第12話 未来へと続く話3ー「暗示の解説」ー
〔〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語の登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください
(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)
〔金曜日…、1日目〕
12時間半フライングで
ニュースで見た、某宗教団体職員の夫婦で熱心な信者の2人、手かざしで病気が治ると信じて赤ちゃんを死なせてしまった…、信じるのも常識の範囲内でという感じだ。なぜ、手かざしと通院を同時並行で行おうという折衷案というか、現実的判断が思いつかなかったのだろう。
あの何千人ものにらむ人たちはやはりなにか信じていたのだろうか、この夫婦のように常識も通じないような何か根拠の乏しいものを 宗教は否定しない、けれど、精神世界と現実世界をごちゃごちゃにするのは単なるオカルトにすぎない、そう思った。
東京で真実に気づいてから、文庫の反撃が効果があったあの日から、周囲の様子がかわる。理解を示してくれる人もいた。詳しくは書かない、と、同時に文庫の反撃も通じない筋金入りの数が日を追って増えてゆく。最初少なかったのに2週間くらいで全体の半分という印象。思わぬ反撃を受けたのが相当ショックだったのか、どうやら精鋭部隊の一部を投入してきたようだった。1部?なぜそう思うのか?なぜならその後もっと強烈な猛襲を体験するからだ、この時点ではまだ増えたといってもすべてじゃなかったんだと思う、まだ全体の半分という印象、最終的にはすべて筋金入りに見える地獄絵図を経験する、特に女の人が怖かった、操り人形のようで…、それでもこの時の1つ間違えれば犯罪者にされてしまう恐怖(今も変わりはしないけど…)はものすごい緊張だった、絶対負けたくなかった、君との思い出の意味を知ったとき、負けるというのはあの思い出を踏みにじるのと同等と感じた、大切にしたいからこそ冷静でいられた、そう思う。
一時はかなり効果のあった文庫も次第に通じなくなっていく…、皆なれてしまったのだろうか?そう思った。けど、それは間違った認識で、実は僕の周囲の筋金入りが増えた結果だった。(実際こっちに来てからもう通じないと思っていた文庫がまだ通じるのに驚いた、その辺の横の情報交換はないらしいと思った)けど、怖くなかった、今度は心の中に君がいた、以前より周囲は恐ろしい様相になっていたけど、以前より心強かった。
最初に異常に気づいたのは職場で本の配達に出かけたときだ、申し訳ないけど、君の昔のしぐさと比較させてもらった、でもおかげで助かった。あの一点を見つめて凝視するしぐさ、あれを道であうおじさんというおじさんが皆やる、そして全員がタバコを水平にくわえ、水平に口からはなす、暗がりや死角で待ち構えるように(いや実際待ち構えている)やる。1人なら、怖いなこの人という程度ですむ、けど、連続してこう続くとかなりの恐怖、で気づいた。僕は17年前高校時代同じような攻撃をうけている…、具体的には思い出せないけど、この空気、まるで高校時代に戻ったようだ。当時いつも泣きそうになった、理由がわからない。けど、今感じるこの威圧的空気、たしかに、何も知らなければ泣きたくなる…、これか…、そう思い改めて観察する。
するとタバコだけではない、ささいなズボンの裾いじり(スカートもあり)から歯をむき出す行為、金属音を連続で…、金属音?あれ、このこの話どこかで読んだ…、「千里眼シリーズ」だ!と思った。人の無意識にいろいろな誘因をしかけて意図する心理状況に追いやり心を誘導する方法。劇中にでてくるメフィストコンサルティングの手法と物凄く通じるものがある。こうして脳の前頭葉(理性であり主人格をつかさどる)の機能が麻痺させられれば容易に暗示にかかるようになる。催眠のテクニックだ!そう思った。
(※金属音のくだり…、小説を読んだ方なら気づく違和感ですが、事実それで気がついたのでこう書きました)
この千里眼シリーズについては以前も書いた、人がどうやったら催眠状態になるかについて書かれている本。へたな専門書よりも脳のメカニズムにくわしくなれる小説のクセに実生活に役立つ本だ。まさかこの本が実際にこんな形で役に立つとは思わなかった。せいぜい自己暗示の訓練に使える、いい本を読んだなくらいに思っていたけど、まさか身を守るのに役立つとは思いもしなかった。催眠は科学です、オカルトではありません。脳の複雑なメカニズムのなせる業であり、高度な進化をとげた哺乳類、それも前頭葉の機能に重きをおく種にだけ催眠は有効なんです、いずれ催眠のメカニズムについては詳しく書こうとおもいます。
今の君の現状からすれば絵空事に聞こえるかも知れないこれら話題だけど、簡単に言えば思考停止するな、という事なんです。思考停止すると簡単にあやつられてしまいます。彼らはその道のプロです、油断していると知らぬ間に暗示にかかる、注意しないと、自分が立ち返ることができる原点さえあれば、仮に暗示にかかっても戻ってこられる、そう思います。
ここまで書いてこんな事思った、もし、「催眠」「暗示」に対する科学的知識のない人、特に年配者で迷信深い人は君に対して「悪霊がついてる」とかアホな事いうかもしれない、断言します、迷信です。
〔土曜日…、2日目〕
君は覚えているだろうか?ぼくはめったなことでは学校を休まない、体はそれなりに気を使っている、病気にはめったにかからない、そしてそれは17年経った今も同じ。東京で働いていたときもめったに病欠しまい人間として認知されていた。
高校時代一度3年の3学期もう進学か浪人か皆決まっていて、登校してももうろくに授業なない時期、急に行っても意味ないな、そういえば休んでる人も多い、皆もう遊びに学校に行ってるだけだなと思い休んだ事がある、もう部活もないし、この時期君も近寄ってこなかった…、
「休んでたからどうしたんだろうと思ったのよ」
確かにそう君に言われた、どこでだろう…、この時期は神社での密会をやめただけで、言葉自体はかわしていたと思う、偶然廊下で会ったときとか、けど、周囲の目のせい?かな君は長いせずすぐ立ち去ったように記憶してる、記憶ちがいかな?拒絶された記憶はない、遠のけられた…、そんなイメージで記憶している。心配してくれて嬉しかったけど混乱した、何がいけなかったのだろう?どうして嫌われたのだろう?そう考えていた、ホント今思うとバカだなあと思う。
目の前の君は恋する目をしていた、それは、覚えている、あの目の意味を17年考えていたわけだから。
この時期、もう会わなくなった時期、ときどき視線を感じる、視線を感じるほうを向くとショートカットの君が一瞬見える、そんな事もあった。おそらく、機会があるごとに僕の姿を追っていたのだろうと、そう思います、こんな僕ごときのために…、何がそんなに気に入ったのかもう一度あって聞きたいとやっぱり思う。
じつは昨日の夜、どうやら風邪をひいてしまったらしい…
風邪なんてひさしぶりです。
〔日曜日…、3日目〕
体を壊したことで思い出した、めったに病気をしない僕が倒れた事がある、東京での話。あとあと知るのだけどBTウイルスとかいうのにやられて、命の危険もあったそうだ。そういえば感染してるとき地面がゆれていて、地面が揺れている!面白い!などど今考えるとぞっとする事を思っていた。
病院にいくと診察の後隔離されてしまう…、めったにない症例だったみたい。リンパ腺がものすごいはれていた、どうも後で聞くとウイルスが脳にいかないように免疫機能が全力抵抗をしていた結果らしい、そう僕は理解した。くわしくは専門家でもないとわからないけど、この時同時に心臓と肝臓もやられた。免疫機能が脳を守るので手一杯でそっちまで手がまわらなかったらしい。3週間くらいで退院できたんだけど、気がつけは冬から春になってて、気がつくとつめの成長が止まっていた。初めて本気で死ぬと感じた。もう一度君に会いたいなと思ったことは事実です。人間死を意識すると人生観がかわるとかいうけど、些細な点は変わったかもしれないけど、あいかわらずな僕です。いまだ君が好きです。
ものすごいつらいめにあったあと、手をさしのべられると心が陥落するときがある。
もし、この時宗教にさそわれたらおそらくついていっていた。後にして思うと何でそんな気になったのだろうと思ったけど、退院直後はマジでそんな気分だった。心が無防備な時ほどやばい、そう思った。
僕が何が言いたいのか正確に伝わることを願います。
〔月曜日…、4日目〕
集団で圧力をかける方法で先に書いたタバコ以上に目に付いた(というか“耳”についた)のが“音”だ。
最初に気づいたのが“足音がどれも同じ”という事、一定のリズムでカツーンカツーンカツーンと同じ歩速、同じ音。駅でも電車の中でも町でも。同じ音で歩くが故歩行姿勢まで皆同じように似てくる。
なぜこれが催眠の技術と結びつくのか説明しよう。
まず、人間の脳のが同じ音だと気づく。すると脳はこう考える、「本当に同じ音か?」と、この際そう判断するのは脳の司令塔である前頭野になる。前頭野が指令を発す、「本当に同じ音かチェックしろ」と。すると脳の視覚野や聴覚野、感覚野などの感覚をつかさどる部分がそれに従い情報を収集する。現実に確かにそうだという情報ばかりが司令塔に届く、司令塔である前頭野はその情報から「間違いなく同じ音だ」と判断する。
そして前頭野はよせばいいのに「理由はなんだ?」と考えはじめ、過去の記憶との照合を始める。記憶は単純な記録ではなく感情も伴って記憶されている、異常事態に対して恐怖のシグナルが発せられ脳の感情野から強烈なシグナルとして司令塔である前頭野に警告される「これは異常事態だ」と。
人間の防衛本能というか身を守る本能というのはこういう気配の異常に敏感らしい、生命の危機と誤認するくらいの強烈な警告シグナルが感情野から発せられる。司令塔である前頭野はこの情報を押さえ込むための答えを出さなければいけない。
僕はここで答えを出せた…
けど、もし答えをだせなかったらどうなるのか?司令塔である前頭野はいつまでも答えが出せない状態が続くと機能が麻痺して正常に働かなくなる、感情野の警告を抑えられなくなる、司令塔が麻痺した状態の脳を持つ人間がどうなるか?実は意外な状態になる。
何でも言うことを聞く人間になってしまうのだ。まさに催眠状態。
実際の催眠術ではリラックスさせることで前頭野の機能を低下させる。司令塔である前頭野の機能が低下しているので外部の人間の声が司令塔がわりになってしまい、各脳の部分がその指令に従ってしまう。催眠には段階があり、まずは感覚野が最初の支配下に入り、次に運動野、記憶野、最後に視覚野となる。司令塔となる前頭野が抵抗するのでそう簡単には脳は支配下に落ちない、普通は感覚野が限界。テレビですっぱいレモンをあまく感じさせる催眠を見た人も多いと思う、あれは第一段階である“感覚野”が支配された状態。次に握った手が離れなくなるという催眠も有名で、これは第二段階“運動野”が支配された状態。第3段階までいくと記憶もコントロールできるので子供もようにさせる事もできる。ここまで催眠にかかる人はまれ。そして最後の視覚野まで支配されると男が女に見えたりまでする、しかもその人が知り合いでもそう見させられる。けど、ここまでが催眠の限界らしく命の危険におよぶ段階まではかけられないらしい。
さて前述のはリラックスさせる方法で前頭野を動かなくさせる方法、他にもう一つ興奮状態にさせることで前頭葉を麻痺させる方法がある。前者を副交感神経を利用した催眠なら、後者は交感神経を利用した催眠となる。
リラックスの場合は副交感神経を過剰に刺激すれば脳に影響を与えられ機能低下をうながせるが、同じことが興奮状態の時にも起こる、過剰に刺激された交感神経は脳に影響を与え前頭野の機能を麻痺させる。いわゆる「ランナーズハイ」とか「クライマーズハイ」とはこの様な状態の事だ。スポーツ経験者なら1度は誰もが経験していると思う。
運動中は痛くもないしつらくもないけど運動を終えた後猛烈な痛みと疲労を感じる…、誰もが知っている事だけど、これは脳が催眠状態に入って感覚野が正常に機能してないから起こる現象なのだ。先に述べました、感覚野は最初に催眠に入ると。もし運動中「ハイ」な状態で誰かに何か言われたら?普段はやらない事でも断るのもめんどくさいのでやってしまうという人もいるはずです(例えば普段は口も聞かないくらい仲の悪いやつとハイタッチしてしまうとか…)。催眠のなせる業です。催眠は日常生活のいたるところにあるわけです。
風呂に一緒にはいると仲の悪いもの同士でも打ち解けあうというのも催眠のなせる業です、風呂はリラックスを促すので副交感神経を刺激しやはり催眠を誘発します。催眠は日常生活に溶け込んでいるので上手に付き合うのがいいわけです、それができないと身を滅ぼす。
パチンコも催眠です、あれは光と音で興奮を促し交感神経を刺激します、感覚が麻痺し金銭感覚を失う危険もあるわけです。
飲酒も実は催眠に似ています、けれどあれは神経を刺激して脳を麻痺させるのではなく、アルコールによって脳の司令塔である前頭野を麻痺させるのです。酔った事のある方なら覚えがあるはずです、酔いはまず感覚野から始まり運動野、記憶野、最後に視覚野の順でおかしくなっていきます。舌が回らなくなり、千鳥足になり、昨夜の記憶を失い、幻覚を見るといった順です。
さて最初に書いた足音のところ、ここでも催眠はかかります。理解できない状況で脳の前頭野は正確な判断ができなくなります、そこに交感神経から大量の刺激が飛んでくる「命の危機だ身を守れ!」と、正常でなくなった司令塔である前頭野が「ええい、もうめんどくさい!その通りにしてやる!」と判断したらどうなります?周囲の人間に対して身を守るため暴力を行使してしまう…、そんな可能性もあるわけです。
おそらく皆さんのほとんどが知らずにやっているのだと思いますが、その行為そのものは殺人教唆と同義といっても言いすぎではありません。
(※前頭野は正確には前頭葉です。わかり易くするためあえて言葉をそろえました。)
催眠から抜け出す方法はたった1つ、前頭葉を麻痺させない事です、常に麻痺していないか自問自答する必要があります、しかし、脳は機械ではないのでいつもベストに動くとは限りません、時には休ませてあげないと…、適度な疲労回復も必要なわけです。趣味や娯楽などと適切につきあう必要があるわけです。つねに自分で自分の脳を管理している意識が肝心なんだと思います。
君に伝えます、僕の言いたいことが正確に伝わればと思います、おそらくこれらの方法でこれからも何度も何度も心に揺さぶりをかけてくるでしょう、けれど、強い心を持っていれば大丈夫です。君は本当に強い人です、だから大丈夫です。
久しぶりにヘリの編隊の低空飛行を見ました、夜の6時を回っているのに、あのローターが二機ついてる大型輸送ヘリ、確認したのは大型4機編隊と中型かな?1機と中型?3~4機と大型1機。
共振というのでしょうか?ものすごい音。まるで空港近くの民家の気分。
警告なんでしょうか…、ではあたってるのでしょうか?それとも偶然?、ま、偶然なんでしょう。
この近辺の人はどう感じるのでしょう?
仮にそうだとしてもでも、自衛隊のヘリの運行を担当している部署にたった1人でもいいから“彼ら”の一人がいれば出来るトリックで。自衛隊そのものが関与していると感じさせるのは催眠のテクニックが対象に有効に効いたときのみ出来るのです。そして大概みな真剣にはやっていない…。
冷静に考えてみてください、これから先も気づく人間は出てくるでしょう…、1人、2人、もっと多いかもしれない、パラダイムシフトはある日突然起こるものです。
(※この物語はフィクションです。)
〔火曜日…、5日目〕
「足音」と同じくらい頻繁に目にしたのが、携帯電話をかける姿勢が威圧的という事。どう普通と違うのか観察してみた。TVドラマの携帯をかけるシーンで確認した、ふつうはひじをあまりあげない、ところがこの当時ぼくの周辺にはやたらと携帯で話す人がいてみな同じ威圧的姿勢で携帯電話をもつ。どう普通とちがうか?ひじを水平にする(いや実際は水平よりも高くひじを上げる)。これだけで威圧的姿勢になる、簡単に表現するなら「感じの悪い携帯のかけ方」になる。
たぶんこういう事だろう、ひじが高い位置にあるには「こぶしを振り上げた姿勢」や「武器を振り上げた姿勢」に似ている…、似ているから“威嚇”と同等の効果が発揮できる、1人くらいならたいした事ない、けど皆同じ威圧的姿勢、皆同じ威嚇ではさすがに怖くなってくる。しかも刑法上の法律に引っかからない…。
僕は最近携帯をもっていない、だからTVドラマなどで確認した。やはり、普通はこんな姿勢で電話をかけない。
よく観察すると、この“ひじ”を水平に保つやり方は携帯にかぎらず、腕をあげる動作全般にわたって展開されてる。よく見れば敵意丸出しの人もいる…おそらくだけど、この時期「ウソの小説で仲間を苦しめるわるいやつ」と思われていたのではないだろうか?
いつも僕が自転車を止める場所のまん前に車を止めてめしを食うタクシーのドライバーがいた。攻撃が始まってから来るようになった。ひどい食べ方、ドアを開け、半身外に乗り出し、歯をむき出しにして、ちょうど口の中でくちゃくちゃやってる様子が僕に見えるように食べる。
攻撃が始める前はここで寝てるだけじゃなかったか?それもたまに…、なのにこのところ毎日見るし毎日見苦しい食べ方している…、よく見ると箸を持つ手のひじが水平になっていて、携帯の人たちと同じようになっている、なんだか間違いないなと思った。この人も彼らだ、と。
この時期もう白いヘッドフォン程度ではきかないと皆わかったらしく、ありとあらゆる手で僕に圧力をかけてくる、そして日に日にエスカレートしてゆく。普通の人間ならこのあたりで前頭葉が麻痺して思考停止になったのだろうか?けど、僕には君がいた、君があんなに頑張ったのに、僕が頑張らない訳にはいかない。
17年前君は僕の身を案じてくれた、君があんなに一生懸命守ってくれたものを僕の一存で勝手にどうのこうの出来ないと感じた、そう思うと冷静でいられた、君がいなかったら現在の僕は存在しなかったでしょう。
先に書いたタクシーの人の食事のシーン、あれに気がついた時初めてのデートで君がオレンジジュースしか頼まなかった事を思い出した。人に食事姿を見せるのが恥ずかしいと言っていたけど、こんな意味もあったのかななどと思い当たったわけです。別のところでも書いたけど、あの時の君は本当にかわいかったです。
〔水曜日…、6日目〕
1時間半のフライングで
こんな話を思い出しました
タイタニック号にはたった1人、日本人が乗っていたとういう話。
彼は外務省の外交官で仕事の関係でたまたまタイタニック号に乗り合わせ、運良く助かった生存者の1人。ところが事件後、別の生存者がこんなことを証言する…
「日本人が自分だけ助かろうと女子供をおしのけてボートに飛び乗りやがった!」
このニュースは人種偏見も手伝って尾ひれもつき日本中や世界中に広がる、そして当の本人も否定しない。ごく最近までこの汚名は続いた。
ジェームズキャメロン監督の映画「タイタニック」がヒットしたおかげで当時の資料を再検討する番組が欧米を中心にブームになる。その際、この日本人外交官が避難の際、人々のために尽くしていたという記録が出てくる。実は彼はほかの人の避難に尽力し、最後ボートが船体から離れるときに「あと一人乗れるぞ!」と言われて飛び乗ったというのが真相らしい。
ではなぜそんなうわさが立ったのか?実はタイタニック号には別のアジア人芸人一向が乗っていて、そちらのアジア人の振る舞いを、同じアジア人だから日本人に違いないということになってしまったらしい。昔の日本人は沈黙の美徳というものを持っていたから反論しなかったみたい。
やはり、こういう時はちゃんと反論しないといけないんだと思う。
この後この外交官は家族含めて誤解されたまま生涯を終える。
泣きねいりは、この場合、美徳ではないと思う。
何を言いたいのか正確に君に伝わればうれしいと思います。
君は今1人で戦っているのだろうか?どうなんだろう…心配しています。頑張って。
〔木曜日…、7日目〕
3時間ほどはやく…
暗示についてまだ説明してなかった…
暗示と催眠はセットで解釈するものです。
以前書いた事をまとめると“催眠”とは神経を刺激して脳の司令塔である「前頭葉」の機能を麻痺させる事により脳の感覚野、運動野、記憶野、視覚野に錯覚をおこさせる技術なのです。
司令塔である前頭葉が機能しないがため、外部の人間の“声”が司令塔の代わりに命令を出すことが出来ます、そして催眠のかかる深さに応じて感覚野、運動野、記憶野、視覚野の順に外部の人間の声に従ってしまいます。この際の“外部の人間の声=暗示”なのです。
暗示はやっかいです。一度かかるとなかなか解けない。なぜなら人間の脳は常に新しい状況に対応しようと脳の神経回路を常に書き換えています。そして使う頻度の高い回路は強化され、ほかの回路よりも優先して機能するようになります。時間とともに慣れるとはこういう脳のメカニズムがあるからです。
トラウマもこの例に入ります、いつまでも失敗をくよくよしているとその失敗の記憶が強化されて他の神経回路よりも優先して機能してしまうのです。
暗示の恐ろしいところは、暗示もまたトラウマ同様繰り返すことにより神経回路が強化されてしまうのです。例えば家ではグータラな男が職場につくと別人のようになる…、これは“職場=しっかりしなければ”という暗示がかかっている状況です。この様ないい意味での暗示もあるので、一概に否定できないのが暗示なのですが、恐ろしいのはこれが悪用された時です。
催眠の仕組みに無防備でいるといとも簡単に暗示にかかってしまいます。
悪意で暗示をあいてにかけようという人間も実際たくさんいます。霊感商法、催眠商法、キャッチセールスが後を絶たないのもそのためです。催眠自体は非常にシステマチックでマニュアル化しやすく、手段さえわかれば素人にも出来るし、催眠が何かまったく理解していない人たちでも出来る…。
中には捕まりたくないから、何も知らない第3者にやらせて自分は安全圏にいるという悪質な業者もいます。何も知らずにやらされていた人達も被害者です。
暗示から抜け出す方法は?
やはり、脳の司令塔である前頭葉を常に麻痺させないよう心がける事です。自分で自分の脳を管理している意識が必要なんだと思います。「自分自身の主人たれ」、誰の言葉か忘れましたがそんな事を言った偉人がいたような気がします、おそらく昔の人も体感的に催眠と暗示について経験から判っていたんだと思います。
君に伝えます、なぜ自分がそうしたいのか?なぜ、そう感じるのか?迷ったときはまずは自分の胸に聞いてみるのが何より一番大切です。胸に聞いても答えが出せない…、もしそう感じるとしたら多分体質的に一度にたくさんのことを連想してしまう心の持ち主の可能性がある。でも大丈夫、心の整理法というのもあるから。混乱したときどうやって自分の考えを整理すればいいのか?また後日書こうと思います。
君が頑張れるなら僕も頑張れます。
〔金曜日…、8日目〕
9時間半のフライングで…
先に述べておきます、もし心に重大な疾患を抱えている方がいたら迷わず専門家に相談すべきです。臨床心理士と精神科医は別物です、先に臨床心理士を訪ねる事をおすすめします。臨床心理士<精神科医という感じで接する患者の重さがかわるみたいです。
けど、そこまで重症でない、まだ自力でどうにかできる、けど、なんか具合のいいヒントがほしい…、そんな人にヒントの1つを話題として提供するくらいなら僕にも出来るような気がします、気がするだけ?少なくともこれらは僕の経験則が反映した考えです。記述の目的は彼女を励ます事であり、サポートすることであり、気持ちを伝えることであり、それら目的が最低限果たせるならこれら記述は目的を達しているといえます。君はどう思っているのだろう?僕は少しは成長しただろうか?君の気持ちが理解できる人間になりたかった、答えを聞ける日を夢見ます。
自分の気持ちを整理する方法、難しいです。ある人物について考えましょう、その人物について思いつく限りの情報を紙に列挙してゆく…(この時点で挫折する事もあります、けど、あきらめずにやってみるのです)この人は太っている、この人は何々だ、この人はこうこうだと1人の人間がもつ“属性”を列挙してゆく…、一見無意味に思える行為だけど回数を重ねてゆくうちに項目に共通点が見出されてゆく。もし、この共通点を絞り込むことが出来れば、その人が普段何を主張しているのか?何を自分に伝えたいと思っているのかが見えてくる。一見親切そうに見えても、発言や行動の共通点を考えてみると自分の例えば喫煙に迷惑してるんだこの人…、などと、普段言葉では伝わらない部分が見えてくる。
同じ事を自分の心に対してもやってみればいい、自分の思うことを列挙していき、毎回その共通点がなにか考えてみる…、すると自分では思ってもいない結論にたどり着く何てこともよくある。「ああ、自分はこんな事考えていたんだ」などと納得したりする。
最近人気の漫画「宇宙兄弟」でこんなシーンがある。主人公は宇宙飛行士を目指している、ある日自分が事故死した場合の処理に関する書類へのサインを迫られる。危険な仕事だから当然なんだけど、主人公はビビる、初めて自分が死ぬ可能性について考えた、けど、「死ぬのはいやだ、だけど宇宙に行く前に死ぬのはもっといやだ」と考えて彼はサインをする決意にいたる…
わかるだろうか?つまり「死ぬ」という項目と「宇宙に行きたい」という項目、そして「死に関する責任の書類へのサイン」という3つの項目がある。主人公はそれぞれの項目にはそれぞれの思いがあり、悩むわけだが、この3つの項目を同時に考えた場合その共通点は何か?と考える訳だ。
死ぬのは怖い、宇宙にいけないのも怖い、同じ怖いならどちらの方が怖い?と考える…
「死ぬのはいやだ、だけど宇宙に行く前に死ぬのはもっといやだ」という結論に達してサインするという最終決断にいたる。
自分の心にある葛藤を一通り紙に列挙してみると頭のなかに押し込めているときよりも違う解釈が出来ることがある。もし、列挙できないというなら時間をかけて少しずつ思いついたときに書き足してゆくといい、時間とともに項目が増えていき心が見えてくる。もしどうしても出来なければTVを見ながらその時思ったことをメモすればいい、例えばこの主人公気に食わないとか、こういうシーン好きだとか、この特集にはこんな事思うとかメモしてゆけば、自分という人間が普段どんな物の感じ方考え方をする人間なのかがメモを通じて客観的に見えて来ます。
これら手段は“論点を絞り込む”と一般には呼びます、論文などを書くときに通常使われる技術です。
絞り込んだ“論点”から、2つのものが導き出せます。その論点にいたった“理由”とその論点から導き出される“結果”です。“論点・理由・結果”と三つあることからこれら手法を三段論法と呼び、情報の整理に活用されます。
え、?わからない?そう思うと思います。僕も最初ピンときませんでした。けど、本を読んでいるうち、時々感じる話がかみ合わない理由は何だろうという日常の疑問、これが論点がずれているからだ!と気づきました。そして実際に話していて論点がずれているとき「この人とここまで話しがかみ合わないのはきっと言葉で表現している事以外の事を主張したいんだ」と考えるようになるとなるほどそういうことかと思う事が多々ありました。
えらそうな事書きましたが、実際僕もぜんぜん出来てなくて3日経ってから、「ああ、そういう事だったのか!失礼なことしてしまった!」と気づくこともあります。訓練で向上できると信じたいところです。でも、気がつかないよりは遅れてでも気がつく方が何倍もいいですから。
〔土曜日…、9日目〕
10時間半のフライングで、
こんな事思い出した、あの東京での日々エスカレートする悪意の時期、四面楚歌という言葉を地でゆくある日ふと無意識にこんな事思いついた、久しぶりに映画「シンドラーのリスト」が見たい…。
実にシュールな考えだった、実際に周囲から24時間白い目で見られている中、現実の歴史で60年以上前ドイツで迫害されたユダヤ人の映画を見る…実にシュールだった。そのシュールなシチュエーションに身震いした。最悪の状況下でも楽しむ方法があるというなんとも表現しがたい感覚。
そのときの感覚はここでは表現できないなんとも言い難い感覚だった。同じ映画なのに身近にリアルに見えたのは否定しないけど、そんな安っぽい感想では言い難い感覚だった。わかるだろうか?少しでもこの思い伝わるとうれしいなと思う感じです。でも君はそもそも映画あまり見ない人だったね、ま、有名な作品なのでもしかしたらどこかで見る機会があるかもしれないので、もし、そんな機会があったら僕がこんな事言っていたと思い出してもらえると嬉しいです。ただ、この時期君があんなに頑張ってくれたからこそ頑張れたというのもあるわけです、だからこそこんなシュールな事思いついた。心の余裕は大切です。君との思い出があったからこそある心の余裕でした。
君が頑張れるなら、僕も頑張れます。そう思います。
君は今どんな状況下にいるのか心配しています、君は強い人です。だから大丈夫です。
時々、こう感じます
山崎まさよし「One more time , One more chance」を聞きたい気分の時は17年前のあの日の2人に心が傾いてる…
坂本冬美「また君に恋してる」を聞きたい気分の時は、現在の君に想いをはせている…
そんな感じの日々です。
17年前、卒業後君は再び僕の前に現れた、いまは待ちます、17年前は早々にあきらめたというミスをした。もう2度と同じ間違いはしたくない…、何度も書いたけどそう思います。
〔日曜日…、10日目〕
14時間半のフライングで…、
こんな事思った、君に問いかけます。
周囲で自分と同じ物を持った人と出くわす、そんな経験した事ないだろうか?
自分が言ったことが周囲で起こるという経験した事ないだろうか?
僕はあります。
最初に感じたのは、本屋で働いていた頃マクドナルドで文庫をなくし結局同じ本を買う羽目になった後、お客さんで同じようになくしたので同じ本買ったんだよとわざわざ言いながら買うおじさんに会った時、まあ、偶然かなと思った。
次に感じたのは「人間集中するには体温上げるようにすると楽に集中できる」といった類のことを店のある人物にしゃべった後、その関係の本がやたら売れまくる…、というか例外なくその本を買い求める人はわざわざレジにいる僕にその本の場所をたずねてから買う。通常そういう本はどこかで紹介された場合が多く、どこで知ったのか訊くと皆よろこんで教えてくれるものだがその本に関してだけは皆言葉を濁す。
なんかピンときたけど、まあ偶然という事にしておこうと思った。
ネットで見た。ターゲットとわざわざ同じ服をきて“彼ら”がつきまとうという話、しばらくは気がつかなかったがある日気がついた、
僕はワークシャツの類をよく着る、ワッペンのついてるシャツ。最近はチェックのシャツにワッペンがついてるものが流行だけど、そうでなくどちらかというとモータースポーツ系のイメージの物、古着屋で買い求めたものが多く同じものは滅多に見ない、だから苦労したみたい、同じシャツがないから…、ある日店頭で明らかに似合ってないダサいワッペンのついたシャツを着たお客さんを見る。そのデザインのやつならうんざりするほど古着屋でたくさん見たし、ダサいので絶対買わないと思ったし、実際着ている人をその時初めて見た。「いるんだこれ着る人」と思ったのが最初。
それから何人か似合わない同系のシャツの人を見た。なかにはちゃんとしたやつ着た人もいたけど、前述した通り今の流行とは明らかに違うので違和感を感じた。もともとこの服と同系の服の人に滅多に会わないからついつい観察してしまう。なかには年配のおじさんも無理して着ている場合もあった。
理解できない状況が大量にぶつけられると、脳の前頭葉が麻痺してしまう…、やはりこれも催眠の技術の一環なんだと思う。ごく最近も最近買ったばかりの自転車と同系の自転車が気がつけば駐輪場で横に止めてあるというのがあった。ま、偶然という事にしておこうと思う。
催眠の恐ろしさは気がつかないととんでもない事につながる。
ネットで見た、“彼ら”にターゲットにされたと思しき女性、催眠の存在は知らない。彼女曰くある日突然外の自動車の騒音が大きくなり、そして元に戻った、とある。
おそらく外の騒音が不快になるよう暗示をかけられた結果だと思う。僕の家の外にもアイドリングしたまま無意味に停車している車がいた事を以前書いた、不快な耳鳴りのような音である「ジジジ…」という聞こえるか聞こえないかギリギリの音を定期的に聞かせる。これが暗示になり、同系の音を聞けばそのときの不快感もよみがえる…?そんな所だと思う。あたらずしも遠からずだと思う。
この女の人も同じ類の暗示をうけたのだろうか?不幸なことにその女性は催眠と気づかず電磁波で攻撃を…、などと言い出していた。こうして理性が破壊されてゆく。このあたりが暗示のおそろしい所です。 ほかにも調べるとこの類のこと言う人がたくさんいる、一人一人に説きたいくらいだけど、僕の目的はあくまで君と再会することであり、寄り道している余裕はないという事なのだ。ま、僕ですら気づくのからいづれほかの人も気づくでしょう、僕はともかく君だけを見るのに専念しようと思います。
何が言いたかったのか?それは、君の周囲でこんな事が過去でも現在でも未来でも起きたとしてもあせらず冷静に対処していれば大丈夫ですと君に伝えたかったわけです。
君の周りにも何か変化はあっただろうか?いい方向に変化があれば何よりなのですが。
〔月曜日…、11日目〕
かなり日付が前倒ししています、まあ月曜日相当分の記述と考えてください。あとあと読み返すとき1日たくさん記述してあるよりある程度区切られていた方が読みやすいはずです。なにぶんこれは小説ですので。
こんな事思った、君は高校の卒業アルバムまだ持っているだろうか?吹奏楽部の集合写真、2人前後に並んでいる、これを見ただけでなんかいろいろ思い出す。手持ちの写真と一緒にみるとさらに記憶がよみがえる。写真の君はやはり動いてない分かわいくない、でも動きが加わった君の姿を写真を見ているとだんだんよみがえってくる。君は人を見るときじっと見つめてはにかんでいる、見つめられると抵抗しがたい感覚に陥るのをよく思い出す。
こんなにかわいい子が自分ごときのためにあそこまで心を開いていてくれたなんて…、
別のところでも書いた、外見がかわいいだけではこんなに好きにはならない、何か通じる感覚があったからこそ17年もずっと気にしていたし答えを求めていた…、けど、こうして改めて写真を見て当時の記憶、それも映像として記憶している君のしぐさなどを思い出すと本当に圧倒される。
覚えてないかな…、あの事。普段僕が「かわいい」と言っても「かわいくないよ」としか言わない君が、ある特別な行動をしてくれたとき初めて「ねえ(私)かわいい?」と僕に訊ねた。あの時のことだ、もし覚えていてくれたら感動なんてもんじゃない感じがする…、もし忘れていたとしても、自分ならどんな時こんなセリフ言うかしらと17年前の君に聞いてみるといいと思う、動作から記憶がよみがえる可能性もある。眠りにつこうとしたとき急に思い出すなんて事もたまにあるし。
あの時はたしかにかわいかった。外見のかわいさに加えてそこまで親しくなれた事もうれしかったし、本当に心を開いたあこがれの女の子にただただ圧倒されていた。ホントかわいかったです。
〔火曜日…、12日目〕
また少し前倒しで…
最近気づいた、僕は何度も書いた、オカルトは信じない。別にどっかのドラマをまねした訳ではなく、まえまえからそう思っていた訳だけど、最近知った、ドラマ「ガリレオ」の主人公も同じこと言ってる…、マネと思われたらやだなーと知った瞬間思った。ま、いまさらもう遅いけど、それでも君にこれが伝わればいいやと感じた。
高校時代、UFOの話をしてびっくりしていたのを覚えている。当時からSFが好きだったからその延長線上に“話題”として好きだっただけで信じてはいない。マジェステック12の話とかそういう胡散臭いのがSF的で好きだったのだ。ちょうどTVでその手の番組がやっていて面白いなともう一人の男子トロンボーンのメンバーに話していたら近くにいた君が「(UFO)信じてるの!?」と言って話しかけてきてくれた。覚えているだろうか?
あれもオカルトを信じていたわけではなく、話のネタがもつケレン味が好きだった訳です。どこまで通じたのだろうか…?君は楽しそうに僕を見た、軽蔑はしていない、なんか面白いところ見つけた!という感じで僕を見た。なんだかこそばゆく照れたけど、嬉しかった。あれはトロンボーン3人で楽器と楽譜を持って中庭にいた時の事だ、なにかの理由で中庭を移動していた時の事、映像としてそんなシーンとともに記憶されている。
何がそんなに面白かったのだろう?時々君は僕が特に意識せず言った事ややったことに目を輝かせてくれた。あのときのあの感じは何だか言葉では語れない物があります、あの感じもう一度どうにかならないものかと17年前の僕が言っています。今の僕はそうだよなと同意します。ごめん抽象的な書き方で…、通じるだろうか?現在の君と君の中にいる17年前の彼女はどう思っているのだろう?ぜひ訊きたいです。
〔水曜日…、13日目〕
また前倒しで書きます、
こんな事思った
映画「ティファニーで朝食を」を知っているだろうか?オードリー・ヘップバーン主演の有名な映画。主人公のアパートだったかな?に住んでいる風変わりな美女の話。唯一の楽しみは宝石店の前でウインドウショッピングしながら軽食で朝飯を食うこと。決して買い物はしない。華やかにみえてどこか陰のある女性に主人公の男は惹かれる。
当時のアメリカ、50年くらい前かな…。保守的なアメリカ人にはある因習があった、そしてそれはイギリスなどでは嫌われる習慣だった。この習慣は広く白人キリスト教社会に蔓延していて、明らかに法律違反なのだが黙認されていた。オードリー・ヘップバーン演じる所の彼女はその習慣の犠牲者で逃げていたのだ。
その習慣とはかなり若い時点で男性(年配者も含む)と結婚するという習慣だ。
実はチャップリンもそうだし、当時の有名ロックスターもまたいとこと結婚してイギリスでひんしゅくを買っている。当時公にできないアメリカ人の因習だった。主人公の女性も10代前半で結婚させられ、たまりかねて都会に逃げてきたというストーリーになっている。だから、男性に対しては物凄い警戒する。
この映画の安っぽくない所は、このあと彼女の旦那が連れ戻すため田舎からでてきて主人公の男性と対決するのだが、実にいい人で悪人ではないのだ。おそらく、当時本当にこの因習は一般に浸透していてへたに悪人に設定したら観客が見てくれないという配慮があったんだと思う。そしてそれが故この映画は単純ではなく奥の深い作品になっている…。
主人公の女性は猫を飼っているが名前はつけない、単に「猫」と呼ぶ。それは管理されたくない自分への投影だったのかもしれない。
ラストシーン、土砂降りのなか彼女は猫を放つ、あなたは自由なんだから、どこへでもいけるのだから!という意味で放つ。なぜそんなことをしたのか?主人公の男性にプロポーズされたからだ。管理されたくない主人公の女性は自らの分身である「猫」を放つことで自由を主張する。けれど、しばらくしてわれに返る、こんな土砂降りの中放つなんてどうかしていた!自分は愛されることを怖がっていただけだと気づく、主人公の男性の思いを受け取りキスをする、そして猫も無事みつかり2人と1匹はハッピーエンドになる。そんな終わり方をする、名作です。
君の事を考えていたら急にこの映画の事を思い出した。ずいぶん昔にも似た事を思う人がいたんだなと思わず思ったわけです。どう思う?君は。
ちなみに随分前に見たので間違いもあるかもしれないけど、だいたい合ってるとおもいます。僕が見たときは白黒をカラーに加工したバージョンだったけど、最近のDVD屋には白黒版しか置いてないような気がする、おそらくカラー版の方が版権が高く安く仕入れられないためかなと勝手に憶測しています。
こんな話でも興味をもててくれただろうか…、やはり顔を見ながら話たいと思う今日この頃です。
→ごめん訂正です。この映画は最初からカラー作品でした。どうも「ローマの休日」とごっちゃになっていたみたいです。どうもひかっかっていたので調べたら間違っていました。カラーです。
ちなみに「ローマの休日」が白黒で、こちらには着色カラー版があります。そちらと間違えました。
そういえば日本が女性は16歳で結婚できるというのも世界では異例な制度らしい。
この制度、ドラマ「あぐり」などでもみられたが、もともと上流階級の人たちが自らの家系を守るために早めに結婚させたいという思惑があり、女性のみ早く結婚年齢に達する制度にしたらしい。男女で結婚年齢に差があるなんてどう考えてもおかしいのにいまだこの制度のままなのも、日本の法律がいまだに男尊女卑の影響下にある由縁だと思う。ピルの認可の時だって、バイアグラは速攻で認可したくせにピルは何十年もかけた。配偶者特別控除にしても男が女を無料で養う制度になっているのにどのくらいの人が気づいているだろうか?母子家庭の支援制度にしても父子家庭は対象外になっている。
別にいいじゃないか、そういう人もいるでしょう。それを民度と呼びます。
民度という概念は残念ながら確かに存在します。日本人はとかく中国や他のアジア諸国の民度の低さを主張します。中国で有人ロケット打ち上げに成功したときがいい例で、誰一人素直に祝福しない、どちらかというと「低い技術しかないのに無理しちゃって」という論評が多かった。中国人は民度が低いという考えが日本全体に蔓延しているように感じます。
でもそういう日本人が自分たちの民度の低さには無頓着だったりするわけです。
法律や制度が今だ旧態然として改善するいよくすらない。裁判員制度はどうか?あれは改革だろという人もいるでしょう、けどあれはおそらく法曹界の人たちが自らの国際的地位向上のために国際スタンダードにしたかっただけだと思います。裁判制度を改めたければ20日間も拘留できる制度を改めるべきです。アメリカでは48時間しか拘留できません。冤罪率の低さは見習うべきです。
「かしこい豚と頭の悪いソクラテス、どちらがいい?」みたいな逸話がありますが、まさに民度とはこの例えに終始していると思います。
〔木曜日…、14日目〕
正確には火曜日の出来事、もう普通と思っているといたりする。具体的には書かないけど、今日はそんな日でした。つまり、ここに書くこともつつぬけなわけで、しかたない事だけど、2人っきりで話したい事もいろいろあります。
覚えているだろうか?
あれはいつのことだろう…、なんでそんな話になったのか思い出せないけど、ある日僕はこう言った。
「仮に将来漫画家になれないとしても、漫画だけはじいさんになっても趣味として書き続けると思うよ」
君は楽しげに聞いていてくれた。教室での記憶、多分部活中、パート練習の時の話。練習中の雑談。
実際今も諦めてなかったりします、これをなくすと自分の足場がなくなるようで…。人間大切なものはあるものです。どう折り合いをつけるかが目下の課題です。
仮に君と一緒でいられたら漫画なんてなくても大丈夫だと思う、帰ったら君がいる、そう思うだけで仕事のしがいがある。けど、今はそれもない。
東京から脱出するあの日、君に会えるかもと思ったあの日。もう10年は漫画なんてかくまいと思ったあの日が懐かしいです。でもあきらめません、待ちます君を。君が頑張り続けるがぎり。
〔金曜日…、15日目〕
そもそも東京で最初に異常事態に気がついたのは店頭でおばさんに「刑事がいるのよ」と言われたのち尾行に気づいてからだ。先に記述した方法でプロっぽい集団の尾行はかわすことに成功したと感じた。けど、その代わりシロウトくさい尾行が目立つようになる。最初は気にならなかったが警察を巻き込んだ攻撃をかわしたのがよほど気に障ったのか2009年3月から9月にかけて日に日にエスカレートしていったわけだ。
けどそれ以前2009年3月以前も東京で3年近く狙われてたと思う、なぜそう思うのか?気がついて振り返ると確かに奇妙な出来事が3年間あった。
いつも電車内では仮眠していた、少しでも漫画を描く余力を保ちたいからだ。けど、その日は読んでいた小説があと少しでラストシーンを迎えるところだったので気になって帰りの電車内で読んでいた。気がつくと目の前の女の人がずーっとこちらを見ている、横の女の人もそう。けど、この時は別の理由だと思った、なぜなら僕は斜視だ。特に読書中は利き目を使うので利き目でないほうは外側に傾く、おそらく目の前の人はその様子が気になって見ているのだろうと思った、横の人は利き目でないほうの目で見つめられているとでも思ったんだろうと思った、さすがに斜視を何十年もやっているといちいち人の目線を気にしていられない。世の中には人の生まれつきの異質さに恥ずかしげもなく不思議がるやつはいるものだと自分を納得させて本を読んだ、尾行に気づくずっと前の事、3年以内の事。この3年にはほかにも色々あった。
電車内で仮眠していると近くでずっと話している男の声がする。印象としては100%よいしょ人間が全力で誰かをよいしょしている…、イメージとしては饒舌な「エスパー伊藤」みたいなイメージの声、そんなしゃべり声が寝ている間ずっと聞こえた。かなり近くでしゃべっていたらしく結構な音量。目的の駅に着き目を開けるとどうやらこの人はずっと寝ている僕に話しかけていたらしい、奇人変人の類か、と思い無視した。この手の奇人変人はもう何度か電車内で遭遇している…、どう思う?そうそう会うタイプの人間じゃないと思うけど。
電車内で仮眠していると定期的にこんな声が聞こえた、
「こんなやつ何で…しなきゃいけないんですか!」
複数の人間がいるのが気配でわかる、「…」の部分は毎回聞き取れない、そして毎回若い声で同じセリフを3ヶ月か5ヶ月に一度僕が仮眠している近くでおこなう。
「いつも寝てるじゃないですか」というセリフもあった。
我ながら自分でも本当に鈍感だなと今は思う、これで気がつかなかったんだから…。17年前の君が僕の鈍感さをどんな風に見ていたのかその一端がわかる感じです。それでもあんなにやさしくしてくれた君はやっぱすごい人です。
満員電車内、朝、運良く座れた日、いつものように目的地まで仮眠していると足に傘があたる。目の前に立っている乗客のものだ、普通でないくらい物凄い力でグイグイ押してくる。
「今日はそんなに込んでいるのか」
などと思いながらうつらうつらしていると、その傘を押し付けている男と隣の乗客がもめだす、聞いているとこの傘の男、不自然にグイグイ押し付けていたのでとなりの女性に何度も体を押し付ける結果になり、女性が文句を言ったのだ。
この傘男のバカなところは、この後ターゲットを隣の女性に変えたらしく傘を女性に押し付け始めた。女の人が切れると、そのバカは「わざとやってんだよ」とはき捨てる。第3者の僕が証言すればこいつを突き出せる状況、どこまで気づいたのか分からないけど僕が目を開けると黙ってしまった。
別の時間、別の電車で僕はこの「傘攻撃」をもう一度うた事がある。それも今度はがらがらの電車で、あきらかないやがらせ、サラリーマンの間でこれはやってんのか?と思った。根競べで負けたことはない、案の定向こうが負けて、引っ込んだ。今度は傘が滑って僕の隣に座っている人に体ごとぶつかったからだ。この程度のプレッシャーでつぶれるようではマンガなんて描いてはいられない。いつの間にか心の耐久値が上がっていた。
何度も書いたけど、電車で移動中基本仮眠している。ある日座ることが出来なかったのでつり革につかまった状態で立ったまま仮眠をとる。意外と慣れると立ったまま仮眠って出来るものだ。駅に着くたび座れそうな席をさがす。すると席は空いたのだが開いた席の前に女の人が立っていた、ゆずるべき状況だ。なのにその人は離れた場所にいる僕に席を譲る、ゆずるなら候補はほかにもいる状況。ただ寝たいのでそこは遠慮せずお礼を言って座ったけど、まるで僕がいつも寝ているのを知っているような顔だったのが印象的だった。この人はどうだったのだろう。
これは異常事態に気づいた後の事なんだけど印象的だったので書きます。
帰宅時いつもとちがう電車に乗った。見つめられるのにウンザリだったからだ。席は埋まっていてつり革につかまった。さあて立ったまま仮眠を…、と思っていると、視界の範疇にいたドアの近くにたっていたいかにも管理職って感じのおじさんがの顔つきが変わる、そして携帯を取り出す、印象としてはまるで不良中学生から万引きを指示されて怯えながら実行しているおじさんという感じのびくびく動作で携帯を操作し、しまう。
すると次の停車駅からまた“彼ら”が増え始める。また睨み続けるあれがはじまったわけだ。こうして何人の犠牲者がでたんだろう…
まるでホンダ車に搭載されている「インターナビ」のようだ。ホンダは全ての車のナビがホンダのサーバーとつながっていて全てのホンダ車は車の持ち主の意思とは関係なく渋滞情報をサーバーに発信していて、独自の渋滞情報監視システムを構築している、そして他社のカーナビより優位な立場を持っている。あれに似ている。いいシステムだと思うけど、まさか人間インターナビがこの世にあるとは普通は思わない。機械でやるのは日本っぽいけど、人間でやるなんてまるで共産圏の発想。(ウエザーニューズと比較はしないでほしいところです、あれは強制ではなく、みな本心から楽しんで参加しています。)
異常事態に気づく前の3年間の変わった出来事に関してはまだまだありますが、後述します。
ともかく、君につたえます。油断してはだめです。あのしつこさは普通でない、けれどここは法治国家です。彼らも表のルールを破れない、そこがポイントです。
〔土曜日…、16日目〕
正確には今日は木曜日、2日日付が先行しています。土曜日相当の記述を便宜上しているのだなーと思っていただければ幸いです。
TVをみていたら秋葉原の事件の初公判が今日だと知った。どうも他人事と思えない、秋葉原はよく行ったし…。彼が被害者に出したという手紙、筋も通っていてまともだった、それ故恐ろしさを感じる。
君は僕が何を言いたいのか解るだろうか…、通じていればと感じます。
東京での出来事、君を探している事をさりげなく一番親しかった人物に告げる、9割がたその人もそうだと感じた、どの程度味方してくれるか知る意味も込めてその人に君の名を告げる…、効果はすぐ出る。それまで敵意全開だった周囲の空気が一変する。こうも筒抜けなのかと愕然とした。
年下店長がいた、初対面ではいい人だったのに誰かに何かを指示されたのか15分くらいでやなやつに一変して嫌がらせをするようになった彼だ。やるにしても三下丸出しの態度に哀れを感じた。(三下=時代劇で使われる下っ端の手下の意味、もともとは賭博用語で3以下しかサイコロで出せない勝ち目なしの目立たないやつという意味)
彼は別れ際わざと嫌な分かれ方をする、最初はこいつの個性かと思ったけど違うと感じたのはまさにその日だった、君の名を告げ周囲の空気が変わった日、彼の態度も1日だけ変わった。別れ際も普通の人だったし、彼以外のお客さんも含めて変わった。
そのまま態度がかわった人もいれば、すぐ元に戻るひともいて、いろいろだった。三下の彼は1日で元に戻った…、でもこんな強固なやつの態度を崩すほどの威力が君の名にはある、そう思った。何か確信するには十分な要素の1つだと思った。
何が言いたいのか?
何もしなければ、何も気がつかなければ、何もできないし、何も変われない。もし戦っているなら頑張ってほしい、僕は生き延びてここにいます。君のおかげです。君がいなければ現在の僕はいない。
(※ティファニーで朝食を、について記述した日の分、少し加筆しました。)
〔日曜日…、17日目〕
2日ほど先行して書きます。
君と一緒にいた頃よく読んでいた小説は、イギリスの作家ジェフリー・アーチャーの作品だ。「ケインとアベル」とか「ロスノフスキ家の娘」とか好きで読んでいた。よく制服のポケットに入れていたのを覚えているだろうか?あまり君と本について話はしなかった。
今でも本は読む、といっても並以下の読書量で、世の中で“読書家”といわれる人種は信じられないほど本を読んでいる…。
何で本の話を?と思っただろうか。こんな事思ったからだ。
「ハゲタカ」という小説がある。呉服屋の放蕩息子がミュージシャン目指してアメリカにわたるもののアルバイトで始めたファンドの下っ端仕事が妙に板につき、金融業界で出世して帰国、乗っ取り屋として企業を買収してゆく話。
この中でこんな話がある、ある日本企業が乗っ取りの渦中の中自殺者が続出しているという記事が出る、けれど、実はその企業は大型企業なので毎年20人前後の自殺者がでていて間違った記事だった。
乗っ取りとは関係ない自殺者数をさも乗っ取りが原因で自殺者がでていると“誤認”するような記事を出して空気の流れを変えようという試みだ。
似た話は現実の世界でもよくある、大学教授が「むかつく」という言葉がどのくらい若者に浸透しているか調査したときの結果で、実は若者の半数がこの言葉を使わないと答えた、その教授は主張する、今の若者は思ったほど言葉が乱れていないと…。
でも冷静に考えると半数が言う側の人と考えると、残り半数は「むかつく」と言われる側になり、その言葉を使いたくないのではないかという推測も成り立つ。調査結果の意味が変わってくる、もし使うか?ではなく頻繁に会話に登場するか?と訊いたらどうなるか?この場合なら「むかつく」という言葉の浸透率は相当高くなる…。言われている人は言わないだけで言葉自体は知っているわけだ。
何が言いたいのか?
簡単に信じると簡単に流されてしまう…、必ず何か説明されたり、諭されたりした時は裏をとる努力が必要だと思う、完璧には無理だと思う、けど、心に常にこの考えを置いてあるのとないのとでは明らかに違いが出ると思う。特に数字に関しては裏をとりやすい。
話は少し戻って高校3年の時、僕の周りにも君の周りにも“彼ら”が張り付いていて何もできなかったあの日々の事、僕に張り付いていた1人が突然「小説貸して」と言ってきた。
けれど貸しても感想の類を言わない、時間かけて読んでるのかなと思い遠慮していたら結局借りたことすら忘れている始末、「もういいよあげるよ」と言った、俗にいう借りパク状態。
こちらの人格でも本借りて調べていたのだろうか?当時はまあいいかと思ったけど、今になって悔しくなってきた。少しね。
当時は遠慮して出来なかったけど、こんな事なら強引にでも君に本を貸せばよかった、そうすればもっと話の幅がひろがったなと、そう、思います。こんな事いうと17年前の君は困惑しただろう…、今の君もやはり困惑するのだろうか?そんなことを思いました。
あと書き忘れました、君があまりTV好きでないのは知っている…、けれど「東のエデン」というのが面白いです。すすめてもたぶん見ないと思うけど、このタイトルは知って損のないものです。
もしビデオ屋で見かけたら、だまされたと思ってみてください、たぶん君好みだと思う。
よくまあ毎回いろいろかけるよなと自分でも思う…、たぶん17年前もこの調子でしゃべっていたんだろうね、君はいつも聞いていてくれた…。
〔月曜日…、18日目〕
やはり2日ほど先行して…
久しぶりに「紅の豚」を見て思った、やっぱりあのときの浴衣は「白」色だったような気がする、最初の待ち合わせの神社で、輝くように白い浴衣を着た君の姿が映像として焼きついてる、でも青かったかもしれない…、そう思うのは日が暮れて暗くなったから白がそう見えたのかもしれない、なにぶん昔の記憶なので…、君はあの時の浴衣の色覚えているだろうか…、あ、でもやっぱり青ではない気がしてきた、なぜなら、あの日僕は青いアロハを着ていた、同じ色ならそう記憶しているはずだけど、そんな記憶はない、やっぱり白だったと思う。
映画館に入る前は手でも握ろうかなんて思っていたけど、映画が始まってから違う考えが浮かんだ、思っていた以上に女の子向けでない…、へたに何かして機嫌を損ねたら大変だ…、実はとなりでそんな事思っていたんです。当日に買ったパンフレットは今でも持っている、けど、買った当日映画館で広げた記憶がない、おそらく入ってすぐ始まったんだと思う。冒頭の日テレマスコット「なんだろう君(みどりの豚)」の字幕シーンは見た記憶がある、だから、入ってすぐ映画は始まったんだと思う。
上映中時折君の様子を見た、表情まではわからないが決してつまらなそうにしている様子はない、もし、つまらなそうにしていたら途中ででるつもりでいた。だから、映画が終わって意外にも君が満足していると判った時は内心ほっとした。
「最後キスするとこあるでしょ?震えがきちゃった」
満面の笑みで語る君を見てうれしくなった。
実はこの後4年くらいこの映画まともに見ることが出来なかった、見るたびに君の事思い出すからだ。ようやく大学生活も後半にきて見返せるようになった。思い出を封印できたわけだ、手紙をそうしたように…、けど、封印しただけで消したわけではなかったようで、こうしてまだ見るたび思い出が出てくる。
あ、あとこんな事思い出した、当時はパンフレット以外にも劇場でいろいろ映画関連のグッズを買う習慣が僕にはあった、入場時は時間がなくて商品をみる時間がなかったので、帰り際見ようかと思っていたら、君が妙にせかして外へ出ようと誘ったと記憶している、その時僕は、「早くお祭りに行きたいのかな?」と思い君の行動に同意した。けれど、あれはやはり人目を気にしていたのだろうか…、そんな事おもってしまします。
17年前の君はこの時実際はどう思っていたのだろうか?君の中にいる彼女が何て言っているのか17年前の僕が訊きたいと言っていると伝えてくれと、僕に訴えかけます。
〔火曜日…、19日目〕
やはり2日ほど先行して…
こんな事思った、そちらの世界の女の子の間では人と別れる際プレゼントは必ずしなければいけないと教えられているのだろうか?と以前書いた。あの下級生2人も何も打ち解けもしないのに退部の際丁寧にもハンドタオルをパートの人数分用意していた…
君がこんな事言ったような気がする。
「プレゼントは前に渡してあるものね」
いつだったか思い出せないけど、2度目の破局の前後くらいだと思う。なんか言っていたような気がした。記憶違いだろうか?正しい答えを知っているのは君の中にいる17年前の君のみです。
もし仮にそうなら…、あの写真たてが妙に豪華なものだったのも腑に落ちる。
別れ際にプレゼント…、もしそう教えられているとしたら君は相当暗示にかかっているように思う。プレゼントを渡すという事そのものは悪くない、けど、暗示にかかっているという事実は可能性として感じる、それも相当強力に。今はどうなのだろう…、年を重ね経験をつみ成長した君の姿を想像します。
君は“物”に興味を示さなかった、あくまで“気持ち”を何より優先していた、今もそんなに変わりはないのでは?と感じる。
もうある程度は人から教わらなくてもいい年齢なはずだし、教わるときにはいいも悪いも含めて低姿勢で教わらないといけないというのが社会のマナーだったりするけど、大切なものまで踏みにじられる権利は誰にもないように感じる。
もし、まだ戦っているのなら最高にうれしいです、やさしい人だから心配しています。頑張って。
あと、これは別件。ニュースでアメリカの作家サリンジャーが亡くなったとやっていました、彼の「ライ麦畑で捕まえて」は名作らしいです。らしいですというのはなぜか?実はまだ読んでいません。でも興味深い内容らしいので機会がきたら読みたいと感じている作品です。なぜすぐ読まないのか?それは本というのは読みたくなったときに読むのが一番頭にはいると僕は思うからです。無理やり読んでも面白くないと感じるからです。この小説内で仮に僕が何か薦めたとしても、読みたくなったときに気になったら読むことをお勧めします。娯楽とは本来そういうものですから。
ちなみに先に「東のエデン」というのを薦めましたがこれもテーマがサリンジャーの影響を受けているらしいです。
以前にも書きました、心の余裕を持ちつつ鬼となる…。そんな思いが誤解なく通じていることを祈ります。
〔水曜日…、20日目〕
やはり2日ほど先行して…
映画を見た日の事、書き忘れた事があった。思い出した、上映終了後、君ははやく外へ出ることを求めた、僕はそれに同意し出口に向かった。けれど通路は人だらけでどこが出口かわからない。
映画終了時は大概込み合うものだけど、あの日は人気作というのもあって立ち見もいたと思う。すごい混雑。階段をさがしたがどこかわからない。するよ近くの「壁」が開いた、中はガラガラ、どうやらエレベーターらしい、君を誘い乗り込む…。
ここからだ印象的なのは、さっきまで仲良くしていたのにエレベーター内ではまるで他人のように君は振舞った、やはりこんな映画誘って機嫌を損ねたのだろうか…、失敗したなーと思っていると、エレベーターを降り、2人一緒になるとまたもとの君に戻った。
「私も賭けをしてるの…」
そう君が言ったのはたぶんこの辺りでだと思う。いつもの僕なら「何を?」と問い詰めるとこだが人ごみにかき消されて出来なかった、そんなイメージで記憶しています。
君の現在の状況がわからないので、こういう事もあるよと話題を提供する意味を込めて書きます。
ある家庭では節税対策としてシロウトにはわかりづらい複雑な資産譲渡や不動産登記をしていると聞きます。そして時にそれは脱税と解釈されかねない法律ギリギリの行為も含んでいるとの事です。
可能性の問題です。君は立場上その家の登記簿は無論の事資産状況を調べることも出来るかもしれない、理解できなくても資料だけでも集めておけば何かの役に立つ日が来るかもしれない。
あくまで可能性の問題です。
弁護士選びの時もこういうありえないようなややこしい相談(提示した資料に法的な問題点、例えば脱税のような…を探してみてください、とか)に対しても真摯に対応してくれるところが良いように感じます。この辺りは経験則がないので…
もし仮に本当にまずいことがあるなら資料を集めているという行為だけで相手はプレッシャーのはずだし、逆に何もない場合でもやって何か損をするわけでもない。
不動産の登記簿は自治体に問い合わせれば詳しく教えてくれます、どこでどうすればコピーをとれるか。そして不自然な登記がされてないかプロにみてもらい、普通でない登記がされていれば何かある可能性が高いです。
なぜこんな事書くのか?裁判所で争うなら材料は少しでも有利なほうがいい、と思うからです。
〔木曜日…、21日目〕
3日ほど先行して…、実際は月曜日22時です。
ニュースで報道している、貴乃花親方が理事選で当選したそうです。時代が変わろうとしているのを感じます。角界も彼らが多いとうわさで聞いていたけど、僕が君の名をさりげなく提示して探していることをアピールしてから後、自衛官が制服(たぶん礼服?)で店に来たり、雑誌の関係者がきてわざわざ名刺出して領収書もらったり、そして相撲取りが2~3人来たり(まげの感じから新弟子クラスかな…)そして筋金入りが急増した。
話は変わって、このままいくと相撲はスポーツでなく伝統芸能になってしまいかねない、改革が必要だということで当選が決まったのでしょうか?何かが変わる風が吹いていればいいなと思います。
明日は雪かもしれない、そんな予報がされています。君は今どこにいるのだろう…、雪でこんな事思い出した。いつどこで、なぜそんな話題になったのかわからないけど、僕は君にこんな事話した。中学生の時、雪の中自転車に乗っていて長い下り坂を下っていたらブレーキが雪で効かなくなり大変な目にあったと話した。猛スピードでブレーキも効かず坂を下る。
たぶん雪が降りそうな日に明日降ったら登校が大変だねみたいな事からそんな話題になったんだと思う。登校は自転車だった、それで中学時代の雪と自転車の思い出が出てきたんだと思う。君は真剣に訊き返した。
「それでどうしたの?」真剣なまなざしで訊く君。
僕はやむ得ず足でブレーキをかけたと答えた。なんとかブレーキのきく速度まで足で速度を落とし、なんとかコントロールを取り戻せた。もしコントロールを取り戻せなかったら軽く事故っていたと思う、軽く?いや結構な事故になっていたはずだ。
君もそう思ったらしく
「大丈夫だったの?」真剣に心配してくれる君。
「たぶん大丈夫だったんだと思うよ、現にこうして生きてるし」
あまり洒落てないギャグで返した。こういう時の洒落たセンスは本当にない。今でもない、へたに気の効いた事言おうとするとこんな具合にいまいち意味のわからないことを言う結果になる。それでも君は僕を嫌いにならなかった…、当時は不思議に感じた、今もそうだけど。でも心配されるのはなんだか嬉しかった、そんな記憶として記憶されています。
雪が降ったら、どこかで君も雪を見ているのだろうか…、そんな事思うわけです。なぜ降ってからこれをかかないのか?降ってからのが叙情的な気もするけど、もし降らなかったらこんな事書けなくなるので、降りそうだなと思「今」、書きます。今の君はどう思うだろう、相変わらずねと思うのだろうか?君の中にいる17年前の君はどう思うのだろう、雪の思い出がもっと欲しかったと17年前の僕が言っています。
今でも時々います、君のまわりはどうだろう…、心配です。君が頑張れるなら僕も頑張れます。
〔金曜日…、22日目〕
3日ほど先行して…、
昔、深夜ラジオで、誰だったか有名なイケメンで歌手もするし、役者もするし、ものすごい好青年キャラなのにラジオではその高潔なイメージにそぐわない下ネタやダメキャラな感じのトークでそのギャップが聞いてて面白かった人の番組、その人の名前が出てこない、徳永英明ではないけど、似たイメージの人、そんなかんじの人…、あ、書いてて思い出した、福山雅治だ。
福山雅治の深夜ラジオを聞いていた時のこと、多分中学か高校の時。電話でリスナーからの相談を受け付けるコーナーがあった、半分冗談半分本気みたいなコーナー。そのコーナーの中に印象深い相談があった。
相談者は男性で大学生、声からして気弱そう。相談内容としては、友人(削除)、断ったにもかかわらず毎日大勢の人が玄関前に押しかけてきていろいろ音を出すものをもって音を出し、出てくるまで続ける。困っている、という相談。福山さんも戸惑って断ればいいじゃんと答えるけど、電話の彼は「断っても来るんです」という始末、警察呼べば?とアドバイスされても電話の彼は口ごもる。どうやらもう実行済みな口ぶり、明言はしない。
福山さんはそのへんはっきりさせたくて確認しようとするのだけど、電話の彼はこれ以上話したくなくなったらしく、「わかりました警察呼びます」といい、消え入りそうな声でかろうじてお礼を言って電話を切った。アドバイスになったのかなあ、そんな事あるのかなあと釈然としない福山さん
これを聞いたとき、もし本当のことなら近いうちニュースでやるだろうと思い、気にしていたけどそんな事件はいつまでたっても報道されなかった。
これと似た事件のことを(削除)思ってしまう。
東京での猛襲の中、いつも見かける筋金入りが4人いた。ある日大胆にも4人そろって店に来て4人でレジに本をもってくる。こちらだって接客はプロと自認している、笑顔で「ありがとうございました」と言うくらいどうということはない。そしたらその(削除)はうすらわるい笑顔で「ありがとうございますだってよ…」と仲間内笑いをする。普通の感覚ならこの状況で普通に接客できるんだから尊敬されて当然な状況なんだが、(削除)まるで“こいつなにもわかってねーよ”という態度。お前らの方がよほど(削除)思うが笑顔で対応。多分店頭に立つとお客様主義になるよう自己暗示が僕にはかかっているんだと思う。暗示は使いようです。
これだけいろいろやって謝罪1つしない…、現在の静かな状況はこれが当たり前の状況なのであって、貸しはまだまだあると思うのですが。勇気に感謝するのと、結果に感謝するのは別物と考えます。
君がどこにいようと、どんな状況だろうと応援しています。何があろうと世界中でただ1人味方でい続ける人間がいることを忘れないでください。
(※そしてちょっとキツめの事書くと少しまた騒音がうるさくなります。僕が何を主張したいかわかるでしょうか…)
そして今久しぶりに「うたばん」をみていて思い出した、東京で長年友達していてくれた彼、彼が帰郷を止めなければ7年以上前に帰っていたと書いたあいつはどーゆーわけか石橋貴明が大嫌いだった。女をとっかえひっかえうんぬんかんぬんと非難する。女性遍歴を売りにするタレントは他にもいるし、第一こいつは小林よしのりに好感を持っていた…、何かピンきてネットで調べる。正直ネットのこの手のうわさは好きではないので普段見ない、無関係な第三者が日常のはけ口にしているだけでちっとも生産性がないからだ(…いや、役に立つこともある、少し言い過ぎました)。で調べる…、(削除)やはり、(削除)。君はこれを読んでいるだろうか?君はどう思うのだろう?今現在の僕が今現在の君に聞きたいです。17年前の僕らには知らせたくない、そんな引き裂かれてからもずっと長い期間監視されてる可能性なんて、ないと思いたいので当時の僕らには知らせたくありません。この言い回し、これを聞いて君があいかわらずねと思ってくれたなら記述の演出の成功といえます。うまくいっただろうか?ぜひ結果を聞きたいと“今”の僕が言っています。
〔土曜日…、23日目〕
3日ほど先行して…、
ニュースで貴乃花親方に投票したある一門の親方が裏切ったということでクビにされるそうです。ひどい話です。選挙した意味がない、自ら選挙が茶番であるのが当然だと宣伝しているようなもの。「義理、人情」がない、といわれてクビだそうだけれども、なんだか間違っている。逆に言えば「義理、人情」さえあれば何をしても許されると解釈されかねない。僕と君を17年前引き裂いた要素の1つにもこれが関わっているように感じた。
相撲の世界ではこの「義理、人情」のせいで、信じられないような低賃金労働が強いられている人たちがいる。人情を履き違えている。「東のエデン」風に言うなら「“あがり”を決め込んだおっさんたち」の勝手な思惑にいいようにされているとしか感じられない。
これは推測。おそらくだけど、君と同じような“目”に遭っている女の子はもっとたくさん、千人単位かもしくはそれ以上いるのかもしれない…。君が頑張ることは何かが変わるきっかけになるのかもしれない。何をやるにしろ“最初”の人間は大変な目に遭うそうです。
アメリカ初の黒人メジャーリーガーは試合に出るたび毎回罵声をあび物を投げられ続けたそうです、でも彼の努力のおかげで今日の黒人プレイヤーが存在します。
初めて入学を許された黒人女子大生は大学中の白人学生が入学反対のデモをして彼女の通学を妨害しようとしました、この時の州知事は立派な人で、「彼女には通学する権利が憲法によって保障されている」とか確か言って州の軍隊まで動員して彼女の通学をバックアップしました。彼女の勇気とその州知事の知性があったおかげで今のアメリカ黒人学生の地位があるといっても過言ではありません。
「“あがり”を決め込んだおっさんたち」の勝手な思惑にいいようにされてはいけないのです。言うべき事はいうべきです。最初から諦めていてはだめです。
沖縄の米軍基地移設問題も最近アメリカの態度が軟化してきました、ごねてみるのも時にはいい事のいい見本そのものです。最初アメリカ側も“日本”は強気で出れば絶対折れるという感じでした、国内にもこのままではアメリカの機嫌を損ねて大変だという論調が目立ちました、いつもならこの辺で政府も折れるのですが、さすが“宇宙人”と言われる鳩山総理、のんきに鈍感やってたら向こうが折れてきた。何十年も日本人は「アメリカ政府が折れるなんて事はありえない」と思っていただけに関係者にはきっと晴天の霹靂でしょう。世間ではこういうの“鈍感力”というそうですが、僕は“宇宙人力”と呼びたいくらいです。(…まさかこれを書いた後この言葉がTVに出ることはないと信じたいところです)
こういう“宇宙人力”?まあネーミングの程はさておいて、こういう感覚、僕もあるし、君もあるように感じる。同じではない、微妙にちがう…、けど、他の人となんか違う感覚というのを2人とも持っているように思う。これはたぶん武器になるはずです。他人と違う発想こそ君の武器になるはずです。
今も戦っているのだろうか…、頑張って。
〔日曜日…、24日目〕
4日ほど先行して…、
君が映画を見ない事は知っているし、これはおすすめ映画ではない、けれど、こんな事思った。
「パーフェクトワールド」という映画がある。ケビン・コスナー監督作品で比較的地味な作品だ。舞台はちょっと昔のアメリカ、主人公は脱獄犯。逃げる過程で車を盗もうと入った家の住人に発見されてしまい、その家のちいさな男の子を人質にして車を奪い逃走する。
この映画ははこの逃走犯の男と人質の男の子の2人旅を描くロードムービーの体を成してゆく…。ちなみに2人を追う刑事を監督のケビン・コスナーがやっている。
この映画の面白い点はこの男の子にある。地味で希薄な少年、聞けばいままで1度も「コーラ」を飲んだことがない、犯人の男は思わずコーラをおごってやる。「アメリカ人なのにコーラも飲んだことないなんて…」と思った犯人はこの子がどんな家庭に育ったのか話を聞くことにする。
少年の家庭は当時アメリカによくいた保守的な家庭で俗世間の悪癖は害になるからと拒む家庭だった、男の子はハロウィンの祭りでお菓子ももらったことなければ、アメリカでは一般的な移動遊園地にも行った事がない、それを聞いた犯人の男は少年にいろいろ買ってやる、お化けの衣装を買ってハロウィン気分も味合わせてやる。彼はいい人?いや違う、彼は理由さえあれば簡単に殺人のできるゴロツキだった。なのになぜ少年にやさしかったのか?理由がある。
この男も実はこの少年と似たような家庭環境で育った経緯があったのだ、その世間ずれした家庭に反発しグレて身をやつし殺人犯になってしまった。それはそれでこうなったのは自分の責任だ、だが、いまだにこんな目にあっている子供がいるなんて捨て置けない…
彼を追うケビン・コスナー演じる刑事はいぶかしがる、追跡していると犯人の立ち寄り先で調べるとどうも少年と仲良くしているらしい…、ありえない!あの凶悪犯が!と思う、なにを隠そう彼を逮捕したのはこの刑事なのだ。それだけに男の事はよく知っていた、少年と会い、何かが変わったと刑事は感じる。
ラストシーン、草原を走る犯人の男と少年、周りは警官に包囲され逃げ道はない、狙撃隊もいる。警官隊は少年がいるので手が出せない。犯人はすっかり仲良くなった少年を解放する気でいた、けど、解放する前に1つだけやっておくことがあった、少年のために彼にしか出来ない事があった、男は警官隊に少年の母親を呼ぶよう命じる、急遽ヘリが用意され母親が到着。犯人は警官隊の中にいる少年の母に叫んで言う「約束しろ!」と叫ぶ、少年にアメリカ人の少年が当たり前にする当たり前の生活を保障しろと。コーラもハロウィンも許してやれと。どこまで通じたのか解らないが母親はうなずく。それを見て男は少年に母親の所へ帰るよう促す、男と少年は最後の別れをする。
少年が解放された瞬間男は狙撃され絶命する。空気は事件解決!一安心という空気になる、でもたった1人だけ違う、ケビン・コスナー演じる刑事だ。彼は奇跡を感じていた、あの凶悪犯が改心したなんて…。そして彼の死んだ今、彼の改心に気づくのはこの刑事だけだった。男は凶悪の限りを尽くしたが最後にたった1人の理解者を得て亡くなった事になる…。そんな終わり方。地味だけど印象深い。
一方代わって「赤毛のアン」の中にもこんなシーンがある。アンはいつも古めかしいデザインの服を着ていた、妹のマリラがそう決めた事だと家長のマシューは思う、マリラはいつも正しいがなんとかしてやりたいと感じたマシューはアンに新しい今風の服を作ってやる事に決めた。1800年代のカナダの田舎では服は手製と決まっていた、そこでマシューは隣人のリンド夫人に服の製作を依頼する。リンド婦人は言う。
「マリラはアンに地味な服さえ着せていればおしとやかでいい子になると思っているようだけど、下手をするとひがみっぽい子になるだけですからね」
と言いマシューの依頼を快諾する。その後アンがマシューに感謝することになるのは書くまでもない。
ちなみにアンの住むアボンリーの村はみなキリスト教のなかでも“超”がつくほどの保守派である“長老派”だったりします。
なにか通じるものがあると思う。この2つの話。昔にも時代こそ違え似たことを感じた人はいたわけです。しきたりや伝統は確かに大事ですが、度が過ぎたりすると意味がないと今も昔も考えられているわけです。これらエピソードは「ティファニ-で朝食を」にも何か通じるテーマがあると感じます。自由とはこういうテーマなのではないでしょうか?この場合の自由とは、堕落した無秩序ではなく、かけがえのない人にとって必要で大切な自由のことをさします。
今回はずいぶん君好みでない記述にもしかしたらなってしまったかもしれない…大丈夫だろうか?
今の君の状況しだいでは、随分のんきな事書いてるなと感じるかもしれない、けど、大切な自由とはなにかというイメージを伝えたかった。うまく伝わっただろうか?上手くいった事を願います。17年前のきみならにこやかにきいていてくれただろうか?今の君はどう思いますか?そんな話をしたいと今の僕と君のよく知る17年前の僕が言っています。
〔月曜日…、25日目〕
4日ほど先行して…、
先日の相撲界のごたごた、終わったようでおわってないように感じました。クビにはならなかったものの今後も様々な形でいびられるのでしょう。相撲にかかわりたいのに、かかわるとひどい目にあう…。確かに“親方”にまでなったのだからそう簡単にやめられない…その大変さはおそらく本人にしかわからない。顔を立てなければいけない人も1人や2人ではすまないだろうし、親兄弟親戚縁者もふくめて影響が出る。
君も特殊な立場にいたりするのだろうか?100%推測ですが…。君は17年前僕を巻き込まないように気遣ってくれた、今はどうなのだろう。心配しています。特に君の性格、“我”を出すタイプではない君、だからなおさら心配するわけです。
ごく最近こんな事があった、試しに1日だけ体験入社した。暇な時間ができ、室内で雑談。でも僕は体験入社のイレギュラーな存在だ、でしゃばれなかった。そこはマニアックな知識が求められる職場で僕以外の人たちは当然そうした会話になる、その話は聞く分には楽しいが会話に参加できない、話が専門的だからだ。おとなしくじっとして話を1時間近く聞いていた…。こういうとき自分を前面に出せる人を心底うらやましく思う。と、同時にこんな事おもった。あれ、この感じ似ている。
君は当時、普段おとなしく控えめなで、学校で人と話すとき、じっと動かず、かといって退屈しているわけでもなく、じっと見据えて人の話を聞いていた。かわいかった。
そして神社で2人きりになると、すこし緊張を解き、学校では見せない素顔の一部を見せてくれた、ますます好きになっていった。
そのときの僕はまさに17年前の君と同じ状況だった、じっと話を聞いている、つまらないわけではないが、どう会話に参加したらいいかわからない。話しかけられるまでじっと待つ…、同じだ。やっぱ似てるなこういうところと思った。そんな君の性格、そんなに変わってないように感じる、だから、心配です。
今の僕はどうしたらいいのでしょう…。17年前の僕が今の僕にこういいます。
「とにかく当時の彼女が望んだ事をすればいいんだと思う、なぜなら当時の彼女も今の彼女の1部なんだから」とこういいます。
なんにしても今の僕は君を待ちます、そして応援します。君は困難な立場にいるのかもしれない、けれど、奇跡が起こることを信じています。世界中の誰もが信じなくても僕だけは例外です。何が起ころうとどんなことがあろうと味方でい続ける人間がいることを忘れないでください。
〔火曜日…、26日目〕
4日ほど先行して…、
今日ニュースで皇太子妃雅子さまのニュースをやっていた、適応障害…、なんだかいろいろ思います。日本の法律では皇室に入った時点で戸籍を失う、戸籍を失うから当然パスポートも免許書もクレジットカードも無効になるし、それにともなって銀行口座もレンタルビデオの会員カードですら作れなくなる。そりゃ心のバランスも崩れそうなもので、なぜ、もう少し皇室に人権をという議論にならないかが不思議だ。戸籍ぐらい皇族だってもってていいと思う、イギリスのウイリアム王子みたいにクレジットカードや免許書もってたっていいと思う。伝統と文化といっても何を根拠に皇族がそうしなければいけないのか根拠に乏しい。現行の皇室典範にしても2600年の歴史の中でみればごく最近できたものだ。(ちなみにこの2600年は初代天皇から数えてのだいたいの年数)
何がいいたいのか?君は努力すれば離婚できる。けど、皇族は離婚すらできない。そう法律ができてないからだ。バリバリの上昇志向を持っていた外務官僚キャリアの雅子さまからしてみれば牢獄に感じるかもしれない。
初めてTVで見たときのキャリアウーマン姿は正直今と全然違う、口ケンカを仮にしたとしても5秒で瞬殺されるんじゃないかと感じるほどのキャリアウーマンに見えた。けど、今のあの姿を見ていると口喧嘩など吹っかけたら倒れてしまうんじゃないかと感じるほど弱弱しく見える。あれを幸せそうとかいう人がいたとしたら間違いなく心眼が歪んでいる。
以前外国人記者が皇太子妃雅子さまの悲劇的な現状を本にして出版した。その日本語版が出ると言うときさまざまな圧力がかかり出版停止になった。え?日本だぞここ、戦前じゃあるまいしと当時思った、そう思う人が多かったのか後日、別の出版社だけど、ちゃんとその本は日本版が出版されました。
出版に関わった人が最後まで諦めなかったからできたんだと思います。
おそらく彼女は皇后になっても体調をくずしたままだと思う。そもそも無理があった縁談だった、結婚当時のニュースを覚えています、彼女は皇室で外交の仕事ができると諭されて承諾したと聞きました。それが証拠に彼女は外遊をいつも希望する。周囲の年配者は「わがままを言ってる、けしからん」と真顔で言っている?実際東京で働いているときお客さんがそんな事真顔で言っているのを見たことがある。本気で言ってるんだと軽くカルチャーショックだった。人権思想が欠落している…。感覚として人権と言うものへのセンスがない…、ショックだった。君のまわりもこんな人多いのだろうか?心配です。そんな悲劇に君を置きたくない。
皇太子妃雅子さまには出来ないことが君には出来ます。諦めなければ。そんな事思いました。いま、どうしているだろう…、応援しています。
(※この物語はフィクションです。ただし、もし読者の方に現実に弁護士を探している方がいた場合、どんな人を探せばいいのかなやむと思います。こんなサイトみつけました「あの人検索スパイシー」というサイトです(http://spysee.jp/)これで弁護士で検索するとかなり出てきます、知名度の高い上位のひとより下位の人のほうが現実的選択肢です、本人がだめでもいい人を紹介してもらえれば最高だしその事務所にたよるというのも手です。広告だけをたよりに探すよりはいくぶん良いのではと思いました。役に立たないかも知れないけど、何事もやってみないとわからないので)
〔水曜日…、27日目〕
4日ほど先行して…、
伝統と文化について考えていたらこんな話を思い出した、昔見たTVでの事。
1980年代くらいにアフリカを探検したイギリス人の話、彼が何者かは忘れたけど、個人的にアフリカの奥地まで旅行にいけるのだから金に余裕のあるバックパッカーの豪華版みたいな事をしている人なんだと思う。彼がある部族を訪ねたときのこと、不可思議な現象に遭遇する。村の人は遠くから来た客人をもてなすと言い楽器をもちだして音楽を演奏しだした、すると、どういうわけか彼に聞きなじみの曲だった。彼は村の人に聞く。
「どうして私の故郷がわかったんですか?これは私の地元にしかない民謡ですよ」
村の人はいう。
「(似ているだけで違う曲です)これは古くからわが部族に伝わる伝統の音楽です」
偶然の一致だろうか?
また別の旅行者が体験した不可思議な現象もある。
その人も前述の人同様豪華なバックパッカーのような事をしていたイギリス人で、あるアフリカの別の部族を訪ねたとき奇妙な体験をする。
夜、部族の長に村の歴史や伝説について聞かせてもらっていると村長はこんな事を言い出す。
「あそこに見える星についての伝説がある」と、
聞くとその星は1つに見えるけど本当は2つの星が物凄い重なって見えているだけだと、離れがたい星の伝説がなんとかと話し出す。
旅行者は天文学にも通じていて、村長のいう星が実際本当に2つの星が重なって1つに見えるものだという事実を知っていた。ただし、その事実が発見されたのは高度な観測が出来るようになったごく最近で、それに基づいた伝説があるなんて信じがたい事実だった。
彼らはうそつきだったのか?イギリスから来た旅行者をからかったのか?正解はNOで、ここに伝統と文化の落とし穴がある。
相撲の伝統文化といっても、現代のような近代相撲が確立したのはごく最近のこと。それが証拠に相撲の“決まり手”の中には現代の相撲取りには実行不可能なものも存在する。舞の海がこの実行不可能な技の1つ八艘飛びをやって世間を驚かせたのは有名な話。八艘飛び以外にもありえない技がたくさん存在する、昔と今の相撲のスタイルがいかに違うかと言うことを物語っている。
にもかかわらず、ともすれば太古の昔から現代の様なスタイルで相撲があったと何の疑問もなく人は思いがちだ、見識ある年配者ですら平気でそう思っていたりして時々驚く。
アフリカで先に述べたイギリス人旅行者をだました村の人たちもだますつもりなどなく、本当に何の疑問もなく正しいと思っていたんだと思う。
先の音楽の話は、実は昔この地域を訪ねた探険家がいてその人が披露したイギリスの音楽が何らかの形で村に残り、村人もその出所がなにかわからなくなってしまいあやふやになっているうちに自分たちの音楽になってしまったものらしい。
先の星の話も同様でその様な経緯が推測されるとその番組では紹介されていた。
実際日本人も天ぷらは日本発のものだと思い込んでいたりする、それも伝統があり、太古の昔からあるぐらいに思いがちだ。何も知らなければ歴史ドラマの中で平安貴族が天ぷらを食べているシーンがあったとしても何の違和感も感じないはずだ。
ポルトガルに大漁祈願の祭りが年1回かな?行われる伝統行事がある。名を「テンポーラ祭」という、冗談のように聞こえるが本当の話。そこでは祭りのときのみ出される伝統の魚料理がある、魚を油で揚げたもので白っぽいころもが付いている…。
お気づきの方もおられるでしょうがこれが天ぷらの原型です。南蛮貿易が行われていた時代ポルトガルから入ってきた文化なのです。長い年月がたち、現在の形に成った。
何が言いたいのか?伝統と文化は確かに重要です、けど、そこには誤解や偏見やまちがった知識も混在しています。絶対の価値基準ではないのです。地動説をとなえたガリレオは破門されその破門が解かれたのはたしかごく最近だったと思います、忘れていたんでしょうか?間違った知識に基づいて破門しっぱなしだった事に。それでも思い出して破門を解くのだから理性的です。そんな事思いました。
彼女の身近にいる人たちにお願いです、伝統や文化も大切ですがそれ以外の大切なものもご配慮願えないでしょうか?
これは若い人、それも男子でゲームをやる人なら割と有名らしい話。ちなみに僕はほとんどゲームをやりません、僕の行動を監視していた(している)人たちに確認してみてください。僕はほとんどゲームをやらない…、そんなゲーマーとはほど遠い僕ですら知ってる話。
セガでゲーム開発をしている部署で毎回毎回かならず売れないと解りきった企画書が提出される、何度言って聞かせても同音異句同じタイプの企画書が上がってくる…。クリエイターたちにどうにかしてその企画が売れない事を教えたいと考えた上層部は失敗させる事で売れないという事実をわからせようと1度だけのつもりでその企画にGOサインを出す。最初から失敗する事が予定されていた事業がスタートした訳です。
ところがこの企画、企画力その他常識を覆すものがあり大当たり、セガを代表するゲームの1つになりました。いろんな偶然が重なり、いえ、偶然だけでなく努力もあったのですが…。
この時の上層部はどちらに転んでも、失敗したとしても成功したとしても、自らの決断に悔いなかったし、どちらに転んでも周囲の尊敬の念を得る事が出来る。すばらしい選択です。最終的にどちらに転んでも社のプラスになるのですから。このような決断こそ智将の英知と賞賛すべき決断と思います。現代における“清濁併せ呑む豪胆さ”とはこんな決断のことなのではないでしょうか…。
君はいまどうしているだろう…、あの笑顔が今も健在であるとこと信じたい限りです。君の中にいる17年前の君も元気だろうか?いろいろかんがえてしまいます。そんな事思いました。
僕は子供の頃絶対お前謝らないよなと言われたことあります。おとなしいくせに負けん気だけはある、いい方にも悪いほうにも転ぶ僕の属性の1つ、今では多少コントロールができるようになり、仕事上のやり取りなら謝罪すべきときは躊躇なく謝罪できるようになった。けど、その属性そのものが消えたわけではない、コントロールできるようになっただけだ。
君も負けん気だけは人一倍だった、どんなことがあっても謝らない…、以前2人で対立したときもどちらも一向に引かない強力な頑固さを互いに見せ合ったこともあった。正直同タイプのあの頑固さには君以外いまだにお目にかからない。
君が謝ったのはたった1度、強烈な記憶として残っている。学校で突然しゃがみこみ泣きながら「ごめんね、私のせいでごめんね」と泣き崩れた時だ。第1話にも書いた、あの時の事確かめたいと今でも思っています。
あの時1度だけだった…、君は絶対に謝らない。あの強さ、今でも健在と信じます。僕もいまだに頑固な部分はある、だから、たぶん、君もそうではないだろうかと、そう思う。
〔木曜日…、28日目〕
4日ほど先行して…、
そう、君の性格について考えていたらこんな事思った。君は基本話しかけられるのを待つタイプだ、とくにどう出たらいいのかわからないような状況では。受動的。だから対立したときも自分から相手に攻撃をしかけない、攻撃してくる相手をカウンターでかえすタイプの強情さをもつ。
そうだと何だか確信する、過去の記憶を照らし合わせると確かにそうだ。
君が受動的から能動的にシフトするときはやむにやまれなくなった時だけのように感じる。
あるいは周囲の環境が能動的になりやすい環境になった時…。
僕も似たところがある、そうしかできない性格。努力して直そうとしても属性として変化はしない。
欠点と考えるのは早計だ、使い方次第では強力な武器にもなる。
周囲を観察して、状況を整理して、問題点の現状の世界観が把握できたら環境が整う…。
何が言いたいかというと、状況が上手くイメージできないから受動的になってしまう。状況がイメージできるようになるには時間がかかる。そしていつまでたってもイメージできない状況では永遠に受動的になってしまう。自分の意思とは関係なしに。
僕も偉そうな事を言える身分ではない、成功してないからだ。けど“彼ら”の攻撃をかわすのに役にたった方法がある。この方法は少なくとも“彼ら”がらみの対策には今のところ有効なんだと思う。
“再帰性理論”…、ジョージソロスの唱える独自の理論。最初は経済の理論家と思って本読んでいた、なにしろジョージソロスとは世界的な投機トレーダーだ。もう使い切れないくらい稼いだんで引退している人。実力は誰もが認めるところだけど、経済学の世界ではなぜか異端児の扱い。本を読んでなんとなく理由が察せた、彼の唱える“再帰性理論”は経済学のものではない、社会科学というか、まったく系統が異なる“人間社会とはどういう動力でうごいているか?”というかまったく異なった理論。理論と呼ぶことすらできない、あまりにも“感覚的”で、世界中の学者が“再帰性理論”を学問と認めない理由がよくわかる。
僕も完全に理解しているわけではない、感覚的にこういうことだなと思うだけだ、それでも“彼ら”からの猛攻撃をしのぐのにはこの理論、催眠の知識にも劣らぬほど必要不可欠なものだった。
いづれこれについても書こうと思う。論点を絞り込む三段論法については以前説明した、けど、三段論法の欠点は何かしら方向付けがないと上手く論点が絞り込めないところだ。“再帰性理論”はこの方向付けに役に立つものだと考えます。いづれ書きます。
〔金曜日…、29日目〕
4日ほど先行して…、
ついさっきTVで“3歳児神話はなぜ日本にだけこれほど浸透したのか?”という番組を見ていた。3歳児神話とは現在日本でのみ信じられている迷信のような考えで、戦後浸透したものらしい。現在出生率の低さは誰のせいでもない60年代70年代日本を引っ張ってきた男性社会が原因で、若い人、とくに女性が産まないからだというのはまちがっている、というものだった。
事の始まりは、ある人が戦後すぐ国連にだした報告書らしい、当時戦災孤児が世界中にいて国連の重要課題だった。報告書にはこうある。
「子供は0歳~3歳までの間は母親または永続的に母親に代わる存在とすごさねばならない。」
そうしなければ子供はちゃんと育たないという事らしい。けど、報告書の真の意味は違うようだ。
日本では先にも述べたように男尊女卑が浸透している、当時の男性社会はこの報告書を利用して母親を家庭に封じ込めることを望んだ、国もバックアップし保育所を作らなかった。1970年代の事です、保育所がなければ家庭にいなければならない…、現在も続く保育所不足はこの頃から根がつながっていたわけです。
え?意味が解らない?そういう人もいるでしょう、その場合戦後から現在までの諸外国とのデータの比較にその意味が見出せます。
先の報告書は国連を通じて世界中の育児に影響を与え、乳児期の育児がいかに情操教育に重要かをときました。けど、各国の仕事に就く人の数をしらべると明らかな違いがあります。日本だけ育児世代の女性の離職率が高いのです。同じ報告書の影響を受けているのだから各国ともに育児世代の女性の離職率が高くなるはずなのに、そうはならず、日本のみそうなるのです。以前書きました、理解できない現象の前には必ず何か欠けた情報が存在する…。
乳児期の育児に母性の必要性は各国同じです、対応が違うわけです。
子供には母性が必要だ!だから母親に専念させろ!彼女らに育児以外のことをさせるな!それが子供のためだ!これが日本の考え。
子供には母性が必要だ!しかし昔と違い現代社会では女性にも人権がある、彼女たちの人権を犠牲にするのもおかしい、これは社会全体で負担しなければいけない。彼女たちの自由のためにも男性も協力せねば!これがヨーロッパを中心とした外国の考え。
日本の出生率の低さは女性にのしかかる負担のでかさだと男性陣が自覚しない限り永久に出生率は低いままだ。自らのわがままのために身を滅ぼすわけで、たいした“文化と伝統”なわけです。60年前の戦争で何を学んだんでしょう?あれほどの犠牲を払って手にした人権思想を何だと思っているんでしょう。
育児ノイローゼや母子の社会との孤立もこの“3歳児神話”があるからです。そして不幸なことに、悩んでいる母親は自分が至らないからだと悩みます。
現代社会は人権があって初めて成立するようできてます。人権社会のなかでは常に自己成長が求められる、それを閉ざされたものは奴隷になったように感じてしまうのです。これは年配者、特に年金受給者の方にもわかる概念だと思います。以前TVでこんなシーンをみました、街頭インタビューで「(年金がこの額では)文化的生活もできないものねぇ、ただ生きてりゃ充分ってわけにもいかないでしょ?」おばあさんが笑顔で答えていました。
報告書の文面をよく見ると
「母親または永続的に母親に代わる存在とすごさねばならない…」
とある。母親とは限定していない。
ここを、さも限定しているかのごとく吹聴したのが戦後の日本政府の対応で、男尊女卑を正当化するにはうってつけだったのでしょう、さもこうすることが世界の流れだと思わせたかったのでしょう。けど、世界はそうは流れていなかったわけです。それは当時の男性社会が望んだ事だったのでしょう。人権に対する概念が希薄なんだと思います。希薄であるという自覚すらない世代。
先に述べた“再帰性理論”でこれらがなぜおこるか説明ができます。
いづれ詳しく説明します。
君がいまどういう状態なのか本当に気にかけています。たぶん、周りからもっと子育てに専念しろとか言われているのではないでしょうか?周りの人は育児に協力してくれますか?君に可能な限りの負担を強いたりしていませんか?もしそうなら何とかしてあげたいけど、今の僕には…。君の行動の延長線上に僕の行動の延長線が少しでも重なっているなら泣けてきます、そうであって欲しいです。
思考停止してはいけません。がんばって。
今日久しぶりに何人かに睨まれた。同系の自転車に乗った同じタイプの体型の人に2人も会った、両手に腰で仁王立ちの人もいたし、レジで別れ際わざと目をあわさない東京でおなじみの手を久しぶりに見た。1つか2つならともかくたくさんあるから、もしかしたら君が頑張っているからまたこんな事してんのかなと妄想します。彼らは将来も変わらずこんな感じなんでしょう、君がいてくれれば死ぬまで戦える。そう思った。君の周りは大丈夫ですか?ひどい目に遭っていませんか?17年前は助けられなかった、今もそうだけど、けど、あの時と違い今は僕もこのステージに上がっている。もう観客じゃない、その辺君に伝わっていればと、切に願います。あの時は僕は観客だった、君はステージの上の人だった、気持ちは通じていた、けど、立ち位置が違った。今は違う、同じステージ上、ただ同じステージの上だけど、離れている。もし、僕をただの観客だという人がいるなら、それは間違っている。少なくとも“立ち位置”と言う意味では距離は縮まった。俗に言う関係者など振り切ってしまえばいい、決断の時期が来たら君はそうするのではないだろうか?君は決断するまで時間をかけて決断する。条件が整うまで待つ、だから、僕も待とうと思う。そう思った。
〔交渉の基本ルール〕
“交渉”ってたぶん君は苦手だと思う、交渉には実は“基本ルール”が存在する。もしかしたら書くまでもない事なのかもしれないけど、一応書きます。
まず、これはないよなーというくらい“高い要求”をあいてにします。そして、向こうが飲めないと言って来たら徐々に要求を下げていくのです。
なぜなら、おそらく向こうもありえないくらい“高い要求”をしてくるはずだからです。向こうは君がその条件を飲めないことを知っている。判っていて無茶を言うのです。だからお互い様です、君も向こうが飲めないような高い要求をすれば、互角になれる。
裁判でも、検事は最初少し高めの刑期を求刑するそうです、交渉にそなえて。
官僚も財政削減の時、本当に切られたくない予算を守るために、まずは切られてもかまわない予算を必死に守ります。そこで削減交渉をしている限り本当に守りたい予算は無事なわけです。
駆け引きにはこういう“切りしろ”と呼ばれる部分を用意しておくべきなのです。何かと使える。
今ニュースになっているビール会社の統合決裂にしても、本当の理由はサントリーの創業家を新会社から排除したいという理由だけど、それではあまりにも露骨なので、子会社の扱いをめぐり交渉が難航したとかして露骨さを隠そうとしていた。この場合の“切りしろ”は子会社になり、本当の理由を守る材料に使われた。
“交渉”事には“切りしろ”の判断が重要です。相手の要求のどこが“切りしろ”で、どこが“本当に守りたい部分”なのか見極めるのが重要です。相手の“切りしろ”が判れば、こちらもどの程度の切りしろを用意すればいいのかが判断できます。
可能ならば、最後相手の顔が立つようにするのが理想的です。逆に言えば君の顔が立つ形で言いくるめられる可能性もあるわけです。交渉の達人はそのくらいやってのけます。
怖がらず、恐れずに、冷静に論点を分析して、状況を理解して、決して判子やサインはしてはだめだ、逆に言えばしなければどうにでも後で出来る、もって帰りじっくり考えることもできる。その場で即断してはだめだ、相手のペースになる。たとえわざわざ持ち帰らなくてもいい物でもワザとじらすためにそうすべきだ、こちらのペースを守れる。
もし、別れたいという部分をもっとも守りたい要求事項なら、この要求をはるかにしのぐ要求をすればいい。ただし、最初から切るつもりではだめだ、本当に守りたい要求以上に“切りしろ”を死守しなければ効果はない、それが「交渉」の基本ルールだ。
切りしろは最終的には徐々に削られていくだろう…、でもそれが本当に守りたい部分にまで到達しては意味がない、そういう意味でも切りしろは2重3重4重5重いやもっと20重30重、ともかく重く大きい方が本体の守るべき要求を守れる。
もし少しでも役に立つなら幸いです。
〔土曜日…、30日目〕
4日ほど先行して…、
今日本屋で並んでいると手に持った本を「え、ありえない」という顔で凝視された、バイクの雑誌を持っていたのだ。こいつがこんな雑誌読むなんてありえないという顔だった、なんだそりゃ、お前俺の何を知ってるんだ?と思う、やはり、彼もそうなのだろうか…。
たぶん、僕の実像がかなりゆがんで報告されているんだと思う、東京でもあった、僕は実際は完全自活していて親の支援など一切受けていなかったのに、僕を追い出そうと3年も執着していたボンボンの彼は僕が親の支援で生活しているやつと吹聴していた。それ以外にも仕事はちゃんとやっているのにやっていないと吹聴する。人間とは恐ろしいもので上役に毎日そう吹聴されると、目の前でちゃんと仕事してるのに、してないと思い込んでしまう。この場合、徹底的にいい合いをして誤解をとくにいたるという事が何度もあった。意外なキーワードで誤解が解ける。僕が何度も今月末まんがの持ち込みに行きますから出勤遅れますねと何度も言ったのに、実際に1週間前に本当に行くことが理解されるととたん、誤解がとけた。どうやら上役に「口で言ってるだけのうそつき」とでも言われていたのだと思う。思い込みが解け、以前の様に接してくれるようになった。
ネガティブキャンペーンは彼らの十八番だ。
繰り返し繰り返しいう事で、事実でないことまで事実になってしまう…、“暗示”のテクニックにも通じる(というか“暗示そのもの”ですが)これらは今も行われているのだろうか?君の身が心配です、毎日毎日繰り返しそんな目に遭っていないか心配します。
そういえば高校卒業してからも随分ネガティブキャンペーンは受けたけど、一体どこまでがそうだったのだろう…。実際確かに性格に問題がなくはなかった(今では大分直したが)ので、確証は難しいけど、悪いうわさはいつも付いて回っていた。おそらく今もなのだろう…。少なくともバイクの雑誌を読むような人間にはイメージされてないのだと思う。
そういえばこんな事があった。高校時代、部活で遠征、理由は忘れたけど私服で駅の北口に集合という事があった。その時こう言われた。
「どんな服で来るかって皆で話していたんだよ、割とまともな服着てたんでびっくりした」
こういう決め付けられたイメージにうんざりする、似た思いは君もすること多いのではないだろうか?そんな事思った。
「(私、他人に)こんな風に言われてるのよ」と聞かされた事が昨日の様に感じます。君は当時から戦っていた。
人は今まで何度も経験した事ならどんなにつらくても大丈夫だったりする。当時の君も笑顔だった。
“彼ら”の男性陣の中には女性を見下す文化があると以前本で読んだ。と、同時に組織は女性陣でもっているとも書いてあった、大方事実のように感じる。人は今まで経験した事のない事象に弱い。そのあたりに打開のヒントがあればいいのだけれども。
裏切り者にならずに事を打開する道を探っているのかもしれない、僕は、君の望む世界が実現する世界を望みます、その前提の上で、言うならば、その打開策には限界がある。向こうもそうたかをくくっている。その相手の高をくくっているところをギャフンと言わせてこそ交渉は上手くいくと思う、君のペースになる。切りしろのバリエーションも増える。ただし、この切りしろ。本気で提示しないと効果がなかったりする。
どこまで通じただろう…、
切りしろはありえないようなものも組み込んではじめて効果が出ます、それだけは事実です。
脱退も切りしろにできます。その事実だけはつたえたかった。
…と、言うか。冷静に事実だけで推測すれば、別れる=脱退となる事はもう向こうも想定済みで、そこが最大の向こうの切りしろにならない譲れない部分かもしれない。だから、これを議題にあげるのはなによりも相当効くと思う。
こんなことがあった。
学校で君は不可思議な行動をとった
「どうしてああいう事(=行動)したかわかる?」君はいった。
神社で2人きりになって、学校での君の振る舞いを僕がまったく理解してないことに対して君は言った。笑顔で、親しみのこもった呆れ顔で。
「まあいいじゃん、それはこっちに置いといて」
と、僕は問題を棚上げしたかった。せっかくの2人きりの時間、1秒も無駄にしたくなかった。まさか君がそんな重いものをしょってるなんてまったく気がつかずに軽い気持ちで言った。
「置いといてじゃないでしょ」
学校では見せないテンションのあがった君、緊張感が解け、素顔の一部だった。おとなしさがなりを潜める…。素顔の君、誰にもめったに見せないかわいい笑顔。
「まあいいじゃん、とりあえず置いといて、後で考えよう」
事実そう思った、神社は貴重な時間だった、話し合いなら学校でもできる、ここでは喧嘩の類はしたくなかった。
そんなやり取りを何度か繰り返し、最終的に君は無口になってしまった。
怒ったの?とか訊いたような気がする、君は葛藤していたように記憶している、ここで話をつけるか、諦めるか、多分当時の僕は難物だったと思う、なかなか人の意見をきかない、17年かけて直した僕の欠点の1つ。
最終的にキスさしてくれた、いつもの2人だけの時間になった。もっと怒ってもよかったのに君はやさしかった。その優しさは大好きです。けど、それが仇にならないかと、心配しています。
あの2人だけの時間をもう1度、何とかならないものかと、そう感じます。時間の感覚さえなくなってしまうあの永久に続くんじゃないかと思える時間、2人座っているだけであっという間に時間が過ぎた。取り戻せるものなら、奇跡を望みます。現代の僕と17年前の僕がそう望みます、君からも君の中にいる17年前の彼女に聞いてみてください、どう思っているのか、そしていつかその答えを聞かせてください、そう思った。
〔日曜日…、31日目〕
4日ほど先行して…、
第1話に書いた、覚えているだろうか?あの夏祭りの日の事。暗がりでキスをした、すると車がくる。もう一度キスをした、また来る。
「今の、同じ車?」
必死の形相で僕に尋ねる君。君の中で何かが弾ける…。そして気がつかない僕。
この後、あの長い階段に誘われたのは書くまでもない、あの長い階段がどこの神社のものなのかまだわからない、今度探してみようと思う。
2人で階段の中ごろくらいに座る、暗がりで周囲から見えないので君は安堵した。
何もしらない僕は完全に油断しきっていた。階段から見下ろした先に自販機が見えた、僕は飲み物を買いにいったん席(階段)を発った。戻ってくるときすわり際無意識にどっこいしょと言ってしまう、誰かの口癖が移ったものだ。君はええー、そんなこと言うの?と言った。言われて恥ずかしくなる、今思えば確かに野暮な言葉…、あれ以来あの言葉口にしなくなった。無意識に口から出そうになるたびに君の事が頭に浮かびセリフを止める。言いそうになるたびにあの日あの時の君の顔と声が戻ってきます。
この少し後だ、僕らが座る階段より下方の段に、挙動不審の息子くらいの男(僕らと同年代?)をつれたおばさんがきて、僕らがいるにも関わらず座った。挙動不審のやつのほうは最初本気で何も知らないらしく僕らに気がついてから「びっくりした、人がいる」と声を出す、その様子はエスパー伊藤とオードリーの春日を足して割ったような言い回しで不信にみえた。一発で変なやつが来たと思った。
この2人は一向にどかない…。
「場所を変えよう」
と、君に提案すると。
「どくのはむこうよ」
と、君は言った。普段おとなしい君が見せた意外な反応に見えた。何も知らない僕は君が戦っているなどとはまったく思わなかった。ただ、その毅然とした態度に素直に感動して見習おうと思った。まさか17年後あれが、僕を守るための君の戦いの姿と知るとは予想もしてなかった、バカなことに本当に感心して感動していた。
以来、人と対立したときは必ずこの時の君の姿が自然と頭に浮かぶようになった。彼女に見習おう、そう思った。
本格的にその考えが正しいと思えるようになったのは本屋の前の職場での経験だった。普段は普通の人なのに、仕事になると人格が極端に変わる人(でもそれは仕事を優先してのことでプロして正しい)に初めて遭遇した。あまりのすごさに面食らった、仕事に対する意識が変わる、遠慮していてはだめだ、聞くべきことはきき、確認すべきことは確認せねば仕事にならない、フォローしてくれるだろうなどという甘い考えは意味がない、なあなあにしては仕事にならない、自分で考えて自分の責任で何とかしなければいけないと骨身にしみた。どなられるのも初めての経験だった、今に思うとバカらしいが当時は怒鳴られただけで萎縮していた。怒鳴られるのが怖くて必要事項の確認もできなかった。でも今は大丈夫。どんなに怒鳴られてもなんか平気になった。ヤクザにどなられても大丈夫、免疫がついてしまった。
なぜ大丈夫になったのか?
偶然にも次の職場でも同様に、仕事に関しては鬼の性格の変わる人がいて、日常的に怒鳴る人だった。前の職場で少し免疫が出来始めていたのに加えて、もう同じ失敗をしたくないと思った僕はどんなに怒鳴られても、確認するべきことがあればどんなに相手が不機嫌でも確認したし、段取りの確認や、イメージの共通認識など、仕事上必要なことならビビらず聞き返すようにした。自然と信頼関係が出来ていった。
怒鳴る相手に話をするときは、いつもあの時の君の顔が浮かんだ。彼女はあの時一歩も引かず「どくのは向こうよ」といっていた、あの毅然とした態度を見習おう、少しでも近ずこうと心に刻みつづけた。
普段の僕は17年前同様おとなし目の人間だか、相手がどなった瞬間スイッチが入る。微動だにしない僕を見て虚を付かれたような顔になる人よくみます。こんな事言われた事がある。
「君は恐怖ってもんが理解できてないんだろう」
努力して克服したとはどうしても信じられないらしい。ちょっと脅せばどうにかなると思っている人は本気で多い。馬鹿馬鹿しい、本当にそう思う。
これに加えてまんが持ち込みも大分、心の鍛錬になった。悔しさをばねに前進する楽しさも学べた。
君の周りにも怒鳴れば何とかなると思っている人。多いのでしょうか?心配です。
“再帰性理論”、書こうと思っているのですがいい切り口が見つからなくて困っています。
ただ、1部説明するなら、僕は君との思い出のおかげで克服できたものがいろいろある。“再帰性理論”的に言うなら、君が僕にバイアスをかけたと表現していいのではないだろうか?異議を唱える人もいるかもしれない、けど、物事を上手く説明するためには多少の誤差も許容の範疇と心得ます。
例えば“物理”。中学校か小学校でこう習いませんでしたか?
水素分子とは1個の水素原子の周りを2個の電子がまわっていると…、今でもそう信じている人多いと思います。間違いです。それが証拠にどんなに電子顕微鏡で拡大してもその様子を撮影することができません。電子顕微鏡は電子の反射を利用しているから電子そのものの撮影も出来るはずなのに出来ません。なぜか?じつは“電子”のような素粒子は物質でありエネルギーであり波であり、通常の物質とは異なる物です。でも“質量”つまり重さはあるのです。そして先の水素分子の話に戻りますが、正確には電子2個分の重さをもつエネルギーがとりまいているというニュアンスの方が正しいようです。すでに80年代くらいには分かっていたはずなんですが、子供に教えるにはやはり、従来通りの電子がまわっていると説明した方が分かりやすいのでしょう。
高校の物理ではちゃんと正しく説明されていたと記憶しています。えーそうか?と思う人は教科書を見返してみてください、テストに出ない箇所なのでスルーされている可能性があります。
この先説明するであろう事もこれまで書いた事も多少のまちがいを含んでいるかもしれません、特に専門家からみれば(まあ専門家にかなわないのは仕方ないことなんですが…)。けど、とっかかりとして、近いイメージが得られるなら得られる利益のほうが大きいわけです。なぜなら、イメージできない不幸にくらべてはるかに良いからです。今は昔と違って話の裏を取りやすい環境がととのっています。だから下手なことは書けないと覚悟はちゃんとしています。
この記述の目的は彼女に伝えること、励ますこと、イメージを伝えることであり、彼女の幸せを願うことです。うまく伝わればいいのですが、そう切に願います。
今日久しぶりに神社に行った、すると郵便バイクが止まっていて社に配達員が腰掛けて携帯で遊んでいる。郵便局の人間が不法駐車のうえ職務中サボっている姿をはじめて見た。社に近づくと「どうも」と声をかけられた。彼らなのだろか?彼らだとしたら間抜けすぎる…、このゲーム、ルールのルールを破ったほうが負けなのだ。不法駐車で通報もできるし、日本郵政に名指しでクレームも言える。彼らだとしたら間抜けすぎる。
ただのやんちゃな兄ちゃんの可能性もある、確かめるために帰り際「ごくろうさまです」と声をかけた。無言だった、予想外だったのだろうか?ただのやんちゃな兄ちゃんなら返答があってもよさそうなものだ。(前述の怒鳴られるとスイッチが入る同様、このような状況になると急に心のスイッチが切り替わる、そういえば君も似たところあった気がする。)
もし、仮にそうなら脅しているつもりだろうか?あの東京での猛攻撃を経験したあとでは児戯にも等しい行為、彼らがあんな間抜けなことするはずがない、たぶん、ただのバカだったんだと思う。
(これ以上の特定できるような描写は一応控えて起きます、一つ貸しです、もともと僕の目的は彼女と会うことであり、必要以上に何かをどうすることではないわけです貸しの深い意味を忖度する意味ってありますよね、一般論として…。ま、読んでいないのでしょうが…)
あとこれは僕の仮説。新しいプレッシャーのスタイルなのだろうか?最近やたらと携帯をかけながら歩く人と出くわす。そのしぐさは過去のどの攻撃スタイルにも符合しない、しかし、半端なくよく見る。
符合しない符合しないと考えることで前頭葉の機能を低下させる新しい暗示だろうか?もしかして定期的にスタイルを変えるのだろうか?以前ボーダーシャツが緑のシャツに変化したのと同じように。
君が頑張っているから彼らもこんな事するのだと妄想するのがすきです。
あ、あと「キィキィおじいちゃん」がどうもこのところたくさん出没します。この言い回しは昔「笑っていいとも」でゲストが使っていたので全国区の名称だと思います、自転車のブレーキをキィキィならすおじいちゃんの名称で若者は「あんな騒音も気にならないほどボケたのか」といった意味で使います。でもタモリさんはその呼び名を知らなかった、会場のお客さんは知っていた。だから、ある程度上の年代の人はこの名称知らないのだと思います。若者がミーハーの原型である「みーちゃんはーちゃん」を知らないのと同じように。
(※節操なく流行物に飛びつく若者を昔は「みーちゃんはーちゃん」と呼びました、それが時代とともに変化して「ミーハー」という俗語になりました。たった60年でも言葉って進化するものです。)
外の騒音も少しうるさくなりました、でも君が本当に頑張っているのなら何の問題もありません。君が頑張り続けるなら、僕も頑張り続けることが出来る。応援しています。
〔男の背中が大きく見える話です〕
こんな例え話。
昔、野茂投手が近鉄で干されていたのは有名な話。
野茂さんがメジャーリーグで活躍しても当時干していた人は間違いを認めない。
それはそれでいいと思う。野球人としての信念があるなら誤る必要は無い。
けど、アメリカに渡った野茂さんを干していた当時の調子で非難したら人として間違っていると思う。
そう思ったのでしょうか、沈黙されていたように記憶します。
男の背中が大きく見える話です。
(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)
〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語の登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください