第25話 旅行から帰って…(新・未来へと続く話その1)
〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください
(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)
〔8月16日(月)曜日〕
旅行から帰ってきました。
Fさん、やっぱ日本はいい…、と思うと同時に海外へいってみて気づく事もたくさんあって面白かったと思った。
正直いうとあと2週間くらいいたら現地にもっと慣れて面白かったと思う。慣れる前に帰って着てしまったのが残念です。
言葉が通じないというのが、なにより新鮮で楽しかった。
何をするにも片言の言葉とジェスチャーは面白い。
何より“彼ら”をほぼ警戒しなくていいのが久しぶりだった。
(ヨーロッパにもいるときくけど、ほぼ気にしなかった、アナトリア周辺はいないと感じた。)
おかげて、最後までとれなかった“暗示”のいくつかが“解除”された感覚がする、この“解除された感覚”が本物かどうかは今後の日常で検証できる。もし、本当に解除されてたとしたら、暗示の解除に海外旅行はお勧めという事になる。その時は君にも旅行を勧めます。
…僕は無口だ。それは君も知っていると思う。
お互い無口だった、似たもの同士でその辺面白かった。
仕事の上ではこの性格改善した自負がある。黙っていてはなにも始まらない。
本屋で相当スパルタ教育をされた。
外国人にひるまなくなったのも仕事をして得た感覚だ。
でもプライベートにこれを応用する気にはまだなれない。
無口で自分の世界に浸っていたい感覚は実際ある。
だから、今回の旅は最初から自分のペースを崩さずに、無口でいこうと決めていた。
どうせ、家族もいるし、甥がいたから、暇にはならないだろうと思った。
…それでも旅の終盤には、少ないけど幾人かと会話してしまう、(しないと不自然な場になる)
もう少し旅が長かったら、無口を貫けなかったと思う。
時間をかけないと(プライベートな)人間関係がつくれない?
これは君の知る僕の姿だと思う。だから、まあいいかとも思った。自分の原点は見失わずに今も持っている。不安を感じず自分を貫けてるな…と思えることの方が重要と感じた。他人にはいまいちピンとこないであろうこの“感覚”、君はどう思う?自分の人格をちゃんと把握した方が生きやすいと僕は思った。全てを受け入れて、あるがままに余裕を持って。
今回の旅でも幾人かは“そうなのでは?”と思う人を複数感じた。挙動にマニュアルに符合する動きがあったり、なんか引っかかる人も複数存在する。けど集団威圧は感じなかったから、まあ、いいかとも思った。
…でも女の子に声をかける気にはまだなれない。相当なショックを引きずっている…、なにしろあの理解不能と思っていた彼女が、まさか本気で僕の事を想っていたとは…という事実は、僕の人生をまだ震わしている。いつか動揺が収まる日がくるのだろうか?その日がいまは来ないでほしいと感じる。君に会いたいと今も思っているからだ。連絡を待とうと思う、さいわい僕はもてないからまだ時間の余裕はあります。たっぷりと。君の“大人の判断”に賭けます、何を人生の大事と考えるのか。
旅自体はたのしかった。荒涼とつづく大地をみていると、日本がいかに狭い国かがよくわかる。外国の方がスケールがでかくて大胆だ。なにもかも。パワーがちがう。
日本はパワーは小さいけど、限られた範囲内で“完璧”を求める民族だなと感じた。海外が雑と感じるのは何もかもスケールが日本より大きいからだと思う。
(案外“彼ら”の求める完璧もそうした狭い世界に限られた完璧なのかもしれない、これをきいて彼らがどう感じるのか?ぜひいろんな彼らに聞いてみたくなる。立場によりいろんな意見がありそうに感じた)
書き足りない部分は後日書きます。
今回の旅で思ったことの1つはこうです。
「劣っていてもパワフル」というのはいいな、という事。そういう部分僕には欠けている。
(でも“彼ら”のように一線を踏み外してはいけない、それは明記します)
いろんな景色を見ていていつもおもった。Fさんが隣にいたらもっと楽しいのにと。
君がいたら、労せずパワフルになれる…、そんな事もおもった。事実、君のささえがあったからこそ、あの彼らの猛攻撃もしのげたのだから。
三界に家を建てるには、君が必要です。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
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ぶさいくは性格も悪い、という人います。
僕はこれを全力で否定したい。根拠などないからだ。
そうだ!と思うぶさいくは多いと思う。
君はかわいい。かわいいが故の悩みがあったと思う。
でもブサイクにはそれなりの悩みがあったりします…
いつも見るパトカーを今日もみた。
メガネの人は水木しげるの漫画にでてくるようなブサイクだ。
でも僕はブサイクは性格も悪いというのを全力で否定したい。
この人も、そうなのだろうか?それとももう一人の人なのだろうか?
黙っていてもまた会えるから、今度は「何かあったんですか?」ときいてみようと思う。
いつもどこでも会えるという状況…
仮に相方の警官が普通の人ならこの不自然さに気づくと思う。
そんな事を考えた。
非常識にならない範囲内でなら、市民が疑問を問うのは普通の行為だ。
君はどう思いますか?
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
皆が皆敵ではない。
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〔8月17日(火)曜日〕
旅行中印象にのこる場所はエフェソスという場所だった。
ローマ時代の遺跡が顕著に残っていてものすごく面白かった。
ギリシア・ローマ時代の都市国家はおおよそのフォーマットが決まっていて、どこも似ている。
必ず同じ形式の議会があり、劇場があり、広場がある。インフラが共通しているのだ。
以前、海外ドラマ「ローマ」と言うのを見ていたので、遺跡を見るたびに劇中のシーンが浮かび上がる。そうそう、同じだ!と感じる事この上ない。
ああいうのを見ていると「ああ、本当にこういう時代があったんだ」と歴史の重厚さを感じられて楽しくなる。残念ながら単なる廃墟めぐりくらいの感覚の方が世の中の大勢なので、歴史好きは口をつぐむ機会がおおくなる。
それでもエフェソスの劇場後の事を考えると歴史の1シーンに触れた感じがして、表現しきれない畏敬の念をもつ。
君はバチカンのサン・ピエトロ大聖堂を知っているだろうか?
そう、あのローマ法王のいる所だ。
あそこはキリストの12使徒の1人ペテロの処刑された場所だ。
ローマ共和制時代、キリスト教は迫害の対象であり、12使徒は犯罪者同様だった。
エフェソスにきたペテロは布教活動を始めるが、市民からつるし上げをくらう。
それでも少しずつ信者が増える…、女神を信じるエフェソスの人々はペテロを逮捕し、ローマに引き渡した。その後ペテロはローマで処刑され、その処刑地に現在、サン・ピエトロ大聖堂があるわけだ。
ペテロは逮捕される前、エフェソスの劇場で市民を前に大演説をしたとされている。
事実なら、そこに立ったことになる。
この時代の歴史は捏造も多く、どれが真実か不明だけど、ペテロがエフェソスにいたなら、劇場に立った可能性は非常に高い。
つまり、エフェソスの劇場にペテロが立ったという話は捏造の可能性がかなり低い話だと思う。
そして、僕はその劇場跡に立った訳だ。
ここにあの聖ペテロも立ったのか…、と思うと何だか歴史を感じざるを得ない。
別にキリスト教を指示するとかいう話ではない。
僕はもともと判官びいき(=弱者や薄幸の者に同情し、味方したり応援したりすること。また、その気持ち)だ。
現物を見た後、もう一度この時代の話を本で読み返すと、記憶のイメージが随分と変る。
そういうところが面白かった。
できれば一緒に行きたかったなと思う。
いつか再会し、そんな日々がくればいいのになどと思ったりします。
もし、今も戦っているなら、負けないで欲しい。
新しい想い出を作れる日々を信じて。三界に家を建てるには、君が必要です。
…君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。
君の事が心配だからです。詳しくは21話参照してください。
皆が皆敵ではない。中には器の大きな人もいて、それを示す機会を伺っているのかもしれません。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
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〔8月18日(水)曜日〕
旅の中でエフェソスの次に印象的な場所はヒッタイトの首都ハットゥシャスだ。
もともとヒッタイトは謎の王国だった。
エジプトの古文書に何度も登場するけど、どこのどんな国かわからなかったのだ。
ところがある日学者がトルコでヒッタイトの首都らしきものを発見、ようやく実体がつかめたという歴史をもつ。
現在の世界史は極端なはなしギリシャ・ローマ文明を中心に展開されている。
だからギリシャ・ローマと直接のかかわりを持たなかった文明で、今日の国家に文化が継承されてない文明は大概が“謎の文明”でくくられる。ヒッタイトもその1つだ。
調査では(僕の理解に間違いがなければ)ヒッタイト語はドイツ語に共通点があるらしい。解読に成功したのはドイツ人だった。どこでどういう経緯があるのか不明だけど、なんらかのつながりがあるようだ。ヒッタイト王国が繁栄した時代、ドイツはまだなく、ヨーロッパのケルト民族の1部にすぎなかった。
ヒッタイトの遺跡で見つかる文字の大部分は外国とのやりとりをしめした文章らしい。
さまざまな(その当時繁栄した)国家の文字がヒッタイトの首都で見つかっている。
でも“歌”とか“伝説”の類がない。壁画もない。
残っているのはエジプトの文献に残るヒッタイトの様子と、先に述べたトルコで見つかった首都と思われる遺跡の城壁あと。そして世界で初めてとされる“鉄”をつくった事実。(ヒッタイトの製鉄技術は初歩的なもので、後に登場するフィイゴや高炉はまだなく、季節風を利用したものだった。地域限定の製法で他へ伝わる事もないし、大量生産など不可能だった。鉄は“金”同様の貴金属あつかいで、主に宝物あつかいだったらしい。)
…遺跡の話にもどる。
とにかく遺跡に触れてみた。あちこち触ってあるいた。触ると、記憶に残りやすい。
遺跡の表面はどれもザラザラしていて独特だ。(つめの先が欠けてしまうくらい固くザラザラ)
おそらくそのうち風食で朽ちると思う。(何千年もさきの事だとおもうけど)
そして後に登場するギリシャの都市が、利便性を優先していたのとは違い、防御優先なのがわかる。入り口たる門の位置がとにかく不便な位置にある。どうやら門の下に地下道を作って、攻め込んだ敵をかく乱する目的らしい。この発想でどの門も作られているようで、当時交易で来た人(先に述べたように遺跡からは大量の外国文字の粘土板がでている、交易で潤っていたようだ)はさぞかし不便だったと推察する。
現在のトルコを建国したケマル・アタチュルクは無類の“ヒッタイト好き”だったらしい。
トルコを代表する遺跡はヒッタイトだ!というイメージを打ち立てるべくさまざまな事をしている。
首都アンカラの博物館もヒッタイト中心の展示物になっている。
…でもこれは彼のわがままではなく、国策上の理由があったのだ。
トルコで発展した地域はエーゲ海に面した地域だ、それ以外は発展していない、特に独立当初はそうだ。このエーゲ海周辺は当時ギリシャが領有権を狙っていた地域だ。事実エフェソスなどギリシャの遺跡も多い。“自国の古代史”というジャンルでギリシャに対抗する意味で“独自性”が必要と考えたのだ。
そういう意味で謎の文明ヒッタイトはうってつけだった。
ヒッタイトはその後「海の民」という謎の民族に滅ぼされたとされている。これがどの文明の人々を指しているのかはいまだ解明されていない。
滅ぼされた後、国外から攻め込んださまざまな勢力に吸収され、交じり合い、何千年も交じり合い、現在のトルコ人になったというのが、現在のトルコ人のアイデンティティーになってるようだ。そういう意味で原点にヒッタイトがあるというのは、不動の事実で、重要なことのようだ。
やはり、なににしろ人間にとって“原点”というのは重要らしい。自分が“何者であるか?”を考える時、帰るべき原点が必要なのだ。
何事も“原点”があれば、ぶれないし、自分を見失わない。
首都アンカラの博物館でヒッタイトの遺物を見学した後、数分の自由時間があった。
ミュージアムショップで時間をつぶす。
店内で“邪眼”をみつける。正式には違う名前だけど僕は昔からこう記憶してしまっているので、こう呼んだほうがしっくりくる。青いガラスがせんべいのような形状にされていて、その中央に目玉が書かれている。なにか災いがきたら代わりに受け止めて砕け散るのだそうだ。
他は高いのに、ここでは3トルコリラ。200円もしない金額。勢いで買ってしまった。
レジでは片言の英語とジェスチャー。久しぶりの感覚。本屋で働いていた時の外国人とのやり取りを思い出す。意外とスムーズに話ができた。むこうの「小銭ないか?」というのを理解できたし、意外と英語ききとれる自分に驚く。
そんなやりとりも君と一緒だったら、もっと楽しいのにと本気で感じる僕がいる。
原点がしっかりしているから、いろいろできるとおもった。
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今回の文章はすこしわかりにくいかもしれない。
“わかりやすさ”よりも自分の感覚を優先してしまいました。
わかりにくかったらごめん。
ようは、ヒッタイトの遺跡はザラザラした石が何千とつらなる壮大なもので印象的だった。
そしてこの遺跡にかける“トルコ人の思い”を伝えたかった。
人の思いは心の原点を作り出すのかもしれない…
そんな意味で君に伝えようと思う。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
何かが君の心に届くかもしれない…詳しくは21話参照してください。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
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〔8月19日(木)曜日〕
エフェソス、ハットゥシャス、と続いて、次に印象的な場所はカッパドキアだ。
奇岩おりなす風景で有名な場所、昔はオカルト話として古代の核戦争跡だなどと言われた。
オカルトは大概、根拠なく見た目の印象だけで語られる…、実体はこうだ。2つの火山が古代に爆発し、あたり一面を溶岩で埋め尽くす…、そして雨風が溶岩の柔らかい部分のみを吹き飛ばし、何万年とかけて固い部分だけが残った。それがあの奇岩群のできた正体だった。
最初に人が住み着いたのはヒッタイトの人々が砦として利用したのが始まりらしい。けど都市にはならなかった。なぜなら理由は山ほどある。主な街道から外れた位置にあるし、水源に乏しく、農耕にもむかない(奇岩ばかりで平地が少ない)、ありていにいうと、価値のない地域だった。景色はみごとだけど、それ以外とりえのない不毛の地だったわけだ。
けれど、ここは最終的に何十万人が住む地下都市になる…
ことの始まりはローマ帝国の文化的衰退だった。文化の衰退したローマ帝国では、徐々にキリスト教が広がってゆく。衰退した社会では終末思想がもてはやされ、いずれ最後の審判で世界は滅びると多くの人が信じた。そうした最後の審判の日にそなえて修行しようと思い立ったキリスト教徒のことを「モノ」といった。今風に言うと修道士だ。修道士たちは最後の審判(=世界の終わり)に備えて放浪の旅にでる。
そしてある修道士がカッパドキアに行き着いた…、彼の見たその光景(奇岩が行く重にもおりなす人界ではありえない光景)はまさに“この世の終わり”にもっともふさわしい光景だった。
そのうわさは修道士たちに次第に浸透していき、1人、また1人とカッパドキアへ旅たつ修道士が増えた。こうして最終的には何十万という修道士が住むことになる。
もともと主な街道から外れているから、外部の干渉もすくない。
生活は不便だけど、そもそもつらいのも修行のうちなので修道士ならokだった。
それに比較的柔らかい部分を掘ればいくらでも穴が掘れる土地なので、無数の洞窟がほれた、居住空間に不便しない。食料も水も工夫すれば最低限は確保できる。こうしてキリスト教徒の隠れ里として、何世紀も栄える事になる。それはこの地がイスラム化してもつづいた。
ローマの時代ころから始まった修道士コミュニティーは、ローマが東西に分裂しても栄える。
そしてイスラムの波がこの地をおそう。
イスラム教は支配されていた人々に急速に広がった。奴隷や傭兵、商人。
アナトリア半島におけるイスラムの主体はチュルク人だ。世界史では突厥と言う名で登場する。
チュルク人はウイグル人と同じ中央アジアの民族だ。人種としては同じといってさしつかえない。
ただ、チュルク人は雇われ兵(=傭兵)としてアナトリア方面へ大量に出稼ぎにいっていた。そのうち、その出稼ぎ先に定住するようになり、現地の人々と交わり、世代をかさね、トルコ人の基礎をつくる。チュルクとはトルコのことだ。
トルコの食文化は遊牧民のウイグルやモンゴルのそれによく似ている。室内で靴を脱ぐ習慣ももつ。トルコの文化の基礎は中央アジアの文化でもある。だから魚は沿岸部の人しか食べない。豆と羊とナン中心の食事だ。
そうしたチュルク人傭兵はイスラム化し、この地に定住する。
この地を支配したローマ人から少しずつ土地を奪いつづけ、やがて最後の砦コンスタンチノーブルも陥落させる。この過程でカッパドキアは奇跡的に生き残る。
ターニングポイントになったのは11世紀。
イスラム教徒がエルサレムを占拠した時代、ヨーロッパ各勢力がこれを取り返そうと十字軍をさしむけた。この十字軍はイスラム勢力をかなりのところまで追い詰めた。
ここで力の拮抗を左右した存在になったのがカッパドキアの勢力だった。
もしカッパドキアの勢力がこの時十字軍についていたらな、歴史は大きくちがっていたかもしれない。
けれど、この時カッパドキアの人々はイスラム側についた。
イスラムの元の平和に長年親しんだおかげで、自己保身のためにはイスラムについたほうがよいと考えたからだ。この決断により、当時追い詰められていたセルジューク・トルコは一息つくことが出来て滅亡を免れた。
結果としてキリスト教徒としての信念よりも自己保身の理屈を優先させたがため、求心力を失った。
あるいは、イスラムにかこまれた世界でいつまでも信念を維持できるほどの気力がなかったのか、この後3世紀の間にカッパドキアは無人の廃墟になる。滅ぼされたわけではない、捨てられたのだ。
その後、その廃墟にトルコ人が少数住んだりして、現在のカッパドキアになっている。
だから、遺跡内部には遺留品がまったく無い。家具とか、生活道具とか、書物とか、一切無い。
この地を捨てる際もって行ったと推測されている。それが証拠に洞窟都市の入り口は固く封印されていて、近年まで気づかれなかったらしい。おそらく、生活を維持できる最小単位の人数を割ってしまい(=いわゆる過疎化)出て行かざるえなかったものと推察する。
カッパドキア自体は広大な面積に奇岩群が面々とつらなっていて、広大だ。どの奇岩にも穴があいている。地平線のかなたまで奇岩で多い尽くされたようなイメージでいいと思う。思っていた以上に広大で広い。修道士がいなくなった後やってきたトルコ人がこれをみて何を思ったのだろう…、などと思ったりする。
見渡す限り開いている壁の穴全てに修道士がいたのだろうか?すこし怖くもなる。
外界の情報を閉ざし、閉鎖された社会で何万もの修道士が何を思っていたんだろうか…、と。
地下都市は代表的なものが3つほどあり、そのうちの1つに入った。
写真で見ていたイメージよりも狭い。アリ塚のようだ。いや、スターウォーズの世界のよう、主人公ルークのふるさとではこうした洞窟住居がみられる。ともかく、現実ばなれした空間だった。
こんな空間で長年いたら、そりゃあ現実感も狂うなと思ったりする。
地下都市を出ると、坂道があり両サイドにお土産やがある。この辺は日本の観光地ににてる。
お土産やに旧トルコリラ札が売っていた。インフレが激しく、桁が物凄い数になっている旧札。買わなかったけど、買おうか随分考えた。
そんな経験も君といたらもっと楽しい想い出になったのにとかおもいながら…
閉ざされた世界、それがカッパドキアだと思った。
君はどう思いますか?
信念を失い、自己保身の理屈を優先させ、最後は滅びたカッパドキアを…
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を…。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。
君の事が心配だからです。詳しくは21話参照してください。
教えが正しいとか間違っているとかではない、人間の“質”の問題です。
悔いているなら人は立ち直れます。
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〔8月20日(金)曜日〕
エフェソス、ハットゥシャス、カッパドキアときて、次に印象的だったのはイスタンブールだ。
けど、ここではあえてそれをとばして別の場所を書こうと思う。イスタンブールについては書くことがたくさんあるとおもうから。最後にします。
その次に印象的な場所…、スルタン・サライだ。
実はツアーの予定表には入っていない場所。バスが休憩でたまたま立ち寄った場所だ。
カッパドキアからコンヤへ向かう途中、かつてのシルクロードを西進する。
バスが休憩に立ち寄った場所がスルタン・サライだ。
バスの中で、地図を見ながら「今どこを走っているのだろう…」と確認していると、おそらくこの辺だろうとあたりをつける。北にトゥズ湖があるなら、この辺はスルタン・サライがある…などと思っていたら偶然にもそこに立ち寄るから面白い。これは行かねばと、単身遺跡に乗り込むことにした。
サライとは宿の事だ。
ただし、日本人のイメージする“宿泊するところ”を想像すると間違いになる。
シルクロードの旅は当時命がけだった、いつ盗賊が襲ってくるかわからない…、夜、寝る時くらいは安全な場所で寝たい。サライとはそうした“盗賊に襲われない安全な寝床”を意味する。シルクロード周辺にはそうしたサライが大小いくつも存在したらしい。スルタン・サライはそうしたサライの中でも最大クラスの規模のものと聞いた。
こうしたサライを整備したのは、僕の理解が正しければセルジューク・トルコだ。およそ11世紀ごろの事と思う。まだまだビザンツ帝国(東ローマ帝国)の勢いがあった頃で、イスラム勢力もアナトリア南部にしか食い込めなかった時代。南部の古都インコニウムを占拠したセルジューク・トルコはここをコンヤと改名、首都とする。現在のコンヤは宗教の古い価値観の残る保守的な街からで、トルコでは近代化でみられなくなった女性が布をまく習慣がもっとも強く残っている、とされている。
コンヤがそうした古風な色彩を持つ理由がメヴラーナの存在だ。13世紀ここでメヴラーナが自派を立ち上げイスラム教神秘主義てきな宗派を作る。その宗派は多くの権力者に支持され、コンヤにはたくさんの神学校がつくられた。コンヤとはイスラム教トルコ神秘宗派(メヴラーナ派)の総本山なのだ。
話は前後するが、スルタン・サライをたった後、コンヤでメヴラーナの墓があるモスクに訪れた。土足厳禁、要脱帽のマジでガチの宗教施設だ。
メヴラーナ派の外見的特徴は頭に布を巻いていること。ターバンはなにもインド人だけのものではないのだ。緑の布が偉い人らしい。墓の上にはそのターバンを模したモニュメントが置かれている。
あのターバンは聞いた話では、死んだ時自分の遺体をつつんでもらうものらしい。常に死ぬ時を意識する覚悟で頭に乗せているようだ。
モスクの中は神々しい雰囲気で満ちている、半観光、半本気の宗教施設の印象。トルコの人が敬虔な目で展示されているコーランを見ている姿は畏敬の念を抱く…
ふと、同じツアーの人達の顔をみわたす。中には高い確率で“そうだ”と思う人もいる。
もし、彼らだとしたら、この空間をどう思うのだろう…、そんな事おもった。
メヴラーナ派の特徴は「踊る宗教」といわれる点だ。
くるくる回り続ける。片手を天にむけ、もう一方の手を地面にむける。
天からのイメージを受け、人々に伝えるためだ。
くるくるとまわるのは、おそらく“トランス状態”を誘発させるためだろう。
交感神経を高く刺激して催眠の状態に近づけるのだ。
僕は「催眠」は操られるから注意するようにと散々喚起した、けど、この自発的な催眠誘導はこの限りではない。自分で理解してトランス状態に入るのは案外難しい。集中力がいるからだ。
自分の心を完全に支配していないと、そう簡単に自発的なトランス状態は作り出せない。
他人に支配された状態ではいるトランス状態とは“質”が違うのです。
なぜなら、他人に支配された状態で入るトランス状態では、他人の暗示を受け入れてしまう。けれど、自分で入ったものなら、拒絶することもできる。コントロールできているからだ。同じトランス状態でも質が違う。
メヴラーナ派の「踊る宗教」は日本の“禅”に近いのかもしれない、メヴラーナ派は交感神経を高めることでトランス状態に入るが、“禅”は副交感神経を高めて静にトランス状態に入る。
このメヴラーナ派ができた時代、サライもたくさん作られた。
サライをたくさんつくったセルジューク・トルコがシルクロードの商人の心をがっちりつかんだのも容易に想像できる。外にむけてはサライを作り、内に向けては宗教で人気を博し、人心を捉えたのだろうか?そんな事、想像したりする。
スルタン・サライに話をもどす。
入り口に近づくとチケット売りのおじさんがパイプ椅子に座っている。
こわいのはその「おじさん」ではなく、その周りにいる子供たちだ。
「1リラ!」とせっついてくる。
せっついてくるだけならかわいいが、チケットを買うために出したお金をふんだくる。
え?と思ってるとその子がおじさんとやりとりしてチケットを買ってくれる。
どうやら観光客とおじさんのやり取りを仲介してチップを稼いでいるようだ。
頼んでないのに…と思いつつ、まあいいかとチップをわたす。トラブルは彼らだけで充分だ。
チップを渡すとさらに小さい子がきて財布に手をかけてくる。
これはまずい!優しい顔これ以上していると、なにかトラブルになる!と思い笑顔でさっさと中に入った。スルタン・サライの中は他のツアー客もガイドもいない。このなかで何かあったらまずいけど…と思ったが、「まあ彼らに狙われるよりはましだろう」とも思う。1度死に掛けた感覚は変な度胸になっている。
内部は中規模も出城といった面持ちだ。外は高い城壁に囲まれ、今中にはいった形になる。
広場があり、中央に塔がある。
壁際にいくつか部屋がある、殺風景で倉庫のようだが、本によるとここが部屋とあった、記述どうり真っ暗だ。本当に外敵から身を守るための場所であり、快適性は二の次になっているようだ。広場を奥にすすむと、本には載ってなかった巨大な部屋、というかまるで教会のような部屋がある。イスラムの施設だから教会ではないのだか、そのほうがイメージとして伝わりやすい感じだ。おそらく、大部屋で、ここに雑多な人達がおしこまれて、少しお金を払うと、ランクアップして先ほどの小部屋にいけたのでは?などとも思う。それとも倉庫だったのだろうか?当時荒野のど真ん中にあったはず、備蓄はたくさん無いとサライとして機能できないかもしれない。
出る時、入り口で先ほどの小さな子が再び駆け寄ってくる。
最初は勝手がわからなかったが、なれてくると、それほどこわくない。
こんな入り口でのやりとりも、誰かと一緒ならたのしいのにと頭をよぎる。
Fさんは今どうしているだろうなどと考えながら…
僕は飛行機で11時間かけて1万キロ彼方のこの地にきた。
時速900キロのジェット機でさえ11時間かかるこの地に、昔の人は機械の助けなしで向かったわけだ。
ラクダに荷をのせ、いつ盗賊に襲われるかわからないなか、過酷なたびをつづける。
その過酷な旅に見合うだけの利益が出せたからこそ、みなこの気の遠くなるようなシルクロードの旅に乗り出したのだろう。(まあもっともシルクロード全てを踏破した商人は多くないと思うけど、多くは途中で荷を売り引き換えしたと思う、1万キロは想像を絶するほど遠いと思う)
想像を絶するほどの努力の積み重なりが今日の歴史を作っている。
狭い価値観だけにとらわれているのは、これら積み重ねを無視する結果になる。
関係ないね、という無理解が誤解につながる真理に気がつかなくなる。
教えが正しいとか、間違っているとかいう問題ではない、
人間の“質”の問題なんです。
悔いることができるなら、まだ、前へすすむことが出来るんです。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
願わくば…君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。
君の事が心配だからです。詳しくは21話参照してください。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
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〔8月21日(土)曜日〕
エフェソス、ハットゥシャス、カッパドキアときて
イスタンブールは後述すると述べた。
スルタン・サライ、コンヤと記述が続き、次は…と考えて思った。このままいくと一番印象のうすい所が最後になる。それは文章構成上よくない…、と思い、一番印象の薄いところを書こうと思った。
僕の一番印象のうすかったところは、世界的にも有名な場所、トロイだ。
トロイについては事前にいろいろ調べた。調べれば調べるほど、これほど誤解がまかり通っている遺跡は無いなと感じた。と、同時に誤解されるにはそれだけの理由があることもわかった。
トロイの遺跡を発掘したのはシュリーマンという人物だ。
彼は“学者”ではない、“豪商”なのだ。
彼の一代記は実におもしろい。
ドイツの田舎にうまれた貧困家庭の出で、一括千金をめざしてベネズェエラ移住を決意するが途中乗った船が難破。運良く当時オランダ領の島に流れ着き、そこで就職してオランダの貿易会社に入る。
頭角をあらわし、最終的に大金持ちになる。
特に印象的なのがクリミア戦争だ。
図らずもこれは“トルコ”とロシアの戦争だ。どうしても“海”の欲しいロシアはトルコの持つ黒海を奪うべく戦争をおこした。これがクリミア戦争だ。ロシア皇帝自ら前線に立ったという、皇帝不在の首都では革命の空気が蔓延し、のちに社会主義革命になるのだが…
シュリーマンはこの時ロシアに武器を売り大もうけして金持ちになる。
使い切れない財産を手にした彼が始めたのが、子供の頃からの夢、トロイ発掘だったのだ。
実はシュリーマンが“発掘”という行為は成功させるまで、世界中で“発掘”という行為はメジャーではなかった。いまでこそ、スポンサーがついて資金をだし、大学のチームが世界各地で遺跡を発掘しているが、シュリーマンが成功する以前の世界では誰もそんなことに金をださなかった。シュリーマンの成功を見て、皆が真似しだしたのだ。いわばシュリーマンは“発掘という分野”の父でもある。彼がいなければ今日の考古学はありえなかったわけだ。
前述したとうりシュリーマンは金に困らなかった。だから全額自費で発掘をした。
おそらく当時の人々は大金持ちが酔狂ではじめたお遊びと見ていただろう。実際遺跡が出てきても感心を示さない。しかし、シュリーマンが金細工の装飾品を見つけ、これを奥さんに身に付けさせて撮った写真が公開されると、世間の目がかわる。昔話の宝探しの主人公とシュリーマンを重ね合わせ拍手喝さいでたたえたのだ。こうして当時、使いきれない財産をもてあましていた貴族などが、次は自分がシュリーマンになる!とばかりに資金をだし、学者を雇い、各地を発掘した。その行為は現在の考古学とは違い宝探し(トレジャーハンター)に近い。事実、その後世界中の遺跡から略奪されたものが現在の大英博物館に収まっている。
シュリーマンの功罪はいろいろある。いい面では“考古学”を世に広めるきっかけを作った人物。エポックメーカーだ。悪い意味では、シロウトすぎたこと。学者ではないので、仕事が雑なのだ。トロイにしても、ろくに記録も録ってない状態で、「この下にまだある」と思えば遺跡を破壊してでも掘り進んだ。
だから現在のトロイの遺跡は“他の遺跡”と比較すると非常に乱雑だ。各地層がばらばらにむき出しになっていて、いかにも適当に掘ったのがわかる。
それから、シュリーマンがこの地に遺跡があると決めた理由の1つに、伝説に登場する葉っぱの形状がある。この地にも同じ葉をつける木があり、この種の木は周辺地域にないというのだ。
でも、それ以外に、この遺跡からここがトロイである可能性を示すものが出てこない。当然、あの有名な伝説を示す壁画などもない。あくまで、トロイの可能性あり、というだけで、確定情報ではないのだ。
つまり、この遺跡はまだ「生きている」遺跡でもある。さらに研究をすすめて、本当の実体を解明する必要があるのだ。
なのに広場には巨大な木馬のモニュメントがつくられ、すっかり観光名所になっている。
なんだか、ものすごくがっかりしたのがわかるだろうか?
この遺跡が事実、遺跡であるとういのは不動の事実だ。
でも、この遺跡があった時代、このクラスの都市はいくつも存在したのかもしれない。
同時代の各遺跡を研究、検証しないと、わからない事実がたくさんあるように思った。
現在の説では、「木馬」は作り話。というのが有力ときいた。その事実すらどこにも提示されてないし、ガイドもいわない。観光地だから、それでOkでいいのだろうか?そんな事おもった。
昔学校でならった日本の歴史上の人物の絵が実は別人らしいという話、以前ニュースでみた。だから、今の教科書をみると記述がちがうらしい。こうして歴史上の新事実がでてきたらちゃんと修正するのが本来の正しい姿なのだ。めんどくさいと間違ったままにしとくのはよくない。
今年はトルコ建国何十周年とかで、空軍がなにかのショーの準備をしているようだとガイドがいった。
見上げるとトロイの遺跡の上空をF-16戦闘機が2機ほど何度も飛んでいる。今は米粒のように見える2機だか、最初唐突にあらわれた瞬間は驚いた。まるで絵に描いた戦闘機のように見える距離までおりてきて上空をかすめたからだ。早すぎて無理だったが、写真におさめればそのまま模型の箱の絵に使えるのでは?と思えるほどのベストアングルとベストな高度で突然目の前の飛び込んできてびっくりした。
古代の遺跡と最新の戦闘機、時間の流れの果てしなさを感じる光景だ。物凄い時間が経過したからこそ、この2つは今ここに同時に存在している。そういう意味で、この遺跡はたしかに事実遺跡なのだが、誤解されているのがかわいそうにおもえた。
ガイドがいう、この門から木馬が入ってきたんです…
という説になってますとは言わない。確定情報として流す。まちがいといいたい衝動をおさえた。
ここで歴史論争をしても、資料がなければ水掛け論だし、第一、ここは議論の場ではない。そのくらいの常識はさすがの僕ももっている。議論はすべき時、するべき場所で、する必要があるときすべきだと思う。
誤解されつづける遺跡トロイ、というのが僕の見解です。
あくまで見解であり、異議はあるかもしれないけど、あくまで感想なので。
誤解されつづけるって嫌だよね…、でも相手に理解しようという気があるなら、いつか誤解はとけると思う。大切なのは、たとえ現状において誤解があろうとも、“理解しようとする気持ち”さえもちつづければ、かならず誤解はとけるという事。そういう事だと思う。Fさんはどう思いますか?
“情熱”を失わせるのが、彼らのオハコです、気を付けて。
実は君に読んで欲しい本があります、日蓮の現存する正筆御書です。ぜひ一度…
僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。
君の事が心配だからです。詳しくは21話参照してください。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
教えが正しいとか、間違っているとかいう問題ではない、
人間の“質”の問題なんです。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
悔いることができるなら、まだ、前へすすむことが出来るんです。
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こんなニュース思い出す。
日中のハーフの小学生がいじめを苦に自殺する。
父親は中国籍の教授でそのへんの泣き寝入りをする保護者とは違い、徹底究明を表明。
さまざまな手段をつくす…
すると、いじめに加担していたのはクラス全体とわかってくる…
すると保護者からこんな話が出てくる。
「いじめた方の子も傷ついてるんです、これ以上はもういいでしょう」と。
それは何かおかしいと思える心が大切です。
これは人としての“質”の問題なのですから…。
Fさんはこの目を背けたくなる問題。どう思いますか?
僕はこう考えます。
とにかく、その子がどんな子だったのか、同級生たちに伝えて納得させる事が大切だと。
人として、当然の感情がでるか、でないかは、その話を聞いた子の“資質”の問題です。
中には器の大きな子もいて、いつかそれを示す機会を伺うのかもしれません。
どんな形になるかわかりませんが。
今、発掘品を発掘地に返す動きが少しづつおこっている。
ヒッタイトで発掘された“世界初の平和条約”文章が、ドイツからトルコに返還されたそうだ。
先にもふれたとうり、トルコ人にとってヒッタイトの遺物は何よりまして重要だ。大切なたからもの。
心が広くないと、一度てにした世界的遺物を、返還はできないものです。
こういうのを器がデカイといいたいものです。
力ある国家だからこそ出来るのです。
弱小国なら、宝物は、1つたりとも手放したくないもの。
そんな事おもった。
君は今も戦っているのだろうか…
一応、その前提で書きます。
負けないで!
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〔8月22日(日)曜日〕
エフェソス、ハッツゥシャス、カッパドキア、スルタン・サライ、コンヤ。
イスタンブールは後述するとして…
次に書こうと思うのはスミルナだろうか…
スミルナという都市は現在存在しない。今はイズミールという名で存在する。
エーゲ海は西をギリシャ、東をトルコが占めている。イズミールはエーゲ海のトルコ側都市を代表する都市だ。
正直、ここので観光はしなかった。多くの観光客はここを起点に周辺の有名観光地へむかう。そういう性格を持つ都市ときいた。古いものはなく、近代的なものだけが存在する都市イズミール。そういう場所らしい。
温泉で有名なパムッカレからバスで延々西進し、ようやくこの都市につく。
ホテルはこの旅でもっとも豪華に感じる所だった。料金表をみると今までと違いユーロが使えるようだ。おそらくヨーロッパからの客が頻繁に来るのだろう。
ホテルの従業員もなにか違う。こちらの人はサービス業も含めて、笑ったら負けとでも言わんがばかりに笑わないが、ここのホテルの人は皆、笑顔だ。ヨーロッパの客が多いためかもしれない。
ホテルの前に軍艦が停まっている。博物館だという、早速行ってみる。
すると門が閉まっている。開くかどうかやってると兵士が向こうでダメだ!とジェスチャーしている。どこかに案内板があるに違いないと探し見つける。どうやら午後4時半に閉館するらしい。はやすぎる…と思った。ホテルに着いたのは午後6時ごろだった。どこかに散策できるような商店は…と探すがない。勝手がわからない状態でウロウロするのはよくないと判断。入れなかった軍艦を数枚写真に撮り引き換えした。
とにかく印象的なのはエーゲ海を見尾下ろすホテルの部屋だった。正直ホテルの設備には随分不満があったのでようやく安心してリラックスできる所にきたなと思った。軽いリゾート気分が味わえた、そんなホテルだった。
僕の記憶に間違いがなければ、ここイズミールは建国の父ケマル・アタチュルクがギリシャに勝利し、トルコ独立のきっかけをつかんだ場所のばずだ。
そういう理由が影響しているのか、ここはトルコの軍事拠点という性格も持つときく。基地があり、軍艦が何隻も停泊し、司令部もあると…。あの博物館になった船もそういう関係であるのだろうと思った。
最初に書いた、昔はこの都市はスミルナと呼ばれたと。
実は紀元前からスミルナは存在する。先に書いたエフェソスとともにヨハネの黙示録にも登場する都市だ。そんなに古い都市なのに遺跡の類はない。完全に近代的な都市になっている。一方でエフェソスの方は現在も当時の遺跡がかなり原型を留めて残っている。何がこの2つの都市の運命をわけたのだろうか?
これは個人的見解だけど、エフェソスは港町だったが、その後海岸線が変ってしまい海沿いの街ではなくなってしまった。陸の孤島となり、利便性がなくなり、捨てられたのではないだろうか?スミルナ(イズミール)の方は今でも目の前にエーゲ海がある。捨てられる事無く、今日まで発展した…そんな経緯を想像する。はたして合っているのだろうか?のちのちいつか答えにめぐり合えたらそれはそれで面白いと思う。
かつてこの地は多神教の地だった。各都市が独自にアルテミスやその他もろもろのギリシャ神またはキュベーレといった地元の神を敬っていた。
キリスト教が広がると、アルテミスやキュベーレといった女神信仰は“聖母マリア”信仰に挿げ替えられていき、古い神は捨てられていった。
イスラムの波が来た時も、キリスト教やその他生き残っていた多神教の神も破壊される。エフェソスは捨てられたからかろうじて遺跡が残ったが、スミルナ(イズミール)はそうもいかなかったよいう事だろうか…。
実はトロイの物語を書いたとされる人物はここスミルナ出身だ。
そしてエフェソスには当時世界最大級の図書館があり、その中の蔵書に彼の本もあった。ローマ共和制末期、アントニウス将軍がクレオパトラにエフェソスの図書館の本を全てプレゼントするというアホな事をしている。いつの時代も“もの”で女の心をひけると思うバカはいるわけだけど、いくらなんでもやりすぎだと思う。その本は、アレキサンドリアの図書館に収蔵されたのだが、後に火事で焼失。その火事の跡で燃えずにのこった本が実はトロイの伝説を書いた本だ!という伝説があるらしい。そういう意味で、ここスミルナ(イズミール)は周辺都市の歴史とちゃんと関わっている都市なのだ。
先ほど述べた博物館になっている軍艦。ホテルの前にあり、部屋からも見下ろせる。夜はライトアップされ、エーゲ海とよくあっている。クラウンプラザホテルで検索すればその様子が判るかもしれない。
(こういう景色は誰かと見たほうが楽しい、Fさんはどう感じますか?)
帰国後、写真をみてこの船を調べる。識別番号からようやく正体をつかんだ。
元々はアメリカのフリゲート艦で1970年代に造られたもの、アメリカでは90年代に退役したが、一部が台湾とトルコに売却されたとある。
見た時から思った、結構新式の装備をたくさん持っている、トルコはこんな最新の船を“博物館”にするような余裕があるのか?と。
調べると最新のヘリが着艦できなかったり、エンジンが1世代前のものだったり、見劣りする部分もかなりある。どうやらドイツにより最新のものを発注した関係でこの船は退役したらしい。
時代は動いている…、そう感じた。
今、これを書いているときも、TVのNHKスペシャルでタイの発展ぶりを放送している。もう日本のレベルとそう変らない製造業のレベルにっているようだ。
GDPも今年は中国に日本は抜かれると言われている。(もう抜かれたのかな?)
いつまでも同じではない、日々世界は変化し、動いている。永遠と思える世界も実は日々変化し動いているのです。古代から脈々とつづく歴史同様、今、現在も動いているのです。確定したと思い込んでいるだけで…。
日々変化している世界…、
君は何を感じるのかな…
今まで考えられなかった事が起こるという事実を。
想いをかなえるという事が、今まで誰もしなかった事だからといって、躊躇する理由にはならないのだと思う。負けないで欲しい…そう、伝えます。
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
いろんな目に遭う前は、彼らの組織が正直ここまでひどいと思ってなかった。
もっとまともな組織と本気で思っていた…
多くの“まともな人”を隠れ蓑にして、“そうした”人が隠れている。
もう、恥ずかしい!と“そうした”仲間の行動を見ている人、結構いると、
そう思います。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。
君の事が心配だからです。詳しくは21話参照してください。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
悔やんでいるならOkです。
悔やみもしない人達に囲まれてはつらいと推測します。脱出がベストです。遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
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〔8月23日(月)曜日〕
エフェソス、ハットゥシャス、カッパドキアが3大印象箇所。
イスタンブールは別枠。
あとその他という印象です。
その他の代表格がスルタン・サライとコンヤ。
次がイズミールなら…
その次がパムッカレだ。
パムッカレについて一言で言うと、「ロシア人の熱海」という印象だ。
温泉地になっていて、ロシア人たちがたくさんプールで泳いでいた。こちらの温泉は温泉プールがメインだ。
パムッカレ自体は紀元前から存在する温泉地らしい。
白い棚田のような風景で有名だ。
いくつもの“白い棚”がなだらかな斜面に展開している。1つ1つの棚に温泉が溜まっている。
源泉自体は上の方にあり、1つの棚は温泉の含有成分が固着して出来たものだ。白いのは含有成分が固体化した姿だ。
1つの棚はどのくらいだろう…、けっこう広い。それが幾十にも連なってなだらかな斜面を埋め尽くしている。かなりの年月がたたないとこうはならない。
大昔はここにじかに人が全身を浸かったらしい。現在は素足で歩く程度が許可されているだけだ。ただし素足のみで、土足で立ち入るとたちまち警備員が飛んでくる。実際何人かの観光客がとがめられていた。
実際に入ってみると白いたなの表面は固い。歩くのに苦労する。
大多数の観光客はどんどん棚の奥へすすむ。けど、雰囲気だけ味わって早々に引き上げた。
見るべきものがあるからだ。
世界遺産パムッカレは古代遺跡ヒエラポリスと併設された形になっている。おそらくは昔はヒエラポリスがメインで、パムッカレがおまけだったのだろう…
現在は完全に逆転している。
ヒエラポリスはペルガモン王国の一部だ。ペルガモン王国はこの地をアレキサンダー大王が支配した後、短期間で分裂したさい独立した王国の1つだ。
ローマが支配するまで、この地にはこうした王国がいくつかあったらしい。
都市の形状はギリシャポリスに準拠している。劇場があり、広場があり、とインフラが共通しているからだ。
しかし、エフェソスと違い面積が広く、また痛み具合もすすんでいる。全体を回るにはかなりの時間がいるようで不可能だった。
それでも見てみたい。早めに白い棚から引き上げて周辺を見た。
博物館があり、1人入ってみる。集合時間まであと10分だ。はやくパパッと見て出ようと思った。
チケットを買い、中へ入る。
中はギリシャ・ローマ調の遺物で埋め尽くされている。レリーフの首が細かいものまで切り落とされている…。おそらくイスラムの偶像破壊運動の影響とおもわれる。
…まあ、そういう教えなのだから仕方が無いが。
こんな話を思い出した。
コンスタンチノーブル陥落後、イスラムの教えでは略奪が当然の権利と明記されているので、止める事ができなかったと。
王は実は可能な限り無傷でコンスタンチノーブルを手に入れたかった。破壊しては意味がない、けど、コーランに書かれている以上とめられない。そこで最短期間の略奪を部下に許すが、その期間が過ぎたもちの略奪は厳罰にしたそうだ。
略奪の過程で奴隷にされた市民の1部は、スルタンの手で買い戻され、再びコンスタンチノーブルでの居住を許されたという。
切り落とされたレリーフの首を見て、そんな事思い出した。
どこの世界にも、下劣な人間は存在し、そうした人間は、欲望のまま行動する。
けど、ちゃんとしたスルタン(=王)がまとめるからこそ、全体が機能する。
いつの時代もどこの世界も同じだと思った。
教えに書いてあるとバカ正直に実行するのは人間としてどうか…
“質が”問われる事実は古今東西変らぬ事実です。
こんな事も思う。
“彼ら”の中には、自分を責めたくないが故、他人を責めるのではないか?と。
君はどう思いますか?
僕はこう思います。自分を責める必要はありません。僕が保障します。
責めるのと、悔いるのは、別次元の問題です。
行った事を悔いているなら人として正しいです。
悔いるという概念すら理解できない人より、遥かに人として“正しいあり方”に近い…。
他人を責める事で“楽になる”と思ってる連中のなかでは、息苦しいと思う。どうなのだろう…。
人としての“質”の問題なのです。
教えが間違っているとか、正しいとかいう問題ではありません。
こうした優れた指導者に支えられたオスマン・トルコも時代が下ると、指導者はお飾りになり、幹部が支配する自分本位のシステムが構築されていき、最後には状況に対応する能力も失う事になる。
第一次大戦後、メフメット6世は自国の崩壊を認める条約をヨーロッパ各国にたいして結ぶ。さじをなげた形だ。君主にも問題があるが、国家がすでに国家として機能していなかった。こういう状況を“形骸化”というらしい。
この醜態をがむしゃらに覆そうとしたのがケマル・アタチュルクで、坂本竜馬よりもパワフルでむちゃくちゃな行動に走った人物だった。
…ヒエラポリスに話をもどす。
博物館を出ようとすると警備員に呼び止められる。
え?何かしたっけ?と思い振り向くと、
「ネクストルーム!」
と次の部屋がある事を教えてくれた。よく見ると順路をさす看板が…、10分しかないのであせって見落としていた。
お礼を言い、急いでまわる。時間が無い。
見ていて思った。どうやらこの博物館“自体”が遺跡らしいということ。何らかの巨大な建物だ。詳しくわからないのが残念だった。
(※今、ネットで調べると、どうやらヒエラポリスの南大浴場跡らしい。記憶を頼りに画像検索すると簡単に見つかった。ネットって本当にすごい)
トルコの人はみなしかめっ面だか、見た目とちがいいい人が多いと感じた。
ほかにも、ささやかだか親切にされた事がいくつかあった。
人間見た目じゃないなと改めて思う。
こういう人として“当たり前”の感覚。否定してはいけないと、そう周りの人に伝えてください。
この後、集合場所のカフェに急ぐ。カフェは温泉プールの付属施設だったようだ。
流れるプールがあり、白人が泳いでいる。ガイドによるとロシア人だそうだ。
カフェから離れた位置に屋外コインロッカーがあり、水着姿のロシア人が入れ替わり出入りしている。
その光景は日本のプール(もしくは温泉場)をイメージさせる。熱海のような庶民的な空間だ。
1万キロ離れた地でも人に基本的な違いは無いように感じた。
君の周りの人に伝えてください、人に基本的な違いはないのだと。
君の周りに人に伝えてください。“生き直し”って出来るのだと。
悔やんでいるならOkだと。大丈夫なんです、と。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。
君の事が心配だからです。詳しくは21話参照してください。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
自分を責める必要はありません。僕が保障します。
負けないで!!
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〔8月24日(火)曜日〕
初日、成田空港からトルキッシュ・エアラインに乗り込み東京をたった。
チケットをみるとTK0051便イスタンブール行きとある。荷物をあづけ、出国ゲート行き、飛行機に乗る。
最初ついたのはイスタンブールだ。夜の8時頃だと思う。そのまま一泊し、早朝トルコ国内線で首都アンカラへ飛んだ。
飛行機についてはいろいろ本で読んでいたが実際乗ってみるとなるほど書いてあるとおりだ、と感じた。最初に激しい振動が機体全体を覆う…、両翼のエンジンが始動する際の振動のはずだ。エンジンが突然回りだすから、翼が振動しているのだ。振動がおさまるにはエンジンの振動と翼の振動が同調しないとなおならい…というのが僕の現在の理解です。まちがってたらごめん。
国内線でアンカラへ到着。ようやく観光旅行がはじまる。
もともとアンカラは寂れた一地方都市だったらしい。
発展から取り残されたただ古いだけの町、それがかつてのアンカラだった。
トルコ建国後、ケマル・アタチュルクが首都をイスタンブールからアンカラに移した、いわゆる遷都だ。理由はいろいろある。旧政府であるオスマン・トルコの影響力を封じ込める目的と、ゼロから近代都市を造るにはイスタンブールは名所旧跡が多すぎる事だ。何も無いど田舎のアンカラなら、自由な都市計画が築ける。
実際アンカラの地に降り立つと、整然としたきれいな町並みだった。どの家も赤い瓦屋根で統一され、マンションなどもカラフルだ。古い世代の日本人はあのカラフルなアパートやマンションが理解できないらしい。よく、同様の建物が日本国内で作られると景観を損ねる!っと裁判になることがよくある。
あれはドイツの有名な建築家がドイツの公営アパートをカラフルにしたのがきっかけと聞く。いままでグレー一色と決まっていたアパートがはじめて彩りが加わり。アート作品のようになったからだ。(イメージとしてはアイマックの登場に似てる。それまでベージュと決まっていたPCにデザインと彩りをはじめて加えて話題になり、いまやデザインを意識したPCは世界標準だ。)
トルコはドイツと深い関わりを持つと聞く。そんなトルコにドイツ発祥のカラフルなアパートやマンションがあるのも不自然には思わなかった。
(日本国内ではこうしたカラフルなマンションは少ない、けど一戸建てレベルでは確実に増えて来ていると思う。最近の新築一戸建てはみなお洒落でカラフルだ。新築を立てるのは若い世代だ、違和感を感じあいのだろう。いつの時代も新しい感性を拒絶するのは古い世代だ)
古い世代の干渉を嫌い、首都を遷都したのだろうか…、そんな事思った。
アンカラは古くはアンキュラ、もしくはアンゴラと呼ばれた。意味はどれも英語のアンカー(=船のいかり)の意味だそうだ。ノアの箱舟が洪水の後、陸地につくまでに、“いかり”を失っている。伝説だ。
誰が言い出したのかその伝説に基づいて、この地に箱舟のアンカーが埋まってたとか言い出したらしい。古代の話だ。以来、この地はアンゴラ、アンキュラ、と呼ばれ、現在はアンカラになっている。
なぜにノアの箱舟が出てくる?トルコでしょ?と思うかもしれない。
実は旧約聖書の主だった舞台は現在のトルコ・シリア・レバノン・イスラエル・エジプトだったりする。シルクロードの終着点でもあり、当時は気候もよく、森林や水の豊富な暮らしやすい地域だったらしい。現に箱舟が、漂着したとされるアララト山はトルコ国内にある。
アンカラに着いて、まず行ったのが博物館だった。前述にあるヒッタイトの遺物中心に展示されている所だ。印象的だったのが寄木細工で造られたテーブルの出土品。おそらく当時この地にふんだんに生えていたレバノン杉で作られたものだろうと思っていたら、ガイドがそう説明したので、間違いなくレバノン杉製だ。最初武具かと思った。複雑なつくり…、こういうの工芸品にすればいいのにと思うが無いようだ。今は失われた技術と言ったところだろうか?歴史を感じます。
その後昼食、初めてのトルコ料理。
トルコ料理は“コース”になっている。前菜が出てメインがでて、デザートが出る。それが普通らしい。もしくはバイキングで自由にとるかのどちらかだった。日本のように複数の食器にメインもデザートも前菜もスープも全部並べるような事は無い。食文化の違いだ。
トルコ料理については後でまとめて書こうと思う。
端的にいうと、最初は“うまい”。けど、体が慣れてないから体調を崩す。
昔、北朝鮮脱北者が韓国で肉を食ったら腹を壊した、食べ慣れない油分を分解できず胃腸をやられたというニュースを思い出す。慣れれば胃腸も大丈夫だろうが、そうでないうちは注意しないと…、
油分が日本料理の何倍もある…その点に気をつければ、楽しめる。そんな印象だ。
この日はまだ初日だったので、おいしかった。
世の中には“ちがう”と言うものが確かに存在する。
どこででも、いつでも、自分のルールが通用すると思っているのは間違いだ。そう思う。
しかし、拒絶だけしてればいい訳ではない。どうやったら受け入れられるのか?と常に模索していないといけない、そんな印象をもちます。安易に受け入れるのは難しい…、だからといって拒絶せず、どうやったら理解できるか?どうしたら受け入れられるか?を考えることが大事だと思う。
そのためには、まず、“違い”を認識し、優劣ではなく、違いを平等に見る必要があると思う。
最初から安易に“拒絶”していては、何も前へ進めない。ただ“立ち止まる”のみです。
これは人としての“質”の問題です。
その視点で、この話を考えると、どんな結論がでますか?
そんな事を思った。
できたら、君の周りの人に、“異質なものを受け入れる努力とは何か?”と問うてみてください。
その答えや対応に君が何を感じ、どう思うのか…
人はやさしく生きていいんです。そう周りの人に言ってあげてください。
人をもうこれ以上惜しめてたのしみたくありません、もとから嫌だったんです。といってもいいんです。
自分の言葉を取り戻して!
優しさを忘れるよう“強要”されるの、おかしいと思うでしょ?
…君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。
君の事が心配だからです。詳しくは21話参照してください。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待させてください。
中には偏狭な人達もいると思う、でも、理解者もいるはずです、皆が皆敵ではない。
中には器の大きな人もいて、それを示す機会を伺っているのかもしれません。
“生き直し”って出来るんです。悔やんでいるならOkです。大丈夫です。
寛大な人は、「好きにしなさい」というタイミングを推し量って様子見をしていると思う。
悔やんでいるならOkです。
悔やみもしない人達に囲まれてはつらいと推測します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
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〔8月25日(水)曜日〕
今まで、名所旧跡に焦点を絞って書いた。
今回はアプローチをかえてロード・スケッチで行こうと思う。今までの記述を踏まえて読めば、旅の行程が違う角度でイメージできると思う。一方的な見方に固執するとよくない。とりあえず2日目までのロード・スケッチです。
初日、成田からイスタンブール、2日目早朝国内線でアンカラへ向かったのは昨日書いた。
その日の昼食後、アンカラをバスで発ち、延々陸路を移動した。
トルコの大地はともかくデカイ。その面積は日本の2倍もあるらしい。
それでいて実は鉄道がまったく発達していない…、全てバス移動か飛行機(国内線)になる。
最初は「えーっ」と思ったが、慣れてくるとなんだかこの不便さが逆に新鮮で面白くなってきた。
トルコの道路は日本のものに比べて物凄く適当に作られている。物凄いでこぼこ。逆に新鮮で面白かった。日本の道路はどこまで行ってもなだらかで、高速など走っていると眠くなるくらいだ。ところがトルコは違う…、いたるところデコボコで、ちょっとしたアトラクションに乗ってる感覚だ。非常にアグレッシブ。当然、ガードレールなんてものもない。旅の途中、横転事故を起した車をみた。見事にひっくり返っている。けが人とかどうなっているのかわからなかった。ガードレールさえあれば…と思わず息を呑む。こちらの道路は走るだけでデンジャラスでアグレッシブだ。
日本の道路は豪華過ぎる…と感じると同時に、高い建設費に見合うだけの超高級道路を作ってるんだなと感心もする。
以前、誰だったか忘れたけど、日本の大臣が、外国の道路はひどいじゃないか!日本は高い金かけて立派なもの作っているんだ!といった趣旨の発言をし、翌日くらいに撤回、謝罪することがあった。
あの大臣の言っていた事は事実だなと思った。なぜ事実なのに謝罪したんだろう…。
その発言が呼び水になって、道路建設費削減論争に火がついたら、道路族議員も地方の関係者も大打撃だ。議論がデカクなる前に沈静化させたくて謝罪したのでは…、などといらぬ詮索が思い浮かんでしまう。
最近こんな事思う。日本の政治ニュースがどうしても政局報道に集中してしまうのは、誰につけば得か?損か?と多くの人が関心を持っているからで、世の中をどうしたらよくなるかという報道が二の次になるのも、その所為ではないかと思う事がしばしばある。
そして多くの人がそんな報道にへきへきしているのも事実。
あれ?菅さんはスキャンダル無いんだ!普通は今頃なにかしらスキャンダルとか、問題閣僚が発覚するのに、無いんだ!凄いな!!!とは誰も言わない。誰につけば得か?損か?という価値観では無用の情報なのだろうか?そんな事も思う。得か?損か?という一方的な見方に固執するとよくないと思う。
…話はバス移動に戻る。
アンカラからヒッタイトの首都ハットゥシャスへ移動。遺跡を警備?している軍人に出くわす。手には自動小銃(MP5)、随分重武装じゃないかと思うがこちらではこれが普通らしい。ガイドの説明では都市部以外の警察の仕事は軍が行うのだそうだ。なんだか面白く感じた。確かに外国にいるなと感じられたからだ。いろんな事が違う。新鮮で面白い。
こういう体験、君とできたらもっと楽しいのにと思わなくも無い…、Fさんはどう思う?
その日のうちにカッパドキアのホテルへ向かう。その日はホテル到着時で終了し、カンッパドキア観光は3日目になる。
ホテルに着くまでまた延々とバス移動だ。赤土の大地を延々とすすむ。
ハットゥシャスを発ったのが午後3時くらいだろうか?4時間くらいして土が赤から白に変る。前述したとうりカッパドキアは火山製の地質だ。「来たな」と思った。見ると徐々に見えてきた奇岩群。少し感動した。もちろん翌日もっとすごいものを見るのだが、やはり最初に見た印象というのは忘れない。
初めての印象とういうのは忘れないものです。わくわくして、楽しくて、面白い。周りの人に、機会があったら伝えてください。最初の印象って忘れないものだと。違いを楽しんだり、同じと思う事を嬉しく思ったり、何もかも新鮮で彩りに満ちている。
僕は今でも解らない事がある。当時君は一体、僕のどこがそんなに気に入ったのか?という事だ。もう一度あえるなら、きいてみたい。君に、直接。
昔、君は言った。「本当の私の姿を知ったら嫌いになっちゃうよ」と。でも事実は違い、真実に気づいても僕は君を嫌いにならなかった。たぶん君は「なぜ?そんなはずはない…」と思うかもしれない。もし、本当にそう思っているとしたらだけど、僕はいつでもその疑問に答えられます。君が望めば。
ここには書かない。会って伝えたい事柄です。叶えばだけど、奇跡を願います。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。
君の事が心配だからです。詳しくは21話参照してください。
悔やみもしない人達に囲まれていては毎日大変だと察します。
…でも、一方的な幕引きを強要する連中なんかに負けないで!
これは君の人生なんです。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
遊ぶ金ほしさの連中なんか蹴散らして!
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〔8月26日(木)曜日〕
トルコでの食事はアンカラでの昼食が初めてだった。
古い古民家を改造したものらしく、お洒落にできている。ただし冷房はない。
それでも暑さがしのげるのは外からの風のおかげだと思う、涼しくはないが、耐えられないほどの暑さではない。かなり古い建物だ。隣りに同様の棟が続いているのだが、隣は時代劇のセットにでもできそうな外観の廃屋だった。
店の外ではナツメヤシや香辛料の類を倉庫で保管してある袋をそのまま開けて店頭に並べた状態で売っている。観光客用のデモンストレーションではない、本当にどうやら、アンカラの下町らしい。近くでお茶を楽しむ男性がこちらを見ている。トルコ国内では丸テーブルを日傘の下において長時間お茶をする男たちがあちこちにいる。風物詩らしい、冗談なのか本気なのか、トルコでは、女性が働き、男はこうして暇をつぶすなどと聞いた。たぶん、冗談なんだと思うけど。
最初の料理はみなおいしかった…。
その日の午後カッパドキアのホテルに着く。こじんまりとした感じのホテル、山間にある日本の観光ホテルをやや大きくしたような印象。ちゃんとプールもある。
初めての夕食はバイキング形式だった。
バイキングなので、少量づつあるもの全てとった。まずいものも、上手いものもあり、どれも新しい味に思えた。野菜は基本、生野菜を食べるようだ、サラダが基本という事みたい。野菜炒めの類はない。あと、豆料理が豊富だ。油の量さえ気にならなければおいしい。
日本料理で必ず味噌汁が出るように、トルコ料理では必ず赤い豆スープがでる。香草が入っていて独特だ。定番メニューらしい。コース料理の時はかならずまず最初に出される。うまい。けど、意外に油が入っているので注意が必要だ。
その日はそのまま一泊し、翌3日目、カッパドキア観光になる。バスで道なりにある観光名所をまわる。後々の時代この地にやってきたトルコ人が各所の奇岩に名前をつけている。そうした岩の1つ、ラクダ岩や3姉妹の岩などを見て回る。3姉妹の岩などは、歩いて入るには危険と思しき場所に英語のいたずら書きがある…、他に無いところをみると、そんなバカは1人だけらしいけど。思わずあきれてしまった。
観光地のいたずら書きは、罪悪感なくやるのだろう。例えばここカッパドキアのいたずら書きなどは、サンゴへのいたずら書きに匹敵する悪事だ。この景色は本当に何万年の時間が作ったもので、修復は不可能なのだから、歴史がわからない人が軽い気持ちでやるのだろうと思った。最悪です。
“彼ら”もみな軽い気持ちなのだろうか?そんな連想もします。
こんなニュースを思い出す。ヨーロッパの観光地に自分たちの所属組織(学校名)を明記し、個人を特定できる落書きをした日本人がいた、後日、同じ日本人により、その学校に通報され、謝罪することになった事件。本当に気軽な気分でやってなきゃそうはなら無いよなと思った。
そう、思っていると、いつもこちらを凝視するおじさんが1人。入国審査の時からそうなんだよな、いつも気づくとこちらを見てる、と思う。どこにでもついて来る。
普通そうな人なんだけど、聞くと海外旅行初めてらしい。白髪の年配者だ、その年で一念発起して海外に出ようと思った動機って…(しかも初めての旅行先がトルコってのも珍しい)、まあ、どうでも良いことなのでほっとこうと思った。僕の願いはFさんに会うことだ、些細な事などどうでもいい。それにもし仮にそうだとしたら、僕はその人に人生で初めての海外旅行の動機づけをプレゼントした事になる。最初のころはともかく、後半随分楽しそうにしてたから、良い事をしたと思えば満足です。仮にそうだという仮定が合ってればの話なのですが…。
ものは気の持ちようです。
人が聞くと素直にうなずけないであろうこの発言。それでも僕の性格をしる人間なら、そうそう、こういう事本気で言いそうな性格してる、と思うはずだ。君はどう思う?そんな事思った。
この後、ウチヒサールといわれる巨大な砦のような奇岩へ行く。砦のようだなと思っていると、事実砦として利用された歴史を持つらしい。この岩はカッパドキアのかなり遠方からでも見える、ホテルから景色をスケッチしたときも見えた。まるでランドマークのようだ。
道沿いにうち捨てられた荷馬車があちこちに放置されている。とても雰囲気ある景色なのだが、お土産物屋の屋根の上にまで飾ってあったりすると、観光用ディスプレイなんだろうか?などと思ってしまう。でも、ここは観光地なのだから、素直にその情緒を楽しむ事にした。
途中、アイスを食べる。トルコ名物の“のびるアイス”だ。何とか言う木の実が入っていてそれがのびる秘密らしい。
しかし、残念ながらのびなかった。アイス屋さんが冷蔵庫から出したばかりで、練りが足りなかったようだ。急かしたのがいけなかった。何事も“急いては事を仕損じる”です。余裕をもたないと。のちのち別の場所でアイス売り屋さんのパフォーマンスをみる。どうやらそちらが本来のアイス屋さんの姿だったようだった。ま、そんなのも含めて旅のたのしみです。なにもかもスムーズにいくなんて面白くない。山あり谷あり、回り道ありを楽しんだほうがいいと思う。気は持ちようです。そんな事最近よく思う。
(誰かとこういう体験は共有した方が本来はもっとたのしくなる。経験の共有って意外に楽しいものです。君はどう感じるのかな…)
ここは“急いては事を仕損じる”という事は実際あるなと、経験を蓄積できたと思うほうが心の財産になる、と感じた。
この後もカッパドキアをあちこちまわる。
野外博物館、ハイキング、地下都市…。これらは明日書こうと思う。
気の持ちようで“つらく”も“楽しく”もなる。
そして、山あり、谷あり、回り道ありも、面白くできなくはない。
僕にはそうやって生きていく。今までもそうして来たし、これからも、そうしてゆくでしょう。
今までと少し違う点は、旅行もっとしたいなと思い始めている事です。海外はともかく、国内なら安くて面白いツアーがいくつもある。歴史ものとか、社会見学ツアーなんかも、けっこうリーズナブルな金額であるみたい…。
え?その前に仕事なんとかしろ?そうその通り。
何とかしようと思っています。まあ、急いては事を仕損じるともいいますので。
目星はつけてある、うまくいくか、そうでないか、(Fさんが)見守っていてくれると嬉しいです。
それが具体的に書ける様になった頃、また書こうと思います。
仕事に就いて、慣れて、余裕が出来た頃、旅行もしたいなと、今そんなイメージを持っている。
誰かと一緒なら、もっといのに…、と日々思う。
将来のそなえ?
とりあえず家はある。安月給でも貯金はできる環境。
ささやかな楽しみがあれば、贅沢は無用だし。
(“ささやかな楽しみがあれば、贅沢は無用”って感覚。Fさんももってるような…、違うかな…?)
とにかく待とうと思う、今はFさんの都合がわるいだけだ、なにかしら都合がよくなったら、いつか会えると信じる事にしています。
考えがまとまらない時は急がず、じっくり考えて良いと思う。きっかけがないと決められない?それは僕も同じです。“急いては事を仕損じる”です。
無駄な努力も、決して無駄ではない。得られるものはたくさんあると僕は信じます、なぜならそのおかげで君の本当の気持ちに気づけたからです。
君が心を貫けますように…君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。
君の事が心配だからです。詳しくは21話参照してください。
いろんな目に遭う前は、彼らの組織が正直ここまでひどいと思ってなかった。
もっとまともな組織と本気で思っていた…
多くの“まともな人”を隠れ蓑にして、“そうした”人が隠れている。
もう、恥ずかしい!と“そうした”仲間の行動を見ている人、結構いると、
そう思います。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
誰かの恥の尻拭いを何で自分がしなきゃいけないんだ!そう感じた人(感じる人)少なくないと感じます。
多くの人の良識の存在を信じて。
周りに人にこう言ってもいいんです。
わたしが自分の生き方を決めるまで、黙っていて!と。
Fさんが「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から…願います。
遊ぶ金ほしさの連中なんかに負けないで!頑張れ!!
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〔8月27日(金)曜日〕
1日目は東京からトルコまでの移動日、2日目はインタンブールから即アンカラへ移動。(実は最終日イスタンブールに戻ってくる、だから、観光もせずに即、移動)アンカラからヒッタイト遺跡、そしてカッパドキアへ、一泊し、3日目…
昨日の続き。
次はハイキングと称して、バスをおりて歩く。
場所はカッパドキアの中でも「見てはならぬもの」という意味をもつギョレメという場所だ。
正直、今までは、凄いは凄いけどこんなものか?と思わなくは無い感じだったが、ここに降り立ってようやく、写真からイメージしていたカッパドキアの風景に来たな!という感じになった。
期待どうりの光景。期待を裏切られるのも旅行の醍醐味だけど、期待どうりというのも、やはり嬉しい。
奇岩にじかに触ってみる…(傷はつけてない)、固いが、なでるとポロポロと砂が沸く感じだ。今も確実に風化はすすんでいる、目に見えない速度でゆっくりと、そんな印象をうける。本当に長い年月、僅かづつ風に削られてこの景色ができたんだなと実感する。
遥か昔、ここに住んだ修道士もこうした道をすすんだのだろうか?
途中、小さなひまわり畑、こちらではひまわりは食用だ。種を食べたり、油にしたり。
雰囲気を味わうにはハイキングは結構いい。軽い秘境ツアー感が楽しめる。
この後バスにもどり短距離移動、野外博物館へ、野外だけど“博物館”なのだ。どういう事か?
イメージとしては、先ほどのハイキングが整備されてない“生のカッパドキア”だったのに対して、ここは観光用に完全に整備されている。見学コースもある程度きまっていて、ゲートがあり、舗装された道もある。入場料もとる。
この野外博物館は主に“教会”として使われていた洞窟が多いようだ。
そうした洞窟教会に案内される。
写真で見ていたよりも内部は狭い。よくあることだが、写真では大きく感じてしまうというやつだ。
洞窟教会内部は聖書の物語にそった絵がフレスコ画で描かれている。
そして内部構造はイスタンブール(いや、この洞窟教会が作られた頃はコンスタンチノープル)のアヤ・ソフィア(聖ソフィア教会)を模した構造をしている。入り口に1部屋、奥に中央のへや、その中央の部屋は入り口も含めて4方に部屋がある。上から見ると十字架のような構造。中央の部屋の天井はドーム状にけづられている。初期の洞窟教会はもっと単純な構造と本でよんだ。時代が下るにつれ、大掛かりで複雑になっていったと。
その際、コンスタンチノーブルの影響を受けていた、と。そう読んだ。この今入った洞窟教会は後期のものなのだろう…、この地を支配した東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の宗教観が反映されている。
西ローマ帝国と違い、東ローマでは“イコン”と呼ばれるフレスコ画がもてはやされた。洞窟教会の壁面には、そのイコンの影響をうけた壁画がたくさん描かれていると聞いていたが、事実そのとおりだった。
ヨーロッパの教会のステンドグラスは皆、聖書の1シーンが描かれている。当時、字を読めるのは一部の人だったので、絵で聖書の物語を説明したからだ。おそらくこの洞窟教会の壁画も同じ目的だろう。修道士とはいえ、元は普通の人。字が読めない人が大半のはずだ。
僕の理解が正しければ、イコンというのは人の思いが込められたものだ。
東方正教会の信者は、なにかお願い事があるときは、イコンを作り、それを豪華な額などで飾り、教会に寄進したらしい。
ちなみにこのイコンつくりで有名なインコニウムという都市が当時あった。都市の名前に付くくらい“イコン”は当時メジャーなものだったのだ。しかし、このインコニウムはその後、セルジューク・トルコに占領され、コンヤと改名される。そこがセルジューク・トルコの首都になり、後にイスラム教メヴラーナ派の総本山になるのは前述したとおりだ。
偶像破壊運動により多くのイコンも失われたが、“イコンをつくる”という習慣はロシアに受け継がれ、現在も存続している。
先ほどのハイキングは、本来のカッパドキアの姿を見ることが出来たが、ここ野外博物館は凝縮されたカッパドキアの特徴を便利に見聞できる施設だ。
この後、再びバスに乗り、今度は地下都市に向かった。
前回の記述で書き忘れたけど、内部は物凄く“涼しい”。冷気みなぎる快適さがある。狭くさえなければ確かにすごしやすい。中は地下5階構造らしいが、全体を見学できるわけではないらしい。その辺は日本国内にある洞窟観光と同じだ。
地下都市の底には地下水脈があるらし(見ては無いけど)。
でも飲むと健康を損ねるので、当時の修道士たちも口にはそなかったという。
ヨーロッパでは危険な生水は避けて、ワインを口にしていたと聞く。ここカッパドキアも例外にもれずそうで、修道士たちもワインを、ここ地下都市で作っていたと説明された。今でも近くの村にはワイン作りの技が残っているという。何らかの手段により技術が伝承されたらしい。
驚いたのは石の扉だ。
地下都市の要所、要所にあり、いざ外敵が入ってきたらこの石の扉を閉めて身を守るのだという。
直径2~3メートルはありそうな円形テーブルのような(いや、石器時代の石のお金のような)石があり、いつでもゴロゴロと動かして通路をふさげるようになっている。常にそうした事に備えていたわけだ。
このあとバスで一旦ホテルへ戻り、夜は、デイナーショーと称して、かつての洞窟住居を改装してつくったレストランで、ベリーダンスなどを見た。
デイナーショーの帰り、バスの中でガイドが言う、星空をみましょう、と。そういえば本に書いてあった。カッパドキアの夜景(星空)はきれいだと。でも雲のせいで星空は見れなかった。こういう事も含めて旅行の醍醐味です。山あり、谷あり、うまくいかないことありも、全てひっくるめて楽しまないと。
正直ああいう場所は誰かと一緒にいたいと感じるものです。Fさんはそういう時どう思うのかな…。そんな事脳裏をかすめる。
カッパドキア全体はもっと広い、今回見て回ったのはほんの1部だ。それでも圧巻されたのは事実。
自然の凄さと、それとは別に、ここに注ぎ込まれた人間の情熱。そして、現在の観光地としてたくましく生き残るカッパドキア。
この地を築いた修道士たちの精神は失われてしまったが、その足跡は、今も残り、忘れられることなく、観光でこの地を潤わしている…。それがキリスト教徒たちの意図したものでないにしろ、人々の役に立っているのは事実で、確かなことです。
意図した結果が出せなくとも、その過去の積み重ねがまったく無駄になるわけではなく、形をかえて、意外な形で、将来の糧に繋がる事は事実あるのだと思う。
あるがままを受け入れれば、いいように思う。全て、自分なんだから。
僕は、君が嫌う自分の嫌な部分もひっくるめて、君が好きです。そういう部分があるほうがいいくらいです。
とにかく待とうと思う、今は都合が悪いだけだ、いつか必ず会える、そう、思うことにしています。
物事のうわべだけで物事を判断する人間に負けないで!
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。
君の事が心配だからです。詳しくは21話参照してください。
“生き直し”って出来るんです。悔やんでいるならOkです。大丈夫です。
寛大な人は、「好きにしなさい」というタイミングを推し量って様子見をしていると思う。
悔やみもしない人達に囲まれてはつらいと推測します。脱出がベストです。
気づいたなら、損な役回りから逃げていいものだと、強く主張します。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
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〔8月28日(土)曜日〕
カッパドキアに連泊の後、4日目の朝。
少し早く起きる。
部屋をでてホテルのロビーへ、PCがあり、ネットに接続した状態で待機状態にあった。
試しに日本のサイトを開いてニュースなどを見る。たいした事起きてないなと確認した。
途中から接続が切れる。どうやら、フロントで何かしら手続きをしないといけないらしい。
おそらく、前の客が使った使い残しでネット接続をしていたようだ(あるいは最初だけ短時間無料なのかもしれない)。
朝食時、昨日まで快調だった胃腸が調子をくずす、この辺りから、食事は気をつけようと思うようになった。
出発の集合時間、ホテルの玄関前のスロープに荷物も持ってゆく。すでに何人か同じツアー客がいた。バスも来ていて、大型荷物の積み込みなどをしている。
まだ多少時間がある…
足元を見ると2匹の子猫が遊んでいる。しばらくすると親猫も登場。ツアー客皆が見入る状況になる、あまりのかわいさにカメラに収めたりする。添乗員さんが言う、いつも朝いるんですよ、と。
ここに限らず、トルコ各地で猫がやってきた。時にはレストランの屋外席で、時には普通の観光地で、ドライブインで。観光案内には書いてなかったが、とにかく猫が多いな!という印象。それも人になれている。日本国内の猫はそうそうここまで人懐っこくない。お国柄だろうか?旅先のあちこちで猫が和ませてくれます。
ここからまた約3時間かけてコンヤへ移動。長旅です。
でも景色を見ているだけでも飽きない…、前にも書いたけどどこまで行ってもどこまでも続く大地というのは、日本の狭さを実感します。本当にひろい。
石を積み上げてつくられた古い民家などみてるとなんだか楽しいです。
よく、外国人が日本の古民家にあこがれると聞く、日本人からみたら、田舎のさびれたボロ屋にしか見えないそれが、“いい!”という。日本人はえ?そうなの?という感覚になります。こないだも、在日外国人教授が日本の何処かの村の古民家を改装して宿泊施設にしたところ、外国人観光客に好評で、あのミシュランガイドもホテルとして1つ星をつけていると紹介されていた。その地域の外国人来訪者数はうなぎ上りにあがり、ついに行政も真似をしようと動き出したらしい。近辺の廃屋を買い取り、教授にならって改装して宿にしようというのだ。改装に1000万かかるので、年数件しかできないけど、そういう動きがあるという。
多分、僕が「いいな」と感じたバスから見る景色の中の数々の民家も、現地の人には違う目で見えるのだろう、そんな事思った。目線が違うと、気がつかなかった価値に気づくというものです。
この後、途中の休憩でスルタン・サライに偶然立ち寄ったのは前述のとうりです。
スルタン・サライはセルジューク・トルコが立てた商人のための要塞のような宿。当時、シルクロードを旅した商人の一行は隊商と呼ばれ、キャラバンのために用意された宿が、隊商宿。そして、当時最大規模のキャラバン・サライとして現在も残っているのが、ここ、スルタン・サライだ。
実は、スルタン・サライにつく前に昼食を食べによった場所があり、そこは小中規模のキャラバン・サライを改装したレストランだった。中は、本来は無かったはずの窓があり、さわやかな空間になっている。壁にはどういうわけか18世紀くらいの“手動ミシン”がディスプレイとして飾ってある、等間隔にいくつも。ちょうど窓の上辺くらいの高さの位置に。理性で考えるとありえない飾りだが、なぜかよく調和していた。
「ああ、そうか。シルクロードとミシンか!」と思いつく。
このミシンを飾りに選んだ人はセンスがいい。
シルクロードという言葉を知る人間なら、ミシンを置いても違和感を感じない。
布とミシンはつながりのあるキーワードだ。
そしてミシンという文明の利器を置く事で、田舎くさい野暮ったさを消す演出をしている。レストランは高級感の演出が求められる…。そういう意味でミシンのディスプレイは正解だ。そんな事思った。
…じつは、この日。トルコ絨毯の工場に案内されている。昼食後だったと思う。
どうも日本人観光客はかならずここへ連れてこられるようだ。なにしろ2006年初版の「親日の国トルコ 歴史の国トルコ」という本の中でも、まったく同じ工場に連れてこられた事が書いてある。中で行われたパフォーマンスと即売会の様子もほぼ本の描写と一致する。さすがシルクロード商人の末裔たち、商魂たくましいというか…
販売員はみな日本語ができる。
テンポのよいリズミカルな説明で次々と畳み掛ける。軽い催眠のテクニックだ、リズミカルなテンポで理性の働きが鈍くなる。一緒にいった12歳の甥まで欲しいといいだす。こういう軽い催眠状態の時は、理性が喚起される情報を提示すると簡単に催眠から脱する。試しに、「最低でも4万って事は、あの小さな絨毯1枚がPS3より高いんだぞ」といってやると、「あっそうか」と急速に理性を取り戻した。
トルコ絨毯はたしかに良いものだ。説明では実用性もあるので飾りではなく日常生活で使えます。と説明する、けど、その後おとづれた施設やホテルでもほとんど使用されてないし、汚れに強いと強調されていたわりに、たまに見かけるホテルのトルコ絨毯は黒く汚れていた。
「こういうところで、説明どうり本当に日常的に使っているのなら、あの話信じるんだけどなー」と思ったものです。
話は一応全部聞き、あとで、本当かどうか確認する姿勢が大事だと、僕は主張します。
たぶん、君の所には、入れ替わり立ち代り次々と誰かしら人が来て、君の心を説得しようと試みるのではないだろうか?
と、そんな推測をします。もし、あたっていたらだけど、聞く耳をもってはいけません。
向こうは、ああ、もうめんどくさい!いう事きくからそれでいいでしょ!と君が根をあげるのを期待しているからです。
優しさを忘れるよう“強要”されるの、おかしいと思うでしょ。
毅然とした態度はとり続けないとダメです
君に勇気が宿りますように…、そう願います。
巧妙に“何か”が“何か”にすりかわって、そして誰かがやけ太る?
君がどこにいようと、どんな状況だろうと応援しています。何があろうと世界中でただ1人味方でい続ける人間がいることを忘れないでください。
…君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。
君の事が心配だからです。詳しくは21話参照してください。
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
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〔8月29日(日)曜日〕
トルコ絨毯には羊毛で編んだ“敷物タイプ”のほかに、シルクで編んだ“タペストリータイプ”があるようだ。
値段は大きさではなく、模様の細かさで高くなるという…
中には「写真」みたいな細かいものまである。
あれを人力で編むのは確かに職人芸としてはすばらしい。
いつもの僕なら、こうした職人芸には畏敬の念をしめす。長年漫画なぞ描いていたせいで、クリエイターに対する憧れは一入ある。とくに実力者に対しては。
けど、今回は素直にどうしても“すごい”と感嘆できない。理由は繰り返される説明にある。
「女性が織っているんです」
意味としては、丹精込めて女の人が手織りで一生懸命織っているんです。彼女たちは小さい頃からこの技術を取得します。とくに細かいものになると若い女性の小さな手でしか織れません。このクラスの絨毯などになると、ひとりの女性が子供の頃から織り始めて、結婚後も続けて、何十年もかけてようやく完成することができる細かさです。中には何世代もかかって織られたものもあります…。
清純な女性が人生を犠牲にして作った究極の手製の絨毯。そう言いはしないが、要はそこがセールスポイントらしい。足拭きマットクラスの大きさで(平均的な細かさの模様なら)1ヶ月かかるという。1週間の彼女たちの収入を約1万と計算すると、1月で4万になります。ここにさらにいろいろ経費が乗っかるので、トルコ絨毯は高いのです。でも、ここでは4万円で買えます。
…と、繰り返しリズミカルに強調される。
女性が、女性が、と言われるとこう思ってしまう。
「別に男が織ってもいいのでは?」と。
クリエイターに男女差別なぞ存在しない。良いものを作った人が全てだ。僕はそう思う。
アジア人特有の女性観が根底にある…、トルコ人も同じアジア人なんだなと複雑な気分にある。
女性蔑視が根底にある。なぜ、男ではいけない?昔ならともかく、今現在、なぜ?そう思うからだ。
トルコ全体がそうだとはおもわない。
なぜなら、行きと帰りで乗ったトルコ航空の客室乗務員には男性もいた。日本ですら女性だけのはず。
そもそも客室乗務員は女性という観念はどこからきたのか?
これは僕なりの解釈だけど、最初の頃、スチュアーデスは看護婦だったという。機内で急患が発生しないよう、乗客の健康管理をするのが目的だ。しかし、次第に看護婦以外の業務が中心になり、看護婦ではなく普通のスチュワーデスに切り替わった。その際、看護婦が女性だったから、スチュワーデスも女性になったわけだ。しかし、本業の看護婦が男女の境が無い現在、スチュワーデスも女性であるの根拠はまったく無く、いつしか名前もスチュワーデスからキャビンアテンダントに変更された。
そもそもなぜに看護婦は昔は女性だったか?昔は女性が高等教育されることはまれで、医療に従事したい女性は必然的に高等教育を受けた男性医師の助手になったわけです。でも、医者の男女差のない現在、この差別も無意味です。
(ちなみにこれは余談。看護婦の重要性を世に確立した人物として有名なナイチンゲールの別名は「クリミアの天使」。クリミア戦争はトルコの黒海を奪うべくロシアが起こした戦争で、あのシュリーマンが武器をロシアに売って大もうけした、あのクリミア戦争です。)
…トルコはもう近代国家のはず。女性蔑視を前提にしたトルコ絨毯は違和感がある。そう感じざる得ないのだ。すなおに感心できない。
まあ、そんないきどうりをぶつけても意味が無いので、ここはともかく山とある絨毯を見聞しようと感じた。トルコ絨毯の工場に連れてこられて、講釈を聞いた後、即売会が開かれる。大きな部屋ごとにタペストリー用絨毯のへや、敷物用絨毯の部屋と4箇所くらい用意されている。僕はさめていたが、みな結構真剣に見入っている。
終わるまで出れない。それって「軟禁では?」と思わなくも無い。
(軟禁かそうでないかの違いは、「外に出たい」と意思表示して、その意思を受け入れてくれるかどうかで見極められる。けど、それは日本の法律の話。ここは外国。)
まあ、害があるわけでもないので。映画館でよくある上映前のCMと思う事にした。これで幾分か旅費が安くなっていると信じたいところだ。(ちなみに、映画館ではいくらCMみても入場料安くならないけど)
柱にトルコ絨毯の小さなタペストリーがあった。ターバンをかぶった男が座っている絵だ。
その時は気がつかなかった。
でもその絵の男が緑のターバンを巻いていたのは覚えている。
「何を書いた絵だろう…」
と、その時は思った。
絨毯工場からようやく解放され、一路西へ。
途中休憩所にあったスルタン・サライに感動したりし、さらに西進。コンヤへ到着。
コンヤはイスラム教メヴラーナ派の総本山だ。
そしてここ、コンヤに来てはじめてさっきの絵の意味がわかる。イスラム教メヴラーナ派の偉い人は緑のターバンを巻くと知り、
「ああ、じゃあさっき絨毯工場でみたタペストリーの人物はメヴラーナ派の偉い人を描いたものだったのか!」
最近になって気づいたのだが、イスラムの世界では宗教的偉人を中心に歴史観が展開かれているようだ。
事前にそれなりに予習をしたつもりなのに、後にふれるイスタンブールの博物館などで展示されている遺物の9割が“見当すらつかない”ものだった。おかしいな、事前にひととおり歴史は予習したはずなのに、検討すらつかないなんて…とおもった。
どうも僕が日本で読んだ本はみな、西洋から見たイスラム史らしい。
西洋の世界では「国王~世が~をした」という具合に君主から歴史に入る。
ところがイスラムの世界では、国王よりも宗教指導者の方が歴史上重要らしい。
西洋の世界にも聖人はいる。けど、歴史に大きくかかわることともないのでマイナーな存在だ。
けど、イスラムの世界では違うようだ。
宗教指導者が歴史に大きく関わっているらしい。国王なんかよりも。
だから飾られている歴史的遺物も、昔の宗教的な偉い人の遺品がメインになっている。
宗教的偉人の名前がわからなければ“見当もつかない”という事になるようだ。
日本の世界史の歴史感も西洋のそれにならっている。
覚えるべき歴史上の人物は君主や政治家であり、宗教指導者はせいぜい教皇くらいだ。
日本史においても、貴族や武将、一部の高僧のみで、宗教的重要人物は天皇以外メインにならない。
けど、イスラムではそこが歴史のメインなるようだ。
そこから違う…、なにか歴史感が根本から違うらしい。
西洋の歴史感だけに頼っていると、イスラム圏の国がどういうバイアスの元、動いているのかが上手くイメージできなくなる。そう感じた。
と気づく事になる。
世の中は、広大で、複雑で、人間の想像の域を遥かに超える“巨大さ”をもっている。
せまい世界のなかだけで完結しないのは事実のようです。
君の周りの人に伝えてください。自分たちだけが一方的に正しいと思っているのは恥ずかしくないの!?と。
理解を示す心の広さはどこへやったの?と。
これは人としての“質”の問題です。
教えが正しいとか、間違っているとか、そういう問題ではない。質が問われているのです。そう伝えてください。
君が戦っているという前提で書きます。負けないで!応援しています。君は自分で思っている以上に強い人です。
悔やんでいるならOkです。悔やみもしない人達に囲まれてはつらいと推測します。脱出がベストです。
“生き直し”って実は本当に出来るんです。大丈夫です。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。
君の事が心配だからです。詳しくは21話参照してください。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
「間違いに気づいたの、だから関係ないわ」
と言う権利を君は十二分に持っていると思う。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
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〔8月30日(月)曜日〕
コンヤへ到着し、メヴラーナの墓があるという場所へ到着。
もっと古めかしい街をイメージしていたけど、予想に反してそうでもない。
でも後々に訪れるイスタンブール市街地に比べると、やはり古めかしい街だったなと、今は思う。
そこはどう見ても“モスク”だった。
ドームがあり、塔が立っている。
でも“博物館”なのだ。
近代トルコ誕生後、ケマル・アタチュルクによりメヴラーナ教団は解散、霊廟も博物館になったと聞く。
しかし、今でも多くの人が神聖な気持ちを抱いているようで、土足厳禁、要脱帽のマジでガチの宗教施設になっている。
それもそのはずで、中にはメヴラーナ以外にも何人かの偉い宗教指導者の墓があったり、ムハンマドのひげが入ったと称する箱があったりとする。日本で言えば“明治天皇”が眠る明治神宮か、昭和天皇や大正天皇の眠る天皇稜みたいなものだろうか?
八王子に近くにある天皇稜には1度だけ行った事がある…とにかく広い敷地。行った当時は、後何人分でも墓が作れるな、などと思ったりしたが、今思うと、あれはチャンスさえあれば“明治天皇”の眠る明治神宮のように神社にする算段があるのでは…?などと勘ぐってしまう。
一応、明言するけれど。僕は天皇家に対しては尊敬の念を持つ。
けど制度としての天皇制には疑問を持つ。
皇族の個人としての権利を認めていないからだ。
皇族もちゃんと人扱いすべきだ!というのが僕の意見です。
戸籍も抹消、口座も免許も持てない?おかしいと常々思う。
バリバリのキャリアウーマンだった皇太子妃雅子様が心を病んでしまった状態もわかる。
そして、日本国内では環境に慣れない彼女に問題があるという意見が大勢なのに驚く、だれも窮屈で人権の無視される皇室の制度に問題があるとは言わないからだ。
神格化とは時に理不尽さの元になる。気をつけないと、そう思う。
トルコでは建国の父ケマル・アタチュルクが明言こそされてないが、実質的に神格化されている。
観光客もアンカラに来た際はかならず彼の眠る“アヤチュルク廟”に案内される。
僕らのツアーも例外なく案内されている(もっとも数分外観をみただけだけど)。
パルテノン神殿を今風にアレンジしたような巨大なもので、色はブラウン。その周りには広大な敷地に緑。出入りするゲートは武装軍人がいる。
以前TVでみた。最近のトルコの国政選挙ではイスラム主義を掲げる政党が台頭してきていると。
危機感を感じた人々は“建国の父ケマル・アタチュルク”の精神を忘れるな!とデモをしてイスラム派を牽制したと…。
イスラム教は貧しいものに絶大な支持を得るのは、昔も今もかわらない。
経済が困窮すれば、イスラム勢力の台頭もありえるのかもしれない。
…けれど、トルコが他のイスラム国と同じになることは永遠に無いように思う。
それは歴史的な傾向からそう感じる。
トルコ人は常に“西”を目指してきた民族だからだ。
中央アジアから西へ進出し、アナトリアを手にした後も、西へ西へすすみ、ついにコンスタンチノーブルを手に入れる。この後も西へすすみヨーロッパと対立をつづけた。一時はドイツまで迫っている。メフメット2世はイタリアへの憧れが強く、文化面でイタリア人を雇い入れていた事もあったらしい。トルコ人にとって、西は“憧れ”であり“目標”なのだ。近代の日本人が常にアメリカやヨーロッパを憧れや目標にしているのに似てると感じる。そうそうこの感覚は変る事ないと思う。
こないだの金曜たまたま“朝まで生TV”を見てしまう。あの田原総一郎司会で、深夜やってる討論番組だ。1つ1つの意見は正直どうでもよく、最終的に全体がどういう流れになるのかを見て、問題点を洗い出す、というのが田原総一郎独特の司会スタイルだ。
今回の“朝まで生TV”では最終的にこういう結論になった。
どうも見てると皆さん“内向き(国内のみ意識した)”意見ばかりです、と。
これは日本全体が“内向き”になっているという事なんでしょうか…?、と。
そこが今の問題点なのでは?、と。
そんなまとめで終わったと思う。
神格化には意味はある。
でも内向きな神格化はマイナスが多いと思う。
狭い世界だけで完結する、狭量な人間ばかりになる。
教えが正しいとか、間違っているとかいうのが問題なのではなく。
人としての“質”の問題なのです。
Fさん、いろいろ言われると思う。けど、がんばって。負けないで欲しい。
狭量な人達が押し付けてくる“勝手なイメージ”なんか跳ね除けて!
自分の心を取り戻すべきです。
心が狭くなると人の命まで軽くおもえるようになるのよ!と言ってやってください。
多分君の周りには悪意なく“そういう事”が出来る人がたくさんたくさんいると思う。
それは悪意があるのではなく、心が内向きになっていて、外に向いていないからだと思う。
心が外向きになれば、人として持つ“当たり前の感情”が戻ってきます。そう、周りの人に言ってやってください。
君は自分を責める必要はありません。僕が保障します。
悔やんでいるならOkです。
悔やみもしない人達に囲まれてはつらいと推測します。脱出がベストです。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。
君の事が心配だからです。詳しくは21話参照してください。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
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〔8月31日(火)曜日〕
メヴラーナの霊廟到着時、バスが停車したのは少し離れた場所だった。
徒歩で移動。
目の前には道沿いに塀があり、巨大広告が連なっている。
道行く女性は布で頭を隠している人がほとんどだ。
道行く車は日本と違い、みな砂まみれだ。
ここトルコの車はほとんど砂まみれだ。
砂にまみれてないのは、郊外に出ない車くらいだ。
街の外に一旦出て、どこまでも続く大地にのびた道を走れば、あっという間に砂まみれになる。僕らの乗ったバスは休憩の度に洗車していた。おかげでいつもきれいだった。1度洗うと4時間くらいは大丈夫だけど、それ以上ほっておくと砂まみれになるようだ。
話をもどして、徒歩で移動。メヴラーナの霊廟に到着。
ゲートをくぐり中に入ると、突然鮮やかな景色になる。
外の景色がくすんで見えるほどのきれいさだ。地面にはきれいな芝生が生え、木々が調和した配置で植えられている。オレンジの制服を着た人達が芝の手入れをしていた。こまめに手を入れているのだろうか?そんな印象だった。
建物自体はおそらく13世紀ごろのものだと思う。鎌倉時代くらいだろうか…。石造りでしっかりしている。手で触ってみても風化しているようには見えない。
鎌倉時代と思うと、どうしても昔行った鎌倉大仏が頭に浮かぶ、同じくらい古いのか…?と。
(正確な年号を付き合わせれば随分開きがあるかもしれない…、でも大局的な歴史年表でみれば近い時代だ)
日本でこの時代、武士が台頭し、貴族よりも世の中を動かす存在になる。
同じように、アナトリア半島でもかつて傭兵として雇っていたチュルク人が力をもつようになり、かつての雇い主たち相手に戦いを挑む時代になる。
13世紀は日本とトルコをゆるがす一大勢力がユーラシア大陸を駆け抜けている。
モンゴル帝国だ。
この時代、コンヤを首都にし、コンスタンチノーブルを狙っていたセルジューク・トルコがいた。その後実は内部対立があり、ごたごたのすえルーム・セルジューク朝になる。ルームとはギリシャの事だ。しかし、このルーム・セルジュークもモンゴルの襲来により滅ぼされる。
モンゴル帝国はアナトリア含めた“ユーラシア大陸”のほとんどを統治するが、その後わずかな期間で4つに分裂、その所為かアナトリアではモンゴルの影響力がうしなわれる。
いわゆる権力の真空地帯になったアナトリアの地は、各地に残ったチュルク人小勢力(とローマ人小勢力)は各々が勢力をまとめ上げ、誰が一番強いか互いに睨みあう戦国時代に入る。
4つに分裂したモンゴル帝国の1つで今の中国に拠点をもった「元」が日本を攻めたのは有名な話だ。いわゆる「元寇」です。この元寇(モンゴル襲来)で鎌倉幕府が衰退するのは日本史で習う通りです。
モンゴル襲来で力を失った鎌倉幕府の隙をついて、天皇が政権を奪回(建武の新政)したのも有名。でもこちらも内部分裂でごたごたがおきて(南北朝の分裂)短期間で政権を足利氏に奪われ、室町幕府ができるのも授業で習う通りです。
アナトリアでもイスラム勢力を押さえ込もうとビザンツ帝国(東ローマ帝国)が巻き返しを図るけどうまくいかない。その隙を突くように、チュルク人の1つの勢力が比較的コンスタンチノープルの近い位置で勢力拡大に成功する。オスマンという男に率いられた数百人規模の軍事集団だった。オスマン・トルコの基礎となった集団だ。オスマン自身は国家成立前に亡くなったみたいだけど、その息子が引き継いで勢力を拡大。周辺の武装勢力を打ち負かし、取り込んでいく。
…「元寇」で日本に攻めて来たモンゴル人は大艦隊で日本に来たが、途中、台風にあい大艦隊は消滅。
2度の襲来ともども台風が艦隊を壊滅させで日本は救われた…、もし、この時台風が来てなかったら、狭い国内で簡単な戦闘しか経験してこなかった日本人は、大陸で磨かれた武器や戦術に歯が立たなかったと思う。
当然、日本から1万キロもはなれたこの地で磨かれた武器や戦術も、日本に襲来したモンゴル軍も持っていたわけで。なんともスケールのデカイ話だなと、そう感じた。
でも13世紀には電話もインターネットもない。
そんなインフラのない時代では、1万キロに及ぶ国家を統率するのは不可能に近かっただろう。
モンゴル帝国が短期間で分裂したのもなんだかわかる。
…メヴラーナの霊廟はそんな時代を潜り抜け、それでも今だここにあり、人々の敬意を浴びている。
中に入るにはまず列にならび、入り口で靴用ビニールカバーをもらわないといけない。
スーパーによくあるロール状のビニール袋のようになっているものを引っ張り、ミシン目で切る。1つ1つにすでにゴムがついていて、それを靴にかぶせる。両足分必要だから2つロールからとらないといけないわけだ。
内部は厳かな空間になっている。かなり人が多い。
敬虔な目で展示品をみる地元の人もいて、観光気分で恐縮する思いだった。
たぶん、トルコでなかったら入れない場所なのでは?と思う。
実際、他のイスラム国では、イスラム教徒でなければ入れない場所もたくさんあると聞く。
そういう意味では、トルコは開かれた国であり。文明国なのだなと思う。
自分の殻に閉じこもる事をせず、他者を受け入れる寛容さを持っている。
こんな話を思い出した。
今、アメリカのニューヨーク。グラウンド・ゼロ(世界貿易センタービル跡地/911テロの跡地)の2ブロック先にモスクの建設計画があり、大論争になっているらしい。
イスラム教徒の起こした911事件なのに、そんな事件の目と鼻の先にモスクを作るなんてけしからん、とアメリカ人は激怒しているわけだ。
でも、賛成しているアメリカ人もいる、とくに都会人の社会的ステータスの高い人に多い。宗教で差別をしないのはアメリカらしい、と。こう主張する。
残念ながら反対派の数が圧倒しているらしく、アメリカの暗部が露見した形になっている。
911テロではイスラム教徒の犠牲者もいるという事実を飲み込めないらしい。
僕はこう感じた。作ればいいのにと。
もし作らなかったら、テロリストたちに「ホレ見たことか、アメリカ人はそういう連中だ」と言われてしまい、結果的に悔しい思いをするのはアメリカ人だ。目先の感情を優先して、視野が狭くなっているから、そうなってしまうのでは?とそう感じた。
でも、アメリカ人は熱する時は理不尽だけど、冷静になってからの対応は他の国にくらべると見本的だ。(情報公開制度の紳士的な運用がそう思わせます、日本の情報公開制度はあってないが如しになっていて、ちっとも紳士的ではない。隠したい事は永久に隠そうとする傾向がある、それでは経験を将来に反映させられなくなり、同じ失敗を何世代にわたって繰り返す事になる)アメリカはそういう実績を過去たくさん作っているので。まちがいに対しても(他の国に比べて将来的には)自浄作用が働く事を期待したいなと、そんな事、個人的に思います。
これは人としての“質”の問題です。
世界は広大で広く、想像を絶するダイナミックな時間がからみあって作られている。
「視野が狭くて何が悪い」とか言う人が増え続けていくと、それが世界の不和の原因になってゆく。
私は、理由も無く人を貶めるような事はもう2度と金輪際しません!とまわりの人にに言ってやってください。
長年ずっと疑問に思っていたんだと思う。
このまま死ぬまで心を偽り続けると、心が砕けてしまう。そんな心配もします。
生きたまま死ぬような生活から、私は抜け出したいの!と言っても良いのだと思う。
たぶん、君のまわりには被害者は君ではなく自分だって主張する人がたくさんいると思う。
でもそれらの人は全部まちがいです。
本当の被害者は“Fさん”なんです。優しい心につけこもうとする連中に負けないで!
悔やんでいるならOkです。
悔やみもしない人達に囲まれてはつらいと推測します。脱出がベストです。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。
君の事が心配だからです。詳しくは21話参照してください。
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
中には器の大きな人もいて、「好きにしなさい」というタイミングを推し量って様子見をしていると思う。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
“情熱”を失わせるのが、彼らのオハコだ!気を付けて!
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〔9月01日(水)曜日〕
メヴラーナの霊廟は写真撮影も禁止だった。
コーランがいくつも展示されている。
時代はわからないが偉い人のものや、伝説のあるコーランなどあるらしい。
中には、小さな女の子がまつ毛にインクをつけて書き上げたとされるものもある。
意図としては薄幸の少女の努力の結晶、ということらしい。
どうリアクションしたら良いのかわからなくなる。
こういう時(自分の判断がわからなくなった時)は、自分の原点に返って考えるのがベストだ。
僕の原点は“Fさんとの思い出”であり、そこから出た結論は“人は話せば通じ合える、心が通じるという事は、この世に確かに存在する”という事だ。
その観点に立ち返り、今一度そのまつ毛でかいたコーランを見る。
これを作った少女は何としても周囲に自分を理解してもらいたかったのだろうか?
貧しくて筆記用具がないからといって、まつ毛を筆がわりには、普通しない。
この位、奇抜な行動にでないと無視されてしまうほど、彼女の存在は希薄だったのだろうか?
自分の価値を人に認めさせるために、途方も無い努力が込められた…。そういう事なのかな?
もしそうなら、同じ境遇の人がみたら感嘆するはずの品物だ。
そう思った。
あくまで個人的感想だけど、実際はどうだったのだろう…
ここメヴラーナの霊廟にはそんなイスラム教徒の心をうつ品々が、偉人の墓のすぐ隣りのフロアーに展示され、来訪者を迎え入れている。
霊廟をでて外へ。順路に従い歩き、最初に来たあざやかな庭に出る。
途中、石棺が無造作に置かれているのを見た。理由はわからない、未整理の発掘品という事なのだろうか?
庭を抜け、お土産屋をみる。
以前書いた目玉が売っていた、青いガラスを平たいセンベイ状に加工し目玉を書き入れる…
以前書いた時、僕はてっきり邪眼に呪われたくない人が邪眼を敬う事で呪われないようにしているのだと思い込んでいた。
でも実際には、邪眼(呪いの力)とは人間が本来生まれ持つもので、その邪眼が放つ呪いの効果を跳ね除けるお守り。というのが正しい解釈らしい。“ナザール・ボンジュウ”というのが正式名称です。
長年間違えて覚えていたようです…。
時には間違えます。でも気付けば訂正します。世の中には1度間違えたら、めんどくさいのでそのままにする人がいる。ちょっと大きく出るけどこれも“人としての質”の問題です。
こんな事も思う…今、問題になっている100歳以上の戸籍問題も、地方行政を管轄する総務省の担当者が一言「生存を確認せよ」と早い段階で各地方の担当者に命じていれば、こうはならなかった。気がつかなかった?仮にも国家公務員Ⅰ種試験受かっているのだから、間抜けですいませんといういい訳は通用しないと思う。
え?その人に全部の責任があるわけじゃない?
でも責任者って責任取るためにいるわけだし。日ごろ扱う“権力”に見合うだけの“社会的責任”を取れないのはおかしい。偉い人は、責任をかぶる覚悟無く偉ぶってはいけないと思う。
たぶん…、君の周りにも多いよね。いざとなったら責任なんかとらない人。物凄いたくさん…。
責任とるどころか被害者ぶったりしてるでしょ?
もし、(いないと思うけど)本当に被害者ぶってる(責任ある)人を見たら、こう言ってあげてください。
「普段の(偉そうな)威勢はどうしたの?なさけないやつ!」と。
本当にそんな愚劣な人がいないと信じたいところです。
…だいぶ脱線しました。
カッパドキアを早朝発ち、寄り道をいくつかした後、コンヤへ来て、メヴラーナの霊廟を見る。
そして早々にバスに再乗車して、温泉地パムッカレに発った。
コンヤからパムッカレまで430キロ、約6時間の長旅だ。
6時間!?
日本にいた時はこんな時間の使い方あいえないと感じていたのに、この頃になると、この大雑把なタイムスケジュールに慣れてくる。人間の順応性は脅威的です。
パムッカレについた頃には夕方だった。
こちらの日が落ちるのは7時ごろだった、遅いと感じた。赤道に近いからだろうか?よく判らない…。
ホテルは今までと違い、3階建ての小さな棟が複数プールを取り巻いて建っていた。くつろげるスタイルだ。その日のうちに温泉に入る。正直今日はつかれてぐったりしていた分生き返った。気付けば3時間以上も入っていた。
最初プールへ行く時、入り方がわからなかった。ドアがあかない。
ドアはガラス製で中におじさんがいる。ガチャガチャやっていても開けてくれる様子は無い。
君の知る“高校時代のK”ならば「ま、いいか」とあきらめていたと思う。そう思うでしょ?
でも今は、とりあえず思いつく限りの手段が全部だめになるまであきらめない方がよい、という考えに変っている。東京で学んだ経験則です。あきらめていたら、何もできない。
中に人がいる以上、話が出来る場所があるはずだ。
ウロウロし、本当の入り口をみつける。実は最初みつけたドアは帰り専用で内側からしか開かないらしかった。些細な違いが面白い。こちらではそういうスタイルが常識なのだろうか?
こういう入り口出口の仕様の他にも、トイレの使い方1つとってみても全く違し、こちらの人から見ると“常識”な事も、こちらにはわからない。こういう些細な違いを発見してクリアーしていくのは結構楽しいです。
更衣室もわからない…。
一緒にいた甥が見つける。ロッカーがあるが、キーがない。
さっきのおじさんに
「コインロッカーキー?」と聞いてみると、くれた。言ってみるもんだなと思った。
温泉自体はプールだ。室内プールがあり、その屋根に室外プールがある。室内の方は、平均的な普通のリゾートプールだけど、屋外のそれはパムッカレの石灰棚を模した構造に作られている。斜面の頂上に源泉があり、石灰棚を模したプールにそそがれる。源泉に近い棚ほど暑い。そそがれた温泉は徐々に下の棚へと落ちていき、最終的には滝となって一番下のプールに堕ちている。この一番下の屋外プールと屋内プールは繋がっていて、屋内から水中を伝って外に出られる構造だ。
屋外のそれは昔の人が経験したであろう石灰棚の入浴を疑似体験できるプールだ。おもしろいものを考えたなと思った。
こういう所にはFさんは来たがらないかも知れない…
なにしろ恥ずかしがり屋だ。人前で水着姿は嫌がるだろう…、いや、意外と最初そうでも途中で吹っ切れるかも…、どっちだろう?そんな事も思った。
僕は知っています。2人の君がいることを。常に心の中でせめぎあっている?
(あなたの知らない3人目の私がいるのよ、と言うかも知れない…、だとしても驚きません)
君はこの手の話に首を突っ込まれたくないと感じているかもしれない。でも、ここではあえて言う。
どちらも君なんです。片方だけ否定せず。バランスがとれると、心が平和になれます。
つよいFさんと、弱いFさん。僕はどちらの君も知っている。でも両者の共通点も知っている。ウソが嫌いで、誠実さを求めている事を。理解者を欲している事も。
両者とも根っこは同じで、同じ君が、違う形で出ているだけです。(仮に僕の知らない3人目の君がいたとしてもその根っこは同じのはずです)根っこが同じなら、両者を納得させる事もできる…、時間がかかるかも?、それは僕もそうです。
負けないためには、強いFさんが必要。でも同時に、他の君も大切な君の1部です。
君が嫌だと思う自分の1部も含めて、僕は君が好きです。
君が戦っている前提で書きます。負けないで欲しい!
誰かが邪念に負けた、けど天は見放さなかった…
そういう事で矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。
中には器の大きな人もいて、「好きにしなさい」というタイミングを推し量って様子見をしていると思う。
皆が皆敵ではない。
いろんな目に遭う前は、彼らの組織が正直ここまでひどいと思ってなかった。
もっとまともな組織と本気で思っていた…
多くの“まともな人”を隠れ蓑にして、“そうした”人が隠れている。
もう、恥ずかしい!と“そうした”仲間の行動を見ている人、結構いると、
そう思います。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。
君の事が心配だからです。詳しくは21話参照してください。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!
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〔9月02日(木)曜日〕
温泉でくつろいだ翌日の朝、パムッカレのホテルでも猫を見た。1泊して後の翌朝、入り口で待ち構えているのを見た。結構かわいい。
前述の通りトルコでは随所で猫を見る。どうやらこの猫はいつもそこにいて何か貰えるか待っているらしい。でも残念ながら何もあげるようなものは持っていなかった、なのについてくる。
…思わず「何も持ってないよ」と口に出してしまう。人が見てたら恥ずかしい限りだけど、その時は誰もいなかった(たぶん)。
その朝、ホテルを発ち、世界遺産パムッカレで有名な石灰棚へ向かう…。
到着後、まず最初にバスを降りたのは石灰棚が下から見渡せる眺望の良い場所だった。面々と連なる石灰の棚と、それに併設された街、ヒエラポリスの遺跡。行った当時は全体像がいまいち解らなかった、近くに地図があるのだがいまいちよくわからない、帰国後ネットで同じ地図を参照する事ができた。日本語での解説つきの便利なサイトがあったのだ。それを見て記憶と照らし合わせ、ようやくパムッカレ/ヒエラポリスの全体がイメージできるようになった。
見てきたものを、後で文献等で再確認すると記憶が強化されておもしろい感覚になる。例えて言うと、おいしいデザートを食べた後、そのレシピを見聞するようなものだろうか?
駆け足で観光した後、バスに戻る時間になる…
バスに戻るわずかな時間の隙を突いて少し単独行動をした。近くのお土産物屋を覗く。
以前TVでみた「ダチョウの卵」が売っていた。
卵の装飾品なのだが、天井から吊り下げると、どういうわけか蜘蛛が巣を作らないという優れものだ。卵から出る何らかの成分を蜘蛛が嫌うとか何とか聞いた気がする。お店のおじさんに「ハウ・マッチ?」と聞いてみる、20トルコリラといわれた。とりあえず、値段だけ確かめて引き返すつもりだった。相場がわかれば他所で時間があるとき買い求める際、参考になるからだ。
買わない旨を店のおじさんにどう伝えよう…、複雑な英語表現が出来るほどの英語力は無い。ここは日本語で言おう、言葉が通じなくても表情とニュアンスで案外通じる事を僕は本屋の経験で知っている。
笑顔で言うと本当に通じた。
やってみるものである。
この時、偶然にも僕は手を自分の胸に置いた。
本当に偶然なのだが、それを見ておじさんは物凄い笑顔をかえしてくれる…
そういえばこれはイスラムの伝統的なしぐさだ!以前「マスターキートン」という漫画で見た記憶がある。1巻か2巻でウイグルの族長にキートンが挨拶する時やっていたしぐさだ!という記憶が頭をよぎる。
試しにその後、他の場所でもこのしぐさ試してみる。
通じるところと、通じないところがある。
どうやら、使うべき微妙なニュアンスを理解してないと上手く通じないようだ。
さしづめ、日本に来た外国人観光客が不自然なお辞儀をするのに似ているのだろう…、そこはお辞儀のタイミングじゃないよと見ていて思ったりする。あんな風に見られたのだと思う。まあ、トルコでは僕が外国人なんだからこれもアリかな?と思った。
(今、調べると、あの動作は「心から…」という意味になるらしい。作法のしぐさで、作法が要求されるべきタイミングで使うもののようだ、おそらく…。とりあえず、これが今現在の僕の理解です。)
店を後にし、いそいでバスへ再乗車する。
次の目的地はエフェソスだ。
下調べの段階では一番気になっていた場所だ。
途中、休憩に寄ったところでは地元名産のお菓子の直販所が用意されていた。これも以前読んだ本に同様のものが載っていた。試食が出来て、結構おいしいと。実際確かにおいしかった。
真実に気付く前なら、お土産を買わなきゃいけない人もいた、しかし、現在は無理な相談だ。職場は追われたし、世話になった人には迷惑をかけた形になっている、お土産どころではない。緊急事態ならいざしらず、気軽に連絡を取っていいものか迷うところだ。
10年来の友人も今は無く、まあ、でも、意外と冷静な自分がいる。それと引き換えに大切な思い出の価値に気づけたのだから。代償に見合うだけのものを僕は手に入れた。普通にそう感じる自分がいます。
心から…という気持ちも使うニュアンスを間違えると上手くいかないのは前述の通りです。
でも君には通じた経験がある。今はどうですか?伝わっていますか?当時、君は僕が意識せず行った普通の事を喜んでくれた、だから、これからも、僕なりの“普通”を通そうと思います。
これら記述が君の何かしらの支えになってくれれば嬉しいです。
いつか、君の答えが聞ける日を信じて。
君の事が心配だから、精一杯の背伸びをして伝えます。君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、機会があればぜひ一度見てみてください。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
心から…そう君に伝えます。
遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!“履き違えた大人の事情”に負けないで!!
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〔9月03日(金)曜日〕
初日、成田からイスタンブールへ
11時間のフライトは本当に長かった。
時速900キロで11時間?どんだけ地球はでかいんだと思う。
2日目、イスタンブール~アンカラ~ヒッタイト~カッパドキア
ヒッタイトの遺跡で爪の先が欠ける。
3日目 カッパドキア
この辺りから、旅に慣れてきて。日本食が恋しいと本気で思うようになった。
夜、ベリーダンスを見る。
客席の白人の盛り上がりのすごさに驚いた、日本人とは別格のハイテンション。
4日目 カッパドキア~コンヤ、そしてパムッカレ
スルタン・サライに寄ったのはこの日
5日目 そしてパムッカレの朝、猫を見る。
バスに乗り世界遺産パムッカレの石灰棚へ、お土産やでダチョウの卵をみる。
この頃になると、日本語のない世界が普通に思えてくる。
※(実は帰国時、成田空港の案内板が全部読めることが、おかしくて仕方が無かった。今まで苦労して英語を読んでいた脳が急に日本語になって戸惑っているのがおかしくてしかたがない。)
そしてこの日、パムッカレを発ち、エフェソスに着いた。
エフェソスが繁栄した時代、日本はまだ、弥生時代だった。
この頃、日本にはまだ“文字”というものが存在せず、そのため具体的に何が起こったかほとんどわかっていない。中国の文献に書かれた不正確な描写と、発掘により出る土器などの出土品から推測する事しかできない時代だ。はっきりしているのは、まだこの頃、日本人は“古墳”を造っていなかった。それはつまり、大規模工事ができるような集団統率ができる社会にまで発展していなかったのでは?という事だと思う。
詳しくは学者さんの研究にまかせるとして、ここでは、当時の日本人は石器時代ではないけど、文化人とはいえない暮らしだった。すくなくとも同じ時代のエフェソスの人に比べたら。
同時代、エフェソスは交易都市として発展して、周辺の国々からもたらされる品々と人々でごった返していた。
きれいな石材で整えられた古代ギリシャ風の建物が建ち並び、水洗トイレまで完備してある。上下水道技術はギリシャ・ローマを代表するインフラだ。都市の上層には政治的なものをつかさどるスペースがあり、広場や議会や公会堂などもあった。
クレティス通り、アルカディア通りといったメインストリートは石材できれいに舗装されていて、今でも観光客用の通絽として充分機能している。他の遺跡が荒れすぎて観光客用の歩道を整備しなければいけないのに比べると雲泥の差だ。
建築工学など発展してないはずなのに、石で何十メートルもある文化的な建物をいくつも造っている。驚異的だ。
ここエフェソスには当時世界最大級の神殿があった。パルテノン神殿をそのまま3倍の大きさにしたようなアルテミス神殿だ。そんな巨大なもの荷重計算もしないで職人の勘だけをたよりにつくったのだろうか?
ヨーロッパ人が自分たちの古代文明を誇らしく感じるのもなんだかわかる。
当時のヨーロッパ文明と日本の文明はこれほどの“差”があったのに、よくもここまで追いついたものだなと感心もする。
何がって?日本は明治維新以降がむしゃらにヨーロッパ人に追いつこうとし、完璧とはいかなくともかなりのところまで追いついた。
でも追いついた先で日本人は立ち止まる…、追いついちゃったけど、この先どうすればいいのかな?と。
何かにすがりたくなる人もいるのかな…そんな風にも思う。
何かにすがりたくなる…?、そういう感覚は文化レベルに関係なく、古代も今も存在する。
こんなんニュースを見た、パレスティナ人の隣家にイスラエル人が引っ越してきて、嫌がらせを毎日している…
彼らは自分たちを正しいと信じているんだろう。でも本当は違うと思う。
前にも書いた、イスラエル人がパレスティナ人を虐げる本当の理由は人口比率にある。
出生率の低いイスラエル人とそうでもないパレスティナ人。3世代もしたら人口比率が逆転して、イスラエル人が少数派になってしまう、数が少ない今のうちに追い出そう!子供を生ませないようにしよう!大丈夫、自分は正しい、神がついている。
…神様をいい訳にしているだけだと思う。結局は自分の都合だ。
普通の感覚の持ち主ならば、普通に“ひどい”と感じるはずだ。
もし、君の周りに、そう感じない人がいたら、こう言ってやってください。貴方おかしいわ、と。
私はもうそんな事したくありません、と言っても良いんです。
悔いているなら、心を取り戻せる。必要以上に自分を責めてはいけません。
君には確かに(必要以上に)自分を責める傾向があった。
すこしおこがましいかもしれないけど、僕のためにも、自分を責めるのだけはやめてね、と。そう伝えます。ダメかな?…どうだろう。君の事を心配しています。
人の希望が世の中を動かしているのも事実です。
人を理解したい、思いやりたい、そういう気持ちが、同じくらい世の中にはあふれている。
…ここエフェソスの主神は豊穣の神アルテミスだ。
その姿は、もの凄く異彩を放っている。
元からいた地元の人々の“神”と後からやってきたギリシャ系の人の“神”ガ融合した姿だからだ。
エフェソスのアルテミスは2つ以上の神のそれぞれの特徴を有している。当時ですら異彩を放っていたはずだ。そして当時の人はそれを受け入れ、誇りさえした。そういう事実があるのです。
分かり合い、受け入れる精神がないとこうはできない。
このアルテミス像は古代の時代から人気で、卓上サイズの持ち帰れる像が、古代から売られていたらしい。
そして2010年の現在も、エフェソスのミュージアムショップではやはり売られている。
キリスト教、イスラム教の嵐を潜り抜け、今も当時と同じデザインで。否定される事も無く。
人間の歴史は対立と融和のくりかえし…
世の中は所詮、戦争だと言う人は、日本人の歴史に江戸城無血開城という言葉があるのを知らないんだと思う。(江戸が戦場になっていた可能性があるわけです、でも回避された)
きっと、そういう歴史を知らない人は、小田原城無血開城も知らないのでしょ。
(小田原の街を守るため、豊臣軍に抵抗することなく城を明け渡した有名な話です)
戦いばかりが人類の歴史じゃないと、知らない人が多すぎます。
ネガティブな話は語り継がれる速度がはやく、良い話は、なかなか人に伝わっていかない。
この不条理を何とかしたいと感じられるセンスが人の“質”を高めるポイントのように思う。どうだろう、君は何を感じますか?
世の中は戦争だ!という人には「貴方みたいな人がいるから世の中おかしくなるのよ、それを他人の所為にして、付き合いきれないわ」と言ってやってください。
「間違いに気づいたの、」と言う権利を君は確かに持っている、一切の遠慮の必要は無い。
そうした(世の中は戦争だ!という)人達が邪念に負けた、けど天は見放さなかった…そういう事で、そちらの世界の価値観でも、この事実は矛盾しなくなると思うのですがどうなのでしょう。そう思う人少なくないと感じます。
みな実は、本当は平和を望んでいる、戦いを望んでなど無い。
暴虐な殺人集団とおもわれたいと感じる人は普通いないと思う。(普通の感覚では)
…それはそうよ、と思う人、多いと思います。
…全員の創意ではないわ、と感じるひとも少なくないはずです。
優しい人もたくさんいなければ組織も滅びる。この事実を否定できる人間がそちらにいますか?
(まわりに)聞いてみてください。
君は優しい心を否定しなくても良いんです。必要以上に自分で全部背負わなくていいんです。
君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。
僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。君の事が心配だからです。
詳しくは21話参照してください。
君が「埋没費用の呪い」にかからず、
冷静な判断が出来る事を心から期待します。
三界に家を建てるには、君が必要です。
「遊ぶ金ほしさの連中」ばかりでない事実を証明して見せて!プライドがあるなら。
誇りを示せと言っているのがわからないの?
いじめる人がいたらそう言ってやってください。
Fさん、負けないで!
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(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)
〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください