第31話 エッセイ風小説を書き連ねる3(新・未来へと続く話その7)
〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください
(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)
〔10月30日(土)曜日〕
Fさんへ、今日も台風です。急に寒くなり冬物を出してしまいました。
ついこないだ秋物をかったばかりなのに…
やはり地球は温暖化しているのでしょうか?
昨日日テレでやっていた「世界を動かしているのは誰だスペシャル」とかいう番組。
期待せずみていたら、意外におもしろくてびっくりした。
あれほど重い内容を笑いに出来る明石家さんまも天才だとは思う。
なにしろ、あの「櫻井よしこ」を笑わせられるのだから。
「櫻井よしこ」の本は読んでいない、しかし、一目を置かれるジャーナリストらしいという事だけはわかっていた。なぜなら、本屋で働いていた時も、櫻井よしこさんの本だけは別格だったからだ。売れ方がちがう。数は少ないが長く売れる本だったという印象がのこっている。いつか機会があったら読もうと思っていた本でもある。全てを敵に回して、自分の意見を言い続けるのはどんな気持ちなのだろう。
番組内で「櫻井よしこ」の左にすわる外国人、やたらと日本語が上手い。誰だとネームプレートをみれば「ベンジャミン・フルフォード」とある。やたら軽いのりの外国人男性。
ええっ?あのベンジャミン・フルフォード?と思わず驚いた。
覚えてないかもしれないけど、この小説内でなんどか「日本がアルゼンチンタンゴを踊る日」という本を紹介してるが、その著者が彼だ。元フォーブスの日本支局長。
そのほかにもいろいろ書いてるが、一番最近のものは悪乗りしすぎてるタイトルだったので、大丈夫か?と思っていた人だ、たしかに多少偏りのある発言だけど、その辺注意して聞く分には、知らない話をたくさんするので聞きごたえがある。
「櫻井よしこ」の右にいるのは「手嶋龍一」、聞いたことある名前だがピンと来ない…誰だっけ?と思いネットで調べてみた。すると何となく見覚えていた理由を発見した。
この小説内で何度か紹介した「国家の罠」を書いた「佐藤勝」さんと共著を出している。当時佐藤勝さんに興味があったから、この共同著者の手嶋龍一ってだれだ?と思っていた事を思い出した。
調べればアメリカでの地盤をもつフリーランスのジャーナリストとある。NHKをやめているが、その前は三井物産勤務とある。勘ぐり過ぎかなとか思うけど、かつて三井グループは第2次大戦終結後、職を無くした旧日本軍の諜報組織員を大量に雇い入れ、情報収集力を強化したという話を聞いた事がある。そこの出身者なら、アメリカ行ってグイグイ人脈に食い込むのもうなずけるけど、本当のところはどうなのだろう…
この手のジャーナリストがゴールデンタイムの番組に“3人”も出てくる事自体“異例”だ。
本当の事を言いすぎて、みな「出版物」以外の世界では“ハブられてる「はみ出し者」”扱いだからだ。報道番組ではありえない、バラエティーだから成立するのかもしれない。
昔「働きマン」という漫画のなかでもあった。
主人公が真実をかこうとすると、毎回デスクから却下をくらう。
…でもウソを書くわけにはいかない、デスクに食いさがるとこう言われる。
「マスコミとは社会に対してそこまで責任を負うひつようはないのだ」
とかいうセリフだと思った。
悩んだ末、主人公はひらめく、そうだ、はっきりと書かずに、そう、らしいとほのめかせばいいんだ!と。
結果デスクにOkをもらうが、ラストシーン、屋上でタバコを吸いながら、捨て身で証言してくれた女性に思いふけるという終わり方だったと思う。
ある意味、真実の一端をついている、
新聞にしてもTVにしても、本当の事はいえないけど、気づいてね!という「ほのめかし」は頻繁に見る。失われた20年という言葉も、何度も使われたが、その真の意味に気づく人は少ない。日本のTVは「ほのめかし」にあふれている。補足情報を仕入れてみると、たまに「ああ、本当はこう言いたいのだな?」と感じるときもある。
昨日の日中首脳会談中止の件も、中国側が「ビデオ公開」に「怒って」いるからだけど、その事は明確に伝えず「ほのめかして」いる。ビデオ公開を追及している自民党・公明党ら野党への配慮だろうか?
(※一応ガス田関連というのが報道の主流のようですが、ガス田に関する問題発言もヨーロッパのマスコミの誤報なんて話もききました、不確定な要素が多くて真相はわかりません。こういう時は、わからないけど、今はこう思う。というスタンスでいいと思う。断定はせず、個人的意見として留めるのがいいと思う。)
番組内でも、「櫻井よしこ」らが、明石家さんまさんに、あなたが誰か政治家の支持を表明したら、物凄い影響あるでしょ?という。そうすると、さんまさんは、過去にそういう事をしてTVから消えたタレントがたくさんいる事を言っていた。
日本のマスコミはまだ「本格的」な政治と駆け引きが出来るほど成長していないという事なのだろうか?
以前書いたけど、国家が成長してゆく過程で、新興勢力と国権が駆け引きをしながら民主主義を発展させないと、よりよい消費者が育たず、国家は没落してしまう。
過去は経済界と政府は利害が一致したので“協力関係だった”(俗にいう「政・官・財の鉄のトライアングル」というやつ。本来的にはこの3者は牽制しあうのが民主主義の正しいあり方なのだが、日本はまったくの逆で、牽制するどころか「がっちり」協力しているので、外国からそのように言われた…、だと思った、違ったかな?)けど最近は昨日かいた「TTP」の件もあるし、協調関係が崩れてきている、民主主義の本来の機能が戻りつつあると信じたくなる現象だ。
「政府も官僚も」どうせ「財界」は何も言わずついてくると考えているから、今のあんな感じを平気で繰り返しているのだと思う。でなければ説明できない事が多すぎる。牽制しあってないから、どうせ財界が何とかしてくれると思っているから、政府も官僚もああなのかもしれない。
過去の悪しき「習慣(「政・官・財の鉄のトライアングル」)」の崩壊がいつか決定的になる時がくるのだろうか?その時までに主要な企業が国内にいてくれればいいけど、もし主だった企業がみな海外に逃げてから、政府や官僚が、事の重大さに気づくようでは、本当に最悪のシナリオがまっている。
現に第2次大戦中も原爆2発おとされて、ようやく目が覚めた経緯がある。
過去をわすれると、同じ失敗をまたするはめになる。
戦時中も海軍と陸軍の主導権争いで収拾がつかなかった、意見がまとまらないのだ。
今も、意見がまとまらず、同じ歴史をくりかえしている。
世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです、手が出せば届くようなものではない強大なダイナミズムで動いている。日本とて例外ではない。せまい世界のなかだけで完結しないという事だけは、間違いようのない事実です。けっして単純ではない。単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。
Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!
君の周りの人に伝えてください。
「「あたりまえの事」を言ってなにが悪いの!?」と。
「ねえ「恥を知れ!」って言葉知ってる?」と。
「真実に目を向ける勇気はどこへいったの!?」と。
彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。
わかろうとしないのは、個人個人の“質”の問題です。目の前しか見ていない。
そうした自分都合の連中に負けないで!
“厄介な人”多いと思うけど!負けないで欲しい。
君が戦い続けられるなら、僕も戦い続けられます。
これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。
教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。“質”が問われているのです。そう伝えてください。
君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。君は自分で思っている以上に強い人です。
僕には“彼ら”に「人生を返せ!」と主張する権利があると思いますか?
「もう一度あいたい人がいる」というささやかな望みは決して贅沢なものではないと思う。僕は賭けをしています。賭けをする権利くらいはあるよね、Fさんはどう思う?
“彼ら”は君にいろいろしたのだろうか…
君ほど出ないかもしれないが、僕もいろいろあったのだと、今は思う。
もし事実なら、この18年間、2人の時間は断絶したわけではなく“彼ら”を通じてつながっていた事になる。もしそうなら、切なくも、こそばゆい奇妙な想いになるけど…
いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。
でも繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。
きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。
君は君の心を信じて良いのだと思う。
君は全て背負い込むような感覚を時々もっていたような気がする。
もしそうなら全てを背負い込んではだめです!“彼ら”はそこにつけ込み、君の心を操る事を狙っています。そうやって君の心から“情熱”を失わせるのが“彼ら”の手口だ!!だから注意して!非常に悪質な人心掌握法です。そうやって“情熱”を失わせるのが、彼らのオハコです!気を付けて!
あやしい団体の構成員は「専用の服や特異なオブジェ」を通じてメンバーが一体感を持つと言うが、“彼ら”の場合はそれが“ない”かわりに「例のあの行動」があるのだと思う。
「例のあの行動」を通じてメンバーが一体感を持つのだ。
その一体感が「自分が騙されているという意識」を麻痺させてゆく…
そうでなければ、悪人でもない人が「殺人」も「肯定」できるくらい一生懸命になれる道理がない。普通の人間の理性をここまで麻痺させるとは異常です。
誰が考えたのが実に巧妙で優れています。効果的に人の人生を、ダメにする。
どこかの誰かの「快楽」の尖兵になっている事実に気がついてはいけないという強力な暗示に皆がかかっている。
その事実を認めたくなくなるほどに蝕むまで。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、
それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?
「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、
誰も責任取ってはくれないよ!
老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。
もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」
と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
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〔10月31日(日)曜日〕
今「サンデージャポン」で占いを放送しているのをみているのだけど…
やっぱり占いは未来予測ではなく、カウンセリングだと思う。
しかも小道具をつかって、本人にやる気を出させる暗示であるところがミソだ。
カード占いの様子なんかをみていると、あれはカードマジックだなーとつくづく思う。
次から次にカードをコントロールして、相手を信用させるのだ。
心の「かせ」を占いを信じることで外す事に成功すれば、それだけで心理的負担をはずす事が出来る。 「かせ」が外れれば「思い込み」により潜在能力を開花させられる可能性もある。
そういう気持ちにさせる「雰囲気」と「話術」が占いの真髄だと思う。
まちがっても「占い師」に霊能力などない。これは断言する。けっして。
もしスキルの高い占い師に悪意があったら最悪だ!と感じるけど、Fさんはどう思う?
世の中には現実に占いに頼りたくなるような人の「心を」もてあそぶ連中がいる。
そういう最悪な連中が人の心を蝕み、金儲けや欲望のはけ口にしている現実もある、本当に最悪です。
それとは別件だけどこんなニュースも見た。
最近殺人を題材にした問題をだしたり、セクハラを指導につかう教師の「奇行」が報道されている。
根拠はないが、報道番組内では、学級崩壊でいう事を聞かない生徒や児童を統率するのに、過激な手段や方法に「て」を出してしまうのでは?と説明されていたのを見た。
“彼ら”もそういう所あるのだろうか?
昔と違い、差別が少なくなった今。求心力はだいぶなくなったと思う。
無くなった求心力を「全盛期」と同レベルに保とうとすると、過激な手段にはしるのではないだろうか?
特に若い世代を縛るには、普通では果たせない「何か」がみたせると吹聴しないと…?
…まあ、言いがかりです。そこまで品性を無くせるほど人間って腐れないと、僕は信じています。
“彼ら”は君にいろいろしたと思う。
君ほど出ないかもしれないが、僕もいろいろあったのだと、今は思う。
もし事実なら、この18年間、2人の時間は断絶したわけではなく“彼ら”を通じてつながっていた事になる。もしそうなら、切なくも、こそばゆい奇妙な想いになるけど…どうなのだろう。
Fさんいまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。
でも繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。
きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。
君は君の心を信じて良いのだと思う。
僕と別れた後“彼ら”は君に“まちがった”発見をたくさんさせたと思う。
君は自分でそれを発見したと思い込んでいるけど、それは間違いです。
そうした発見を全て背負い込む心理状態になれば“彼ら”はそこにつけ込む。
そして君の心を容易に操る事が出来る。
そうやって君を“従順”にさせるのが“彼らの(中の「そうした人達」の)常套手段”です。
非常に悪質な人心掌握法になります。
油断していると、本当にこの暗示にかかります。
相手は親切心につけこんで、あたかも君が自分で決断したかのように“錯覚”させるプロです。
親切心を利用されないようにしないと、永久にいいように利用されてしまいます。
気をつけて!そうやって“情熱”を失わせるのが、彼らのオハコだ!
なんでもかんでも「世の中がおかしい」せいにする連中に負けないで!
何も見ようとしない連中の安易な意見にすぎない。
世の中は、そんな単純な意見で集約できるほど単純でない事は今までたくさん書いた。
単純ではないのです。「世の中がおかしい」とかいう安易な説教をいう連中は、世の中を良く見てどうすれば良くなるか?という作業を「放棄」しているに過ぎない。
そんな「放棄」に付き合わされる「義理」はないし、だいたいそういう「放棄」した人がおおいから「世の中おかしくなっているのです」。
こないだ深夜ラジオを聴いていたら、こんな本を紹介していた。
「リスク・リテラシーが身につく統計的思考法(ハヤカワ文庫) 」
いかに専門家がいいかげんな数字を使っているか?というものを「これでもか!?」と載せているらしい。専門家が言ってるから信用するのではなく、その専門家がどんなデータを元にして判断しているのかちゃんと見ようという意図の本だ。
僕は何度か、「日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。」と勧めてきた。
似たケースなのだと思う。今までは専門家のいう事を信用してきたが、実際調べてみると随分いい加減な事言ってたんだなというのがわかったりして、ガッカリする事多いように思う。
こないだ書いた「TPP」の件でも、もし日本が参加した場合どうなるか?という試算を「国」がしているが、担当当局によりまったく違う数字をだす。農林水産省は「マイナス」になるというし、経済産業省は「プラス」になるという。根拠にしているデータが違うからまったく違う結果になるのだ。
これでは国民は何を信じたらいいというのだろう?
「リテラシー(英: literacy)」とは本来の意味は「文字を読む能力(識字)」という意味らしい。しかし、現在はそれが拡大して、「情報を読み取る能力」という風に変化してきているらしい。「メディア・リテラシー」「リスク・リテラシー」「会計・リテラシー」など、使い方が拡大している言葉だ。文字を読めるだけでは「人」として足りないという事らしい。もちろん1人で全部やるのは無可能だ、だから各々得意分野をもち、情報交換と意見交換を繰り広げるのがただしいあり方なんだと思う。
…少なくとも「上」だけ見て従うだけでなく、考える事を忘れてはいけないという事だと思う。
(※上にそむけという意味ではない、「何も考えずに妄信」するのはよくないといっているのだ)
…昔、こんな映画を見たことある、タイトルは忘れたが、南米の映画だ。
前にも書いたけど、南米はカトリックの熱心な地域だ。
貧しい母をささえる少年の話なのだが、
劇中、妹はひどい事されてしまう。
母親はもう神に祈るだけで、うろたえるばかりでなにもしない。妄信してばかりで、病院へ連れて行くという選択支が浮かばない、
少年は医者に連れて行こうと懇願するのだが、母は聞かずに、ただイエス様イエス様と泣きじゃくる…、仕舞いに少年はキレる。「今この子に必要なのは神様じゃない!医者だ!」と。けどそんな事母親に言ってしまって罪悪感を少年は感じてしまう…、そんなシーンがあった。
なんともいえなくなるシーンだ。
この母親には「リテラシー」が必要だ。普通にそう思えるならそれは正しい感覚だ。
Fさんはどう思う?
世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです、手が出せば届くようなものではない強大なダイナミズムで動いている。日本とて例外ではない。せまい世界のなかだけで完結しないという事だけは、間違いようのない事実です。けっして単純ではない。
祈ればどうにかなるものではない。
「祈り」は心の「かせ」をはずして、その人がもつ「本来の力」を発揮させるものであり、「心」を「縛る」ものではないのです。「解放させる」ものなのです。
Fさん、もし祈りで「君の心を縛り付ける」連中がいたとしたら、そんな説教など跳ね除けて!
君の周りの人に伝えてください。
「もう嫌なの!関わりたくない」と。
「ウソつきの仲間はもういや」と。
「真実に目を向ける時が私にもやってきたの!」と。
彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。
わかろうとしないのは、個人個人の“質”の問題です。目の前しか見ていない。
そうした自分都合の連中に負けないで!
“厄介な人”多いと思うけど!負けないで欲しい。
君が戦い続けられるなら、僕も戦い続けられます。
これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。
教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。“質”が問われているのです。そう伝えてください。
君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。
君は自分で思っている以上に強い人です。
いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。
でも繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。
きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。
君は君の心を信じて良いのだと思う。
僕には“彼ら”に「人生を返せ!」と主張する権利があると思いますか?
僕には君と「再会」を願う権利があると思いますか?
あやしい団体の構成員は「専用の服や特異なオブジェ」を通じてメンバーが一体感を持つと言うが、“彼ら”の場合はそれが“ない”かわりに「例のあの行動」があるのだと思う。
「例のあの行動」を通じてメンバーが一体感を持つのだ。その一体感が自分が騙されているという意識を麻痺させてゆく…
そうでなければ、悪人でもない人が「殺人」も「肯定」できるくらい一生懸命になれる道理がない。普通の人間の理性をここまで麻痺させるとは異常です。誰が考えたのが実に巧妙で優れています。効果的に人の人生を、ダメにする。
どこかの誰かの「快楽」の尖兵になっている事実に気がついてはいけないという強力な暗示に皆がかかっている。
その事実を認めたくなくなるほどに蝕むまで。
気づいたなら、損な役回りから逃げていいものだと、強く主張します。
いろいろ言われると思う。けど、がんばって。負けないで欲しい。
狭量な人達が押し付けてくる“勝手なイメージ”なんか跳ね除けて!
自分の心を取り戻すべきです。
「心が狭くなると人の命まで軽くおもえるようになるのよ!」と言ってやってください。
多分君の周りには悪意なく“そういう事”が出来る人がたくさんたくさんいると思う。
それは悪意があるのではなく、心が内向きになっていて、外に向いていないからだと思う。心が外向きになれば、人として持つ“当たり前の感情”が戻ってきます。そう、周りの人に言ってやってください。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、
それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?
「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、
誰も責任取ってはくれないよ!
老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。
もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」
と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
ゆっくりでもいい、前を向いて、自分の納得する答えを手にして欲しい。
ゆっくりと、確実に、断固とした態度で、おだやかに、着実に。
負けないで!応援しています。
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〔11月1日(月)曜日〕
Fさんへ、元気にしていますか?
今も君が戦っているという前提で書きます、負けないで欲しい。
つらいかもしれない、でもあきらめないで。
…もし違ったとしても、君の事を気づかっている人間がいることを伝えられたらと、そう思います。
今、雷がなっている、天候が悪いようです。そちらはどうですか?
雷は空気中の分子がこすれてできる静電気がエネルギー源らしい。
静電気も規模をでかくすればこんな凄いものかと関心もしたくなります。
(※余談ですが、地磁気も同じような原理らしい、地球内部の物質が熱と自転で「対流」するけど、そのさい分子がこすれあい、静電気が発生し、地球に磁気を発生させているとか、地球内物質の対流は南北で方向転換している(放散している)ので、そこに磁気の極ができるらしい。雷の何千倍ものエネルギーが地球内部で恒常的に発生しているわけで、人間とはいかに小さいかと、思わなくもない。その磁気が太陽風(宇宙放射線)から地球の生き物を守っているわけで、なんともよく出来ています)
最近こんな事も思う。
この地域は結構歴史てき価値のある場所だ。
特に豊臣秀吉の小田原攻めの際は、その前哨戦として、山中城、韮山城で激戦がおこっている。その辺を鎌倉古道とからめて観光資源にすれば、まだまだ活路はいくらでもあるようだけど、いまだに「源頼朝ゆかりのなんとか…」とか古くからの定番の事しかやってない。
眠れる観光資源はあるのに…、え?僕がやれ?人脈がないから1人相撲になってしまう。
でも過去には情熱でそうした壁を乗り越えた人物もいる。
大坂の通天閣を再建するのに、草の根の運動を展開した個人がいたらしい。
行政も住民も「通天閣」の本当の意味を理解せず、再建に消極的だったとか…
しかし、いざ再建してみると、確かに人が集まってきたのだ。
人間は高い塔とか、そういうシンボルに集まる心理があるらしい。
だから、公共事業を本当にやりたいときは、シンボリテックな高い建物が心理効果があるのだと思う。ただ豪華なだけでは飽きてしまう。
具体的には山中城・韮山城を再建して、隣の神奈川県の小田原と協力して。箱根を中心とした一大歴史文化圏をアピールできる。
この地域の歴史にはまだまだ掘り起こせる題材がいくつかある。
江戸時代、富士山が噴火し、このあたり一体は壊滅的打撃をうけたらしい。
この辺りを支配した小田原藩は自力で再建はできない…、それどころか本拠地の小田原すら棄てなきゃいけない状況だったらしい。たしか伊豆半島のほうに、本境地を移転したとか聞いた。その間、被災地をすべて幕府に「返した」らしい。もう2度と戻ってこない覚悟での「返還」だ、当時もらった領地を返すってのは、本当に異常事態だったはずだ。
でも江戸幕府も快く被災地の再建をひきうけて、復興がかなった地域から小田原藩に返していったらしい。(なかなか粋なところがある、そのまま取り上げてもよかったのに)
ごく1部、東海道ぞいの土地だけは返さず、江戸幕府の直轄地にしたようだ、まあ、街道沿いを押さえるのは安全保障上わかる話だし、そのくらいは復興の労を考えれば贅沢な報酬ではない。僕らの生まれた地域が江戸直轄地だった背景にはこんな歴史もあります。
この辺は小田原や箱根とのつながりの方が強い地域だったのです。「沢地」という地名をしっているだろうか?僕の家のすぐ近くにある地名なんだけど、ここなどは昔、箱根神社の所領で、箱根の関所も「沢地の百姓だ」と名乗ればフリーパスで通れたらしい。
僕はこう思う。本来なら県境をこえて小田原と協力して観光資源を掘り起こした方が「地域活性」はできる、というか、うもれて使われない価値ある観光資源が活かせる、と思う。実にもったいない。これはやはり神奈川県と静岡県という現在の県境が影響しているのだろうか?
発想を柔軟にすれば、地方は発展のよちがまだまだあると思うのは、言いすぎだと思いますか?Fさんはどう思う?
僕がやれ?それはむずかしい…、僕はとにかく考えるのをやめないこと、そして自分のできる事を続けることが大切だと考えます、自分のペースで、前に向こうと思う。満足できる生き方が最後できたなと思えるように。それがいつか何かに結びつくかもしれないし。
僕は人とどうも違う発想をする、それは変えられない事実みたい。でもそれを具現化できるかどうかは、その人の質の問題…ということだと思う。
質を高めようと努力しつづければ、たとえ届かなくても、何か得られるように思う。
だから書き続けようと思う。
現に僕は真実に気がついた。過去の努力の延長線上にその事実がある。
自分を支えていた記憶の、本当の価値に気づくというのは、他人には説明できない“何か”がある…、そう感じる。事実自分の中で何か変化もある。昔は「恋愛」ものの映画とかいまいち理解できなかったけど、今は出来たりするから自分でもおどろいている。
映画「イングリッシュ・ペイシェント」について先日書いたけど、あの映画にしても最初見たときは意味がわからなかったし、その後しばらくも、引っかかるが何だかわからないモヤモヤした感覚があった。しかし、思い出の本当の価値に気がついてから、あの映画を思い返すとモヤモヤした感覚が吹っ飛んで、理解できるようになっていた。
…たぶん、人の気持ちを理解する上で、障害となっていた「心のかせ」が、君との思い出の価値に気がつく事で「(心のかせが)はずれた」のだと思う。
今でも気持の読みあいは得意ではない、けど、なんか昔とちがいわかるようになった。
君のおかげです、どれだけ感謝しているか、伝えたいけど、伝わっているだろうか?
人は人と繋がって成長するのでしょう。
“彼ら”はこうした繋がりを破壊する。
少なくとも僕の目線ではそうなる。
人工的な無意味な縛りで、間違った一体感を強制している。
いい面もあるのだろう、でも近年は悪い面ばかりが目立ってきているのと違うだろうか?
“彼ら”はどこぞの新興宗教のように、「専用の服を作ったり」「特異なオブジェを掲げたり」しない。たぶん“彼ら”のあの「行動」は、そうした「専用の服や特異なオブジェ」がないがゆえ、“その”代わりになるべき要素として“必要不可欠”なものになっているのではないだろうか?
あやしい団体の構成員は「専用の服」や「特異なオブジェ」を通じてメンバーが一体感を持つと言う、“彼ら”の場合は「例のあの行動」を通じてメンバーが一体感を持つのだろうか?だとしたら、その「一体感」が「自分が騙されているという意識」を「麻痺」させてゆくのだと思う。
そうでなければ、悪人でもない人が「殺人」も「肯定」できるくらい一生懸命になれる道理がない。普通の人間の理性をここまで麻痺させるとは異常です。誰が考えたのが実に巧妙で優れています。効果的に人の人生を、ダメにする。
どこかの誰かの「快楽」の尖兵になっている事実に気がついてはいけないという強力な暗示に皆がかかっている。
その事実を認めたくなくなるほどに蝕むまで。
ヨーロッパで中世に吹き荒れた「魔女裁判」。
気に食わない人物を町ぐるみでリンチにかける集団恐怖の行動だ。
正義の名の下、人間がどこまでも卑劣になれる歴史的事実を反映している。
本などで調べると、この「魔女裁判」がなぜおさまったのかよくわからない、と記載されている事がある。しかし、僕はこう思う。
「魔女裁判」が下火になるのと入れ替わり、登場するのが「啓蒙思想」だ。
絶対王政下、中世から脱却した新興資本家や進歩的知識人にひろがった概念で、
“超自然的な偏見を取り払い、人間本来の理性の自立を促す”という意味らしい。
“彼ら”の弱肉強食の考えでは、「魔女裁判」は現在でも続いてないとおかしい。
しかし、現実にはとっくの昔にすたれた。
人は理由さえあれば、正しく進歩すると思いたいところです。
Fさん、多分君の周りには悪意なく“そういう事”が出来る人がたくさんたくさんいると思う。それは悪意があるのではなく、心が内向きになっていて、外に向いていないからだと思う。
心が外向きになれば、人として持つ“当たり前の感情”が戻ってきます。
そう、周りの人に言ってやってください。
世界は広大で広く、想像を絶するダイナミックな時間がからみあって作られている。
「視野が狭くて何が悪い」とか言う人が増え続けていくと、それが世界の不和の原因になってゆく。教えがどうとか、そういう問題じゃない。
人間の“質”の問題です。たぶん、質より量を優先させた結果、こんな酷い現状になったんでしょう。
だから“数の暴力”も肯定できるんだと思う。“数の暴力=(人間の)質より量を優先”は矛盾なくイコールで結べる。
でも屈する必要はありません。
なぜなら君の心は誰のものでもなく、君のものだからです。
…君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、
それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?
「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、
誰も責任取ってはくれないよ!
老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。
もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」
と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
Fさん!!君が、全ての罪を背負い込む心理状態になれば“彼ら”はそこにつけ込み、容易に君の心を操る事ができる。
それが“彼ら”の手口だ!!だから注意して!
そうやって君の心から“情熱”を失わせるのを狙っている。
非常に悪質な人心掌握法です。
そうやって“情熱”を失わせるのが、彼らのオハコです!気を付けて!
気がつかないうちに、いつも間にかかかっている。
だから自問してほしい、自分の心に。本当の“何か”が“なに”なのかを。
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〔11月2日(火)曜日〕1
この事はうまく表現できない…
でも表現したい。
だから、ちらっと書いてみる事にした。
僕の性格をしる君が、どう思うのか、知りたい事です。
昔、爆笑問題の田中さんが、いい人すぎて頭に来る、と女性に言われたというのをTVでみた。
同じなのかな、僕と。という感覚をその時抱いた。
僕にはペルソナという概念が理解できない。
せいぜい「インスピレーション」のスイッチを「ON」にするか「OFF」にするかくらいの感覚しかなく。常に統一した自分でいる気がする。
人はみな「仮面」をかぶるというが、いまいちピンとこない。
こう書くと、なにウソついてんだ、と人は思うのだろうか?
僕の性格をしる君はどう感じますか?
「社会保険庁」がいい加減な仕事をしたせいで、年金記録がめちゃくちゃになったのは有名な話だけど、その当事者の「元」社会保険庁員が、無試験でハローワークなどに再就職し、手厚い厚遇をうけているらしい。こういう人らが日本を食いつぶすと思うのだけど、Fさんはどう思う?
馴れ合いは最終的に、何も生まない。
真実に目を向ける努力こそが大切なのだと思う。
“彼ら”のなかでも、上記のような「元」社会保険庁員と“同類”と思われたくないという人が「多数」だと思う。
けど、僕からみれば、実は同類に見えるのです。
〔11月2日(火)曜日〕2
これを書いている深夜0時すぎも、外でヴヴヴ…と来ている。
“彼ら”は本当にしつこい。まるでどこかのあやしい勧誘みたいだ。
仮に“彼ら”の組織が変るとしても100年、200年かかるでしょう。
その間、日本を食い尽くさない事を願わずにいられません。
「社会保険庁」の元職員は世間の目にさらされるだけましです。
隠れている“彼ら”が裏でどう国のすねをかじっているのか、想像するだけで恐ろしい。
一握りの「悪意者」の欲望をみたすあやつり人形は楽しいのだろうか?“彼ら”はどこぞの新興宗教のように、「専用の服を作ったり」「特異なオブジェを掲げたり」しない。“彼ら”のあの「行動」は、そうした「専用の服や特異なオブジェ」がないがゆえ、“その”代わりになるべき要素として“必要不可欠”なものになっているのではないだろうか?
あやしい団体の構成員は「専用の服」や「特異なオブジェ」を通じてメンバーが一体感を持つと言う、“彼ら”の場合は「例のあの行動」を通じてメンバーが一体感を持つのだろうか?だとしたら、その「一体感」が「自分が騙されているという意識」を「麻痺」させてゆくのだと思う。
そうでなければ、悪人でもない人が「殺人」も「肯定」できるくらい一生懸命になれる道理がない。普通の人間の理性をここまで麻痺させるとは異常です。誰が考えたのが実に巧妙で優れています。効果的に人の人生を、ダメにする。
どこかの誰かの「快楽」の尖兵になっている事実に気がついてはいけないという強力な暗示に皆がかかっている。
その事実を認めたくなくなるほどに蝕むまで。
Fさんはどう思う?
君を攻めてる訳でない事だけは、わかってほしい。
問題は「どうしたら前へ進めるか?」であり、犯人探しが重要ではないのだ。
〔11月2日(火)曜日〕3
東京で働いていた時も、犯人探しよりも、再発の防止策と、トラブルの解決の方が重要であるという事を学んだ。
「排除」よりも「助け合い」の方が、結果として「仕事」は楽になる。これは馴れ合いとは違う。
アサヒビールの社長はこんな言葉を言っているらしい。
「上司は成功体験よりも、失敗談を部下に話せ」
…Fさん、この言葉どう思う?
僕はこんな風に思う、これは自虐的になれという意味ではない。
失敗を客観的に分析して、どうしたら改善できるか?という問いに対して「常に」答えを出せ!という事だと思う。
ちゃんと自分の中で「その」失敗を「理解」して「消化」できていたら、どうどうと部下にも話せるものだ。という事だと思う。
つまりこれは、リスクマネジメント能力の事をさしていると思う。
〔11月2日(火)曜日〕4
リスクマネジメントとは?
ウィキペディアによれば「リスクを組織的にマネジメントし、ハザード(危害 (harm) の発生源・発生原因)、損失などを回避もしくは、それらの低減をはかるプロセス。リスク・マネジメントとは各種の危険による不測の損害を最小の費用で効果的に処理するための経営管理手法である。」という事らしい。
部下の「せい」にせず、上司としてこの様な能力を示せ!といっているのが、「上司は成功体験よりも、失敗談を部下に話せ」という言葉の意味だと、僕は思う。
君の周りに、何でも部下のせいにする人、いると思う。
それどころか、もっと俺を楽させろと平気で態度に出す人多いと思う。
部下もそういう態度を上司からまなび、その不遜の遺伝子は代々受け継がれる…
そんな態度ばかりしているから、魅力を感じず良識人は「離れる」、そして「離れる」人間には「恐怖」の制裁をくわえる…
そこに「理性」の介在はなく、反省もない。
そういう「質の悪い」人間を大量生産する社会だ、それが未来の日本にどんな貢献をするのだろう?
まさかと思うけど、いまの「学級崩壊」もこうした“彼ら”の遺伝子を継いだ子供たちが中心になってやしないかと勘ぐりたくもなります、言いがかり?でもそういう風に思われても仕方が無い土壌が、そちらの世界にはあるでしょ?
(※というかあの「学級崩壊」こそ彼らのめざす「理想郷」の姿だと思うけど、“彼ら”の「あの行動」の延長線上に、あの「学級崩壊」の世界を置くのは、さほど違和感をかんじない)
これは教えがどうとか、そういう問題じゃない。
人間の“質”の問題です。
たぶん、質より量を優先させた結果、こんな酷い現状になったんでしょう。
だから“数の暴力”も肯定できるんだと思う。
“数の暴力=(人間の)質より量を優先”は矛盾なくイコールで結べる。
でも君がわざわざ屈する必要はありません。
なぜなら君の心は誰のものでもなく、君のものだからです。
間違いにきづいたなら、それでいいのです。
気がつかないより遥かにいい。
気がつかない人達の中で、気がつかない「ふり」をし続けるのは辛いと察します。
心を守るためにも脱出がベストです。
世の中には損な役回りを演じていいときと、いけない時がある。
言いたいことがあるときは、毅然とした態度はとり続けないとダメです
同時に、丁寧かつ妥協を許さない対応が肝心です。
もし、誰かに会った早々いやみを言われたら?
「たいしたご挨拶だこと!」
と即答するといいと思う。何でだかわかりますか?
こういう場合、何も言わないと、それだけで、無自覚な上下関係が成立してしまうからだ。
なんでもいいから、キツイ事なにか言った方がいいんです。
〔11月2日(火)曜日〕5
君はやさしい人だから、周りに気をいろいろつかっていて、それが故、君自身混乱するのかもしれない。そういう時は、自分の原点が何かを考えると、落ち着くし、前を向けます。
彼らのやっている事は、音楽の演奏会で、途中で席を立つ観客に片っ端から暴力を振うよう命じる指揮者のようなものだ。
普通の指揮者なら、自分たちの楽団に実力がないから、観客が席をたつのだ、精進せねば!と考える。
でも“彼ら”的指揮者の場合は、「俺たちの演奏は理解できないとはけしからん客だ」と考え、部下に命じて観客を取り押さえて、強引に最後まで聞かせようとする。その際、楽団員の中の暴力が得意な人を中心に命じるのだろうが、人数がたりない時は、音楽など興味はないが、暴力は大好きという人を、形ばかりの楽団員に仕立て上げて、暴力行為に加担させる…
〔11月2日(火)曜日〕6
巧妙に“何か”が“何か”にすりかわって、誰かがやけ太ってると思う。
〔11月2日(火)曜日〕7
“履き違えた大人の事情”に負けないで欲しい。
〔11月2日(火)曜日〕8
人間賛歌ってまだ、死語じゃないと思う。
〔11月2日(火)曜日〕9
人は正しく生き直せると信じます。
〔11月2日(火)曜日〕10
ゆっくり、落ち着いて結論を出して欲しい。
つらくても頑張って、応援しています。
どんな事があろうと、けっして裏切らない人間が、
たった1人だけいる事を忘れないでください。
〔11月2日(火)曜日〕11
僕は賭けをしています。
君が僕に告白するかどうかと。
そこが、大きなターニングポイントになる。
それは事実です。
〔11月2日(火)曜日〕12
18年前、君は一歩手前まで来ていた。
先輩の正体を明かすという行為は、あとちょっと踏み込めば自分の正体も明かしかねない行為だ。
今にして思うとそう思う。
告白された事は胸にしまうつもりでいます。
“人を許せる時が、自分を高める時”
(日本テレビ系『行列のできる法律相談所』で有名な弁護士、菊地幸夫氏の言葉)
簡単でないが、目指しがいのある目標ですね。
〔11月2日(火)曜日〕13
もう君は充分組織に借りは返していると思う。
35年ってそのくらい重みのある数字です。
自分の人生を決めていい年齢です。
〔11月2日(火)曜日〕14
僕には“彼ら”に「人生を返せ!」と主張する権利があると思いますか?
この事実を否定するのは相当難しいはずです。否定するためにどんな屁理屈をひねり出すのか一苦労だと思う。けれど僕はあえて“その権利を行使”しない。過去の文面を読んで欲しい、一度だって要求してない。
〔11月2日(火)曜日〕15
その代わりこう言いたい訳だ。「もう一度あいたい人がいる」と。
そして、生活を立て直すけど、「邪魔しないでほしい」と。
(…一瞬でも「それって当然の言い分だよな」と感じていただけたら幸いです)
〔11月2日(火)曜日〕16
それでもそれが「贅沢だ!」と言う人がいるならば、何を持って贅沢ではないのか定義を明確にしてほしいものです。単に自分たちの贅沢が(快楽が)侵害されている事に怒っているだけという事実に気づかずに反論できるのだろうか?
〔11月2日(火)曜日〕17
「別に人生を全部返せって言う、無理な(実行不可能な)相談をしているわけではない」
〔11月2日(火)曜日〕18
…という事実があります、これはささやかな奇跡を期待しているだけの事なのです。
〔11月2日(火)曜日〕19
“彼ら”は君にいろいろしたのだろうか…
君ほど出ないかもしれないが、僕もいろいろあったのだと、今は思う。
もし事実なら、この18年間、2人の時間は断絶したわけではなく“彼ら”を通じてつながっていた事になる。
もしそうなら、切なくも、こそばゆい奇妙な想いになるけど…
〔11月2日(火)曜日〕20
いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。
でも繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。
きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。
〔11月2日(火)曜日〕21
…世界は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもって動いてきました。
そして今もそうした渦の中で(ダイナミズムで)動いています。
手が出せば届くようなものではない強大な“何かで”動いている。
そして“変る常識”“変る世界”というのは、現実に確かにあるのです。
〔11月2日(火)曜日〕22
けっして単純ではない。
単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。
Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!
君の周りの人に伝えてください。
〔11月2日(火)曜日〕23
「自分たちだけが一方的に正しいと思っているのは恥ずかしくないの!?」と。
「理解を示す心の広さはどこへやったの?」と。
「真実に目を向ける勇気はどこへいったの!?」と。
「組織の放つ理想だけでは、世の中は良くならない」と。
〔11月2日(火)曜日〕24
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、
それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?
「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、
誰も責任取ってはくれないよ!
老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。
もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」
と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
Fさん!!君は全て背負い込むような感覚を時々もっていたような気がする。
もしそうなら全てを背負い込んではだめです!“彼ら”はそれを狙っています!!
君が、全ての罪を背負い込む心理状態になれば“彼ら”はそこにつけ込み、
容易に人君の心を操る事が可能だからです。
そうやって君の心から“情熱”を失わせるのが“彼ら”の手口だ!!だから注意して!
非常に悪質な人心掌握法です。
そうやって“情熱”を失わせるのが、彼らのオハコです!気を付けて!
冒頭の問いをもう一度ここで、
これを書いている深夜の今も、外でヴヴヴ…と来ている。
彼らの組織が変るには100年、200年かかるでしょう。
その間、日本を食い尽くさない事を願わずにいられません。
何か言われたら、こう言ってください。
「私には命をかけてくれる人がいる、この人は私を邪魔になんか決して思わない人よ」と。
(※今日はいつもより短いかもしれない、11月に入り、ヘルパーの勉強もしないといけないので、この辺で許してほしい。可能な限り、クオリティーを落さないようにやってみます)
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〔11月3日(水)曜日〕
Fさんへ、元気にしていますか?
今日は、まあ普通の天気でした。
そちらはどうだったのだろう。
こないだ書いたTPPの事は、急に最近ニュースになり始めた。
世界は確実につきのステップへ向おうとしているのだろうか?
でも今だ多くの人は「現状の世界秩序」が「永久に「続く」」と信じている。
でも間違いなく世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっている。
手が出せば届くような単純なものではないし、それは日本人も確実に巻き込まれる形で具現化しようとしているように見える。いっさいの例外なく。
単純に今までの世界が続くという意見は、必ずしも通用しない世の中になりつつある事実を認めないと、どうにもならない部分がではじめているのだろうか?
現に日本は「来週までに」TPP参加の是非に結論をださないといけないらしい。
もし仮に乗り遅れた際のダメージは、おそらく計り知れないものなのだろう。
かつての「ポツダム宣言」と同じと考えるのは、いき過ぎだろうか?
第2次大戦中、「ポツダム宣言」を日本は軽視した(無視した)。
「ポツダム宣言」は最後の警告だった。もしあそこで受諾していればもっと早く終戦も迎えられた。
今回のTPPの件も、将来の歴史の中では「日本」の重大なターニングポイントとして紹介されるかもしれない。いや、わからない。
…でも、確実に言える事は、世の中は動き、変化しているという事実だ。対応できないと、やばい気がするのは間違った考えなのだろうか?
こんな話もある。
第2次大戦中、日本は東南アジアにあった「イギリス・オランダ」の植民地を奪い取った。
覚えているだろうか?大航海時代、アジア航路を独占したポルトガルを出し抜こうと考えた抗議者のイギリス・オランダは原産国を占領する事で、見事に成功した。その経緯で、東南アジアには両国の植民地がたくさんあったのだ。ここを日本が占領した形になる。
(※余談だけど、この地域にいたイギリス・オランダ軍は「第2軍」であり、予備戦力だった。装備も2流で、兵士も精鋭とは言いがたい。そこに国力の全てをそそいだ日本の「第1軍」が乗り込んでいったのだから、勝てて当たり前だったのだ。よく、当時の指揮官を褒め称える話があるが、あれは日本軍が強かったのではなく、相手が弱かったのだ。それが証拠に、アメリカが精鋭の「第1軍」を投入したら、歯がたたなかった。海軍はそこそこ世界レベルだったが、陸軍はおせじにもそうではなかったと思う)
そんな理由でイギリス・オランダ兵は簡単に降伏する。
これが当時の日本人の誤算だった。敵が降伏すると思ってなかったので、大量の捕虜をどうしたらいいのかわからなくなる。
扱いも雑になり、後の日本軍による捕虜虐殺の温床ともなる。
(※もっとも当時の米軍も褒められた状況でないから、どっちもどっちなんだけど)
第2次大戦の敗北の一因は、綿密な計画は得意だが、臨機応変が苦手な組織を、日本人が好むという事だ。
この傾向は欠点としてそのまま引きずり、何万という戦死者をだし敗戦となる。
そうした犠牲のもと学んだ教訓が「綿密な計画は得意だが、臨機応変が苦手な組織を、日本人が好む」という事実だ。
歴史を素直にみて、欠点を克服する努力がされていたら、今頃もっと臨機応変な国になれていただろうか?
過去を反省しないと、同じ過ちを何度でも繰り返す…、それは事実のように思う。
日本が尖閣諸島でもめてるとき、ロシアの大統領が北方領土を訪問した。
あれはロシアが中国を援護射撃した形だ。ロシアとしては中国に“貸し”の1つもつくったつもりなのかもしれない。
もしくは、アメリカが尖閣にからむなら、ロシアも黙っていないという圧力かもしれない。
いままであそこまでロシアが露骨な政治的挑発をしてきた事はない。時代は変化しているという事だろうか?
過去の歴史において、小国はこういう時バランス感覚を発揮して局面を乗り切るのがセオリーだ。
代表例が北欧だと思う。
北欧諸国はロシアとヨーロッパの軍事的対立に挟まれ、緩衝地帯として生き抜くため、両勢力のいいところを取り入れ、国づくりをしてきた。西側の経済を取り入れ、東側の社会主義も取り入れた。北欧で“福祉”が充実しているのも、社会主義の思想を受け入れた結果だ。一般にこうした北欧の外交感覚を「ノルディック・バランス」と評します。この「ノルディック・バランス」は政治のみならず教育にも導入されていて、北欧の小学校では、偏り無く地球上のあらゆる地域の歴史を教えるらしい。それが故、日本の歴史に意外に詳しい人らが多いようだ(多少勘違いもあるっぽいけど、なにも知らないよりずっといい)
北欧の「ノルディック・バランス」のように、どちらの勢力の味方でもあり、敵でもある、そんな微妙な舵取りが、未来の「日本政府」には求められるのかもしれない。日本人の誇りとかくだらない事言ってる場合でないのです。
だいた誇りとは、学ぶものではなく、芽生えるもの。
普段から、考え。思考し、自分なりの結論を常に求めていれば、おのずと芽生えるものです。
誰かから教わるものではない。
Fさんはどう思いますか?
“彼ら”は自分で考える事を許さない。そんな世界で出来上がる誇りなど、偽りのプライドであり、判断力の限定された「役に立たない人間力」にすぎない。自分で考え、結論を出さなければいけないのです。考える「きっかけ」としての“教え”であり、その真の意味は自らの心に宿るものなのです。植えつけられたものと、自然に宿ったものでは。「価値」も「能力」も「ぜんぜん違う」と思う。
単純に拝みさえすればどうにかなると吹聴するのはその人の「生き方」の問題。
でもそれで解決しない問題が世の中に「たくさん」ある事を、目を見開いてみれば、気づくはずなのです。人にはそういう能力が事実あるのだから(←これを否定できる人間がいるだろうか?)。
Fさん、君の周りの人に伝えてください。
「わかろうとしないのは目の前しか見ていないからよ」と。
「教えが正しいとか間違ってるとか、そういう問題じゃないのよ!」と。
「これは人としての“質”がどうなのか?という問題なのよ!!」と。
彼らの放つ理想「だけ」では、世の中の全てが円くおさまるわけではないのです。
教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。
“質”が問われているのです。そう伝えてください。
僕と別れた後“彼ら”は君に“まちがった”発見をたくさんさせたと思う。
君は自分でそれを発見したと思い込んでいるけど、それは間違いです。
そうした発見を全て背負い込む心理状態になれば“彼ら”はそこにつけ込む。
なぜなら君の心を容易に操る事が出来るからです。
非常に悪質な人心掌握法になります。
油断していると、本当にこの暗示にかかります。
相手は親切心につけこんで、あたかも君が自分で決断したかのように“錯覚”させるプロです。
親切心を利用されないようにしないと、永久にいいように利用されてしまいます。
…気をつけてほしい。どこぞのあやしい団体の構成員は「専用の服」や「特異なオブジェ」を通じてメンバーが一体感を持つと言うが、“彼ら”の場合は「専用の服や特異なオブジェ」がない代わりに「例のあの行動」を通じてメンバーが一体感を持つのだと思う、どうだろう?
もしそうなら、その「一体感」が「自分が騙されているという意識」を「麻痺」させてゆくのだと思う。
そういう「まやかし」でもなければ、悪人でもない人が「殺人」も「肯定」できるくらい一生懸命になれる道理がない。
普通の人間の理性をここまで麻痺させるとは異常です。誰が考えたのが実に巧妙で優れています。効果的に人の人生を、ダメにする。
どこかの誰かの「快楽」の尖兵になっている事実に気がついてはいけないという強力な暗示に皆がかかっている。
その事実を認めたくなくなるほどに蝕むまで。
そうやって“情熱”を失わせるのが、彼らのオハコです!気を付けて!
“彼ら”は君にいろいろさせたのだろう。
君ほどでないかもしれないが、僕もいろいろあったのだと、今は思う。
もし事実なら、この18年間、2人の時間は断絶したわけではなく。
“彼ら”を通じてつながっていた事になる。もしそうなら、切なくも、こそばゆい奇妙な想いになるけど…
Fさん、僕には“彼ら”に「人生を返せ!」と主張する権利があると思いますか?
「もう一度あいたい人がいる」と望んでもいいと感じますか?
僕は今、「ささやかな賭け」をしています、答えは君の決意とともにあると思っていいのかな…?いつか、その答えを教えてください。奇跡に賭けます。
まだいろいろ言われると思う。けど、がんばって。負けないで欲しい。
Fさん!人間って言うほどバカじゃないと思う、単に誤解しやすい性質があるだけだ、たぶん。
だから自分の言葉を取り戻してほしい!お願いです。
「多くの人の希望を砕き続けていく世界」は、そういうのが心底好きな人だけに任せればいい。なにも君が無理して関わる必要はない。
僕は、君が嫌う君の1部も含めて君が好きです。
僕の性格をしる君なら、ああ、確かにこの人はそういう事を言いそうだと思ってくれるのだろうか?
それも含めて賭けです。
自分のペースを守って、ペースを作って、納得する答えに向って、前を向き続けていて欲しい。
大丈夫、君は強い子です。僕はその事を知っている。君は自分で思っている以上に遥かに強い。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、
それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?
「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、
誰も責任取ってはくれないよ!
老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。
もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」
と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
何か言われたら、こう言ってください。
「私には命をかけてくれる人がいる、この人は私を邪魔になんか決して思わない人よ」と。
「今度はあなたが人の都合を聞く番よ、さんざん他人の都合を無視してきたんだから、
文句は言わせないわよ!」と。
そちらの世界なりのいい訳があるのだと思う。
…でも、そんなもののために、1度しかない人生を犠牲にされるのは間違っていると、僕は思う。
Fさんはどう思う?
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〔11月4日(木)曜日〕
Fさんへ
元気でいる事を願っています。
緩やかで、穏やかに、それでいてあきらめず、強い意思を示す。
そんな感覚、大事だと思う。
え?だめ?
それならばゆっくりと歩めば問題なしです。
とにかく。あきらめるのだけは良くない。そう、強く、主張します。
こんな事思った。
今日ニュースで、箱根で江戸時代の大名行列っぽいパレードみたいなのを、やったというものを見た。
観光のためのイベントなんだと思う。当時の格好をしたひとたちが。箱根の道を歩くシーンが映っていた。
あのイベントを、こちらの地域と連動してやれば、もっといろいろできるのに…、とかつい思ってしまう。
この地域が“観光”で箱根と連携できれば、面白いことがいろいろ出来そうなのに。
それに、箱根の観光客をこちらに誘導できれば、御殿場のアウトレット(富士急ハイランドもある)や隣りの港町で刺身を堪能する観光路も築ける…、なんて思ったりした。何しろ車なら箱根は意外とすぐ着く。いろいろともったいないと感じてしまう最近です。
上記の件とは別件なんだけど…
テレ東のニュース(3日夜)では「TPP加盟交渉参加」は見送る方向で決まったと報道していた。
今回は情報収集に終始すると…、え?今から情報集めるの!?と一瞬思ったが、いやいや、それは多分いい訳にすぎず、実際は意見調整のための時間稼ぎか、あるいは棚上げして責任放棄するかのどちらかが真意だろうな…、などと思ってしまった。もちろん、僕の100%私見だけど。
(※4日朝の日テレのニュースはニュアンスが違う、まだ諦めてないような報道だ、僕が聞き違えたのかな?)
これとは別件で、急にロシアの外圧にうろたえる報道がされている…
「鈴木宗男」を逮捕した事件により、対ロシア外交のパイプがほとんどなくなった事実がある。
あの事件からだいぶたつけど、ロシアとのパイプは復活しているのだろうか?
あの事件の起こる前だと、かなりロシア内部に食い込んでいた様子が、本など見るとのってるけど、現在はどうなのだろう。
そういう事もTV・新聞はいわない、無難な報道に終始している。なんだか残念に感じてしまう。
日本政府を残念に思うのではない、「ほとんどの人が状況を把握してない現状」を残念に感じるわけだ。世の中には僕より「頭のいい人」や「影響力のある人」、「人として資質の優れた人」がたくさんいる。
けど、報道されない事実や、消極的な報道のせいなのか、どうなのか。そうした僕より優れた人が、能力を発揮しないまま、ずるずると日本はダメになって来ている。そちらの世界にも、優れた人はたくさんいるはず、英知を結集して乗り切れない難局ではないと感じる。工夫のしようはまだまだあると感じる。
TPP参加による農家へのダメージも、輸出で恩恵をうける企業が農家を助ける仕組みに出来ないのだろうか?あるいは寄付をベースにした基金で対応するとか。
それに「強い農家」は「輸出で稼ぐぞ!」と言っていたりする。そうした人らを後押しする事で、全体を底上げする事も出来そうに感じる。
野菜に関しては工場野菜のシステムが進化すれば将来的に対応可能で、まだまだ工夫の余地はたくさんある。
関税ゼロまでの期限を30年に「もし」できれば、高齢農家の大多数はそのくらいで「次の世代」へ移行するから。移行期の対応で、未来の農業を再編できる。
まあ、実際やろうとすれば、いろいろ障害があってむずかしいのかもしれない…
でもそんな事いっていたら何も前へ進めないわけで。
「変ろう」とするのは難しい、でも理由があるなら背を向けてはいけない。
そんな風に感じる。Fさんはどう思う?
僕も今変ろうともがいている最中です。人の事とやかくいえる身分ではない。でも遠慮して黙っているつもりもない。
世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです、手が出せば届くようなものではない強大なダイナミズムで動いている。日本とて例外ではない。
せまい世界のなかだけで完結しないという事だけは、間違いようのない事実です。
けっして単純ではない。それは事実です。
だけど人は弱いもので、特に彼らのあの行動は、皆が「単純な答え」に飛びつきがちになる傾向を示している。
例えば「いじめは、いじめられる方にも問題がある」とか言い出したとしたら。何も解決しない。
相手の問題点を話し合い共有できて、初めて解決の糸口がみいだせる。一方的に相手に問題ある、で終わったら何も解決しない。
この僕ですら、“彼ら”について勉強した。自分なりの結論も持っている。
僕が、他の部外者と違い、頂点にいる方を直接攻撃したりしないのも、Fさんを含め多くの人の心を傷つけないよう配慮しつづけているからです。過去の文面をみてほしい。たぶんないと思う。
ほかの部外者がやるような「嫌な誹謗中傷」もないと自分では思っています。可能な限り、正論を述べている。「いいがかり」は少ないと確信しています。
僕は当たり前の事を言っている、これを「キツイ」と感じるなら、いかに内部が常識から逸脱しているか?という事の証明になります。
人の生き方は、人それぞれ、そうした酷い生き方を選択する人も、事実いる事はまちがいない。
Fさん、でも君はそういうの嫌いでしょ?
僕は君の優しさを知っている、君が気がつかない部分の優しさも含めて。
その世界で、「君が」良心を殺しつつけて生きるのは相当つらいと思った。
だから、脱出を勧めているのです。
物事には得手・不得手がある。苦手な事を一生やりつづけて、良心がぼろぼろになってはいけない。
いろんな意味で。
Fさん、周りの人に伝えてください。正しいと思った事を。
「自分たちだけが一方的に正しいと思っているのは恥ずかしくないの!?」と。
「理解を示す心の広さはどこへやったの?」と。
「真実に目を向ける勇気はどこへいったの!?」と。
間違いに気づいたなら、それらを言ってもいいんです。
むしろ、言い続ければ、そういう空気を作り出せる。そう思います。
彼らの行動は常識を逸脱していることがある。
だから、やめるときも常識を超える「決断」や「勇気」が必要なのかもしれない。
僕は今、賭けをしています。
答えはわかりません、とにかく待とうと思う。
…今は君の都合が悪いだけなのだろう、そう思う事にした。
受け入れられるにしろ、違うにしろ、なにかしらケリをつけに君は現れる。そう信じます。
君が「告白」する奇跡に賭けています。…聞かされた事は胸にしまうつもりです。
Fさん、僕には“彼ら”に「人生を返せ!」と主張する権利があると思いますか?
僕と別れた後“彼ら”は君に“まちがった”発見をたくさんさせたと思う。
君は自分でそれを発見したと思い込んでいるけど、それは間違いです。
そうした発見を全て背負い込む心理状態になれば“彼ら”はそこにつけ込む。
そして君の心を容易に操る事が出来る。
そうやって君を“従順”にさせるのが“彼らの(中の「そうした人達」の)常套手段”です。
非常に悪質な人心掌握法になります。
油断していると、本当にこの暗示にかかります。
相手は親切心につけこんで、あたかも君が自分で決断したかのように“錯覚”させるプロです。
親切心を利用されないようにしないと、永久にいいように利用されてしまいます。
気をつけて!そうやって“情熱”を失わせるのが、彼らのオハコだ!
“彼ら”は君にいろいろしたのだろうか…
君ほど出ないかもしれないが、僕もいろいろあったのだと、今は思う。
もし事実なら、この18年間、2人の時間は断絶したわけではなく“彼ら”を通じてつながっていた事になる。もしそうなら、切なくも、こそばゆい奇妙な想いになるけど…
Fさん!あやしい団体の構成員は「専用の服や特異なオブジェ」を通じてメンバーが一体感を持つと言うが、“彼ら”の場合はそれが“ない”かわりに「例のあの行動」があるのだと思う。
「例のあの行動」を通じてメンバーが一体感を持つのだ。
その一体感が自分が騙されているという意識を麻痺させてゆく…
そうでなければ、悪人でもない人が「殺人」も「肯定」できるくらい一生懸命になれる道理がない。
普通の人間の理性をここまで麻痺させるとは異常です。誰が考えたのが実に巧妙で優れています。
効果的に人の人生を、ダメにする。
どこかの誰かの「快楽」の尖兵になっている事実に気がついてはいけないという強力な暗示に皆がかかっている。
その事実を認めたくなくなるほどに蝕むまで。
君は力を貸したわけではない、騙されただけだ。
いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。
でも繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。
きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。
君は君の心を信じて良いのだと思う。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、
それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?
「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、
誰も責任取ってはくれないよ!
老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。
もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」
と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
何か言われたら、こう言ってください。
「私には命をかけてくれる人がいる、この人は私を邪魔になんか決して思わない人よ」と。
君に勇気が宿りますように。
人は正しく生き直せると信じます。
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〔11月5日(金)曜日〕
Fさんへ元気にしていますか?
君は今、どうしているのだろう?
穏やかな、やさしい君でいる事を…
もしくは、そうありたいど向き合っている事を祈ります。
ダメなら立ち止まってもいいけど、前だけは向き続けてほしい。
君が戦い続けられるなら、僕も戦い続けられます。
今日「テレ東」の番組をみていたら、「すごい」日本人女性の特集をやっていた。語学学校のトップの人なんだけど、なんだか物凄い。
その番組でこんな言葉を聴いた。
「ダイバーシティー・マネジメント」という言葉だ。
何でも、昔IBMというアメリカのコンピューターの会社が潰れそうになった時、行われた改革で、これにより復活する事ができたという画期的手法らしい。
現在アメリカは不況だが、この「ダイバーシティー・マネジメント」を取り入れている会社とそうでない会社を比較すると、明らかに取り入れた方の会社の方が業績がいいと、番組内では説明されていた。
「ダイバーシティー・マネジメント」とは、(能力ある)少数派を重役に登用して、今までにないビジネスを展開ができるような環境をつくるものらしい。
この場合のマイノリティーとは、今まで「排除」されてきた人らの事だ。「女性」であったり、「人種問題で登用されなかった人」や、「外国人」という人の事のようだ。
この改革をしたおかげで、IBMは復活できたと説明されている。
異文化の衝突を利用して、あたらしいビジネスモデルを掘り起こし生み出す事が、改革に繋がるというものらしい。
先に紹介した女性はこの制度?により登用され、頭角を現した人らしい。今はあちこちの企業から、取締役になってくれとオファーされているという。まがいものでない「本物」の凄い人とうのは、やっぱすごいなと見ていて畏怖を感じる…。
この人は現在、語学教室の会社を世界展開していて、日本の会社の多くと契約して大手企業の社内語学研修もやっているという。
普通の感覚なら、そこで満足するのだが、この人はさらに上を目指している…、英語で会議をする能力は序の口で、語学研修プラス、世界的企業家育成も事業としておこなっていて、ゆくゆくはそうして育った世界的人材のネットワークをつくり、グローバル企業の発展に貢献しようというのだ、しかも、この女性。あくまで目標は「効率化の追求」であり、「権力欲」とかはない。あくまで企業家であり、政治家ではないのだ。なんだかTVを通して見ただけでも圧倒されてしまった。いるんだね、本物って。Fさんにもあの番組みせたかった。ほんと圧倒された。
異質なものを取り入れて、新たな発想で改革をするという発想は、なにも経営だけに限定された事ではないように思う。
僕はこんな風にも考える。
日本は二院政だ、衆議院と参議院がある。衆議院は今までどおりの選挙でいいが、参議院には「ダイバーシティー・マネジメント」を導入すべきだと思う。方法についてはわからない。けど、何らかの形で、いままで国家に上がらなかった声無き声や少数派の有識者を入れたほうが、新しい風が入ると思う。誰か有能な人がいい方法を思いつかないものだろうか?とついつい考えてしまう。
“彼ら”の世界も閉鎖的だ、新しい風が入らない構造をしている。
“彼ら”は新興宗教のように「専用の服を作ったり、特異なオブジェを掲げたり」しない。
“彼ら”の場合はそれが“ない”かわりに「例のあの行動」があるのだと思う。
「例のあの行動」を通じてメンバーが一体感を持つのだ。その一体感が自分が騙されているという意識を麻痺させてゆく…
そうでなければ、悪人でもない人が「殺人」も「肯定」できるくらい一生懸命になれる道理がない。
普通の人間の理性をここまで麻痺させるとは異常です。
誰が考えたのが実に巧妙で優れています。効果的に人の人生を、ダメにする。
どこかの誰かの「快楽」の尖兵になっている事実に気がついてはいけないという強力な暗示に皆がかかっている。
その事実を認めたくなくなるほどに蝕むまで。
「外」からの「風」が入らないので、内部の空気はよどみ続けたままだから、そうなるのだと思う。
番組内では紹介VTRと取材映像の合間に「ご本人」と「村上龍」の議論(対話)が展開される。
その中で、こんな議論が展開される。
「単一文化」では無く「多様性文化」が大事なのだ!と。
僕は凡人なので、本当のところはわからない。
しかし、現在の社会は 「単一文化」vs「多様性文化」の図式になっているのではないだろうか?この2つの概念が、猛烈な勢いとパワーで世界中を駆け巡り、干渉しあっている。
食料自給率の問題を例にあげるとわかりやすいかもしれない。
日本は、自給率を上げないととんでもない事になると言われている。
それは、ある意味事実だ。
しかし、それは第2次大戦の「世界から孤立」した時代の記憶を前提にしている。
よくよく考えてみると、世界から完全に「孤立」する状態というのは、「よほど」の事でもしでかさないかぎりなかなか起こらない。
それに、世界で完全自給している国は少ないらしい。
(※今日聞いた話だけど、そもそも自給率とは、カロリーベースで計算された数字で、食料輸入がゼロになればその数字は100%になるものらしい。これを指標にするのはなんだか間違っているように感じる、農水省が問題をあおって予算をとるために使っている数字のマジックのような気もする…)
日本の考える「食料危機」とは世界から孤立した時に発生するものだ。
だから、他国を受け入れ、友好関係をつくり、国際的犯罪をしなければ、「食料危機」は回避できるのかもしれない。
つまり、「多様性文化」を受け入れるかどうか?が、将来の食料危機回避の決め手なのだ。
なのに、いつか、また、世界から孤立する日が来るに違いないと思い込むのは、基本的に他者に排除的な「単一文化」的発想なのだと思う。
Fさん、僕は何度か「バランス」が大事と書いた。
たぶん、ここでもそうなのだと思う。
どちらが正しいとかでない、「単一文化」vs「多様性文化」もバランス感覚が要求されるものなのだと思う。
僕のような凡人には難しい事だが、世にいる「有能」な人らにはぜひ意識してもらいいたい概念だ。
そんな事、思ったりした。
君は僕より有能な頭脳の持ち主でもある。おせじでなく、事実そう思う。
だから、たぶん、君ならできる。
迷った時は、心の中の「譲れない何か」を意識して、自分の原点に立ち返り、周りを見渡して、バランス感覚を持てばいいと思う。
僕の場合はいつもこうだ、君との想い出から学んだ事は「この世には心が通じ合うという事は事実として存在する」という事実だ。そこから出た結論は、人は話せばいつか通じ合える。時間はかかっても、いつか必ずね。
時おりうまくいかずへこたれる事もあるけれど、「できる」と不思議に思い続けられるのは、君からもらった大切な想い出があるが故だと思う。あの想い出は僕に大きな影響を与えている、君にも何かしら影響があったのだろうか?今も君の中で“それら”は価値を抱き続ける存在ですか?いつか、答えを聞ける日を夢見させてください。
世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです、
手が出せば届くような単純なものではない。
単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。
Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!
君の周りの人に伝えてください。
「わかろうとしないのは目の前しか見ていないからよ」と。
「教えが正しいとか間違ってるとか、そういう問題じゃないのよ!」と。
「それもの凄い犯罪なのよ!わたしそれに気づいたの、もう戻れないわ」と。
彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。
これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。
教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。
“質”が問われているのです。そう伝えてください。
彼らの行動は常識を逸脱している。
だから、やめるときも常識を超える「決断」や「勇気」が必要なのかもしれない。
だから強く主張します。負けないで!応援しています。
君は自分で思っている以上に強い人です。
僕は賭けをしています。人生最大の賭けです。
君が僕に告白するかどうかと。
そこが、大きなターニングポイントになる。
それは事実です。
告白された事は胸にしまうつもりでいます。
Fさん、僕には“彼ら”に「人生を返せ!」と主張する権利と思いますか?
“彼ら”は君がなかなか、なびかないから。
じゃあ腹いせにこちらもずっと攻撃してやれ…と考えたのだろうか?
(そこまでくさってない?)
もし事実なら、この18年間、同じ苦難の一端を君と共有していた事になる。
それは僕にとっては(奇妙な事に)誇らしくも感じてしまう。
繋がっていたのだろうか?どうなのだろう。
だとしたら、2人の時間は断絶したわけではなく。
図らずも“彼ら”を通じてつながっていた事になる。
もしそうなら、切なくも、こそばゆい奇妙な想いになるけど…、どうなんだろう。
いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。
でも繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。
きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。
君は君の心を信じて良いのだと思う。
君が今も「戦っている」という前提で書きます。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、
それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?
「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、
誰も責任取ってはくれないよ!
老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。
もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」
と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくあると思う。Fさんはどう思いますか?
“生き直し”って出来るんです。悔やんでいるならOkです。大丈夫です。
寛大な人は、「好きにしなさい」というタイミングを推し量って様子見をしていると思う。
もし君が過去に悔やむ事を残していたとしても、悔やんでいるなら大丈夫です。
むしろ悔やみもしない人達に囲まれて、悔やんでいない“ふり”をし続ける事の方が、相当つらいと推測します。脱出がベストです。
自分を取り戻して欲しい。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
何か言われたら、こう言ってください。
「私には命をかけてくれる人がいる、この人は私を邪魔になんか決して思わない人よ」と。
そちらの世界なりのいい訳があるのだと思う。
…でも、そんなもののために、1度しかない人生を犠牲にされるのは間違っている。
「今度はあなたが人の都合を聞く番よ、さんざん他人の都合を無視してきたんだから、文句は言わせないわよ!」とも、言って良いと思う。
君に届く事を願って!
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〔11月6日(土)曜日〕①
Fさんへ
昨日の深夜、Yahoo!のニューストピックスに例の尖閣の映像の事がでていた。
ちょうど、昨日の分のこの小説を書き終えたくらいの時だ。
なんだこれ?と思い、調べてみると、本当にYouTubeに例の映像が出ていてあきれた。
「ええ?いいの?こんな事して…」
と正直おもった。これが出た事で、どう「バイアス」が生じるか読めない。
でも、出てしまったものは仕方が無い。無かった事にはできないのだから、腹をくくらないと。
何度も書いたけど、世の中は複雑で、広大です。単純でなく、どうバイアスがかかるかわからない。
東京にいた頃、“彼ら”の集団威圧が日増しに激しくなる時期も、バイアスのかかり方に「波」があるのを感じた。
「第1波」が襲ってきて、止んで。「第2波」がきて、「第3波」「4波」「5・6・7・8・9・…」と一体いくつのバイアスが発生しているんだ?と感じたことがある。複合的だった印象を感じている。統一感あるものと無いものが入り乱れて一斉に襲ってきて、日増しにエスカレートしていった。ホント、映像に記録しておけばよかった。YouTubeにたまに“彼らの監視”らしきものを撮影した被害者と思しき映像を見るが、あんな生ぬるいものではない。当時は感覚が「あの酷さ」に慣れてしまっていたから、どうでもいいと感じたが、今は少しもったいないと思っています。
(※何しろ、あの当時は、君の気持ちにようやく「気がついた!」事に対する衝撃の方がでかすぎて、そんな些細な事どーでもよかったからだ。それにしても“彼ら”の世界も閉鎖的だ、まったく新しい風が入らない構造をしている。そのせいなのか“彼ら”はあやしい団体のように「専用の服を作ったり、特異なオブジェを掲げたり」しないが、そのかわりに「例のあの行動」があるのだと思う。「例のあの行動」を通じてメンバーが一体感を持つのだ、あの僕の経験したものは本当に醜かった、こちらの世界からあれがどれほど醜く見えるか多分参加者の誰もしらないんのだと感じた。一体感のせいで感覚がおかしくなった人達は、自分のおぞましい姿が自覚できなくなる。そんな状態では自分が騙されているという意識は麻痺して認識できないだろうと思う。君もそんな状態に頻繁に「誘導」されたのだろうか?なんて残酷な…
まったく普通の人が「殺人」も「肯定」できるくらい一生懸命になれるほど麻痺させられる「一体感」。普通の人間の理性をここまで麻痺させるとは異常です。誰が考えたのが実に巧妙で優れていると思う。効果的に人の人生を、ダメに、する。
「どこかの誰かの「快楽」の尖兵になっている事実に気がついてはいけないという強力な暗示に皆がかかっている。」
その事実を認めたくなくなるほどに蝕むまで。「外」からの「風」が入らないので、内部の空気はよどみ続けたままだから、そうなるのだろうか?Fさんはどう思う?)
(※今、深夜2時まわってるけど、ヴヴヴ…とたしかにきている。君もこういう事したことあるのだろうか?だとしたら、これからはやめたほうがいいよ。これはお願いではありません。)
あの尖閣のビデオ映像は中国で「どう」バイアスがかかるのだろうか?“彼ら”よりも複雑で広大な「口コミ社会」の中国は、読みきれないものがある。
以前、アメリカのドラマで「CSI:科学捜査班」というドラマがあり、証拠の取り扱いや、管理にたいする考えが徹底しているのに驚いたことがある。(あのドラマは演出が派手だが、一応リアリティーには相当なこだわりがあり、現実のCSI(科学・化学の分析)をリアルに描いている)そのドラマの中では、証拠品は常に袋に入れ、テープで封をして、封をした人物がテープに名前を書く。次にその証拠品に触れる人間は、テープを切り、中身を取り出し、用が終われば再び同じ袋にいれ、先ほど切ったテープの上から新たにテープを貼り、自分の名前を書く。これを繰り返していけば、誰がどういう順番で“証拠”にふれたかがテープをめくっていけば一目瞭然になる。
以前何かで見たけど、日本の証拠品の管理は物凄く「ずさん」らしい。その辺においてあってり、ロッカーに無造作に入れられたり、ひどい時は机脇のダンボールに入れっぱなしなんてのもあるらしい。以前、遺族に返すべき被害者のものをなくしたとか、何十年も返し忘れていたのをロッカーで発見した、なんて報道も見た記憶がある。証拠品の管理に対するルールつくりが未発達なままなのだ。
証拠品は事件関係者の人格の一部であり、これをないがしろにするのは、人権侵害にあたる。
…大阪地検特捜部のフロッピー書き換えだって、上記のようなアメリカ的管理をしていたら出来ないと思う。
外国人にはあまり知られたくない事柄です。
最近「ウィキリークス」というのを知った。
「Wikipedia」と同じWikiというソフトを使っているサイトらしいけど、世界中から内部告発をつのっているサイトという話だ。
アメリカ軍からの内部告発などでは、隠蔽された戦争犯罪が暴露されているけど、同時にアメリカへ敵の情報を提供している協力者等も実名で何人も乗っていて、その人らの命を危険にさらしている。それすらもいとわず、エセ情報でないと確認できたら「全公開」するという野心的というか、攻撃的というか。それはやりすぎだろ?というサイトだ。まるでWEB界のシーシェパード、いや、シーシェパードは人命を危険にさらさない分まだましか…。そんなサイトの事をこないだNHKでやっていた。
アメリカも問題視しているが、取り締まりの決め手にかけるらしい。
サイトの主催者は捕まることもなく、今も世界中を飛び回り、支持や資金を集めているみたいだ。
僕はこう思う、いくらなんでもやりすぎだ。
上記のようなサイトにはルールが必要だ。でも無国籍の団体をどうやって縛ればいいのか…。
この問題は大きくなるのだろうか?
一時的な現象に終わるのか?それとも、これからは「こういう」世界が発展してゆくのか?
どういうバイアスがかかるか読めない時代に、世界が「すでに」片足を突っ込んでいる状態なのかもしれません。
(※ある日突然“彼ら”の中から内部告発なんてことも起こるのだろうか?あ、でもFさんはやらなくていいです。不必要な戦いは必要ないから。でも逆に必要性を感じた時は…。いやいやそんな事態が起きないことに僕は賭けをしています。穏やかに、問題が解決されるのがベターです。わかるかな、正しいイメージが伝わっている事を祈ります。仮に「もし」行き詰っているならば、手持ちの「切りしろ」の1つとして増やせるカードに「これらが」なるかもしれないのは事実です。状況が読めないので、あくまで可能性の1つとして、ここに提示します。何が「どう」役に立つのかわからないので…、一応。)
えげつない人に負けないでほしい、そう願っています。
僕は今、賭けをしています。
答えはわかりません、とにかく待とうと思う。
今は君の都合が悪いだけだ、受け入れられるにしろ、違うにしろ、なにかしらケリをつけに君は現れる。そう信じます。君は、僕が真実に気がついたという事実をもし知ったなら、その事実を重く受け止めるはずだ。そう思った。
何に賭けているのかと言うと、君が僕に「告白」するかどうかという事にだ。
“彼ら”は決して正体を明かさない…(「告白」しない)、どんなに親しくなろうとも、絶対に。君ははたしてどうだろう…?
18年前、君は「告白」一歩手前まで来ていた。先輩の正体を明かすという行為は、あとちょっと踏み込めば自分の正体も明かしかねない行為だ、今にして思うとそう思う。
僕は賭けをしています。君が僕に「告白」するかどうかと。
そこが、大きなターニングポイントになる。それは事実です。
告白された事は胸にしまうつもりでいます。
僕には“彼ら”に「人生を返せ!」と主張する権利がある。
この事実を否定するのは相当難しいはずだ。どんな屁理屈をひねり出すのか一苦労だと思う。
けれど僕はあえて“その権利を行使”しない。過去の文面を読んで欲しい、一度だって要求してない。
その代わりこう言いたい訳だ。「もう一度あいたい人がいる」と。
それでもそれが「贅沢だ!」と言う人がいるならば、何を持って贅沢ではないのか定義を明確にしてほしいものだ。
単に自分たちの贅沢が侵害されている事に怒っているだけという事実に気づかずに反論できるのだろうか?
「別に人生を全部返せって言う、無理な(実行不可能な)相談をしているわけではない」
…という事実があります、これはささやかな奇跡を期待しているだけの事なのです。
“彼ら”は君にいろいろしたのだろうか…
君ほど出ないかもしれないが、僕もいろいろあったのだと、今は思う。
もし事実なら、この18年間、2人の時間は断絶したわけではなく“彼ら”を通じてつながっていた事になる。もしそうなら、切なくも、こそばゆい奇妙な想いになるけど…
いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。
でも繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。
きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。
君は君の心を信じて良いのだと思う。
世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです、
手が出せば届くような単純なものではない。
単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。
Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!
君の周りの人に伝えてください。
「わかろうとしないのは目の前しか見ていないからよ」と。
「教えが正しいとか間違ってるとか、そういう問題じゃないのよ!」と。
「それもの凄い犯罪なのよ!わたしそれに気づいたの、もう戻れないわ」と。
彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。
これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。
教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。
“質”が問われているのです。そう伝えてください。
君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。
君は自分で思っている以上に強い人です。
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〔11月6日(土)曜日〕②
…君はまじめな人だ。
おそらく、「物凄く」まじめに“そちらの世界の勉強”をしたと思う。
それを“「無かった」事”にするのは、おそらく相当に難しいことだとも思う。
それが故、僕は、こう思うのだ。
「否定・封印」するのではなく、「昇華・発展」させればいいと。
そういう意味でも、繰り返し、こう主張します。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
正筆御書に限らず、自らの土台を昇華・進展できると感じたものには。目を向ける機会を意識してください。
そこには、思わぬ発見や、気づかなかった真実が隠れていれ、長年の疑問に答えてくれるかもしれません。詳しくは無いけど、もともとのオリジナルはしっかりした教えのはず。突き詰めれば、何かにたどりつける可能性はあるはず。いつか君の導き出した「君だけの」哲学を僕に聞かせてください。
あ、でも君はそういうの恥ずかしがるのかな…、どうなのだろう。
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〔11月6日(土)曜日〕③
こんなふうにも思う。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、
それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?
「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、
誰も責任取ってはくれないよ!
老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。
もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」
と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
君は僕より有能な頭脳の持ち主でもある。おせじでなく、事実そう思う。
だから、たぶん、君ならできる。
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〔11月7日(日)曜日〕
Fさんへ
笑顔でいられていますか?
最高の笑顔の君をもう一度見たいと思う、今日この頃です。
人格を尊重する仕事…、これがヘルパーの仕事の基本理念みたい。
もちろん建前かもしれず、実体は不明だけど、そういう建前は実は好きだったりする。
老いやその他理由で、人格が尊重されにくい環境に追いやられた人の手助けをするという概念は嫌いではない。
Fさんはどう思う?
君は「無かった事」にするという事をたくさん強要されたと思う。
それは君の人格の否定を意味する。
「無かった事などにせず」全て受け入れてもいいんです。君が君でいるために。
その、少しでも、手助けがしたい。そんな気持ち、君に伝わる事を祈ります。
今、漫画のネーム(設計図のような絵コンテ)がようやく完成し、絵に取り掛かっている。
でも、慣れというのは恐ろしいもので、無意識のレベルで手抜きをしてしまうみたい。
過去に書いた作品と比べると、微妙にグレードが落ちていたりして自分でも驚く。
…なにか作品を描くといういのは、常に過去・現在の自分と向かい合うようで、楽しくもあり、面白くもあり、つらくもあり。
でも単純に上手くいくと、気が晴れてすっきりする。
人には上手く説明できない爽快感です。
黙っていてもインスピレーションが沸くタイプの人間は、それが役に立とうが立ちまいが、なにかしたほうがいいのだと僕は思う。
放置されたインスピレーションは何の役にも立たない。
まして「封印」してしまったら「ストレス」の種になる。
Fさんは今でも音楽やっているのだろうか?
東京にいた頃は、少しお金に余裕もあり、ケーブルTVを引いていた時期もある。
「歴史ドキュメンタリー」とか「ヨーロッパ映画」とかは新鮮で面白い。
(※「恋愛睡眠のすすめ 」という映画がインパクトあった、ケーブルでないと遭遇しずらい映画ってたくさんある。実は「秒速5センチメートル」を初めて見たのもケーブルだった)
今は、贅沢をする時期ではないという感覚から、引いてないけど。また、生活が軌道にのったら「ケーブルTV」を引きたいと考えています。
そうして仕入れた「小ネタ」をシンプルにまとめて雑談にするのが結構楽しかったりする。
最初怪訝にしている人も、回を重ねるうち受け入れてくれたりして面白い。
人により食いつくネタが違ったりもして、その人の人柄の発見にも繋がっている。
今の君はどんな話が好きなのだろう?もう一度知り合い直す機会を僕に与えてくれないだろうか?
かならず、君が喜ぶ話がどんな話かみつけてみせる、そんな事も、思ったりする。
…そういえば「どんな話をしたら君が笑顔になるのか」ハラハラしながら語りかけるというのは、高校時代も同じだったな、不安なようで、楽しみなようで、こそばゆく、うれしい感覚。
でも、こうも思う。
話す内容よりも、気持ちを伝えることの方が重要である事を。
君は何よりも気持ちを大事にする人だった。
どう思う?はずしたかな…、今度会う機会があったら教えてください。
世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです、
手が出せば届くような単純なものではない。
単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。
Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けてください。
君の周りの人に伝えてください。
「わかろうとしないのは目の前しか見ていないからよ」と。
「教えが正しいとか間違ってるとか、そういう問題じゃないのよ!」と。
「それもの凄い犯罪なのよ!わたしそれに気づいたの、もう戻れないわ」と。
彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。
これは人としての“質”がどうなのか?という問題だと、僕は考えます。
教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。
“質”が問われているのです。そう伝えてください。
君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。
君は自分で思っている以上に強い人です。
今TVで中村トオルがこんな事を言っていた。
「この映画をみていると、役者という仕事を肯定してもいいかな、という気持ちになっていく」と。
なんだか、人は誰でも迷い苦しんでいるようです。
だから、迷う事は恥ずかしいことでもなんでもない。
むしろ、答えを出さずに宙ぶらりんにしたままだと「心」に「隙」が生まれ、そこを狙う人物に付け入られてしまう。
「プロ級の腕前の」悪意もつ相手は、そうした「隙」につけこんで、あたかも君が自分で決断したかのように“錯覚”させるプロです。
利用されないようにしないと、永久にいいように利用されてしまいます。気をつけて!
多分君の周りには悪意なく“そういう事”が出来る人がたくさんたくさんいると思う。
それは悪意があるのではなく、心が内向きになっていて、外に向いていないからだと思う。
“彼ら”の世界は閉鎖的だ、新しい風が入らない構造をしている。
“彼ら”は新興宗教のように「専用の服を作ったり、特異なオブジェを掲げたり」しない。
“彼ら”の場合はそれが“ない”かわりに「例のあの行動」があるのだと思う。
「例のあの行動」を通じてメンバーが一体感を持つのだと思う。その一体感が自分が騙されているという意識を麻痺させてゆく…
そうでなければ、悪人でもない人が「殺人」も「肯定」できるくらい一生懸命になれる道理がない。
普通の人間の理性をここまで麻痺させるとは異常です。
誰が考えたのが実に巧妙で優れています。効果的に人の人生を、ダメにする。
どこかの誰かの「快楽」の尖兵になっている事実に気がついてはいけないという強力な暗示に皆がかかっている。その事実を認めたくなくなるほどに蝕むまで。
「外」からの「風」が入らないので、内部の空気はよどみ続けたままだから、そうなるのだと思う。
最近知ったんだけど、隣家の前の居住者は、“彼ら”の嫌がらせに耐えられなくなり、町を追い出されたらしい。なんだかいろいろ納得してしまった。
Fさん!僕には“彼ら”に「人生を返せ!」と主張する権利があると感じますか?
実は君に読んで欲しい本があります、日蓮の現存する正筆御書、一度見てもらえないだろうか?
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、
それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?
「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、
誰も責任取ってはくれないよ!
老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。
もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」
と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
あたたかく、おだやかに、それでいいと思う。
間違った“王道意識”など本当は必要ない。
彼らの行動は常識を逸脱している。
だから、やめるときも常識を超える「決断」や「勇気」が必要なのかもしれない。
「私は説教を聴きに来たんじゃないの、話を着けに来たの」
と言ってもいいと僕は思います。
負けないで!
(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)
〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください