第34話 君は何もわるくない(Fさんへ伝えたい話その1)
〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください
(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)
〔12月5日(日)曜日〕
なんか最近グダグダな感じの内容なので、話題を変えます。
昔考えた「漫画の没ネタ」なんて書くのはどーだろう?などと思った。
書けば、気がつかない可能性の気がつくかもしれない…
ぱっと考えて思いつく「没ネタ」は、「昭和の妖怪「岸」ネタ」だ。
岸信弘元総理大臣を知っているだろうか?
安部元総理のおじいさんだったと思う。
たしか60年安保の時代の総理だと思った。
岸さんは戦犯として捕まっていた経緯がある。
第2次大戦中は中国大陸で、スパイ機関に関係した仕事をしていたらしい。
その関係で、終戦後、戦争犯罪人として収監されていた。
この時、ある噂がある。
米軍と取引し、釈放されたという噂だ。
現に当時の米軍は情報と引き換えに戦争犯罪を問わない「司法取引」をよく行った。
「司法取引」自体は悪いものとは思わないが、その時の関係で、米軍との太いパイプができ、強いてはその関係を駆使して政治家として成功したのでは?などと揶揄されている。
そんな彼に当時の人々は「昭和の妖怪「岸」」というニックネームをつけた。得体の知れない部分があったと感じたのだろうか?
当時の世相がわからないので、断言できないが、研究対象にするには面白そうな課題だ。
戦後復興期の日本を研究する切り口としてはなかなか面白い。
で、僕はこう思った訳だ。以上の状況を漫画で描きたい。
戦後日本の復興期のごたごたを漫画にしたい。
でも、ただそのまま漫画にしたら、単なる歴史ものにすぎない。なにか子供っぽいギミックを盛り込みたい。
で、思った。本物の「岸」は収監中に亡くなっていて、「妖怪」が彼に成りすまし、その後の日本を引っ掻き回すという話はどーだろう!と。
(幻魔大戦みたい…と今は思わなくも無い。当時は幻魔大戦の存在を知らなかった。)
…ここまで考えて、壁にぶつかる。
話が「壮大」すぎる。
いまだお蔵入りしたネタです。
現実の歴史において、岸総理は日本の防衛を考えた人物だ。
彼は最終的には憲法を改定して、再武装すべきと考えていたらしい。
しかし、日米安保改定で安保闘争が勃発。首都東京はデモ隊で大混乱になる。
平和憲法の日本に軍隊はいらないという世論も強く、とても再武装さど言い出せない世相だった。
やむなく日米同盟維持をなしとげた後、責任をとり辞任。
再武装は後の政治に委ねる決断をする。
彼の意思を継いだ「中曽根総理」はタカ派として防衛費増額を目指した。
そしてその意思は「安部総理」に引き継がれ、憲法改正に必要な「国民投票法」が成立する。
時代の意思は引き継がれ、動いているわけです。
日本が「平和憲法」を改定する日は来るのでしょうか?
僕はまだ「平和憲法」には使い道がたくさんあるので、もったいないと思っている。
例えば中国国民は日本の「平和憲法」の存在をほとんど知らない。
もし、その精神を宣伝できたら、どうなるのだろう?
そう思うからだ。
でも、日本国内で、平和に対する哲学が確立していない。
確立していない精神を人に教えるのは弱すぎる…。
「哲学」が必要なんだと思う。
フランスでは高校でも哲学は必須科目だという。
哲学をちゃんと学んでいるから、判断の難しい局面でも、自分なりの答えを出せるのだと思う。
「しかたがない」では終わらせず、ちゃんと自分の考えた結論を出すのだ。
そういうのFさんはどう思う?
いいな…と少しでも感じてくれたら嬉しいです。
“彼ら”の世界に哲学は存在しない。
あるのは、「ごまかし」や「まやかし」ばかりだ。
矛盾があっても信心が足りないで消し去ってしまう…。
そこに「哲学」は感じられない。
仏教は本来「生きるための」哲学の集大成だ。
しかし、彼らはこれを単なる「マニュアル」にまでおとしめている。
それが証拠に“「こう」書いてあるのだから、仕方が無い”と言う人。多いと思う。
「なぜ」そういう教えが出来たのかまで考えず、「マニュアル」として丸暗記しているだけなのだ。
それが本来の仏教のあるべき姿で無い事は明白だ。
「彼らの例のあの行動」も「仏法」に完全に違反している。
「仏法」を破る事も時としていいのだ!と仏法に書いてあると言う人もいるらしいが、どこの何ページにかいてあるのか?ぜひ質問してほしい。即答できる人間の数をカウントしてほしい。即答する人間もいるかもしれないが、それが本当にまちがってないかも確認してほしい。どこまでが「まやかし」で、どこまでが「まやかし」でないのかしっかり見極めてほしい。心からそう君につたえます。
僕は今、賭けをしています。
答えはわかりません、とにかく待とうと思う。
今は君の都合が悪いだけだ、受け入れられるにしろ、違うにしろ、なにかしらケリをつけに君は現れる。そう信じます。君は、僕が真実に気がついたという事実をもし知ったなら、その事実を重く受け止めるはずだ。そう思った。
何に賭けているのかと言うと、君が僕に「告白」するかどうかという事にだ。
“彼ら”は決して正体を明かさない…(「告白」しない)、どんなに親しくなろうとも、絶対に。君ははたしてどうだろう…?
18年前、君は「告白」一歩手前まで来ていた。先輩の正体を明かすという行為は、あとちょっと踏み込めば自分の正体も明かしかねない行為だ、今にして思うとそう思う。
僕は賭けをしています。君が僕に「告白」するかどうかと。
そこが、大きなターニングポイントになる。それは事実です。
告白された事は胸にしまうつもりでいます。
君は全て背負い込むような感覚を時々もっていたような気がする。
君は僕と別れた後“彼ら”は君に“まちがった”発見をたくさんさせたと思う。
君は自分でそれを発見したと思い込んでいるけど、それは間違いです。
そうした発見を全て背負い込む心理状態になれば“彼ら”はそこにつけ込む。
そして君の心を容易に操る事が出来る。
そうやって君を“従順”にさせるのが“彼らの(中の「そうした人達」の)常套手段”です。
“彼ら”は新興宗教のように「専用の服を作ったり、特異なオブジェを掲げたり」しない。
“彼ら”の場合はそれが“ない”かわりに「例のあの行動」があるのだと思う。
「例のあの行動」を通じてメンバーが一体感を持つのだ。その一体感が自分が騙されているという意識を麻痺させてゆく…
そうでなければ、悪人でもない人が「殺人」も「肯定」できるくらい一生懸命になれる道理がない。
普通の人間の理性をここまで麻痺させるとは異常です。
誰が考えたのが実に巧妙で優れています。効果的に人の人生を、ダメにする。
どこかの誰かの「快楽」の尖兵になっている事実に気がついてはいけないという強力な暗示に皆がかかっている。
その事実を認めたくなくなるほどに蝕むまで。
「外」からの「風」が入らないので、内部の空気はよどみ続けたままだから、そうなるのだと思う。
非常に悪質な人心掌握法になります。だから全てを背負い込んではだめです!“彼ら”はそれを狙っています!!そうやって君の心から“情熱”を失わせるのが“彼ら”の手口だ!!だから注意して!
君は“幼すぎた”。だから抵抗できなかった。
しかたがなかったんです。君は何もわるくない。
もう一度、繰り返します。
君はなにも悪くない。
世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです、
手が出せば届くような単純なものではない。
単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。
Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!
君の周りの人に伝えてください。
「わかろうとしないのは目の前しか見ていないからよ」と。
「教えが正しいとか間違ってるとか、そういう問題じゃないのよ!」と。
「それもの凄い犯罪なのよ!わたしそれに気づいたの、もう戻れないわ」と。
彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。
これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。
教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。
“質”が問われているのです。そう伝えてください。
君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。
君は自分で思っている以上に強い人です。
君は君の心を信じて良いのだと思う。
いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。
でも繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。
きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、
それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、
誰も責任取ってはくれないよ!
老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。
もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」
と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
明るい光を君に。
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〔12月6日(月)曜日〕
昨日同様、没ネタでも書こうと思う。
ある日、時代劇の構想が浮かんだ。たいしたものでない、時代劇のドラマの殺陣を見ていて、何となく浮かんだやつだ。浮かんだのは…
江戸時代の変則剣技の持ち主の話。
変則剣技の持ち主自身は強くないのだが、あまりに変則スタイルのために、技が読めず、正統派の人を次々負かしてしまう話。しかし、基本的に弱いので、太刀筋を相手に読まれてしまえばいつ負けるかわからない。そんな恐怖を感じた彼は、基礎の剣術を学ばないといけないと彼は考え、一般の道場に通うのだ。
(※NHK人間講座で数度放送された「甲野善紀さん」の古武術を見たのが最大のインスピレーションの元だった。その中で紹介された居合い術の「稲妻抜き」や、相手の防御をすり抜ける「影ぬき」はすごかった。)
道場での彼は、ドジの上にドジを重ねるような人物で、とても変則剣技の持ち主とはだれも思わない。
一方で、御前試合で、彼の変則剣技のコテンコテンに負けた一派は彼を探していた。
彼自身が強いのではなく、太刀筋がまったく読めないがゆえ勝てないのだと悟り、彼の技を研究すべく彼を追っていたのだ。
太刀筋を研究して解き明かした暁には、もう一度再試合を申し込んで、汚名を晴らそうという訳だ。
実はこの汚名を晴らしたい一派というのが、幕府の改革派であり、公式な試合で負けた事により権威が落ちて幕府内での発言権が落ちた一派なのだ。時あたかも外国がおしよせる幕末であり、大老、井伊直弼が桜田門外で亡くなった時期。幕府は徳川家を守るのか、日本を守るのかでどたばたしていた。彼らは京都の公家に自分たちの強さを示して、主導権をつかもうとしたが、名も無き一浪士の変則剣技に破れてしまい。面目がたたない状況だった。組織内では、そんなくだらない復讐を今はしている時期でないという良識ある人間もいたが、こだわる頑固者もいた。
ある日、主人公はその変則剣技を見せる羽目になる。
京都で、新撰組に囲まれて難癖をつけられた時だ。
彼は道場で親しくなった女性のために医者を呼びにいく最中だった。
一刻を争う状況で、蹴散らす以外に無かった。
素性がバレ、彼はどうなるのか?
次々に刺客が送り込まれ、彼の技は1つ1つ暴かれてゆく…
このピンチをどう切り抜けるのか?
そもそもこの変則剣技は何なのか?
彼はなぜ戦うのか?
とまあこんな感じのはなし。
もう少し何かが足りないなと思い、いまだ描いてないネタだ。
まあ、そのうちこの「変則剣技」というネタで何か書けるだろうと思いつつ、今だ出来てない状況です。他のネタにかかりきりで、苦手な時代劇は後回しになってるだけというのもある。
何しろ小説とちがい漫画の場合は絵にするから資料が大変な事になる…、描きなれない着物も厄介な代物。そんな理由もあり寝かしたままのネタだ。
ありふれた時代劇に出来なくは無い。
でも、なんかもっと可能性が探れそうな気もする。
実はこういう変則剣技は時代劇でも解説このされてないけど、よく見る。
「御家人斬九朗」では最初の数回だけだけど、主人公を腕をバツの字に組んで戦う。相手の最初の一撃さえかわせばどこからでも切りかかれる構えのような演出だ。あまり評判がよくなかったのかそのうち見られなくなった。
「桃太郎侍」だったかな…、有名な満月殺法はこの番組のものだったと思う、あれもかなり変則だ。剣を満月のように円を描かせる…、アレにより対戦相手は、主人公がどこから切りつけるか判らなくなるというやつだ。
上記2つはあくまで「演出」だが、「木枯らし紋次郎」の剣術は凄かった。ものすごく実戦にこだわっている。ストーリー上、紋次郎は侍ではなく渡世人だ。正式な剣術などつかわず、基本的にケンカ殺法になる。
市川昆監督は、この木枯らし紋次郎のケンカ殺法を演出するために、本気で斬りつけるような演出を求めている。だから時代劇では良く見る剣と剣がバチーンとぶつかる演出はされていない。実戦では本来ああいうのはあまり無いというのだ。
だから、「木枯らし紋次郎」のチャンバラシーンは他と違う。迫力はあるのだが、何回もみると地味にみえてくる…。格闘技や剣術の微妙な駆け引きは時としてシロウトには難しい…。
当時「木枯らし紋次郎」は「必殺仕事人」と激しい視聴率争いをしていたと聞く。
2つの作品を見比べると、ドラマとしては「木枯らし紋次郎」がいい出来なのだが、地味で、「必殺仕事人」はくだらないのだが、面白い。なんだかいろいろ考えさせられてしまいます。
娯楽作品を作るためには、ただまじめに作るだけではなく、「くだらなさ」も必要という事なのでしょうか?映画の世界でも、いい台本をヒットさせるためにワザとくだらなくさせる事があると聞く。いい事か悪い事かはセンスの問題なので実に難しいところだ。ハリウッドの映画もいい脚本をワザとくだらなさを加えて味付けする…。時にやりすぎて失敗もするけど。
大衆心理をつかむためには「くだらなさ」も重要。それは事実。いい意味でも悪い意味でも。
でもそれは「くだらない」部分がある方が「共感しやすい」というだけの事であり、それが世の中の真実ではないのです。
“彼ら”は「共感できる=真実」という単純な図式を強制してくる。
“彼ら”の「例のあの行動」は大人な感覚からしたら、動機は子供っぽくバカバカしい。
でも、そういうバカバカしさがまた魅力にもなっている…。
そういうバカバカしい行為は現実の世界では普通ならやらない。
まして人をさそってやらないし、家族にすすめたり、子供にさせたりしない。
もし、やる集団がいたとしたら、狂ってる。
仮にだけど、仮にもしそんな愚かな集団がいたとしたら、そんな集団は自らの行いを絶対の秘密にするだろう。とてもとても恥ずかしくて人には言えない行為だからだ。現に秘密にしている?かもしれない。いたとしたらだけど、そんな人々が。
現実はそんな単純な真理に支配されてはいない。
もっと多くの真実が取り巻き、大きなうねりとなって世界中を取り巻いている…
大衆心理をつかむためなら、何をしてもいいと考える集団がいたら、それは最悪な集団だと僕は思う。
“君”は「幼かった」。だから抵抗できなくて当然なんです。
“君”は「小さかった」。力がなかったのだから、仕方が無かったんです。
“君”は「子供だった」。抵抗できなくて当然なんです。逆らえなかったのはしかたがありません。
さげすまず、あかるく、希望をもって。
君は何も悪くない。
君は全て背負い込むような感覚を時々もっていたような気がする。
心配です…
君は僕と別れた後“彼ら”は君に“まちがった”発見をたくさんさせたと思う。
だから心配です。
君は自分でそれを発見したと思い込んでいるけど、それは間違いです。
間違いをしたとしても、君は悪くないです。僕が保障します。
そうしたそれらの発見を全て背負い込む心理状態になれば“彼ら”はそこにつけ込む。
そして君の心を容易に操る事が出来る。
そうやって君を“従順”にさせるのが“彼らの(中の「そうした人達」の)常套手段”です。
非常に悪質な人心掌握法になります。だから全てを背負い込んではだめです!“彼ら”はそれを狙っています!!そうやって君の心から“情熱”を失わせるのが“彼ら”の手口だ!!だから注意して!
大丈夫だから。安心して欲しい。
大丈夫です。
“彼ら”は君がなかなか、なびかないから。
じゃあ腹いせにこちらもずっと攻撃してやれ…と考えたのだろうか?
(そこまでくさってない?)
もし事実なら、この18年間、同じ苦難の一端を君と共有していた事になる。
それは僕にとっては(奇妙な事に)誇らしくも感じてしまう。
繋がっていたのだろうか?どうなのだろう。
だとしたら、2人の時間は断絶したわけではなく。
図らずも“彼ら”を通じてつながっていた事になる。
もしそうなら、切なくも、こそばゆい奇妙な想いになるけど…、どうなんだろう。
あくまで仮説です。いつか疑問が解ける日を夢見ます
…想像して欲しい
世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです、
手が出せば届くような単純なものではない。
単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。
Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!
君の周りの人に伝えてください。
「わかろうとしないのは目の前しか見ていないからよ」と。
「教えが正しいとか間違ってるとか、そういう問題じゃないのよ!」と。
「それもの凄い犯罪なのよ!わたしそれに気づいたの、もう戻れないわ」と。
彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。
これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。
教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。
“質”が問われているのです。
何か立ちはだかる人がいたら、そう伝えてください。
君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。
君は自分で思っている以上に強い人です。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
(読まなくてもいいです、その存在を気にかけるだけでも。その訳はこうです。真実は教えてもらったものばかりでない事を意識できるからです。その本は「可能性の象徴」です)
(周りにも一度見る事をすすめてください)
誰邪念に負けた人がいた、けど天は見放さなかった…
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、
それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、
誰も責任取ってはくれないよ!
老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。
もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」
と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
何か言われたら、こう言ってください。
「私には命をかけてくれる人がいる、この人は私を邪魔になんか決して思わない人よ」と。
「今度はあなたが人の都合を聞く番よ、さんざん他人の都合を無視してきたんだから、
文句は言わせないわよ!」と。
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〔12月7日(火)曜日〕
没ネタを書くなら、こんなものもあった。
フランスの「パリ」。
その都市の起源は9世紀だったか11世紀だったかそのあたりだったと思うけど、
元々はフランク族の1都市だった。
フランク族は自称ではない、ローマ人がつけた名だ。
だから実際には複数の民族の集合体だった可能性がある。
その特徴は、僕の理解では「フランチェスカ」という独特の武器にある。
投げ斧なのだが、直接狙い投げるのと、直接手に持って襲うほかに第3の攻撃方法があり、地面にバウンドさせながら投げると、変則的に飛ぶので回避がむずかしい飛び道具になるらしい。特に集団でこのフランチェスカを投げられたら、集団戦法のローマ軍に物凄い効果があったという。
そんなフランク族の町として「パリ」はひっそりと誕生する。
その名の由来は大西洋にあった幻の都市「イース」からきているという。
「新しいイース=パリイス(=パリス=パリ)」らしい。
(※そもそも「パリ」は日本語読みで、本来は「パリス」と発音するらしい)
このパリは有望な石(何の石か忘れた、石灰だったかな?)の産地として、その歴史が始まったらしい。
地下に有望な鉱床があって、たくさんの坑道が掘られたという。
この石の産出で町は栄え、次第に大きくなる。
それに伴い坑道も深く、大きくなり、パリの街には全体像も不明な地下空間が何百年と築かれていった。
その内、石が取れなくなるのだが、その頃にはパリは一大商業都市に変貌していて、すっかり変っていたのだ。
しかし地下空間だけは残され、その後いろいろな使われ方をしている。
地下墓地にも使われたし、地下教会としても使われた。
ただ、住もうとした人間はいないらしい。よほど住みづらい所なのだろう。
革命期には活動家の拠点となり、印刷機が持ち込まれ、地下出版物が、革命思想の普及に一役かったらしい。
近年では、地下にバーなどを開く人もいると言う。
それどころか、地権者に無断で使用し、地下映画館など開いて捕まる人も、今現在でもいるらしい。
で、そんな話を聞いて、実際のパリの地下空間はどの程度の規模で、どのくらい研究されているのだろうと思ったが、どうやって調べたらいいのか見等もつかず、現在にいたっている。まあ、漫画のネタにするのだから、そんなに正確に調べる必要もない気はするけど。
で、こんなネタを思いついた。
昔、むかし。パリに人間が住みついて間もない頃。宇宙人の宇宙船がパリに墜落。その残骸は地中深く埋もれてしまう。
その後、何百年たち、そんな事を知らない人間たちが坑道を掘り進み、宇宙船にたどり着いてしまう。わけもわからず、装置を起動させてしまい、時間の穴を無数に開けてしまう。この穴は地下坑道のいたるところに不定期に開いてしまい、坑道のあちこちに時間の扉が出来てしまうのだ。機械を動かしたはずみで、たくさんの坑夫仲間が時間の穴に落ちてしまった。1人だけ残った彼は、何とか仲間を助けようと、時間の穴に入っては仲間を見つけて救出する活動に没頭する。そんな彼が時間の穴を通り、21世紀の現代に現れ、交通事故で担ぎこまれる。この後彼は仲間を救えるのか?なぜ、そんなに仲間思いなのか?いろいろ疑問は残るが、やりようによっては面白そうだ。
特に地下の時間の扉を越えればどの時代にもいけるのがミソだ。子供向けでも大人向けでもいろいろ話が出来そう。
ただ、短編にする場合は上記設定は「裏設定」扱いにして、これとは別のドラマを用意しないと成立しない。
なにかとっかかりがあったらこのネタ使えるなと思ってとってあるものです。
いまだ使い道がわからないままなんだけど…
もしパリに行く機会があったら、地下に行って見たいとも思う。
(実際行くとたいした事ないのかもしれないけど…)
今書くとしたら、知らぬ間に凶悪組織に国が乗っ取られる恐怖を描いた「21世紀少年」見たいな話がいいのだろうか?
それとも「人間の悪意」とは何か?を書く話がいいのだろうか?
僕にはその辺のさじ加減がわからない。
…まあ、何にしても、今は自分の納得するものを描こうと思う。
下手に他人の顔色をうかがっても自分らしさが消えてしまう。それが東京での漫画投稿をした上でたどりついた僕の結論です。
難しいと言われるなら、誰も見たこと無いくらい難しい物を描いてやろうと、そう思った。
下手に世間に媚びると、大切な輝きも失う結果になる。
これは哲学でもなんでもない。
生きる上で誰もが感じる当然の真実だ。
こんなニュースを見た。
以前騒がれた不可解な殺人事件。
犯人はこんな事を言っている。
「自分を襲う圧力団体の方ではなく、警察が来てくれて(逮捕してくれて)よかった…」
何を言ってるのか意味不明だが、ある一連のイメージが連想できなくもない。
何かがおかしい。
そう、強く主張します。
誰かが真実を捻じ曲げている。
Fさん、君は子供だったから仕方が無かったんです。逆らうなんてできなかった。
幼い君には何も出来なかった。当然です。君は何も悪くない。
小さかったのだから、判断できずそうしてしまったのは、しょうがない事だったんです。
無力だったのだから…抵抗できなくても、君は何も悪くない。
僕が保障します。だから大丈夫です。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。
君の事が心配だからです。
今日は久しぶりに21話に書いたものを一部転載します。以下がそれです。
(21話より転載)
詳しい人が日蓮の現存する正筆御書について詳しい解説をしてくれています。
どうも調べると、教えの方法以外で悟りを目指すのは禁止されているそうですね、ならばオリジナルを追求するのはありでしょ?
下記を要約すると、疑いだすときりが無いくらい本物、偽者があふれかえっている。
ひととおり目ぼしいものをいくつか読破して自分なりに納得するのがいちばんでしょう。
これは、君自身の心への回答が得られる方法でもある。
邪道とは程遠い“超”正当なものです。
17年前、君に答えることができなかった。その罪ほろぼしになればと…。
Fさん、がんばって。応援しています。
(以下コピー)
日蓮遺文集の中で最も権威ある書と言われる『昭和定本日蓮聖人遺文』に収録されている遺文の総数は434遍にのぼります。
その中で、日蓮真撰とされているものが222編、真偽未決のものは157編、明らかな偽書と断定されているものは55編に及びます。
日蓮遺文の中で真筆が完存しているものは真偽の問題から除外して、上代の時代写本が現存するものは粗真撰であろうとされていますが、真筆も時代写本も無く録内、録外にも掲載されていない遺文と伝承されるものは厳しい文献考証を経なければ、日蓮遺文であるか否かは解かりません。
さて、「本尊」の問題は日蓮門下の各宗派の教義学の込入った問題なので触れないことにしますが、日蓮の佛教思想を知る上で、彼の図顕した文字曼荼羅(妙法曼荼羅)の研究は欠くことのできないものだそうです。
現在、間違いなく日蓮真筆の曼荼羅とされるものは、総数123幅になり、その内訳は文永期25幅・建治期21幅・弘安期77幅と弘安期の曼荼羅が過半数を占めます。
勿論、日蓮遺文と同様に、所在不明のものや既に滅失したものもありますし、調査に非協力的な一部の寺院もありますから、これが全てではありませんが、しかし、それらの曼荼羅には年代順を追って儀相の変遷が見られ、日蓮遺文の思想の発達と対応していることが確認されます。
また、曼荼羅には顕示年月が記載されているものと、未記載のものがありますが、記載されているものには一例の例外も無く、必ず干支が記載され、現在、日蓮真筆と断定されている曼荼羅は全て紙幅のものです。
また、多くの曼荼羅に「未曾有の大曼荼羅也」(万年救護の本尊は「大御本尊也」)と書かれており、何も大石寺の「本門戒壇本尊」だけが「大御本尊」ではないのです。
日蓮の遷化前後の様子を記録した白蓮阿日興筆の『宗祖遷化記録』には「六老僧」のことが書かれていますが、「不次第」と書かれており、誰かを自分の唯一の跡目だとは書かれていません。
これは日興真筆が完存しており国の重要文化財に指定されています。
所謂、日興のみが日蓮の「正嫡」だとする『二箇相承』なる相伝書も、真筆はおろか時代写本も無い代物で、現在西山本門寺と京都要法寺に後世の写本と伝わるものが存在しますが、年月日が記載されているものは日蓮の晩年の旅程との日付けが合わず、月日が未記載のものもあり、日興始め日興の弟子の日代の書簡にも記録が無いので、そのような相伝書は始めから無かったと見たほうが無理が無いとの指摘もあります。
この『二箇相承』は重須(北山)本門寺にあった正筆が戦国末期の武田の兵乱で散逸したとされていますが、要法寺側の記録との相違が見られ、北山本門寺の見解とも相違しますので、極めて怪しいと言わざる負えません。
その他、『日興跡条条事』にも、著しい改竄の痕跡が認められています。
「本状は置状、譲状としては年号のないことや、全体の筆使いから、日興上人筆には疑義が提出されている」
(『日興上人全集』P130)
『日興上人全集』には大石寺所蔵の正本の写真が掲載されていすが、大石寺が現物の公開を拒んでいるので、疑惑が深まっています。
また、大石寺59代堀日亨は以下のように述べています。
堀日亨の註
「おおよそ四字は、後人故意にこれを欠損す。授与以下に他筆をもって「相伝之可奉懸本門寺」の九字を加う」と改竄(削除・加筆)があることを認めています。
また、日興花押は他の日興筆のものとの相違が見られ、後世の似せ書文書では無いかと訝る研究者もいるほどです。
皮肉なことに、日興の遺文の研究から日興の正嫡を自任する宗派の、自宗の正統性を主張する為に行った後世の捏造・改竄が明らかになりつつあります。
要するに、始めから無いものが残っている筈がないのです。
殊に、無くてはならないものだけが、見事に全て残っていないと言うのは不思議?としか言いようがありません。
なるほど、永い年月の間には、貴重な資料も少しずつ消滅するでしょう。
しかし、日蓮よりも遥かに古い貴重な文書が多く残っているのですから、自宗の正統性を主張する上に於いて欠くべからざる文書だけが、ただの一つも真筆が残っていないと言うのは理解に苦しみます。
ご参考まで。
「嘘」と言うと角がたつけどね。自流の正統性を主張する為に、後世の末流達が宗祖・派祖の事績を粉飾するというのはよく有ることなのです。
(21話より転載終了)
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、
それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?
過去の自分を否定すると自分が自分でいられなくなる?
君は何も悪くないのだから、安心していいのです。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、
誰も責任取ってはくれないよ!
老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。
もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」
と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
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〔12月8日(水)曜日〕
没ネタとして書くなら何が後あるだろう…
こんなのもあったな。
第2次大戦の日本の敗戦をなかった事にしようと画策する謎の時間旅行者を追う話。
しかし、その犯人はじつは未来の自分だと気がついてしまう。
気がついたのは主人公1人のみで、仲間の追跡者はまだ気がついていない…。
確かに自分には世の中を良くしたい欲求もある、できるなら歴史を改ざんしたい気持ちもある。
でもそれは重大なルール違反で、今の自分では考えられない行為だ。
一体、未来の自分に何があってそうなってしまったのか?
その確信がもちたくて、犯人を追う主人公。
犯人は未来の自分なので行動パターンも読みやすい。
彼の推測はよく的中し、追跡犯の中でも目立つ存在へなってゆく。
そんな彼の様子に疑問をもつヒロイン…。そんな話。
プロットとしては悪くないと思うけど、どう料理すればいいか迷う素材だ。
どうあがいてもハッピーエンドにはならない。
主人公ではない人物の背景設定としては、なかなかのもののように感じる。
イギリスのドラマ「プリズナーNO,6」のように演出すれば面白くなるかもしれない、なんて思いもある。
「プリズナーNO,6」は特異なドラマだ、奇抜を通り越している。
ある日イギリス諜報部員が突然、自分の都合で辞職する。当局は彼を拉致。謎の“村”に監禁し、辞職の秘密をしゃべらせようとする。
“村”はNO,2と呼ばれる人物が支配するところで、一見のどかだが、完璧な監視社会。外に出ると殺されるし、そもそもその手段も無い。村人の多くも拉致さてれきた人々だが、半数は監視役がまぎれていて、誰が敵でだれが味方かわからない。NO,2はあの手この手で、主人公(NO,6)を自分たち側の人間にしようとする。強攻策(洗脳・拷問)もやろうと思えばできるのだが、彼の重要性を考えるとできない、といつもその手以外の方法で、彼を精神的に陥落させようとする。つまり、毎回あの手この手で、主人公の心を陥落させようと心理戦を働いてくるのだ。この心理戦がイギリスドラマっぽくない。おそらく製作当時のサイケデリックブームの影響を受けているのだと思う。理屈ではなく、感覚に訴える演出がされている。この辺りが、このドラマの異色度を増している部分だ。
たぶん、本国イギリスでは、それほど人気は無いと思う。あったら、いまごろ続編の1つも作っていそうだ。
日本でのみ人気のあるドラマなのだ。
集団の意思にはむかうむなしさと甘美な魅力…、日本人が好む要素がてんこ盛りのドラマだからかもしれない。
集団に身をゆだねて狂ってしまいたい衝動と、主人公は、毎回、戦う。
ラスト。彼は脱出を果たすのだが、その脱出劇そのものも罠かもしれない。
その判断は、今度は視聴者の皆さんがしてください、主人公はもう“このラスト”を受け入れて、疑う気ももっていません。
貴方はどう思いますか?的な終わり方をする。
あの夏の日、君とキスをすると車がやってきた。
1度目のは時は君は驚き狼狽したものの半信半疑な部分もあった。
でも2度目、同じ車がくると半狂乱のように恐怖した。
相当怖かったのだろう。
君は何も悪くないのに、世の中には許せないやつらもいるものです。Fさん、君はどう思う?
あの車は、1度通過した後、どこかでUターンして戻ってきていたのだろうか?
近所の騒音車も観察していると、何台かはUターンして戻ってきているみたい。
いい大人が恥を知らないのだろうか…
どちらが日本を悪くしているかと言えば、彼らの方だ。
こういう風潮がこの世界をダメにしてゆく…
“彼らという「現象」”に彼らも自分を「見失って」いる。
そして「見失ったもの」を継承しようとするから、歪みが発生する…。
身についてもいない“徳”を伝授するという歪み。
身についていない人から“徳”を学ぶという苦しみ。
身についていない人から学んだものを、さらに後輩に伝授していったらどうなるのか?
世代が下るにつれ、何がどうなるのか…
そういう「現象」君のまわりにもあるのだろうか?
君は「幼かった」から従って当然だった。仕方が無かったんです、。
「小さい」君には何もできなかった、ただただ身をゆだねるしかなかった、何かがおかしいとおもっても、言っていいのかすら…
その気持ちは、わかります。悪くないんです君は。なにも悪くありません。
「子供」だった君はには他に選択支がなかった。
だから、自分を責めないで!
僕が保障します。
君は何もわるくない。
世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです、
手が出せば届くような単純なものではない。
単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。
Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!
君の周りの人に伝えてください。
「わかろうとしないのは目の前しか見ていないからよ」と。
「教えが正しいとか間違ってるとか、そういう問題じゃないのよ!」と。
「それもの凄い犯罪なのよ!わたしそれに気づいたの、もう戻れないわ」と。
彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。
これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。
教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。
“質”が問われているのです。そう伝えてください。
君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。
君は自分で思っている以上に強い人です。
うわついた気持ちの連中を跳ね除けて!!
自分を解きほぐして!
まごころは、君の心の中にあります。
「教えを馬鹿にするのか!」とか
「正しいに決まっているだろ!」とか
根拠もなく絶対正義を主張されたら、こういえば言い。
「弘法も筆の誤りよ」と。
えらい弘法大使ですら、間違いをするものという意味です。
使い方次第では、理不尽な言葉を跳ね返せると思います。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
(※詳しくは21話を参照してください)
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、
それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?
君は幼かった、だから仕方が無かった。
なにも悪くないのです。
幼さを食い物にする連中が悪いのです。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、
誰も責任取ってはくれないよ!
老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。
もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」
と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
何か言われたら、こう言ってください。
「私には命をかけてくれる人がいる、この人は私を邪魔になんか決して思わない人よ」と。
「今度はあなたが人の都合を聞く番よ、さんざん他人の都合を無視してきたんだから、
文句は言わせないわよ!」と。
そちらの世界なりのいい訳があるのだと思う。
…でも、そんなもののために、1度しかない人生を犠牲にされるのは間違っている。
明るい未来をきみに。
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〔12月9日(木)曜日〕
今回の件で、仮に僕と会えないにしても、君の人権が何かしらの形で報われる形に変化していたらうれしいです。どうなのかな、大丈夫かな?心配しています。
今日は久しぶりにプラモデルを買った、いい歳してと思わなくも無いが、最近は昔と違い大人の趣味として認知が広がっていて実にありがたいです。今日はいろいろ疲れたので、少し骨休みをするためです。
(※この趣味が本格的に自分のものになったのは大学時代だ、高校の時はそれほどでもなかったと思う。君の記憶ではどうなってますか?あまりこの手の話を君にした記憶がない)
現在東静岡駅で行われている実物大ガンダムの展示されているホビー展は予想を上回る来場客で、行政側がビビっているらしい。来場者アンケートでは沖縄や香港の人も少なくない数来ていて、おもちゃと言えども侮れないキラーコンテンツぶりになっている。
これとは別に現在静岡にあるバンダイ(ガンダムのプラモデルをつくっている会社)の社屋はなんだか物凄い事になっているらしい…、見学希望者が後を絶たないとか。何でも社員はみなコスプレに近い制服で作業しているらしいし、工場も物語の世界観をあらわしたものになってるとか…、TVのインタビューで社員の人が、ここをテーマパークと考えている。できれば行政と組んでもっと広げた活動にしていきたいなどと答えていたのが、ついこないだの事だ。富士急ハイランドにも東静岡のものとは別の実物大ガンダムをつかったアトラクションがあり、もしかしたら中部東部静岡で、こういうイベントが恒常化する事もなくはないのかもしれない…、なにしろ今は不況だし。飛びつけるキラーコンテンツには飛びつくかもしれない。世の中常に動いているものです、このさき何が起こるかわからない)
昔カナダでも、プリンスエドワード島で初めて赤毛のアン展のようなものを開いたら、世界中から来場者がやってきて、行政側が相当驚いたという話を聞いたことがある。
目が覚めた行政は、物語の世界そのままの家屋を島内に建設して、島そのものがテーマパークのようなコンセプトを作っている。「地球の歩き方」というガイドブックで「カナダ東部」の本をみると本当にアンの家が載っていてなんだかすごいです。アンの家だけでなく親友のダイアナの家まである。劇中に登場するホワイトサンドホテルに近いホテルも実在する。機会があれば行って見たいとも思う…。開拓時代の雰囲気をのこした田舎の雰囲気も悪くない。
で、近くにはナイアガラの滝もあるし、アメリカ東部都市も近くにあるし。旅行プランを練れれば面白そうだ。Fさんはどう思う?
ん?
そう。
うん。
そう思う?(わかんないけど)
いつか(君の話が)聞けたらうれしいなと思います。
だめかな…。
まあ、なんにしても待つと決めたのだし。
僕は毎日やるべき事をやりつつコツコツやってけばいい訳です。君の幸せを願いつつ…
今日ヘルパー講座の2回目に出席しました。毎週水曜、朝9時半から駅南口から少し離れたところでやってます。
人と話すのが苦手なのは相変わらずだけど、やっぱ見ず知らずの人とあーでもないこーでもないと話すのは好きみたいです。なんだかグループでいろいろやって、特に仲良くなったわけではないが、久しぶりにスッキリした。
ああいう風に人とやりとりしてると東京で働いていた時の事を思い出す。新鮮で面白いですやっぱり。
君からもなにか新鮮な何かを貰えればうれしい。
そんな事も思う。
高校時代は君から多くのものをもらった。
君の考え方や心は毎回新鮮で面白かった。
なんでこの子はいつもこう面白いのか不思議だった。
どうやってたら笑顔になるのだろう?と毎回考えるのが楽しかった。
…とにかく待ちます。今はなにか都合が悪いだけだ。
君は何かしらのケジメをつけに、必ず現れる。
でも今はその時ではない。
そう思うことにしました。
それでいいよね?
いろいろそちらで、たくさんあったと思う。
でも君はなにも悪くないと思う。
逆らえなかったんだし、仕方が無かった事なんです。
僕は君を恨んでないし、出会えて本当によかったと思っている。
君が自分の気持ちに決着をつけられるよう、心から祈っています。君の望むべき世界が実現する事を願うというのが、僕の立ち位置なのですから。
ただ、キツイ事でも言うべき事は言う。
それが過去から学んだ僕の経験則です。
それだけはわかってほしい。
時々、君自身にとってとてもつらいセリフを、僕が気がつかず書くことがあるかもしれない。でもそれは、君を責めているわけではない。君が自分の心に彩りを取り戻して欲しいと思うからなのです。
君の前では僕は可能な限り本音をいいたい。ウソはつきたくない。それは事実です。他の人がどう思うかなんてしらないけど、君は僕がこう言うと、どう感じるだろう。本音を言ってくれてると感じてくれたら嬉しい限りです。
いろいろ言われているのだろうか…。けど、がんばって。負けないで欲しい。
狭量な人達が押し付けてくる“勝手なイメージ”なんか跳ね除けて!
自分の心を取り戻すべきです。
心が狭くなると人の命まで軽くおもえるようになるのよ!と言ってやってください。
いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。
いろいろあると思う。けど、がんばって。負けないで欲しい。
多分君の周りには悪意なく“そういう事”が出来る人がたくさんたくさんいると思う。
それは悪意があるのではなく、心が内向きになっていて、外に向いていないからだと思う。
心が外向きになれば、人として持つ“当たり前の感情”が戻ってきます。
そう、周りの人に言ってやってください。
繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。
きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。
君は君の心を信じて良いのだと思う。
君は幼かった、従うしかなかった。
たぶん僕ですら君と同じようにしていたと思う。
子供だったんだからしょうがなかったんだと思う。
小さかった君には抵抗もできなかった事柄なんだと思う。
無抵抗な子供時代に「心」を「縛られて」しまったら、僕ですら君と同じ事をしたと思う。誰だってそうです。
君は悪くないんです。大丈夫です。
僕が保障します。
…これは決まり文句だから、今回も最後にのせるけど、実行の是非を問う意図で描いているのではありません。あくまで、あたらしい新鮮なイメージを意識して欲しい象徴としてのセリフです。惑わされず、立ち向かってほしい。君は自分で思っている以上に強いひとです。負けないで!
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
(21話を参照してください)
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、
それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、
誰も責任取ってはくれないよ!
老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。
もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」
と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
頑張れ!
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〔12月10日(金)曜日「勝手な判断でつぶされる“可能性”について」〕
こんな事を思った。
昨日テレビ東京でみた「カンブリア宮殿」という番組はすごいシーンがあった。
番組ホストである「村上隆」が経済界の大物を招く番組なのだが、この回のゲストは、現在繰り広げられている「激安居酒屋競争」を最初の始めた張本人の社長だった。
この競争には批判も多い…。でも批判以外も多く、一概にこうだと言いきれない。
このビジネスモデルのいい面では多くの庶民の財布の強い味方であり、悪い面では、立場の弱い者の犠牲を強いている点だ。従業員の制服は本人の買取だし、納入先がうける負担も大きい。
VTRを見ている限りでいうなら、この社長。フランチャイズ飲食チェーンで成功した社長で、その時代の感覚をかぎわける嗅覚はたしかに“本物だ”。バブル全盛時代に今日のデフレ時代を予想して、激安居酒屋を準備したのも、すごい嗅覚だと思う。
お客さんの求めるものを貪欲にかぎわけて提供するプロであり、そのためにはとことん努力する人物として番組では紹介されていた。
そしてVTRは佳境に入り、一旦社長のビジネスからはなれて、個人経営のちいさな居酒屋に転じる。
そこはリストラされたご主人が奥さんとやる小さな店で、でも肉に対するこだわりは物凄く、適当な店ではない。昨今の激安居酒屋競争の流れをうけて、苦戦してはいるが、こういう店を支持してくれるお客さんもたくさんいて、なんとかやっていっているという、社長のビジネスモデルの対極のものを見せ付ける。
…そして番組はスタジオへ。社長の微妙な表情を映したあと、番組ホストの村上隆がこう社長にせまる。こういうのはどうですか?と。社長はこたえる、こういうのもあるべき居酒屋の1つだと。
村上隆は明言こそしないけど、素人には真似のできない微妙な表現で社長にせまる。
一体あなたの目的は金儲けですか?それとも庶民の利益なのですか?と。
(※なぜなら、この社長のビジネスモデルをそのまま追及したら、激安競争でライバルを消耗戦に持ち込んで、最終的に1人勝ちしようという計画が透けて見えてくるからだ。その戦略が“たまたま”現在のデフレ不況下で好評を博しているが、実際のところは社長はどう考えているのか)
この問いにたいして社長が歯切れのわるい返事しかないのち、再びVTRへ。
社長がもうすでに次の手として、居酒屋を総合激安フードサービスへと発展させようとしているVTRに進む。もうこの人は次をみている、その時代を読む嗅覚と行動力はものすごい、と。全体として社長を「よいしょ」しつつ、実は確信をつく質問をして社長を困らしたりもしている…。これがプロの作家の実力か…、と思わず溜飲が下がった思いだ。
これは村上隆のテクニックなのか?TVスタッフの力量なのか?
なんだか凄いものをみたなと思った。
この番組内で紹介された社長…、いい悪いの評価は凡人の僕にはできない。
それでもあえて印象を言うなら、同じ居酒屋チェーンで有名なワタミの社長とは対極にある人物のように見えた。似ているところもあるが、何かが決定的にちがう。
何が言いたいのか?
つまり、成功する人物というのも1種類ではない。
いろいろなタイプの人間がいる。
つまり、こういう生き方が正解であり、成功者の道だという定理はまやかしだと言いたいわけだ。
“彼ら”は1種類の生き方を強制するが、それが成功の唯一の道と考えるのは、単に可能性をつぶす行為そのものなんだと、そう思った。ちょっと難しい?
つまり、何が正しいかは人それぞれだし、
それは心の“中”だけの問題ではなく。
現実社会の成功者の種類をみただけでも、反映されていると感じたと、こう言いたい訳です。勝手に可能性を封じられると実に厄介です。
…大学時代、先輩にこんな事言われた。
「お前は、公務員とかあってるぞ」と。
まんざら間違ってない指摘だ。でも当時はその考えになびかなかった。
人生の疑問の答えを出したかったから。後悔はしていない。やりたい事をやったからだ。自分なりの哲学も手に入れたし、それなりのタフさも手に入れた。直せてない欠点もいくつか残っているが、自力で直したにしては上出来だと思っている。
たぶん、公務員になっていたら、現在身に付けたものは得られなかったと思うし、そうなっていたら“彼ら”の攻撃もかわす事も出来ず、君の想いにもきがつかなかっただろう。
(“あの”裁判のニュースを見ると、本当に人事じゃないなと感じる、あの人が「いいからお前逃げろ」と言ってくれた理由もなんとなくわかる。たぶん当時彼らは本気で「決め」にかかったんだと思う、必ず仕留められる「必殺技」を繰り出して決める気だったんだと思う。“彼ら”の世界は閉鎖的だ、新しい風が入らない構造をしている。その世界は新興宗教のように「専用の服を作ったり、特異なオブジェを掲げたり」しないが、それが“ない”かわりに「例のあの行動」があるのだと思う。「例のあの必殺技」を通じてメンバーが一体感を持つのだ。その一体感が自分が騙されているという意識を麻痺させてゆく…そうでなければ、悪人でもない人が「殺人」も「肯定」できるくらい一生懸命になれる道理がない。普通の人間の理性をここまで麻痺させるとは異常です。
誰が考えたのが実に巧妙で優れています。効果的に人の人生を、ダメにする。どこかの誰かの「快楽」の尖兵になっている事実に気がついてはいけないという強力な暗示に皆がかかっている。その事実を認めたくなくなるほどに蝕むまで。
「外」からの「風」が入らないので、内部の空気はよどみ続けたままだから、そうなるのだと思う。)
…でも、もし当時君とあのまま続いたらどうなっていただろう?
多分、そのまま本当に「公務員」にでもなっていたと思う。
だってこの世で最高のしあわせを手にしたのだから、これ以上何かにチャレンジする理由がないからだ。そういう可能性も平気でつぶすのは、どうかと思う。
Fさんは、何を感じるのだろう…
とにかく、君は悪くないから。安心して。それだけは断言できる。
小さい頃からでは、逆らえないのはわかる。
幼く弱い君に抵抗の術は無い、ささやかな抵抗も無残に踏みにじる集団だ、本当に恐ろしいと思う。嫌なら嫌と、言ってもいいんです。誰に気兼ねする必要もない。なぜなら、君の1度しかない人生なのだから、理由はそれで充分です。
小さい頃に心を縛られてしまったのだから、抵抗できなくて当然です。
辛かったと思う。
安心して欲しい。
君は何もわるくない、僕が保障します。
世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです、
手が出せば届くような単純なものではない。
単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。
Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!
君の周りの人に伝えてください。
「わかろうとしないのは目の前しか見ていないからよ」と。
「教えが正しいとか間違ってるとか、そういう問題じゃないのよ!」と。
「それもの凄い犯罪なのよ!わたしそれに気づいたの、もう戻れないわ」と。
彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。
これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。
教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。
“質”が問われているのです。そう伝えてください。
君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。
君は自分で思っている以上に強い人です。
先ほどの居酒屋チェーンの話。
何が救いが無いかというと、日本の雇用システムは高度経済成長期と何も変化していない。このシステム下においては、居酒屋従業員の地位向上は相当に難しい。
できる事なら、働く人達の地位向上に向える何かをビジネスモデルに組み込んでもらえれば、多少の救いもあるのだけど…、などとも思った。
ワタミの社長は居酒屋で築いたメニュー開発のノウハウを老人ホームでも生かす方法を探っているという。上手くいくのかは知らない、けど、新たな可能性の模索こそが、人が生きていく上で最も重要な行為だと僕は思う。
ヘルパーの勉強をしていて感じたのもこの点だ。
人間は生涯成長し続ける、そういう考えの元にたってお年寄りと接するべきだとある。若い人間が、一方的にお年寄りの可能性を閉じてしまうのは間違いだとも思う。
実は大学時代、この分野に少し興味があり、調べた事がある。
当時は今と違い、介護福祉が未発達な時代だった。徘徊老人をベットに縛り付けるのも普通とされ、食事もどうせボケてるのだからと、ゼリーも味噌汁もご飯も薬もどんぶりにごちゃ混ぜにかきまわして食べさせていたとかいうのを読んだ事もある。現在は、当時の劣悪な環境が反省され、もっと人らしく過せるように改善されている。もうどこにも手足を縛ったりする老人ホームは無いはずだ(たぶん)。時代は変化し、動いていると、思いたいところです。一方的に可能性を否定する事はまちがっていると、つよく主張します。君は同意してくれるのかな…、君の意思を縛る事はしたくない、けど、僕の考えは伝えたい。そう、日々感じています。いつか会話ができる日を、と夢見ています。
君は全て背負い込むような感覚を時々もっていたような気がする。僕と別れた後 君は“彼ら”に“まちがった”発見をたくさんさせられた思う。
君は自分でそれを発見したと思い込んでいるけど、それは間違いです。
そうした発見を全て背負い込む心理状態になれば“彼ら”はそこにつけ込む。
そして君の心を容易に操る事が出来る。
そうやって君を“従順”にさせるのが“彼らの(中の「そうした人達」の)常套手段”です。
非常に悪質な人心掌握法になります。だから全てを背負い込んではだめです!“彼ら”はそれを狙っています!!そうやって君の心から“情熱”を失わせるのが“彼ら”の手口だ!!だから注意して!
“彼ら”は君がなかなか、なびかないから。
じゃあ腹いせにこちらもずっと攻撃してやれ…と考えたのだろうか?
もし事実なら、この18年間、同じ苦難の一端を君と共有していた事になる。
それは僕にとっては(奇妙な事に)誇らしくも感じてしまう。
そうして2人は繋がっていたのだろうか?
そうだとしたら、2人の時間は断絶したわけではなく。
図らずも“彼ら”を通じてつながっていた事になる。
もしそうなら、切なくも、こそばゆい奇妙な想いになるけど…、どうなんだろう。
あくまで仮説です。いつか疑問が解ける日を夢見ます
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、
それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?
小さかった君は抵抗てきなくて当然です。
君は何もわるくない。大丈夫です。僕が保障します。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、
誰も責任取ってはくれないよ!
老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。
もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」
と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
「騙されている」人達と距離をとっても、何も問題はないのです。
心を解きほぐして。頑張れ!!
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〔12月11日(土)曜日「生きる上で大切な「挑戦」という営みについて」〕
また没ネタの整理も兼ねて書こうと思います…
昔没ネタとしてこんな話を考えた…「美女と野獣」という昔話をモチーフにしたSFだ。
(※たしか高校か大学の時、英語の授業のテキストに「美女と野獣」が出てきて、その文章を和訳している途中に思いついたネタだ)
「美女と野獣」自体はこんな話だ。
昔々、魔法で野獣にされてしまった王子がいて、森の中で隠遁生活を強いられていた。
たまたま迷い込んだ町のおやじが、彼に助けられるのだが、助けた礼をする件で、娘をあとで世話係としてよこす。という話になる。
健気にも娘は怪物の待つ屋敷へ…で、あとはおきまりのパターンだが。
これを強引にSFにしたいとなぜか思った。
森の中で、コンピューターが全自動でコントロールしている宇宙船が待機している。
船は主人の帰りを待っているのだが、一向に帰ってこない。
そうこうしているうちに何百年と経ってしまった。
船はそのスーパーテクノロジーが現地住民にばれないように、ホログラムで偽装して、外から見ると古びたお屋敷にしかみえないようになっている。
が、長年のメンテナンス不足で、セキュリティーが甘くなり、侵入者を許してしまう。
侵入者は森で道に迷った男だった。
仕方がないのでコンピューターは立体映像を駆使して、モンスターのいる化け物屋敷を演じて、彼を追い出そうとする。
なんとか男を追い返した船はほっとするが、今度は恩返しにと娘がやってくる。
娘は機敏な人物で、怪物の正体に気づき、船に同情する。
一緒にいなくなったクルーを探す事を約束し、旅がはじまる。
船は本来クルー以外の命令を受けられないのだが、クルーの生命・安全を図る範囲内であれば、部外者の命令でも聞く事ができる仕様だった。
彼女の命に従い、何百年ぶりに空中に浮上する宇宙船。
屋敷に偽装していたのと同じ仕掛けで、雲に化けた船と、彼女の、数百年前に失踪したクルーの足跡探しの旅が始まる…。
そんな話。
行く先々で、中世都市の人々と出くわし、当時の雰囲気を楽しめる。
トラブルに巻き込まれても彼女には船がついているし、行く先々で、いろんな話が作れそうだ。
中世のヨーロッパ商業史をベースにSF的味付けで楽しめる歴史ものにできる。
けど、この話のパターンだと、核になるのは人間ドラマだ。
苦手な要素だし、そもそも人間ドラマで勝負して、プロの漫画家に勝てる自信が無い。
どうにか自分の得意分野に持ち込めれば…、などと考えていると、ページ数が膨らんでしまう。
なんとかコンパクトにまとめられないかな?、と考えているネタです。
人間ドラマは並レベルしか作れなくても、自分の得意な分野に何とか…
ちょっと傲慢かもしれないけど、こんな事も思う。
あるドラマの脚本家の方の話なのだが、彼女は正直、普通のシーンに関していえば並の脚本しか書けない。
でも女の情念とか、ドロドロしつつもさわやかな、女性心理を書かせたら右に出るものがいないくらい“すごい”ものを書く。
僕にはどんな物語がかけるだろう…
ま、とにかく、前にも書いたけど、今はこう考えている。
下手に他人に媚びず、とにかく“難しい”と評されるなら、とことん難しい作品を作ろうと思う。
上手くいくかどうかは、まあ、あとのお楽しみです。
東京にいた頃は、どうすれば面白い作品が書けるか日々考えていた。
本もいろいろ読んだ。
平田オリザさんという戯曲家の書いた「演劇入門」が一番しっくりきた。
どうも、僕の中で「物語」というイメージは「舞台演劇」に近いイメージらしい。
他の物語創作本ではいまいちピンとこない。
自分の中ではそれで納得しているが、それだけでも前に進めない…
そこで、この小説でも書いた「時事ネタ」を今書いてる作品では前面に出すつもりです。
正直これは「漫画を描く上でやってはいけない事」といわれた手法だ。でも、こうも考える。
これも挑戦だ、と。
悔いだけは残したくない、いや、たとえ悔いが残る事になったとしても、自分の納得した行動での悔いなら、妥協した上での行動の悔いよりさわやかな気分になれる。
これは、いい悪いの問題ではない。挑戦とは何か?というものです。
近年、募金もできる自動販売機が普及しているそうです。
僕は見た記憶がないけど、君はどうですか?
このニュースを見たときは、そんなのあったかな?と思ってしまった。
今度自販機を利用する際は注意深く観察しようと思った。
何でもこの募金が出来る自販機は、10円募金、100円募金とボタンがあり、コイン投入後ボタンを選ぶと募金できるらしい。
おつりを募金してもいいし、募金オンリーの利用も可能というのだ。
なんのメリットがあるのか?
CSR(企業の社会的責任)推進の一環として、大手企業が普及させているらしい。
“騙されている人達”の理屈でいえば、“偽善的行為”なのだろう、“彼ら”の理屈ではこの世は弱肉強食だ。
でも僕はこう考える。
これは社会を少しでも良くしたいという“挑戦”の一環なのだと。
上手くいくかどうかはともかく、新たな可能性に挑戦することこそが、人が生きる上で大切な営みなんだと僕は思う。
君は、どう感じるだろうか?何か肯定的なイメージに繋がってくれればうれしい…。
お年寄りでも、生きるさいごまで、挑戦(人としての成長)はつづく、そう考えるのが社会として健全な姿だと前回の記述で書いた。
これは人が生きる上で重要な事なのです。
“彼ら”の教えではどうなのだろう…多くの“騙されている人達”は挑戦を否定しないだろうか?
一定の枠に閉じこもり、外の世界を否定する…。それが健全かどうかは個人の生き方の問題であり、とやかく言うものではないけど、強制されるのもおかしいと思う。
可能性を否定する人達に負けないで!!
世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです、
手が出せば届くような単純なものではない。
単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。
Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!
子供だった君は弱い存在だった。
だから仕方が無かったんです。
泣くほど辛くともだれもわかってくれないもどかしさは、わかります。
幼い君には抵抗の術がなかった、君は何も悪くないんです。
繰り返します、なんどでも。
君はまったく悪くない。
大丈夫です、それは確かですから。
君の周りの人に伝えてください。
「わたし、もう、わかっちゃったの」と。
彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。
これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。
教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。
“質”が問われているのです。そう伝えてください。
君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。
君は自分で思っている以上に強い人です。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
(詳しくは21話を参照してください)
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、
それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?
小さい君が抵抗できなかった事は、仕方が無かった事なんです。
今は、心を解きほぐして欲しい。
心に彩を取り戻してもいいのです。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、
誰も責任取ってはくれないよ!」
「老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。
もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」
と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。
信心ではなく、「信念」を君に送ります…。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
何か言われたら、こう言ってください。
「私には命をかけてくれる人がいる、この人は私を邪魔になんか決して思わない人よ」と。
「今度はあなたが人の都合を聞く番よ、さんざん他人の都合を無視してきたんだから、
文句は言わせないわよ!」と。
そちらの世界なりのいい訳があるのだと思う。
…でも、そんなもののために、1度しかない人生を犠牲にされるのは間違っていると思う。
負けないで!
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〔12月12日(日)曜日「多くの「騙されている人達」の魔の手と戦って!」〕1
これは何度も書いた事だけど、人は他人を非難する時、
自分が言われて一番傷つく言葉を使う。
「無能」である事を気にしている人間は、他人を非難する時無能呼ばわりするし、「人格のない」事を気にしている人間は、相手の人格を攻撃する。
自分の事を「社会の廃棄物」と思っている人達は、人を非難する時「廃棄物」と形容するかもしれない。
なにかいろいろ「言葉」を使って言われるかも知れない。
でも、その言葉の裏には、相手の心の“弱点”が潜んでいます。これは東京で学んだ経験則です。え?僕自身?そりゃ判ると思う。僕は過去真実に気がつかなかった人生を送っていた。だから、真実に気がつかづ「騙され続けている」事が猛烈に恥ずかしい。その心理の裏返しを使い彼らを非難しているに過ぎない。弱点は、長所の裏返しでもあります。これもまた真実だと思う。
〔12月12日(日)曜日〕2
僕の場合過去にいろいろあった…
君の場合はどうだったのだろう?そんな事も思わなくもない。君はいつも不安定だった、心配です。
〔12月12日(日)曜日〕3
最近「テトリス」をやっている…え?今?と思うかもしれないが、今なのだ。
本格的に「テトリス」をやったのは今回が初めてだ。なるほど、こういう攻略を楽しむものなのかと、2010年の今気づいたりする。こういう事かくと間抜けに見えるのだろうが、知った事か、と思う事にしている。いちいち気にしていたら何も喋れなくなる。間抜けに見えそうだなと思ったときも、堂々とすかしていればいいのです。そう思わない?どう思うのかな…
初めて「テトリス」に触れたのは高校時代。部活でトランペットの“彼ら”ではない方の彼が持っていたのを貸してもらった時だ。
するとその時いたチューバの彼にこう言われた。
「ええ?はじめてなの?」
そう、その時期すでにブームは下火で、常に最新の話題の外にいた僕はいつもブームの一番最後に流行りものに触れる人間だった。
よくよく考えてみればそれは、生まれついた時からで、いつも人の輪の一番外側にいて、最新の話題の外にいた。君はどうだったのかな…、君も流行もの苦手だったような気がする…、いつか機会があったら教えてください。他の人がどう思うかなんてどうでもよく、君がどう感じて何を思うのかが聞きたいなと感じる今日この頃です。
〔12月12日(日)曜日〕4
僕はいつも人の輪の一番外側にいた…
君はどうだったのかな。
同じようにいつも1人の印象がある。
〔12月12日(日)曜日〕5
生き方を変える時、ささいな目標が重要になる。
〔12月12日(日)曜日〕6
「できる」と不思議に思い続けられるのは、君からもらった大切な想い出があるが故だと思う。あの想い出は僕に大きな影響を与えている、君にも何かしら影響があったのだろうか?今も君の中で“それら”は価値を抱き続ける存在ですか?
〔12月12日(日)曜日〕7
生まれ持った欠点を克服する事が不可能だとしても。
その欠点以上の長所をもてばトントンになると思う。
ところが彼らの場合は…悪意をもって人の可能性を信じない。
〔12月12日(日)曜日〕8
彼らの行動は常識を逸脱している。
〔12月12日(日)曜日〕9
何かが生まれつき「足りない」にしても
「足りない」なら「足りない」なりに工夫すると意外に何とかなる…
そんな風に考える。
〔12月12日(日)曜日〕10
ウソでもいいから、君に「そんな事ないよ」と言って欲しいと時々思う。出来るならば。
そんな未来を信じて戦おうと思う。
君が、ウソでもいいから励ましてくらたらどれだけうれしいか。そんな想い、ここに伝えます。
〔12月12日(日)曜日〕11
インチキで「奇跡」や「たたり」を起こす事で、人を落とす集団って…
〔12月12日(日)曜日〕12
身内同士で子孫を残すためなら、当人の意思を捻じ曲げてもかまわないという噂。
“彼ら”の1部男子は、身内の女子なら簡単にやれる…、と嘯いていると言う。
これは僕が言っているのではなく、ネットのあちこちで見る記述だ。
事実ならこれは恐ろしい事だ、急に寒気がする。噂であると思いたい。
〔12月12日(日)曜日〕13
人の尊厳って大切だよね。
〔12月12日(日)曜日〕14
むりやりって嫌だよね。
〔12月12日(日)曜日〕15
相手の意思って大切です。
〔12月12日(日)曜日〕16
そう思うわない?
〔12月12日(日)曜日〕17
ん…
〔12月12日(日)曜日〕18
でも、そう。うん。
〔12月12日(日)曜日〕19
君の意思に賭けます。Fさんは強い、きっと大丈夫です。
〔12月12日(日)曜日〕20
君は子供だったから、泣くしかできなかった。
〔12月12日(日)曜日〕21
子供だったから、抵抗もできなかった。
〔12月12日(日)曜日〕22
仕方が無かったんです。君は何も悪くない。
〔12月12日(日)曜日〕23
これだけは事実です。
〔12月12日(日)曜日〕24
揺るぎ様もない事実です。
〔12月12日(日)曜日〕25
幼く、小さい君にはそうするしかなかった。そうなってしまわざる得なかった。
君自信の罪はないのです。
〔12月12日(日)曜日〕26
ボーリング場のゲームコーナー、部活の先輩らと僕らと団体で行った日。
僕はテトリスをやった。人生で2度目か3度目のテトリスだ。
君が駆け寄ってきて、近くで僕がゲームをする様子を見ていた。
なにか話したと思う。
君は自分がテトリスが好きだとか、得意だとか、そんな感じの事を言ったと思う。
僕はと言うと、はやくゲームオーバーになってFさんと話したいななどと考えつつも、わざとゲームオーバーになるのも変なので、ゲームしながら君の言葉を聴いていた。
あの頃は、2度目の破局の後だと思う。
君の気持ちに気がつきもせず、半分心を閉じかけていた時期だ。
なぜ、あの時、君のあの笑顔の本当の意味に気づけなかったのか死にたくなる。
もう会うのやめようとふっておきながら、変らぬその絵顔の意味が理解できず、混乱し、思考が停止していた。
どうして、なにか意味があるはずだ、と考えなかったのか…、本当に当時の僕と今の僕は同一人物なのだろうか?考えもしなかった当時の僕を殺してやりたい気分だ。
まさかあの笑顔の意味に気づく日がくるとは。
天は見放してなかったのだろうか…
今日、国境なき医師団への募金をつのる封書が来た。
見ると、東京の住所からの転送になっている…。
しかし、東京にいた時、こんなもの来てたかなーといぶかしくもなる。
以前やたらと正体不明の複数の人間に“年金の支払い”について聞かれたが、これも“彼らの調査?”などと一瞬思ってしまう。
僕が募金するか否かの動向を観察する意図があるのか?などと思わなくも無い。
いやいや考えすぎで、単なる偶然だ、などとも思う。
しかし、どの道、残念ながら募金は見送らざるをえない。
僕には、君を守るのでおそらく手一杯です。
幸い、国境なき医師団が資金不足で苦しんでいるという話は聞いた事は無い。
たぶん、大丈夫なのだと、そう祈る事にしました。
(※“彼ら”は大量のお金を組織に寄付するらしいけど、実際それは身内間でしか使われず、慈善活動(国境なき医師団など)へは1円もいかない。多くの人々の善意のお金は「例のあの活動(殺人活動も含む)」などにつかわれ、社会を歪ませている…。)
〔12月12日(日)曜日〕27
“彼らという「現象」”に彼らも自分を「見失って」いる。
そして「見失ったもの」を継承しようとするから、歪みが発生する…。
身についてもいない“徳”を伝授するという歪み。
身についていない人から“徳”を学ぶという苦しみ。
身についていない人から学んだものを、さらに後輩に伝授していったらどうなるのか?
世代が下るにつれ、何がどうなるのか…
そういう「現象」君のまわりにもあるのだろうか?
〔12月12日(日)曜日〕28
“彼ら”の「例のあの行動」は、多くの人には「(そうとう)つらい」もののはず。
何しろ意味無く人をおとしめているのだ、倫理観があればそうとうなプレッシャーになる。
心身クタクタのはずだ。でも心身クタクタになる甲斐あって(“彼ら”の「例のあの行動」が)「つらい」が故、日常の些細な事も幸せに感じられるようになる。それが彼らの「行動の意味(価値)」の真髄なのだろうか?人間「つらい事」をたくさんさせられると、些細な事も「幸せ」に感じると思う。
そうした「たくさん辛い事(=彼ら的行動)」をするほど、より些細な日常に幸せを感じられるのだろう。
そうして感覚が麻痺していき「殺人」も「肯定」できるくらいになるのかもしれない。
そのうち「それ」がないと幸せを感じられなくなり、生きていけなくなるのかもしれない。
そして最悪な事に、愛する子供にまでそうした下劣な行為を勧められる異常な心理状態になるのだ。
君もそうした「つらい事」たくさんさせられて、日常の幸せを「より」幸せに感じさせるよう洗脳されたのだろうか…
君はどう思う?上記のようなものは、ワザと不治の病にかかる事で、命の大切さを学ぶのに似ている。
正常な感覚であれば、おかしいと思うはずだ。
それにそれらは命に対する冒涜であり、本当にその病で苦しんでいる人らへの侮辱になる。
「目」は見開いて、前をみなければいけないのだと、強く君に届けます。
「つらい事」をたくさんすると幸せが大事に感じるのは事実。でも、
「つらい事」とは、本来は「試練」のはず。
犯罪=試練ではない。暗示にかかると、気がつかなくなるのだと思う。
〔12月12日(日)曜日〕29
“彼ら”の世界は閉鎖的だ、新しい風が入らない構造をしている。
“彼ら”は新興宗教のように「専用の服を作ったり、特異なオブジェを掲げたり」しない。
“彼ら”の場合はそれが“ない”かわりに「例のあの行動」があるのだと思う。
「例のあの行動」を通じてメンバーが一体感を持つのだ。その一体感が自分が騙されているという意識を麻痺させてゆく…
そうでなければ、悪人でもない人が「殺人」も「肯定」できるくらい一生懸命になれる道理がない。
普通の人間の理性をここまで麻痺させるとは異常です。
誰が考えたのが実に巧妙で優れています。効果的に人の人生を、ダメにする。
どこかの誰かの「快楽」の尖兵になっている事実に気がついてはいけないという強力な暗示に皆がかかっている。
その事実を認めたくなくなるほどに蝕むまで。
「外」からの「風」が入らないので、内部の空気はよどみ続けたままだから、そうなるのだと思う。
〔12月12日(日)曜日〕30
多くの「騙されている人達」の魔の手と戦って!
君は自分で思っている以上に強い。大丈夫です。僕が保障します。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、
それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?
小さく幼い君は抵抗できなかった。
仕方が無かった事なんです。
君は、何も、悪くはない。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
「わたし、本当に気づいたの」
と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
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〔12月13日(月)曜日〕
最近、宇宙戦艦ヤマトの映画の宣伝を良く見る…。
あれを見ていつも思う事がある。
物事には“得意・不得意”というのが、確かにあるなー…と。
日本人は実写のSF作品作りが下手だ。
どうしても外国の物と比べると見劣りがする…。
これは今に始まった事でなく、昔からそうだ。
僕のSF好きは、おそらく藤子・F・不二夫漫画の影響だ。
特に大人向けに書かれた「短編集」は子供の頃から大好きだった。
同年代が「キン肉マン」や「聖闘士星矢」などに夢中の頃。
DNAを一瞬で入れ替える科学者の漫画とか、宇宙の果てまで人工睡眠を繰り返してたどり着く男の話などに夢中になっていた。
藤子・F・不二夫の短編にはヒーローは登場しない。主人公は平凡であり、恋や挫折、夢や希望、そして意外な事に不倫などがテーマとして多く登場する。
この傾向に拍車をかけたのが映画「スタートレック」を見たときだ。
小学生の頃、深夜放送のものをビデオに録って見た、当時は知らなかったが、この映画の監督は「サウンド・オブ・ミュージック」でアカデミー賞をとった大物で、その映像美には定評がある。
事実当時模型で撮影されたその映画は、2001年宇宙の旅に負けない出来だった。
外国では“SF”といえば大人向けに作られる。
しかし日本国内で“SF”といえば特撮が主流で、子供向けばかりだ。
その辺にクオリティーの差が出るのだと思う。
以前こんな話を聞いた。
なぜ国内のアーティスト(歌手)が外国でレコーディングするのか?という話。
意地の悪い人は、制作費を浮かすため安い外国にいくのだ!と言うが、実際は違うようだ。
海外のスタッフやスタジオを取り巻く“環境”が、もう日本の“それ”と根本的に違っていて、何がどう違うか上手く説明できないが、外国で製作したほうが、いい“音”が作れるというのだ。
映画の世界もそうなのかもしれない。
いつも子供向け特撮がメインの日本で実写SFを録ると、いくら頑張っても限界がある。
でも、こうも考える。
じゃあ、外国人に「宇宙戦艦ヤマト」が作れるのか?というと、答えは「NO」だと思う。
過去に「ゴジラ」や「鉄腕アトム」が外国スタッフで作られたが、まるで違うものに仕上がって物凄いガッカリだった。
こういう風に考えると「個性」とは何かと考えさせられてしまう。
個性を生かすも殺すも、人次第。
自分だけ頑張ってもダメで、でも他人任せでもだめで、とにかくあがくしかないのかもしれない。
今、宣伝している映画「宇宙戦艦ヤマト」の監督が、ラジオでこんな事言っていた。
最初出来上がった「ヤマト」が地面から浮上するシーンのCGは酷い出来だったという。
何とかならないのかとCGの製作サイドにかけあうが、現行使っているソフトではこれが限界とわかる。
で、あわてて新しいソフトを探し出し、ゼロから勉強し直して製作したという。
だから、今日習ったばかりの事をつかって劇場用作品の映像を作る羽目になり、最高傑作とはいえないが、なんとか形にしたとかなんとか…。
CGだけですらこの様子だから、セットの作りとかその他いろいろも打ち合わせ不足でベストとは言いがたかったのかもしれない。
それでもちゃんと完成させたのは監督の力量なのかもしれない。
…物凄い苦労を重ねて、たくさんの人々の努力の結晶が映画だ。
でも、だからといって、無条件に褒めるのは映画鑑賞をするうえでは邪道だ。
どんなに苦労して作ろうが、面白いものは面白いし、すばらしいものはすばらしく、つまらないものはつまらないし、駄作は駄作なのです。そうした批判に耐えられないという人は映画を作る資格はないと思う。
なぜなのか?
批判されなければ、向上もしないからです。
なあなあで、なかよしでやっていては、いつまでもぬるま湯のままだ。
これはなにも映画だけの話ではない。
現実社会のあらゆる場所で言えることだ。
例えば、現在「幼稚園・保育園一元化論争」がある。
幼稚園は定員割れをしていて、保育園は不足している。この両者を統合すれば問題は解決するじゃないか!と言われているものだ。しかし、幼稚園側は保育に気をとられると充実した幼児教育ができないと主張する。また、幼稚園は文部科学省、保育園は厚生労働省で、それぞれに書類を用意する必要があり、事務が滞ってしまうもんだいもある。
僕が見たニュースでは、現行制度内でも工夫次第で統合を果たしている現場があり、取材されていた。
ある場所では条例を駆使して保育園を幼稚園の「付属施設」とした事で、会計でも申請でも書類を統一できて運営可能になったと言っていた。もしこうしなかったら事務作業が滞って運営は不可能だと園長は証言する。
また。ある東北地方では、村の規則で4歳~5歳の保育を禁止した。こうする事で0歳~3歳は保育園、それ以上は幼稚園と住み分けが出来るようになる。何がすばらしいのか?というと、保育園の保育士は年長の動き回る子供の世話から解放され、大人しい0歳~3歳の保育に集中でき、負担が軽減されたという。(この方式は人口が少ないから出来たとも言われていると報道されていた)この村ではこの制度のおかげで待機児童がゼロになり、周辺からわざわざ保育園めあてに人が引っ越してくるようになったという、過疎対策にすらなっていたりする。
人は自分の殻に閉じこもりがちです。かくいう僕も人の事は言えない。
でも、なんとかしよう、どうにかしよう、ともがく“意思”がなければ、「前」には進めないのだと思う。
特効薬や、絶対の法則など、この世にないのです。
先に触れた「映画作り」にしても、外国にまかせればいい映画ができるとは限らないし、だからといって国産でやっても限界がある。この世に「絶対に成功する法則」などはなく、常に試行錯誤の繰り返しです。
その際、批判を恐れてはダメです。もしかしたら、批判の中に解決のヒントがあるのかもしれないし、せっかくのヒントをみすみす見逃すのもおかしいと思う。
君はどう思うのだろう…
“彼ら”の“騙されている人達”はこの世に「絶対の法則」があると信じている。上手くいかないのは信心が足りないと考える。
誓って言います。この世に「絶対の法則」などないのです。
あるのは、真実くらいでしょう。
真実はそう簡単に人間に正体を示しません。
自分で追求するしかないのです。
真実をゆがめる人達に惑わされないで!、君は強い。大丈夫です。僕が保障します。
子供の頃は弱く抵抗は無駄だ、そうせざる得ないし、ゆがみを強制されても、つらいけど他に選択支はなかった…
幼い頃には疑いもせずになんでも受け入れる、人とはそうして成長する。間違いを知らずにうけいれてしまっても、君に罪はない。それしか選択支がなかったんだから。
抵抗しても簡単につぶられた?怖かったのかもしれない…、恐怖する君の顔は何度か見ている。
隠し事を強要する世界は歪んでいます、こらは否定できない事実です。
君は何も悪くない。だから、何も問題ありません。
心を責めなくていいんです。
大丈夫です。
もう一度繰り返します。
君は何も悪くない、大丈夫です。僕が保障します。
初めての印象とういうのは忘れないものです。わくわくして、楽しくて、面白い。
周りの人に、機会があったら伝えてください。最初の印象って忘れないものだと。
違いを楽しんだり、同じと思う事を嬉しく思ったり、何もかも新鮮で彩りに満ちている。
僕には、あたらしい世界を共に歩みたいと思う人がいます。君はどう思いますか?
心を解きほぐす機会を、彼女に与えてください。お願いします。
世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです、
手が出せば届くような単純なものではない。
単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。
Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!
君の周りの人に伝えてください。
「わかろうとしないのは目の前しか見ていないからよ」と。
「教えが正しいとか間違ってるとか、そういう問題じゃないのよ!」と。
「それもの凄い犯罪なのよ!わたしそれに気づいたの、もう戻れないわ」と。
彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。
これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。
教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。
“質”が問われているのです。そう伝えてください。
君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。
大丈夫です。きっと。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、
それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、
誰も責任取ってはくれないよ!
老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。
もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」
と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
君は自分の声を出して良いと思う。
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〔12月14日(火)曜日「まるで少年兵だ。」〕
小林麻央さんが謝罪していたのをTVでみた。
夫婦といえども別人格なんだから、謝る必要がないと感じる僕が変なのだろうか…。
必要以上の礼儀をつくす礼節の文化なのだろうか。
(あと、こうも思った。小林麻央さんはかわいい女性だ、でもFさんの方がかわいいと僕は思う。これは本気でそう思う。…昔よく君にささやいた言葉を言ってもいいだろうか?Fさん、どうしてそんなに可愛いの?)
小林麻央さんはなぜ謝るのか?
理解できない現象の前には必ずなにか欠けた事実が存在する。
…これは違うバイアスがかかっているなと感じた。
今だ日本は「歌舞伎」が好きな世代が主導権を握っており、そうした人達のマナー意識が最上位にくるという事なのだろうか?
裏を返せば、そういう主導権を持つ層が日本の財政再建の妨げをしているわけで…。
なんとも難しい話です。
哲学なき日本人は永久に感覚だけを頼りに、世相の風に翻弄され続けるのでしょうか?
今は来るべき「TPP時代」に向けて議論を深める時期です。
なぜ忘れていられるのかが理解できない、危機感ゼロです。
まるで、連日敗戦をつづける第2次大戦時、危機感なく過した日本人と同じです。
そんな事も思わなくもない。
昔こんな話を読んだのを思い出した。
人生の先輩が、もうい歩むのをやめて、人生をあきらめてしまった姿を見せられると、後から続く自分ら年下世代は裏切られた気分になると。
たぶん君の周りには「…人生こんなもんだ」とか「世の中そんなもんだ」と思う人間があふれていると思う。
そうでなければ、その組織がそこまで腐る理由がわからない。
これは人としての“質”の問題なんです。
時として「腐ってしまう」のも人なのだから止むおえないけど、人間が24時間酔っ払っていてはいけないのと同じ理屈で、時として正気に戻らなければ“人として堕落する”のです。
“彼ら”は常軌を逸している。
それが何を意味するのか?
疑問に感じたら「なぜ?」と問うてもいんです。
こんなことを言ったら、偽善とか、大人になれ、とか言う人いるでしょう。
そういう時はこう言い返せばいい。
「考えるのが面倒って顔にかいてあるわよ」
と。
「人生のリハビリが必要よね」
と、言ってもいいと思う。
(※もしかしたら、国全体のリハビリが必要な時期なんじゃないだろうか?笑って馬鹿に出来ない風潮が現在の日本にはあるように感じる。何もかもが八方塞だ)
…こんな事も思う。
“彼ら”は支部単位でもう勝手な基準で動いている?
てんでばらばらな組織は唯一「人間の悪意」という魅力でのみつながりを維持していて、それ以外の局面ではどこの支部も自分の都合優先で行動している…。
そうでなければ、今頃日本を支配できている。
彼らは「悪意」でのみ連帯感を維持できる文化をもっている。
そこから逆算すると、そんな推測も成り立つけど、実際のところどうなのだろう。
“彼らという「現象」”に彼らも自分を「見失って」いる。
そして「見失ったもの」を継承しようとするから、歪みが発生する…。
身についてもいない“徳”を伝授するという歪み。
身についていない人から“徳”を学ぶという苦しみ。
身についていない人から学んだものを、さらに後輩に伝授していったらどうなるのか?
世代が下るにつれ、何がどうなるのか…
そういう「現象」君のまわりにもあるのだろうか?
“彼ら”の「例のあの行動」は、多くの人には「(そうとう)つらい」もののはず。
何しろ意味無く人をおとしめているのだ、倫理観があればそうとうなプレッシャーになる。
心身クタクタのはずだ。でも心身クタクタになる甲斐あって(“彼ら”の「例のあの行動」が)「つらい」が故、日常の些細な事も幸せに感じられるようになる。それが彼らの「行動の意味(価値)」の真髄なのだろうか?人間「つらい事」をたくさんさせられると、些細な事も「幸せ」に感じると思う。
そうした「たくさん辛い事(=彼ら的行動)」をするほど、より些細な日常に幸せを感じられるのだろう。
そうして感覚が麻痺していき「殺人」も「肯定」できるくらいになるのかもしれない。
そのうち「それ」がないと幸せを感じられなくなり、生きていけなくなるのかもしれない。
そして最悪な事に、愛する子供にまでそうした下劣な行為を勧められる異常な心理状態になるのだ。
君もそうした「つらい事」たくさんさせられて、日常の幸せを「より」幸せに感じさせるよう洗脳されたのだろうか…
君はどう思う?上記のようなものは、ワザと不治の病にかかる事で、命の大切さを学ぶのに似ている。
正常な感覚であれば、おかしいと思うはずだ。
それにそれらは命に対する冒涜であり、本当にその病で苦しんでいる人らへの侮辱になる。
「目」は見開いて、前をみなければいけないのだと、強く君に届けます。
「つらい事」をたくさんすると幸せが大事に感じるのは事実。でも、
「つらい事」とは、本来は「試練」のはず。
犯罪=試練ではない。暗示にかかると、気がつかなくなるのだと思う。
“彼ら”の世界も閉鎖的だ、新しい風が入らない構造をしている。
“彼ら”は新興宗教のように「専用の服を作ったり、特異なオブジェを掲げたり」しない。
“彼ら”の場合はそれが“ない”かわりに「例のあの行動」があるのだと思う。
「例のあの行動」を通じてメンバーが一体感を持つのだ。その一体感が自分が騙されているという意識を麻痺させてゆく…
そうでなければ、悪人でもない人が「殺人」も「肯定」できるくらい一生懸命になれる道理がない。
普通の人間の理性をここまで麻痺させるとは異常です。
誰が考えたのが実に巧妙で優れています。効果的に人の人生を、ダメにする。
どこかの誰かの「快楽」の尖兵になっている事実に気がついてはいけないという強力な暗示に皆がかかっている。
その事実を認めたくなくなるほどに蝕むまで。
「外」からの「風」が入らないので、内部の空気はよどみ続けたままだから、そうなるのだと思う。
少年兵だ。
幼い子供たちは小さなころから殺人を強要され、やらないと殺される恐怖からまちがった教育を受け入れてしまう。
そういう子供たちがアフリカの紛争地域や南米の麻薬戦争地帯で日常的にいるらしい。
どう思う?それが正常な世界には見えないでしょ?
では彼らはそのような「教育」を受けたからといって、救出後も2度と社会復帰できないと考えていいのだろうか?
答えは否です。
人間は立ち直れるし、生きなおせる。
尊厳をとりもどせる。
ゆがみに気づいたなら戦って正解なんです。
何も間違ってないし、自分の生きる当然の権利なんです。
戦ってほしい、負けないでほしい。つよく、そう思う。
ゆがんだ勢力は、あきらめない。
あの手この手で、次々に罠を繰り出す。
肉親であろうと例外ではない。
皆、騙されている人たちなんです。歪みと戦う気力を上の世代に奪われた人たち。
残念な人たちである事実に変わりはないが、そんな理由で、君の心が歪ませられるのはおかしい。
相当つらいはず。
ずっと我慢してきたと思う。
君はなにも悪くない。
子供だったから仕方がなかった。
幼い君に抵抗の術はなかった。
泣いても誰も受け入れてくれない以上従わざる得なかった。
小さく抵抗の手段もなかった。こわくて仕方がなかった。
君は、何も、悪くないのです。
僕は賭けをしています。
君が僕に告白するかどうかと。
そこが、大きなターニングポイントになる。
それは事実です。
告白された事は胸にしまうつもりでいます。
“人を許せる時が、自分を高める時”
(日本テレビ系『行列のできる法律相談所』で有名な弁護士、菊地幸夫氏の言葉)
簡単でないが、目指しがいのある目標ですね。
僕には“彼ら”に「人生を返せ!」と主張する権利がある。
この事実を否定するのは相当難しいはずだ。どんな屁理屈をひねり出すのか一苦労だと思う。
けれど僕はあえて“その権利を行使”しない。過去の文面を読んで欲しい、一度だって要求してない。
その代わりこう言いたい訳だ。「もう一度あいたい人がいる」と。
そして、生活を立て直すけど、「邪魔しないでほしい」と。
(…一瞬でも「それって当然の言い分だよな」と感じていただけたら幸いです)
それでもそれが「贅沢だ!」と言う人がいるならば、何を持って贅沢ではないのか定義を明確にしてほしいものだ。
単に自分たちの贅沢が(快楽が)侵害されている事に怒っているだけという事実に気づかずに反論できるのだろうか?
「別に人生を全部返せって言う、無理な(実行不可能な)相談をしているわけではない」
…という事実があります、これはささやかな奇跡を期待しているだけの事なのです。
重ねて言います。
君は悪くない、何も、まったく。
何も悪くないのです。
僕が保障します。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、
それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、
誰も責任取ってはくれないよ!
老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。
もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」
と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
18年前、君からもらったこの大切な想いが、今、僕の信念になっている。
君の中で、信心よりも「信念」が大事に思える日がくるだろうか…
そんなイメージ君に送りたい。
応援しています、負けないで!
追伸:小林麻央さんより君のほうがかわいいと思うのは事実です。笑顔の君は最高に輝いています。
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〔12月15日(水)曜日「最悪を知るからこそ、最悪でないものの価値もわかる。」〕
没ネタをまた書こうと思う。
書いていると自分でも気がつかない事にいくつか気づいて面白い。
頭の中で漠然としているイメージが客観できたりもする。
以前「ビジネスジャンプ」という雑誌に載っていた「銃夢」という漫画の中に「スカラー電磁気学」というのがでてきた。
俗にいう「とんでも科学」と呼ばれる類のものだ。
ほとんどオカルトに近い科学ネタなのだが、SFファンとしては初めて聞くSFネタだけに面白かった。
調べてみると、このネタは結構古く、過去いくつか作品が作られている。
有名なところではアメリカ映画の「フィラデルフィア・エクスペリメント」。
アメリカ軍が第2次大戦中におこなったフィラデルフィア実験を元にした映画だ。
このフィラデルフィア実験はどうやら実際におこなわれたものらしい。
これを説明するには「電子レンジ」の開発から説明しないといけない。
「電子レンジ」とはマグネトロンから発せられる電磁波をつかって物質内の水分子を振動させ、発熱させる技術だ。
マグネトロンはもともとレーダーの部品の1つで、第2次大戦当時は最高機密だったものだ。
このマグネトロンの研究をしていた技師が、チョコレートを食べながら仕事をしていたら、どういうわけかチョコが溶けてしまう…、普通なら見過ごすとこだが、彼は最高機密に関わるほどの科学者。無視できす原因を解明。結果マグネトロンの電磁波がチョコを溶かしていたと発見する。
戦後しばらくして、軍需技術の民間転用が図られた時期、電子レンジは民生品として登場することになる。(ちなみに電子レンジの窓にはかならず金網状のものがついているけど、間違ってもあれをはがしてはいけません、あれが電磁波を閉じ込めているからです。はがすと、直で人体に電磁波があたり、やけどどころでは済まない事になります。たぶん)
第2次大戦当時、レーダーの実用化に成功したアメリカ軍はこう考えた。
自分たちが開発できた以上、敵もやりかねない…
敵がレーダーを開発した時にそなえて対抗手段を先んじて開発しなければ。
現在でこそECCM(対電子線手段)は常識だが、第2次大戦当時は未知の領域だった、可能性がありそうなものならば、なんにでも手をだした。そんな中、アメリカ軍は先に触れた「スカラー電磁気学」も対レーダー手段の候補の1つとして取り上げる事になる。現実にテスラコイルが戦艦に取り付けられ、コイルの電磁波がレーダー波をかき消すか見てみたわけだ。この「実験結果」は公表されていない。故に憶測を呼び、多くの人のインスピレーションを刺激した。先にふれた映画もこうしたインスピレーションにより作られたものだと思う。B級SFの代表作として知名度も高く、続編も作られている。
専門家でないので、よくわからないが、この「スカラー電磁気学」で、登場するスカラー派というのはロシアの天才、ニコラ・テスラが考案したものらしい。この人物、「とんでも科学」の分野ではかならず登場する人物だ。よほど胡散臭い人物なのかと思いきや、ご本人自身はまともな科学者で、初期の科学にかなり貢献している。事実彼の名をとった「テスラ」という単位もあり、電気関係者は日常的に使っている。彼自身はまともなのだが、彼の研究を信奉する人たちが「あやしげ」らしいのだ。
さしずめ「開祖」自身はまともなのに、その意思をつくはずの組織の人々がいかがわしいのに似てなくもない。そういう団体、少なからず確かにあります、君はどう思う?
テスラのライバルは。有名なあの「エジソン」だ。
発電事業において直流方式、交流方式で激しく対立した。
現在の家庭用電気は交流方式なのはご存知の通りだけど、実はエジソンは交流方式は複雑で大変だから、シンプルな直流を普及すべきだ!と頑として譲らなかったらしい。一方テスラは交流方式を主張。激しく争い。論争は単純なつぶしあいに発展。「エジソン」はありとあらゆる手段を講じて「テスラ」を社会的に抹殺してしまう。(実はエジソンはこうしてライバルを社会的に抹殺してきた人生を歩んでいる、いるよね、こーゆー人格破綻者って。Fさんはどう思う?)
社会的地位を失ったテスラはその後「とんでも科学の信奉者のシンボル」になってしまい、2010年現在でも一般には胡散臭い科学者としてイメージされている。
本当かどうか不明だが、テスラはナイアガラ実験というのをやっている。
エジソンと血みどろの争いをしていた頃、じゃあ、自分はエジソンのさらに上を行く新技術を披露すると考えたのか、電線をつかわない「無線送電」という技術を披露したのだ。ナイアガラの発電所にでっかいアンテナを建て、何キロか離れた地点に電波で電気を送るというのだ。この実験は成功したらしいが、やはりなにか無理があったらしい、僕の記憶では確かこの後送電アンテナは火事で焼け落ちたんじゃないだろうか?(無線送電の技術が2010年の今、ノートPCの電源として見直されてきている。ノートPCのコード類をうざいと思う人は多いえらしく、完全コードレス化を望む声は高い。データ送信なら無線化は可能だが、電力まで無線化するのは…と思っていたが、最近は電源のコードレス化も可能になり、製品化するとニュースでやっていた。テスラの考えそのものは間違ってなかったという事なのだろうか?)
とんでも科学の信奉者はこの時のナイアガラ実験で使われた電磁波こそ「スカラー派」であると主張する。そのとんでも解釈によると、空間がもつポテンシャルを振動させ、エネルギーを伝播させるとかなんとか…。このイメージはその後オカルトと結びつき、怪しい団体に伝播してゆく。
(以前TVでよく報道された「白装束の集団」もこの一派のようだ。電磁波をよけるために白い布をまとい、白い布をあちこちに張り出す…、その異様な光景は連日ワイドショーを賑わした。ちょうどオウム裁判が始まった時期で、当時こうした異様な集団は社会的関心事だった。Fさんは当時のこと覚えているだろうか?ちょうどこの頃僕は本屋で働き始めた時期だと思う。この頃もし君が結婚してあまり経ってない時期なら、推測が当たっていることになる。まあ、この推測にはまったく自信がない、外れている確立80%の、そうかもしれないな程度の予測です。あたっていたらすごいけど、実際のところどうなのかな?いつか教えてください。)
宇宙戦艦ヤマトの武器に「波動砲」というのがある。波動エネルギーを撃ちだすタキオン砲という設定だ。あそこで語られる「波動」も「とんでも科学」に登場するオカルト科学の1つだ。波動エネルギーを使えば、洗濯物もきれいになるし、人生の運気もあがると、怪しげな宣伝が一昔前されていた。
SFネタとしてこうした「とんでも科学」を扱うのは「波動砲」の例からみてもアリなんだと僕は思う。僕はオカルトはまったく信じないが、SFファンでもあるから、このジャンルには詳しい。さしずめ人権思想を学ぶために「ナチス」に詳しくなってしまうのに似ている。別にナチの信奉者ではないが、この手のジャンルの映画が好きな人は意外と多い。残虐なものを見ることで、残虐でないものの価値を知るというのは、確かにあるもので、多くの人に認知されている行為です。
そちらの世界の理不尽な「物事」に詳しくなってしまったからといって、もう立ち直れないと考えるのは間違いです。
最悪を知るからこそ、最悪でないものの価値もわかる。
人にもやさしくなれる。
そんな事、この世に確かにあると思う。
人は確かに立ち直れるんです。
繰り返し何度でも伝えます。
人は生きなおせるし、立ち直れる。
…そうそう、没ネタの話。
上記の話を元に、僕はこんなことを考えた。
人工心臓って充電が大変と聞く。
じゃあ、この充電をスカラー電磁気学をつかって、無線送電にしたら便利だよなと。
で、漫画の中で、まず実験と称して猫に試作品を手術してとりつける…
実験は成功するのだが、不測の事態がおこる。
たまたま同時期、ロシアでも無線送電の実験がおこなわれていて、原子力発電所にテスラコイルがつながれていた。このコイルの周波数と猫の人工心臓に使われたテスラコイルの周波数が同じもので、同調してしまい、猫は無尽蔵に原発の電力を発せられる電気猫になってしまう。最初は猫も戸惑うが、次第に扱い方に慣れていき、自由自在に電撃を出せるようになり、研究所を逃げ出す。
あとは、この猫を使いどんな話がつきれるか?というところで止まっているネタだ。
いろいろやりようはあると思うのだけど、なかなかどーして難しいです。
漫画向きでなくSF小説向きとも思わなくもない。
でもそれは人生の最後の楽しみに取っておこうと思う。
今は、漫画を描く。
やれることを地道に、確実にこなすのがいいと感じた。
ゆらがず、あせらず、確実に。時には生き抜きもしつつ着実に。
あきらめずに、何度でも、なんどでも、何度でも!
そんなイメージ、君に送ります。
小さく幼い君にはなにも出来なかったと思う、仕方がないです。
泣いても誰も理解してくれなければ、あきらめてしまうもの当然です。
いやでも、周りからいわれたら、そうせざる得ないのもわかる。
君は何も悪くない。
それは間違いない事実です。
しかたがなかったんだから。
世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです、
手が出せば届くような単純なものではない。
単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。
Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!
君の周りの人に伝えてください。
「わかろうとしないのは目の前しか見ていないからよ」と。
「教えが正しいとか間違ってるとか、そういう問題じゃないのよ!」と。
「それもの凄い犯罪なのよ!わたしそれに気づいたの、もう戻れないわ」と。
彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。
これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。
教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。
“質”が問われているのです。そう伝えてください。
君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。
君は自分で思っている以上に強い人です。
いろいろ言われると思う。けど、がんばって。負けないで欲しい。
狭量な人達が押し付けてくる“勝手なイメージ”なんか跳ね除けて!
自分の心を取り戻すべきです。
心が狭くなると人の命まで軽くおもえるようになるのよ!と言ってやってください。
いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。
いろいろあると思う。けど、がんばって。負けないで欲しい。
多分君の周りには悪意なく“そういう事”が出来る人がたくさんたくさんいると思う。
それは悪意があるのではなく、心が内向きになっていて、外に向いていないからだと思う。
心が外向きになれば、人として持つ“当たり前の感情”が戻ってきます。
そう、周りの人に言ってやってください。
繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。
きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。
君は君の心を信じて良いのだと思う。
初めての印象とういうのは忘れないものです。わくわくして、楽しくて、面白い。
周りの人に、機会があったら伝えてください。最初の印象って忘れないものだと。
違いを楽しんだり、同じと思う事を嬉しく思ったり、何もかも新鮮で彩りに満ちている。
僕には、あたらしい世界を共に歩みたいと思う人がいます。君はどう思いますか?
味方もいるはずです、東京でも経験が、そう僕に確信させる。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、
それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、
誰も責任取ってはくれないよ!
老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。
もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」
と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
嘘つきに騙されないように…
Fさんの優しさに賭けます。
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〔12月16日(木)曜日「人をおとしめて楽しむのが「人間の本性ではない」」〕
また没ネタを書こうと思う。
これは没というよりも、使ってないネタだ。
…これを説明するためには少し遠回りがいる。
アメリカの映画で「セブン」というのがある。
サイコスリラーとでも呼ぶべきか、そんな感じの話だ。
ブラッド・ピット主演のわりと有名な映画だ。
あの映画の劇中に、犯人の異常者が、ノートにびっしり名前をかいているのが見つかるシーンがある。家宅捜査の場面だ。恨みを持つ人間を書き連ねたものなのか?犯人の異常な行動の一旦として演出されていた。
これは有名な話かもしれない…
少年ジャンプに連載されていた「デス・ノート」という漫画。
人気作となり、映画化もされた。
書くとその人が死ぬ死神のノートを巡る物語。
これは上記「セブン」の指摘したシーンからインスパイアされたイメージでは?といわれている。ノートにびっしり名前が書き込んである様子がそっくりなのだ。「セブン」のあのノートに死神の能力があったら…、そして「セブン」は警察と犯罪者の駆け引きを描いた心理戦の映画でもある。漫画「デス・ノート」はセブン以上の心理戦が展開され、それが最大のウリになっていた。
悪意ある人は真似というだろうか?
でも2つの作品をみれば、マネとは言いがたい別物の印象をもつ。
ああいうインスパイアは世間的に見て「アリ」なのだと思う。
(※余談だが、「王と鳥」という古いヨーロッパ・アニメ映画を見ると、「ルパン三世カリオストロの城」のカリオストロ城そっくりの城がでてくる、初めてカリオストロの城を見たときは何て独創的な…と思ったが、元ネタがあったわけだ。なんか、驚きと安堵を感じた。天才といえど、元ネタに頼るわけだ)
そんな前提を踏まえたうえで、こんな事を思った。
アメリカの80年代SFドラマに「エアーウルフ」という作品がある。
CIAが極秘開発した攻撃ヘリが活躍する話だ。
このドラマの1エピソードに、使い棄てるにはもったいないと感じたネタがうずもれている。
端的にいうと「年金問題」の話で、いよいよ引退するCIAのエージェントが、どういうわけか引退寸前にCIAに反旗を翻した話が1話あるのだ。
理由は簡単で、もらえるはずの年金がパーになりそうだから。
その原因というのが、こみいった話で面白い。
もともとCIAはOSSという組織で、第2次大戦時に作られた組織だ。
当時は人材不足の上、何もかも混乱していて、書類が完璧にされていなかった。戦争に勝つ事が最優先で、事務など後回しにされていた。
渦中の人物はそうした混乱期にOSSにはいった人物で、戦争終結後、OSSが組織格上げでCIAにったときも自動的に移籍した、と本人は思いこんでいた。
ところが、書類上は仮採用の職員あつかいのままで、正式職員でなかった。
にもかかわらず、年金関係の書類では、その事実が把握されておらず、長年、年金の掛け金を給料から差し引きつづけた。
本人は毎月、掛け金を払っているのだから、当然もらえるものと思っていたので、先んじてメキシコでバーを開くため不動産を借金で購入。返済には年金をあてるつもりだった。
ところが件の理由で年金がもらえなくなる。正式職員でないから。
じゃあなぜ掛け金をとった、ともめていると、そのおじいさんは心臓発作で亡くなってしまうのだ。同じく彼の同僚で、同じように仮職員だったため年金がもらえなかった人物は、そのままCIAの極秘ファイルを持ち出し、自分と亡くなった彼の2人分の金が支払われないと、これを敵国に売ると脅しをかけてくる。
もちろんCIAも黙ってはないのだけど、往年のベテランスパイなだけに簡単に出し抜かれてしまう。このままでは彼は暗殺対象になってしまいかねない…
ここで主人公が登場、なんとか彼を説得したいと申しでる。
で、どーのこーのあるうちに、別の事件に巻き込まれ、2人で協力して事件を解決し、最終的には長年の功績と今回の件を考慮して、お金は下りるよう対処される…みたいな話だったと思う。
このCIAと年金問題で戦う往年のベテランスパイという設定はなんだか使い捨てにするのがもったいないと感じた。なんか、これを利用して話はできないものかと…。漠然と考えていたりします。劇中のこのおじいちゃんは茶目っ気ある人物として描かれ、みていて楽しいのだが、失うものが何もない捨て身ゆえの茶目っ気かと考えると、人間ドラマとしても面白いものができそうなイメージがある。
いつか何かのアイディアに繋がれば、面白いものがつくれそうだ。
でもこの物語を作る上での注意点が1つある。
基本的にいくら茶目っ気があるとはいえ、CIAにいやがらせをしている事実に違いがない、ともすれば“いたなやつ”になってしまいかねない。こういう現象はプロの作品でも良く見る。設定時は気がつかないが、実際に作品にしてみると意図しない要素に気がつかされる事だ。
こういう時、キャラクターの魅力となるのは、どういう信念をもっているか?という事になる。
「紅の豚」のポルコ・ロッソもともすれば人殺しの大好きな戦争屋になってしまいかねない。
そこで宮崎駿監督はかれの信念を描写した。
絶対に人を殺さない。
僕はこの手の話、大好きです。
「千里眼シリーズ」の主人公、岬美由紀も最初こそ違えど、途中から信念としてそうなる。その過程がドラマチックで面白い。
「ジパング」という漫画のなかでも、戦時中でも人命を尊重する自衛隊の描写はありえないけど、好きだった。
これらは物語の話だけど、物語とは人の理想の裏返しでもある。
つまり、人をおとしめて楽しむのが「人間の本性ではない」という1つの証明でもある。
なぜならば、こういう「人を殺さず」という信念を貫く主人公という設定は往年のパターンであり、長く受け継がれてきたヒーロー像だからです。その事実がまさに「人をおとしめて楽しむのが「人間の本性ではない」」の証明になります。
最近でこそなくなったが、前は頻繁にエンジンをかけっぱなしで放置されるバイクというのを良く見た。キーつけっぱなしで普通に路上に放置してあるものもあり、異様な光景だった。
近所でも2件、あったが、いまは見ない。
自分の正当性を主張し続けたのがよかったのか?はたまた、君が何かしてくれた影響が反映されているのか…あるいはその両方か。でも、見た目が静かになっただけで、本質に変化はないわけで、就職に不安も感じるが、ともかく、前を向いて行こうとおもう。
彼らのあの生き方は、バナナの皮を道端に置いておきながら、誰かがすべるのを黙って見ているような人生だ。
(中にはすべって頭をうって亡くなる人もいるかも…もちろんこれは比喩表現ですが、事実、かるく笑いものにするつもりが、人死にがでるような事態に発展した例はたくさんあり、笑えないのも事実と思う。中にはそれでも笑える人がいるのだろうか?心のリハビリが必要です)
そういう人生が好きな人もいるのは事実だろう。
でも必ずしもそういうのが好きな人ばかりでないのも事実だ。
まともな神経の人々をこうやって徐々に蝕み腐らせる思想は発想が間違っている。
君も同意見ならうれしいです…。
何度も言います。
君は何も悪くない。
小さい頃から“それ”を当然としてしか生きる選択支を与えられていなかったんだから、仕方が無かったんです。
他に手をさしの出てくれるわけでもない。
何もしらない子供の頃からでは、そうせざる得ない。
でも持って生まれた“やさしさ”が、「なにかおかしい」と思わせたのだと思う。
それすら容易に握りつぶされては、こわくて仕方が無かったと思う。
幼い君には抵抗の術がなかった。
仕方が無かったんです。
繰り返します。
君は、何も悪くない。
これは事実です、僕が保障します。
“彼らという「現象」”に彼らも自分を「見失って」いる。
そして「見失ったもの」を継承しようとするから、歪みが発生する…。
身についてもいない“徳”を伝授するという歪み。
身についていない人から“徳”を学ぶという苦しみ。
身についていない人から学んだものを、さらに後輩に伝授していったらどうなるのか?
世代が下るにつれ、何がどうなるのか…
そういう「現象」君のまわりにもあるのだろうか?
“彼ら”の「例のあの行動」は、多くの人には「(そうとう)つらい」もののはず。
何しろ意味無く人をおとしめているのだ、倫理観があればそうとうなプレッシャーになる。
心身クタクタのはずだ。でも心身クタクタになる甲斐あって(“彼ら”の「例のあの行動」が)「つらい」が故、日常の些細な事も幸せに感じられるようになる。それが彼らの「行動の意味(価値)」の真髄なのだろうか?人間「つらい事」をたくさんさせられると、些細な事も「幸せ」に感じると思う。
そうした「たくさん辛い事(=彼ら的行動)」をするほど、より些細な日常に幸せを感じられるのだろう。
そうして感覚が麻痺していき「殺人」も「肯定」できるくらいになるのかもしれない。
そのうち「それ」がないと幸せを感じられなくなり、生きていけなくなるのかもしれない。
そして最悪な事に、愛する子供にまでそうした下劣な行為を勧められる異常な心理状態になるのだ。
君もそうした「つらい事」たくさんさせられて、日常の幸せを「より」幸せに感じさせるよう洗脳されたのだろうか…
君はどう思う?上記のようなものは、ワザと不治の病にかかる事で、命の大切さを学ぶのに似ている。
正常な感覚であれば、おかしいと思うはずだ。
それにそれらは命に対する冒涜であり、本当にその病で苦しんでいる人らへの侮辱になる。
「目」は見開いて、前をみなければいけないのだと、強く君に届けます。
「つらい事」をたくさんすると幸せが大事に感じるのは事実。でも、
「つらい事」とは、本来は「試練」のはず。
犯罪=試練ではない。暗示にかかると、気がつかなくなるのだと思う。
“彼ら”の世界も閉鎖的だ、新しい風が入らない構造をしている。
“彼ら”は新興宗教のように「専用の服を作ったり、特異なオブジェを掲げたり」しない。
“彼ら”の場合はそれが“ない”かわりに「例のあの行動」があるのだと思う。
「例のあの行動」を通じてメンバーが一体感を持つのだ。その一体感が自分が騙されているという意識を麻痺させてゆく…
そうでなければ、悪人でもない人が「殺人」も「肯定」できるくらい一生懸命になれる道理がない。
普通の人間の理性をここまで麻痺させるとは異常です。
誰が考えたのが実に巧妙で優れています。効果的に人の人生を、ダメにする。
どこかの誰かの「快楽」の尖兵になっている事実に気がついてはいけないという強力な暗示に皆がかかっている。
その事実を認めたくなくなるほどに蝕むまで。
「外」からの「風」が入らないので、内部の空気はよどみ続けたままだから、そうなるのだと思う。
いろいろ言われると思う。けど、がんばって。負けないで欲しい。
狭量な人達が押し付けてくる“勝手なイメージ”なんか跳ね除けて!
自分の心を取り戻すべきです。
心が狭くなると人の命まで軽くおもえるようになるのよ!と言ってやってください。
世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです、
手が出せば届くような単純なものではない。
単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。
Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!
君の周りの人に伝えてください。
「わかろうとしないのは目の前しか見ていないからよ」と。
「教えが正しいとか間違ってるとか、そういう問題じゃないのよ!」と。
「それもの凄い犯罪なのよ!わたしそれに気づいたの、もう戻れないわ」と。
彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。
これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。
教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。
“質”が問われているのです。そう伝えてください。
君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。
君は自分で思っている以上に強い人です。
僕は賭けをしています。
君が僕に告白するかどうかと。
そこが、大きなターニングポイントになる。
それは事実です。
告白された事は胸にしまうつもりでいます。
“人を許せる時が、自分を高める時”
(日本テレビ系『行列のできる法律相談所』で有名な弁護士、菊地幸夫氏の言葉)
簡単でないが、目指しがいのある目標ですね。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、
それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?
小さかった君に抵抗の術は無かった…
君は何も悪くなのです。
それは確かな事なのです。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、
誰も責任取ってはくれないよ!
老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。
もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」
と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
何か言われたら、こう言ってください。
「私には命をかけてくれる人がいる、この人は私を邪魔になんか決して思わない人よ」と。
「今度はあなたが人の都合を聞く番よ、さんざん他人の都合を無視してきたんだから、文句は言わせないわよ!」と。
自分を解きほぐして!
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〔12月17日(金)曜日「まともな事を感じる人間を認めない世界。」〕
ネットスラングに僕は詳しくない。
ほぼ何も知らないと言っていい状態だ。
NHK広報もどーやらそうらしく、大真面目にとったらしい。
何の話か?これはNHKが「さかなクン」に「さん」をつけずに報道したところ、
「「さん」を付けろよ、デコ助野朗」という突っ込みが殺到したとかしないとか…
重ねて言う、僕はネットスラングを知らない。
けど、このスラングの元ネタは一発でわかった。
これはヤングマガジンに昔、連載していたSF漫画「アキラ」を映画化した際、主人公の金田と親友鉄雄の有名なやり取りのセリフだ。
超能力を身に付けた「鉄雄」は思いつくがままにあばれまくる。
親友、金田はその鉄雄に仲間を殺され、ある決意をする。
鉄雄は政府なり軍隊なりが始末しようとするだろうが、あいつは俺の友達だ、始末するなら、俺の手で始末する、と言わんが勢いで突っ走るのだ。
偶然にも強力な武器を手に入れた「金田」は、ついに「鉄雄」と対峙する。
鉄雄は言う、「金田、お前はいつでもボス面しやがる」
金田はいう「てめえもボスになったんだろ?この瓦礫の山でよう」
鉄雄は叫ぶ「金田ー!」
ここで、先ほどの有名なセリフ。
「「さん」を付けろよ、デコ助野朗!」
このセリフ、非常に印象にのこる。
なぜなら、普段、鉄雄は金田に「さん」などつけないし、金田も呼び捨てを許している。
このセリフは金田のこのシーンにおける心情表現としてものすごく効果的なセリフなのだ。
元の昔の鉄雄にもどってくれよ!
という意味が込められたもので、しかし金田のキャラクターはそんな弱音を言う人物でもなく、金田なりの表現なのだ。
こういう「力」をもつセリフは印象にのこるのかもしれない。
いつのまにかネットスラングにまでなっているのだから。
この言葉は定番の「つっこみ」としてネットで使われているらしく、本気で言っているものではない。
相槌のようなものだ。
なのにそれをしならいNHK広報は、本気で多くの人が怒っていると思い、正式謝罪したらしい。
なんだか面白い。
この反応に対してもネットスラングで「ドジっこ可愛いなおい」「好感がもてる謝罪だな」「謝りすぎワラタ」
…といった書き込みが上がっているとかいないとか。
ネットってこういうノリなんだなーと、なんだか勉強になります。
こういうキャラクターの性格ならではの「名セリフ」で一番印象的なのは。
映画「スターウォーズ、帝国の逆襲」でのハン・ソロのセリフ。
レイア姫が今生の別れにいがみ合っていたハン・ソロについに本当の気持ちを打ち明ける。
「愛しています」と。
本来の脚本では、これに対してメロドラマのようなセリフをハン・ソロが言う予定になっていたらしいのだが、ハン・ソロ演じるハリソン・フォードが「ハン・ソロなら、こんな情けないセリフは言わない」と主張し、セリフを変えさせたというのだ。
Fさんは何てセリフに変えたと思う?
実は「愛しています」とようやく本音をさらしたレイア姫に対して、今まさに命が絶たれようとするハン・ソロはこう言うのだ。
「知ってたさ」
けして「俺も愛してる!」とは言わないあたりに、その人物の人格が凝縮されている感じでとても好きなセリフです。
言葉とは、その使い方次第で本来ある以上の意味を込められるという事なのでしょうか?
日常の世界に非日常が入り込むタイプのSFを描く時、効果的な定番のセリフがある。
「なにもかもまるでデタラメだ!」
…と一般人に言わせるのだ。
このセリフがあると無いでは、SF作品の印象がガラリとかわる。
このセリフがあれば、特別な出来事と普通の出来事の違いを「強調」できる。
スターウォーズのような最初から非日常の作品では効果がないが、バック・トゥ・ザ・フューチャーのような作品では効果的だ。
バック・トゥ・ザ・フューチャー内では主人公「マーティー」が類似の意味のセリフである「ウソだろ」とか「そいつはヘビーだ」などと連呼する。言えば言うほど状況の特殊性が伝わる仕組みだ。意外と思うかもしれないが、このセリフを取っ払ってしまうと、急に興ざめした作品になる。登場意人物がだれも「ウソだろ」と言わないせいで、観客の頭に「どうせウソじゃん」という無意識の警告が渦巻き、作品の面白さが半減してしまうからだ。
…これは現実社会でも言える現象だ。
上記SFの場合は非日常の違和感を楽しむために「なにもかもまるでデタラメだ!」といったセリフが理性を納得させる。これはウソなんだけど、劇中の人物もそれがわかっている、自分と同じ感覚の人間(=現実が認識できる人間)が劇中にいると、感情移入しやすい。
しかし現実世界では“逆”で、現実が認識できてしまったら、正気に皆戻ってしまい、誰もが「彼ら的行動」は酷い犯罪行為なんだと認識してしまう。すると楽しめなくなるから、まともな事を言う人間がいないほうがありがたいわけだ。いたら、楽しめない。理性が働く人間は“彼ら的行動”において邪魔なだけだ。
「あの行動」を永久に楽しみ続けたい人らにとって、違和感を感じさせるような言葉はうっとうしいだけなんだと思う。
…だから、君のように違和感を感じる者(あるいは、まともな事を感じる人間)の声は圧殺されてしまうのだと思う。まともな事を感じる人間を認めない世界。快楽主義者の欲望、ここに極まりです。
そんな馬鹿げた理由で君の心がゆがめられるのはおかしいです。
脱出がベストです。
皆、現実から目をそらして生きているに過ぎない…
真実に気がつく「恐怖」を恐れているだけだ。
だから、自分が“騙されている”という事を受け入れられないのだ。
“彼らという「現象」”に彼らも自分を「見失って」いる。
そして「見失ったもの」を継承しようとするから、歪みが発生する…。
身についてもいない“徳”を伝授するという歪み。
身についていない人から“徳”を学ぶという苦しみ。
身についていない人から学んだものを、さらに後輩に伝授していったらどうなるのか?
世代が下るにつれ、何がどうなるのか…
そういう「現象」君のまわりにもあるのだろうか?
“彼ら”の「例のあの行動」は、多くの人には「(そうとう)つらい」もののはず。
何しろ意味無く人をおとしめているのだ、倫理観があればそうとうなプレッシャーになる。
心身クタクタのはずだ。でも心身クタクタになる甲斐あって(“彼ら”の「例のあの行動」が)「つらい」が故、日常の些細な事も幸せに感じられるようになる。それが彼らの「行動の意味(価値)」の真髄なのだろうか?人間「つらい事」をたくさんさせられると、些細な事も「幸せ」に感じると思う。
そうした「たくさん辛い事(=彼ら的行動)」をするほど、より些細な日常に幸せを感じられるのだろう。
そうして感覚が麻痺していき「殺人」も「肯定」できるくらいになるのかもしれない。
そのうち「それ」がないと幸せを感じられなくなり、生きていけなくなるのかもしれない。
そして最悪な事に、愛する子供にまでそうした下劣な行為を勧められる異常な心理状態になるのだ。
君もそうした「つらい事」たくさんさせられて、日常の幸せを「より」幸せに感じさせるよう洗脳されたのだろうか…
君はどう思う?上記のようなものは、ワザと不治の病にかかる事で、命の大切さを学ぶのに似ている。
正常な感覚であれば、おかしいと思うはずだ。
それにそれらは命に対する冒涜であり、本当にその病で苦しんでいる人らへの侮辱になる。
「目」は見開いて、前をみなければいけないのだと、強く君に届けます。
「つらい事」をたくさんすると幸せが大事に感じるのは事実。でも、
「つらい事」とは、本来は「試練」のはず。
犯罪=試練ではない。暗示にかかると、気がつかなくなるのだと思う。
“彼ら”の世界も閉鎖的だ、新しい風が入らない構造をしている。
“彼ら”は新興宗教のように「専用の服を作ったり、特異なオブジェを掲げたり」しない。
“彼ら”の場合はそれが“ない”かわりに「例のあの行動」があるのだと思う。
「例のあの行動」を通じてメンバーが一体感を持つのだ。その一体感が自分が騙されているという意識を麻痺させてゆく…
そうでなければ、悪人でもない人が「殺人」も「肯定」できるくらい一生懸命になれる道理がない。
普通の人間の理性をここまで麻痺させるとは異常です。
誰が考えたのが実に巧妙で優れています。効果的に人の人生を、ダメにする。
どこかの誰かの「快楽」の尖兵になっている事実に気がついてはいけないという強力な暗示に皆がかかっている。
その事実を認めたくなくなるほどに蝕むまで。
「外」からの「風」が入らないので、内部の空気はよどみ続けたままだから、そうなるのだと思う。
君は幼かった、仕方が無いです。
耐えるしかなかった。
泣いて我慢して。
小さい君にはそれしかなかった。
子供が周囲の期待にこたえようとする事は何も悪い事ではない。
君に罪はない、僕が保障します。
安心して!
こんな事もあった…
毎晩の事だ。
深夜0時からほぼ10分おきくらいに爆音の車がやってくる。
深夜2時くらいまでそんな様子だった。
今、あの時来ていた人は今頃…。
今、来てない。
なんだか情けなくなってくる。
そんな人達がたくさんいるなんて…
願わくは楽しんでやっていた人が「ゼロ」で、やらされていただけなのだと思いたいところです。
君が同じ感想を抱いてくれるならうれしいです。
「なにもかもまるでデタラメだ!」
という事で、相手の理性を喚起できるかもしれない。
罪がないと心底思っているひとはいないと思う。いたら、人としておかしい。
皆、悩みながら生きていると、僕は信じます。
君にも信じて欲しいと言ったらだめだろうか?
…いつか、都合がついた時にでも教えてください。
とにかく待つと決めました。いいかな?それで。
僕は賭けをしています。
君が僕に告白するかどうかと。
そこが、大きなターニングポイントになる。
それは事実です。
告白された事は胸にしまうつもりでいます。
“人を許せる時が、自分を高める時”
(日本テレビ系『行列のできる法律相談所』で有名な弁護士、菊地幸夫氏の言葉)
簡単でないが、目指しがいのある目標ですね。
いろいろ言われると思う。けど、がんばって。負けないで欲しい。
狭量な人達が押し付けてくる“勝手なイメージ”なんか跳ね除けて!
自分の心を取り戻すべきです。
心が狭くなると人の命まで軽くおもえるようになるのよ!と言ってやってください。
いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。
いろいろあると思う。けど、がんばって。負けないで欲しい。
多分君の周りには悪意なく“そういう事”が出来る人がたくさんたくさんいると思う。
それは悪意があるのではなく、心が内向きになっていて、外に向いていないからだと思う。
心が外向きになれば、人として持つ“当たり前の感情”が戻ってきます。
そう、周りの人に言ってやってください。
繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。
きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。
君は君の心を信じて良いのだと思う。
味方もいるはずです、東京でも経験が、そう僕に確信させる。
変な人もいるだろうが、「かわいそうな人」なだけなんです。
君は何も悪くない。
繰り返し何度でもいいます。
勇気が君に届く事を…ここに願います。
(もし、彼女に少しでも味方したいと思う人がいたら、味方になったあげてほしい。陰ながらそう思うだけでも、空気が変化するかもしれない。そう思うのです)
初めての印象とういうのは忘れないものです。わくわくして、楽しくて、面白い。
周りの人に、機会があったら伝えてください。最初の印象って忘れないものだと。
違いを楽しんだり、同じと思う事を嬉しく思ったり、何もかも新鮮で彩りに満ちている。
僕には、あたらしい世界を共に歩みたいと思う人がいます。君はどう思いますか?
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、
それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?
君に罪はない、逃れる方法がまったくなかったのだから。
だから、安心して大丈夫です。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、
誰も責任取ってはくれないよ!
老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。
もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」
と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
こ君からもらったこの大切な想いが、今、僕の信念になっている。
君の中で、信心よりも「信念」が大事に思える日がくるだろうか…
そんなイメージ君に送りたい。
負けないで!頑張れ!
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※なんかまた事件が起きたのだろうか…
いやだな、と思えるなら大丈夫です。
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〔12月18日(土)曜日「君の名の1文字は歴史を重ねて作りあがっています。」〕
菅総理が数日前「仮免許発言」で謝っていた。
あれって、あやまる必要ないよなと、そう感じる。
意味としては、政権発足から今までは仮免許だったが、これからは頑張ろうという趣旨の発言だけど、自民党が、けしからんと文句を言い、謝罪する羽目になったらしい。
僕個人としては、こう思う。
これから「TPP時代」という未知の時代に突入するにあたっては、国民全員が「仮免許状態」に等しい、なぜなら、前人未到の時代に突入するからだ。だれも経験してない時代に突入するのだから、過去の経験は重要度がおちる。
第2次大戦終結後の日本人は、総人口すべてが新たな時代に対して「仮免許状態」であったし、そういう認識も全国民あったと思う。故に白い紙にインクが染みるがごとく勢いと活気がうまれた。
現在の日本人が必要としているのは、誇りでもプライドでもなく、「勢い」と「活気」だ。
その2つを取り戻すためには一億総仮免許状態である自覚が必要なんだと、僕は思う。
新しい時代に踏み込むには「仮免許」の自覚が有効です。
「仮免許」…君はどう感じますか?
だから、菅総理は「TPP時代」への議論を盛り上げる意味で、国民総TPP仮免許意識を宣言すればよかったと思う、事実そうなのだから。新しい時代の免許なんて要らないとか言ってられない状態を世論に訴える「キーワード」として、「仮免許」と言う言葉は破壊力を持っていると思う。…まあ、菅さんには菅さんでやりたい事があるのだろから、見守りたい気はするけど。
僕の認識では、菅さんは「一匹オオカミ」だ。そして「地方分権」と「公務員制度改革」を目指しているはず。
でも一向にそうした報道がでてこないのは、小泉総理時代とかわらない。マスコミは差しさわりがない事を最小限伝えるのみだ。
一例が人事院勧告のニュースだと思う。
人事院は優良企業の給与水準のみをベースに公務員の給料を決めている。
だから公務員のサラリーは割高だ、当然、歳出増加の要因になっている。
菅政権は次年度から、この人事院勧告を廃止するといっているらしい。
そこで、今、公務員のストライキ権をどうするかが議題にあがっている。
給料の下がる事にたいして抵抗権が欲しいと言うわけだ。
実はここに面白い状況が内包されている…。
公務員にストライキ権がないが故、人事院が作られた。
だが、ストライキ権が復活したら、人事院の存在価値が消滅する。
人事院が消えれば、公務員制度改革の激しく抵抗する勢力への大打撃になる。
だから、公務員の既得権益を守りたい勢力は、人事院を残しつつ、ストライキ権を確保するよう動くはず。
しかし、そもそも理論矛盾があり、攻撃ポイント満載なのだ。
ここから切り崩して、20年不可能とされた公務員制度改革に楔を打ち込めるかもしれない。
その辺が菅政権の「見どころ」と感じたりするけど、あまり報道されない。
誰がくっついた、誰がはなれたと、そんな報道ばかり。
これは、前にも書いたけど。日本の報道の基準は、「今、誰に媚びれば一番得か?」に終始している。
これでは、ただし情報が伝播しない…。
物事を見極める「目」を意識しないと。
かくいう僕に出来ているかはわからない、でも、そういう意識は大切と思う。
そうでないと、真実に気がつかない。
僕は18年前の君の謎の言動の真実を理解したい衝動をずっと持っていた。
あの笑顔の意味を知りたくて努力した。
生まれつきの鈍感さはあいかわらずだけど、努力して得たものは、確かに君の心に繋がったと感じた。
心のなかの“それ”を大事にして、追求するのは、人として正しい行為だと僕は感じる。
もし、君も同じような感覚を抱いてくれるなら嬉しいです。
いつか、どう思うのか聞かせてください。
真実は君の心の中にあります。今でも、消えることなく。
君の名前の最初の1文字は「真実を見て(知り)理解する者」と言う意味がある。
名づけた方の意思に反しようが、真実を見極めてもいいと思う。
なぜなら、その名前の字をこの世に送り出した人々は、名づけた人よりも遥か昔にいた人々で、過去存在した多くの人々の想いがその名の意味を支えている。君の名の1文字は歴史を重ねて作りあがっています。そして、その1字の意味の通り生きていいのだと思う。
君は価値ある人物です。僕に大切なものをくれた。
小さい君が抵抗できないのは容易にわかる。
子供の頃は、弱いものだから。
皆に好かれようと努力しただけなんだから、君に罪はない。
周囲の人がおかしさに気がつかないよう意思を奪われた人々だった。
だから、その人らは子供の意思を奪っても「よい事」と思う。
そんな大人に囲まれていては、選択支もない。
それでも君なりに抵抗しただろうけど、周囲の悪意が勝ってしまった…
君は、何も悪くありません。
それは、揺るぎ様もない事実なんです。
“彼ら”は君がなかなか、なびかないから。
じゃあ腹いせにこちらもずっと攻撃してやれ…と考えたのだろうか?
(そこまでくさってない?)
もし事実なら、この18年間、同じ苦難の一端を君と共有していた事になる。
それは僕にとっては(奇妙な事に)誇らしくも感じてしまう。
繋がっていたのだろうか?どうなのだろう。
だとしたら、2人の時間は断絶したわけではなく。
図らずも“彼ら”を通じてつながっていた事になる。
もしそうなら、切なくも、こそばゆい奇妙な想いになるけど…、どうなんだろう。
あくまで仮説です。いつか疑問が解ける日を夢見ます。
君は全て背負い込むような感覚を時々もっていたような気がする。
僕と別れた後“彼ら”は君に“まちがった”発見をたくさんさせたと思う。
君は自分でそれを発見したと思い込んでいるけど、それは間違いです。
そうした発見を全て背負い込む心理状態になれば“彼ら”はそこにつけ込む。
そして君の心を容易に操る事が出来る。
そうやって君を“従順”にさせるのが“彼らの(中の「そうした人達」の)常套手段”です。
非常に悪質な人心掌握法になります。だから全てを背負い込んではだめです!
“彼ら”はそれを狙っています!!
そうやって君の心から“情熱”を失わせるのが“彼ら”の手口だ!!だから注意して!
油断していると、本当にこの暗示にかかります。
相手は親切心につけこんで、あたかも君が自分で決断したかのように“錯覚”させるプロです。
親切心を利用されないようにしないと、永久にいいように利用されてしまいます。
気をつけて!そうやって“情熱”を失わせるのが、彼らのオハコだ!
いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。
でも繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。
きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。
君は君の心を信じて良いのだと思う。
世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっている。
せまい世界のなかだけで完結しないのは事実のようです。
君の周りの人に伝えてください。自分たちだけが一方的に正しいと思っているのは恥ずかしくないの!?と。
理解を示す心の広さはどこへやったの?と。
これは人としての“質”の問題です。
教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。
質が問われているのです。そう伝えてください。
君が戦っているという前提で書きます。
負けないで!応援しています。
…もしかしたら時々、頭の中がぐじゃぐじゃになって大変かもしれない
自分を解きほぐして欲しい。
何が大切なのか。
こんな心配もする…
カルト宗教から“脱出”を試みる人の中には、
まれに新たに別のカルトに捕まってしまうという人がいるという事を聞いたことがある。
…混乱せず、落ち着いてね。
そういう意味でも、ゆっくり歩んでいいのだと思う。
休みながらでも、前に着実に歩み続ける。
君ならできます。
意思の強さをみせつけてやっていいと思います。
頑張れ!!
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、
それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、
誰も責任取ってはくれないよ!
老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。
もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」
と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
何か言われたら、こう言ってください。
「私には命をかけてくれる人がいる、この人は私を邪魔になんか決して思わない人よ」と。
「今度はあなたが人の都合を聞く番よ、さんざん他人の都合を無視してきたんだから、
文句は言わせないわよ!」と、言って良いと思う。
そちらの世界なりのいい訳があるのだと思う。
…でも、そんなもののために、1度しかない人生を犠牲にされるのは間違っている。
しおらしさを強要されても、突っぱねていいと思う。
君にはそれをしても許される理由がある。
(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)
〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください