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第38話 大切な“なにか”があるなら…

〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください

(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)


〔2月17日(木)曜日「Fさん、今日のニュースみましたか?」〕


 うまくいかなくとも、何度でも、何度でもなんどでも!

 諦めず、前を向き続ければいいと思う。


 Fさんへ。

 今日は普通のニュースについて書こうと思う。

 …なんだか急に書きたくなった。

 ちょっとたけ付き合ってほしい。


 今、鳩山元総理の「方便」発言が問題になっている。

 これについて、個人的に思う点がいくつかあるのだ。


 まず鳩山さんの発言の真意が曲解されている点。

 よーく聞いていると、こんな事に気づく。

 鳩山さんは、本来、抑止力には米軍の陸海空3軍そろわないと抑止力にならない、海兵隊のみでは力不足で、海兵隊が抑止力になるというのは、アメリカ政府と日本政府の方便に過ぎない、だから、方便と言われてしまえばそのとうりだ、という意味なのだ。

 

 つまり、主語が違うのだ。

 鳩山さんが方便だと主張しているのではなく、

 鳩山さんが、それは日米両政府の方便であり、自分の意思ではないという主張を展開している。


 そこを言葉尻をとられて、こうなってしまっている…。


 琉球新報の記者に悪意はないかもしれない。

 

 これは、日本語は主語があいまいという特徴がまねいた誤解なのだ。


 そういえば聞いた事がある。

 平安時代の日本語はもっとあいまいだったと。例えば「我、行く」みたいに。

 ところが戦国時代に入り、戦場での正確な意思伝達が求められるようになると

 「我は行く」みたいに「は」が入るようになったとか…

 誰がどうする?というのを正確に伝達できないと、戦場で集団行動はとれないということらしい。

 日本語も発達途中の言葉かもしれない…。


 その点をちゃんと鳩山さんは説明するだろうか?

 …たぶんしないように思う。

 今のマスコミは鳩山さんが謝るコメント以外は全部無視するから、釈明しても無視される。


 でも政治家とは本来、いつ誰に貶められるかわからない職業であり、何十年もやっていてそれに気がつかないはずはなく、鳩山さん自身の言葉の使い方の問題でもある。


 …つまり?何が言いたいのか?

 

 国語力って大切だよね、って事。

 日本語は本来、誤解の余地をたくさん残している。

 その辺を意識しないと、何かを伝える時いけないと感じた。


 喋る方も、聞くほうも、国語力が大切です。


 僕自身国語力はない、でも3段論法を使えば、言葉にかくされた意図をある程度探れる。もし、言い合いに発展して、話をはぐらかされた時は、3段論法を使い、議論を整理すればいい。君のペースに持ち込める。特に、話し合う気ゼロで、威圧するだけのタイプの人間は、理詰めで責めると意外と弱い。

 君がこういうの苦手なのは知っている。

 でもそういうイメージ、もっていると、どこかでもしかしたら役に立つかもしれないので。このイメージが、君のインスピレーションの手助けになれば嬉しいです。


 以前書いたね、君からもらった手紙の件。

 僕は君の真意を理解し損ねていた。

 手紙をもらった当時は、意味不明の謎の手紙だった。

 しかし、今はちゃんと理解できる。

 …でも解釈が正しいか答えあわせができると嬉しい。

 だめかな?そういうの。ささやかな夢です。

 いつか、会えたと時に。


 諦めずに待ち続けます。

 君が何かをつかむまで。

 幸せは、あきらめたらやって来ない。どんな目がやってこようと、その事実は変らないと思う。

 人間は、自分を成長させる生き物です。

 そこに、生きている実感がある。

 ところが、彼らは人の成長を止めようと試みる。

 反社会的行動に参加させることで得られる恍惚感という麻薬で、人々の正常な成長を阻害する。

 君の周りに多いと思う。エリートほど、どうかなと感じる人間が多くない?

 正常な成長を阻害された人ほど出世するシステムなのだろうか?

 わからないけど、どうなのだろう。


 過去の歴史をみても、カルトが永久にカルトでいつづけた歴史はない。

 犯罪的なものは、社会との軋轢が増して、淘汰されるし。

 淘汰されないよう工夫すると、カルトでない普通の宗教へ進化する。


 “彼ら”は進化の過程かもしれない、が、今現在の実情は、間違いなくカルトであり、殺人をも肯定する犯罪集団だ。僕は脱出をとにかく君に勧めます。

 何がいけないのか?誰が悪いのか?

 脱出して距離をとってからじっくり考えればいい。

 その中にいる限り、永久に答えは出せないから。


 君が頑張り続けられるなら、僕も頑張り続けられます。

 奇跡を信じて。負けないで!君は自分で思っている以上に強い人です。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 

 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!


 それなりに共感してくれる人もいると思う。

 見えないだけで、確実にいます。頑張れ!

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〔2月18日(金)曜日「方便と理解できているから、誰も怒りを感じないのだ。」〕


 普段バカバカしいと思えるようなことが、意外と癒しになっていたりするのが、世の真実だったりする事は結構ある。人により、それは旅行であり、ペットであり、いろいろだ。

 君の場合は何なのか?今あるなら大切にしてほしいし、無いなら、それを探すのを楽しみの1つにしてほしい。

(※君のことだから心配ないかもしれないけど、お金のかかる趣味は控えた方がいいかも。お金に固執する結果になってしまいかねない。賭け事とか特にね。)


 心のバロメーター…君はあるだろうか?

 自分で自分の心の状態を把握する手段。

 あるなら、大切にしてほしい。無いなら、時間をかけて構築してほしい。

 聞きたいものを聞き、見たいものを見て、感じたいものを感じ、自分の心の欲するものを理解する事は悪い事ではない。

 欲望の肯定ではない。

 これは、心の癒しというか、バランスを保つ手段を意識した方が、楽になれる、という意味です。



 “彼ら”は人をおとしめて快感を得る事で「いやし」を得ようとする。その姿が、どれほど醜悪しゅうあくな姿か?想像してほしい。…たぶんみな気がついてはいる。醜悪だからこそ秘密にするのだ。この事実を否定できるだろうか?


 醜悪しゅうあくな姿になる事を強要する人々と戦ってほしい。

 大丈夫!君なら出来ます。“彼ら”的行動とは、「熱気ねっき」にあてられて思わず興奮する集団恍惚しゅうだんこうこつ状態が作り出すものだと思う。


 これが、お祭りとかスポーツならまだいいが、

 犯罪行為に集団恍惚しゅうだんこうこつするのは、間違っている。

 …でも、恍惚こうこつ状態にあると、理性的判断が出来なくなり、皆、別人に変ってしまい、犯罪も肯定する人間にさせられてしまう。

 こういう状態を一般に「トランス状態」と呼び、暗示を「ものすごく」受け入れやすい状態、と理解しないといけません。

 一度暗示に「かかる」と、なかなかとれない。

 君のまわりを見回してほしい、事実、普段はいたって「普通」なのに、“彼ら”の悪意に関しては「正常な思考」が出来ない人、多いと思う。それは、暗示にかかっているからだと思う。

 

 もちろんこれは推測を書いているに過ぎない。

 その世界がそこまで「本当に」酷かったら、そうとう病んでいる事になる。

 「病んだ人間を救う」のが本来の仏教であり、「病んだ人間を大量生産する」事はカルトの思考です。

 そこは、どう屁理屈をこねても、覆せない、当たり前の真実だと、「普通」の感覚の人間なら思うところです。

 …Fさん、戦ってほしい。

 君を責めたりはしない、そういう環境に問題があるだけだ。



 君は全て背負い込むような感覚を時々もっていたような気がする。

 僕と別れた後“彼ら”は君に“まちがった”発見をたくさんさせたと思う。

 君は自分でそれを発見したと思い込んでいるけど、それは間違いです。

 そうした発見を全て背負い込む心理状態になれば“彼ら”はそこにつけ込む。

 そして君の心を容易に操る事が出来る。

 そうやって君を“従順”にさせるのが“彼らの(中の「そうした人達」の)常套手段”です。


 非常に悪質な人心掌握じんしんしょうあく法になります。だから全てを背負い込んではだめです!“彼ら”はそれを狙っています!!そうやって君の心から“情熱”を失わせるのが“彼ら”の手口だ!!だから注意して!


 

 世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっている。

 手が出せば届くような単純なものではない。

 単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。

 Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!

 

 こんな事も思う。

 世界のほとんどの国が、エジプトのムバラク大統領が辞任したのを歓迎している。

 …これは何を意味するのか?

 ムバラク大統領の独裁はよくないと世界が認めた形になる。

 今までは内政干渉になるから言えなかっただけだ。

 

 “彼ら”の理屈でいえば、理解不能の現象のはずだ。

 だって、“彼ら”の理屈では、世界は悪意に満ちているはずだから。

 独裁は当然であり、非難される理由が理解できないはずだ。

 

 でも、実は“彼ら”のなかでもエジプト政変はいい事と感じる人が多いはず。

 この理論の矛盾を説明する適切な言葉が1つある。


 Fさんは何だと思う?


 それは普段言っている彼らの理屈が“単なる方便にすぎない”という事実を実は多くのメンバーが理解しているという事実だ。


 方便と理解できるから、エジプト政変に怒りを感じないのだ。


 彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、実は多くの人がわかっているのかもしれない。


 この問題は人としての“質”がどうなのか?という問題です。

 教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。

 人としてこの世とどう関わるか?という“質”が問われているのです。そう伝えてください。


 君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。君は自分で思っている以上に強い人です。


 少しずつだけど、“彼ら的活動”戻ってきていると思う。

 際限ない悪意と戦う準備は出来ています。

 できる事なら、君と一緒に戦いたい。

 そんな夢があります。


 もしFさんのまわりに「彼ら的行動が楽しくて仕方が無い」と言う人いたら、注意してあげてください。

 「もしこのまま、自分に歯止めを効かせる方法を学べないまま、歳をとってしまったら?きっと後悔するよ」と。正気にもどる恐怖と戦えない人々がほとんどなのだろうか?


 生き方は人の自由だ。そこで過ごす事を選ぶのも、誰彼の自由。

 でも、あえていいます。

 君にだけは、そうした犯罪行為をやめてほしい。

 もし、今やめているなら、これからも継続してほしい。

 それが、過去迷惑をかけた人達へのつぐないにもつながる。

 言霊ことだまのように…どこかで、被害者の無念を晴らすことに繋がっていると思う。

(※もし、誰かにそんな事で無念が晴らせるわけないだろ!とか言われたら?ああ、悪い事してるって自覚あるのね?なら、私が辞めたい理由をもう理解している事になるわ、と言い返せばいい)


 とにかく、何が正しいのか、誰が悪いのか、どうすればいのか?

 その答えは組織内にいては永久に出ない。


 脱出が先決です。

 それらは脱出してから考えればいい。


 いつまでもそこにいてはいけません。

 そこは、まちがいなく殺人をも肯定する“カルト集団”です。


 君に読んで欲しい本があります。

 日蓮の現存する正筆御書というのを一度見てください。

 

 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!


 何か言われたら、こう言ってください。

「私には命をかけてくれる人がいる、この人は私を邪魔になんか決して思わない人よ」と。

「今度はあなたが人の都合を聞く番よ、さんざん他人の都合を無視してきたんだから、

 文句は言わせないわよ!」と。



なにか、そちらの世界なりのいい訳があるのだと思う。 

 …でも、そんなもののために、1度しかない人生を犠牲にされるのは間違っている。



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〔2月18日(金)曜日 その2〕


 実は今日は木曜日だったりします。

 もしFさんが静岡にいなくて東京にいるなら、たまには深夜アニメも気晴らしにいいかもしれない。

 木曜深夜放送している「フラクタル」って以外に面白いです。

 映画レベルの作りこみがされているから、本来はDVDか有料放送で利益を出すつもりなのかもしれない。

 久しぶりに、ああ、なんだかこれすごいな。と思った作品です。

 オタクがどうとかいう古い世代のいう事は聞かなくていいと思う。

 

 いまどき深夜アニメに眉をひそめるのは、時代遅れな事です。たぶん。

(↑最後ギャグで落とそうとしたんだけど、上手くいかなかった…、でもこれはこれで載せてみようとおもいます。)

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〔2月19日(土)曜日「いやしい人だけでは、この世は動かない。

 この事実、否定できる人間がいるだろうか?」〕


過去の歴史をみても、カルトが永久にカルトでいつづけた歴史はない。

 犯罪的なものは、社会との軋轢が増して、淘汰されるし。

 淘汰されないよう工夫すると、カルトでない普通の宗教へ進化する。

 “彼ら”は進化の過程かもしれない、が、今現在の実情は、間違いなくカルトであり、殺人をも肯定する犯罪集団だ。

 生き方は人の自由だ。そこで過ごす事を選ぶのも、誰彼の自由。

 でも、あえていいます。

 君にだけは、そうした犯罪行為をやめてほしい。

 もし、今やめているなら、これからも継続してほしい。

 それが、過去迷惑をかけた人達へのつぐないにもつながる。

 言霊ことだまのように…どこかで、被害者の無念を晴らすことに繋がっていると思う。

(※もし、誰かにそんな事で無念が晴らせるわけないだろ!とか言われたら?ああ、悪い事してるって自覚あるのね?なら、私が辞めたい理由をもう理解している事になるわ、と言い返せばいい)

 とにかく、何が正しいのか、誰が悪いのか、どうすればいのか?

 その答えは組織内にいては永久に出ない。


 脱出が先決です。

 それらは脱出してから考えればいい。


 僕は脱出をとにかく君に勧めます。


 何がいけないのか?誰が悪いのか?

 脱出して距離をとってからじっくり考えればいい。

 いつまでもそこにいてはいけません。

 そこは、まちがいなく“カルト集団”です。


“彼ら”は決して正体を明かさない…(告白しない)、どんなに親しくなろうとも、絶対に。

 君ははたしてどうだろう…?

 18年前、君は一歩手前まで来ていた。

 先輩の正体を明かすという行為は、あとちょっと踏み込めば自分の正体も明かしかねない行為だ。

 今にして思うとそう思う。

 君が頑張り続けられるなら、僕も頑張り続けられます。

 奇跡を信じて。負けないで!



 これは仮説に基づく提案?かな。

 君が“彼ら”の教えにどの程度はまっているのかわからない…

 でも、こんな事も思う。


 その教えはもともとちゃんとした仏教をベースにしている。

 仏教をベースにしている以上、それなりに感動したり、感じ入る部分と言うのがあると思う。



 …比較の対象としてふさわしいか解らないけど、僕なりの体験談でこう考えたりもする。


 僕は映画やドラマの感動するポイントをみる際、他の映画やドラマの同じく感動するポイントと見比べて、自分が何に感動したのか見極める作業というのを、時々やったりする。

 まったく違う人物のつくった作品同士の感動するポイントをみて、自分がなにに心をとらわれたのか考えてみるのだ。

 自分の感性のつぼをつかむと、自分の心が多少理解できる。

 理解できれば、表現力に反映でき、将来的には、面白い作品を作る糧に…、などと考えるからだ。


 人を感動させるというか、感じ入るシーンというのは、見比べてみるといろいろ面白い。

 その作品を作った人物の感性の違いや、共通点など発見があるからだ。

 人間として、人間は何に心を動かされるのか?

 下世話な言い方をするなら、定番の感動パターンを理屈ではなく感覚として理解するヒントになる。

 理屈でなく、感覚として理解するというのは実に難しい。

 それは“空気感”を理解すると言う意味だからだ。

 僕は空気を読むのが苦手だ、昔よりはましになったが、今でも得意とは言いがたい。


 

 何がいいたいのか?


 仏教の世界にも感動する共通箇所にある種の“空気感”があると思う。


 君が“彼ら”の世界で体験した感動と、他の宗派の仏教ないし、他宗教の教えとの比較のなかで、共通した“空気感”が「あるのか?ないのか?」を探るのは、いろいろ好奇心というか、追求すると発見のありそうなもののように感じる。

 もちろん“彼ら”が、他宗派の教えを学ぶ事を禁じているのをしっている。

 でも、それは“方便”にすぎず、多くのメンバーが神社にも入るし、お祭りにも参加している。

 イスラムの世界ではこういうの“世俗主義”と呼ぶらしい。

 教えは教えであるが、実生活は実生活として大切にする考えだ。

 トルコは世俗主義のイスラム国家だ、酒も飲むし、断食もしない人も多い。

 あくまで、理念として、古き良き教えに敬意をはらうのが世俗主義だ。


 実質的に“彼ら”の多くは“世俗主義”な暮らしをしている。

 たぶん、君の家だけが、妙に厳格なだけだと思う。


 多くが世俗的信仰をしているのだから、あまり気にせず、いろいろ学んでいいと思う。

 

 過去に感動した“彼ら”の教義と、他宗はの教えの中にある感動するポイントの共通点や違いを探ると、案外新しい世界が開けるかも。


 地獄におちるとか言う人、いるだろうか?

 そういう人にはこう言えばいいと思う。

「皆あれだけ、犯罪的行為を集団でやっておいて、地獄に落ちないと本気で信じているの?おめでたいわね」と。


 まあ、地獄なんてないけどね。

 僕はオカルトは信じない。

 けど、人々が大切にする敬虔な心には敬意を払う。


 何度か書いた。

 ヴェルサイユ体制下の露骨な悪意から反省し、今日の世界秩序は作られている。

 過去の当事者が敬虔な心をもっていたから、出来た事かもしれない。

 もし、悪意が勝っていたら?こうはならなかったと思う。


 今、イスラム圏でも、胎動が起こっている?

 解らないけど、歴史的に見て、こうした動きの積み重ねが、露骨な悪意の世界からの脱出への布石になっているように思う。


 いやしい人だけでは、この世は動かない。

 この事実、否定できる人間がいるだろうか?

(※例え、当のいやしい人自身でも、自分のような人間ばかりでは世の中が動かないと思っているはずだ)


 …世界は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもって動いてきました。

 そして今もそうした渦の中で(ダイナミズムで)動いています。


 手が出せば届くようなものではない強大な“何かで”動いている。

 そして“変る常識”“変る世界”というのは、現実に確かにあるのです。

 けっして単純ではない。

 単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。

 君は物事を悪い方に考えるクセがある。

 “彼ら”は君のそうした性質を利用して、心を操ろうとするだろう…。

 気をつけて!!


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 

 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 もう2度と君に同じ手が通じない事を、“彼ら”にさせてやる事は、

 結果はどうあれ、君をないがしろにしてきた人々の目を覚まさせる効果になるはずだ!!

 頑張れ!


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〔2月20日(日)曜日「この理屈が“彼ら”の世界にも通用する事を、信じたいものです。

 いい事をすれば、動機はどうあれ、人はいい方向へ心が向うと…え?胡散臭い?ならば…」〕



 …ならば、胡散臭いつながりで、こんな話はどうだろう?

 Fさん、僕らが子供の頃、頻繁に「日本船舶振興会」なる団体のCMを見なかっただろうか?

 競艇のVTRと優しそうなおじいちゃんが笑顔で小さな子供たちと笑いあう映像が流れ、私たちは競艇の利益の一部をいい事にも使ってます、的なCM。


 子供の頃、そのおじいさんの映像をみて、素直に「優しそうなおじいちゃんだな」と思った。

 しかし、時おり聞くそのおじいさんの悪い評判に首をかしげたものだ。

 「悪い人なら、マスコミがさわぐはず。さわがないってことは、いい人なのだろう」

 と、漠然と子供ながらに思っていた。

 CMで、いつも笑顔のおじいさんが、悪人には見えないのだ。


 もしかしたら似た人いるのかな?

 Fさんはどう思う?


 彼の名前は笹川良一ささかわりょういち

 自他共に認めるファシストで、生前外国人インタビュアーに「私は世界で一番金持ちのファシストである」と答えているとか、いないとか…

 ベニート・ムッソリーニの崇拝者であり、イタリアのファシスト党を真似て黒シャツ隊のようなものも作ったとか、そうでないとか。


 一般には右翼の大物と見られた人物だ。


 地方議員から出世の階段を昇り、株での儲けなどで蓄財。

 みるみる影響力を拡大させ、中央政界に食い込む事に成功。

 たいしたバックアップもなく、独力で地位を築いた特異な人物だ。


 人脈を広げ金をもうけ、地位を向上させる、実力者だ。

 この手の実力者は、3パターンあると思う。

 人々の想いを吸い上げるタイプの人と、自分の意思を人々に押し付けるタイプと、あるいはその両者のバランスの取れたタイプ。


 彼がどのタイプの人間かは諸説わかれる。

 彼の真意は不明だ。

 戦後はA級戦犯容疑でGHQに拘留された(無罪でおわる)


 戦前戦中の彼は、社会貢献にはあまり熱心でなかったように感じるが、

 戦後は急に熱心になる。

 A級戦犯容疑のイメージを払拭したかったのだろうか?

 本当の善意だったのか?生き残り策だったのか?あるいはその両方か?

 戦後も右翼でありファシストを公言しつつも、社会福祉に貢献する。

 戦前からある人脈を活かし、公営ギャンブルとしての競艇を創設。

 運営組織である「日本船舶振興会」のボスに落ち着き、A級戦犯のイメージ払拭に努めた。

 

 個人的には思う、たぶん、途中から社会貢献がたのしくなってしまったのだろう。

 その後も巨費を湯水のように社会に投じる活動をする。

 当時流されていたCMは笹川良一ささかわりょういち自身が登場し「一日一膳」と言うさわやかなものだった。

 胡散臭くも感じなくは無いが、案外本人は本気だったのかもしれない。



 …こんな事を思い出す。

 映画「シンドラーのリスト」で、主人公シンドラーは、最初、儲ける為の方便として、ユダヤ人を助けた。しかし、次第にのめりこんでいき、いつの間にか私財をなげうって自分の従業員であるユダヤ人を助ける。


 動機はどうあれ、いい事をすると、人は変るのだろうか?

(※逆を言うと、動機はどうあれ、悪い事をすると、心がすさむのだろうか?Fさん、もし君の周りに心のすさんだ人ばかりだったら?あまりそんな想像はしたくないけど、実際のところ君はどう思う?)


 この理屈が“彼ら”の世界にも通用する事を、信じたいものです。

 いい事をすれば、動機はどうあれ、人はいい方向へ心が向うと。


 世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっている。

 せまい世界のなかだけで完結しないのは事実のようです。

 君の周りの人に伝えてください。自分たちだけが一方的に正しいと思っているのは恥ずかしくないの!?と。

 理解を示す心の広さはどこへやったの?と。

 これは人としての“質”の問題です。

 教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。質が問われているのです。そう伝えてください。


 生き方は人の自由だ。そこで過ごす事を選ぶのも、誰彼の自由。

 でも、あえていいます。

 君にだけは、そうした犯罪行為をやめてほしい。

 もし、今やめているなら、これからも継続してほしい。

 それが、過去迷惑をかけた人達へのつぐないにもつながる。

 言霊ことだまのように…どこかで、被害者の無念を晴らすことに繋がっていると思う。

(※もし、誰かにそんな事で無念が晴らせるわけないだろ!とか言われたら?ああ、悪い事してるって自覚あるのね?なら、私が辞めたい理由をもう理解している事になるわ、と言い返せばいい)

 とにかく、何が正しいのか、誰が悪いのか、どうすればいのか?

 その答えは組織内にいては永久に出ない。


 脱出が先決です。

 それらは脱出してから考えればいい。


 いつまでもそこにいてはいけません。

 そこは、まちがいなく“カルト集団”です。


 初めて経験する複雑な心境が待っていると思う。

 いろいろな思いが交錯すると思う。

 大変だろうけど、君なら大丈夫です。君は自分で思っている以上につよい女の子です。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 

 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!


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 静かだったのは終わったみたいです。

 今、午後10時半だけど、2~3台のヴオーっと音を出す車が、10分~30分間隔で繰り返し来ているみたい。(そういえば、新規の参加者も増えたみたい、以前やっていた人がやらなくなったので、増援したみたい)Fさん、こういう破廉恥な行為を強要する組織、どう思う?いつか、君の想いを聞かせてほしい。だめもとでお願いします。真実は君の心とともにあります。頑張って。


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〔2月21日(月)曜日「何事も前向きに考えるクセをつけると、何かが変るかも?

 そんなイメージ、君に送ります。」〕


 “彼ら”の中には“もうここしか自分の居場所は「ない」”と思い込んでいるがゆえ、間違っていると解っていても続ける人も多いのだろう。

 Fさん。もし、そういう人見かけた?僕がこう言っていたと、伝えてください。

「ああ、あなたも埋没費用サンクコストの呪いから抜け出せないんですね。弱い人間か…」と。

(※これは「埋没費用サンクコストの呪い」という言葉に、新鮮な意味をこめてもう一度君につたえる事を意図した記述です。そうしろと言っているわけでない、イメージを届けたかった。そういう意図です)


 Fさん、話はかわります。 

 先日、久しぶりにミスターマリックの超魔術特番がやっていた。

 たまたまTVをつけていたらやっていたのだ。


 …最初に言うけど、僕はミスターマリックの姿勢は嫌いじゃない、好感をもっている。

 なぜなら、以前からずっと「自分は超能力者じゃない」と公言しているからだ。

 自分のやる事はすべて「タネ」があると公言しているわけで、その姿勢に好感がもてる。


 重ねて言う、僕はミスターマリックには好感をもっている。

 故に、タネに気づいても、騙された、と感じることはない。


 そのTV特番で「競艇」の着順をあてるマジックをやっていた。

 レース前にその結果を紙に書き、天井からつるした大型クリップにその紙をはさんで、すり替えができないようにして。レースを見る。

 俗に言う「予言」マジックだ。


 以前からの主張をここで改めてまた書きます、この世にオカルトはありえない。

 故に「予言」もありえない。と僕は考える。


 たぶん、あらゆる結果を書いた紙を、体中にしこんであって、レースが終わり次第、正しい着順が書かれた紙を、周囲に見えないように手の中に隠し、先ほどクリップに挟んだ紙を外す際、すりかえるのだと思う。


 この小説に何度も書いた「小説「千里眼」シリーズ」にはマジシャンの少女という話がある。

 そこで、マジックとは心理学と暗示の応用で成されている物だと、くわしく説明されている。

 そこでも、ギャンブル結果を予測するマジックは定番のマジックとして、やり方が解説されている。


 しかし、あれは人を楽しませる「ショー」なのだ。

 エンターテイメントショーと思えば、騙された感じはしない。

 要は、ある程度トリックがある事を理解しつつ、その皆が驚く「共有空間」を楽しむのが、マジックの肝かもしれない。



 こうも思う。


 “彼ら”的集団行動に参加するのも、楽しんでいる人がいるとしたら?

 たぶん「ショー」に参加する感覚なのだろう。

 その姿が、いかに愚劣な姿になっているのか…

 冷静に、参加者は考えてほしいものだ。

 Fさん、君の知り合いで、今でも楽しんで参加している人いるのだろうか?

 中には、君に賛同してくれる人もいるかもしらないが、そうでない人もいるだろう。

 そういう人がいたら、こう思ってください。

「かわいそうな人たちなんだな」と。

 なぜにかわいそう?

 だって「現実」と「ショー」の区別をつけられなくなって、犯罪をも肯定する犯罪集団と化している事実に気がつけないよう、強力な“暗示”にかかっていて、その事に気がつきもしない人達なのだから。


 自覚がないというのは、恐ろしい事なのです。

 「どんな」に遅くとも、「間違い」に「気がつく」というのは重大で大事なことです。

 みななぜ気づけないのか?恐怖きょうふ冷静れいせい思考しこう阻害そがいしているのだ。


 その状態を“暗示にかかった”状態と表現して、差し支えはないと思う。

 人間、知らぬうちにかけられた“暗示”に気づいて、自覚するというのは、なかなかできるものではありません。特に、長期間にわたってかけられた“暗示”なら…


 でも、気づいたなら、いい事なのです。それは、とても重大なことです。


 最近、新規参加者が増えたと感じる。

 時々外の様子を観察するが、見たこと無い車が増えた。

 「かわいそうな人」という人材にことかかない組織なのだろうか?

 じつに、おぞましい体質だと思う。

 人の心を破壊し、殺人をも肯定できる犯罪集団に参加できる人間を大量生産している。


 え?みなそれぞれ理由がある?

 経済的な理由や、弱みを握られてたり、何かしらの理由で強制に従わざるえない人達がたくさんいる?

 もしそうなら、そこは間違いなくカルト集団だと思う。正当な宗教組織ではない。犯罪集団だ。


 過去の歴史をみても、カルトが永久にカルトでいつづけた歴史はない。

 犯罪的なものは、社会との軋轢が増して、淘汰されるし。

 淘汰されないよう工夫すると、カルトでない普通の宗教へ進化する。

 “彼ら”は進化の過程かもしれない、が、今現在の実情は、間違いなくカルトであり、殺人をも肯定する犯罪集団だ。僕は脱出をとにかく君に勧めます。生き方は人の自由だ。そこで過ごす事を選ぶのも、誰彼の自由。

 でも、あえていいます。

 君にだけは、そうした犯罪行為をやめてほしい。

 もし、今やめているなら、これからも継続してほしい。

 それが、過去迷惑をかけた人達へのつぐないにもつながる。

 言霊ことだまのように…どこかで、被害者の無念を晴らすことに繋がっていると思う。

(※もし、誰かにそんな事で無念が晴らせるわけないだろ!とか言われたら?ああ、悪い事してるって自覚あるのね?なら、私が辞めたい理由をもう理解している事になるわ、と言い返せばいい)


 とにかく、その答えは組織内にいては永久に出ない。


 脱出が先決です。

 それらは脱出してから考えればいい。


 いつまでもそこにいてはいけません。

 そこは、まちがいなく“カルト集団”です。

 何がいけないのか?誰が悪いのか?

 脱出して距離をとってからじっくり考えればいい。

 



 君が頑張り続けられるなら、僕も頑張り続けられます。

 奇跡を信じて。負けないで!


 長いながい「寄り道をしているだけ」だったと思えばいいのではないだろうか?

 だめかな…、そういうの。

 何事も前向きに考えるクセをつけると、何かが変るかも?

 そんなイメージ、君に送ります。

 諦めずに、何度でも、なんどでも、何度でも!!



 もしFさん自身も、自分の持つ邪悪な何かに悩んでいたとしたら?

 Fさんは僕が何と言うか想像つくだろうか?


 僕はこう言うだろう。

 みんなそうだよ、と。

 そうした部分を心に持っていること自体は、自然なことです。

 人間なんだから。


 問題は周囲の環境にある。

 殺人をも肯定する犯罪集団にある。

 誰しもが持つ「心の隙間」をついて、なにかを捻じ曲げようとする人々。

 カルトの放つ魔力は説明しがたい影響力を君に行使する。



 小さい頃からそういう環境では、仕方が無い事です。

 まわりに間違った教育をされた大人たちに囲まれて育てば、避けがたい事です。

 でも、もし、疑問があるなら、今からでも遅くない、脱出がベストです。

 当たり前の事をしていいんです。

 気づいたんだから、それは当然です。

 18年前からの口癖をここで1つ使います、覚えているかな?

「…僕の言っている事、どっか間違っている?」




 世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです、

 手が出せば届くようなものではない強大なダイナミズムで動いている。

 せまい世界のなかだけで完結しないという事だけは、間違いようのない事実です。


 以前書いたと思う。

 チュニジアで起きたデモが「リビア」を通り越して「エジプト」に飛び火したのは意外だ!と。

 時間はかかったけど、ついに「リビア」でもデモがおこったようです。

 これも以前書いたけど、「サウジアラビア」は唯我独尊の王政国家、情報が統制され、内情が不明な独裁王政だ。ここでも、デモはおきたらしい。


 そんなに、みんな我慢していたのだろうか?


 社会は悪意で満ちていると考える“彼ら”的考えの元では、民主化運動など、反社会行動であり、ルールを守れない堕落した人間のやることとなるはずだ、でも、怒りを感じるメンバーは少ないと思う。それは、普段彼らが使っている理屈が、実は単なる「方便」であると、皆が自覚しているからだ。そうでないなら、民主化デモに怒りを感じるはずだ。


 世の中はけっして単純ではない。“彼ら”の言うように…

 単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。

 Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!

 君の周りの人に伝えてください。

 「自分たちだけが一方的に正しいと思っているのは恥ずかしくないの!?」と。

 「理解を示す心の広さはどこへやったの?」と。

 「真実に目を向ける勇気はどこへいったの!?」と。


 そして、こうも言っていいと思う。

 「本当は、皆も“がまん”しているのと違うの!?」と。


 …彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。

 わかろうとしないのは、個人個人の“質”の問題です。目の前しか見ていない。

 そうした自分都合の連中に負けないで!

 “厄介な人(=かわいそうな人)”多いと思うけど!負けないで欲しい。

 君が戦い続けられるなら、僕も戦い続けられます。


 これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。

 教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。“質”が問われているのです。そう伝えてください。



 君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。

 君は自分で思っている以上に強い人です。

 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。


 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 君の事が心配だからです。詳しくは21話参照してください。


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!


 終わる悪夢ってあるのだと、信じてほしい。

 そんなイメージ、君の送ります。

 前向きな心を、取り戻して!頑張れ!!

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〔2月22日(火)曜日「優しさを利用されてはいけません。頑張って!負けないでほしい。」〕


 Fさん、今そこは安全な場所ですか?

 君が君らしく入られるのであればいいのだけど。

 “彼ら”は本当にしつこい。

 たぶん、いろいろ言われると思う。けど、がんばって。負けないで欲しい。

 狭量な人達が押し付けてくる“勝手なイメージ”なんか跳ね除けて!

 自分の心を取り戻すべきです。何か言われたら、

 心が狭くなると人の命まで軽くおもえるようになるのよ!と言ってやってください。


 いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。

 いろいろあると思う。けど、がんばって。負けないで欲しい。

 多分君の周りには悪意なく“そういう事”が出来る人がたくさんたくさんいると思う。

 それは悪意があるのではなく、心が内向きになっていて、外に向いていないからだと思う。

 心が外向きになれば、人として持つ“当たり前の感情”が戻ってきます。

 そう、周りの人に言ってやってください。


 繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。

 きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。僕は18年前の君の謎の言動の真実を理解したい衝動をずっと持っていた。あの笑顔の意味を知りたくて努力した。

 生まれつきの鈍感さはあいかわらずだけど、努力して得たものは、確かに君の心に繋がったと感じた。


 心のなかの“それ”を大事にして、追求するのは、人として正しい行為だと僕は感じる。

 もし、君も同じような感覚を抱いてくれるなら嬉しいです。

 いつか、どう思うのか聞かせてください。



“彼ら”的活動で矢面に立つのは結局のところ、現場の人間だ。

 でも、時々、それなりに偉いだろう人もくるっぽい経験をしている。

 あれは…、なんだろう。

 現場の人間が「偉い人の弾除けにされている事実」をカムフラージュするために、時々出てくるのだろうか?

 そんな事も思わなくもない。

 Fさんはどう思う?

 “彼ら”の弱点は、自分たちが「犯罪者」であるとは微塵も自覚していない点だ。

 だから、自分たちが「弾除け」になっている事実に気がついていない。

 何かあれば組織が守ってくれると思っているようだけど、状況次第ではマジで切り捨てられる事に気がついていないわけではないと思うのだけど…



 以前書いたけど、突然、僕の車の助手席に乗り込んできた知らないおじさん。

 乗り込んだ瞬間「出せ!」と言い放つ。

 こんな事でこちらがビビっていう事聞くとでも思っているんだろうか?

 こちらが「非常事態」なのでクラクションをずーっと鳴らし続けると、みるみる顔色がわるくなる。


 そんな事、以前書いたと思う。


 そのしらないおじさんはこんな事言った。

「(そんな事していいのか?)あの人警官だぞ!」と。

 …今にして思えば、僕がクラクションを鳴らし続ける行為は、近所迷惑な行為であり、警察官の前でそんな事していいわけないだろ!

 という意図で言ったのだと思う。まったく持って本末転倒だ。

 なぜなら、そのおじさんは、僕の車に不法侵入の真っ最中であり、現行犯なのだ。

 むしろ警察官がいると気づいたら、逃げなきゃいけないのは、このおじさんだ。

 なのに、「そう」発想しないあたりが、「自分は」犯罪者ではないと思い込んでいる証拠のように思う。


 その警察官(非番で私服なのだろう)の人はその後、話かけてきている。

 僕は、この人知らない人で、勝手に入ってきたんです。

 と言うに留めた。

 事を大きくするのが嫌だったからだ。

 …でも、もし「あなた警官なんでしょ?」

 と、言っていたらどーなっていたのだろう?

 そして「非番とはいえ、不法侵入の現行犯目の前にして無視できるんですか?」

 と続けていたら?

 その警官と言われたおじさんは、とぼけるのだろうか?

(まあ、近所に住んでるようだから、誰だか特定するのは簡単だし、一応犯罪被害者として警察に相談しに行く事も可能で、その際警察官に無視されたこともいう事は可能だ。)

(※ちなみに上記要件は、まだ時効になってないから、今でも騒ごうと思えばできる)

(※でも、そうはしない。僕の目的はあくまで君ともう一度再会し、その意思を確認する事であり、“彼ら”と戦う事ではないからだ)


 …でもここで肝心なのは、手の内を体感できた点だと思う。

 もう一度同じ事が起きた際は、もっと手際よく対処できる。



 何が言いたいのか?


 自分が犯罪者という自覚がない人間は、実際、隙だらけだ。

 隙を上手く突かれると、意外と簡単に崩れてしまう…

 そんな風に感じた。

 Fさんはどう思う?


 なにかあっても、冷静に対処すれば大丈夫だと思う。

 大丈夫、きみなら出来ます。


 なんで急にまたこんな事書きたくなったのか…

 たぶん、ニュースで「また?」と感じるものを見たからだ。


 “彼ら”は悪意あくいで社会を破壊する変態行為にいしれ恍惚こうこつする集団犯罪を教えとしている。強要され心が破壊される人、多いのだろう…。

 とにかく、脱出が一番です。環境が、人を惑わす。

 生き方は人の自由だ。そこで過ごす事を選ぶのも、誰彼の自由。

 でも、あえていいます。

 君にだけは、そうした犯罪行為をやめてほしい。

 もし、今やめているなら、これからも継続してほしい。

 それが、過去迷惑をかけた人達へのつぐないにもつながる。

 言霊ことだまのように…どこかで、被害者の無念を晴らすことに繋がっていると思う。

(※もし、誰かにそんな事で無念が晴らせるわけないだろ!とか言われたら?ああ、悪い事してるって自覚あるのね?なら、私が辞めたい理由をもう理解している事になるわ、と言い返せばいい)

 とにかく、何が正しいのか、誰が悪いのか、どうすればいのか?

 その答えは組織内にいては永久に出ない。


 脱出が先決です。

 それらは脱出してから考えればいい。


 いつまでもそこにいてはいけません。

 そこは、まちがいなく“カルト集団”です。


 …感情があふれてぐちゃぐちゃになっても、逃げてはいけない時がある。

 時間が必要?そうかもしれない。


 でも、前には進めるでしょ?

 もし、そんな状態になった時は、思考停止寸前までいっても、君なら立ちなおせると信じます。

 Fさんは強い女の子です。

 大丈夫です。


 君は何も悪くない。

 僕が証明してみせます。


 優しさを利用されてはいけません。頑張って!負けないでほしい。



 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 

 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。



 君の名前の最初の1文字は「真実を見て(知り)理解する者」と言う意味がある。

 名づけた方の意思に反しようが、真実を見極めてもいいと思う。

 なぜなら、その名前の字をこの世に送り出した人々は、名づけた人よりも遥か昔にいた人々で、過去存在した多くの人々の想いがその名の意味を支えている。君の名の1文字は歴史を重ねて作りあがっています。そして、その1字の意味の通り生きていいのだと思う。


 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 

 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


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〔2月23日(水)曜日「それは意思が弱いとか、自分が無いとかいうものとは違う

「信頼」という感情だ。」〕


 “彼ら”はこの世に「慎み深い人間」はいないと主張するのだろうか?

 だとしたら、そんな思想は仏教ではない。

 俗人が聖者の微妙なニュアンスを正しく理解できないが故おこった教えの歪みだ。

 …でなければ、誰かが意図的にゆがめた事になる。

 惑わされず、自分の想いを貫いて欲しい。

 君が君であるために。



 先日のミスターマリックの超魔術特番の話。

 …重ねて言うけど、僕はミスターマリックの姿勢に好感をもっている。 

 あれは、「ショー」であり「エンターテイメント」であると昔から公言しているからだ。

 一度だって自分が超能力者とは言わない。


 番組内で、あ、これは明らかに“暗示”だ!

 と感じたマジックがあった。


 まず、霊が下りたら、作り物の手が動く、と紹介した後。

 スタジオで霊感が強いと自称する女性にその「作り物の手」がのった「板」を持たせる。

 「板」はけっこうの厚みがある。中に電磁石と電源、リモコン装置を仕込むには充分な厚さだ。

 ミスターマリックが交霊術を展開、霊が下りてきた、と発言し、同時に「作り物の手」がカタンと動く。

 するとその動いた作り物の手ののった板を持っている女性が尋常でない驚きをする。


 ここが、暗示のポイントなのだ。


 人間は他人と感情を共感する脳力が備わっている。

 たとえ、霊など信じてなくても、霊に本気で驚く女性をみると、かなり感情が揺さぶられ、半信半疑で霊を見るようになる。

 まったく信じてない→半信半疑、は暗示の効果だ。しかもかかった本人にその認識はゼロだ。

 初期暗示に貢献した霊感が強いと思い込んでいる女性には、ここで下がってもらい、今度は別のゲストを呼ぶ。


 次のゲストには、下りてきた霊が体に触れる!と称して、ステージに誘った。

 筋肉質なゲストだ。

 実は、筋肉質というのがミソだと思う。科学的な理由で。


 その筋肉質なゲストをステージ上の椅子に座らせ、ミスターマリックは彼の死角となる真後ろに立ち、

 先ほどの作り物の手を持って、椅子に座ったゲストの左右どちらかの方に触れようとする動作をする(実際には触れない)

 しかし、霊が下りてきているので、椅子に座った彼にも、その感覚が伝わる!と、言うのだ。


 実際、ミスターマリックが作り物の手を左右のどちらかに振る。


 するとその様子が見えないはずの筋肉質のゲストは、見事に左右どちらに振ったかいいあてる。

 「肩にふれた感覚がするんです」

 と主張する。


 多分だけど、その椅子には弱い電流が流れる仕掛けがしてあるのだと思う。

 右半身もしくは左半身に弱い電気が流れる仕掛けだ、それも物凄い弱いやつ。普通の人間では感じられないほど弱い電気で、「筋肉質な人」でないと「感じられない」ほど「弱い」電気だ。

 もし、「動く作り物の手」を事前に見ないで、椅子にすわり、電気を体験したら?

 おそらく、なんだか右側(左側)に違和感を感じる…

 くらいで終わるだろう。


 でも事前に、霊感の強い(と自称する)女性が、動く作り物の手に驚く様子を見せ付けられている。

 信じる、信じないは別にして、「あの作り物の手には多くの人を驚かす何かがある」という暗示がかかっているのだ。

 その暗示がかかった状態で、「今から貴方の後ろで、この手を左右どちらかの肩に近づけます、きっと触れてないのに、触れたのが感じられるはずです」と言われてしまうと?


 椅子に流れる電気の違和感を、「手がふれた」と感じてしまう事もある。


 これが“催眠”における“暗示”のテクニックです。


 最初に「動く手」「驚く女性」を見せる事で、初期暗示にかけ、

 次に「近づけるだけで感じられるはずです」と暗示することで、見事にゲストの判断力を催眠の力で正常に機能しないようにしてしまった。


 …これはエンターテイメントショーだから許されるが、実生活や犯罪現場で用いられたら最悪な行為だ。


 うまく伝わったかな?Fさん、むずかしい?

 まあ、イメージだけでも伝われば幸いです。

 催眠における“暗示”は、かかった事すら気がつかない、という恐ろしい特徴をもっている。

 

 “彼ら”は長年にわたり君に“暗示”をかけてきたと思う。

 でも疑問に思うことも多かったはずだ。

 優しさを否定する劣悪な暗示に気をつけて!

 “彼ら”的行動とは、「熱気ねっき」にあてられて思わず興奮する集団恍惚しゅうだんこうこつ状態が作り出すものだと思う。

 これが、お祭りとかスポーツとかエンターテイメントショーならまだいいが、

 犯罪行為に集団恍惚しゅうだんこうこつするのは、間違っている。

 …でも、恍惚こうこつ状態にあると、理性的判断が出来なくなり、皆、別人に変ってしまい、犯罪も肯定する人間にさせられてしまう。

 こういう状態を一般に「トランス状態」と呼び、暗示を「ものすごく」受け入れやすい状態、と理解しないといけません。

 一度暗示に「かかる」と、なかなかとれない。

 君のまわりを見回してほしい、事実、普段はいたって「普通」なのに、“彼ら”の悪意に関しては「正常な思考」が出来ない人、多いと思う。

 それは、暗示にかかっているからだと思う。

 

 もちろんこれは推測を書いているに過ぎない。

 その世界がそこまで「本当に」酷かったら、そうとう病んでいる事になる。

 「病んだ人間を救う」のが本来の仏教であり、「病んだ人間を大量生産する」事はカルトの思考です。

 そこは、どう屁理屈をこねても、覆せない、当たり前の真実だと、「普通」の感覚の人間なら思うところです。

 …Fさん、戦ってほしい。

 君を責めたりはしない、そういう環境に問題があるだけだ。


 距離をとり、もうこれ以上暗示の影響を受けない状況にするのが、冷静な判断力を取り戻す近道だと思う。

 君は、君らしくいていいんです。自分を取り戻してほしい。

 Fさんらしいって何だろう?

 …その答えは君にしか出せない。その事実はどんな人間にも否定できない事です。

 たった1度しかない君の人生です。悔いを残さないように。

 

 過去の歴史をみても、カルトが永久にカルトでいつづけた歴史はない。

 犯罪的なものは、社会との軋轢が増して、淘汰されるし。

 淘汰されないよう工夫すると、カルトでない普通の宗教へ進化する。

 “彼ら”は進化の過程かもしれない、が、今現在の実情は、間違いなくカルトであり、殺人をも肯定する犯罪集団だ。


 生き方は人の自由だ。そこで過ごす事を選ぶのも、誰彼の自由。

 でも、あえていいます。

 君にだけは、そうした犯罪行為をやめてほしい。

 もし、今やめているなら、これからも継続してほしい。

 それが、過去迷惑をかけた人達へのつぐないにもつながる。

 言霊ことだまのように…どこかで、被害者の無念を晴らすことに繋がっていると思う。

(※もし、誰かにそんな事で無念が晴らせるわけないだろ!とか言われたら?ああ、悪い事してるって自覚あるのね?

 なら、私が辞めたい理由をもう理解している事になるわ、と言い返せばいい)

 とにかく、何が正しいのか、誰が悪いのか、どうすればいのか?

 その答えは組織内にいては永久に出ない。


 脱出が先決です。

 それらは脱出してから考えればいい。


 いつまでもそこにいてはいけません。

 そこは、まちがいなく“カルト集団”です。

 優しさを利用されてはいけません。頑張って!負けないでほしい。

 僕は脱出をとにかく君に勧めます。

 何がいけないのか?誰が悪いのか?

 脱出して距離をとってからじっくり考えればいい。

 その中にいる限り、永久に答えは出せないから。


 Fさん、僕には“彼ら”に「人生を返せ!」と主張する権利があると思うかな?

 もし、君が「ある」と言うなら、そう思うことにする。

 逆に「ない」と言うなら、そういう事にしておこうと思う。

 え?ついさっき「自分の意思を持て」と言っておいて、それはないんじゃない?と思った?

 僕は、こう考える。僕は、自分の意思で、君に判断を委ねる。

 それは意思が弱いとか、自分が無いとかいうものとは違う「信頼」という感情だ。

 “彼ら”の悪意の強要とはまったく違うものです。 


 僕には夢がある。

 僕は何も「人生を全部返せ」って言う、無理な(実行不可能な)相談をしているわけではない。

 ささやかな奇跡に期待を込めているだけなのです。

 他の人がどう思おうが知らない、でも僕の性格をしる君はどう思うだろうか?

「ああ、Kくんならこういう事を本気で言いそう」

 と思ってくれたら涙がでます。いつかの再会を信じて。


 君に読んで欲しい本があるります。

 それは日蓮の現存する正筆御書というものです。

 機会があったらぜひ一度触れて見てください。

 

 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 

 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。



 君が頑張り続けられるなら、僕も頑張り続けられます。

 奇跡を信じて。負けないで!


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 ※これは仮説に基づく主張。

 もし、君が今も戦っているとして、その局面が“彼ら”と距離をとっている状況だと仮定したならば?

 こんな事をいう人がやってくる可能性がある。

「とりあえず、もどってきなさいよ」と。

 

 甘い顔せず、きっぱり断った方がいい。そう思った。

 何が役に立つのかわからないので、一応書きました。

(会いたくなければ、玄関先に張り紙しとくと楽だそうです。剥がされてもいいようにコピーをとっておくといいらしいです。それから手記か日記で、彼らの訪問回数を記録しておくと、後々もめた時、裁判資料として優位な材料になります。短気をおこしたら(ルールのルールを破ったら)負けになるんで、そこは冷静にいくのがいい様です…あくまで仮説に基づく主張です)

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〔2月24日(木)曜日「大好きな人が、カルトに操られたままというのは、耐え難い事です。君には君らしくいてほしいと、本当にそう思うので、そう、伝えます。伝わったかな…このメッセージ」〕


 今日は実際は水曜日です。

 Fさんへ、元気にしていますか?笑顔の君でいてくれたら嬉しい限りです。

 今日隣町へ行ってきた。

 僕らが映画を見に行ったあの町だ。

 当時と違い随分すたれてしまった…、きみは見ただろうか?

 あの、2人で入ったマクドナルドが、今、なくなっている。

 その代り北口に1件あった。今は北口の方が人通りがいいのだろうか?


 今日はちょっと資格関係のことで隣町に行った。

 一応、職探しはしているのです。

 のんびりしているように見えて、一応やっているのです。

 焦らず、じっくり、行きましょう。


 …予想では、そちらに情報は筒抜けと推測しますが、実際どーなのだろう?

 まあ、バカ正直にここに書くのも面白くないので、もし、情報収集班のような人が頑張っているなら、「お仕事ご苦労様」といってあげてください、会う機会が仮にあるならだけど…


 でだ、今日はせっかく隣町まで出張ったのだから、久しぶりに劇場で映画を見ようと思った。

 Fさん!、僕らが「紅の豚」をみた、あの映画館は一応まだあるみたい。

 でも、北口にそれなりの規模の新しい複合映画館が出来たので、そっちに行ってみる事にしました。


 …でも、この劇場、見た目は綺麗なんだけど、いろいろ欠点が目立つ。

 前半分の席が「座高」が低く設計されていて見にくい所とか、別の劇場の音がわずかながら聞こえてくるとか…、でもそういう劇場は東京にもあった。こんなものかと納得できなくは無いが、一応新しい建物だったので少し残念です。

 でも久しぶりの劇場での映画視聴はやっぱいい。音が何より違う。

 ズンズン響いてくる。ああいうのは映画館でしか味わえない。

 それに映写機もデジタルのもののようだ、画質がいい。

 昔、DVDが出たばかりの時期、映画館の画質がDVDより劣るというので問題になっていたのを思い出す…。当時は高い金はらって画質が劣るとはどーゆー事だ!と憤慨したものだ。



 …実は最近「シネマ通信」という映画紹介番組をみていないせいで、映画の予備知識ゼロだ。

 「太平洋の奇跡」という映画をみたのだが、てっきりハリウッド作と思い込んでいた、見てびっくり邦画(=日本製)だった。


 内容に関しては割愛したい、いろいろ思うところがある。

 時間をかけて評価したい作品だ。簡単に切って捨てるのはなにかもったいないと感じた。

 でも1つ間違いなく言える事は、唐沢寿明 が演じる兵隊ヤクザみたいな一等兵はなんだか物凄い存在感というか、はまっていて凄かった。あれは、語り草に出来るほどのハマり役だ。


 でももう少し感動したかった。何だろう…うまく表現できないな。

 手堅くまとめてあるけど、米軍が間抜けすぎるのと、日本人がいい人過ぎるのが気になる。

 「プライベートライアン」や「バンド・オブ・ブラザーズ」のように、アメリカ人が作ったにもかかわらず、アメリカ人自信も眉をひそめるようなアメリカ兵の振る舞いを描いたシーン。ああいうのが少しはないと、日本人以外が見たときどー思われるか不安だ。戦争というのはひどいものなのだから、美化はこの場合真実を捻じ曲げる。


 “彼ら”はこの平成の日本で、戦争など起きても無いのに、まるで戦時中であるかのように「戦い」があると吹聴する。布教しないとこの世が滅びるとでも、本気で思っているのだろうか?(実際本気で信じている人は極少数だけで、ほとんどの人は、建前だと気づいていると思う。人間って思っているほどバカでないから。それが証拠に、彼らはまだ日本すら支配できていない)

 酷い現実も美化してごまかすのは“彼ら”の特徴だろうか?

(支配できてもいない日本を手中に収めたかのように吹聴するところが、過剰な美化の証拠になる)

 映画ならいいが、これを現実世界でやるのは、人の生き方として間違っている。

 演出がかった教えと殺人をも肯定するカルト的行動を強要するところなど、現実にはあってはならないことだ。Fさん、脱出が一番です。

 …もし、今もう脱出しているなら、そのまま継続してほしい。大好きな人が、カルトに操られたままというのは、耐え難い事です。


 

 世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです、手が出せば届くような単純なものではない。

 単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。


 今回見た映画「太平洋の奇跡」も、サイパン島で終戦後4ヶ月も戦い続けた日本兵の物語です。現在の基準でみると、はやく降伏すればいいのに、なに意地になって…、と考えがちですが、以前この小説にも書いたとおり、ヴェルサイユ体制化の露骨な悪意の下では、降伏=滅亡を意味し、ありえない事と思えるのかもしれません。


 物事は単純ではない、なにかしらバイアスがあり、それがそうした“何か”を引き起こしている。単純な真理1つで救われるほど、単純ではない。まして、意味も解らず教えを妄信すれば、世界が救われるなど、ありえない事です。


 Fさん、そんな事を言う連中の説教など跳ね除けて!

 君の周りの人に伝えてください。

 「わかろうとしないのは目の前しか見ていないからよ」と。

 「教えが正しいとか間違ってるとか、そういう問題じゃないのよ!」と。

 「それもの凄い犯罪なのよ!わたしそれに気づいたの、もう戻れないわ」と。

 彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。

 それが証拠に、彼らは彼ら自信の行いで、ドンドン日本を荒廃させている。

 「いいわけ」と「ごまかし」の果てにある「悪意の集約」が何を引き起こすのか?

 冷静に考えれば、わかることです。


 これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。

 教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。

 “質”が問われているのです。そう伝えてください。



 生き方は人の自由だ。そこで過ごす事を選ぶのも、誰彼の自由。

 でも、あえていいます。

 君にだけは、そうした犯罪行為をやめてほしい。

 もし、今やめているなら、これからも継続してほしい。

 それが、過去迷惑をかけた人達へのつぐないにもつながる。

 言霊ことだまのように…どこかで、被害者の無念を晴らすことに繋がっていると思う。

(※もし、誰かにそんな事で無念が晴らせるわけないだろ!とか言われたら?ああ、悪い事してるって自覚あるのね?なら、私が辞めたい理由をもう理解している事になるわ、と言い返せばいい)

 とにかく、何が正しいのか、誰が悪いのか、どうすればいのか?

 その答えは組織内にいては永久に出ない。


 脱出が先決です。

 それらは脱出してから考えればいい。


 いつまでもそこにいてはいけません。

 そこは、まちがいなく“カルト集団”です。

 君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。

 君は自分で思っている以上に強い人です。

 優しさを利用されてはいけません。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 

 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 

 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。負けないで!


 再会を信じて。


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※これは仮説に基づく可能性の提案。

 もし、君の相手が偉い人で、ある程度の財産もちだと仮定するなら?

 君は強力な「切りしろ」を1つ持つことになる。

 何度も書いた、交渉の基本ルールは「切りしろ」を多く持ち、駆け引きする事だと。

 その切りしろの名は「相続放棄」というものだ。

 する、しない、そのものを、切りしろに出来る。

 “彼ら”は何よりも「とられる」のを嫌うように思う。

 特に金がらみのものは、“彼ら”の概念では特筆して守ろうとするものかもしれない。

 君は、相続や財産分与や親権など、自分の持っている法的権利を一通り把握すると、便利な事が交渉の席で起こるかもしれない。

 これはあくまで、仮説にもとづく可能性に過ぎないけど、何が役に立つか解らないので、一応書きました。君がいまも戦っているという前提で書きます。かんばって!まけないで!君なら出来ます。僕はそう確信している。君は自分で思っている以上に強い女の子です。自分自身を取り戻して、責められるいわれはありません。当たり前の事を言い続ければいいのです。

 心を解きほぐして!彩りを心に取り戻せる日が必ず来ます。頑張れ!


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〔2月25日(金)曜日「一方的な偏見に耐える必要はありません。」〕


 Fさん、今日午後7時半のNHKの番組でこんなのをやっていた。

 老齢のベテラン弁護士が、奥さんを1997年に殺されて、初めて被害者の遺族という立場になった…

 被害者家族という立場で、裁判にのぞむと、今まで何十年とやってきた裁判がまったくちがって見えたという。

 被告に被害者がののしられても一言もいえない。

 裁判が始まったのも知らず、ニュースですることとなる。

 当然、裁判日程も教えてくれない。

 裁判中のやり取りは、たとえ傍聴していても一切わからない。

 完全に蚊帳の外となってしまう現実に唖然としたらしい。


 この弁護士のおじいちゃんは、亡くなった奥さんの弔いの意味も込めて、犯罪被害者の家族も裁判に参加できるよう行動を開始する。

 被害者の会を結成。

 政府の委員会のメンバーにもなり、熱のこもったアピールをしたという。

 

 この活動は実を結び、今現在、被害者の家族は望めば、検事側の一員として参加できるし、被告への質問なども出来るようになったという。恥ずかしながらこんな改革があっただなんて知らなかった。なんだか、ものすごく、恥ずかしい。


 この制度導入後、裁判の雰囲気も変ったらしい。被害者家族の想いを代弁するような空気で、裁判が進む事が多くなったと言う。

 本来、刑事事件の裁判と言うのは、事務的ではなく、こうした被害者の無念を汲むようなスタイルがのぞましいと思う。

 Fさんはどう思う?

 いつのまにか、なんだかすごい改革が起こっていたらしい。


 世の中は、常に変化し、動いているのでしょうか?


 この改革以前の世界では、犯罪被害者の家族というのは、偏見で見られることも多かったと言う。

「なにもしてないのに殺されるなんておかしい、何かしたに違いない…」

 という目で周囲からみられ、偏見にさらされると言う。

 当然、裁判への傍聴も自然足が遠のき、被害者遺族不在のまま裁判がすすみ、知らぬ間に終わっているなどという事もあるという。


 しかし、この改革のおかげで、遺族は「発言」することができるようになり、自らの正当性を主張できるようにもなり、まだ、被害者の無念の思いも表現できるようになった。もう、一方的な偏見に耐える必要はなくなったわけだ、故あれば、自分の思いを表明できるから。



 こんな事思った。 

 人は、なにか起こると、被害者を変な目で見る傾向があるようだ。

 多分、僕や君の事も、本来被害者なのに、「そんな目にあうからには、理由があるに違いない」という目で見る人が多いのだと思う。

 黙っていると、この偏見の眼差しはいつまでたっても消えないと思う。

 発言したりして、自分の想いや意思を「表現」しないといけないのだと思う。

 以前何度もこの小説で書いた。

 表現されない自分はいないに等しい。

 これは僕の経験則なんだけど、まんざら間違ってないようにも思う。Fさんはどう感じる?

 いつか機会があるときにおしえてほしい。


 

 世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです。

 手が出せば届くような単純なものではない。

 単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。

 物事は単純ではない、なにかしらバイアスがあり、それらが絡み合い“何か”を引き起こしている。

 単純な真理1つで救われるほど、単純ではない。

 まして、意味も解らず教えを妄信すれば、世界が救われるなど、ありえない事です。


 “彼ら”の理屈でいけば、この様な犯罪被害者の家族の救済などありえない。

 現行の秩序を受け入れ、耐えるしか考えない。

 もしくは、裁判など無視して、司法は役立たずだと称し、組織の力で司法を無視した制裁を考えるだろう。しかし、それでは永遠に世の中は良くなりはしない。


 教えを妄信する人は言うだろう、教えの中に書いてない事はやらなくていいのだと。

 それが欺瞞であると、みな実は承知しているはずなのに。


 Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!

 君の周りの人に伝えてください。

 「わかろうとしないのは目の前しか見ていないからよ」と。

 「教えが正しいとか間違ってるとか、そういう問題じゃないのよ!」と。

 「それもの凄い犯罪なのよ!わたしそれに気づいたの、もう戻れないわ」と。

 彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。

 それが証拠に、彼らは彼ら自身の行いで、ドンドン日本を荒廃させている。


 「いいわけ」と「ごまかし」の果てにある「悪意の集約」が何を引き起こすのか?

 冷静に考えれば、わかることです。


 これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。

 教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。

 “質”が問われているのです。そう伝えてください。

 君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。

 君は自分で思っている以上に強い人です。


 生き方は人の自由だ。そこで過ごす事を選ぶのも、誰彼の自由。

 でも、あえていいます。

 君にだけは、そうした犯罪行為をやめてほしい。

 もし、今やめているなら、これからも継続してほしい。

 それが、過去迷惑をかけた人達へのつぐないにもつながる。

 言霊ことだまのように…どこかで、被害者の無念を晴らすことに繋がっていると思う。

(※もし、誰かにそんな事で無念が晴らせるわけないだろ!とか言われたら?ああ、悪い事してるって自覚あるのね?なら、私が辞めたい理由をもう理解している事になるわ、と言い返せばいい)


 とにかく、何が正しいのか、誰が悪いのか、どうすればいのか?

 その答えは組織内にいては永久に出ない。


 脱出が先決です。

 それらは脱出してから考えればいい。

 過去の歴史をみても、カルトが永久にカルトでいつづけた歴史はない。

 犯罪的なものは、社会との軋轢が増して、淘汰されるし。

 淘汰されないよう工夫すると、カルトでない普通の宗教へ進化する。

 “彼ら”は進化の過程かもしれない、が、今現在の実情は、間違いなくカルトであり、殺人をも肯定する犯罪集団だ。僕は脱出をとにかく君に勧めます。

 何がいけないのか?誰が悪いのか?

 脱出して距離をとってからじっくり考えればいい。


 いつまでもそこにいてはいけません。

 そこは、ウソの救済話で、人の心を騙し取る“カルト集団”です。

 

 「ウソの救済話」に「優しさ」を「利用」されては「いけません」。

 頑張って!負けないでほしい。

 実は君に読んで欲しい本があります。

 日蓮の現存する正筆御書というジャンルの本です。

 専門書なので、難しい本かもしれないけど、チャレンジする価値はあると思う。

 機会があるとき、気が向いたら是非一度見てください。

 

 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 

 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。


 一歩を踏み出す勇気を君に!

 その一歩から先の事は、歩みだしてから考えればいい。

 たとえ亀のごとく遅さでも、一歩が大事です。

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 Fさん。

 何だか家のすぐそこで車同士の衝突事故みたいです。

 長年、ここに住んだけど初めてです。

 まさか、エンジン音を出す事に気をとられて…

 なんて事ないと思うけど。

 もし、そうなら気をつけてほしいものです。

 この辺は子供も歩いている。人命に関わったらシャレにならない。


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〔2月26日(土)曜日「こんな事を思った。」〕

 

 Fさんは特にアニメファンというわけではなかったけど、

 宮崎アニメに興味持つ人だったし、音楽にもくわしい。

 だからこんな話題はどーかなと思った。


 「サンバ・テンぺラード」

 という楽曲がある。

 もともとは宮崎駿監督作品「ルパン三世カリオストロの城」のBGMなんだけど、いつのまにか「独立した楽曲」としての地位を築いているみたい。

 映画とは関係なく、大野雄二作曲の代表的ジャズナンバーとして演奏されているみたい。

(吹奏楽用の楽譜もあるようだ)


 ぼくがその事に気がついたのは、だいぶ前、フィギュアスケート選手がこの曲で演技していた時だ。

 アニメの曲を使うとは珍しいとその時は思ったが、のちのち、この曲が独立した地位を築いている事を知り、少し恥ずかしくなった。


 軽快なリズムで気分を上げたいとき、ぴったり来る曲です。



 「サンバ・テンぺラード」は劇中でルパンが反撃に転じるシーンに流れる曲だ。

 生きては帰れぬ地下から脱出したルパンが、オートジャイロを奪ってクラリスを救出するシーンに使われている。


 昔の宮崎アニメには、こういう「反撃に転じるシーン」というのが必ずあった。

 最近のには見られないので、個人的にすごく残念だ。

 やられっぱなしだった主人公がはじめて敵の先手をとろうと行動を開始するシーンだ。


 「紅の豚」でいうなら、イタリア秘密警察に包囲されたピッコロ社から、ポルコ・ロッソが脱出するシーンが相当する。

 Fさん?覚えている?

 工場の裏の運河から、飛行艇で飛び立とうとするシーン。

 格納庫をあけると、秘密警察がいてピストルを撃って来る。

 豚は飛行艇の機銃で威嚇して、フィオを乗せたまま運河へ飛行艇を滑り込ませる。

 なかなか飛び立てないサボイアS-21。

 ミラノの運河を疾走し、加速できるようになるとようやく離水に成功する。

 このあと、豚とヒロインを乗せた飛行艇はアドリア海に向って飛ぶ。


 この後だ、例のあのシーン。

 ホテル・アドリアーノの女主人が言う。

「私、賭けをしているの」


 映画を見終わり、多くの観客たちと共に劇場から出た、外はもう暗かった。その時、確かに君は言ったと思う。

「私も賭けをしてるの」と。

 笑顔の君は謎かけをした。

 わかるかな?わからないよな、でもひょっとして気づくかな?

 そんな探るような目で、こちらを覗き込む。笑顔の君にそんな事されたら、もう黙るしかない。

 惚れたものの負けだ。


 当時はその言葉の意味がまったく解らなかった。

 今は、理解できる。

 感動ものです。

 当時の自分がものすごい幸せ者であったのが、実にくやしい。

 いまから戻って、理解してない自分の頭をぶん殴ってやりたい。

 けど、それは不可能で、だから、今できる事をやろうと思う。

 それでいいかな?Fさん。 

 いつか、教えてください。君の都合がすべて整った後に。


 真実に気づく以前の当時、自分にはFさんと親しくする資格が無いと思っていた。

 こんなにしてもらっていいのだろうか?といつも思った。

 君に疑問をぶつけると、そんな事無いよと君が答えてくれる。

 あれは…、幸せな瞬間だった。


 そんな記憶、確かにある。

 

 手を2人合わせると、同じ大きさだったのに驚いた。

 君がなんとなくドキドキしていたのを覚えている。

 手を合わせるという行為は、手をつなぐ以上に非日常な感じがする。

 君は、あのときの事覚えているだろうか?

 時々、自分の手を広げて、同じ大きさの手を持つ女の子の事を思い出す。

 幸せな記憶は確かに今もここにある。


 そう、思うことがあります。


 顔に触れた事、覚えているかな…?

 あれは幸せな記憶だ。

 君の記憶では、どんな風になっているのだろう。

 ただ、ほほを触るだけなのに、なんだか、物凄く幸せに感じた。

 僕は笑顔の君が大好きだ。笑顔で無い君も大好きだけど、やはり笑顔の方がよりいい。


 大切な“なにか”があるなら、それは重大な事です。

 世の中にはそれが無い人も事実いるのだから。 

 

 

 Fさん、僕には“彼ら”に「人生を返せ!」と主張する権利があると思うかな?

 もし、君が「ある」と言うなら、そう思うことにする。

 逆に「ない」と言うなら、そういう事にしておこうと思う。

 え?今までさんざん「自分の意思を持て」と言っておいて、それはないんじゃない?と思った?

 僕は、こう考える。僕は、自分の意思で、君に判断を委ねる。

 それは意思が弱いとか、自分が無いとかいうものとは違う「信頼」という感情だ。

 “彼ら”の悪意の強要とはまったく違うものです。


 繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。

 きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。

 いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。

 いろいろ言われると思う。けど、がんばって。負けないで欲しい。

 狭量な人達が押し付けてくる“勝手なイメージ”なんか跳ね除けて!

 自分の心を取り戻すべきです。

 心が狭くなると人の命まで軽くおもえるようになるのよ!と言ってやってください。

 君は君の心を信じて良いのだと思う。


 生き方は人の自由だ。そこで過ごす事を選ぶのも、誰彼の自由。

 でも、あえていいます。

 君にだけは、そうした犯罪行為をやめてほしい。

 もし、今やめているなら、これからも継続してほしい。

 それが、過去迷惑をかけた人達へのつぐないにもつながる。

 言霊ことだまのように…どこかで、被害者の無念を晴らすことに繋がっていると思う。

(※もし、誰かにそんな事で無念が晴らせるわけないだろ!とか言われたら?ああ、悪い事してるって自覚あるのね?なら、私が辞めたい理由をもう理解している事になるわ、と言い返せばいい)


 とにかく、何が正しいのか、誰が悪いのか、どうすればいのか?

 その答えは組織内にいては永久に出ない。


 脱出が先決です。

 それらは脱出してから考えればいい。


 いつまでもそこにいてはいけません。

 なぜなら?そこは、ウソの救済話で、人の心を騙し取る“カルト集団”だからです。

 自分を責めず、人を恨まず、立ち向かってほしい。

 それが簡単でないのは承知している。

 それでも、君ならできると思う。君は自分が思っている以上に強い女の子です。

 頑張って!負けないでほしい。


 世界は広大で広く、想像を絶するダイナミックな時間がからみあって作られている。

 「視野が狭くて何が悪い」とか言う人が増え続けていくと、それが世界の不和の原因になってゆく。

 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 

 どこかの誰かが邪念に負けた、けれど実は天は見放してはなく、ちゃんと見ていた…

 そういう事で全ての事象は矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう?

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった。

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 

 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 負けるな!

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〔2月27日(日)曜日「こんな車を見た。」〕


 彼らは“恐怖”を使って集団を統率する。

 恐怖は喚起しやすく、またコントロールもしやすいからだ。

 逆に、恐怖以外の感情は予測も難しく、コントロールもしにくい。



 Fさん!、実は先日初めてイタ車(痛い車)というのを見た。

 噂にはきいていたけど、実際見たのははじめてだ。


 僕が初めてあれの存在を知ったのはバイク雑誌を見ていたときだ。

 草レースの記事の中に、奇妙なバイクを見つけた。

 車体にセーラームーンのイラストをのせたバイク…

 正直言う、「なんだこりゃ、アリなのか!すげえ度胸だな!」と思った。


 それから数年してだろうか…イタ車の存在をしったのは。

 アニメのイラストを車体に堂々と乗っけている車だ。

 

 先日見た車はいつもの「うるさい車」をさがした過程でみつけた。

 ある妹萌をテーマにしたアニメのイラストを車体にかいた車だ。

 見た目で目立ってるんだから、エンジン音くらい大人しくしないといけなくないか?と思うのは僕だけなのかな?どうなのだろう…オタク文化はいまいちわからない。


 もしこのイタ車が“彼ら”なら?(実際、よく見る。外出もすくなく時間のバラバラな僕がよく見るというのは?そうなのかな、どうなのだろう)ご苦労様、としかいえない。


 こう考える。イタ車はその人の自己主張だ。迷惑にならない範囲であれば大いに結構だ。

 “彼ら”の行動も、ある種自己主張(自己表現)なのかもしれない。

 でも他人に迷惑をかけるのは、なにか根本的に間違っているように思う。


 例えばだ。イタ車の場合、中古車として下取りに出す際は、車体のイラストを消す必要がある。

 なぜなら版権を侵害することになるからだ、法的には。

(実際のイタ車の転売の実際がどーかはしらない、けど、イラストの版権を持つ人の許可なく転売したらいけないはずだ)つまり、勝手に自分で楽しむ分にはいいけど、商売にしたら、違法行為になる。

(※この問題は、80年代ソニーが勝ったアメリカでの裁判がベースになっていると思う。ビデオデッキがこの世に登場したばかりの頃、アメリカのハリウッドがソニーを訴えたのだ。ビデオデッキでTV番組を録画するのは、著作権法違反だ!と。しかし、ソニーは消費者の利益を主張し勝利をおさめた。録画したビデオを個人で楽しむのはokだが、商用で使用するとアウトになる概念は、この時以降生まれ、今日に繋がっている。)


 イタ車は自己表現の手段の1つとしてはアリだと思う。僕はそこまで派手なのは手がでないけど。

 けど、他人の権利を侵害してまで行うのは間違っている。

 イタ車オーナーは、ちゃんと版権をクリアーする義務があるように思う。

 他人の権利を守り、自己主張するのが、本来のあるべき姿だ。


 調べると、イタ車の版権問題は法的にはグレーゾーンみたいだ、新しい問題すぎて、司法が追いついてないみたい。でも業者はあとあと問題になるのを警戒しているのか、版権をクリアーしてないイタ車の製作にはおっくうになっていると見受ける記述もある。しかし、せっかくのムーブメントを生かそうと、大手が積極的に正規のイタ車用ラッピングシートを販売するうごきもあるようだ。消費者の利益(潜在需要)と製作者の権利が綱引きをする状態で、この駆け引きは落としどころが定まるまで、しばらく綱引きが続くのだと思う。


 ルールやマナーは常に変化している。永久に同じではない。

 そうして世の中は動いているように思う。

 Fさんはどう思う?


 今の「リビア」の政変も、世の中の秩序が永久に固定されたものではなく、動き続けるものである事の証明のように見える。

 いい事なのか?悪い事なのか?見極める目が大切なんだと思う。

 言われた教えだけを永久に妄信していても、世の中は動いているのだから、どこかで調整しないと、何かが破たんする。

 リビアは破たんしたからこうなったのでしょうか?どうなのでしょう。



 仏法は中世社会の維持に貢献すたものだ。

 中世と現代では、食料の生産・供給手段がまったくちがう。

 食料=生きる最低限必要な手段の維持における、前提条件が中世と現代ではまったく違うのだ。

 中世の社会を安定させた仏法を、そのまま現代に当てはめたら、何かが破たんするのは目に見えている。

 例えは、中世には「版権」なんて概念はなかったと思う。

 でも現代においては、その「版権」でご飯を食べている人もいるわけで、「版権」の無視は「版権」でご飯を食べている人の、生命維持を脅かす事につながる。

 

 世の中は常に動いている。様々なバイアスの元に。

 しかし、2000年前前という長い目でみれば、おおよそ世の中は、悪意よりも善意が勝る結果の歴史を積み重ねてきたように思う。「版権」でご飯が食べられるなどと、2000年前の世界では考えられなかったことだ。

 

 あのイタ車の彼が、版権をクリアーしてくれていたら、いいなーと。そんな事も思う。

 

 やるにしても「悪意」あるバイアスが働かないよう祈るばかりです。

(今ニュースで、早稲田や立教の入試問題が、試験時間中にインターネットの質問掲示板にアップされた報道がされていた。受験生同士で相談しながら解答していたのでしょうか?当然、仏法には入試問題をネットにのせてはいけませんとは書いてない。だから、もしかしたら“彼ら”の理屈ではこれは「アリ」なのかもしれない。でも「普通に」考えて、こういう行為はあきらかに「よくない」と判断できる“頭”をもたなければいけないように思う。)


 上記のようなやからは、正常な綱引きの存在を否定する単なるズルだ。

 社会は常に様々な要因が綱引きをして、発展して来ている。

 しかしズルをしてばかりいると、正常な駆け引きができないので、全体としての成長は停滞してしまう。かつて大坂に世界最大のお米の取引所があった事を、以前書いたけど、覚えているだろうか?江戸時代の話だ。当時は一般のサムライも大名も、給料を「お米」でもらっていたから、どこかで換金しないといけないわけで、お米の取引所は活況を呈した。

 なぜに大坂が一番発展したかには理由がある。

 取引のルールを明文化し、あいまいな事や、ズルができない仕組みにしたからだ。

 ズルが出来ない仕組みだから、人があつまり発展した。 

 ズルは短期的にはよくても、長期的には社会を停滞させる事を歴史が証明している。

 案外、独裁政権が倒されるのも、その国のなかでズルが横行していたせいで、社会が停滞したのが、人々の怒りに繋がったのかもしれない。


 “彼ら”はズルをする。

 少なくともこれは僕の経験則だ。

 正々堂々、正面から戦う気はゼロだ。 


 “彼ら”の教えだけでは、世の中はよくならない。

 世の中は、もっと広大で、複雑で、多岐にわたっている。

 単純な教えに妄信してさえいれば、どうにかなるものではない。

 問題の根本も見出せず、集団に埋没し、どこかの誰かのわがままを満たすための尖兵になっている事実に、みなが本当は気がついているのに気がつかないフリをしている。


 …そんなもののために、君の想いが踏みにじられるのは、なんだか、とても許せなく感じるのです。

 Fさん。僕のこの感覚は間違っているだろうか?いつか、君自身がどう感じるのか、教えてもらえたらうれしい。真実に気づく以前の当時、自分にはFさんと親しくする資格が無いと思っていた。こんなにしてもらっていいのだろうか?といつも思った。君に疑問をぶつけると、そんな事無いよと君が答えてくれる。

 あれは…、幸せな瞬間だった。そんな記憶、確かにある。

 

 手を2人合わせると、同じ大きさだったのに驚いた。君がなんとなくドキドキしていたのを覚えている。

 手を合わせるという行為は、手をつなぐ以上に非日常な感じがする。

 君は、あのときの事覚えているだろうか?時々、自分の手を広げて、同じ大きさの手を持つ女の子の事を思い出す。幸せな記憶は確かに今もここにある。


 そう、思うことがあります。


 顔に触れた事、覚えているかな…?あれは幸せな記憶だ。

 君の記憶では、どんな風になっているのだろう。

 ただ、ほほを触るだけなのに、なんだか、物凄く幸せに感じた。

 僕は笑顔の君が大好きだ。笑顔で無い君も大好きだけど、やはり笑顔の方がよりいい。


 大切な“なにか”があるなら、それは重大な事です。

 世の中にはそれが無い人も事実いるのだから。 


 過去の歴史をみても、カルトが永久にカルトでいつづけた歴史はない。

 犯罪的なものは、社会との軋轢が増して、淘汰されるし。

 淘汰されないよう工夫すると、カルトでない普通の宗教へ進化する。

 “彼ら”は進化の過程かもしれない、が、今現在の実情は、間違いなくカルトであり、殺人をも肯定する犯罪集団だ。僕は脱出をとにかく君に勧めます。

 何がいけないのか?誰が悪いのか?

 脱出して距離をとってからじっくり考えればいい。

 その中にいる限り、永久に答えは出せない。


 生き方は人の自由だ。そこで過ごす事を選ぶのも、誰彼の自由。

 でも、あえていいます。

 君にだけは、そうした犯罪行為をやめてほしい。

 もし、今やめているなら、これからも継続してほしい。

 それが、過去迷惑をかけた人達へのつぐないにもつながる。

 言霊ことだまのように…どこかで、被害者の無念を晴らすことに繋がっていると思う。

(※もし、だれかにそんな事で無念が晴らせるわけないだろ!とか言われたら?ああ、悪い事してるって自覚あるのね?なら、私が辞めたい理由をもう理解している事になるわ、と言い返せばいい)


 とにかく、何が正しいのか、誰が悪いのか、どうすればいのか?

 その答えは組織内にいては永久に出ない。


 脱出が先決です。

 それらは脱出してから考えればいい。


 いつまでもそこにいてはいけません。

 なぜなら?そこは、ウソの救済話で、人の心を騙し取る“カルト集団”だからです。

 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 

 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 

 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。



 頑張って!負けないでほしい。君が頑張り続けられるなら、僕も頑張り続けられます。

 奇跡を信じて。負けないで!


 ズルをして当たり前と思い込んでいる人がいたら、こう言ってやってください。

「そうよね、そういうの凄くにあってる。残念なくらいに」と。

 これで怒る人がいたら?こういえば言い。

「恥ずかしいと感じるなら、やめればいいのに。でも、あなたは続けるんでしょ?本当に残念ね」と。

 そして、最後にこう付け加えてほしい。

「私は貴方と違って間違いに気づいたの、だからもう、それは関係ないわ。ズルしたいときはもう私を巻き込まないで、プライドがあるなら」と。

 

 それでもカルトはあきらめないかもしれない。その場合は?

「そういう所が、カルトなのよ」

 と言い返せばいいと思う。


-----------------------------------------------------

※君は猛烈な恥ずかしがり屋だ。

 もし、僕がイタ車に乗って現れたら、恥ずかしがるだろう。

 大丈夫、そういう趣味はないので安心して。

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〔2月28日(月)曜日「こんなニュースを見た。」〕

 市民ランナーが国際舞台へ…

 そんなニュースをみた。

 記事はこんな感じに書いている。

 過去、陸上をやっていたが成績はふるわず、実績はゼロだと。


 素養はあるのに開花せず、それでも諦めず頑張った人が成功するのは、見ていて清清しい。

 何事も諦めたら終わりだよなと感じさせてくれる。

 こういう感覚は“彼ら”の世界では否定されるのだろうか?

 何しろ悪意が世界を支配していると思っているらしいから。


 こんな事を思い出す。

 これが偶然だったのか?そうでないのか?

 Fさんも一緒に考えてほしい。

 東京で彼らの攻撃が最高潮に達していた時期。

 感覚で表現するなら、目に見える人という人、建物、車、目に見える全てが一斉に襲ってき続けるような感覚。(←まだ“彼ら”的行動に参加した事が無い人は、たぶん信じられないのだと思うけど、事実です、ウソではありません)


 そんな時期の事、逃げればいいのに、仕事をしていた。Fさん、普通に生活をしてこその勝利です。もし「逃げろ」といわれなければ今でも東京にいたかもしれない…。

 レジで仕事をしていたら、床にごみが。

 当然、本屋の店員としては、それを拾う。

 でもみるとゴミではないみたい。

 1センチ四方の紙で、二つ折りになっている。メモにしては小さすぎるが中に、印刷された文字が2文字書いてある。

 その文字は、残忍な犯行をした少年がつかっていた自称を書いたものだった。

 少年の方は見かけをかっこつけるためわざわざ四文字の当て字を使っていたと報道されている。

 そのメモには、当て字で無い正しい漢字で、二文字。印刷されていた。

 まるで、大きな紙にプリントアウトし、その二文字だけ切り取ったような紙片だ。

 仮に“彼ら”でないと「仮定」するなら、この紙片を作った人物の目的はなんだろう?

 まったく思いつかない。

 でも“彼ら”なら?特定の人物に暗示をかける目的で作るのは、容易にイメージできる。


 強烈なプレッシャーを受け続ける精神状態下で、こういうものを見せられると、やれって事か?と感じてキレてしまう人もいるだろう。幸い僕はこの程度ではキレない。あえて感じのわるい言い方をするけど、“彼ら”とは「こころ出来でき」が違うからだ。あんな心のやわな連中とは違う。そう思ったものだ。真実に気がついてから、君の気持ちの真意に圧倒されそれど頃ではなかった。


 人は自分の尺度で相手を見がちだ。

 キレやすい人は、相手もキレやすいと感じるのだろう…。

 そちらの世界、キレやすい人多くない?特に立場が偉い人ほど。

 そういう経験、東京で感じた。

 君もそうなるようにされたかもしれない。特に気分屋気質を利用されると、キレやすい感情になるよう暗示されやすい。

 大丈夫、心配しなくていい。僕は君の気分屋な資質を知っている。僕自身も気分屋な部分はある、おなじ気分屋どうし、波長は合うように感じます。(これは個人的な感想、僕が気分屋なのは絵にも表れる。その時の気分で画力がまったく変ってくる…、でもこれは訓練で克服できるもの。初めて描くものについては無理だけど、過去に何度か描いたものなら、気分に左右されず同じ画力で描く事ができる。これは性格面でも同じだと思う。自分の欠点をみとめ、克服する努力があれば、前へ進めると思う。何度か書いたけど、僕がキレないのには理由がある。それはあの夏に日の想い出に起因している。覚えているかな?2人キスした後、車が来て、君は場所を変えようと提案、近くの長い階段のある神社(お寺?)に誘った。あの長い階段に2人腰掛けていると、奇妙な母子づれがきて、僕らより下の段に腰掛ける。今にして思えば、非常に彼ら的な行動だ。僕は言った「場所をかえよう」と。そうしたら君が言ったのだ「どくのは向こうよ」と。僕はあの日君のあの姿に感動し、理不尽な状況も逃げずに立ち向かおうと決意した。実際そういう状況になった時は、いつもあの時の君の姿が思い浮かんだ。特に大学を卒業したあとなど、そう思うことが多くなった。僕が大学を出た頃…君はどこでどうしていたんだろう。いつか、2人で笑顔で空白の時間について語り合えたら幸せです。Fさんはどう思う?)



 僕は18年前の君の謎の言動の真実を理解したい衝動をずっと持っていた。

 あの笑顔の意味を知りたくて努力した。

 生まれつきの鈍感さはあいかわらずだけど、努力して得たものは、確かに君の心に繋がったと感じた。


 心のなかの“それ”を大事にして、追求するのは、人として正しい行為だと僕は感じる。

 もし、君も同じような感覚を抱いてくれるなら嬉しいです。いつか、どう思うのか聞かせてください。

 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 君の名前の最初の1文字は「真実を見て(知り)理解する者」と言う意味がある。

 名づけた方の意思に反しようが、真実を見極めてもいいと思う。

 なぜなら、その名前の字をこの世に送り出した人々は、名づけた人よりも遥か昔にいた人々で、過去存在した多くの人々の想いがその名の意味を支えている。君の名の1文字は歴史を重ねて作りあがっています。そして、その1字の意味の通り生きていいのだと思う。


 君は価値ある人物です。僕に大切なものをくれた。


“彼ら”は歪んだ尺度で人を見ることを強要する。

 そうした体質の元では、最初に書いた市民ランナー入賞のニュースは、どう映るのだろう?

 そんな事、急に思った。



 過去の歴史をみても、カルトが永久にカルトでいつづけた歴史はない。

 犯罪的なものは、社会との軋轢が増して、淘汰されるし。

 淘汰されないよう工夫すると、カルトでない普通の宗教へ進化する。

 “彼ら”は進化の過程かもしれない、が、今現在の実情は、間違いなくカルトであり、殺人をも肯定する犯罪集団だ。僕は脱出をとにかく君に勧めます。何がいけないのか?誰が悪いのか?

 脱出して距離をとってからじっくり考えればいい。

 その中にいる限り、永久に答えは出せないから。


 世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです。

 手が出せば届くような単純なものではない。

 単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。

 物事は単純ではない、なにかしらバイアスがあり、それらが絡み合い“何か”を引き起こしている。

 単純な真理1つで救われるほど、単純ではない。

 まして、意味も解らず教えを妄信すれば、世界が救われるなど、ありえない事です。


 Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!

 君の周りの人に伝えてください。

 「わかろうとしないのは目の前しか見ていないからよ」と。

 「教えが正しいとか間違ってるとか、そういう問題じゃないのよ!」と。

 「それもの凄い犯罪なのよ!わたしそれに気づいたの、もう戻れないわ」と。

 彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。

 それが証拠に、彼らは彼ら自身の行いで、ドンドン日本を荒廃させている。


 「いいわけ」と「ごまかし」の果てにある「悪意の集約」が何を引き起こすのか?

 冷静に考えれば、わかることです。


 これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。

 教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。

 “質”が問われているのです。そう伝えてください。

 君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。

 君は自分で思っている以上に強い人です。

 

 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 生き方は人の自由だ。そこで過ごす事を選ぶのも、誰彼の自由。

 でも、あえていいます。君にだけは、そうした犯罪行為をやめてほしい。

 もし、今やめているなら、これからも継続してほしい。

 それが、過去迷惑をかけた人達へのつぐないにもつながる。

 言霊ことだまのように…どこかで、被害者の無念を晴らすことに繋がっていると思う。

(※もし、だれかにそんな事で無念が晴らせるわけないだろ!とか言われたら?ああ、悪い事してるって自覚あるのね?なら、私が辞めたい理由をもう理解している事になるわ、と言い返せばいい)


 とにかく、何が正しいのか、誰が悪いのか、どうすればいのか?

 その答えは組織内にいては永久に出ない。


 脱出が先決です。

 それらは脱出してから考えればいい。


 いつまでもそこにいてはいけません。

 なぜなら?そこは、ウソの救済話で、人の心を騙し取る“カルト集団”だからです。

 

 頑張って!負けないでほしい。

 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 

 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 君が頑張り続けられるなら、僕も頑張り続けられます。

 “彼ら”のなかの悪意の集約は、忘れた頃にやってくる。

 油断していると、付け入られるから、気をつけて!

 気をつけてさえいれば、大丈夫です。君ならやれます。

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〔3月1日(火)曜日「いつか未来の落ち着ける日々を信じて。」〕


 彼らは“恐怖”を使って集団を統率する。

 恐怖は喚起しやすく、またコントロールもしやすいからだ。逆に、恐怖以外の感情は予測も難しく、コントロールもしにくい。


 しかし、人間の生活において恐怖以外の感情は非常に重要な要素だ。これらの事柄が、何を意味するのか、考えてほしい。エゴこそこの世の真実と考える人に、現在アラブで起きている民主化運動など、理解できない事なのだろう。



 もし「前代未聞だ!!」と言われたら?

 こう言い返せばいい。


 「へー、じゃあ、前例さえあればどんな犯罪行為もやっていいんだ」

 と。


 「ああ、そうだ」

 と凄まれたら?


 「そういうカルトっぽいところ、嫌で辞めたいんです。辞めるの自由だってひょっとして知らないんですか?」

 と言えばいい。もしくは…

 「そういうカルトっぽいところ、嫌で辞めたいんです。まるで本当のカルトじゃないですか」

 みたいな言い方も出来る。


 「ただで済むとおもうな」

 と言われたら?


 「知ってます?口で脅すだけでも“脅迫”の現行犯だって」

 みたいな言い方もいいかも。


「裏切りは許せない」

 と言われたら?

 「すごく、カルトにお似合いのセリフよね、それ」

 と言えばいい。

 「カルトじゃない!」

 と言われたら?

 「そのセリフがどこかのカルトに似合ってるって言っただけで、あなたがカルトと言ったわけじゃない。それとも…そうなの?」

 ととぼけてみても、いいかもしれない。



 そういえばこんな事も思う…

 はたしてこれが僕の思い込みか?否か?

 その答えを知るのは、この世で君のみです。

 なぜなら、2人だけの共有している記憶の話だから。


 別れ際、いつもほとんど、さよなら、と君は「言わなかった」気がする。僕の気のせいかな…、どうだっただろう。ほとんど聞いた記憶がない。君から聞いた別れ際の言葉で、一番印象に残っているのは「もう、行かなきゃ…」という言葉ばかりだ。


 僕は何度も書いた、いつか必ずもう一度会いたい。

 会って気持ちを確かめたい、と。

 もちろん、僕の望みとは逆の結果も充分予測できる。

 それでも。


 これは、賭けです。一世一代の。


 何度も書いたけど、こちらからは動けない、その理由も何度も記述した。だからとにかく、待とうと決めた。今は何かしら君の都合が悪いだけだと。

 それでいいよね。


 覚えているかな?

 君が入院する…といったときの事。僕はお見舞いに行くよ、と言ったが、君は断固拒否した。嫌われていると思った。

 でもあれは…、たぶん“彼ら”の合宿かセミナーに参加するためだったのでは?と今は感じている。もしそうなら、当時、君はたった1人で戦っていた事になる。

 僕は、小さな女に子にそんな事を強いる人達が許せません。

 君はどう思うのかな…、事情が複雑なのだとは思う。それでも、いつか答えが聞きたい。


 いつか未来の落ち着ける日々を信じて。


 真実に気づく以前の当時、自分にはFさんと親しくする資格が無いと思っていた。

 こんなにしてもらっていいのだろうか?といつも思った。

 君に疑問をぶつけると、そんな事無いよと君が答えてくれる。

 あれは…、幸せな瞬間だった。


 そんな記憶、確かにある。

 

 手を2人合わせると、同じ大きさだったのに驚いた。

 君がなんとなくドキドキしていたのを覚えている。

 手を合わせるという行為は、手をつなぐ以上に非日常な感じがする。

 君は、あのときの事覚えているだろうか?

 時々、自分の手を広げて、同じ大きさの手を持つ女の子の事を思い出す。

 幸せな記憶は確かに今もここにある。


 そう、思うことがあります。


 顔に触れた事、覚えているかな…?

 あれは幸せな記憶だ。

 君の記憶では、どんな風になっているのだろう。

 ただ、ほほを触るだけなのに、なんだか、物凄く幸せに感じた。

 僕は笑顔の君が大好きだ。笑顔で無い君も大好きだけど、やはり笑顔の方がよりいい。


 大切な“なにか”があるなら、それは重大な事です。

 世の中にはそれが無い人も事実いるのだから。 


 生き方は人の自由だ。そこで過ごす事を選ぶのも、誰彼の自由。

 でも、あえていいます。

 君にだけは、そうした犯罪行為をやめてほしい。

 もし、今やめているなら、これからも継続してほしい。

 それが、過去迷惑をかけた人達へのつぐないにもつながる。

 言霊ことだまのように…どこかで、被害者の無念を晴らすことに繋がっていると思う。

(※もし、だれかにそんな事で無念が晴らせるわけないだろ!とか言われたら?ああ、悪い事してるって自覚あるのね?なら、私が辞めたい理由をもう理解している事になるわ、と言い返せばいい)


 とにかく、何が正しいのか、誰が悪いのか、どうすればいのか?

 その答えは組織内にいては永久に出ない。


 脱出が先決です。

 それらは脱出してから考えればいい。


 いつまでもそこにいてはいけません。

 なぜなら?そこは、ウソの救済話で、人の心を騙し取る“カルト集団”だからです。

 

 世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです。

 手が出せば届くような単純なものではない。

 単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。

 物事は単純ではない、なにかしらバイアスがあり、それらが絡み合い“何か”を引き起こしている。

 単純な真理1つで救われるほど、単純ではない。

 まして、意味も解らず教えを妄信すれば、世界が救われるなど、ありえない事です。


 Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!

 君の周りの人に伝えてください。

 「わかろうとしないのは目の前しか見ていないからよ」と。

 「教えが正しいとか間違ってるとか、そういう問題じゃないのよ!」と。

 「それもの凄い犯罪なのよ!わたしそれに気づいたの、もう戻れないわ」と。

 彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。

 それが証拠に、彼らは彼ら自身の行いで、ドンドン日本を荒廃させている。


 「いいわけ」と「ごまかし」の果てにある「悪意の集約」が何を引き起こすのか?

 冷静に考えれば、わかることです。


 これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。

 教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。

 “質”が問われているのです。そう伝えてください。

 君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。

 君は自分で思っている以上に強い人です。


 …君に読んで欲しい本があります。

 日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 

 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 

 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。


 いつか未来の落ち着ける日々を信じて。

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〔3月2日(水)曜日「暗示をとる事は可能です。「自分の心の支配権」は、本来、自分自身にあるのだと、思い出せばいいだけなのだから。」〕


 Fさん、暗示をとる(はずす)事は可能だと思いませんか?


 多くのメンバーが、普段はちゃんとした事言うのに、組織がらみの出来事になると、まるで“暗示”にかかったようにスイッチが切り替わる。殺人をも肯定する犯罪集団の思想を平気で口にできるのだ。例えば?「死ぬまで追い詰める」とか。…その姿そのものが、“暗示”にかかっている証明だと思う。

 



 流れに身を任せることは「けっして」悪い事ではない。

 しかし、それと犯罪行為は「別問題」だ。


 個人個人はまともな人なのに、まるで“暗示”にかかったようにスイッチが切り替わり、

 「流れに身を任せる=犯罪も皆と一緒に平気でやる」

 …というとんでもない判断をしてしまう。

 この簡単な間違いを、脳が整理できなくなるほど、皆、強力な暗示にかかっているのだと思う。


 暗示をとる事は可能です。時間はかかるけど。

「自分の心の支配権」は、本来、自分自身にあるのだと、思い出せばいいだけなのだから。


 仮にとれなくとも(はずせなくとも)、自分が暗示にかかっている事実に気がつけば、命令を拒絶することもできる。


 

 暗示の怖いところは、自分が暗示にかかっているという自覚がない点です。


 

 彼らは“恐怖”を使って集団を統率する。

 恐怖は喚起しやすく、またコントロールもしやすいからだ。

 逆に、恐怖以外の感情は予測も難しく、コントロールもしにくい。


 しかし、人間の生活において恐怖以外の感情は非常に重要な要素だ。


 これらの事柄が、何を意味するのか、考えてほしい。

 繰り返し書きます、かけられた“暗示”を自分の手で解く事は可能なのです。

「自分の心の支配権」は、本来、自分自身にあるのだと、思い出せばいいだけなのだから。



 逆境をものともせずに奮闘するのを、「雑草魂ざっそうだましい」などと呼んだりする。

 ある野球選手の座右の銘と記憶している。

 こんな事も思う、かつての彼らは雑草魂ざっそうだましいの塊だった。

 社会的に認められがたい地位の人々が一丸となり、社会の理不尽と戦ったのだ。

 一丸となる際、暗示はさぞかし効果のあったことと思う。


 だが?雑草魂ざっそうだましいをなくした雑草ざっそうがどうなるのか?


 これは言葉遊びにすぎない。

 でも笑って一蹴できるほどの余裕がそちらの世界に人々にあるのだろうか?

 理不尽をふりまく彼らの現状を表すのには、この言葉遊び、言いえて妙とも、言えなくも無い。


 人の事を雑草呼ばわりするな!という人がいたら?

 雑草に失礼だと思う。自分の事を胡蝶蘭こちょうらんだとでも本気で思っているのだろうか?


 “彼ら”は身の丈以上のプライドをメンバーに与えようとする。

 でも事実、身の丈に会ってないので、プライドを維持するためには他人を貶め続けないといけなくなる。自分を高めず、他人を貶める行為が“メンバー”の心を心酔させる媚薬となり、悪魔の行為に身をゆだねる結果を導き出すのだろうか?

 

 過去の歴史をみても、カルトが永久にカルトでいつづけた歴史はない。

 犯罪的なものは、社会との軋轢が増して、淘汰されるし。

 淘汰されないよう工夫すると、カルトでない普通の宗教へ進化する。

 “彼ら”は進化の過程かもしれない、が、今現在の実情は、間違いなくカルトであり、殺人をも肯定する犯罪集団だ。僕は脱出をとにかく君に勧めます。

 何がいけないのか?誰が悪いのか?

 脱出して距離をとってからじっくり考えればいい。

 その中にいる限り、永久に答えは出せないから。


 Fさん、いろいろ言われると思う。けど、がんばって。負けないで欲しい。

 「狭量な人達」が「押し付けてくる」“勝手なイメージ”なんか跳ね除けて!

 自分の心を取り戻すべきです。

 「心が狭くなると人の命まで軽くおもえるようになるのよ!」と言ってやってください。


 真実に気づく以前の当時、自分にはFさんと親しくする資格が無いと思っていた。

 こんなにしてもらっていいのだろうか?といつも思った。

 君に疑問をぶつけると、そんな事無いよと君が答えてくれる。

 あれは…、幸せな瞬間だった。


 そんな記憶、確かにある。

 

 手を2人合わせると、同じ大きさだったのに驚いた。

 君がなんとなくドキドキしていたのを覚えている。

 手を合わせるという行為は、手をつなぐ以上に非日常な感じがする。

 君は、あのときの事覚えているだろうか?

 時々、自分の手を広げて、同じ大きさの手を持つ女の子の事を思い出す。

 幸せな記憶は確かに今もここにある。


 そう、思うことがあります。


 顔に触れた事、覚えているかな…?

 あれは幸せな記憶だ。

 君の記憶では、どんな風になっているのだろう。

 ただ、ほほを触るだけなのに、なんだか、物凄く幸せに感じた。

 僕は笑顔の君が大好きだ。笑顔で無い君も大好きだけど、やはり笑顔の方がよりいい。


 大切な“なにか”があるなら、それは重大な事です。

 世の中にはそれが無い人も事実いるのだから。 


 今はつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。

 いろいろあると思う。けど、がんばって。負けないで欲しい!


 多分君の周りには悪意なく“そういう事”が出来る人がたくさんたくさんいると思う。

 それは悪意があるのではなく、心が内向きになっていて、外に向いていないからだと思う。

 心が外向きになれば、人として持つ“当たり前の感情”が戻ってきます。

 そう、周りの人に言ってやってください。(暗示はかならずとれます!)


 …生き方は人の自由だ。そこで過ごす事を選ぶのも、誰彼の自由。

 でも、あえていいます。

 君にだけは、そうした犯罪行為をやめてほしい。

 もし、今やめているなら、これからも継続してほしい。

 それが、過去迷惑をかけた人達へのつぐないにもつながる。

 言霊ことだまのように…どこかで、被害者の無念を晴らすことに繋がっていると思う。

(※もし、だれかにそんな事で無念が晴らせるわけないだろ!とか言われたら?ああ、悪い事してるって自覚あるのね?なら、私が辞めたい理由をもう理解している事になるわ、と言い返せばいい)


 とにかく、何が正しいのか、誰が悪いのか、どうすればいのか?

 その答えは組織内にいては永久に出ない。


 脱出が先決です。

 それら(=何が正しいのか、誰が悪いのか、どうすればいのか?)は脱出してから考えればいい。そう思います。



 いつまでもそこにいてはいけません。

 なぜならそこは、ウソの救済話で、人の心を騙し取る“カルト集団”だからです。

 繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。

 

 世の中は常に動いている。様々なバイアスの元に。

 しかし、2000年間という長い目でみれば、おおよそ世の中は、悪意よりも善意が勝る結果の歴史を積み重ねてきたように思う。世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです。

 手が出せば届くような単純なものではない。

 単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。

 物事は単純ではない、なにかしらバイアスがあり、それらが絡み合い“何か”を引き起こしている。

 単純な真理1つで救われるほど、単純ではない。

 まして、意味も解らず教えを妄信すれば、世界が救われるなど、ありえない事です。


 Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!

 君の周りの人に伝えてください。

 「わかろうとしないのは目の前しか見ていないからよ」と。

 「教えが正しいとか間違ってるとか、そういう問題じゃないのよ!」と。

 「それもの凄い犯罪なのよ!わたしそれに気づいたの、もう戻れないわ」と。

 彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。

 それが証拠に、彼らは彼ら自身の行いで、ドンドン日本を荒廃させている。


 「いいわけ」と「ごまかし」の果てにある「悪意の集約」が何を引き起こすのか?

 冷静に考えれば、わかることです。


 これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。

 教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。

 “質”が問われているのです。そう伝えてください。

 君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。

 君は自分で思っている以上に強い人です。


 君に読んで欲しい本があります。日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 

 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 

 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。


 君が頑張り続けられるなら、僕も頑張り続けられます。

 奇跡を信じて。負けないで!

 いつか未来の落ち着ける日々を信じて。

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〔3月3日(木)曜日「機会に恵まれなくとも、あきらめず工夫を繰り返せば、活路がどこかにあるように感じる。」〕


 かたにハマリながらも、自分を貫く人物というのには、なにか好感を覚える時がある。

 「アンリ・ルソー(1844年-1910年)」もその1人だ。


 僕がこの人の事を最初に知ったのは…、多分浪人時代のことと思う。

 当時1浪していた。大学入学前、高校卒業後だ。

 まだ、この頃、君は諦めてなかったように感じる。

 どうだったのだろう…。

 近くの本屋で冊子を買った。

 よくある週刊百科事典みたいなやつ。

 今ならアシェット画報社がよく出していたりするあれ。

 え?よく判らない?

 週刊で1冊発売される冊子で、シリーズで全部あつめると百科事典のようになるやつ。

 よくTVで宣伝していると思う。


 当時近所に美術系の特集を毎週出していた週刊百科のバックナンバーがたくさんストックされていて、お気に入りの画家の特集号を買いあさっていた。

 「ルノアール」「マティス」「ピカソ」「シャガール」…そうした画家たちの特集がされる中、1人異彩を放っているのが「アンリ・ルソー」だ。


 彼はプロではない。

 元税関職員の年金生活者だ。

 1度もまともな訓練を受けた事はなく、絵はすべて独学、と記憶している。


 絵を描くときは「パース」と呼ばれるテクニックを通常使う。

 遠近法の基礎技術だ。

 空間認識能力を理屈で解明した画期的描写法と理解している。

 多少、絵が下手でも、この「パース」さえ正確に描けていれば、上手い絵に見えるのだ。

 線は震えてでたらめなのに、なんだか全体を見ると上手く感じる絵とか、たまにあるけど、そういう理由で上手く見えるのだと思う。

 一点透視法、二点透視法、三点透視法とマスターしていくと、立体的な構図の絵が、かけるようになる。

 正直、なぜこれを学校の美術で教えないのか理解に苦しみます。

 全国の絵がかけなくて困っている人の半分位は、苦手を克服できると思う。


 絵に限らず、スポーツでも、ランニングフォームをちゃんと教えれば劇的にスピードが上がる事はあり、走るのが苦手な人間の半分は救われるように思う。

 いい先生にめぐり合わないと、自力で何とかしないといけないわけで…。


 「アンリ・ルソー」もひょっとしていい先生や指導者にめぐり合わなかった1人かもしれない。

 彼は手本となる人物がいなかったがためだろうか?毎日美術館に通っては、名画を眺めていたと聞く。

 彼は「パース」が出来ていないというか、苦手だと思う。

 彼の絵をみると、近くのものを大きく、遠くのものを小さく描くという一番簡単な遠近法に終始していて、複雑な構図をさける傾向にあるように感じる。

 それが故、ジャングル画のように、「パース」のテクニックを用いずにかけるモチーフを好んでいる。

 察するに、彼は絵が下手なのだ。


 しかしその技術の無さが気にならないほどの、圧倒的な表現力で人を魅了し、2011年現在でも、名画の巨匠の地位を手にしている。

 技術はないが、迫力ある魅力があるため、彼の事を一般に「素朴派」と呼ぶらしい。



 環境は人の人生を左右する。

 若くして大舞台にたつ人は、早くからいい先生、いい指導者に恵まれ、本人の才能もあいまって、実力が開花する。

 

 正直、昔はすごい不公平だと思った。

 だけど、ないものをいちいち悔いていては、なにも始まらない。

 以前この小説に僕は自分の経験則として、こんな事を書いたと思う。

「ないなら、ない、なりに工夫する」


 そう!Fさん。ないなら、ないなりに、工夫すればいいのです。

 いい指導者にめぐりあえなかった「アンリ・ルソー」は美術館に通う事で、絵を勉強しました。

 「パース」の技術が低い「アンリ・ルソー」は、ジャングル画をメインモチーフに選ぶ事で、欠点をカバーしました。

 若い頃、絵を描ける環境になかった「アンリ・ルソー」は税関に勤め、歳をとり退職してから、絵に打ち込みました。

「ないなら、ない、なりに工夫する」

 そういう事なのだと、僕には感じられてしまうのです。


 機会に恵まれなくとも、あきらめず工夫を繰り返せば、活路がどこかにあるように感じる。


 今でも“彼ら”とおぼしき人はくる。

 たぶん、連中はあきらめてない。

 終わりのない戦いだという事は承知している。

 …これは、僕のわがまま。一緒に戦ってほしい。


 機会に恵まれなくとも、あきらめず工夫を繰り返せば、活路がどこかにあるように感じる。

 事実僕は今でも生きている、普通に。なんの問題もない。その事実が、真実の一端を証明している。

 静かな戦いは消えることないだろうが、落ち着ける日々はたしかにあるのです。

 いつか未来の落ち着ける日々を信じていいです。保障します。


 初めての印象とういうのは忘れないものです。わくわくして、楽しくて、面白い。

 周りの人に、機会があったら伝えてください。最初の印象って忘れないものだと。

 違いを楽しんだり、同じと思う事を嬉しく思ったり、何もかも新鮮で彩りに満ちている。

 僕には、あたらしい世界を共に歩みたいと思う人がいます。君はどう思いますか?


 真実に気づく以前の当時、自分にはFさんと親しくする資格が無いと思っていた。

 こんなにしてもらっていいのだろうか?といつも思った。

 君に疑問をぶつけると、そんな事無いよと君が答えてくれる。

 あれは…、幸せな瞬間だった。


 そんな記憶、確かにある。

 

 手を2人合わせると、同じ大きさだったのに驚いた。

 君がなんとなくドキドキしていたのを覚えている。

 手を合わせるという行為は、手をつなぐ以上に非日常な感じがする。

 君は、あのときの事覚えているだろうか?

 時々、自分の手を広げて、同じ大きさの手を持つ女の子の事を思い出す。

 幸せな記憶は確かに今もここにある。


 そう、思うことがあります。


 顔に触れた事、覚えているかな…?

 あれは幸せな記憶だ。

 君の記憶では、どんな風になっているのだろう。

 ただ、ほほを触るだけなのに、なんだか、物凄く幸せに感じた。

 僕は笑顔の君が大好きだ。笑顔で無い君も大好きだけど、やはり笑顔の方がよりいい。


 大切な“なにか”があるなら、それは重大な事です。

 世の中にはそれが無い人も事実いるのだから。 


 生き方は人の自由だ。そこで過ごす事を選ぶのも、誰彼の自由。

 でも、あえていいます。

 君にだけは、そうした犯罪行為をやめてほしい。

 もし、今やめているなら、これからも継続してほしい。

 それが、過去迷惑をかけた人達へのつぐないにもつながる。

 言霊ことだまのように…どこかで、被害者の無念を晴らすことに繋がっていると思う。

(※もし、だれかにそんな事で無念が晴らせるわけないだろ!とか言われたら?ああ、悪い事してるって自覚あるのね?なら、私が辞めたい理由をもう理解している事になるわ、と言い返せばいい)


 とにかく、何が正しいのか、誰が悪いのか、どうすればいのか?

 その答えは組織内にいては永久に出ない。


 脱出が先決です。

 それらは脱出してから考えればいい。


 いつまでもそこにいてはいけません。

 なぜなら?そこは、ウソの救済話で、人の心を騙し取る“カルト集団”だからです。

 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 

 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。

 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 

「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 他人を恨んだり、自分を責めたりしないで。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!優しさを否定せず、それでいて毅然とした態度で自分を主張してほしい。

 

 真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。

 勇気を君に。



 負けるな!頑張れ!

 忘却の強要こそ“彼ら”のオハコだ!気をつけて!

 新手が次から次に来るだろうけど、それはこちらも同じです。

 君が頑張り続けられるなら、僕も同じです。

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(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)


〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください

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