にしているコレクションをぶち壊す奥さんの話などは、夫婦喧嘩の話ではよく聞く。

 おそらく、それ以上の何かがいるのかもしれないけど。


 “彼ら”の理屈では、絶対に理解を示して折れるという事はない。

 心情的に折れる事はあっても、数日もすると元に戻るし、あるいは戻らなくても、態度を保留するのみでそれ以上はない。

 “彼ら”が何かするときは、あくまで、彼らの都合がその方が良いと判断した時のみだ。


 だから、こういい続けても、もしかしたらいいのかもしれない。

「早く新しい人生をさがして、私と係わり合いの無いやつを」と。

 キツイ一言だけど、中途半端な態度はよくない。

 


 僕も君にキツイ事を書きます。君の欠点の1つは態度を中途半端にすることだ。

 なにか譲れない“大切なもの”があるなら、毅然とした態度が、心を動かすのだと思う。


 なんにせよ、行動をおこす事が重要なキーワードだと思う。

 焦らずに、小さな事を、継続して行う事が、重要です。

 短期決戦を焦ってしまうと、こちらが疲れてしまう。

 長期戦では君が優位です、時間が経てば経つほど、焦るのは向こう側です。

 ちょっとだけ勇気を振り絞った行動を休みなく繰り返す事は、効果的だと思う。


 昨日、こんなニュースを見た。

 ある村だったかな?小さな村か町の話。

 そこも“被災地”なんだけど、小さな町なゆえに誰も報道しに来ない。

 故に義援金も忘れられがちだし、復興支援もほとんどない。

 そこの町の高校生がこう思ったらしい。

 黙っていては誰も答えてくれない。自ら発信しないと!と。

 その高校生たちは新聞部だった。

 インターネットに自分たち新聞部の取材した地元の被災の様子や、復興の様子をのせたそうだ。

 TVで取材されるくらいだから、きっと反響があったのだろう…

 自ら“発信”しないと、誰も答えてくれないという事実は、確かにあるようです。


 上手くいかなくてもいい、不器用でもいい。

 僕ら2人は自ら発信するような事はにがてだった…、けど、君が頑張れるなら、僕もまた苦手でも頑張り続けられる。


 

 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!

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〔6月18日(土)〕「君の出来る範囲でいい。

 無理をせず、自分のペースを守って、ペースを作って、戦ってほしい。」


 Fさんへ。


 君が今も戦っているという前提で書きます。

(もし、今もなお「交渉」という戦いの場にあるなら。“彼ら”の最大の弱点は、自分たちは準カルト的集団であり、本物のカルトではないと「思い込んでいる」点だ。

 だから、公式の立場を大切にする。

 交渉するなら、相手の職場を訪ねるのが、最も効果的と以前書いた。)



 もしだけど…

 誰かに“プライド”について言われたら?

 

 こう言えばいい。

「歳を重ねて、曲げられないプライドもいくつかあるんでしょう?でもそれが理由で私が何で犠牲にならなきゃいけないの?そんなに私の人生って軽いものなの?どうなの?説明してよ!卑怯者!」

 と、このくらいは言っても差し支えないかもしれない。

 

 たとえ相手がゴリラのような怖い男でも、打たれ弱い部分は必ずある。

 男はみなロマンチストだ!ロマンを打ち砕かれて、耐えられる男は少ない。

 なにか、そういう柔らかい部分が、どんなにこわもての男でも必ずある。

 同じ人間。かならずあります。


 むずかしい事がむりなら、簡単な事でも効果があります。

 たとえば、背中に毎回シールを黙って張る…とか。

 毎回、トイレに言ったか聞く…というのも効くと思う。

 1回、1回はどーという事もないけど、回を重ねるほどに相手はイライラすると思う。

 軽くイラッとくるか?こないか?という事を繰り返して毎回やるのは意外と効果あると思う。

 ポイントは相手に「またか!」と思わせることだ。

 仮に怒っても、周囲からみたら「なんでそんな事でこの男は怒っているんだ?神経質なやつだ」となる。(そういうシュチュエーションでも周囲の目のある場所で会話したほうがいい、密室では意味がない。喫茶店とか、会社とか、人の目のある場所出なければ、会話をしてはいけません。もし、自宅に行くからその時話そうといわれても「彼方が何をするか怖いから、ここで話をしましょう!」と大声で周囲に聞こえるように言うのがいい。もめている相手を自宅に呼びたくないというのは、世間一般常識です。)


 これは可能性の1つを書いています。

 現在の君の状況をあらゆる可能性を考えて書いています。

 何が役に立つかわからないので。


 真正のサイコパスは生理的に人の不幸を必要とする。

 もし、君の周りに「あいつがのうのうと生きていることが許せない」

 …と言う人間がいたら?こう言ってあげてください。

「いかにもサイコパスっぽいセリフね」と。


 数の力で他人から心を奪えると本気で思っているサイコパスがいる。

 そんな連中にまけないで!応援しています。

 君の出来る範囲でいい。

 無理をせず、自分のペースを守って、ペースを作って、戦ってほしい。


 頑張って!負けないでほしい。

 

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!

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〔6月19日(日)〕「感じた事や思ったことを共有できる信頼する相手。

 そういう考えって物を大切にするよりも重要だと思う」


 Fさん、最近こんな風にも感じる。

 車によくのるようになってから気づいた事だけど、近所の曲がり角で、徐行せずに速度を維持したまま曲がってくる車に良く出くわす。

 普通、狭い道のカーブはみなぶつからないよう徐行する…。だが、最近何度もぶつかりそうになる。もちろん突っ込んでくるのは向こうの車だ、僕ではない。

 …あれは、いつもの「音」を出すために速度を出さざる得ないのだろうか?

(明らかな改造車は簡単に通報できるが、そうでない車の場合、明らかな改造車を通報する時のオマケとして、この車も怪しいと通報せざる得ない。)


 見ていると普通の人っぽい人ばかりだ。

 考えすぎかな?Fさんはどう感じる?


 最近は仕事に忙しい、正規の仕事以外にも、いろいろやらねばいけない仕事があり、大変です。

 そんな中、よく来る彼らを見ていると、こう感じる。

「お前ら暇だな、少しは世の中に貢献しろ」と。

 たぶん、“彼ら”の理屈では、世の中に貢献しているのは自分たちであり、そうでないのは僕…、という完全な勘違いをしているのだろう。

 何が正しくて、何が間違っているのか…。


 君の周りにも、いろいろ威圧的行動をするやつらがいるかもしれない。

 そんな時、こう思ってほしい。君は1人ではない、と。


 感じた事や思ったことを共有できる信頼する相手。

 そういう考えって物を大切にするよりも重要だと思う。



 真正のサイコパスは生理的に人の不幸を必要とする。

 もし、君の周りに「あいつがのうのうと生きていることが許せない」

 …と言う人間がいたら?こう言ってあげてください。

「いかにもサイコパスっぽいセリフね」と。


 …もし、今もなお「交渉」という戦いの場にあるなら?

“彼ら”の最大の弱点は、自分たちは準カルト的集団であり、本物のカルトではないと「思い込んでいる」点だ。

 だから、公式の立場を大切にする。

 交渉するなら、相手の職場を訪ねるのが、最も効果的と以前書いた。

 この事自体は間違っていないと思う。

(公式の立場が優先される職場では、彼ら的行動はかなり制限され、まともな人間としての対応が要求されるからだ)

(さらに、そうした“公式な場”において、その人物の変った普段の姿を暴露するというのは、相手がもっとも嫌がることでもある)

(証拠などあると、なおさら効果は増す)

(でも、やり方と出すタイミングを間違えると、空振りに終わる事もあるので注意がいると思う)

 チャンスを生かすというのは実は相当に難しい…

 でも、2度とそんな目に遭いたくないと思うなら、前を向いていいとおもう。

 人の心を挫いてせせら笑う連中に負けないで!


 

 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!


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〔6月20日(月)〕「そもそも咎められる行為をしているのは向こうなのだ」


 Fさんへ。 


 “禁止”してはいけないことを、“禁止”してしまったのが「“彼ら”の世界」だ。

 そんな世界、息苦しくて、おかしくて、理不尽だと思う。

 我慢強さをりようされ、どこかの誰かの欲望を満たす奴隷と化す世界?

 諦めは奴隷化の始まりです。

 境遇は変らなくても、精神まで隷属させる必要はない。

 心を持つことまでその世界は“禁止”されているのだろうか?

 とても心配です。


 …もし、今もなお「交渉」という戦いの場にあるなら?

“彼ら”の最大の弱点は、自分たちは準カルト的集団であり、本物のカルトではないと「思い込んでいる」点だ。

 だから、公式の立場を大切にする。

 交渉するなら、相手の職場を訪ねるのが、最も効果的と以前書いた。

 この事自体は間違っていないと思う。

(公式の立場が優先される職場では、彼ら的行動はかなり制限され、まともな人間としての対応が要求されるからだ)

(さらに、そうした“公式な場”において、その人物の変った普段の姿を暴露するというのは、相手がもっとも嫌がることでもある)

(証拠などあると、なおさら効果は増す)

(でも、やり方と出すタイミングを間違えると、空振りに終わる事もあるので注意がいると思う)

 


 東京から地元にもどって最初に感じた事は、やたらと散歩しているお年寄りに会うという事だ。

 …でも最近は見ない。いぜんはどんな時でも見たのに。

 やはり、そういう事なのかな?


 こないだ残業で定時よりはるかに遅くなった。

 もし、仮に追跡する者がいるなら?さぞかし予定の狂う自体だろうと推測した。

 “彼ら”の特徴の1つに、予測不能の事態が起こると、派手に動くところがある。

 その日、遅くなり、仕事がやっと終わり、さあ帰ろうと思っていると。駐車場に堂々と不法駐車しているバンがいた。

 エンジンをかけたままで、中で車載TVをみている。ハザードをつけて駐車場中央に陣取って。

 最初は文句でも言おうと思った。

 けど、疲れていたのでめんどくさかった。必要以上に奇人変人の相手をするのは実に疲れる。

 でも何もしないのもシャクだし(仮に彼らでないにしろ、私有地に勝手に陣取ってるマナーの悪い車なのだ)

 多少胡散臭そうな目線をおくってから、自分の車に乗って、ハイビームを軽く車内に当ててから帰宅した。

 車のライトで威嚇するのも、“彼ら”のお馴染みの方法だ。

 咎められても「すいません、スイッチ操作間違えました…、というか彼方ここ私有地ですよ、出て行ってください」といえば済む問題だ。

 そもそも咎められる行為をしている相手には、多少こういう方法をとっても大丈夫だと思う。

 前にも書いた。この戦いはルールのルールを破ったものの負けだと。

 この程度の牽制は社会常識の範囲内だ。


 もし今も戦っているなら、焦らず、じっくり、でも手を休めずに行くのがいいと思う。

  



 相手を「泣かす」ぐらいの覚悟がいるかもしれない…。

 仮にも生活を共にしていたなら、相手が泣いて崩れてしまうようなポイント、少なからず知っていそうに思う。

 相手の大事にしているコレクションをぶち壊す奥さんの話などは、夫婦喧嘩の話ではよく聞く。

 おそらく、それ以上の何かがいるのかもしれないけど。


 ともかく、行動をおこす事が重要なキーワードだと思う。

 焦らずに、小さな事を、継続して行う事が、重要です。

 短期決戦を焦ってしまうと、こちらが疲れてしまう。

 長期戦では君が優位です、時間が経てば経つほど、焦るのは向こう側です。


 真正のサイコパスは生理的に人の不幸を必要とする。

 もし、君の周りに「あいつがのうのうと生きていることが許せない」

 …と言う人間がいたら?こう言ってあげてください。

「いかにもサイコパスっぽいセリフね」と。


 世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです。

 手が出せば届くような単純なものではない。

 単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。

 物事は単純ではない、なにかしらバイアスがあり、それらが絡み合い“何か”を引き起こしている。

 単純な真理1つで救われるほど、単純ではない。

 まして、意味も解らず教えを妄信すれば、世界が救われるなど、ありえない事です。


 Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!

 君の周りの人に伝えてください。

 「わかろうとしないのは目の前しか見ていないからよ」と。

 「教えが正しいとか間違ってるとか、そういう問題じゃないのよ!」と。

 「それもの凄い犯罪なのよ!わたしそれに気づいたの、もう戻れないわ」と。

 彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。

 それが証拠に、彼らは彼ら自身の行いで、ドンドン日本を荒廃させている。


 「いいわけ」と「ごまかし」の果てにある「悪意の集約」が何を引き起こすのか?

 冷静に考えれば、わかることです。


 これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。

 教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。

 “質”が問われているのです。そう伝えてください。

 君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。

 君は自分で思っている以上に強い人です。


 小さかった君は耐えた。頑張れば救われると信じようと努力した。

 どんなに疑問や悩みを抱えようと、誰も受け入れてくれない、自分が悪いんだと思い込む事でしか、解決できなかった…

 そうなのだろうか?


 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!


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〔6月21日(火)〕「まだ頑張る気?私の決意は変らないわ。と言っても大丈夫だと思う。」


 君は自虐的なところがある。

 与えられた条件内で、自分なりに楽しみを見出そうと努力しがちだ。

 そうした自虐的ながらも前向きな性格が大好きです。

 僕にも似た様なところがある…、どうなか、君はどう思う?


「私の選択が、お互い、楽になる唯一の方法よ。」

 と、相手に言うだけの理由と権利が君にある。


 相手に伝えるのが難しいと感じたら、行動で示せばいい。


 …もし、今もなお「交渉」という戦いの場にあるなら?

“彼ら”の最大の弱点は、自分たちは準カルト的集団であり、本物のカルトではないと「思い込んでいる」点だ。

 だから、公式の立場を大切にする。

 交渉するなら、相手の職場を訪ねるのが、最も効果的と以前書いた。

 この事自体は間違っていないと思う。

(公式の立場が優先される職場では、彼ら的行動はかなり制限され、まともな人間としての対応が要求されるからだ)

(さらに、そうした“公式な場”において、その人物の変った普段の姿を暴露するというのは、相手がもっとも嫌がることでもある)

(証拠などあると、なおさら効果は増す)

(でも、やり方と出すタイミングを間違えると、空振りに終わる事もあるので注意がいると思う)

 

 上手くいかなくとも、困難でも、理由があるなら大丈夫です。

 君が頑張れるなら、僕も頑張れる。君は自分が思っている以上に強い女性です。


 もし、相手に言いくるめられそうになったら、こう反論すればいい。

 「どういう意味よ!」

 「納得させて!」

 「本音を言って!」と。


 「私の選択が、お互い、楽になる唯一の方法だと、彼方も解っているはず…。何がそんなに恐ろしいの?私は怖くない。彼方と違って」

 と、このくらいハッキリ言ってもいいと思う。


 「まだ頑張る気?私の決意は変らないわ。」

 とも言っても大丈夫だと思う。

 世の中にはハッキリと言わないといけないときがある。

 これ以上、他人のために生きる必要はない。

 君は君らしく生きていいんです。


  頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!


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〔6月22日(水)〕「彼らの現実逃避のために、君の心が踏みにじられるのは間違っていると思う」


 こんな話を聞いた。

 本でだったか、TVだったか…

 今、話題になっている被爆限度の上限変更問題。

 なぜ?急に変更になったか?


 その話はこんなものだった。


 将来、もし被爆により、健康被害がでて、被害者が裁判をおこした時、基準が高めに設定されていれば、国の責任は問われない…という説だ。

 もし信じるなら、現在の人の健康問題よりも、将来の組織の保身に重点が置かれていることになる。


 この話の真偽はわからない。


 でも「普通の感覚」の持ち主ならば、この話を聞いて「本当ならひどい」とか「ありえない」とか思うはずだ。


 “彼ら”は個人を犠牲にして、組織の保全を図るのだろうか?

 もしそうなら、普通の感覚ならば、それはひどい事だ、ありえない事だ!と思うはずだ。

 思わないのは、カルトに疑問を持つことができないほどに洗脳されているか、扇動されているか、のどちらかだ。


 世の中そういうものだ、と言う人がいたら?

 先ほどの被爆基準値による、国の責任のがれの話をしてあげてください。

 この話、信じる信じないは別にして、本当ならどう思うの?と聞けばいい。

 「本当なはずないだろ」

 という人には、こう言ってあげてください。

 「あまりに酷すぎる話だから、仮の話ですら信じる気にならないのでしょ?現実から目をそらす人に私に意見する権利はないわ!」

 と。


 人はほどよく現実から目をそらす事が出来る。

 だからこそやってゆける部分もあるけど。

 目をそらしすぎてはいけない。


 僕は生きている。死んではいません。

 彼らの現実逃避のために、存在を否定されるいわれはない。

 それは、君もまた同様だと思う。

 現実から目をそらし続ける人間に負けないで!

 君は被害者なのだから、堂々としていればいいんです。

 

 生き方は人の自由だ。そこで過ごす事を選ぶのも、誰彼の自由。

 でも、あえていいます。

 君にだけは、そうした犯罪行為をやめてほしい。

 もし、今やめているなら、これからも継続してほしい。

 それが、過去迷惑をかけた人達へのつぐないにもつながる。

 言霊ことだまのように…どこかで、被害者の無念を晴らすことに繋がっていると思う。

(※もし、だれかにそんな事で無念が晴らせるわけないだろ!とか言われたら?ああ、悪い事してるって自覚あるのね?なら、私が辞めたい理由をもう理解している事になるわ、と言い返せばいい)


 とにかく、何が正しいのか、誰が悪いのか、どうすればいのか?

 その答えは組織内にいては永久に出ない。


 脱出が先決です。

 それらは脱出してから考えればいい。


 

 いつまでもそこにいてはいけません。

 なぜなら?その答えは君の心にあるのかもしれません。

 …もし、今もなお「交渉」という戦いの場にあるなら?

“彼ら”の最大の弱点は、自分たちは準カルト的集団であり、本物のカルトではないと「思い込んでいる」点だ。

 だから、公式の立場を大切にする。

 交渉するなら、相手の職場を訪ねるのが、最も効果的と以前書いた。

 この事自体は間違っていないと思う。

(公式の立場が優先される職場では、彼ら的行動はかなり制限され、まともな人間としての対応が要求されるからだ)

(さらに、そうした“公式な場”において、その人物の変った普段の姿を暴露するというのは、相手がもっとも嫌がることでもある)

(証拠などあると、なおさら効果は増す)

(でも、やり方と出すタイミングを間違えると、空振りに終わる事もあるので注意がいると思う)

 

 過去の歴史をみても、カルトが永久にカルトでいつづけた歴史はない。

 犯罪的なものは、社会との軋轢が増して、淘汰されるし。

 淘汰されないよう工夫すると、カルトでない普通の宗教へ進化する。

 “彼ら”は進化の過程かもしれない、が、今現在の実情は、間違いなくカルトであり、殺人をも肯定する犯罪集団だ。僕は脱出をとにかく君に勧めます。

 何がいけないのか?誰が悪いのか?

 脱出して距離をとってからじっくり考えればいい。

 その中にいる限り、永久に答えは出せないから。


 頑張って!負けないでほしい。


 真実に気づく以前の当時、自分にはFさんと親しくする資格が無いと思っていた。

 こんなにしてもらっていいのだろうか?といつも思った。

 君に疑問をぶつけると、そんな事無いよと君が答えてくれる。

 あれは…、幸せな瞬間だった。


 そんな記憶、確かにある。

 

 手を2人合わせると、同じ大きさだったのに驚いた。

 君がなんとなくドキドキしていたのを覚えている。

 手を合わせるという行為は、手をつなぐ以上に非日常な感じがする。

 君は、あのときの事覚えているだろうか?

 時々、自分の手を広げて、同じ大きさの手を持つ女の子の事を思い出す。

 幸せな記憶は確かに今もここにある。


 そう、思うことがあります。


 顔に触れた事、覚えているかな…?

 あれは幸せな記憶だ。

 君の記憶では、どんな風になっているのだろう。

 ただ、ほほを触るだけなのに、なんだか、物凄く幸せに感じた。

 僕は笑顔の君が大好きだ。笑顔で無い君も大好きだけど、やはり笑顔の方がよりいい。


 大切な“なにか”があるなら、それは重大な事です。

 世の中にはそれが無い人も事実いるのだから。 

 頑張って!負けないでほしい。

 たとえ過去にどんな罪があろうとも、それが君の全人格がを否定するものではない。

 なにしろ“彼ら”の巧妙な罠により、そういう行為をさせられていただけなのだから…。

 そう強く、心に念じてほしい!負けるな!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

(これは、本当に読んでもいいけど、そうではなく、心を閉ざさないで!心を広く持ってという意味合いの方が強い意味で書いています。

 Fさん心を閉ざさないで!)


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 君は自分の声を出して良いと思う。

 困難かもしれないけど、あきらめず、前をみてくれると嬉しい。


 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 がんばれ!

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(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)


〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください

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