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第100話  Fさんが何かしてくれたのかな…ありがとう!君の声が聴きたいです。

〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください

(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)


〔4月23日分の記述〕


 「サクラダリセット」第二十話より


「ある女の子からプレゼントをもらったんだ、途方もなく、回りくどい方法で、手編みのセーターよりもずっと手間をかけて、僕が一番欲しいものを用意してくれたんだ」(浅井ケイ)

「よかったわね、それで?」(相麻菫)

「君の言う通りだよ、勘違いだとしても、間違っていたとしても関係ない。僕の感情は僕の記憶から生まれる、だから…」(浅井ケイ)

「だから?」(相麻菫)

「この世界が僕は好きだよ、君が笑っていて、いろいろな問題がきれいさっぱり無くなっている、あるいはこれが一番正しい答えなのかもしれない、でも、僕には僕の記憶があるんだ、だからいつまでもここにいるわけにはいかない」(浅井ケイ)


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〔4月24日分の記述〕


 サクラダリセット第一話より


「私はよく泣いていた、不幸なニュースを聞くたびに、何かが壊れるたびに、」(春埼美空)

「どうして君は泣いていたの?」(浅井ケイ)

「それは悲しいから」(春埼美空)

「何がかなしいのかな」(浅井ケイ)

「いろいろな事が全て、誰かがいつかは死ぬことが悲しい、何もかもいつかは壊れることが悲しい、そんな当たり前のルールが全て悲しい」(春埼美空)

「当たり前が悲しいんだね」(浅井ケイ)

「はい」(春埼美空)


「だから君は、なにも選べなくなった、だからルールを作ったんだ」(浅井ケイ)

「はい」(春埼美空)

「何もかもが悲しみに繋がっているのなら、あらゆる選択肢は無意味だ。何を選んでも変わらない。だから君は何も選べなくなった、何も選べないのに、何かを選ばなければならないから、君自身の行動を規定するルールを作った」(浅井ケイ)

「はい」(春埼美空)

「一つだけ教えてほしい、悲しんでいるのは誰だ?」(浅井ケイ)

「わからない」(春埼美空)


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〔4月25日分の記述〕


 サクラダリセット第二十一話より

 管理局に追われる相麻菫、非常階段のてっぺんで行き止まりに追い詰められる。

 彼女は浅井ケイのためにできることはすべてやり終えた。

 あとは、つかまって浅井ケイに迷惑をかけないようにすればいい。

 非常階段から飛び降りようとしたとき、彼女の頭に声が飛んできた。


「君はもう一度、僕に会わなければならない、僕のために能力を使わなければならない、そうしなければ何も解決はしない」(浅井ケイ)

「勝手なことを…、私は十分頑張ったでしょう。できるだけのことはしたでしょう、これ以上どうしろっていうのよ」(相麻菫)

「僕に悲しみだけを植え付けて、勝手にいなくなるんじゃない。僕を救いたいのならとにかく5分時間をかせげ」(浅井ケイ)


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〔4月26日分の記述〕


 サクラダリセット第二十四話より


「相麻、君は知らないかもしれないけど、僕はとてもわがままなんだ。二年前、君を生き返らせようと決めた時から僕はいろいろなものをしょい込むつもりだったのさ」(浅井ケイ)

「知っていたわ、でもその荷物は重すぎて、逃げ出したくなることもあるでしょう」(相麻菫)

「重すぎるくらいでちょうどいいんだよ」(浅井ケイ)

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〔4月27日分の記述〕

 Fさん、また変な事件が起きました…


(以下転記)


 JR新宿駅、男が刃物振り回す 「刑務所に入ろうと」


 21日午後3時40分ごろ、JR新宿駅(東京都新宿区)の東口改札内で「刃物を振り回している男がいる」と110番通報があった。警視庁によると、駆けつけた警察官が間もなく、都内に住む無職の男(25)を銃刀法違反の疑いで現行犯逮捕した。けが人はいなかった。


 新宿署によると、男は刃渡り約13センチの果物ナイフを所持していた疑いがある。調べに対し、「仕事が決まらなかった。家族とけんかしてむしゃくしゃしていた。刑務所に入ろうと思った」などと供述しているという。

(転記終わり)



 確保された男が、白いマスクに白い帽子をかぶっている…。

 前にも書いたけど、"彼ら"はターゲット集団で威圧する際、白いものを身に着け何千人単位で24時間威圧してくる、無言で。証拠など残らないし、刑法の規定にも引っかからない。

 ターゲットにされた人は、そうした威圧に対抗する意味で、自らも白いものを身に着ける傾向がある。

 今回の犯人、白いマスクはまだしも、白いキャップをかぶっている。珍しいと思うよ、白いキャップって。


 "彼ら"の見事な「ガスライティング」の成果だと思う。

(※以前、ガスライティングで検索して、この小説にたどり着いた、という人がいたので、あえてハッシュタグなんぞつけてみようと思います)


 #ガスライティング


 昨今、こんなことを思います。

 今、国会でもめている文書改ざん問題。

 …たぶんだけど、霞が関では結構行われてきたことなんだと思う。

 けど、今度のは近畿財務局。


 多分だけど、霞が関の人は、日常的に行っているので、特に罪悪感もなく書き換えを指示したんだと思う。しかし、近畿財務局のひとは日常的に書き換えなんぞ行ってないから、ものすごいストレスで悩んだのだと思う。

 過去の霞が関の人々は、「これってうちら身内だけの常識だよね」ってわかっていたのだろうけど、世代を経て、そういう感覚が薄れてしまい、身内だけの常識を外に出してしまい、墓穴を掘ったように思います…。言いすぎかな…。


 こういう「身内だけの常識」というのが、相撲界にもあって、暴行事件のもみ消しなんかがそれなんではないかとも思う。レスリングのパワハラ問題もこれと同じかもしれない。


 こんな報道を聞きました。

 海外の選手からは、伊調選手ほどの選手なら自分でコーチを選べるはず、と。

 しかし、そういうのが通じない「身内だけで通じる常識」というのがあり、壁になっているのだと思う。


 …こう、思います、Fさん。

 貴乃花親方は、この「身内だけでしか通じない常識」がいかに世間とずれているのかを「明確に説明」できていないから、主張がよく見えないのだと思う。


 しかし、逆に言うと?

 この身内でだけしか通じない常識が「おかしい」ことを、ちゃんと証明できれば、ことは変わってくる。



 今、国会でもめている文章書き前問題は、書き換え前の文章の存在があり、はっきりした。

 文書改ざんはあきらかな「法律違反」だ。


 離婚問題とまったく関係なくてもかまわない。


 なんでもいいから、相手の法律違反を証明出来たら?それはかなり、変わってくると思う。


 もし、君の自由を拘束しようとしてきたら?

 宗教行事への参加を強要してきたら?


 探偵をやとって君を見張っているものがいないか調べてもらうのも一つの手だと思う。


 しかし、"彼ら"はそんな簡単にへまをしまをしないのも事実。


 しかし、なかには、頭が悪くて、身内でしか通じない常識を外で露呈してしまう人も、きっといると思う。


 ごめん、こんなことしか書けなくて。


 なにを選択しても出口がないのが、僕の人生だ。

 だから、君にこんなわがままを言ってしまうのかもしれない…。


 しかし、"彼ら"は先に書いたような方法で、一般人を貶めて、心や人生をもてあそび楽しみとする最悪のカルト集団だ。

 そんな連中に君の人生を支配させてたまるものか、と思うのは事実だし、それに、たぶんだけど、君は望んでいるはずだ、人を貶めることなく暮らせる生き方を。


 相手の悪意は強大で、大きいものです。

 少しくらいやり返しても大丈夫だと思う。


 なにか言われたら?こう言い返したらいいと思う。

「あなたが私にしたことに比べたら?今私かあなたにしていることなど、そよ風にも満たない弱弱しいものよ、それだけあなたがしたことは、ものすごく大きく強力で、自分勝手なエゴだったのよ、そのことを理解してないから、そんな泣き言を平気で私に言えるのね、もっと強くなってよ、ねえ。」と。


 …あと、たぶん、君が戦っているあいては、僕に同情されることを何よりも嫌がる可能性が高い。

 だから、こう言うのもありだと思う。

「Kくんが、あなたのこと心配していたわよ」と。

 たぶん、何回か繰り返せば、かなりのプレッシャーになると思う、口げんかが苦手だなと感じた時、状況に応じて使ってみてください。事実、僕は、その人に同情もしているので、嘘ではないのだから。


 なぜに同情しているのか?

 そんなことは簡単明白で、その人もまた、"彼ら"に洗脳されたカルトの被害者だからだ。


 願わくば、洗脳から解き放たれ、人生をやる直すことを期待しています。


 僕はこう思う、人は間違いに気が付いてこそ、前に進める。

 歳なんて関係ない、と。



 僕は「三界」に「家」がほしい。

 修行の果てに聖人になる気などさらさらない。人間として俗世で生きたいです。

 "彼ら"は君に、世俗を否定し、より高いステージで生きるよう修行しなさいと強要したかもしれない。

 しかし、そんな「架空フィクション」はあほらしい。


 人間は俗世で生きるものだと、主知主義的合理化すべきなんだと思う。


 だからこその、あえての、アンチテーゼ(=ヘーゲルの弁証法に基づく、論理学・修辞学の用語。「反定立」「対照」「正反対」などと訳される)。

 それが「三界に家を建てるには、君が必要です」の意味です。


 "彼ら"の世界を、あえて「三界を越えた世界」と定義し、そこではない、普通の世界で、ともに生きたいという意味です。


 ちなみにともにの「とも」は、もちろん、かけ言葉(=一つの言葉に同時に二つの意味をもたせる修辞法)になっています。


 いつかの奇跡を信じて…。


 負けないでほしい、がんばれ!

 

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〔4月28日分の記述〕


 最近こんな事を思います…。

 貴乃花親方、情けない!と。


 あの場合、自分の弟子が事件を起こしたんだから、範を示す形で、弟子を断罪というか、事件をおこした力士は、かく、このようにすべき、と処断すべきだったんだと思う…。でないと、つじつまが合わなくなる。

 今の現状は、他人の弟子には厳しく、自分の弟子には甘い親方にしか見えない。

 それが、見ていて情けなく思う。


 通すべき筋があるなら?ブレてはいけない、そう思います。


 あと、こんな事も思う。


 僕は経済政策に関しては、安倍総理擁護派だ。

 しかし、憲法改正には反対です。

 このまま安倍政権が憲法改正にはしったらどうしようと思っていました。

 しかし、今回の文章改ざん問題で、憲法改正もトーンダウン。

 これでよかったのかも…、とか思ったりもします。


 本当に、なにがどう、作用して、未来が決まるかわからないものです。


 以前、所ジョージさんが、こんな事を言っていたのをTVでみました。

 子供用のおもちゃの輪投げを、かなり離れたところから投げて、3回連続で入るまで続けるのだと。

 競技用ではなく、子供用のちゃちい作りのもので、訓練すれば入るようなものではない。

 これが、三回連続で、入るのは、たんなる偶然でしかない、と。

 しかし、偶然も、挑戦しなければ起こらない。

 これは、そういうのを楽しむことができる、と。

 …たぶん、こんな趣旨の話をしていたと思う。


 そう、"彼ら"に勝つには必勝法などない。

 おそらく、偶然の力でも借りない限り、勝てないと思う。

 しかし、その偶然も、挑むのをやめたら、けっして起きない。


 心が折れそうな不測の事態は数限りなく起こるだろう。

 なかには"彼ら"が意図的におこす不測の事態も多々あるだろう。

(最近、どこのお店に行っても、店員さんから笑顔を受けたことがないのは、僕の気のせいだろうか…)


 譲れない何かがあるなら?


 それが大切な何かならば?


 道は見えてくると、僕は信じます。


 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。

 実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

 がんばれ!まけるな!


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〔4月29日分の記述〕


離婚相談・離婚問題解決ならカウンセラー高橋知子の横浜相談室

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〔4月30日分の記述〕


 Fさん、何か言われたら?

 「因果応報」

 って答えたらいいと思う。


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〔5月1日分の記述〕


 最近よく聞く言葉、「不寛容社会ふかんようしゃかい


 どーやら、ワニブックスが出版した新書が元ネタらしいです。

 この本がSNSで話題になり…と説明されていた。


 その解説を調べていたら?このような文章に遭遇しました。

(以下転記)

社会が不寛容で攻撃的になっている理由とは?

ではなぜ私たちは不寛容になり、他者に対して攻撃的な人が多くなってきているように見えるのでしょうか。それにはもちろんいくつも原因があると思うのですが、私はその中でも以下の3つに特に大きな要因があるのではないかと考えています。




①怒りの刺激を求める人たち

 すでに当書房の本やこのブログでも書いていますが、私たち人は刺激を求める本能とでも言うべき性質を持っています。おだやかなでポジティブな感情よりも、怒り、憎しみ、妬み、悲しみといった刺激的な感情に流されやすいのです。


 ですから、ポジティブな言動よりもネガティブな言動の方が多くなるというのは、ある意味自然なことなのです。


 そんな中でも、怒りというのは一番強烈で刺激が強いですので、私たちにとっては大好物の感情でもあるのです。それが、攻撃的な言動をする人が多い理由です。


 ただし、怒りの感情自体は現代に特有のものではなく、昔から人の感情として存在しているものです。


 近年、社会の不寛容さや攻撃性が特に問題になっているのには、以下の理由が関係しているのではないかと思います。




②マスコミとSNSによる怒りの増幅、拡散

 本来私たちは、何も見ず、何も知らずに過ごしていれば、それほど怒ることはないはずなのです。なぜなら、そうしていれば怒るきっかけがないからです。


 けれども、テレビや雑誌、ネットは毎日色々な問題や出来事を取り上げます。それらマスコミは視聴率や売上が大事ですから、自然とその内容は人の目を引くような刺激的でネガティブなものが多くなります。


 例えばテレビで有名人の不倫や政治家の不正の問題を取り上げれば、「けしからん」「許せない」と、一瞬にしてそれを見た全国の人に怒りの感情が湧きます。特にワイドショーや週刊誌等はそれらの問題に対する感情を煽りますから、怒りの感情はますます大きくなります。


 たしかに政治家の不正は問題なのですが、問題なのは、それらを目にすることによって私たちの怒りが増幅されて、その感情を制御しなくなることです。すると、そうやって怒りの感情を抱くたびに、どんどん怒りやすく攻撃的な人格になっていきます。


 さらに近年ではSNSの登場により、個人が簡単に発言する場ができました。


 すると、先ほど述べたように人は刺激を求める性質によってネガティブで攻撃的な言動をしがちですので、ネット上には自然と他者への批判や非難などの言葉が溢れます。


 私たちがインターネットを利用していれば自然とそういったものが目に入る機会も増えますので、そうした怒りやネガティブな感情が無意識の内にこちらに伝染してきます。


 今はこうして、負の感情が社会全体に蔓延しやすい状況になっていて、私たちは自分でも気づかない内に怒りの感情を持たされてしまっているように思います。




③時代の変化により感情を抑制できない人が増加

 社会の価値観、倫理観が時代とともに大きく変化したことで、一昔前だったら、周囲や世間の目を気にして抑えていた感情や行動を、抑制することなく表に出す人が増えるようになりました。


 昔は、世間や人様に迷惑をかけるというのは最大の恥という価値観が日本には存在していたように思いますが、今はそういった感覚は大分薄れているようです。


 そうした変化には良い面もあるかもしれませんが、悪い面としては自己中心的で感情をコントロールできない人が増えたということがあります。


 モンスターペアレンツ、モンスタークレーマー、暴走老人と呼ばれる人たちが問題となっていることなどがそのわかりやすい例ではないでしょうか。




 また、時代が進むにつれて、モノやサービスが進化して便利になり過ぎたことも私たちの感情面に影響を与えているように思います。


 少し前まで、人が何かものを買うときにはそれを売っている店まで足を運んで買うのが当たり前でした。それが、ネットでボタン一つで注文して配達してもらえるようになると、注文したものがすぐに届かないだけでもイライラするようになりました。


 わからないことは手元のスマホで検索すればすぐに答えが見つかると思っているから、望んでいる答えが見つからないとイライラします。


 このように、世の中が便利になるほど私たちは短気ですぐイライラしやすくなるという傾向があって、待ったり我慢するということがどんどん苦手になっています。


 過剰な便利さ、快適過ぎる環境によって、理不尽や不便なことへの耐性が落ちている、感情を抑制する能力が劣化し始めているのではないかと感じます。


(転記終わり)


 Fさん、僕はこういう風に思いました。

 これは、"彼ら"が過去に行ってきた「活動」の「成果」なのではないか?と。


 "彼ら"の例のあの行動は、不寛容社会そのものだ。


 そうした活動を戦後組織が誕生以降、地道にコツコツ続けてきた結果、日本社会が"彼ら"の意に沿う社会に変質した?ととらえるのは?無茶な着想なのだろうか?


 なにかごちゃごちゃ言われたら?

 こう言い返せばいいと思う。


「不寛容社会って、私たちが作り上げた社会なような気がするの。

 でも、それって、私たちが理想とした社会じゃないわよね?」と。


 そして、こう続けていいと思う。


「この点においては、私たちがどんなに立場が違っても、過去に活動をした仲間として、同意できる意見だと思うのだけど…違うの?」と。


 そして、こう続けていいと思う。


「あなた…、そこまで心が腐っているの?」と。


 

"彼ら"は先に書いたような方法で、一般人を貶めて、心や人生をもてあそび楽しみとする最悪のカルト集団だ。

 そんな連中に君の人生を支配させてたまるものか、と思うのは事実だし、それに、たぶんだけど、君は望んでいるはずだ、人を貶めることなく暮らせる生き方を。


 相手の悪意は強大で、大きいものです。

 少しくらいやり返しても大丈夫だと思う。


 なにか言われたら?こう言い返したらいいと思う。

「あなたが私にしたことに比べたら?今私かあなたにしていることなど、そよ風にも満たない弱弱しいものよ、それだけあなたがしたことは、ものすごく大きく強力で、自分勝手なエゴだったのよ、そのことを理解してないから、そんな泣き言を平気で私に言えるのね、もっと強くなってよ、ねえ。」と。


 …あと、たぶん、君が戦っているあいては、僕に同情されることを何よりも嫌がる可能性が高い。

 だから、こう言うのもありだと思う。

「Kくんが、あなたのこと心配していたわよ」と。

 たぶん、何回か繰り返せば、かなりのプレッシャーになると思う、口げんかが苦手だなと感じた時、状況に応じて使ってみてください。事実、僕は、その人に同情もしているので、嘘ではないのだから。


 なぜに同情しているのか?

 そんなことは簡単明白で、その人もまた、"彼ら"に洗脳されたカルトの被害者だからだ。


 願わくば、洗脳から解き放たれ、人生をやる直すことを期待しています。


 僕はこう思う、人は間違いに気が付いてこそ、前に進める。

 歳なんて関係ない、と。



 いま、僕はこの街に住んでいます。

 この街は、あちこちに君を思い出すきっかけとなる場所がある。

 昨日、吉野家に行って、帰り道、ある中学校の横を車で通過した。

「ここは、Fさんの母校だ」ふと、そんなことを思い出す。


 一緒に歩いた道や、立ち止まって話をした場所など、今でも鮮明に思い出せる。

 忘れようとしても、不意に、思い出が顔を出します。


 もし、不意に本物の君が現れたらどうしよう…、などと思ってしまいます。


 こんな事を思い出す。

 高校時代、廊下を歩いていると、渡り廊下の前で君が立っていた。

 僕は無神経に「こんなところで何をしているの?」と言った。

 それを聞いた君は猛烈に怒りだし、口をきいてくれなかった。


 今はわかる、あれは僕が来るのを待っていたのだと。


 しかし、当時の僕は、君がこんなところで自分ごときを待ってくれているなどと発想することができず、心ない発言をしてしまった。今はわかる、あれは、デリカシーのない発言だったよな、と。


 これをここに書き、君が仮に読んだという前提で、こんな仮説を立ててみた。


 もし、今、不意に、街角で本物の君が目の前に現れたとする。

 どんな顔をしているかは全く想像がつかないが、ここで冗談めかして「こんなところで何をしてるの?」と話しかけたら?君は僕の意図に気が付いて笑うのだろうか?それとも、全く通じなくて戸惑うのだろうか?と。


 そんな奇跡が試せる未来が、くればいいなと、思ったりもします。


 Fさん。

 負けないでほしい、がんばれ!


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〔5月2日分の記述〕


 Fさん。

 もし、宇宙人、とか言う人がいたら?

 こう言い返せばいいと思う。

「カルト信者よりも、はるかにマシだわ」って。


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〔5月3日分の記述〕


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 お金に余裕があるなら?

 こういうのもありかもしれない…。

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〔5月3日分の記述〕


 「Bianchi(ビアンキ) Intrepidaイントレピダ

 それが、今、僕が乗っている自転車の名前です。


 Fさん、ビアンキはイタリアのブランドです。

 イタリア好きが高じて、イタリア製の自転車を買ってしまいました。

(自転車好きの人には言うまでもないけど、現在世界のロードバイクは皆、部品自体は台湾製、でもイタリアのブランド主体で設計されているわけだから?いいのでは?と思っています)


 かれこれ買い換えて一年近くでしょうか…。

 徐々に、前の自転車といまの「こいつ」との違いがわかってきました。


 買った直後は「これはいい!いままでとは段違いだ」と思っていた「Bianchi(ビアンキ) Intrepidaイントレピダ」なのですが、乗っていくうちに、細かい違和感が沸いてきたのです。


 …原因は僕自身にありました。

 新しいロードバイクを、前のロードバイク「ルイガノCEN」と同じ乗り方で、振り回そうとしたため、上手く乗れてなかったのです。

 最近になり「こいつは前のロードとは違う」と理解できるようになってきました。


 まずは「中心の出し方」が全く違うのです。

 以前の「ルイガノCEN」は、ドロップハンドルの下を持つ姿勢になると、偶然中心がちゃんと出る姿勢になりました。

 「中心が出る」とは、ペダルに一番効率よく力を加えられる姿勢フォームになることを言います。


 同じ姿勢を今の自転車「Bianchi(ビアンキ) Intrepidaイントレピダ」でやってみたのですが、明らかに中心が出ていない。何度やっても同じでした。

 どうやら、若干シートを後ろに調整しないといけないみたい、また、シートの高さも、今よりも上げないといけないようだ、というのにも最近気が付いてきました。

 すこし、微調整を繰り返さないといけない様です。


 こうした、微妙な違いを認識するには、ペダルの固定具を外さないとわかりませんでした。

 今、僕はピンディングという足と靴を固定する器具を使っています。

 しかし、こいつを使うと、走行中、微妙な姿勢の変化ができなくて、先に書いたようなことに気が付きにくかったです。僕がピンディングに慣れてないというのもありますが、自転車の微調整をする間は、あえてピンディング無しで、走行するのもありなよな気もするのです。

 実は、こんな事態も想定して、今付けているペダルは、片面はピンディング、片面は普通の靴でこげる両用タイプにしてあるのです。

 競技用というよりは、街乗り仕様のこのペダル、競技中心のロードバイカーには馬鹿にされるだろうけど、今の自分にはこれが最適なような気がします。


 あと最近気が付いたのは、ギアが全然違う、という事。

 「Bianchi(ビアンキ) Intrepidaイントレピダ」についているのは「シマノ・105」という名の変速機で、これはシマノブランドでも上から3番目にいいグレードのものだという。

 前乗っていた「ルイガノCEN」の場合、主に上から1~3番目のギアを使い、坂道になると、それよりも下のギアを使う感じだった。

 しかし、今乗っている「Bianchi(ビアンキ) Intrepidaイントレピダ」は上から1~4くらいまでのギアをこまめに変えて対応したほうが乗りやすいと判明。この差ってけっこう大きいです。


 今は平地でこうした違いを確かめながら乗っています。

 そのうち坂道での違いも確認したい…、そんな事を考えています。


 あと、これは気のせい?なのかな…

 「Bianchi(ビアンキ) Intrepidaイントレピダ」のほうが、前乗っていた「ルイガノCEN」より「重い」気がする。より高価な自転車の方が重いというのはあり得ないのだが、そんな気がするのです。

 (ルイガノCENは指三本で持ち上げることができたが、今のビアンキは一応持ち上がるが、ルイガノほど楽にはできない。バランスが違うのだろうか?)

 でも、こうも思う。少しぐらいなら重いくらいがいいかもしれない、前のルイガノCENは軽すぎて、強風に煽られたら走るのが大変だった。風に車体が持っていかれてしまうくらいだ。だから少しくらいなら重い方がいいかもしれない、などと。まあ、あくまで、気の持ちようのレベルでの話なんだけど。


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〔5月4日分の記述〕

 Fさん、見ましたか?

 ニュースで大きくやっています。

 土俵に、人命救助のために上がった女性に対して、土俵から降りてください、というありえないアナウンスがされたと。

 会場にいた、相撲関係者は誰一人そのアナウンスを止めなかった。

 つまり?

 そのアナウンスをした人、一人がパニックになってやってしまった珍事では決してない。

 だれも止めなかったという事は、その場にいた相撲関係者全員の、そう、全員の総意であり、人命よりも伝統が大事と皆が考えていた結果なのだと思う。


 大きく報道され、外国からも非難され、ようやく自分たちの常識が世間の非常識と知り、慌てて謝罪する事態。あれで、倒れた市長がなくなっていたら?どーする気なんだろう?とすら思ってしまう。


 伝統は大事、というならば?

 なぜ?常に男性の医師や看護師を常に待機させておかないのか?

 他の格闘技では当たり前の常識すら通用しないこの状況を、恥ずかしいとすら感じないのは?どういう事だろう。そんな事思いました。



 最近、こんな事がありました。

 介護福祉士に合格したのですが、なんと登録するのに1万3000円もかかるというのです。

 これは主催する公益法人に支払うことになります。

 法律に支払いが明記され、義務化されているとのことです…。


 この小説でなんども書いていますが、僕は霞が関の本屋で働いていた経験があります。


 本の配達で、公益法人なんかも、何度も行ったことがあります。

 実際働いているのは若い少数のスタッフで、天下りと思われる年配の人らはお茶飲んで暇つぶしをしているだけです。

 1万3000円はらって、どんな見返りがあるのかと思えば、小規模企業が提供できるようなネットサービスや、超がつくほど豪華な認定証くらいなものでしょうか?

 これって、あきらかに、業務改善がひつような「いらない事業をしている公益法人」だと思う。


 だれか実態を取材してくれないものだろうか?


 結果として、給与があがるので、そこで損をしても、元が取れるからいいのだけど、なにか釈然としません。こういう感覚、歳をとっても忘れたくない…僕は、そう思います。

(以前、自動車免許の更新の際も、交通安全協会に強制的に献金させられていた時代がありましたが、今は支払いは「任意」になり、自分で選択できます。これは過去、問題として認識され、報道され、非難された結果、変わった出来事です。おかしいと思う事は、言っていいのだと思う)


 Fさん、連中はおかしい。

 どのくらいおかしいかというと?

 先に書いた、上記の公益法人や相撲協会「よりも」おかしい。


 自分たちでは正しいと思っているだろうけど、世間一般にさらされれば、非難されること間違いなしと言う事を平然とやっている。

 

 JRのコマーシャルでいい言葉を聞きました。


「未来からお礼を言われるような 素敵な過去になりたいものです」


 …というフレーズ。なんだかとてもここちいいフレーズです。

 "彼ら"の所業は、未来からお礼など言われないでしょう、最悪の過去と言われると思う、ならば、これを阻止する作業は、肯定されるべき事柄だと思います。

 


 僕はこう思う。

 迷ったときは「原点回帰」だ。


 自分の「原点」に立ち返り、自分に問って譲れない心のあり用とは何かを問うのだ。

 心象風景に問うのです。

 心に映るその景色に、何が映るのか…。

 心の温かさが、どこから来るのか?

 源がどこか?


 迷ったときは、「それ」が重要なんだと思う。


 譲っていいものは、どんどん譲って構わない。何を言われようと知ったことではありません。

 しかし、譲ってはいけないものは、絶対に譲ってはいけない。

 それは君の輝きであり、心の原点だからだ。


 そして"彼ら"の役員は、君の「それ」を奪ってしまえば、簡単にけりが付くと信じて行動していると思う。


 君の強さを見せつける番です。

 本当の強さを"彼ら"に知らしめていいと思う。遠慮は無用です、君が君であるためならば。

 

 Fさんは、本当は強い女の子です、僕が保証します。

 自分のペースで、着実に、ゆっくりでいいから、休みながらでも構わない、しかし、絶対に後戻りだけはしないでほしい。


 繰り返し書きます。

「未来からお礼を言われるような 素敵な過去になりたいものです」


 …というフレーズ。なんだかとてもここちいいフレーズです。

 "彼ら"の所業は、未来からお礼など言われないでしょう、最悪の過去と言われると思う、ならば、これを阻止する作業は、肯定されるべき事柄だと思います。


 いつかのその日を信じて、ともかく待ちます。

 負けないでほしい、がんばれ!  

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〔5月5日分の記述〕

 Fさん、見ましたか?

 ニュースで大きくやっています。


 これは“彼ら”の役員様に伝えたいことです。

 もし?あの土俵で倒れた市長に対して、お前が倒れたせいでこんな事になった、なんて事してくれたんだ、とか言う人がいたら?どう思いますか?と。


 たぶん、なんてひどい事を言うんだ、とものすごい非難されることでしょう。


 たぶん、そちらの世界では、僕のせいでこんな事になった、とかいう方々が「たくさんいる」と推測します。誰彼に隠す「ことなく」こういう事を言う方々もいる事でしょう。


 そうした行為や発言は、先に書いた人でなしの発言と同義であると、そう、伝えます。


 いまや人権思想は世界市民が共有する「フィクション」です。


 あの「女性の方は土俵から降りてください」というアナウンスに対して、どうして多くの人が違和感を感じたか?

 それは、この点において、皆がマックス・ウエーバーが言うところの「主知主義的合理化」ができているからなのだと思います。

 「神聖な土俵」という概念が「フィクションである」とみな合理化しているのです。


 「信仰」は大事ですが、主知主義的合理化されていない信仰は、ただの狂気でしかありません。


 謹んでお伝えいたします。


 Fさん、君が、目が覚めたことを、もっと大きなリアクションで表明しても、何も問題はありません。


 負けないでほしい、がんばれ!


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〔5月6日分の記述〕

 Fさん、勝海舟は幕末の人物です。

 元々は江戸幕府の旗本の息子で、幕府の人間として海軍整備に尽くします。

 彼には絶対に譲れない「信念」がありました。


 明治維新により江戸幕府は倒されるものの、勝海舟はその後、明治政府に鞍替えして大活躍します。

 地位も高くなり、爵位までもらったりします。


 そんな現状を、福沢諭吉は批判します。

「敵国の士人と並び立て 得々名利の地位に居る」

 意味はTVでこのように訳されていました

「旧幕臣でありながら新政府に出仕し、高い地位を得ている。

恥ずかしくないのか」と。


 これに対して勝海舟はこう、返したそうです。

「行蔵は我に存す 毀誉は他人の主張 我に与らず我に関せずと存候」


 意味は?

「私の行いは自らの信念によるもの。けなしたり褒めたりするのは、人の勝手だ。わしは知らん」


 勝海舟には一つの信念がありました。


 それは君主、徳川慶喜の名誉回復でした。

 あえて明治政府に「入り」、君主の汚名をはらすとしたのです。


 彼の努力はその後、実を結び、明治天皇への徳川慶喜の謁見がかなったそうです。


 勝海舟は言いました。

「行蔵は我に存す 毀誉は他人の主張 我に与らず我に関せずと存候」

(私の行いは自らの信念によるもの。けなしたり褒めたりするのは、人の勝手だ。わしは知らん)



 こう思います、Fさん。僕には信念があります。

 そして、そちらの世界の、「なんとか」さんには、おそらく、信念はないと思う。

 他人の目など、気にせず貫ける信念など、ないと思う。

 

 人間は矛盾だらけの生き物です。

 信念があれはいいかというと、そうでもない。

 こころのバランスが大事なんだと思う。


 バランスのとり方は人それぞれだ。


 自分が自分らしく生きれるバランスというものがある。

 共にいて、一番ここちよいバランスが保てる相手が、いたらうれしい。

 そんなことも思ったりします…。


 僕は、永久にFさんが好きでいた自分でい続けたいと思う。

 人間の心の中には様々な人格が共存し、おのおの別々の事を考えるものだが、この一点においては、自分の中の全人格が「そうだよな」と同意する、誰一人異論を唱えない。

 …つまり?そうありたいと思い続けることで、僕という人格は統一して考え、思考できるのだ。心の葛藤が生じても?この「信念」に基づいて考えれば、自然と答えが出る。


 Fさんとの思い出は、僕の人格の、重要な構成要素の一つとなっているのです。


 これは僕の感想に近い妄想。


 Fさんは、僕に嫌われることをものすごく恐れていた…、そんな風にすら感じた事がある。

 その想いが、僕のこの感覚と近いものなのかどうなのか…、分からないが、なにか、こう、特別な感覚が想いをよぎります。

 …最後の電話ですら、君は僕に嫌われないようにしていた。もう会わないのだから嫌われてもかまわないはずなのに、だ。

 僕が目の前で無視したら、君は泣き崩れた。嫌われたくないというなら理解できるが、当時はわからなかった。


 だからだと思う。


 "彼ら"の攻撃がどんなに激しくなろうとも、こう感じられた。

 Fさんが自分の敵になることは、絶対にありえない、と。

 その考えというか、気持ちというのは、ものすごい力を与えてくれた。


 だから、今度は僕の番なのです。


 僕は絶対にFさんの敵に回ることはない。

 そんなことしたら、僕の人格が崩壊してしまう。君を支えなくてはと、心の底から自分の中の全人格が訴えてきます。できる事はすくないけど、これしかできないけれども、だからこそ、書き続けようと思う。


 Fさん、負けないでほしい、がんばれ!


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〔5月7日分の記述〕


 最近こんなことを思います、Fさん。


 株の話。今年の株価暴落後、潮目が完全に変わってきています。

 今まで有望だった銘柄がそうでなくなり、ちがう銘柄が利ザヤがある状態になっている。

 完全にルールが変わりました。頭を切り替えないといけない。


 全体の流れは変わっていない、日本はリフレに突入しかけている。

 予定どおり物価は緩やかな上昇をしているし、全体の景気も良くなっている。


 アメリカも景気回復してきているし、全体の予定は変わっていない。


 しかし、細かいルールは書き換えられていて、たとえて言うなら?

 そうだな…。


 イタリア料理がおいしいという事実に変化はないが、バブルのころなら?ワインにさえ詳しければよかったが、今はワインに詳しくなくてもよい、しかし、料理について造詣が深いほうがもてはやされる?みたいな感じで、全体の流れはかわらないものの、流行が微妙に移り変わるみたいな感じはします。


 とりあえず、単純に平均株価にかけるというスタンスは変えずに、銘柄選定に時間をかけて吟味するつもりです。

 なるほど、たしかに、株式投資は単純ではありません…。


 仮想通貨にも興味はあったけど、今はあせらず情報収集に徹します。

 この手のものは、欲をだすと正しい判断ができなくなる。

 単純な数字のゲームと割り切れないと、損をしてしまいます。


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〔5月8日分の記述〕


 ゲームといえば?Fさん。

 先日「ルパンゲーム」という話を見ました。


 深夜放送で、ルパン三世の新番組がやっています、前回のイタリア向けルパンの反省をいかして原点回帰したかのような内容になっています。その第二話が「ルパンゲーム」。


 ネット犯罪組織のサーバーから、犯罪で設けた仮想通貨を大量に盗み出したルパンに対して、運営側が仕掛けたのが「ルパンゲーム」。

 世界中の一般ユーザーも含めて、ルパンを見つけたら居場所をアップするよう告知。

 一番報告が多い人がトップになれるというゲーム。

 これによって、どこへいっても、スマホ片手の名もなきユーザーに常に監視され、動向が画像でアップされる状況。今風に言うなら?「醸される」というところだろうか?

 …ん?なんかどっかで、聞いた話だなとか、「そう」思うのは僕だけだろうか?


 これに対してルパンがとった対策もまた、あれ?どっかで聞いた話だぞと思うようなもので、ターゲットであるルパン本人が、積極的に近況をネットに報告するようになり、ゲーム性が失われていく、という展開。あとは、皆のゲーム熱が冷めるまで、自分の近況をネットにアップし続ければいいというやつ。


 …なんかどっかできいた、ような、というか。

 偶然に違いないが、"彼ら"の攻撃に対して、僕の行なった行為は、結果として、"彼ら"の熱を冷ます行為になったと思う。似てるよなーと思うけど、まあ、偶然なんだろうと思う。


 この後、ルパンゲームに失敗した運営側は、ルパンが近況報告を頻繁にしてることを逆手にとって、殺し屋集団を差し向ける、と話は展開するのだけど、まあ、それは次回のお話見たいです。



 Fさん、こんなことを思います。

 たしかに、東京脱出後、地元に帰ってきてからは、身の回りに不審人物はいたと思う。

 自転車は何度もパンクさせられたし、不審人物が車に乗り込んできたことも書いた。

 けど、そうしたことはエスカレートすることなく、今に至ります。


 なにかあったら僕はここに書くし、書かれた相手も、なぜかわかるらしい。

 そしてその人の周囲も「あの人のことだ」とわかって噂にでもなるらしい?

 そう感じます。


 こちらも手の内を全部書いているわけではないので、どんな反撃をうけるか想像できない人らは直接何かをするのを控えるのだろうか?わからないけど。

 あるていど、Fさんの状況は予測できているつもりです。

 そして、連中はなぜ僕がそれをできるのかを知りません。


 しかし、株価が急にルールが変わってしまうのと同じく、何がきっかけでルールが変更されるかはわかりません。そのルール変更は僕やFさんに優位になるかもしれないし、その逆かもしれないし。


 とにかく焦ってはいけないのだと思う。

 できることを、確実に、しっかりと行い、前を向き続ければよいのだと思います。


 現実的でない、とかいう人がいたら?

 こう言い返していいと思う。


「カルト信者には、それを言う資格がないわ」と。


 負けないでほしい、がんばれ!

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〔5月9日分の記述〕

 Fさん、僕らが中学生くらいの頃かな…、「銀河英雄伝説」という小説が徳間書店からでていた。

 当時から友達のいなかった僕は、この小説に夢中になり、読みふけっていたものです。

 主人公の一人、「ヤン・ウエンリー」は歴史の大切さを事あるごとにつぶやき、民主主義の欠点を知りつつそれを守るために奔走する人物で、ものすごく感情移入したものです。


 最近になり、新作アニメとして、この銀河英雄伝説が復活しました。

「銀河英雄伝説 Die Neue These」とタイトルを改めて、21世紀基準の画質と技術で演出され、BS11とファミリー劇場で現在放送されている。


 内容は同じなのだが、久しぶりに見るとやはりいい。

 

 「ヤン・ウエンリー」と対をなすもう一人の主人公が、「ラインハルト」だ。

 ヤンの住むサジタリウス腕(天の川銀河では星の集合を「腕」と表現する、これはアニメ設定ではなく本物の天文知識)とは別の腕、オリオン腕にある銀河帝国に住むのが「ラインハルト」だ(オリオン腕は太陽系のある腕です)。


 「ラインハルト」は貧乏貴族の少年で、美しき姉、アンネローゼがいる。

 ある日、年老いた皇帝は、アンネローゼを気に入り、自分の後宮へと迎え入れる。

 アンネローゼはたしか、まだ未成年だったと思う、しかし、ラインハルトの事を思い、この申し出を受け入れてしまうのだ。そもそも皇帝の申し出を断ったら生きていけない。


 ラインハルトは子供ながら誓うのだ。

 いつか銀河皇帝を倒して、姉を取り返すのだ、と。


 もちろん無茶な事なのだが、この手の想いというのは、ものすごいモチベーションになるのは事実だ。


 小説はあくまで架空の物語。

 ラインハルトは姉を取り返すことが叶うが、果たして僕は君と再び出会えることがあるだろうか…


 小説「銀河英雄伝説」はいわゆる、「超人崇拝物語」だ。

 ラインハルトは、その傭兵家としての天才的能力を発揮して、事態を乗り切ってゆく…。


 しかし、僕にはそんなものはない。

 そもそも、人間を「優劣」のみで計る世界では、僕は生きてはゆけないと思う、君も知るように、さほど有能な人間ではありません、それは事実だし、認めます。


 けど現実は、人間は優劣のみではないと思う。

 あきらめないことは、優劣とは関係のない、別の次元のものだと思う。


 Fさん、たぶん、こういう人がいると思う。

「なぜ、あきらめない!?」と言う人。


 こういう人がいたら?こう言い返せばいいと思う。

「優劣だけで物事を判断するあなたには、きっとわからないでしょうね」と。



 "彼ら"は基本、社会の迷惑になる劣った人間は、皆で排除したほうが良い、という動機の元、集団で行動をすると思う。

 そして、この基本動機の枠では、おそらく、永久に理解できないのだと思う、なぜ続けられるのか、と。


 Fさん、まだわからない、と半ギレの人がいたら?

 こう言って上げていいと思う。


「きっと貴方は、本当に人を好きになったことがないのよ」と。


※この世には、あれほど大ヒットした「君の名は。」を見て、何も感じない朴念仁ぼくねんじん(=「朴」は「素朴」「朴訥」など飾り気がないさま。「念」は思うことや考えること。「仁」は人を表す。 本来は、飾り気が無く素朴な考えの人を表す言葉であったが、飾り気の無さから転じて、無愛想な人やわからずやを指す言葉になったのではないかと思われる(←○○さんが年配者ならこういう死語のほうが心に響くものと推察します))が、実際にいるのは知っています。おそらく本当に人を好きになった経験がないから、あの映画見ても理解できないのだと思う…。



 Fさん、待ってます。

 負けないでほしい、がんばれ!


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〔5月10日分の記述〕 


 Fさん、新しい職場へきて2か月ほどでしょうか…。

 確かに、出来ない部分はあるが、まだまだ時間をかけて修正しようと思う今日この頃です。


 …たぶん、なにかネガティブなバイアスがかかり始めている?そう、感じます。

 この人はできない人、無能な人、というバイアスを、たぶん、リーダーかな?この人が発信源だと思う。一人二人、同調しかけているのを感じます。

 この人は頼みもしなのに、2回夜勤を共にしてくれた、ありがたいのだが、出来ない人をみるような態度を常にしてくる。

 いるんだよね、いつもかならず、必要以上にこちらが劣っていると考える人。

 そして、ちょっとした落ち度を、何十倍にも膨らましたりもする?

 どうなんだろう…。

 とにかく気を付けないと。


 しかしながらほんと、いつも、かならず一人いる、ネガティブキャンペーンをはる発信源の人が。

 一人いれば十分で、普段まともな事を言う分、信用する人が多い。周りに働きかけて時間をかけて包囲網を作ってくるのだ。

 その誤解が解ける時もあれば、解けないときもある。

 ともかくぶれない様に、自分でい続けることが大事です。

 


 こう思います、Fさん。

 僕としては生まれてこの方、ずっと続いている事だ、と。

 うちの父親が"彼ら"の勧誘を蹴って以来の事だと思う、僕が生まれる前のことだ。このそこはかとない疎外感は、幼稚園に入る前から経験していたもので、みんなそう感じていると思っていたが、あの真実に気が付いた日から、そうではないと気が付きました。人生観が変わった日です。


 もし、うちの父親が勧誘に応じていたら?

 仮にそうだったとしても?

 高校時代で出会った際、僕らの間に"彼ら"の妨害が入ることに違いはなかったのだろう…。

 えらいさんが仲を裂こうとするのだと思う、Fさんはかわいいから。



 はす向かいのおばあさん、ようやく敵意ある目でみるようになった。

 おそらく、今回の件に関する第一報を受け取った結果だろう…。

 いままでなんともなかったのに、いまさらくる?

 おそらく組織内でも情報の「下流」に属しているのだと思う、そのうち、第二報、第三報に触れていき、態度がかわってゆくのだろうか?他の近所の人らと同じように…。

 そんな事すら感じます。


 新しい職場での夜勤、たぶん単独夜勤は4回目くらいだろうか?

 普通の人なら4回もやれば、完璧にこなせるのだろうが、僕はもう少し時間がかかる。

 先ほどのネガティブキャンペーンに格好の攻撃材料を与えることになるが、致し方ありません。


 2018年4月19日は夜勤明けでした。

 初回の単独夜勤よりは、だいぶちゃんとできたと思いますが、ケアマネの方はあまり満足されないご様子…、リーダーからのネガティブキャンペーンの影響を受けているのだろうか?わかりません。

(※この小説内で何度も書きました、理解できない事実の前には、必ずなにか不足した情報がある、と。わからない情報は、いくら考えても仕方ありません)


 午前9時くらいでしょうか?仕事が終わり仕事場を出ました。

 この日は絶好の晴天、先日の夜勤明けは雨模様で海岸へ行けなかったので、この日は海岸で昼寝をしようと決意、眠い中車を走らせます。

 運転中は問題ないのだけど、信号待ちをしていると眠気が来る。気を付けないといけません。

 どこかに適当な仮眠場所を確保したほうがいいかもしれません…。


 海岸へ到着。

 晴天の中、海の景色と音を聴きながら仮眠をとると?

 夜勤で狂った体内時計がリセットされるのを感じます。

 最近は人気が少ない。

 以前はのぞき込んでくる人や、なにやら、人が多かったし、うるさいバイクとかも多かったが、そういのも少ないです。

(大型バイクの人は、海岸の堤防、車止めを通過できないから、本当に短い距離しか走れないはず、という事は?わざわざ僕がいるところの短い区間を、選んで何度も往復していたのだろうか?あんなかっこいいバイクに乗っていてなんてカッコわるいのだろう)


 目が覚めると16時くらいだった。

 幸いまだ明るいが、冬だったら夕暮れ時だ、少し寝すぎた気がします。

「目覚まし時計を常備しよう」

 そう、思った。

 スマホのタイマーでもいいのだが、セットする前に寝てしまう事も多く、役に立ったことは少ない。

 すぐにセットできる簡単な目覚まし時計を100均でいいいから用意しとくのもいいかなと思った。


 寝すぎると、エアガンで射的をしたり、トロンボーンを演奏したりする暇がなくなってしまうからだ。


 くだらないことではあるが、こういう「息抜き」、長い目で見ると、けっこう重要だったりする。


 まだ夕方になってない、日暮れまで2時間はありそうな感じだったので、エアガンを取り出し、射的をしてみる。100均でかった円形の金属プレート、正体はお玉置きなのだが、標的に使っています。命中すると「カーン」と音がしていい感じです。

 これを園芸用のザクっとさす棒に引っ掛けて地面に固定します。


 歩測で30メートルと40メートルの距離に標的を置き射的。

 30メートルは比較的簡単に当たるが、40メートル先は、完全に風に囚われて弾道が狂う。

 風を読みながら、弾着を目で修正し続け、ターゲットを狙う。意外に楽しいです。

 エアガンのスコープはロシア製の本物のレプリカだけど、結構本格的で、やる気が出てきます。


 200発マガジンを3回交換したあたりで、エアガンのバッテリーがダウン。

 予備のバッテリーもあるが、日が暮れる前にトロンボーンもやりたいから、いいころ合いなので終了。


 車に取って返し、トロンボーンをとって再び浜辺に。


 以前は譜面台が海岸の風にあおられて大変だったが、最近気が付く。

 譜面台の高さを低くして、足で譜面台の三脚を踏んで抑えれば、風にあおられても全然平気という事を。

 あおるように吹くと、腹式呼吸ができることを思い出す。

 この方法、あまり奏法としてはよくないと思うのだが、ともかく楽に腹式呼吸ができるのでこの際慣れるまでこれでやろうと決意。大きな音で演奏できるようになりました。

 海岸ではプラスティックトロンボーンを使っているが、自宅では金管の本物のトロンボーンを使っています。自宅ではヤマハサイレントブレスを使い、音を正確に聞きながら演奏できる。この練習を繰り返した結果、かなりブレスコントロールができるようになりました。

 高校時代に違い音量で、トロンボーンを鳴らせるようになった、いやあ、時間はかかりましたが、勘を取り戻しました。

(もし"彼ら"のだれかが近くで聞いていたら?ぜひ音がよくなったと広めてほしいものですが、しかし、"彼ら"は悪口以外は噂話の話題にしない、という特徴がある。残念です、だから、自分で書くしかありません。)


(そうそうこんな事も思い出します。中学時代、やはり当時から必要以上に周りから攻められていた。ある日事件があり、女の子が、僕に対する扱いがおかしと先生に訴えたことがあった。しかしクラス全員が僕がおかしいと言い、教師もそれに同調。女の子はまるで自分が非難されていると感じたらしく、泣き出してしまう、すると、教師は僕が何かしたと思い、何をしたのと攻め立てる。ここで僕は、事のあらましを最初から最後まであますことなく細かく説明し、自分に火がない事を証明し、誤解を論破するのだが、じゃあなんでこんな問題になったの?という教師に、僕以外の全員が無言。泣いている女の子。ことはあやふやになる。

 今はわかる、ここで僕が何も遠慮することなく、首謀者の行動と発想を非難し、誰がわるいか明確に居教師に説明すればよかったのだ、人が好い僕は、それをしなかった)


 トロンボーンの演奏に水は欠かせない。

 特にプラスティックトロンボーンは必需品だ。

 ある程度演奏したら、スプレーの水が切れてしまった。


 久しぶりにちゃんと吹けたし、日も暮れかかってるし、これで今日は上がろうと、引き上げることにした。


 車を自宅に向け発進。

 途中マックにより、食べ物を調達、よくよく考えたら、夜勤明けで朝食をとって以来、なにも食べてなかった。食べながら運転。

 サントムーンにより、少し買い物。時刻は20時少し前だった。

 サントムーンの駐車場にいると、ラインにメッセージが入る、ユニクロからの広告で、ベルサイユのばらの無料スタンプを配布していた。おもわずインストール、笑えました。


 駐車場の向かいに釣具屋さんがある。

 僕は釣りはしない、しかしどうしても欲しいものがあった。

 僕の持っているエアガンは、結構全長が長い、ちょうどい大きさのバックが無くて困っていたのだ。

 釣り竿ケースならちょうどいいのでは?見てみようと思い入店したのだ。

 普段接することのないルアーのコーナーを抜け、釣り竿ケースのコーナーへ。

 僕のエアガンの全長と、ほぼ同じサイズの釣り竿ケースを見つける。

 値段も手ごろなので、買ってみることにした。


 自宅に返り、さっそくエアガンを入れてみる。

 すると、まるであつらえたかのようにぴったりのサイズ。

 これで、持ち運びがだいぶ楽になります。


 自宅でそんなことをしながらTVを見ていると?

 久しぶりにディスカバリーチャンネルの「RCビルダー」という番組をたまたま見ました。

 ヨーロッパではラジコンはゼロから組み立てるものだ。

 その流れをうけているのか、ハイエンドなラジコンは日本でも組み立てキットになっている。

 番組を見ていて思った。

 海岸に次行くとき、久しぶりにラジコンがしたい、と。


 以前かったラジコン、ホットショットは組み立て式のものだ。

 コントロールを誤り正面から猛スピードでぶつけて、前輪サスが壊れている。


 ホットショットは僕が小学生くらいの頃、あこがれのラジコンとして売られていたモデルで、最近になり復刻版として販売されているものを購入したものだ。組み立てモデルを完成版で買ったため、自分でバラせない。

 なので壊れてから2年ほど放置していました。

 しかし、RCビルダーをみて、急に直したくなった。


 翌日、晴天の下、ベランダで作業開始。

 2年もビビっていた修理だが、やってみると意外と簡単で、1時間くらいで修理できてしまった。

 我が家はベランダが広い、修理後、ここで試走してみる。

 動作は完璧で、完全に治りました。


 しばらくベランダでラジコンを走らせてみる。

 壊した原因は、僕自身のコントロールミス。

 なので、スピードを落としてコントロールの練習をしてみた。

 おもちゃのラジコンは基本、出力のコントロールはできない、できても微妙なコントロールは難しい。

 しかし、本格的なラジコンは、スロットルを絞ればゆっくり走らせることができるのだ。実車と同じように。


 何メートルあるだろう?

 8メートルはゆうにあると思うベランダ、幅も広いので、ゆっくり走らせて、切り返しで方向転換、戻ってきて切り返しを繰り返す。細かい操作に、結構没頭してしまいます。プランターや鉢をかいくぐりながらの低速コントロールは結構楽しかったりする。

 我が家の無駄に広いベランダ、ガーデニング以外にも使い道ができたようです。



 とりあえず僕は今日も生きています。

 漫画もちゃんと描いていますよ。


 いつかの奇跡を信じて、とにかく待とうと思う。

 サントムーンによくいます、原の海岸にもよくいます。

 どこかで会えると信じています。


 負けないでほしい、がんばれ!

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〔5月11日分の記述〕 


 Fさん、先日書いた「銀河英雄伝説」は当時かなりの人気作で、本伝だけでもかなり長いのに、それに飽き足らず、外伝まで存在する。

 外伝では、冴えない士官候補生だったヤン・ウエンリーが、どういう成り行きで偶然出世したかが書かれている。

 冴えない士官だからか?エル・ファシルという惑星で、住民を置いて脱出した艦隊を、逆に囮にして住民を脱出させ英雄になり、市民からは褒めたたえられるが軍からはうとまれる彼は、辺境の収容所惑星に飛ばされる。


 思い出したのはこのくだりだ。


 辺境惑星では5万人だかの捕虜がいる。

 たかだか何千人しかいない同盟軍では、5万人が一斉に蜂起したら太刀打ちできない。

 そこで、この捕虜たちの自治組織と折り合いをつけて上手くやることが、最善の策なのだ、と赴任早々上官に言われるヤン・ウエンリー。

 弱みは見せるな、しかし上手くやれ、とか書いてあったように思う。


 急にこんな事を思い出す。


 "彼ら"もこれに似ている。

 "彼ら"の組織は巨大な捕虜収容所のようなものだ。一部の少数の役員により管理されている巨大収容所。捕虜たちの待遇はよく、勝手に街を歩いたり、働いたりすることが許されている…。

 大学で学んだり、海外に留学する事さえ許されているが、基本捕虜の枠からでないような範囲でのみだ。不満が出ない様、役員はありとあらゆるものを、不便ないように用意する。

 捕虜の方が「役員」よりも圧倒的に多いので、役員は捕虜たちと上手く折り合いをつけて管理している。しかし、捕虜であることはかわりなく、一定の制限と不自由が存在する。脱出が許されていないのがその典型だ。


 しかし、本物の捕虜収容所と決定的に違うところがある。


 捕虜収容所の捕虜は、自分が捕虜であることを知っている。

 その事を自覚し、いつか無事、祖国に帰るという希望を抱き続けている…。叶う叶わないにかかわらずだ。


 "彼ら"の場合は、自分が捕虜であるという自覚「すらない」。

 アイデンティーティーを完全に奪われ、あるいは支配され、そのことに気が付きもしない。管理されることに完全に慣らされている…。

 慣らされている方が異常であり、違和感を抱く方が正常なのに、捕虜収容所内では、この常識が「逆転」され、異常な方が正常とされ、正常な方が異常とされる…。


 カルトここに極まりとかいて、差し支えないと思う。


 そして捕虜は気が付く、いくら自由があり、働いても、稼いだ金は、役員に流れている。

 圧倒的多数から搾取するのだから、少額と言えども、その手にする金額は相当なものだ。

 そのうま味があるなら、多少の苦労はいとわないのだろう…。


 この手の図式はどこにでもある。


 しかし、ポイントは、自分で考え、行動できるかどうかだ。

 自分で楽しみを見いだせないカルト信者は、役員様の用意した座興に興じる。

 自分で人間関係を気づけないカルト信者は、役員様の用意した友達をありがたがる。

 自分でかわいいお嫁さんを見つけられないカルト信者は、役員様に財務して、見つけてもらうのだろう。


 正直、腹が立ちます。

 なににって?

 これを恥ずかしと感じない組織の人々にです。


 仏教徒として、それが恥ずべき生き方であると、気が付けない、自覚出来ない時点で、すべに仏教徒と名乗る資格がありません。


 "彼ら"に勝つには、偶然の力を借りなければ、勝てないと思う。

 僕は、もう一度Fさんに会いたい。

 だから書き続けようと思う。

 奇跡の女神が振り向いてくれるそのを信じて。


 Fさん、君は一人で戦っているわけではありません。

 ながく一人だったかもしれないけど、今は違うのです。

 だから大丈夫です。


 Fさん、君は圧倒的に正しい、だから堂々としていていいのです。


 まけないで、がんばって、かならず、希望は満たされます。

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〔5月12日分の記述〕


 個人のお客さま向けサービス | 岡野哲也税理士事務所

 https://office-okano.jp/for_personal/


 …みたいなサイトがある。

 個人宅の節税対策のために、会計士を入れる話は普通にあるようです、Fさん。


 これで、"彼ら"の財務のなかから、一部横領している証拠でも出たら?

 かなり流れが変わると思う。

 会計士を入れて、どう考えても説明のできない金額が出てきたら?


 人を平気で騙す人なら、人から預かった財務を個人的に勝手に使っても、ちっとも心が痛まないように思うけど…どうなんだろう?


 会計士を拒否する時点で、それ自体が、すでに「交渉のカード」として、有効な「強力なカード」だ。


 心にやましい所がある人は、些細な事でも過剰防衛する。

 そして、この特徴は、"彼ら"全般に言える。


 そして、肝心なことに、こちらにはやまし所が一切ない事だ。


 Fさん、君は圧倒的に正しいのだから、心にやましい所のある連中に、負ける必要はないのです。

 組織から離れたら?組織から離れられない人間よりも、圧倒的に優位になる。


 負けないでほしい、がんばれ!

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〔5月13日分の記述〕


 Fさん、カルト教団というものは、ウソがばれて収取が付かなくなると?

 洋の東西を問わず、空前の天罰が下るとか、世界が終わるとか、そんなことを言い出すものです。

 …そんなことを口走るくらい、追い詰めてもいいと思う。


 その姿がいかに滑稽か、気が付かせてあげて、いいと思う。

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〔5月14日分の記述〕


 Fさんが、昔、誰もいない教室でメトロノームが動いているのを見ているのが好き、と言っていたのを覚えている。他の人からは変と言われたとかも言っていたような気がする。

 しかし、僕は変とは思わないとか言ったような気もする。


 …こんな事も感じます。

 僕らは他人よりも感覚が鋭敏すぎるのだと思う。


 感度の良すぎるラジオが、あらゆる電波を拾ってしまい、雑音だらけになってしまい、肝心な放送が聞けなくなるのと同じくらい。


 感覚が鋭敏すぎると、肝心な放送が聞きづらくなるのと同じように、日常生活で感覚が鋭敏すぎると、何を感じればいいのか情報が多すぎてわからなくなってしまうのだ。

 それでも、何かを選ばないと生きてはいけないから、雑音だらけの中から、本放送の音を聴くために集中力を発揮して音を拾うかの如く、毎日、集中してないと、生きてゆけない…?


 人一倍集中力をつかうから、毎日すごく疲れないだろうか?

 他の人が、自分ほど生きるのに疲れていないのを見て、どうしてだろうと感じたこと、ないだろうか?


 過度な情報に毎日さらされているから、静寂の時間がくると、ついついその「なにもない」時間をすごしてしまい、いつのまにか時間がたってしまっている事、ないだろうか?


 僕はあります。

 そしてそんな時、君の言ってた、誰もいない教室で、一人メトロノームが動いているのを見ているという話を思い出します。



 そういえば、二人で神社にいる時間は、何もない時間をただ二人だけで共有し、あっという間に時間がたっていたような気がします。

 稀有な存在だった、と思う。

 この感覚を共有できる人物を、他に知りません…。


 鈍いと人からは見られるが、実際は逆で、感覚が鋭敏すぎるから、動けなくなる。

 正しいものを必死に探そうとする…。

 この感覚、なかなか人に通じないときがある。


 Fさん、どう思う?

 今度会った時に教えてください。


 いつかの奇跡を信じて、とにかく待とうと思う。


 負けないでほしい、がんばれ!


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〔5月15日分の記述〕


 先日、ラジコンを修理した話を書きました。

 ラジコンには子供用のものと、大人用のものがある。

 一般に子供用をトイラジコン、大人用をホビーラジコンと表記されます。


 ホビーラジコンは非常に敷居が高い。

 ある程度、機械いじりの知識がないと、趣味として続けるのは困難だ。

 しかし、逆に言うなら?

 大人として長く続けることができるものでもある。

(特に実車と違い、かかる金額が趣味の範囲におさまるレベルだ)


 僕は浜辺でラジコンがしたくて、いくつか買ってみた。

 最初かった2台のトイラジコンは、パワーが全然たりなくて、屋外で走行させる力がなかった。

 あとあと知ったのだが、子供用のトイラジコンは、安全面も考えパワーが少なく設定されているらしい、子供がぶつかってもケガしないようにだ。だからどんなに見た目がすごそうでも、基本的にパワーが足りない。


 砂浜のような荒れ地で走らせるには、本格的な大人使用のラジコン、ホビーラジコンでないとダメなことがわかり、まずは組み立てキットを購入した。

 しかし、その予想以上の組み立ての難しさに頓挫してしまいました。

 プラモデルくらいの難易度と思っていたけど、これが予想以上で、いまだできていません。


 仕事をしつつ、漫画もかきつつ、その余剰時間でこなすとなると、ホビーラジコンの組み立ては非常に敷居が高いです。


 で、次に手を出したのが「RTR」というもの。

 RTRとはReady to Runの略で、箱から出してすぐに走れるホビーラジコンの意味らしい。

 要は組み立て済みホビーラジコンの事だ。

 自分で組み立ててないからバラせないのだが、すぐに遊ぶことができる。


 1代目のRTRは、砂浜で走らせていたら稼働しなくなった。

 壊れたらしいのだが、自分で組み立ててないので、どこをどう直したらいいのかまったく見当もつかず、放置するしかなかった。

 あとあと知ることになるのだが、ホビーラジコンは定期的なメンテナンスがなければ壊れてしまうものらしい。だから自分で組み立てられないユーザーは、しばらくすると、ラジコンのメンテナンスのためにどーしてもい組み立て方やバラしかたをマスターしないといけないらしい…。


 1代目のRTRが動かなくなった原因は?

 ベアリングのメンテナンスにあるらしい。

 ここを清掃ないし、交換等すれば、再び動くようだ。


 今は2台目のRTRで遊んでいます。

 先日修理したというのは、この2台目のRTRです。

 1代目からフロントの回転シャフトを移植して、ようやく修理できました。


 狩野川サイクリングをしていると、修善寺に新しい道の駅ができているのに気が付く。

 この周辺に、RTRを走らせるのに都合の良い河川敷があることは、以前から知っていた。

 修理も完了したので、ここで走らせてみる。


 結果として?

 意外に楽しかった。

 RTRはちゃんと走るし、ドリフトもする。

 コンクリの路面ではアンダーステアがありすぎる車体も、砂地ではいい感じの挙動で、僕でもコーナーでドリフトコントロールがある程度できるのだ。


 手持ちのバッテリーは4本。

 同じ性能のもののはずだが、ながく放置していた影響か?性能に差がある。10分ほど全力で走れるはずなのに、全力で走れる時間にばらつきがあるのだ。


 御殿場にバギータイプのホビーラジコンがレースのできるコースがあると聞きます。

 そのうち、そういうところに行こうかなとかも、思わなくもない。


 

 …ここで、こんな事がありました。

 最初、道の駅に車をとめて、河川敷を徒歩で観察しました、ラジコンができる場所を目視確認するためです。最初に目を付けていた場所は工事中でだめで、しばらく歩いてみつけた運動場でラジコンしてみることにしました。この運動場への自動車での侵入ルートなどを、歩きながら確認していると?

 一台の自動車が近づいてくる。

 この車、河川敷に侵入すると?

 無意味に一周し、止まることなく奥まで走っていった。短時間で戻ってきて、河川敷から脱出し、行ってしまうのだ。河川敷に目的をもって入ったわけではない。なに?この車?と思った。

 それからしばらくして、僕自身も車で河川敷に移動、ラジコンをしていると?

 堤防上のこちらが見える場所に一台の車が止まる。

 見ている風には夕日を楽しんでいる風なのだが、夕日を楽しんでいる「他の人々」は、この先にある道の駅のもっと豪華で景色のいい駐車場を使っている。わざわざそこに停めることに違和感を感じた。


 先に書いたように、何本もバッテリーを持ち込んでいたから、けっこう長くラジコンをしていた。

 で、こちらが切り上げるそぶりを見せると、ようやくその場を去ってゆくのだ。


 初めて行く場所の"彼ら"は、正直リアクションが初々しいという特徴がある。

 なぜならば、繰り返し行く場所の"彼ら"はもう少し工夫するからだ。

 この初々しさ…。やはり「そう」なんだろうか…。

 

 Fさん、どう思う?

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〔5月16日分の記述〕


 財務省事務次官のセクハラ問題。


 あの、「名乗り出て」という言葉は、個人VS組織の図式だから言えたものだと思う。

 テレビ朝日が登場し、女性側に立ったことで、組織VS組織の図式になった。


 これが、局面の転換点になったのだと思う。


 Fさん、相手は君が「個人」だと、ああいう態度を変えない。

 しかし、組織VS組織になったら変わってくるかもしれない。


 この場合、宗教論争には絶対持ち込んではいけない。

 この手の戦いに"彼ら"は慣れている。


 あくまで、そちらの組織の○○さんがおこしたセックススキャンダルである、という論点で戦わないといけないと思う。宗教論争に持ち込んでは絶対にいけない、勝てないからだ。


 もし、麻生副総理が辞任するようなことになれば、渦中の事務次官は立場を失うだろう…。


 もし○○さんが、絶対に非を認めないならば?

 ○○さんの上役が辞めざる得ないような、そういう戦いをする方が効果があるかもしれない。


 こういう記事があった(以下転記)



 女性記者へのセクハラ疑惑を報じられた財務省の福田淳一事務次官が更迭されたことに対し、与党からは「判断が遅すぎた」(公明党幹部)との声が広がった。


 それでも与党はこれを区切りとして停滞する後半国会の審議を進めたい考えだが、野党は被害女性に名乗り出ることを求めた麻生太郎副総理兼財務相の責任などを引き続き追及する構えだ。


 「ますます緊張感をもって、この難局を乗り越えていかなくてはならない」


 自民党の二階俊博幹事長は18日夜、都内で記者団に厳しい表情でこう語った。


 公明党の大口善徳国対委員長も記者団に「福田氏は事務次官としてやらなければならない信頼回復や組織の立て直しが期待できないと感じたのではないか」と述べた。


 与党は、安倍晋三首相が求めていた辞任を福田氏が早期に決断しなかったばかりか、財務省の顧問弁護士を被害女性の申告窓口とするなど「世論の反発を次々買う財務省のずれた対応」(自民党幹部)に怒りを募らせていた。


(転記終わり)


 組織内にも、○○さんのした事に怒りを感じているグループがいると思う。



 …前にも書いたけど、偶然も、挑み続けないと起きない、と最近僕は気が付きました。

 “彼ら”に勝つには「偶然」の力でも借りなければ勝てない。


 あきらめず、前を向き続けることに、価値はあると、僕は信じます。


 負けないでほしい、がんばれ!

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〔5月17日分の記述〕

 Fさん、こんな事も思います。

 感覚が鋭敏すぎて、普通の人以上に様々な事を感じてしまう場合、何が正しいか?とそのあふれる情報の中から選ぼうとすると?自然と「正しい」事を「選ぶ」傾向がある。

 この場合の「正しい」は、損得の正しいではなく、善悪の正しいだ。


 なぜならば?

 様々な情報があふれる中、ようやく正しい事を選んだ末に、さらに、自分にとって損か得か?を考える余力がないからだと思う。


 他の人が「指示」する選択肢は、自分が一生延命考えて選んだ「選択」と違う事もある。

 正しい事を選択すると「いい子ぶってる」とか言われることもあるだろう…。


 けど、自然とそうなるのであって、演技でやっているわけではない。


 自分の事を考える余裕がないくらい、情報にあふれかえっているからだ。


 こういう感覚、なかなか人には通じません…。


 Fさんは遠くへ行く乗り物に一人でのって移動するのが好きではないだろうか?


 あふれかえる情報の渦から、少しの間でも離れていたい、休んでいたいと思うのではないのだろうか…。けど、責任感から、その渦中に再び戻る。なぜならば?この感覚の持ち主は、善悪の面で「正しい」事を選択しがちだ。責任から逃げるという選択肢は、善悪の面で正しくないから、選択肢に入らない、どんなに無意識が悲鳴をあげても、その感覚を押し殺さなければいけないくらいに。


 しかし、無意識の悲鳴は止めることはできない、だから、時々休むために情報の渦から逃げる必要がある…?


 わからないけど、そういう感覚、ありませんか?


 Fさんは、あの時言った、本当の私を知ったら、嫌いになっちゃうよ、と。

 自分の持つ善悪の基準と、違う何かを、させられてないと、こういう言葉は出ないよなと、感じるのだけど…。


 他の人と僕らは、流れている時間の速度が違うのだと思う。


 Fさん、間違ってるかな…。

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〔5月18日分の記述〕


 Fさんへ。

 今日は本当は2018年5月6日午前零時です。

 本日のシフトは夜勤なので、このまま徹夜をつづけて、明け方から睡眠予定。

 午後三時半に家をでてコンビニによってから仕事場へ向かう予定です。

 距離的な関係で、あのコンビニではなく、幸原のコンビニを使う予定です。


 翌7日の夜勤明けは、たぶん、千本松原の海岸へ移動、仮眠する予定です。


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〔5月18日分の記述〕


 Fさんへ。

 今日は本当は2018年5月6日です。

 こんな事も思います…


 コストコが話題です。

 静岡には浜松にしかない。

 浜松は名古屋文化圏だ。ここよりずっと都会だ。


 静岡東部がいかに田舎かと思い知らされるところです。


 コストコの商売の秘密と称して、解説している番組を見ました。

 するとここに「アンカリング効果」という言葉が出てくる。

 アンカリング効果については、以前「ガスライティング対策」のくだりで書いたことがあると思う。

 なんでもない、普段気にも留めないような事が、気になって気が狂いそうになるように暗示をかけることと説明したように思う。


 コストコが行っているアンカリング効果は、“彼ら”のそれとは違うが、原理は同じだ。


 宝石売り場で、わざと何千万円もする宝飾品を展示し、その隣に、何百万、何十万の宝石を展示する。

 さらにその隣に、三万円くらいの宝石を置いておく。

 見とれていたお客さんは、これなら買えそう、と三万円の指輪を「つい」買ってしまうというわけだ。

 アンカリングとは?

 アンカーの事をさす。

 三万円が安く感じるように、わざと高額商品をおいて、金銭感覚をおかしくし、購入意欲をアンカーで引き上げるがごとくするものだ。


 “彼ら”のそれも原理は同じだ。


 なんでもない「頭をかく」という動作を、敵意をこもった感情と共に何千人単位で24時間行えば、された方の人間はきになってしょうがなくなる。

 その内、普通の人が意味なく行った頭をかく動作ですら、自分に敵意があるのか?と感じるようになるのだ。

(しかも、いくら誰かにこの感覚を説明しても、普通の人にこれを理解させるのは困難だ。さしずめ、いつもなら買わない三万円の宝石を、なぜコストコで買ってしまったのか?周囲に説明できない女性と同じように…。)


 サンクコスト効果についても説明されていた。


 コストコは年会費を払った会員のみが買い物ができる。

 年会費を払っているから、使わないと「もったいない」という心理が働き、どんな些細なものでもコストコで買い物するようになる。

(これは、アマゾンプライムでも同様な効果が出ていると、TVで見たことがある)


 僕はこの小説内で何度も書いている、サンクコストの呪いにかからず、冷静な判断を…と。


 僕の書く「サンクコストの呪い」とは「サンクコスト効果」と同じことだ。

 “彼ら”のメンバーはつぎ込んだ財務の金額の合計金額を考えると、組織を利用しないのはもったいないと感じるだろうし、つぎ込んだ時間の総合計時間を考えると、その時間を無駄にしたくないという感覚から、どんなに疑問に思っても、組織を否定できなくなる心理になる…。


 最近、こういう心理学を商売に応用するのが流行らしい。

 一般に、行動経済学、と呼ばれている学問だ。


 従来の経済学では、消費者は賢く間違えないことが「前提」になっていた。

 この前提条件で、神の見えざる手が働き、市場はバランスが保たれるとしたのだ。


 しかし、それでは説明のできない事が次々と起こるため、人間は賢くない、間違えるんだ、と、前提条件をかえて、市場の変化を研究する学問が発展した。

 これが行動経済学だ。


 ここでこの小説で以前書いた「ジョージ・ソロス」の再帰性理論を思い出してほしい。


 「再帰性理論」自体は、ジョージ・ソロス個人が唱えているたけの「私的」な経済理論にすぎない。

 理論といっても、学会で発表できるような体裁はとられていなく、あくまで、一トレーダーが主張する儲けのコツにすぎない扱いとされていたと思う。

 しかし、ジョージ・ソロス自身は不敗のトレーダーだ。再帰性理論は研究する価値があると思う。


 そう思った他の経済学者がいたのか?たまたまの偶然か?

 まるで再帰性理論を、学問のアプローチからリビルトしたような印象があるのが、行動経済学だ。



 ここまで書くと?こう感じる人らがいるかもしれない。

 行動経済学に騙されるな!とか。

 でもそこまで身構える必要はないと思う、マックスウエーバーの主知主義的合理化でもわかると思うが、それはそれ、これはこれ、と合理化して考えればいいのだ。

 踊らされるにしても、楽しく買い物できるという事実は変わりない。

 行動が誘導されている事を理解しつつ、許容範囲内でその誘導に身をゆだねて楽しめばよく、限度を超える前に買い物を終えればいいだけの事だ。


 俗世を楽しむとはそういう事だと思う。

 簡単に言うと?のんでも、のまれるな、ということだ。



 “彼ら”の多くは、教団の示すいろいろなものにのまれていると思う。

 行動を誘導され、利用されている。


 そして、つぎ込んだ時間や私財がおしくて、教団を否定できない。



 二階のフロアの女性が、挨拶をすると、いままでと違う態度をとるようになった。

 とくに心当たりがない。毎度のこととはいえ、まだ続くのかとか思ったりします。


 “彼ら”がなにかバイアスをかけた結果だろうか…?

 また、例によって、クズと思われているのだろうか?

 たしかに有能ではない、しかし、人にクズと言われるほどでもない。要領が悪いだけで、それは感覚が敏感すぎる性分が原因でもある。これらは時間さえかければ改善できるものであり、心が腐っているクズとは根本的に「違う」と強く主張します。


 以前こんな映画を見たことを思い出す。

 たしか、あれは…、映画「ミシシッピ・バーニング」だっただろうか?

 白人の若者が、黒人=(今風に言うならアフリカ系アメリカ人)をクズ扱いするのだが、どーみても、クズはその白人の若者の方なのだ。

 クズは他人をクズと呼ぶことで、自分が「そう」でないと、意識したいのだろう…。そう映画をみて思ったと記憶しています。違う映画だったかな…。いま、手元にこの映画の動画がないので確認しようがありませんが、そういう記憶がある。



 まあ、“彼ら”はそういう病気なのだからしょうがないのだけれども…。

 依存し、快感から抜け出せなくなっている、心の病に集団感染させられているのだから。

 さしずめ、自分たちの横暴な態度が、どのくらい世間の常識からずれているか、いまだ気が付かない財務省の役人の様に…。

 今、財務省の役人は、TOKIOの残ったメンバーの謝罪会見を見て、何を思うのだろう?

 あれを見て、いかに自分たちの認識がおかしかったかと恥じるのか?

 それとも、法律に違反してないから、どうどうと裁判しようとか、いまだに思うのか…。


 ちなみにいうと、法律に書かれてないから、という理屈は、脱法ドラックを販売している人らと、理屈の構成は全く同じだと思う。世間の常識というか、倫理や道徳概念が、欠落した発想だ。


 ○○さんは絶対に自分の非を認めないだろう。

 確信します。


 現状を打破するのは、偶然の力でも借りなければ、なしえないと思う。

 しかし、偶然というのも、挑み続けないと起きないのも事実だ。


 人は必ず間違える、行動経済学がそれを証明している。


 それが人間なんです。


 間違えていいんです。


 間違えを認める勇気はかっこいいと思います。


 間違えを隠したり、ごまかしたり、もみ消そうとするのは最低な事だと思います。


 そして、この常識が通じないということは、悲しい事だと思います。


 間違えを認めても何もならないのも事実だ。


 しかし、そこを認める心が大事と、たぶんだけど、それが仏教の教えと違うのだろうか?


 曲がりなりにも仏教徒と自称するならば、そのプライドを捨てないでほしい。


 たぶん、Fさんもそうだと言うはずです。


 Fさん、がんばって、君は圧倒的に正しい。

 君の行動は、若い世代の女の子たちの救いにもなっていると思う。

 同じ悲劇を繰り返させないと、○○さんに言う事には、そういう意味もある。


 まけないで!がんばれ!



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〔5月19日分の記述〕


 Fさんへ、こんなことも思います…。

 この土地に越してきたのは、僕が生まれた直後あたりらしいと聞いている。多分だが、うちの父が、僕が生まれてすぐぐらいのころ、"彼ら"と遭遇し、その勧誘を拒絶している。

 自我に目覚めたころから、たしかに友達らしい友達はいない。

 かつては、そういうものだと考えていたが、"彼ら"の真実に気が付いたあの日以降、人生観が変わってしまった。

 

 幼少期から小学校4年まで、僕の立場はいつもこうだった。

 クラス中からいじめられるか、もしくは僕よりもいじめやすい奴がいる場合はその年だけいじめの対象にならないが、無視はされるか?のどちらかだ。


 完全に人から相手にされない中、どーやって人と話す方法を学んだかというと?

 同時期、個人運営の「英語塾」に通っていて、そこにいた同世代のこと仲良くしていたからだ。こう思う、この「塾」は閉ざされた空間であり、"彼ら"の影響が及ばなかったのだ。

 ここで人と話す方法を学んだのだと思う。

 普通に笑ったり、冗談を言ったり、ふざけたり、ちゃんとできるのは、それが理由だ。


 その後、小学校5~6年の間に、この英語塾で長年仲良くしていた友達と学校でクラスメートになり、彼を通じて学校でも友達が増えた。この2年間はいじめをうける事も、無視をされることもなかった。

 教師たちまでこういっていたと記憶している、「Kくんはあかるくなったね」と。


 情操教育という言葉がある。ウイキぺディアにこのように説明されています。

(以下転記)

 情操教育じょうそうきょういくとは、感情や情緒を育み、創造的で、個性的な心の働きを豊かにするための教育、および道徳的な意識や価値観を養うことを目的とした教育の総称。

(転記終わり)


 僕の情操教育は、幼少期からの英語塾での友達とのじゃれあいや、そこで友達になった彼を通じて広がった学校での楽しい2年間により、作られたものだと思う。ある意味、「彼」がいなければ、今の僕の人格はなかったとも言える。


 しかし小学校6年の3学期の最後のほう、卒業も近い時期になり、急に状況がかわる。

 この長年友達でいてくれた「彼」が急に変わるのだ。

 変わったと感じた瞬間も覚えている。


 授業中、簡単な漢字を度忘れした僕は、「どう書くんだっけ」と彼に聞いた。

 たしか「髄」とかそんな字だったと思う。

 いつものかれなら、普通に教えてくれるのだが、その日は違った。

 「知らないよ」とかいい、無視するのだ。

 知らないってことはないだろうと食い下がるが、相手にしたくないという意思を全開にしてくるのだ。

 どー考えても、理解でいなかった。6年以上の付き合いで、そのリアクションは初めてだった。


 その日以降くらいだろうか?

 仲が良いと思っていた人が、一人また一人と、急に冷めていくというか…、距離を感じるようになった。ふざけようとしてもタイミングが合わないようになる。


 そして、そのまま中学に皆で上がると、また再びいじめが再開されるわけだ。

 私塾の「英語塾」は中学3年間も継続していて、塾ではその彼とも会うし、塾では学校と違い、今まで通りなのだが、学校では明らかに違っていた…。本機で僕を馬鹿にすることが結構あり、塾での態度の違いが僕の理解を超えていた。

「世の中こんなものか?」

 と思っていたが、今はそうは思わない。

 あれは、異常な出来事だったと思う…。



 中学時代は、その彼を慕ってバスケ部に入ったが、居心地が悪く行かなくなった。

 当時、「サムライトルーパー」というアニメがTV放送されており、一見バカげた内容なのだが、見ると意外と面白い、という話題で友達ができて、放課後部活をさぼってその友達2人と意味のない遊びをしながら過ごす日々だった。


 アニメの話題なら、ある程度友達もできた、そう記憶しています。

 しかし、この長年の友人はアニメをあまり見なかった。


 高校受験で皆バラバラになり、また一人になった。

 高校では完全に孤立してしまう…。

 一応、友人といえそうな人を作るのだが、僕から見ても「こいつ大丈夫か?」と思うようなやつしか残っていなくて、同じようにクラスでハブられている者同士でしかなった。


 アニメの話をしても盛り上がらないし、この小説で書いてるような歴史の話とか、雑学の話をしても反応がない。明らかに「情操教育」の段階で、正常な感情形成が阻害されているような…そんな人だった。

 何とかしようと、トランプとか将棋とか一緒にやるのだが、これもダメだった。

 明らかに感情形成がうまくいってない人で、結局クラス替えとともに話さなくなった。


 高校三年間は、ほとんど吹奏楽部の男子と過ごしていた。

 クラスではハブられる僕も、吹奏楽部では普通にしていられた。


 そう、僕は自分でも思うけど、けっこう「普通ノーマル」なんです。

 ちゃんと子供のころ「情操教育」の過程で、普通に話したり、笑ったり、ふざけたりすることを学べている、普通なんだと思う。先に書いた、何を話しかけても無反応なやつとは、違う。そう自分で思います。


 しかし"彼ら"は「そう」は思わない。

 先に書いた、話しかけてもなにも反応をしない彼と、僕を、同類と思っているのだろう…、そう思います。



 最近、イタリア旅行に行った際、仲良くなった人にも、こう言われた。

「話しかければ、ちゃんとした答えが、返ってくるねえ」と。

 イタリアで、その料理があまりにもおいしく、その感想を話していた時のことだ。


 僕の情操教育は「英語塾」でのふざけあいとかでできているのだと思う。



 高校時代、僕は君に出会った。

 仲良くなるまで1年かかったと思う。

 きっかけは映画に誘ったことだ。そのあと、君が意外にアニメを見る人と知って、それで「紅の豚」に誘ったのだ。Fさんの人との距離の取り方は、違和感を感じなかった、不思議でした。



 こうやって過去を書くと、自分を冷静に客観視できます。


 Fさん、いろいろあると思う、いろいろな感情がこみあげてくることも、あると思う。

 そういう時は、自分の過去を一度文章化してみると、意外とすっきりします。

 ごちゃごちゃした感情の整理がつくと思います。


 "彼ら"はなによりも君の心の混乱を狙うと思う、その方が抑え込みやすいと考えているからだ。


 僕の情操教育は高校時代も続いたんだと思う。

 高校時代、人をどう愛せばいいのかを、学ぶことができたのだと思う。

 Fさんも、そう感じてくれたらうれしいです。


 負けないで、もう君は一人ではありません。がんばれ!

 

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〔5月20日分の記述〕


 Fさんへ。

 今日、本当に偶然、高校時代のトランペットの彼。

 君が、注意したほうがいいと、教えてくれた方の彼が。今現在東京にいてどうしているかをしる機会がありました。

 有名アーティストの楽曲作りに参加した?みたいな話で…

 まったくの予想外でした。

 音楽で成功してた、予想外です。

 部室で毎日のようにドラムを叩いていた彼の姿を思い出します…。


 こういう偶然で、現在の君の事が知れたらいいのにと、思ったりもします。

 いつかの奇跡を信じて、とにかく待とうと思う。

 負けないでほしい、がんばれ! 

 

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〔5月21日分の記述〕


 コンビニで下記のような本が売っているのを見ました。


 「よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話 (ヤングマガジンコミックス) 」いしいさや (著)


 中は漫画になっていて、お母さんが子供に、サンタさんはいないんだよ、悪い人なんだ。と教えた後、後日お父さんがプレゼントを、サンタさんからとしてあげる。

 すると母親が、サンタさんはいないんだよ、それはお父さんがあげたんだよ、お父さんありがとうって言おうね、といわれ、子供はシュンとしてそのようにする。怒る父親は無言で立ち去るというシーンがある。

 見ていて思った。

 これって“彼ら”の事なんじゃないの?と。


 君が内容を記し、僕がそれを漫画にしたら?すごいことができそうな気もするけど…。

 まあ、僕の目標はあくまでFさんと再会する事であり、“彼ら”の組織をどーのこーのする意思はない。


 何が言いたいかというと?


 こういう本が出版される余地はある。

 やられっぱなしのまま、組織を離れるのに我慢ならないならば?

 こういう本を書くことで意趣返しはできるし、また、この文章を書く、書かない、と交渉のカードにつかってもいいと思う。


 そうそう、こんな事も思いました。


 これも以前この小節内に書いた事なんだけど。


 アメリカのカトリック教会で、神父による子供へのいたずらが問題になった事件があった。

 事件が発覚しても、教会は謝らない。

 怒った教徒たちが何をしたかというと?教会への寄付をボイコットしたのだ。


 すると「手のひらを」返したように、急に謝罪し、エロ神父を追放した。


 たぶんだけど、“彼ら”の場合は?

「財務」を集団でボイコットすることが、もっとも強力なアピール手段なのだと思う。

 これをやると?役員様は逆らうメンバーに対して、ガスライティング攻撃を集団で行ったりするのだろう。でもこのガスライティング攻撃は、多数VS少数でないと使えない。


 もし、組織が二分される論争になっているならば?

 良識ある方々、財務のボイコットにより、役員の考えを改めさせる手段は「有効」です。


 …たぶん、とても有効です。


 Fさん、セクハラ役員を懲らしめる、という表題ならば?

 賛同する人は多いかもしれない…。


 そして、ここが肝心。


 仮に上記運動が頓挫したとしても?

 そのあらましを詳細に期した文章を書籍化したら?さぞかし面白い読み物になることと思います。

 もし文章が書けない?というならば?

 その時は相談にのりますよ、Fさん。

 その辺のシロウトよりは、文章書く自信、じつはあるんですよ、僕は。


 慰謝料を仮に放棄したとしても、出版で回収する方法もあります。


 いつかの奇跡を信じて。


 負けないでほしい、がんばれ!

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〔5月21日分の記述〕

 Fさんへ、今日は本当は2018年5月11日です。

 これから夜勤になるので、午後三時半家を出て、幸原のコンビニによってから仕事場へ向かいます。


 明日の夜勤明け後は、原の海岸へ車で行き、仮眠した後。

 エアガンで射的してトロンボーン吹いてかえる予定です。


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〔5月22日分の記述〕

 Fさんへ。

 こんな事を思いました。


 もしも相手が、謝罪として、丸坊主かなんかにしてきたら?

 こう言って返していいと思う。

「丸坊主なんて、号泣爆笑会見をした野々村竜太郎、元兵庫県議会議員と同じじゃない」と。

 

 こう付け加えてもいいと思う。

「財産放逐して、帰る家も処分して、裸一貫修験者として修業して、反省のため修行をすると言っても、「まだ、ぜんぜん」足りないくらいの事を、あなたは「した」の」と。


 で、最後にこう言うのだ。

「丸坊主なんて安いものでどうにかなると?本気で思っているの?」と。


 …たぶんFさんにこれは言えないと思う。

 けど、そう念じながら相手を睨めつめるくらいなら、できるかもしれない。


 あいては君が怒らないから、なめてかかってくる。


 かといって、感情を爆発させても、解決しない。


 理論的に、冷静に、怒っていると伝える工夫が必要かもしれない。


 難しい事は分かっている。


 でも、偶然上手くいくこともある。


 ともかく、あきらめてはいけないという事だと思う。

 前を向くことをあきらめないでほしい。

 

 負けないで!


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〔5月23日分の記述〕

 Fさんへ。


 ツイッターにショートな短編漫画を載せている人、結構います。

 こういうのを見ていると、「今」は「こう」なんだな、といろいろ思います。

 真似しようと思う事もあるけど、しかし、安易な真似が上手くいかないことも、経験上知っている。

 こういうのは、継続して見ることで、心に「ニュアンス」のようなものが蓄積してゆき、自然と無意識に現れるようになるのが、一番いいと心得ます。

 

 昨日見たのに、こんなのがあった。


 会社で、仕事量がこなせないと、上司から、なんで君だけできないの?病気なんじゃないの?と言われる。しかし、こなせないのには理由があって、古株という事で、上司の5倍、他の従業員の3倍近い仕事量を抱えているから。

 上司の上司に相談すると、やはり、病気なんじゃないの?と指摘される。

 職場では精神のおかしい人扱いをされているというのだ。


 その人は、精神科へ行って診てもらったという。

 詳細な検査の結果、診断は問題なし。

 それどころか、今時珍しいくらい、まじめな人、と言われたという。


 精神科の先生はその人に、こう言ったらしい。

 あなたがおかしいのではなく、周りがおかしい、と。

 皆おかしくなっているから、おかしい事に気が付かないのだ、と。


 それでその人は職場を変えたと書いてあった。


 …これを読んでいてこう思う。

 これって、“彼ら”のよく使う典型的な手口じゃないのかな?と。


 正常な人を、特にまじめな人を、理不尽に追い込んで、おかしい人と仕立て上げて攻撃する方法だ。


 これは僕もさんざん経験してきた、というか、今現在も時々感じるものだ。

 それって、そこまで言われること?と疑問に思う事、Fさんもありませんか?


 最初に勤めた介護施設では、デイサービスのナースが「そう」だった。

 洗面台の照明がついているだけで「なんでついてるの!これから口腔ケアするの!」と叫ぶのだ、僕に。おいおい他にも職員はいるのに僕のせいにするの?だいたい口腔ケアが終わって一時間くらい…、忙しくてそこまで手が回らないだけなんだから「消しといたよ」と言うだけでいいものを、叫んでけなしてくるのだ。

 たぶんデイサービスに返ったら、こんなことあったのよ。と言いまくるのだろう…、そう、思った。

 今だから言えるが、あれは言いがかりだ。


 大きなことから小さなことまで、毎日なのかな?デイサービスで言い続けたらしく、デイへたずねると、職員全員が針で刺すような目線を送ってくる。異常者を見る目だ。

 僕が会社の車を運転しているだけで、全員が目線を向けてくる。こいつにそんなことをさせていいのかという感じだ。


 その後もいろいろあり、そのナースはたぶん。僕が計画作成の資格をとれたのは、ホーム長とそういう関係だからだ、みたいなことを吹きまくっていた形跡があった。

 僕が辞めると言った後、ホーム長も辞めてしまった。

 話を聞くと、変な噂流されてるし、と言っていたのを覚えている。


 僕が辞めるくだりで、その他多くの職員も退職している。

 本来の正しい人間関係を歪めた結果だ。そして歪めた張本人は、自分のせいであるとは考えていない。

 僕の責任と考えているあたりが、異常だと思う。

 それだけ職員が減れば、仕事がきつくなることは自明の理なのだが、このナースは“彼ら”の論理を優先する人だった。


 同じことは東京の「書店」でもあった。

 僕を攻撃することは、書店全体への攻撃になり、売り上げの激減に繋がるなんてことは分かっているのに、それを行う社長のバカ息子は、やはり変人だったと思う。店の事よりも“彼ら”としての事情を「優先」させるのだ。


 それが自分自身への「不利益」へ遠からず繋がっていることは、分かり切っている事なのに、なぜかやってしまう?このあたりがカルト信者の悲しさというところだろうか…。


 現在の職場では日が浅い。

 だから核心には至らないが、先日の夜勤明けで、妙に細かい事を延々と言われた。

 照明はこうだとか、あれはこうだとか。いらいらした態度で。

 観察を繰り返さないと“彼ら”とは断言できないが、身構える準備はした方がいいのかもしれない。不意打ちが一番しんどいからだ。


 ナースとかケアマネとか、表の社会で頑張っている人が、婦人部の偉い人になっている可能性を想像するのは、可能性として決して難しくない…。“彼ら”は基本皆まじめだ。婦人部なり青年部なり壮年部なり、その部門を任される立場になれば、理由はともあれ責任感が生じて、がんばってしまうのかもしれない。


 しかし、こう思い返してほしい。

 先に書いた、ツイッターに載っていた漫画に出てきた、精神科の先生のセリフ。

「あなたがおかしいのではなく、周りがおかしい、」と。

「皆おかしくなっているから、おかしい事に気が付かないのだ」と。


 今も、街に出ると、“彼ら”らしき攻撃を感じる事がある。

 しかし、かつての「それ」と違う。

 威圧が「まだら模様」のように、唐突にピークが来るかと思いきや、唐突に普通になる、感じで、「威圧」が「まだら模様」なのだ。

 組織の意見が二分されている、という印象を受けるが…、Fさん、実際のところどうなの?今度会ったとき教えてください、こっそりと。


 昨日、ブロンコビリーへステーキを食べに行った。たまの贅沢だ。

 店員さんは新人らしく、受け答えが不機嫌な女子高生のようで変だった。

 慣れてないからかなと、温かく接してみるのだが、どうも変だ。普通はすぐに持ってくるサラダバーのお皿も、こちらが言うまで持ってこないし。

 最後の方、レジで精算をしていると、僕のすぐ横にある、積んであるメニュー表のところに来て横で、バタン、ドタンとでかい音を立てて、メニュー表を叩きつけて置いた。

 偶然を装って、目の前で嫌な感じの音を聴かせるって…、“彼ら”の猛攻撃激しい時、しょっちゅうあったやつだ。今回はメニュー表だが、金属音を連続で目の前で偶然を装い聞かせ続けるなんて、“彼ら”の常套手段と、以前この小説内で書いたと思う。


 こういう目の前ででかい音を立てられるのは、ペーパードライバー講習を帰郷してすぐ受けたとき、教習車のなかでよくやられた。講師が、手持ちの本だかファイルだかを、シートにたたきつけてから乗車してくるのだ。本をでかい音をたててたたきつける…。


 昨日のブロンコビリーで、メニュー表をたたきつけられたのを見て、思い出してしまった。


 レジでやりとりをしていた人も、おかしいと思ったのか?取り繕うような笑顔をしていた。

 そのたたきつけた店員、あとで怒られたのかな?そうであってほしいけど。


 Fさん、ともかく、僕としては、ただでさえ日常的に異常者扱いをされているわけだから、危険な行為はできないわけです。

 だから、僕から君に話しかけることはしない。


 しかし、君からこちらに話しかける分には、リスクは何もないと判断します。

 だから、ともかく待ちます。ごめんね、こんな事しか書けなくて。


 いつかの奇跡を信じて。

 あと、多くに人が、自らの心の声を信じて行動できることを祈って。


 Fさん、何か言われたら、こう言って上げてください。

「あなたがおかしいのではなく、周りがおかしいのよ。皆おかしくなっているから、おかしい事に気が付かないだけだわ、自分を信じて、おかしい事には意義をとなえていいのよ」と。


 負けないでほしい、がんばれ!

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〔5月24日分の記述〕

 Fさんへ。

 こういう事は、はっきり言わないといけない。

 理屈ぬきでFさんに、こう伝えます。


 過去、どんな罪を犯そうとも、僕は君を許します。


 どんなに過去、罪な事をしたとしても、僕は君を許します。


 抱え込みすぎないで!


 なんでも抱え込もうとする、Fさんの姿が目に浮かんでしまうのです…。


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〔5月24日分の記述〕

 

 Fさんへ。

 昨日は夜勤明けでした、朝はいつも苦手です。

 昨日の朝はいつもと違う事を試そうと、段取りをかえていました。

 思った以上にしんどく、朝、眠くならないようにコルセットで体を締め付けていたせいもあり、息が上がる。顔も変な顔になっていました…。やばいなあれは、なんとかしないと、そう思う今日この頃です。

(特に“彼ら”な必要以上に顔面の醜さを攻撃する特徴を持つ組織だ。そんなに美容意識が高いようには思えないのに?結局のところ、何かしら理由をつけて弱者を攻撃したいだけなのだが、指摘されるまでその卑しさに気が付かないところが、洗脳のなせる業と言ったところでしょうか…)


 Fさん、こう思う。

 いままであえて避けてきたが、そろそろ「斜視」の矯正手術、考慮してみようかと。

 費用も自力で払える程度のようだし、数回の通院で手術まで行けるらしい。

 仕事との兼ね合いもあるから、即決には至らないけど、もう少し情報収集してみようと思う。


 時々、夢見ます。

 手術して、目を直したら?


 どんな光景が見られるのか?と。


 これは斜視の人間にしかわからない感覚だと思う。

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〔5月24日分の記述〕

 

 Fさん、森永がペンキを売っているのを知っていますか?

 森永とはあの牛乳を売っている森永です、お菓子メーカーと言った方が通じやすいのかな…。


 森永ミルクペイントは森永が牛乳から作った「ペンキ」です。


 このペンキを知ったのは、TVの「ナカイの窓」でDIY特集をしていた時の事。

 素人でも簡単に塗れて扱いやすいと言っていた。

 実際購入してみると?

 シンナーのような溶剤のにおいは「まったくしない」。水溶性だから、水で溶かせて塗りやすいです。


 新築の家も2年たち、ベランダのテーブルもがたが出てきました。

 風雨にさらされ、木の組木天板が、これ以上放置してはまずい事を示していた。


 そこで一念発起して、ペンキを塗ろうと思ったわけです。

 せっかくなので「白」にしました。

 ベランダは白で統一感を出していたいのですが、このテーブル白くなくて気に行ってなかった奴です。

(テーブルは二脚ある、ベランダが2つあるからだ。道からよく見えるやつは大理石の天板だが、もう一つのテーブルは組木でもうボロボロなのです)


 結果からいうとうまくいきました。

 思った以上にちゃんとぬれて、きれいです。


 プラモデルでの塗装経験が生きた感じです。

 あとは乾燥、しばらくは重量物を載せないようにしないと。


 余ったペンキは100均で買った、寄せ植えに使える大型の鉢に使いました。

 プラスティックは塗れないとあったので、先に、模型用の下地材を100均の鉢に塗ると?

 乾燥するとボロボロとはがれる、こういう場合、たぶん、直接塗ってもプラは溶けないと経験上知っています。一気に塗って、100均の茶色い安物が、変わりました。


 今、寄せ植えを研究中です。 

 Fさんに見せたいです。


 いつかの奇跡を信じて、とにかく待ちます。

 負けないでほしい、がんばれ!



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〔5月25日分の記述〕

 

 Fさんへ。

 これは以前この小説内でも書いたけど、たぶん、もし君が脱出にある程度成功していたならば?

 次に“彼ら”が打つ手は、新しい婚約者を君の生活圏内に用意することだと思う。

 それも、君の好みを分析して用意するはずだ。

 “彼ら”はメンバーの数が多い。

 全国から探しまくれば、条件に見合う相手をさがすなどたやすい。


 逆に言うと、君もそういう手順で探された可能性もある。


 もし、身の回りに、不自然なプロフィールの人物がいたら要注意だ。


 僕の周りにも、なぜ?君は横浜からここに来たの?

 と感じる、腑に落ちない経歴の持ち主がいる。


 どこかの誰かが、コマの配置を進めていて?ある日突然、一気に来るような気もしなくもない。

 その様子は、説明するのが難しい…。

 あえて例えていうなら?

 映画スターウォーズ・エピソード2で、クローン兵団は、脳内のチップに仕込まれたジェダイを殺せという命令に逆らえない、「オーダー66」を実行すると、味方だったジェダイを躊躇なく攻撃する。葛藤もなにもない。

 そんな風にすら感じる。


 でも実際の“彼ら”はロボットではない。

 シスのパルパティーンにクローン兵が逆らえないのとは違う、そこを「信じる」しかない。


 これも以前この小説内で書いたこと、何度も書きました、“彼ら”の最大の弱点は、構成メンバーの大半が「まともな人たち」ということだ。


 まともな人たちを信じる心を失わないように、お互いできるといいかもしれない…。

 そんなことを思いました。


 偶然も、挑み続けなければ起こらない。

 あきらめてはいけないと思う。


 僕は君を信じています。

 Fさんは僕を信じますか?


 いつか、答えを聞ける日を待ちます。

 それがそう遠くないことを信じて。

 まけないで!がんばれ!

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〔5月26日分の記述〕

 

 Fさんへ。

 “彼ら”の大多数は、まともな人たち。

 そう感じさせる出来事が、ついさっきありました。


 今日は夜勤明けで、原の海岸で昼寝をしていました。

 何度も書いたけど、家で寝ると?うまく寝れないからです。

 海の見えるところで、波の音を聴きながら、青空の元、昼寝をすると、夜勤で狂ったリズムがリセットされます。


 夕方になり、エアガンで射的でもしようと外へ出ました。

 いつものように、的を30メートル、40メートル、補足で計って並べて、狙います。


 今日はハンドガンも持っていきました。

 せっかく持っているのに、射的にはほとんど使えないハンドガン。

 もったいないと思い、3倍ズームできるという「ドッドサイト」をつけて持って行ったのです。


 流行には流行りすたりがある…。

 現在、エアガンの世界では、どーやらこのドットサイトが流行しているらしい。

 昔はレーザーサイトだった、あのレーザーがでて目標を狙うやつだ、映画なんかで一昔よく見たやつ。

 しかし、レーザーサイトは眼球を損傷する危険があり、サバイバルゲームでは禁止されたらしい。

 そこで、似たような機能をもち、かつ安全な、ドットサイトが流行っているようなのです。


 このドットサイト、実際の軍隊ではほとんど使われない。

 映画なんかでもほとんど見ない、僕にとって未知の代物です。


 結論からいうと、ドットサイト全然役に立ちませんでした。

 どうやら、調べると?

 見た目を良くするファッションアイテムとしての需要の方が多いらしく、あってもなくても関係ないもののようだ、と今日使ってみて思いました。


 …まあ、それはさておき、本題はここから。


 射的を終えて、日が傾いてきました。

 次はトロンボーンでも吹こうかと思って車で、エアガンをしまっていると?


 一人の女性がやってきました。

 車で駆けつけて大急ぎで。


 開口一番「あなたここで何をしているんですか?」と。

 僕が「射的です」と答えると?納得しない顔。


 そこに年配のズーム機能を持つカメラを持つ男性が合流してくる。


 話を聞くと、その女性はボランティアだという。なんの活動をしているかは説明しない。

 男性は名乗らないし、身分を説明しない。


 で、人に当たることもあるでしょ、やめてください、と言われた。


 まあ、そういわれてしまうと、こちらは立場が弱い。

 いくら周囲に人がまったくいない、無人の海岸で射的をしているとはいえ、通行人にそう言われてしまうと、立場が弱いのは事実だ。

 いくら、有効射程40メートルしかないおもちゃであると説明したところで、シロウトは納得しない所です。(目視距離外まで危険が及ぶものではないと、説明しても無駄という事です)

 だからあえて言い訳をせず、すみません、と対応していると?


 その女性は、これは犯罪ですよ、もう来ないでください、と言ってくる。


 犯罪者呼ばわりされると、こちらとしても、「何の法律に引っかかっているんです?」と応じてしまう。

 こういうと、その女性は「あなたが墓穴をほったのよ」と警察に通報するのだ。



 警察がくるまで、車内で冷静に状況を整理してみた。

 どうやら?そもそものきっかけは、カメラをもった年配の男性のようだ。

 この男性が、女性にあることない事吹きこんで、動物をエアガンで撃っている男がいるとか吹き込んだ様だった。女性は普通の人で、男性の話を完全に信じているのだろう、そういうリアクションだった。本気で自分は正しと思っているリアクションだ。年配の男性の方は「そう」ではない。


 僕は法律をある程度知っています。

 この状況で、通報したら?

 困るのは僕ではなく、相手方であることは、自明の理なので、慌てはしなかった。


 女性は通報した、という事は?本気で自分は正しと思っている。

 年配の男性は、まさかこういう展開になるとは予想してなかったのではないだろうか?

 気を張っているが、動揺を見て取れるのだ。


 結果としては、警察はきたが、結局僕の方が正しいことは分かってくれたようだ。

 何事もなくその場は終わった。

 僕が何事もなく帰る様子を、何とも言えない顔でみる、年配の男性と、ボランティアと名乗る女性。

 もし、僕の予想通り、この女性が「普通の人」ならば?

 今頃、どんな気分でいるのでしょう。

 警察が来て、絶対に捜査のため連行してくれると思っていたのに、結果はそうはならず、結果として何もない人に言いがかりをつけた人扱いを、警察官から受ける次第になったわけで…、心配です。




 年配の男性は“彼ら”である可能性が、高いと判断します。

「こうきたか」と思わずうなってしまいました、いろいろな事を考えてくるものです。

 少しでもこちらに「スキ」があれば?

 そこからぐいぐい来る気なのでしょう…。


 この小説内で何度も書きました。

 ガチのカルト信者は一人いればいい、この一人が周囲の「普通の人」に、あることない事、吹きまくることで、無実の人間を、犯罪者に仕立て上げて、集団でいじめ殺そうという事なのだから。このガチのカルト信者は、普段はまともな人なのでしょう、だから故に、周囲の人も、その言葉を信じてしまうのだと思う。

 ホント、怖い集団です。そう思わない?Fさん。



 そろそろ気が付いてほしいものです。

 これだけ組織をあげて、いろいろやっているのに、「なにもでてこない」という事実を。

 出てくるはずがないのです、なにしろ、僕は普通の人間なのですから。

 むしろ、これほど長い期間、無実の人間に悪意を募る“彼ら”のガチ信者の方が、よっぽど犯罪者であり、糾弾すべき社会の害悪であると、ここに表明します。


 なんの法律に触れてる?と言われたら?

 Fさん、そういう人には、こう言い返せばいいと思う。

「憲法に書かれている、人権尊重の精神に反しているわ」と。


 その世界から脱出することは、やはり「正解」だと思います。

 君のいるべきところではない。


 何があろうと、僕は君を応援しています、圧倒的に君が正しいのだから、憶する必要は全くないのです。負けないでほしい!がんばれ!

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〔5月27日分の記述〕

 

 Fさんへ。

 こんな事も思います。

 先に書いた、ズーム機能を持ったカメラを持つ年配の男性。

 自分から、何も知らないボランティアの女性をたきつけて、前面に立たせるも、自分はその陰に隠れて何かするだけだった。矢面に立たない?そんな印象だった。老獪?という言葉がよく似合う。

(※老獪ろうかい=いろいろ経験を積んでいて、悪賢いこと。また、そのさま。老猾 (ろうかつ) 。「老獪なやり口」[派生]ろうかいさ[名](類語辞典(シソーラス) - Weblio辞書より))


 警察を呼んだのは女性の方だ、たぶん何かあっても、非難されるのは自分ではないという計算が立ったのだろう…。


 「鬼」だと思う。

(※おに=日本の妖怪。民話や郷土信仰によく登場する。日本語では逞し妖怪のイメージから「強い」「悪い」「怖い」「ものすごい」「粗い」「大きな」「固い」という意味の冠詞として使われる場合もある(鬼 (曖昧さ回避)も参照)。「仕事の鬼」「相撲の鬼」といった比喩もあり、単独で罵倒として用いられることもある。(ウィキペディアより))



 「仏」になるどころか、「鬼」になってしまう宗教ってどんななのだろう?

 変じゃないか?と思ったこと、たぶんあるでしょ?Fさん。


 産経新聞のネットニュースにこんなのがあった。

(以下転記)


(前略)

 試合後の集合時、内田氏からこう言われた。「こいつのは自分がやらせた。成長してくれるならそれでいい。相手のことを考える必要はない」「周りに聞かれたら俺がやらせたと言え」


 一方で高校時代から指導を受け、「信頼していた」という井上コーチからは、退場後に泣いていたことを「優しすぎるところが駄目なんだ」と責められた。

(転記おわり)

   

 学生スポーツは、夜叉を作ることが目的ではない、健全な精神と肉体を作ることを目的にしている。

 これではその目的に反してしまう、だから問題なのだ。


 Fさん、たぶん、そちらの世界でも、「こいつのは自分がやらせた。成長してくれるならそれでいい。相手のことを考える必要はない」「周りに聞かれたら俺がやらせたと言え」「優しすぎるところが駄目なんだ」とか言って、無実の人間を攻撃させる、ガチのカルト信者、役員様の中にはたくさんいるのだと思う。

 中には、役員様が責任を取ってくれるから…、と暴挙に及ぶ老人もいるかもしれないが、役員は責任など取らず、手先は切り捨てるだけだ。


 仏を作るどころか、鬼を量産する組織、影響を受けたくありません。


 もしかすると?僕がオタクなのも、こういう「人らからの」影響を受けたくない一心で、無意識にそうした世界に没入していたのかもしれない。



 Fさん、こう思います。

 この小説のかなり初期にこう書きました。

 まるで拉致被害者家族のような気分だ、と。


 “彼ら”は終わったことを持ち出して、と言うかもしれないが、こちらからすれば、これらは今現在も進行形の事案であり、ちっとも古い事を蒸し返している事ではないのです。

 その様子は、北朝鮮政府は、拉致問題は解決済みと繰り返すものの、拉致被害者家族にしてみれば、今現在進行形の事件であるのと、同じなのです。


 拉致被害者家族が、本当に再会を果たせるかはわからない、しかし、その活動をやめる理由が、一切ないという事実は、誰にも否定できない。


 僕がこの小説を書き続ける理由も、似たものがあります。


 連中は、鬼を量産する究極のカルト集団であり、その理想は、現在の日本が陥っている「不寛容社会の実現と維持に」ある。現実社会が不寛容であり続ければ、組織内で甘やかせば簡単に「洗脳」できるからかもしれない…。

 それが長い目で見れば、日本という民族の、全体が持つモラルの破壊につながるが、連中は気にしない。なぜならば、将来的に日本人全員が信者になることを目指しているからだ、ああ、なんて恐ろしい事なのだろうと、言わざるを得ません。


 この小説内に少し前に書きました。

 教祖不在が明確になった時点で、このカルト集団は方向性を見失う、あるいは分裂する、と。

 そして、納税義務の関係から、永久に教祖の生死を隠すことは不可能であること。

 年齢から察して、10年ないし20年以内に、この状況は必ず起こること。

 後継者の動向次第では、分裂は必至だと思う。

 現在ですら、教団の在り方をめぐって、世代間で相当な意見の「齟齬そご」があるのだから。


 自分で楽しみを見いだせないカルト信者は、役員様の用意した座興に興じる。

 自分で人間関係を気づけないカルト信者は、役員様の用意した友達をありがたがる。

 自分でかわいいお嫁さんを見つけられないカルト信者は、役員様に財務して、見つけてもらうのだろう。


 正直、腹が立ちます。

 なににって?

 これを恥ずかしと感じない組織の人々にです。


 仏教徒として、それが恥ずべき生き方であると、気が付けない、自覚出来ない時点で、すべに仏教徒と名乗る資格がありません。


 "彼ら"に勝つには、偶然の力を借りなければ、勝てないと思う。

 僕は、もう一度Fさんに会いたい。

 だから書き続けようと思う。

 奇跡の女神が振り向いてくれるそのを信じて。


 Fさん、君は一人で戦っているわけではありません。

 ながく一人だったかもしれないけど、今は違うのです。

 だから大丈夫です。


 Fさん、君は圧倒的に正しい、だから堂々としていていいのです。


 まけないで、がんばって、かならず、希望は満たされます。


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〔5月28日分の記述〕

 

 Fさんへ。


 地鳴り系の車?来ている気がする。数は少ないけど。

 これは推測。


 Aパターン

 役員様は、今回の件でも「まったく」反省せず、意趣返しをお望み?


 Bパターン

 役員様は、配下のガチカルトのコントロールができていない、人望のない人?


 どっちかな?それとも第三のパターンがあるのか?

 それともそれらの複合か?


 Fさん、もし今回の件で、何か言っている人がいたら?

 こう言って上げてください。

「あいかわらずですね」ってK君が言っていたわよ、と。



精進しょうじんの仕方が間違ってるから、教えてあげましょうか」と言ってもいいと思う。


(※精進しょうじん=悪を断ち、善行を実践し、雑念を去って仏道修行にひたすら励む積極的な姿勢のことだが、日本には古来から、人畜の死や出血、出産など異常な生理状態を指して不浄、穢れとした概念があった。これが結びついて俗間では消極的な理解となり、服喪のための物忌みなどでその浄化の実践のために衣服、食事を通じて身心を清めること、俗縁を断ち切って清浄にし、仏門の生活を送ることもいうようになった。食事においては特に仏教で殺生を禁じたことから魚、鳥、獣など動物性の食事を取ることや、酒を断ち、五葷ごくんと呼ばれる煩悩を刺激する臭いの強い野菜(ネギ類など)も避け、また調理に使う火も普段の家族で使うものとは別の清浄な火を使うなど、細部に渡って慎みとして徹底された。それらの工夫を施し煩悩を避ける目的の調理された料理を精進料理という。


元来、物忌みでは中陰などのように期間を定め、それが過ぎることを「精進上げ」、食事を含めて通常の生活に戻すことを「精進落とし」と言ったが、これも現在では精進に入る前に「精進固め」と言って肉酒を食べ納めする習俗があったり、精進落としは単に葬儀の謝礼宴席のことを指すなど、元来の意味はほぼ失われている。現在所信を表明するなどで形式的に言われる「精進する」は「一つのことに精神を集中して一生懸命に努力すること」の意味で使われている。)


 身を清めた行為を尽くすと僕的には解釈します。

 どう思う?Fさん。


 本来の仏教の発祥地から、日本にたどり着くまでに、仏の教えはだいぶ「軽装」化されてきたのがわかる。そこに独自解釈の余地が生まれ、“彼ら”のような間違った仏教徒が生まれたんだと思う。


 信仰は自由だが、何をしてもいいわけではない。

 こんな当たり前の常識が通じない世界など、おかしいと思います。


 Fさん、そういう意味でも、間違えを、間違えと、表明するのは、悪い事ではありません。


 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。

 実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

 がんばれ!まけるな!

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〔5月28日分の記述〕

 

 Fさんへ。

 …そう気が付いてしまいました、Fさん。

 ずっとひっかかっていた、無意識からの警告。


 そう、過去の経験から推測する次の“彼ら”の行動パターン。

 僕と背格好がにた人物に、実際に動物虐待をさせ、その様子を撮影し、僕に嫌疑を向けさせる方法だ。

(※そういえば、路上に無意味に猫の死体を置いてターゲットを委縮させるというのは、“彼ら”の行う手の内の一つだったことを思い出す…。子供を平気で犠牲にできる思考回路の連中だし…)


 思い出してほしい、そもそも僕が東京脱出をしたきっかけは?

 僕によく似た人物が起こした事件だ。


 “彼ら”はやる、条件さえそろえば、躊躇なくこれをやる。

 一体、過去何人の無罪の人間をこうして貶めてきたのか…。


 困ったな。


 Fさん、これで僕が出歩く機会が減って、ニートだとか引きこもりだとか言う人らがいたら?

 こう伝えてほしい。

「なんて。自分本位の意見をいうの?」と。


 困ったな…。


 いやあ、以前、記憶喪失になる人の気持ちがわかると書いたけど、まさにそれに近い感覚。

 忘れられたら楽になるのは事実だけど…。


 それはFさんとの思い出を失う事を意味するわけで…。

 ありえない、と全身の神経が唱えます。

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〔5月29日分の記述〕


 Fさん、しばらく海岸には近づかない方がいいかな…。

 なにかこうして、どんどん行動が制限されてゆくのはどうしたものかと悩んでしまいます。

 連中は自分たちで閉じ込めて置いて、閉じこもること自体を非難してくる…。


 Fさん、今そちらはどういう状況ですか?

 “彼ら”の中には良識人もいる。

 僕が反撃しるぎている?という人もいることと思います。


 そういう人が、もし身近にいたら?

 僕がこう言っていたと伝えてください。

「そちらの状況がわからないから、どうどうと出てきてほしい」と。


(※例えば…、“彼ら”はとても「ほのめかし」や「あてこすり」が上手だ。あのテクニックを駆使して、公式ホームページのトピックスにでも反論を載せてほしいです。女性部門の公式見解なんかもほのめかしてくれるととてもうれしいです)


 こちらは、○○さんの状況がわからないから、どうなっているのかがわからない。

 しかし、○○さんは、こちらの状況を100%把握した上での、この仕打ちだ。


 今日、和菓子屋さんにお菓子を買いに行きました。

 向かいに種苗屋さんがあり、カラーリーフを買った。

 お店のおばあさんに、ガーデニングやってるんですよ、と雑談をふってみる。


 過去の経験上、“彼ら”ならば、絶対に目を合わせないで会話に応じる。


 このおばあさんは目を全く合わせなかった。


 たぶん、僕の写真が周知されており、感情的に「えーそれはない、ひどい事をするやつだ」という間違った情報にさらされているのだろう…、困ったものです。



 それが、あなた方の誇る、仏の教えですかと、問いたい。

 まじめに仏教やってないから、間違った方向になるのだと伝えたいです。

 どう思う?Fさん。


 その世界からは、脱出していいと思う。


 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。

 実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

 がんばれ!まけるな!

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〔5月30日分の記述〕


 Fさん、こんな事を思います。

 以前この小説内で書きました。

 仕事場の机の上に、A4判で最大に拡大されたゴキ〇リの絵がプリントアウトされたものが置かれていた話。介護施設では非常に奇妙。共用の場所だからしばらくそのままにされたけど、ある日、「あれ、なんなの?捨てたよ」と女性職員が捨ててくれた。確認するとフロアの誰もそんなものそこには置いてないという話だった。


 あれは、デイのナースが置いたものなのかな?

 それとも2階にいたガチカルトの男性だったのだろうか?

(でもこの人はPCバージンだった様子で、そんなものをプリントアウトする技能はたぶん持ってないと思う)


 もし、いまでも人をゴキ〇リ呼ばわりするガチカルト気味の変人がいたら?

 Fさん、こう言って上げてください。

「このガチカルト」と。


 このゴキ〇リ呼ばわりする方法は、脳科学的には、記憶操作に該当するものとドキュメンタリーで見た。モーガンフリーマン宇宙を語るの中で、全然違う記憶のイメージと、該当する記憶を、何かしらの方法で結び付けると?人に間違ったイメージや記憶を植え付けることができる、と。

 ゴキ〇リ呼ばわりすることで、記憶操作を促し、まちがった記憶が植え付けられ、結果として間違った判断をするのだと思う。


 正直、低能な事なのだが、こういう単純な事を繰り返し行う事が、催眠や暗示のテクニックのきもだったりする。


 もし、いまでも言う人がいたら?

「あなた記憶操作をうけているわ」と諭してもいいと思う。


 それでもごちゃごちゃ言う人がいたら?

 教祖様の言葉を引用して、これは「愛の」奇跡よと言い返せばいいと思う。

 この「愛の」という言葉、教祖の発言として脳に刷り込まれた人たちには、有効ではないかと思います。信者は教祖の言葉を肯定しているはず、愛の奇跡である、これを否定する奴は、教祖の言葉を理解していない、という論法、成立すると思うけど…。まあ、女性は理屈では納得しない、しかし、事実には敏感だ、愛の奇跡であるという事実を突きつけることは、女性を説得するにある程度の効力があるのではないだろうか?


 ガチカルトにはあなた方の誇る、仏の教えは何ですかと、問いたい。

 まじめに仏教やってないから、間違った方向になるのだと伝えたいです。


 こんなTV番組を見ました。

 日本国内のある離島。

 その島では犬を飼う事が禁止されているという。

 別に犬が嫌いというわけではない。しかし、先祖代々犬は飼ってはいけないと伝えられているという。

 だから島民は犬に触ったこともない。

 TVスタッフが子犬を連れて行くと、80代のおばあさんが子犬をなでて、生まれて初めて触った、と発言する。

 TVスタッフが犬禁止のいわれを島民に聞いて回るのだが、古い事は誰もしらない。

 ただ、おじいさんおばあさんの代から、そうしてきたから、そうしている、という。


 いまの“彼ら”のガチカルトもそうなのだと思う。

 自分たちがどうして、非人道的な事をするのかだれもしらない。

 おじいさん、おばあさんの代から、ずっと非人道的な事をしてきたから行っているだけ、理由は知らない、と言ったところなのだろう…。



 どう思う?Fさん。


 その世界からは、脱出していいと思う。


 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。

 実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

 がんばれ!まけるな! 

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〔5月31日分の記述〕


 Fさんへ。

 TVで羽生という名字についてやっていた。

 NHKのネーミングバラエティー日本人のおなまえ!で、フィギュアスケートの羽生選手と、将棋の羽生さんの名字は共通点があるのか?というのをやっていて、実は、共通点があった、という内容だった。


 羽生(=はぶ、はにゅう)は、土偶のハニワに由来がある名字で、ハニワを作る赤土が取れる土地に由来があるという。おそらく両家の祖先に血縁関係はないものの、古代ハニワ関係の仕事に関わる?あるいはその土が取れる土地に古来から住んでいたのではないかという事だった。


 古代日本人はなぜ?ハニワを作ったのか?

 これは当時、先進国だった中国から入ってきた高度に洗練された文化だった。


 中国では、春秋時代にはすでに「いけにえ」は「野蛮」という共通の常識があったらしい。

 どうも春秋時代よりもさらに過去の時代、中国の石器時代から先史時代の間には、「いけにえ」の習慣があったようで、それもかなり大規模な生贄が、王が死んだ際には使われたらしい…。

(この時代は文字がなく記録がない、もし仮にあったとしても、甲骨文字で、骨に書かれた記録なので、骨が朽ちてなくなっている可能性がある。)


 秦の始皇帝の時代には、すでに土偶が用いられていて、生きた人間を「いけにえ」にする事はなくなった。


 古代日本でもいけにえの習慣はあったかもしれないが、中国の進んだ文化を導入する過程で、この「いけにえ」は「野蛮」という文化も導入され、ハニワが作られたらしい。



 今日、ベランダでガーデニングをしました、Fさん。

 先日買ってきた、種類の異なる「日日草」をプランターに植えていたのです。


 すると、大型のトレーラー?が家の前に入ってきた。

 あのクラスのでかい大型車が、住宅街を通過するのは異様だ。

 ものすごい苦労して角をまがり、家の前を通過した。

「あのままいっても、路地が狭すぎて通れまい」

 と思っていると?

 その通りで、バックで引き返してきました。


 この光景、見覚えがあります。


 東京から脱出してすぐの事、自宅周辺に、異様に車が来る日々の事。

 大型トレーラーや、ハーレーや、外国製のスーパーカーやら、見たこともない車が毎日のように着て、地鳴りの様に音を出していた時の事。


 やはり、同じように、大型トレーラーが来て、同じように苦労して角をまがり自宅前を通過し、やはり、路地で行き詰まって、引き返してきたこと。

 あの時は、アパートの駐車場を使って、切り返していたけど、今はそこはなくなって三軒の新築が建っている、切り返しができないので、バックでそのまま帰ってきた。



 Fさん、こんど君の身近にガチカルトに会ったら、ハニワのオブジェでもあげて、こう言ってほしい。

「いけにえ」なら、これで充分でしょ、と。

 これは人の多い喫茶店などでやった方がいい、相手はきっと、ハニワを見て笑うだろう、そしたら、笑う相手に対して、生きた人間を「いけにえ」にして享楽に尽くすあいての非人道性を大声でまくし立ててやればいいのだ。

 公衆の面前で断罪するきっかけになる。


 僕はFさんが本気でキレたとき、どれほど怖いか知っています。

 けど君は優しいから…。


 中国政府が日本人を多数拘束したニュースが流れています…。

 宗教団体関係者ということですが、どういう訳か、皆、どこかに遠慮してこの問題を詳しく報道しない。どこの宗教団体か?すらいまだに不明です。


 Fさん、こう思います。

 でかい力を持っているんだ、へー。

 でも僕らには関係ない、と。


 組織がでかい力を持っているんだといびる馬鹿には、こう言って上げてください。

「そういう発想、が大嫌いなの」と。


 そして、教祖がいかに「愛」について説いていたか、延々と伝えてから、こう言えばいいと思う。

「あなたは教祖の教えをまちがえて理解している異端者よ」と。


 大丈夫、たぶん教祖様は重大な体調不良で意見が言える立場にないと思うから、現在彼の思想を図る手段は書籍しかない。だから、本に書かれている「愛」の記述をたてに、反論することは、組織内の置いて非常に有効な手段だと思う。


 主知主義的合理化をもって、それを行う分には、何も問題はありません。


 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。

 実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

 がんばれ!まけるな! 

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〔6月1日分の記述〕


 Fさんへ。

 ナショナルジオグラフィックチャンネルで、ピウス教皇についてやっています。

 ドイツがヒトラー政権の時代に、教皇になった人物です。


 この教皇、ヒトラーに与していたようで実はそうではなかった…みたいな話みたいです。


 当時、ヒトラーはドイツカトリック教会に圧力をかけ、教会に聖書の「かわりに」自分の本「わが闘争」を掲げさせ、教会の教えに使うようにしていたそうです。

 当時の神父は、我が闘争をもって教壇に立たざる得なかったらしい…。本当だろうか?耳を疑います。


 ヒトラーは神にとって代わろうとしていた?

 神格化が進んでいたという事だろうか?


 ん?


 そう、これは、ヒトラーの話をしているだけです。

 日本国内に、仏さまにとって代わろうと画策するような罰当たりな人物が、率いる集団がいたりするはずがありません。

 

 そうだよね、Fさん。

 もしこの話を聞いて、怒る人がいたら?

 こう言えばいいと思う。


「何怒ってるの?あなたが怒っている理由を説明して見せて」と。時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。

 実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 君の人生には、すべて意味がある。そう、信じて、心に刻んで欲しい。

 そう、つよくつよく、君に伝えます。

 君の心が彩りを取り戻す日を信じて。


 君に読んで欲しい本がある、日蓮の現存する正筆御書、一度見てください。

 僕は至らぬ人間ですが、精一杯の背伸びをして伝えます。

 いつか再会できる未来を信じて。

 君が「埋没費用サンクコストの呪い」にかからず、

 冷静な判断が出来る事を心から期待します。


 三界に家を建てるには、君が必要です。


 遊ぶ金ほしさの連中に負けないで!

 奇跡を信じて、君の心に運命を賭けます。

 がんばれ!まけるな! 

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〔6月2日分の記述〕


 Fさんへ。

 今「じっくり聞いタロウ」という番組を見ています。

 パチンコ依存症についてやっている。

 あの「ダンプ松本」もパチンコ依存症だったという。


 抜け出せた「きっかけ」は、本来パチンコに使う予定の大金をつかって、友達と食事をすることだったという。パチンコの「他に」楽しみを見出したのがきっかけだったらしい。


 Fさん、君の周りにも依存症「の人」たくさんいると思う。

 カルト依存症だ。


 依存症の人には、「依存」から「抜け出す」人間の気持ちが「わからない」のだと思う。

 もし今でもいろいろ言われたら?

「あなた宗教依存症なのよ、だから依存から抜け出す行動が、理解できないんだわ。アルコール依存症の人が、お酒をやめる人の気持ちがわからないのと同じよ。あなたの言っていることは、宴席で無理に酒をすすめる輩と同じよ。質が悪いのは、酒を勧めた相手がアルコール依存症になるのを喜ぶところよ」と。


 時々、僕を見に来てください。そう、君に伝えます。無駄とも思える努力の積み重ねの先に、意味のある何かがあると、僕は信じます。

 実際、過去のそうした努力があったからこそ、僕は真実に気づき、“彼ら”の総攻撃をかわす事に成功した。役に立たない人生は、あきらめない限り存在しないと、僕は信じます。


 負けないでほしい、がんばれ!

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〔6月3日分の記述〕


 Fさんへ。

 まだ油断はできない、何が起こるかわからないし、君の姿や声を確認したわけではない。


 しかし、こう、なんと伝えたらいいのか?難しいが…。たぶんだけど?


 Fさんがいろいろしてくれたのではと、そういう推測が立ちます。

 もし、そうなら、ありがとう!


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〔6月4日分の記述〕


 Fさんへ。

 君の現在の姿がわからない。

 しかし、キミの「声」なら、一発で聞き取れる自信がある。

 君の声が聴きたいです。


 いつかの奇跡を信じて。


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〔6月5日分の記述〕


 Fさんへ。

 最近思ったこと。


 今日は本当は2018年6月8日です。

 明日9日は夜勤になります。


 少し遠回りになるのだけど…、東〇の近く、あの夏祭りの日、最後に別れたT字路に一番近いコンビニに行こうと思います。たぶん午後三時半過ぎになると思う。


 これからも、なるべくそこへ寄ろうと思います。

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〔6月6日分の記述〕


 Fさんへ。

 最近思ったこと。


 過去の記憶をさかのぼって…。


 僕はFさんに、待ってます、と言って、その通りになったことはなかったな、と。


 その代わり、そこで待ってて、と言ったときには、会えたような気もする…。


 どうなのだろう?今のタイミングで、そこで待っててと書いたら?待っててくれるのだろうか?

 今、それを書くべきタイミングかどうかが計りかねます…。


 それに、そもそも、コンプライアンス的にどうなのかと…。


 ともかく、サントムーンには頻繁に行きます。

 偶然出会える奇跡を信じて。


 再会するときは2人でお芝居をしよう。

 もしかしてkくん?偶然見かけたから、何年ぶりかしら?と君が言ったら?

 Fさん?わからなかったよ、あ、でも声でわかる。久しぶりだね、高校卒業以来だから、20年以上たつのかな?と返します。

 このお芝居は、連絡先を交換し終えるまで続けよう。

 そして、いったん分かれて、連絡先を通じて、誰もいないところで待ち合わせをすればいいと思う。


 なぜこんな面倒な事を言うかというと?


 Fさんの事だから、再会したら泣き崩れるかもしれない…、そこまでいかなくても、周囲の人の目を気にしながら再会を本音で語らう事に躊躇することは予想できる。本音で語り合うなら、人目のない所でないと無理だと予想します、どうなのだろう…どこまで当たってる?

 だから、最初の接触の際は、連絡先を交換するまで、お芝居をしよう。

 20年ぶりに偶然再会した、同級生として、冷静なお芝居をしよう。


 大丈夫、あの時の様に、お芝居をすればいいだけです。

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〔6月7日分の記述〕


(ソードアートオンライン2 第14話より)


「命を…救った?」(シノン)

「シノン、君はずっと自分を責め続けてきた、自分を罰しようとしてきた。それが間違いだとは言わない。でも君には同時に自分が救った人の事を考える権利があるんだ、そう考えて、自分自身を許す権利があるんだ。俺は…それを君に…」(キリト)

 

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 …時々、僕の姿を見に来てください。今でも元気にやっています。もし、再会することがあるなら?

 青-白系のコーディネートできて、といったら怒るかな…

 少しでも気が付けるように。



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 こんな事も思う…

 もし、今でも僕個人に嫌悪の気持ちを向ける人に出会ったら?

 Fさん、そんな人がいたら?こう言い返してもいいかもしれない。

同類嫌悪どうるいけんおなんじゃないの?」と。

 お互い、コミュニケーションが苦手で、生きるのが不器用なものほど、そうした感情は生まれる。

 

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 こんな事も思う…。

 月のはじめ1日の日に、一斉に"彼ら"の本部に「白紙」のはがきが到着するというの、どうだろうか?

 大量にくるはがきをみて「なんだこれは?」ということになるだろう。

 はがき自体には、宛先以外、一文字も書いていない完全な「白紙」だ。

 "彼ら"は口コミ社会だ、いずれこの小説の記述を突き止め、この白紙はがき運動が、彼女を解放してほしい、というアピールであるという事実に、役員は気が付くだろう。

 各々が独自のタイミングで行うと?効果が薄い。

 皆がタイミングを合わせるために、月に一回、1日に一斉に行うというのはどうだろう?

 ご家庭にある余ったはがきが一枚でもあり、彼女への組織の対応におかしいと思うが、自分には何もできないと思っている人がいたら…、はがきを出してほし。"彼ら"の東京の総本部あてに。

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 できることならば、組織内の良識ある女性有志が、彼女の思いを汲んで、自発的能動的にこの署名活動を展開してくれることを望みます。"彼ら"の多くは実は「まとも」である、と、僕は繰り返し書いてきました。この推測が事実であることを示してください。この推測が事実であるならば?なにも難しいことはないはずです。

 そう思わない?Fさん。

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 正直、"彼ら"が消滅しようが自滅しようが、興味はありません。最愛の人に会えれば、人生の邪魔をしないならば?自らの罪を受け入れ、咎と向かい合う勇気を示してくれるなら?"彼ら"がどうしようとどうなろうと、まったく興味はありません。常識的な人々が主導権をとり、正常な組織に時間をかけて変わってゆくのを眺めるのみです。そういうのわるくありません。

 Fさん、どう思う?

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 たぶん、かなり引っ張られると思う。

 リセットできないと、自覚できない。

 免疫がないと特に。


 高校時代、君は人から「八方美人」って言われると、気にしていた。

 でもこうも思う、そりゃあ、ガサツな女からみたら?そう感じるかもしれない、でもそれは「Fさん」に対する「やっかみ」であり、君が気にする必要のない「やっかみ」なんだと思う。気にすること自体が、すでにそうした「がさつ」な人の性格に、引っ張られている状態だったんだと思う。

 連中は、君の「きれいな心」がまぶしすぎて、その輝きをつぶして、よごして、安心したかっただけなんだと思う…、ごめんね、こんなこと書いて。

 でも、もう二度と後悔したくない。伝えられなくて後悔するようなことは、もう二度としたくない、そう、思います。


 Fさんも、いろいろあると思う。心をかき乱す様々な罠が日常としてあるものと推察します。

 でも君は自分の記憶を信じていいと思う。

 大切な、君の中の「 」まで、連中にどうのこうのされるいわれはありません。

 "彼ら"のういう「完璧な人生」が完璧な人生には、僕は思えない、そもそも「完璧な人生を送る必要など仏様でも望んでいない」と思う。

 それは自分自身だけではない、自分にまつわる他の人の人生にも言える。

 他人に迷惑かけたくない、他人の完璧な人生に水をさしたくないと、Fさんは考えるかもしれない。

 しかし、そもそも完璧な人生など、この世に存在しないのです。

 大切なのは、心の輝きです。

 なにか言われたら?こう問い返せばいい。あなたの心は輝いていますか?輝く努力をしていますか?

 あなたの言っていることは、ともに心の輝きを失えば何も怖くないと言っているようにしか聞こえない、と。

 心を大切にして、前を向き続けてほしい、まけないで!がんばれ!


 …Fさんの手紙、待っています。

 

(この物語はフィクションです。登場キャラクターは実在の人物・団体等とは一切関係ありません。)

〔メンテナンス中でもあきらめずに何度も“更新”を押せば意外とつながります。〕この物語はフィクションです、それはそれはこわい都市伝説風恋愛ストーリーです。けっして現実ではありません。だから訂正も修正も削除も受け付けません。フィクションです。真に受けないでください。とくに年配の方。この物語は実在の人物・団体等とは一切関係ありません。リアリティーを追求した描写が売りなだけです。フィクションです。特に既婚女性を意識して書きました、細かい描写も注意してお読みください。著作権法上の権利者である私が原文のままのコピーに関してのみ許可します。1文でも付け足したコピーは違法です。ご注意を お金に興味はありません、心の充足が大事です。同じ物語を彼女側から書いたものも構想中ですが、女性心理がわからず苦戦しています。アクセスができなくなる前にぜひ感想をおよせください

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