第26話 旅行から帰って…②(新・未来へと続く話その2)
〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください
(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)
〔9月04日(土)曜日〕
君と僕は我慢強い…、お互い我慢比べをしたら決着がつかない。
そして新しい発見が苦手で、でも憧れてる。
不満があると僕は愚痴をいうほうだが君は無言を貫く。いっこうに愚痴らない。
声を荒げたり、泣いたりもしない。
君が声を荒げたり泣いたりする時は本当に極限まで思いが募った時だけだ。
そんな無口な君の心情を察せる人がいるのだろうか?
今どうなってる?心配です。
もし、気持ちをないがしろにされて、「わがままだ」とか言われて一蹴されたら、
Fさん、こう言ってやってください。
「私には、命をかけてくれる人がいる」と。
何か言われたら、その人に、日蓮の現存する正筆御書、一度見るよう進めてみて。
言われたとおり見る人はいないと思うけど(見たこと無い時点でおかしいけど)
“これを他人に勧めるという君の姿”というのは、決意を行動で表す君のスタイルに符合するかもしれない、そう思った。あっている?それとも…まちがっている?
※(「見たけどだから何」みたいな態度とられるかもしれない…、本の内容で論戦されたら、君は不利だ。その場合は、普段の行動、特に君が不審に感じる“彼ら”の行いが、日蓮の現存する正筆御書のどの記述をもとにした解釈なのか問えば良いと思う。たぶん、数日のち付け焼刃で回答すると思う、ポイントはそのあとで、同じ質問をくりかえし何度もして見るとおもしろい効果が出ると思う。付け焼刃で学習した事は数日でボロがでたりする。自分の物に出来ていないからだ。君には難しいかな…、でも何かのヒントになれば、何が役に立つか解らないので、書きました)
僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。
君の事が心配だからです。詳しくは21話参照してください。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
新しい発見をやめてしまった人達に負けないで
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〔9月05日(日)曜日〕
君と僕は我慢強い…、お互い我慢比べをしたら決着がつかない。
そして新しい発見が苦手で、でも憧れてる。
僕と別れた後“彼ら”は君に“まちがった”発見をたくさんさせたと思う。
君は自分でそれを発見したと思い込んでいるけど、それは間違いです。
そうやって“人”を“従順”にさせるのが“彼らの常套手段”です。
君に今必要なのは原点に帰る事。
自分の根幹がなにか。
大切な“それ”が“なに”をいみするのか…
僕は今、賭けをしています。
“彼ら”は絶対に正体を明かさない(告白しない)、どんなに親しくなろうとも。何十年の友情があろうとも…
現役か元かわからないけど、はたして君は告白してくれるだろうか?
全てのターニングポイントはそこかもしれない。
君はこの話、どう感じますか?
Fさん、いろいろ言われると思う。けど、がんばって。負けないで欲しい。
狭量な人達が押し付けてくる“勝手なイメージ”なんか跳ね除けて!
自分の心を取り戻すべきです。
心が狭くなると人の命まで軽くおもえるようになるのよ!と言ってやってください。
多分君の周りには悪意なく“そういう事”が出来る人がたくさんたくさんいると思う。
それは悪意があるのではなく、心が内向きになっていて、外に向いていないからだと思う。
心が外向きになれば、人として持つ“当たり前の感情”が戻ってきます。そう、周りの人に言ってやってください。
世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっている。
せまい世界のなかだけで完結しないのは事実のようです。
君の周りの人に伝えてください。自分たちだけが一方的に正しいと思っているのは恥ずかしくないの!?と。
理解を示す心の広さはどこへやったの?と。
これは人としての“質”の問題です。
教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。質が問われているのです。そう伝えてください。
君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。君は自分で思っている以上に強い人です。
初めての印象とういうのは忘れないものです。わくわくして、楽しくて、面白い。周りの人に、機会があったら伝えてください。最初の印象って忘れないものだと。違いを楽しんだり、同じと思う事を嬉しく思ったり、何もかも新鮮で彩りに満ちている。
自分を責める必要はありません。僕が保障します。
責めるのと、悔いるのは、別次元の問題です。
…こんな事も思う、“彼ら”の中には、自分を責めたくないが故、
他人を責めるのではないか?と。
君はどう思いますか?
“情熱”を失わせるのが、彼らのオハコだ!気を付けて!
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。
君の事が心配だからです。詳しくは21話参照してください。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
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また名古屋で事件が起きましたね…
どうなのだろう?毎年多くないか?と思う普通の人、ドンドン増えていくと思う。
なにか、そちらの世界なりのいい訳があるのだと思う。
僕はもうあの罠にかからないが、何も知らない犠牲者は増えていくと思う。
ブレーキのかからない世界で狂気を肯定し続けるのはつらいと推測します。
脱出がベストです。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。
君の事が心配だからです。詳しくは21話参照してください。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
君の信頼すべき人はは誰ですか?
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〔9月06日(月)曜日〕①
僕は賭けをしています。
“彼ら”は決して正体を明かさない…(告白しない)、どんなに親しくなろうとも、絶対に。
君ははたしてどうだろう…?
18年前、君は一歩手前まで来ていた。
先輩の正体を明かすという行為は、あとちょっと踏み込めば自分の正体も明かしかねない行為だ。
今にして思うとそう思う。
僕は賭けをしています。
君が僕に告白するかどうかと。
そこが、大きなターニングポイントになる。
それは事実です。
旅の記述の続きを書こうと思います。
普通こそ!大事ですから。
〔9月06日(月)曜日〕②
…イスタンブールから東へ飛びアンカラ、ヒッタイトへ
南に進路をかえカッパドキア。
そこからシルクロードを西進、コンヤ、パムッカレ、エフェソスと進む。
さらに西進しイズミール(スミルナ)へ、軍艦をみた街だ。
ようやくエーゲ海を見る。
ここから海沿いを北上。
かつてペルガモン王国の首都があったペルガマを通過し
トロイへ。
トロイ観光後さらに北上、イスタンブール一歩手前のチャナッカレという街で一泊する。
明日はいよいよイスタンブールだ。
チャナッカレの街で印象的だったのは、初めて地元のショッピングモールへ行ったことだ。
ただ、ホテルの近くにあるだけで、観光名所でもなんでもない“普通の”ショッピングモール。
こういうところに行きたかった。
とにかく、ホテルの食事には飽きていた。
なにか違うものが食べたいというのが本音でもある。
なにか買って帰ろうとおもった。
ロビーで同じツアーの人にある、みなショッピングモール目当てのようで、途中まで一緒に行く事になった。
ホテルから結構歩く。異国の地を徒歩であるくというのは物凄く新鮮な気分になる。
なにもかも日本と違うからだ。バス停も違うし、看板もちがう。
しばらく歩くと、おおきな建物が見てきた、どうやらここらしい。
入り口で1人別れ単独行動にした。
貴金属、時計、おもちゃ、ファストフード。何でもある。地元の家族連れがくつろいでいる。
日本にもよくあるお馴染みの光景だ。違うのは、日本人がいないのと、日本円が使えないない事くらいだろうか?
バーガーキングがあった。メニューに20リラとある、1200円くらいだろうか。
バーガーキングにはあまりなじみが無いので、高いのかどうかよく解らない。
…でも、トルコの他の物価からみても、多分高いのだと思う。
後々、空港でトルコ最後の食事として、空港内のバーガーキングを利用するが、ここでは利用しなかった。
とりあえずまず、店を全部見渡してからにしようと思った。
お店には普通、セオリーがある。こういうセオリーだ。
日本のお店は基本左回りでお客さんが移動するよう設計される、と聞いたことがある。
もちろん、お店の構造とかで不可能な場合もあるけど。
だが、このお店は右回りだった。
まず最初にTVがみえる、値段はそう日本と変らないようだ。
次にブックコーナーが見えた。
雑誌がメインのようだ。試しに日本の漫画がないか見てみる。イタリア辺りまでいけば日本の漫画は人気と聞くけど、ここトルコではどうなのだろう?ずっと疑問に思っていた。
見ると、まったく無い。トルコでは人気はないようだ。残念。
できればトルコ語の日本漫画をお土産にしたいと思っていたので…。
ブックコーナーを抜けると雑貨コーナー。この辺は日本と変らない。
ティファールのなべがやたらたくさんあって、ヨーロッパ文化圏なんだなと少しながら感じる。
食品コーナーへ目を移す。
1つ1つの袋がデカイ。海外では郊外のモールでまとめ買いをすると聞くが、トルコでもそういうライフスタイルのようだ。
チャイが売っていた。
トルコの紅茶だ。これは以外においしかった。1袋お土産用に買うことにした。
缶飲料のコーナー。
コーラとか凄い安い。いままで買っていたものが観光地価格だったと思わずうなずく。なにか買おうと見ていると、グリーン・ティ(緑茶)と書かれた缶を見つける。思わず買い物籠にほうりこむ。
あとくだものがあったのでバナナを買うことにした。
こういうものはホテルでは出ない。
最初普通にかごに入れていたが、途中で引っかかる光景に出くわす。
みな次々に果物や野菜をもってきて袋に入れお姉さんに渡している。彼女はそれを目方で量り、シールを貼る。シールにはなにやら印刷されていて、どうやら目方と金額がかいてあるようだ。そして肝心な事に、現金のやりとりはない。
試しに僕も同じ事をしてみる。
どうやら正解らしい。目方を量ってシールを貼ってくれた。
これをレジにもっていって清算するのだろう。
気がついて本当によかったと思う。
“彼ら”に襲われる前だったら、気がつかなかったかもしれない。
以前より確実に周囲を観察する目がついた、無意識にいつも観察するクセが自然についている…(特に苦にならないレベルまできている)、いかに以前無防備だったかと痛感する。
(君の知る昔の僕はどんな風に見えたのかな…ものすごく無防備に見えたはずだ。よくあきれずにいてくれたなと心底思う。)
でも観察眼はみについた。なにしろ皆がただでスパルタ特訓してくれたからだ。
こう考えると、何事も考え方一つで、無駄にならないと感じる。君はどう感じますか?
レジで清算。
こちらのレジはどこもベルトコンベアーが標準装備らしい。そこに買いたい品物を1つ1つならべて、清算の順番をまつ。レジの人は結構乱暴に商品を扱う、笑顔はない、文化の違いだろう。
清算が済むとそのままベルトコンベアーで品物は流され、行き着いた先で袋にいれないといけない。 ぐずぐずしてると次の人が来る。スピードが要ります。
ホテルに帰り、先ほどのグリーン・ティ(緑茶)を飲む事にした。
開けて飲む。久々の緑茶か…、それとも違うか…
正解は緑茶にレモンがはいったものだった。
…そういや聞いたことがある、姉がアメリカで同じ体験をした事を昔話していた。姉弟そろって同じ体験をしたわけだと、なんだかおかしくなる。
まずくは無い、けど明らかに日本のお茶じゃない。
こんな体験も新鮮でおもしろい、海外旅行してるな、とうれしくなる。
こういう経験は、親しい人としたいものです、Fさんは、どう思うのかな…
明日はいよいよダーダネルス海峡をぬけてヨーロッパ大陸に入る。
とにかく休もう、そう感じた。
〔9月06日(月)曜日〕③
…僕はこのとうり、普通に生活できています、何も問題ありません。
波あり、谷ありはみな同じ事。
前を向いて生きていれば大丈夫です。
Fさんもそう思わない?
〔9月06日(月)曜日〕④
人はこういう事かくと、どんな裏があるんだこいつ…と考えるようだけど、
僕の性格を知る人物なら、裏なんて無い。思ったこと口走ってるな、あいかわらずだ…と思うと思う。君はどう感じますか?
僕は今、賭けをしています。
答えはわかりません、とにかく待とうと思う。
今は君の都合が悪いだけだ、受け入れられるにしろ、違うにしろ、なにかしらケリをつけに君は現れる。そう信じます。君は、僕が真実に気がついたという事実をもし知ったなら、その事実を重く受け止めるはずだ。そう思った。
私は、理由も無く人を貶めるような事はもう2度と金輪際しません!とまわりの人にに言ってやってください。
これが、君の救いにつながる事を期待します。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。
君の事が心配だからです。詳しくは21話参照してください。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
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〔9月07日(火)曜日〕①
僕は賭けをしています。
“彼ら”は決して正体を明かさない…(告白しない)、どんなに親しくなろうとも、絶対に。
君ははたしてどうだろう…?
18年前、君は一歩手前まで来ていた。
先輩の正体を明かすという行為は、あとちょっと踏み込めば自分の正体も明かしかねない行為だ。
今にして思うとそう思う。
僕は賭けをしています。
君が僕に告白するかどうかと。
そこが、大きなターニングポイントになる。
それは事実です。
告白された事は胸にしまうつもりでいます。
〔9月07日(火)曜日〕②
チャナッカレで一泊した後、いよいよヨーロッパ大陸へ入る。
バスはフェリー乗り場へ来た。バスごと船に乗り、ダーダネルス海峡を渡るのだ。
ボスポラス・ダーダネルス海峡は世界史で暗記必須の地名だ。
マルマラ海の北がボスポラス海峡、南がダーダネルス海峡。
マルマラ海は北を黒海、南をエーゲ海と接していてそれぞれの海峡で繋がっている。
桟橋は車でひしめいていた、皆フェリーが来るのをまつ車だ。
その光景はまるで橋の上で動かなくなった交通渋滞のようにも見える。
フェリーが来るまでバスをおりて桟橋を散策。
海峡は地図では細いが、こうして実際みると広い。とても海峡には見えない。
しかし、ここは黒海の船が地中海に抜けられる唯一の海峡。
ロシアの誇る黒海艦隊も、ここを封鎖されると身動きとれなくなる、が、見た限りここを封鎖するなんて不可能なんじゃないのか?と感じるほど広く感じた。
フェリーがくる。
鉄製だが、そのイメージはトムソーヤの物語に出てくる木製蒸気船のようなデザインを彷彿させる。レトロな感じだ。
まずは今乗ってる車が出てから乗り込むようだ。
と、いう事は、今立っている桟橋のこの空スペースにドッと車が押し寄せてくる事になる。いそいでバスへ戻る。
ツアー客全員がバスにのってしばらくすると、バスごと乗船。
最後に大型トラックが乗り込むと、出発となった。
船のデッキにでて、潮風に当たりながら海峡をながめる。結構きもちいい。
海峡から望む陸地には、かならずモスクとミナレットがどこかしら見える。異国情緒満点の景色だ。こういうところは君と並んで見ていたいと、そう、君に伝えます。
以前、君は電車が好きといっていた。今にして思うと、自分を知らない世界に連れて行ってくれる“乗り物”が好きだったのだろうか…、そんな考えが頭をよぎる。どうしても鉄道オタクには思えない、きっと他に理由があっての発言に違いないと感じていた。どうかな?はずしたかな、いつか答えを聞きたい。
知らない所に連れて行ってくれる乗り物としてフェリーは最適な乗り物だ。バスよりもわくわくする。非日常の香りがするからだ、もっとも地元の人にはこれが日常なんだろうけど。
進行方向側のデッキへ移動し、近づいてくる陸地をながめる。あたりは白人観光客ばかりだった。
海は外海と離れているせいかなにか違う感じがする。少なくとも静岡の駿河湾の海とは違うかんじがした。波が穏やかだ。どこまでいっても…
〔9月07日(火)曜日〕③
…とにかく今は待とうと思う。
今は君の都合が悪いだけだ、受け入れられるにしろ、違うにしろ、なにかしらケリをつけにいつか君は現れる。そう信じます。君は、僕が真実に気がついたという事実をもし知ったなら、その事実を重く受け止めるはずだ。そう思った。
〔9月07日(火)曜日〕④
どこまでもおだやかに、でも確実に、前を向き続け、時には激しく、意見をつらぬく。そんな姿勢大事だと思う。君にも僕にも。僕は今、賭けをしています。おおきなターニングポイントがくればいいなと思いながら。奇跡に賭けているのです。
これが、君の救いにつながる事を期待します。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。
君の事が心配だからです。詳しくは21話参照してください。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
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〔9月08日(水)曜日〕①
僕は賭けをしています。
“彼ら”は決して正体を明かさない…(告白しない)、どんなに親しくなろうとも、絶対に。
君ははたしてどうだろう…?
18年前、君は一歩手前まで来ていた。
先輩の正体を明かすという行為は、あとちょっと踏み込めば自分の正体も明かしかねない行為だ。
今にして思うとそう思う。
僕は賭けをしています。
君が僕に告白するかどうかと。
そこが、大きなターニングポイントになる。
それは事実です。
告白された事は胸にしまうつもりでいます。
〔9月08日(水)曜日〕②
…ダーダネルス海峡を渡り、いよいよヨーロッパ大陸に上陸。
バスごとフェリーを下船。
マルマラ海を右手に見ながら北上する。
途中、革製品の販売会に案内される、こういうの多くないか?
と思うのは僕だけだろうか?
説明される、イタリアの一流メーカはここから仕入れている。質的には変らない。
値段も安く、質も同じでお得です。
これを聞くとかつての台湾PC部品メーカーの事を連想する。
いまでこそ台湾PCは世界を席巻してるが、昔は、世界中のPC部品はみな台湾製なのに、台湾ブランドではまったく売れなくて悩んでいた時期があったのを思い出す。ブランド力を独自に作るというのは本当に大変らしい。
“彼ら”の守りたいものも、ブランドなのでは?と時々思う。中身ではない、そもそも中身で他と比較してもたいした違いはない。ブランド力があるからこそ、優越感にひたれるわけだ。じゃあ、弱点はブランド力がさがるような事か!と思ったりもする。日本人はブランドに弱いか…、そんな事頭をよぎる。
もうこの頃になると、例の同行者も睨むのをわすれて楽しんでいる。ときおり思い出したかのように近づいてくる(話しかけたりしてこない)けど、そんなものだった。
昼食のとき、何処かの街のレストランに入る。
この日は「小説を読む!」と朝から決めていたので、地図も見てないし、景色も真剣にみてなかったので、ここがどこの町か把握してなかった。
解っている事は、今がイスタンブールの途上である事と、ダーダネルス海峡を渡ったのでヨーロッパサイドにいる事、北上の途上であり、マルマラ海沿いを走ってきた事。それだけ判っていれば充分に思えて、ずっと本を読んでいた。
なので、昼食に立ち寄った街は不明だけど、古くて近代的な町というのだけは判った。知らなければヨーロッパかな?と思うくらいだ。
食事中、歌声が聞こえてくる。スピーカーで。お祈りの合図だ。
しかし、どこをみてもそんな事しているひとはいない。
こういう事だと思う。今、街を歩いてる人は世俗主義の人かたまたま忙しくてお祈りが出来ない人。したい人、する人はどこか特別に用意されたへやでやっているのだろうと、そう思った。
ここのレストランでも猫をみる。
食事もおわり、さらに北上。一路イスタンブールへ。
だんだん景色がかわってくる。建物が増えて、乱雑に増加してゆく。
2冊読み終えた頃には、もう景色が変っていた。久しぶりの雑踏の空気。
ガイドがいう「イスタンブール」に入ります。
もう、さっそく交通渋滞にはまる。ひどいとは聞いていたけど、本当に凄い。
一旦車列がとまると、歩行者が入ってきて道をわたる。1人や2人ではない。雑踏の全員だ。それでも、それなりにスムーズに動く。ストレスは感じなかった。
てっきりこうだと思っていた。
日本人はみな交通ルールをまもるから、日本の渋滞は外国のものよりましに違いない、と。でも実際体験してみると、やり方がちがうだけで、どちらが良いともいえない感じがした。
外国人が、日本は窮屈だ、と言う理由の一端にふれた気がする。
途中、水道橋をみる。
あれはローマ時代からあるもので、今でも現役で水を運んでいると本で読んだと思う。普通に遺跡が同居している景色はなんか奇妙な感覚に陥る。
そういえば聞いたことがある。ここイスタンブールは掘れば必ず何か遺跡が出るので、工事が大変だと。いまも地下トンネル工事をしているそうだけど、ほぼ全部の場所で遺跡が出たとTVでみた。まさに“歴史と同居した街”である。
もし、君が隣りにいたら、僕は水道橋について知りうる限りの話をきみにし続けていただろう。覚えているだろうか?君は初めてのデートで、僕が止まることなくしゃべり続けていたことをうれしく思ったと。「沈黙がいやなの」ともいった。
いまでも何かしらこうして書いている。昔よりも、君の気持ちが理解できるようになったとおもうし。おそらく、今でも沈黙せずに君とたのしく話し続ける自信がある。
誰かに何か言われたら、こう言ってください。
「私には、命をかけてくれる人がいるの」と。
なにか、そちらの世界なりのいい訳があるのだと思う。
…でも、そんなもののために、1度しかない人生を犠牲にされるのは間違っている。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください(周りにもすすめてください)。誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。君が「埋没費用の呪い」にかからず、冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
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〔9月08日(水)曜日〕番外
こういうのもあった。
Fさんは、おしとやかだ。
逆に言うと、態度を明確にしない…
この点を向こうはついてくるかもしれない。
何も話を進めてないうちから、「断らなかったろ?」といわんが態度で
どんどん話をすすめていき、君が断れない環境を作り上げるというやつだ。
ずぶとい人間なら「いらん」と言えるが、繊細な人では言えなくなる…
断る勇気が必要です。
ポイントは、君が承知してないのに(たとえ親切心であろうとも)相手が勝手にした行為は全て違法行為です。君が首をたてにふらない限り、全て違法なんです。
相手がごちゃごちゃ言ってきたら
「書面で私が承知したことを法的に証明してみせて」
といえば、相手の違法性を指摘できます。
(※印鑑登録を変えておいたほうがいいかもしれません、君だけの印鑑に。ネットで訳あり印鑑を探すと、5割から8割引きでまともな印鑑が買えたりします。)
たとえば極端な例で言うなら、レストランで相手が勝手におごってくれる行為も違法だから、断れます。いらないプレゼントをされたら、交番に落し物としてとどけてもいいでしょう(正直に拾ったといっても良い、その場合親切なおまわりさんなら返還の手助けをしてくれるかもしれない、最悪でも相手の顔をつぶせる)
以前書いた、交渉の基本ルールは“切りしろ”をおおく持つ事だと。
相手が、勝手に事を勧めるやり方は、君の“切りしろ”を封じる手段でもある。なぜなら選択肢が限定されてしまうからだ。この場合、自分の“切りしろ”が封じられないためにも「断る」勇気が必要なんです。
もし、気がつかないうちに罠にはまったら?
第3者を巻き込む方法がベストです。先にあげた交番に落し物として…、というやりかたなら、自然な形で警官を巻き込める。警官そのものが君の“切りしろ”になるわけです。
相手は親切心につけこんで、あたかも君が自分で決断したかのように“錯覚”させるプロです。親切心を利用されないようにしないと、永久にいいように利用されてしまいます。
…すこし、きつい事書いた。
けど、判って欲しい。今、この事を言える人間は、もう僕以外君のまわりにはいないと思う。警告できるならばすべきと判断しました。
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〔9月09日(木)曜日〕①
僕は賭けをしています。
“彼ら”は決して正体を明かさない…(告白しない)、どんなに親しくなろうとも、絶対に。
君ははたしてどうだろう…?18年前、君は一歩手前まで来ていた。
先輩の正体を明かすという行為は、あとちょっと踏み込めば自分の正体も明かしかねない行為だ。
今にして思うとそう思う。
僕は賭けをしています。
君が僕に告白するかどうかと。
そこが、大きなターニングポイントになる。
それは事実です。
告白された事は胸にしまうつもりでいます。
〔9月09日(木)曜日〕②
ボスポラス海峡を渡り、一路北上。この日は観光はせず、ホテルへ行く事に。
明日、あさって2日かけてじっくりイスタンブール観光をして、3日目帰国の予定だ。この3日間は物凄い濃い3日間だったと思う。
旅というのは不思議なもので、いつまでも自分はこの国にいるんだという錯覚に陥ってしまう。君もこういう経験した事ないだろうか?見慣れない場所に長期間いると、以前いた場所がかすんでしまうような感覚。この感覚、悪用されると物事を忘れさせるのに使われてしまう。
旅のようにいつまでも自分はこの国にいるんだという錯覚に陥ってしまう状況の時、自分は日本人なんだという原点に帰ると正気が喚起される。
何事も、原点を思い返せば、正気を取り戻せるのだと、僕は考えます。君にこのイメージが上手く伝わる事を願います。
仮に何処かに監禁や軟禁されても、原点さえ忘れなければもう正気をうしないません。(そんな目にあってないといいけど、そう切に願います)
…ともかく、普通の事を書こうと思う。
普通が一番です。
ホテルに着く前、日本食屋に寄る事になる。急な予定変更。
ツアー客の多くが食事にやられているらしく、添乗員さんの計らいだった。
聞けば、毎回トルコツアーでは食事に参る日本人が出るとの事、毎回そうだから添乗員さんはその点気をつかうらしい。
イスタンブールは主に旧市街、新市街、アジアサイドの3箇所からなる。
旧市街は一番古くからの町、テオドシウスの城壁に守られたコンスタンティノープルだった場所だ。新市街はその北に位置し、旧市街とは金角湾で隔てられている。新市街の東にボスポラス海峡があり、その向こうがアジアサイドだ。
旧市街と新市街を隔てる金角湾は狭いので、古くから橋があるが、ボスポラス海峡は広いので近年まで橋は出来なかった。いまは、イギリスが作った第1ボスポラス橋、日本が作った第2ボスポラス橋で結ばれている。
バスは南から旧市街に入り、水道橋、スレイマンモスク、カラダ橋を通過。新市街に入る。今イスタンブールの中心街はこのあたりらしい。
観光地とは違い、今の街の活気がみられる。
バスは大きな通りで端により停車、そこから全員で徒歩で店に向かう。
東京にいたとき、外国人観光客がゾロゾロ歩いているのをよく見た。目立つなーといつも思っていたけど、今度は逆の立場だ。
渋谷のスペイン坂とか、あの辺りを歩いているような感覚の場所へと入っていく。狭い坂。なんだか外国人の多い日本の狭い路地に来たような錯覚に陥る。
日本食屋が見えてきた、メニューにネギトロが出ていた。
「久しぶりに食べたいな」と思っていたら、その店の隣りの店が目的地という。もう一件日本食屋があった。最初にみつけたとこより地味な印象。でもおいしかった。
食事がおわり、来た時と同じようにツアー客全員で同じ道を引き返した。
坂道を下る、よくみるとこの路地は両サイドみな飲食店だった、路地を抜け、大通りへ、多くの人が行きかう、色黒のひとがいなければヨーロッパかと錯覚するような雑踏。
できればあちこち散策したいところだけど、時間的余裕はないようだ。
君と歩きたい街です。いろいろ新しい発見を一緒にしたり、見たり、聞いたり。
そんな夢も奇跡を願わないと叶わないのだろうか…。
僕は賭けをしています、君が僕に告白するかどうかと。
そこが、大きなターニングポイントになる。
それは事実です。
僕はあの日、君とお祭りの出店など見て回りたいと考えていた。
定番のラムネを買ったり、金魚すくいなんかもいいなと漠然とおもっていた。
…けど、(僕は気がつかなかったが)君は“彼ら”の気配に気づき、早々にお祭りから逃げる事を選択した。僕は君1人に戦わせていた事になる、もう、そんな事はない。僕は気がついた。1人じゃないんです、つかれたら、君には以前とは違い休む場所がある事を忘れないでください。
何か言われたら、こう言ってください。
「私には命をかけてくれる人がいる」と。
〔9月09日(木)曜日〕③
なにか、そちらの世界なりのいい訳があるのだと思う。
…でも、そんなもののために、1度しかない人生を犠牲にされるのは間違っている。
「今度はあなたが人の都合を聞く番よ、さんざん他人の都合を無視してきたんだから、文句は言わせないわよ!」と、言って良いと思う。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください(周りにもすすめてください)。誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。君が「埋没費用の呪い」にかからず、冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
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今、こちらでは「噛みつきサル」騒動がおきています、全国ニュースで毎日やってるから、君がどこにいるにしろ、たぶん、知っているのでは?と思う。(でもFさんはTVみないといっていたからな…、どうだろう)
もし“彼ら”がその情報網をフルに使えば、サルの現在位置などすぐに把握できそうなんだけど、そういう指示が上からおりてこないのだろう。そう感じた時点で、「なんだかこの組織おかしい」と感じてくれたら嬉しいです。
(珍しく組織の“それ”が本物の社会貢献ができる状況なのに…、無害な人間を殺すまで追い込むより、はるかに役に立つ。…それとも、そういう指示は確かにきてはいるが、“身内”が噛まれないようにするためにだけに留めて、捕獲に協力する気ゼロなんだろうか…。こんなうわさを思い出す。あの日“彼ら”は身内にこう警告したそうだ「都内に来るな」と。地下鉄サリン事件の日です。ま、うわさですけど、そこまで腐ってないと僕は信じています)
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〔9月10日(金)曜日〕①
“彼ら”は決して正体を明かさない…(告白しない)、どんなに親しくなろうとも、絶対に。
君ははたしてどうだろう…?18年前、君は一歩手前まで来ていた。
先輩の正体を明かすという行為は、あとちょっと踏み込めば自分の正体も明かしかねない行為だ。
今にして思うとそう思う。
僕は賭けをしています、君が僕に告白するかどうかと。
そこが、大きなターニングポイントになる。
それは事実です。
告白された事は胸にしまうつもりでいます。
〔9月10日(金)曜日〕②
少し書き損じた部分があった、
実は日本食を食べる前、旧市街でバスをおり、船に乗っている。
時間をすこし巻き戻して、(イスタンブールに入る前まで戻します)
…ボスポラス海峡を渡り北上しバスはイスタンブールに入った、南側からイスタンブール旧市街に入りさらに北上。
途中、大きなバスターミナルを見る。イメージとしては渋谷の空中歩道から駅前バスターミナルを見下ろした時の雰囲気に似た光景だが、規模はもっと大きい。
鉄道が発達していないからバス路線が発達しているのだろうと連想した。おおきなバスターミナルだった。
その後、僕らの乗ったバスはさらに北上。
海に面した場所に停まる、船着場だ。ツアー客全員でバスを降りる。
船着場では古びた観光船が待っていた。20~30年は船齢があるんじゃないかと感じる古さだ。いい意味で味のある船。この観光船は“南”ではなく“北”へ向かう予定と聞く。つまりイスタンブールから北の“黒海”にむけて遊覧し、ある程度いったら引き返すというわけだ。
先にも書いたとおりイスタンブールは主に旧市街、新市街、アジアサイドの3箇所からなる。
旧市街は一番古くからの町、新市街はその北に位置し、旧市街とは金角湾で隔てられている。新市街の東にボスポラス海峡があり、その向こうがアジアサイドだ。ボスポラス海峡をこのまま北上すると黒海に繋がっているし、逆に南下すればマルマラ海、さらに南下すればダーダネルス海峡に行き着き、その先はエーゲ海になる。
海峡の名は“ボスポラス”、ダーダネルスと対で暗記する事が必須の世界史で有名な場所だ。
先にフェリーで渡ったダーダネルス海峡より狭い…、海峡というイメージにあう景観だ。
左右の陸地のうち、左側にモスクや旧所名跡が多い。右はアジアサイドで、近代まで発展しなかった地域だ。
左側の新市街に西洋風宮殿が見えてくる。あれは王の居城のはずだ。
最初スルタンは旧市街に住んでいた、しかし、窮屈でくつろげないので、何代かあとのスルタンが住まいを変える決断をする。
その際、新市街に西欧風のお洒落な宮殿を作った、以来、王の宮殿はそこになり、旧市街の宮殿は政治官僚の仕事場と化した…、そんな事を本で読んだのを思い出す。当時からトルコ人は西欧にあこがれていたわけだ。常に目が西に向いている。
そのまま北上。途中水上レストランに出くわす。海峡のど真ん中に、人工の浮島があり、レストランのような事をしているようだ。確かめた訳でないので間違ってるかもしれないけど、見た限りレストランに見えた。
そういえばこんな話を思い出す。イスタンブールでは交通渋滞が多いので、海上交通手段が発達している、中には個人でボートを持っている人も少なくないと…、そうした人むけの店なのだろうか?
こういう景色は君と見たいものです、本当に。Fさんはどう思いますか…?
船はさらに北上、第二ボスポラス大橋が見えてきた、(今地図でみるとこの時点でボスポラス海峡の半分くらいまで来ている様だ)その向こうにルメリ要塞が見える。ようやく要塞が見えてきた時点で舟は進路を南に転じる。ものすごい残念。ルメリ要塞はもっと見たかったところだ。
コンスタンティノープル攻略戦には奇想天外なエピソードが多い。4ヶ月で築城した要塞の話とか、巨大な鎖で海峡を封鎖した話とか、船を陸上輸送して相手の背後に回った話とか。ルメリ要塞もそうした奇想天外なエピソードの1つを担った遺跡だ。
通常、石つくりの城を作るには何年もかかる。しかし、何年もかけていては敵に攻撃されてしまう。ルメリ要塞はコンスタンティノープルの北に4ヶ月で建設されたお城だ。当時としては空前絶後の短期間で作った事になり、コンスタンティノープル側を驚かせたのだ。
日本人はとかく豊臣秀吉の「一夜城」をほめたたえるが、外国にも似たような事を考えて実行した人間がいた訳だ。しかもこちらは石つくりの要塞。秀吉のように木材で作ったものではない。スケールが違うと感じるのは僕だけだろうか?
初期オスマン・トルコは優れていた。そう感じる。けど、時代が下るにつれ硬直化して柔軟に動けなくなる…
硬直化した時代、オスマン・トルコは反乱要素は徹底的に弾圧し、根絶やしにした。それがトルコが近代化に遅らした原因の1つだろうと僕は思う。
今、幕末日本史の本を読んでいる、「竜馬伝」のせいで気になって仕方なかったからだ。一度ちゃんとおさらいしようと思った。
読むと結局開国をリードしたのは薩摩・長州を中心とした反乱分子なのがよくわかる。幕府は徳川家を守る事に終始して日本全体に目が向いていない。もし江戸時代、幕府が地方の反乱分子をオスマン・トルコのように徹底弾圧で根絶やしにしてしまっていたら、トルコと同じように近代化におくれる歴史を歩んでいたのだろうか?そんな事思わなくも無い。
未来の可能性を残すためにも、異質なものは残すべきなのだと思う。
将来、何が役に立つか判らないわけですから…
〔9月10日(金)曜日〕③
君が今も戦っているという前提で書きます。
1度しかない君の人生です。負けないで!
自分の都合を押し付けてくるような連中は跳ね除けて!!
彼らは、“彼ら”の中でも教えを利用して君に無茶を押し付けてくるような連中だ!
これは人としての“質”の問題です。
…教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。質が問われているのです。何か言われたらそう伝えてください。
世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっている。
せまい世界のなかだけで完結しないのは事実のようです。
他にも何か言われたら、こう言ってもかまわない。
「私には命をかけてくれる人がいる」と。
〔9月10日(金)曜日〕④
僕と別れた後“彼ら”は君に“まちがった”発見をたくさんさせたと思う。
君は自分でそれを発見したと思い込んでいるけど、それは間違いです。
そうやって“人”を“従順”にさせるのが“彼らの(中の「そうした人達」の)常套手段”です。
〔9月10日(金)曜日〕⑤
なにか、そちらの世界なりのいい訳があるのだと思う。
…でも、
「今度はあなたが人の都合を聞く番よ、さんざん他人の都合を無視してきたんだから、文句は言わせないわよ!」
と、言う権利を君は十二分に持っていると思う。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください(周りにもすすめてください)。誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。君が「埋没費用の呪い」にかからず、冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」と言ってもいいんです。僕が保障します。
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〔9月11日(土)曜日〕①
Fさん、いろいろ言われると思う。けど、がんばって。負けないで欲しい。
狭量な人達が押し付けてくる“勝手なイメージ”なんか跳ね除けて!
自分の心を取り戻すべきです。
心が狭くなると人の命まで軽くおもえるようになるのよ!と言ってやってください。
“彼ら”は決して正体を明かさない…(告白しない)、どんなに親しくなろうとも、絶対に。
君ははたしてどうだろう…?
18年前、君は一歩手前まで来ていた。
先輩の正体を明かすという行為は、あとちょっと踏み込めば自分の正体も明かしかねない行為だ。
今にして思うとそう思う。
僕は賭けをしています。
君が僕に告白するかどうかと。
そこが、大きなターニングポイントになる。
それは事実です。
告白された事は胸にしまうつもりでいます。
〔9月11日(土)曜日〕②
旅行の話に戻そうと思う、普通が一番です。
…船は海峡をわたり、第二ボスポラス大橋とルメリ要塞が見えたところで引き返した。
北上中はあえて水面近いデッキおり潮風を楽しんだ。帽子が飛ばされそうなほどの風だが、気持ちよかった。モスクが見える海面近くからの景色は迫力満点だ。
引き返してからは場所を変えた、風がやんでしまい面白くなくなったからだ、どうやら進路を南に転じたことで、風下にむけ航行する状態になったようだ、風がやむと暑さがこたえる。
途中、「ヤル」と呼ばれる別荘群をみる。本を見ると第二ボスポラス大橋周辺に多いと記載されている、以前TVで見たのだが、トルコ人の夢は、ここに別荘を構えることだそうだ、ボートをそなえた船着場が各々の別荘にあり、ここから直接会社へ出社する女社長の映像をその時TVで見たのを覚えている。さしずめ日本人にとっての軽井沢なのだろうか?(それとも別荘といえば軽井沢という発想はもう古いのかな…、あそこは観光地になってしまってうるさいから、本物の金持ちは違うところに別荘をたてるとか聞いたことがある)
観光船はそのまま南下して、元の船着場までもどった。短時間だけどおもしろい経験だった。書き足りない部分もたくさんある、いつか君とここで書き足りなかった部分について語らう日がくるのだろうか?
この後、新市街で日本食屋に行き、その後ホテルへ向かう事になる。
多少年季は入っているが、ちゃんとした感じのホテルだ。
ここイスタンブールは破壊を再生を繰り返してきた歴史を持つ。
翌日それを象徴する遺跡を、いくつか見る事になる。
この先は時系列を無視して、印象に残った光景のファーストインプレッションのみを書こうと思う。
イスタンブールの旧市街には“地下宮殿”と称される“地下貯水池”がある。ローマ時代に整備された地下空間で、何本もの“柱”で天井が支えられている。地上の入り口から地下に入ると急にひんやりしてくる。カッパドキアの地下都市を思い出すが、あれとは違い湿気がある。
地下貯水池は今は現役で機能はしていない、あくまで観光用施設だ。あちこちにガイドレシーバーの案内看板がでている。いくらか払うと英語解説の聞けるレシーバーを貸してくれるわけだ、最近の歴史遺跡や歴史展にはこういうものが多いようだ。
“柱”は何メートルもあり、天井は相当高い。昔は天井一杯まで水があったらしい。今は下のほうに数センチ水がはっているだけだ、おそらく観光用の演出のためだろう、鯉が泳いでいたりする。歩道が整備されていて、水面何十センチの位置にある。
オスマン・トルコ時代は“貯めた水”というのをトルコ人が好まなかったらしく、コンスタンティノーブル陥落以降は使われず、貯水池全体が放置され、気がついたら流入する砂などで埋まっていたらしい。
近年になり、砂が取り除かれ、観光地として整備された。なまじ砂に埋まっていた分、保存状態は良好だ。
中にはカフェのようなものが作られていた、地下空間で食事ということのようだ、薄暗い中、わずかな明かりで照らされたそこは神秘的に見える。しゃれた事を考えるものだなと思った。
空間をささえる“柱”は専用につくられたものではない、ローマが周辺ギリシャポリスを打ち負かした際、その地で神殿に利用されていた柱を持ってきて使ったものだ。いわば略奪品の柱でつくられた空間である。なんともひどい話だ。だから、それぞれの柱がばらばらのデザインになっている。この地下貯水池で一番有名なモニュメントは“メドゥーサの首”と言われるものだ。あの、目をみると石にされてしまうという伝説の化け物のこと。
この“メドゥーサの首”も、何処かの都市国家の神殿から略奪され、ここ地下貯水池に運ばれた。
これをここにもってきた人は、本当に「石材」として扱ったらしい、首を逆さにして、柱の土台にしている。当時これを作ったローマ人の感覚では、もうここは水で満たして目に付かなくなる場所だから、美観などどうでも良いという事なのだと思う。
略奪品を粗末に扱い作られた空間、それがこの地下貯水池だ。
でも、この地下にあったおかげで、地上の風化や戦争に巻き込まれること無く、2010年の現在もなお、きれいな状態でここにある…、それは人類の歴史の上でものすごい重要なことのように思う。この地下空間を見るだけで、ローマ時代の略奪の様子がうかがえるわけで、貴重な歴史資料だと思う。無ければ、想像するのみになってしまい、過去の解釈に大きな差異がでてしまう。
過去の記憶というのは重要なんだと思う。それがあるから、過去から反省する事も出来る、あやふやにしたり、忘れてしまっては、同じ事を繰り返してしまう。
それに過去の記憶があれば、自分が何者であるのかを知る事もできる。
自分が何者かわからないというのは、不安で、不安定になるものです。それを避けるためにも過去を否定せず受け入れる事が大事です。
受け入れる際、問われてくるのが、人としての“質”だと思う、過去とどう向き合うのか?過去が自分の何であるのか?と問うのはその人自身の資質が答えに反映される。
君はどう感じますか?
〔9月11日(土)曜日〕③
僕と別れた後“彼ら”は君に“まちがった”発見をたくさんさせたと思う。
君は自分でそれを発見したと思い込んでいるけど、それは間違いです。
そうやって“人”を“従順”にさせるのが“彼らの(中の「そうした人達」の)常套手段”です。
ともかく待ちます、今は都合が悪いだけだ、そう信じます。
君の心が周囲に伝わる事を祈って…。
何か言われたら、こう言ってください。
「私には命をかけてくれる人がいる」と。
「今度はあなたが人の都合を聞く番よ、さんざん他人の都合を無視してきたんだから、文句は言わせないわよ!」とさえ言って良いと思う。
教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではありません、人としての“質”の問題なんです。
僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。君の事が心配だからです。君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください(周りにもすすめてください)。誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。君が「埋没費用の呪い」にかからず、冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
“情熱”を失わせるのが、彼らのオハコだ!気を付けて!
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〔9月12日(日)曜日〕①
僕は賭けをしています。
“彼ら”は決して正体を明かさない…(告白しない)、どんなに親しくなろうとも、絶対に。
君ははたしてどうだろう…?
18年前、君は一歩手前まで来ていた。先輩の正体を明かすという行為は、あとちょっと踏み込めば自分の正体も明かしかねない行為だ。
今にして思うとそう思う。
僕は賭けをしています。
君が僕に告白するかどうかと。
そこが、大きなターニングポイントになる。
それは事実です。
告白された事は胸にしまうつもりでいます。
自分を守って欲しい、僕のためにも。
〔9月12日(日)曜日〕②
とにかく、普通の事を話そうと思う。
イスタンブールについての光景を、印象的な順に書こうと決めた旨、前回書いた。
まずは地下貯水池について書いたわけだけど…
次はトプカプ宮殿だろうか…
旧市街にある王の住まいだ。
4つの門があり、その奥に4つの庭がある。奥にすすむにつれて重要度が増す構造をしていると事前に読んで調べていた。
トプカプ宮殿では陶磁器が有名らしい。物凄いコレクションがあるという、僕が読んだ本ではシロウトがみても感嘆するものらしい。それはぜひ見てみたいなと思っていた。
謁見の間も見てみたかった、図書館が併設されているらしい。
その他にも第4の門の奥にある西洋風のスルタン個人スペースもあったらしい。精密画展示室もあったらしい。これらは事前に予習していたので、ぜひ見てみようと思っていたのだが、甘かった…。
最初に結論を言うと多くのポイントを見損ねた。
理由は、圧倒されてしまい、ほかの事に気が回らなくなってしまったからだ。
気がつけば、最後はトプカプ宮殿内のカフェでくつろいでいた、圧倒され、のぼせてしまったのだ。自分の考える豪華を遥かに越える豪華を見せ付けられると、さすがに息がきれてしまう…。
ここの宝物殿にはスプーンで大盛りにすくったゼリーよりもさらにデカイエメラルドとか金銀細工や宝石など、日本国内では見る事が出来ない類の“お宝”が山のように展示されている、目がくらんでくる。何も知らない僕ですらこうなのだから、興味のある人間にとってこれらはとんでもない代物だったのだろうと思う。
こんなものを見せ付けられれば、無条件に脳が機能停止してしまう様に思う。
正常な判断ができなくなる。
昔の王様はこういうものを部下や庶民にみせつけて、その意思を支配していたのだろうか?そういやどこの偉い人もこういう“宝物”を欲しがるな、などと思った。
きみもこういう目にあった事あるのだろうか?目もくらむプレゼントされたりして…。
いくら物に執着しない君でも、あまりに豪華なものなら…、現に僕ですらここの宝物殿をみてくらくらしている。
相手は“そういう”心の隙間をついてくる。
もし仮に相手がそういうプレゼントをしてきても、正常な判断を失わないようにしてほしい…、そうお願いします。
もし仮に、本当にそんなプレゼントされたら?返そうとしても受け取ってくれなかったら?
落し物として警察に届けても良いと思う、警察立会いのもと、返そうとしても相手が受け取らなければ、何処かの慈善団体に寄付してしまえば良い。その際所有権でもめないように、警察官のいる目の前で所有権放棄の旨書いた紙を書いてもらえば良いと思う、何事ももめた際に効力を発揮するのは、こうした書面です。法的に不備が無いように、年月日の記述と判子、判子がなければ拇印、最低でもサインをフルネームで。できれば運転免許の番号(~号と書いてある部分)など一緒に控えた方が良い。誤字脱字があると効力が落ちるのでそこも注意して。
プレゼントとは現金で人の心をしばる手段です、気をつけて!
…そういえば、君は物より気持ちを優先する。僕の手製のクリスマスカードに喜んでくれた。
まさかだけど、当時すでにプレゼントで心を縛られるような経験してたんじゃないよね…?
そうでない事をいのるばかりです。
僕は賭けをしています。
君が僕に告白するかどうかと。
そこが、大きなターニングポイントになる。
それは事実です。
告白された事は胸にしまうつもりでいます。
僕と別れた後“彼ら”は君に“まちがった”発見をたくさんさせたと思う。
君は自分でそれを発見したと思い込んでいるけど、それは間違いです。
そうやって“人”を“従順”にさせるのが“彼らの(中の「そうした人達」の)常套手段”です。
何か言われたら、こう言ってください。
「私には命をかけてくれる人がいる」と。
なにか、そちらの世界なりのいい訳があるのだと思う。
…でも、そんなもののために、1度しかない人生を犠牲にされるのは間違っている。
「今度はあなたが人の都合を聞く番よ、さんざん他人の都合を無視してきたんだから、文句は言わせないわよ!」と、言って良いと思う。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください(周りにもすすめてください)。誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。君が「埋没費用の呪い」にかからず、冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
自分を守って欲しい、君は自分で思っている以上に強い人です、大丈夫です!!
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〔9月12日(日)曜日〕番外
君の事だから、言われるまでも無く当然承知しているとおもうのだけれども…今更ながらだけど、一応書きます。もし、書くまでも無く当然判りきっていたなら、ああ、この人は私を心配してくれているんだ、という思いを汲んでくれればと、そう思います。
君は“彼ら”以外との付き合いは薄い、当然話し相手も身内だと思う。
でも相手が“そう”ならば、話した内容は当然全部報告されるから、報告されても良いことしかしゃべっちゃダメだよ。たとえ、どんなに親しいひとでも。
何が役に立つかわからないので、一応書きました。
君が頑張れるなら、僕も頑張れます。君は1人ではありません、頑張って!
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〔9月12日(日)曜日〕番外②
法律の怖さを理解するうえで、一番簡単な方法は「ナニワ金融道」という漫画を読むことだと思う。
内容自体は女の子のよむようなものではない、ても参考にはなる。
直接の参考にはならなくても、法律において書面と意思表示がいかに重要か?といのがイメージできる。主人公たちは脱法行為ギリギリの行動ばかりとる、だから読むと、どこまでが犯罪で、どこまでがセーフなのか?とうラインがシロウトでもイメージできるようになる。この本は地検特捜部にもおいてあると、昔ニュースステーションで見た記憶がある。それなりのクオリティーがあると多くの人が認めている作品です。
買う必要は無い、興味がわいた時点で、都合が良いとき漫画喫茶でもいけば読める。
何かの参考になれば幸いです。
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〔9月12日(日)曜日〕番外③
あとそれから、これは懸念なんだけど、できることなら考えすぎであって欲しい懸念…。
もしかして君の周辺に最近イケメンが多くいたりしない?
トルコ旅行でも例外なく若い女性はみな美人という状況だった、まさかね…そこまで姑息とはおもわないけど、他の異性へ興味を持たせる事で、情熱を冷まさせようという誘導ととらえられなくも無い。
特に君はぼくとちがって容姿がいいから、男も積極的に寄ってくると思う。
これは、あくまで懸念です。注意すべきことかもと、そんな事思った。
“情熱”を失わせるのが、彼らのオハコだ!気を付けて!
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〔9月13日(月)曜日〕①
僕は賭けをしています。
“彼ら”は決して正体を明かさない…(告白しない)、どんなに親しくなろうとも、絶対に。
君ははたしてどうだろう…?
18年前、君は一歩手前まで来ていた。
先輩の正体を明かすという行為は、あとちょっと踏み込めば自分の正体も明かしかねない行為だ。
今にして思うとそう思う。
僕は賭けをしています。
君が僕に告白するかどうかと。
そこが、大きなターニングポイントになる。
それは事実です。
告白された事は胸にしまうつもりでいます。
〔9月13日(月)曜日〕②
イスタンブールでの印象深い事柄を時系列を無視して書いています。
前日書いたトプカプ宮殿のつづき…
一通り見学し、あまりの豪華さにくらくらきてカフェに座って休んだ。
第三庭園の下の方にあるカフェで、飲み物の値段が異常に高い、ホテル据え置きの飲料よりも高い値段設定、それでも売れるという事は、買う人がいるわけで、なぜだ?と頭をひねる。
結局、なにも注文せず席だけ拝借した、座るだけでもOKらしい。
眼前に広がる景色を見てピンと来た
「ここはコンスタンティノーブル攻防戦の海上の戦場が一望できた場所だ!」と。
目の前にマルマラ海、左斜め前方にボスポラス海峡、さらに左際には金角湾…
おそらく、トルコ海軍は地中海を北上してこの地に来たはずだから、右から来た事になる…。
この歴史的景色にヨーロッパ人なら高額をはらうかもしれない…
こんな事が頭をよぎる、日本人でも、中国の赤壁の戦いが一望できる場所にカフェがあったら、高額はたいても飲み物たのむのではないだろうか?と。逆にヨーロッパ人は赤壁の戦いなど知らないから、なぜこんな高いと驚くだろう…
(※赤壁の戦いとは諸葛孔明が大活躍した有名な戦いです、三国志に登場します)
ここイスタンブール(コンスタンティノーブル)は天然の要塞だ。3方を海に囲まれ、唯一陸地とつながる西側には、突破不可能の城壁が存在する。
だから攻めるなら手薄な海側がいい訳だが、海側には砲台と海軍がいて鉄壁の守りをしている。現に、このトプカプ宮殿も、コンスタンティノーブル時代は海側の守りを固める砲台として使われていた場所だったらしい。
たしかにここからなら、なにも障害物がない、腕さえ確かなら攻めてくる軍艦を大砲でなぎ払える…
コンスタンティノーブルの敵はなにもトルコ人だけではなかった。
古くは北から攻めてくる騎馬民族、ローマが東西分裂した後は、西で経済をにぎったベネツィアといった商業都市から攻められた。みなシルクロード交易の利権を狙ってやってきたわけだ。
シルクロードの利権がこの世でもっとも富をもたらすシステムだった訳だ。
このシステムは未来永劫続くと思われていた。
でも大航海時代、海路が開かれると、シルクロードは存在意義を失う…。
今度は海路を制したものが世界を制すようになる。
各地に植民地が作られたのもこの時期だ、全て海路の確保が念頭にある。
(※日本に開国をせまったアメリカにしても、海路確保の観点で日本に補給基地が欲しかった訳だ、捕鯨専用の補給基地が欲しかったと言われているけど、同時期、交易も求めていたのは事実です)
第1次世界大戦は海路の利権争いだったと思います。とうぜん、この時期になるとだれもシルクロードなど見向きもしません、完全に取って代わってしまった。こういう、根本の大前提が変ってしまう事をパラダイムシフトと呼びます。
2010年現在においてはすこし違います。
自動車社会の発展にともない、石油の重要性が増します、石油を確保した者が世界を制す時代に変化したわけです。この現代における石油利権の争奪戦を“グレートゲーム”と呼ぶと、以前新聞でみた記憶があります。
現在、石油利権の覇者はアメリカ、ロシア、すこし離されて中国といったところでしょうか?覇者だからこそ、世界に向けての発言力が大きい訳です。石油利権を制すものは世界を制す訳です。
現在、石油にかわるクリーンエネルギーの開発が叫ばれているのには、ちょっとした含みがあります。
これは石油利権が世界を制す現行の“グレートゲームの秩序”に対する挑戦なのです。
もし、上手くいけば、石油利権もシルクロード利権や海路利権のように過去のものとなり、世界を制す利権にならなくなってしまいます。
だから、石油利権の権利をもつ勢力は環境問題を徹底攻撃します。
「環境問題はなぜウソがまかりとおるのか?」なんて本がバカ売れしていた時期もありました。
逆に南米のチャぺス大統領などはバイオエタノールを武器に堂々と石油利権勢力に挑戦状を叩きつけている訳です。
今は時期尚早でもいづれそう遠くない将来、クリーンエネルギー利権を制すものが世界を制す時代が来るかもしれません。
そう思う企業もおおく、だからエコカーの開発に熱心な訳です。
しかし、クリーンエネルギー社会が出来るまでには、突破しなければならない技術的壁がまだいくつかあり、すぐに来るという訳ではありません。だから当面はアメリカ、ロシア、中国が世界を動かす秩序は消えることなく続く事でしょう。
…Fさん、わかるかな。
“彼ら”は「この世は弱肉強食」と言い。世界を我が物に出来ると吹聴しているようだけど、グレートゲームに参加できない弱小勢力の1つに過ぎないのです。
世界どころか、アメリカの手のひらから出ることも出来ない集団である事実に何も変りは無いのです。
孫悟空がお釈迦様の手のひらから抜け出せないように…
世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっている。
せまい世界のなかだけで完結しないのは事実のようです。
君の周りの人に伝えてください。自分たちだけが一方的に正しいと思っているのは恥ずかしくないの!?と。
理解を示す心の広さはどこへやったの?と。
…こんな事も思う、彼らは美意識が高い、とにかくいろんないろんな意味で。
彼らが、君へした事が、いかにその美意識を損なうものかといところを軸にすれば、君は自分に優位な言葉を思い浮かべやすくなるのではないだろうかと…、そんな事おもった。ダメかな…?無理?できない?
でも何かの参考になれば、もしかしたら役に立つ日が来るかもしれないので書きました。
君の周りには悪意なく“美意識が高いがゆえ出来る悪事”が出来る人がたくさんたくさんいると思う。
それは“本物の悪意が”あるのではなく、その人の“心が内向き”になっていて、外に向いていないからだと思う。
「心が外向きになれば、人として持つ“当たり前の感情”が戻ってきます。」
そう、周りの人に言ってやってください。
君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。
君は自分で思っている以上に強い人です。
…初めての印象とういうのは忘れないものです。わくわくして、楽しくて、面白い。周りの人に、機会があったら伝えてください。最初の印象って忘れないものだと。違いを楽しんだり、同じと思う事を嬉しく思ったり、何もかも新鮮で彩りに満ちている。
自分を責める必要はありません。僕が保障します。責めるのと、悔いるのは、別次元の問題です。
これらは“人としての質”の問題です。
教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。質が問われているのです。
何か言う人がいたらそう伝えてください。
なにか、そちらの世界なりのいい訳があるのだと思う。
…でも、そんなもののために、1度しかない人生を犠牲にされるのは間違っている。
何か言われたら、こう言ってください。
「私には命をかけてくれる人がいる」と。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください(周りにもすすめてください)。誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。君が「埋没費用の呪い」にかからず、冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
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〔9月14日(火)曜日〕①
僕は賭けをしています。
“彼ら”は決して正体を明かさない…(告白しない)、どんなに親しくなろうとも、絶対に。
君ははたしてどうだろう…?
18年前、君は一歩手前まで来ていた。
先輩の正体を明かすという行為は、あとちょっと踏み込めば自分の正体も明かしかねない行為だ。
今にして思うとそう思う。
…僕は賭けをしています。
君が僕に告白するかどうかと。
そこが、大きなターニングポイントになる。
それは事実です。
告白された事は胸にしまうつもりでいます。
〔9月14日(火)曜日〕②
…とにかく普通の事を書こうと思う。
普通が一番です。
前回に続きイスタンブールでの印象深い事柄を時系列を無視して書いています。
前日書いたトプカプ宮殿、第三庭園の下の方にあるカフェで、値段が異常に高い所で景色を見渡した話をした。
…ここから金角湾も見える。
コンスタンティノーブルの北側をしめる細長い湾で、トルコ海軍が来た際は巨大な鎖で“湾”を塞いでしまったそうだ。なぜならそうすれば、金角湾の防備に艦隊を置かなくて良いのでその分マルマラ海の戦力を増やせるから海上を守りやすくなる。
現在新市街にあるというトルコ軍事博物館には、この当時使用された巨大な鎖が今もあり展示されているという、しかし今回のツアーではそこには行かない、ぜひ見てみたかったので残念です。
当時のトルコ軍も一番守りの手薄な金角湾が攻めどころとわかっていたけど、鎖が邪魔で湾に入れない、そこでトルコのメフメット2世は鎖を迂回する為に艦隊を陸上げして山越えさせ、陸上から艦隊を回りこませて金角湾に艦隊を入れた、むちゃくちゃである。
でも、船を陸上輸送するなど、巨大な石の建築物がそれこそ山のようにあるヨーロッパやアナトリアの人々にしてみれば普通の事だったのかもしれない。なにもかもスケールが違うように思うのは僕だけだろうか。
この時代、日本は室町時代で戦国時代は未だ来てなく、金閣寺はあるが、銀閣寺はまだない時期。
京都周辺はそれなりに文化水準の高い場所だったけれど、それ以外のところは不毛の地が多かった時期だ。つまり、京都周辺以外の場所は、平安時代と同等かそれ以下、下手をすると古墳時代レベルの生活水準の地域もあったのではと感じる。つまりまだ日本はこの頃発展途上国であり国家の体をなす前の段階だった。同じ時代、ここコンスタンティノーブルでは国家の威信をかけた戦いが繰り広げられていた。当時の日本人には想像すら出来ない規模とレベルのものが…
カフェから見下ろすと当時の城壁がまだ残っている、ローマ時代からあるものだそうだ。歴史を感じます。
ここトプカプ宮殿には併設するようにそびえるモスクがある。有名な「アヤ・ソフィア」という場所だ。その昔、東ローマ皇帝が建てさせたもので、当時世界最大級の建造物だった。完成時は「聖ソフィア教会」といった。
コンスタンティノーブル陥落後はイスラム教のモスクに改造され、「アヤ・ソフィア」と改名される。
その後、近代トルコになったおり、建国の父ケマル・アタチュルクにより博物館として一般公開されることとなった。
内部に入ると高い天井に巨大なドームがある。こういう建物はヨーロッパに多く存在するが、僕の理解が正しければ、ここはその第1号だ。第1号なゆえに欠陥もあり、何度かドームは崩落しているらしい。試行錯誤のすえ、ようやく崩落しなくなる。その技術はフィードバックされ、他のヨーロッパ地域の宗教建築物に応用されていったらしい。
第1号ゆえに、当時のひとは他で見たこと無いすごい建物だと度肝をぬかれた事と思う。
あまりの凄さに皇帝にひれ伏してしまったに違いない、以前書いた宝石で人の意思を支配できるのと同じ理屈で…。
通常モスクでは必ず聖地メッカの方向にモニュメントと説教台が置かれる。が、「アヤ・ソフィア」はそんな事気にせず作られた場所(=教会)だから、どうしても中途半端な場所にそれが来てしまう。今はモスクとして機能していないが、そのモスク時代の設備(モニュメントと説教台)は今も展示されている。中央広間の斜め端にそれらは置かれていた。非常に中途半端な位置だ。こういうのを見ていると、「ああ、それまで聞いたこの建物の歴史は本当にあった事実なんだな(偽装された歴史ではないんだな)」と実感する。ウソでここまで中途半端にはならない。
内部の中央広間から上を見上げると、側面にバルコニーがあり、人がいる。どうやって行ったんだろう?と階段を探してみる…、すると階段らしき場所に立て看板かあり「ノーエントランス」とある、じゃあ、別の場所か?と探すと今度は女の警備員がでてきて「ノーエントランス!」と叫びだす。結局バルコニーには出られなかった。でもこれも良い思い出にしようと思う。こういうのが旅の醍醐味というものです、こういう経験は親しい人と共有したいなと感じるところです。Fさんはどう思いますか?
この中央広間を支えるのは6本だったかな…緑色の巨大な柱だ。やはり地下貯水池同様によその都市から略奪してきた柱と聞く。最初どこから来た柱か聞いたときは耳を疑った、ガイドはこう言うのだ。
「この柱はエフェソスのアルテミス神殿で使われていた柱なんです」と。
え…?と思わず息をのむ。
覚えてるだろうか?かつて繁栄したエフェソスの遺跡の話を。女神アルテミスを主神にあがめ、今でも残る立派な歩道をもち、かつてペテロがローマに連行される前、大演説をしたあのエフェソス。
その図書館は当時世界最大級で、ローマのバカな将軍がクレオパトラの気をひくため図書館の蔵書を全部彼女にプレゼントしてしまったという当時の人ですらあきれるエピソードのある街。周辺からの交易品であふれかえり、高い文化水準をもった街。同時期の日本はまだ弥生時代にすぎなかったと説明したあのエフェソス。
エフェソスにはギリシャのパルテノン神殿を同じデザインで、そのまま3倍でかくしたアルテミス神殿があったと以前書いたの覚えてないかな…。
当時あまりの巨大さから、世界7不思議の1つに入れられてしまったエフェソスのアルテミス神殿。その柱が、今まさにここにあったわけだ。こんなところにあったんだ!と心の中で叫ぶ。
思わずかけより触れてみる、長年使いまわされた石材らしく何回も表面を塗料で塗られたらしい。石の感触はしない…。
歴史はこんなところで重なっていたのか、と思わず感じ入るわけだけど、どうも他の人はピンときていないらしく、こう考えるのはあいかわらず僕だけなのかと残念に思う。
でもこうも思う、単に話が見えてこないだけであり、ちゃんとした道筋で説明すれば、おのおの感じ入るものがあるのだろうと。
話はわかるが、いまいちイメージできない事柄というのは僕にもあるし、そういう事柄は世の中あふれかえっている。全てを理解するのは不可能だ。これが、人が何かを誤解する理由の1つなんだと思う。全てを理解するのは無理だから、理解している人の判断を信じよう…と。その判断があってるかどうかは、勘で判断するしかない…。
こういう判断基準になる信頼すべき人物を古い言い方ではオピニオンリーダーとか言うらしい。
このオピニオンリーダーに誤解されると大変な目に遭うわけだ。
僕も君も独特の感性を持っていると思う。なんど理解されない壁にぶつかった事か…。
でも、このオピニオンリーダーが悪意なく誤解したなら、話せば誤解も解けるけど、悪意ある場合は…最悪です。多くの善良な人はこうして操られる。
でもあきらめてはいけません。自己主張を続ければ、何処かに打開策があると思う。
以前、僕は言いました。
「表現されない自分は、いないも同じだ」
表現しないと、いいように誤解され(=他人のイメージに塗り固められ)てしまう。
言うべき事は、言わないと、永久にそうなってしまうのは事実だと思う。
Fさん、いろいろ言われると思う。けど、がんばって。負けないで欲しい。
狭量な人達が押し付けてくる“勝手なイメージ”なんか跳ね除けて!
自分の心を取り戻すべきです。
心が狭くなると人の命まで軽くおもえるようになるのよ!と言ってやってください。
世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっている。
せまい世界のなかだけで完結しないのは事実のようです。
君の周りの人に伝えてください。自分たちだけが一方的に正しいと思っているのは恥ずかしくないの!?と。
理解を示す心の広さはどこへやったの?と。
これは人としての“質”の問題です。
教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。
質が問われているのです。そう伝えてください。
君が戦っているという前提で書きます。
負けないで!応援しています。君は自分で思っている以上に強い人です。
なにか、そちらの世界なりのいい訳があるのだと思う。
…でも、そんなもののために、1度しかない人生を犠牲にされるのは間違っている。
「今度はあなたが人の都合を聞く番よ、さんざん他人の都合を無視してきたんだから、文句は言わせないわよ!」と、言って良いと思う。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください(周りにもすすめてください)。誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。君が「埋没費用の呪い」にかからず、冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。遊ぶ金ほしさの連中なんか蹴散らして!!
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
何か言われたら、こう言ってください。
「私には命をかけてくれる人がいる」と。
負けないで!
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〔9月15日(水)曜日〕①
“彼ら”は決して正体を明かさない…(告白しない)、どんなに親しくなろうとも、絶対に。
君ははたしてどうだろう…?
18年前、君は一歩手前まで来ていた。先輩の正体を明かすという行為は、あとちょっと踏み込めば自分の正体も明かしかねない行為だ。今にして思うとそう思う。
…僕は賭けをしています。
君が僕に告白するかどうかと。
そこが、大きなターニングポイントになる。
それは事実です。
告白された事は胸にしまうつもりでいます。
久しぶりに言おうと思う、君の事が今でも好きです。
この言葉は滅多にいわない…、なぜなら言葉が軽くなるから。
僕にとって、君にこの言葉を言うのは、とてもとても重い想いがこもっているのです。
当時もあまり言わなかった、その代わり違う言葉を投げかけた。
君の記憶の中にある“それら”の言葉です。
〔9月15日(水)曜日〕②
イスタンブールでの印象深い事柄を時系列を無視して書いています。
エフェソスのアルテミス神殿…その柱をみつけて感動したところまで昨日書いた。
当時あまりの巨大さから、世界7不思議の1つに入れられてしまったエフェソスのアルテミス神殿。その柱が「アヤ・ソフィア」にあったわけだ。長年使いまわされた石材らしく何回も塗られたらしい塗料の表面。石の感触はしない…。
「アヤ・ソフィア」の中央広間から上を見渡すと4つのモニュメントが見える。同じデザイン、聞けば天使だという。
モスク時代に顔の部分にカバーが取り付けられた、偶像崇拝を禁止するイスラムの考えだ。しかしモニュメントそのものは取り外されない。なぜなら、イスラム教の神とキリスト教の神は教義上“同一”の存在だからだ。その天使は神に会うことを許された天使だとか聞いた。だとしたらイスラム教徒といえどもおいそれとはずせない。仕方なく顔の部分だけカバーをかけたわけだ。
カバーは今、1つだけ外されている。大論争のすえ最近外されたらしい…。
なにしろ、現在「アヤ・ソフィア」はモスクではなく博物館なのだから。
近代トルコは政教分離が国是だ。そういう意味では日本に似ている。
イスラム国でもこういう国はあるのです。世界中はトルコをもっと重要視して良いと思う。
この国には、他のイスラム国のような宗教警察(=ムタワと呼ばれる、イスラム価値観を一般市民に教育的指導(暴力も含む、2010年現在でも)を行なう組織、国によって組織の規模も社会的な扱いも異る、国家機関から宗教法人の一部門、民間団体までさまざまである。近代以前はそうでもないが、近代になって西洋文化に拒絶反応を起こし暴力的になる傾向がある。現在サウジアラビア、イラン、イラク、アフガニスタン、パキスタン、エジプト、イエメン、ナイジェリア北部、マレーシアに存在する)も存在しない、というかありえない。
…その事をきいて「なんだかトルコいいじゃない」と感じられるなら、その感性は正常です。
この「アヤ・ソフィア」と対で建てられたように見えるもう1つのモスクがある、「ブルーモスク」だ。
後にバスでの移動中、第1ボスポラス大橋の上から夕日を見たときこの2つの建物が夕日をバックにシルエットが浮かびあがって見えてとても情緒ある風景だった。2つのドームと10本のミナレット(塔)(=アヤ・ソフィアが4本、ブルーモスクが6本。計10本)がおりなすシルエットは移動とともに移り変わりカッコイイです。こういう景色は君と見たいものです…。
この2つの建てられた年代はまったく違う、「アヤ・ソフィア」が西暦500年ごろの建物なのに対して「ブルーモスク」は西暦1600年ごろの建物だ。イメージとしては「アヤ・ソフィア」が日本に初めて仏教が伝来した頃の建物であるのに対して「ブルーモスク」は関が原で徳川家康が勝利した頃建てられたものだ。この2つは今でこそセットのように見えるが、実際にはその位歴史的な開きがある。
「アヤ・ソフィア」が博物館であるのに対して「ブルーモスク」は現役のモスクだ。
正式名をスルタンアフメト・モスクと言う、ブルー…というあだ名は西洋人がつけたニックネームだ、建物全体がきれいな青系の色なのだ。
このモスクをつくったのはオスマン・トルコのアフメト1世という王だ。
彼は文化人として知られ、戦争人ではなかった。温厚な人物?とも言われている。しかし、見栄はあったようだ。
彼は「ブルーモスク」を作った際、勢いあまってミナレット(塔)を6本も作ってしまったらしい。当時トルコはイスラム世界で最強、文句は言わせないという表明だ。でもさすがにやりすぎたらしく、物凄い圧力をうける。なぜなら塔6本というのは聖地メッカのモスクと同数なのだ、自分は神と同じと宣言したに等しい。
いくら世界最強でもあんたやりすぎだ!という圧力が日増しに増してゆく…。
かといって、言われたからと、今更塔を減らすのも威信が砕ける…。
そこで知恵をめぐらし、こういう行動を彼はした。
聖地メッカのモスクに塔を1本進呈し、聖地の塔を7本にしたのだ。これで双方丸く収まったわけだ。知恵者はいるものです。
そちらの世界に知恵者はいないのだろうか?(この場合の知恵とは悪知恵以外のものを指します)君の意思を挫く事しか考えてない人ばかりなのだろうか?心配です。
君は自分の意思を貫いて良いと思う。そうでないと、君の人を思いやる心を利用して、また損な役回りを押し付けようとしてくる。それが“損”な役回りでなく、ごく当たり前と教育させられているところが、なんだかものすごく心が痛くなる感じがします。
気づいたなら、損な役回りから逃げていいものだと、強く主張します。
そういう“損”な役回りを押し付けてくる人は、自分のどこが間違っているのか(信じられない事に)理解できない事が多い。
でも高い美学をもっている。
彼らが君にした事が、その崇高な美学といかに違うものか訴えれば、そんな頭の固い人でも耳を傾けるような言葉をつむぎだせるかもしれない。自分の言葉を取り戻して!君は強い、自分で思っている以上に。
味方もいるはずです、それも少なくない数が。人間って言うほどバカじゃない、単に誤解しやすい性質があるだけだ。
君は価値ある存在です、まぶしく輝く唯一無二のFさんです。負けないで!疲れたら、以前とは違い休む場所がある事をわすれないでください。とにかく、待つと、僕は決めました。
優しさを忘れるよう“強要”するような(一部のバカな)連中に負けないで!
物事のうわべだけで物事を判断する人間に負けないで!
毅然とした態度をとり続けましょう!丁寧かつ妥協を許さない対応が肝心です。
でも時に息抜きもして、張り詰めた心を柔らげて、そして自分をとりもどして。そんなイメージ。君に伝わるだろうか?
僕と別れた後“彼ら”は君に“まちがった”発見をたくさんさせたと思う。君は自分でそれを発見したと思い込んでいるけど、それは間違いです。そうやって“人”を“従順”にさせるのが“彼らの(中の「“損”な役回りを押し付けてくる人達」の)常套手段”です。
何か言われたら、こう言ってください。
「私には命をかけてくれる人がいる、この人は絶対に私を迷惑になんか思わない人よ!」と。
「今度はあなたが人の都合を聞く番よ、さんざん他人の都合を無視してきたんだから、文句は言わせないわよ!」と、言って良いと思う。
「決定権は私にあるの!」と言い続ければ、そういう空気を作り出せます。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください(周りにもすすめてください)。誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。君が「埋没費用の呪い」にかからず、冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。遊ぶ金ほしさの連中を蹴散らして!!
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
負けないで!人は立ち直れるし、やり直せる。何度でも。
ゆっくり、あわてず、でも確実に。
亀のごときのろさでもかまわない、確実に前に進んでいるなら。立ち止まってもokだ。
一番いけないのは前に進むのをやめた瞬間です。彼らは心の隙をついて、知らぬ間に君に立ち止まらせようとする。気をつけて!“情熱”を失わせるのが、彼らのオハコだ!
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僕には“彼ら”に「人生を返せ!」と主張する権利がある。
この事実を否定するのは相当難しいはずだ。どんな屁理屈をひねり出すのか一苦労だと思う。
けれど僕はあえて“その権利を行使”しない。過去の文面を読んで欲しい、一度だって要求してない。
その代わりこう言いたい訳だ。「もう一度あいたい人がいる」と。
それでもそれが「贅沢だ!」と言う人がいるならば、何を持って贅沢ではないのか定義を明確にしてほしいものだ。単に自分たちの贅沢が侵害されている事に怒っているだけという事実に気づかずに反論できるのだろうか?
「別に人生を全部返せって言う、無理な(実行不可能な)相談をしているわけではない」
…という事実があります、これはささやかな奇跡を期待しているだけの事なのです。
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〔9月16日(木)曜日〕①
“彼ら”は決して正体を明かさない…(告白しない)、どんなに親しくなろうとも、絶対に。
君ははたしてどうだろう…?
18年前、君は一歩手前まで来ていた。先輩の正体を明かすという行為は、あとちょっと踏み込めば自分の正体も明かしかねない行為だ。今にして思うとそう思う。
僕は賭けをしています。
君が僕に告白するかどうかと。そこが、大きなターニングポイントになる。
それは事実です。
告白された事は胸にしまうつもりでいます。
〔9月16日(木)曜日〕②
イスタンブールは旧市街に遺跡が多い。
旧市街がかつてコンスタンティノーブルと呼ばれ、3方を海に囲まれている。
唯一陸と繋がる西側にはテオドシウスの城壁という無敵の城壁が存在する。
東の端には砲台群があった…、現在そこはトプカプ宮殿になっている。トプカプとは「大砲」という意味らしい…
「ああ、それでそんな名前の宮殿なんだ」
と、最初思ったが、どうやら違うらしい。
この宮殿が建つ前、この場所に「トプカプ門」という門があり(門には大きな大砲がすえられていたらしい)その門のあった場所に建てられたからトプカプ宮殿というらしい。
コンスタンティノーブル時代は、多くのローマ都市と同じく、広場があり、大通りが整備され、上下水道に大浴場、闘技場にレース場、議会に市場が作られていた…。しかし長年の戦乱でいくつかの設備は寂れてしまう。
2010年現在でその姿が偲べるのは水道橋くらいだ。
…と思っていたのだが、実はレース場跡が比較的わかる形で残っていた。レース場とは、ローマの都市には必ず存在した設備で、2頭だての小型馬車(=当時はこれを戦車と呼んだ)を使った荒っぽいレースが毎日開かれていたらしい。
ローマ帝国の市民は午前中、ちょこちょこっと働いたら、午後は浴場や図書館や闘技場やレース場に入り浸り、遊んでいたらしい。それで良く都市が機能するな、と思うが。当時は奴隷がいたから大丈夫だったわけだ。(ただし、普段遊んでいる市民には奴隷にはない従軍義務がある)
コンスタンティノーブルでは早い段階で大浴場が廃止され倉庫にされたと聞く、つまり戦乱続きで遊んでいられなかったと想像できる。(あくまで個人的感想だけど)
コンスタンティノーブルが戦ったオスマン・トルコの主力群はイエニチェリと呼ばれた奴隷の軍隊だった。生半可な強さではない、遊びながら片手間で相手に出来る敵ではなかったんだと思う。
イエニチェリは進軍ラッパと共に一糸乱れぬ集団行動をする…
ヨーロッパ人の軍隊は西ローマも東ローマも個人に意思をもつ軍隊だ、あまりのその戦い方の違いから圧倒され恐怖した。その時の恐怖は伝説となり、イエニチェリの進軍ラッパのメロディーは作曲家のインスピレーションを刺激したらしく「トルコ行進曲」という曲まで作らせた。
諸説あるかもしれないけど、僕はこんな風に考える。
ヨーロッパの人達は首をかしげた、なぜ自分たちは負けるのか?
神の教えに従っているのに?イスラムが正しいとはどうしても思えない、なにか理由があるはずだ、と。自然とイスラム世界を見ようとする。すると、そこ(イスラム)にはヨーロッパでは失われてしまった古代ギリシャ・ローマ時代の文献が大量に眠っている事実に気づき、当時シルクロード交易でオスマン・トルコとも交流のあったイタリアの商業都市ルートを通じて、失われた自分たちの原点を逆輸入した、それがルネッサンスへと昇華した。宗教改革の波がおこり、産業革命へと繋がっていく。
それが良いことなのか?悪い事なのか?
何を持って幸せと判断するかで、解釈は変ってくると思う。
…でも1つ確かな事は、
「何か上手くいかない事」があったら、暴力に走って憂さ晴らしをしても何も事態は好転しない。それより、たとえ先行きが不透明でも、道を模索し続ければ、何かしら光明が見出せる。上手くいかない事もあるだろう、でも、上手くいく保障などこの世に何も存在しないのだから、それを理由にあきらめるのは間違っている。
そんな風に思わなくもない。
こんな話を思い出す。
昔、アニメ製作会社にいた頃、韓国人の先輩がいた。日本語がうまい、たどたどしいがちゃんと会話できるので、最初はシャイなアニメ好きな日本人なのかと勘違いしていたくらいだ。
「どうして日本語そんなに上手いんです?」
と、聞いたことがある。食事の席でだ。
すると、最初日本語学校に通いながら、働いていたのだが、まったくわからなかったそうだ。でも、わからないでは済まない。なんとか必死に聞き取ろうとしていると、ある日突然、聞いていた言葉が理解できるようになり、次の日からまったく問題なく会話できるようになったというのだ。そういう事実、確かにあるようだ。
背伸びをしつづけると、届かない“何か”に触れる事実は確かにあるのです、届かないと最初からあきらめるのはよくない。
これは“人としての質”が問われているのです。
教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。
僕には“彼ら”に「人生を返せ!」と主張する権利がある。
この事実を否定するのは相当難しいはずだ。どんな屁理屈をひねり出すのか一苦労だと思う。
けれど僕はあえて“その権利を行使”しない。過去の文面を読んで欲しい、一度だって要求してない。
その代わりこう言いたい訳だ。「もう一度あいたい人がいる」と。
それでもそれが「贅沢だ!」と言う人がいるならば、何を持って贅沢ではないのか定義を明確にしてほしいものだ。単に自分たちの贅沢が侵害されている事に怒っているだけという事実に気づかずに反論できるのだろうか?
「別に人生を全部返せって言う、無理な(実行不可能な)相談をしているわけではない」
…という事実があります、これはささやかな奇跡を期待しているだけの事なのです。
書くと不利になるかもと控えていたけど、この際リスク承知で書こうと思う。もし、先んじて就職できないよう手を打つやつがいたら地獄におちると多くのみなさんが感じるところだろう。
ヘルパーの資格をとろうと計画中です、まだ講座がはじまるまで時間がある。終了は来年の予定だ。
東京で接客の仕事を通じて、お客さんが声にできない要望を汲み取り、理解して、対応するというのがいかに大切かは感じられたし、そういう仕事が楽しいともおもえる。無茶な仕事をこなす要領と充実感もしっているし、つらい事に屈しない根性も自信ある。これらの経験を生かせる仕事がしたいと考えていた。
所得は低いが、まあ、大丈夫だと思う。もとからお金は使わない生活してるし。
今は本を読みながら、今までの漫画のネタを総ざらいする膨大な作業にとりかかっている。今のうちにやっておけば、職に就いたとき、休日に創作活動するのが楽になる。東京にいた頃は時間がなくて整理できなかった事だ。こういうときにやるに限る。
自分のペースを守って、自分を見失わずに、とにかく前に背伸びをし続ければ、失った、あるいは届かないとあきらめていた“何か”に届く事はあると、僕は君に保障します。事実僕は18年前の真実に気づいた。これは事実です。この世に無駄な経験などないと思う。
何か言われたら、こう言ってください。
「私には命をかけてくれる人がいる」と。
なにか、そちらの世界なりのいい訳があるのだと思う。
…でも、そんなもののために、1度しかない人生を犠牲にされるのは間違っている。
「今度はあなたが人の都合を聞く番よ、さんざん他人の都合を無視してきたんだから、文句は言わせないわよ!」と、言って良いと思う。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください(周りにもすすめてください)。誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。君が「埋没費用の呪い」にかからず、冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
-----------------------------------------------------
〔9月17日(金)曜日〕①
“彼ら”は決して正体を明かさない…(告白しない)、どんなに親しくなろうとも、絶対に。
君ははたしてどうだろう…?
18年前、君は一歩手前まで来ていた。先輩の正体を明かすという行為は、あとちょっと踏み込めば自分の正体も明かしかねない行為だ。今にして思うとそう思う。
僕は賭けをしています。
君が僕に告白するかどうかと。
そこが、大きなターニングポイントになる。
それは事実です。
告白された事は胸にしまうつもりでいます。
〔9月17日(金)曜日〕②
イスタンブールで印象的な経験の1つに、ホテルの近所のスーパーに行ったことがある。
初日は到着19時近くで、あっという間に暗くなったので外出を見合わせた、イスタンブールの治安は悪いと聞いたからだ。
イスタンブールには連泊した、スーパーには2日目の午後行くことにした。
ホテルをでて左…、しかし詳細が不明だ。
簡単に口で説明されたくらいの情報しか持ち合わせていない、行って見るしかない。
街の様子はアンカラよりも古い感じだ。スペインにでも来た様な錯覚の雰囲気。
待ち行く女性もスカーフなどつけていない。開放的だ。
車はヨーロッパ車が多い、フランス車を良く見たような気がする。
最近流行のデザインはヨーロッパ車のものだというのを聞いた記憶を思い出す。
こちで売れるデザインの車は、世界中どこで売っても売れるとか…。
だから、日本のメーカーもデザインに関してはヨーロッパをメインにしてるとか、してないとか。
文化の成熟度が高いという事だろうか?要求される美意識の高い地域、そんな感覚をヨーロッパに抱く。偏見かな?
君はどう思いますか?
途中同じツアーの人とすれ違う。
聞くと、2つ信号を行った先という話だ。
…信号、確かに道には信号がある。しかし、無いがごとく独特の交通ルールが展開されているように見えた。
一見雑なように見えて、ちゃんと機能している。実に不思議なものです。各々の車と歩行者がちゃんと互いを意識してぶつからないようにしているのは見事です。
日本の交通ルールが特にいい訳ではないなと感じた。どちらも一長一短だ。
日本のスクランブル交差点をみて外国人は驚くらしい。赤になるとみな道路から歩行者がいなくなるからだ。
こちらの感覚では、常にスクランブル交差点状態で、車が歩行者と呼吸をあわせてぶつからないようにするのが普通らしい。
譲り合いは、形をかえ、こちらにもあるという事です。
(この外国特有の“かけひき”の呼吸が判らず、日本固有の譲り合いの精神に固執するから、日本政府は国際会議で子ども扱いされてばかりなんだと思う、外務省の人は絶対認めないけど。1度内部からこの手の批判を試みた人の特集をNHKスペシャルで見たけど、先輩たちの恥を醸すなと圧力をかけられつぶされたようだ。過去の経験から反省しないと、いつまでたっても国際社会の発言力が増さないのに、“はずかしいからできない”ではどうしょうもない…。過去は過ちを繰り返さないためのものに昇華すべき記憶だと思う。Fさんはどう思ういますか?)
…話はもどってホテルの前の4車線道路の端にある歩道を歩きながら進む。
1つ目の信号が見えた、急いでわたる。
が、走っているのは僕ら(複数で行った)だけで、周りはそうでもない。どうも交通ルールを守る事が体に染み付いているようだ。僕ら日本人は…、誇らしくもあり、違う意味も感じ、複雑な心境になる(笑)。
両替商の前を通りさらに前進。
やたらとカフェを見る。全体としてトルコはオープンカフェが多いと感じた。ヨーロッパの影響だろうか?日本でもかなり増えたが、それでも店先に数テーブルある程度だ。こちらはもっとデカイオープンカフェがたくさんある。
カフェを見ているとこんな記憶を思い出す。
昔、外国映画を扱う会社でバイトしていた時、出社途中のスターバックス(ドトールだったかも)にバイクを横付けしてコーヒーを飲んでいる外人がいた。そのバイクはダッジ900系のバイクで、のちのち「マトリックス・リローデッド」という映画でトリニティーという女性が乗るバイクと同系のものだ。当時そのバイクのミニチュアを持っていて、それを使って書いた漫画で入選一歩手前までいったことがあった。がゆえに、物凄い思いいれのあるバイクで、いつも「ああ、これが本物か、カッコイイな」と眺めていた。
カフェで金髪の白人男性をみるといつもその時の事を思い出す。こちらに来てからは白人だらけ、カフェだらけなので、いやおうも無く思い出す。思い出とは、キーワードで繋がっているようです。
君と僕にはいくつかの思い出のキーワードがある。この小説には書いてない2人だけのものも含めて…。いつか、その言葉についてお互いの感じる同じ点、違う点を話して語り合える日が来るのを夢見ます。
…そうこうするうちスーパーについた。
コンビニくらいの大きさの本当に小さな商店だ。
都内でも似た光景を良く見る。
都心では大型スーパーがないため、意外にこういう小さな商店が生き残る。
特に、こちらにはコンビニがない。
(トルコでは、露天のような小さな店に新聞、飲み物、雑貨が置かれていて、コンビニの代わりに利用されてる。言ってみれば日本で言う駅中の売店が街のあちこちにあるような感覚だ。ちなみにこれはギャグではなく、こういう店のことをトルコではキオスクという。日本のキヲスクはトルコのキオスクから名前をいただいてネーミングしたものらしい。キオスクには一度もよらなかった、僕らが回るような観光地では見当たらなかったからだ。)
店の中で“スイ”を買う。スイとは水のことだ。なんだか面白い、どこかでなんらかの文化的つながりがあるのだろうか?
(日本語は“アルタイ語族”に割り振られている、韓国、モンゴル、ウイグル、キルギス、ゾグトといったシルクロード国家と同じ言語族に分類されるらしい。トルコ人も元は中央アジアにいた民族、どこかで繋がっているのかもしれない。)
物事は意外なところで繋がっていたりします。けっしてギャグではなく、マジでトルコでは水の事を「スイ」というし、「キオスク」という売店もある。出来すぎたネタ過ぎて信じない人も多いと思うけど本当なんです。出来すぎた真実って実際確かに存在するんです、この世には。
いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。
でも繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。
きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。
君は君の心を信じて良いのだと思う。
なにか、そちらの世界なりのいい訳があるのだと思う。
…でも、そんなもののために、1度しかない君の人生を犠牲にするのは間違っている。
「今度はあなたが人の都合を聞く番よ、さんざん他人の都合を無視してきたんだから、文句は言わせないわよ!」と言い続ければ、そういう空気を作り出せる。…君に読んでいて欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください(周りにもすすめてください)。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。君が「埋没費用の呪い」にかからず、冷静な判断が出来る事を心から期待します。
僕には“彼ら”に「人生を返せ!」と主張する権利がある。
この事実を否定するのは相当難しいはずだ。どんな屁理屈をひねり出すのか一苦労だと思う。
けれど僕はあえて“その権利を行使”しない。過去の文面を読んで欲しい、一度だって要求してない。
その代わりこう言いたい訳だ。「もう一度あいたい人がいる」と。
それでもそれが「贅沢だ!」と言う人がいるならば、何を持って贅沢ではないのか定義を明確にしてほしいものだ。単に自分たちの贅沢が侵害されている事に怒っているだけという事実に気づかずに反論できるのだろうか?
「別に人生を全部返せって言う、無理な(実行不可能な)相談をしているわけではない」
…という事実があります、これはささやかな奇跡を期待しているだけの事なのです。
何か言われたら、こう言ってください。
「私には命をかけてくれる人がいる、この人は私を邪魔になんか決して思わない人よ」と。
三界に家を建てるには、君が必要です。遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」と言う権利を君は充分すぎるくらい持っていると思う。
“情熱”を失わせるのが、彼らのオハコだ!気を付けて!
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これは実験です。
どのようなバイアスが発生するか見るための記述です。
最近は耳栓を使っていない。
ヘッドフォンも使ってない。
かといって防音設備を追加したわけでもない。
いまだにしつこい方々はいらっしゃいます(←敬語はいやみではなく、本来的意味です)。
もっと根本的で単純な方法を見つけました。
低周波振動見切りました、暗示としてとらえれば非常に単純な弱点が存在する。
7月に偶然手にしました。
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〔9月18日(土)曜日〕①
僕には“彼ら”に「人生を返せ!」と主張する権利がある。
この事実を否定するのは相当難しいはずだ。どんな屁理屈をひねり出すのか一苦労だと思う。
けれど僕はあえて“その権利を行使”しない。過去の文面を読んで欲しい、一度だって要求してない。
その代わりこう言いたい訳だ。「もう一度あいたい人がいる」と。
それでもそれが「贅沢だ!」と言う人がいるならば、何を持って贅沢ではないのか定義を明確にしてほしいものだ。単に自分たちの贅沢が侵害されている事に怒っているだけという事実に気づかずに反論できるのだろうか?
「別に人生を全部返せって言う、無理な(実行不可能な)相談をしているわけではない」
…という事実があります、これはささやかな奇跡を期待しているだけの事なのです。
僕は賭けをしています。
“彼ら”は決して正体を明かさない…(告白しない)、どんなに親しくなろうとも、絶対に。
君ははたしてどうだろう…?
18年前、君は一歩手前まで来ていた。先輩の正体を明かすという行為は、あとちょっと踏み込めば自分の正体も明かしかねない行為だ。今にして思うとそう思う。
僕は賭けをしています。君が僕に告白するかどうかと。
そこが、大きなターニングポイントになる。それは事実です。
告白された事は胸にしまうつもりでいます。
〔9月18日(土)曜日〕②
トルコ旅行の話、イスタンブールについて書いているわけだけど、一旦時系列をすこし巻き戻します。
急にこんな事、書きたくなった。
カッパドキアについては覚えているだろうか?
あの奇岩おりなす絶景の場所、昔は多くのキリスト教修道士がいたが、過疎で放棄され、現在は後から来たトルコの人達が住む場所。地下都市の遺跡があり、ワインつくりでも有名な場所。
カッパドキアの奇岩群を見た日、実は一般の“民家”に案内されている。そこは伝統的なトルコ絨毯を今でも家で折っている家庭ということだ。バスは荒涼とした道の脇に凝縮してあつまる集落近くに停まった。
イメージ的には日本国内にある崖の下の集落みたいなイメージでいいと思う、あの「崩れないか?この崖」と思える所にいくつも家々があるイメージだ。
ただし、壁は全部「白」カッパドキアの火山性地質の石材を使っているからだ。崖自体も頑丈、なぜなら、長年の風食により、頑丈な地質のみがのこった崖だからだ。日本のように造成のため削ったものではない。
キリスト教徒がいた時代、ここには洞窟教会があったそうだ。洞窟だけではたりず、屋外に石材で増築した部分も併せ持つ。そして13世紀にこの地が無人になった後、トルコの人が少数移り住んだわけだが、この家の“おばあさん”は3代目だそうだ、彼女のおばあさんの時代にはここに住んでいたという。かつての洞窟教会は今は民家として生まれ変わっていた。
土がむき出しの歩道とただ白い塀、門がある。
門をくぐると別世界。
緑あふれる庭、まるでオワシスのようなイメージ。
庭を抜けると、玄関。ここ、トルコでは靴をぬぐ習慣がある。
ここより西にはもうないアジア独特の習慣と聞いた。
(つまり、トルコが屋内で靴を脱ぐ文化の西の果てらしい)
屋内は完全に居住空間。ただし、玄関に繋がる部屋のみに、絨毯折り機が2台あり、観光客用の案内板が添えられている…、でもただの飾りではなく、作業場として日常使っているらしい。
一通り説明を受けると、奥に通される。10畳以上はあるだろうへや、そこには部屋の床にぴったりはまる1枚のトルコ絨毯。あらかじめサイズを計算しないとこうは出来ない。やはり自家製なんだと思う。トルコ紅茶をすすめられ、ちょっとした座談会、正直苦手な空間だ。
君はどうかな…、こういう唐突な座談会ぼくは苦手だけど、君は意外と肝が据わったところがあった。(今にして思うと、こういう唐突な座談会は君も苦手だけど、場数を踏んで慣れていたのだろうか?あくまで推測です、自信はありません、外れる確率90%の“思いつき”レベルの推測です、いつか合っているかどうか聞ける日がくればいいなと思います)
座談会は他のツアー客を中心に盛り上がる。話ははずみ、今度は2階部分に案内された。2階部分は洞窟ではなく、増築部分で、洞窟独特の涼しさはまったく無い。ここは夜くつろぐ空間なんだろうか?と思った。ちゃんと電気も完備されている。おばあちゃんの娘さんとその孫もいる。家庭的な空間だ。
ものすごく親切にされる、めったに出来ない異国での家庭訪問、多少の演出めいた感じも、まあいいかなと感じる。
こういう事を感じてしまう。
僕も君も本質的に人がいい。だから、こういう家庭的な優しさに触れると、ついつい本気で心を開かなきゃダメなんじゃないか?というプレッシャーを感じてしまう。そんな経験、した事ないかな?
でも普通はその辺割り切ってしまうようだ、この場はこの場、空気に合わせて心を開けばいい。そんなに深刻なほど心を開く必要は無い。
普通の人はそうする…、なのに人が良すぎる人間の場合、心を閉じるか開くかの2者択一になってしまう。だから、普通の人からみたら急に明るくなったり暗くなったりするように見える。でも僕らのような性格の人間の中では、それは何も矛盾しない行為だ。
他人はこういう性格を子供だと主張するだろう。そういう時はこう言い返せばいい、「じゃあその子供を食い物にするあんたは猿以下の外道だな、弱者を助ける男の(女の)プライドが学べてない点で考えれば、あんたも充分子供だ」と。
(大体こういう人間が多くないとそちらの組織も維持できないはず、無尽蔵に組織に尽くす人間ってまさに“求める人材”そのもののはずだから。否定は難しいはず。なぜなら、普段から自分で考える事を否定することばかり目下の人間に強要しているから。)
もし、君が戦っているとしたら、その性格を理解していない人間からみれば、君の周囲の人は物凄く驚いていると思う、君のあまりの変化に。
でも君の中ではなにもおかしな点はない、まったく矛盾した行動はしてい。違うかな。どうなのだろう。
彼女の周囲の人で、戸惑っている方。
彼女の行動はなにもおかしな点はないのです。
その理由は、本来的にやさしい性格をしているので、優しさとは50%とか中途半端に出すものではなく、常に100%出さないといけないと彼女は感じる、優しさを出さない時は0か100かの2つの選択支に集約する傾向が強い。
そう考えると、彼女の行動はなにも矛盾しない行動になります。
Fさん、君はこういう決め付けを嫌う人だった…、それは判ってるけど、書いた方がいいように感じた。
誤解されやすい性格という意味では、お互い似ている。
にてねーよ!とか誰かに言われるかもしれない。それはFさんのほうが僕より器量よしだからだ。
能力的に優れている。僕より器用な点がたくさんある。顔もいいし。
Fさんは僕より優れた点を多く持っています、君は強い、いろんな意味で、自分で思っている以上に。ただ心が優しすぎて、そこに付け入る悪いやつが多すぎるという事なのだ。そう僕は考えます。
本質的に君はウソが嫌いで、誠実さを求めていて、理解者を欲している…、そういう事だと思うのだけど、どうなのだろう。自分の心を信じて、何もかも受け入れれば、おのずと見えてくるものがあると思う。
いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。
でも繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。
きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。
君は君の心を信じて良いのだと思う。
なにか、そちらの世界なりのいい訳があるのだと思う。
…でも、そんなもののために、1度しかない人生を犠牲にされるのは間違っている。
「私には命をかけてくれる人がいる、この人は私を邪魔になんか決して思わない人よ」と、言ってもかまわない。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください(周りにもすすめてください)、精一杯の背伸びをして、そう君に伝えます。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
これは人としての“質”の問題です。
世界は広大で広く、想像を絶するダイナミックな時間がからみあって作られている。
「視野が狭くて何が悪い」とか言う人が増え続けていくと、それが世界の不和の原因になってゆく。
「私は、理由も無く人を貶めるような事はもう2度と金輪際しません!」とまわりの人にに言ってやってください。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、冷静な判断が出来る事を心から期待します。三界に家を建てるには、君が必要です。遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
狭量な人達が押し付けてくる“勝手なイメージ”なんか跳ね除けて!
“情熱”を失わせるのが、彼らのオハコだ!気を付けて!
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〔9月19日(日)曜日〕①
“彼ら”は決して正体を明かさない…(告白しない)、どんなに親しくなろうとも、絶対に。君ははたしてどうだろう…?
18年前、君は一歩手前まで来ていた。先輩の正体を明かすという行為は、あとちょっと踏み込めば自分の正体も明かしかねない行為だ。今にして思うとそう思う。
僕は賭けをしています。
君が僕に告白するかどうかと。
そこが、大きなターニングポイントになる。
それは事実です。
告白された事は胸にしまうつもりでいます。
〔9月19日(日)曜日〕②
こんな事を思う。
トルコ周辺にはトルコ絨毯とは別に、ペルシャ絨毯というのもある。ガイドは、盛んにペルシャ絨毯との違いを説明した。トルコ絨毯は毛が短く“め”が濃いので、表面にコーヒーなどをこぼしても染み込まず、汚れにくいのだそうだ。だからトルコ人はこういう毛が短く“め”が濃い絨毯を好む…
けどある場所で絨毯に触ってみたら、結構ふかふかで毛の長い絨毯がひかれていた。その場所は「ブルーモスク」だ。
「ブルーモスク」は17世紀初頭の建物、たぶん、トルコ絨毯だと思う。少なくともトルコ人は毛の短い絨毯を好むというのは必ずしも正確な情報ではないなと感じた。
セールストーク…、その単語が頭をかすめる。
差別化をはかりセールスポイントをアピールしている。
それ自体を否定するものではない、それはわかる。でもトルコ絨毯はめちゃくちゃ高い。気が向いたら買える類のものではない。どうしてもあの過剰なセールストークにひっかかってしまう。
実はトルコ絨毯以外にもトルコ石と皮製品、キャビアといろいろセールス攻勢を受けている。もちろん必要を感じないので買わないけど、それでも家の身内がトルコ石のセールス攻勢にかなり落ちそうになっていた(ま、結局買わなかったんだけど)
トルコ石は安いという認識でいたが、高いものはやはり高いようだ。日本国内で安く売られているものはまがい物同様のものという説明だ。買わなかった身内に聞くと35万という…。
「35万もあったらダイヤ買うよね」
トルコ石の販売攻勢から解放された後に、僕はこう発言した。
するとそれまで、買わなかったことにかなり未練を感じていたのに、みるみる正気をとりもどしていつもの顔にもどる…。
ああ、もっと早く言った方が良かったかも…、そんな事思った。
それは暗示の解けた瞬間だった。
こんな光景が頭に浮かぶ、秋葉原で大量に見る中国語の看板。
今、中国人は日本国内でものすごい購買意欲を発揮する。
おそらく一昔前の日本人観光客も、海外で物凄い購買意欲を発揮したのだろう、それが故ここまで日本人相手のセールスシステムが出来上がったんだと思う。
トルコではこうした日本人相手の商売は普通の事なのだろう…
そうでなけりゃ、ここまでしつこくないよなと感じる。
(だからトルコ人が悪質なのではなく、かつての日本人が貪欲だったのだと思う、ちがうかな…)
でもいずれ日本人がそれほど以前みたいに買い物をしない事に気づくと思う。もうバブル経済ははじけた。そのうち、家電購入に飽きた中国の観光客が、今度はもてる財をつかい文化的なもの…、例えばトルコ絨毯のようなものを求めるようになるのでは?と感じる。
だから、いずれこうした日本人観光客相手の販売攻勢も中国人相手に切り替わるのではないだろうか、などと想像した。
入国審査の時からこちらを睨んでいた年配のおじさんも、トルコ絨毯を買っていた…、暗示にかかったのか、それともお金に余裕があるのか、それとも“経費”がおちるのか…。バスの中で、別のやつが話していた会話を思い出す。
「○○○会にはどうやって請求するの」と。
あれはやっぱりワザとかな。
僕ですらこんな様子では君がどんな目にあっているか心配です。
学生時代も不審電話は頻繁にあった。
なかには明らかに男が荒い息で無言できらずにいるやつもあった。
(昨日もバラエティー番組で、明らかにその不審電話は“彼ら”の嫌がらせだと感じる話をするタレントがいた。本人はギャグにしようとしているようだけど、周囲はどっ引き。彼らの仕業という仮説に立ってそのタレントを見ると「間抜け」に見える…(本人には何の落ち度もないのに、これが人のステイタスを低落させる“彼ら”のワナなのだろうか?)、僕も過去18年間こんな風に周りから見られていたのだろうか?そんな僕の様子を見た(“彼ら”に関わりある)友人が、僕の悪口攻勢をうけたら、表面的には仲良くしても、だんだん離れてゆく心情というのが容易に想像できる…)
僕には“彼ら”に「人生を返せ!」と主張する権利がある。
この事実を否定するのは相当難しいはずだ。どんな屁理屈をひねり出すのか一苦労だと思う。けれど僕はあえて“その権利を行使”しない。過去の文面を読んで欲しい、一度だって要求してない。
その代わりこう言いたい訳だ。「もう一度あいたい人がいる」と。
それでもそれが「贅沢だ!」と言う人がいるならば、何を持って贅沢ではないのか定義を明確にしてほしいものだ。単に自分たちの贅沢が侵害されている事に怒っているだけという事実に気づかずに反論できるのだろうか?
君がなかなか、なびかないから、じゃあ腹いせにこちらもずっと攻撃してやれ…、いや、考えすぎの部分もあるかな(そこまで腐った人達じゃない?もう少し常識がある?)…。でも仮にそうでも迷惑には感じない。もし事実なら、同じ苦難の一端を君と共有していた事になる、それは僕にとっては(奇妙な事に)誇らしくも感じてしまう。繋がっていたのだろうか?どうなのだろう。
だとしたら、2人の時間は断絶したわけではなく、図らずも“彼ら”を通じてつながっていた事になる。もしそうなら、切なくも、こそばゆい奇妙な想いになるけど…、どうなんだろう。あくまで仮説です。いつか疑問が解ける日を夢見ます。
「別に人生を全部返せって言う、無理な(実行不可能な)相談をしているわけではない」
…という事実があります、これはささやかな奇跡を期待しているだけの事なのです。
君が頑張っているなら、僕も頑張り続けられます。
君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。君は自分で思っているより遥かに強い。大丈夫です、僕が保障します。18年前、君はかなり本気だった、今その想いに報いたい、これが本気で言っている事だと、僕の性格をしる人物なら思うと感じる。君はどう思いますか?
いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。
でも繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。
きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。
君は君の心を信じて良いのだと思う。
僕と別れた後“彼ら”は君に“まちがった”発見をたくさんさせたと思う。
君は自分でそれを発見したと思い込んでいるけど、それは間違いです。
そうやって“人”を“従順”にさせるのが“彼らの(中の「そうした人達」の)常套手段”です。
何か言われたら、こう言ってください。
「私には命をかけてくれる人がいる、この人は私を邪魔になんか決して思わない人よ」と。
なにか、そちらの世界なりのいい訳があるのだと思う。
…でも、そんなもののために、1度しかない人生を犠牲にされるのは間違っている。
「今度はあなたが人の都合を聞く番よ、さんざん他人の都合を無視してきたんだから、文句は言わせないわよ!」と、言って良いと思う。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください(周りにもすすめてください)、精一杯背伸びをして、君にそう伝えます。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
これは人としての“質”の問題です。
教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。質が問われているのです。そう伝えてください。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
“情熱”を失わせるのが、彼らのオハコだ!気を付けて!
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〔9月20日(月)曜日〕①
僕には“彼ら”に「人生を返せ!」と主張する権利がある。この事実を否定するのは相当難しいはずだ。どんな屁理屈をひねり出すのか一苦労だと思う。
けれど僕はあえて“その権利を行使”しない。過去の文面を読んで欲しい、一度だって要求してない。
その代わりこう言いたい訳だ。「もう一度あいたい人がいる」と。それでもそれが「贅沢だ!」と言う人がいるならば、何を持って贅沢ではないのか定義を明確にしてほしいものだ。単に自分たちの贅沢が侵害されている事に怒っているだけという事実に気づかずに反論できるのだろうか?
「別に人生を全部返せって言う、無理な(実行不可能な)相談をしているわけではない」
…という事実があります、これはささやかな奇跡を期待しているだけの事なのです。
あと書くと不利になるかもと控えていたけど、この際リスク承知で書こうと思う。
ヘルパーの資格をとろうと計画中です、東京で接客の仕事を通じて、お客さんが声にできない要望を汲み取り、理解して、対応するというのがいかに大切かは感じられたし、そういう仕事が楽しいともおもえる。無茶な仕事をこなす要領と充実感もしっているし、つらい事に屈しない根性も自信ある。これらの経験を生かせる仕事がしたいと考えていた。
もし、先んじて就職できないよう手を打つやつがいたら
「地獄におちるなそいつ」と多くのみなさんが感じる事だとおもう。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
僕は賭けをしています。
“彼ら”は決して正体を明かさない…(告白しない)、どんなに親しくなろうとも、絶対に。
君ははたしてどうだろう…?18年前、君は一歩手前まで来ていた。先輩の正体を明かすという行為は、あとちょっと踏み込めば自分の正体も明かしかねない行為だ。今にして思うとそう思う。
僕は賭けをしています。君が僕に告白するかどうかと。そこが、大きなターニングポイントになる。それは事実です。
告白された事は胸にしまうつもりでいます。
〔9月20日(月)曜日〕②
イスタンブール到着前後の時間を整理して表記してみようと思う。
ダーダネルス海峡をバスごとフェリーに乗りアジアサイドからヨーロッパ大陸へ渡る。
そのままヨーロッパ大陸の右手にマルマラ海が見える道路を北上、イスタンブールを目指す。
イスタンブールには南の旧市街から侵入、そのまま船着場へ行き、ボスポラス海峡クルーズ。
クルーズ終了後、市内の日本食屋へ。
食事が終わりホテルに着く、周囲は暗くなり外出を控える…。
次の日、メモによると革製品の店に行った事になっている…(そうだったかなと思うけど、メモにある以上そうなのだと思う。いや、違うような気も…、まあどちらでもいいのでとりあえず「行った」という事にする。時間はあいまいでも行った事実に変りは無いのだし。どうも興味が薄い事柄は記憶が薄いらしい、僕の欠点の1つだ。でもそれはメモを取るという行為で容易に補正できる欠点だ。メモのとり方さえマスターすればいいわけで、結構使えます。)
そして旧市街でバスを降り、徒歩で移動。
「レース場跡広場」をみて「ブルーモスク」「アヤ・ソフィア」「地下宮殿(地下貯水池)」を見る。
そして昼食…、これが思い出せない。
この頃かなり食事にまいっていたから。
でも、少しわかってきたことがある。こちらの食事は油が濃い、だから、濃い食事をしたあと、さっぱりしたものを食べて、さっぱりしたら、また濃い食事…という具合に自分で調節しながら食べるのが良いようだ。自分で調節すると言う意味では日本食で言うところの、ご飯とおかずの関係似ている。
調節の加減がわからないとおいしく感じないわけだ、そういえば、日本に来る外国人が白米の食べ方がいまいち飲み込めてない様子はTVなどでよく見る。トルコの日本食屋でも白米にシャケなどのっていた…。
トルコ料理はそのキツイ油を自分で調節しながら食べる…そういう事らしい(そういう話をガイドが言っていた)。聞いたときはいまいちピンと来なかったが、後々になり、そうした食べ方を中心に食文化が形成されているのだろうと感じるようになってきていた。
これは僕の考えだが、つまるところ遊牧民は羊が唯一の財産だ、正直、羊はおいしくない。でもこれしかない。だからこれをいかに上手く食べるか?という食文化が長年にわたり発達してきた。という事なのかもしれないと思った。(ヨーロッパでは途中から羊から牛に切り替わり、羊は臭みの無い子羊のみ食べるようになった?という事かな…)
それがイメージでき始めてきたのは最終日近くだ。もうちょっと長くいたらもっと食事を楽しめたかもしれない…、そう思った。
日本食も白米をいかに上手く食べるかか中心になっているけど、もう一つ大事な要件が存在する。
日本は島国なので、物凄い早い段階から海運が発達している。全国に「津」のつく街があちこちにあるが、これがもっとも古い港を意味する言葉だ。(ちなみに言うと、僕ら2人が映画を見に行った隣町も、この「津」のつく地名だ)
海運業があったおかげで、新鮮なものを日本人はみな食べられた。
おかげで日本には「鮮度がいいもの=いい食材」という文化が生まれる。
(逆に海運網から外れていた地域には鮮度がいいものは来なかったので、独特の保存食が発展した「くさや」「イナゴの佃煮」「サメの干物」などだ)
外国で食料保存のため「コショウ」がもてはやされたのとはまったく逆の状況が長年続いた。
「独自の文化」の弊害をもっとも顕著に表しているのは「霞ヶ関の官僚」だ。
彼らは「国家を動かす権限」をもちながら「意思表示してはいけない」という制限を設けられている。
つまり、「これしかしてはいけない」という条件下で国を動かす。その条件下でいかに楽しむ(=国を動かす、権利を楽しむ)か?という独自の文化を生み出したわけだ。長年にわたって作られた文化なので、打破は難しいが、やらないと、国が傾くのは見えてるので。大変です。
そちらの世界の人達も、自分たちのやっていることが間違っていると知りながらも、「それしかない」が故に、どうしたら楽しめるかを考えた末の「独自の文化」が構築されていったのだろうか…。
彼らは(男たちは)“組織に貢献すると、かわいいお嫁さんをもらえるシステム。これがなくなるともう楽できなくなる”と考えているのかもしれない。
もしかしたら“君をのがすと、このシステムに穴が開く”と考えてる男たちもいるのかもしれない。
その“男のわがまま”がいかに「人は正しくあるべきだ」という考えと共通点が無いのか!という視点にたてば、おのずとどう振る舞い、どうしゃべればいいのか、自然と沸いてくるのでは…、そんなふうに考えたんだけど、どうかな。外したかな…、このイメージがきみのなにかしら貢献できる事を期待します。
“彼ら”は君がなかなか、なびかないから、じゃあ腹いせにこちらもずっと攻撃してやれ…と考えたのだろうか?(そこまでくさってない?もし事実なら、この18年間、同じ苦難の一端を君と共有していた事になる、それは僕にとっては(奇妙な事に)誇らしくも感じてしまう。繋がっていたのだろうか?どうなのだろう)
もし仮に“そう”なら2人の時間は断絶したわけではなく、図らずも“彼ら”を通じてつながっていた事になる。もしそうなら、切なくも、こそばゆい奇妙な想いになるけど…、どうなんだろう。あくまで仮説です。いつか疑問が解ける日を夢見ます。
それからFさん、こんなことも思った。
彼らは結果が出るまで強気で責め続ける。あきらめない。
だから、手加減せず「攻め」の姿勢でいたほうがいい。
油断するとつけ入られる。
彼らは、論戦になると「水掛論」(=結論にたどり着かない議論、双方決定打に欠ける状況)にもっていくかもしれない。
そういう状況では「地位の優位な者」が論争の勝者になる傾向が強い。
もし、そういう状況が発生した場合は、こう言い返せばいい。
「…あなた何を根拠に私より偉くなったつもりでいるの?」とか。
「なんで、勝った気でいるの?」とか。
「水掛論でごまかそうったってそうはいかないわよ!」とか。
「決定権は私にあるの!」とか、言い続ければ、そういう空気を作り出すことが出来ます。
「水掛論」とは一種の心理戦です。心理戦にはバイアスで対抗するのが一番。「決定権は私にあるの!」と繰り返し言えば、そもそも議論に決定打がない状況なので、心理的に押し返せる。
いまはつらいのだろうか、大変な目にあってるのだろうか。
でも繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。
きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。“繋がり”はどう作用するのか。
君は君の心の感じた事を信じて良いのだと思う。
狭量な人達が押し付けてくる“勝手なイメージ”なんか跳ね除けて!
自分の心を取り戻すべきです。
「心が狭くなると人の命まで軽くおもえるようになるのよ!」と言ってやってください。
多分君の周りには悪意なく“そういう事”が出来る人がいるのだと思う。
それはその人が本来的に悪意があるのではなく、心が内向きになっていて外を見ていないからだと僕は思う。心が外向きになれば、人として持つ“当たり前の感情”が戻ってくると思う。そう、周りの人に伝えてほしい。
何か言われたら、こう言ってください。
「私には命をかけてくれる人がいる、この人は私を邪魔になんか決して思わない人よ」と。
初めての印象とういうのは忘れないものです。わくわくして、楽しくて、面白い。
周りの人に、機会があったら伝えてください。最初の印象って忘れないものだと。
違いを楽しんだり、同じと思う事を嬉しく思ったり、何もかも新鮮で彩りに満ちている。
僕には、あたらしい世界を共に歩みたいと思う人がいます。君はどう思いますか?
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください(周りにもすすめてください)君が「埋没費用の呪い」にかからず、冷静な判断が出来る事を心から期待します。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
三界に家を建てるには、君が必要です。遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」とか。
「今度はあなたが人の都合を聞く番よ、さんざん他人の都合を無視してきたんだから、文句は言わせないわよ!」とか。
君は言っても良いと思う。なぜならそうしないと君の権利を主張できないからだ!これだけで言う権利の根拠としては充分だと思う。負けないで!応援しています!!
“情熱”を失わせるのが、彼らのオハコだ!気を付けて!
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〔9月21日(火)曜日〕①
君は物事を前に進める時、熟慮に熟慮をかさねてから行動する。
本当にこれでいいのかしらと、本当に納得できるまで、じっくり考えるところがあった。
そんな君が好きです。なんだか物凄く。理由は、会った時にでも伝えたいです…。
高校3年の3学期、バレンタインがもらえなかった僕は完全にあきらめた。
だから、卒業式後、君がまた笑顔で会ってくれたにも関わらず、それに答える事ができなかった…。
もう同じミスはしたくない。
だから待とうと決めた。今は何か都合が悪いだけだ、都合がついた時、君は現れる、そう感じた。
これは賭けですね…
〔9月21日(火)曜日〕②
もう一つ僕は賭けをしています。
“彼ら”は決して正体を明かさない…(告白しない)、どんなに親しくなろうとも、絶対に。
君ははたしてどうだろう…?18年前、君は一歩手前まで来ていた。先輩の正体を明かすという行為は、あとちょっと踏み込めば自分の正体も明かしかねない行為だ。今にして思うとそう思う。
僕は賭けをしています。君が僕に告白するかどうかと。
そこが、大きなターニングポイントになる。
それは事実です。
告白された事は胸にしまうつもりでいます。
〔9月21日(火)曜日〕③
イスタンブールの印象的な光景を思い浮かべて、今ぱっと浮かぶものを書こうと思う。
…「ブルーモスク」から「アヤ・ソフィア」まで徒歩移動した時の景色だ!
きれいな庭園が広がっていて、すがすがしい景色が展開されていた。
正直言うけど、日本の旧所名跡の庭園はきれいだけど、華やかさが地味だと感じることがある。
こちらの庭園は彩りが賑やかで、目が覚める感じがする。開放感があります。
日本の“わび・さび”とは無縁の華やかさと開放感。そんな印象をもちました、ぜび君にもみてほしい景色です。
歩いていると、物売りが「トルコ駒」を見せてくる。
近くに甥がいたから、子供をみて寄って来たのだろう、日本の駒とはまったく違う。
ひもが駒に固定されていて、本体は木で出来ているが金具が上下に追加されている。
イメージ的には、駒を二等分すると、その切り口はスペードマークのようだ。
スペードマークのとがった方を下にして、とがってない方にひもが固定されている。
ひもを本体にベーゴマのように巻きつけ、回転させる。ひもを巧みに使い、変則的な回転をさせるのが肝らしい。
遥か昔、小学生低学年の時、女の子が海外旅行のお土産紹介と称してクラスで披露した記憶がよぎる。
あの時、その駒を教師が借りてまわそうとするが結局できず、まわせるのはその子だけだったという記憶を思い出す。“記憶”というのはふとしたきっかけで、完全に忘れていたはずなのに思い出したりします…、君はどう思いますか?
「ブルーモスク」から「アヤ・ソフィア」まではかなり離れていて、ツアー客が一瞬、離れ離れになる。先頭を見失わないようにしながら、家族が全員いるか後方を確認する作業におわれた。添乗員さんが慌てていたのが印象的だ。
「アヤ・ソフィア」入り口前にトイレがあり、しばし時間がとられた。ツアー客全員がトイレから戻るまで、「アヤ・ソフィア」入り口前で待機になる。周囲は白人観光客ばかりだ。地元の人はあまりこないらしい。
トイレに関してだけは、日本が一番だと思う。外国ではひどいところは本当に酷い…
どうして日本人はここまで清潔好きなのだろう、なにかしら原因があるはずだと思う。
(日本は「いい食材=鮮度のいい食材」という文化がある。だから、物を腐らせてはいけない。腐らせないためには清潔にする必要がある…、そんな心理的バイアスが長年積み重なり、清潔文化にたどり着いたのではないだろうか…?そんな事思わなくも無い)
日本人は潔癖を好む民族だ。トイレに関してはそれでいいが、精神論にまで昇華されているから厄介だ。“けがれ”たものへの拒絶はものすごい…。正しいとか、間違ってるではなく、清いか?穢れているか?で判断してしまう欠点をもつ。政治家も“みそぎ”と称して再選を果たせば“けがれ”がとれたと解釈する。その政治家が正しいか間違っているかはどうでも良くなってしまう傾向にある。
彼らの根幹も、自分たち以外は穢れているから殺してもOKだ的なノリがあると思う。
だから自らの“けがれ”に直面させられると、思考が硬直する事になる…、違うだろうか?君はどう思いますか?
君はそんな世界で戦っているのだろうか、心配です。
物事を決める基準が「潔癖か否か?」で判断されるのは「衛生的な事」が求められる分野に限定されるべきだ!例えば、医療とか、食材を扱う分野とか、上下水道とか。
「衛生的な事柄」以外で「潔癖か否か?」を適用すると大変なことになる。
特に人を判断するような局面でつかうとどんな悲劇が生まれるか…裁判で「被告人は汚いので死刑」とか言うのはギャグなら笑えるがマジなら寒気がする。彼らの“あの行動”はこのギャグとマジの違いが理解できなくなり、全部(人殺しまで含めて)ギャグに感じさせてしまうような恐ろしさがある。
ギャグに感じているからこそ!!
多くの人が“それってノリでやっただけだよ”的態度でいられるのだと思う。
ギャグに感じているからこそ!!
多くの人が“大目に見ろよ、ノリが悪いぞお前”みないな感覚でいられるんだと思う。
ギャグに感じているからこそ!!
多くの人が、ギャグだと思っていたい…
マジだときづいたら理解不能の感覚になる…と思っているのかもしれない。
そうやって、何でもかんでも“感覚”でなあなあにする…。こういう場合の自由とは、堕落した無秩序の事をさしていると思う。崇高な自由など微塵もない。
そんな理由で、人の大切なものを踏みにじる権利は誰にもないように感じる。仏の道に殺生をしろと書かれているとはシロウトでも思わないけど、どうなのだろう?殺されかけた僕からの質問です。自浄作用が働く事を期待したいなと、そんな事、個人的に思います。
これは人としての“質”の問題です。
もし君が悔やんでいるならそれでOkです。なぜならそれは重要なことだから。
君の心の質が本来は綺麗である証拠になる。
悔やみもしない人達に囲まれて、悔やんでいない“ふり”をし続けるのは、相当つらいと推測します。脱出がベストです。自分を取り戻して欲しい。
〔9月21日(火)曜日〕④
Fさん!!君は全て背負い込むような感覚を時々もっていたような気がする。
もしそうなら全てを背負い込んではだめです!“彼ら”はそれを狙っています!!
君が、全ての罪を背負い込む心理状態になれば“彼ら”はそこにつけ込み、容易に人の(君の)心を操れる事が可能だからです。そうやって君の心から“情熱”を失わせるのが“彼ら”の手口だ!!だから注意して!非常に悪質な人心掌握法です。そうやって“情熱”を失わせるのが、彼らのオハコです!気を付けて!
〔9月21日(火)曜日〕⑤
世界は広大で広く、想像を絶するダイナミックな時間がからみあって作られている。
「視野が狭くて何が悪い」とか言う人が増え続けていくと、それが世界の不和の原因になってゆく。
私は、理由も無く人を貶めるような事はもう2度と金輪際しません!とまわりの人にに言ってやってください。
僕には“彼ら”に「人生を返せ!」と主張する権利がある。
この事実を否定するのは相当難しいはずだ。どんな屁理屈をひねり出すのか一苦労だと思う。
けれど僕はあえて“その権利を行使”しない。過去の文面を読んで欲しい、一度だって要求してない。
その代わりこう言いたい訳だ。「もう一度あいたい人がいる」と。
それでもそれが「贅沢だ!」と言う人がいるならば、何を持って贅沢ではないのか定義を明確にしてほしいものだ。単に自分たちの贅沢が侵害されている事に怒っているだけという事実に気づかずに反論できるのだろうか?
「別に人生を全部返せって言う、無理な(実行不可能な)相談をしているわけではないのです」
これはささやかな奇跡を期待しているだけの事なのです。
中には“ちゃんとした”人もちゃんといて、何で誰かの恥の尻拭いを自分がしなきゃいけないんだ!と、そう思う人(思った人)もちゃんといると感じます。多くの人の良識の存在を信じて…。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください(周りにもすすめてください)。精一杯背伸びをして、君にそう伝えます。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、冷静な判断が出来る事を心から期待します。三界に家を建てるには、君が必要です。遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
Fさん、とにかく待っています。負けないで!応援しています!!
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〔9月22日(水)曜日〕①
僕には“彼ら”に「人生を返せ!」と主張する権利がある。
この事実を否定するのは相当難しいはずだ。どんな屁理屈をひねり出すのか一苦労だと思う。
けれど僕はあえて“その権利を行使”しない。過去の文面を読んで欲しい、一度だって要求してない。
その代わりこう言いたい訳だ。「もう一度あいたい人がいる」と。
それでもそれが「贅沢だ!」と言う人がいるならば、何を持って贅沢ではないのか定義を明確にしてほしいものだ。単に自分たちの贅沢が侵害されている事に怒っているだけという事実に気づかずに反論できるのだろうか?
「別に人生を全部返せって言う、無理な(実行不可能な)相談をしているわけではない」
…という事実があります、これはささやかな奇跡を期待しているだけの事なのです。
〔9月22日(水)曜日〕②
トルコの東部には「クルド人」と呼ばれる民族がいる。
その名をどこかで聞いた事があるような…、そう感じるかもしれない。
トルコ東部、イラク北部、イラン西部に住む人達のことだ。
専門家が聞いたら異論がでるかもしれないけど、大雑把にざっくり説明するなら、オスマン・トルコからトルコになる過程で、様々な民族が分離独立するなか、クルド人だけは独立しそこねた。彼らの住むトルコ東部、イラク北部、イラン西部といった地域は、本来なら「クルディスタン」という名で独立していい場所だった。たまたまとうじ音頭をとる民族的リーダーがいなかったが故、独立運動がおきなかったのだ。
僕が初めて「クルド人」という名を聞いたのは、湾岸戦争の時だ。
覚えているだろうか?湾岸戦争、1991年だ。
イラクがクウェートに侵攻した戦争。当時、僕らは高校2年生だった。ちょうど対立から雪解けに向かい始めたくらいの時期じゃないだろうか?
音楽ではKANの「愛は勝つ」とか、槇原敬之の「どんなときも」とかが流行っていた時期だと思う。君の記憶ではこのころの事どう覚えているのだろう…。
この翌年、1992年の夏、僕らは「紅の豚」を観たわけだ。
戦争当時、史上初めて「トマホーク巡航ミサイル」が使われ、そのピンポイント爆撃がニュースの話題をかっさらっていた。SF見たいな戦争だとか当時言われた。
宮崎駿監督はこうしたSFみたいな戦いは戦争の醜い部分をクリーンにみせるとか当時雑誌で反発してたような…。その反動もあってノスタルジックな飛行艇映画(紅の豚)を作ったのかな…、まあ、これはあくまで個人的感想です。
当時こう言われた。イラクのフセイン政権は悪い人達だ。その証拠にクルド人を虐殺している…。
このニュースを聞いた時初めて「クルド人」を聞いたわけだ(と思う、なにせ古い記憶なので、もしかしたらもっと後に聞いたのかもしれない)。
なぜそんな事が起きたのか?というと、どうも隣国イランと通じているスパイと疑われ、集落単位でフセイン大統領に毒ガス攻撃されたらしい(この時、毒ガスが使われた事実から、のちのちアメリカがイランには生物化学兵器(毒ガス)がある!といってそれを理由に戦争を仕掛けて、フセイン政権を倒したのは有名な話です。でも、その後、毒ガスはみつからなかった…、でもクルド人にむけて使用された事実はあるので、かつては1度持っていた…、今も何処かに隠されているのでしょうか?それとも最初から全部アメリカの情報操作だったのでしょうか?謎です)
このクルド人はかわいそうな民族で、実はトルコでも冷遇されている。
近代トルコ建国の際、建国の父ケマル・アタチュルクはこう考えた。
オスマン・トルコ時代に比べ、トルコの領土は遥かに小さくなってしまった(それでも現在の日本の2倍の面積をもつ、かつてはどれだけでかかったんだ!と思う)、これ以上はゆるせない。
そう思ったのか、クルド人という民族は最初からいなかったとする政策をうつ。名前もクルド人ではなく「山岳トルコ人」と変えられてしまう、酷い仕打ちだ。
でも近年、クルド人の復権が認められてきている。
クルドの名も使えるし、クルド語もokだ。
最近はクルド人を取り巻く環境はよくなっている(いいどころか絶好調だ!)。
理由はイラク戦争にある。
イラク戦争の際、アメリカ軍はイラク北部に住むクルド人と手を組んだ。クルド人はアメリカと協力してフセイン政権と戦った。戦後、その見返りに、クルド人居住区の石油利権が認められ、今、イラク北部のクルディスタン(クルド人居住区)はものすごい発展をしているらしい。そんなニュースをみた記憶がある。
その効果は隣国トルコのクルド人も刺激して、今、トルコ国内のクルド人過激派がテロにいそしむようになったらしい。心理的バイアスとはどこでどう働くか本当に予測不可能です。
…その所為でトルコの空港の警備は物凄い厳重だった。ここはアメリカか?と思うほどの警戒ぶり。
人生で初めて金属探知機をくぐる。手かざしで向けるハンディータイプの金属探知機も経験した。帽子は取るようにと言われるし、一度探知機に引っかかると靴まで脱がされる。
その際、どうも探知機の感度を最高レベルにしているようで、些細なものまでひっかかる。だから毎回ズボンのベルトをはずすはめになる。
「これは、普通の事なのか?」
と、思っていると。僕同様とまどっている白人旅行者が「ベルトも?」と驚いてる様子を見た。どうやら普通ではなく、やはり警戒厳重なんだと思った。
ここで、こんな事を思った。
「ベルトは金属製じゃないやつを、あらかじめ用意しとくのが正解だな」と(ゴムひもでもいいと思う)
飛行機には入国時、国内移動時、帰国時とそれぞれ利用していて、その際毎回警戒厳重だ。
パスポートの審査の時など、僕ら日本人は簡単に通るれるのに、イスラムとわかる感じの外国人家族には物凄い時間をかけているのが印象的だった。
人と人がいがみ合うのは1万キロはなれた、この地でも同じのようです。
旅行に行く少し前、トルコ国内でバスが爆破されたニュースを見たのを思い出す。こちらのいがみ合いはシャレにならないマジのものです。
僕の場合は、“彼ら”にやられてもやり返さない(テロなど考えもつかない)、そのことは何より明白な事実ですので、ここに主張します。自己防衛以上の事をやる気はさらさらない。
過去、僕に直接攻撃してきて失敗したメンバー皆さんに聞いてください、皆口を揃えてこう言うはずです。
「あいつはキレないんだ、最初はバカなのかと思ったが、どうも違うようだ。手ごわいぞ」と。
自己防衛以上の事をやる気はさらさらない。ただただ平和に暮らしたい、そして待ち人に会える奇跡を信じたい、そして、自活の道を軌道に乗せたい(彼らの妨害を前提にしてでも)。それだけが望みです。
誰も、人生を全部返せって言う、無理な(実行不可能な)相談をしたい訳ではない。
これはささやかな奇跡を期待しているだけの事なのです。
そのくらいが望みです。平たく言うとあるがままに平和に過ごしたい、日々、想いを追求したい…。
僕と彼女だけは戦いに巻き込まないで欲しい…。
こう願う気持ちは、そちらの教えと“矛盾しない”ように感じるのですが。
実際の所どうなのでしょう?
たぶんなにかしら反論を食らうのでしょう。
Fさん、僕はこういうとき、こんなセリフを相手に問いかけます。
「具体的にどこが間違っているのか教えていただけませんか?」と。
こういう時「最初から全部おかしいんだ!」と言うひといます。
その場合、最初というとどこですか?自己防衛のとこですか?自己防衛しちゃいけないんですか?と細かい部分を根掘り葉掘り問いただしていけば、相手のはただ「最初からおかしい」と繰り返す事しかできなくなります。
何度かくりかえさせて、折り合いを見て「ホントは何も判ってないんですね、言いがかりは止めてください」といえば自分の(こちらの)立場を明確に主張できます。
相手は論点を絞り込めてないのだから、いずれ矛盾した回答が引き出せる(何しろその場しのぎの言葉しか相手は言ってないのだから)。
そうすれば今度は「さっき貴方が言った事と、今貴方が言った事はつじつまが合ってませんね」と“つじつまがあわない”という論点にたって話を絞り込めます。
もし先ほどの言葉に反応して「世の中とは“つじつまが合わない”ものだ!」と相手が開き直ったら?
そしたらしめたもので、この時点で最初の話に立ち返り「じゃあ今貴方が言った“世の中とはつじつまがあわないもの”という話と、最初に貴方が言った“僕が最初から間違っている”という話は、どこがどう矛盾しないのか説明してください!」ときけば、相手は高い確率で理論破綻する。
(というかここまで来て巻き返す理論を展開した人物を僕は過去に1人しか知らない。ここまでとことん議論すると、逆にお互い理解しあえたりすることがあるので人間とは実に不思議な生き物です)
今、君はどんな状態なのだろうか?戦っているという前提で書きます、負けないで!応援しています。
仮にですが、もし落ち着いたなら、君には自由な空気を思うだけ楽しんで欲しい。
誰にも気兼ねなく、自分の思うことをしてほしいとも思う。
なぜなら、僕はそのままのFさんが好きだからです。
そのままの君が抱くあの笑顔が見たいからです。
だから、18年前のようにいかないかもしれないけど、君の心が安心できる距離に僕の気持ちを置く事を許してくれないだろうか?そのくらいのわがままならいいよね?だめかな…。
もし君が、全ての罪を背負い込む心理状態になれば“彼ら”はそこにつけ込むと思う。
そうなれば容易に人の(君の)心を操れる事が可能だからです。
そうやって君の心から“情熱”を失わせるのが“彼ら”の手口だと思う。君はどう思いますか?
だから注意してほしい、そう君に伝えます。
こうした手法は非常に悪質な人心掌握法です。そうやって“情熱”を失わせるのが、彼ら(の中の“悪質な事を強要するのが平気な人達”)の得意な手口です!
もし誰かが何かしつこく言うようなら、こう言っていいです。
「私には命をかけてくれる人がいる、この人は私を邪魔になんか決して思わない人よ」
と。
“彼ら”は君がなかなか、なびかないから、じゃあ腹いせにこちらもずっと攻撃してやれ…と考えたのだろうか?(そこまでくさってない?)
もし事実なら、この18年間、同じ苦難の一端を君と共有していた事になる、それは僕にとっては(奇妙な事に)誇らしくも感じてしまう。繋がっていたのだろうか?どうなのだろう。
だとしたら、2人の時間は断絶したわけではなく、図らずも“彼ら”を通じてつながっていた事になる。もしそうなら、切なくも、こそばゆい奇妙な想いになるけど…、どうなんだろう。あくまで仮説です。いつか疑問が解ける日を夢見ます。
いまはつらいのかもしれない…大変な目にあってるのだろうか?
でも繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。
きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。
君は君の心を信じて良いのだと思う。
僕は賭けをしています。
“彼ら”は決して正体を明かさない…(告白しない)、どんなに親しくなろうとも、絶対に。
君ははたしてどうだろう…?
18年前、君は一歩手前まで来ていた。
先輩の正体を明かすという行為は、あとちょっと踏み込めば自分の正体も明かしかねない行為だ。
今にして思うとそう思う。
僕は賭けをしています。
君が僕に告白するかどうかと。そこが、大きなターニングポイントになる。
それは事実です。
告白された事は胸にしまうつもりでいます。
…なにか、そちらの世界なりのいい訳があるのだと思う。
でも、そんなもののために、1度しかない人生を犠牲にされるのは間違っていると感じる。
「今度はあなたが人の都合を聞く番よ、さんざん他人の都合を無視してきたんだから、文句は言わせないわよ!」と、君は言って良いと思う。君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください(周りにもすすめてください)。精一杯の背伸びをして君に伝えます。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
Fさん、いろいろ言われると思う。けど、がんばって。負けないで欲しい。
狭量な人達が押し付けてくる“勝手なイメージ”なんか跳ね除けて!
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Fさんへ。
今日、夕刊が来てないという事がおこっている…
まさかと思うけど。郵便物収奪班のような人がいるのだろうか?
こちらに来てすぐの事、東京で世話になった人が「送った」と明言する郵便物が届いてない。
もし、「手紙」で連絡を考えていたら、一工夫がいるようだ。
クロネコメール便とか、内容証明郵便とか。
そんな事を思った。
君は今、元気にしていますか?心配です。
郵便物といえば、大学生になってから2度ほど君にクリスマスカードを郵便で贈ったけど、あれは届いただろうか?開けると電子音が流れる結構こったカードに手書きのイラストをそえた。当時ちゃんと届いて君をなごませた事を夢見ます。いつか、カードが着いたかどうか教えてください、そんな事を思います。
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〔9月23日(木)曜日〕①
もし、先んじて就職できないよう手を打つやつがいたら「地獄におちる」と多くの人が感じる事だと思う。ヘルパーの資格をとろうと計画中です。
東京で接客の仕事を通じて、お客さんが声にできない要望を汲み取り、理解して、対応するというのがいかに大切かは感じられたし、そういう仕事が楽しいともおもえる。無茶な仕事をこなす要領と充実感もしっているし、つらい事に屈しない根性も自信ある。これらの経験を生かせる仕事がしたいと考えています。
どう邪魔されるのか?…されないのか?
Fさん!もし、邪魔して何が悪い!いや、むしろして当然だ!という人が周りにいたら、こう言ってやってください。
「これ以上邪魔をして、もし本当に(自分が)地獄に堕ちちゃったら、その時は誰が責任取ってくれるの?」と。
僕が君に一緒に戦って欲しいと思う理由の1つがこれになります。困難は1人より2人の方が楽しく乗り越えられる、だめかな…。
(それに“彼ら”に狙われたと思われる人でその後も生き延びている人は意外にたくさんいます)
僕には“彼ら”に「人生を返せ!」と主張する権利がある。
この事実を否定するのは相当難しいはずだ。どんな屁理屈をひねり出すのか一苦労だと思う。
けれど僕はあえて“その権利を行使”しない。過去の文面を読んで欲しい、一度だって要求してない。
その代わりこう言いたい訳だ。「もう一度あいたい人がいる」と。
そして、生活を立て直すけど、「邪魔しないでほしい」と。
(…一瞬でも「それって当然の言い分だよな」と感じていただけたら幸いです)
それでもそれが「贅沢だ!」と言う人がいるならば、何を持って贅沢ではないのか定義を明確にしてほしいものだ。
単に自分たちの贅沢が(快楽が)侵害されている事に怒っているだけという事実に気づかずに反論できるのだろうか?
「別に人生を全部返せって言う、無理な(実行不可能な)相談をしているわけではない」
…という事実があります、これはささやかな奇跡を期待しているだけの事なのです。
東京で「猛攻撃」がはじまる前日、気になる記憶がある。
いつものように電車に乗っているとやはり監視者がいる、平均的な人数で後々のひどさに比べればまだましなレベル。今とたいして変らない人数。
電車内で座っていると、停車駅で太ったかっぷくのいい男性が乗ってきて、僕の目の前に立ち、僕を見下ろす。
目があっても睨み続ける。ああ、またかと思う。この人は何度か見ている。
…で、僕は席をゆずった。その人に。
年配で僕より太った男性に席を譲るのは、社会常識の範囲内の行為だ。でも近くのおばさんが物凄い心配のまなざしを向ける。
推理だけど、このおじさんは偉い人だったのだろうか?違うかもしれない…
でも僕がおじさんとやり取りしている間、周囲の空気が凍りつくのを感じた。
席を入れ替わり、少し前おじさんがやったマネをした。
あれが、やりすぎだったのかな?おこらせたのかな?(そんな事でいい大人がキレるだろうか?)
次の日あたりから、それこそ何万人と感じるほどの人数の大攻勢になった。現在の監視がのんきに感じるレベルだ。
でもそのおかげで、僕は真実にたどりつけた訳だけど。
一般の常識なら、僕が正しい。だから後悔はない。
けど、本来的に人がいいので、ついついこうも思う。
「正体不明の人物相手に、それなりに気を使ってる事実をどう理解してもらおうか…」と。
一応、必要以上に不快な思いをさせずに、身を守る方法をとっているという事実を、どう理解してもらおうと。
例えていうなら、漁船船長拘束問題で怒りを爆発させる中国人デモ隊の参加者に、
「筋を通しているだけです、(日本政府に)悪意があったら船員を全員逮捕拘留しています。喧嘩を売っているわけではないんです」
という日本の(筋の通った)主張を聞き入れてもらうのと同じくらい困難な事です。
冷静に行きましょう…
それが単純かつ相応しい言葉です。
皆さんも、筋が通せない男は嫌いでしょ?僕は筋を通しているだけなのです。
Fさんはどう感じますか?
〔9月23日(木)曜日〕②
僕は賭けをしています。
“彼ら”は決して正体を明かさない…(告白しない)、どんなに親しくなろうとも、絶対に。
君ははたしてどうだろう…?
18年前、君は一歩手前まで来ていた。先輩の正体を明かすという行為は、あとちょっと踏み込めば自分の正体も明かしかねない行為だ。今にして思うとそう思う。
僕は賭けをしています。
君が僕に告白するかどうかと。そこが、大きなターニングポイントになる。それは事実です。
告白された事は胸にしまうつもりでいます。
トルコ旅行の話はまだ終わってないのだけど、その他の話題が結構溜まって来たので、そちらを今回書こうと思う。…最近こんな事を感じた。
18年前、日々、学校で他愛ない事を君と話したが、細かい話の内容が思い出せない…もちろん覚えている記憶もある、でももっともっとたくさんしゃべっているはず。いつも僕がしゃべりつづけ、君がにっこり聞いていてくれる、そんな記憶がたくさん残っている。
「何しゃべってたんだっけ…」と、よく考える。
たぶん、今こうして書いている小説同様、その時気になったことや、思いついたこと、知っている事、思い出した事、感じた事など延々としゃべっていたんだと思う。君の記憶ではどうなっていますか?
けど、ふいに思い出した。ある番組を見ていたときだ。その番組で、楽譜の読み方がわからず、後輩に読み方を聞くシーン。
(君は見ないかもしれないが、今人気のある「けいおん!」というアニメの中のシーンだ)
アニメなんていうと馬鹿にされそうだけど、まじめな話あれを見ていて唐突に、こう、思い出したんだ。
「僕もFさんに楽譜の読み方をよく質問していた…」
部活の時間。新しい楽曲のための新譜をもらうと、時折わからない記号とかあり、毎回君に確認していた。どういう順番で演奏が飛ぶか確認したり、この記号はどういう意味か?とか。
音楽室で、君が1stに座り、僕が2ndに座り、隣りあわせで、楽譜代の上の譜面をみながら僕が質問する。
あるいはパート練習で何処かのクラスの教室にいる時、クリアファイルの楽譜を見ながら…。
時折、楽譜に書き込むためにクリアファイルから取り出す、そのうち、取り出した事を忘れて、ファイルに入っているつもりで動かして楽譜を落すこともあったと思う。
いつも君はかわいく答える。一度だってさげすまないし、邪険にしない。
覚えの悪いぼくはなんども聞くが、君は嫌な顔1つしない…。
先ほどのアニメのなかで、主人公がこんな事を言う。
「フェルマータ」って何?と。
似たような質問を僕も君にしたと思う…、たぶん。このセリフを聞いて唐突に思い出したのだ。
正直、フェルマータにしろ、アレグロにしろツッカータ(トッカータだっけ?)にしろ、僕は正確に理解しておらず、いつも勘で吹いていた。だから、正確な知識が無いがゆえ毎回新譜をもらうと君に確認する事になる。同じ質問を何回もしたと思う、たぶん、どうかな…この記憶。君の記憶ではどうなっているのだろう?いつか答え合わせが出来る日はくるだろうか?
そんな事してるうちにだんだん打ち解けていったような気がする。
次第に、楽譜以外の雑談もするようになっていった。
何だかこの子と喋るの楽しいぞ、とよく思った。
やはり好きなのかな、この子の事が、どうなのかな、そんな事思ったものです。
当時僕はとにかく勘だけを頼りに、感覚で演奏した。それでもなんとかトロンボーンパートとして成立したのは君がいてくれたからだと思う。特に3年になると、いつも僕を引き立てようとしてくれていた。本来なら、君がパートリーダーになるべきなのに…。
君は人につくす人だ、当時はわからなかった。でも今はわかる。
こんなに時間がたってから、その価値に気づくなんて…。
せめて僕が、今、気づいた事だけでも伝えられたら、そう本当に思います。伝わっているだろうか?心配です。
Fさん、今どうしていますか?これを読めていますか?
今僕には1つ、具体的な夢がある。
「紅の豚」のDVDを一度2人で見てみたいという夢だ。
で、当時このシーンを映画館で見たときの「あの日」の思い出語り合いたい、そんな夢があったりします。
思うだけならただなので、そんな夢を想う事にしようと決めました。
君は「えー」と言うだろうか、何しろ映画を黙ってみるよりは“会話”を好む君だから。
だから、見ながら会話ができたら楽しいななんて思った訳です、どうせあらすじは2人とも判っているのだから喋りながらみても支障はないと思うし。ささやかな夢です、奇蹟のこもった。
18年前の“彼ら”は君がなかなか、なびかないから、じゃあ腹いせにこちらもずっと攻撃してやれ…と考えたのだろうか?(そこまでくさってない?)もし事実なら、この18年間、同じ苦難の一端を君と共有していた事になる、それは僕にとっては(奇妙な事に)誇らしくも感じてしまう。繋がっていたのだろうか?どうなのだろう。
だとしたら、2人の時間は断絶したわけではなく、図らずも“彼ら”を通じてつながっていた事になる。もしそうなら、切なくも、こそばゆい奇妙な想いになるけど…、どうなんだろう。あくまで仮説です。いつか疑問が解ける日を夢見ます。
君は全て背負い込むような感覚を時々もっていたような気がする。もしそうなら全てを背負い込んではいけません。
君が、全ての罪を背負い込む心理状態になれば“彼ら(の中のそうした事を悪用する人達)”はそこにつけ込み、君の心を操る事が可能になるからです。
非常に悪質な人心掌握法です。
そうやって“情熱”を失わせるのが、彼らのオハコです!本当に気を付けて!
大丈夫…と油断してると、気がついた時にはワナにかかっていたりします。
彼らは暗示の達人ですから。
いまはつらいのかもしれない、大変な目にあってるのかもしれない。
でも繋がりは、今でもあるんだと、そう思えれば乗り越えられると思う。
きみにとっての“それ”が“何を”いみするのか。
君は君の心を信じて良いのだと思う。何か言われたら、こう言ってください。
「私には命をかけてくれる人がいる、この人は私を邪魔になんか決して思わない人よ」と。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書にふれる機会を意識してみてください。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…そういう事で全て矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、冷静な判断が出来る事を心から期待します。三界に家を建てるには、君が必要です。君がどこにいようと、どんな状況だろうと応援しています。何があろうと世界中でただ1人味方でい続ける人間がいることを忘れないでください。遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
一度きりしかない君の人生です。
何度も言いますが、僕は生きています。死んではいません。
(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)
〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください