第3話 大切な君へ、原点回帰 ver2.0
メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください
(この物語はフィクションです登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)
もう、なにが事実だかわからない、すげーな暗示の力って。
(実はこの間、“彼ら”の攻撃がつづいていた。)
原点回帰。
17年前のあの記憶は君らがタイムマシンでももってないかぎり書き換えることができない確かな現実。たしかにあの日彼女は言ったし、あのように行動した。彼女の行動とセリフに関してはまったくもって脚色はない。そのままである。だれか違う解釈があればおしえてほしい。たしかな現実。裏打ちする手紙もたしかにある。夏の日の思い出、だれか、彼女と会う機会があったら伝えてください。あのときの君の気持ちをわかってあげられなくて、やっと本当の価値にきづけたと。言ってあげてください。そして、この言葉が次に出てくる写真のような役割をしてくれたら、幸いです。
今、君の写真を持ち歩いている。もらった写真はなくしてしまったが、ビデオからプリントしたものだ。これを手に持ってにぎっていると、一人でない気がしてくる。
もって歩かなかったころは、日々思い出が削られていき、君という存在が希薄になり、終いには幻想のように感じてしまった。しかし僕には物理的証拠があり、これら思い出の品物が君の実在を思い起こさせる。これを持っている限り、正気を失わなくてすむと思う。ありがとう君のおかげだ。君も見えない形で今も暗示の脅威にさらされているのだろうか?さきほどの言葉がもし役にたつなら涙します。
今日ビルの2階から階段で1階に下りると目の前にエレベーターがあり、おばあさんが2階へ上がろうとしていた、僕に気づかず白いマスクをまさにつける瞬間だった。思わず「ご苦労様」とつぶやいてしまった。聴こえてないくらいの声で。いつもだったら聴こえるくらいの声で独り言を言っていた。君の写真のおかげだ。人間迷ったら原点回帰だね、何が大切か知ってるのと理解してないのとではえらい違う。
こんな事を書いていたらまた1つ思い出した。
あれは1度目の破局の後、再び会うようになったある日。僕は君をきつく抱きしめた。あまりに力いっぱい抱きしめたので君は「いたい」と言った。
「こうすると君の存在が感じられる」と僕は言った。
君は訝しがった。そして抗議した。わかってもらえなくて悲しかったけど、君は抗議しながらも怒ってなかった、笑顔で僕を受け入れてくれた。うれしかった。
あの時は、やはり今のように周囲から受けるプレッシャーにやられて、君に救いを求めてあんな行動に出たんだと思う、理解してなくても無意識のレベルで心が悲鳴をあげていたのだ。僕は君にすがりつきたかった。というかこの時物理的に実際すがりついていた。でも本当は君のほうがすがりつきたかったにちがいない。この時のぼくが君に提供できたのはあの2人だけの無限とも思える安息の時間だけだった。人の心は弱い、東京にいた時17年のなぞがとけ僕は声をあげて泣いた、いい年して本気で泣いた。数日はそんな夜を過ごしある日もう泣かないと決めた。なのにまた涙がでてくる、もう泣かないと決めたのに。17年前の君の気持ちがようやくわかったからだ。時間とともにあふれてくるそれは自分で自覚している以上に溜まっていたらしく、17年の時の重みだった。泣けば君が戻ってくる訳ではない、そう言い聞かせた。そして現在の僕はこれを書きながらこう思った、ここにはこれ以上泣き言を書くのはやめよう、相手を励ましてこその意味が、読んでもらう意味が、意義がある。そもそも、僕が見たかったのは君が嬉しがってる顔で、困った顔ではないからだ。困った顔もそれはそれでかわいいけど。
17年前の記憶の整理が出来た時点で君から人にとって必要な“心”をもらいました。まだ自分の中で完全に咀嚼できてない。何度も何度も反芻しています。とても貴重で大切なものです、大きすぎて、圧倒されています。
君らはどんなつらい思いを抱えたらこうなってしまうんだろう?それがわかれば、なにかが変わる気がするんだが…、一人一人に聞いて回りたい。健康の不安や心の問題いろいろあるんだと思う。僕の立場で言うことではないかもしれないけど。つらいのは一人じゃないんです。皆なにかしらしょっている。何もないように見える人にも必ずある。僕がいい例でしょ?
まだしがらみのうすい立ち位置にいる人、そうでない人、ともに何が未来につながるのか、口に出すのはまずいだろうけど、考えをめぐらすだけなら、誰からも何もいわれないし、それは必要な事だと思います。生涯消えない心のやけどをすでに負ってしまった人、まだ負う前の人、まさにこれから負おうという人、考える時間を失っては心の、魂の光を失ってしまいます。失ったと思っている人もこれを読んで何か感じる心があれば、それが心の光です、失ったと思い込んでいるだけです。
誰しも子供の頃言われたんじゃないでしょうか?大きくなれば判ると。判るのと、失うのは、根本的に違います。“予断”にとらわれると時として自分を失います。
彼女の近くにいる人、彼女がつらい目にあっていないかサポートしてあげてきださい。おそらく、自分の身を守るので手一杯なんだと思います。あなた自身もそうかもしれませんが、できる範囲でおねがいします。彼女がほしいのは理解者なんです。お願いします。うそでもいいからやさしくしてあげてください。特に女性の方お願いします。過去に遭遇したあなたたちの中で、基本的に女性に悪い人はほとんどいなかった。少数例外もあったけど皆純真でした。すれてないとでも言うべきでしょうか。それは希望につながります。心を分けてあげてください、できる限り、出来る範囲で、お願いします。
ドフトエフスキーの「白痴」。ご存知でしょうか、お読みになった方なら僕が何が言いたいかお判りになると思います。ムイシキンになってしまいました。彼女をナスターシャにする訳にはいきません。ムイシキンとロゴージンは最終的に和解します。十字架を交換します。そうあるべきです。そうお思いの方、少なくないはずです。
原点回帰。
初めて会ったとき、まさに電気が走る思いだった訳だけど君はあの時気が付かなかった。後々になって君は訊いた。
「いつからすきだったの?」
何時ぐらいの事だろう、親密になってからだ。多分君が僕を受け入れてくれてそう時間がたってないくらいの頃、神社で君は僕に言った。嬉しかった、だって想像してほしい。憧れの女の子が自分を受け入れてくれた上にそんな事聞いてくるという事がどれほどすごい事か、まるで物語の世界のような…、でも現実だった。この時僕は一体どんな顔をしていたんだろう、出来る限り普通のふりをしていたけれど。僕は当然という態度で、
「初めて会ったときだよ」と言った。
君は驚いていた。
「だってそんなそぶりぜんぜんなかった」
と、言った。
そりゃそうだと思う。なぜなら気が付かれない様にしていたからだ。僕は訊いた、何時の時点で僕の気持ちに気づいたのか教えてと。君は答えなかった。けどその時はどーでもよかった、現に隣に君が居たからだ。いや、思い出してきた。映画に初めて誘った時気がついたと言ったような記憶がある。言葉をにごした。理由はわかるけど、あまりハッキリ覚えてないという事は先生の事が頭をよぎったからどと思う。君の不可解な行動をどうしても先生の事と結び付けようとしていた。それがなければもっと早く気づけたような気がする。
君は気づいたかな?
僕は17年間片思いだと思っていた。それが間違いだと気づいた。とたんに僕は当時の僕に戻ってしまった。当時の僕を現在の僕がなんとかコントロールしている状態。結構大変です。でも、いい事もある。あれが片思いでないとハッキリしたんだし。自分の価値に自信が持てました、少し。当時の君の気持ちが手に取るように分る様になった幸福と衝撃。伝えたくて伝えたくて仕方ありません。だから書きます。
当時から君はいつも一人が多かったと思う。真実に気づく前の僕はこう考えていた。あまりの美少女っぷりに女子の中でも浮いてしまったんじゃなかろうかと。
1年の時、放課後。まだ先輩たちが居た頃、まぶしすぎて遠すぎて声をかけられなかった頃。練習中、暇な時間ができた君は何気なくテキトーな曲を吹いた。その曲は僕が中学生のとき何十時間もつぶしたドラクエのダンジョンのBGMだった。
「なんでそんな曲知ってるの?」
気が付けば普通に訊いていた。理由さえあれば別段しゃべれない訳ではない、ただきっかけを意図的に作ったり読み取ったりするのが苦手だった。だから口下手なのだ。今では十分直したつもりだが、それでも直りきってない。とにかくその時は自然な形できっかけができた。
「前やった事あるの」と言ったと思う。
同じように口下手なのがすぐに分かった。あれがはじめての会話じゃなかっただろうか?
この頃僕はまだマウスピースが上手く吹けなかった、小中学校で習うリコーダーは中にリードという振動する板が入っていてそれに息を吹きかける事で空気を振動させ音をだす仕組みだが、トロンボーンをはじめトランペット、ホルン、チューバなどはリードを使わず唇そのものを振動させて音を出す。マウスピースを使って練習するのだが上手くいかない。彼女はこの時の僕の様子を覚えていて、1時間近く同じ姿勢ですわってずっと練習している僕を変というか、変わってるというか、いいのかなあのままほっといてみたいに思ったと後々証言する。覚えていてくれたんだ…、と妙に感動した。
いつも君は遠い存在だった、けど気が付けば目で追っていた。1度訊いた事がある、この時期僕の事をどう思っていたのか、君は答えなかった。今の僕にはおおよその想像がたつ、君は人が傷つかないように常に気を配っていた。
その後も何かにつけ会話する機会があり、その頻度は時間とともに増えていったと思う。けど、笑い合えるくらいになるには1年かかった様に思う。しゃべるのに必死で、何をしゃべったか思い出せない、他愛ない事を話していたんだと思う、君はあの独特の笑顔と笑い声で応じてくれた、それが嬉しくて、次も同じ様に笑ってくれるかハラハラしていた。なぜなら君は急に無口になるからだ。なんとかあの笑い声が聞きたくて僕なりにがんばった。楽器の事や部活の事、学校の事、時々僕が自分の事を話し君がにこやかに聞いてくれている…、そんなイメージでこの時期の事記憶している。
だから、初めて映画に誘った時まさかOKしてくれるとは思ってなかった。すごくうれしかった。
初めての映画は2本立てだった、けど2本目に入ろうというとき君は言った。
「もう出よう」
もったいない、と正直に思った。けど 君は映画よりも会話の時間を大切にする子だった。当時の僕にそんな発想はなく、本気で君を尊敬した。お金よりも大切なものがあると気づかせてくれた最初の出来事だった。確かに、あと映画1本ぶんのお金を損してでもする価値があの後の会話にはあった。
映画館を出て食事をした。多分12時前後だったと思う。マックに入り、それぞれ別々に注文した。正直僕は奢りたかった、オレンジジュースくらいなら何てこと無い。席についてから僕はその事を告げた。すると君は
「いいの」とはにかんだ。
マックの2階、中央に仕切りがあり、階段の反対側の仕切りよりの席、中央より若干窓側の席に向かい合わせで座った。
「僕一人で食べるなんて何だか…」と僕は言った。
「いいの、食べて」と君は言った、ものすごいかわいい。
君はオレンジジュースのストローに口を付けながらこちらを見た。そんな君を前に食べるのはなんだか気恥ずかしかった、食べる僕を見る君。
「ホントに食べなくていいの?」と半分くらい食べた辺りで聞いた。
俯いて、君は言った。
「食べてる所見られるの恥ずかしい…」
ものすごいかわいかった。だからなんだかまあいいかと思った。女の子だからそんなものなのかなと思った。
当時高校生でお金がなかった、けどある事に気づく。12月の誕生石はトルコ石だ、宝石の中では一番安い。手が出せる代物だった。その事をさりげなく君に言うと絶対くれるなという態度。いらない、うけとらない、嫌われたかと思ったけどそうでない事はしばらくしてわかった。
こんな会話をしたのを思い出した。覚えてないと思う。
2年生のある日、練習中。僕はなかなか心を開かない君をお城のようだと例えた。中世ヨーロッパの城をイメージして言った。
「やっと門が開いたと思ったらすぐ閉められちゃうんだよね」といった。
君は僕の例えが最初上手く飲み込めず困惑した。
「中世のお城で、分厚い木で出来た扉で、ロープで上げ下げして開けたり閉めたりするやつ、映画とかで見た事ない?」と僕は言ったと思う。
「やっと開いたーと思って門に近づくと急にドシンと門が落ちてきて閉まっちゃうの」
と僕は言った。言うと同時に僕は両手を上から下に動かして門が閉まる動作を演じてみせた。
君はニコニコしながらダメ開けないとか言った。ぼくがやはりニコニコしながら何で?どうして?と言った。君はニコニコしていた。
「やっと最近門が開くようになったね」と僕。
いまいち意味が判ってない君。
「だって前はそんな風に笑ってくれなかったでしょ?」と僕は言った。そして、
「やっと門が開いてなかに入れる」と、つけたした。
心が開いた仲良くなれるという事の比喩表現だった、そして門が上に上がった動作をジェスチャーでやってみせた、すると君は僕の動作を真似して両手で上から下へ門が降りる動作をしてみせて
「だめ、入らせない」とか言ったように記憶している。セリフの方はうろ覚えだが、君が僕の動作を真似たのは確かに記憶として残っている。君は門を閉める動作をして見せた。僕と逆の動き。
僕は再び両手で門が開く動作をして「何でしめるの?」とやると、君は「だめ」といって両手で閉める動作をする。そんなやり取りを3回ほどやりあった記憶がある。傍から見たら仲良くじゃれ合ってる様にしか見えない。楽しかった。このあたりの時期から笑い会える仲になれたと思う。
2年の時聞いた話だと思う、君は時々学校を休んで1人になれる場所で時間をつぶすという事を聞いた記憶がある。当時の僕は子供で、学校を病気でもないのに休んだり、遅く来たりするという行為がものすごく大人びて感じた。今にして思えば、もし当時から“彼ら”の攻撃を受けていたならその様な行動をとる訳も完全に理解できる。確かに1人になりたい訳だ、いやもともとそういう性格だったのかもしれない。どこと無く自分と似ていると感じたものだ。すると、あの神社での2人きりの時間はそうした1人だけの時間の延長線上だったのだろうか…。確かに君はそうした延長線上の行動を好む性格をしていた気がする。当時の僕には君はミステリアスな存在だった。いや、今もそうか…。
今も君の現状を推測する毎日です、何を考え、どう過ごしているか考えてしまいます。当時とたいして変わって無い。
2人であの永遠とも思える時間を過ごす以外で一番印象的な時とは、君が僕の無理強いしない態度を喜んでる様子が感じられたときだ。そういう時君は「フフフ…」と笑ってどうしてそうなのといった態度で話しかけてくる。こそばゆいようで歯がゆい様で、それでいて初めての感覚だった。僕の受け答えを見て君は更に上機嫌になり、次第にあの見たくてたまらない満面の笑みを見せるようになってゆく。それにあわせてこちらも笑い返す。2人して俯く。あんな体験他ではなかった。
なぜ無理強いせずそんなので満足できるのか君は知りたがった時、そんな理由言うまでも無いと思っていたが、一応答えた。
「相手が君だからだよ」と。
「私だからいいの?!」と、テンションの上がる君。学校では見せない笑顔。
「だって、君は僕の憧れの人で、すっと好きだったんだから…」まだ続くが書かない。要は憧れの子にここまで近づけただけでもうものすごく満足している事を伝えた。そして君はこう聞いた。
「いつからすきだったの?」
そしてずっと出会ってから好きだった事を告げる。君はまさに青天の霹靂といった顔でしばらく固まる。そして、なんとか僕のセリフを飲み込んで理解して、信じられないどうしようという顔でこう言ったと記憶している。
「夢がかなったね」
そしてあの満面の笑みを見せてくれた。言うまでもない、肯定するという事は君が僕の想いを受け入れてくれた事を意味する。今はこの言葉の重みがものすごくずっしりくるのだが、当時はまだわかってなかった。
僕はある日言った。例え僕が要求したとしてもそう簡単に答えてはだめだよと。君は複雑な顔をしたけど「うん」といってくれたし、その後その通りにしてくれた。僕が言ったからなのか、それとももともと君がそうしたかったのかは今は判らない、もし会う機会があったらぜひ確認したい。覚えてないかもしれないけど当時のこと。
どっちにせよそうして欲しかった、ちょっと男として残念な面もあったけど。個人としては言うと通りにしてくれてうれしかった、君を大事にしたかった。けど、何度かわがままも聞いてくれた。あれは、どうしてだろう、ますます好きになった。こんなに心が通じ合ってたのだから、強引に迫れば君は秘密を打ち明けただろう、けど、あまりの現実離れした事実。どう推測しても当時の僕は信じなかったはず、どうしたら当時僕が信じる事が出来ただろうとついつい考えてしまう…、この答え出せたら…。
巻き毛がかわいかった。前髪にウェーブがかかってるみたいで、束ねた後ろ髪も同じようにはねていてかわいかった。髪を触ったとき、整髪剤でかためていて、僕のためにやったと訊いてうれしかった。この世に自分のために何かしてくれる人がいるなんて信じられなかった。きれいな黒髪だった。君は知らないでしょう、僕が髪が好きという事を。
神社で君と2人で階段に座っている時、僕はよく君の肩に手を回した。すると束ねた後ろ髪が僕の腕に挟まれて頭が上手く動かせなくなる。だから君は途中でよく後ろ髪を直した。
途中から手で直さなくなったと記憶している、今思うと僕が手を回す瞬間髪の毛が挟まらないようにしていたんじゃないかと推察する。僕が手を回すタイミングを読んで髪をのけていたのだろうか?
1度だけ来た僕の部屋で帰るとき、髪型が乱れるのを気にしていたよね、女の子だなーやっぱり、となんだか、ほほえましく思ったけど。君の微妙な緊張感、覚えている。とてもおしゃれに気を使うときの感覚でなかった。なにかにおびえている感じだった。あの違和感の意味、今ならわかる。
「人に気づかれたら変だと思われるでしょ?」
確かにそう言ったのを覚えている。なのにぼくは、ほほえましく君をみていた。気がつかないぼくを君は攻めなかった。別れをおしむ僕と対照的に、君はまるでこれから一戦交える戦士のような緊張感を持っていた。僕が、
「途中まで送るよ」
と言っても断固固辞した。監視を振り切る決意でいたんだね。くやしい、一緒に戦えなかったことが。奇跡はもう起きないのだろうか。あの時までもどって自分のけつを叩いてやりたい。お前がしっかりしなくてどーすんだ!と鼓舞してやりたい。
黄色と白のボーダー柄の半そでシャツ制服の紺のスカート、格好まで覚えている。というかわかる。
神社で会っていた時は髪を直すのやってなかった気がする、という事はどこか駅のトイレとかで直していたのだろうか…。
彼女もピアノを弾く、僕が1オクターブ届かない話をすると、私は大丈夫という。どちらが手が大きいか比べるため手をかさね会わせた。僕と同じ大きさだったのが意外だった。技量の差なんだなと思った。彼女の手は若干ぼくより体温が低いらしく、ほのかにつめたく、でもあたたかく。ドキドキした。そういえば彼女のピアノ1度も聞いたこと無かった、せっかく音楽室にでかいグランドピアノがあるんだから1度くらい聞かせてもらえばいい思い出になったのにと思う。
彼女の手に初めて触れたのは、神社で会うようになった最初の日だ、最初神社ではなく、近くの造成地であった。忘れもしない、あの僕にとっての一世一代の大告白の日のことだ。はじめて本音をさらけ出した日だ。君は僕の思いに答えてくれた…
「前は草が背丈よりもあってまわりから見えなかったの」などと彼女は隠れられないのを残念がった。
おそらく他愛ないことを話したんだと思う、学校の事や部活の事、それからついさっきの告白についての事。たぶん2人して赤くなっていたんじゃないかと思う、そのうち小指が揺れあうのを感じた、正確には小指の付け根くらいのところ。空き地と道の境界上のブロックに腰掛け、両手は腰の横、2人同じポーズ。小指が触れ合う。向こうも気づいてるはずなのに何食わぬ顔。どうしようと思っていたところ軽い事件がおこる。
空き地にヘビが現れた、でっかいアオダイショウ。アオダオショウなんて小学生の時1度見たきりだった、彼女は初めて見たらしく立ち上がって驚く。
ヘビは去り、またもとのように2人すわる。
「もう居ない?」彼女は何度も後ろを振り向き確認した。
僕はヘビが去った辺りに小石を何度か投げてもう居ないことを説明した。
再び小指が触れ合う、ぎこちなくなんて事は無くごく自然にごく当然のように2人とも元に戻った。なんだかうれしかった。
このすぐ後、彼女は言った。
「この近くにもっといい場所があるの」
そして彼女はあの神社に僕を誘った。
神社の前に行った空き地、実はつい最近行ってみた。もうとっくに家でも建ってると思っていたけど、いまだに空き地のままだった、当時の様子を色濃く残していた、目頭が熱くなった。
現在の神社は整備されているが、当時のそこは本当に寂れていた。忘れ去られたような場所。彼女は満面の笑みで言った。
「ね、外から見えないでしょ?」
その言葉に促されて、僕は大胆な行動に出た。さっきまで小指が触れるだけでドキドキしていたのに、彼女の肩に手を回したのだ。肩に手をかけたまま2人で数歩歩き。社の階段に一緒に座った。
「こうしてみたかったんだ」と、僕は言った。
彼女は嫌がらなかった。季節は春だが、時刻は夕刻で、辺りは若干寒くなっていた。しばらくして彼女は言った。
「あったかい」
僕は何て言葉を返していいのかわからず、趣のない発言をした。
「体温男だからね、いつも体温高いんだよ」
バカまるだしのこの発言にも彼女は笑って微笑んだ。そして、しばらく間を置いて再び言った。
「あったかい…」
誰しも他人には語りたくない大切な思い出はある。この後、ぼくは今までで一番幸せな時間をすごす事になる。この世には真に心を開ける人が本当にいるんだと知ることになる。彼女の価値のほんの一部だけだけど知ることができた。なにかが引っかかっていた。無意識の僕が意識できない彼女の秘密を感じ取っていたけど、無意識ゆえ意識できない。彼女の本当の価値に気づくのに17年かかる事になる。重い、本当に重い現実。今君はどうしていますか?僕はやっと気づきました。この想い、伝えたいです。
僕はこの時から最後まで君の肩に手をかけるのが好きだった、君は違って手をつなぐのが好きだった。今思えば手をつないだ方がいい思い出が増えたようなきがする。君の方が正しかった。
その日初めてキスをした。
「キスしていい?」と訊いた時「ううん」と言った、何度訊いてもそう言った、なのにうれしそういつまでも俯いていた。気づかない僕に君は言った「キスしちゃダメ?って言って」と、そのとうり言ったら君は言った「ううん」。
だけど僕はためらった、勇気がないとかそういうのじゃない。このままキスしたら先生と同じじゃないか?そう思った。本当に彼女は望んでいるのだろうか?君の口を引き寄せ途中でやめる、そんな事を2~3回やった。実際どのくらい悩んだのか自分でもわからない、相当長い時間ためらった様に覚えている。永遠とも感じる長い長い時間、本当の所どのくらいの長さ僕がためらっていたのか分らない、実際何分だったのかそれを知っているのはこの世で君だけです。意を決して実行する。一生の思い出。終わると、君は僕をみつめて間髪いれず僕のほほにキスしてくれた。少し間をおいて僕もやり返した。それだけでもう大丈夫だった。受け入れられているという事が実感できた。
肩がこる、というのはよく聞くが足がこるというのはあまり聞かない。この日僕は猛烈な緊張のせいか両足がこった。ずっと長時間神社の社の階段にすわり続けていたせいだと思う、彼女も同じ時間座っていた。その話を後日彼女にすると、
「あたしもそう」と、言った。
なんだか似ていると思った。あの日あの時あの時間僕らはいろいろな意味でたくさん共有したんだと思う。その後も会うたびに同じようになったが、回を重ねる度に緊張は緩和して足がこるような事はなくなっていった。そして君の肩に置いた僕の手が震えることもなくなっていった。時間とともに君は心を開いていってくれた。だが毎日会うようになる前に1つ超えなきゃいけない壁があった。
神社での出来事があった後の事、「放課後会わない?」僕は言った。
あれは部活がもうすぐ終わる、終わるというのは引退して受験勉強に入るから無くなってしまう…、そんな時期の事。まず先に付き合わない?と訊いたと思う、聞いて当然と思った、君は困っていた。演奏練習の前、お互い演奏位置にある椅子に座りながら話した。僕の右に君、僕は顔だけ横に向けながら周囲に聞こえない声で話していた。
僕は首を傾げる動作をしながらお願いしていた。無意識にそんな動きをしていたんだけど、どうもその動きが面白かったらしく、君は僕の動きを真似しだした。2人して同じ動作をしあう。笑いながら断る君。
そこで1ランク要望を下げてみた。何より会えなくなるという事態を避けねばと思った。付き合うのではなく週に1回会う。君はOKしてくれた、うれしかった。それが週1回会う始まりだったと思う、君は言った。
「いいよ」
「本当に?」驚く僕、まさに天の岩戸から天照大神が出てきてくれた様な気持ち。
「この前行った神社で待ってて」君はかわいく言った。
僕はすぐに君の言葉を飲み込めなかった、信じられなかったからだ。少し間を置いて。
「わかった」
とか言った様に思う。そして練習が始まった。僕らは何食わぬ顔でいつもの通りに練習をした。その後もいつもの通りにして、練習が終わり別れ際軽く確認した。周囲には判らない感じで、君は答えた。間違いないと思った。この辺記憶があやふやで、複数の日の記憶が一緒になってしまっている。多分僕が先に神社に着いていて、後から君が来たように思う。本当に来てくれて夢のようだった。
覚えてるかな?ある日ぼくは2人きりでの別れ際ふざけておしばいをした、プレーボーイ気取りで君をくどいた。芝居がおわり、「これはおしばいだからできるんだよ、普段はこんな事言えない」とぼくは言った。すると君は意外にも下を向きものすごく赤くなる。そして「じゃ私もお芝居」とはしゃぎ、ものすごく、幸せなことをしてくれた。ものすごく予想外だった。当時はまさか自分が好かれてると思ってなくて、気まぐれにしたのか?いや、気まぐれでこんな事するか?とものすごく混乱した。うれしいのに、上手くそれを君に伝えられなかった。あの時間あの瞬間は2人だけのものだ。どんなにじゃまされようと消すことはできない。
君はあくまで付き合っている訳ではないと念を押した。神社で毎週会うようになってからもそううだった。そんな君がこんな事言ったのを覚えている。
「付き合ってる訳じゃないけど、嫉妬しちゃうのね…」
学園祭の時、他校に進学した中学時代の知り合いの女子が来ていて二言三言しゃべった。そいつとは最悪の仲だったので、別段ああ久しぶり来てるんだぐらいの会話で、無視するのもどうかと思いしゃべった程度の事なのだが、たまたまその現場を見ていたらしく、僕が見知らぬ他校の女の子としゃべっているという事に対して、君はこう言ったのだった。混乱した、君の気持ちがうれしかったけど筋が通ってない。今の僕はこう考える。君は僕が気づくのに賭けていた、今はその前段階だから。そういう事だったのだろうか…。ともかくこの時の僕は君の好意に素直に反応できなかった、残念に思う。僕に嫉妬?生まれて初めて言われた事だった。今思い返すとなんだかものすごくうれしい、当時この想い伝えたかった。
照れるとものすごい愛らしかった。ささいな事で君は照れた。初めてのデートで先に来ていた僕は券売機で電車の切符を2人分買っておいた、1枚渡すと、ものすごく照れて喜んだ。帰りの時は
「今度は私が2枚買うね」
と笑顔満面で言ってくれた。このちょっと前に、
「本当の私を知ったら嫌いになっちゃうよ」と言った。
後々になり、この時のことを回想し君は言った。
「ずっと話していてくれたでしょ、あんなのはじめて。普通沈黙の時間があるはずなのにまったく無かったもの」とうれしそうに僕にはなした。だから調子にのって、僕は最後までこのペースで話かけ続けた。
君から話しかけてくる時は、大概、僕が今までの人とどう違うのかということが主だった話題だった。ほかの男は君をすぐ女とみるらしい、そういうのはなんだか嫌だった。人は尊重されるべき個人であり、その人のもつパーソナリティーを阻害するのは失礼な事だと思った。これは、当時からそう思う。だから、彼女を女として見ると同時に個人としても尊重したかった。だって僕自身他人からそうしてほしいと思うからだ。彼女の個性はどこかなんだか、似ているとおもった。いとおしかった。
まれに違う話をしてもどこか言葉をにごす。
神社での会話の中、学校の授業でボランティアで小さな子の面倒をみたのが楽しかった、幼稚園でピアノひく仕事もいいなみたいな話を君がしていた記憶がある。あれは…今思うと学校の授業じゃないね。こんな感じでどこかごまかしながら話をしていることが多かった。けど、君のかわいさに見とれてきにもしなかった。
そして今現在、僕もごまかしながら話すようになってる。気づかれないギリギリのラインで話をして相手がどうリアクションするか見るように気づいたらなっていた。こんな感覚だったんだね当時。もし相手が悟ったら…どう自分が行動するだろうか?君はまさに今現在その立場にいるわけで…、たぶん相手が気づいてくれた時はものすごくうれしいにちがいなく。君が僕が気づいたと知ったときの行動…真実ならものすごくうれしいです。暗示からさめたのだろうか?確かめたい。ある人が僕が東京から去る最後の日に言った、「相手が17年もお前の事思ってるわけないだろ」と。
この人には僕が見張られてる話はしたし、小説の第1話も見てもらった。この現状を信じて欲しかったし味方になって欲しかった。けど、君が逃げた事やその他もろもろは話していない。この人は僕が知る限り、一番社会的ステータスが高く人脈も影響力もすごい、頼るべくして頼った人だ。けど、君が17年…という事は話してない。なのに知ってる。調べた結果知ったのだろう。盛んに僕に君を忘れろ、その手紙も捨てろと言う。確信した。本当に君は失踪して、17年も忘れずにいてくれたんだと。知るはずのない人が知っている事実が、図らずも事実の裏をとる形になった。
今の僕には言葉しか送れないけど、君の行動を支持します。なにがどうなろうと。いつか“君”などではなく、いつものように呼べる日がくればと願います。
覚えているだろうか?本来の約束では週に1回木曜日に会う約束だったけど、その日はそんな気分で終われなかった。特別な日だった、何もかも。
「明日も会わない?」
と僕はいつの間にか言っていた。このまま1週間も待つなんて何か変だとその時は思ったし、そう訊くのがごく当然だと思った。
「いいよ」
と君は言った、ごく当然といった感じで驚きもせずに。2人とも同じように物足りなさを感じていた。
家へ帰らなければいけないのだけれど、ここでかの気分を終了させるのは何か万物の法則に違反している様な気分なさせられていた。同じように物足りなさを感じていてくれる事に静かな感動を覚えた。笑顔の君がそこに居た。確か2日か3日連続して会って、ようやくじゃあ今度の木曜日にまた会おうという気分になれた、そう記憶している。最後の日君は私服だった記憶がある、白いブラウスかシャツにスカート姿だったと思う。だから、あれは休日の記憶だと思う。
原点回帰…
ものすごくかわいいのに写真写りがわるいのが残念だった。光の加減で、頬の部分が変にみえることがある。けど、光の加減がばっちりきまったときの写真はめちゃくちゃかわいかった。あのかわいさは、実際にあわないとなかなか感じられない種類のものなんだと思う。もらった写真よりも、吹奏楽部の演奏会パンフレットにのせたトロンボーンで写した写真のほうがかわいかった。
こうしてかわいいかわいい書くと彼女の実像を捻じ曲げてしまいそうだ。決して子供っぽいわけではなく、そうでない面も見せてくれた。そしてそれは僕にしかこの時期見せないようになっていた。
あれは、いつだか仮説ひな壇から落ちそうになって心配してくれた頃、あの前後の記憶だと思う。僕はひげをそらずに来てしまった。無精ひげで中学時代女子からひどい言われようをされた事があったので、まずいと思った。しかし君は意外な反応をしめす。好意的だった。印象的だった。
違う日やはり放課後の練習中に、
「楽器を吹くと鎖骨が出るの」
とかわいく言った。僕の反応をうかがう。たぶん他の男と違うリアクションをするぼくが面白かったんだとおもう。そんな事がたびたびあった。たまに僕が他の男とたいして違わないリアクションをした時の君の残念そうな顔を覚えている。当時はわからなかった、ごめん…。そんな時ですら、君は優しかった。
神社で2人きりの時、
「お化粧練習してるの」と言った。
化粧っけのない君が化粧を練習しているという話はドキドキした。ホントに化粧をろくにしてなくて素でかわいかったから、する必要ないのにと思った。君は同意しなかった。その言葉にドキドキした。そして、そんな話題は女子は知らないが男子には僕にしかしなかった。なんだか、2人だけの関係がうれしかった。
怒ってもかわいかった。1度目の破局のとき確か、
「写真返して!」って叫んだよね。
覚えてる、今思えばなんて残酷な仕打ちをしたんだと後悔しているけど、当時はまったくわかってなくて、本当にごめん正直に書くけど、気まぐれな人だと当時のんきな僕は本気で思っていた。そして、本気で怒った君もかわいいと本気で思っていたんだ。17年たってまさか間違いに気づくとはね。
たぶん同じ時期だと思う、怒った君は言った。
「あったかかったの!」
うれしくて、悲しい一言だった。あの時の事をそんなに大事に思っていてくれたのかという思いと、理由は分からないが失望させてしまった消失感でわからなくなってしまった。あの時は。
迷ったときの僕はいつも原点回帰で、当時もそうした。手紙を書き続けたのもそのせいだ。そして今もそうたいして違わない事をしている。
そういえば、これは怒りを君が爆発させるちょっと前、期待をこめて君は僕に言った。
「手紙、何度も読み返してるのよ」と。
うれしかった。僕ごときの手紙をそんな風に扱ってくれることがうれしかった。けどあれは、どうしてあんなことしたの?という君なりのアピールだったのかもしれない。今思い返すとなんとなく、そう思う。私はこんなに気にしてるんだからあなたも気にしてという事だったのかな?この解釈あってる?もし合ってるなら、今こそ僕は君に負債の全てを払わなければいけない。
君はあれほど怒ったときですら、敵意というものを出さなかった。自分でも気がつかないくらいやさしい心の持ち主なんだと思う。そんな君があれは何時だったか、先生に怒って物をいくつも投げつけてケンカした話をした。いつか僕も同じ目にあうのだろうと覚悟したが、ついぞそんな事はなかった。物理的に何か投げつけられるという事はなかった。僕はまだ、君の本当の怒りというのを見ていないのだろう。知らない、君の顔、見てみたかった。
まだ電車すきですか?とても意外だった。電車マニアというわけではなく、ただ単にあのでっかい箱が動くのを見るのが楽しいといった感じだったと思う。君らしいと思う。感覚派だもの。
「先生の家へ行くとき電車のるの」
その過程で電車がすきになったと君は言った。とても、とても複雑な気持ちになった。
後々気づく事のでかさに比べればささいな事なんだけど…。
つい最近、滅多に乗らない御殿場線に乗った、途中夏祭りの日、2人で降りた駅を通りかかる。滅多に電車に乗らないので実に17年ぶりに来た。降りはせず、車窓から外をみた。当時は夜だったから気がつかなかったけど、本当に駅とは呼べないレベル、停留所、と呼ぶにふさわしい。
「あのロータリー…」思わずつぶやいた。
車窓から記憶に合致するロータリーが見えた。当時2人で暗がりの中歩いたあのロータリー、周囲に街灯はなく、君は尾行者がいないことに安心して一気に機嫌をとりもどした。
すると、あの道の先にコンビニがあり、2人でキスした場所があり、あの長い階段のある神社があるわけか…と思った。そして、いつか2人でもう一度そこに立ち寄る想像をした。
がんばれば、あきらめなければ、もう一度あの場所に2人でたてるだろうか?
少し思い出した…
あの日、あのあと駅の北口まであるいて自転車をとりに行ったきがする。そこで分かれたんだっけ?あの日の人生最大の過ちは記憶まで混乱させてる。あんなにすごい記憶なのに、どうやって帰ったか思い出せない。君は浴衣姿で尾行の車を気にしながら一人で帰ったはず。17年たって心配するのもどうかと思うけど、バカな話だけど、「大丈夫だった?」と声をかけたくなります。
そういえば思い出した、後日部活の練習で再会した時、君はあの後またあの車が来ないか不安だった、来なかったからよかったと言った気がする。そしてそれに対し僕はそんな事ある訳ないでしょと、そして仮に同じ車だとして何の不都合があるの?と言った気がする。2人して楽器を持ちながらこんな話をした。
まだあった、当時から持ってるもの、あのアロハシャツ。夏祭りの日、浴衣の君と一緒に歩いた時の服。色はあせたけどまだ持ってます。同じ日、映画に行ったとき、来てくれるか自信がなかったので前売り券は1枚しか用意しなかった、だから事前に君に渡した前売り券とは別に劇場で当日券を買い足した。入場後「あなたが持ってて」と前売り券の半券をくれた。あれまだ持ってます。
部活中君は突然僕の星座が何か訊いた。夏にある誕生日前の出来事だと記憶している。珍しく女の子同士で何か話している君の姿を見た。僕はいつもだったらこの時間練習に備えて楽器を準備していて、そんな事してないのにと思った。そして1人僕の前にツカツカとやって来て笑顔で訊く
「星座は何型?」と。
「かに座だよ」という。
笑顔だけで僕の返答に答えてそそくさとまた先ほど話していた女子達の所へ戻る君、あれは何だったのかと少し経ってから訊くと。
「ううん、何でもないの」と控えめな笑顔で誤魔化す。
それは僕が知る必要の無い事なのかなと思いそれ以上訊かなかった、こういう時いくら訊いても君は答えない。そうした頑固さも魅力の1つだった。
最近、当時君が住んでいた団地をやっと知った、廃墟だった…手紙の住所をたどった結果だった。ショックだった。1日後、近くの曲がり角をまがると現在の住所であると知った。
最初古い住所を尋ねた時の道行く“彼ら”の緊張感がドンドン高くなってゆくのを感じた。確信した、居ると。道行く子供が友達との会話の中で甲高く叫ぶ。
「やめようよ!やめようよ!」と、偶然だろうか?偶然と思ったほうがいいのだろう…
まさにその子がいる次の角を曲がると正しい住所だったのだが、それを知らないぼくは曲がらず直進して通りすぎた。
翌日ようやく正しい住所がわかり、行ってみると前日あった緊張感も昨日やめようよと叫んだ子供もいなかった。苦労してたどり着いたけど、人気がなかった。近所の人に伝言を頼んだ、その人の動揺している様子が印象的だった。すれ違ったのだろうか?最初から居なかったのか?君は答えを知っているわけで、なんて思っているのか念じてください。受け取れるかも(←ギャグです、もちろん)。
当時の君の家がハッキリした事で当時2人で歩きながら話したコースが君の帰宅路そのものだと気がついた。当時歩いた道、2人で自転車を牽きながら。君は歩きながら話すのがすきだった。きっと本来は2人でいろんなとこ歩きたかったんじゃないだろうか?
あの時、君と一緒に牽いた自転車、実はまだ乗ってます。相当ボロボロだけど捨てられない、ブリジストンのロードマンロードスター・当時は珍しいフルカーボンボディー、まだ乗ってます。
自転車で思い出した、あれは4月頃、まだ神社で会い始めた頃の事。
神社で自転車を止める場所を2人で探している時、周囲は真っ暗で、ようやく止める場所をみつけると、僕らは自動車のヘッドライトに照らされた。
白い小型車に乗ったおばさんがこっちを見て照れていた。僕らがいて通れないらしく2人で自転車を牽いて移動した。かわいい彼女をつれてそんな風に見られるのは悪いきがしない、僕がほのぼのとした気分になった。君はどうだろう?見ると怪訝な顔をしていた。そして、2度とその場所に自転車を止めないように言った。僕は交通の邪魔だからそうだよなと思った。あの出来事があった後も特に何事もなかった。あれは君の稀有であり、思い過ごしだったのかもしれない。
まだ使っている物繋がりで腕時計がある。アルバ二十面相、あれもまだつけてます。1度君に珍しい機能が付いてると腕時計を見せたことがある、覚えてる?アナログ時計のガラスにデジタル表示が浮かび上がって、200年分のカレンダーやストップウォッチやら付いてると説明した。春ぐらいの事だと思う。音楽室とは別に吹奏楽部がいつも使ってい教室、あそこでパートで練習していた時、合い間にした雑談の中でしゃべったと記憶している。君は上機嫌だった、君は笑顔で聞いていてくれた、この時に限らずあまり興味のない話でも「ウンウン」って聞いてくれたね。
「あげようか」とアホな冗談を言った。
「いらない」君は笑顔で返した。
僕に合わせてくれるなんて、僕は当時その幸せの価値がわかってなかった。僕も、もっと君の話をちゃんと聴いていれば、ホント、そうしていれば。いや、今ならきっとちゃんと聞く。君の声を聞くことが今は目標です。
原点回帰、細かくまだまだあります…
TVはあまり見ないと言っていた。
あれはもし大学に受かったら1人暮らしになるけどそのときはビデオとTVはちゃんっとしたのがいいのか、テレビデオでいいのか迷っていると話した時のことだ、多分神社ではなく、歩きながら、2人で自転車を牽きながらしゃべっていた時だと思う。君はTVなんて無くてもかまわない、特に見ないといった。
僕と逆だなと思った。1人でいる時僕は本を読んだり映画やTVをよく見る。君はもし当時と同じ行動を好むならやはり自分だけの場所を捜し歩いて時間をつぶすのだろうか?最近自転車であちこち移動するのですが、この会話をした道を発見した。思わず「そうそうここだ!」と呟いてしまった。
メトロノームを眺めているのが好きと言っていたよね。他の女の子に眺めている所見られて変に思われてしまったなんて照れながら僕に話した、ちょっとした自虐ネタなんだけど僕もそういう話時々するから、なんだか安心した。1人座って窓の外を見ている君の姿を思い出します。
いつも横顔を見ながら演奏できて幸せだった。君はいつも余裕たっぷりに演奏した、僕はいつも能力限界な感じだった。楽譜初見では僕はまったく演奏できない、大きなハンデだった。普通は出来るみたいだけど。楽譜にトロンボーンのスライドポジションを一音一音書き込んで音を覚えてなんとか演奏できた。いつも楽譜を間近において凝視しないと演奏できない。放課後、2人きりで練習そっちのけで話ができてうれしかった。話す時間を確保するため必死に練習した。あれは何時だったか、周囲はもう真っ暗だった。2階か3階の教室でトロンボーンのスライド用の水スプレーをふざけて僕にかけたね、あの時無愛想にしたけど。ホントはうれしかった。けど、周りに人が何人かいて、いつもみたいにじゃれる事ができなかった。普段と逆の構図、時々君は人目も気にせず急接近する。特に理由があったのかなかったのか…、でも、あのなんとも言えない感覚は楽しいとかいうのを通りこした感覚だった。あの見たくて見たくてたまらない満面の笑みを予想外の所で見れたのだ。なんとも形容しがたい感覚で、電気がはしった。
放課後、それ以外にも2人きりでよく話した。人目もあるから、神社の時と違いちょっと距離を置く。ちょうど机1つ分くらい距離をおいて話をしていた。どーでもいい事を話したんだと思う、話した内容を思い出せない。けど楽しかったのを覚えている。君は椅子にちょこんと座り片手にトロンボーンを縦に立てて持ちながら、こっちを見つめていてくれた。僕は時には座り時には立ちながらいろいろな話をしたんだと思う。おそらく、現在の僕と同じように雑学や時事ネタなどが話題の中心だったのではないかと推察する。次の話題なんかもそんな時に君に話したような気がする…。
「ちびまる子ちゃん」のまる子の声をやってる人が、「ナウシカ」と「ラピュタ」にも出ている。エンドクレジットで目立つから気づいた人も多いと思う。ちょっと調べれば今なら分かるが、ネットのない当時は難しかった、だからどこに出演してるかというマメ知識はけっこう使えた。けど、アニメに興味のない人にやるとうけるどころか逆効果。君は興味を持ってくれていた、ちょっと嬉しかった。楽しかった。
和音について話す君を尊敬した。うら覚えでごめんアルペジオでいいんだっけ?ピアノが正確なアルペジオをできないと初めてきいた。僕は親戚がいらないからとくれた機械を部室にもちこんだ。習字セットくらいの大きさで、鍵盤とメトロノームの他、使い方のわからないボタンやスライドさせるつまみが沢山ついていた。メトロノームに使えると思い持ち込んだ訳だがなんときみはこの機械の正体を理解し、なぞのスイッチを操作し楽しみだした。
「きれいな和音が作れるの」とか言った様に記憶している。
音はそれぞれ固有の振動数があって3音同時にだす和音はどうしても音の周波数が干渉してきれいな音にならない。3音をそれぞれ簿妙に調節して干渉しない和音を作り出す。それはそんな機能をもった機械だった。と、記憶してるけどこれであってるかいまいち自信がない。君は喜んでよく操作していた。尊敬した。あの機械確か君に最終的にはあげたような気がする、あれはたぶんいろいろその後も役に立ったんじゃないだろうか?
ある課題曲の一部分、トランペット1st、2nd+トロンボーン1st、2ndの4人で音をあわせる部分があった。4人中僕だけができなかった。昼休み猛特訓をしてできるようになったら、君はほめてくれた。うれしかった。あのパート今でも吹けます。
「唇が厚くなっちゃう」
トロンボーンはマウスピースで演奏する、君は気にしていた。僕は何て言ったらわからず。
「そう?」
としか言えなかった。
君は恥ずかしそうに、探るような目で僕を見た。あいかわらずかわいかった。
マウスピース…5千円近くする代物でと当時の僕の感覚ではそんな高価な物の交換という概念が思いつかなかったけど、あれ、最後にお互い交換してればいい記念になったと思う。たぶん当時の僕が当時の君にその話をしたら君は応じてくれたような気がする。楽器がなければ使い道のない物なんだし、何で思いつかなかったんだろう。
そして、今考えると不思議だ、なぜ君はもっと上級者風を吹かさなかったのだろう、楽器は君の方がうまいのに、普通上級者は下級者にアドバイスをしたがるものだ。ぼくならそうする、君はしなかった。いつも控えめで、遠慮がちで、謙虚だった。だから、パートで練習してもその練習が上手くいったのかどうか僕の実力ではよくわからなかった。君がなにも言わないから、まあ大丈夫なんだろうと思っていた。そんな控えめな性格がかわいかった。練習中の印象的な記憶は、あのチューナーを渡すときだ。
楽器はあたたまると微妙に音がズレる。時々チュ-ニングしないと。先輩が居なくなった段階で、チューナーは僕が持っていた。時々君にわたす。ドキドキした。
時には僕がチュ-ナーわかざして君が音を合わせるなんて光景もあった。
「持ってて」
と君が言った。かわいかった。チューナーを君にかざす僕、僕の持つチューナーに楽器をかざして音を合わせる君、ささやかな共同作業。写真にしたら絵になる光景だと思う。当時は今ほどカメラが日常のアイテムになってなかったから、君との思い出をカメラに残そうとか思わなかった。けど、記憶の中にある心に残った光景は、まだまだ消えません。
はじめてもらった手紙、ワイシャツの形に織ってあってびっくりした。返事を渡すとき、僕は君の手紙の織り方を分析してそっくり同じに織った。軽く引いてた君を覚えてる、こりゃまずいと思い、次の手紙はちゃんとしたレターセットを使った。好みに合ったらしくびっくりしてたけど喜んでくれた、少なくとも前回のよりは。君は飾り気がないようで実は細かいところにセンスを発揮していた。手紙はシャープペン書きなのに、署名はかわいくローマ字で変則デザイン字体にしていた。ちぐはぐな丁寧さがなんだか愛らしく感じた。最初僕は彼女の家へ手紙を出すとき、当然ながら差出人として自分の名前と住所を書いた。君は後日、意外な反応をした。書いてほしくなかったというのだ。普通は書いてない方が不信がられて嫌がられると思っていたけど女の子に手紙を出す時はそんなもんなのか?と思った。大学時代におかしいと指摘されるまで長年の間ずっとそう思っていた。こんな事書いているとこんな想像をする。ある日現在の君から手紙が来たとしても、きっと便箋こそかわいいものの差出人欄は未記名の便箋で来るに違いない…、なんて事勝手に思ってます。
雑学を話すなかで、中指をたてるしぐさの本来の言われを説明したとき「そのしぐさ1度あたしにやったでしょ」と赤くなった、それを見てこっちが恥ずかしくなった。当時ぼくはそのしぐさを本来の意味とは違いもっと砕けた日常表現“怒るよ”ぐらいの感覚で使っていた。でも異性に使うと仲が良くとも意味合いが変わってくる事に気づかなかった、子供ならではの勘違い。今思うと、ものすごいことしたなと思う。
本来の意味を知った君はそういう意味で私につかったの?と僕にいった、いや違うよと否定する僕、いや、むしろ否定しなかった方が面白かったかもしれない。あの時の君のドギマギしたリアクションはずっと見ていたい種類のものだった。そうだよと言っていればもっとずっと長い時間かわいい君を見る事ができたはずだ。
僕は足の裏が弱点だ、くすぐられると呼吸が出来なくなるほど笑い続ける。君も同じかなと思いやった事がある、なのに君は大丈夫だった。いくらくすぐってもなんともない、信じられなかった。
「なんともないの?くすぐったくない?」
と訊くと。なんでそんな事驚いてるのという不思議そうな顔をされた。
ある日言った。
「暗がりが好きなわけじゃないよ、夜光虫じゃないんだし」
膝枕、1度だけした事がある。覚えてるかな…、君が夏服を着ていた時。普通とは逆に僕が君の頭を膝に乗せた。逆もすればよかったと後悔してる。夏服もかわいかった。白いリボンのないセーラー服。
普段君は必要以上に自分の感情を制御していた。もともとそういう性格で無理をしていた訳でなく、そうするのが普通という感覚だってと思う。僕も似たところがあるから共感した。君も僕に同じ事を感じたんじゃないだろうか?そう思う出来事がいくつかあった。
「夢がかなったね」
といわれた日、ぼくはあえて自分を抑制した。
「僕には他にも夢がある、漫画家になることだ完全にかなったわけじゃない」
いまいちうまく伝わらなかったみたいで、君は不満顔になった。
「君も大切だけど、それとは別の所にもう一つ夢があるんだ」
素直に喜べばいいものをあえてもう一つハードルの高い障害を持ち出す事で嬉しい気持ちを抑圧しようとする僕。そんな僕の感情の抑制に気づいたのか気がつかないのか君は笑った。自分が僕の憧れの対象に違いなく、夢がかなった事実を素直に飲み込めない僕を判ってくれたのだろうか?
僕は必要以上に自分の感情を制御していた。
別の日、密会の後などでよく聞かされた
「あの時実は…」と君は言い、嬉しかったけど本当はこうして欲しかったと笑う。だったらその時言えばいいのに言わない性格だった。
君も同じように必要以上に自分の感情を制御していた。似ていたと思う、そこが心地よかった。
一時期ホントに偶然登校時間一緒になった、君は嫌がった。今は理由がよくわかる。学校までの坂道、一緒に登っていると、
「先に行って」
と、懇願した。僕はムッとした、そんなに一緒にいると子見られたくないのかと思った。なのに放課後はうって変わって一緒にいてくれた。混乱した。今はわかる、ごめんにぶくて。
一緒に坂を何度か上った、見た来ないこわもての男が君に挨拶する。知り合い?と訊くと君は気まずそうにそうだと答えた。そのうち君は時間をずらすようになる。そして僕は、君を待ち伏せする男だという噂がたてられた…。知らない事とはいえ迷惑かけてごめん、でも朝一緒に登校できて嬉しかった。
神社で2人座っているとき、何気なく僕は君の耳の裏辺りに息を吹きかけた。君は耳の裏が弱点だった、というか普通みなそうらしいけど。君は怒って僕にやり返した。けどいくら僕の耳に息を吹きかけても僕はなんとも無かった。
「なんともないの?」と驚いていた。
そう、じつはなんともないのだ。昔からそうだった。
「もうやらないでよ」と君は言った。
面白かったから、あと1回だけやって、その後はもう2度とやらなかった。困った顔を見たかったのだ。いつも振り回されてると本気で思っていたから…
時々極稀に僕は君を名前の1字+「ちゃん」で呼んだ。覚えてないかも…。普段は恥ずかしくて絶対そんな呼び方はできない。
君は時々僕の反応をうかがっていた、気にされてるようて照れたしうれしかった。
詳しくはかかないが、ある日の放課後、前日の件で
「誰かに見られたらどうしようと思ったのよ」と君は言った。
「いるわけないじゃん、誰がいるっていうのさ」と僕はいった。
当時のぼくは誰かに見張られてるなんて思いもしなかった。
ウエハースをくれた事があった。神社で待たせてしまったからと。集会所から持ってきたのかな、と今は思う。普通に胸ポケットに入れて持ってきたよね、まるでその辺にあるテーブルの上にあったお菓子をちょっとくすねてきましたみたいな感じだった。当時の僕ですら不自然に思った。ごめんもしかしたらあれも君なりのヒントだったのかな…ウエハースを食べる僕を君は見つめていた。じっとこちらを見ている、なんだか嬉しいんだか恥ずかしいんだか味わった事ない感情に襲われたけど、決して悪い気分じゃなかった。
「いじわる」と時々君は言った、口癖だった。いわれるとなんだかもうどうにでもされてもかまわない気分になった。感情の均衡が崩れた瞬間、君は言う。そういえば同じ均衡が崩れた時こんな風にも言った。
「私としては…が恥ずかしかったの」
いつまでも気がつかない僕に君は言う、僕はそんな君を愛でる。そんな日々が続いたと思う。
ある日部活中に何かの理由で指を切った。困っていたら君はバンソーコーをくれた。女の子らしいやつ、付けていると皆こっちを見る。なんだかうれしかった。
パーカッションの楽器で筒状の木で出来た楽器、名前は忘れた。ちくわのような形状で両端に穴があり中でつながってる、大きさは150円で売ってるペットボトルくらい。穴の一方をハンマーで叩きなかの空気を急速に圧縮させ「カン!」というでかい音をたてる。ある日後輩の一人が僕に向けてこれを使った。偶然なのか意図的なのか、ともかく筒から発射された圧縮された空気は僕の耳の穴を直撃、幸い鼓膜は無事だったけど立っていられないほどの衝撃でしばらく座り込む。ちょうど君とあと一人と3人で音楽室を出ようとしていた所だった。君は気がつくと駆け寄ってくれていた。耳は痛かったけど君が駆け寄ってくれた事は今でも覚えているし嬉しかったけど、それどころじゃなくて、君に駆け寄ってくれてありがとうと伝えられてなかった事がくやしいです。
君は緑色のママチャリに乗っていた。当時、ついつい君の姿を探してこの緑のママチャリをよく探した。似た自転車ばかりだけど君は小柄だからいればすぐわかった。
3年の時、教室に呼びに来てくれたことがあった。吹奏楽部員が集まるから来るようにと、君は大胆にも他クラスの教室にツカツカと入ってきて僕に話しかけた。クラス中の注目を浴びる、僕ら2人だけがそ知らぬ顔でポーカーフェイス。
「わかった、じゃあ行くよ」と答え、少し遅れて君の後を追う。クラスの男子が僕に訊く。
「あれ誰?」
彼らも“彼ら”だったのだろうか?だとしたら君は相当勇気を持って教室に入ってきた事になる、カッコイイと今の僕は思う。そんな事もあった。
高校の文集、なくしてしまったけど印象的な記憶が残っている。2年の時同じクラスで3年への進級を控えて文集をクラス単位で作った。ページを捲ると1人1文載せるページ、不自然に僕と君の名前が並んでた。ちょっとうれしかった。2年の時は同じクラスメートだった。神社での密会は3年になってからだけど、同じ部活の仲間として仲良くしている様子は周囲から特異に見えたのかもしれない。誰か意図的にそうしたのは明白で、君は怪訝そうにした。今の僕はこう思う。あれはプレッシャーを与えたくてやったんで無く、好意的にだれかやったんだと思う。東京で体験がそう僕に思わせる。小説の第1話を載せた後に起こった猛攻撃の中、次第に空気が軽くなるのを感じた。敵意むき出しなのは年配者ばかりで、それ以外はそうでもない。浴衣をきた女の子2人組みがはしゃぎながら目の前を通り過ぎる。祭りもないのに。1度や2度ではない。偶然かもしれないけど。上の人にはプレッシャーを与えるつもりと説明しといてその実そうでもないつもりで行動していたのかもしれない。というか、そう感じた。あの文集で2人並んで載ってたのも、必ずしも悪意でないと思う。皆、出来る範囲で、精一杯の親切心を出しているんだと僕は思う。悪の組織なんてこの世に無いんです。ちょっとバランスが崩れているだけで。僕はそう思う。最近ゾウが人を襲うそうです、なんでも密猟者に目の前で親を殺された子ゾウが70年代たくさんいて、その時の記憶から人間を憎んでいるそうです。ゾウは記憶力が特徴の動物で何世代も記憶を受け継いでいく動物なんだそうです。けど、本来は温和な性格で、人間にもいい人がいる事を学ぶと襲わなくなるそうです。何が言いたいかというと、最初から敵意だけ持っているとなんでも脅威に見えるんじゃないかと、そう言いたかったんです。きっと中にはいい人もいる、悪の組織なんてないんです。
文集の件で思い出した記憶がある。文集が配られた時、前の授業がおそらく体育で男女別々だった。男子だけ先に教室にいてその時点で文集が配られたと記憶している。僕が2人の名前が並んでいるのを見てほのぼのしていると男子が一人ぼくの前にものすごい形相でやってきて睨み付けて来た。尋常でない顔をしているがすぐにピンときた。彼が君の事すきな事を薄々僕は知っていた、手を出すなとでも言いたかったに違いない。そして彼とは小学校時代からの因縁もあった。すっといじめられていた、そんな相手だけどひるまなかった。不思議とそれは無理なくひるまなかった。相手は言葉を失い何も言えずに立ち去った。勝ったとか負けたとかではない、君の事彼よりも僕の方が何十倍も知ってるわけで、理解している自信があった。ひるむ理由がなかった。
神社で暗がりの中、ゆっくり近づいてきて開口一番「いないかと思った」と君は言った。「いない訳ないでしょ」と僕は言った。近づいてくる君、徐々に表情が読み取れるようになる。いつものあの笑顔だった。控えめで、はにかんでいて。それを確認してほっとした、いつまたもう会うのやめようと言われるのかとヒヤヒヤしていたからだ。
いつものように来て、君は僕の隣に座る。変な空気になるなんて事は1度もなかった。ごく自然にごく当選に打ち解けあった。以前と違い、キスしていい?と訊くと君はうんと答えてくれるようになっていた。鼻と鼻がくっつくほど顔を近づける、君ははずかしいと言った。口癖だった。ものすごくかわいかった。あの笑顔はよそでは見せない当時僕だけのものだった。
今思うと待つあいだ僕は一人暗がりで神社の階段にすわりどう時間をつぶしていたのか思いだせない。思い出せないということは、たぶん辛くなかったし、ワクワクしていたからだろう。2人だけの秘密を共有できる楽しみなんて今思い返しても身震いするほど楽しくなる。君は1度もすっぽかした事はなかった。
あの無限とも思える時間のなか、ほんの10分か20分のつもりが1時間経っていたなんて事もあった。ものすごい集中力というか、共感していたんだなと思う。ただ寄り添って座っているだけでも楽しかった。あの時のあの笑顔は本当に特別な笑顔だった。誰にも渡したくなかった。
「ありがとう」といわれると幸せだった。ある日君は制服の上に青いパーカーを羽織っていた、君が校舎1階の廊下、僕はそのすぐ外、窓越しに会って話した時ぼくは「似合ってるね、かわいい」と言った、そして君は暗がりで照れながらそう言った。夕刻で暗かったから顔が赤かったかまではわからなかった。
あれは、部活の練習が遅くなり校舎の施錠を部員皆でやっていたときの事じゃないだろうか、人気がなく真っ暗なとこで偶然あったからなんだかうれしかった。
2年の時、後輩に女子2人が入ってきた。1人が自分と同じ名前という事で君は動揺していた。理屈にあわない不合理なことを皆で一斉にぶつけるのが彼らの技術の真骨頂だ、君は不安がった、自分と同じ名前で漢字まで同じ後輩に。この2人はすぐ辞めてしまい、不安は消え、僕らは2人の時間を取り戻せた。そういえばこの2人、不自然な退部理由を挙げていた、よそで音楽を続けると。取り繕った話に見えるけど気にしない事にしよう。
3年の時、部活を引退した後の事、後輩の男子が自分が使っていた楽器を使っていることに君は動揺した。あいつも“彼ら”だったのだろうか?
手描きのクリスマスカードを送った事がある、サンタとトナカイを描いたと思う。たしか手渡しで渡したはず。渡した瞬間、神社でクリスマスカードっていうのもマズイかなと変な懸念をしたのを覚えている。君は宝物を貰う様に受け取ってくれた。僕としてはたいして材料費がかかった訳でもないし、描こうと思えば1時間で描ける絵だから、そんなに恭しくされるとこっちが恐縮するなと思った。君が夏にくれた写真の入った額の方が遥かに高額なプレゼントだったからだ。金がない分気持ちを込めるしかなかった。そんなに喜んでくれるとは思わなかった。
クリスマスを祝った事がないって言ってたよね、信じられなかった。
あのキーホルダーまだ持ってるのかな?ほしいといってくれた時うれしかった。「宇宙家族カールビンソン」の名物キャラクターのキーホルダーで金色で結構でかいし、目立つ。デザインが気に入って買ったけど使い道がないなと思っていたとき思いついた。自分の使ってる楽器ケースにつければ判別に役立つと。君はそれを見て「私それ知ってる、かわいい」などと言ったような記憶がある。こんな漫画の存在を君が知ってるなんて意外だった。今でももってるのかな?そうであったら感涙する。キーホルダーで思い出した。あの名物キャラクターは目に特徴があったの覚えてる?学園祭の時の事、僕らは吹奏楽部に一員としてステージに上がっていた。演奏中演出として上から紙吹雪や風船が降っていくる。僕は前日風船を準備するときちょっとしたいたずら書きをしておいた。縦に丸い風船にあの特徴的な目を書くとキーホルダーのキャラクターそっくりになる。白い風船を選んで描いた、より似せるために。
当日この風船は偶然にも君のところに降って来た。おそらく上で降らしている後輩が僕めがけてやったつもりが隣の君の所に行ってしまったんだろう、君はそれを拾ってこう言う。
「見てこれ」と。
「それ僕が描いたんだよ」と僕。
君はすこし驚いてそれから
「もらっていい?」と訊いた。
もともと僕の物でないし、使い終わったら用の無い風船。
「いいんじゃない」といった。
君は恭しくその風船を手に取りみつめた。そんなものどこがいいんだと思ったけど、一方でそんなものでも喜ぶ君がものすごく愛らしかった。けど残念なことに風船は割れてしまった。
おそらく油性インクで目を描いたから表面のゴムが溶けて弱くなっていたんだと思う。ステージ上で割れてしまい、君はもちろんまわりもびっくりした。また描こうかとか言った気がする、君はいいと断った気がする。
僕が持っていたトロンボーン教本もほしいって言ってもっていったんだっけ?あのいたずら書きしてあるやつ。なんであんな物欲しがるのか不思議だった。楽器の腕前は明らかに君の方が上だからだ。今更教本なんてと思った。今思うと、最後の思い出の品を集めていたのだろうか?君は事あるだびにこれが最期、これが最期と繰り返していた。自分の運命を知っていたんだろうか。
君は時々押し黙った、いまは僕が押し黙っている。家族にも全てを説明できない。こんな気持ちだったんだね。
あれは、初めてのデートの後、君が僕を受け入れてくれる前の出来事、手紙や電話で必死にアピールしていた時期の事。ぼくは夕刻君の家へ電話した、今考えるとよく出来たもんだと思う。付き合ってるわけでもないのに…、けど君は毎回ちゃんと出てくれた。印象的な記憶は、ある日電話するとやはり、ちゃんと出てくれた。夕食の後片付けを手伝って洗い物をしていたと言った、食器洗剤が手の残ったまま受話器をもってると照れながらうれしそうにした君がかわいかった。僕はタイミングの悪い時かけたと思い、
「あ、じゃあ悪いから切るよ」と言った。すると君は
「ううん、いいの」と言った。
電話の向こうでいつものはにかんだ笑顔をしているのが分かる声だった。
時はすぎ神社で会うようになったときにも、電話で覚えている事がある。あの時は君からかけてきてくれた。社で別れて自宅についてすぐ君から電話がきたのがうれしかった。あれは季節が夏になろうとしているあたりの出来事だったと思う。当時はケータイが普及してなかったけど、幸い家の固定電話には子機がついていた、当時電話機を新しくしたばかりだったからだ。だから、自分のへやで周りを気にすることなく電話にでれた。「君のことかんがえてた」と言ったら「私も」と言ってくれたときは感動した。その日は社で特別親密にした日だった。途中で君はポケベルに呼び出されて行ってしまった、だから悲しかったけど一気に幸せな気持ちになれた。
「■■くん」と言われるのが幸せだった。
さらに付け加えると「■■くんのいじわる」と言われると幸せを通り越して言い表せない感覚におちいる。気づいてないでしょ?意外な事できみはこの言葉を言う、まるで不意に宝箱を見つけたような気分になる。けど何回もやると間違いなく本気で怒るからせいぜいあと1回くらいにしとこうなんて思った。
体力測定で僕より背筋力があるのに驚いた。僕が軽くひいていたのを見て困っていたね。かわいかった。
学校でやった長距走、男子10キロ女子5キロだったと思う。何日も前から体育の授業を使って本番前の練習をした。君は本番当日はなにか理由をつけて走らなかったと記憶している。でも練習には参加していた。練習中、1人歩いている君をみつけて挨拶した。君は困っていた、公の場であまりそうしてほしくなさそうだった。その日だったか、後で会いさっき声をかけた件について君から話題をふった。うれしかったけど困ったと言った態度だったのを覚えている。てっきりあんな事やめてと言われると思っていたからよく覚えている。
いつだったか、部活で窓を乗り越えなきゃいけない事があった。そうしないと教室に戻れない。4人で2階の窓の外にある70センチくらいある縁にたって音を合わせる練習をした時だ。1人戻り、2人目が君だった、詳しく書かない。覚えてるかな?あの時ぼくはドキドキした。そしてその時の事を2人で話した時2人して真っ赤になった。
これは今の僕が今の君に言う事なんだけど、連絡ください、というのは君には難しいのかもしれない。なら何ランクか下げて、僕の事を想って下さいと書くのはダメだろうか?もし、まだ僕が東京に残っていたならいろいろ方法もあっただろうけど…。君が沈黙するのはなにか難しい理由があるんでしょうね、心の整理の問題なのか、それ意外の…、それでも、想ってくださいっているのは、いいよね?
君はよく着替えた。私服を持ち歩いていて、なぜ着替えるのかいつも不思議だった。あれは尾行対策だったのだろうか…、
私服、今思うと結構普通というか、派手でないというか、地味とまでは行かないまでも、普通だった。けどもともとがかわいいから妙に似合っていた。部屋着でも通用する服でも着る人が違うと違うもんだなと今の僕は回想する。当時の僕はといえばただ圧倒されていた。小学校の時女子がよくやっていた服を着たまま着替えるやつを君はやっていた。そんなに離れてない距離で、信用されてると感じた。制服のスカートに上だけ私服の時もあれば、今はなんていうのか知らないけど当時はキュロットスカートと呼んだ、あのスカートっぽいズボン、あれを好んで穿いてた。
こんな事書いていたらまた思い出した。神社でだったか、君はぼくの反応を伺うようにして話した。
「夜、外を歩いていたら車に乗った人に声かけられたのよ」
と。ナンパされたとは言わないがそんなニュアンスを匂わす。そして続けてこう言う。
「その時Tシャツに短パンですごい格好してたの」
と、なぜそんな格好で外に出ていたのかも聞いたはずだ、僕に関わる事だったと記憶している。電話をするため公衆電話をかけに外にでたと言った気がする。なぜなら、何で家でかけなかったの?と訊いて、家族に聞かれたくなかったと答えられたのを覚えているからだ。そして、笑顔で僕を見る君。
「大丈夫だった?」僕はきいた。
「大丈夫」と君は答えた。いつものはにかんだ笑顔で若干俯きながら。
似たような事はいくつかあった。静岡県で国体が開かれた時、幸か不幸か僕らは高校2年生で、開会式に駆り出された。静岡中の高校から吹奏楽部が駆り出され競技場のスタンド1/5が埋め尽くされた感じ、授業を休んでの強制参加な上、特段なんの得点もない。実にやる気の出ない演奏だった。
君は僕と離れた場所に座る事になった。学校ごとではなくパートごとに席が割り振られたからだ。普通なら、君が1st僕が2ndなのに今回は逆だった。譲ってくれたように記憶している。1stと2ndはかなり離れた位置になり、練習の合間の雑談すら出来なかった。なにか理由をつけて合いに行こうと思い立ち、チューナーを手に会いに行った。そろそろ楽器が暖まってチューニングし直す頃だと思った。君をみつけて駆け寄る。君は隣に座る他校の3年男子に軽くナンパされていた。
数時間後、学校に戻ってから君はあの時言い寄られていた事を僕に話す。いじらしい笑顔で。
「来てくれたでしょ、あの時もうすぐ卒業だねとかいわれていたの」と君は言ったように記憶している。
「君の事3年とまちがえたんだ」と僕
「そうみたい」と君。
他にも僕が来るまでいろいろ言われていて来てくれてよかったと言ったように記憶している、少し違うかもしれないけどだいたいこんな感じの会話だった。そしてどぎまぎする僕の様子を見て君は楽しんでいた。意味は理解してなかったけど君の好意的なまなざしだけは理解できたからなんだかうれしかった。大丈夫だったと訊く僕に、やはりいつものはにかんだ笑顔で大丈夫と君が言ったような記憶がある。
あれは何時の出来事だったか、やはりあのときも神社での長い長い楽しい時間をすごし、別れを惜しんで少し歩いていたときの事、辺りは真っ暗。君は私服に着替えていて僕は学生服だった。しばらく話しながら歩き少し大きな通りに出る。そこで自転車に乗った後輩が1人通りすぎた。君はものすごい形相で、
「ね、明日あったら口止めしてよ、絶対よ!」と言った。あんなに必死に懇願する君は見た事なかった。
君は絶対どこに住んでるのか言わなかった。自宅周辺を僕にうろつかれたら発見されてしまうからだ、2人の事が。君の住んでいた場所を知った今、なんだか不思議なデジャビュに陥っている。君の住んでたあの団地、1度だけ目の前まで来た気がする。気のせいだろうか、それも君と2人で、当時君はあの団地に住んでるとは言わなかった。ここで別れましょうとか言って別れた。団地の前で。
あの団地と現在の僕が見つけた当時の君が住んでいた団地が同じものか思い出せない。なぜ、覚えているかというと、ここで別れるという事はこの辺に家があるんだ…、と漠然と思ったからだ。彼女はそのうち話してくれる、その時を待とう、そう思ったと記憶している。ああ、また思いだした。僕が君を自分の家に招いたのも今度は君の家を教えてねという暗黙のアピールだったなと思い出した。
僕の家で君は言った。
「家の人帰ってこないの?」
「大丈夫じゃない?」と僕は言った。
「帰ってきたらどーすんおよー」と君は言った。学校では絶対見せないかわいい姿。
君は髪を直して帰っていった。
翌日僕はあの後15分もせずに家の人間が帰ってきたことを話した。
「あぶなかったじゃない、帰ってきてたらどーすんのよ」と怒った、笑顔で。
「どーしようか」と僕は言った。
「どーしよーかじゃないでしょ!」と君はさらにテンションを上げて怒った、笑顔で。
照れと怒りと興奮となんだかわからない感情が2人を支配した。けど、そんなに嫌な感覚ではなかった。同じ感情を共有できて幸せだった。
秋ぐらいの事だと思う、この時期僕は弱音をよく話したと思う。受験を控えた上君との関係をどうすればいいのかも判らず随分ネガティブになっていた。大概うんうんと聞いてくれるけど、時々怒っていた君を思い出す。こんな事思い出した。
僕は英語が苦手だと話した、けど私立受験の選択科目どうしても英語ははずせない、最大の障害だった。だいたい単語が苦手だった、文法は暗記できるが単語が苦手だから長文読解が苦手なのだ。そんな事言った気がする。すると君はこんな話をした、知り合いの話。その人は単語を覚えるのに辞書を使う、覚えたページは捨ててしまう、そうすれば忘れなくなる。そんな話だった。
「それ無茶だよ」とか言ったきがする。
君は笑って僕を見た。愛でるような目でみてくれた。不思議だった、そんな事もできないのと言われると思ったけど君は言わなかった。今思うと、君は僕が想像していたものとは違うものを僕に求めていたんだなと思う、そしてそれは今もかわらないのではないだろうか…。
1度だけ僕は全速力で追いかけた事がある。君は行ってしまった、あの緑色の自転車に乗って。ポケベルに呼び出されて、せっかくの2人だけの時間を中断して行ってしまった君を気づかれないように、自転車の性能は僕の方がスポーツ車だから速い、撒かれる事はないと思った。だからかなり間を置いてから追いかけた、君は駅の北口に向かっていた。ばれないように追いかけるのは意外に難しい。北口周辺で見失ってしまった。いや、たぶんこれ以上追跡して君の人格を侵害するような事がしたくなかった、いや、真実を知る勇気がなかったんだと思う。誰か男と会っていると思い込んでいた…。そして現在、追いかけなかった事を恥じています。
最近長い夜を過ごす、君はどうだろう。
「欲求不満になっちゃうよ」
あれは最後の密会、2人きりと思っていたあの日。君はそう言って僕を止めた。言葉としては意味がわからない。あれからある程度経験をつんだ今、あの言葉を解釈するとこういう事なのだろうか、君はこの日より数日前、この言葉を使って非難された。だから、その時の記憶から、僕をいさめる言葉としてこれを使った?そう思う理由はふだんの君が使わない言葉だったからだ。君の言葉使いはよく覚えている、ごく最近君の自宅に電話した後かけてきたニセモノも君とは違う言葉を使った。君なら「わかんない」というべきところを「忘れた」と言うのだ。
新入生が見学に来たとき僕は猛烈な違和感に遭遇した。どうしても演奏に集中できない、理由は後ろにいる新入生の目線のせいだった。後ろにいて見えないんだからありえないと当時は思った、気のせいだと。君のその事を言うと急に黙って何も答えなくなる。そんなこともあった。人間は“気配”を感じる能力があり、科学的にも証明されている。当時は知らなかった。人間の神経がどうやって電気信号を出しているのか僕は放送大学の番組を見て知った。“脱分極”という現象を利用して有機物で出来ている神経の中に電気信号を送る。人間はこうして形成された電気信号によって発せられた簿弱な電波を発信していると考えればいいらしい。個人個人微妙に周波数が違うから、異なる発信源同士が近づけば五官の認知外にいてもその存在が感じられるという事らしい。1部僕の推測も入っているから、人に話すときは調べて裏をとって欲しいけどだいたいこんな感じらしい。
そういえば学校の廊下で、ものすごい遠くにいる君をじっと見ていたら君が気がついて振り向くなんて事もあった。楽しかった。
さすがにこの距離では無理だろうけど、電波をおくります。
「紅の豚」を見返していて、ある記憶にぶつかった。確信の持てない記憶。ホテルの女オーナーは賭けをしていると劇中で語る、昼間豚が自分を訪ねてくるようなら、今度こそ彼を愛そうと決めているって。結局豚は夜にしか来ないのだけど、あのシーンについて君がこう言ったような記憶がある。
「私も賭けをしてるの」
記憶ちがいかな…
「何を?」と聞いても答えてくれなかった記憶が残っている、追求しようと思っても人ごみのなか歩きながらの会話で、ごまかされたように覚えている。もし、記憶の通りだとしたらこの賭け君は勝った事になる。気づくか気づかないか賭けていたとしたらだけど。
多少記憶の時系列や詳細があやふやな部分も出てきました、記憶のなかで僕の間違いを修正できるのはこの世に君だけです。ここは違う、ここも違う、でもここは合ってる、こんな事覚えてるんだとそう思っているのだろうか?
僕はある日学校で熱を出して早退したことがあった、テスト期間中で、部活もないから君は知らないと思う。保健室の先生が気を利かしてくれてタクシーを呼んでくれた。タクシーに乗ってしばらくすると、
「あれ友達?」と運転手の人がぼくに訊く。
振り返ると見た事もない男子たちが集団で騒いでいる、まるで裏をかかれたなんてこったといった様子。どう反応したらいいのかわからず笑うしかできなかった。僕も監視対象だったのだろう、当時から。
いつまで監視されていたのだろうか?君が結婚するまでなんてのは考えすぎなんだろうか…。
2年ほど前、帰省した時。8歳の甥とあちこち出歩いたら周囲の人皆からじろじろ見られたのを覚えている。ま、気のせいって事にしとこうと思う。
この気のせいって事にしておくというので思い出した、問題解決に固執せず頭を切り替えようという意味で17年前の僕も似た様な事を言っていた。
それは何かで意見の食い違いがあった時の事、学校でささいな食い違いがあり、当時の僕としてはささいと感じたが、君は重要視した。今は判る、何より理解されない事を君は嫌がるという事を。当時はわからなかった。神社で合い、先ほど件について話し合おうとする君、それはとりあえず置いといて貴重な時間を大切に使いたかった僕。僕は両手で荷物を右から左に移す動作をして
「とりあえずそれはこっちに置いといて」とやった。
君はそうじゃないの!とか言って、僕の動作を真似て左から右に者を戻す動作をした。いいじゃないとぼくは君と逆の動作をする。また君がやりかえす、そんなやりとりを何度かやった。今のぼくなら、君の言葉をちゃんと聞く。
ここまで来て思い出した。第1話でショートカットにした君を間近かで見たのは卒業式でと書いたが、そうでない。あの思い出の神社で会っている。あの最後の神社を変えての密会ののち、君は僕を呼び出した。いつもと違い、僕との間にかばんを置き近寄らせないようにする。僕は家族に怪しまれないようにマラソンに行くといって家を出たので、ちょっと人前で見せられない様な変な格好をしていた。相手が君だからいいかと思った。
「そんな格好で来るとはおもわなかった」と君は言った。普段そんな事いわないのに…
誰か周囲に監視の目があったのだろうか、いやあったんだと思う。呼び出されて訊かされたのは別れ話だった。しかし相変わらず話下手で要領を得ない。中地半端に終わったのを覚えている。印象的に覚えているのは、君がうつむくと横髪が垂れ下がり顔を隠してしまう事だ。
「顔見られたくなかったからこの髪型にしてちょうどよかった。」
とか言ったと記憶している。何がちょうどよかったのか意味がわからなかった。最後まで君ははにかんだ笑顔で、まったく別れ話の雰囲気ではなかった。それからもう会わなくなっていた、僕は待つことにした。バレンタインデーまで。そこまで待って、何もなければもうあきらめよう…そう思った。今にして思えば浅はかだったと思う。僕がすっかりやる気ゼロになった頃、君はふたたび現れた。
今度は同じミスはしない。
彼らの暗示攻撃を当時の君もうけていたのがわかる。読者諸君は覚えているだろうか?第1話で彼女がときおり別人のように無口になると書いたことを。
書いていた当時は気がつかなかったが、なるほど今はわかる。なぜ、あんなに不安定だったのかが。ある時きいた言葉がこだまする。
「どうせ私のこと、毎日遊び歩いてるとか聞いてるんでしょ!?」
下を向き、こちらを見ずにはきすてた。そしてこちらの戸惑いの空気を察して、君はわれに戻った。
当時、そんなうわさは聞いていない。だけど周りではいろいろ彼女のうわさはあったらしい。当時彼女は日々現在のぼくのような目にあっていたのだろうか。今も外では大型車がうめきをあげている。3回ふかすのがポイントなのだろうか?車に限らず生活騒音の類は3回が基本のようだ。ある意味、普通の人と区別する目安に使える。当時の彼女も帰宅するとこんな目にあっていたのだろうか。おちつかない。
彼女は社交的ではあったが、ものすごくというより控えめだった。友達に囲まれている光景は見たこと無かった。そんな彼女が学校の生徒の顔を全て覚えているとしゃべった事がある。
「だいたいわかるよ」と言っていた。
あれは僕が人の顔ぜんぜん覚えられないんだと話した日のことだ。友達の少なそうな彼女のその発言を当時意外に感じたが今はわかる。毎日見張られていれば確かにそういう感覚におちいる。彼女がなぜ当時僕に告白しなかったのかが今はわかる。こんなつらい目に僕を合わせたくなかったにちがいない。もう十分巻き込んでしまった、これ以上巻き込むわけにはいかないと思ったのだろう、僕の事をホントに気遣っていてくれたんだと。今、理解した。勇気が無いなんて書いてごめん、まだわかってなかった。
もし17年前と同じように戦っていて、心の支えが必要な時に備えてこれを書いています。想定外の事態が起きても、世の中には絶対裏切らない味方が最低1人いることを忘れないでいてくれれば、何かと色々大丈夫だと思う。いや、1人なんてことはなくもっといる筈。
当時の君はおちつきたいから、先生や僕ですら、もとめたのだろうか?これは推測。
当時何者が彼女を不安定にしていたのか…、これは疑問。
彼女は1年の時から不安定だった。残酷な、そんな思いがする。違うと思いたいと書きたいが、現実にぼくは同じように不安定になっている。彼らの暗示攻撃はすさまじい。彼女はこれに3年以上耐えていたわけだ。見習わなくては。○○さん、ぼくは17年たちようやく君の思いとおなじものが共有できたと思う。今の君は僕がどこでどうしてるか知っていて、17年かけてようやく君の思いに報いる事ができ、それを伝える事ができた。それだけでも十分奇跡だと思う。
いいあらわせない感覚のなか、あの永遠の時間だけは不安の無い安らかで、安心できる唯一の場所だったのが今はよくわかる。あの時間を共有できたことを誇らしく思う。僕を選んでくれてありがとう。心からそう思う。ぼくもようやく君と同じ不毛地帯にやってきた。日本の民法は驚くほど女性に不利にできている。いったん結婚すると男性の同意が無ければ裁判をしたって離婚できない。けど、前かいたとおり、あきらめなければ、むずかしいけど、まったく不可能じゃない。極端なはなし、公の場で相手を怒らせて殴られれば、即、不可能が可能になる。暗示も効く、言うまでもないけど。彼らおなじみの暗示よりもむしろまったく意味のない腕上げとかを意味無くいつもやるとか…心を鬼にできない君にはこんなばかげた行動より、無言の訴えの方が効果あるかも。君の無言の訴えは迫力あるもの。でもやるなら回数勝負だと思う、知ってのとおり何回も連続したほうがこういうのは効果が上がる。少しでも態度を軟化させると、それまでの苦労がダメになってしまう。
僕が君にされて一番きつかったのは無視されることだ。先生との事で僕がいろいろ言っていた時の君はかわいいけど怖かった。一点を物凄い迫力で凝視して完全無視、彼らのテクニックにも似たものがあるがあれとは根本的に違う。あんな感情の起伏の薄っぺらい一点凝視でなく、君のは気にせずにはいられない様な気分にさせられる凄みがある。特に、君を本当に好きな人間には絶大な効果がある。と思う。一点凝視以外でも君の無視は他の人と違って独特の印象を与える。普通の人は鼻から無視する。けど君の場合ある程度聞いてくれた上で無視する。通じたと思ったら実は違うというのが一番きつかった。一回くらいなら耐えられるが、何回も受け入れられそうでそうでないというのは、精神力を消耗させる。そして、あの独特の無視は君にしかできない特技でもあると思う。ショートカットにした時の君がそうだった。ただし、もう一度言うけど少しでも態度を軟化させると、それまでの苦労がダメになってしまう…。やさしさを発揮できる場所を別に確保した方が長期戦には有利だ、自分のペース、自分の世界を大切にする工夫や努力が心の健康を維持する。
ある芥川賞をとった作家が言っています、人にはあらがい難い運命がある、けど決然とした意思があれば、“なりゆき”の中を決然と生きる事が出来ると。川の流れを変える事は出来なくても、決然とした意思を持って波を漕いでいけばどこの岸に付けるか自分の意思で決める事ができると。彼は寺の跡取りとしての運命に抗いながら作家を目指すも上手くいかず、跡を継ぎます、立派な住職となるのですが僧侶でしか書けない目線で小説をあきらめず、芥川賞をとりました。
“此れあるとき彼あり”仏教用語だそうです、解釈は人それぞれらしいのですが、自分の感じた解釈でいいと思います。西洋哲学じゃないんですから、なにかの参考になれば…。
表現されない自分はいないも同じだ、人間は衣・食・住の3つだけそろっても生きてゆけない、これに+表現力が加わってはじめて人は生きているといえる。衣・食・住+表現力、60年代にはない考えだけれども、無いとは言い切れない。あの時代“皆が幸せになる”という表現力を皆が共有していた事は否定できない。テレビも洗濯機も冷蔵庫も衣・食・住には直接関係ない、これらは“+表現力”に属する事柄だ。表現されない自分は死んでるも同じだ、だからネットにはブログやプロフがあふれてる。皆自分を表現したくて仕方ないのだ。ライフスタイルを磨くのだって表現の1形態だと思う。
今の僕が君に出来ることはこんな事くらいしかない、“表現されない自分はいないも同じ、どんな方法でもいいから表現する努力を怠ってはいけない”。こんな言葉を送るくらいしかできない。
彼らからすればそれは反則に見えるのかもしれない。けど君が間違ってないと思う人もたくさんいるはずだ。行動で示せば、間違ってないんだから、通じると信じれば、できると信じれば。
僕が地元に帰ってきたのも、そもそも君を追いかけてだ。ある方法で君が逃げたのを知った。どこまで把握されているのか…、会って確認したかった、どこまでが事実で、どこまでが間違いか。東京に残っていたら、もっと情報が入ってきただろうか…
読者諸君のなかには、加担側、されてる側、そんなこと聞いたことも無いという人、それぞれいると思う。考えてほしい。今も外でエンジンの不自然なうなりが聴こえる。活動費が出ていることは知っている。彼女もそれでサンドイッチをおごってくれたことがある。その活動費は貴重な寄付からなっている。よく考えてほしい、貯金して将来に備えた基金を作るべきだ。もう時代は変わった、はっきりいう、階級闘争の時代は終わった。戦う相手を失ったアメリカ軍が力を誇示しつづけてより混乱を招いている。劣化ウラン弾はもともと永遠に続く戦車砲の射程距離競争に終止符を打つためのものだった。ソ連なき今必要ない。劣化ウラン弾は使用者の身もほろぼす。幹部は選挙で選ぶべきだ。映画「ミシシッピイバーニング」だっただろうかタイトルは違うかもしれないがこんなシーンがあった。…黒人をラストで襲う白人は実社会であまり評価を受けていない若者たちだった。
60年以上まえ、戦後間もないころ、だれからも手をさしのべてもらえない弱者同士が身を守るため団結した。そのうち彼らはどこからか持ち込まれた高度な心理戦技術をつかって無慈悲な社会から身を守るようになる。おそらくその出所は旧軍部あたりの人心掌握テクニックだろう。そのくらいの凶器を使わないと身が守れないほど、戦後すぐの日本はひどかった。劣化ウラン弾とおなじだ。この話をきいて、もしちかくにそうだよと誇らしく組織を誇るひとがいたとしたら、考えなおしたほうがいい。それはいつか身を滅ぼす武器だから。
交通量がふえたので市か警察に交通量調査を依頼するというのはありなのだろうか?なにしろ交通事故が心配なので、とくに子供たちがきけんだ。そう思いませんか?
彼女のことを知っていて、同情してくれる人はせめて祈ってください。彼女の自由を。公に態度に現せないのはわかります。自分の身の安全も大事です。でも心の片隅で祈るぐらいの自由はまだあるはずです。お願いします。一人でも多くのひとが、彼女を気遣ってくれれば、彼女も安らげます。この国に自由と安らぎを 未来の全ての子供たちのために。もはや、弱者が武器をおろす時代です。まわりを見てください、だれが攻めて来るんですか?時代は変わりました、だれかがおかしいと言わなければ。
「王さまははだかだ」なんです。誰かがいわないと。はずかしい思いをさせたままで、臣下としていいわけがありません。
今は変わる風が流れてる、変化の時期です、このままいったらどうにもならないのは皆わかっているはずです。国にお金はありません、プライマリーバランスという言葉をご存知でしょうか?この数値が0になると、ようやく借金の返済にめどが立つという数値です。以前は2011年に0にする計画でした。つまり2011年からようやく借金が減り始めるというわけです。ところが麻生政権の13兆円の補正予算のせいで、プライマリーバランスが0になるのは計算上2025年になってしまいました。あくまで計算上で、計画が狂えばもっとずれ込むわけで、国家破綻までまっしぐらなわけです。年配の方は覚えてますよね、大本営発表だけ信じていてもだめなことを
このままでは、だれかから奪わなければあなたたちの幸福も将来にわたって維持できません、全てを奪い尽くしたはてにどうなるんですか?奪う相手がいなくなったその先は身内同士の食い合いです。そんな将来を子供たちに残すんですか?誰かが言わないと。慈悲と寛容を 共存と繁栄を
これを読んで、あざけるひとはこの世にいないと信じます。礼儀がないと言われるならば、後でいくらでも礼をつくします。時間がないんです。
彼らは時として身内も攻撃対象にします。仮の話、もし道行く人たちから大量のプレッシャーを受けたら、対抗方法が無くは無いです。彼らについて書かれた文庫、特にその名がタイトルにでっかく書いてあるやつを持ちながら歩くと、かなり効果があります。もし、これを読んで困っている人はやってみてください。軽い気持ちで参加している人にほど効果があります。それで気づいたんです。皆、それほど悪い人でない。文庫を見てもさらに睨み返す筋金入りが少数派というのが実感できるはずです。東京でこれをやり、こんな事がありました、“もののはずみ”というタイトルの本を謝り顔で持ってくる人がいたりしたのです。やはり、いい人はかなりの数いると推察します。ついで言うと、僕が小説をネットにのせてから、“財産分与”についての本がよく売れ出し、“マミイ”や“めばえ”が大量に売れ出すという事態がありました。第2話を出した時点で、“冤罪”とか“もっと知りたい天皇家の秘密”という本が売れ出しました。他にも書かないけどいろいろありました。
そちらはどうですか?何があっても心さえ挫かれなければ大丈夫です。不安で不安定になっても戻るべき原点に立ち帰れば大丈夫です比較的に、君なら出来るはずです。暗示の力はものすごい、自分だけでなく、自分以外の人も影響をうけます。がんばって。少なくともどんな事になろうと、最低でもこの世に1人永遠に味方でいる人間がいる事を忘れないでください。何があろうとも。
○○△美さんにこの小説をささげます。彼らと裁判をした人の記録をみました、尋常でないのがわかります。奇跡を信じて。あきらめないで。
君の居場所をさがす努力だけは、してみるつもりです。奇跡が起こるかもしれない。ちなみにこの場合の“さがす”は掛詞になっています。山崎まさよしのあの曲の歌詞に掛けているのと、実際にさがすというのと。2つの意味です。後半は難しいけど、目標は高く設定した方がやる気も出るし。 今になって思いました、3ヶ月ちょっと前は真実に気づいてなかった。たった3ヶ月ちょっと前です、不思議な気分です、東京で最初に僕を標的に選んだ人物に少し感謝しなくちゃいけませんね。
ここに書かれているのは僕だけの思い出じゃない、君の思い出でもある。だから君に断り無く書くべきでない部分もあって、でもこのくらいやらないと味方が出来ないと思ったし、お互い結構いい歳だから耐えられる描写だと思う。だから、僕を信じてもう少し書かせてほしい。肝心な本当に2人だけの大切な思い出は書いてないし。それに、伝えきれない思いがまだまだあります。もし、会って話していたら相当な長話になっていたと思う。ここの書いてあるのはもちろんフィクションです。フィクションとして書きます。これはお芝居です…、愛しています。お芝居でなければ恥ずかしくて言えない。
言葉が届く事を信じています。もし、届いていなくてもいつか目にする事を信じます。
YouTubeで「イーゴリ公」から「ダッタン人の踊りと合唱」という動画をみつけました、当時の記憶が蘇ります。
YouTubeで吹奏楽のための交響詩「ぐるりよざ」 Ⅰ.祈りというのも見つけました。いろんな意味で思い出の曲です。2曲とも聞くと隣にいた君の姿を思い出します。いつも楽譜ごしに君の存在が感じられた。
アルメニアンダンスⅠも見つけました、この3曲がどうしても強烈な記憶として残っています。3曲と君と音楽室と高校生活。
ディズニーメドレーも見つけました、曲を聴いてて思い出しました。頭のミッキーマウスのテーマを省略したバージョンで演奏した事を、覚えてます?
これは、君も含め複数の人に言える事なのですが、正体がバレるのを実は何よりも恐れてますね?相当強力な暗示でもうけているのでしょうか?地獄に落ちるとか、頭が7つに割れるとか…。それは暗示です。でももし彼女がこれを読んでいてこの仮の話がそれほど間違ってない場合、僕は君にこう言う。君と一緒なら地獄に落ちてもかまわない、2人でなら怖くないと思う。
北朝鮮の拉致被害者も最初日本に永住する気など無くむしろ横田さん夫妻を招くのに一生懸命でした、君がどの程度影響から脱して、またどの程度影響下にあるのかわかりませんが、がんばれば、大丈夫です。
これは可能性の話です。実は統計でみると日本では毎日のように詐欺事件が起きています、報道されてないだけで。だから、偶然詐欺報道をしているのではなく、詐欺報道をしたいから普段報道しない詐欺事件を扱っているにすぎず、それは記者クラブ制度を利用すれば可能なのです。記者クラブの人は記事欲しさにある程度言いなりになるそうです、こわがる必要はありません、タネも仕掛けもあるトリックにすぎず。超自然的な力など働いてないのです。ま、これ自体可能性の問題で、気にするなという事です。僕の早合点で気にしてなんかなかったりして…
実はもう一つ早合点かもしれない事がある、主にラジオなんだけどやたら「ふるさとに帰る」とか「家へ帰る」というフレーズを使う。暗示だろうか?君への。アメリカの民謡で「カントリーロード」というのがある、邦題は「故郷への道」なのだが、ラジオのアナウサーは「故郷へ帰りたい」とわざわざ普通と違う邦題を使った、ま、偶然って事にしとくのがベスト。そういう空気を作るためにいろいろ手段をこうじるみたいだけど、ま、偶然ってことにしとくのがいいと思う。君は何も悪くない。それとも僕の稀有かな…、君の身を案じています。
関係ないけどGReeeeNの解散報道、本人たちは否定してるのにドンドン大事になってる。あれは父親たちが解散報道をリークして解散する雰囲気を作って息子たちにやめさせようとしてんだね、あれ。父親たちが歯科医でそれなりの地位にいるならやりかねない。こうやって決まっても無い事を先に新聞記事にして信じる人を増やすと、本人たちがしっかりしてないと世間の空気に負けてしまう。卑怯なゴシップの典型だと思う。メディア・リテラシー(英: media literacy)とは、情報メディアを主体的に読み解いて必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力のこと。とウィキペディアにある、これを身に着けないと。フジテレビでの鹿内社長退任劇でも、本人はやめる気ゼロなのに現社長派の情報工作で先に辞任報道がされてしまう。この報道のせいで彼の味方が次々とやる気を失い、結果としてやめざる得なくなる。これを回避する方法は情報をあまくみない事、常に自分の考えをあやふやにせずしっかり持って自分の意見を発し続ける事。そして利用されない事。むずかしいけど意識してるのと無自覚なのとでは雲泥の差がある、と思う。
補足ですけど、GReeeeNの曲結構いい曲ばっかりです、解散して欲しくないです。
最近思い出した事をここに優先的に書こうと思います。
こんな事思い出した、2人で自転車を牽きながら並んで歩きながら下校してる。記憶ちがいかな、神社で会わない日も時々こうして一緒の時間を過ごしたきがする。それも学校の駐輪場からずっと歩いたから結構な距離、よく歩けたなと思うけどそれだけ長く一緒に居られた。随分長い距離なのにあっという間に時間がすぎた。もうこんな所まで来たのかなんて事随分あった。君はいつも笑顔だった。あの笑顔を見てるといつも時間が経つのもわからなくなる。
下校時刻だから当然他の生徒もその道を通る、そのたびに君は気まずそうな顔をする、そんな事もあった。印象としてはまだ学校の空気を引きずりながら歩いていたイメージで、僕は受験勉強やテストの事とか話したような気がする。ハッキリ思い出せない。けど、一緒に並んで歩ける栄誉に預かれてうれしかった。道行く男子が通過するたび振り返る、皆悔しそうに見えた、中には違う目的の連中も居たかもしれない…。ある一団が僕らを追い越すときこういった
「どうせアッシーだろ」
今は懐かしいバブル言葉、17年前はかろうじて通じた。女を車で送り迎えするだけでそれ以上の関係になれないの男をアッシーと呼んだ。けど自転車だし、そこに彼女を乗せてる訳でもないし、第一彼女も自転車を牽いてて、2人並んで歩いてるのだからアッシーというのは言いがかりだった。的外れないやみがマヌケに見えた、変な気分だった、どうして彼女は僕なんかと一緒にいるのだろう?そんな気分になった。明確な答えは出せないけど現実に君は隣に居た、こそばゆく、表現しがたい幸せ。君が隣に居るという現実の凄さに気づくたび圧倒されて幸せに満ちた。またあの幸せは帰ってくるのだろうか?そんな事ついつい考えてしまいます…。
赤毛のアンのの続編で6作目「アンの夢の家」の仲でこんなシーンがある。生まれてこの方不幸続きだったアンがグリーンゲイブルズに来てから幸せを取り戻すのは有名な話だけど、その後アンのパートナーであるギルバートは自分の目の前にこんな美人がいるのが時々夢だと思ってしまう、そんなギルバートを見てアンはどうしたの?と聞く。これを読んだ時身震いした記憶がある。100年近く前の小説に自分と同じ思いの描写があるなんて…。なんだか、すごく、君との思い出がものすごい重く感じた。揺るがなく僕の人格の1部になっている事を誇りに思います、凄いものを貰っておいて気がつかなかった自分が恥ずかしいです。
僕が昔楽譜を入れていたファイル、背表紙のショパンの絵を入れていたの覚えているだろうか?たまたま見つけたチラシの絵が気に入って入れていただけなんだけど。1度だけターミネーター2のチラシに入れ替えた時、君は“あっ、いつもと違う”って顔をした。それを見て僕は“あ、気づいたんだ”と思いこう言った。
「そう、変えてみたんだ」彼女の顔色だけで言いたい事を察してこう言った。
表情を読まれた事に動揺して恥ずかしいって顔をする君。
「これ何か知ってる?」気まずさを解消するため会話を強引に進めた。
「映画の…」と君。
僕は当時会話の基礎が出来てない、君の映画という発言に反応して君のしゃべりかけていた言葉を待たずにたたみかけた、当時自覚してなかった僕の欠点。
「ターミネーター2のやつ、たまたまあったんで変えてみたんだこの映画知ってる?」
君は知ってると答えたきがする。まだ表情を読まれた事引きずっているのかおとなしいしゃべり方で。ようやく動揺から立ち直った君はこう訊いた。
「何でかえたの?」とか訊かれた記憶がある、たぶん。
「気分転換に変えたんだ」とか答えた気がする。
そして、音楽室のいつもの1st2ndの位置に座り練習を始めたような感じに記憶している。
当時は別にショパンが好きとかではなかったけど、最近はショパンの幻想即興曲にはまっています。YouTubeでいろんな人の演奏が訊けるから、自分好みの演奏はどれか聴き比べられて楽しいです。シプリアン・カツァリスって人の演奏が一番僕の好みの幻想即興曲です。
そうそう、結局あの後すぐに元のショパンの背表紙に戻したの覚えてます?シュワルツネッガーではやはりどうもしっくりこなくて戻した記憶があります。17年経ちあの時君が何を動揺していたのかやっと判るようになりました。
校舎で偶然会った時、君がパーカーを着ていて僕がかわいいと言った時の事。君はありがとうと言った後1人でいてくれてびっくりした、ちょうど会いたいと思っていたの。とか言った。
「そう?いやさっきまで他の人と一緒に居たんだけどはぐれちゃって探していたとこなんだ」
と言い訳した。1人でいた所見られて恥ずかしかった、トロいやつみたいに思われたくなかった。君は僕のそんな気持ちに気づいたのか気づかないのかあえて嬉しいことを僕に伝えた。短いやり取りだったけど、印象的です。
クリスマスカード、初めてもらうクリスマスプレゼントって言っていたような気がする。僕は当時自分の子供時代は不幸だと思っていた、ろくろくクリスマスにプレゼントが貰ってなかったから。だから貰った事ないという君が不思議だった。なぜもっと不満に感じないのか疑問に思った。君は家族の不満は一言も言った事なかった。でも家族を大事に思ってるのかと思い話を振ると言葉を濁した。君がもらした不満は周囲の自分に対する接し方や理解されない悔しさだけだったように感じた。逆に気持ちが通じあったときの喜びはものすごいものだった。天と地ほど差があったように感じた。そんな物よりも気持ちに固執する君があのキーホルダー、金色で目立つ「宇宙家族カールビンソン」の、あれに固執したのが印象的だった。先に述べた通り部活引退に際し君にあげた。その日の午後だったか後日だったか君があのキーホルダーを手に持ったまま廊下で立っている姿を見た。あの部室へと続く渡り通路の入り口辺りで、間違いかな…記憶があやふやで、君はよくあそこに立っていたから、ともかくキーホルダーを持って立っている君に出会った…。あ、書きながら思い出してきた。部室から渡り通路を歩いて教室に戻る途中その姿を見たんだ。待っていてくれたのだろうか?今の僕ならそれが判るが当時はまさか僕ごときの為に学校随一の美少女の君がわざわざ待つだなんて思わなかった。ホントごめん鈍くて、(君の「ホントにそうよ」というつぶやきが聞こえてきそうです。)
「そんなにそれ気に入ったの?」
と僕は訊いた。周囲には他の部員もいる、だからなのか君はおとなしく控えめなモードのままコクンとうなずいたように覚えている、記憶があいまいで、会話は無かったと記憶している。その場は別れ、後々2人きりになった時君からこの件の話題を振った。神社で、
「私あの時あそこにいたでしょ?」セリフは正確で無いにしろこんな感じの事を言った。
いまいち分らない僕は君の補足説明を聞いて
「ああ、あの時!そうそうどうしてあんな所いたの?」と僕。
君は自分がキーホルダーを手に持っていた事を強調した。言われて初めて思い出す僕。
「そうそう、持ってた持ってた!どーして?そんなに気に入ったの?」にぶい僕、まだ気がつかない。
君はうなずき、前から欲しかったのと告白した。
「だったらもっと早く言えばいいのに」と僕、まだ分かってない。
僕はそのキャラクターの話を始めた、けど君は乗ってこない。キャラクターがすきなのではない。君は話題を元に戻した、貰えてうれしかったありがとうと。もしかしたらキーホルダーに詰まった思い出が欲しかったのだろうか?部活中楽器ケースに付いてた訳だから君と会う時はいつも目にしていた物だから、目立つし、金色で印象的だもの。
あの時、渡り通路で待っていてくれたのはお礼を言うためだったんだね。こんな単純な事に17年もかかって僕は気づいた。なんだか、ホント。どうしようか。今なら当時の君の気持ちがわかる、この嬉しさどう伝えよう…人生の不思議さを感じます。でもがんばってきて良かった、やっとここまで来れたと感じます。いくつか記憶のあいまいさはあるけど大体あってるとおもうけど、感想を聞かせてください、いつか未来に。
…にぶい、という点で思い出した。あれは何時だったか卒業した先輩たちとボーリングに行った日のこと、皆で車に分乗して遠くのボーリング場に行った。帰るとき僕は行きで乗った車に乗り損ねてしまい困った、トロかった。あわてて近くにいた先輩の車に飛び乗った。君が乗ってた、僕の後ろに。けど声をかけるべきでないと思い無視した、そう望むだろうと勝手に思った。後日君は言った。
「私うしろに乗ってたのよ」
「気づいてた」と僕、
「気づいてたの?」表情を緩めず君は言った。
「話かけた方がよかった?」と訊いたような気がする。
「ううん」
複雑な顔で僕の行動を肯定する君、僕の行動は正しいけど何かしらサインが欲しかった、完全無視はさみしい、そんなとこだろうか。
「気づいてないと思ったの」
もうこの時期僕のにぶさを十二分に分っていた君はそう思っていた事を言った。何故だろう?誤解が解けたのに悲しそうな顔をした。心が通じ合えなかった時君はそんな顔をした。今は強引にでも1言2言話せば良かったと思う、君の気持ちに確信がもてない当時、遠慮してしまった、バカだった。
通じ合わなかったんじゃない事を宣言します。僕はこの時期割り切っていた、他人の前では普通にしていようと。僕のポリシーは君の望む世界がかなう事を願うという事。君が望むならと割り切っていた。ちょっとさじ加減がかみ合ってなかったんだと思う。現在のさじ加減が心配です。
僕は17年前ある言葉を君に言った、その言葉に君は幻滅しそれが分かれる原因になったとずっと思っていた。僕はこう言った。
「僕は自分を変える気なんてさらさらない」
君は誤解した、あれは信念をぐらつかせない事が大切なんだという意味で言ったんだ、でも君は人の意見を聞く気が無いと解釈してしまった。気持ちがすれ違っていた、あの時の君のありえないという表情覚えている。
君は「えーっ!」っと言った、そしてそれは無いみたいな事僕に言った。
現在のぼくなら君が何をどう誤解したか理解して隔たりを正す事ができる、けど当時の僕には無理だった。
あれはもう神社で会わなくなる1ヶ月くらい前の事だと思う。ほんの数ヶ月前まで君が僕を嫌った理由はこれだと思っていた。けど、あの時の君は僕を軽蔑も侮辱もしなかった。理解できなかった。だから、自分を変える努力をした、君を理解したかった。あの時の君が理解できなければ一歩も前へ進めなくなってしまったのだ。あのきっかけで当時の君の気持ちが手に取るように理解できるようになった、現状で会うにはかなりハードルが高い。高いけど、言葉をかわす権利あるよね?君にも僕にも。これだけの過去があって、まったくの他人はおかしい。そう思う。情報さえあれば最善の選択肢を考えることもできそうだけど、今のぼくにはこれが精一杯。がんばれ、応援しています。思い出の中だけの人物ではありません、僕はここにいます。
そうそう、書き忘れた。クリスマスカード、大学入ってからも2通送ったの覚えてる?大学の生協でオルゴール付きカードを買って手描きのイラストで飾り送った。郵便事故とかなければ、届いているはず。郵便が届かないというのも“彼ら”の十八番だ。僕はあの後も送り続けた、君にちゃんと届いて気持ちを和ましている様子を想像するのが好きです。
東京を去る前、本屋にいたとき突然「ぼっちゃん」が売れ出した。ぼっちゃんは先輩の山嵐と組んである女性を助ける。女性のだんなは不倫してて彼女をないがしろにする、だんなの非行をぼっちゃんと山嵐が暴いて女性を救う。そんな話だったと思う。そして同時に弁護士という副題のついた雑誌が売れ出す。威圧的に表紙をみせて立ち去る人もいた。解釈はいろいろたつ、とりあえず事実だけを書き出しました。実際に東京で起きたことです。
いつだったか…、僕は君の頬にキスをした、左ほほだ、君は驚いた。
「どうして音がするの!?」驚いた様子。
最初何を驚いているのかさっぱり判らなかった。僕のわかってない様子をみて君は言った。
「今までほっぺたにキスして音が鳴ったことなかったもの、どうやったの?」
今まで…という単語に動揺した僕、その様子を察してしまったと思う君。しかしほんの数秒でぼくが動揺をおさえたので君は少し安心した。ほんの数秒の出来事。僕は同様を消し去るようにしゃべり始めた。
「ほほで鳴らしてるわけじゃなくて、単に口で音を立ててるだけだよ」と僕は言った。
君はそんなんで上手く鳴るのかしらという顔をして僕の頬にキスをした、音は鳴らない。こうやるんだよともう一度僕は君にキスをした。すると君はこう言った。
「ほっぺたに音をたててキスするのって、前から憧れててやってみたかったの」
そんな事言いなから恥ずかしがる姿は宝物以上に僕には見えた。結局最後まで君は音をたててキスが出来なかった。キスする時は大抵僕からなんだけどたまに君からしてくれる事もあった。幸せな瞬間だった。
別の日僕はキスの時少し意地悪な事を思いついた、いつまでもやめずにずーっとキスし続けたら君はどう反応するだろうと急に思い立ち実行した。いつもの様に普通にキスをした。場所は神社で、季節は秋だった。ずっとずっとキスをし続けた、いつもより長く。いつもならこの辺でやめる辺りで一瞬君が動くのを感じた、けど止めない僕に合わしてくれた。それでも止めずにずっとし続けた、時々目を開ける、目をつぶっている君が見える。何度か目を開けると時々君も目を開けていた。こちらの様子を確認していた。それでもかまわずし続けた。絶対に怒られると思った、怒った君を見てみたかった。いじわるって言われたかった。なのに君は怒らなかった、恥ずかしがりながら喜んだ。すごいすてきな笑顔。うれしくてうれしくて仕方が無い、だから、僕は「もう一度キスしていい?」と聞いた。僕は君に何かするとき必ずこうして確認した、君はうなずいて「うん」と言った。幸せな瞬間だった、僕はもう一度君にキスをした、さっきよりも短かったけど濃いキスができた。君ははにかんで照れて楽しそうに僕に語りだした。初めて聞く君の告白。もどうしようかと思った。もっと同じ事をたくさんすればよかった…。
また別の日、覚えているかな…
僕は君の顔にキスをした、1箇所や2箇所なんて少ない箇所ではない。その時はどうしてもしたかった。頬にしておでこにてそれからも続いた。その時暗かったから表情がわかりづらったけど、幸せと照れの入り混じるどうにかしたくなるような顔をしていたのが解った。不思議と怒られるとは思わなかった。君は僕のわかままに付き合って我慢していてくれているのだろうと思った。嬉しかった、僕ごときのためにそこまでしてくれる君が愛おしかった。後でなにか言われてもとぼけて意地悪してやろうとすら思っていた。結局その日君は何も言わなかった、だから気にしていないんだな、よかった。と思った。
なのに後日、僕がもう忘れている頃君はこの時の事語りだした。はじめ言われてピンと来なかったけど数秒して思い出した。暗がりの思い出。
「あんなのはじめて」
怒られると思った、今頃持ち出すという事は相当怒っているのか?またもう会うの止めようと言い出すのか?とビクリと来た。けど君の話は意外な方向へ進む。
「うれしかったの」
違うセリフかもしれないけど僕の行動を肯定するどころかそれ以上だったのを覚えている。ヒヤヒヤしていた分ホッとしたのが心地よかった。そうかそんな風に思っていてくれたのかと改めて君が好きになった。けどそう言われるともうやりずらい、今度はこっちが照れる番だった。結局あのキスは1度しかしなかったけど、それは恥ずかしかったからだ。なんだか解らないけど恥ずかしかった。その事をまだ君に話してなかった。
あえて言う必要もないけどフレンチキスとそうでないものではちがう。初めてのキスこそ後者だったけどそれ以外のキスは前者だった。ある日突然思い立つ。いつも僕がキスの主導権をとるけどたまには逆もいいかなと。キスしたまではいつもの通りだったけど途中からじっとして何も動かないでいた。覚えてる?君のほうから動くのをまった。君はどうしたらいいのかすぐにわかり恐る恐るついさっきまでの僕を真似た、恥ずかしがってるのが手に取るように解る。お互いおとなしくて受身の人間同士、その辺の感覚は何か通じるものがある。
「途中からとめたでしょ」終わったあと高揚した顔で君は微笑んだ。
「どうしてほしいかわかった?」と僕は答えた。
「うん」と高揚した顔でうなずく、突然の事でびっくりしたけど大丈夫、今落ち着くとこだからという顔をする。言葉を交わさずに意図が通じ合えた事が幸せだった。それは驚いたが故中途半端に終わったキスだった、もっと君が続けたかったのかそれとも恥ずかしかったからこの辺にしとくべきだったのか判断に迷った、僕は後者を取った、君を大切にしたかった。臆病だったかもしれない、せめて自分だけで決めずに君に続けたいかどうか君に聞けばよかったと思う。今の僕ならたぶん訊く、「どうするもう一度やってみる?」って。
原点回帰…
夏祭りの日、君は浴衣僕はアロハを着ていた日、キスを見られた後、君が戦う決意をした後、あの長い階段のある神社で2人が僕らの座っていると、“彼ら”と思しき息子と母親が僕らの位置より数段下に座ってプレッシャーをかけた時。僕が「どこか行こう」と言ったら、君は断固拒否して「どくのは向こうよ」と言っていたあの日のあの姿。僕はその後の人生で人とぶつかった時いつもこの時の君の姿を思い出し一歩も引かない強い意思を持とうと心に刻み続けた。
今は君が何かしらの困難に直面していると想像すると、なんだか自分の悩みのレベルが小さく思えて、君ががんばれるなら、僕も頑張らねばと感じます。明らかに君のほうが大変なはず。そんな君がいるのだから、へこたれてはいられないと日々感じます。
仮の話です
小さい頃から我慢する事を教えられてきた、でも今はもう昔とは違う。ちがうかな…、そうであって欲しい。
これも仮の話です…
これは推察です、これこそ本当に仮定にもとづいた話なんだけど、判をついた離婚届けを繰り返し送り続ける、あるいは渡し続けるって結構なプレッシャーになると思う。本人以外の人に郵送して本人に渡すようお願いするのも社会常識の範囲内だと思う、つまり、人と違う発想のできる君なら工夫次第で色々できるという事。行動の選択枝はまだまだ探せばたくさんあるという事だと思う。毎朝食卓に離婚届が判を突いてのっていたら、いくら周りから日ごろ絶対離婚するなと言われている人でも耐え切れないなんてこともあるはず。
他にも、もし結婚指輪要らなければ処分して処分を証明するような文章をお店の人に作ってもらって相手に送るというのもかなりのプレッシャーのはず。
男の人ってのは思っている以上に“物”に固執する。自分のパートナーに指輪っていうのは自分のものである事の象徴みたく思うところあるから、女の人はピンとこないかもしれないけど、指輪に限らず自尊心を満足させる様なものをいくらか送られてもらっているなら、全部返すか、生活費の足しにするといい。かなりきついはず。ま、仮の話なんですけど。公式にはこれらは僕の妄想です。
個性を重視しない組織型の人に対しては個人的なプレッシャーよりも組織人として恥ずかしいと感じる事の方が何倍もきついはずです。生活の継続が困難な事をアピールするのが主張の論点。そしてそれを回りにも浸透ざせるには予想以上の精神力が必要なはず。強い意思さえあればできる。少しでも弱気を見せたらいけない。けど力まず平常心で、自分のペースで、相手を振り回せばいい。心理戦では自分の得意の土俵で戦ったほうが有利だし、精神的負担が少ない。君の場合相手を振り回すのが上手い。本意じゃないかもしれないけど得意な事は得意な事として手段の1つにするのが有利だ。と思う。
こんな事思い出した…、薬害エイズの責任を認めない厚生省の建物の周りを人が手をつないでぐるりと取り囲んだ。“人間の鎖”と称して物理的に厚生省の建物を取り囲む、そして皆でいっせいにさけぶ「あやまってよ!」と、繰り返し何度も。当時1部メディアでしか報道してないから知らない人も意外に多い。そしてその後国は薬害エイズ問題の責任を認め患者救済に乗り出す。後々中に居た職員は述懐する。「あの人間の鎖はきいたな…」国が自らの責任を認めるなんて今でも滅多にないけど、こういう単純だけど発想の転換がある行動が不可能を可能にするのかもしれない。
ついでにもし公式の場で発言するような事に備えて…
アメリカのドラマ「ザ・ホワイトハウス」の1シーン、女性報道官が公聴会出席に備えて顧問弁護士と話をするシーンが参考になる。顧問弁護士は言う「貴方はしゃべりすぎる」。報道官は「そんな事無いわよ」と返す。「では今何時か知っていますか?」と弁護士、それに対し時計を見て時刻を答える報道官。弁護士は言う「時刻を聞いているんじゃない、知ってるかどうか訊いているんです」。報道官は言い直した「知ってる」と。「そう、それでいい」と弁護士。しゃべりすぎると手の内を明かす事になり不利になることもある。らしい。
そういえば特に意識しなかったけど本当に僕がして欲しくない事はここには書いてない。饅頭怖いよろしくして欲しい事書けば面白かったかな…。
何かの参考になれば。
これも仮の話です
近いうち東京に行くと思います、護国寺、東京、芝公園あたりをウロウロと。何かの参考に…。
もう一つ仮の話です
君の方はどうですか?味方もいるはずです。僕以外にも。あきらめないで、こちらもがんばります。君が耐えられるなら、僕も耐えられる。君は何も悪くない。
暗示の力はすごいです。松岡圭祐「千里眼 ミドリの猿」を読むと暗示がどう人間に作用するのかがよくわかります。小説自体はミステリーアクションなんだけど作者は臨床心理士で専門家だから、暗示に関する知識はデタラメじゃないから参考になります。今日、久々に車の運転をしました。運転した後だと車の騒音さほど気になりません、ついさっきまで自分も騒音を出す立場だったせいでしょうか、こういうの逆暗示とでも言うのでしょう。(暗示に関しては12話を参照してください)
これも仮の話です。
もし仮に再会する事があったとしたらシナリオはこうです。今までの事はすべて無かった事にして、僕と君は17年ぶり(あるいはそれ以上の年月ぶり)に偶然再会する。もちろん僕は気がついた事など一言も口にしない、君も同様に秘密など何も無いという感じで、単純に偶然にばったり再会する。この小説の存在などなかった事にして再会する。一言もお互い口にしない、それがベストな再会のシナリオだと思う。ま、仮の話なんですけど…。
これも仮の話です。
普通になったと感じます、お礼を言わなければと思いますが、やはり何人が筋金入りの人がいて、きっと彼女も当時こういう毎日だったのかななんて思います。もう大丈夫と思い、時折人目も気にせず優しくしてくれたのかな?なんて思います。…って事はまだぶり返しがあるのか…と感じます。相変わらずヘリや飛行機来ますし、ま勿論単なる偶然です。何度も繰り返しになるけど、君ががんばれるなら僕も頑張れる。神社に時々いっています、あの神社に。
あと一つ仮の話を…
富士宮まで行くと、いないのか数が少ないのか、感じませんあまり。地域性あるみたいです。静岡県東部地域は工場の多い生産業の町だからでしょうか?昔一悶着あったからなのでしょうか?
人は大概1人で歩くとき人間は自分の世界に没入するものです多かれ少なかれ、相手を観察してどの程度自分の世界に没入してるかをみると普通の人とそうでない人の区別が出来ます。リアクションや挙動が違うんです決定的に、それはさておき離島で静かに暮らすって案外現実味のある話かもしれません。これを彼女が読んでいてくれるのを祈るばかりです。
行動部隊を作ってだれだれが指揮をとるなんて記述が本にありました。方針が変わったのか?指揮する方が変わったのか分りませんがキーとなる何かが変わったのでしょうか?駆け引きの材料を僕は持ち合わせていません、心かあらお願いするしかできません。どうか、彼女を助けてあげてください。人がどうあるべきか気にかけてください。そう、あるべきです。
これは空想であり、願望です…。
僕は時折あの神社へ行って当時はしなかった願い事をしています。偶然ここで再会できたらと…。かなり、可能性は低いけど。もしそうなったらすごい感動的、そうだと思わない?
僕には“彼ら”に「人生を返せ!」と主張する権利がある。
この事実を否定するのは相当難しいはずだ。
否定するためにどんな屁理屈をひねり出すのか一苦労だと思う。
けれど僕はあえて“その権利を行使”しない。
その代わりこう言いたい訳だ。「もう一度あいたい人がいる」と。
それでもそれが「贅沢だ!」と言う人がいるならば、何を持って贅沢ではないのか定義を明確にしてほしいものだ。
単に自分たちの贅沢が(快楽が)侵害されている事に怒っているだけという事実に気づかずに反論できるのだろうか?
「別に人生を全部返せって言う、無理な(実行不可能な)相談をしているわけではない」
…という事実があります。どう感じますか?
“彼ら”は見た目や格好に関しては一般人と見分けがつかないように努力している。
どこぞの信仰宗教のように、専用の服を作ったり、特異なオブジェを掲げたりしない。
逆に言えばそれが故、見た目や生活様式の異なる人を攻撃する心理が生まれるのかもしれない。
たぶん、“彼ら”のあの「行動」は、そうした「専用の服」や「特異なオブジェ」がないがゆえ、
“その”代わりになるべき要素として“必要不可欠”なものになっているのではないだろうか?
あやしい団体の構成員は「専用の服」や「特異なオブジェ」を通じてメンバーが一体感を持つと言う…
“彼ら”の場合は「例のあの行動」を通じてメンバーが一体感を持つ…と考えると、
無理なくイメージできるのだが、本当のところはどうなのだろう?君はどう感じますか?
結果としてその「一体感」が自分が騙されているという意識を麻痺させてゆく…
誰が考えたのが実に巧妙で優れています。効果的に人の人生を、ダメにする。
普通の人間の理性をここまで麻痺させるとは異常です。
どこの誰が考えたのか知らないけど、非常に洗練されています。
どこかの誰かの「快楽」の尖兵になっている事実に気がついてはいけないという強力な暗示に皆がかかっている。
その事実を認めたくなくなるほどに蝕むまで。
洗練された非倫理テクニックのわりに、シロウト集団が実行部隊…
カルトのイメージと重なります。
これは一般的な感覚です。
初めて経験する複雑な心境が待っていると思う。
いろいろな思いが交錯すると思う。
それでも、立ち向かって欲しい。
前を向き続ける事が肝心です。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
(くわしくは21話を参照してください)
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君は試練に耐えた、だから…天からご褒美をもらう機会をもらった、
それで何もおかしな事はないと思うけどどうなのだろう?
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
「これ以上邪魔をして、もし本当に(あなたが)地獄に堕ちちゃったとしても、
誰も責任取ってはくれないよ!
老後を誰とすごしたいかについては、私に決める権利がある。
もうその頃この世にいない人に、とやかく言われたくないわ」
と言う資格が試練を乗り越えた君には間違いなくある。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
信心ではなく、「信念」を君に送ります…。
僕の信念は君から貰った物です。
それは、この世に気持ちが通じ合うという事は確かに存在するという事実。
そして、それが故、話せばいつか必ず人と人は通じ合えるという想いです。
18年前、君からもらったこの大切な想いが、今、僕の信念になっている。
君の中で、信心よりも「信念」が大事に思える日がくるだろうか…
そんなイメージ君に送りたい。
(この物語はフィクションです登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)
メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください