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第30話 エッセイ風小説を書き連ねる2(新・未来へと続く話その6)

〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください

(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)

〔10月20日(水)曜日〕①

 君の性格を考えると「人に騙された…」なんて恥ずかしくて人に言えない。

 そんな風に思うのかもしれない。


 でも勇気をもって切り抜けて欲しい。

 君人生だもの。


 付け入られる可能性もある。

 つらいかもしれないけど、切り抜けて欲しい。


 向き合うべき問題は君の「中」にある。

 同時に「外」にもある。


 可能性を模索して

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〔10月20日(水)曜日〕②

 彼らの行動は常識を逸脱している。

 だから、やめるときも常識を超える「決断」や「勇気」が必要なのかもしれない。

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〔10月20日(水)曜日〕③

“生き直し”って出来るんです。悔やんでいるならOkです。大丈夫です。

 寛大な人は、「好きにしなさい」というタイミングを推し量って様子見をしていると思う。


 悔やんでいるならOkです。

 悔やみもしない人達に囲まれて、悔やんでいない“ふり”をし続けるのは、相当つらいと推測します。脱出がベストです。

 自分を取り戻して欲しい。

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〔10月20日(水)曜日〕④

 Fさんは「王子とこじき」という話。知っていると思うけど。

 主人公がエドワード6世(エドワード王子)という実在の人物をモデルにしているのを知っているだろうか… 


 エドワード6世の父、

 ヘンリー8世は暴君なのだろうか?

 そんな事を急に思う。

 カトリックが離婚を認めていない…

 それが本当に愛する人と一緒になるのを阻んでいた。


 ヘンリー8世の人物像はよくわからない。

 しかし、行動派であったのは間違いない。


 彼は“イギリス国王”であるにも関わらず、カトリックである事を棄る。最愛の女性と結ばれるために。

 別に国王なんだから、結婚は形ばかりに残して、最愛の人と事実婚をしてしまえばいいのだが、そういうのは嫌だったらしい。


 時、あたかも宗教改革の嵐、吹き荒れる時代。


 グーテンベルグが印刷機を開発して以来、聖書の普及率は向上し、それに反比例してカトリック教会の権威は落ちていった。

 多くの人は、神に対してのみ誠実でありさえすればいいのだ!と考える。

 印刷機が無い時代は、カトリック教会を通じてしか“神”に触れられなかったが、今はそうでもない。

 当時のカトリック教会は領地を所有する地方支配者の集合体だった。

 いろいろと強権的な面も持つ、言う事を聞かない領民に対して、神の名で脅しをかけるくらい平気でやった。

 脅しは時として、聖書の記述と矛盾した。

 多くの人が、印刷機ですられた聖書を通じて、その矛盾に気がついてしまったのだ。



 そこそものきっかけはメディチ家出身の教皇「レオ10世」が“免罪符”を大量販売したのがきっかけらしい。

 “免罪符”とは犯した罪を金で償う制度だ。極端な話、お金持ちはいくら悪き事をしてもこれを買うだけで天国への道が約束される。

 聖書が普及していなかった時代ならともかく、15世紀~16世紀はもう聖書が普及していた。さすがに“免罪符”の制度は聖書の記述にそわないと多くの人が気づいてしまう。


 歴史の世界では、最初に口火を切ったのはドイツ人のルターだ。

(※当時のドイツは神聖ローマ帝国(西ローマ帝国を継承する意図で建国された国。しかし、実体は300ほどの地方領主の集合体だった。豊臣秀吉が天下統一する前の日本の支配体制に似ている、一応頂点となるべき権威はあったのだが、全国をまとめる力はなく、地方の実力者がにらみ合う状態だ。ハプスブルグ家はこの300ある領邦国家の1つから生まれ、後にヨーロッパの半分を支配する一族へ成長する)の一部だった。)

 ルターは教皇に対して向けた、矛盾点を列挙した質問状を発表する。

 印刷技術があったこの時代、その内容は驚く速度で伝播してゆく…


 かつて教皇といえば、カノッサの屈辱で神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世に、「3日間」も待ちぼうけを雪の中で食らわせたほどの権威があった。なぜにこれほど権威があるのかといえば、ローマの文化に起源がある。


 そもそもローマ人とは、ローマ人が国を作る前に君臨した王を殺して、共和制をはじめた人達だ。王というものを極端に嫌う文化がある。

 しかし、その後シルクロード交易の減退に始まる共和制ローマの没落により、社会が混乱。王のような強力な支配者が求められるようになる。しかし、ローマの文化は王を否定することで成り立っている。王の再登場はローマの文化の破壊を意味していた。

 そこで、王の代わりに登場したのが“皇帝”だ。

 名前が違うだけじゃんというツッコミをかわすために、“神”により統治を認められた!とするロジック(=理論)を構築した。

 ヨーロッパの王や皇帝は、神の名の下にその権威が認められているのだ。

 だから、今でも必ず新しい王が誕生する際には“戴冠式”というセレモニーをやる。

 キリスト教の権威ある人物が王より上段に立ち、神の代理人として王冠を与えるのだ。王は恭しく頭をさげ、それを頂く…。


 教皇は当時、まさにこの王冠を王や皇帝に与える神の代理人だった。

 教皇が嫌と言えば、王も皇帝にもなれないわけだ。

 それに気がつかなかった神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世は、1077年教皇選任に干渉しようとした。教皇グレゴリウス7世は激怒し彼を破門(=お前はキリスト教徒でない)した。

 神から授かった皇帝の王冠なのに、神から否定されたら、皇帝でいられなくなる。

 ハインリヒ4世は許してもらおうと出向くが、雪の中3日間も待ちぼうけを食らわされる屈辱をうけた。歴史上「カノッサの屈辱」といわれる事件だ。

 この事件により、ヨーロッパの人々は“教皇=神”であると認識するようになる。


 

 ルターの教皇に対する質問状の公開は、まさに“神”に対する挑戦でもあった。

 時に1517年。「カノッサの屈辱」から560年後の出来事だった。

 ちょうど大航海時代初期に重なる、「コロンブス」のアメリカ到着から25年後の事で、アメリカの語源ともなる「アメリゴ・ヴェスプッチ」の航海から16年後の出来事だ。

 種子島に鉄砲が伝わる26年前でもある。


 さらに付け足すとこの時期はオスマン・トルコが内政面で折り返し点をもむかえつつも、まだまだ絶好調だった時期だ。ヨーロッパ人はイエニチェリの軍団に手も足も出せない状況だった。(12年後にはトルコ軍はウイーンを包囲すにまでに至る、21年後には地中海はオスマントルコの制海権下に入る)

 自信を無くし、自分たちの原点を見つめ直している時期だ。


 同時期イタリアではルネッサンスが起こり、古い文化を打ち破る機運がでてくる。「ダビィンチ」や「ミケランジェロ」が活躍した時期でもある。

 こうした機運は当時の大学にも伝っていたのだろうか?もともと宗教学校だったものが600年ほどの時間をかけて、大学へと進化していた時期でもある。1500年代には80ほどの大学があったようだ。


 古い文化(=教皇)にルターが挑戦できる環境が、1517年のヨーロッパには存在した。

 当時のカトリック教会は農民を重視し、新興勢力だった商人や知識階級を「いらない人々」として蔑視した。理由は明白で、カトリック教会自体が、多くの領邦を抱える大地主であり、大地主としては、税金を納める農民がかわいく、それ以外は憎たらしいというわけだ。文化も華ひらき、商業も発展し、大学も進化したヨーロッパにありながら、今だ教会は旧態然とした社会システムのみを“すばらしい世界”と賞賛したわけだ。そりゃあすばらしいと思うはずだ、黙っていても金が入ってくるのがそのシステムなのだから。

 それで世の中上手く回るならそれでいいが、オスマン・トルコの台頭や、新大陸発見が、人々の目を外へ向けさせた。新興勢力は宗教的に不満だった。今のカトリック教会は何かおかしいと。本当に神の意思を実践しているのか?と。

 彼らは普及した聖書を片手に、カトリック教会を通さない“神との対話”をはじめる。こういうのを「聖書主義」というらしい。


 「聖書主義」は3派にわかれた。


 「ルター派」は神父を否定し“牧師”を採用。領邦君主が神の代理人とする。現状の社会システムを維持しつつ政教分離を主張。反教皇ではあるが、それ以外のスタイルはそう変り無いように感じる。


 「カルヴァン派」は信者代表が作る“長老”達が神の代理人とする立場。

 “長老”が牧師を選任し、教区へ派遣する。

 新秩序の構築と新しい倫理観を肯定している。

 ある意味、聖書を厳密に解釈する超保守派だ。(←「赤毛のアン」のアンはこの超保守派(長老派)だ、牧歌的だが、時おり排他的な面が物語のアクセントとして書かれている)

 だが、カトリック教会が信者は教会へ財産を寄進すべきだと奨励したのに対して、貯金はいいものだと認めた。これが後の資本主義の発展へとつながる。


 

 「イギリス」は反教皇。それ以外に特にこだわりはないようだが、一応「ルター派」「カルヴァン派」の教義を取り入れて体裁を整えている。

 実体はヘンリー8世が離婚を認めない教皇にたいして激怒したため、大陸で流行していた「宗教改革」に便乗してカトリック教会を脱会。イギリス国民丸ごと巻き込んで、カトリック教会に反旗を翻した事になる。

 

 …でも個人的には、これが、イギリスの発展に大きく貢献したように思う。教皇の後ろ盾を失ったイギリス国王の権威は落ち、その分、新興勢力(商人、知識階級)や貴族(大地主)の力が増した。この環境が、随分先に起こる市民革命の布石になっているように思う。この後、絶対王政の時期に突入するが、絶対王政とは言葉とはうらはらに、真の主役はこうした商業資本家や貴族達だと思う。


 現実の歴史では「王子とこじき」のモデル、エドワード6世は9歳で即位している。

 作者のマーク・トゥエインは、エドワード王子は父を慕う優しい少年として書いた。

 父ヘンリー8世は病床につき、今にもなくなりそうでもある。

 そんな中、跡継ぎとしてエドワード王子は窮屈な毎日を送っていた。


 あとはお馴染みの展開だ。ウエストミンスター寺院で双子のようにそっくりな「こじき」と出合った王子は窮屈な生活から抜け出したい一心で入れ替わりを提案。こじきことトム少年も了承する。

 物語はこのあとお馴染みの展開になる。どこへ行ってもトム王子の周りには取り巻きがいるため、再入れ替わりのチャンスがない。その間、エドワードは国民の貧しさをしり、愕然とする。


 現実の歴史では、ヘンリー8世の宗教改革の過程で粛清された神父や貴族はたくさんいた。

 物語のなかでも没落貴族や、元神父が登場し、元にもどれなくなったエドワードと関わる。


 面白いのはラストだ。

 ヘンリー8世がなくなった為、エドワード6世が(トム少年が)9歳で即位する。

 戴冠式はあのウエストミンスター寺院だ。

 入れ替わるならそこでしかない。

 駆けつけつエドワード。なんのかんのあり、「寸前で」元に戻る事に成功。

 エドワードはエドワード6世として即位し、トム少年は家族の元に返れる。




 この展開、「寸前で」という部分。現実の歴史でも似たことが起きている。

 時系列では6年後、現実の歴史において国王エドワード6世は9歳で即位し15歳で亡くなる。 

 幼いエドワード6世を利用してイギリスを支配しようとしたダドリー一派は、エドワード6世の“はとこ”と自分の一族を結婚させ、次期王権をねらった。

 それを知ったイギリス政府は、正当な後継者メアリー王女を急遽“戴冠式”に呼びつけた。ロンドンに入ったメアリーは圧倒的支持をうけ女王となり、ダドリー一派は排除される。もし、メアリーが「寸前で」間に合わなかったら、ダドリー一派がイギリスを支配していたかもしれない。


 ここでもイギリス政府の意向が反映される形になっている。

 絶対王政とは、海路シーレーンの確保を背景に生まれた植民地経営で、商業が発展し。その過程で台頭した新興勢力(資産家(=貴族。資本家))の支えで王権が強化されたスタイルだと思う。

 かつて教皇によって保障された王権が、教皇に代わり新興勢力が支えるようになったという事だ。


 フランス革命時に、ルイ16世が議会や貴族を押さえ込めず、3部会を開いたのも、王権を支えているのが、教皇ではなく、貴族や資本家だったからかもしれない。もし、自分を支えるそうした人たちが、市民や農民の側についてしまったら、国王と言えども何も出来なくなってしまう。カノッサの屈辱の頃では考えられない事が、革命期には起きたわけだ。


 この「王子とこじき」のモデルとなった、エドワード6世の時代とは、「カノッサの屈辱の時期」~「革命期」をつなぐ大事な時期だと思う。

 王の権威は“誰”がささえているのか?という問題の意味が、変化した時期なのだ。



 アジアにこういう歴史の経緯は無い。

 だから政教分離や、立憲君主制の土台が薄っぺらいのかもしれない。

 けど、こうした制度が近代資本主義を支えているというのは理解できるだろうか?資本主義を担う人たちが主役となり、国家の権威を支えている。だから、近代的な制度や法体系を否定する事は、中世以前のカノッサの屈辱のような時代への回帰を意味する。

 言うまでも無いが、“人権思想”もそうした近代的な社会をささえる大事な概念の1つです。



 人権思想を否定する人がいたら、その人権思想が消えたら、現在の社会が成立しなくなる事を教えてあげてください。…世界は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもって動いています。

 今もそうした渦の中で(ダイナミズムで)動いています。


 手を伸ばせば届くような単純でない強大な“何かで”動いている。

 そして“変る常識”“変る世界”というのは、現実に確かにあるのです。


 こんな話がある。

 日本人は時間をかけて“こしひかり”を作り上げた。

 しかし、アメリカ人が“こしひかり”の遺伝子を特許にしてしまい、日本人に権利がなくなってしまう。それおかしくないか?という話は以前からあった。

 “こしひかり”に限らず、世界中で似た問題は起こり、ついに話し合いがもたれる事になる。

 それが現在行われている「生物多様性条約会議」です。

 世界の主役は少数の特権享受者ではなく、世の中にいる皆にあると思いたいところです。

 話し合いはこじれています、長年虐げられた国々の不満が爆発しているからです。

 しかし、過去の歴史を見るように、こうした不満は次の時代のステップに繋がっています。

 かつてカトリック教会が無視した「新興勢力」が宗教改革への流れを作り、絶対王政へと流れを変えました。

 時代は常に、動いているのです。目の前で。



 この世はけっして単純ではない。

 単純と吹聴する人間は理解した“ふり”をしているだけです。

 Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!

 君の周りの人に伝えてください。


 「自分たちだけが一方的に正しいと思っているのは恥ずかしくないの!?」と。


 いろんな目に遭う前は、彼らの組織が正直ここまでひどいと思ってなかった。

 もっとまともな組織と本気で思っていた…

 多くの“まともな人”を隠れ蓑にして、“そうした”人が隠れている。

 もう、恥ずかしい!と“そうした”仲間の行動を見ている人、結構いると、

 そう思います。


 誰かの恥の尻拭いを何で自分がしなきゃいけないんだ!

 そう感じた人(感じる人)少なくないと感じます。

 多くの人の良識の存在を信じて。


 大丈夫、君は自信をもって自分を貫けばいい。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」



 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!


 Fさんは、僕には“彼ら”に「人生を返せ!」と主張する権利があると思いますか? 

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〔10月21日(木)曜日〕


 「鉄仮面」の物語、派生作品がいろいろあります。

 鉄の仮面をかぶった怪人というのは、いろいろな人のイメージをかきたてるのでしょう。

 個人的には「銀河鉄道999」に登場する黒騎士などが、鉄仮面の敵役としては一番印象に残っている…

 アニメに限らず、鉄の仮面をかぶった怪しい人物は映像作品に頻繁に登場するモチーフです。


 もともとは18世紀初頭にフランスの貴族専用監獄(バスティーユ監獄)で死亡した実在の囚人がモデルらしい。

 彼の素性については諸説あり、実は国王の双子の兄弟だ!とか、いろいろある。

 総じて大体は「国王に都合の悪い人物だが、身分が高貴すぎて殺せない人物」というイメージで語られる。

 なぜなら、収監中の34年間、ずっと仮面をつけられていて、看守すら正体をしらないからだ。

 34年で死亡したという事は、結構な歳であり、収監前は何をしていたのかいろいろ憶測を呼びます。


 アレクサンドル・デュマもそう思ったらしく、彼をルイ14世の双子の兄という設定にしている。


 時は絶対王政が確立した時代の物語。

 イギリスでは清教徒革命が起こり、混乱が続く時代。

 フランス自体も、反カトリック勢力が台頭し、手を焼いていた。

 ハプスブルグ家との無意味なにらみ合いも際限がなく続く。そんな時代だった。



 前回書いた「王子とこじき」のエドワード6世死去から89年後、

 アレクサンドル・デュマの作品「三銃士(第三部)」では冒頭イギリス国王がフランスに逃げてくる。

 成長したイギリス議会は各々の立場の人が(国王を差し置いて)独自の説を展開し、対立していた。

 

 「王党派」は国王支持。僧侶や貴族、大商人などが主体。

 「長老派」はカルヴァン派的世界を目指す。地方の名士や商人が主体。

 「独立派」はより攻撃的に共和制を主張、新興勢力(商工業者、自営農)が主体。

 「水平派」はより理想的(空想的)共和制をめざす。現在のシステムに近いものを目指しているが、17世紀の世界では空想的すぎた。その空想的内容とは、「完全普通選挙」と「信仰の自由」というものだ。400年前は実現不可能な空想的理想だが、現在は“あたりまえ”になっている。

 この事実をFさんはどう思いますか?

 これら水平派の主体は貧民層でした。

 あとさらに貧しい最貧民層は「真正水平派」と呼ばれ、原始宗教への回帰と土地の共有化という共産主義っぽい事を言っています。

(※共産主義はケインズ主義をさらに徹底したようなエリートによる計画経済を構想している(ケインズ自身はこれを非難している)。このエリートが完全な計画を立てられるならいいが、前回説明したとおり、経済学はいまだ未完成で、一部天才の“勘”に頼る状況。共産主義のいう所のエリートが完璧な計画経済を指導するといのは「現在の常識や技術」では不可能なのです。

 また共産主義が独裁に陥りやすいのは、エリートが全てを計画し、実践させる体制の副産物です。幹部や指導者には絶大な権力は集中し、特権をもちます。個人崇拝に陥りやすく、現に個人崇拝に陥っている共産主義国家は2010年現在も複数あります。欠陥があるという意味では“資本主義”も同じですが、物事を改善し、次のステップにすすむ余地を残しているという意味では、共産主義より未来の可能性を感じます。Fさんはどう思う?)


 …成長したイギリス議会は混乱した。

 そちらの世界には秩序の「維持」こそ“すばらしい”。混乱は悪だとする風潮があるが、物事が変る時は、こういうドラスティックな展開はさけて通れない。

 現在のイギリス議会が完璧とは思わないが、その「歴史」はおおいに参考になる。

 失敗も多く残しているから、どうすればよかったのか?を研究するのは、未来の糧になります。



「王子とこじき」のエドワード6世死去から89年後のイギリス議会では「独立派」が主導権をとり、清教徒革命を起こし、市民の権利拡大を国王に迫った。

 革命は性急すぎたのかブレーキが効かなくなり、ついに国王の処刑にまでいたる。

 しかし、王政にかわる政治システムが確立してなかったがゆえ、結局は「独立派」のリーダー「クロムウェル」の独裁体制になってしまう。王を倒しても、代わりとなる議会政治が成長してなければ意味が無いのだ。この後のイギリスの歴史は王政が復古するが、議会もだんだんと力をまし、王権と市民の力が駆け引きを繰り返し、どうバランスをとったらちょうどいいか?を試行錯誤する時代に突入する。

 最終的には議会は国王がいなくとも機能するほど成熟したが、伝統と権威のシンボルとして、王室は今も残る。現在のイギリス国民の王室バッシングはすさまじい。何かあればすぐに非難されるし、王室を揶揄したコメディーも頻繁に作られる。日本では女性誌が皇太子の髪型を今風にしたらこうなるという特集をしただけで、問題になる。イギリスではありえない。日本ではまだまだ権利の意識が低い結果だと思う。



 アレクサンドル・デュマの作品「三銃士(第三部)」の冒頭でイギリス国王チャールズ2世はフランスに逃げてくる。彼は幼少期にイギリス脱出をはたした前王の息子で、一時スコットランドにいた際、戴冠式を行い王位をついだ。しかし「独立派」の軍から逃げるため、フランスのルイ14世をたよって逃げてきたわけだ。この辺りは現実の物語とかわらない。

 「三銃士(第三部)」内では、ルイ14世の信頼厚い銃士隊のダルタニアンがチャールズ2世とともにイギリスに渡り、彼を守りながら活躍し、再び彼を王位につかせる事に成功している。

 現実の歴史でも1660年、イギリスは王政復古し、クロムウェルの共和制独裁は7年で終わる。

 独裁は終わるが、「市民の権利」の価値はその後も尊重され、この29年後イギリスは「権利けんり章典しょうてん」を発布する。さらに61年後には責任内閣制が確立し「君主くんしゅ君臨くんりんすれど統治とうちせず」という現在のシステムの原型に近いものに到達する、時に1721年の事だ。日本では「暴れん坊将軍」のモデルになった徳川吉宗の治世の時代だ。


 

 アレクサンドル・デュマの作品「三銃士(第三部)」のオチは非常に有名だ。

 フランス王ルイ14世、実は彼には双子の兄がいて、鉄仮面をかぶせられ、今もバスティーユ監獄で幽閉されている。そして国王と彼を秘密裏に入れ替えようとするたくらみがある…。詳細は不明だ、原作を読んでいない、派生作品ではそれぞれに解釈が異なり、どれが原作に忠実かわからない。

 国王すり替えの主犯は元三銃士の1人“アラミス”だ。昔、NHKのアニメでは男装の美女という設定だったが、本来は眉目秀麗な男性という設定だ。神学に傾倒したバリバリのカトリック教徒で、当然この当時吹き荒れる宗教改革の産物、抗議者プロテスタントを快く思ってない。

 アラミスは三銃士のなかでもミステリアスな人物として表現されている。その演出の意図は、他のメンバーよりも宗教に傾倒した人物という演出と見受ける。皆が皆アラミスほど宗教に熱心でないという演出だ。そんな彼が国王すり替えを画策する意図は?

 後々の展開に答えがあるように思う。

 アラミスは三銃士を辞めたあとカトリックの司祭になり、その地位は「イエスズ会の管区長」という破格の地位だった。王宮で愛人だった人物から、王の秘密を知らされ、その絡みで構築した人脈でなしえた出世のようだ。「イエスズ会」といえば日本ではフランシスコ・ザビエルで有名だが、本来はローマの教皇の直接指揮下に入る精鋭宗教集団だ。教皇をないがしろにする抗議者プロテスタントと対立する図式だ。フランシスコ・ザビエルが日本に来たのも、もしかしたら抗議者プロテスタントの勢力拡大に対抗する意図があったのかもしれない、推測ですが。


 そんなイエズス会のアラミスが、国王すり替えを画策するのだがら、おのずと意図が見えてくる…


 原作では寸前の所で失敗、かつての仲間ダルタニアンは反逆者としてアラミスを追う。

 何も知らず手を貸した三銃士いちの陽気者ポルトスは反逆者として殺されてしまい、アラミス自身も追い込まれるが、追っ手の船の艦長が同じイエズス会の会員だった関係で難をのがれ、スペインに逃げのびる。


 この物語は「一人はみんなのために、皆は1人のために!」の合言葉で鉄の友情をしめしていた三銃士の友情も、時代の流れに飲み込まれてしまった…というオチなのだと思う。カトリックとプロテスタント。そして絶対王政下の王権と人権のせめぎ合いの時代を背景にしている。宗教は長年の友も敵にしてしまうのだろうか…、これはあくまで物語だ。現実がそうとは誰にも決められない。

 Fさんはどう思う?


 イギリスではクロムウェルの独裁が反省され、その後革命で流血事件はおきない。

 しかし、この後のフランスはあの「ベルサイユのばら」で有名な激動の革命期に突入し、多くの血が流される。


 世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです、手が出せば届くようなものではない強大なダイナミズムで動いている。日本とて例外ではなく影響されている。

 せまい世界のなかだけで完結しないという事だけは、間違いようのない事実です。

 けっして単純ではない。

 そしてその「歴史」は現在と地続きで繋がっている。

 過去の混乱を学べば、将来の混乱にたいしても処方箋がかける。

 1つの真実が世界の理と理解するのは実用性がない狭い了見だ。

 歴史は繰り返す、繰り返しの中から、学び成長するのが人間の本質と思いたいです。

 Fさんはどう感じますか?



 単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。

 Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!

 君の周りの人に伝えてください。

 「自分たちだけが一方的に正しいと思っているのは恥ずかしくないの!?」と。

 彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。

 わかろうとしないのは、個人個人の“質”の問題です。目の前しか見ていない。

 そうした自分都合の連中に負けないで!


 これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。

 教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。

 “質”が問われているのです。そう伝えてください。


 君の性格を考えると「人に騙された…」なんて恥ずかしくて人に言えない…

 そんな風に思うのかもしれない。


 でも勇気をもって切り抜けて欲しい。

 君人生だもの。


 付け入られる可能性もある。

 つらいかもしれないけど、切り抜けて欲しい。


 向き合うべき問題は君の「中」にある。

 同時に「外」にもある。


 可能性を模索して


 彼らの行動は常識を逸脱している。

 だから、やめるときも常識を超える「決断」や「勇気」が必要なのかもしれない。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ



 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!


 何か言われたら、こう言ってください。

「私には命をかけてくれる人がいる、この人は私を邪魔になんか決して思わない人よ」と。

「今度はあなたが人の都合を聞く番よ、さんざん他人の都合を無視してきたんだから、

 文句は言わせないわよ!」と。


 人はあきらめない生き物だし、変ろうとする努力は、本当に報われると思います。


 真実は君の心の中にある。あきらめず戦って欲しい。

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〔10月22日(金)曜日〕①

 君の性格を考えると「人に騙された…」なんて恥ずかしくて人に言えない。

 そんな風に思うのかもしれない、でも感情は君の味方です、敵にする必要はない。

 コントロールすればいいんです。


 困難でも負けないで立ち向かって!君ならできる。

 つらいかもしれないけど、切り抜けて欲しい。


 悔やんでいるなら実行あるのみです。

 再会を信じて。希望を抱いて!


 Fさんなら切り抜けられます。


〔10月22日(金)曜日〕②

 巧妙化する手口に負けないで


〔10月22日(金)曜日〕③

 論じるべきは、人々の「面子めんつ」ではなく君の想いだ!


〔10月22日(金)曜日〕④

 黙ってれば丸くおさまると思っている連中の目を覚まさせて!


〔10月22日(金)曜日〕⑤

 三行半みくだりはんって、江戸時代に、別れたい女の人が、長屋の大家さんに文章を書いてもらい、それを男に渡す慣わしからきている言葉らしい。

 何でもその文章には別れたい理由などが書かれているとか、ちょうど3行と半分で済む文章だったらしい。

 江戸時代の長屋の大家というのは、単なる大家ではなく、行政機能をになっていて、長屋全体の上下水道やごみだし、徴税や福利厚生、結婚、出産、葬儀など、今では行政がになう全てをやっていた。大家と店子は親子も同然とはこの時代の言葉です。 だから、当然、離婚時も大家が登場し、三行半を大家に書いてもらいわたすらしい。

 こんな故事もしらずに、いまだに「大家と店子は親子も同然」とか言う年配者いる。

 “知らない”という事は、平気でまちがった常識を信じさせてしまう。


 常識はなにをもって常識とするか、個人が決める事です。

 特に、君自身の人生がかかっている場合は、君に決める権利がある。

 

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〔10月22日(金)曜日〕⑥


 現在「スペイン」と「ポルトガル」がある“イベリア半島”には人が残した洞窟壁画があります。

 紀元前1万5000年?ほど前のものらしい…

 約400万年前にアフリカで生まれた猿が、紆余曲折をへて進化し、イベリア半島にたどり着き、紀元前1万5000年?ほどの時点でスペインの洞窟に到達した事になる。猿から人類になるまで「約400万年?」スケールがでかすぎてピンときません。


 その後さらに「1万4000年?」ほど経過し、“イベリア半島”南部に「タルテッソス」という貿易国家が生まれていたという記録が出てくる。当時地中海の交易を独占したフェニキア人と組んで交易をしていたらしい。「タルテッソス」国自体は伝説の王国だ(※アジアで言えば“殷”とか“周”、日本なら“邪馬台国”のような、存在の可能性は高いが証拠のない国)、真偽の程はわからない。だがイベリア半島南部といえば、ちょうど地中海と大西洋を結ぶジブラルタル海峡に面している。海上交易商人が休憩所を欲しがる位置だ。



 この時代、紀元前1000年代は「ローマ」はまだなく、イタリア半島には「エルトリア人」の王国があった。ローマ人がこのエルトリアの王を殺して共和制国家を作るのはこの後500年ほど先になる。


 「エルトリア人」がローマで王国を持っていた時代。

 「ヒッタイト」と「エジプト」はすでにあり、この時代の2大大国だった。

 その陰にあやかるように、「ギリシャ人とフェニキア人」が地中海で交易をしていた時代だと思う。

 まだ“シルクロード”は、本格的に機能していなかったと思う。

 

 現在の目で見ると、この時代「エジプト王国の歴史」が抜きん出て際立つ。この時点ですでに2000年近い歴史をもつ。しかしそれはエジプトに詳細な記録が残っていたからわかるだけで、文字に記載されていない“本当の歴史”がまだまだ埋もれているかもしれない…、いや、埋もれている事時代は間違いがない。

 そんな時代だから、多くの考古学者が解明しようとしている対象だと思う。


 詳細は不明だが、新石器時代が終わった?時点でイベリア半島にはいくつかの民族がいたようだ。

 半島東部にイベリア人、北部にケルト人(ガリア人)、ピレネー山脈の一部にバスク人。そして現在のポルトガルに重なる地域にルシタニ人。これらの人はその後も交じり合い、外部からの民族流入もかさなり、違いがなくなってゆくが、時代が下ってもルシタニ人発祥のポルトガル人は自分たちの文化を保ち続けた?という事だろうか?

 スペインとポルトガルは似ているけど、微妙に文化が違うようです。

(※バスク人は少数民族として今もスペイン内で独立闘争をしていると聞きます。)



 大航海時代。先に海に出たのはポルトガル人の方だった。

 1341年に西アフリカ沖のカナリア諸島に来ている。が、まだここが世界の果てだった。

 ここから先はアラブ人の世界であり、危険な海。

 そんな地理知識のない多くの船乗りが、この先は海が無く、世界が終わっていると信じた。


 この後1347年~51年にペストの大流行が起こっている。ヨーロッパの人口の大半は消失する大惨事だ。

 さらに1362年にはコンスタンティノーブルが陥落している。

 人口の半分がなくなった時代、農民がいなくなり荘園制度が崩壊。社会構造の変質が余儀なくされる

 荘園(農村)中心の社会から商業へシフトするきっかけとなった。

 後々にこれが王権の中央集約へとつながり、新興勢力の台頭と絶対王政のへのきっかけになったと書いては言いすぎだろうか?


 本格的に進出したのはポルトガルのある王子の偉業だ。

 後に「エンリケ航海王子」と呼ばれる彼は、当時のタブーである世界の果てにむけて航海者を派遣した。

 なぜタブーを犯したのか?諸説あるが、僕はこう考える。

 地中海交易に関しては、ジブラルタル海峡をスペインに押さえられているので、いまいち自由にできない…

 自然と地中海とは“逆”方向に向うのでは?と思う。

 なぜこの時期になって?今までしなかったのか?

 それは長らくイベリア半島は、北アフリカから来たイスラム勢力の支配下にあったため、ヨーロッパ人はそれどころではなかったからだと思う、まだイスラムに支配される前では、まだ航海術が未発達で、外洋には出られなかったのでは無いだろうか?


 ポルトガルが弱小国だ、活路を求めて外に出たのかもしれない。


 ポルトガルが次々とアフリカ大陸沿いに航路を開いていくのを見て、隣国スペインはどんな気持ちだったのだろう?最初は馬鹿にしていたのか?あるいは様子見をしていたのか…。だがヴァスコ・ダ・ガマが「インド」に到着した時点でついにスペインも行動した。

 

 スペインの援助でアメリカに到達したコロンブスの話は有名だ。

 その後もスペイン人のアメリカ大陸開拓は続き、コルテスによるインカ、アステカの征服劇はあまりにも有名だ。


 …海路シーレーンの開発に伴い、ポルトガルは弱小国でありながり巨万の富を手にする。

 しかし、そもそも国力がないので、長大な海路シーレーンを維持できずに自然消滅してしまう。

(※この辺は第2次大戦で中国を支配しきれなかった日本に似ている。日本の国力だけであの広大な国土を支配下に置くには限界があった)

 この後のポルトガルの歴史はあまり面白くない。

 絶対王政とは蓄財し権力をました貴族や資本家が、王権を支える時代だ。

 多くのヨーロッパの国ではこうした人らが国内の産業を育てる。

 しかし、ポルトガルではそれがなく、いつまでも植民地から利益を吸い上げるだけ。

 最終的にブラジルを失い、どうにも出来なくなる。

 現在でもポルトガルは産業力が弱い状態が続いている。

 (過去、現在を問わず)力ある上位者が自分の都合を優先させる国は、こうなるのだろうか?

 Fさんは、どう感じますか?



 スペインは国力があったため、植民地を維持できた。

 特にアメリカ大陸では南米を中心に広大な領域を支配。

 多くの産物は“カリブ海”からヨーロッパへむけ運ばれた。

 面白く思わないイギリス・フランスは、半分犯罪者のような船乗りたちに、カリブ海での私略行為(海賊行為)を許可する。カリブの海賊のはじまりです。

 暴力は暴力をよび、エスカレート。独自のルールなどもうまれた。

(※“彼ら”のいうルールも、こういう暴力社会の秩序を維持する“海賊ルール”なのではないだろうか?)

 その辺の海賊文化は伝説化され映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」等で有名です。


 しかし事情はポルトガルと同じで、国内産業の発展しなかったスペインは産業革命の波に乗り遅れ、イタリアのような劣等性へと転落した。当時、世界の半分を支配した帝国がこんな事になるとは、だれも想像できないだろう。


 …これは完全な私見。

 「ポルトガル」「スペイン」はイベリア半島からイスラム勢力を追い出すのに「カトリックの支援」を受けた。その関係で、宗教改革後の世界でも依然カトリックの強い影響下にあった。

(※その関係で両国とも「イエズス会」に協力的で、植民地への「イエズス会」の神父派遣に強力的だった。フランシスコ・ザビエルもポルトガルの植民地「マカオ」をアジアの活動拠点にしていた。おかげで両国のかつての植民地はどこもカトリックの地になっています。ブラジルのありえないほど巨大なキリスト像は有名です。) 抗議者プロテスタントのいた国々では、その主体となった新興勢力が産業を育て、発展させた。故に近代化も加速し、国力も増した。でもカトリックの国々では旧態前とした価値観が残りつづけ、両国とも上記のような状況になった…。

 断言はできない、しかし新興勢力のほうが発想に柔軟性があったように思う。ポルトガルがアジア航路を独占した時など、じゃあと言わんがばかりに、ポルトガルの航路の先に位置した物品の「原産国」を占領してしまった。これではせっかくアジア航路を開いても意味がない。ポルトガル没落の原因です。


 抗議者プロテスタントの国では商業が次の形態に移行した。世界初の「会社」を作ったのも抗議者プロテスタントのイギリス、オランダだった。発想が旧来のままではこうはいかない。


 スエズ運河を作った際にも、イギリスでは株式やファンドを使って資金をあつめ、あの大事業をやったといいます。かつてイタリア人探検家「コロンブス」はスポンサー(パトロン)探しに苦労しました。以前の世界ではお金を持つ権力者が金をだし、大事業がされた。しかし、その非効率を回避する意味で、商業の発展したイギリスでは会社や株式、ファンドといったものが生まれた。


 「ポルトガル」「スペイン」はかつて世界の半分を支配した。

 シルクロードのシステムを打ち破り、あたらしい世界をひらいた。

 しかし、発想が旧来のものにとどまったため、対応できす。現在のような状況になったのでは?と思う。


 かつて「オスマン・トルコ」が曲がり角に来た理由は、巨大になった帝国なのに、政治システムが旧来型のままだったので、歪みが生じて、機能不全になったからだと説明した。

 同じことがここでも確認できるように感じるのは気のせいなのだろうか?そんな事を思わなくもない。


 



 世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです、手が出せば届くようなものではない強大なダイナミズムで動いている。日本とて例外ではない。

 日本がかつて世界で相手にされたのはお金を持っていたから。

 今、相手にしてくれる理由はお金に加えて技術も持っているから。

 でも「スペイン」「ポルトガル」のように次世代への投資を怠ると、いつかどうにもならない時代がくるかもしれない。古い発想もいいが、それだけではどうにもならない事を歴史は教えてくれます。


 せまい世界のなかだけで平和は完結しないという事だけは否定の難しい事実のようです。

 けっして単純ではない。

 単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。

 Fさん、そんな連中の説教など…君の好きなように無視していいと思う。


 君の周りの人に伝えてください。

 「理解を示す心の広さはどこへやったの?」と。

 「真実に目を向ける勇気はどこへいったの!?」と。

 彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。


 わかろうとしないのは、個人個人の“質”の問題です。目の前しか見ていない。

 そうした自分都合の連中に負けないで!

“厄介な人”多いと思うけど!負けないで欲しい。


 これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。

 教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。

 “質”が問われているのです。そう伝えてください。


 君が戦っているという前提で書きます。

 負けないで!応援しています。君は自分で思っている以上に強い人です。



 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」



 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

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〔10月23日(土)曜日〕〔1〕

 昔「風とライオン」という映画があった。

 印象としてはいまいちなにだが、忘れずに記憶していて、何がそんなに引っかかっているのだろうか?

 機会があったらもう一度見たい映画だと思っている作品だ。


〔10月23日(土)曜日〕〔2〕

 最近こんな話ばかりかな…

 君が退屈してないか心配になる。

 顔を見ながらでないと、わからない事もあるかもしれない。

 君は恥ずかしがるかもしれないが…


〔10月23日(土)曜日〕〔3〕

 いつか、そういう時間が持てる事をいのります。


〔10月23日(土)曜日〕〔4〕

 …さきほどの「風とライオン」同時に、見た事は無いが、上記の作品にからめて見たい映画として「カサブランカ」というのもある。典型的メロドラマらしいけど、宮崎駿監督はこの映画からインスピレーションを受けて、「紅の豚」のホテルアドリアーノの女主人、ジーナを描いたらしい。


 両作品ともにアフリカの「モロッコ」を舞台にしている。

 「ポルトガル」「スペイン」のある「イベリア半島」とはジブラルタル海峡を挟んで向かい合っている場所で、アフリカ大陸の西端の国だ。


 映画「風とライオン」では、この地域に古くから(おそらく石器時代から住む先住者)住むベルベル人の族長がアメリカ人母子を誘拐するところから始まる。コロニアル風(地中海風)のお洒落な白壁の街をターバンとマントを羽織った一団が武器を片手に駆け回り、アメリカ人母子を誘拐、当時の大統領に要求を突きつけるという内容だ。

 族長の意図はこうらしい、現在モロッコで権威ある人物は、西欧列強のいいなりに民衆を苦しめている。自分が西欧人を誘拐することで、彼を西欧人と民衆の間に板ばさみにできる。彼はめざめてモロッコのために立ち上がるだろうという意図だ。

 ベルベルの戦士は古くから有名で、勇猛さが伝わっている。監督は黒澤映画のファンらしく、黒澤映画の影響をうけた演出で、ベルベルの戦士を描く。


〔10月23日(土)曜日〕〔5〕

 …この地域は1900年代、第1次大戦の前哨戦ともいわれた場所だった。

 ジブラルタル海峡を押さえたものは地中海の制海権を左右する、ここを敵国に抑えられたら、地中海の国々は船を大西洋に出せなくなるからだ。海峡の北はイギリスが押さえた(2010年現在でもイギリス領の基地がある)。南はスペインが押さえている。黙っていられないのがフランス、ドイツなどの国々だ。当時のイギリスを敵に回すのは厄介とかんがえたのか、みな海峡南を支配するスペインをターゲットにする。弱いものから狙う…まさに弱肉強食の理論で、当時の世界がいかに荒れてるかがわかる。人類は当時の事を反省して、今の世界秩序を作ったと思いたいです。

 現実の歴史において、第1次大戦の10年前、イギリス・フランス間で「英仏協商」が成立。モロッコはフランス領になる。イギリスとフランスは仲が悪かったが、ドイツに敵対する意味で意見が合ったらしい。

 この時代、海路シーレーンの確保における世界戦略の延長線上で、鉄道利権が争われる。中東の鉄道政策で、イギリスとドイツはぶつかり、一歩も譲らない状況に。

 同時期、モロッコをめぐりドイツとフランスは衝突。

 ドイツを牽制する意味でイギリスとフランスが接近したらしい。

 この「英仏協商」が最終的に「3国協商」へ発展し、ドイツ・オーストリア・イタリアの「3国同盟」とぶつかるのが第1次世界大戦です。当時この世界大戦は、全ての小競り合いを終わらせる最終戦争と位置づけられ、各国が総力をあげました。故に激化し、それまでの戦争がお遊びに感じるほどの激しい戦いになります。この時代まで、国家が持てる全てをつぎ込む戦いは存在しなかった訳ですから…。

 そして最終戦争を勝ち抜いた「3国協商」(日本も含む)は「ヴェルサイユ体制」を構築。悪意で世界を支配する20年を始めます。


 …「風とライオン」の方は、西欧人の言いなりになる太守(←これが地方の支配者なのか、モロッコの王なのかあやふやです)が西欧人と取引、人質をとった族長は裏切られる形で幕引きをする。

 映画の中ではショーンコネリー演じる族長は、サムライのような人物として描かれ、太守が裏切るなどとは夢にも思っていない。そこまで太守も落ちぶれていないと感じたのか、ワナと知りつつ誘いに乗り、ドイツ軍につかまってしまう。

 連れ去られた過程で親しくなった誘拐された女性イーデンはアメリカ海兵隊の力をかり、彼を救出に向う。


 誠実な戦士ライズリの部下たちも加わり、激しい争奪戦ののち、ライズリ一派は逃げ出す事に成功。

 モロッコはその後「英仏協商」でフランスの手に渡り。

 アメリカのルーズベルト大統領は母子救出で支持率があがる。


 映画自体はこのルーズベルト大統領が軸になっている。

 大陸同士の醜いエゴがぶつかる仲、正論をふりかざすライズリ族長に次第に親近感と憧れを抱く大統領。

 全ては最終的に大国の都合のいいように終わったが、はたしてそれでいいのか?自分たちは大切な何かを失ってはいないのか?という終わり方をする…、と思う。なにぶん1回しか見てないので、間違いがあるかも知れないが、こんな話だったと思う。


 その後フランス領としてモロッコは時を刻む事になる。

 第1次大戦をへて、なおフランス領でありつづける。


 第2次大戦が始まると、ヒトラーの電撃戦により短時間でフランスは陥落。戦争初期でフランスはドイツの傀儡政権に支配される事になる。

 植民地モロッコも当然、ドイツの影響下にはいる。が、一応形の上ではフランスの植民地のままだ。多くのヨーロッパ人が大陸を棄て逃げてくる。アメリカへ亡命するルートにモロッコの町「カサブランカ」があったからだ。


〔10月23日(土)曜日〕〔6〕

 映画「カサブランカ」の主人公はフランス人リーク。「カサブランカ」でバーをやっている。ドイツ軍をきらい本国から逃げてきたフランス人だ。ひょんな事から「旅券」をあづかる。ドイツ軍から盗んだものらしい、これを使えば安全に脱出できる代物だ。あづかりものなので、使う気がない主人公。

 あづけたのは反ドイツ活動をしている人間だ、その仲間が「旅券」をあづかってないか?と訪ねてくる。

 有名な反ドイツ活動家で、脱出を試みているところだ。主人公は彼の妻をみてびっくりする。


 彼女とはフランスで恋人だった。

 とても仲が良かったのに、ある日突然目の前から消えた。


 その彼女が見知らぬ男の妻となり現れた、当然「旅券」など渡さない。わたす義理がない。

 


〔10月23日(土)曜日〕〔7〕

 しかし、真相が明るみになり、主人公の考えは変る。それどころか、命をかけて彼女と旦那を逃がそうとする。なにがあったのか?真相はこうだ。フランスで主人公と彼女が仲良く付き合っていた時期、実は彼女は夫がドイツ軍に捕まり処刑されたと思っていたからだ。あたらしい恋で自分を癒そうとしていたのだろうか?

 しかし、ある日夫が「生きている」そして瀕死の重傷で「自分を必要としている」と知ると、失われた愛情がもどり、主人公に何もつげず去った…。


 その事を知り主人公はようやく自分を取り戻す。命がけで2人を脱出させてやった。

 途中、仲間になった人物と反ドイツ運動に加わる決意をして終わる…。


 そういう話らしい。


〔10月23日(土)曜日〕〔8〕

 愛情とは何か?を考えさせる話だと思う…。

 Fさんはどう思う。

 僕は君に会いたいと思っている。君はどうなのだろう…

 時間がいるのか、別の問題があるのか、…とにかく君を信じます。

 待とうと決めたのだから。


〔10月23日(土)曜日〕〔9〕

 現在のモロッコは王国として健在です。世界有数のリン鉱脈が発見され潤っています。アフリカ第4位の経済国です。鉱脈が枯渇する前に国内産業が発展する余地があれば、将来も明るい国なのではないでしょうか?隣りの西サハラ帰属でもめているようですが、2010年現在は大国の干渉もなく、地元だけで問題解決が探られています。「ヴェルサイユ体制下」では考えられなかった現実が今、おこっています。


 人間は弱い生き物です、ちょっとした事で心に悪魔が取り付きます。

 過去を反省し、現在の世界秩序を作ったのに、ブッシュ政権下のアメリカ軍はアブクレイブ刑務所で人権を無視した行為を行いましたつい最近の事です。でも隠蔽されす、マスコミのめにさらされ、正しい道を模索する機能があればこそ、発覚し、問題になるわけです。隠蔽体質があっては先に進めません。

 

〔10月23日(土)曜日〕〔10〕

 僕は今、賭けをしています。

 答えはわかりません、とにかく待とうと思う。

 今は君の都合が悪いだけだ、受け入れられるにしろ、違うにしろ、なにかしらケリをつけに君は現れる。そう信じます。君は、僕が真実に気がついたという事実をもし知ったなら、その事実を重く受け止めるはずだ。そう思った。何に賭けているのかと言うと、君が僕に「告白」するかどうかという事にだ。

“彼ら”は決して正体を明かさない…(「告白」しない)、どんなに親しくなろうとも、絶対に。君ははたしてどうだろう…?

 18年前、君は「告白」一歩手前まで来ていた。先輩の正体を明かすという行為は、あとちょっと踏み込めば自分の正体も明かしかねない行為だ、今にして思うとそう思う。


〔10月23日(土)曜日〕〔11〕

 僕は賭けをしています。君が僕に「告白」するかどうかと。

 そこが、大きなターニングポイントになる。それは事実です。

 告白された事は胸にしまうつもりでいます。


〔10月23日(土)曜日〕〔12〕

 僕には“彼ら”に「人生を返せ!」と主張する権利がある。

 この事実を否定するのは相当難しいはずだ。どんな屁理屈をひねり出すのか一苦労だと思う。

 けれど僕はあえて“その権利を行使”しない。過去の文面を読んで欲しい、一度だって要求してない。


〔10月23日(土)曜日〕〔13〕

 その代わりこう言いたい訳だ。「もう一度あいたい人がいる」と。

 それでもそれが「贅沢だ!」と言う人がいるならば、何を持って贅沢ではないのか定義を明確にしてほしいものだ。単に自分たちの贅沢が(快楽が)侵害されている事に怒っているだけという事実に気づかずに反論できるのだろうか?

「別に人生を全部返せって言う、無理な(実行不可能な)相談をしているわけではない」


〔10月23日(土)曜日〕〔14〕

“彼ら”は君がなかなか、なびかないから。

 じゃあ腹いせにこちらもずっと攻撃してやれ…と考えたのだろうか?

(そこまでくさってない?)


〔10月23日(土)曜日〕〔15〕

 もし事実なら、この18年間、同じ苦難の一端を君と共有していた事になる。

 それは僕にとっては(奇妙な事に)誇らしくも感じてしまう。

 繋がっていたのだろうか?どうなのだろう。

 だとしたら、2人の時間は断絶したわけではなく。

 図らずも“彼ら”を通じてつながっていた事になる。


〔10月23日(土)曜日〕〔16〕

 もしそうなら、切なくも、こそばゆい奇妙な想いになるけど…、どうなんだろう。

 あくまで仮説です。いつか疑問が解ける日を夢見ます。


〔10月23日(土)曜日〕〔17〕

 僕と別れた後“彼ら”は君に“まちがった”発見をたくさんさせたと思う。

 君は自分でそれを発見したと思い込んでいるけど、それは間違いです。


〔10月23日(土)曜日〕〔18〕

 そうした発見を全て背負い込む心理状態になれば“彼ら”はそこにつけ込む。

 そして君の心を容易に操る事が出来る。


〔10月23日(土)曜日〕〔19〕

 そうやって君を“従順”にさせるのが“彼らの(中の「そうした人達」の)常套手段”です。

 非常に悪質な人心掌握じんしんしょうあく法になります。


〔10月23日(土)曜日〕〔20〕

 油断していると、本当にこの暗示にかかります。

 相手は親切心につけこんで、あたかも君が自分で決断したかのように“錯覚”させるプロです。


〔10月23日(土)曜日〕〔21〕

 親切心を利用されないようにしないと、永久にいいように利用されてしまいます。

 気をつけて!そうやって“情熱”を失わせるのが、彼らのオハコだ!


〔10月23日(土)曜日〕〔22〕

“彼ら”は見た目や格好に関しては一般人と見分けがつかないように努力している。

 どこぞの信仰宗教のように、専用の服を作ったり、特異なオブジェを掲げたりしない。


〔10月23日(土)曜日〕〔23〕

 逆に言えばそれが故、見た目や生活様式の異なる人を攻撃する心理が生まれるのかもしれない。

 たぶん、“彼ら”のあの「行動」は、そうした「専用の服」や「特異なオブジェ」がないがゆえ、

 “その”代わりになるべき要素として“必要不可欠”なものになっているのではないだろうか?


〔10月23日(土)曜日〕〔24〕

 あやしい団体の構成員は「専用の服」や「特異なオブジェ」を通じてメンバーが一体感を持つと言う…

 “彼ら”の場合は「例のあの行動」を通じてメンバーが一体感を持つ…と考えると、

 無理なくイメージできるのだが、本当のところはどうなのだろう?Fさんはどう感じますか?


〔10月23日(土)曜日〕〔25〕

 いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。

 でも繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。

 きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。


〔10月23日(土)曜日〕〔26〕

 いろいろ言われると思う。けど、がんばって。負けないで欲しい。

 狭量な人達が押し付けてくる“勝手なイメージ”なんか跳ね除けて!


〔10月23日(土)曜日〕〔27〕

 自分の心を取り戻すべきです。

 心が狭くなると人の命まで軽くおもえるようになるのよ!と言ってやってください。


〔10月23日(土)曜日〕〔28〕

 多分君の周りには悪意なく“そういう事”が出来る人がたくさんたくさんいると思う。

 それは悪意があるのではなく、心が内向きになっていて、外に向いていないからだと思う。


〔10月23日(土)曜日〕〔29〕

 心が外向きになれば、人として持つ“当たり前の感情”が戻ってきます。

 そう、周りの人に言ってやってください。


〔10月23日(土)曜日〕〔30〕

 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」



 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!


 何か言われたら、こう言ってください。

「私には命をかけてくれる人がいる、この人は私を邪魔になんか決して思わない人よ」と。

「今度はあなたが人の都合を聞く番よ、さんざん他人の都合を無視してきたんだから、

 文句は言わせないわよ!」と、言って良いと思う。

 そちらの世界なりのいい訳があるのだと思う。 

 …でも、そんなもののために、1度しかない人生を犠牲にされるのは間違っている。

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〔10月24日(日)曜日〕〔1〕

 相変わらず映画シリーズで書こうかなと思う。歴史がらみの映画は結構ある。

 予備知識ゼロでみても面白いもの、ないとつまらないもの。あればさらに面白いものいろいろだ。


〔10月24日(日)曜日〕〔2〕

 面白くない?


〔10月24日(日)曜日〕〔3〕

 困った…


〔10月24日(日)曜日〕〔4〕

 何を聞きたい?


〔10月24日(日)曜日〕〔5〕

 リクエストがあれば、それ相応にネタがねれるけど。


〔10月24日(日)曜日〕〔6〕

 その時がきたら、教えてください。


〔10月24日(日)曜日〕〔7〕

 答えの聞ける日を願って。


 逃げ延びた「お姫様」といのは不動のエッセンスなのだろうか?

 “皇女アナスタシア”の物語は伝説になり語られています。


 8O年代になくなったある女性は、自分がアナスタシアだ!と主張しました。

 当時は遺伝子鑑定がなく、確かめられなかったそうです。

 もし彼女が本当に生き延びたとしたら、「ロマノフ王朝」最後の生き残りになります。

 

〔10月24日(日)曜日〕〔8〕

 この手の話は、あとしばらく続けようと思う。

 11月はじめに介護の自宅学習が始めるから、少しそちらに集中力を傾けてもいいよね?


〔10月24日(日)曜日〕〔9〕

 その際、少し文章量が減るかもしれないけど、理由があっての事です。


〔10月24日(日)曜日〕〔10〕

 それまでは、しばらくこんな感じで書こうと思う。

(※これを書くのは、今までの知識の総整理という意味で、役立っています。実際文章にしてみると、あいまいに理解していた部分や、理解の浅い部分、間違っていた解釈などに気づかされ、参考になります。わかりきった事も、一度文章にしてみると、意外な発見があったりするものです。Fさんは全て背負い込むような、そんな感覚をもっていたと感じます。もし今もそうなら全てを背負い込んではだめです!“彼ら”はそれを狙っています! 君が全ての罪を背負い込む心理状態になれば“彼ら”はそこにつけ込み、容易に君の心を操れるからです、打ち破る勇気が君に宿るとこを期待します。頑張れ!)


〔10月24日(日)曜日〕〔11〕 


 コンスタンティノープル陥落後、東方正教会の文化を引き継いだロシアは、その後の「宗教改革」の影響も当然受けず、中世の世界がそのまま残る社会だった。

 ペスト流行時もヨーロッパ諸国とは事情が異なり(モンゴルがロシアを支配していました)その影響は違う働きをしたと思う。(モンゴル勢力の駆逐とロシア人の主権復活という風に影響したと思う)


 ペストの流行で崩れた中世ヨーロッパの荘園システムが、ここロシアでは継続され、農奴(農民奴隷)という言葉で表現される、荘園から出る事も許されない奴隷のような農民システムへと進化します。「20世紀初頭」の時代でもロシアはそのような社会だった。

 商業の発展も今ひとつで、まるで14世紀のペスト流行以前のヨーロッパの世界が、そのまま20世紀まで継続されたような世界が、ロシアでは展開されていました。

(※自分たちでも遅れている意識があったのか、王宮では文化国フランスに憧れ、形だけでも真似ようと、フランス語が日常会話に使われた時代もあったと聞きます。)



〔10月24日(日)曜日〕〔12〕

 絶対王政とは台頭した経済的新興勢力が王を支えるシステムです。王より実質的に力があるので、王を牽制し、議会システムの発展と国内産業育成に貢献しました。

 しかし、商業の発達しなかったロシアでは新興勢力の台頭もなく、「20世紀初頭」になっても旧態然とした中世のシステムのままでした。その象徴は「ラスプーチン」という男だと思う。彼はいかがわしい民間医療を使い、皇帝一家に取り入り、ロシアの政治を左右しました。議会が強ければ、この様な事態は発生しませんが、当時のロシアではこれが許されてしまう旧態然とした政治システムが動いていた。


 どこから手をつけたらいいのかわからないくらい遅れた国、しかし、力だけはある。それが「20世紀初頭」のロシアだった。何度か外国の侵略を受けているが、侵略を退けられたのはロシアの厳しい冬だった。

(※ナポレオンもナチスドイツもロシアの「冬」に負けて、敗退しました。誰よりも強い将軍として「冬将軍」という風に呼ばれるほどロシアの冬は寒いらしいです)


 それでもヨーロッパからもたらされる啓蒙思想(=超自然的な(神的な)偏見を取り払い、人間本来の理性の自立を促すという意味、17世紀イギリスで生まれる)やそれに伴う革命の気運はロシアにも伝わっていきます。


〔10月24日(日)曜日〕〔13〕

 調べるとこの時期(1900年代)ロシアでは「経済主義」という考えが広がっている。

 ロシア皇帝を倒すよりも、まずは経済を発達させて、労働者の地位向上を図るのが先だという考えだ。

 この考えは正しいと思う。絶対王政下でイギリスなどはそういう流れで発展した。

 しかし革命家「レーニン」はこれを否定し、階級闘争を目指した。資本家(経済的新興勢力ブルジョワジー)を倒して、労働者(農民と無資産民プロレラリアート)が主役の国を作るべきだと主張した。

 彼の話は理屈の上ではともかく、その時のロシアでは早すぎた。その時のロシアはまだ「中世とかわらない」社会であり、一気に「資本主義」を飛び越えて「社会主義」に飛ぶのは無茶なのだ。 

 しかし貧困層プロレラリアートは支配者を駆逐できるこの理論(いい訳)に飛びつき、レーニンは指導者的地位に持ち上げられる。彼を支持した民衆は「西欧の近代化のメカニズム」を理解せず、支配者を直接倒し、自分たちが主役になる事に酔いしれた。

(※現在の日本でも、地方が経済的に発展する・しないの原因の1つは、その地域の資産家の行動に左右されていると思う。故郷に錦を飾ると称して“銅像”を作って満足するような人ばかりでは、日本の産業は育成されない。いつも都市部からの資本流入(企業誘致や公共事業)や行政に頼るはめになる。

 もちろん努力している地方の名士もいますが、行政の規制が邪魔をしたりして足を引っ張ります。社会システムが上手く機能していません。

 例えば、いつまでたっても道路が出来ないので、通常より小規模の道路を地方主導で作ると、中央から役人が飛んできて「なんて事をするんだ」と怒るそうです、もっと立派なものを作らないといけない!と。道路にはこう作らねばいけないというルールがあり、制度があり、補助金があります。だから山中に必要以上に立派なつり橋があったりするわけです、地元がこんな立派なものいらないといっても、通じない。もし無視して質素な使いやすい道路を作ると、役人が「飛んできて」叱るそうです。そうして作られた立派な橋や道路は地方の財政を圧迫し、本来産業育成に使えるお金を無駄にしています。おかしいと思えたら、正常です)



〔10月24日(日)曜日〕〔14〕

 この時期の国際社会が「平和」だったらロシアは違ったのかもしれない…

 しかし現実の歴史においてレーニンがロシアの舞台に踊り出た1900年代は、映画「風とライオン」で説明した通り、近代化した大国のエゴ同士が露骨にぶつかる時代…。これを真似する気になれなかった感覚も理解できなくはない…。

(※“彼ら”が日本で生まれた時代も露骨な差別がまかり通る時代だった。もし当時の日本が差別の少ない今のような「平和」な世界なら、“彼ら”もああは(こうは)ならなかったかもしれない。現在の“彼ら”は見た目や格好に関しては一般人と見分けがつかないように努力している。「どこぞの信仰宗教」のように、専用の服を作ったり、特異なオブジェを掲げたりしない。逆に言えばそれが故、見た目や生活様式の異なる人を攻撃する心理が生まれるのかもしれない。

 たぶん、“彼ら”のあの「行動」は、そうした「専用の服」や「特異なオブジェ」がないがゆえ“その”代わりになるべき要素として“必要不可欠”なものになっているのだと思う。

 あやしい団体の構成員は「専用の服」や「特異なオブジェ」を通じてメンバーが一体感を持つと言う、“彼ら”の場合は「例のあの行動」を通じてメンバーが一体感を持つ…と考えると、無理なくイメージできるのだが、本当のところはどうなのだろう?Fさんはどう感じますか?僕には“彼ら”に「人生を返せ!」と主張する権利があると思いますか?けれど僕は“その権利を行使”はしない、過去の文面を読んで欲しい、一度だって要求してない。その代わりこう言いたい訳だ。「もう一度あいたい人がいる」と。

 それが「贅沢だ!」と言う人がいるならば、何を持って贅沢ではないのか定義を明確にしてほしいものだ。

 単に自分たちの贅沢が(快楽が)侵害されている事に怒っているだけという事実に気づかずに反論できるのだろうか?「別に人生を全部返せって言う、無理な(実行不可能な)相談を」しているわけではない、これはささやかな奇跡を期待しているだけの事なのです)


 “彼らの行動は”破壊的だ、どんな不満が源泉にあるのだろうか?その素養はレーニンにもあったのだろうか?かれの行動はしだいに「破壊的」になる。


〔10月24日(日)曜日〕〔15〕

 1914年第1次世界大戦が起こると、ロシアはドイツ、オーストリアと戦った。

 各国の社会主義者が自国を支持したのと違い、レーニンは自国の負けを呼びかけた、そのほうが革命に有利だからだ。レーニンの人気は1900年代「経済主義」を批判した時確立していて、彼の呼びかけは威力を持っていた。1917年(第1次大戦終結1年前)ロシアの首都でデモがおこり、これに鎮圧のため差し向けた軍が次々に呼応、さらに鎮圧に軍を送るがこれも暴動側に加わり、首都は無政府状態になる。

 ロシア皇帝は国会解散を命じるが、一部議員がのこり「臨時政府」をおこす(2月革命、この時レーニンはこの暴動は無資産民プロレラリアートと農民が主役のものと定義して、資本家ブルジョワジーの介在を排除すべきである事を定義した)。


〔10月24日(日)曜日〕〔16〕

 その後ロシア皇帝率いる軍が革命を鎮圧し、レーニンも国外へ逃げる。

 この辺りから彼は崩れた?のか本来の性質なのか、ゆるやかな時間をかけた革命を否定して、暴力により全てを粉砕する「暴力革命論」を打ち出す。主役となるべき無資産民プロレラリアートと農民を支配した国家は「奪い取る」のではなく「破壊する」と主張した。なにかこの辺りはもうインテリっぽくない主張だ。さすがに当時の人も「おかしい」と感じたのか、一部離反する勢力もでる。


〔10月24日(日)曜日〕〔17〕

 それでも軍の有力者が革命側につくことで再び流れが変る。レーニンは反対派の意見を無視して、武装蜂起を呼びかけ実行させた。軍の多くがレーニン側につき、首都にのこる仲間のはずの臨時政府は彼の「暴力」により粉砕された(10月革命)。

 この後レーニンは10月革命以前に離反した勢力と、10月革命を共になしえた仲間という内と外の敵と戦い、最終的に独裁体制を構築する。その後「社会主義」とは何かを理解していない多くの人々の中には、その独裁が「おかしい」と気づいた人もいただろうが、その頃にはもうどうにも出来ない状況になる。

 その後ロシアは1991年までソ連(ソヴィエト連邦)として機能してゆきます。


〔10月24日(日)曜日〕〔18〕

 皇帝一家はこの頃どうしていたのか?

 臨時政府に退位させられ、幽閉されていた。

 革命の主導権をにぎった「レーニン」は、幽閉先に反対勢力の軍が近づくと、皇帝一家暗殺を命じる。皇帝をつかって反対勢力が巻き返しを図るのを懸念した結果だ。


〔10月24日(日)曜日〕〔19〕

 この時皇帝は暗殺され、ロマノフ王朝は絶えた。

 一家の物語は悲劇の王族として、今も語り継がれている。ロマノフ家は近親婚が多く、遺伝的に虚弱体質だったといわれる。皇帝も王子も線の細い人物だった。その中でも目だって明るい王女だったのが「アナスタシア」だ。アナスタシアが生き延びたという伝説は当時からあった。処刑を請け負った人らのなかに、逃がした人がいたとか、いろいろなうわさが飛び交う。混乱が収まった頃、自分はアナスタシアだと名乗る人物も出てくる。多くはロマノフ家の遺産目当てとされた。


 1956年「追想」(原題「アナスタシア」)はアメリカ映画だが、こうした背景を元に作られた映画だ。

 「ヴェルサイユ体制下」のフランス、パリに、革命から逃げてきたロシア人ボーニンがいた。

 かれは詐欺師だ。同じように革命から逃げてきたロシアの貴族などから金を巻き上げる口実に「アナスタシア」を利用した。皇女救出活動をしているので資金をくださいと。結構な金額があつまり、詐欺は成功する。

 しばらくしてボーニンは美女を助ける。川に身を投げようとした身寄りのないアンナという女性だ。彼は彼女を「アナスタシア」に仕立て上げて、ロマノフ家の遺産も頂いてしまおうを画策。アンナをお姫様に教育し、まんまと貴族たちを騙してしまう。しかし、遺産を手にするには、アナスタシアを良く知る叔母とフィアンセに会わなければならず、ボーニンとアンナはその2人がロシアから逃げ延びたデンマークへと旅立つ。

(※当時のデンマークはスェーデンとの戦いに敗れ、大国から脱落し、貧困を工夫と社交で乗り切っていた時代だ。わずかばかりの国内産業と、各国王室との縁談で、苦しい時代を乗り切ろうとしていた。現在デンマーク王室はほとんどのヨーロッパ王室と親戚関係にあるのはこの時代の名残です。デンマーク王室の葬儀の際には、多くの国家要人があつまるが、アメリカ大統領だけいそがしくて(確かクリントンだと思う)参加できないのが、ニュースになっていたのを覚えている。そんな関係で、当時のロシア亡命貴族の落ち着き先としては、不自然でない場所だ)


 もうこの頃には、ボーニンとアンナの間に「愛情」が芽生えはじめていたが、お互いそれをうまく認識できていない関係だった。アンナは出会ったとき記憶を失っていたが、そうして2人で親しくなるのと同時に、だんだんと記憶がよみがえり始める。

 ボーニンとの愛が、彼女を「本当の自分」に導いたのか、時間とともに本当に自分が「アナスタシア」である事を思い出してゆくのだ。


 いよいよ叔母との対面がかなう、記憶のはっきりしない彼女はうまく答えられないが、彼女のクセをしる叔母は、その挙動が「アナスタシア」と確信させる理由となった。


 アンナことアナスタシアは自分を「皇女ではなく女性と見て欲しい」というが、フィアンセはそういう気になれない。かれは貧乏貴族で金がほしかった。フィアンセとボーニンは彼女がニセモノの可能性があってもかまわない旨申し合わせた。2人で遺産をいただければそれでいいじゃないか!という算段だ。

 ボーニンの方も彼女を愛していたが、しがない詐欺師と結ばれるよりも貴族を結ばれた方がいいに違いないと自分に言い聞かせる。


 しかし、ようやくフィアンセとアンナの結婚が決まった時点で、ようやくアンナは自分がボーニンを愛していると悟る。その様子に気づいたフィアンセは野暮な事をしたくなかったのか、アンナとボーニンが結ばれるよう取り計らい、逃がしてやる。こうして詐欺師ボーニンはまっとうな「愛」を得て、アンナも「本当の自分」をとり戻した。

 アナスタシアの叔母は彼女が「本物」と確信していた、しかし、結婚披露宴に来なかった彼女の選択を受け入れ「宴は終わった」と宣言する。


 「本当の自分」を取り戻した「アナスタシア」が自分の生き方を「自分で」えらんだという解釈でいいのだろうか…。



 これはあくまで物語。現実のアナスタシアは今だ伝説の人物として語られている。

 「金」よりも「愛」を選ぶヒロインのモデルに選ばれた事を知ったら、本物の彼女は喜んだだろうか…、どうなのだろう。Fさんはどう思いますか?


 

 彼らは(男たちは)“組織に貢献すると、かわいいお嫁さんをもらえるシステム。

 これがなくなるともう楽できなくなる”と考えているのかもしれない。

 もしかしたら“君をのがすと、このシステムに穴が開く”

 と考えてる男たちもいるのかもしれない。

 その“男のわがまま”がいかに「人は正しくあるべきだ」という考えと共通点が無いのか!

 という視点にたてば、おのずとどう振る舞い、どうしゃべればいいのか、自然と沸いてくるのでは…、

 そんなふうに考えたんだけど、どうかな。外したかな…、

 このイメージがきみのなにかしら貢献できる事を期待します。



 “彼ら”は君がなかなか、なびかないから。

 腹いせにこちらもずっと攻撃してやれ…と考えたのだろうか?


 もし事実なら、この18年間、同じ苦難の一端を

 君と共有していた事になる。

 それは僕にとっては(奇妙な事に)誇らしくも感じてしまう。

 繋がっていたのだろうか?どうなのだろう。

 だとしたら、2人の時間は断絶したわけではなく。

 図らずも“彼ら”を通じてつながっていた事になる。

 もしそうなら、切なくも、こそばゆい奇妙な想いになるけど…、

 どうなんだろう。

 あくまで仮説です。いつか疑問が解ける日を夢見ます。


 いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。

 でも繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。

 きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。


 君は君の心を信じて良いのだと思う。

 なぜなら君の心は誰のものでもなく、

 君のものだからです。

 数の力で他人から心を奪えると本気で思っている人がいる。

 そんな連中に意思を委ねてFさんは本当に幸せなの?

 僕は賭けをしています。

 君が僕に告白するかどうかと。

 18年前、君は一歩手前まで来ていた。

 先輩の正体を明かすという行為は、あとちょっと踏み込めば

 自分の正体も明かしかねない行為だ。

 今にして思うとそう思う。


 Fさん、いろいろ言われると思う。けど、がんばって。負けないで欲しい。

 狭量な人達が押し付けてくる“勝手なイメージ”なんか跳ね除けて!

 自分の心を取り戻すべきです。

 心が狭くなると人の命まで軽くおもえるようになるのよ!と言ってやってください。


〔10月24日(日)曜日〕〔20〕

 味方もいるはずです、東京でも経験が、そう僕に確信させる。


〔10月24日(日)曜日〕〔21〕

 「つながり」を君に


〔10月24日(日)曜日〕〔22〕

 再生を


〔10月24日(日)曜日〕〔23〕

 行動力を


〔10月24日(日)曜日〕〔24〕

 乗り越える原動力を


〔10月24日(日)曜日〕〔25〕

 支えを君に!


 「貴方には私の話を聞く義務がある」

 といい続ければ、そういう空気を作れる。

 頑張ってほしい!


〔10月24日(日)曜日〕〔26〕

 ソ連崩壊後、新興財閥オリガルヒが急速に発展、力を持ちました。

 こうした資本家が国家と牽制・協力して国内産業を発展させるのが理想ですが、新興ロシア政府は一部肥大化した資本家の財産を没収し、国有化しました。他の新興財閥オリガルヒはまだ残っているので、これから微妙な駆け引きを繰り広げるのでしょうか?現在のロシアはエネルギー産業に頼っています(ロシアの自動車産業はまだまだこれから発達する段階です)。前述したとおり、国家は加工品を売らなければ将来的に没落します。新興財閥オリガルヒと政府がうまく舵取りをして国内産業を育てるのが未来のロシアの鍵でしょう。



 世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです、

 手が出せば届くような単純なものではない。

 単純であると吹聴する人間はなにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。

 Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!

 君の周りの人に伝えてください。

 「わかろうとしないのは目の前しか見ていないからよ」と。

 「教えが正しいとか間違ってるとか、そういう問題じゃないのよ!」と。

 「それもの凄い犯罪なのよ!わたしそれに気づいたの、もう戻れないわ」と。

 彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。


 これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。

 教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。

 “質”が問われているのです。そう伝えてください。


 君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。

 君は自分で思っている以上に強い人です。


 

 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


 これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ



 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!


 丁寧かつ妥協を許さない対応が肝心です。

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〔10月25日(月)曜日〕 

 アフリカ大陸を南北に連ねる“大地溝帯だいちこうたい”の“西山脈”で人類の祖先たる生き物は“木”をすて二足で歩き出した、「約400万年ほど前」と推測されている。

 そこから陸づたいに地球上あらゆるところに伝播したらしい。

 今も全人類共通の祖先の遺骨が“大地溝帯だいちこうたいの西山脈”のどこかに埋まっているのかもしれない?と確信する多くの学者により発掘が続いているらしい。

 この後、経緯は不明だが大地溝帯だいちこうたいを発ち「400万年」経過した人類は各地に壁画をのこしている。

 以前イベリア半島にも壁画があったと書いた。紀元前1万5000年ほど前だ。


 こうした時代を先史時代と言うらしい。この時代の人類の暮らしぶりを推測するのにふさわしい壁画群が北アフリカの“アルジェリア”の「タッシリ・ナジェール」にある。

 “アルジェリア”とは「エジプト」の西隣にある「リビア」のさらに西隣の国で、「モロッコ」の東隣だ。


 映画「イングリッシュ・ペイシェント」の主人公は第2次大戦中この“アルジェリア”で地図つくりをする探検家だ。劇中では歴史を愛する繊細な人物として描かれていて、英国地理協会に属する。

 彼はここで「タッシリ・ナジェール」壁画群の1つ「泳ぐ人」という壁画をみつけて魅入られ。戦時中であるにもかかわらず、地図つくりそっちのけで調査を始める。


(※実はモデルとなった「実在のアルマシー伯爵の人物像」は少しちがうらしい。ハンガリー貴族で、冒険家。ドイツのロンメル将軍と通じていて、「アルジェリア」では飛行家としてスパイの運搬もしている。唯一劇中のアルマシーと同じ点といえば、本当に実際に「泳ぐ人」という壁画を発見している点だ。モデルであり、別人と解釈するのが妥当だと思う。実物の彼はペルシャの王カンビュセスの伝説を求めて北アフリカを行く冒険家兼スパイだった)


 「タッシリ・ナジェール」の壁画群は年代別にみると当時の様子が伺えるようだ。

 (断言は出来ないけど、多分壁画の炭素を測定して、年代を区別していると思う)

 最初の時代が、農耕などしらない素朴な「狩」だけの時代の壁画で。

 次の時代が、「牛」が登場する「牧畜」の時代の壁画。

 サハラから緑が失われると、「馬」や「ラクダ」の壁画になるそうだ。

 北アフリカはシルクロードとつながっている、緑の地を追われた人達が流通ルートを開いていったのだろうか…?



 映画「イングリッシュ・ペイシェント」の主人公の方の「アルマシー」は「泳ぐ人」(壁画)の調査を戦争そっちのけで行う。地図作成も後回しに。

 すると飛行機が迫ってくる、戦闘機ではない。

 アルマシーは友人の妻と不倫関係だった、怒った旦那が飛行機に妻をのせ、3人心中すべくアルマシーを襲いにきたのだ。アルマシーと彼女は分かつ事が出来ないほど愛し合っていて、それが故、そんな行動に出たのだ。


 結果心中は失敗、飛行機は墜落し、生き残ったアルマシー。飛行機に乗っていた旦那は亡くなったが、彼女は重体だが息がある。手当てをすれば助かるのだが、ここはアルジェリアの砂漠のど真ん中。アルマシーは彼女を「泳ぐ人」(壁画)の洞窟に残し、必ず助けを呼んで来ると言い、単身砂漠を歩き出した。

 3日ほど歩きつづけ、ようやくイギリス軍に出会うのだが、当時のイギリス軍は「砂漠の狐」の名で有名なドイツの知将「ロンメル」にコテンコテンにやられていた時期だ。

 「ロンメル」はわずかばかりの戦車で数では勝るイギリス軍を敗走させていた。

(※当時ヒトラーは対ソ連戦線に目が向いていて、北アフリカには戦力を割かなかった。ロンメルはわずかな戦車で戦わねばならず、ある意味リンチだったと思う。いつまでもナチに傾倒しない目障りなロンメルをいじめて、戦死してくれたらラッキーと思っていたのかもしれない。でもロンメルは生き残り、英雄になる。最終的にヒトラーに次ぐ人気者になってしまい、自殺を強要され、ピストル自殺させられる人物だ)

(※当時ヒトラーが対ソ連で苦戦していたのも、やはりロシアの「冬」が原因だった。しかし、ナポレオンがそれで負けた事をドイツもわかっていて、本当は「冬」が来る前にソ連を落す算段だった。しかし、ムッソリーニのイタリア軍がギリシャで苦戦している話を聞き、やむ得ず援軍を出す、この結果、対ソ連戦が冬までずれ込む結果になった。歴史にもしは禁句だが、イタリア軍がここまで弱くなかったら、ドイツは負けなかったかもしれない…、そうなると歴史はかなり違ったでしょう)


 …話をもどして。

 イギリス軍はハンガリー人の彼をスパイとして捕らえてしまう。

 瀕死の彼女は今も洞窟で自分を待っている。

 アルマシーはイギリス軍を脱出し、今度はドイツ軍に駆け込む。最愛の人の命が懸かっているから何でもありだ。ドイツ人に信用してもらうため、コツコツつくった地図も渡してしまう。これが敵に渡れば、「ロンメル」は大助かりだが、かまうものかという感じだ。

 大恩をドイツに売り、飛行機をもらったアルマシーは最愛の女性のまつ洞窟へ飛ぶ、あれから3日以上たつ、まだ生きているだろうか!


 その頃アルマシーのスパイ事実が知れ渡り、事情をしらないイギリス側にの者たちに波紋が広がる。アルマシーの親友などは裏切られた思いからピストル自殺する。劇中アルマシーは地図だけでなく情報もいくつか売ったと記憶している。その関係でスパイ行為のばれた男はドイツ人に指を切られ、アルマシーに復讐を誓う。


 洞窟に到着したアルマシーは彼女の亡骸と対面する。間に合わなかったのだ。

 悲しみにくれ、乗ってきた飛行機で彼女の国イギリスへむけて飛び立つ(燃料が持つはずないけど、そんな事はどうでもいい心境なんだと思う)。

 ドイツ軍の飛行機で北アフリカを北上しているのだ。

 連合国側に見つかれば撃ち落とされる。案の定アルマシーの飛行機を撃ち落とされる。

 アルマシーは墜落の際、大怪我を追うが助かった。しかしもう生きる気力がない。

 病院に担ぎ込まれるが、何も話す気になれない。

 気がつけば、病院にはもう自分以外だれもいなかった。

 連合軍は撤退したドイツ軍を追って北上、アルマシーは置いてかれてしまったのだ。


 そこは病院ですらない事にきづく。イタリアのフィレンツェで、郊外の朽ち果てた僧院に作られた仮説病院だった。


 正体不明の病人は置いてかれてしまったわけだ、生きる望みのないアルマシーにはふさわしい最後。しかし、1人だけ彼のために残ったカナダ人看護婦がいた。


 普通ならこの2人のメロドラマが展開すると予感するのだが、この映画はそうではない。


 この看護婦ハンナもまた、戦争で最愛の家族をうしない、生きる希望を失った女性だった。彼女の望みは「あたらしい希望」だったのだと思う。あたらしく信じられるなにか。

 そんな願いもあり、だれも引き受けないなぞの患者のため、野戦病院に1人残ったのだ。


 しかし、謎の患者(英国風英語を喋るので「イギリス人の患者」と呼ばれていた)からは、高い知性と豊かな考古学の知識、北アフリカの体験談は聞けるが、いっこうに「希望」を聞くことができない。聞こえてくるのは「絶望」ばかり。おなじ絶望した者2人の淡々とした時間がすぎてゆく。

 偶然なのか何なのか、ハンナのおじが訪ねてくる。おじは戦争中スパイとしてドイツに潜入していたと言う。行く当ても無く、戦争がおわるまでこの僧院(野戦病院)に間借りすることになる。もう戦争は終局に向っていた。

 彼はアルマシーを知っていた。それどころか、彼の所為で指を失っていた。目の前の「イギリス人の患者」はアルマシーに違いないと思うのだが、包帯で顔はわからないし、本人も自分の事を語らない。

 そうこうしているうちに2人の連合軍兵士がやってくる。爆弾処理班で、近くにドイツ軍が仕掛けて残した爆弾を処理して片付けているという。4人の奇妙な共同生活かはじまる。


 4人で僧院にいるのに、いつも1人テントを張り、孤立して過す人物にハンナは気がついた。爆弾処理班の隊長で、インド人イギリス兵キップだ。

 彼は部下のはずの白人兵士に対してすら敬語を使う。

 インドで長い長い差別を経験してきたキップにしてみれば、当然なのだが、その部下以外はなじめない。


 ハンナは希望を探していた、だから、可能性を求めたのかキップにも近づく。

 生きる希望が欲しかったからだ。

 ハンナはキップの話に聞き入る。

 絶望的な差別の毎日。

 そして唯一自分の才能を認め、人間扱いしてくれた将校への恩。

 その恩師は自分を普通の人間として扱ってくれた、故にキップはどんな過酷な任務にも耐えられる。恩師はドイツの新型爆弾にやられてしまった。今はなき彼に報いるためにも彼は命がけで爆弾を片付けるのだ。

 そんな純粋な思いにハンナは惹かれていく。消えかけた希望を彼に見出したのかもしれない。


 ある日ハンナはキップの仕事を手伝った、最初は拒否したキップだが、まごまごしてると爆弾が危なかったので、手伝いの申し出を受け入れる。ハンナはキップとならここで死んでもかまわない事を彼に打ち明ける…。



 この後ついにハンナのおじは「イギリス人の患者」を問い詰める、アルマシーは自分の所為で良く知る親友が自殺したときかされ、ついに真相を話した。

 最愛の女性を守るための、なりふりかまわぬ行為だったと。

 真相を知り、ハンナのおじから復讐心が消えてしまう。



 映画「イングリッシュ・ペイシェント」はここがクライマックスだ。

 この後ハンナとキップの関係は唐突に終わり、別れる。

 あとはハンナがアルマシーが息を引き取るまで寄り添うという終わりだ。

 正直「なにそれ」と思っていた。中途半端なラストだと。


 最近になって知ったのだが、原作にある“本当のラスト”はまったく違うらしい。



 原作では、上記クライマックスのあと、本当のクライマックスが用意されているようだ。

 アルマシーの真実を聞かされ、復讐心の消えたハンナのおじ。

 その後、4人の下にラジオからニュースが飛び込んでくる。

「日本の広島・長崎に原子爆弾が投下された」

 という内容だった。


 このニュースを聞いたとたん、キップの様子がかわる。

 思い出して欲しい、彼は長年差別されてきた。差別を受け入れ、戦ってきた。

 そして彼は爆弾の専門家だ、インテリであり、その方面の知識も持っている。

 当時原子爆弾を正しく理解できる人間は少ない、しかし、彼は爆弾の専門家であり、才能あるインテリなのだ。原爆の酷さが理解できる。


 彼の複雑な心境を描写するシーンが劇中にある。

 キップはいつも1人だ。常にマイノリティーとして生きてきた彼は、常に1人でいる。

 せっかく一緒にいるのだからと男が話しかけようとするのだが、話題がみつからない。

 そこでイギリスで有名なインド文化の1つカーマスートラの話題をふる(それは古文書でハーレムの作法を書いたものだった)。

 キップはやるせない気分になる、またかと。イギリス人はそれしか興味がないのか?と。

 かれはこんな屈辱的扱いばかり受けてきたのだ。

 しかし文化の違いから、それが侮辱とわからないイギリス人。その事はキップも承知している。だから、インドには他に優れた文化がたくさんありますよ、と釘をさしてから、キップは冷静さを取り戻し、失礼を詫びて、また1人に戻った。


 そんなシーンがあったと思う、間違いかな…何分だいぶ前に見た映画なので、手元にないので確認できない。いつか見返す日に確認しようと思う。


 そんな侮辱を封印してきた彼の理性は、「原爆」が「有色人種」の国に落ちたニュースについに限界点を越えてしまう。なぜに「白人」ではなく「有色人種」なのかと。

 日本に落とされたと聞いてついにキップは爆発した。

 「イギリス人の患者」が何人か?と随分疑問にされてきたけど、自分にとってはただの「白人」にすぎない。「白人」はどこまでも「人間」は「白人」のみと思っているのか!といった趣旨の発言をしたようだ。

 彼は自分がイギリス兵であることが耐えられなくなる。

 軍務を放棄し、逃げ出した。

 ハンナはキップについていった。

 キップの純粋さにひかれてハンナはついていったのだと思う。

 彼女にとってはそれが取り戻したかった希望だからだ。

 …ちがうかな。どうなのだろう。

 文明と人種はすれ違い、分かり合えそうですれ違う現実が「戦争」であり「原爆」だ。

 しかし愛情は普遍で、「戦争」も「原爆」も関係ない…。こう言いたいのだろうか?


 ハンナのおじは去り、アルマシーだけが僧院に残される。

 愛に誠実に生きたアルマシーは朽ち果てた。すべてを乗り越えて。


 全てをを超えて愛は普遍。

 この話、こういう解釈でいいのかな?Fさんはどう思いますか?



 

 確認する資料が手元に少なく、間違いが多少あるかもしれない。でもこっちの方が「映画」より終わり方としてしっくり来る。

(※これはネットで調べた限りで、まだ原作本をよんでないので、間違いがあるかもしれない。でもこのほうが、映画より断然いいと思う。なぜこんないいラストと削ったのか?については僕なりの推測がある。映画「イングリッシュ・ペイシェント」はハリウッド作品だ。ハリウッドにおいて「広島・長崎の原爆」はタブーだ。なぜなら、第2次大戦中の原爆投下を非難すると、すぐに退役軍人会を中心とする圧力団体に抗議以上の圧力をうける。故に削られたのだろうか?スミソニアンの原爆展が抗議でつぶされたのは有名な話です。アメリカは口では「原爆はただしかった」といいながらも、まだこの問題をオープンにできない状況が続いている。“あまりにも大きな悪意”が原爆にはこもっていたので、直視できず、封印が誠意一杯なのかもしれない、そういえば「その点」は“彼ら”も同じだ。“彼ら”は見た目や格好に関しては一般人と見分けがつかないように努力しているが、その行動は“殺人的”であり“形容できない悪意”に満ちている。アメリカ人が原爆を直視できないように、“彼ら”もまた、自分たちの「あの行為」を直視できないのかもしれない。

 「あの行為」とは“彼ら”が新興宗教のような「専用の服を作ったり、特異なオブジェを掲げたり」しない代わりに行う「例のあの行動」の事だ。

 「あやしい団体の構成員」は「専用の服や特異なオブジェ」を通じてメンバーが一体感を持つと言が、それが無い“彼ら”は「例のあの行動」を通じてメンバーが一体感を持つのだと思う。

 そして「その行動の本質」には「自分たちですら直視できない“悪意”がこもっている」ので、アメリカ退役軍人会が原爆被害を封印するのと同じ理屈で、封印したいのだと思う。

 アメリカ退役軍人会は今でも第2次大戦を「正義の戦争」と位置づけ、自分たちは「ヒーロー」だという幻想に酔いしれている、そのイメージを覆す全てのものを“敵”とみなして粉砕する。いやだね、そういうの。と思えたら、あなたの精神は健康です。

 Fさんはどう感じますか?僕には“彼ら”に「人生を返せ!」と主張する権利があると思いますか?「もう一度あいたい人がいる」という望みは贅沢だと感じますか?別に人生を全部返せって言う、無理な(実行不可能な)事を言っているわけではないのは事実です。

 ささやかな奇跡を期待しているだけの事なんです。

 “彼ら”は君がなかなか、なびかないから。いろいろしたのだろうか?この18年間、同じ苦難の一端を君と共有していたのだろうか?僕もいろいろな目にあっている、君ほどで無いかもしれないけど。もし2人とも“彼ら”により何かしらされていたとするなら、切なくも、こそばゆい奇妙な想いになる。2人の時間は断絶したわけではなく繋がっていたと感じられるからだ、図らずも“彼ら”を通じてだけど。

 いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。でも繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。君は君の心を信じて良いのだと思う。

 Fさん!!全てを背負い込んではだめです!“彼ら”はそれを狙っています!!

 君が、全ての罪を背負い込む心理状態になれば“彼ら”はそこにつけ込み、容易に人の(君の)心を操れる事が可能だからです。そうやって君の心から“情熱”を失わせるのが“彼ら”の手口だ!!だから注意して!非常に悪質な人心掌握じんしんしょうあく法です。そうやって“情熱”を失わせるのが、彼らのオハコです!気を付けて!)




 現実のアルマシー伯爵は「泳者の洞窟」発見後も冒険家暮らしを続けたらしい。

 戦時中の彼はドイツの協力者として過しているが、ナチではないらしい。たぶん。

 戦後祖国ハンガリーに帰るが、イギリスとの関係でKGBに追われる身となり、エジプトへ渡る。長年冒険で培った考古学の知識を活かし「砂漠研究機構」のテクニカルアドバイザーに就任。1951年立ち寄った先のヨーロッパの病院でなくなっている。


 現実のアルマシーが発見した(劇中のアルマシーも発見した)「泳者の洞窟」のある「タッシリ・ナジェール」の壁画群は現在観光地として栄えているらしいです。

 トゥアレグ族(ベルベル系の民族の1つ。モロッコのベルベル族とアルジェリアのトゥアレグ族は微妙に違う一派のようです)のみが壁画の正しい位置を把握しているらしく、ガイドとして道なき道を案内してくれるらしい。


 「タッシリ・ナジェール」のある「アルジェリア」は東となりの「モロッコ」同様、フランスの植民地であり、第2次大戦後もながらくフランスの影響下にあった。

 特にアルジェリアはフランスと地中海を挟んで対岸にあり地理的理由から、国内では手放す事に反対する者が多かったが、第2次大戦の英雄シャルル・ド・ゴールが大統領になると、アルジェリア独立を支持。1962年独立しています。


 古代においては海岸沿いをフェニキア人、内陸をベルベル人が支配し、その後ローマ属州、ゲルマン民族支配、東ローマ支配と続き、常に誰かの支配領だった歴史を持つ。

 砂漠中心の地域だから、遊牧民主体で、支配者など関係なかったのかもしれない。

 もし地中海がなければ、どうなっていただろう?

 中国では常に北方騎馬民族が豊かな中国めざして進入を繰り返してきた。

 中国の歴史は北方民族との攻防の歴史だ。

 もし地中海がなければ、北アフリカの遊牧民も馬に乗りヨーロッパに攻め込んでいたのだろうか?でも現実には陸路で回り込まないとできないわけで、船での大量輸送の出来ない時代、北アフリカの遊牧民がヨーロッパに直接大群を率いていくのは不可能だった。

 地理が歴史を左右したわけです。

 交流が限られ、豊かでない砂漠の国、北アフリカのアルジェリアは質素な遊牧の民が暮らす地として歴史を刻んだ。それは中世のオスマントルコ支配時代や近代の植民地時代も大差ないように見える。


 フランス独立後は社会主義路線をとったようだ。

 しかしソ連の影響下にない「第3極」としての地位を保つ。

 貧民主体の社会主義路線に憧れた経緯はわかるが、なにも産業がない状況での計画経済など絵空事で、上手くいかず。現実路線に転換。イスラム勢力が国権を握ろうと画策する中、現実路線派が奮闘している状況らしいです。

 産業は石油が採れるので今のところ当分大丈夫らしいです。新興資本家が成長し、議会制度が構築され、国内世論が調整され、産業が発展し…となるにはかなり時間が要るでしょう。でもそれは日本も同じ事、地方レベルではアルジェリアと代わらない、いや、それ以下のお飾り地方議会があり、近年問題視されています。人の成長には時間が要るということでしょうか?


 映画「イングリッシュ・ペイシェント」は原作「イギリス人の患者」をハリウッド風味で加工した作品だと思う、本当の主人公はアルマシーではなく、キップとハンナだと思う。

 Fさんはどんな印象を受けますか?

 大事な何かは、純粋で代え難いと信じていいのだろうか…


 世界は広大で広く、想像を絶するダイナミックな時間がからみあって作られている。

 「視野が狭くて何が悪い」とか言う人が増え続けていくと、それが世界の不和の原因になってゆく。現実に今も、目の前で。遠い異国の政治も目の前の自分の地域の状況と似てなくも無い現実にどれだけの人が気づくのか…。



 Fさん、いろいろ言われると思う。けど、がんばって。負けないで欲しい。

 狭量な人達が押し付けてくる“勝手なイメージ”なんか跳ね除けて!

 気持ちが通じ合った経験の無い人のもつ価値観が、この世の全ての理で無い事を、逆におしえてやっていいと思う。声無き味方もいるはずです、東京でも経験が、そう僕に確信させる。心が外向きになれば、人として持つ“当たり前の感情”が戻ってきます。

 そう、周りの人に言ってあげてください。


 僕は今、賭けをしています。

 答えはわかりません、とにかく待とうと思う。

 今は君の都合が悪いだけだ、受け入れられるにしろ、違うにしろ、なにかしらケリをつけに君は現れる。そう信じます。君は、僕が真実に気がついたという事実をもし知ったなら、その事実を重く受け止めるはずだ。そう思う。



 こんな事を思い出す。

 東○の工場から北へむかう道を通る時、2人で一緒に歩いた。

 いつも僕がしゃべりつづけ、君が聞いていた。

 そのまま歩き続け、君は決意して言う。

「ここはもう知ってる道でしょ?」

 何度も2人で下校時にあるいた道にたどり着くと君は言った。

「ここからなら帰れるよね」

 とか言った様に思う。

 ああ、今日はこれで2人で歩くの終了か…、と思うと同時に、満面の笑みで語る君に嬉しさを感じた。

 夕方の記憶だ、だいぶ暗くなっていた。

 このくらいの時間帯、よく2人で歩いた。

 Fさんの記憶ではどうなってますか?


 君が秘密を抱えている事は気がついていた。

 けど、必死に気がつかないふりをした。

 君の嫌がる事はしたくなかった。


 特別な時間を過していたと思う。

 あの時間の意味を確かめたいと考えるのは、

 君の望みとどの程度あうのか、あわないのか…


 Fさんは周りに迷惑かけないようにしている。

 僕にすら迷惑かけないように振舞ったのかもしれない。

 でももう遠慮は無用です。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

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〔10月26日(火)曜日〕 

 昨日書いた北アフリカ「アルジェリア」にある「タッシリ・ナジェール」の壁画群だけど。

 実は国境の向こうに対となる“もう1つの”壁画群がある。それが隣国「リビア」にある「アカクス山脈」のものだ。

 この2つは国境ぞいにあり、対の遺跡と考えていいものだと個人的には思う。壁画の内容もほぼ一致している。

 その内容は以下のとうりだ。

 12000年~8000年前は野生動物の時代。ありとあらゆる野生動物が描かれる。絵は写実的だが絵の具はなく、直接刻み込まれている。

 10000年~8000年前、上記とだぶるが、狩猟民の時代と言われている。絵の具を使い、獲物が描かれている。

(※上記と下記の間に時代の空白があるけれども、そこが今後の研究対象なんだと思う。)

 7500年~4000年前、牧畜の様子が描かれる牧畜の時代。

(※実はこの時代の壁画に関しては、どんな民族が描いたか判っている。後述します)

 3000年~2000年前、馬の時代。

(※おそらくこの時代、馬やラクダを使うベルベル人が移り住んだと推測されている)

 2000年~現在、ラクダの時代。

(※現在この地にはベルベル系のトゥアレグ人が住んでいます)


 昨日書いた「イングリッシュ・ペイシェント」の舞台「アルジェリア」も現在はトゥアレグ人が住んでいる。壁画の内容もほぼ一致しているから、「アルジェリア」と「リビア」は同じ文化圏の国と解釈していいのだと思う。

(※そういえば「リビア」はあの有名なカダフィー大佐の国。その影響は「アルジェリア」も受けているのかもしれない。最初は戦後、社会主義国家としてスタートし、途中から現実路線に転換しているところがまったく同じだ)

 両国の国境線は直線ではなく自然地形にそっている。たぶんだけどローマ時代あたりからつづく行政区分が元になっているんじゃないかと、かってながら推測する。アフリカ内陸部はヨーロッパの都合で直線にひかれた国境線が多いが、海岸沿いの国家は古くからの歴史をしょっているので、そういう無茶な区分を免れたという事だろうか。

 これは大雑把な理解。

 北アフリカのサハラ砂漠は、ラクダの民“ベルベル系(ベルベル人・トゥアレグ人)”が住んでいるのだと思う。

 しかし、ベルベル人はもともとモロッコ周辺に先住していた人々で、サハラが砂漠化してからサハラ砂漠に進出した民族だ。

 「タッシリ・ナジェール」と「アカクス山脈」の壁画のうち「馬の時代・ラクダの時代」の壁画は間違いなくベルベル系の人々が描いたものだ。壁画の中には、ローマ式の馬車も登場する。ベルベル人はローマとつながりを持つ人々だ。

 ではそれ以前の「野生動物の時代・狩猟民の時代」「牧畜の時代」の壁画は誰が描いたのだろう?


 「野生動物の時代・狩猟民の時代」に関しては不明だ。でも、

 「牧畜の時代」に関してだけは人骨で推測されている。“フラニ”と呼ばれる人達だ。


 現在“フラニ系”の民族は大きく2系統に分かれている。

 牧畜主体の“フラニ系”フラニ人(地域により名前が変る。フラ、フルフベ、プールプル、フルベ)と、農耕主体の“フラニ系”ウォロフ人だ。


 彼らがかつて「砂漠化する前のサハラ」に住み、牧畜や農耕をしていたらしい。

 しかし氷河期が終わると共に、ヨーロッパの氷が溶け出し、気候が温暖化。サハラは砂漠化し、農耕・牧畜の出来なくなった“フラニ系”の人々は沿岸部に移動したらしい。現在“フラニ系”の人々はカメルーンとかナイジェリアとかあの辺りにいます。移動してきたため、先住民との軋轢もあり、民族紛争の火種に「現在も」なっています。

 アフリカ大陸で農耕に適した土地は沿岸部に限られている、農産物はとても輸出できるほど出来なかったのかもしれない。

 当時から輸出できる交易品は、金とか象牙とか、あるいは奴隷だった。それらを売り、アフリカに無いものをアラブ商人から買っていたらしい。品物の運搬はベルベル系の人々が担い、売り買いはわずかばかりの農耕地を基盤にする王国だった。取引の規模自体が小さく、シルクロードほどの発展にはいたらなかったという事だろうか?


 正直いって「アフリカ」は謎だらけです。僕の理解が足りないのもあるけれど、いまだ良くわからないことだらけ。

 

 ただ、1つ言える事は、黙っていると損な役回りを押し付けられてしまうという事なんだと思う。


 昔「ルーツ」というアメリカのドラマを見た。

 実在するアフリカ系アメリカ人作家が、自分の家系をアフリカ時代までさかのぼって調べて書いた小説を、ドラマ化したものだ。

 再放送を中学生くらいの時に見た記憶がある。

 ある日、確かものすごい些細な用事で村をでたクンタ・キンテという少年が、そのまま奴隷狩りに遭い、船に積み込まれ(この積み込まれ方が残酷で印象に残る。船底の窓も無いところに、人間サイズの蚕棚かいこだなに荷物のように寝かされて、両手足は金具で固定される。そのまま何ヶ月も荷物同然にアメリカへ運ばれるのだ。当然死者もでるのだが、生簀の魚の何割かだめになるのと同じ感覚で、奴隷商人はみているというのが、子供ながらにショッキングだった)

 そこから先は少年が大人になるまで丹念に描かれるのだが、最後まで報われない。主人公が亡くなり、次の世代に話がかわる(たしか女の子だったと思う)。この子も波乱の生涯を閉じ、3代目が白人との混血で陽気な人物。白人の血が入っているにも関わらず奴隷というのが、当時なんだか納得できなかったのを覚えている。その後彼は解放奴隷となり、はじめて自由になるのだが、相変わらずひどい目に遭う。ニワトリを戦わせる田舎の娯楽“闘鶏とうけい”で成功し、あだ名をチキンジョージと言った。

 

 

 チキンジョージが奴隷から解放されたのは、アメリカ南北戦争の時代だ。

 当時の大統領は「エイブラハム・リンカーン」、あの「人民の人民による人民のための政治」の演説で有名なリンカーンだ。

 リンカーンが大統領選挙に勝利した年は“1860年”、明治維新の8年前だ。

 この頃、世界は軽工業から重工業へシフトし始めた時期だった。世の中の仕組みが劇的に変り始める時期だ。


 アメリカは当時2つに分裂していた、工業を重視する北部と、旧来型の社会システムを望む南部だ。

 北部の社会は新興資本家が発展した“新しい社会”だった。正確には同じでないが、ヨーロッパのプロテスタントの経済理念に近い。

 南部は旧来型の社会システムだった。中世と同じように加工品をつくらず、農産物の生産利益拡大のみを追求する社会だ。


 北部の考えでは、市民に権利を与え、より良い労働者兼消費者に育つのがのぞましい、だから奴隷は解放すべきだった。

(※むしろ奴隷制を維持したほうが社会の負担になるという冷酷な見方もあった。農産物の値段が下がれば、ただで奴隷を養うのは資本家の負担になる、解放して自活してくれた方が楽だったのだ)

 南部の考えでは、封建社会のように荘園をつくり、自由の無い農民奴隷のいる社会が望ましいと考えられた。

 両者の利益は激しく衝突し、ついに南北戦争に突入する。


 北軍の勝利の後、アメリカではロックフェラーが石油会社を作る時代に入り、同時期、ドイツではダイムラーベンツがガソリン自動車の販売をはじめる時代に入る。ある意味、工業を重視する北軍の勝利は時代の必然だったのかもしれない。同時期、日本も明治維新をなしとげ、各国が重工業化時代に突入する時期に入る。


 工業への傾倒は、奴隷解放を必然のものとした。

 アフリカから運ばれたクンタ・キンテの孫はようやく自由を手にし、さらにその子孫のアレックス・ヘイリーは作家へと成長。「ルーツ」の原作者になる。時代は変り動いている。そう感じます。


 

 昨日ラジオで「ナイジェリア詐欺」というのを聞いた。言葉巧みに日本人をだまして、投資話で金を吸い上げる詐欺だ。ナイジェリアはアフリカ西海岸の国家で、北部に先ほど述べたフラニ人が住み、南部海岸地域の先住者がいて長年融和せずにいた。双方にイギリス、フランスが肩入れし、民族紛争を引き起こし、深刻な民族ダメージをうけた歴史をもつ国だ。

 騙されている日本人は、まったく気がつかないらしい。

 こんな風に言うそうだ。

 自分は「ナイジェリア詐欺」と言うのは知っている、が、自分は違う、自分は会社をナイジェリアに持ってるから、他の詐欺とは違い本物だと。いくら詐欺について言っても認めない。自分は騙されてないと。

 最初の投資で確か何百億という利益がでたが、送金手続きが複雑で金が要るといわれ、その都度、1O万とか100万とか振り込んでいるらしい。

 もう手持ちの資産が尽きてしまったので、友人にも「投資だ」と呼びかけて、金を集め、送金を続けているらしい。もう全財産つぎ込んでいるから、いまさら「詐欺」と気がつきたくないのかもしれない。

 “彼ら”の活動も長年つづけると、こうなるのだろうか?長年つぎ込んだ、時間とエネルギーを考えると、いまさら「騙された」とは思いたくないのだろうか?君もそうなの。

 話によるとその「ナイジェリア詐欺」にはかかってない!というおじさんの下に、ついに現金が持ち込まれる時期がきたらしい。

 しかし、謎の黒人2人が現れ、アタッシュケースを開けると、黒く塗りつぶされたドル紙幣と称するものが出てきて、それがその現金だというのだ。目の前で1枚抜き取り、液体にさらすと黒が消えてドルになる。ナイジェリアから持ち出す際、こうしないと規制に引っかかるとかいういい訳をする黒人2人。で、極めつけは、この黒色を消す薬品を200万で買ってくれ、今すぐ。ないなら、この話は今回は無しだと。


 気がつく人は気がつく「黒いドル紙幣詐欺」の典型的手口だ。

 最初に変えて見せたドル紙幣は、マジシャンと同じテクニックで、無造作に抜いたように見せただけのものだ。


 泣き寝入りのできないおじさんがどうしたのかは聞いてない。

 Fさん、そちらの世界にも泣き寝入りのできない人達がたくさんいると思う。残念ながら。

 …言いずらいけど、君もその1人と思う。


 それでも、立ち向ってほしい。世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっている、手が出せば届くようなものではない強大なダイナミズムで動いている。そしてその渦にみんなが巻き込まれている。

 “そちらの世界”とて例外ではない。僕と別れた後“彼ら”は君に“まちがった”発見をたくさんさせたと思う。

 そしていろいろさせたかもしれない。

 君は自分でそれを発見したと思い込んでいるけど、それは間違いです。

 そうした発見を全て背負い込む心理状態になれば“彼ら”はそこにつけ込む。

 そして君の心を容易に操る事が出来る。

 そうやって君を“従順”にさせるのが“彼らの(中の「そうした人達」の)常套手段”です。

 非常に悪質な人心掌握じんしんしょうあく法になります。


 「ナイジェリア」では北部・南部の民族に「イギリス」「フランス」がそれぞれ肩入れし、民族対立を悪化させた。

 同じことが幕末日本でも起きていることに気がついただろうか?

 「イギリス」は「倒幕派」に肩入れし、「フランス」は「幕府」に肩入れした。

 当時大国は世界中で同じ事をしていたわけだ。


 しかし、現在は昔と違う。

 悪意の時代はさり、バランスを目指す試みが模索されている。完全ではないが、昔とは全然違う。

 Fさん!引き返す事は可能なのです。

 引き返せないと「思い込まされて」いるだけです。

 この世に平和を目指す試みは、現実にあるのです。

 辛ければ、休んでもいいけど、ゆっくりでいいから、自分を取り戻すために進んで欲しい。

 しっかり前を向いて。


 君と同じ被害者もいるでしょう。

 そういう人達は、理解していないのではなく、理解できないふりをしているだけかもしれない。

 理解できない事情があるのかもしれない。怖くて。


 でもFさんまでその人達の説教に巻き込まれる必要はありません。

 先ほどの「ナイジェリア詐欺」に騙されてないというおじさんの話、思い出してください。

 先ほどのおじさんは、一生騙され続けたほうが幸せ…とは思わないでしょ?

 誰かに何か言われたら、その人にそう言ってあげてください。

 

 こうも思う。

“彼ら”は新興宗教のように「専用の服を作ったり、特異なオブジェを掲げたり」しない。

 あやしい団体の構成員は「専用の服や特異なオブジェ」を通じてメンバーが一体感を持つと言うが、

“彼ら”の場合は「例のあの行動」がそれらの代わりになりメンバーに一体感を与えていると思う。

 同じように騙されている人がたくさんいたら、皆騙されていても安心できる。

 でもその安心感は錯覚で、単に理性が麻痺しているだけだと思う。

 「殺人」も「肯定」できるくらい、徹底的に理性が破壊されている…

 誰が考えたのが実に巧妙で優れています。

 効果的に人の人生を、ダメにする。

 その事実を認めたくなくなるほどに蝕むまで。


 たとえ蝕まれても、人は立ち直れるのです。

 歴史上、苦難から立ち直る人はたくさんいる。

 信じられない悪意から脱出するひともいる。

 負けたら「負け」なんです。

 それだけは、誰にも否定できない事実です。


 君にとって大切な何かとはなんなのか…、棄てる事の出来ない“なにか”が君にあると期待してもいいでしょうか。

 君の周りの人に伝えてください。

 「何を怖がっているの?自分が被害者と認めることがそんなに怖いの?」と。

 「真実に目を向ける勇気はどこへいったの!?」と。


 彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。

 教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。

 “人の質”が問われているのです。そう伝えてください。


 いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。

 でも繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。

 きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。


 君は君の心を信じて良いのだと思う。

 君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。

 君は自分で思っている以上に強い人です。僕が憧れた君だもの。


 僕は今、賭けをしています。いいよね?Fさん。

 僕には君に会えるかどうかささやかに賭けをするくらいの権利はあるよね。

 君が認めてさえくれれば、僕にはこの権利が確かにあることになる。

 他の誰にもそれを否定する権利はない。

 これは君と僕の問題なのだから。


 僕にだけは、嘘つきと言われたくなかったのかな…。

 そんな事、思う記憶がいくつかある。

 どうなのだろう?Fさん…


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!」

「老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」



 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!


 次から次に新手がきても、蹴散らして!

 意地を貫いても大丈夫です。


 どうにも言い返さなくなったら、こう言えば言い返せる。

「関係ないでしょ?あなたには」

 …たぶん、こう言えば話の流れを君のペースに引き戻せると思う。

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〔10月27日(水)曜日〕


 昔「野望の国」というドラマがあった。

 主役は近藤雅彦。舞台は幕末の長崎ではじまる。

 江戸時代、長崎は幕府の直轄地(江戸幕府が直接統治する土地)で、どこの藩にも属さない場所だった。

(※Fさん、僕らの生まれた静岡東部も幕府直轄地だった歴史があります。江戸時代も進むと、江戸の旗本の所領になったようです。この地域の方言が静岡中部とまったく異なり、標準語に近い原因がこの辺りに、あるようです)


 この長崎の西洋医の元に記憶喪失の主人公が担ぎ込まれるところから、この物語がはじまる。命は助かるが、記憶が無いのでいくあてもない。仕方なく医者の紹介で、長崎のある商会の手伝いをする。そこで仕事をしだすと主人公はめきめき頭角をだす…とかいう展開だったと思う。


 実はこのドラマ、ものすごく個人的には好きなのだが、当時低視聴率で、3部構成のところを2部で打ち切った背景がある。物凄い豪華キャストなんだけど、DVDもないし、それどころかネットで探してもあらすじすらみつからない。たまに記述があっても、自分は好きだけど、どうして人気無かったんだろうというものばかり…


 このドラマの印象的な部分は、近藤雅彦演じる主人公と長崎の西洋医の師弟のような関係だ。田舎者にすぎなかった青年が、医者を通じて世界情勢を学び、西洋の優れた考えや知識を学ぶ様子が見ていてすごい好きだった。医者は幕府方の人間なのだが、倒幕派の行動にも理解を示す。主人公は話を聞くうち倒幕派よりの考えになるようになる…、という展開だったと思う。何分記憶だけをたよりに書いているので間違いがあるかもしれない。


 倒幕派よりの思考をするのだが、医師への恩義は絶対で、彼のためなら命も賭ける主人公…、そんな話だったと思う。時おり意図せず倒幕派と戦う主人公というのが、なんだかすごく好きだった。敵が正しい事は百も承知しているが、恩義を大事に考える主人子は結果として倒幕派を敵にまわす。この理不尽な展開が毎回なんだか心をくすぐる。

(話の展開は忘れたが、近藤雅彦が走る馬車の屋根にすわり、ライフルを構えて、襲い来る騎馬の敵たちに向け、何発もライフルを撃つシーンが記憶にある)


 …そんな折り、生麦村で西欧人が大名行列の前を横切り、無礼撃ちにされる「生麦村事件」が起こり、長崎は騒然とする。これで西欧人と本格的な戦争になる。商売はどうなるんだと言う者、それどころじゃない、日本はどうなるというもの、めいめいうろたえる中、主人公だけは違う思考をしていた。彼は自分が何者か思いだしていたのだ。自分は生麦村の人間だと。船に乗ったが、海賊に襲われ、意図せぬ遠くの海につれていかれるが、途中台風にあい海賊もろとも遭難し、自分1人だけ長崎にたどりついた…。村にはたった1人の身内の妹が待っている、帰らねば!

 周囲は騒然としていたのがウソのようにお祝いムードになる。よかった、思い出したんだね!と。しかし主人公だけは妹が心配でいてもたってもいられない。長崎で恩義を受けた人達の祝福をうけて、一路生麦村へ向う。


 生麦村につくと村人もびっくりする、てっきり死んだと思っていたからだ。

 妹を探すが、彼女は横浜へ向ったという。

 かつて主人公は横浜から船に乗り、行方不明になった。彼女は兄の帰りを待つため、横浜へ向ったと聞かされる。急いで横浜へむかう主人公。


 一方そのころ、長崎で主人公と仲良くしていた武士の1人が、西洋風の茶屋(喫茶店という記憶がある、当時横浜にあったのだろうか?わからないが、記憶の中では給仕服を着た女性(妹)がへなちょこなサムライと話をしているシーンを覚えている)で偶然にも生麦村出身の給仕係に会う。試しに主人公の事知ってるか?と聞くと妹だと答えたので、なんてこった、あいつは村にむかったのに、妹はここにいるんだ。とかいう話をする。

 その話を聞いた妹は兄に会いに村へ発つ。入れ替わりに主人公が横浜へ到着。妹に会えず落胆する。

(※そういえば、僕が君に会えず落胆した場所も“新横浜”だった…)


 彼は村に戻るが妹はいなかった…、どこでどうなったのか彼女は行方不明になってしまった。仕方なく長崎に帰ろうとするのだが、この時期、九州周辺は幕府側と薩長が緊迫した対立をしていて、危険でとても長崎には入れない…、やむ得ず京都で帰れる時期まで待つことにする。長崎で西欧医に教えてもらったドイツ料理(当時の西欧医はドイツ医術を学んでいた、その関係でドイツ文化に詳しかったのだろうか?)「ハンブルグステーキ(ハンバーグステーキ)」を鉄板をすえた屋台で売り歩く。ちょっとありえない設定だけど、当時はそう感じなかった。幕末の京都、新撰組なんかも常連になるという設定だ。


 ある日、主人公は孤児をひろう。事情は忘れたけど、短期間あずかるものの、母親は帰ってこず、結局主人公が育てる事になってしまう。名前は「きく」という女の子、「おきく」と呼んでかわいがり、一緒に屋台を引いてあるく。

 ある日、おきくが半紙に墨で「菊の絵」をかく。よく描けたなあと褒める主人公。

 子供の描いた物にしては、図案化された菊で、印象に残る絵だった。この子は才能あるかもしれないと思う主人公。目立つ図案だから、旗にして屋台につけようと提案。おきくも喜ぶ。

 彼は知らなかったのだが、その菊の絵は「天皇家の菊の御門」そっくりだったのだ、常連客の新撰組はぶちきれ、主人公に切りかかる。難を逃れる主人公はその理不尽な仕打ちに頭にきて、仕返しもかねたあるアイディアを思いつく。

 商売の過程で、倒幕派にも「つて」が出来ていた主人公は、「西陣織の菊の御門の旗」の話を持ちかけた。相手方は驚く。主人公は続ける、自分の京都での人脈を使えば、それを作って用意する事も可能だ。相手は思う、たしかにそれがあれば、倒幕軍が京都に入ったときのインパクトは相当なものになる。天皇の御門をしょってる事を、諸藩に知らしめる方法としては群を抜くアイディアだ。彼女は長崎での彼の商才を知っていた。才能ある人物のアイディアだ、この話のっても悪くない。ただし、「西陣織の旗」は引渡し後、代金を払うという事でいいかしら、と彼女は主人公に言う。そんな高価なものの代金、そうそう簡単に渡せないし、自力でそんな高価な品物用意できるのか試したみたかったんだと思う。主人公は承知する。

 彼は京都で稼いだありったけの資金をつぎ込み、人脈を使い、西陣織の菊の御門の旗を完成させる。


 彼はそんな奔走をしていたので、屋台を出せずにいた。

 彼の「ハンブルグステーキ」は珍しさもあり話題になっていた。

 人々は言う。「最近見ねえなあ、ハンブルクステーキ屋」。

 京都の遊郭の女性も、ひいきの侍からその噂を聞き、1度食べて見たいと思っていた人物の1人だ。しかし最近はいないらしい、残念がる。実はこの女性こそ、主人公の妹だった。

 横浜から生麦村に帰る途中、置き引きに遭い、お金をなくし、そのまま人買いに捕まって京都に売られたのだ(ちょっと強引な展開だが、もしかしたら再会できるかもしれない予感を感じさせる演出だ)。

 しかし、主人公は西陣織の旗に夢中で、店どころではなかった。


 そんな中、京都で主人公は、恩人であるあの西欧医に再会する。

 彼は幕府に呼ばれて江戸に向う途中だったと思う。

 彼は警告する、もうすぐ京都は戦場になる、だから逃げろと。

 主人公は言う、妹がいない今、長崎以外にどこへいけというのですかと。

 医者も自分について来いとはいえない、どちらが勝つかわからない情勢だったからだ。

 そんな中、医者は主人公の「西陣織の旗」の話を聞く。医者は動揺した、頭のいい彼は、その旗を倒幕軍が掲げる意味を即座に理解した。そんな事をされたら、幕府軍は精神的に切り崩されてしまう。大老、井伊直弼暗殺いらい、幕府の威信は落ち続けている。諸藩は天皇の権威の下、現在主導権争いをしているわけで、そんな中、そんな物掲げられたら、疑問に思いながら戦っている幕府側の兵の心が崩されてしまう…


 医者は懇願した、後生だから、それを売るのをやめてくれと。

 彼は主人公が全財産つぎこんだのも聞いていた。それでも懇願した、やめてくれと。

 金は自分が都合をつけるとか言ったかもしれない…

 

 恩人のそんな様子を見て、主人公は金のことなどどうでもよくなり、涙する。

「俺はドクトルが困るような事はできねえんだ」

 と涙ながらに答え、旗を燃やしてしまうのだ。


 しばらくして、ついに倒幕派の軍が本当に京都にやってくる。

 街は大混乱になる、まるで大火事でも起きたかのような騒ぎになり、人々が逃げ惑う。

 主人公もこの混乱に巻き込まれてしまい、「お菊」を見失ってしまう。必死にお菊を捜し歩く主人公。

 混乱は遊郭にも及んでいて、妹も町から逃げるチャンスを得た。町娘の格好で町へでて逃げようとするが、混乱の中、行き場を失う。

 そうこうしているうちに、自分と同じように行き場を失った女の子がいた。妹はその子を保護するようにして物陰に隠れた。この先どうしようと思う中、京都の混乱はひろがる。


 主人公はようやくお菊を見つける、若い女性と一緒にいた。

 お菊に駆け寄る主人公、すると、ようやく2人はお互いの存在に気がつく。

 兄と妹はものすごい遠回りしてようやく「再会」がかなったのだ。


 …しばらく再会をかみしめあった後、主人公は意を決して立ち上がる。

 自分が安全な逃げ道を探してくるから、ここで待っていて欲しい、必ず戻ってくるからと。お菊を妹にあずけて、1人町へ出る主人公。その際、主人公は倒幕派の女性からもらった西洋式ピストルを妹にわたす。これでお菊を守ってくれと。


 結局、兄は帰ってこなかった…、妹は混乱のおさまった町へお菊を連れて出て、兄を探す。しかし、いくら探しても兄はいなかった。


 この後の展開は記憶があやふやだ。

 たしかお菊の行方不明の母親に恩義を感じるお金持ちが、お菊を娘として受け入れて、妹はお菊の従者として雇われるという展開だったと思う。しかも皮肉な事に、このお金持ちは悪役で、つねに主人公と敵対していた人物なのだ。



 主人公の方は実は死んでいなかった、混乱の中、頭をうち、気を失って倒れたのだ。辺りにはたくさん死体があり、その中にまぎれたため、妹もお菊も主人公に気がつかなかった…

 主人公が目をさますと、ちょうど錦の「菊の御門の旗」を掲げた倒幕派の軍が町に入ってくるところだった。倒幕派の女性はアイディアだけはいただいて、同じようなものをつくり軍にわたしていた…、という設定になってます。現実の歴史では誰のアイデイアか知らないけど、実際この旗のおかげで幕府側は相当な精神的ダメージをうけたらしい。



 失意の主人公はやむ得ず長崎に帰る。

 仕事に専念し、商人として活躍する。


 その後、何年か月日がたち、江戸幕府は崩壊し、明治維新がおきる。


 明治の頃になると、主人公は雇われ人から卒業し、独立した商人として活躍していた。

 自分の船を持ち、横浜を拠点に商売をしようと長崎から出てきたばかりだ。

 当時の横浜は鉄道もひかれ、文明開化の先端地域だった、ここで一旗あげようというわけだ。


 同じ頃、かつて主人公の敵であった人物は、幕府崩壊とともに侍の身分も消えたので、商売を始めていた。私財を使い電信会社を建てていたのだ。商売は順調で、街でも有数の名士になっていた。彼に拾われた「お菊」は良家のお嬢様に成長し、妹はお世話係として付き添っていた。彼女の時間は幕末の京都のあの瞬間で止まっていた。兄から「お菊を守ってくれ」と言われ、その言葉が唯一のささえとなり生きてきたのだ。自分の幸せよりお菊の幸せを第一に考える人物になっていた。


 詳しい経緯は忘れたけど、成長したお菊は主人公を「発見」する。

 最初気がつかなかった主人公だが、ようやくお菊に気がつくようになる。

 2人の関係は恋模様に変化してゆくのだが、一応形の上では、かつての敵の娘となっているお菊。どうどうと会う訳にもいかず、夜中こっそり会う関係になる。


 妹はお菊の様子がおかしい事に気がついた。

 お菊は妹に兄の事を黙っていた、もう少し1人で彼を独占していたかったのかもしれない。なにも知らない妹はある日、お菊の行動をつけた。


 主人公はある日、港で自分の船を食い入るように見つめる少年にであった。

 主人公は「興味あるのか」と訊ねる。少年は意気旺盛にうなずく。

 主人公は少年にむかって「マッチ」を投げ渡す。


「明日、それをもってここにくれば、乗せてやるよ」と言って。

 少年は感極まりお礼をいって立ち去った。


 その夜、お菊は約束どうり船に現れた。

 船でまっていた兄はきょうこそ妹に会えると聞かされてワクワクしていたのに、今日もお菊は1人だった。嬉しいががっかりもする主人公。その時別の人影が見えた、兄はもしかして妹か?と意識をむける。むけた瞬間撃たれた。


 妹は兄からあずかったピストルを撃った、お菊に付きまとう邪魔者を殺すために。

 彼女は今や良家のお嬢様であり、悪い虫がついては困るからだ。

 しかし、撃ったあと、それが兄だとわかり愕然とする。


 でも主人公はうれしくて仕方が無いのだ。ようやく妹に会えたのだから。

 もうあえないとおもっていた人が無事としって、嬉しくて仕方が無い感情のまま息を息をきひとる…

 作り物なんだけど、今だ印象に残るシーンだ。


 この「野望の国」というドラマ。あらすじをネットで調べたんだけど、本当に載ってない。

 完全に忘れ去られたドラマになっているみたい…。

 なにがいけなかったんだろう?


 「横浜」「すれちがい」というキーワードでついついこう思う。

 当時君から確かに聞いた記憶がある。

 僕を新横浜で見たと。

 ちょうど僕が大学受験で立ち寄った時の姿のはずだ。

 あの日あの時君はいた。

 新横浜から先、君はどんな人生を歩んだんだろう。

 

 時を経て、時間を重ね、真実に気がついた今、たとえ撃たれようとも、

 最愛の人の無事が確認できれば嬉しいという感覚は当時の何十倍もよくわかる。


 人には、割り切れない「想い」というものがある。

 大切なその想いは、一生懸命守っていいのだと思う。

 もう、それが許される社会になってきたのだから。


 不必要な我慢を強いる(自分も被害者と気がつかない)人達に立ち向かって欲しい。

“彼ら”は見た目や格好に関しては一般人と見分けがつかないように努力している。

 新興宗教のように「専用の服・特異なオブジェ」を必要としない。

 あやしい団体の構成員は「専用の服」や「特異なオブジェ」を通じてメンバーが一体感を持つと言うが、それが無い“彼ら”の場合は「例のあの行動」がその代わりに一体感をもたらす要素になっていると思う。(自分も被害者と気がつかない)人達が一体感を持ちたいという動機で「人殺し」も平気で出来る世界。君がそんな世界嫌っている事を、実は僕は知っているのです。Fさんは気がついていましたか?


 賛否はともかく、考え続けることが大切だと、ある人物がTVで言っていたのを聞いた。

 気がついたらな、考えていいのだとおもう。


 君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。

 君は自分で思っている以上に強い人です。僕が憧れた君だもの。



 僕は賭けをしています、立ち止まらず。向かい合う続けるために。

 僕には“彼ら”に「人生を返せ!」と主張する権利があると思いますか?

 

 “彼ら”は君にいろいろしたのだろうか…

 君ほど出ないかもしれないが、僕もいろいろあったのだと、今は思う。

 もし事実なら、この18年間、2人の時間は断絶したわけではなく

 “彼ら”を通じてつながっていた事になる。

 もしそうなら、切なくも、こそばゆい奇妙な想いになるけど…


 いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。

 でも繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。

 きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。


 君は君の心を信じて良いのだと思う。

 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 世界は広大で、想像を絶するおおきなうねりの中にある。

 それを狭い視野で固定させる事が、不幸の源泉の一翼を担っている。

 「視野が狭くて何が悪い」とか言う人には大切な“何か”を心に問いかけてほしい。

 そう伝えてください。


 再会信じて。

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〔10月28日(木)曜日〕①


 Fさんへ

 そちらはどうですか?

 今、台風が接近しているようです。

 そのせい?か、だいぶ寒くなりました。

 

 18年前、2人でいるとなぜか寒くとも大丈夫だった。覚えていますか?


 僕は賭けをしています。君が僕に告白するかどうかと。

 そこが、大きなターニングポイントになる。

 “彼ら”は決して正体を明かさない…(告白しない)、どんなに親しくなろうとも、絶対に。君ははたしてどうだろう…?18年前、君は一歩手前まで来ていた。先輩の正体を明かすという行為は、あとちょっと踏み込めば自分の正体も明かしかねない行為だ。今にして思うとそう思う。


 僕は賭けをしています。


 それは事実です。


 告白された事は胸にしまうつもりでいます。


“彼ら”は君がなかなか、なびかないから。

 じゃあ腹いせにこちらもずっと攻撃してやれ…と考えたのだろうか?

(そこまでくさってない?)

 もし事実なら、この18年間、同じ苦難の一端を君と共有していた事になる。

 それは僕にとっては(奇妙な事に)誇らしくも感じてしまう。

 繋がっていたのだろうか?どうなのだろう。

 だとしたら、2人の時間は断絶したわけではなく。

 図らずも“彼ら”を通じてつながっていた事になる。

 もしそうなら、切なくも、こそばゆい奇妙な想いになるけど…、どうなんだろう。

 あくまで仮説です。いつか疑問が解ける日を夢見ます。


 いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。

 でも繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。

 きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。


 君は君の心を信じて良いのだと思う。


〔10月28日(木)曜日〕②


 今、事業仕分け第3弾として「特別会計」にメスをいれるとやっている。

 20年も前から言われていた事にようやくメスが入ろうとしている。


 …将来、今はありえないものが、実現したり、話し合いの土台に上る日が来るのかもしれない。


 とにかく自分にできる事をやろうと思う。

 君も自分にできる事に向き合いつづけてくれれば嬉しいです。

 だめかな。


 何を書こうか?

 「ロミオとジュリエット」の舞台になった北イタリアの都市の歴史なんてのも面白そうだし。

 「ハムレット」の舞台になったデンマークのお城というのも面白そうだ。

 (※ここには悲劇の王女様の物語もあるらしい)

 「北欧」の「牧場の少女カトリ」に絡めて、フィンランド独立について書けば、それと絡めて「デンマーク・ノルウェー・スウェーデン」が日本同様、近代化後発組みであることや、ノルディックバランスと呼ばれる独特の価値観についても語れる。

 “ノルディックバランス”の影響か、この地域の小学校は日本の(けっこう偏っているが)歴史にも他国にくらべ詳しくおしえたりする。

 「スターリン」についても書いてない。

 「カダフィー大佐」の件も記述してない。

 

 「アーパネット」の開放から始まる「インターネット」の歴史も書いてない。

 「ロスチャイルド家」なんてのもあったな…

 

 けど、そろそろ歴史ものはおちついて、普通に日々思うことを書こうか?


 君は何が聞きたい?

 世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです、

 手が出せば届くような単純なものではない。目をむけるときりが無いのも事実だけど、無知なままでは悲劇を繰り返すのもまだ事実です。


 こんな話もある。

 沖縄の東南方向に小さな島群がある、大東諸島という場所だ。

 そもそもは八丈島の開拓者が西へ西へと進んで入植した土地らしい。

 断崖絶壁の孤島で、有史以来、人は住んでない孤島の群れだ。

 そこは明治維新後の日本で、ほとんど法の届かない無法地帯が作られた。



 入植者は地主(小さな島なので、島全体が1人の地主のものだ)を筆頭にピラミッド型の身分社会を構築した。

 トップの人間が生存中はそれなりに上手く機能した。

 その後、島は会社に売られ、会社が支配する島になる。

 会社の社員が一番偉く、次が初期移住者の子孫、最後が出稼ぎにきていた沖縄の人々という図式だ。

 島民全員が従業員という世界。

 会社は島民1るのかもしれない。

 でも繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。

 きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。


 君は君の心を信じて良いのだと思う。


 得とか損とかじゃなく、その重みは君に何を想わせる?

 輝きを取り戻して!



 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!



 話が通じなくても、ある程度効いてるはずです。

 一番つらいのは君なんだから、堂々としていていいと思う。

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〔10月29日(金)曜日〕

 Fさんへ

 昨日台風のニュースをみていたら驚いた。

「台風は南大東島に上陸しました」

 とか言っている。

 昨日書いた“大東諸島”の事だ、偶然でおどろいた。

 おもわずこの偶然は神の何かか?と思うが、いやいや、この世にオカルトは存在しない、単なる偶然だと理性が働く。


 こういう意味の無い偶然に意味を込めてしまう傾向が、人間にはあるというのが一般だ。

 だから故、世の中占いで商売が成り立つ。僕は占いは信じない、あれは未来予測ではなく、単なるカウンセリングだ、占いの道具は対象者を信じさせる(心を無防備にさせる)暗示のアイテムにすぎない。そもそも占いに行く時点でもう「半分」暗示にかかっているようなものだから、占い師に悪意があったら簡単に騙されてしまう…、よきカウンセラーのような占い師が増える事を祈らずにいられません。

 考古学の世界でも似た現象はある。


 太平洋巨石文化というのをしっているだろうか?

 太平洋の島には古くから、巨石をつかった「石」の遺跡がある。

 漫画にでてくるような巨大な石のお金を、太平洋の島々では本当に作っていた形跡があり、いまも島のあちこちに巨大な石のお金が遺跡として放置されている。もっとも口伝えの昔話で「お金」とされているだけで、本当にそういう使い方をしたのかは不明だ。


 この地域の人々が、「いかだ」もしくは「小船」にのり、太平洋に散って「巨石文化」を伝播させたという考えがある。立証はされていない。この学説はともすればオカルトに結びつきやすいので注意が必要だ。(ムー大陸伝説と結びつけるインチキ学者がいるのでやっかいだ)

 沖縄の海底巨石神殿や、東南アジアの巨石の遺跡。中南米のインカ・アステカの巨石文化など、太平洋から移動した人々が“たどり着いた先”で作ったものだとする伝説もある。

 沖縄などには、東の海の向こうに天国があるという伝説があるが、中南米にも西の海の向こうには伝説の神の国があるとか類似性をみる。でも、本当に単なる偶然かも知れず、強引に結びつけるのはいけないと思う。


 そういえば、僕らが生まれた近辺にも、類似?の遺跡があるのを知っているだろうか?

 愛鷹山あしたかやまにも起源の不明な巨石遺跡があるらしいです。


 実は大社の神様の伝説にもおもしろい物がある。

 神様は海の神で南のうみから来たというもの。最初下田あたりに上陸し、だんだん北上して(神社の位置が北上して)現在の位置に落ち着いたとか言うやつだ。このオリジナル神話をベースにあとからこの地に来た大和朝廷の神話が混ざり、現在の感じに落ち着いたとかそうでないとか…。


 こういう紀元前の文字の無い時代のものは伝説しか記録がないので、本当の歴史がみえない。もしかしたら、それぞれの遺跡は関係なく、独自に発展したのかもしれないし、つながりがあるのかもしれない。

 日本国内においては、そうした「石」の文明は後発の「大和朝廷」の「木」の文化に駆逐されていった?のか、あるいは自然消滅したのか。まったくのなぞだ。



 不思議な類似性として、この「有史以前の巨石文化」は島か海沿いに興ることが多い。

(おもわず船で伝わった…という安易な結論に飛びつきたくなる状況だ)


 ヨーロッパでは地中海のマルタ島のものがかなり古いらしい。石器時代のもので、フェニキア人以前の遺跡かもしれない。

 次にふるいのが、イギリスの「ストーンヘンジ」(とその他同時代?あたりに作られたドーバー海峡沿いの巨石遺跡群)

 ヨーロッパの研究でもこれらを作ったのがどういう人らかは不明のままだ。人骨1つ見つからないのでまったくわからないのだ。(氷河期で人骨はすべて氷で流されてしまったのだろうか?まったく無いのに遺跡はあるというのが不自然です。1つわかっているのは、彼らは「地母神」信仰をしていた点だ。「地母神」は石器時代ひろく信仰されていたらしい。僕が行ったトルコのアナトリア博物館にも石器時代の「地母神」の像があった。「地母神」信仰は女性崇拝だ、新しい命を作り出す神秘的な存在として女性をあがめていたと推測されている。戦いが少なく、食料確保が安定していたら、男性の腕力より女性の神秘性が優位に立つということだろうか?この「地母神」信仰は日本の土偶などにもみられ、人類の根源的イメージと考えられる傾向にある)



 その後の歴史で分裂したヨーロッパが長い年月へて「EU」へとなったのは感慨深い。かつては石器時代、区分けのない世界ですごし、進化して分裂したのに、また元に集まっている…。もしどこかに一連の歴史を観察しているものがいたら何を感じるのだろうか?

 これが一時的団結なのか?永久に続くものなのか?見極めたいと感じるのだろうか?


 「EU(欧州連合おうしゅうれんごう)」の前進は「EC(欧州共同体)」だ、僕らが子供の頃は「EC」だった。「EU」発足は1993年にとある。君が理由も明確にせずいなくなった時期だ。こそばゆい、せつないイメージで記憶されている。ちょうど僕らが一緒にいた1992年に、「EC」は統合するのか?しないのか?とさかんにニュースでやっていた気がする。覚えていますか?


 「EC」の前身は「EEC(欧州経済共同体)」というものだった。

 将来の戦争を回避する目的で、貿易を統合する仕組みだ。2度の世界大戦の原因は貿易が自由でなかったから、実力行使で解決するしかなかった。という反省から、せめてヨーロッパ内だけでも自由貿易を保障しようとはじまったのだ。


 この際、ネックになったのが農業問題だ、関税をゼロにしたら、国内の農家がダメージを受けてしまう。意見があわず、フランスのシャルル・ド・ゴール大統領など離脱を決めてしまう。(その所為でフランスはこの時期、独自の防衛政策にまで踏み込んでいる。)

 その後、農家への補助のシステムが整備され、フランスも戻ってきた?らしい…。



 同じ問題を、現在「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)」で話し合われているのを知っているだろうか?2006年5月にシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドで始まった自由貿易協定だけど、のちにアメリカとオーストラリアも加わり、一大自由貿易圏を作ろうとしている。この世界的不況をのりきる起爆剤として期待されるものだ。

 現在これに「日本」も加わるかどうかが議論されている。

 もし「日本」が参加しなかった場合、協定参加の国々に経済発展で遅れをとり、取り戻せない差をつけられる可能性もなくはない。が、ここでも問題になっているのが、先ほどのべた農家の問題だ、関税がゼロになったら農家への打撃ははかりしれない、たぶんだけど、今1600円くらいのお米が700円くらいで買えるようになるはずだ、価格競争で日本の農家は圧倒的に不利になる。

 一方で製造業は業界をあげてTPPへの参加を求め、政府に圧力をかけている。

 意外に感じるかもしれないが、日本で本当に関税がゼロのものは物凄くすくない。その分製造業は他国より不利な立場にいる。それだけ不利でよくここまで世界と戦ってかって来たなと思う。でも関税がゼロになれば、そもそも強い日本の製造業は圧倒的に有利になれる。


 ここでのポイントはこういうジレンマがあると認識する事だと思う。

 製造業を犠牲にして、農業をまもるのか?

 農業を犠牲にして製造業を守るのか?


 答えはわからないが、過去を見つめると参考になる事例もじつはあったりする。


 

 かつてこれとは別に「ウルグアイラウンド」と呼ばれた国際機関主催の通商交渉の場があった。1995年に終わったものだが、牛肉・オレンジの自由化などがされ、農家の自殺さわぎまでおきている。その後、ブランド牛が各地でもてはやされるきっかけをつくった遠因にもなっている。ブランド力で輸入牛肉に対抗しようというわけだ。

 そう、日本は1度、農業の1部自由化を経験している、この時の歴史は貴重な体験であり、反省材料なのだ、この時も農家へは保証金が支払われているが、それは一時的なばら撒きにおわり、将来的な体質強化へはつながっていない。将来像を描くだけではだめなのだ。

 この件とは関係ないのだが、あの有名な「ワタミ」の社長がこの状況にも当てはまるふさわしい言葉を言っている…

「ちゃんと事業を計画して、成功確実なものをつくっても、それを強力に引っ張る人材がいないと、成功間違いなしのいい事業計画も、失敗してしまう」


 もし、将来「TPP」に加盟する時期がきたとしたら、「ウルグアイラウンド」の二の舞をふまない強力な指導者が「必要」なのかもしれない。

(※“彼ら”の求めるエリート像では、いういう人物でてこないと感じるけど、Fさんはどう感じますか?)



 今「EU」でも農業の体質強化のため、小さな農家の廃業とその土地を引き継ぐ大規模農家の集約・発展がすすんでいるらしい。経済面では正解なのだが、「家族でやる農家」というのも、「伝統文化の土台」であり、残すべきという意見も強く、バランスがむずかしくなってきている。

 農家への補助は「EU」全体の重い負担となり、財政を圧迫しているらしい、農家の少ないドイツは一方的に金を払わせれ続けているので不満爆発だ。しかもEU内で一番お金を払っているのもドイツで、故にドイツの発言権は強くなっている。ドイツが離脱したらシステムが維持できなくなるからだ。


 …でも冷静に考えてほしい。そもそも「EU」とは戦争を回避する目的でつくられた、そういう意味では、問題はあっても、現在当初の目的どうり機能している。


 もし、遠くでこのようすを観察する誰かがいたとしたら、どんな風に思うのだろう?

 この先、この問題をどう解決するのか続きを見たくなるのと違うだろうか?


 「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)」は短命に終わるのか?それとも「EU」のように進化するのか?その中間か?

 こちらの結末についても楽しみにしてもらえるよう、人間としては努力できたら面白いとは思うけど、どうなのだろう…、目の前だけでなく、遠くの事実も現在の僕らとつながってうごいているのです。


 世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっているようです、手が出せば届くような単純なものではない。単純であると吹聴する人間は、なにも理解していないのに、した“ふり”をしているだけです。

 Fさん、そんな連中の説教など跳ね除けて!

 君の周りの人に伝えてください。

 「この世にオカルトは無いわ!」と。

 「悪いけど、そんな未来はごめんだわ」と。

 「それもの凄い犯罪なのよ!わたしそれに気づいたの、もう戻れないわ」と。

 彼らの放つ理想だけでは、世の中は良くならないと、わからないはずないのです。


 これは人としての“質”がどうなのか?という問題です。

 教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。

 “人間の質”が問われているのです。そう伝えてください。


 いろいろ言われると思う。けど負けないで!応援しています。

 君は自分で思っている以上に強い人です。

 「自分が騙されていると気づきたくない悲しい人生」に、向かい合い乗り越える力を、君は「実は」もっている。使い方に意識が「向かなかった」だけだ。彼らにより、気がつかないように誘導されていたに過ぎない。押し付けてくる“勝手なイメージ”なんか跳ね除けて!自分の心を取り戻すべきです。


“彼ら”は新興宗教のように「専用の服を作ったり、特異なオブジェを掲げたり」しない。

 あやしい団体の構成員は「専用の服や特異なオブジェ」を通じてメンバーが一体感を持つと言うが、“彼ら”の場合はそれが“ない”かわりに「例のあの行動」があるのだと思う。

 「例のあの行動」を通じてメンバーが一体感を持つのだ。その一体感が自分が騙されているという意識を麻痺させてゆく…

 そうでなければ、悪人でもない人が「殺人」も「肯定」できるくらい一生懸命になれる道理がない。普通の人間の理性をここまで麻痺させるとは異常です。誰が考えたのが実に巧妙で優れています。効果的に人の人生を、ダメにする。

 どこかの誰かの「快楽」の尖兵になっている事実に気がついてはいけないという強力な暗示に皆がかかっている。

 「友好活動」と「犯罪行動」の区別はつけないといけない。

 そしてお互いのため…

 その事実を認めたくなくなるほどにおおくの人の心が蝕まれている。



 Fさん!僕には“人生をかえせ!”と言う権利があると思いますか?

 再会を信じるというささやかな願いをしてはいけない「理由」があると思いますか?

 “彼ら”は君にいろいろしたのだろうか…君ほどでないかもしれないが、

 僕もいろいろあったのだと、今は思う。もし事実なら、この18年間、2人の時間は断絶したわけではなく“彼ら”を通じてつながっていた事になる。もしそうなら、切なくも、こそばゆい奇妙な想いになるけど…


 いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。

 でも繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。

 きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。


 君は君の心を信じて良いのだと思う。


 得とか損とかじゃなく、その重みは君に何を想わせる?

 輝きを取り戻して!



 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。


 誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…

 そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。


 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。

 三界に家を建てるには、君が必要です。

「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」

 と言う権利を君は十二分に持っていると思う。


 君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、

 それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?


「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、

 誰も責任取ってはくれないよ!

 老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。

 もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」


 と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。

 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!



 話が通じなくても、ある程度効いてるはずです。

 一番つらいのは君なんだから、堂々としていていいと思う。

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(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)

〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください

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