第32話 エッセイ風小説を書き連ねる4(新・未来へと続く話その8)
〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください
(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)
〔11月8日(月)曜日〕①
こんな事も思う、彼らは人の人格を捻じ曲げて伝える。
だから、常にこちらから言い続けないと、また捻じ曲げられてしまう。
たぶん、そういう「文化」だからだ。
以前人にはなした事が、「一部分だけ改変」されてまったく違う話になり、それが事実として流布される…そんな事が何度もあった。この18年何度も。
そんな経験、君もしてないだろうか?
(高校時代、そんな事きみがほのめかしていた記憶がある。いつも君は「うわさ」を気にしていた。もし、今も「うわさ」を気にしているようなら、この世に似た問題と対決している人間があと1人いることを忘れないでください。君はもう1人ではありません)
こちらから自分の正当性を言い続けないと、彼らは最終的に自分が「正しい事にしてしまう」というウソをつく。人が忘れやすい、日ごろ真剣に生きていないという性質を利用して、そうなるのだ。そのノウハウは長年蓄積され、進化し、巧妙になっている。最悪です。
“彼ら”は都合の悪い事はものすごいスピードで、「忘れる」という文化をもっている。
忘却は美徳でもなんでもありません。
そうやって、「忘却」を「強いる」のは彼らのオハコだ。
僕も君も過去なんども経験していると思うけど、忘れた頃にまた同じ事をしてくるのが“彼ら”の手口だ。
“彼ら”は君にいろいろしたのだろうか…
君ほど出ないかもしれないが、僕もいろいろあったのだと、今は思う。
もし事実なら、この18年間、2人の時間は断絶したわけではなく“彼ら”を通じてつながっていた事になる。もしそうなら、切なくも、こそばゆい奇妙な想いになるけど…
いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。
でも繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。
きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。
君は君の心を信じて良いのだと思う。
彼らの行動は常識を逸脱している。
だから、やめるときも常識を超える「決断」や「勇気」が必要なのかもしれない。
“彼ら”の世界も閉鎖的だ、新しい風が入らない構造をしている。
“彼ら”は新興宗教のように「専用の服を作ったり、特異なオブジェを掲げたり」しない。
“彼ら”の場合はそれが“ない”かわりに「例のあの行動」があるのだと思う。
「例のあの行動」を通じてメンバーが一体感を持つのだ。その一体感が自分が騙されているという意識を麻痺させてゆく…
そうでなければ、悪人でもない人が「殺人」も「肯定」できるくらい一生懸命になれる道理がない。
普通の人間の理性をここまで麻痺させるとは異常です。
誰が考えたのが実に巧妙で優れています。効果的に人の人生を、ダメにする。
どこかの誰かの「快楽」の尖兵になっている事実に気がついてはいけないという強力な暗示に皆がかかっている。
その事実を認めたくなくなるほどに蝕むまで。
「外」からの「風」が入らないので、内部の空気はよどみ続けたままだから、そうなるのだと思う。
この世にオカルトはありません。勝利、勝利、勝利!とか言う人たちに負けないで!
えげつない世界からの脱出を勧めます。
〔11月8日(月)曜日〕②
僕には“彼ら”に「人生を返せ!」と主張する権利がある。
この事実を否定するのは相当難しいはずだ。どんな屁理屈をひねり出すのか一苦労だと思う。
けれど僕はあえて“その権利を行使”しない。過去の文面を読んで欲しい、一度だって要求してない。
その代わりこう言いたい訳だ。「もう一度あいたい人がいる」と。
そして、生活を立て直すけど、「邪魔しないでほしい」と。
(…一瞬でも「それって当然の言い分だよな」と感じていただけたら幸いです)
それでもそれが「贅沢だ!」と言う人がいるならば、何を持って贅沢ではないのか定義を明確にしてほしいものだ。
単に自分たちの贅沢が(快楽が)侵害されている事に怒っているだけという事実に気づかずに反論できるのだろうか?
「別に人生を全部返せって言う、無理な(実行不可能な)相談をしているわけではない」
…という事実があります、これはささやかな奇跡を期待しているだけの事なのです。
〔11月8日(月)曜日〕③
もし、僕が手に職をつけたら、その「事実は」君の心を動かすのだろうか?
(昔から面接は大苦戦だった、“彼ら”と関係あるのだろうか?)
もし、先んじて就職できないよう手を打つやつがいたら「地獄におちる」と多くの人が感じる事だと思う。ヘルパーの資格をとろうと計画中です。
東京で接客の仕事を通じて、お客さんが声にできない要望を汲み取り、理解して、対応するというのがいかに大切かは感じられたし、そういう仕事が楽しいともおもえる。無茶な仕事をこなす要領と充実感もしっているし、つらい事に屈しない根性も自信ある。これらの経験を生かせる仕事がしたいと考えています。
どう邪魔されるのか?…されないのか?
Fさん!もし、邪魔して何が悪い!いや、むしろして当然だ!という人が周りにいたら、こう言ってやってください。
「これ以上邪魔をして、もし本当に(自分が)地獄に堕ちちゃったら、その時は誰が責任取ってくれるの?」と。
僕が君に一緒に戦って欲しいと思う理由の1つがこれになります。困難は1人より2人の方が楽しく乗り越えられる、だめかな…。
(それに“彼ら”に狙われたと思われる人でその後も生き延びている人は意外にたくさんいます)
僕は賭けをしています。
君が僕に告白するかどうかと。“彼ら”は決して正体を明かさない…(告白しない)、どんなに親しくなろうとも、絶対に。
君ははたしてどうだろう…?
18年前、君は一歩手前まで来ていた。先輩の正体を明かすという行為は、あとちょっと踏み込めば自分の正体も明かしかねない行為だ。
今にして思うとそう思う。
そこが、大きなターニングポイントになる。
それは事実です。
〔11月8日(月)曜日〕④
いろいろ言われると思う。けど、がんばって。負けないで欲しい。
狭量な人達が押し付けてくる“勝手なイメージ”なんか跳ね除けて!
自分の心を取り戻すべきです。
心が狭くなると人の命まで軽くおもえるようになるのよ!と言ってやってください。
味方もいるはずです、東京でも経験が、そう僕に確信させる。
変な人は男に多かった、女性はまともな人結構いた。話していてわかる。
多分君の周りには悪意なく“そういう事”が出来る人がたくさんたくさんいると思う。
それは悪意があるのではなく、心が内向きになっていて、外に向いていないからだと思う。
心が外向きになれば、人として持つ“当たり前の感情”が戻ってきます。そう、周りの人に言ってやってください。
告白された事は胸にしまうつもりでいます。
“人を許せる時が、自分を高める時”
(日本テレビ系『行列のできる法律相談所』で有名な弁護士、菊地幸夫氏の言葉)
簡単でないが、目指しがいのある目標ですね。
〔11月8日(月)曜日〕⑤
「否定・封印」するのではなく、「昇華・発展」させればいいと。
そういう意味でも、繰り返し、こう主張します。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
正筆御書に限らず、自らの土台を昇華・進展できると感じたものには。目を向ける機会を意識してください。
そこには、思わぬ発見や、気づかなかった真実が隠れていれ、長年の疑問に答えてくれるかもしれません。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、
それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?
「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、
誰も責任取ってはくれないよ!
老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。
もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」
と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
最後にもう一度、 もし、僕が手に職をつけたら、その「事実は」君の心を動かすのだろうか?
いつか教えてもらえる日を信じて。
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〔11月9日(火)曜日〕
Fさんへ、君はストライプとかボーダー柄の服、今でも持っていたりするのだろうか?
昔着ていた黄色と白のボーダーシャツはかわいかった。
日本人はああいう柄を「縞模様」と呼ぶが、江戸以前では「すじ模様」と呼んだらしい。
いつ、どういうバイアスが働いて名前が変ったのだろう…?
実は東南アジアとの貿易に答えがあるらしい。
東南アジアの安い「布」は値段のわりに丈夫で綺麗で、庶民の間に爆発的に浸透したらしい。
よく江戸時代の時代劇をみると、身分の低いものはたいていストライプ柄の着物を着ている。
あの布は「当時のファスト・ファッション」だったのだ。
感覚としては「ユニクロ」みたいな感覚かもしれない。
…で、旧来のストライプとこの東南アジアから来た「新しいストライプ」を区別したい心理バイアスが働いたと思う。旧来のださい模様と区別する意味で「島模様」とよんだらしい。この場合の島は南方の「島」からきた模様という意味らしい。それが時代とともになじみ定着し、現在の「縞」模様になったようだ。
当時から日本は外国とつながりがあったのだ。
自分たちは単一文化の申し子のようなイメージでいても、こうして外国と切り離せない文化も確かにもっている。TPP(環太平洋連携協定)への参加を先送りにしたのはやっぱり残念です。これでより国内ばかり見る世論が主流になる。
尖閣諸島の漁業権の問題も解決の方法はあるとおもう。
今中国の魚の消費はものすごいらしい。尖閣で漁業をする「日本側の漁協」が、同じく尖閣周辺で漁業をする中国の漁村へ投資すればいい。具体的には水産加工工場をつくり、両国の魚を持ち込んで中国サイドに売りまくるわけだ。現在の中国通過は実質日本の10分の1くらいと聞いた。10万円の投資でも向こうでは100万くらいの価値がある。金額だけなら無茶な投資話ではない。双方winwinの関係になれれば、地元レベルのわだかまりは和らぐとも思う。ネックとなる感情問題をどう解決するかは人間力になるけど。
こんな話を本で読んだ。
戦後間もない頃、在留米軍の兵士の粗暴が問題視されていた時、あるアメリカ人が、娯楽がないから若者は粗暴になると思い立つ。そこで近くの渓流でルアーフィッシングができる場を作ろうと画策するのだが、地元の日本人の協力を得るのが、本当に一苦労だったらしい。具体的にかくと嫌な気分になるが、その人はかなりのポケットマネーを費やして草の根の信頼を獲得し、意図したルーアーフィッシングが出来るように地元の人を説得できたらしい。今では地元はその恩恵で儲かっているらしい。
人と人を隔てるのは「感情の壁」なのだろうか?
くだらないそうしたものを取り除けば、明るい未来はたくさんあるようにも感じる。
「ザ・コーブ」で有名になってしまった日本の和歌山県太地町。
イルカ漁の是非は正直どうでもよく、頭を切り替えれば、ものすごいチャンスがまっている。
なにしろ今、世界レベルで東京や京都なみに「和歌山県太地町」は有名なのだ。
地球の反対側で悪名とはいえ「知らぬものはいない」訳だから、チャンスでもある。
これをチャンスと考えれば、いろいろ活路もある。
全世界にむけてイルカと遊べる和歌山県太地町なんてアピールも不可能ではない。
イルカの飼育法がわからなければ、シーシェパードがただで教えてくれると思うし。
こちらも食ってくには収入が必要だ!とか言えば、飼育なら非難されないと思う。
(※特に「イルカ」というのがポイントだ、充分観光資源になる。昔、上九一色村(オウム本部があったので全国的に有名になった)が事件後「ガリバー村」というのを作った。たぶん同じ発想なのだと思う。この事実はデカイ。なぜなら「太地町の住民」は失敗例を学べるからだ。過去のケースを学べるというのは実は重要な要素だ。)
無駄に感情的になると、意味のない泥仕合がまっている。
…そんな事も思った。
こういう話をすると、過去に「知ってるよ」と言い返すやつ。けっこういた。
こちらが、めずらしい話題をふっても、全部知ってるよ、と言い返すやつだ。
小学生くらいの時から体験していたのを覚えている。
そうか。こんなめずらしい事知ってる同好の志か!と勘違いし、さらに話の内容を深めると、拒絶してくるので意味がわからなかった…
東京での“彼ら”との会話のなかに、こちらの会話をつぶす方法として、これと同じテクニックに何度か遭遇した。「知ってるよ」と言い返すやつ、で、突っ込んだ話をするとなにも知らなかったりして逆切れされた。あれはそういうテクニックだったのだろうか?こちらの気持ちを挫くための。
もし事実なら、昔から、こういう繰り返しで、正常な人間関係が学習できてなかったのだな…。とか思ったりする。ウソでもいいから、君に「そんな事ないよ」と言って欲しいと時々思う。出来るならば。
そんな未来を信じて戦おうと思う。
君が、ウソでもいいから励ましてくらたらどれだけうれしいか。そんな想い、ここに伝えます。
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〔11月10日(水)曜日〕
僕の場合過去にいろいろあった…
君の場合はどうだったのだろう?そんな事も思わなくもない。君はいつも不安定だった、心配です。
今日久しぶりにマクドナルドで読書をした。
マスクの男子高校生がこちらを見ていたので、例のごとく彼らの名のある文庫を見せた。
彼が“彼ら”かどうかは正直どうでもいい。彼がこちらを見たというのが偶然なら、僕が文庫を出すのも偶然にすぎず、何も双方問題はない。ただし下記に記すような「筋金入り」でもない限り、まともな人間にはそれなりに効く事を僕は知っている。東京でいろいろ体験したしね。
今も、ある車が1台気になっている。
いつかこの小説に書いた事のある、ナンバープレートが緑の蛍光文字で浮かび上がる白い車だ。ボロイエンジンなのか、マフラーなのかいつもぼへぼへぼへというポンコツな音をだす車だ。
一度だけ直接文句を言った事がある、その事もこの小説内でふれている。おじさんの方は、まあ普通だ、見た目は。でもおばさんの方は、“彼ら”のついて書かれた本に登場する「典型的○○○○の女性」のイラストそのままな人で、「うわ、まじか」と思ったものだ。その叔母さんは「前も注意されたのよ、もう2度と止めないから」と言っていたが、まあそれはウソで、今もきている。
この車が止まるのは以前ちょっと書いた「彼らの嫌がらせに耐え切れなくなって町からにげた以前の隣家の住民の家」のすぐわきに止めている。たぶん、隣家の旧住民を追い出したときも活躍したのだろう…。
旧隣人は、老後しずかに暮らそうとやってきた人らで、たくわえを切り崩して立派な家を建てた。君は覚えているだろうか?僕の家の隣に空き地があったのを…、そこに建てたのだ新築を。なのに追い出された。“彼ら”はそういう事を「平気」でする。恐ろしい限りです。
この車のナンバーは一応押さえてある。あの酷い音なら「整備不良」で通報も可能なレベルのボロさなのだが、あえて今までしていない。あの車はある意味「指標」だ。あの2人はガチガチの筋金入りだと思う。上記のような出来事も眉1つ動かさずできるファイティングマシーンだ。
だから観察対象としては間違いのない「指標」になる。だからあえて通報もしない。
“彼ら”の世界も閉鎖的だ、新しい風が入らない構造をしている。
“彼ら”は新興宗教のように「専用の服を作ったり、特異なオブジェを掲げたり」しない。
“彼ら”の場合はそれが“ない”かわりに「例のあの行動」があるのだと思う。
「例のあの行動」を通じてメンバーが一体感を持つのだ。その一体感が自分が騙されているという意識を麻痺させてゆく…
そうでなければ、悪人でもない人が「殺人」も「肯定」できるくらい一生懸命になれる道理がない。
普通の人間の理性をここまで麻痺させるとは異常です。
誰が考えたのが実に巧妙で優れています。効果的に人の人生を、ダメにする。
どこかの誰かの「快楽」の尖兵になっている事実に気がついてはいけないという強力な暗示に皆がかかっている。その事実を認めたくなくなるほどに蝕むまで。「外」からの「風」が入らないので、内部の空気はよどみ続けたままだから、そうなるのだと思う。君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。君が「埋没費用の呪い」にかからず、冷静な判断が出来る事を心から期待します。君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、
それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?
三界に家を建てるには、君が必要です。
君にもいろいろあるのだろう。でもこう思う。
ウソでもいいから、君に「そんな事ないよ」と言って欲しいと時々思う。出来るならば。
そんな未来を信じて戦おうと思う。
君が、ウソでもいいから励ましてくらたらどれだけうれしいか。そんな想い、ここに伝えます。
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〔11月11日(木)曜日〕①
生まれ持った欠点を克服する事が不可能だとしても。
その欠点以上の長所をもてばトントンになると思う。
ところが彼らの場合は…
“彼ら”の世界は閉鎖的だ、新しい風が入らない構造をしている。
“彼ら”は新興宗教のように「専用の服を作ったり、特異なオブジェを掲げたり」しない。
“彼ら”の場合はそれが“ない”かわりに「例のあの行動」があるのだと思う。
「例のあの行動」を通じてメンバーが一体感を持つのだ。その一体感が自分が騙されているという意識を麻痺させてゆく…
そうでなければ、悪人でもない人が「殺人」も「肯定」できるくらい一生懸命になれる道理がない。
普通の人間の理性をここまで麻痺させるとは異常です。
誰が考えたのが実に巧妙で優れています。効果的に人の人生を、ダメにする。
どこかの誰かの「快楽」の尖兵になっている事実に気がついてはいけないという強力な暗示に皆がかかっている。その事実を認めたくなくなるほどに蝕むまで。
「外」からの「風」が入らないので、内部の空気はよどみ続けたままだから、そうなるのだと思う。
君は全て背負い込むような感覚を時々もっていたような気がする。
僕と別れた後“彼ら”は君に“まちがった”発見をたくさんさせたと思う。
君は自分でそれを発見したと思い込んでいるけど、それは間違いです。
そうした発見を全て背負い込む心理状態になれば“彼ら”はそこにつけ込む。
そして君の心を容易に操る事が出来る。
そうやって君を“従順”にさせるのが“彼らの(中の「そうした人達」の)常套手段”です。
非常に悪質な人心掌握法になります。だから全てを背負い込んではだめです!“彼ら”はそれを狙っています!!そうやって君の心から“情熱”を失わせるのが“彼ら”の手口だ!!だから注意して!
“彼ら”は君がなかなか、なびかないから。
じゃあ腹いせにこちらもずっと攻撃してやれ…と考えたのだろうか?
(そこまでくさってない?)
もし事実なら、この18年間、同じ苦難の一端を君と共有していた事になる。
それは僕にとっては(奇妙な事に)誇らしくも感じてしまう。
繋がっていたのだろうか?どうなのだろう。
だとしたら、2人の時間は断絶したわけではなく。
図らずも“彼ら”を通じてつながっていた事になる。
もしそうなら、切なくも、こそばゆい奇妙な想いになるけど…、どうなんだろう。
油断していると、本当にこの暗示にかかります。
相手は親切心につけこんで、あたかも君が自分で決断したかのように“錯覚”させるプロです。
親切心を利用されないようにしないと、永久にいいように利用されてしまいます。
気をつけて!そうやって“情熱”を失わせるのが、彼らのオハコだ!
いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。
でも繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。
きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。
君は君の心を信じて良いのだと思う。
世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです、
手が出せば届くような単純なものではない。
単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。
Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!
君の周りの人に伝えてください。
「「もう1度あいたい人」がいてなにか悪い?」と。
「不安な心に付け入るのやめて!関わらないで!」と。
「もう戻りたくないの、それもの凄い「犯罪行為」なのよ!わたしそれに気づいたの」と。
彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。
(たぶん、お前も知っててやってたんだろ?今更何を…とか言う人、いると思う。そういう人にはこういってあげてください。「哀れね、自分が操り人形ってまだ気づいていないなんて。わたしは気がついたの。これからは「人」として生きていくわ。「操り人形」は卒業よ、あなたはまだ卒業できないの?」と)
これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。
教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。
“質”が問われているのです。そう伝えてください。
“彼ら”は決して正体を明かさない…(告白しない)、どんなに親しくなろうとも、絶対に。
君ははたしてどうだろう…?
18年前、君は一歩手前まで来ていた。
先輩の正体を明かすという行為は、あとちょっと踏み込めば自分の正体も明かしかねない行為だ。
今にして思うとそう思う。
僕は賭けをしています。
君が僕に告白するかどうかと。
そこが、大きなターニングポイントになる。
それは事実です。
告白された事は胸にしまうつもりでいます。
“人を許せる時が、自分を高める時”
(日本テレビ系『行列のできる法律相談所』で有名な弁護士、菊地幸夫氏の言葉)
簡単でないが、目指しがいのある目標ですね。
君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。
君は自分で思っている以上に強い人です。
何か言われたら、こう言ってください。
「私には命をかけてくれる人がいる、この人は私を邪魔になんか決して思わない人よ」と。
なにか、そちらの世界なりのいい訳があるのだと思う。
…でも、そんなもののために、1度しかない人生を犠牲にされるのは間違っている。
「今度はあなたが人の都合を聞く番よ、さんざん他人の都合を無視してきたんだから、文句は言わせないわよ!」と、言って良いと思う。
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〔11月11日(木)曜日〕②
僕の場合過去にいろいろあった…
君の場合はどうだったのだろう?そんな事も思わなくもない。君はいつも不安定だった、心配です。
今日の話題は年配者を置いていく。
東京で働いていた時、親しくしていた上役(ほぼ同世代)の人から「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」がものすごい「いい」という話を聞かされた。正直どうだろう?と思っていたけど、普段難しい顔をしている人がものすごい晴れやかな顔をしているので、騙されたつもりで劇場まで見に行ってみた。(当時、まだ尾行は本格的でなかった…、ただ当日、上演時間に遅れそうになり「走った」結果、尾行を撒いてしまったらしい。
次の日から激走してついてくる自転車をみるようになる。でもまだまだこの時期はかわいいレベルだった。Fさん、でもすごいと思うでしょ?彼らの攻撃を意識しつつも「普通」に映画にいくこの根性。そう、普通に暮らすのが一番です)
映画は10年以上前のTVとほぼ同じな内容なのに、焼き直しでない新しいつくりで確かに凄かった。
まるで使いまわされた「シェイクスピアの戯曲」が何世代も繰り返し上演されるうちに、同じ演目なのに演出1つで「別物」になるのに似ていると感じた。過去アニメでこれをやった人間は1人もいない。
これを作った監督の結婚前につくられた以前のTVシリーズと、今回の結婚後に作られた映画は人生観の変化がみられた。以前はとことん人間不信で「偽善と欺瞞だらけで何が悪い」という世界観だったのに、今回はちがう、「救いと愛」がある。人が違うみたい。新鮮だった。庵野秀明監督は漫画家の安野モヨコさんと本当に通じ合っているのかも知れない…と勝手ながら思ってしまった。実際は当人のみが知るところだけど。
君はそれなりにアニメ見ていたけど、コアなファンというわけではない…。「ヱヴァンゲリヲン」を見ただろうか?最初のTVシリーズは僕が大学時代放送だ。たぶん1996年か97年くらいだと思う、当時君はどこでどんな生活をしていただろう…
僕にこの映画を勧めた人はこうもいう。
「見ていると当時にもどれるんだ」と。
こういう感覚は僕もある、昔「好き」だった作品をみると一気に当時の心境に戻ることがある。
(※ある施設ではお年寄りに昔の映像を見せると、心の健康が維持できる事があるといい、定期的に上映会をあいている様子をTVで見たことある)
…もうすでにしているかもしれないけど。
「ダッタン人の踊り」とか「コパカバーナ」とか「アルメニアンダンス」とか「浪漫飛行」とか「紅」とか…
当時部活で演奏した曲を聴くと、当時の感覚に戻る事、あります。
僕が君に初めて話しかけた?と思う記憶では、君が「ドラクエのダンジョンの曲」を演奏していた時、なんでそんな曲弾けるの?と聴いた記憶がある。あれらも思いでの1部になるだろうか?
…「紅の豚」をもう一度見るというのもあるね。
君の性格を考えると、時々「どうしょうもない負の感情」に支配される時間がやってきて、君を悩ましているかもしれない。そして、そんな自分の姿を僕には見せたくないと考えるかもしれない。もし…、もしも仮にそんな問題に悩んでいる?という仮定に対して、僕が答えるとしたら?
答えは簡単です。
(見られたくない姿を見られても)慣れてみれば、恥ずかしくない。
僕は君の全てが好きだから、どんな姿をみてもかわいくみえる。
彼ら的世界へ落ちるのも「慣れ」で克服したらな、逆もまた同じ「慣れ」で帰ってこれる。
ただ今回は「慣れ」の方向が間逆(悪から正義へ向う)なだけです。
(※こういうと、人はウソつけと思うかもしれない、でも、君はどう思う?
Kという人物はちょっとやそっとで私を嫌いにならない、ひょっとして大丈夫なのかも…と感じるだろうか?
なんなら、君と一緒に四国巡礼の旅をしてもいい、君の気が晴れるまで)
(※何かが生まれつき「足りない」にしても
「足りない」なら「足りない」なりに工夫すると意外に何とかなる…
そんな風に僕は考える。)
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、
それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?
「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、
誰も責任取ってはくれないよ!
老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。
もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」
と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
ウソでもいいから、君が僕に「そんな事ないよ、もう大丈夫だよ」と言えるくらい回復する未来を信じます。
そんな未来を信じて戦おうと思う。
君が、ウソでもいいから励ましてくらたらどれだけうれしいか。そんな想い、ここに伝えます。
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〔11月12日(金)曜日〕
昔、「アボンリーへの道」というドラマがあった。
カナダだったかな?とにかく外国の連続ドラマで、「赤毛のアン」のサイドストーリ物だった。
以前作られた映画「赤毛のアン」のスタッフとセットを流用して作られたドラマだ。
「アン自身」は決して登場しない。彼女が村を離れたあとの世界をオリジナルで書いたドラマだ。
でもストーリーがすすむにつれて、原作との時間軸や整合性は薄れていき、厳密なサイドストーリーではなく、新解釈の入ったオリジナル物語になってしまったドラマだ。
原作にあった「反骨精神」は失われ、ただただ牧歌的な話が毎回ぬるく展開するドラマになっていた。
原作とは関係ないんだ!と割り切る事さえできれば、割と見れる。そんなドラマシリーズだ。
原作が好きだと最後までわだかまるけどね。
オリジナルと違う事を割り切れるか否か?これは好みの問題であり、他人に強要される事でない、そんな事思う。え?なんの話かって?もちろんドラマの話です、他のなにでもありません。他の何かが頭をよぎったとしても、もちろんそれは僕の意図した演出外のイメージです。
君は今も戦っているのだろうか?
その前提で書きます。負けないで!応援しています。
インチキで「奇跡」や「たたり」を起こす事で、人の心を支配するのっておかしい。
という当たり前の事をいえる感覚、失ってないはず。戦って欲しい。
「冗談じゃない、なんで自分がこんな目に遭わなきゃいけないんだ!」
…と仮に言われたら?そんな理不尽な事いうやつにはこう言い返せば言い。
「それ(=冗談じゃない、なんで自分がこんな目に遭わなきゃいけないんだ!)は昔から私がずっと我慢していたセリフよ、本当にずっと我慢していたの。その貴方の感じているストレスを、貴方が笑っている間ずっとね。貴方の幸せは私の犠牲の元成立していたものなの、…ううん、私だけじゃないよ、もっと多くの人の犠牲の下に成り立っていたの、貴方が普段見下している多くの人のね。だから、わたしには権利がある。あなたのわがままを聞かないという。そして貴方は耐える義務がある。それだけの事よ、もし文句があるなら、これからはその旨書面にしてみて、話していると平行線って過去の経験でお互い納得済みよね、その事実が無ければ、こんな不幸はおきなかったし…、私には幸せになる権利がまだあったの、それを邪魔する権利は誰にもないわ。」
…あくまで例文です、あとは君のイメージのままに。
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〔11月13日(土)曜日〕
…僕は今だちゃんと生きています。その事は特に念入りに主張します。
君と同じ地球の上で同じ空気を今も吸っているし、君が「毎日見るであろう太陽」と「同じ太陽を」僕もどこかで見ていると思ってください。
こんな事も思う。
自分たちが狂ってないと考える人らは、君の様子を病気かなにかのように考えるかもしれない。
要りもしない治療とやらを講じようと、あのてこのてをたくらんでくるでしょう。
へこたれてはいけません。
彼らが間違っていて、君の感覚が正しいのだから。
悔やんでいるならOkです。
悔やみもしない人達に囲まれて、悔やんでいない“ふり”をし続けるのは、相当つらいと推測します。脱出がベストです。
自分を取り戻して欲しい。
…自分を客観視できるかどうかわからないが、こんなアニメがあった。
「NHKにようこそ」というやつだ。元は小説で、アニメ化されたものだ。
アニメよりも小説のほうが重い内容になっているらし(実は読んでない)
主人公はともかく、ヒロインの高校生は早くに父親を亡くし再婚した母と父の元暮らすのだが、あるカルト宗教にはまった一家としてその家庭はあったらしい。ヒロインは常に「神様」という単語にトラウマをもつ。ガチガチのカルト宗教の下成長した彼女は、経緯は不明だが現在は親戚の家に身を寄せている。
どうしても普通に暮らせない彼女は高校に通っていない、おじの経営する店でのバイトと、叔母のあやしげな勧誘の手伝いで日常をつぶす毎日だ。
…ここからは軽い展開で、おじの経営するアパートにいる引きこもりの青年を自立に促す事で、自分自身を昇華させようと彼女は思い立ち、実行する。毎日部屋に引きこもる様子が彼女の部屋から丸見えで、それが動機のように演出されていた。
主人公のひきこもり青年の、引きこもった動機というのも、なんだか…と感じてしまう。ある日突然、周囲の人々に見つめられている事に気がつき、気のせい気のせいと思ううちに神経をすり減らし引きこもるというやつだ。これを見た時は「気のしすぎだ、かわいそうに」と思ったものだが、まさか後日、にた体験を現実にするとは想像もしてなかった。(おそらく、そちら側の世界からみたら現在の僕もひきこもりに見えるのかもしれない…、でももともとこういうライフスタイルなのだ。他の人にこれが通じなくても、君が納得してくれるなら嬉しい限りだけど、どう感じるのだろうか?こんど会った時にでも教えてください)
そういえば、この話、アニメ化されたときは「涼宮ハルヒの憂鬱」とセットで放映されていた記憶がある。10年以上東京で友達してくれていたあいつは(以前書いた人物で、実家に帰ろうと思っていたとき、こいつの勧めで僕は東京に残り漫画を描き続けた…、もっと早く帰っていたら?どうなっていたのか、答えを知るのは君のみです)ハルヒファンだったが、「NHKにようこそ」は天敵のごとく嫌っていた。あいつが“彼ら”ならばその嫌う理由も察しがつくが、今となっては確認しようもない。が、彼が“彼ら”だとするなら当時のあいつの態度には納得がいく。そこまで嫌うか?というくらいの態度だった。
深刻な問題にこんな軽いアプローチを提示して怒るかもしれない…。
でも“感覚”とは理屈のみで答えがでないものです。
時には哲学意外のこういう軽いアプローチもちがうものが見えるかもしれない。
特に「親に幼少期からカルト宗教を強要された事を悩むヒロイン」という設定は、古今東西ありそうでなかなかない物語なので、自分を客観する材料になるかも…、それとも村上春樹の方が君の好みかな…?
世界は広大で広く、想像を絶するダイナミックな時間がからみあって作られている。
「視野が狭くて何が悪い」とか言う人が増え続けていくと、それが世界の不和の原因になってゆく。
いろいろ言われると思う。けど、がんばって。負けないで欲しい。
狭量な人達が押し付けてくる“勝手なイメージ”なんか跳ね除けて!
自分の心を取り戻すべきです。
心が狭くなると人の命まで軽くおもえるようになるのよ!と言ってやってください。
繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。
きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。
君は君の心を信じて良いのだと思う。
“彼ら”の世界も閉鎖的だ、新しい風が入らない構造をしている。
“彼ら”は新興宗教のように「専用の服を作ったり、特異なオブジェを掲げたり」しない。
“彼ら”の場合はそれが“ない”かわりに「例のあの行動」があるのだと思う。
「例のあの行動」を通じてメンバーが一体感を持つのだ。その一体感が自分が騙されているという意識を麻痺させてゆく…
そうでなければ、悪人でもない人が「殺人」も「肯定」できるくらい一生懸命になれる道理がない。
普通の人間の理性をここまで麻痺させるとは異常です。
誰が考えたのが実に巧妙で優れています。効果的に人の人生を、ダメにする。
どこかの誰かの「快楽」の尖兵になっている事実に気がついてはいけないという強力な暗示に皆がかかっている。
その事実を認めたくなくなるほどに蝕むまで。
「外」からの「風」が入らないので、内部の空気はよどみ続けたままだから、そうなるのだと思う。
君は全て背負い込むような感覚を時々もっていたような気がする。僕と別れた後“彼ら”は君に“まちがった”発見をたくさんさせたと思う。
君は自分でそれを発見したと思い込んでいるけど、それは間違いです。
そうした発見を全て背負い込む心理状態になれば“彼ら”はそこにつけ込む。
そして君の心を容易に操る事が出来る。
そうやって君を“従順”にさせるのが“彼らの(中の「そうした人達」の)常套手段”です。
非常に悪質な人心掌握法になります。だから全てを背負い込んではだめです!“彼ら”はそれを狙っています!!そうやって君の心から“情熱”を失わせるのが“彼ら”の手口だ!!だから注意して!
彼らは君を「病気だと主張」するだろう。
毎回いわれたら、そう信じ込んでしまいそうになるかもしれない。
でもそれは間違いです。
君が「正常」であり、おかしいのは「彼ら」なのです。
壁を、乗り越えて!君ならできる。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。
君の事が心配だからです。詳しくは21話参照してください。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
“情熱”を失わせるのが、彼らのオハコだ!気を付けて!
もしかしたら時々、頭の中がぐじゃぐじゃになって大変かもしれない。
それでも頑張って欲しい。君が君でいるために乗り越えないといけない。
君が頑張り続けられるなら、僕も頑張り続けられます。
奇跡を信じて!再会を祈ります。
笑顔の君を信じて。
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〔11月14日(日)曜日〕
生まれ持った欠点を克服する事が不可能だとしても。
その欠点以上の長所をもてばトントンになると思う。
ところが彼らの場合は…
こんな仮定がある。
もし血のつながりがある家族から反対されたら?
君からは家族の話は1度も聞いた事がなかった、どの程度仲がよく、どの程度不満があり、どんな関係なのか…そうした事は1度も聞いた事が無かった。1度もないというのが、逆に触れてはいけない関係であることを想像させるけど、実際のところどうなのだろう。
1度だけ君のお父さんと電話で話した。その時印象的だったのが「…意味わかんないな」とつぶやかれた事だ。“彼ら”はこの言葉をよく使う、特に幹部クラスは。文脈上すこし強引な言い回しでその言葉を入れるのが特徴でもある。それが東京で3年ある人物を観察した結果得た答えの1つだ。偶然かもしれないが、符合する。
君が戦う事を望むとは考えにくい。できる事なら納得して理解してほしいと考えるはずだ。
僕には議論でいいまかす自信がある、でも君はそういうの苦手のはずだ。君は気持ちを行動で表す人だ。心配です。
なぜ言う事を聞けない!と血縁者に迫られたら?
私いくつか知ってる?そういう事いわれる歳じゃないのよ、といってもいいと思う。
家族を棄てるのか!と責められたら?
棄てるんじゃない、自立するだけよ。それのどこが悪いの?と言えばいい。
お前は間違ってる!と言われたら。
間違いは家族の中にもある。私はそれを正したい。と凄めばいいとおもう。
何か言われたらこう言い返していいと思う。
「これは私の人生」
家族の間でも、毅然とした態度はしてもいいのです。
意思表示はしないと、伝わらない。それは血のつながりがあっても同じ事。
言わなくても通じる部分も事実あるけど、言わないと誤解し続ける部分も事実ある。
親は長年の誤解に気づくとショックを受けるようだが、その後は正しいありように気づけてお互いすっきりもする。
僕は東京で、ギリギリまで議論して喧嘩寸前までいったけど、双方そこは理解してギリギリで喧嘩を回避した経験がある。何度か書いているけど、あの経験が今の僕の考えを支えている。
対決を回避したあと、「あのままだとヤバイとおもったんです」と僕が言うと、さっきまで爆発寸前だったその人も「俺もそう思ったんだ」と笑顔で応じてくれた。うまく表現できないけど、通じた嬉しさというのがその時あった。人と通じ合いたいと本気で望むなら、永久の決別を覚悟した対決も必要になる。相手が本当に君のためになる人かどうかは、その時「問われる」のだ。
僕のこうした考えは、やはりあの時の経験が元になっているのかもしれない。
あの時とは、君に告白したあの時だ。
学校の階段近く、人気のないあの場所で、君は僕に別れをつげたあの時だ。
ポニーテールをいつもより高い位置でしてきてくれたあの時のことです。
僕は、ここで別れたらもう2度とあえないと悟った。だから、全てをぶちまけた。
絶対に嫌われると思った。物凄い醜態だった。
でも、君には通じた。
想いは通じる事があると初めて知った時だ。
「そこまで本音を言ってくれた人ははじめて…」
君は最高のかわいらしさで、そう答えた。今でもはっきり思い出せる。あの時の事を君は今でも覚えているだろうか?あの経験が、今でも僕の行動を支えている。上記のような東京での出来事も、この記憶に支えられた行動だと自分では思ってる。人は境界線を越えないといけないときは、事実として存在するのだと、僕は思う。君の意見を聞きたい。
何か言われたらこう言い返していいと思う。
「これは私の人生、もう「カルト」はいやなの、やりたくない」
この言葉で周囲の空気を君のペースにもどせる効果があるかもしれない。
少なくとも、何回も言い続けると、そういう空気を作れると思う。
君にこれが言えた時、大きなターニングポイントかもしれない。
もし家族が君の口からこの言葉を聞いたら、さぞかし驚くと思う。
それほどに破壊力がある言葉だ。
身内からいつものようになにか責められた時、こう言い返せばかなりの破壊力です。
「もうカルトはいやなの、やりたくない」
君が言うと、破壊力あると思う。後は君のイメージ次第だ。
思いのたけをぶつければいいと思う。
世界は広大で広く、想像を絶するダイナミックな時間がからみあって作られている。
「視野が狭くて何が悪い」とか言う人が増え続けていくと、それが世界の不和の原因になってゆく。
インチキで「奇跡」や「たたり」を起こす事で、人の心を落とす集団は他にもたくさんいる。
でも。それが世界の全てではないのです。
君は全て背負い込むような感覚を時々もっていたような気がする。
君は僕と別れた後“彼ら”に“まちがった”発見をたくさんさせられたと思う。
君は自分でそれを発見したと思い込んでいるけど、それは間違いです。
そうした発見を全て背負い込む心理状態になれば“彼ら”はそこにつけ込む。
そうして君の心を容易に操る事が出来る。
そうやって君を“従順”にさせるのが“彼らの(中の「そうした人達」の)常套手段”です。
非常に悪質な人心掌握法になります。
だから全てを背負い込んではだめです!“彼ら”はそれを狙っています!!
そうやって君の心から“情熱”を失わせるのが“彼ら”の手口だ!!だから注意して!
油断していると、本当にこの暗示にかかります。
相手は親切心につけこんで、あたかも君が自分で決断したかのように“錯覚”させるプロです。
相手に親切心を利用されないようにしないと、永久にいいように利用されてしまいます。
繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。
きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。
君は君の心を信じて良いのだと思う。
君は“彼ら”に僕の人生に対する責任を問う勇気がありますか?
僕は賭けをしています。
君が僕に告白するかどうかと。
君が“彼ら”に僕の人生に対する責任を問う勇気があるかどうかと。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。
君の事が心配だからです。詳しくは21話参照してください。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
“情熱”を失わせるのが、彼らのオハコだ!気を付けて!
皆が邪念に負けた、けど天は見放さなかった…、正す機会を与えてくれた。
後はその機会を人間がどう生かせるかどうかという事ではないでしょうか?
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
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〔11月15日(月)曜日〕
昔、ヤマギシ会とかいう団体があった。
詳しくは知らない。わかる事といえば、カルトであり、随分前問題視され、今はない団体という事だ。
この団体がニュースになったのは、たしか学校問題だったと思う。
ヤマギシ会は自分たちだけの学校をつくろうとして問題になったからだ。
ヤマギシ会は私有財産を否定してメンバー全員で財産を共有する社会を実践した。
田舎に広大な敷地を購入して、構成員は財産を全て差し出す代償として、そこで生活できる。
敷地内には学校以外の全てのものがあり、敷地内だけで暮らせる仕組みだ。
敷地内には通貨すらなく、欲しいものがあれば申請用紙に記入すればもらえたらしい。申請が通らなかったらどうなるのかは知らない、ただ、ニュースの中では、子供がチョコレートを申請した3日後、大量のチョコが手渡された映像を見た。加減がでたらめだなとその時は思った。
理想のコミュニティーは周囲から隔絶した独立国の様相を呈した。
…東京で本屋にいた頃、客注品でこのヤマギシ会の問題を書いた本を取り寄せる仕事をした。
ニュースにもならなかったが、人しれず崩壊していたようだ。
他のカルトの本を読むと、客観視できるかもしれない。
○「カルトの子―心を盗まれた家族」
(文春文庫)¥ 670 ISBN-13: 978-4167656935
○「ヤマギシ会の暗い日々」
(野草社)¥ 2,100 ISBN-13: 978-4787794819
○「洗脳の楽園―ヤマギシ会という悲劇 」
(宝島社文庫) 中古のみ(アマゾンで購入可)ISBN-13: 978-4796615747
(※余談ですがISBNとはインターナショナルシリアルブックナンバーの略だと思う、本を特定できるものです)
上記2番目の本「ヤマギシ会の暗い日々」のアマゾンの説明文には面白いことが書いてある。
以下はその抜粋です。
(ヤマギシズム特別講習研鑽会―「特講」と呼ばれる一週間の合宿生活のなかで、ほんとうの自分に出会い、自由の喜びに感動した私が、なぜ、強烈な「集団我」の世界に埋没していくのか。ヤマギシ会発足から四十年―いま、次々と明らかにされるヤマギシズム社会の実態に、統一教会を知る人は「統一教会と同じだ…」と言い、創価学会を知る人は「創価学会と同じだ…」と言う。誰の目にも触れずに秘かに書き記された本書は、ヤマギシ会の日常を描きつつ、「個と集団」という普遍的テーマを照らし出す。 )
客観視は必要だと思う。
もし、その事をいけない事だと誰かに(血縁者を含む)言われたら?こういい返せばいい。
「そういう所、カルトなのよ」と。
※これを書いた時点で勘違いしてたけど、まだヤマギシ会は存続しているみたいだ。
憎まれっ子世にはばかるがごとく、カルト世にはびこるだ。
勘違いした理由には心あたりがある。
取り寄せた本のオビに「崩壊」と書いてあったからだ。
たぶん下記の裁判で負けた件を拡大解釈で崩壊としたのだろう…。
その裁判とは、子供の頃からヤマギシ会で育った女性が成人し、財産返還請求をして裁判で勝ったことをさしています。よくよく調べてみると、知らない事実があるという事はやはりあるようです。そんな意味もこめて、日蓮の現存する正筆御書、みるといろいろ発見があるかもしれない。と君につたえます。負けないで欲しい。
心を解きほぐして!
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〔11月16日(火)曜日〕
自分が、うわついた気持ちでないと確信する“方法”…
見つかると思えば(思い続ければ)到達できると信じます。
自分で“そうしたこと”は確信できないと、なかなか人には伝えにくいもの。
君が何をもって“そうしたこと”に“確信”できるのか…、答えを知るのは君のみです。
君が答えに到達し「後悔してないよ」と言える日を信じます。
焦りは禁物。ゆっくりいきましょう。
全てが未来の糧になると、晴れない雨はないと、そういうイメージ。君に贈ります。
晴れた天気を思い浮かべるだけでも、だいぶ違うものがある。
彩りは、イメージと共に心に浮かび上がるものです。
心の豊かさを忘れずに。
うわついた気持ちでないと確信する“方法”…
もしかしたらそれは、自分の中の“うわついてない気持ち”と“うわついた気持ち”の2つを同時に受け入れる感覚を抱けた時、答えが出るのかもしれない。これは言葉遊びでなく、現実にそう思う。
小説を書く上で、ただ「まじめ」に書くだけでは面白い作品はできない。
しかし、「うわついている」だけでも、いまいちな作品しかできない。
「まじめ」さと「うわついた」感覚の双方が織り交ざって、練り上げて、面白さがでると思う。
なぜ、そうすると面白く感じる作品になるのか?
それは作品に「心」が生じるからだと思う。
つまり、人の心とは、そうした「まじめ」さと「うわついた」感覚の双方が織り交ざって出来ているのだと思う。
だから、うわついた気持ちを無理に否定せず、受け入れる場所を心に何処かに設けた時。確信できる“何か”への道しるべが出来るのかもしれない。
そんなイメージ、君に贈ります。なにか役立つヒントになれば、嬉しいです。君の心に奇跡が宿る事を信じて。
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〔11月17日(水)曜日〕
昔、なんのドラマだったか忘れたが、こんな話があった。
犯人が恋人の昔の男で、恋人はその事に動揺してしまう…
彼女は昔の肉体関係のことで後ろめたさを感じて、正常でいられなくなる。
すると主人公は恋人にこんな事を言う。
「俺と最後まで添い遂げれば、俺がお前を一番多い時間抱いた男になる。それでも不満か」
…女の人は泣き崩れ謝るのだ。貴方の気持ちも考えずごめんなさいと。
これが正しい答えか(ありようか)わからない。
でも妙に印象に残っている。
18年前、2人きりでいたとき「これは“お芝居だから”」と言って、僕は普段いえないようなことを言った事、覚えているだろうか?今もそれをしてみようと思う。
これはお芝居だから言えるのだけど…。普段の僕の人格はこんな事は言わないし、言えない。
でも芝居なら、言える。
「君をこんな風にしたやつが許せない、絶対に」
芝居でないとこんなセリフ言えない。
18年前、僕がお芝居をすると、君も「私もお芝居」といって素敵な事をしてくれた…
今なら、君はどんな事をしてくれるのだろう。
お芝居なら、普段言えない事や、やれないことも出来る。
君のお芝居に期待さしてください…
運命はまだ巡っていると信じて。
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〔11月18日(木)曜日〕
こんな事思い出す…
あれは神社で2人で会っている頃の記憶で、季節は多分「秋」か「冬」…もしかしたら今くらいの季節かもしれない。
当時僕への“彼ら”の攻撃がすごかったのかな?僕は体調がおかしかった。
それに加えて受験のプレッシャー等で、まいっていた。
「おなか痛くなるんだ」
とか弱音を君に吐いた事がある。
1度目や2度目は君は聞き流してくれた、でも数度かさなるとキレたのを覚えている。
「どうしてそんな事いうの!」
と言われた…
当時の君は孤立無援の状態だった、なのに当の僕がのんきに弱音をはいているのだ、本当なら秘密に気がつき共に戦わないといけないのに。
今はどうなのだろう?
少なくとも、僕はこう考える。
「死にたい」とか絶対言わないでよと。
…いや、言う分にはかまわない、でも実行しないでほしい。
これはお願いではないのです。伝わるかな…正確なニュアンスが。
僕の言い方は時々、物凄く微妙だ。過去の君の記憶でも時々そう感じる事があったと思う。
でもわかりやすく言い換えると、気持ちが上手く伝えられない、そんなジレンマを僕はもっている。
そんな感覚、君も持っていたように感じるけど、どうかな…。
前にも何処かで書いたかな…
僕が東京でやっていた心のコントロール法の1つ。
つらいとき、あえて死にたいと口にする方法。
これが言えているうちは、まだ心をコントロールできている証拠だ。
もしこれが「言えなく」なるほど追い込まれた時は、「本当の限界」だ、と自分に言い聞かせた。
だからあえて口にすることで「まだ(限界じゃない)大丈夫だ」と、自分の心の限界度合いを図っていた。
そんな事、やっていたと、この小説のどこかにも書いたと思う。
だから仮に口にするのはいいけど、実行はしてはだめです。
そこまで追い込まれてなければいいけど。
けど大丈夫、Fさんは強い人だ。必ず乗り越える。
そう信じます。
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〔11月19日(金)曜日〕
ヘルパー講座の本にこんな事書いてあった…
自立と依存は対立する概念ではない、むしろ自立にとって依存はかかすことのできないものだと。
人は甘える(依存する)という経験を通じて、自立してゆく。
こんな事思った。
「できる」と思っていたことがある日「できない」ときづくと、人は相当なショックを受ける。
「できない」という事実を受け入れるには相当な時間が必要であり、中には全てを拒絶してしまう人もでてくる。
しかし、何かのきっかけで、解決の糸口が見出せたりする。
ふっきれる瞬間というのがあるのだと思う。
君が何かしらのショックをうけても、立ち直り生き返る事を信じています。
こんな事も思う…
高校時代、演奏練習をしているとき、君は一度も「そこはこうよ」とか「違うもう1回」とか、1度も言わなかった。
君が一番の実力者なのに、一度も自分が前に出ようとしなかった…
遠慮がちな性格はとてもかわいかった。
だから、その後の人生も多くの部分でそうした君でいた事と推察する。
相手に君の意図を汲み取る意思が「ない」場合、悲劇が多くやってきそうで心配です。
だから、今回の件は、少なくとも君の「意思をないがしろにしてきた連中」に対して、それが間違いである事を周知させられたと感じる。
「意思」を汲んでもらえない憤りを君はいつも感じていたのではないだろうか?
この小説は君がいえなかったことを、言ったことになる。
(※当初は本当に酷かった…、小学生が近寄ってきて「ドスケベ!」とつぶやいてきたり、創作と思われてんだろうな、と感じた。今はそういうのない、君のなにかしらの意思表示があったと思いたいところです。いつか何があったのか聞かせてください。告白された事は胸にしまうつもりでいます。僕は賭けをしています。君が僕に告白するかどうかと。そこが、大きなターニングポイントになる。それは事実です。)
(※有名人は殺せないといのが彼らに限らず、この世のセオリーです。アウンサン・スーチーさんがミヤンマーの軍事独裁政権に殺されなかったのがいい例です。むしろこそこそ隠れた方がヤバイ。君の名はある程度そちらで通じるものなのだろうか?もしそうなら、そういう意味でも君には優位性が存在する。)
世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです、
手が出せば届くような単純なものではない。
単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。
Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!
君の周りの人に伝えてください。
「わかろうとしないのは目の前しか見ていないからよ」と。
「教えが正しいとか間違ってるとか、そういう問題じゃないのよ!」と。
「それもの凄い犯罪なのよ!わたしそれに気づいたの、もう戻れないわ」と。
彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。
これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。
教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。
“質”が問われているのです。そう伝えてください。
君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。
君は自分で思っている以上に強い人です。
犯罪者にいつまでもいたくない人は君も含めてたくさんいるはずです。この事実否定は相当難しいと推察します。この事実に直面してショックを受ける人たくさんいるでしょう。でもそれが人生です。介護をうける年代になれば誰でも人生最期のショックに直面する事実がある。この世はぬるま湯ではなく、こういうことの繰り返しです。受けたショックを乗り越えるのは簡単でないにしろ、その「乗り越える」行為そのものは、この地球上で何億人という人間が繰り広げている「日常の1コマ」であり、特別な出来事ではないのです。でも乗り越える際に必要なのは、そうして理屈ではなく。感覚が大切なのだと思う。自分の大切な何かが「なに」か?振り返る余裕が生まれたとき、答えにたどり着けるのかもしれない。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください(周りにもすすめてください)。
「皆が」が邪念に負けた、けど天は見放さなかった…そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょうか?
君が「埋没費用の呪い」にかからず、冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
何か言われたら、こう言ってください。
「私には命をかけてくれる人がいる、この人は私を邪魔になんか決して思わない人よ」と。
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※君に伝えます。
このサイトは自分の書いた作品のみアクセス数がわかるようになってる。
東京にいたときはナローバンド回線で、アクセス数を調べるのが難しかったせいで使ってなかったが、ふと思い出して調べてみた。今ならブロードバンドなので容易にわかる。
一応毎日誰かが見ているようで、けっしてゼロという日がないようだ。でも誰が見たかまではわからない。
総計5000人(アクセスだけなら1万)を越えているが、そんなものか?とも思う。
予想より少ない。
この中のアクセス数に君がいることを信じます。奇跡を信じて。
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〔11月20日(土)曜日〕
こんな風にも思う。
僕は「速読ができたらいいな」と思う。
そうなれば、たくさん本を読めるからだ。
だが実際はどうかというと、なかなかできない。
なぜならば、時間をかけてじっくり咀嚼しながら読むのが好きだからだ。気に入ったものは丁寧に読み、読みながらあれこれ考えてイメージをふくらます…そんな読書がぼくの好みなのだ。(だから喫茶店とかファストフード店で読むのが一番好きです)
だから読書速度はすこぶる遅い。本屋時代、みな他の店員がものすごい速度で読んでいる事に驚いたものだ。
そんな背景もあり、読み方も工夫もあれこれした。
速読とまではいかないが、早く読む方法もそれなりにもっている。
「なにも考えない」と念じながら本の文字を目で全部追う方法だ。
数度繰り返せば詳細はともかく“なんとなく”のイメージは身につく…。仕事上必要な文章など読むとき効果的だ。
でもこの方法は味気なくて好きでない。
やはり、大好きな分野の本をじっくり時間をかけて読むのが楽しい。
“君”も彼ら的行動を強要された時、もしかしたら何も考えない、なにも感じない…と自分に言い聞かせたのだろうか?
似た感覚の持ち主だったので、もしかして…とおもった。これはあまり自信の無い直感に近い考え、外れる確立80%だけど、20%くらいもしかして…と言う気がしてしまい、聞いてみたいなと思うような、そんな考えだ。
君も自分を殺してきたのだろうか?
必要にせまられてそうしたというなら、それは緊急回避という事でなにも問題はない。でも四六時中「緊急回避」はつらいと思う。自分の考えや価値観、感覚が生かされてこそ「生きている」という意味になる。誰かの人形はいやでしょ?
君は人形扱いされるのを嫌がっていたと思う、違うかな?
人扱いされたがっていた。
今も変らない様に思う。
時間をかけて答えを出していいと思う。
心の伴わない「すばやい答え」は僕も望まない。
それにもう2度と騙されたり、裏切りにあいたくないともし感じているなら、慎重になるのも当然な訳だし。(そういう状態にまだなってないのかもしれない?)…どうなのだろう。今も君は戦っているのだろうか?
1つだけ確かな事実は、“彼ら”は君を心のない人形扱いしようと、虎視眈々狙っているという事実だ。油断していると、気がつかないうちに“彼ら”の放つ罠につかまる。自覚できないくらい巧妙なのがその特徴でもある。その心を蝕む手法は(何度も書いたが)下記の通りだ!
君は全て背負い込むような感覚を時々もっていたような気がする。
君は僕と別れた後“彼ら”に“まちがった”発見をたくさんさせられたと思う。
君は自分で「それら」を発見したと思い込んでいるけど、それは間違いです。
そうした発見を全て背負い込む心理状態になれば“彼ら”はそこにつけ込む。
そうして君の心を容易に操る事が出来る。
そうやって君を“従順”にさせるのが“彼らの(中の「そうした人達」の)常套手段”です。
非常に悪質な人心掌握法になります。
だから全てを背負い込んではだめです!“彼ら”はそれを狙っています!!
そうやって君の心から“情熱”を失わせるのが“彼ら”の手口だ!!だから注意して!
油断していると、本当にこの暗示にかかります。
相手は親切心につけこんで、あたかも君が自分で決断したかのように“錯覚”させるプロです。
相手に親切心を利用されないようにしないと、永久にいいように利用されてしまいます。
繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。
きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。
君は君の心を信じて良いのだと思う。
「君は僕に」は“彼ら”に「人生を返せ!」と主張する権利があると思いますか?
「僕は君に」は“彼ら”に「人生を返せ!」と主張する権利があると思う。
「君」の行動に期待さしてください。
何か言われたら、こう言ってください。
「私には命をかけてくれる人がいる、この人は私を邪魔になんか決して思わない人よ」と。
なにか、そちらの世界なりのいい訳があるのだと思う。
…でも、そんなもののために、1度しかない人生を犠牲にされるのは間違っている。
「今度はあなたが人の都合を聞く番よ、さんざん他人の都合を無視してきたんだから、文句は言わせないわよ!」と、言って良いと思う。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
「皆」が邪念に負けた、けど天は見放さなかった…そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
頑張れ!
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〔11月21日(日)曜日〕
こうも思う。
人間「つらい事」をたくさんさせられると、些細な事も「幸せ」に感じると思う。
これは一般論だ、普通に生活している人間ならだれもだ到達する概念だ。
で、こうも思ったりする。
“彼ら”の「例のあの行動」も、多くの人には「(そうとう)つらい」もののはず。
何しろ意味無く人をおとしめているのだ、倫理観があればそうとうなプレッシャーになる。
心身クタクタのはずだ。
…でも心身クタクタになる甲斐あって(“彼ら”の「例のあの行動」が)「つらい」が故、日常の些細な事も幸せに感じられるようになる。それが彼らの「行動の意味(価値)」の真髄なのだろうか?
そのうち「たくさん辛い事(=彼ら的行動)」をするほど、より些細な日常に幸せを感じられるようになっていくのかもしれない。
そうして感覚が麻痺していき、「殺人」も「肯定」できるくらいの集団行動も出来るようになるのかもしれない。
そのうち「それ」がないと幸せを感じられなくなり、生きていけなくなるのかもしれない。
君もそうした「つらい事」たくさんさせられて、日常の幸せを「より」幸せに感じさせるよう洗脳されたのだろうか…
君はどう思う?上記のようなものは、ワザと不治の病にかかる事で、命の大切さを学ぶのに似ている。
正常な感覚であれば、おかしいと思うはずだ。
それにそれらは命に対する冒涜であり、本当にその病で苦しんでいる人らへの侮辱になる。
「目」は見開いて、前をみなければいけないのだと、強く君に届けます。
「つらい事」をたくさんすると幸せが大事に感じるのは事実。でも、
「つらい事」とは、本来は「試練」のはず。
犯罪=試練ではない。暗示にかかると、気がつかなくなるのだと思う。
誰が考えたのが実に巧妙で優れています。効果的に人の人生を、ダメにする。
誰かの「快楽」の尖兵になっている事実に気がついてはいけないという強力な暗示に皆がかかっている。
誰もがその事実を認めたくなくなるほどに蝕むまで。
「外」からの「風」が入らないので、内部の空気はよどみ続けたままだから、そうなるのだと思う。
「例のあの行動」を通じてメンバーが一体感を持つのだ。その一体感が自分が騙されているという意識を麻痺させてゆく…
Fさん、いろいろ言われると思う。けど、がんばって。負けないで欲しい。
狭量な人達が押し付けてくる“勝手なイメージ”なんか跳ね除けて!
自分の心を取り戻すべきです。
心が狭くなると人の命まで軽くおもえるようになるのよ!と言ってやってください。
味方もいるはずです、東京でも経験が、そう僕に確信させる。
女性はまともな人結構いた。話していてわかる。
いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。
いろいろあると思う。けど、がんばって。負けないで欲しい。
多分君の周りには悪意なく“そういう事”が出来る人がたくさんたくさんいると思う。
それは悪意があるのではなく、心が内向きになっていて、外に向いていないからだと思う。
心が外向きになれば、人として持つ“当たり前の感情”が戻ってきます。
そう、周りの人に言ってやってください。
繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。
きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。
君は君の心を信じて良いのだと思う。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
「皆」が邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、
それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、
誰も責任取ってはくれないよ!」
「老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。
もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
君は「うれしい」という言葉をはずかしがって使わない。
その代わり、笑顔と行動でその気持ちを表現する。そんな君の様子はものすごくかわいい。
君は気持ちを行動で表す人だ。僕が18年前こう想っていたと、君は気づいていただろうか?
当時僕はその事を君に言わなかった。
なぜなら、当時は君のあまりの存在の大きさに圧倒されてしまい、それどころではなかったからだ。
当時君は僕の天使であり、一緒にいるだけで最高のしあわせだった。
君が笑顔を取り戻せるまで、何度でも。なんどでも、なんどでも。言おうと思う。
Fさんの満面の笑みは本当に素敵です。
彩りにみちています。
頑張って!
自分を解きほぐしてほしい!!
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〔11月22日(月)曜日〕
こんなニュースを見た。
今「甘草」という薬草の調達に懸念が生まれているらしい。
この薬草は風邪薬の主成分として有名で、広く薬(漢方薬を含む)に調合されているものだ。
主な産地は中国で、最近規制がかかって輸入量が減らされる傾向にあるらしい。
中国政府の言い分もわかる。貴重な資源を安く買い叩かれ、枯渇させられてはかなわんと思っているのかもしれない。
そこで「甘草」の人工栽培が研究されているらしい。
ニュース映像ではガラスケースに入った薬草が育成されていて、研究員があれこれ説明していた。
ポイントはいかに「ストレス」を薬草に与えるか?という所だという。
通常、自然界ではさまざまなストレスがあり、これが育成に欠かせないものだという。
どういうストレスを与えたら適切に人口栽培できるか?日々研究されているらしい。
同じ事を「マツタケ」の人口栽培のニュースを見たときも聞いた記憶がある。
マツタケの菌糸そのものを培養することは簡単らしい、しかし、その菌糸をきのこの形にさせる条件というのがわからないというのだ。
やはり、そこでも鍵になるのが「適切なストレス」だという。
どういう条件のストレスをかけたらいいのか日々研究されているらしい。
“彼ら”の「それ」も「人口栽培」と同じなのだろうか?
無実の人間をおとしめるという行為は、普通の感覚の人間なら、耐え難いストレスのはずだ。
そうしたストレスを受ける事により、身近な幸せが大事に感じられ、人生を楽しむことが出来る?と考えているのだろうか?
他人の生き血をすする事で幸せを感じる人々…
若い世代なら「賢者の石」と「赤い水」を連想するだろうか?
こういう話は軽い話題に例えた方が飲み込みやすい。
「鋼の錬金術師」という漫画・アニメの中で、主人公たちは賢者の石を追い求める。
賢者の石さえあれば、母親を生き返らせられる。そして生き返らせようとして失敗した過程で失った自分の足と腕に、弟の肉体を取り戻すことができるからだ。
そんな魔法のかなう賢者の石を追う話が「鋼の錬金術師」の骨格だが、結論は悲劇的になってゆく。
賢者の石を作るには、大量の「生きた人間の命」が必要なのだ。生きた人間から「赤い水」をつくり、それを練成して作られるのが賢者の石の正体だった。
これはアニメの話だ。
現実の世界で、人間の生命を大量に犠牲すすっていきる集団など、いるはずがない。
ナンセンスもいいところだ。
“彼ら”の「例のあの行動」は、多くの人には「(そうとう)つらい」もののはず。
何しろ意味無く人をおとしめているのだ、倫理観があればそうとうなプレッシャーになる。
心身クタクタのはずだ。でも心身クタクタになる甲斐あって(“彼ら”の「例のあの行動」が)「つらい」が故、日常の些細な事も幸せに感じられるようになる。それが彼らの「行動の意味(価値)」の真髄なのだろうか?人間「つらい事」をたくさんさせられると、些細な事も「幸せ」に感じると思う。
そうした「たくさん辛い事(=彼ら的行動)」をするほど、より些細な日常に幸せを感じられるのだろう。
そうして感覚が麻痺していき「殺人」も「肯定」できるくらいになるのかもしれない。
そのうち「それ」がないと幸せを感じられなくなり、生きていけなくなるのかもしれない。
そして最悪な事に、愛する子供にまでそうした下劣な行為を勧められる異常な心理状態になるのだ。
君もそうした「つらい事」たくさんさせられて、日常の幸せを「より」幸せに感じさせるよう洗脳されたのだろうか…
君はどう思う?上記のようなものは、ワザと不治の病にかかる事で、命の大切さを学ぶのに似ている。
正常な感覚であれば、おかしいと思うはずだ。
それにそれらは命に対する冒涜であり、本当にその病で苦しんでいる人らへの侮辱になる。
「目」は見開いて、前をみなければいけないのだと、強く君に届けます。
「つらい事」をたくさんすると幸せが大事に感じるのは事実。でも、
「つらい事」とは、本来は「試練」のはず。
犯罪=試練ではない。暗示にかかると、気がつかなくなるのだと思う。
こんな事も思う。
老後、誰と支えあいたいか?
その頃この世にいない人にとやかく言われる必要はない。
年をとり、体が弱った頃。想い出が自分を支える事になる。
その時になって後悔するか?しないか?
僕は君の心に賭けています。
君にとっての大事な“なにか”が何なのかに…
人は、想い出によって形作られている。
僕は少なくともそう思うし、そういう体験をした。
そう君に教わったからだ。
そして出来るならば、似た考えの人物がパートナーであればいいなと考える。
記憶の価値は、君の何か…、
いつか答えを行動で教えてくれる日を信じます。
何度も言いますが、僕は生きています。
最近冷え込んできたけど、君の感じているこの「寒さ」と同じ寒気を、僕も感じているのです。
同じ世界で、同じ自然の影響下に、共に生きています。
今も僕は生きていて、同じ世界の同じ空気を吸っている事を忘れないでください。
何か言われたら、こう言ってください。
「私には命をかけてくれる人がいる、この人は私を邪魔になんか決して思わない人よ」と。
そちらの世界なりのいい訳があるのだと思う。
…でも、そんなもののために、1度しかない人生を犠牲にされるのは間違っている。
「今度はあなたが人の都合を聞く番よ、さんざん他人の都合を無視してきたんだから、
文句は言わせないわよ!」と、言って良いと思う。
本来の人生の試練とは、普通に生活していて訪れるものだ。
そうした試練から受けたストレスが、人格を育ててゆく。
“彼ら”の提供する試練とストレスは人為的なものだ。
人工栽培の際、用意される人工のストレスとかわらない。
そして肝心な事に、その人工ストレスは、あまり質のいいものではないという事実がある。
それが証拠に人格面で「おかしくないか?」という人格を大量生産する仕組みになっているからだ。
見た目は普通かそれ以上でも、中身はボロボロ。
これを完全に言いがかりと言い切れない人格の持ち主が、たぶんそちらの世界には多いと思う。
そうした世界で育成されたのは非常に不幸なことだ。
だが、人間は「きのこ」や「甘草」と違い、自分で可能性を導き出せる生き物だ。
可能性を信じて、前に踏み出す努力は、必ずなにかしら得られるものがあると信じます。
世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです、手が出せば届くようなものではない強大なダイナミズムで動いている。日本とて例外ではない。
せまい世界のなかだけで完結しないという事だけは、間違いようのない事実です。
けっして単純ではない。
単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。
Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!
君の周りの人に伝えてください。
「自分たちだけが一方的に正しいと思っているのは恥ずかしくないの!?」と。
「理解を示す心の広さはどこへやったの?」と。
「真実に目を向ける勇気はどこへいったの!?」と。
彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。
わかろうとしないのは、個人個人の“質”の問題です。目の前しか見ていない。
そうした自分都合の連中に負けないで!
“厄介な人”多いと思うけど!負けないで欲しい。
君が戦い続けられるなら、僕も戦い続けられます。
これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。
教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。“質”が問われているのです。そう伝えてください。
君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。君は自分で思っている以上に強い人です。笑顔を取り戻して!再会を!
…君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
三界に家を建てるには、君が必要です。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
奇跡を信じます。
油断しないで!
彼らは本当に虎視眈々と君を引き戻す機会を伺っている。
自覚できない巧妙な手段を講じてくる。
非常に洗練されている。
戦ってほしい、負けないでほしい。
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※一応、これを書くとどんなバイアスがかかるかを見たいという希望があり、書きます。
こちらに来て早々、就職活動をして面接をうけた。
社長じきじきの直接面接で、喫茶店につれていかれた。
通常、このパターンだと、まずこちらの人物像をみるために和やかに始まるのがセオリーだ。
だが、席につくに早々、社長のケータイがなり、ケータイで話し終えたあと、急に雰囲気が険悪になったのを覚えている。なにかひっかかった。
今でこそいないが、当時は挙動不審者は必ず毎日見る勢いで、当時も見た。
かならず車椅子の人と出会う。(これは今もたまにある、偶然かな)
ほのめかしもあった。
「時間を置いたほうが懸命だ」
と思ったのは確かだ。
そろそろ大丈夫だろうか?どうなのだろう…。
とにかく、これを書いてどんなバイアスがかかるか?
そんな事をおもった。
※この小説の月別の過去最高アクセス数は1,180アクセスで今年の5月だ。
この数字、君の行動と何か連動があるのだろうか…?考えすぎかな。気のせい?
まあ、何にせよゆっくり行こうと思う。焦ってもダメだし。着実に、慎重に。
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※これも書くとどういうバイアスがかかるか見たいもの。
こちらに来たばかりの頃は、めずらしい大排気量スポーツカーなどが自宅の窓から見れてたのしかった。ところが最近は通報しつくしたせいかめっきり来なくなった。
かわりに良く見るのは大小のトラックだ。
特についさっきみたのは、僕が見ても「え?それいいの?」というやつだった。
青い荷台に白い文字ででっかく家具屋?かな。屋号がかかれたトラック。
他のトラックは「走行中止む得ぬ騒音」の範疇を逸脱しない走りなのに、この青い荷台のトラックはあきらかに逸脱した不自然な挙動。屋号のばっちり見えるトラックの奇行は動画にとって投稿するとおもしろそうだ。もしくは屋号の先に動画データを送るのもありなら、家具の全国団体へ送りつける方法とか、単純に当局に送る方法もある。
以前述べたが、この嫌がらせは「ルールのルール」を破ったものが負けるのだ。
このトラックの運転手はやっちゃった1人になる。
完全にルールのルールを破っている。
…何が言いたいのか?
アレだけの数の人間、必ずこういうミスをする人間は出てくる。
手堅く守りに徹して、相手のミスを待つのも1つの対抗策だと思います。
君は戦っているのだろうか?
そんな方法もありますと、以前も書きましたが、また言おうと思います。
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〔11月23日(火)曜日〕
こんな記憶もある…
東京で10年以上友達してくれていた彼が、ある日突然夜電話してきて、皆で飲んでる、出て来いよと言う。10年以上の付き合いだが、そんな事ははじめてだった。
結局行かなかったのだが、後日、あれはどういう事か?と聞くとすこぶる歯切れが悪い。
どういう面子で飲んでいたのかも明確にしないし、どういう理由で集まり、どういう理由で電話したかも納得する答えを言わない。僕のこと話したら、「呼べ!」と言われた…という。
一体どんな話をしたのか?
どういう経緯で僕が話題に上ったのか?
詳しく質問するが、どれ一つ明確に答えない…。
今日も何処かで“彼ら”の面子が飲み会を開き、僕を話題にするのだろうか?
たぶん当時そういう経緯で、どんなやつか呼んでみよう、気づかないさ!
というノリだったのだろう。
本能的に行かなかった僕が正解だったのだろうか…?
Fさんはどう感じる?
これは別の時期、別のやつの話だが、東京で総攻撃を受けていた時期、僕が実家へ帰るのを悟った彼らは急に飲み会に誘い出した。いままで一度もないのに物凄く不自然…、行くはずないだろうと思いつつ、笑顔でさそうそいつに笑顔で行かない事を告げた。
誰を攻撃するか?成果はどうだったか?とか、こういう飲み会の席とかで“ノリ”できまるのだろうか?実態を知る君はどう思うのだろう…、違うのかな、そこまでくさった組織じゃないのかな?
軽いノリで鬼畜になれる猛者ばかりでない事を僕は知っていたりします。
こういうやつは一握りだ。
Fさん、僕には“彼ら”に「人生を返せ!」と主張する権利があると思いますか?
この事実を否定するのは相当難しいはずだ。どんな屁理屈をひねり出すのか一苦労だと思う。
けれど僕はあえて“その権利を行使”しない。過去の文面を読んで欲しい、一度だって要求してない。
その代わりこう言いたい訳だ。「もう一度君にあいたい」と。
そして、生活を立て直すけど、「邪魔しないでほしい」と。
(…一瞬でも「それって当然の言い分だよな」と感じていただけたら幸いです)
それでもそれが「贅沢だ!」と言う人がいるならば、何を持って贅沢ではないのか定義を明確にしてほしいものだ。
単に自分たちの贅沢が(快楽が)侵害されている事に怒っているだけという事実に気づかずに反論できるのだろうか?
「別に人生を全部返せって言う、無理な(実行不可能な)相談をしているわけではない」
…という事実があります、これはささやかな奇跡を期待しているだけの事なのです。
もし、飲み会の誘いに乗っていたら、僕はどうにかなっていたのだろうか?
君はどう思う?
心配してくれるのかどうなのか…、いつか気持ちをぶつけにきてください。
お願いします。奇跡を信じて。
こんな事も思う。
うちの父は元気だ、70を超えているとは思えない。体はどこも悪くないし、頭もまったく衰えていない。
特に特別な事はなにもしてないのだが…
あれはたぶん「性格」のなせる業だと思う。
常人とは比べられないほどのインスピレーションの持ち主だ。
君ならわかるかな?僕の性格に似ている。
あの性格のおかげで、ストレスらしいストレスから短時間で回復する。
“超”楽天的性格だ。
問題も無くはないが、おおむねいい人だ。
僕の“超”鈍感もある意味あの性格の類似型なのだろう…。
僕はこの父親からもらったインスピレーションをどうにか“役に立つ”ものにしたくて格闘してきた。
そんな人生が送れたのも、父譲りの超楽天的性格のおかげかもしれない。
…僕もこのまま普通に暮らしていけば、やはり同じように70超えてもボケもせず、体も壊さず普通に要られるのだろうか?
そんな未来、あるのかもしれないし、ないのかもしれない。
でも実例がいるので、虚勢ではなく、高い可能性でそうなりそうな気もする。
事実、僕はほとんど病気をしない。
君はどんな未来を思い描いているのだろう?
楽天的性格を反映してなのか、こんな事思ってしまう。
TVのニュースで探査機「はやぶさ」の中に微粒子が…、というやつ、連日流れている。君も1度は見たのではないだろうか?
あの探査機「はやぶさ」は小惑星まで行って帰ってくるという前代未聞の行程を成し遂げた探査機だ。
映画「秒速5センチメートル」の中にも「はやぶさ」そっくりの探査機が登場する。第2話で種子島で打ち上げられるやつだ。
原作者談では、偶然の一致という事で、とくに「はやぶさ」を意識したわけではないという。
しかし劇中で主人公の少年は、探査機と自分を重ね合わせる…。
たった一人で、孤独にたえながら長い長い道のりを目的地を目指してただひたすらすすむ探査機。
劇中の主人公も、最愛の人に会いたい思いをただひたすら目的にしている。相手は完全に音信不通なのに。
ニュースで「はやぶさ」をみると、いつも映画「秒速5センチメートル」のそのシーンを思い出す。
無駄かもしれなくても、たった1つしかない目印を見失うことなくめざす。遠くの遠くの目標、どこまで、行けるだろうと。
“彼ら”は君にいろいろしたのだろうか…
もし事実なら、この18年間、同じ苦難の一端を君と共有していた事になる。
それは僕にとっては(奇妙な事に)誇らしくも感じてしまう。
繋がっていたのだろうか?どうなのだろう。
だとしたら、2人の時間は断絶したわけではなく。
図らずも“彼ら”を通じてつながっていた事になる。
もしそうなら、切なくも、こそばゆい奇妙な想いになるけど…、どうなんだろう。
あくまで仮説です。いつか疑問が解ける日を夢見ます
君は全て背負い込むような感覚を時々もっていたような気がする。
君は僕と別れた後“彼ら”に“まちがった”発見をたくさんさせられたと思う。
君は自分でそれを発見したと思い込んでいるけど、それは間違いです。
そうした発見を全て背負い込む心理状態になれば“彼ら”はそこにつけ込む。
そして君の心を容易に操る事が出来る。
そうやって君を“従順”にさせるのが“彼らの(中の「そうした人達」の)常套手段”です。
非常に悪質な人心掌握法になります。
だから全てを背負い込んではだめです!“彼ら”はそれを狙っています!!
そうやって君の心から“情熱”を失わせるのが“彼ら”の手口だ!!だから注意して!
“彼ら”の「例のあの行動」は、多くの人には「(そうとう)つらい」もののはず。
何しろ意味無く人をおとしめているのだ、倫理観があればそうとうなプレッシャーになる。
心身クタクタのはずだ。でも心身クタクタになる甲斐あって(“彼ら”の「例のあの行動」が)「つらい」が故、日常の些細な事も幸せに感じられるようになる。それが彼らの「行動の意味(価値)」の真髄なのだろうか?人間「つらい事」をたくさんさせられると、些細な事も「幸せ」に感じると思う。
そうした「たくさん辛い事(=彼ら的行動)」をするほど、より些細な日常に幸せを感じられるのだろう。
そうして感覚が麻痺していき「殺人」も「肯定」できるくらいになるのかもしれない。
そのうち「それ」がないと幸せを感じられなくなり、生きていけなくなるのかもしれない。
そして最悪な事に、愛する子供にまでそうした下劣な行為を勧められる異常な心理状態になるのだ。
君もそうした「つらい事」たくさんさせられて、日常の幸せを「より」幸せに感じさせるよう洗脳されたのだろうか…
君はどう思う?上記のようなものは、ワザと不治の病にかかる事で、命の大切さを学ぶのに似ている。
正常な感覚であれば、おかしいと思うはずだ。
それにそれらは命に対する冒涜であり、本当にその病で苦しんでいる人らへの侮辱になる。
「目」は見開いて、前をみなければいけないのだと、強く君に届けます。
「つらい事」をたくさんすると幸せが大事に感じるのは事実。でも、
「つらい事」とは、本来は「試練」のはず。
犯罪=試練ではない。暗示にかかると、気がつかなくなるのだと思う。
油断していると、本当にこの暗示にかかります。
相手は親切心につけこんで、あたかも君が自分で決断したかのように“錯覚”させるプロです。
親切心を利用されないようにしないと、永久にいいように利用されてしまいます。
気をつけて!そうやって“情熱”を失わせるのが、彼らのオハコだ!
いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。
でも繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。
きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。
君は君の心を信じて良いのだと思う。
あの映画、最後2人はすれ違う。追いかければ再会できるのに男はしないのだ。
いつも思う、お前そこで追いかければ今なら間に合うぞ。と。僕よりまだ見込みあるじゃないか!彼女はまだ結婚してないぞ!と。
そんなイメージ、君に送ります。いつか答えを聞ける奇跡を夢見て。
僕は賭けをしています。
君が僕に告白するかどうかと。
そこが、大きなターニングポイントになる。
それは事実です。
告白された事は胸にしまうつもりでいます。
“人を許せる時が、自分を高める時”
(日本テレビ系『行列のできる法律相談所』で有名な弁護士、菊地幸夫氏の言葉)
簡単でないが、目指しがいのある目標ですね。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
「皆」が邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、
それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、
誰も責任取ってはくれないよ!」
「老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。
もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
未来は明るいと思うとそうなります。Fさん、頑張って!応援しています。
君に勇気と決意とやさしさを…
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〔11月24日(水)曜日〕
こんな事も思う…
もし何処かに、僕の事を未来の犯罪者という根拠のない「予言」をした人物がいたとして、
その人物が何が何でもその意味の無い予言が当たるよう画策しているとしたら?
もうバカバカしくてこう言うしかない。
「この世にオカルトなんてありません、いい歳なんだから、空想から卒業しなさい」と。
仮にだけど、こんな子供じみた予言を言った人物がいたとしたら?
その人物は自分が未来など見る力がない事は自覚しているわけで(そもそも予言などまやかしだ)。
ただ、過去たくさん予言を他人に吹聴してきた関係で、間違いでしたと素直に言えないのだと推測する。
…仮にいたらだけどね。いないと思うけど、常識的大人ならば。
昨日ちょっとラジオを聴いたときも、こんな話を聞いた。
そのタレントは良く当たると噂の占い師に結婚についてみてもらった。
あなた高嶺の花をねらってるけど、無理よと言われたと言う。でもそれはそのタレントが普段からいってる言動なので誰でも知ってる事実だ。
この占い師はそうした普段の言動から導き出した、ごくごく当たり前の助言をする。
「料理教室にかよいなさい、そして、美人でない人をねらいなさい」と。
これは占いでもなんでもない。
そのタレントの容姿と能力から察して、結婚できそうな可能性の一番高い提案を助言しているにすぎない。
未来予測でもなんでもなく、助言であり、カウンセリングだ。
おそらく、占いが当たると評判の人というのは、もっとも適切な助言を“想像”できる人物なのだろう。
もう一度繰り返します。
この世に「オカルト」は存在しません。
彼らは自分の都合で勝手な未来予想をし、それが叶わないと「信心がたりない」とか「うそぶく」のでしょう。
そんなマネ、もう君はしなくていいんです。
そして、今だ気がつかず騙され続ける人達は、かつての君同様、そうした行為をしているでしょう。
何も気にする必要はありません、君は君の人生を歩めばいいのです、自分をもっと大切に考えていいと思う。
…これは仮定に基づいた予測で書いた話です。
どの程度あたっているだろう。こんな世界でない事を祈らずにいられません。
“彼ら”の「例のあの行動」は、多くの人には「(そうとう)つらい」もののはず。
何しろ意味無く人をおとしめているのだ、倫理観があればそうとうなプレッシャーになる。
心身クタクタのはずだ。でも心身クタクタになる甲斐あって(“彼ら”の「例のあの行動」が)「つらい」が故、
日常の些細な事も幸せに感じられるようになる。
それが彼らの「行動の意味(価値)」の真髄なのだろうか?
人間「つらい事」をたくさんさせられると、些細な事も「幸せ」に感じると思う。
そうした「たくさん辛い事(=彼ら的行動)」をするほど、より些細な日常に幸せを感じられるのだろう。
そうして感覚が麻痺していき「殺人」も「肯定」できるくらいになるのかもしれない。
そのうち「それ」がないと幸せを感じられなくなり、生きていけなくなるのかもしれない。
そして最悪な事に、愛する子供にまでそうした下劣な行為を勧められる異常な心理状態になるのだ。
君もそうした「つらい事」たくさんさせられて、日常の幸せを「より」幸せに感じさせるよう洗脳されたのだろうか…
君はどう思う?上記のようなものは、ワザと不治の病にかかる事で、命の大切さを学ぶのに似ている。
正常な感覚であれば、おかしいと思うはずだ。
それにそれらは命に対する冒涜であり、本当にその病で苦しんでいる人らへの侮辱になる。
「目」は見開いて、前をみなければいけないのだと、強く君に届けます。
「つらい事」をたくさんすると幸せが大事に感じるのは事実。でも、
「つらい事」とは、本来は「試練」のはず。
犯罪=試練ではない。暗示にかかると、気がつかなくなるのだと思う。
“彼ら”の世界も閉鎖的だ、新しい風が入らない構造をしている。
“彼ら”は新興宗教のように「専用の服を作ったり、特異なオブジェを掲げたり」しない。
“彼ら”の場合はそれが“ない”かわりに「例のあの行動」があるのだと思う。
「例のあの行動」を通じてメンバーが一体感を持つのだ。その一体感が自分が騙されているという意識を麻痺させてゆく…
そうでなければ、悪人でもない人が「殺人」も「肯定」できるくらい一生懸命になれる道理がない。
普通の人間の理性をここまで麻痺させるとは異常です。
誰が考えたのが実に巧妙で優れています。効果的に人の人生を、ダメにする。
どこかの誰かの「快楽」の尖兵になっている事実に気がついてはいけないという強力な暗示に皆がかかっている。
その事実を認めたくなくなるほどに蝕むまで。
「外」からの「風」が入らないので、内部の空気はよどみ続けたままだから、そうなるのだと思う。
世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです、
手が出せば届くような単純なものではない。
単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。
Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!
君の周りの人に伝えてください。
「わかろうとしないのは目の前しか見ていないからよ」と。
「教えが正しいとか間違ってるとか、そういう問題じゃないのよ!」と。
「それもの凄い犯罪なのよ!わたしそれに気づいたの、もう戻れないわ」と。
彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。
これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。
教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。
“質”が問われているのです。そう伝えてください。
君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。
君は自分で思っている以上に強い人です。
…発想力って大切です。
体を動かすと、違う発想が沸いてきたりするものです。
料理をしていると頭が切り替わることが良くある、君はそういう事あるだろうか?
僕はあります。
高校時代、料理の話などまるでしなかった。
君はどんな料理が得意なのだろう?
僕はカレーとハンバーグくらいなら作れる。
餃子もいける。簡単な野菜炒めならできる。
…1人暮らしが長かったから。
レシピがあれば、たぶんもっと作れるとは思うけど、レパートリーは少ない。
挑戦した事はないけど、サフランライスとカレーを組み合わせるのはおいしいらしいです。
そんな具合に本とかレシピをみると、完成品にちょっと一工夫するのが流行りなのかな?とか思うけど、どうなのだろう…。
君はどんな料理が得意ですか?
いろいろ言われると思う。けど、がんばって。負けないで欲しい。
狭量な人達が押し付けてくる“勝手なイメージ”なんか跳ね除けて!
自分の心を取り戻すべきです。
いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。
いろいろあると思う。けど、がんばって。負けないで欲しい。
多分君の周りには悪意なく“そういう事”が出来る人がたくさんたくさんいると思う。
それは悪意があるのではなく、心が内向きになっていて、外に向いていないからだと思う。
心が外向きになれば、人として持つ“当たり前の感情”が戻ってきます。
そう、周りの人に言ってやってください。
繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。
きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。
君は君の心を信じて良いのだと思う。
何か言われたら、こう言ってください。
「私には命をかけてくれる人がいる、この人は私を邪魔になんか決して思わない人よ」と。
なにか、そちらの世界なりのいい訳があるのだと思う。
…でも、そんなもののために、1度しかない人生を犠牲にされるのは間違っている。
「今度はあなたが人の都合を聞く番よ、さんざん他人の都合を無視してきたんだから、文句は言わせないわよ!」と、言って良いと思う。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください(周りにもすすめてください)。誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。君が「埋没費用の呪い」にかからず、冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
無防備すぎると、損な役回りを押し付けられる。
気をつけて!
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〔11月25日(木)曜日〕①
Fさんへ、こんな事も思う。
この小説サイトにある、自分の小説のアクセス解析という機能によると、今、第1話を読んでいる人もいるようだ…何かしらの流れが、君の周りに少しでもいいから、いい影響として働けばうれしい。
具体的には潜在的味方が増えるのに役立てばうれしい…。
表面きって味方するのは難しいが、水面下で君の味方をする人が、今も増えると信じたいところです。
これを読む複数の人々にお願いします、皆それぞれの立場があるのは承知しています。だから、その立場を崩さない範囲でいいから、彼女をひそかに応援してほしいのです。
1人でもいい、心の中で思うだけでもいい。
彼女の味方になってあげてください。
Fさんが心を解きほぐすのを、遠くから応援してくれるだけで充分です。あたたかく見守る空気ができるだけでも、まったく変ってきます。
彼女が自分の心を、自分の心の色で染めるには、ある程度の時間が必要なのです。
彼女が彩りを取り戻すまで…
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※Fさん。
「最近アクセス解析」について言及したのを覚えているだろうか?
その所為なのかどうなのか?なにか様子がおかしい。
いままでアクセス解析は何十秒か待たされていたのに、今待ち時間ゼロになっている…。
そして解析結果に変化がない…
何か変だ。
そもそもどうしてこの小説の存在がどうやってそちらに知られたのか経緯が不明だ、けど不明だからと言ってビビる必要はない、逆に利用できると感じた。どうだろう、うまくいっているのだろうか?
Fさん、今君はこれを読めていますか?
なんにしてもサーバーレベルなのか、サイトの運営レベルなのか、介入があるのだろうか?
そんな懸念が頭をよぎる。
…でも消されていない、今のところ。
もしかしたら、いつかこの小説も消される日がくるのかもしれない。
(※もしその気があったら、文面をPCにコピーした方がいいかもしれない)
仮にそうなったら、まあ別の方法を考えますが、しかし、可能性は考慮しないと…。
(※もし仮に消えたとしても、作者名“闘豚”でこのサイト検索かけてみてください、どこかに何かしら載せます。“闘豚”でヒットしなくても、「もう1度あいたい君へ」とか、それに類する単語で検索してみてください。一応、最悪に事態にそなえて書いておきます)
※…やはり今日もだ、ある特殊な操作をしないとアクセス解析が得られない。
普通にアクセスすると、いつもゼロだ。
仮に人為的だとすると、僕が行った特殊な操作にも気づいて対応してくるのだろうか?
これを書いて変化があるか見たくて書いてみました。
Fさん、どう思う?
僕は、君が頑張り続けるならば、僕も頑張り続けられます。
奇跡を信じて。再会を!
(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)
〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください